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カテゴリー「ウルトラマンティガ」の記事

2007年8月 3日 (金)

秘密の閃光

こんな事実をご存知でしょうか?
Photo「ウルトラマン」第14話「真珠貝防衛指令」(実相寺昭雄監督)でのお話。
真珠を食べる怪獣ガマクジラと科特隊の息詰まる戦いが見もののこのエピソード、放送された作品ではガマクジラに対してウルトラマンが挑むシーンは一回。それも随分あっさりと空中衝突でケリがついていますよね。

昔このお話を見た私は「今回はウルトラマン、随分登場シーンが少ないなー」と思ったものです。このエピソードに科特隊の活躍する印象が強いのは、ウルトラマンの登場時間が異常に短いせいと思えるのです。


ところがですね。
ある文献によると、このエピソードには特撮シーンが撮影されながらも、完成作品からまるまるカットされた部分があるそうなのです。

それは科特隊メンバーによる「電磁網作戦」の失敗で、ハヤタ隊員操縦による小型ビートルが海岸に墜落した直後のシーン。
なんとここでハヤタはウルトラマンに変身、ガマクジラと第一回戦を繰り広げるというストーリーだったそうなのです。

実際、マンとガマクジラの格闘シーンは撮影されていたそうで、そのスチール写真も残っています。その時のマンのスーツはなんとAタイプ。完成作品に登場したマンのスーツはBタイプですから、この格闘シーン撮影後、マンのスーツは変更された事になります。
いやーピックリ。マニアの皆さんならよくご存知と思いますが、なにしろ私なんて中途半端なオタクですからまだまだ勉強不足で(涙)。


完成作品を再見してみると、確かにビートル墜落直後、岩肌でハヤタ隊員がうずくまるカットはブラックアウトしていますね。
その後ガマクジラが海で遊ぶ女性客の真珠を襲うシーンへと続きますが、そう思って見てみるとこの女性客が逃げるシーンが異様に長い。ここまで丁寧にカットを割る必要もないんじゃないの?と思うほど、このシーンは作品全体のリズムを壊しています。
なぜ、こんな事が起こったのでしょうか?


その文献にはこんな付記がありました。
この「幻の一回戦」で、ウルトラマンは体質強化後のガマクジラに腕を噛まれて流血(!)する流れだったのです。流血により一敗地にまみれたマンはハヤタの姿に。
ハヤタはフジ隊員に見つけられ、完成作品通り「僕の事はいいんだよ」というセリフになるんですが、ハヤタが腕を負傷している事をフジ隊員から聞いたムラマツは、マンが腕を噛まれた所を目撃していた為「マンはハヤタ?」という疑念を抱くというストーリーだったそうなのです。
お分かりでしょうか?この一連のシークエンスは、視聴者しか知りえないウルトラマンの正体を、科特隊メンバーにかなり匂わせる展開になっていたのです。


「マン」放送当時、この展開はかなりリスキーだったのではないでしょうか。いかに毎回「マン」の世界観を揺さぶり続けた佐々木・実相寺コンビであっても、さすがにこの展開だけは金城氏から待ったがかかったと。これも推察の域は出ませんが。
ともあれこのシークエンス全面カットの措置が採られた事で、ストーリーのあちこちに弊害が生じた事は間違いありません。

前述の長すぎる女性客避難シーン、岩肌でずっとうずくまるハヤタ、彼をそっちのけで作戦を展開する科特隊。
中でも一番仰天したのはアラシ隊員の発案「真珠爆弾」のくだりですね。アラシが「真珠爆弾というのはどうです?」と言った直後にムラマツは「よし。イデ、私と一緒にビートルだ」と一言。次のシーンでは既にビートルに件の爆弾が搭載されているという(笑)。
あの流れで行けば科特隊のメンバーは一度も基地に帰還していない筈。アラシの思いつきだった真珠爆弾がすでに搭載されている訳がないですし。その後の小型ジェット弾についても、負傷したハヤタを置いて取りに行くでしょうか?


