カテゴリー「必殺シリーズ」の記事

2009年4月25日 (土)

脳内必殺クライマックス

昨夜の『必殺仕事人2009』。
一応リアルタイム鑑賞しましたが、いかに新メンバーが登場しても
あの第十話のクォリティーにはほど遠く・・・

あれはやっぱり、一夜限りの打ち上げ花火だったのでしょうかweep
まあ旧作ファンの狭量な感想と、笑い飛ばしてくださいcoldsweats01

そんな事はすっかり忘れてhappy01
先日もチラリとお話しましたが、実は今、ある曲が頭から離れません。

コレがまた、モロに旧必殺主題歌のテイスト。
まー作曲が平尾大先生ですから、当たり前と言えば当たり前なんですが。

2003年、タランティーノ監督の『キル・ビル』クライマックスで
ユマ・サーマンとルーシー・リューの対決を盛り上げた名曲

『修羅の花』。


梶芽衣子が切なく歌うこの曲は、当然ながら『修羅雪姫』(1973年東宝 
藤田敏八監督)
の主題歌として、皆さんもよくご存知と思います。
この曲のあまりの素晴らしさに、私はここ数日『修羅雪姫』『キル・ビル』
両作のDVDをレンタル、真夜中に観てしまいましたmovie

いやーそれにしても私、『修羅雪姫』は初鑑賞だったんですが
あのオープニング、カット変わりと共に流れるこの曲のイントロタイミングの
なんとカッコいいこと!

で、曲そのものが必殺テイストですから
念仏の鉄よろしく、思わず右手をボキボキと鳴らしたい衝動にまで
駆られてしまいましたhappy01

「こここれは、アレンジせずにそのままメロオケにするだけで
充分、殺しのテーマに使えるぢゃないのhappy02


まースローテンポな曲ですから
最近の「♪パラパ~」で始まる、パターンのウエスタン調じゃなく
「旅愁」や「哀愁」ムードの、哀切漂うクライマックスにピッタリ。
「依頼者の恨みを背負った、哀しい大人の殺し」によく合う曲です。

私なんて最近は、ウォーキングのBGMにこの曲を聴いているくらいで。
独特のイントロが流れた途端、踏みしめる足にも力が入り
自然と眼光まで、鋭くなっちゃって。

すれ違う人たちも、きっと不思議に思うことでしょう。
「この人、なんでこんな怖い顔してるの?」なんてbleah

さて。ここで必殺フリークのお仲間に、ちょっとお尋ねします。
動画サイトで、この『修羅の花』がアップされていました。
残念ながら映像はありませんが、下記にてお聴き頂けます。

この曲がBGMだったら、どんな殺しのシーンを想像しますか?
既存の仕事師を登場させても良いですし、オリジナルキャラでもOKです。

貴方の脳内で活躍させている「マイ仕事人」の晴れ舞台に
この曲はいかがですか?
画面が無い分、想像もしやすいんじゃないかと思います。

ちょっと考えてみて下さい。
最近のジャニーズ系仕事人には、こんな大人の曲は似合わないでしょうね。
もちろん、私も毎日妄想してます。
これぞ本家必殺テイスト。ああ名場面が目に浮かぶlovely

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2009年4月19日 (日)

主題歌を探せ!

先日の雨宮部長メールの一件以来、課題創作のモチベーションも
すっかり上がった『宇宙船映像倶楽部』。
今回の募集期間も後半戦に突入し、快い追い詰められ感を楽しんでいます。

でも面白いことに、「ネヴュラ」にお越しになる部員の皆さんは
雨宮部長のことをあまり『監督』と呼ばれないんですね。
もはや私たち部員にとって雨宮慶太氏は、監督的側面よりも部長的側面が
強くなっているという事なのでしょうか
このあたり、一般ファンとの感覚の違いが感じられて面白いところです。
もちろん、監督としての実力にリスペクトするからこそ
敬意を込めて『部長』とお呼びするわけですがhappy01

さて。そんな雨宮部長の指揮の下、今回も私たちチャレンジャーは
課題となるキャラデザインやプロットの創案に勤しんでいるわけですが。
前回からくも掲載された『シオリ★』デザインでお分かりの通り
本来私は、絵心なんてまったく無いんです。
ですからやっぱり、どうしてもプロット部門に力が入ってしまいます。
もともと最初からチャレンジしていたのはプロットでしたし。

で今回も、やっぱり頭をよぎるのは
「こんな設定はどうかな」「このギミックは新しいな」
「こういうストーリーは見たことないねえ」みたいなアイデアばかりで。
どうも私は、ビジュアルよりも世界観の構築が先行するようです。
このあたり、創造者たるプランナーと表現者たるデザイナー・カメラマンの
資質の違いを感じますね。
私は根っからのプランナーのようです。
まず世界観が先に出来て、そこからキャラデザインが引き出されてくる順番。
この発想の順番ばかりは、どうにも変えられないようですね。

でもそんな中でも、お仕事で鍛えられた最低限のファクターは脳内で
同時進行するようで。

それはどういう事かと言いますと。
『この企画を相手に説明するには、どんな準備が必要か』
という事なんです。
要は、プレゼンする時の構成要素ですね。


自分が夢に描いた渾身の企画を、企画会議で上司や同僚へ説明する。
こんな機会は、過去にも山のようにありました。
企画を生業にされている方はご存知でしょうが、この『企画会議』という場は、
とんでもなく不安定な空気に左右されるものなんです。
セールストークの最初の一言を間違っただけで、企画発表そのものが
失敗に終わってしまう。


過去、こういう事がありました。
地道な下調べや関係者への根回しも完璧に行い、後は部内の承認という
ところまでこぎつけた極上の番組企画を持った、同僚のお話です。
彼は部内会議で企画を発表する順番が回ってきた時、こう切り出しました。
「皆さんにお時間を頂くほどの企画ではありませんが・・・」

これが彼の、最初の言葉でした。
彼にとって、場の空気を和ませる為にとった謙遜のポーズだったのでしょう。
しかしその直後、上司の口から出た言葉は意外なものでした。
「だったら時間のムダだから、発表しなくていいよ。」


なんという事でしょう。この最初の一言で、彼はそれまでの努力を
全てふいにしてしまったのです。
結局、その企画は最後まで発表の機会を与えられず
彼は手塩にかけた企画を手放さざるをえなくなりました。

限られた時間に密度の濃いやりとりを迫られる会議にとって
そんな「時間のムダ」のような企画を検討している暇はない。
企画者自身がそんな思いなら、検討する価値さえない。
テレビとはそういう、厳しい世界なのです。


そんな世界で、自分の夢見る企画を通そうとするなら
それなりのスキルが必要になります。

そんな思惑と利害が交錯する、身を切るような企画の現場を体験しながら
私は次第に、私なりのやり方を作り上げていきました。
それは一言で言えば、『企画のビジョンを明確にする事』でした。


「この作品はこんな感じ」なんて漠然とした雰囲気ではなく
「たとえば主人公はこんな喋り方をして、アクションはこんなカット割りで
ここのシーンはこんなBGMに乗って、駆け寄ってくる敵を
ロングから眼球への急速ズーム、みたいな」と
自分の思い描いている作品のイメージを具体的に説明する事だったのです。

要は「頭の中に、既に第一話が出来上がっている」感じでしょうか。
なんだったらその「脳内第一話」を、会議で演じられるくらいの
気構えがあってもいいくらいです。

「そこまで考えているのか」とまず相手にインパクトを与え
それから自分の考えを徐々に浸透させていく。
こういう作品を狙っているんですよ、というビジョンを
自分と相手が共有できるかどうかが、企画説明の是非を決める。
これが私が、現場で学び取った一つのやり方だったのです。



もちろんこれは人それぞれ。色々な手法があります。
私の手法だってその一つに過ぎませんし、こういう事に正解はありません。
ただ、会議なんですから、そのビジョンに異見が出たっていいんです。
極論を言えば会議が終わった時、立案者のビジョンが
ひとかけらも採用されていなくたってOKなんです。
立案者はそこで、我を通してはいけない場合もあります。
一つの立案を多角的に分析、よりよくする事が会議の目的なんですから。

実際、今回私が掲載頂いた『シオリ★』のデザインだって
雨宮部長の『シオリ★』像とは異なると書かれていますし。
でもそれでもいいんですよ。
色々な意見を持ち寄った方が、良い物は出来るんです。


でも一つだけ言えるのは。
立案者が最初に完璧なビジョンを持っているかどうか。
何をやりたいか説明できるかどうかって、作品の指針を決める上で
非常に大切なんですね。

素材が魚か肉か決まらなければ、献立を決められないのと同じです。
どんな味付けになろうと、素材そのものが変わる事はないですから。



さて。いつもの癖で前段が長くなりましたがhappy01
この「企画のビジョン」を作り上げる上で、私には重要視している要素が一つ。
「クライマックスに流れるBGM」の選定です。
そこにこだわる理由は、私の作品嗜好にあります。

昔から「ネヴュラ」にお越しの方々はご存知かもしれませんが
私が一生で一番作ってみたいドラマは『必殺シリーズ』なんです。
これまでも折りに触れ、お話してきました。
よく話題に出るウルトラ・ライダーなどのヒーローものではないんですよhappy01


現在放送されている「2009」はちょっと怪しいですがcoldsweats01
必殺シリーズはクライマックス、殺しのシーンに流れるBGM
通称『殺しのテーマ』が、非常に魅力的に演出されています。

古今東西、確かにどんなヒーロードラマも、クライマックスには
アップテンポのBGMが流れ、ヒーローはその勇壮な調べに乗って
悪を爽快に撃ち砕くのですが、ことカタルシスという点に於いて
必殺シリーズのBGMは群を抜いているように感じるのです。

あくまで個人的な感覚ですので、異論もおありでしょうがcoldsweats01


必殺と言えば例の『殺しのトランペット』が有名ですが
必殺BGMはそれだけで語りつくせない奥深さがあります。
ファンならよくご存知の「仕置人」の『やがて愛の日が』
「仕留人」の『旅愁』「仕置屋」の『哀愁』などなど
アップテンポではないのに異常なまでの緊張感と爽快感を与える
BGMも数多く、シャープな映像美とも相まって、他のヒーロー番組にはない
一種独特のクライマックステイストを形作っているのです。

そんな、他に類を見ない独特のテイストを、私は何とかして
新ヒーロー作劇の一つの「特徴」として採り入れようとしているのですが
それに当たって一つ、気づいたことがありました。
まー今さら、言うまでもない事ですが。


必殺シリーズの殺しのテーマは、すべからく番組ラストに流れる
「主題歌」のアレンジBGMという事ですね。

前期では「仕事屋稼業」の『夜空の慕情』(コレがまた名曲happy02)など
稀に例外もありましたが、いわゆる「仕事人」プランド中期くらいまでは
そのスタイルが踏襲されていました。
この「殺しのテーマが主題歌のアレンジBGM」という措置が持つ効果は
意外に軽視されているようですが、実は非常に大きいような気がするのです。
クライマックスに流れるBGMが印象的な必殺シリーズでは
主題歌の選定がそのまま番組イメージを決定し
てしまう、という事なんですね。

例えば「新・必殺仕置人」の殺しのテーマがあの『あかね雲』の
名アレンジでなかったら。
念仏の鉄の背骨折り、巳代松の「二間」、八丁堀の豪快な殺陣が
あれほど魅力的に映ったかどうか。

「仕事人」近作の、いつでも『荒野の果てに』が流れる殺しのシーンを見て
「これなら何を見ても同じじゃん」と肩をすくめた経験は
私だけじゃないと思います。
殺しのシーンとBGM、主題歌の印象をセットで覚えている前期必殺ファンの
私にとって、企画立案に当たって作品のクライマックスを重要視する上で
「そのBGM=主題歌」の想定は非常に大事なのです。

最近の深夜アニメなどと違って、私の立案企画はシーズンごとに
主題歌がコロコロ変わりませんし
バラエティー番組みたいに売り込みアーティストのプロモを
ワイプで映したりしませんからhappy01


ただそうは言っても、私には作曲の才能などありませんしcoldsweats01
自作の「主題歌」として想定するのは、やっぱり既存の曲という事になります。
「うわー気持ち悪い。オタクイーンってそんな発想法なんだー」
とガッカリされる方も多いかもしれませんがcoldsweats01 こんなもんですよ私なんてhappy01
まー一つの曲から一本の映画ができる事だってよくありますしね。
古くは「神田川」から、最近は「涙そうそう」とかhappy01
私の場合は、自作企画のシュミレーションに既存曲を当てはめてみる
という事です。


さて。この発想法、私の中ではけっこう確立されていまして。
これまで『宇宙船映像倶楽部』へ提出した応募企画には
すべてこの「想定主題歌」があります。

まーここではちょっと言えませんが、いずれも作品のクライマックスを彩る
名曲ばかりと、自分では思っていますhappy01
その「想定主題歌」を自分なりに脳内アレンジして
想定プロットのハイライトに流すわけですね。
もし企画が実現しても、別にその曲を使おうと言うんじゃないんです。
いわゆる「脳内イメージソング」とでも言うべき扱いなんですね。

しかもこの発想法、予想していなかった一つの効能もありました。
要は「作品のクライマックス」って、企画がある程度進行しないと
思いつかないという事なんです。
つまり逆に言えば、「主題歌=クライマックスのBGM」が思いつくって事は
それだけ企画が固まってきた証拠なんですよ。


「うーんここでカットが変わってキャラがこう動くでしょ。
そーしたらこのタイミングでバーンとBGMだよね。
で、あのSEと共に技が唸ると。うわートリハダが立つほどカッコイイheart01
みたいな。うーんおバカweep
こうやってBGMのタイミングさえ見計らいながら一つ一つのシーンを
脳内演出していくと、それが完成する頃にはもう
会議でプレゼンできる状態になっていると。
逆に言えば、そこまで作りこんでいないと不安なんですね。
「出来ていない所がある」みたいな「食べ残し感」がいやなんですよ。


でもまー考えてみれば、それは遠い昔、幼い頃に毎日繰り返していた
「怪獣ゴッコ」に通じるものですよね。

ソフビの怪獣をぶつけながら自分でセリフを喋り
光線まで「ビビーッ」て音をつけて。
脳内では伊福部昭や宮内國郎のBGMが鳴りっ放しでしたもんね。
そうやって今も、私は企画を考えるなんて大儀名分の下で
雨宮部長に遊ばせて貰っているのかもしれませんhappy01



さて。今回のプロット考案もいよいよ佳境に入ってきました。
課題のキャラデザインもありますから、プロットだけにも構っていられません。
漠然ですが何となく、ヒーロー像は浮かんできました。
『一筆啓上、企画が見えた』ってところでしょうか。
で、今は、クライマックスを盛り上げる「主題歌」探しにかかっています。

コレがまた楽しいんですよねー。
ちょっと今、気になっている曲が梶芽衣子の『修羅の花』。
うわーマズイ。これじゃ『キル・ビル』になっちゃいそうcoldsweats01coldsweats01coldsweats01

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2009年3月21日 (土)

小五郎はなぜ降りたのか

いやー久しぶりに、旧作・新作ファン共に黙っちゃいない作品が現れましたねhappy01
昨夜放送の必殺仕事人2009第十話『鬼の末路』。

多くのブロガー諸氏がここぞとばかりにアップされた感想の量を見ても、視聴者に与えたインパクトは大きかった事が窺えます。

旧必殺ファンにとってこのエピソードは「必殺って、もともとこういうお話だったよね。」
いわゆる仕事人ファンには、「えーっ!何なのこのハードな展開は?」みたいに映った事でしょう。

私などは劇中、小五郎(東山紀之)が源太(大倉忠義)に、また中村主水(藤田まこと)が涼次(松岡昌宏)に飛ばす激を聞く度に、これでやっと若手二人の「お遊び仕事」に
ケリがつくかなと喜んでもいたのですがhappy01
まるでお説教しているみたいでしたもんね。
「思い上がってるんじゃねえ!」「俺たちゃなあ、一つの命で繋がってるんだ。」
そうです。ヘマをすれば仲間の手で「ぶった斬られる」。
こんな事、当たり前なんですよね。それが殺しを生業とする者たちのルールです。

以前からお話しているように、本来人を殺めるという事は犯罪であるわけで
その事実は<いかに大江戸ファンタジードラマ「仕事人」であっても
避けては通れないわけです。

そこを再確認させ、仕事師の悲惨な末路を認識させてくれた
脚本・寺田敏雄氏の意地、それを受けた石原興監督のクールな作劇には
久々に溜飲が下がりました。


まー大方の予想通り、当初「2009」はワンクール放送の予定でしたから
当話を含む前後編でラストをハードに締めくくる予定だったのでしょう。
しかし番組延長の措置により軌道修正が難しく、結果的にシリーズ中盤にして
明らかに作風の違う、ハードストーリーの登場となったものと推察できます。
とはいえ、やはりスタッフは甘みタップリの「仕事人」シリーズを
何とかシリーズ初期のハード路線に戻す意欲に満ちていたんですね。
そんな気概が窺えただけでも、旧作ファンにとっては嬉しい出来事でした。


