カテゴリー「大映特撮クラシック」の記事

2007年11月27日 (火)

同じ星の下に

きわめて私事で申し訳ありませんが。
私、今日が誕生日なんです。

年齢だけは考えたくもないですが、誕生日というのはそれなりに感慨深いもので。と言うのも。
今日11月27日は、あのガメラシリーズ初作「大怪獣ガメラ」の封切日(1965年)なんですよ。言わば今日はガメラの誕生日なんですね。
年は違えど、ガメラと私は誕生日が同じ。私のオタクは生まれた時から決定付けられていたのでしょう。
これ、去年もお話しましたね。すいませんしつこくて(涙)。
で、今日はこんな風景を。

Photo_13 特別な日の今日は、近くのオタクショップで彼と待ち合わせ。
私の背丈ほどもあるマッチョな彼は、いつもここで待っててくれる。

Photo_14 いつもは凛々しく、険しい表情の彼も、今日だけはちょっと優しい面持ち。
Photo_15 「同じ星の下に生まれた二人は、これからもずっと一緒だよ。」
キャー!私、一生オタクを全うします~(喜)。

Photo_16 甘美な時間はあっという間。でもここに来ればいつでも彼に会える。
七夕の彦星と織姫のように、毎年この日は彼とのデートに決めよっと。
(いろんな意味で涙)

撮影を許可してくれたお店のお兄さん、ありがとう(礼)。
Photo_17 でもこんな記念日も、基本的に無頓着なのがこの子。
ま、期待はしてないけど(涙)。

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2007年2月18日 (日)

石に宿る怒り

「いやーやっぱり大迫力だなー。」
今日も「ネヴュラ座」46インチテレビの前で歓声を上げる私。

今まで小さいテレビばっかり見ていたので、この大画面テレビには今だに一種の「畏敬の念」さえ覚えてしまうのでした。
観る前にちょっと心の準備をしたりして(笑)。

昨日の「ネヴュラ」をご覧頂けばお分かりの通り、GEOでDVDを格安レンタルしてきた私。昨夜から今日にかけ、昔見た作品を再見する「夢のリバイバル上映」にどっぷり浸かっていました。昨日お話した「めまい」もその一本だったのですが、何と言っても特撮好きな私、実はお店で最初に手にしたソフトは別の作品だったのです。

Photo_529 「大魔神」(1966年大映 安田公義監督)。和製特撮映画の中でとしてゴジラ、ガメラと並ぶ知名度を誇る人気キャラクターの、これは第一作です。
大魔神シリーズはこの第一作に続き、この1966年中に「大魔神怒る」(三隅研次監督)「大魔神逆襲」(森一生監督)の全三作が公開され、その後幾度か新作の情報が流れながら、今も実現されていません。
ここへ来てやっと、来年新作公開の予定(角川ヘラルド 三池崇史監督)が耳に入ってきましたが。それほど新作が熱望される人気シリーズですから、改めて第一作の再見を思い立った気持ちもお分かり頂けると思います。

この「大魔神」。そのキャラクターばかりが一人歩きしてしまい、ストーリーをしっかり覚えている方は意外に少ないのではないでしょうか。
かく言う私もその一人。お話するにはお恥ずかしい限りで(笑)。
実際、この第一作は劇場鑑賞した事がありませんでした。
私が生まれて初めて劇場で観た作品は「ガメラ対大魔獣ジャイガー」(1970年)でしたから、その4年前に封切されたこの作品を劇場で観られるはずもなく。
でもこれ、公開当時劇場で体験していたら、まず間違いなくトラウマになっていたでしょうね(笑)。


Photo_530 実は、今回の再見はそれほどまでに衝撃的でした。
毎度申し上げますが、映画というメディアは監督が「大スクリーンで上映する事」を前提に作ります。あの暗い劇場内に浮かび上がる、巨大な画面の為に作り上げるのです。
ですからその全ての効果は本来、テレビ画面では最大限に発揮されません。

:劇場のスクリーンには叶わなくとも、それに迫るサイズの46インチ(2メートル手前まで近づいて鑑賞)すると、監督の意図が少なからず分かります。本当はこれでも足りないんですが。
考えてみて下さい。「あの大魔神の目が1メートル!」って!

こういう効果は、監督が「ここで大アップを入れて、観客のドギモを抜いてやろう」と企んだ末の演出。これはビックリしますよー。病み上がりの体にはショックが大きい(笑)。
つくづくこういう映画を観るには体力が必要と思いました。

画面の迫力もさることながら、そのストーリーもなかなか魅せるものがありました。
実は私、この第一作をちょっと敬遠していたのです。
というのは、この作品を昔テレビで見た時、魔神出現までのあまりの冗長さに辟易した経験がありまして(笑)。

怪獣映画で怪獣が暴れる場面以外に興味が持てない子供だったんですね。ですから今回の再見で、初めてまともに作品と向かい合ったという訳で。遅すぎますね(笑)。
今回は私の覚書の意味も含め、ざっとお話をご紹介しましょう。