おそらくこういう事でしょう。当初のストーリー通りマンがガマクジラとの一回戦を演じていたら、その後現場での真珠爆弾発案シーンを経て科特隊メンバーはハヤタを連れ一時退却、負傷したハヤタは基地に残ったのかもしれません。
爆弾製造の様子がナレーションなどで語られ、再度出撃した科特隊による爆弾作戦・さらに「基地に残った」ハヤタの発案で配備された小型ジェット弾へと繋がったのではないかと。
さらにハヤタは基地で変身、あの空中衝突による鮮やかな幕切れと続けば、マンの登場バランスも含め、その方がなんとなく収まりがいい。


とするとフジ隊員がハヤタを見つけた時、ハヤタが小型ジェット弾配備を指示するくだりがおかしいですが、あそこはハヤタ・フジの二人のシーンですし、ハヤタも腕を負傷していませんから、おそらく後からの撮り直しと思われます。ビートル上でのムラマツのセリフ「なるほどハヤタの奴~」は、基地でハヤタが指示したとしても成り立ちますし。

ただフジ隊員がムラマツに「ハヤタ隊員が腕にひどい怪我を」と報告するシーンは、当初のストーリーの名残りなのかもしれませんね。(あそこはカット割り、ムラマツのテンションも若干変わっています)その他微妙な後撮り、シーン毎の前後編集処理も散見されます。

これはあくまで、いつもの私の勝手な私見です。おそらく撮影までされていたという事は「ウルトラマン流血」バージョンのシナリオも存在していた筈です。今もどこかに現存しているかもしれませんね。
識者の方の鋭い解析をお待ちしています(笑)。


それにしてもこのNGストーリーはショッキングですね。ウルトラマンの流血。マンとハヤタの関係に気づくムラマツ。掟破りの連続です(笑)。考えてみるとウルトラマンの血液って何色なんでしょうか?第一血液があるのか無いのか。
ただ私などはそれよりも「ウルトラマンは何故、地球上での姿をそこまでひた隠しにするのか」という事の方に大きな疑問を感じます。

Photo_2「ネヴュラ」読者の皆さんの中にはお子さんのいらっしゃる方も多いと思いますが、例えばお子さんに「ウルトラマンってなんで変身する所を見られちゃいけないの?」と尋ねられたら、どんな風にお答えになりますか?
いやー、もし私がお母さんで(笑)子供にその質問をされたら、困っちゃうと思うんですよ。
「ウチの子はこの答えで納得した!」という見事な解答がありましたら、頭の足りない私にぜひご教授下さい(笑)。


Photo_3今日、このガマクジラの一件を考えていた時、「マン」以外の色々なヒーローの事を思い出してもみたんですが、これは答えが出ませんねー。
(この暑い中、何をおバカな事をというツッこみはともかく(笑)。
「ウルトラマン」の前身である「レッドマン」企画書の資料を見てみると、この部分の設定は「劇中人物はハヤタ隊員がレッドマンである事を知らない。しかし視聴者には毎回変身するシーンをみせる。だが、第三者がいる限り変身は出来ない(レッドマンの秘密がばれる)ので、いつ、どうやって変身のキッカケをつかむかに興味が集中する。」
と書かれています。

「秘密がばれるから第三者の前で変身できない。」
何故、秘密がばれちゃいけないんでしょうか?
ウルトラマンほどの無敵のヒーローが。


Photo_4確かに、他のヒーロー番組でもこれに準じた設定は多いと思います。
例えば私の大好きな「スペクトルマン」。(偏りすぎですか?(笑)
ネヴュラ71遊星から派遣された宇宙サイボーグ・スペクトルマンは、人間体・蒲生譲二の姿からスペクトルマンに変身する時、ネヴュラに変身許可を求めなければなりません。
しかもその様子を第三者に見られたらスペクトルマンは解体されてしまうのです。