さて。今回も例によって、ご覧の方以外は放ったらかしの乱暴な感想ですがcoldsweats01
まずこのエピソードのみに関して言えば、傑作である事は間違いないでしょう。
いやー私が悪うございました。良い物は良いと素直に言いたいです。

実際、開始当初から「2009」を色メガネで見ていた私は
リアルタイム鑑賞もする気にならず、昨夜の録画を今朝見たくらいですから。
で、ひっくり返ったとcoldsweats01
これだけは最初にお断りしておきます。
重箱の隅つつきのようなアンフェアはしたくありませんので。


ただ、冒頭で褒めちぎっておきながら、やや消化不良がある感も禁じ得ません。
それは、ほんの一部に分かりにくい点があるというだけで他はパーフェクト。
近年まれに見る名作であった証でもあるわけです。



で、私が消化不良と感じた点ですが。
それは今日のサブタイトルに全て表れています。
『小五郎はなぜ降りたのか』。
まーここでストーリーを事細かにお話しするのもヤボですから
それはこちらのHPからあらすじををご覧頂くとして。


必殺仕事人2009 公式ホームページ
http://hissatsu2009.asahi.co.jp/

今回のお話は、身勝手な不安や甘えが「黒頭巾」という形を取り
江戸を恐怖に陥れる無差別殺人鬼・小山内儀助(荒川良々)を中心に
その事実を知り彼をかばおうとする母親・セツ(池上季実子)
そして使用人の乙部松右衛門(平泉成)、留吉(大富士)らが巻き起こす
極めて小規模な「お家騒動」。

セツは儀助をかばう為、乙部・留吉と共謀し、儀助の知らぬ所で今一人の使用人
喜平(内山信二)を黒頭巾に仕立て、極秘裏に殺害します。
乙部らによる喜平殺害の様子をセツが見ていた事、その後に
乙部へ礼金を渡した事から、セツがこの一件を主導していた事は明白ですよね。
結局その企みも、頭巾の裏に記されていた「たそがれを・・・」という詠を
小五郎に嗅ぎつけられた事から、仕事の線に向かっていくのですが。

ストーリーはその後、小山内家の乗っ取りを画策する乙部の反逆
喜平殺害を知った儀助のやりきれない怒りへと展開します。
「黒頭巾は、まだ、生きてる。」
セツとの絶縁宣言とも言える、儀助の心中が表れた暗く重いセリフです。
儀助を止められない事を悟ったセツは失意の中、自らの息子を仕事人に殺害依頼。
同時に、乙部と留吉もターゲットになります。

Photo
さて場面はこの後、仕事人アジトでの作戦会議となります。
なぜかここで、小五郎は仕事を降りてしまうのです。
これが私には、非常に大きな意味を持つように感じられます。
正確にはこの思いは、直後の仕事シーンを見てから感じた事なのですが。


まー源太のミスなどは「あってしかるべき事」ですし、その後の「つづく!」も
別に何という事は無いんですよ。いわゆる後引きテクの一つですし。
中村御大の殺しに至っては「お互いにこれ以上立ち回りが出来ない」
ご老体お二人の演技ですから仕方無いでしょう。
問題は、涼次の殺しです。
確かにあの場面、儀助の前にセツが飛び出した事による
「顔に似合わず情にはもろい」涼次のためらいは理解できます。
で、その直後に「何故か居合わせた」小五郎の手により
セツが一刀両断された事実も理解できます。


ただ一つひっかかるのは、この小五郎の殺しが「仕事」ではない事で。
何故なら。彼は仕事料を受け取っていない。「降りて」いるからです。

この場合、いかに涼次が情にもろくても
小五郎はセツを涼次本人に殺らせるべきでした。
いかに頼み人でも、顔を見られれば殺すしかない。これも仕事のルールです。
そういう事情なら、小五郎はあそこで手を出すべきじゃない。
涼次にセツを殺らせて、その上で涼次を「ぶった斬る」のが
仕事師のあり方ではないかと。
何しろ小五郎は、頼み料を受け取っていないんですから。
彼は頼み人にも殺しの的にも手を出せない。
逆に手を出してしまったら、もう只の「人殺し」に成り下がってしまうのです。


ここでさらに引っかかるのは儀助の母親・セツの立ち位置です。
息子を護りたいとはいえ、彼女は使用人を身代わりに殺しているわけです。
儀助を護る手段を誤ったという意味で、一番の加害者は彼女じゃないかと。
いかに頼み人とはいえ、彼女が断罪されないのは作劇上、おかしいですよね。


例えば、あのクライマックスで彼女が儀助の前に飛び出さなかったら。
彼女はその後も、のうのうと生きながらえてしまうのではと。
自分の手で息子を手にかけた罪悪感を一生背負うとしても
彼女の罪は倫理的に認められないと思うんですよね。
何らかの形でしっかりとした決着がつかなければ、視聴者には
割り切れなさが残るんじゃないかと思います。

そのドラマの重要要素である「決着」が、「顔を見られた事による偶然」
なんかで良かったのかどうか。
そこがどうにも、消化不良なんですよ。


さて。ここで再び今回のサブタイ「小五郎はなぜ降りたのか」について
考えてみたいと思うんですが。
前述の涼次の殺しの後、セツを手にかけた小五郎は、涼次のセツに対する
「頼み人だぞ」のセリフに
「俺は頼まれてねえ」と答えています。
このセリフが、非常に重要と考えるんですよ。


確かに小五郎は、アジトで涼次に「情に負けたか」と揶揄されているし
源太にも「てめえも嫌なら、降りてもいいんだぜ」と口走っているところから
ややセツに肩入れしている部分もあったでしょう。
出来の悪い息子でも、殺しを依頼する母親の気持ちを思いやる心。
だから、仕事としては受けたくない。それは感情の流れとしてあったでしょう。


ただ、こうも考えられるんですね。
小五郎は頭巾の裏に貼られた例の「たそがれを・・・」の詠により
喜平の身代わり殺しを知った段階で、事件のからくり
セツの画策を悟ってしまったんじゃないかと。

母親の辛い気持ちはよく分かる。でもその母親は頼み人となった。
だからその母親から仕事としては請けられないが、母親を許す事はできない。
だから仕事人である事を捨てて、自分の意思でセツを手にかけたと。
そういう意味で小五郎は、あえて「頼まれない道」を選んだわけです。

つまり涼次の殺しの現場に小五郎が居合わせたのは偶然ではなく
セツを狙った上の必然だったと。そんな風に思うんですよ。

あのセツの罪は、トラマの中でそれほど大きな意味を持つものと思います。


「顔を見られた偶然」などではなく、重要なキャラクターが
仕事人である事を捨ててまで許せない怒りを持つだけの意味。
情に流されるゆえ、仕事を超え「人殺し」の道に片足を突っ込む修羅の道へ。
そうとでも考えなければ、とてもあのストーリーは着地できません。

それこそ「子ども騙し」になってしまう。


ただその解釈は、同時に主水、お菊らメンバーの無能さも証明してしまいます。
そんな事情も知らず、あまりにも単純に仕事を受けてしまうお菊。
悪行にセツが加担していたかどうかも察知できず
「母親が実の息子を・・・」という同情のみで動く中村主水。
正直「ヤキが回った」と言われても仕方無いでしょう。
涼次、現太に至っては、まだ本当の意味での仕事師にもなっていません。
で、実際、ラストに至っても絶体絶命。
こんなメンバーに加え、報酬を取らず情で動く小五郎は
もはや腕はあっても、プロではありません。


一つだけ穿った見方をすれば、今話ラストの主題歌バックで
通りの葬列越しに「目の会話」を交わした、主水と小五郎の描写に
ひょっとして主水は、セツ殺しの必然性を分かっていたんじゃないか
という邪知もできますが、あの描写だけでは何とも言えませんし。

ただ主水がそれを知っていたら、あの後小五郎を斬っていたでしょうしね。
小五郎はもう仕事人ではなく、情で人を斬る人殺しですから。
少なくとも私の知る「必殺」なら、そういう展開になっていたと思いますが。


実はですね。そういう「最低チーム」の仕事稼業も、全然アリと思うんですよ。
例えば次回以後、「助け人」後半のチーム崩壊劇のような
ハードな展開も期待できるし。
そういうのって、ルーティンストーリーにはない緊迫感があるんですよね。
例えば今話ラスト、源太絶体絶命の危機を、中村主水が命を捨てて護るとか。
それを眼前にした小五郎が、改めて仕事師の業を思い知るとか。

少なくとも今回のセツ殺しで、小五郎は仕事師の道を外れてしまいましたから
今後の展開に、何らかの影響は出てくるでしょうね。

次回、それが何事もなくリセットされてしまったら
今度こそ私は「2009」を見限らなければなりませんが。



ただいずれにしてもこのエピソードは
旧作ファンにもそこまでの解析をさせるレベルに達していたという事です。
過激な表現が抑えられた現在のテレビシーンで
これほどまでに旧必殺の香りを醸し出せるとは。本当にすごい事だと思います。
改めて、スタッフの底力を思い知ったような次第です。


次回は4月10日だそうですが、個人的にはそれくらいが丁度いいですね。
あそこまで見事な引きを見せてしまうと、どんなに素晴らしい後編を作っても
ファンの期待を超える事は難しいです。ほぼ不可能に近いでしょう。

ですから、後編を妄想する時間は長い方がいい。
その妄想を凌駕する後編をもし見られたら。それは嬉しい誤算です。
今作をご覧になった方、脳内で「架空後編」を考えるのも楽しいかもしれません。
腕に覚えのある方、是非一度お考え下さい。この機会は貴重ですよ。
必殺で前後編なんて、めったに無い事ですからhappy01

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2009年3月 4日 (水)

必殺仕置人激闘編

昨日からの必殺繋がりで、今日は『仕置人』を再見しました。
DVDなんか買えない貧乏人なので、鑑賞はもっぱらLDでweep


Photoなぜか発売予告のハガキや宣材のペーパーバッグまで発掘されちゃって。
LD絶滅の今見れば、コレも時代の遺産なのかもしれませんが。

何かと忙しかったので、今日は「娯楽篇」でスカッとしたい気分でしたが、そういう時に何故か見たくなるのが第8話『力をかわす露の草』。
まー旧作ファンなら、異論はないところでしょうhappy01

旧仕置人前期エピソード中、その強さ、手強さでは群を抜く「怪物」、雲右衛門VS鉄・錠の息詰まるクライマックスは、今も語り継がれる迫力に満ちています。
二人がかりでやっと倒せる敵なんて、最近はとんと見かけませんから。
一敗地にまみれた二人の雪辱戦である所も良いですね。


加えて、中盤で見せる鉄の超人的「牢破り」も見もの。
殺し技に通じる特技がこういう形で出てくるあたり、前期必殺がいかにドラマと殺しをストーリーに関連付けていたかがよく分かります。

しかも常軌を逸した敵役・おぬいの方の行動にも、悲しいまでの裏事情が潜んでいるという。娯楽篇と思われるエピソードにさえ、こういうドラマがあるんですね。
ラスト、仕置の事実を自害としてもみ消す当主のしたたかさ、「晴れ晴れとした顔」も、大人の事情を感じさせほろ苦い笑いがこみ上げてきます。
そこが再見に耐えるゆえんでしょう。

まさにこれこそ「仕置人激闘編」。ホントに激闘してますからscissors
こういうのを見ちゃうと、旧作擁護派と揶揄されても胸を張って頷ける自信が出てきちゃって。やっぱり面白いです。仕置人はhappy01

未見の方も機会あれば、ご覧になって損はしないと思います。

一本見ちゃうと止まらないのが悪い癖。明日はハードワークなのに。
次はサスペンス篇の第15話『夜がキバむく一つ宿』見ようかなhappy01
(なんかもう、知らない方ほったらかしの日記ですね。ごめんなさいcoldsweats01


Photo_2






今日までの累積歩数・94574歩。
人類メタボーまで、あと81sandclock

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2009年3月 3日 (火)

地獄道迷い道

せっかくの桃の節句なのに、今日の名古屋は小雪交じりだったそうで。
ウチは名古屋のはずれなので、雪までは降りませんでしたが。

それでも冷たい雨の中、「イスカンダルの森」までウォーキングしてきましたrun


そのウォーキング前に、景気づけで先月27日放送の
必殺仕事人2009・第七話『金が仇』を見たんですが。

録画したまま、見ていなかったんですcoldsweats01


まーある意味、安心して見られる直球ストーリーの作品。
あい変らず、セットや照明技術など現場スタッフの力の入れ方は半端じゃありませんね。画面のクォリティーは、ひょっとしてシリーズ最高じゃないでしょうか。
この不況下、あそこまで豪華な画面は奇跡に近いです。

でも、その最高のお膳立ての中で繰り広げられるドラマは、まーあい変らずの雰囲気でhappy01
これは決して、否定しているのではありません。
ドラマがキャラクターの存在感を阻害しない作劇を製作側が意識的に行っている以上、
これも非常に真っ当な作品のあり方なのです。
以前もお話しましたが、そうでなければ、ここまで人気が出るわけがありません。

でもこの『2009』、旧必殺ファンの私から見ると、どうしてもある種の『まったり感』が
拭い去れません。「サビぬきのお寿司」みたいな感覚でしょうか。
口当たり良く、毒がなくなっちゃってるんですね。『仕掛人』~『新・仕置人』あたりまでに
感じた「見終わった後、ボディーブローのように心に響く何か」が無いんですよ。
その要因はもちろん、見る側の私にもあるのでしょう。
年齢を重ねた上の「感力の衰え」は認めざるをえません。
でもそれを抜きにしても、どうも残るものがない。


で、今日『2009・第七話』を見ていて、その「まったり感」の要因として
思い当たる点が三つほどありました。

あくまで「良い悪い」ではなく「感じた事」なので、決して誤解なさらぬよう。



一つ目はカット割りの問題ですが、これはかなり専門的な事なので、
ちょっと説明するのは難しいです。

非常に乱暴に言えば、各シーンが登場人物のフィックス画面で始まる場合が
多いという事ですね。その後のカット運びも、比較的フィックスの切り返しが多い。

この演出は画面に安定感を与えたり、状況を説明する為には最適ですが、
その反面、ストーリーに「コク」がなくなってしまう。
映像的に、ストーリーの起伏を感じづらくなってしまうんですね。
今回で言えば、例えば本編開始16分後、お座敷のシーンは三味線の音バックに
障子越しの人影から始まる、といったような「カット割りの芸」が欲しいわけです。
それをいきなり、お座敷のロングから始まっちゃうと・・・みたいな感覚ですね。
前のカットもフィックスだっただけに、ワンカット挟んで欲しかったなと。



二つ目は「殺しのシーンは仕事人目線が顕著」という事でしょうか。
要はカメラは、最初から各仕事人の側を捉えているんですね。殺しのターゲット側には構えられていない。で、案の定「いつもの殺し」が展開すると。
これは企画意図から来た演出ですから仕方がありませんが、
そういう演出は仕事人のヒーロー性を強調する一方、「今回はどこから仕事師が
姿を現すのか」というサスペンスを削いでしまう欠点があります。
旧シリーズではこの逆で、「悪役目線」が多かったので、予期せぬ所からいきなり現れる仕事師の姿がサプライズ性を非常に高めていたんですね。
「おおっ!今回はこう来るわけね!」みたいなある種のワクワク感が、
えもいわれぬカタルシスを生んでいたわけです。

旧作をご存知の方は「仕置屋」第2話「一筆啓上罠が見えた」の「飛行折鶴殺し」や、「新・仕置人」第2話「情愛無用」の「襖の奥に巳代松」みたいなシーンに
興奮されませんでしたか?
旧作でよく見られたシーンですが、後を振り返った瞬間、昼行灯から殺し屋の表情に変わる中村主水なんかも、サプライズ演出の見本のように感じるんですが。


逆に、殺しのターゲットが強いなんていうのもワクワクしましたよね。
「仕置屋」19話「一筆啓上業苦が見えた」のクライマックスなんて・・・happy02

あれは番外編中の番外編、主水をあれ以上追いつめた敵役も居ないでしょうが。
結局、敵が強くなければ、仕事師たちの強さも表現できないという事ですね。
2009第六話『夫殺し』の西村和彦なんて、そういう役どころだと思ったんですがcoldsweats01



で、三つ目。実は今回、これが一番思った事ですが。
「仕事師たちに『死の匂い』が感じられない」というところですね。


彼らの「仕事」って、人を殺めることですよね。で、『2009』の仕事人たちって、
本当にその重みを感じているのだろうか、なんて思っちゃうわけです。

まーこれも企画意図次第ですから、ここで言っても仕方がないんですがhappy01
必殺シリーズの場合、ターゲットは「悪役」「生かしておいてはならない存在」と
決まっていますから、殺しのシーンにはカタルシスがある訳です。
でもそんな中、折りに触れ仕事師たちを襲う「地獄に片足を突っ込んだ絶望感」
「二度と抜けられない業」みたいな描写って、非常に大事だと考えるんですよ。

私なんかには、必殺シリーズの仕事師たちは、
「罪を背負わなければならない稼業に手を染めざるをえなかった、悲しい者達」
という印象があります。

ヒーローじゃないんですよね。一言で言えば「アウトロー」なわけです。


さらに、彼らを襲うのは「意識」だけではありません。
以前もお話しましたが、彼らは社会的に見れば「殺しの下手人」であるわけで、
捕まれば獄門晒し首、死を免れる事はできません。