Photo_533 戦国時代。豪族の一人、花房家が統治するある村では、「魔神の伝説」がありました。
ある夜、地を揺るがす謎の足音におののく村人は魔神の怒りを鎮める村祭りを開きます。

当主花房は村人の不安を取り除くよう家老、左馬之助に命じますが、左馬之助はこの祭りの喧騒に乗じて花房に反旗を翻したのです。
花房夫妻は左馬之助の手にかかり、残された幼い遺児、忠文と娘の小笹は近臣の子源太と一緒に「魔神の住む山」に逃れました。
ここまでが第一部的展開ですが、これはある一点を除いてまさに時代劇、大映京都の風格を存分に見せる堂々たる作風です。ここでも、セットのあらゆる場所に視点を据える大映ならではのダイナミズムは健在。
子供の頃には退屈に見えたこの序盤でしたが、今見ると大変力の入った演出ですね。
ここまで本篇をしっかり見せられる自信を持つ大映京都でなければ、この「大魔神」という企画は考えられず、また後半の迫力も生まれなかったと思います。


左馬之助による謀反から十年。
領民は、城主となった左馬之助の傍若無人な悪政・重税に苦しんでいました。そのシンポルとなるのが城の城壁。

都に攻め入ろうとする左馬之助は領民を酷使して城壁工事に駆り立てていたのです。
その仕打ちに耐え切れず体を壊す人々も。

その頃、若く立派な若者に成長した花房の子息、忠文は、左馬之助の悪政を打ち砕かんと近臣、子源太と山を下り都へ。
しかし多勢に無勢、駆けつけた花房の残党と一緒に捕まり、領民の見せしめとして磔の刑に処せられる運びに。


山に残った娘、小笹は、「魔神の住む山」で、魔神の寄代とされる武神像の下に暮らしていました。この武神像が後々ストーリーの中心と化す大きな意味を(皆さんお分かりでしょうが)持つのですが、この設定がこの映画オリジナルというのはちょっと信じられません。
出来すぎている。ひょっとして昔の民話か何かにこういうお話があったのでは、と思えるくらい違和感が無い。
「これ以上でもこれ以下でも成立しない」お話の典型です。


武神像を神とあがめ、封じる巫女、信夫は、満を持して左馬之助の元へ。しかし神の存在を信じない左馬之助により返り討ちにあってしまいます。あまつさえ左馬之助は、領民の信仰の元となる武神像を破壊せんものと家来を山に差し向けました。
家来、軍十郎率いる武隊に襲われる小笹。さらに武隊は武神像破壊の為、像の額にタガネを打ち込むという暴挙に出ます。しかしその時恐ろしい事が。
武神像の額から真っ赤な鮮血が流れ出てきたのです。


ドラマはここまででほぼ一時間が経過しています。「大魔神」は全篇で84分ですから、魔神出現の兆しまで全篇の3分の2を費やしているという訳です。
おそらくこの一時間が子供には耐え切れない長さだったのでしょうね。でもここからはどんな怪獣映画も到達しきれないリアルな破壊絵巻となるのです。

Photo_531 Photo_532 さて。私の説明はここまでとしましょう。以降の迫力は私の筆力ではとても表現できません(笑)。

まあここから先は皆さんご存知の「変身」「破壊」「終局」です。

高山良策による大魔神の見事な造形、武神像から大魔神への表情のコントラスト、実物の2.5分の1サイズの瓦一枚一枚を本当に焼いたと言われる通称「魔神工房」製の城壁ミニチュアなどなど、見所満載のスペクタクルシーン。
まさに「魔神の怒り」を表現したすばらしい展開です。

ここを語るだけでも大変な時間がかかってしまいますから今回は作品をご覧頂くとして。
実は私、今回の再見で二箇所程再発見があったのです。


今日のお話の前に、いろんな方々が書かれた「大魔神」のレビューを拝見したのですが、私が気になった部分に言及された記事にはお目にかかれず。結論めいた事も正確な解説もないので、毎度の私見になってしまう事をお許し頂きたいのですが・・・
「大魔神は神」という、これまでの定説についての私見ですが。

その一。オープニング直後の「大魔神の足音と地響き」。
これについて明確な説明は劇中のどこにもありません。
この地響きが領民の思い過ごしや超自然的な現象で無い事は、実際に揺れる部屋の映像が証明しています。
あれ、何だったんでしょうか?

この直後、魔神の怒りを鎮める為の村祭りのシーンに移っていますから、この地響きは作品の導入部として非常に大きな意味を持ちます。
つまり、大魔神は作品開始時点で「他の場所で暴れ、山へ戻ってきた」という事でしょうか?人々が噂する「神社境内の大きな足跡」は、大魔神が以前も出現した事を暗示しているのでは?