この理由、私にはなんとなく分かるんですよ。
元々スペクトルマンは、地球侵略に訪れた宇宙猿人・ゴリに対抗してネヴュラが地球に送り込んだ存在です。相手はゴリだけなんですね。

ゴリはIQ300の天才科学者ですから、スペクトルマンの正体を知ったらすぐに譲二が所属する一般人・公害Gメンのメンバーに魔の手を伸ばすでしょう。つまり譲二が正体を明かせないのは、ゴリの手から仲間の人間、さらには人類を守るためではないかと思うのです。(いい年して何を考えてるんだか(笑)。


Photo_5ウルトラマン・スペクトルマンと並ぶ変身ヒーローの代表、「仮面ライダー」はちょっと事情が違いますね。(引っかかりはあるでしょうが流して下さい(笑)。
ライダーが撲滅を願うショッカーは元々ライダー本人を改造した組織です。しかもショッカーはライダーである本郷猛・一文字隼人が立花藤兵衛の元で暮らす事を知っている。
もうバレバレな訳です(笑)。

でもライダーってなんとなく人前で変身しない雰囲気がありますよね。あれはやっぱり、極秘作戦で動いているショッカーをさらに探索するライダー達という図式があるからでしょう。
元々闇に紛れて暗躍しているショッカー怪人は大都市にはさほど姿を現さなかった印象があります。現れるのは人里離れた洋館とか、三栄土木の造成地とか(笑)。自然とライダー達もあまり人前には出ないという事ですね。


さて。そんな事情をふまえて「マン」に戻りましょう(笑)。
ウルトラマンには前述の2つのヒーローのような事情があまり関係しない。なにしろハヤタ隊員が所属する科学特捜隊は怪獣退治の専門家。たとえ知的宇宙人がマンの正体を知りハヤタを襲ってこようとも、「特殊な合金が含まれた鉄筋コンクリート」で囲まれた電子の要塞・科特隊基地には、アラシ隊員はじめ歴戦の勇士が手ぐすね引いて待っているわけですから。(ケロニアはハヤタを狙った訳ではないですからちょっと事情が違いますね。)第一、テレスドンを率いる地底人なんて、ハヤタがいくら隠してもその正体を見抜いていた訳で。
じゃあウルトラマンが変身を見られてはいけない理由は?

これ、いつもながらの私見なんですが、ハヤタがマンである事を隠したいのは「人類を成長させる為」じゃないかと思うんですよ。
まあこれも思い入れが強すぎるゆえの事実誤認なんでしょうが、第37話「小さな英雄」(満田かずほ監督)で語られたように、結局、初代ウルトラマンのスタンスは「人間が精一杯努力した時に手を差し伸べる、謎の存在」ですよね。ですからもし彼が科特隊のメンバーである事が知られちゃったらそれこそ本末転倒、人類はウルトラマンを科特隊の武器として頼りきっちゃう事になりませんか?それでは人類は成長しないと。彼はそう思ったんじゃないかと考える訳です。
確かに最終回でマンはハヤタへの友情を語りますが、それは別に「変身を隠す理由」には繋がらない。


まー、前述の企画書にある通り「変身のキッカケづくりのサスペンス」というあたりが正解なんでしょうが、それではあまりに味気ないと思いませんか?
「レッドマンという原題の通り、ウルトラマンは人類を導く存在。自分を謎の存在とし、「最後の切り札」というスタンスにしておく事で、人類の最大の努力を期待する」という風に考えたいと。