仕事師たちには「お上の名の下に合法殺人を行える特権」は無いのです。
ですから殺しに手を染めてしまった以上、彼らは一生、町方の目を窺いながら
隠匿生活を続ける以外、生きる道はないわけです。決して目立たず、ひっそりと。


さらに裏の仕事師同士の抗争だって、決して勃発しないとは限りません。
いつ寝込みを襲われ命を奪われるか。そんな過酷な毎日が待っています。
そういう意味で彼ら仕事師の周りには、常に意識の上で、また社会的にも、
自らを死に導く暗い穴が口を開けているんですね。
周りはすべて『死』と言ってもいいでしょう。


その緊張感、またそれを受け入れる覚悟が、『仕事人2009』のメンバーに
あるかどうか。これが非常に疑問なんですね。

例えば「仕業人」第2話「あんたこの仕業どう思う」で、飄々と殺しを行う
大江戸プレイボーイ、やいとや又右衛門が、殺しの前に表稼業のお灸療治を
無料で施した事がありました。
やいとやはその時、殺しに失敗した際、また捕えられた際の死を覚悟していたと思います。

これが表稼業の最後になるかもしれないから、飛ぶ鳥あとを濁さずの思いで
施しをするわけですね。
それを顔に出さないところが、やいとや自身の決意をさらに強調します。
私はそういう所に、必殺シリーズの奥深さを感じるんですね。
スーパーヒーローではない、アウトローの生きざまを。


こういう奥深さが『2009』から感じられない理由は、ひとえにキャラクター造形の
方向性の違いでしょう。

彼らが生きている「江戸」は、かつて旧作で仕事師たちが壮絶な生きざまを見せた「江戸」とは別の世界なのです。
本当に、同じタイトルでここまで世界観が違うのも珍しい。
それが悪いという訳ではないんですよ。要は「住み分け」という事ですね。


ただ思うのは、「死を覚悟した上での生きざま」があってこそ、
仕事師は仕事師たりえるんじゃないかという事ですね。
必殺の代表的口上『人のお命頂くからは、いずれ私も地獄道』は、
けっして語呂合わせのキャッチフレーズじゃないんですから。

『2009』が目指す『地獄道』とは何なのか。
そもそもそんな道など、『2009』は目指していないのか。
地獄への行き先を迷い、途方にくれるスタッフの姿が目に浮かびます。
まー私の考えが、時流に合わないんでしょうがhappy01



お仲間をはじめ、数多くの皆さんが必殺シリーズの二次創作を楽しんでおられますので、私もお遊びで、一つキャラクターを考えてみました。
もうベタベタの旧作テイストですがhappy01


このキャラクターは、すでに「死を覚悟した生きざま」を選択せざるをえません。
なぜなら。彼の体内には、今も刀の破片が残っているからです。
それは以前、敵に刺された時の刀の切っ先。

江戸時代の医療技術では取り出せないほど体に深く食い込んだ切っ先は、
傷が治ったあとも彼の体に残り、命を蝕んでいました。
刻々と心臓へ向かうたった一片の、しかし鋭利な刃。
見かけは健康に見えても、確実に死の刻は迫っています。
死期を悟った彼は、地獄への道連れを一人でも増やすため、殺しに臨むのです。


ですから彼は、この世への執着がありません。
仕事料はすべて、遊興費に使ってしまいます。
しかし自らが、地獄に片足を踏み入れていることを分かっています。
「外道を地獄に落とすにゃ、俺みたいなのが丁度良い。」
その命が燃え尽きるまで、彼は一人でも多く「道連れ」をあの世へ送ります。
悪人を仕置すればするほど、彼の生は輝くのです。


エピソードを重ねるごとに、彼の容態は悪化の一途を辿ります。
最終回。最後の大物を前に、満身創痍の彼はどんな生きざまを
見せるのでしょうか。


こんなキャラクター、今の仕事人には絶対にありえないでしょうね。
「死」をここまで突きつけられればこそ、人間は生を輝かせる事が出来るような
気がします。たとえフィクションでも、バックボーンは必要なのです。

この設定には、中村主水以下仲間の存在はおろか、殺し技さえ決めていません。
ここまでシビアな設定だと、生半可な技ではバランスが取れないかもしれませんね。
無知な私ですから、こんなキャラクターはとっくに生まれているかもしれませんが。
でも、こういう仕事師を生き生きと描ける世界観が、私の求める必殺です。
近作のファンには、お分かり頂けないかもしれませんがhappy01

新・仕置人の鉄とは違いますよ。あっちは鉛弾ですからbomb



舌足らずな上勝手な私見を、長々と失礼しました。
旧必殺ファンのたわ言と、お笑い下さい。
人間の深層に迫った面白い「必殺」を、いつか見たいものですね。
あ、このキャラクターが活躍するなら、私もパートナーとしてぜひ登場したいな。
「情報屋お託」とか言ってhappy01happy01happy01


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今日までの累積歩数・87145歩。
人類メタボーまで、あと82sandclock

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2009年2月19日 (木)

三本指の男

ずいぶん昔のお話ですが、ある殺し屋を主人公とした漫画を描いた事があります。
舞台は現代でしたが、主人公の殺し技は、なんと素手によるもの。

具体的には伏せますが、彼には「殺しに武器は使わない」というこだわり、プライドを持たせました。そのため、ドラマ運びにはものすごく苦労したのですがcoldsweats01
すでにお察しと思いますが、その主人公のモデルは誰あろう、『念仏の鉄』だったのです。
たった三本の指で人を殺める「仕置人」。
彼の豪放な殺し技は、私には非常に斬新かつ「フェア」に見えました。

これまで、必殺シリーズや「鉄」についていろいろお話してきた「ネヴュラ」ですが、
考えてみれば、殺し技について語った事はまだありませんでしたね。
そんなわけで今回は、必殺シリーズの「殺し技」に於ける、非常に偏った私見ですhappy01

昔から「ネヴュラ」をご覧の方は、私が「新・仕置人」までの前期必殺シリーズに心酔している事、中でも「念仏の鉄」ファンである事をご存知かもしれません。
なんといっても、私が今の職を目指した動機の一つは、「鉄」について語られた山崎努氏の手紙によるものなのですから。
今でも、生涯で最も作ってみたいドラマが「必殺」である事は、まったく変わっていません。
さんざんお話している「ウルトラ」や「ライダー」ではないのです。
ここたけのお話、例の「宇宙船」企画にも、その私の嗜好は大きく影響しています。
それほどまでにあの異色時代劇は、私のDNAに深く刻み込まれているのです。

1972年の「必殺仕掛人」から37年。今年も新作が放送されているシリーズの中で、数多くの仕事師が鮮烈な生きざまを見せてくれました。
しかしながら前述の通り、私の中で必殺は、1977年11月4日「新・必殺仕置人」最終回で終わっています。
それは「ウルトラシリーズは『ウルトラマン』で一区切り」という感覚に近い物です。

まー個人個人の考え方ですから、色々なご意見もおありでしょう。
でも私の中ではそうです。それは作品の出来とは関係ありません。
あくまで好みの問題ですから、誤解なさらぬようhappy01


「新・仕置人」に続く「新・からくり人」以降の作品、とりわけシリーズが「仕事人」の名を冠するようになってからは、要するに作品のターゲットが変わってしまった、言い直せば「内容が一般化」したため、私の中では「これで私は必殺から卒業したかな」的感覚が強くなりました。
ですがそれは内容が悪くなったのではなく、それまで必殺を愛していた私の嗜好と合わなくなっただけなんですね。ですからその後も、レベルは全く落ちていないと思います。
でもとにかく私は、そこでいったん「必殺離れ」しました。
その後のシリーズも見てはいましたが、どこか醒めたスタンスにならざるをえない。
私の中から、「金曜22時の興奮」は姿を消したのです。

その理由は何か。やっぱり私の中でミスター必殺は、「鉄」だったのでしょうね。
確かに「必殺の顔」と言えば今は中村主水というイメージが固定化していますが、今考えれば、私は主水ファンではなかったという事なのでしょう。

でなければ、「新・仕置人」最終回で鉄が命を散らした時、頭の中で組みあがっていた「必殺」という名のパズルが音を立ててバラバラになるはずがありません。
必殺世界を構成する重要なピースが無くなってしまった。その穴を埋めるピースは、現在に至っても姿を現しません。おそらく今後も現れる事はないでしょう。
なぜそれほどまでに、「鉄」の存在は唯一無二なのでしょうか。


必殺ファンの皆さん、できればちょっと考えて頂きたいんですが。
例えば鉄の殺し技、「背骨折り」(「新」では肋骨折りですが、ここでは総称という事で)に類する殺し技を継承できるキャラクターって、今後も現れると思われますか?

確かに、怪力系の素手技を駆使する仕事師は、鉄の後も何人かは登場しました。
「仕留人」「渡し人」の大吉、「血風編」の直次郎、「仕事人」の左門、「仕事人Ⅴ激闘編」の壱などが代表格ですね。
しかしながら、「背骨折り」ほどのインパクトと、鉄ほどの説得力を持ったキャラクターは、その後、ついぞ現れませんでした。


ところが、藤枝梅安をはじめとする「刺殺系」、同様に中村主水などの「剣術系」、勇次の「絞首系」は、けっこう継承者も多いんですよね。
しかも現在では、オリジナルを知る人の方が少なくなっている。

今の必殺ファンのみならず、’80年代に必殺の洗礼を受けたファンの方々だって、「首筋を刺す」と言えばまず「秀」「政」が浮かぶはずで、「梅安」と答える方は少ない筈です。
刀とくればさらに顕著で、中村主水は浮かんでも、「西村左内」は浮かばない。
さすがに絞首系は勇次がオリジナルですが、それでもやっぱり「竜」の存在も大きい筈です。
確かに政、竜は勇次、秀の代わりにキャスティングされたという経緯はありますが、それでも人気がここまで不動になった今、もはや経緯は関係ありません。
しかもそれぞれの殺し技は、現在放送中の「仕事人2009」にも継承され、「殺し技の一子相伝」は現在も続いているわけです。
その際立つキャラクターでシリーズの顔となった中村主水でさえ、ついに後継者の登場を迎えているわけで。


他の殺し技を駆使するキャラクターが、世代交代の末ここまでコピーを繰り返されているのに、なぜあの「悪党をあの世に送るには、指三本で充分だ」と言わんばかりの凄腕が、新世代に現れないのか。
ここに、鉄が唯一無二である理由の一端があるような気もするのです。

要はですね。あの背骨折りという殺し技は、鉄というキャラクターと一体になっているんですよ。ですから他人にはコピーできないんじゃないかと。


他の殺し技は、武器は変わっても基本的には同じですよね。
「梅安と秀と政の殺し技の違い」について、納得できる解説が出来る方がいらっしゃったら、ぜひお聞きしたいものですhappy01
個人的には、鍼医者であるという大きな理由で、梅安のみに非常に説得力を感じますが。


同じ理由で、鉄の骨接ぎ術・殺し技には「島流しにされた佐渡金山で、傷ついた罪人を救うため、見よう見まねで覚えた」というバックボーンがある分、後の怪力系と一線を画す説得力があります。
あの壮絶な背骨折りには、そこまで追い詰められた末の「生き残りの手段」としての迫力、言わば鉄の生きざまが投影されているわけです。
その後の怪力仕事師に、ここまでのバックボーンがあるかどうか。
それは皆さんの解析にお任せしたいと思いますが、少なくとも鉄を演じた山崎努氏は、その立脚点を持った上で演技設計を行ったものと信じたいです。
後々どう見られようと、ストーリーに反映されていようといまいと、他人の人生を表現する役者にはそういう「キャラクターの素性を理解する能力」が、非常に重要なのです。


「必殺なんだから、殺しの場面だけカッコよければ、その技をどう覚えたかなんて理屈はどうでもいいんだよ。」
そういうご意見もありますね。おそらくそれが、旧必殺ファンと現仕事人ファンの間に流れる「暗くて深い川」なんでしょう。

仕事人シリーズの魅力は、そういう理屈抜きの所にあるのは間違いないんです。
でなければここまで多くのファンを作り、長寿番組となるわけがない。
でもその魅力が、私には魅力として映らない。悲しい事ですweep

ただ思うのは、シナリオライターも俳優も、ストーリーを作る上で立脚点となるのは、そういう「キャラクターの設定」のみなんですね。
「このキャラはこういう素性だから、事件を前にすればこう考えるだろう、こう行動するだろう」という発想なわけです。
そこが薄っぺらでは、表現されるキャラクターだって存在感が無くなるのは当たり前なんですね。
いいかげんな設計図からは、すぐれた完成品は出来ないわけです。


先日放送された名脚本家・橋本忍氏のトークライブ番組で、氏が「七人の侍」の脚本を黒澤明監督と共同執筆した時のエピソードが語られました。
そのやり方は一風変わったもので、旅館に篭って黒澤監督と橋本氏が一つのストーリーを同時に書き出し、書き上がった端から「両氏のどちらか良い方を採用してゆく」という、言わば「シナリオバトル方式」だったそうです。
そこで橋本氏が驚いた事が一つ。
意気込んでストーリーを書き出す橋本氏の前で、黒澤監督は異常なまでに「キャラクターの素性・設定」を考え、ノートに書き込んでいったそうです。
シナリオにはまったく着手せずに。
その量は大学ノート一冊の半分に及び、それを見た橋本氏は驚愕したとか。

要は「それくらい人物像を掘り下げなければ、生きた人間は描けない」という事なんでしょうね。
逆に、それがしっかり出来ていれば、黙っていてもストーリーは動き出すと。


ちょっと別なお話ですが、例えば二次創作の小説などを書く時にストーリーが作りやすい感覚の理由は、既に作品というものが出来ていて、キャラクター設計が完成しているからなんです。出来上がった二次創作の完成度の高さは、そのまま「元設定の秀逸さ」を証明しているわけですね。
まだ形になっていない作品を生み出す時、最も苦労するのはそこです。
「秀だからこう考えるだろう」なんて前例がないわけですから。

ともあれ、そうした「キャラクターと直結した殺し技」という意味で、後年の怪力系仕事師に較べて鉄の存在感は突出しているように感じます。
それは設計図たる設定を作り上げた当時のスタッフと、それを高度に咀嚼し演技に結実させた山崎努氏、どちらが欠けても成立しえなかったでしょう。

「いや、どんなキャラクターにも設定はきちんと考えられていたはずだから、
鉄だけが特別扱いされたわけではないと思うんだけど。」
というご意見もおありでしょう。それもごもっともですね。
とすれば。鉄の突出した存在感は、鉄という架空の人物に命を与えた山崎努氏の功績が大きいのかもしれません。


当時、「仕置人」の設定を読み込んだ山崎氏の頭には、鉄の演技設計についてある人物がモデルとされていたようです。
それは以前頂いた、山崎氏からの手紙に書かれていましたが、ここでは伏せておきましょう。そうした演技者、演出者それぞれの地道な努力が、稀代の名キャラクター・念仏の鉄を生み出した事は間違いないと思います。
あの背骨折りが孤高の技なのも、頷けるところですね。


おそらく、「他のキャラには出来ない殺し技」を持つ必殺キャラの裏には、すぐれた設定と演技設計の結実があると思います。
鉄の他には、例えば「仕事屋」の半兵衛とか。
「仕置屋」の市松なんかも、他の首筋刺しとは一風違った技の切れ味があると思うのですが。「折鶴飛ばし」の華麗さは、彼以外には真似できないような。

新・仕事人「勇次」の登場時にもチラリとそれを感じたんですが、後の派手派手な演出(「南無阿弥陀仏」の羽織とか)が、一気にその思いを砕いてしまいました。
仕事人ファンはそういう所が好きなんでしょうが、旧ファンの私は苦手なんですよcoldsweats01


「殺し技アラカルト」「鉄のカッコよさ」的なお話を期待された方、ごめんなさいね。
私が語ると、つい理屈っぽくなっちゃってcoldsweats01
取っつきにくいお話なんですよねこういうのって。でもここを外しちゃうと、「ネヴュラ」じゃなくなっちゃうでしょhappy01 他ではあまり語られない事だし。
テーマや映像美など、必殺には他にも語りたいファクターは多くあります。
それはまたおいおい、こんな調子でお話したいと思います。


うーんそれにしても。先週の「仕事人2009」見逃しちゃったなー。
忘れちゃうんですよね。どーも頭の隅にひっかからない。
スタッフ、キャスト共に、大変な努力をされている事は、画面からも伝わってくるんですが。それとは別に、私の嗜好がノーと言っている。
老いた藤田まこと氏が、最近のウルトラ作品の黒部進氏とダブるせいでしょうか。
全盛期を知る者にとっては、老兵がわが身にムチ打つのは見たくないですね。

いつまでも過去のヒーローでもないでしょうと。
ちょっと辛口な締めでした。お許し下さいcoldsweats01

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2009年1月 5日 (月)