さらにその二。
「武神像にタガネを打ち込んだ時の、額から流れる血」。

これは作品後半、大魔神の怒りを呼び覚ます上で大変重要な場面ですよね。
しかしよく考えてみると、神様ともあろう存在が「赤い血」を流すでしょうか?仏様ならまだしも。


Photo_534 この二つから考えられるのは(あくまで想像上のお遊びですが)
『大魔神は神ではないのでは?』という発想で(笑)。
確かに大魔神はその形相を変化させたり光になって移動するなどの能力を持つ事から、人工物で無い事は明らかでしょう。昔、雑誌「宇宙船」にあった「圧政に苦しむ村人が密かに建造した攻撃型巨大ロボット」などではないと思います(笑)。
でも、神と言うよりは「人」に近いような気もするのです。

こう考えてみたいんですね。
「大魔神は、この時代の理不尽な圧政に苦しめられた、名も無い人々の怒りの集合体では」なんて。


この存在は思念の集合体ですから形を持ちません。光となって国内各所に移動も可能であれば、像のような物体を寄代として物理的な破壊も可能という訳で。さらに各地の怒りを吸収して力もますます強大になるという。
作品オープニングの地響きは、別の場所で圧政を退け、怒りを吸収した魔神が山へ帰ってきた事を表しているのではないかと。
「血」もそうですね。神が赤い血というのはちょっと考えにくいですが、「虐げられた人々が流す血」という事なら鮮血も納得が行く、なんて。
この作品で武神が魔神に変身したのは左馬之助の圧政が頂点に達した時。領民の怒りの大きさに反応して、この存在も動き出すのでは。


私をそんな考えに導いたのは、怒りの魔神の形相、そのスーツアクターを務めた橋本力氏の「目」を見たからかもしれません。
あの血走った、怒りに満ちた赤い目。
あれは神の目でしょうか?


私にはあの目は、権力闘争の犠牲となり、またいわれの無い冤罪、不当な労働などで亡くなった、何万人と言う市井の人々の怒りの頂点に見えました。
破壊の限りを尽くさなければ収まりがつかない程の凄まじい怒りを、あの目に感じたのです。

まあこんなお遊びをしたくなる程、魅力的な作品世界と言う訳ですね。他のご意見も聞いてみたいような気がします。

そのラスト、高田美和扮する小笹の涙にその場を立ち去る魔神の心は、一時にしろ安らぎを迎えた事でしょう。
赤い血を流し、涙に反応する存在。
「血も涙も無い」訳ではないと(笑)。


実は今回、続篇「大魔神怒る」「大魔神逆襲」もレンタルしてきました。やはり敬遠し続けたこの2作。
再会を果たした時、今日の考えが変わっているか、思いを強くしているか。また楽しみが増えました(笑)。

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2007年2月11日 (日)

業を映す異形

Photo_506 待ってました!
封を開けるのももどかしく、梱包をほどいたのは「ガメラTHE BOX1965-1968」。

「大怪獣ガメラ」「対バルゴン」「対ギャオス」「対バイラス」のDVD4作品がパックされたもの。6年ほど前に発売され、今では店頭でもほとんど見かけないレアBOXです。
最近もっと凄いBOXが出ちゃいましたからねー。貧乏な私はそんな高いセット買えやしない(涙)。このBOX、数日前近所の電気屋さんで見かけたのですが、シュリンクパックが破れ、パッケージが日焼けしているにも関わらず定価、という状態だったので泣く泣く諦めていたのです。
それがオークションで新品、日焼けなし(笑)で出品されていて、狂喜した私は即断即落札。かなり安く買えました。
探した甲斐があったというものです(笑)。


でもこういうのって届くまで不安なものですよね。なにしろ写真だけで判断しなければならないので現物を見るまでは。
でも届いてビックリ。こんなに程度のいい新品がまだ世の中にあったとは(大げさですが)パックのビニールさえスレが全く無い、昨日発売されたかのような極美品で。
よかったよかった。


で、「ネヴュラ座」は昨夜から大映直営館と化し(笑)。これまでに何度も鑑賞した昭和ガメラですが、46インチの大画面で観ると全然違う作品に感じます。先日「キングコング対ゴジラ」を観た時も同じ印象を受けました。
やっぱり怪獣映画は大画面が映えます。もうなんて贅沢な。


既に穴の開く程観たガメラ映画。今回の高画質、大画面での再会ではいろいろ再発見もあったのですが、特に印象に残ったのは「多彩なカメラワーク」でした。
監督に限らず、映画会社にもそれぞれ「撮り方の違い」というものがあります。怪獣映画も例外ではありません。贅沢なミニチュアセットをこれでもかとロングショットで攻める東宝作品に対し、パンやズームによる視点の移動で躍動感を生み出す大映作品には、東宝怪獣にはない独特のダイナミズムが生まれるのです。

画面的な印象では、ゴジラ映画よりガメラ映画の方が、「寄り」が多い。怪獣のアップのサイズが違うんですね。ゴジラよりガメラの方が「画面に迫ってくる」感が強いような気がします。
また主役怪獣ガメラが空を飛ぶ為、視点がバラエティーに富んでいて飽きさせないという特徴もあるのです。

事実画面に向かって「おおー」と声を上げた回数は、ガメラ映画の方が多かったような気も。(46インチだと本当に声が上がっちゃうんですよ。無意識に。)