さて。そんな風に初代ウルトラマンは語れるんですが、実はこれ、初代のみの印象なんですよね。他のウルトラヒーローについて語ると何日かかっても終わらないので(笑)私がひどく感銘を受けたもう一人のウルトラヒーローについて、ちょっと語らせて下さい。
Photo_6「ウルトラマンティガ」。このキャラクター造型、世界観、ストーリーの素晴らしさについては「ネヴュラ」でもよく語っていますね。
この「ティガ」には「変身を隠す理由」が無いんです。いや、ドラマ上はなんとなく「隠れて変身」という演出がなされていました。でも「ティガ」そのものは別に宇宙人でもない。なにしろ地球人・ダイゴ隊員の意識のまま変身する訳ですから。ではなぜ隠れるのか。


これは私の年齢にも関係する事なんですが、「ティガ」放送当時の1996年、私はもう大人だった訳です(笑)。
つまり、作り手側と同じ年齢に達していたと。
見ていてよく分かったんです。カラータイマーの設定も含め、この「隠れて変身」という設定は、スタッフが今だに解決できない「初代からの宿題」なんだなと。

「ティガは隠れて変身する必要は無いんだけど、ウルトラマンだから」という理由でそうなっていると思うんですよ。確かに劇中、ダイゴは「一人で戦う」と発言していますが、何故一人で戦うのかその理由は明言していない。
「自分だけがウルトラマンになれるから?じゃあマサキ・ケイゴは?GUTSの仲間と共闘すればいいじゃない。」
私などはそう思ってしまう。「地球人ウルトラマン」なら、そういう展開があってもいいんじゃないかと。


Photo_7で、あの最終三部作ですよ。もう泣けて泣けて。
「あー。これがスタッフの出した答えだったんだな」。その時私は、同世代としてティガスタッフの素晴らしさに拍手しました。
「ティガ」全話は、ウルトラマンの呪縛からスタッフがとき放たれるまでの歩みの歴史でもあるのです。
そういう意味で「ティガ」は素晴らしい。

ウルトラマンと共に歩んだ者として、同朋意識にも似た感銘を受けたのです。ですからこれは私の感傷、ちょっと作品の出来とは違う部分かもしれませんね。

例によって、ガマクジラからとんでもない所までお話が広がっちゃいましたね(笑)。まあいつもの事ですからお許し下さい。
人知れず放たれる「秘密の閃光」。
まばゆい光に包まれ現れるヒーロー。
そんな彼らの胸の内に思いを馳せるのも楽しいものです。

真夏の太陽が眩しい季節ですが、そんな日差しにヒーロー達が託した願いを感じるのは、私がオタクゆえでしょうか(笑)。

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2007年5月31日 (木)

今も心にスパークレンス

「ネヴュラ」をご覧の皆さんは、「自分の一番好きなウルトラマン」を一作挙げろと言われたら、どの作品を挙げますか?
なにしろ今年、生誕41年を数える大長寿シリーズですから作品数も多い。登場したウルトラヒーロー(「戦士」という言葉はあまり好きではないので)もかなりの人数に上ります。
マイ・フェィバリット・ウルトラマンを語り合うには丁度いい作品数かもしれませんね。

まあとにかく、各々の作品毎に独自の魅力を見せるウルトラシリーズですから、きっとお一人お一人の中に「これは譲れない」作品が存在すると思います。
それがシリーズというものの多面的な魅力であり、私たちファンに与えられた楽しみでもある訳です。

私が拝見させていただくいくつかのブログでも、時々そんな「ウルトラシリーズの人気投票」的な企画が行われ、なかなか面白い結果が出ていますね。
「えーっ、この作品がこんなに人気あるの?」とか、「自分の好きな作品なのに意外に人気が無いなー」とか。皆さんのご意見を見て頷く事も多いです。
「ネヴュラ」読者のご意見もお聞きしたいところですね(笑)。


そんな中「ネヴュラ」では、自分のブログという独占権(笑)を行使して、「ウルトラマン」(1966年~1967年)を強力プッシュしています。
事あるごとに記事のネタになるあのM78星人のお話に「またウルトラマン?」と呆れられている方もいらっしゃるでしょう。

