「ダイ・ハード4.0?」
今朝からちょっとそんな気分の私。なんと、私の住む地域のNTTサーバーが今朝から午後2時頃まで不調で、ネットがまったく繋がらなかったのです。そうとは知らず自分のパソコンやモデムの故障と思い込んだ私は、メーカーはじめあらゆる所に電話しまくり。
最後にかけた修理依頼のサービスセンターで事の次第を知り、ほっと胸を撫で下ろした訳です。
「サーバーの問題だったんだ。いやー一時はサイバーテロかと。」
そんなこんなで午前中はやきもき、午後はバタバタでもうこんな時間です。本当に時間を浪費した一日でした。
まーそんなアクシデントもたまにはあります。とにかく今記事を書ける事がなにより有難いと(笑)。
さて今日のお話、サブタイトルの「右手」を「めて」と読まれた方には既に内容はお分かりと思います。まータイムリーなネタですし、「ネヴュラ」読者ならひょっとして昨日から予想されていたかもしれませんね。そうです。そのお話です。
昨夜放送されたスペシャルドラマ「必殺仕事人2007」。
ご覧になった方も多いかもしれません。
この番組、随分前に完成していたらしいのですが、何故か放送までに随分時間がかかりましたね。ファンの間ではいつ放送されるのかが話題の中心でした。07年7月7日という大変縁起の良い日に放送日を持ってきたのは制作側の意図か、はたまた単なる偶然だったのでしょうか。朝日放送の山内プロデューサーなら考えそうな事ですが今回は違う方ですし(笑)。
多くの皆さんは「昔の必殺が好きなオタクイーンの事だから、きっとこの番組をボコボコにするんじゃないの?」なんて思われている事でしょう。
でも、意外とそうでもなかったりして(笑)。
こういう番組に対して怒りを覚えなくなったのは私も年をとった証拠かもしれませんが、正直な所「あ、それなりに頑張ってるな」というのが鑑賞後の印象でした。
それはファンとしてだけでなく、いろいろな思惑をない交ぜにしつつ作品を作らねばならない制作陣の思いが透けて見えてしまう、悲しい性ゆえなのかもしれません。
ご覧なった皆さんはどんなご感想をお持ちになられましたか?
今日このお話をするに当たって、「仕事人」をキーワードに感想が書かれたブログをざっと検索してみました。(番組公式サイトの掲示板も見ましたが、やっぱり投稿する人ってご贔屓筋すぎてあまり参考にならず(笑)でも今回に関して言えばもう制作側の思惑は大成功。朝日放送のしたたかな戦略は見事に功を奏したと言えます。
ご興味ある方は検索してみて下さい。その9割はジャニーズ3人出演について、その内また9割が大倉忠義にキャ~、という女性ブロガーの感想だったのでした(爆笑)。
良くも悪くもこれが現実。そして視聴率アップの最短手段なのです。
掲示板ではごくまれに旧必殺ファンの方から「あれは必殺じゃない。昔のテイストの必殺を見たい」的なご意見がありましたが、この場をお借りして言わせて下さい。
「そうおっしゃるからには、貴方の頭の中にはさぞや素晴らしい「昔の必殺テイスト」のオリジナルストーリーがおありなんでしょうねー。」
旧必殺を支えた名匠たちが第一線から退いて久しい現在。今、旧作のハードなストーリーを作品化する事は、いかに現場スタッフの充実を図っても至難の業なのです。「スタッフは昔の必殺を見ていない」というご意見に至っては失笑もので。その発言が出た段階で、投稿者の素人ぶりが白日の下に晒されてしまうのです。投稿者は今作の監督をご存知無かったようですね(笑)。
ここで難しいのは、前述のような筋金入りの旧必殺ファンの(憤懣やるかたない)立ち位置なんですが(笑)、実はこれはまるで筋違い、ゴジラファンがUSA製ゴジラに向かって「あれはゴジラじゃない」と言っているようなものじゃないかと思います。
たとえ藤田まことが中村主水を演じていようと、要所要所に「荒野の果てに」が鳴り響こうと。あれが「必殺」と思うから腹が立つのです。
あれは「必殺に似た何か」(笑)。
おそらく旧必殺ファンはその思いを、1982年あたりの「仕事人ブーム」の頃からずっと抱き続けてきたと思います。ですから今回の特番もまったく期待していなかった筈。