Photo_507 そんな楽しい体験の中で、今回改めて名作と感じたのが「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」(1966年 田中重雄監督)。
「対ギャオス」が昭和ガメラのベストという意見に異論は無いんですが、この「対バルゴン」もギャオスとは違うアダルトな作風で、今もファンの心を捉えて離さない作品なのです。
1965年、「大怪獣ガメラ」で産声を上げたガメラ。この「対バルゴン」は、ガメラ映画の好評に気を良くした当時の大映が翌66年のゴールデンウィーク時に公開した超大作でした。
(併映が「大魔神」という物凄い二本立てですよね)

この「対バルゴン」、賢明な読者の皆さんには今更ストーリー説明など必要ないと思いますが、私の覚書とでも思ってちょっとお付き合い下さい(笑)。

お話は前作「大怪獣ガメラ」の半年後から始まります。
前作で人類によってロケットにおびき寄せられ、宇宙に葬られたガメラは突如飛来した隕石と衝突、ロケット破損により自由を取り戻します。元々北極に住んでいた生粋の地球怪獣ガメラは帰巣本能により地球に帰還。電力発電による熱エネルギーを求めて東洋一のスケールを持つ黒部ダムを襲った後、赤道直下の火山帯へと飛び去ります。

実は、このフットワークの良さがガメラ映画の多彩な視点、ストーリーの加速に貢献しているんですね。
後年、平成ガメラを演出した金子修介監督が「GMK」公開時に語っています。「ゴジラは一度上陸したら後は進むしかない。ドラマを断ち切る事はできない。
その点ガメラは、人間側や別怪獣のドラマに切り替えたい時はどこかへ飛ばしちゃえばいいから楽。」

この「対バルゴン」でも、ガメラが赤道へ飛んだ後、新怪獣「バルゴン」へとストーリーの力点が移動していきます。

戦時中、南米ニューギニアのある村で巨大な宝石を発見した男。20年の時を経て、その宝石を回収しようとした彼は仲間二人、そして足の不自由な自分の代わりに弟を加えた三人をニューギニアの奥地へ向かわせます。
村へたどり着いた彼らは村人の制止も聞かず、宝石を隠したとされる洞窟へ。そこで捨て値で2億円は下らないほどの「オパール」を発見。彼らの大博打は見事な勝利を収めたと思われたのですが、三人の内一人は現地の毒サソリにより絶命、残った二人の内、欲に駆られた一人がオパールを持ち逃げしてしまいます。


この「対バルゴン」はこうした男達の野望がストーリーを引っ張る、怪獣映画にしてはまれな展開です。
この手の作品は例えば「キングコング対ゴジラ」「モスラ対ゴジラ」などがありますが、怪獣という荒唐無稽な存在が大前提としてある「キンゴジ」や「モスゴジ」に比べ、「対バルゴン」に登場する男達が目指すのはあくまで「宝石」。その目的や画面を彩る暗めの照明効果(これは特筆すべき雰囲気)が実にリアルかつアダルトな雰囲気を作り出しているのです。
昭和ガメラ映画の中で唯一、子供がストーリーに一切関わらない事も、このアダルトな作風を後押ししていると言えるでしょう。

まあ実際にはこの雰囲気は災いしたそうです。「人間ドラマの間は劇場で観ている子供がお菓子を買いに行ってしまう」(湯浅憲明監督談)との酷評を受けた大映側の解答が次回作「対ギャオス」という訳で。
いったい何が幸いするかわからないという(笑)。


Photo_508 彼らが発見したものはオパールではありませんでした。その村に古くから伝わる伝説の怪獣「バルゴン」の卵だったのです。船が到着した神戸港は、船から出現したバルゴンにより一瞬で大惨事に。
村で1000年に一度誕生する巨大生物バルゴン。
成獣になるまで10年近くを要すると伝えられるバルゴンが何故船の中で一瞬にして成長を遂げたのか。それは作品をご覧頂く事としましょう。(もうご存知ですよね。)

南米ニューギニアで生まれながら、バルゴンの武器は万物を一瞬の内に凍らせる冷凍光線。この光線で神戸港を凍結させたバルゴンは悠然と大阪へ移動、自衛隊と戦闘を展開します。
この「凍結する街」というのは、それまでの「怪獣破壊による炎の海」とは全く違った「沈黙の都市」の恐ろしさを表現していましたね。


Photo_509 この凍れる異形バルゴンと炎の巨獣ガメラがどう絡むのか。
この二つを繋ぐ「架け橋」があるのです。
大阪で破壊の限りを尽くしたバルゴンは大阪城脇で一時沈黙。対策本部は冷凍光線の射程を計測し、その射程外から攻撃を加える作戦です。離れた山中からミサイルを射ち込もうとしたまさにその時、発光したバルゴンの背びれから七色の光線が発射されました。遠隔地を攻撃できるバルゴンの必殺武器「虹色光線」です。

この光線は夜間シーンに映えましたね。見事な色彩設計と思います。作品内では冷凍光線によって空気が澄んでいる印象があるので、この虹が一層美しく見える。この光線に包まれた場所は一瞬にして消滅してしまいます。
破壊ではなく「消滅」なんです。なんて恐ろしい。