本当ですよね。たまに自分でも読み返すんですが、まーよくこれだけ書き散らせるものだと。内容は無いし(涙)。
(「ウルトラQ」はウルトラヒーローの出演が無いので便宜上ここでは別作品という事で)

Photo_866 で、私がこの「ウルトラマン」以外にもう一作品、非常に心酔している作品がある事もご存知の方がいらっしゃるでしょう。今日のサブタイトルでお分かりと思いますが(笑)。
その作品こそ「ウルトラマンティガ」(1996年~1997年)なのです。


この「ウルトラマンティガ」に関しても、「ネヴュラ」では結構採り上げてきましたね。
なにしろまだ11年前の作品(それでも11年ですが・・・)ですから、テレビ業界の片隅で生きる私もそれなりにアクションを起こし、劇場版公開の際は特別番組を企画するなどライブな一時を過ごしました。

(企画は結局毎日放送でNGをもらいましたが、それでも「動いた」という事で(笑)。
今日久しぶりに「あの伝説の」最終三部作を見たんですが、思い入れもあってかやはり他の作品とは違う迫力があるなーと、改めて感動したりして。
皆さんは「ティガ」についてどんな印象をお持ちでしょうか。


Photo_867 「ティガ」放送時、作品の魅力について熱く語り合ったのは、意外にも子供達以上に古くからのウルトラファンであった大人たちだったそうです。
「特撮マニアが二人会えばティガの話」なんて言われましたよね。
今ほどネットが普及していなかった1996年当時。それでもマニアはティガに魅了され、次々と繰り出される名エピソードについて意見を述べ合っていたのです。
大人のファンをそこまで熱くさせたティガの魅力とは、一体何だったんでしょうか?


「ウルトラマンティガ」は、ウルトラマン生誕30周年記念作品と言う事で、数々の新機軸を打ち出した野心作でしたね。
ウルトラマンの設定も従来の「M78星雲人」というものから「3000万年の地球に降臨した「光」とされました。
それまでの大まかなウルトラヒーローの設定はティガによって一度リセットされた訳です。
私にはその設定が大変魅力的に映りました。


以前にもお話した事がありましたが、私にとってウルトラマンは「作品毎に同じ設定の必要はない」シリーズなんですよ。因果な性癖で、ゴジラもガメラもウルトラマンも「別に面白ければ作品毎に設定が違ってもいいじゃん」と思ってしまうんです。
逆に、設定に縛られるから作品世界が狭くなり、辻褄合わせだけで精一杯になっちゃうんじゃ、なんて思いに捉われてしまうのです。
そういう意味では、平成ライダーはかなり作品毎のカラーも違い楽しめるシリーズと思います。(当たり外れも大きいですが、名作はそういう中から生まれて来るものですしね)
「GMK」なんて、私のゴジラ作品順位ではかなり上位に食い込んでいるんですよ。

私が「ティガ」の設定に魅力を感じたのも、そんな性癖の成せる事かもしれません。
その設定の活かし方も素晴らしかったですよね。
なにしろティガは、「ウルトラマンが去ってしまった世界」からスタートしている訳です。なんて斬新なオープニング。
かつてこんな始まり方をしたシリーズは無かったですよねー。


Photo_868 この斬新な設定の為、ティガ放送中、雑誌「宇宙船」には賛否両論、色々なご意見が飛び交いました。
「ウルトラマンはM78星雲から来た宇宙人を指すものだから、ティガはウルトラマンじゃない」なんてご意見を読んだ記憶もあります。
今考えればそんなティガの斬新な設定に、受け手がついて行けなかったのかもしれませんね。
私は両手を上げてOKサインをしていましたが(笑)。


そんなティガ自身の設定は、番組そのもののテーマにも密接に影響してきました。
「ネヴュラ」でもよくお話するんですが、一年間にも渡るテレビシリーズは番組開始時の設定やテーマが最終話までの間に変わっていくものなんですよ。
「作り手の思いの熟成」や「視聴者の反応」などが影響し、自然と軌道修正されて行くんです。新発表の自動車が、同じ型でも発売後にマイナーチェンジしていくのと同じです。
要は、作り手は「作品をよりよくする為に軌道修正を行う」訳ですね。