第三の必殺

いつも通う、美味しいラーメン屋さんnoodle
今日も暖簾をくぐって、期待しながら馴染みの椅子に腰掛ける。

このお店のメニューは一つだけ。「ラーメン」。
コップの水を飲むのももどかしく、自慢の味をオーダー。
出されたアツアツの一杯。レンゲですくう最初のスープが極上で・・・

あれ?舌に感じる違和感に、思わず口をつく疑問。
「ご主人さん、味、変えた?」
職人気質のご主人、眉ひとつ動かさず
「新メニュー。激甘・クレープラーメンだよ。人気あるんだぜー。」
「えーっ?昔の味は?」
「あれは通好みだが頼む客が少ねえんで商売にならねえ。もう作らねえよ。」
「なんだー。それならメニューに書いておいてよ。激甘ラーメンって。」
「何言ってやんでえ。麺も入ってりゃ具も同じ。味が違うだけじゃねえか。
ウチじゃこれを「ラーメン」って呼ぶんだよ。」

「そりゃラーメンはラーメンだけど・・・」


私にとって、昨夜放送された『必殺仕事人2009』はそんな番組でした。

放送後、私はHDD録画したそれをDVDにダビング、「ネヴュラ座」で二回ほど見ました。でもやっぱり、最初に受けた印象は変わりません。
その印象の多くは、一昨年に放送された『必殺仕事人2007』の感想と重なるものだったので、あえてお話しするのは避けましょう。


拙記事をご覧になりたいという奇特な方は、こちらまで。
2007年7月8日(日)『右手の刃が鈍る訳』

http://spectre-nebura.cocolog-nifty.com/cultnight/2007/07/post_eeb5.html

実際の所、そんなつるし上げのようなお話は、する方も聞く方も気持ちのいいものではありませんので、もう口を拭っておこうと思います。
ですから、今作の内容について重箱の隅をつつく事は、あえてしません。
言いたい事はカット数の数、放送時間の100倍はあります。
旧作ファンの憤懣やる方ないお気持ちも、痛いほどよく分かるつもりです。
ただ、それを話したところでまるで筋違い、むしろ制作側の思うツボ。
まー冒頭の一幕が゜、私の印象を全て言い表しているという事ですねhappy01

今回お話したいのは、何故今、そういう旧必殺テイストのかけらも無い作品が、必殺ブランドの王道として制作され続けているか、という点についてです。
まあこれは、長きに渡る必殺シリーズのどの作品をお好みかで受け取り方も変わってくるでしょうから、まあ古いファンはそんな風に考えた、とでも思って下さい。

今作の冒頭に『朝日放送 必殺仕事人シリーズ 30周年記念』と出るクレジット。
これを見た時、私は気づくべきでした。
この作品、「必殺シリーズ」の新シリーズではないんですね。
あくまで「仕事人」という作品の延長線上企画。要は1979年から始まった「必殺仕事人」を基とするあの「キャラクターショー」の新作なんですよ。

そもそも出発点からして、旧必殺のテイストを求める方が間違っているんです。
「鉄が」「半兵衛が」「剣之助が」っていくら言ったって、それは今作のオリジンではない。
この新作の基は「飾り職人の秀」「浪人の左門」であり、そこにあるコンセプトは「人様の命を頂戴して金儲けする悪党」じゃなくて、「世直しの義賊」なんですから。


「そりゃー制作側の言いわけじゃないの?『30周年』の表記だって単なる冠だろうし」なーんてお考えの方もいらっしゃるでしょう。
ところがですね。映像作品にとって冠というものは、それほど軽いものではありません。冠があるかないかで、スポンサーから捻出する制作費や局の制作体制はまるで変わってくるのです。
その代わりスポンサーからも「仕事人30周年なんだから、その冠にふさわしい内容にしなけりゃお金は出せないよ」なんて縛りが出てくるわけですが。

「そんな縛りがあるくらいなら、スポンサーを蹴ってでも内容を充実させるべき」というご意見もあるでしょう。
ところがこれも大きな間違い。現場の立場で言えば、スポンサーが付かないという事は、即、番組の制作中止を意味します。
内容の充実などのレベルの前に、番組企画そのものが立ち消えになってしまうんです。番組はビジネス、先立つものはヤマブキ色のなんとやら、という訳ですね。


視聴者にとっては「つまらなかったら見なきゃいい」という自由はあっても、「番組の内容に口を出す」自由は無いという事です。
もし、そこまで旧必殺にこだわるなら、スポンサーとして巨額の制作費をポンと出すか、もしくは署名活動でもして世論に訴えるしかないでしょう。
現状への不満や夢を語ることは勝手ですが、語るだけでは何も変わりません。

そこまで腹をくくる度胸があるかどうか。私財を投げ打つ覚悟はあるか。
自分の好みの作品を作るという事は、それほどまでに過酷なものなのです。


さて。そういう生臭いお話は置いといてhappy01
なぜそこまで、局側が『仕事人』という看板にこだわるのか。
今作の録画を見ながら、私も色々考えてみたんですが。
無い頭をヒネって至った結論は、やっぱり「時代の流れ」という事ですね。
まーおざなりの言い方で申し訳ありませんがcoldsweats01


「お前はあい変らずとろろ飯が好きかぁ」なんてヒガシ氏のフニャフニャのセリフをボンヤリと聞きながら、おぼろげに見えてきた考えが一つ。
それは『必殺シリーズメイン視聴者の多世代化』とでもいうものでした。
ウルトラやライダー、ガンダムなどと同じく、必殺にも視聴者世代の差が顕著になっているという事ですね。


単純に考えれば、その視聴者世代は三つに分けられるような気がします。
作風の違いじゃないですよ。あくまで視聴者側に立った見解です。
分かりやすいように、各世代がリアルタイム視聴していた作品を見てみると・・・


第一世代 1972年『必殺仕掛人』から1982年『新必殺仕舞人』まで
第二世代 1982年『必殺仕事人Ⅲ』から1992年『必殺仕事人激突!』まで
第三世代 1992年以降のTVSPから2007年『必殺仕事人2007』まで


あくまで私の印象ですので、個人個人で若干のズレはあるかもしれませんが、ほぼこんな感じに分けられるような気がします。
ここだけの私見ですので、異論がおありでしたらごめんなさいcoldsweats01
視聴者が最初に触れた必殺作品がどの世代であるかによって、必殺シリーズという作品から受ける印象はまるで変わってしまうという事ですね。

私の場合はもう、言わずもがなの第一世代なんですが、実際は完全に線引き出来ない為、「自分は仕事人Ⅰで見限った」「私は2007が必殺初体験」なんて方も多いと思います。

あくまで推測ですが、現在の必殺視聴層は、ここで言う第二世代と第三世代がメインなんじゃないかと思うんですよ。つまり人数が一番多い。

おそらく現在、データ上の必殺メイン視聴者とは、1982年の仕事人ブームで必殺視聴者デビューを果たし、以後スペシャルや劇場版などを見て過ごした世代。
そこが中核になっていて、そんな第二世代が親となり、シリーズを幼少期から一緒に見ていた彼らの子供がファンとして目覚めたのが第三世代、という訳です。

第一世代のハードな作風に対し、第二・第三世代のソフト、アイドル路線が市民権を得た結果と言えますが、そちらの作風を好む世代の方が多いのですから、制作側もそちらの方が数字を取れると思うのは自明の理。実に簡単な仕組みです。


確かに必殺シリーズは初作「仕掛人」から1977年「新・仕置人」までが一つの括りであり、圧倒的な高クォリティーを誇る事実は私も認めますが、実はそれらの名作が放送された期間は、シリーズ初期のわずか五年間に過ぎないのです。
実際の所、途中のスペシャル化を挟みつつ現在も続く必殺シリーズの大半であり初期作品の六倍、30年もの期間は、『仕事人』という冠の元に正義の殺しを行う「ヒーロー」の活躍を描くドラマがメインであった訳ですね。
で、実際に視聴率も伸びている。この事実は大きいです。


確かに後年、映像ソフトやCS放送などで旧作に触れる機会があったにせよ、人間、最初に見た物をモノサシとする強烈な習性がある為、仕事人シリーズのライトな作風、華麗(と言うのもなんですが)な殺しのシーンに魅了された者が初期作品に覚えた違和感は、かなり大きかったのではと思います。
事実その強烈な個性ゆえ、視聴者を選ぶ作風でしたからね。旧作はhappy01


逆に言えば、初期作品をリアルタイム視聴し、そのクォリティーを肌で味わう事が出来た私たち第一世代は、とても幸せな時代を過ごせたという事になりますね。
毎週、命を削る仕事師達の生き様、魂の叫びを、共に感じられた訳ですからhappy01


おそらくそのデータが明らかになったのは、一昨年の『仕事人2007』に寄せられた視聴者からの反響や視聴者リサーチによるものでしょう。
秀や勇次の活躍に懐かしさを覚え、ホスト系殺し屋が闇を走る映像に魅了された世代が、最も新作必殺を待ち望んでいる事を、制作側も把握したと推測されます。
さらにその流れを汲み、ジャニーズ系イケメンの主人公を中心に据える事で、80年代に女子高生を虜にした必殺伝説再び、と考えた戦略も、想像に難くありません。


つまり今回の新作『仕事人2009』は、前述の第二世代、第三世代の為に作られた、『80年代仕事人のハイブリッドコピー』なんです。
第一世代の私たちがいくら作風や内容について語っても、意味がないんですよ。
「志村けんのだいじょうぶだぁ」で作られた必殺のパロディに向かって、「あれは必殺じゃない」って言ってるようなものでhappy01
最初から制作側は、第一世代を相手にしていないんですから。


実はですね。私は別にその現状を、悪いと思っているわけじゃないんですよ。
元々、テレビというものはそういうメディアなんです。
番組にとって視聴率は命。第一、シリーズ初作の『仕掛人』だって、裏番組の『木枯し紋次郎』との視聴率競争の中で生まれた訳ですし。
そんな出目の必殺を、「視聴率の為にクォリティーを落とす事は」なんて言ってる方が本末転倒。もっと世の中は公平に考えないとhappy01


「だったら必殺なんてタイトルを付けないで欲しいな。見る方はどうしても、旧必殺を期待しちゃうしねえ」
それは確かにそうですね。冒頭のお話の「ラーメンという名前なのに違う味」とは、そこを言いたかったんです。
でも、その「期待させる」という作戦も、制作側の戦略の一つなんですよ。
テレビは視聴率を稼ぐ為には何でもやります。その程度はまだ可愛い方。
もっと凄い事だって(以下自粛)


だからですね。もっと見る側も賢くならなきゃいけないんですよ。
「ここは商売上の戦略。ここは本音」みたいな『選作眼』みたいなものを磨かなければいけないと思います。

ファンの中には、作品が99%の出来であっても、1%のミスを探し当てると、まるでそれが致命的なミスであるかのごとく拡大解釈、鬼の首でも取ったように騒ぎ立てる人が居ますが、だったらその人は残り99%を考える、作る能力があるのかと思ってしまいます。
99%のレベルなんてほぼ完璧。それ以上、何を望むというのでしょうか?
人間が作る物に完璧は少ないです。(あえて「無い」とは言いません)
しかも前述のように、色々な思惑が絡む番組のこと。
作る側に、思うに任せぬ事情がある事だって多いのですから。


つらつらとお話してきましたが、これが現在の偽らざる思いです。
ご意見等おありの方は、どんどんお寄せ下さいhappy01
でも、一つの光明もあるんですよ。
9日から始まるテレビシリーズ。これは確かに、前述の80年代仕事人のコピー的雰囲気が濃厚ですが、これは回が進むにつれ、どう方向転換するかはまだ未知数。視聴者の動向によってはライト路線に変わり、かつてのハードな作風が復活するかも。
いや、それらのどれとも違う、『第三の必殺』の登場だってありえます。
それは誰にも、制作側にさえ予想できません。
こういう振り幅があるから、リアルタイム視聴は楽しいんですよね。


でも。作風が最後までそのままだったら。
旧作ファンの私は、やっぱりつぶやいちゃうんでしょうね。
意味がないとは知りながら。

「冗談は、てめえだ。」なんてhappy01

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2009年1月 4日 (日)

EB.ZEN081027

えー・・・今見終わりました。
とりあえず、旧作ファンのおっしゃりたい事はよーく分かります。
すべて私も同意見です。
しかもあまりにも・・・なので、ちょっと考えがまとまりません。
いずれ感想などアップしますので、今夜はこのサブタイでお許し下さいcoldsweats01
番組をご覧になった方なら、サブタイの意味はお分かりですよね。
スタッフがあそこにこだわる訳は?何かの暗号?
(超限定話題で申し訳ありませんhappy01

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2009年1月 3日 (土)

哀愁のあかね雲

ついにと言うかやっとと言うか。ファンには微妙な再開ですが。
必殺シリーズ最新作『必殺仕事人2009』が、明日から始まりますね。
明日のスペシャルドラマに続き、9日からはレギュラー放送も。


詳しくはこちらまで。

必殺仕事人2009公式HP

http://hissatsu2009.asahi.co.jp/spdrama.html

一昨年の7月に放送されたスペシャルドラマ『必殺仕事人2007』の好評を受け、朝日放送が満を持して放つ21世紀の必殺に、期待と不安がない交ぜになっていますcoldsweats01

「仕事人2007」については放送直後、「ネヴュラ」でも感想などお話しておりますので、そちらをご覧頂ければ、私のスタンスがお分かり頂けるかもしれません。

2007年7月8日(日)『右手の刃が鈍る訳』
http://spectre-nebura.cocolog-nifty.com/cultnight/2007/07/post_eeb5.html

で、まあ、私はコテコテの旧必殺ファンなのですがhappy01 
前述の『2007』がそれなりに楽しめた理由は、ストーリーやキャラクターの配置よりも、旧作へのリスペクトや一枚絵のクォリティーが大きかったりする訳です。
現代劇・時代劇を含め、現在制作されているテレビドラマの中で、あれほど「闇の表現」にこだわった映像は、そうそう見られるものじゃありません。
さすがシリーズ初作『仕掛人』から、テレビではある種ご法度だった陰影の現出に重きを置いたカメラ・石原興氏の意地。今回の新作でもメガホンを取った石原氏の事ですから、またまた深みある映像で酔わせてくれるでしょう。

当然ながらまだ未見ですので、映像のクォリティーへの期待のみに終始してしまうところが歯がゆかったりするのですがcoldsweats01 他の部分への期待が億劫になってしまう理由はやっぱり、かつて必殺シリーズが持っていたピカレスクロマン、ハードボイルド的テイストが現代に於いて受け入れられない事情も分かっているからです。
言い切ってしまいますが、テレビ(特に地上波)はもはや、視聴層・視聴姿勢が昔と大きく変わっている。これは作り手として肌で感じる事です。


確かに今、初期必殺を再放送などすれば、それなりに視聴率も伸びるとは思うんですよ。ところがその「視聴率の理由」が違う。
以前ならそのドラマ性やキャラクターの深み、世界観に対し、視聴者は反応したんですが、今はもっと即物的な理由、「一時間のストーリーを追いながらドラマを味わう」と言うよりは、その瞬間に画面に映っているタレントのカッコ良さ、仕草やセリフに反応する訳です。
ドラマの流れではなく、一枚絵としての美しさ、クォリティーが人気に繋がる。連続ドラマ一本あたりの話数、芸人さんのギャグの所要秒数が年々短くなっている現象と似ていますね。
この視聴者の嗜好はやっぱり、現代人のライフスタイルと切り離せないと思います。要は今の人は、結末が分かっているドラマの為に、ブラウン管の前に一時間も座っているほど暇じゃない、という事なんでしょうね。


それならいっそ割り切って、必殺だって殺しのシーンだけを流す「必殺ファイト」的発想もあるんでしょうが、さすがにそこまで思い切った事は製作陣も二の足を踏むのでしょう。一応ラストの殺しに着地させる為の理由付けという意味で、それまでの40分が作られるという事ですね。
そこまで言ってしまっては身もフタもありませんがcoldsweats01 こと1980年代以降の「仕事人」シリーズは、現代人の嗜好を先取りしたかのようなこの作劇法が顕著になった事は否めません。

研究本などで見かける『「仕事人」からはバラエティー的作劇』『それは時代の要請』といった記述も個人的には非常に納得できます。
ファン大方の見解である『新・仕置人』までの旧必殺シリーズを「ドラマ」とするなら、80年代にブームを巻き起こした『仕事人』シリーズは「キャラクターショー」なのです。
制作側の思惑が変わっているのですから、ファンの好みが二分されるのも当然ですよね。


確かに旧必殺ファンにとって、80年代の仕事人ブームから受けた余波は計り知れないものがありました。受難の日々と言ってもいいでしょうcoldsweats01
「簪を回す、三味線の糸を口で引っ張る」というアクションが必殺のトレードマークになってしまったことで、あの念仏の鉄の「指鳴らし」や石屋の大吉の「クルミ割り」、知らぬ顔の半兵衛の「首手ぬぐい当て」などが、時代遅れの歌謡曲のように忘却の彼方へ追いやられてしまったのですから。
鉄サマに心酔して映像業界を目指した私など、この状況は非常に辛いものがありましたね。まるで隠れキリシタンのごとく、人目を忍んで背骨折りアクションの「素振り」に明け暮れたものです(ウソですがcoldsweats01