Photo_510 この虹色光線、色に反して熱を出すようで、この熱エネルギーに引かれてガメラが大阪に飛来、バルゴンとの第一回戦を繰り広げます。虹にぶつかり火花を散らすガメラの回転ジェットの勇壮さ。こういうのが怪獣映画の醍醐味ですよね。
この時避難が終わった大阪市内の道路に捨てられたラジオから「世界の各地を荒らしまわったガメラが現れ・・・」という実況が聞こえてくるあたり、いわゆる「ガメラのアリバイ作り」も忘れられていません。(その後ラジオが自衛隊の車に撥ね飛ばされるリアリティ!)

Photo_511 この冷凍怪獣にガメラはどう挑むのか?
未見の方はご覧いただき、ご存知の方は記憶を辿ってください。
私はこの「対バルゴン」、意外にガメラの出番が少ないにも関わらず、やはりこれはガメラ映画なんだなーという思いを強くしました。
これはバルゴンの圧倒的な敵役ぶりに加え、「痛めつけられるガメラ」というフォーマットが観る者に著しくガメラへの感情移入を起こさせるからでしょう。

「ガメラは力道山型ヒーロー」という評論を以前目にした事がありますが、一敗地にまみれる主人公がリベンジするというストーリー仕立ては確かに言いえて妙。
その方が盛り上がる事を当時の大映スタッフは分かっていたのでしょう。
これがゴジラには出来ないガメラ最大の武器なのです。

「一度負け、蘇える格好良さ」が。


そしてこの「対バルゴン」、再見してみて改めて感じた事があります。
これもよく言われる事ですが、人間ドラマの底流に横たわる「欲」の存在。

この作品のキーワードの一つに「富に絡む人間の欲」という業へのメッセージがあります。そもそも主人公達はオパールという高額な宝石に目がくらみ、南米へ向かった訳ですよね。そしてバルゴンを「持ち帰って」しまったと。
バルゴン事件は人間によって起こった事なのです。

そしてバルゴン対策に使われるのは世界にもまれに見る大粒のダイヤモンド。(5000カラット!)
このダイヤはバルゴンが生息するニューギニアの村で、バルゴンが生まれる度に使われるという曰く付きの一品です。
このダイヤにも歪んだ人間の欲が絡みます。
以前観た時は登場人物のあさはかぶりを笑ったものですが、年を重ねるにしたがって主人公達の行動を笑えなくなってくるのも事実なんですよね(笑)。


Photo_512 オパールそっくりの卵から生まれダイヤモンドを好むバルゴン。
まさに欲にまみれた人間の業を映したような怪獣です。バルゴンに捕食される強欲な登場人物の末路は、「業」に滅ぼされる人間の姿そのものでした。
凍りつくような光線は人間の冷たさを表し、虹色の光線は華やかさに秘められたグロテスクな心情を映し出しているような。

まあ怪獣映画にこんな教訓めいた比喩を感じなくてもいいんですが、ある意味それはスタッフがこの作品に込めたささやかなメッセージなのかもしれません。
「そんな事言ったらどんな怪獣だってこじつけられちゃうよ。」
ごもっともです。毎度のおバカな私見とお許し下さい。

作品のラスト、主人公が語るセリフに、この作品のテーマが凝縮されています。
「人間、欲の皮はあんまり突っ張るものじゃない。」

とはいえこんな聖人みたいな考えは、毎日の生活ではなかなか守れないもので。
相変わらず安いオタクグッズを探し回る私。
「バルゴウ」の餌食になるのも間近かもしれませんね(笑)。

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2006年10月28日 (土)

宇宙大怪獣パイラ

Photo_311 この写真をご覧下さい。
凄いですよねー。大きな目を持つ巨大な怪獣に襲われる人々の、阿鼻叫喚の図。

一大スペクタクルですよこれは。
過去にこんな大迫力の映画があったんですねー。いやーまだまだ勉強不足。
私も昔、一度だけ観た事があるような無いような。でもこのシーンは覚えてますよはっきりと。今日はこの作品のストーリーを、記憶をたよりにお話しましょう。
あくまで「記憶」ですからね。
少しぐらいの憶え違いはご勘弁を。

そう、この作品、確かタイトルは・・・
そうだ思い出した。「宇宙大怪獣パイラ」(1956年犬映)。
間違いありません。

地球から3.14光年離れた惑星、パイラ。地球よりはるかに進んだ科学力を持つこの星の住民『パイラ人』は決まった姿かたちを持たず、「禁断の惑星」(1956年アメリカ)に出てくるイドの怪物のような存在。(「WOO」でもいいかな?)で、3.14光年の距離にある地球に興味を持ったんでしたね。
「わりかし近いじゃん」なんて。

Photo_312 平和を愛し、他の星の生物に大変フレンドリーなパイラ人は、「ちょっと行ってみようか」なんて軽いノリで、地球に向かったのでした。
ところがこの星の生物は今だに姿かたちを持っていました。
「えーっ、まだこんなレベルなの?これじゃ意志通じないじゃん」