実は私もそうですから。
こんな時、旧ファンはこの言葉を呪文のように唱え、自分を納得させていました。
「あれは『仕事人』。『必殺』じゃない。」
面白かったのは前述の検索ブログの内容で、全体の傾向として「新仕事人」あたりを知っている事が既に通、マニアという共通認識があるんですよ。
「大倉君は三田村邦彦に比べたらまだまだねー」みたいな。
しかも、ストーリーについては「暗い」「もうちょっと笑いがあっても」というものが多い。
これは、現在テレビ番組を支持するメイン視聴者の層を把握する上で実に興味深い事だと思います。
今、必殺という言葉に反応する層の大部分はそういう年代なんですね。
制作陣はこのターゲットを実に正確に把握し、ど真ん中ストレートのおいしい料理を作って差し出した訳です。
これは視聴率を上げる為の措置としては実に正しい。
私はこの姿勢を実に潔いと思いました。
実際のところ、旧必殺ファンや私のようなコテコテのマニアに受ける番組を今作っても、昨日の作品ほど話題にはならなかったでしょう。これは今の視聴者が「必殺」という番組に持つイメージが、ジャニーズメンバーが出演する事(前述のファンには東山氏なんて既に眼中に無いんですが)を差し引いても、「明るく笑えるストーリー」「華麗でカッコよく、浮世離れした殺しのシーン」などである事を如実に表しています。
いいんじゃないでしょうか。これはこれで。
ところが昨夜の「2007」、これで終わるほど単純な構造ではないと、私のようなおバカは考えてしまいました。
今回、私が着目したのは二点。そして最近の必殺が抱える「パワーバランス」が一点。
一つ目の着目点は「脚本」です。
今回、この「2007」に関しては、おそらく殺しのシーンを完全に「別コーナー」と割り切って、それ以前のドラマに心血を注いだ形跡が見られます。
セリフの端々に、ソフトにくるんでいるものの旧必殺ファンへのさりげない目配せがあるのです。
例えば花御殿のお菊(和久井映見)に呼び出された中村主水(藤田まこと)が彼女に進退を尋ねられ、諦め気味に放つ、
「役所勤めが終わったらな。家、出てってくれって言われてんだ」というセリフ。
旧必殺ファンならこんな八丁堀は見たくない。でも彼にそんな無様なセリフの中に「もう昔の必殺ではないんですよ」という脚本家からのメッセージが見えます。
逆に、今回の犠牲者の一人となる小料理屋女将・薫(原沙知絵)が、夫の仇加賀谷玄衛門(佐野史郎)の前で自害直前に放つセリフ。
「お前達のこの屋敷、私の血で汚してやる。私の血はこの雨と共にこの庭に染みこみ、屋敷中に行き渡る。やがてこの加賀谷は崩れ落ちる!」
この一言に込めた、虐げられた女の凄まじいまでの怒りと怨念は、仕事人ブームの頃の作風とはやや趣を異にすると思います。どちらかと言えば旧必殺、「仕置人」あたりで出てきそうなセリフです。
今作の脚本を担当した寺田敏雄は「エスパー魔美」などのライターとして知られますが必殺は初登板。
彼は旧必殺ファンだったのではないでしょうか。
脚本は制作主である朝日放送、テレビ朝日の意向を組み入れて作るものだけに現在の視聴者ニーズに逆らう事は出来ませんが、その枷の中に彼が密かに入れ込んだ「旧作へのリスペクト」(オマージュではなく)を見逃さないのも、ファンに与えられた特権のような気がします。
二つ目の着目点は「美術・照明」です。
「2007」は必殺初となるハイビジョン撮影でした。フィルムとは大きく異なり、細部まで捉えられてしまうこの撮影方法により、美術や照明の立て込み、作りこみにも相当な手間がかけられたのではと推察します(冒頭の火事シーンの迫力、要所要所のクレーンカットの素晴らしさも含め)そういう意味で、画面作りに関する限りこの作品には破格の予算が投入されているのではと思います。
照明機材の豪華さも尋常ではない。私は特に、仕事人たちのアジトとなる「三番筋の裏通り、尼寺裏門近く」の美しさには息をのみました。稚拙な表現ですが、さながらAFVモデラー・バーリンデンが自作モデルに施すドライブラシにも似た「光の階調」をあの照明に感じたものです(ワケがわかりませんね(笑)。