まあ今考えれば、あの頃のブームによって仕事人というブランドが確立され、今もこうして新作が作られるわけですから、耐え忍んだ旧必殺ファンの苦労も無駄ではなかったという事で。(うーん上から目線ですみませんcoldsweats01

でも個人的に、一昨年の『仕事人2007』に不満があったり今回の新作に不安を覚えるのは、その頃の心のしこりが残っているからなんでしょうね。
心の中でどんなに「必殺はそんなに軽くない!ルールとモラルの狭間でもがく人間のドラマなんだ!」と叫んでも、眼前に展開する映像は「カタルシスのみの時代劇ヒーローアクション」。
若くない私には、そのギャップを埋める心の弾力はもうありませんhappy01
新作を及び腰で見てしまうのは、あまりにも変容した必殺を受け止める気持ちの余裕が無いから。
これは必殺ではないと自分に予防線を張っておきたいからなのかも。


ともあれ、見てみなければ何も語れませんね。明日のスペシャルドラマ、9日からのレギュラー放送共に、現代の必殺を刮目して見ようと思います。

とはいえ、往年の仕事師の勇姿もご覧頂きたいのが、旧作ファンの願い。
ちょっと長めですが、二作ほど載せてみました。
お時間ある方はご覧下さい。


『新・仕置人』はもちろん鉄サマlovely



意外にも八丁掘の旦那は、『仕置屋稼業』が好きだったりしますhappy01

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2008年10月21日 (火)

日本一物騒な秋祭り

Photo今朝の新聞チラシですhappy01
パチンコはやらない私も、この一枚には思わず注目eye
いくら本場・名古屋とはいえ、殺しの祭りはヤバすぎるでしょーとcoldsweats01

行きたいような行きたくないような・・・
利助さんに怒られちゃうかな。
「勝負は怖いと思った時、既に負けてますからね。」Photo_5
愛しの鉄さまも待ってるし。不敵な笑みがまた素敵 lovely
こんなコピーをつけてみましたhappy01

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2008年10月 7日 (火)

秋風仕掛針

稀代の名優、緒形拳さんが5日、亡くなられていたそうで。
肝ガンだったそうですね。
葬儀は近親者だけの密葬だったとか。


普段、あまりお悔やみ記事は書かない「ネヴュラ」ですが、時々、どうしても書きたくなる事があります。おそらく、緒形拳さんは「過去の人」ではなかったからでしょう。
亡くなる直前まで精力的にお仕事をされ、周りに心配一つさせなかった配慮には、凄まじいプロ意識を感じます。
謹んで、お悔やみを申し上げます。

読者の皆さんもご存知の通り、私は筋金入りの旧必殺ファンです。
ですから今回の訃報には、本当に驚きました。
でも同時に不謹慎ながら、ある安堵感もありました。
この方は本当に、役者人生を全うしたんじゃないかと。

今日は一日中、ワイドショーなどもこの話題でもちきりでした。
昼間、自宅でお仕事をしながらも、点けたテレビから緒形さんの名前が出る度に手を止め、画面に見入るばかり。
その生い立ちから代表作、最近の様子までがこと細かく解説され、改めて日本演劇界が失った存在の大きさを痛感しました。

それらニュースの中で、訃報に対しお仲間の俳優や作品の関係者が生前の緒形さんを語られたんですが、数々の名誉ある談話の中で、私には二つほど印象に残ったお話がありました。

一つは、番組のメイク担当者のお話でした。
緒形さんは役作りに非常にこだわる方で、メイク担当者とも入念に打ち合わせをする。メイクなんて普通、担当者にお任せするもの。
わざわざ打ち合わせなんて行う役者さんは、本当に珍しいという事です。

そしてもう一つ。氏の代表作の一本「復讐するは我にあり」(1979年松竹 今村昌平監督)原作者・佐木隆三さんは、敬虔なるクリスチャンでありながら詐欺師にして殺人犯という、難しい主人公役を演じきった緒形氏について
「悪人と善人の両極端を演じられた、凄い役者だった」と語りました。


一つ目のメイクさんのお話は、氏の役者魂、芝居に賭ける姿勢を表したものと言えます。まさに現場の視点、現場スタッフにしか言えない貴重な証言と思いました。
そして二つ目。実はこれが今日の本題なんですが。
「悪人と善人の両極端を演じられる役者」という緒形氏の印象は、まさに万人が認めるところではないかと思ったんです。
特に、初期必殺シリーズに心を躍らせた方々にとっては。


訃報に対して、番組コメンテーターの何人かは「緒形氏の演じたキャラクターで一番印象深いのは、必殺仕掛人・藤枝梅安」と語っていました。
面白いことに、この傾向は関西方面へ行くほど顕著なようで、「緒形拳=仕掛人」みたいなイメージは、関東より関西の方が強いような感触を持ちました。
あくまで印象ですが。


仕掛人・藤枝梅安。
ご存知『必殺仕掛人』(1972年~73年 朝日放送)の主人公です。

確かにこの役は、当時NHK大河ドラマなどの印象が強かった緒形氏にとって、一つのターニングポイントになったと思います。
映画産業が斜陽に向かっていたこの時期、ブラウン管でお茶の間の人気を獲得する事は、役者の顔を世間に認知させる効果が大きかったからです。
池波正太郎の原作を基本アイデアとしながらも、稀代の名プロデューサー山内久司氏の手により大幅に設定を変えられた緒形梅安は、深作欣二ら巨匠の手で命を吹き込まれ、たちまち大人気となりました。
個人的には、人気のファクターは山内氏の名指揮によるものと思っていますが、その製作意図を汲み取り、演技に結実させた緒形氏の功績も決して小さくはありません。


そんな私には、前述の佐木氏のコメントによって、緒形氏と梅安が二重映しに見えてしまうのでした。

「仕事人」時代の中村主水が必殺のモノサシになっている方にはなかなか理解されにくいですが、必殺シリーズ初期、特に「仕掛人」当時は、まだまだ彼ら仕事師は「正義の味方」「無敵のヒーロー」ではなかったんですね。
「殺しのトランペット」に乗って悪人の前に颯爽と現れ、華麗な殺し技と粋な捨てゼリフで女性ファンの心までを貫くカッコよさは、まだ無かったんですよ。
確かにカタルシスは感じましたが、その裏でどこか後ろめたい、「悪が悪を裁く」的なダーティーな魅力に溢れた作品だったのです。


当然ながら、主人公だって善人じゃない。
捕まれば獄門晒し首、って時代劇ギャグじゃよく使われますが、「仕掛人」の頃はそんな冗談じゃ済まされない迫真性がありました。
ですからもう必死なんですね。昼間は病を治す鍼医者が、夜は同じ針で人を殺める殺し屋なんですから。捕まった瞬間、もう主人公達は死を覚悟しなきゃならない。
自分の行いが重罪だという事が、骨身に染みているんです。

その「温厚な鍼医者の顔」と「殺しを生業とする修羅の顔」の二面性が、このシリーズの一つの特徴でもある訳ですね。
今も使われる「顔半分に照明、残り半分は影」という必殺シリーズの代表ビジュアルは、「善人を演じる昼の顔と、殺しを行う夜の顔」という二面性を持つ仕事師のアイデンティティーを表しているわけですし。


その「二面性」というドラマの要求を最も早く体現したのが、緒形氏だったような気がするんですよ。
Photo偶然ですが、実は先日から「必殺仕掛人」の劇場版DVDを三本立て続けに見ていまして。これは後の中村主水版「必殺!」とは全く別物で、中身はテレビ版「仕掛人」のテイストを若干原作に近づけたような内容です。
必殺ファンならご存知ですよね。
その三作目にして劇場版仕掛人の最高傑作とされる「必殺仕掛人 春雪仕掛針」(1974年松竹 貞永方久監督)に、こんな場面があります。


あんこう鍋を囲みながら、浪人、小杉十五郎(林与一)に仕掛人のアイデンティティーを追求される梅安。
殺しのターゲットは盗賊の用心棒で腕の立つ武士。
針一本で立ち向かおうとする梅安に、それまでの因縁から、十五郎は加勢を申し出ます。


しかしそれを温かな笑顔で断る梅安。
「私ゃ仕掛人ですよ。あの男を仕留めるのがあたしの仕事なんだ。
それに小杉さんに助けてもらっちゃ、後で金勘定がややこしくなりますからね。」


金などいらんと言う十五郎。
その言葉に梅安はこう反応します。
顔からはにこやかな笑みも消え。
「金をとらないんだったら、なおさら人殺しなんかするもんじゃありませんよ。
人間、誰を殺したって、後で何か重たいものを背負い込むことに
なるんですからねえ。」


相手は罪もない者を十三人も殺した悪人。
斬ったって構わないと豪語する十五郎。
梅安の顔からは完全に笑みが消えます。
そこには地獄を覗いた者だけが持つ、非情な殺し屋の顔が。

「小杉さん。仕掛人は役人じゃない。もっと恨みの深い仕事なんですよ。」



会話はかなり端折りましたが、この間、正味1分10秒。
貞永方久監督によるカットバックのタイミング、スピード、フレーミングもさることながら、向かい合う両者の顔アップだけで押したこの場面で、セリフ一言毎に「鍼医者」から「殺し屋」へ変貌していく緒形梅安の名演技。
確かにテレビ版「仕掛人」とは若干テイストが違いますが、ややヒーロー性の強いテレビ版よりも、この劇場版の方が、梅安というキャラクターの深みが描けていると思います。
劇場版仕掛人の最高傑作と謳われるのもむべなるかなですね。


いつも演出第一主義、俳優は二の次という私が、なぜこの場面に感服するかと言いますと。ここは顔のアップの応酬なのでごまかしがきかない。
俳優に全て任せるしかないんです。
で、監督の気持ちとしては、このアップの応酬を任せられる俳優かどうかが最大の懸案事項な訳です。微妙な感情の変化を表情で表せ、なおかつ観客を魅了できる力量を持つかどうか。そこが重要なんですね。
たとえ狙ったカットでも、俳優が演出の要求に答えられなければ、カット割りを変えなきゃならない。
この緒形氏のアップ演技は、そうそう出来るものではありません。
緒形氏独特の技、緒形氏にしか出せないテイストと言えましょう。


斬新なストーリーやアクション、演出や音楽が話題にされがちな「仕掛人」ですが、実はその成功の影には、緒形拳という稀有な俳優の「二面性を表現できる力量」に負うところが大きいと思うのです。
私が必殺に惹かれるのは、こうした会話劇や言葉の端々から覗く、人間の深みや業、一線を越えてしまった者達が抱える苦悩の部分なんですね。
確かに興味の入口として機能するアクション、殺しのカタルシスも重要ですが、その先に見えてくる「善と悪の葛藤、殺しに手を染めてしまった後悔、あがき」みたいな人間ドラマも、必殺の大きなファクターなんですよ。
これが無かったらただの「青春殺しバラエティー」みたいで、年長者には見るに耐えないものになってしまうような気がして。
そこから先は言いませんが。


その「殺す側のドラマ」を丹念に描写したのが初期必殺であり
その為に必要な「善と悪の二面性」を描き分けられたのが
緒形拳という稀代の名優だった気がするのです。


「悪人と善人の両極端を演じられた、凄い役者だった」
こと二面性という点において、緒形拳はまさに「梅安になるべくしてなった俳優」だったのかもしれません。彼が梅安を演じていなかったら、その後の必殺キャラクターはまったく違う流れになっていたかもしれないのですから。
彼の魅力は他にも多くあり、それは後年「必殺必中仕事屋稼業」で存分に発揮されるのですが、お話がまた長くなるので、今日は梅安の話題だけに留めておきましょう。
「仕事屋」は私も思い入れの強いシリーズ。
いずれじっくりお話する機会もあると思います。


ともあれ、今日は故人のご冥福を、心から祈りたいと思います。
得がたい必殺のオリジンへ、愛と追悼の意を込めて。

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2007年12月21日 (金)

年末オタク散策

打ち合わせに出かけた街の中心部。ちょっと空き時間が出来まして。
目に付いた街角オタク物件を、あれこれ撮影してみました。

Photo
まずはここ。お世話になるCBCテレビ。





Photo_3元気な坊やが足につかまっているのは・・・






Photo_4 ご存知、ウルトラマンメビウス!さすがキー局。
放送終了後も大人気。高さも5メートル近くあるんです。

Photo_5
名古屋の皆さんを見守ってくれています。
彼がまだ現役という事は、「X」の立場が微妙ですが(笑)。





Photo_6
近くのビルの一階には、なにやら怪しい入口が。





Photo_7
さすがは名古屋(笑)。パチンコホールのようです。
必殺シリーズの台が大人気ですね。障子風の自動ドアの向こうには・・・

Photo_8
この通り。八丁堀がお出迎え。
「来るなら来てみやがれ。たたっ切ってやる!」






Photo_9
おまけ。たまに見かける住宅地の案内板。
何かに似てるなーと気になってたんです。
やっと気がつきました。




Photo_10
ナルキッソス号(笑)。
シガニー・ウィーバーも呆れ顔でしょう(爆笑)。

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2007年8月28日 (火)

月も真っ赤に染まる夜

今夜は皆既月食でしたね。全国的にちょっとお天気が悪かったようで。夏の終わりの天体ショーは皆さんの地域ではお楽しみになれたでしょうか。

私は星に関してはM78星雲とネヴュラ71くらいしか知りませんが(笑)、子供の頃は「月食」なんて聞くと何故か心もウキウキ、特別な事のように楽しみにしていたものです。
当日の夜は友人を集め月食を見ながら、遊びで友人全員がDJとなるラジカセ録音の架空ラジオ番組をでっち上げ、「月食中継」なんてしましたねー。なんておバカ(涙)。

たまたまニュースで以前の月食の資料映像を放送していて、「あー月食って月が赤く見えたりするんだっけ」なんて思い出していました。月が赤く見えるのは何も月食の時だけではありませんが、いつもと違う真紅の月は人の心をかき乱す何かがありますね。

そんな日にこのアイテムを入手出来たのも何かの示し合わせ?なんて思うのも、赤い月の印象が強すぎたのかもしれません。勿体つけすぎですね(笑)。
Photoご覧下さい。
「必殺仕事人THE HISSATSU」。
今だ人気の衰えぬ異色時代劇「必殺シリーズ」に登場した仕事師たちの武器と小道具をイメージベースに配置したフィギュアです。
昨日やっと発売されました。

ネットでこの発売を知った時から狙っていたんです。何しろアクションフィギュアやガレージキット以外で、必殺がこの手の食玩サイズフィギュアになるのは初めてですから。
メーカーの都合で発売日が一ヶ月ずれ込んだ時は、「♪幸せひとつだけえ~ 信じて待っているう~ 私の心も知らないでえ~」と「あかね雲」を熱唱(笑)。
今日無事入手を果たした時は、コタと一緒に大喜びしていました。「赤い月」に「必殺シリーズ」。偶然にしてもちょっと嬉しい夜ですね(笑)。


必殺シリーズと言えば、先日放送された「必殺仕事人2007」にも冠されている通り「仕事人」がもはや看板タイトルとして認知されていますよね。
現在好評を博しているというパチンコ台も「仕事人」ですし。
たぶん「ネヴュラ」読者の皆さんも「必殺」と言えば仕事人、というイメージをお持ちの方が多いと思います。
今回のこの商品も「仕事人」の大看板を掲げ、ラインナップのほとんどは仕事人の皆さんをフューチャー、「仕事屋」の半兵衛さんや「仕置屋」の市松、「仕業人」のやいとや等、シブい面々はまるで眼中にない様子で(涙)。
まーこの辺はいわゆる「仕事人商品」の定番チョイスですから必殺マニアには慣れっこなんですが。

Photo_2「観賞用置物」というふれこみのこのフィギュア、おそらくはキャラクターの肖像権の問題だったのでしょうが、仕事人本人のフィギュアではありません。写真をご覧頂けばお分かりの通り、あくまで「台座」と「小道具」の組み合わせです。
私、この処理は割合好きなんですよ。確かに本人のフィギュアも良いんですが、必殺シリーズというドラマの特質を考えると「武器」や「小道具だけ」というのもなかなか雰囲気があってグッド。各シリーズ毎の「主水スーツバリエーション」なんてのも見たかったですが、それじゃゴジラになっちゃうし(笑)。

先ほど開封したばかりなので全部を組み立て、配置する時間もありませんでした。ラインナップは先ほどの写真でご理解頂くとして、代表的な現物を数点ご紹介しましょう。
Photo_3まずはこれ、シリーズの顔・さらに最大にして最長老(皮肉も込めて)のキャラクター、八丁堀こと中村主水。
さすがに必殺の顔だけあってこの中村主水に関しては二種類のフィギュアがラインナップされています。
その小道具も一つは「ムコ殿」の顔、一つは「昼行灯」の顔をイメージ。
お見せするのは昼行灯バージョンです。

最近の造形レベルの素晴らしさも手伝って、どちらもそれなりにいい雰囲気を醸し出していますね。
でも何といっても必殺の見せ場は『殺し』。その主役となる武器がこのフィギュアの目玉です。主水の場合、やはり奥山新影流の冴えを見せる「お腰の物」が主役ですね。