あわてて自分の本体を入れる「器」を探すパイラ人。ま、できれば地球の人たちに驚かれない姿を見つけたいよねえ、と原節子風に柔らかな態度で、日本のあちこちでサンプルデザインを探します。

でも訪れた場所が偏りすぎで。
朝日ソノラマのソノシートを制作中の水木しげる先生宅で「妖怪バックベアード」を。
OVA版「ジャイアントロボ」制作中の横山光輝宅で「大怪球フランケン・フォン・フォーグラー」を参考に「地球人が好きなデザイン」を作っちゃったパイラ人。
(おまけに今川泰宏監督の怪気炎にも当てられて(笑)。
とどめは「太陽の塔」を考えた「目をむく芸術家」に学んで、「一つ目の黒ヒトデ」を決定稿に。
気のいい宇宙人なんだけど、ちょっとオタク。

さてこの姿で街に現れたから人々はビックリ。一般宅に現れれば、奥から出てきた若い娘さんは火鉢をひっくり返して大騒ぎ。(笑ろてんのか永井ミエ子!)気を取り直してドンチャン騒ぎの温泉座敷に現れれば島田の芸者さんに悲鳴を上げられる始末。
(「ヒトデのリードで島田も揺れる」筈だったのに)

いまいち行動がスベりぎみのパイラ人は円盤に帰って作戦会議。
「地球に入れば地球に随えという諺もある。」
(そんな諺無いと思いますが)

秋葉原のジャンクショップの裏から拾ってきた中古のDVDを見ながら、「この地球人に変身だ」と、モー娘。の吉澤ひとみ風に変身するパイラさん。(もう「さん」と呼びたくなって)

なんとか日本の科学者宅に取り入って生活を始めるパイラさんですが、どうも地元の癖が抜け切らない。
ドアを開けずに部屋を出入りしたり、テニスの試合で凄い跳躍力を見せ、川崎敬三さんのプライドをズタズタに引き裂いたり。ここでももう一つ空気の読めない行動で追い出されちゃいます。

選んだ業種がまずいのかとハロプロに泣きついてみても、「ウチは今ス○バン刑事で東映さんと組んでるから、他の会社の方とはちょっと・・・」と断られる始末。
五社協定も無い今、なんて冷たい仕打ち。
「やっぱり同じ会社の作品を」と、円盤で再びプレビューに精を出す涙ぐましいパイラさん。
ここでパイラさんの感性を刺激した作品がかの名作「ガメラ 大怪獣空中決戦」でした。
「これこれ。かっこいいじゃんガメラ。ヒーローっぽいし」という訳で、早々ヒトデ姿のまま巨大化して再度街に繰り出したのです。

このへんでそろそろ気がつきゃいいのに(笑)。

冒頭の写真はその場面のものでしたねー。もう、巨大パイラ人を一目見た時の人々のパニックぶりは大変なもので。モブシーンのお手本のような名場面でした。
おまけに間の悪い事に盛大な天変地異まで起っちゃって。このあたりのシーンはまるで「台風の記録映像か」と思うほどリアルな映像のつるべ打ち。日本特撮の底力を見せ付けた一幕でしたねー(ちょっとイヤミかな?)

Photo_313 ほらこの写真でも、パイラ人の足元には洪水で水浸しの街が。これが合成写真じゃないんだからスゴイ!(記憶ですからね。記憶。)
一連の災害をパイラ人の攻撃と勘違いした人類は、秘密前線基地「宇宙軒」から、「番傘型パラボラ兵器」でパイラさんを牽制します。メーサー番傘光線砲がビル街をなぎ倒しながらパイラさんを追う場面はこの作品最大の見せ場でしたねー。
特撮を手がけたのは的場通るさん。彼は東宝とも親交があったんでしょうね。
あの光線砲どっかで・・・「サンダ対パイラ」だったかな?

さていよいよパイラさんを追い詰めた人類は、最終手段「Zプラン」を実行します。パイラ人をロケットの先端に隔離、宇宙に飛ばすというどこかで聞いた作戦です。
同じ会社ですから使用権の問題はクリアしたのでしょう(笑)。
ところがそこで恐るべき事態が。
宇宙の彼方から恐怖の新天体Rが突如飛来、地球に衝突するというのです。宇宙軒に集まる細かい情報は電波が途切れがちでいまいち意味不明。
ラジオの月賦を払っていなかったのです(笑)。

Zプランでロケットの先に閉じ込められたパイラさんは、自分をデザインした芸術家岡本太郎先生の言葉を思い出していました。
「爆発だ!」この言葉にリスペクトしたパイラさんは自力でロケットを発進、新天体R目掛けて特攻を敢行したのです!