で、爆弾発言をしてしまうと(笑)、「ティガ」の番組開始直後、1話・2話あたりまではそんな斬新な設定があまり活かされていませんでしたよね。
例の「3タイプにチェンジする能力」だって、スタッフ間の試行錯誤が画面に出ており微笑ましいくらいで。
問題は第3話「悪魔の預言」でしょう。
多分あのエピソードでティガは偶発的に軌道が決まってしまった。


ティガ世界に大きな影響を与えた名キャラクター「キリエル人」。
あの脚本を小中千昭は一日あまりで書き上げたというお話は有名です。
準備していた脚本が急遽先送りになった為、代わりの脚本を大至急書き上げなければならなかった。そんな偶発性が「ティガ」の世界観を決定付けた事実を知るにつけ、つくづく「何がどう転ぶかわからない」という物事の真理を感じます(笑)。
具体的なストーリーはここでは伏せましょう。未見の方はぜひご覧下さい。


ともあれあのエピソードによって、ティガはそれまでのウルトラマンとは異なる、独自の世界観を作り上げていく事になる訳です。
シリーズ中いくつかのターニングポイントを通過しながら、ティガの世界は徐々に強固に、しかも魅力的に構築されていきました。
ティガの本質とされる「光」の設定が、ストーリー中切り離せなくなっていったのもすごい事でしたね。

Photo_872  ティガを全話ご覧になった方はお分かりでしょうが、あの怪獣と戦う「ティガ」って存在は、実は「光の入れ物」じゃないですか?
ティガ世界に於けるウルトラマンという存在は、「光となって戦う存在が、その能力を増幅する為に合体する躯体」という設定なんですよ。そこが凄い。
要は、光となれる存在であれば、誰でもウルトラマンになれるという設定があるわけです。

第1話で、「3000万年前に地球を守った英雄は、ウルトラマンという躯体を残して地球を去った」という意味の描写をされています。「光」となってその躯体に合体できた者、それが主人公・ダイゴだったという訳で。

後々、ダイゴには光となれる遺伝子が組み込まれていた、なんて後付の設定もされましたが、当初は「ダイゴが不意の事故で、光変換効果のある光線に当たって」ウルトラマンに合体するというボツ設定もあったそうです。
もしその設定が採用されていたら、以後のティガ世界は根本的に変わっていたでしょう。
ここでも偶発性の恐ろしさを感じたりして(笑)。

で、そんなティガ世界を貫く「光」という曖昧な表現も、作り手、視聴者の双方で様々な解釈がなされました。その多面的な解釈もティガという作品の大きな魅力と思います。

私のように頭の無いおバカは、そんな「光」という存在を「希望の象徴」と解釈しました。シリーズを通じて語られる大きなメッセージを、光という存在に重ね合わせたのでした。

「ティガ」では、ウルトラマンとなったダイゴの意識が変身後も生きています。つまりダイゴは地球人の意識のままウルトラマンの能力を駆使できる訳です。
その時、彼はどう考えたか。

「自分は人間として、出来る事を精一杯やるだけ。」
そんなあまりにも人間的な、あまりにも謙虚すぎる思いがティガの大きなテーマであり、私が感じた最大の魅力なのです。


地球人と小さな存在に手を差し伸べる超能力の宇宙人、ウルトラマン。
「ティガ」とは、そのウルトラマンから力のみを与えられた人間が「試される」物語なのかもしれません。
その一つの解答が第44話「影を継ぐもの」である事は皆さんも頷かれる事でしょう。(なんか知ったかぶり風の語り口になっちゃいましたね。ごめんなさい。)