このフィギュアの発売元、マイスター・ジャパンは、これまでも甲冑や刀など歴史上の武器を数多くフィギュア化しているだけあって、この刀の出来は素晴らしいものがあります。
この一振りが大滝秀治さんや清水紘治(旧字変換ができなくて)さんの血を吸ったのかと思うと・・・(危ない発想(笑)。

やっぱりこのフィギュアは、こんな風に小道具を見ながら仕事師達の活躍に思いを馳せる所に楽しさがあるんでしょうね。

Photo_4そしてその楽しみをさらに倍増させるのが、この「障子」。
ご覧の通り、バックからの照明によって障子に浮かび上がる仕事師達のシルエットが、数々の「名仕事」を思い起こさせる素晴らしいギミックとなっているのでした(笑)。


立体化不可を逆手に取ったかのような粋なはからい。
個人的にはこれで充分のような気がします。
「あんたの思った通りだよ。師岡さん。」の名ゼリフが聞こえてきそうです。


Photo_5さて。中村主水と来れば、この男を紹介しない訳にはいきますまい。
「出し渋ってるな」という声が耳に痛いほどです(笑)。

主水が「最大」ならこの男には「最強」の称号がふさわしいでしょう。
お待たせしました。誰が何と言おうとミスター必殺・『念仏の鉄』です(笑)。

「鉄」については今更何を語ればいいのでしょうか。松田優作の「工藤俊作」同様、既にこのキャラクターについては語りつくされた感さえあります。
パチンコ台に続き、商品名を「仕事人」と謳っているにも関わらず、「仕置人」としての生き様を貫いたこのキャラクターだけがシリーズを越えてラインナップされている事からも、彼のカリスマ的人気が窺えます。(などと書いていながら、これも語りつくされたかと半ば反省気味の私。結局私は彼の掌の上で遊んでるのね(喜)。


フィギュアの作りも他の「後輩」達とは趣を異にするもので。
なにしろ「シルエット」なんてギミックは彼の為に発案されたんじゃないかと思うくらいですもんね(喜喜)。
モデル化されたのは「旧仕置人」バージョン。
(分かる方は分かりますよね。)
彼のお酒好きを端的に表現した小道具も素敵。女性好きを表す絵草紙は置いてないのね。
でも彼は2Dマニアじゃないか(笑)。


Photo_6ところでこのフィギュア、一つだけ解せない所が。問題の「シルエット」(うーんもう「レントゲン」と言ってしまいましょう)の処理なんですが。
鉄のトレードマークとも言える「背骨折り」のシーンじゃないのです。何故か首の骨を折る場面がシルエットになっているんですよ。

これがどういう訳なのかちょっと首を傾げる所で。確かに鉄は仕置でこういう技を使う事もありましたが、あまり仕様頻度は多くなかったように記憶しています。どちらかと言えばレアケース、スペシウム光線に対するウルトラスラッシュのような扱いだった気がするんですが・・・
これには疑問が残ります。いつもの爽快な「背骨折り」じゃなかったのがちょっと残念ですね。ひょっとするとそれがLED・電池付き発光台座のシークレットなのかなと思ったり(笑)。

まー私の鉄さまですから、それくらいの特別扱いは当然よねー。なんて頭カラッポの発言をしてみたくなるのもお許し下さい(汗)。

Photo_7なんだか思い入ればっかり先走っちゃってごめんなさい。他キャラクターのフィギュアには目もくれない所も「鉄」ファンの悲しい性です。
ただ思うのは、この「必殺仕事人 THE HISSATSU」という商品、出荷点数は多くないだろうという事で。
こういうアイテムはあっという間に売り切れるか、逆にマニアックすぎて売れ残るかのどちらかでしょうね。定番商品としてシリーズ化なんてされたら、逆にこっちが驚いちゃいます(笑)。

いずれにしても、数年前には考えもしなかったこういうフィギュアが今現実に手元にある事を素直に喜びたいですね。もし皆さんも身近でこれを見かけたら、一度手に取ってご覧下さい。私の相変わらずのおバカぶりを思い出しながら(笑)。

先日、鉄について書いた過去の記事に、みみさんという方からコメントを頂きました。
鉄の大ファンというみみさんはなんと誕生日が「新・必殺仕置人」最終回の三日前だったそうです。放送データから見ればその日は1977年11月1日。リアルタイムで鉄を知らない世代が再放送やソフト鑑賞でその魅力に惹かれていく事は、古い必殺ファンとしてこの上もない喜びです。今回のフィギュア発売によって、また新たな世代が必殺シリーズに目を向けてくれる事を期待したいです。
この場をお借りしてみみさんに感謝いたします。
またご意見下さいね。


月食にかまけて、また勝手なお話をしてしまいましたね。
そういえば主水役の藤田まことさんも、「月が笑ってらあ」なんて主題歌を歌っていました。

「お前も好きだなー」なんて、私も月に笑われているのかもしれません(笑)。

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2007年7月 8日 (日)

右手の刃が鈍る訳

「ダイ・ハード4.0?」
今朝からちょっとそんな気分の私。なんと、私の住む地域のNTTサーバーが今朝から午後2時頃まで不調で、ネットがまったく繋がらなかったのです。そうとは知らず自分のパソコンやモデムの故障と思い込んだ私は、メーカーはじめあらゆる所に電話しまくり。
最後にかけた修理依頼のサービスセンターで事の次第を知り、ほっと胸を撫で下ろした訳です。
「サーバーの問題だったんだ。いやー一時はサイバーテロかと。」

そんなこんなで午前中はやきもき、午後はバタバタでもうこんな時間です。本当に時間を浪費した一日でした。
まーそんなアクシデントもたまにはあります。とにかく今記事を書ける事がなにより有難いと(笑)。

さて今日のお話、サブタイトルの「右手」を「めて」と読まれた方には既に内容はお分かりと思います。まータイムリーなネタですし、「ネヴュラ」読者ならひょっとして昨日から予想されていたかもしれませんね。そうです。そのお話です。
昨夜放送されたスペシャルドラマ「必殺仕事人2007」。
ご覧になった方も多いかもしれません。

この番組、随分前に完成していたらしいのですが、何故か放送までに随分時間がかかりましたね。ファンの間ではいつ放送されるのかが話題の中心でした。07年7月7日という大変縁起の良い日に放送日を持ってきたのは制作側の意図か、はたまた単なる偶然だったのでしょうか。朝日放送の山内プロデューサーなら考えそうな事ですが今回は違う方ですし(笑)。

多くの皆さんは「昔の必殺が好きなオタクイーンの事だから、きっとこの番組をボコボコにするんじゃないの?」なんて思われている事でしょう。
でも、意外とそうでもなかったりして(笑)。

こういう番組に対して怒りを覚えなくなったのは私も年をとった証拠かもしれませんが、正直な所「あ、それなりに頑張ってるな」というのが鑑賞後の印象でした。
それはファンとしてだけでなく、いろいろな思惑をない交ぜにしつつ作品を作らねばならない制作陣の思いが透けて見えてしまう、悲しい性ゆえなのかもしれません。
ご覧なった皆さんはどんなご感想をお持ちになられましたか?

今日このお話をするに当たって、「仕事人」をキーワードに感想が書かれたブログをざっと検索してみました。(番組公式サイトの掲示板も見ましたが、やっぱり投稿する人ってご贔屓筋すぎてあまり参考にならず(笑)でも今回に関して言えばもう制作側の思惑は大成功。朝日放送のしたたかな戦略は見事に功を奏したと言えます。
ご興味ある方は検索してみて下さい。その9割はジャニーズ3人出演について、その内また9割が大倉忠義にキャ~、という女性ブロガーの感想だったのでした(爆笑)。
良くも悪くもこれが現実。そして視聴率アップの最短手段なのです。
掲示板ではごくまれに旧必殺ファンの方から「あれは必殺じゃない。昔のテイストの必殺を見たい」的なご意見がありましたが、この場をお借りして言わせて下さい。
「そうおっしゃるからには、貴方の頭の中にはさぞや素晴らしい「昔の必殺テイスト」のオリジナルストーリーがおありなんでしょうねー。」
旧必殺を支えた名匠たちが第一線から退いて久しい現在。今、旧作のハードなストーリーを作品化する事は、いかに現場スタッフの充実を図っても至難の業なのです。「スタッフは昔の必殺を見ていない」というご意見に至っては失笑もので。その発言が出た段階で、投稿者の素人ぶりが白日の下に晒されてしまうのです。投稿者は今作の監督をご存知無かったようですね(笑)。

ここで難しいのは、前述のような筋金入りの旧必殺ファンの(憤懣やるかたない)立ち位置なんですが(笑)、実はこれはまるで筋違い、ゴジラファンがUSA製ゴジラに向かって「あれはゴジラじゃない」と言っているようなものじゃないかと思います。

たとえ藤田まことが中村主水を演じていようと、要所要所に「荒野の果てに」が鳴り響こうと。あれが「必殺」と思うから腹が立つのです。
あれは「必殺に似た何か」(笑)。

おそらく旧必殺ファンはその思いを、1982年あたりの「仕事人ブーム」の頃からずっと抱き続けてきたと思います。ですから今回の特番もまったく期待していなかった筈。
実は私もそうですから。
こんな時、旧ファンはこの言葉を呪文のように唱え、自分を納得させていました。

「あれは『仕事人』。『必殺』じゃない。」

面白かったのは前述の検索ブログの内容で、全体の傾向として「新仕事人」あたりを知っている事が既に通、マニアという共通認識があるんですよ。
「大倉君は三田村邦彦に比べたらまだまだねー」みたいな。
しかも、ストーリーについては「暗い」「もうちょっと笑いがあっても」というものが多い。
これは、現在テレビ番組を支持するメイン視聴者の層を把握する上で実に興味深い事だと思います。

今、必殺という言葉に反応する層の大部分はそういう年代なんですね。
制作陣はこのターゲットを実に正確に把握し、ど真ん中ストレートのおいしい料理を作って差し出した訳です。
これは視聴率を上げる為の措置としては実に正しい。

私はこの姿勢を実に潔いと思いました。
実際のところ、旧必殺ファンや私のようなコテコテのマニアに受ける番組を今作っても、昨日の作品ほど話題にはならなかったでしょう。これは今の視聴者が「必殺」という番組に持つイメージが、ジャニーズメンバーが出演する事(前述のファンには東山氏なんて既に眼中に無いんですが)を差し引いても、「明るく笑えるストーリー」「華麗でカッコよく、浮世離れした殺しのシーン」などである事を如実に表しています。
いいんじゃないでしょうか。これはこれで。

ところが昨夜の「2007」、これで終わるほど単純な構造ではないと、私のようなおバカは考えてしまいました。
今回、私が着目したのは二点。そして最近の必殺が抱える「パワーバランス」が一点。
一つ目の着目点は「脚本」です。

今回、この「2007」に関しては、おそらく殺しのシーンを完全に「別コーナー」と割り切って、それ以前のドラマに心血を注いだ形跡が見られます。
セリフの端々に、ソフトにくるんでいるものの旧必殺ファンへのさりげない目配せがあるのです。

例えば花御殿のお菊(和久井映見)に呼び出された中村主水(藤田まこと)が彼女に進退を尋ねられ、諦め気味に放つ、
「役所勤めが終わったらな。家、出てってくれって言われてんだ」というセリフ。
旧必殺ファンならこんな八丁堀は見たくない。でも彼にそんな無様なセリフの中に「もう昔の必殺ではないんですよ」という脚本家からのメッセージが見えます。

逆に、今回の犠牲者の一人となる小料理屋女将・薫(原沙知絵)が、夫の仇加賀谷玄衛門(佐野史郎)の前で自害直前に放つセリフ。
「お前達のこの屋敷、私の血で汚してやる。私の血はこの雨と共にこの庭に染みこみ、屋敷中に行き渡る。やがてこの加賀谷は崩れ落ちる!」
この一言に込めた、虐げられた女の凄まじいまでの怒りと怨念は、仕事人ブームの頃の作風とはやや趣を異にすると思います。どちらかと言えば旧必殺、「仕置人」あたりで出てきそうなセリフです。

今作の脚本を担当した寺田敏雄は「エスパー魔美」などのライターとして知られますが必殺は初登板。
彼は旧必殺ファンだったのではないでしょうか。
脚本は制作主である朝日放送、テレビ朝日の意向を組み入れて作るものだけに現在の視聴者ニーズに逆らう事は出来ませんが、その枷の中に彼が密かに入れ込んだ「旧作へのリスペクト」(オマージュではなく)を見逃さないのも、ファンに与えられた特権のような気がします。

二つ目の着目点は「美術・照明」です。
「2007」は必殺初となるハイビジョン撮影でした。フィルムとは大きく異なり、細部まで捉えられてしまうこの撮影方法により、美術や照明の立て込み、作りこみにも相当な手間がかけられたのではと推察します(冒頭の火事シーンの迫力、要所要所のクレーンカットの素晴らしさも含め)そういう意味で、画面作りに関する限りこの作品には破格の予算が投入されているのではと思います。
照明機材の豪華さも尋常ではない。私は特に、仕事人たちのアジトとなる「三番筋の裏通り、尼寺裏門近く」の美しさには息をのみました。稚拙な表現ですが、さながらAFVモデラー・バーリンデンが自作モデルに施すドライブラシにも似た「光の階調」をあの照明に感じたものです(ワケがわかりませんね(笑)。
照明・林利夫、美術・原田哲男の見事な仕事ぶりを見るだけでも、この作品の価値は充分にあると感じました。

さて。やや褒めちぎってきましたが、問題は最後。
「最近の必殺が抱えるパワーバランス」についてです。

関係者の方がご覧になられていたらお許し下さい。あくまで個人的な感触です。
「必殺商売人」で監督デビューし、「必殺始末人」あたりから顕著になってきた石原興監督の作風についてですが。
カメラマンとして必殺初期からシリーズを支えてきた石原氏は、今や必殺スタッフの中でも最古参の一人に数えられる存在。

テレビ屋の端くれとして申しますが、番組というのは古くから関わってきたスタッフの発言力が年々増していくものなのです。「この番組はこういうスタイルなんだから」という意見は、新スタッフには反論しにくいもの。
これを「番組の動脈硬化」と言います。
必殺にも、この動脈硬化が起こっているような気がするのです。

その元凶が石原氏一人とは言いません。しかしながら石原作品を見るにつけ、良くも悪くも彼の個性が作品の品格に影響していると感じるのは私だけでしょうか。

それは「簡潔すぎるタイトルバック」
「カット頭からアクション始めまでの「間」の短さ」
「無理矢理なインサートカットの挿入」
「余韻の無いエンディング」などなど・・・

これらを見るにつけ、私は以前お仕事を共にしたカメラマンのセリフを思い出します。
彼はこう言いました。「カメラマンは絵が可愛い」。
つまり、カメラマンは自分が撮った映像に惚れこむ。それが編集によって不要なカットになる事が耐えられない。ストーリーを犠牲にしても惚れた映像を使ってもらおうとするんです。

カメラマン出身の石原監督にも、そういう「ストーリーより絵を優先」という匂いが若干見られるような気がするのです。あくまでも私の印象とご理解下さい。
ですから今回の「2007」も、一つ一つのカットは本当に凄い。正直、ここまで凄い映像はテレビでも少ないでしょう。でも編集がちょっと辛い。人間の生理に合っていないような気がします。

例えば前述の「薫の自害」シーン。
(番組開始後1時間18分頃です。録画された方はご覧下さい。)

本来私の生理なら、この薫の「恨みの遺言」はワンカットで押していくか、センテンスごとに3カットに分けられると思います。
ところが完成作品では2カット、それも最後のセンテンス「やがてこの加賀谷はく」でカットを割って「ずれおちる」でややアップのカットとなっているのです。

これはおそらくカメラのピント合わせの問題、もしくはドリーの限界だったと推察されますが、私はあの繋ぎでせっかくのエモーションが断ち切られてしまった。
こういう場合、現場ではロング、アップ両カットともセリフ終わりまで収録し、後に編集で繋ぐのが定石です。そうしなければ微妙なセリフの「間」が再現できないからです。ですからおそらくあのサイズ違いの2カット、原沙知絵はセリフを最後まで言っているはずなんです。どこを編集ポイントにしても成立する筈。
しかし石原氏はああ繋いでしまった。これはやはりカメラや機材の事情など、「絵」を優先させる石原氏の思惑が絡んでいるのではと思えてしまうのです。

ちょっと専門的なお話になってしまいましたね(笑)。このカット割りの事情にお詳しい方、ご意見ぜひお寄せ下さい。私も勉強させていただきたいと思います(笑)。
カメラマンと監督の才能は似て非なるものと私は思います。まれに両方の才能を併せ持つ逸材も居ますが、その多くはどちらかの素養への傾向が強い。これは良い悪いの問題ではありません。どちらも映像作品には欠くべからざる才能であり、その両輪がうまく作用しなければ作品は成立しないのですから。