地球への手土産として携えていた新元素、「ウリウム101」。これをRに投げつけた後、行方知れずとなったパイラさん・・・

地球ではそんなパイラさんの身を挺した行為に、賛美の声が上がっていました。
川原で空へ向かって「パイラー」と叫ぶ若者達。いい場面です。
ラストシーン、町の片隅で空を見上げる姉弟の会話が泣けましたね。
「お姉ちゃん、パイラさんはどこに行ったの?」
「パイラさんはね、お星様になったのよ」


星の図形がパイラ人の形になったのは、この作品後だと言われています・・・


こんなお話だったような記憶が・・・

Photo_314 ところで最近、部屋の隅からこんなレーザーディスクが出てきまして。
「宇宙人東京に現わる」(1956年大映 島耕二監督)。

一応目を通したんですが、どうも記憶と違うようなんですよ。第一、あの大迫力のスチール写真にあったシーンが無い。
このLDはきっとシリーズ第二弾か何かで、第一弾「宇宙大怪獣パイラ」は何らかの事情で歴史から抹消されたに違いありません。

Photo_315 私の妄想映画館、いかがでしたか?
ちなみにスチール写真は当時の物。当時はこういった、本編に無い合成写真を派手に発表し、観客動員に結び付けていました。拙文は「このスチールのイメージでストーリーを組み立てたら」という遊びです。
「宇宙大怪獣パイラ」なんて映画はありませんので(笑)。誤解のないよう。(わかってるよって?)
「宇宙人東京に現わる」(こっちはあります)を未見の方、今日の「ネヴュラ」を踏まえてこの作品を見ると、また違った感動が(笑)。
「いやオタクイーン、お前の記事のおかげでせっかくの名作が台無しだ!」
そうですよね。ごもっとも(泣)。
分かっていました。今日は最初から「大黒星」だって(大泣)。

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2006年10月 5日 (木)

蝿の羽音は殺しのサイン

不可能殺人!
空飛ぶ密室と化した旅客機の機内で起こった惨劇。

死因は背中を刃物で一突き。被害者の顔は恐怖に歪み、無抵抗で事切れていた。
被害者のそばで聞こえた、蝿の飛ぶようなかすかな羽音が意味するものは?
謎が謎を呼ぶ、恐怖のストーリー・・・

「透明人間と蝿男」(1957年大映 村山三男監督)。特撮映画好きの方には有名な作品ですよね。私も以前、この手の作品を追いかけていた時期に入手したものです。
再見してみて久しぶりに堪能したので、今日はこの作品の事をちょっと書いてみましょう。
キンチョール片手にご覧下さい。

海外の透明人間映画の評判と、「ゴジラ」で開花した特撮技術を駆使する企画として、日本でも透明人間作品が数多く公開されたこの時期。大映でも「透明人間現わる」(1949年 安達伸生監督)に続く第二弾として制作された「透明人間と蝿男」。
「蝿男」というネーミングはかのアメリカ映画「蠅男の恐怖」(1958年日本公開 カート・ニューマン監督)を思い起こさせますが、なんとこの作品の方が一年早い!凄い事ですよね。(ちなみに「蠅男の恐怖」は、本国での制作は1956年ですが日本未公開でした)
オリジナルに先駆ける事一年。本家アメリカより早く、SFキャラクター夢の共演という訳です。
言わば「エイリアンVSプレデター」みたいなものでしょうか(笑)。

ところがこの「蝿男」、本家アメリカのネーミングと被っちゃっただけで、実はまったくの別物。しかしながら、日本のクリエイターが頭をひねって作り出した、なかなかのものなんですよ。

あまりネタバレしすぎると怒られそうなので、今日はこの作品の設定、見所、そしていつもの「私見」を聞いていただきましょう。

まずこの「蝿男」という存在は、第二次大戦末期、日本軍の化学研究部隊がある孤島で開発した一種の兵器を使った人間達の総称。
兵器はアンプルに入った液体で、空気に触れると煙状に変化します。その煙を吸い込んだ人間は蝿ほどの大きさに変化、さらに飛行能力まで有します。
冒頭の殺人はこの兵器を使った物。黒幕の男はある目的の為にこの兵器を持ち出し、手下を使って、兵器開発に関係のある人間を次々と手にかけていた、という訳です。

冒頭の殺人に続き、次々と起こる密室殺人。絶対不可能な状況の中で起きる不可解な惨劇は、通気口などから進入し、一瞬の元にターゲットを仕留める蝿男の仕業なのです。
殺人現場を目撃した刑事が耳にする、蝿男が飛ぶときの羽音が一層恐怖を感じさせます。
「蝿の羽音は惨劇の前奏曲」と言えますね。


ここで一つの疑問が浮かびます。黒幕の男は何故自分自身で手を下さないのか。
ここに、この兵器の恐るべき秘密があるのです。

実はこの兵器には常習性があり、使用を止めると麻薬患者のごとき禁断症状が起るという代物。しかも副作用として性格は残忍性を増し、不意に起こる殺人衝動により、本来のターゲット以外の人間にまで手を下してしまうのです。
この手先の男は、クラブのダンサーである自分の情婦に近づく男を次々に惨殺、さらには情婦本人にまで「裏切った」という妄想を抱き、殺してしまいます。
事実、アンプルを求めて黒幕に脅しをかける男の姿は麻薬患者のそれに近く、狂気を孕んでいました。