「人間として出来る事を精一杯やるだけ。」
劇中では、このセリフを実に多くの登場人物が語ります。
たとえウルトラマンの能力を与えられなかった人々でさえ、このセリフの下に敢然と敵に立ち向かうのです。
これがもう、私には感動もので。
実はティガという物語に多くの大人ファンが感動した理由は、この一点にあったような気もするんですよ。


「あらゆる局面でくじけそうになった時、自分は今出来る事を精一杯やるだけ。」
ダイゴをはじめ、登場人物が何度も叫び続けたその言葉は、そのまま私たちへのエールだったのかもしれません。
そして、スタッフが出した一つの解答が最終話「輝けるものたちへ」。
未見の方の為に内容は伏せましょう。(意地ワルな私(笑)。
私がティガの本質「光」を「希望の象徴」と解釈した理由は、この最終話にあります。


Photo_870 あのエピソード、ラストの子供達の奇跡が大きく取り上げられがちですが、私はそのラストに至る人々の努力にも深く感動しました。
ティガの登場人物が全員「出来る事を精一杯」行った末の、あの奇跡であったと思いたいのです。ですからあの勝利は希望を捨てなかった全ての人々のもの。
子供達はその代表に過ぎません。
「グリッターティガ」はまさに、人々の希望の象徴だったような気がするのです。


この一点がある限り、私はティガという物語を支持できます。
最終話、グリッターの奇跡が起こった時、子供達はウルトラマンへの変身アイテム「スパークレンス」を使っていません。
彼らは自分達の力だけで光になれた訳です。
彼らの心には、「希望」というスパークレンスが輝いていたのでしょう。


Photo_871 年を重ねるごとに、私の中でティガのメッセージはますます輝きを増すようです。
毎日の生活の中でくじけそうになる時その言葉を思い出す、なんてかっこいいセリフはとても言えませんが。


ベーターカプセルはハヤタにしか使えませんが、スパークレンスなら私にも使えそうな気がするんです。
「希望を持ち、出来る事を精一杯やるだけ」の気持ちを持てば。
それが難しいという事も充分わかっているんですが笑)。

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2006年8月 5日 (土)

醒めない夢の為に

そこには、身長3メートルはありそうなティガ像が立っていました。
2000年1月17日。大阪、毎日放送前。

「行くぞ。」お世話になっている会社の社長は、私に促しました。
鞄には、その年3月14日から公開された映画「ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY」に向けた、特別番組の企画書。
「やっとここまで来たか。」不安と期待で張り裂けそうな胸を抱え、私は社長の後に続きました・・・

ディレクターという仕事につく人間が、その仕事を選ぶ動機、きっかけは大体決まっています。いろんな人間に合って語り合いました。
「タレントに会いたい」「なんとなく面白そうだから」「緊張する世界の最前線で、生の声を伝えたい」などなど。
中でも一番多かったのが、
「自分が影響を受けた番組があって、そんな番組を作りたい」というものでした。


ご他聞にもれず、私がこの道を目指したのもそんな動機からでした。
言ってみればディレクターという仕事は、昔見た夢の世界からいつまでも醒めることができずに、その世界をいつまでも追いかけているような物なのです。
だから私のように夢想家(妄想癖とも言いますが)が多い。

ただ、その「影響を受けた番組」というのは、いざこの仕事に就いても続々と放送される物なのです。私の場合も(それは極めて少ないですが)そんな番組の影響で、今の自分が形作られています。
冒頭でお話した「ウルトラマンティガ」も、そんな番組のひとつでした。

Photo_86 「ティガ」の評価については、放送開始直後からそれこそ数限りなく書かれ、語られていますので、今日は控えましょう。実際私もあの番組に関しては、いくら時間があっても語り足りないぐらいですから。別の機会にじっくりお話しますね。
ただ、冒頭にあったように、私はこの「ティガ」がウルトラシリーズ・クラシックにならない内に、なんとか自分の手でその良さを伝えたいと思ったのでした。それくらい影響を受けた、と思っていただければ。まあ、笑ってお読み下さい。