「必殺」のお話からちょっと外れてしまいました。いつもながらおバカな私。
でも今回の「2007」、決して出来は悪くないと思います。
ですが「良い悪い」と「好き嫌い」は別で・・・
「勢いは買うけどベクトルが違う」という感触でしょうか。
私の「旧必殺好き」は、もう治らないようです(笑)。

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2007年5月 1日 (火)

サキエルの立場は

今日の新聞折込Photo_752 チラシ。    










マヤちゃんのあまりのボケに、動揺を隠し切れない秀さん。
Photo_753  










奥山新影流VSプログレッシブナイフ。
シンジ君不利かも(心配)。
                                                                                               

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2007年3月 9日 (金)

あんかけの主水は何を想う

「あれーっ?」
今朝9時11分。たまたま点けたテレビをチャンネル換えしている内に、一瞬映った「必殺仕置人」第一話「いのちを売ってさらし首」のクライマックス。

こういうのってたとえ半秒でも分かりますねー。そりや穴の空くほど見た必殺シリーズですから、セリフの順番からカット割まで反射的に思い出せる。
当然チャンネルはそのまま。「こんな時間になぜ仕置人?」と期待していたら、ほどなくスタジオには見慣れた長いお顔が。

この番組はNHK総合の朝ワイド「生活ホットモーニング」。
今日は「この人にトキメキっ!」というトーク企画で藤田まことさんが採り上げられていたのでした。

スタジオには藤田さんがゲストとして呼ばれ、過去の経歴から近況までを語るという内容。
この番組は朝8時30分からの放送でした。私がテレビを点けたのは9時11分でしたからトークはもっと前から始まっていたのでしょう。お話は丁度藤田さんの経歴が「仕置人」に差し掛かったところで。運が良かった(笑)。

Photo_563 「必殺シリーズ」の顔、藤田まこと。
シリーズ中最多出演を誇り、名実共にシリーズのイメージを決定付けたキャラクター「中村主水」を演じた俳優さんです。

シリーズを通じてほとんどの作品に出演している事からも、この主水の人気の高さが窺えますね。「必殺」と言えば「ムコ殿」というのが一般の方々の認識ですもんね。
同心という立場でありながら、裏では非合法に悪人を始末する「殺し屋」の顔を持つ彼の設定は、シリーズ開始直後も、そして今も世のサラリーマンの心を捉えて離さないようです。現在でもどこかの局で必ず過去のシリーズが再放送されている事からも、シリーズの根強い人気が証明されています。

今日の番組では藤田さんの芸歴に触れ、「必殺」以前と以後で藤田さんご本人の意識がどう変わったかを掘り下げていました。
司会者からの質問に藤田さんは「やはり『芸人・藤田』から『俳優・藤田』になったきっかけは「必殺」と語っていました。
「ネヴュラ」読者の皆さんならば、藤田さんが必殺以前に出演し、大人気となった国民的番組「てなもんや三度笠」を憶えていらっしゃると思います。

「てなもんや三度笠」。1962年5月6日から6年間にも渡って放送された公開お笑い番組でした。現在で言う「吉本新喜劇」タイプの方式で、時代劇スタイルの珍道中もの。
関西でも指折りの構成作家、香川登志緒の脚本を、「出演者に一秒の何分の一のタイミングを要求するディレクター」澤田隆治が演出した、驚異的な完成度を誇る伝説の作品でした。
全309回にも渡る大長編コメディーは関西地区で60%を超える視聴率を稼ぎ出し、今だに「関東のシャボン玉ホリデー、関西のてなもんや」と言われる程の知名度を誇っています。

この「てなもんや」で、当時売り出し中だった藤田まことは主人公、「あんかけの時次郎」を演じました。もともと長い顔と流麗なトークが売り物だった彼は、ビジュアル的にもセリフ回しも舞台向きだった訳です。
利発な坊主白木みのるを従え、明るい渡世人として口八丁手八丁で諸国を旅する時次郎のキャラクターはお茶の間に受け入れられ、彼はまさに「時の人」となりました。


番組は「三度笠」以降も「一本槍」「二刀流」と続きましたが当初の勢いは続かず、やがてシリーズは終了。藤田さんはこの「てなもんや」の看板を背負ったまま、後の仕事が決まるまで辛い生活が続いたようです。

1972年。「必殺」は当初、緒方拳主演の「仕掛人」がスタート。その高視聴率に気を良くした制作局、大阪朝日放送のプロデューサー山内久司氏は、直ちに続篇の制作を決定します。
「徹底的にテレビ化した」という山内氏の「必殺」は、図らずも時代劇の衣を被ったビカレスク・ロマンとして視聴者の共感を得、続篇「必殺仕置人」(1973年)をさらなる「テレビ化」へ誘う事となります。

Photo_564 今日の番組で藤田氏が語った、興味深いお話がありました。
「仕置人」開始当時、藤田氏は中村主水のキャラクター作りに苦心していたそうです。

「昼間は奉行所の昼行灯、夜は凄腕の殺し屋」なんて設定はそれまでの時代劇には無かったものですし、前作「仕掛人」にも類するキャラクターは出演しません。
参考になるものが何も無い上、過去に自分が演じたキャラクターは軽めの渡世人「時次郎」タイプのみ。

実際どう演じていいか分からす、「仕置人」撮影開始当初、京都撮影所での彼は「殺し屋」としての顔を意識しすぎて、いつも仏頂面を崩さなかったそうなのです。
写真は「仕置人」当時の藤田氏です。昼間も殺気を漲らせた、迫力ある「殺し屋」中村主水。

ある撮影日の朝、彼は当時の監督、三隅研次さんからこう言われたそうです。
「あんた下手やなあ。」
藤田氏の演技はまるでなってない。三隅監督にはそう映ったようで、その日の午前中は撮影中止。キャスト、スタッフを別室で待たせて二人だけの話し合いとなったそうです。

その時の三隅監督のお話はこんな内容。
「てなもんやでの明るい演技と、殺し屋としての殺気だった演技。あんたにはその二面性を求めてるんだから。」

Photo_568 山内プロデューサーはじめ、監督以下「必殺」スタッフは、藤田氏の「てなもんや」での経験を買っていたのです。昼間は「時次郎」のような明るさを見せ、夜は切れ味鋭い「殺し屋」になる。その二面性を演じられるのは藤田氏を措いて他には居ないと。
撮影を中断した午前中、三隅監督の思い、演技指導を受けた藤田氏。後年思い返しても「それが中村主水の出発点」との思いが強かったと語っていました。

後にファンの間で語られる「仕置人当時の藤田氏の知名度は「てなもんや」どまり。何故彼が起用されたのか」という疑問の裏には、新しい時代劇を模索するスタッフの努力、先見性があったのですね。
事実、藤田氏演じる中村主水ほどの二面性を持ったキャラクターはシリーズを通して見当たりませんし、彼の昼間の明るさが「殺し」という陰惨なドラマをお茶の間向け番組として成立させている事は間違いないでしょう。

Photo_565 これはプロデュースサイドの考え方です。
ファンは番組終了後、全話を見渡して研究する訳ですが、当然の事ながらキャスティングの段階では作品は一話も出来ていない。
制作側としては制作前の段階で、演出や役者の演技を予想して(ある意味期待して)キャスト・スタッフ集めを行う訳ですね。
ましてや画面に顔を晒す役者などはシリーズが始まったら「演技が下手だから」と言って変更する事など出来ない訳で。

ですから後々「成功した」と言われる番組の裏には、その番組のテイストを計算してスタッフ・キャストを集めた制作陣、そしてその願いに応えた演出・出演者の総合力があるのです。

その日以来「中村主水」を探す道を歩んだ藤田氏。彼が「主水」を掴んだと感じたのはシリーズ開始後3年が経過した頃と言います。3年と言えば「必殺仕業人」(1976年)の頃ですね。
セピア色の色彩設計、牢屋見回りに格下げされた極貧の主水、番組全体に流れる寂寥感が印象的な、シリーズ中最も「寂しい」主水が描かれた作品でした。
「仕業人」は今も根強いファンが多い作品。
あの頃藤田氏は「主水」を自分の物にしていたのです。


Photo_566 役者という存在を傍らで見ている私は、「役作り」というものの難しさがなんとなく理解できます。
架空のキャラクターと言えど、人知の及ばない宇宙人などを演じるならともかく(これはこれで難しさがありますが)血の通った人間を演じる以上、そこには感情に裏打ちされた表情、動きのリアリティーが要求されるのです。
そのリアリティーの裏には人間観察、そして与えられた役への探究心が必要なんですね。
以前シナリオの事でもお話しましたが、役者も「経験していない事は演じにくい」と言う事です。新人俳優の演技の幅の狭さ、ベテラン俳優の深みある演技の差は、そんな所に出るのでしょう。
同じセリフを何通りにも演じ分けるベテラン俳優の技を見る度に、そんな思いを強くします。

Photo_567 今日の番組終盤、藤田氏は優しい「おじいちゃん」の顔を見せました。
お孫さんからのメッセージカードを肌身離さず持つ彼は、もはや「種無しかぼちゃ」の同心ではなく何処にでもいる好々爺でした。
この藤田氏の感情、稚児に対する優しい眼差しを見るにつれ、「俳優・藤田まこと」に新たな演技の深みが加わるような気がしてなりません。

若輩の私が言うのは生意気ですが、一人のファンとして期待したいのは、人生経験を積んだ役者の顔、立ち振る舞いからにじみ出る「深み」なのです。

「必殺」も、今回スペシャルドラマとして新作が制作されたそうです。その内容は決して期待できるものではなく、また藤田氏の主水再登板も不安要素いっぱいですが、今日のトークで藤田氏が見せた「深み」がもし新作に生かされているのならば、という一点だけを信じて鑑賞に望む事としましょう。(儚い望みですが)
演技とは経験を重ねる足し算。山内プロデューサーも想像しなかった「新しい主水」が見られる事を信じています(笑)。

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2007年2月20日 (火)

大江戸カジノ・ロワイヤル

劇場鑑賞から早や二ヵ月半。
自宅で過去の作品を見返しながら劇場で初見したイメージを反芻してみましたが、なかなかそれは変わらないものですね。

「007カジノ・ロワイヤル」。
自他ともに認める007ファンの私は、劇場で新作を鑑賞する度に旧作と比べ、時期外れのこんな時にも思いを馳せたりするのです。

Photo_535 昨年末この作品が公開された時、いろいろな方のブログで感想が書かれていました。
賛否両論あって面白かったのですが、その中で共通したご意見が一つ。
「カジノシーンが少し長く感じた」というものでした。
実は、これは私も共感した事で。

いきなり私見ですが、映画という大スクリーンで見せるメディアは本来、大仕掛けなアクションやSFなど、見世物的な素材が適しているような気がします。
ジョルジュ・メリエスの昔から、映画という物は「見た事も無いものを見せる」という出目があるのです。

ギャンブルやディスカッションなど大きな動きを作りづらい場面は、実は演出家にとって最も頭の痛い、エモーションを持続しにくい部分なのではないでしょうか?
(私も自分で演出していてそう思います。つい単調なカットの切り返しが多くなってしまって)
逆に言えば、そういう場面をエキサイティングに演出できる監督は恐るべき才能の持ち主という事も出来ますが。

かねがね感じていましたが、そういう「動きを出しづらい場面」は、大スクリーンよりむしろブラウン管(今は液晶画面でしょうか)の方が向いているような気がします。
つまりテレビ画面ですね。

映画の「動」に対してテレビの「静」。これも業界でよく囁かれる事です。
暗い場所でスクリーンだけを見せる映画と、生活感が回りに溢れた部屋の中で小さい画面を見せるテレビとは、もともと選ぶ素材も演出方法も異なって当たり前なのです。

お台所で食事の後片付けをしながら、画面を見なくてもストーリーが把握できる。実はこれがテレビというメディアに向いている素材なのです。「映画は絵、テレビはおしゃべり」と言われる所以がここにあります。
シドニー・ルメット監督の名作「12人の怒れる男」(1957年アメリカ)がテレビ向き、と言われる理由もそんなところにあるのでしょう。

いつもの癖で、お話が「カジノ・ロワイヤル」から随分逸れてしまいました。
ここらで軌道修正をしますと(笑)、あの作品中、敵役のル・シッフルをカードゲームで追い詰めるボンド、という場面は、私にとって「名作番組を思い出させる」絶好の機会でした。
あの場面を反芻すればする程、ギャンブルという素材がいかにテレビのスケールに合っているかがよく分かるのです。

(いい悪いではなく、向き不向きの問題なので誤解の無いよう)

私はギャンブルなど全く才能が無く、実生活でそういう場面に出くわしても全然興味を示さないのですが、その実ドラマ作りにとって非常に魅力的な素材と感じます。
欲、かけ引き、意地、そしてカタルシス。ドラマに必要な要素の全てが「静」の場面に集約されている気がするからです。
その為テレビ番組には、ギャンブルに絡めた名作ドラマが複数存在します。
その多くはシリーズドラマの一本として放送される為、映画ほど話題に上らない事も多いのですが、それでも語り継がれる名作はあるもので。


賢明な「ネヴュラ」読者の皆さんからすれば本当に無知な私ですが、それでも「その緊張感はカジノ・ロワイヤル中のカジノシーンより上」と思った作品は二本ありました。
今日のタイトルはその内の一本を暗示したもの。(一部の方にはバレバレですが)
そうです。その作品です。「命ぎりぎり勝負を賭ける」あれです。

Lp 「必殺必中仕事屋稼業」(1975年)。
ご存知必殺シリーズ初期の作品として放送されたいわゆる「非主水作品」です。

シリーズの顔として後期必殺を代表するキャラクター、中村主水はこの頃まだレギュラー化していなかった為、この作品は傑作でありながら知名度の低い、埋もれた傑作と言えるかもしれません。
しかしながらそのクオリティーの高さは特筆もので、私の中で必殺全シリーズ中三本の指に入るほど好きな作品なのです。

くどくど説明するのも野暮なので簡単にお話しますが、
この作品は「殺し技が見所の必殺」として見ると幾分面白みに欠けます。

殺し技というより「殺しの緊張感」に重きを置いているからです。演出側から見て、「緊張感」へドラマの力点を振るのは自分で自分の首を絞めるようなものなんですが、スタッフはあえてその領域に挑戦したんですね。
しかも今日採り上げるのは、全シリーズ通しても極めて珍しい「悪役が殺されない」エピソードで。
お好きな方、この流れを読んでたでしょ(笑)。

第20話「負けて勝負」(1975年5月16日放送)。
必殺ファンの間でも今だに語り草になっているこの作品です。

私は「カジノ・ロワイヤル」を観た時、即座にこのエピソードを思い出しました。「負けて」の「勝ち」なんて(笑)。
この「仕事屋」に登場するメインキャラクター、半兵衛(緒方拳)と政吉(林隆三)は、いわゆる「殺し屋」としてのスタンスを取っていません。
と言うのは「仕事屋」=「殺し屋」ではないからです。

一言で言えば「裏の便利屋」という所なんですね。だから殺し「も」手掛ける仕事、と考えるのが妥当で。
実は二人とも、殺し屋としてはプロではないんですね。
そこに生まれる「敵に負けるかもしれない殺しの緊張感」が、ファンの心を捉えて離さないのです。


3s ところが良くした物でこの二人、恐るべき特技があります。
ギャンブルの才能です。

一か八かに強いその天性のカンで殺しの非力さをカバーしてしまう。これもファンにはたまらない設定でした。数々の修羅場をそのカンで凌いできた二人だったのですが・・・
「負けて」に登場した敵、伊三郎は、そのままギャンブラーだったのです。つまり同じ土俵での勝負という訳。
これは恐るべき敵でした。
ギャンブルの腕と才能が唯一の武器であった二人は、そのプライドを賭けて伊三郎に臨みます。
勝負はポーカー(江戸時代に!)