黒幕が自らこの兵器を使わなかったのは、この常習性と副作用を知っていたからなのです。

事件の解決がつかないまま捜査を続ける主人公の刑事。そんなある日、彼は親友の科学者から研究所に招待されます。そこで彼は不思議な実験を見る事に。
宇宙線の研究途中に偶然発見した特殊な光線の実験。

「光には一定の波長があり、人間の目にはその波長に合った光だけが見える。ある物体に、人間の目に見えない波長の光を当てれば、その物体は見えなくなる。」

そうです。「透明光線」の原理です。

色めき立つ主人公。ところが学者達にとって、この光線は研究途中の偶然の発見に過ぎず、どう扱っていいか考えあぐねている訳です。
「尾行や張り込みにもってこい」なんて冗談めかして言うメンバー達。
この光線がその後のストーリーにどう関わってくるかは、皆さんのご想像通りです。
「ゴジラ」(1954年東宝 本多猪四郎監督)に登場した「オキシジェン・デストロイヤー」と同じく、こうした「研究途上の副産物」というアイデアは、ストーリーにリアリティーを持たせる設定ですね。私は大好き。
またこの研究室のセットも存分に作りこまれていて、東宝作品とはまた違ったリアリティーを観客に感じさせて素敵。

世間を騒がせる密室殺人は続きます。業を煮やす主人公。再度研究室を訪れた彼ですが、透明光線の研究は暗礁に乗り上げていました。
この光線は生物に当てても透明化出来ますが、肝心の「復元」が出来ないのです。

生体実験として透明光線を浴びたウサギは、研究中の復元光線を浴びると数分の内に事切れてしまいます。体中にガンが発生してしまうのです。
ここに、「透明人間と蝿男」という作品が持つダークな主張があります。

人間を縮小する兵器が持つ麻薬のような「常習性」「副作用」。
透明光線が持つ病的な「ガン」そして「復元不可」。
科学という言葉に秘められた「人間の欲望を可能にする『陽』の部分」と、人類の驚異として立ち塞がるガンや麻薬といった副作用『陰』の部分を、この作品は均等に描いているのです。

これは「明るく楽しい」を謳い文句にした東宝の特撮映画が意識的に配した部分でしょう。興味深いところですね。

また海外でも、過去の作品から近作の「インビジブル」「ザ・フライ」に至るまで、透明人間や蝿男の作品には、そうした科学の暗黒面を描写したストーリーが多いようです。「透明人間と蝿男」に流れるどこか乾いた空気は、そんな海外作品のテイストを感じさせてちょっと面白いですね。

さて皆さん。この設定で、「透明人間と蝿男」のストーリーを想像できるでしょうか?
私は今日数年ぶりの再見で、細かいところを忘れていた為、大変楽しめました。というのはこの作品、先が読めない(笑)。
確かにタイトルは「透明人間と蝿男」なんですが、この手の作品の定石を破る意外な展開の連続なので、おそらく皆さんの想像を裏切るストーリーになるのではと思います。
また演出のスタイルは非常にモダン。監督の村山三男さんについてここには資料がないので分かりませんが、かなりアクション、サスペンス演出に長けた職人さんとお見受けしました。
観客のエモーションを喚起させる、視点を駆使した飽きさせないカット割、テンポの早い展開は、現在の映画より楽しめるかも。

こういう作品に付き物の特撮。なにしろ今から50年近く前の作品ですから推して知るべしですが、「ウルトラQ」でもその手腕を存分に揮った的場徹の仕事はなかなかお見事。特に国電の爆破カットなど、私は目を疑いました(笑)。

この演出スタイルは、大映という会社が持つ社風ではないかとも思います。
狭い空間で、視点を縦横無尽に変化させて細かく刻むカットの流れは、セットの広さを存分に感じさせながらロングショットで押す東宝作品とは明らかに違う潮流。

ある意味新東宝作品に通じるいい意味での目まぐるしさも、こういった題材の作品には向いているような気がして好感が持てます。

そしてもう一つ、見事な照明効果も見逃せません。
この作品、撮影はおそらく夏だったと思いますが、その強い光と影のコントラストは、あの黒澤明監督の「野良犬」(1949年新東宝)を思い起こさせるもの。また後半のナイトシーンも光と闇のバランスが美しく、一種独特の世界を形作っています。

照明の米山勇・佐藤寛のお二人もまた職人だったんでしょうね。モノクロ作品ならではのすばらしいお仕事です。

今日も長々とお付き合い頂いてありがとうございました。
冒頭にも書きましたが特撮好きの方には有名なこの作品、それ以外の方には知られていないんですよね(笑)。
お笑いっぽいタイトルに惑わされると素通りしてしまうこういう作品(笑)。機会があれば一度是非ご覧下さい。

最近、私の周りではあまり蝿を見かけなくなりました。
こういう作品を見ると、蝿の羽音が懐かしく思えてくるから不思議です。
まあ、刺されちゃうのは嫌だけど(笑)。

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