大阪、毎日放送は、当時「ティガ」のキー局としてティガ関係の全ての仕切りを行っていました。私がお世話になっている制作会社の社長のお知り合いが、たまたま毎日放送の関係者と古い仕事仲間だったのです。
その事を知った私は、社長に猛アタックをかけました。この企画はどうしても関係者に見せたかったのです。おそらく2000年当時、こんな企画を考えた特撮好きのテレビ屋さんは、それこそ星の数ほど居たでしょう。
でも、やりたかった。

企画の内容を詳しく書いてしまうと、関係各位にいろいろご迷惑がかかりますのでご勘弁ください。ただ2000年当時世間で認知されていた「ウルトラマンティガ」に関するすべてを語りつくすというものでした。特撮作品に造詣が深い、皆さんがよくご存知のライターさんをキャスティング、「THE FINAL ODYSSEY」に向けての現場や、出演者の声も聞くという内容。思い入れが先行していたせいか、盛り込みすぎぐらいの「濃い」分厚い企画書でした。

結論からお話しますと、この企画、「ボツ」でした。(爆笑)
一言で言えば「盛り込みすぎ」が祟ったという事です。

まあ、こんなもんですよ。企画のプレゼンという物は、そんなにドラマチックなものではありません。思い入れたっぷりに書かれた企画に制作サイドが感動して、「やろう!」なんて事は、私の今までの経験の中でもゼロですから。(企画力がないのが一番の理由ですが)
実際には、予算と放送時期に大きなウェイトがかかる現実があります。
いくらすばらしい企画書でも、局側でスポンサーを集める勝算がない限り、「絵に描いた餅」に過ぎないわけですね。

でも、私はこの日、夢のような気分でした。
こんな無茶苦茶を許してくださった社長、つなぎをつけて下さったお知り合いの方。(私のつたない企画に目を通して下さり、経験者のお立場から貴重なご意見を下さいました)
そして、毎日放送の番組担当の方々。後日、円谷プロの鈴木清プロデューサーにもお電話で丁寧にお話いただきました。
毎日放送玄関で出迎えてくれた「ティガ」像も、忘れられない思い出です。

Photo_87 ディレクターをやっていてよかった。そう思うのは、こんな日が過ごせた時です。
自慢するわけではありませんが、こんな、自分の夢を具現化する手段が許される業界は他にないからです。
チャンスが与えられている。たとえ1パーセントに満たなくても、「醒めない夢」がある限り不可能じゃない。

毎日ハードな仕事に追われるディレクターにとっての、それは唯一の希望なのです。
そう、「ティガ」が、地球上の人々の光でガタノゾーアに立ち向かったように、
「希望という名の光」は、ディレクターの心にいつもあるのです。

プロデューサーの机の上にはいつも、ボツ待ちの企画書がうず高く積まれている事もよく分かります。そんな現状を見る度に曇る「醒めない夢」。
でも、私を含め、テレビマンはなかなかしぶといです。たまにやる「無茶苦茶」に思いを馳せて、今日も地味な打ち合わせに走ります(笑)。
「やる」という事が大事なんですよね。「何か考える」ということが。

オタクな私にとって、この「考える」という事が実に楽しい。
皆さんがよくブログなどで発表されている「こんなウルトラマンが見たい」「理想のゴジラは」なんていう事が、私の中にもあるんです。
私の中にある「理想の番組」が、ひょっとしたら、なにかの間違いで、現実化する可能性がゼロとは言えない。
その為に私達テレビマンは「醒めない夢」を追い続けるのでしょう。

先日も局の入り口で、去年万博のお仕事でご一緒したディレクターにばったり会いました。その方は私より10歳近く年上。もう髪も真っ白です。
でもその時、彼は言いました。
「またなんか、でっかい事やろうぜ」。

この人も、まだまだしぶといようです(笑)。