照明・林利夫、美術・原田哲男の見事な仕事ぶりを見るだけでも、この作品の価値は充分にあると感じました。
さて。やや褒めちぎってきましたが、問題は最後。
「最近の必殺が抱えるパワーバランス」についてです。
関係者の方がご覧になられていたらお許し下さい。あくまで個人的な感触です。
「必殺商売人」で監督デビューし、「必殺始末人」あたりから顕著になってきた石原興監督の作風についてですが。
カメラマンとして必殺初期からシリーズを支えてきた石原氏は、今や必殺スタッフの中でも最古参の一人に数えられる存在。
テレビ屋の端くれとして申しますが、番組というのは古くから関わってきたスタッフの発言力が年々増していくものなのです。「この番組はこういうスタイルなんだから」という意見は、新スタッフには反論しにくいもの。
これを「番組の動脈硬化」と言います。
必殺にも、この動脈硬化が起こっているような気がするのです。
その元凶が石原氏一人とは言いません。しかしながら石原作品を見るにつけ、良くも悪くも彼の個性が作品の品格に影響していると感じるのは私だけでしょうか。
それは「簡潔すぎるタイトルバック」
「カット頭からアクション始めまでの「間」の短さ」
「無理矢理なインサートカットの挿入」
「余韻の無いエンディング」などなど・・・
これらを見るにつけ、私は以前お仕事を共にしたカメラマンのセリフを思い出します。
彼はこう言いました。「カメラマンは絵が可愛い」。
つまり、カメラマンは自分が撮った映像に惚れこむ。それが編集によって不要なカットになる事が耐えられない。ストーリーを犠牲にしても惚れた映像を使ってもらおうとするんです。
カメラマン出身の石原監督にも、そういう「ストーリーより絵を優先」という匂いが若干見られるような気がするのです。あくまでも私の印象とご理解下さい。
ですから今回の「2007」も、一つ一つのカットは本当に凄い。正直、ここまで凄い映像はテレビでも少ないでしょう。でも編集がちょっと辛い。人間の生理に合っていないような気がします。
例えば前述の「薫の自害」シーン。
(番組開始後1時間18分頃です。録画された方はご覧下さい。)
本来私の生理なら、この薫の「恨みの遺言」はワンカットで押していくか、センテンスごとに3カットに分けられると思います。
ところが完成作品では2カット、それも最後のセンテンス「やがてこの加賀谷はく」でカットを割って「ずれおちる」でややアップのカットとなっているのです。
これはおそらくカメラのピント合わせの問題、もしくはドリーの限界だったと推察されますが、私はあの繋ぎでせっかくのエモーションが断ち切られてしまった。
こういう場合、現場ではロング、アップ両カットともセリフ終わりまで収録し、後に編集で繋ぐのが定石です。そうしなければ微妙なセリフの「間」が再現できないからです。ですからおそらくあのサイズ違いの2カット、原沙知絵はセリフを最後まで言っているはずなんです。どこを編集ポイントにしても成立する筈。
しかし石原氏はああ繋いでしまった。これはやはりカメラや機材の事情など、「絵」を優先させる石原氏の思惑が絡んでいるのではと思えてしまうのです。
ちょっと専門的なお話になってしまいましたね(笑)。このカット割りの事情にお詳しい方、ご意見ぜひお寄せ下さい。私も勉強させていただきたいと思います(笑)。
カメラマンと監督の才能は似て非なるものと私は思います。まれに両方の才能を併せ持つ逸材も居ますが、その多くはどちらかの素養への傾向が強い。これは良い悪いの問題ではありません。どちらも映像作品には欠くべからざる才能であり、その両輪がうまく作用しなければ作品は成立しないのですから。
「必殺」のお話からちょっと外れてしまいました。いつもながらおバカな私。
でも今回の「2007」、決して出来は悪くないと思います。
ですが「良い悪い」と「好き嫌い」は別で・・・
「勢いは買うけどベクトルが違う」という感触でしょうか。
私の「旧必殺好き」は、もう治らないようです(笑)。