伊三郎は博打の腕も立つ上美形を生かしたプレイボーイ。
半兵衛は一度ポーカー勝負で伊三郎に大敗し、ギャンブラーとして伊三郎に対抗意識を持ちます。
さらに半兵衛の内縁の妻お春に言い寄る伊三郎。伊三郎はお春が半兵衛の女と知りません。(一時間番組ゆえのご都合主義と捉える事もできますが、ここはストーリーにうねりを加える為の、脚本家・田上雄の手腕と見たいですね)

天才と見られた伊三郎ですが、実は場を貸す大和屋の女主人と密通、しかもカードにイカサマを仕掛けていました。
このイカサマにより身代を潰された大店・田島屋が一家心中するに至ってシリーズの定石通り「許しちゃおけない」展開となる訳ですが・・・


ここから先は「博打で殺す」半兵衛、政吉の見事な手際の良さを味わえる、至福の時間が展開します。
実は今回、半兵衛は3重の意味で伊三郎を意識しているわけですね。
「ギャンブラー」として。「仕事のターゲット」として。さらに無意識にしろ「男」として。

この重層的な思惑が、「負けて勝負」というエピソードを名作足りえているのかもしれません。
しかし、クライマックス場面で見る者の喝采をさらうのは、実は半兵衛ではないのです。
相棒、政吉のあの「ポーカーフェイス」。そして受けて立つ伊三郎の、あのワンカット37秒にも及ぶ顔のアップ。(ここは伊三郎の表情だけでドラマを引っ張る、松本明監督と役者の戦いですね)


4s 練りに練られた脚本。張り巡らされた伏線。濃密な空気感。緩急自在のカット割の妙。
ここに至ってはもう「必殺」であるとかないとか言うお話じゃないんですね。
「ドラマ」としての完成度。テレビというメディアの特性を活かした演出の到達点じゃないかとさえ思います。

未見の方に配慮してラストはお話しません。でも半兵衛・政吉コンビは見事な仕事ぶりを見せます。
このエピソードも立派に「仕事屋」の一篇なのです。
おそらくこれも、必殺シリーズという番組が本来持つ世界観の幅なのでしょう。


ドラマの面白さや殺しのダイナミズム、照明の美しさなど数々の魅力を持つ必殺シリーズですが、実はこうした「テレビ的な緊張感」を表現した演出も特筆すべき作品群と思います。
さて、意識的に伊三郎の俳優名を伏せてみました。ここでお話しましょう。
名優、津川雅彦。津川さんの37秒アップは効きますよー(笑)。


テレビ作品のエピソード紹介も多い「ネヴュラ」。この辺のテレビシリーズってDVD化はされていても、なかなかレンタルまでされていないのが現状で。
でも偏屈な私は、「貴重な時間を返して!」と叫びたくなる作品の紹介より、たとえ見るのが困難でも名作の名にふさわしい作品をお話したいですね。
ただ、たまたま「仕事屋」は今、CSでオンエアされているそうですから(記事は偶然ですが)もし機会があればご覧頂ければと思います。

「どうせつまらないだろう」って?
賭けましょうか?う~ん。五千両!
きっと「負けて勝負」のクオリティーは、キングのフォーカードの上を行っています!(笑)

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2006年11月 5日 (日)

「必殺」の二文字が持つ意味

「まず予習だよね。」
昨夜9時から放送された「土曜プレミアム・仕掛人藤枝梅安」。
必殺好きな私。昨日はそんな気合で、昼間から「闇の狩人」(1979年俳優座=松竹 五社英雄監督)、「必殺仕掛人」第一話「仕掛けて仕損じなし」(1972年9月2日放送 深作欣二監督)なんかを見ちゃったりして。マニアのいやらしさが出ちゃってお恥ずかしい限りです。「準備万端・お手並み拝見」的な。まあ児戯にも等しいお遊びなのでご勘弁を(笑)。

さて、そんな気合で見た最新作、梅安は、やはりビデオ映像ならではの質感と、主演の岸谷五朗が醸し出す独特の世界観が新鮮で、2時間という長尺を飽きさせないものでした。

ご存知の通り、「仕掛人・藤枝梅安」は、1972年から放送が開始された「必殺シリーズ」の第一弾にして唯一の原作物。その設定やテイストにかなりの違いがあるものの、「お金を受け取り人を殺める」者達の生き様を描いたドラマの原点と言えるお話です。
主人公、藤枝梅安は、江戸品川台町で鍼治療を営む医者。しかし夜のとばりが降りると江戸の闇を駆け抜け、世の為にならない悪人を始末する「仕掛人」となります。
時代劇作家、池波正太郎が作り出したこの魅力的な人物は、その後形を変えながら闇に生きる数々の仕事師たちのモデルとなったのは言うまでもないでしょう。

やはり原作物という事で、時代劇の一キャラクターに名を連ねる仕掛人梅安。これまで番組化される毎に、色々な俳優が梅安を演じてきました。ファンとしてはこの魅力的なキャラクターを今回どんな俳優が演じるのか、という部分に最も興味が湧くもので。加えて梅安を取り巻く人物達が醸し出す雰囲気にも注意が注がれるのです。

今回の作品では、梅安役の岸谷五朗を始め、仲間の仕掛人・彦次郎役に小日向文世、小杉十五郎役に原田龍二。元締め役・音羽屋半右衛門役に藤田まこと。
この布陣は私の目には、大変手堅くまとまったものと見えました。奇をてらわない直球勝負ですね。

元来「仕掛人」という作品は主人公達の人間模様が物語の面白さに繋がっているので、演者にはかなりの演技力が求められるものなのです。ある意味「引き出しの数を試される物語」と言ってもいいでしょう。

人間臭さ爆発の、個性溢れるキャラクターが織り成すドラマのうねりの中で主役を張る岸谷梅安は、実に今回の番組のテイストを象徴していたと思います。
ドラマの空気も原作の雰囲気を生かした、しっとりとしたものでした。こういう空気を再現することはおそらく企画の段階で決められた事なのでしょう。エピソードの中身に関しては原作のいくつかが組み合わされたようですが、完成作品には池波世界が見事に再現されていたのではないでしょうか。

この「仕掛人」、原作に触れる機会も数回ありました。講談社文庫で発売された小説はもとより、池波氏の対談なども楽しませてもらったクチです。特に対談は、仕掛人が生きた時代の背景を実に趣深く感じることができました。
こんな風に時代小説に触れる機会など、オタクの私には珍しい事で(笑)。

やはりこれは、72年の「必殺」仕掛人の影響というものでしょう。今では考えられないことですが、1980年代の「仕事人」ブームの頃まで、世に出た必殺シリーズ関連の文献、研究書のたぐいなどは皆無に等しいものだったのです。必殺シリーズに心酔するマニアはそれこそ藁をもつかむ思いで池波作品に飛びついたものでした。原作の持つ、芳醇な作品世界に触れられたのもそんな経緯があったからこそ。

で、その時私は、多くのマニアが感じたものと同じ感触を原作に持ちました。
「テレビの梅安と違うじゃん!」
朝日放送版「必殺仕掛人」は、この原作とはまったく違うテイスト、内容なのです。
キャラクターだけ借りた「別物」と言ってもいいでしょう。
いや、キャラクターの性格付けさえ違う。


昨日放送された作品が原作に極めて近いテイストを持つものだっただけに、その直前「必殺」仕掛人を「予習」してしまった私は、十数年前感じたあの違和感を思い出したのでした。
主人公梅安は両方とも同じ鍼医者、殺しの手口も同じ、周りのキャラクターもほぼ同じ布陣。(これは異論もおありでしょうが。「必殺」版は原作「殺しの掟」とのキャラクターコラボが行われているので。まあ、人物の位置関係がほぼ同じと解釈していただければ)

もっと大きく言ってしまうと、どうやらこれは原作を映像化した全ての梅安と、必殺版の梅安の違いのようなのです。

昨日の「仕掛人藤枝梅安」に登場する主人公、「岸谷梅安」には、医者ならではの風格、分別が表現されていました。
「仕掛ける」という、人を殺める行為の受け取り方も常人に近かったような気がするのです。

仕掛けを行った日は家に帰りたくないとか、惚れた女と床を共にしたくないとか。血の香りを嗅いだ人間の弱さと言うかやるせなさが感じられるんですね。こういう部分は原作のエッセンスを実に忠実に抽出していると思います。
「悪人とはいえ、見も知らぬ人物を手にかける」という罪の重さも感じている。

人間ならではの矛盾も感じています。梅安は貧しい患者からは治療費を受け取りませんが、「その分仕掛けで稼いでいる」と静かに語ります。
元締め・音羽屋は「悪人を始末したお金で人助け」などと持ち上げますが、梅安はそんな事を感じてはいません。
人を助ける手で人を殺める。そんな自分の矛盾を百も承知でいながらこの世界から抜けられない。
そんな人間の心の葛藤が表現されているんですよ。

これは原作を映像化するという制作側の体制からくるものなので、その目論見は成功したと言っていいと思います。

そんな人間味溢れる原作版「岸谷梅安」に比べ、「必殺仕掛人」で緒方拳が演じた梅安はまったく違うキャラクターでした。
当時の緒方の年齢が原作の設定より若かった事もあるでしょうが、とにかくエネルギッシュ。
「悪い奴は殺っちまえばいいんだ」と言わんばかりの迫力で、アクションにつぐアクションを展開します。
一話完結ながら長期間のシリーズを引っ張っていくための措置だったのでしょう。
前述の治療とお金を巡るセリフにも、「緒方梅安」ならではの理屈が感じられる部分があります。
第一話「仕掛けて仕損じなし」で語られたセリフです。
「仕掛人稼業で稼ぐから、こうやって凝った身なりして何不自由なくうまい物も食えるんだ。だから銭金に構わず貧乏人の病を治す気にもなるんだ。」
微妙な違いですがお分かりでしょうか。「原作版」岸谷梅安と違い、「必殺版」緒方梅安は、お金が入らなければ自分が悪人側に回る事もいとわないような危なさがあるのです。

言ってみれば「無頼性」があるんですね。「危険な男」という側面が感じられます。
この原作からのキャラクター変更は緒方拳自身が行った事だそうで。後年緒方はあるインタビューで梅安の役作りについてこんな趣旨の事を語っています。
「人を治した手で人を殺す。そんな矛盾も人の心の一つよ。そんな風に考えて演じました。」
緒方梅安は悩んでいないのです。ふっきれている。
「悩む梅安」も魅力がありますが、私はこの「正毒併せ持つ男」に、さらなる深みを感じるんですね。

ひょっとして緒方梅安は、ある部分で仕掛けの仕事に中毒的な快感を感じているのかもしれませんね。劇中ではそれほど明らかにされていませんでしたが、梅安が見た世界はおそらく「人間が見てはいけない世界」。お金で人を殺める人物が徐々に倫理を蝕まれ、やがて到達してしまう恐ろしい境地なのかもしれません。

緒方梅安だけが持つ「必殺」の二文字は、原作版の梅安がその入り口で躊躇していた修羅の道を象徴していたのではないでしょうか。
後期の必殺シリーズはヒーロー性を全面に出した痛快時代劇と化していましたが、第一作「必殺仕掛人」を始めとする初期必殺には、こういった「悪を承知した男」の崩壊劇的な要素が随所に感じられたのです。


的となる相手を「必ず殺す」事を課せられた仕事師たちは、眼前で事切れる悪人に自分の末路を見ていたのでは。
「必殺」の二文字は自分にも向けられていたと。
「いずれ私も地獄道。」職業として仕掛人を選んだ原作版に比べ、必殺版は「どんなに気取っていても同じ穴のムジナ」的な無頼感がたまらない魅力を持つのです。


ただ、これは好みの分かれる所。
私はやはり、緒方梅安の信奉者です。
女って、危険な香りを持つ男に魅力を感じるものなので(艶)。

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2006年10月29日 (日)

放送VS興行

Photo_316 このテープをご存知ですか?
放送業界に携わる方なら、「もう見飽きた」とおっしゃるのでは。そうです。これは私が生業としているテレビ業界で、今も現役で使われている取材用テーブ「ベーターカム」という代物なのです。

今日、私はこのテープを大量に整理していました(500本近くあったかな)で、その内何百本かを自宅に運び込むという力仕事でもう、クタクタ。その時ばかりは「女の子」してられなかったので、思いっきり頑張っていましたが(笑)。

古いテープが見つかる度に取材当時の思い出が思い出され、ちょっと懐かしい時を過ごしましたが、そんな中でも「ネヴュラ」の事を忘れていない私。つくづくブログが生活に根付いた事を感じます。
「ネヴュラ」でもテレビドラマの魅力について何度かお話していますが、番組制作の現場を見る度に昔のような名作が生まれる素地のない事を思い知らされます。
オリジナリティーの欠如でしょうか。一つの企画が当たると、全ての番組が同じテイストで番組を制作してしまう。
昔はバラエティー番組でさえ、番組ごとに特徴があったのに。

名作と呼ばれる一話完結のテレビドラマも絶えて久しい今。まあそんな事を愚痴っていても仕方ありませんが、そうした名作テレビドラマにあった物って、いったい何でしょうか?
私などは「魅力的なワンパターン」じゃないかと思うのです。
今でも語り継がれる名作テレビドラマというのは、放送時間帯や想定される視聴者層、時代の要求などに合わせた番組テーマ、世界観、ストーリー、カタルシスの置き所、名ゼリフなどが渾然一体の魅力となって、人々の心に訴えるものではと感じます。
皆さんも「マイ・フェイバリット・テレビドラマ」を思い出して下さい。「こんな番組で」「毎回こんなシーンが必ずあって」「このセリフ聞きたさにチャンネルを合わせ」なんて絶対ありますよね。特に「セリフ」などは真似をしやすい分、放送で毎回反復されると「これを聞かなきゃ番組を見た気がしない」なんて、非常に魅力的なファクターとなる訳です。
要は「水戸黄門の法則」といった所でしょうか(笑)。

一話完結ではありませんが世界観という点では、今も作り続けられている恋愛ドラマだって確固たるものがありますよね。あのユルい世界観の縛りがあるからこそドラマが成立する訳で。出演者、演出スタイルの統一感もそうですが「主人公が最終回で宇宙人と判明、巨大化して街を破壊」なんて「月9」、見たことありませんから(ちょっと見たいかな(笑)。

こんな風にテレビドラマには、制作陣が考えに考えた「スタイル」がある訳です。名作と呼ばれるドラマは、そのスタイルに視聴者が共感した事に市民権を得、語り継がれていく訳ですね。

名作テレビドラマと聞いて私などがまず挙げたいのが(散々お話してますからお分かりでしょうが)「必殺シリーズ」。私が「一生で一度でいいから作ってみたい番組」の最有力候補です。
意外でしょ。ウルトラシリーズではないんですよ(笑)。

名プロデューサー、山内久司さんが生み出したこの名作ドラマは、前述のテレビドラマのスタイルをほぼ完璧に満たしています。
ちょっと思い出してみてください。悪人登場、弱者の被害、巻き込まれる主人公、報復の手段となる「お金」、カタルシス溢れるクライマックス。箸休めに挟み込まれるコメディーシーンに至るまで、実に計算されつくした番組設計には唸らざるを得ません。
でもこのスタイル、考えてみればヒーロードラマの定番スタイルなんですよね。
そんなパターンの中にあって、「必殺」しか持ち得ない魅力とはいったい何でしょうか?

私見ですがそれは「お金で人を始末する」という部分と、「主人公が魅力的なアウトロー」という部分に感じます。
(中村主水はアウトローじゃないって?あんないびつな人間も居ないと思いますが(笑)。

こんな風にあっさり語ってしまうと「愛が無い」なんて言われそうですが、あまりに自分との距離が近すぎて語れない作品ってありますよね。「全てが魅力」と言ってもいいシリーズですから。
そのあたりはまあ、おいおい。

「ハードボイルド時代劇」として1970年代を駆け抜けた必殺シリーズは、1980年代「新仕事人」の頃から超人気時代劇としてブレイクします。若い視聴者層をターゲットにしたアイドル的な出演者、「仕事」シーンのショーアップ化が当たったんですね。(前期必殺ファンである私はこの流れには・・・)
この人気を見逃さなかった松竹映画は、当然のように映画化に踏み切ります。80年代に量産された「必殺」劇場版がそれ。95年の「主水死す」まで都合6作品が制作されましたね。(70年代の「仕掛人梅安」、90年代以降の「始末人」「三味線屋勇次」などは傍系作品として考えますが)
この劇場版必殺、ご覧なった方はどう思われましたか?

私などは、全ての必殺映画はもう「必殺」じゃないと思っちゃうんですよね。
「必殺シリーズ」っていうのは、悪人を人知れず闇に裁くアウトローの「悲哀」のドラマだと思っている訳です。
人を殺める罪の深さ。一度手を染めてしまったら二度と幸せを掴めない仕事師の業。正義感というより「悪人の倫理観」。理想と現実の板ばさみに苦しむ人間の葛藤が魅力なんですよ。口ではどんなに悪態をついていても、心の中では確固としたルールを持つ主人公が「外道」を見た時の怒りに共感する訳です。
テレビ版の基本フォーマットは、そのドラマを描くのに実に最適でした。実際あのパターンが無かったら「必殺」じゃないといってもいいんじゃないかと。
確かに異色作もありましたが、それは毎回のパターンがあったからこそ成立する訳で。その異色作であっても、やはり最後は悪人が始末される。仕事師の葛藤の末に。ここは変わらないんです。

色々な評論でも言われていますが、劇場版必殺シリーズは一作毎にテイストが全く異なっています。ですから元々、「どこが違って」などとは語れないんです。
Photo_319 例えば、私が前期必殺テレビ版のテイストに最も近いと思う「必殺!Ⅲ 裏か表か」(1986年松竹 工藤栄一監督)にしても、これはもう「お金で人を殺める仕事師のお話」ではないですよね。
「お金を巡る巨大な裏組織の抗争に巻き込まれた、表の顔の仕事師達の末路」じゃないですか?これ。

第一、基本的に「暗殺」が暗黙の了解だった必殺のフォーマットを破っちゃってるからカタルシスが生まれない。美学がないんですよ。「小さな武器で一人一殺」の基本も破られてるから刀を持った数人を相手にできる訳が無い。要は「爆弾に竹槍で向かう事に説得力が無い」んですね。あれでは仕事師達がただの無鉄砲に見えてしまう。
もともと「必殺」は、ああいう風に大スケールのお話にすると破錠をきたす作りなんですよ。
なんかもう全ての劇場版必殺は、必殺シリーズが本来持っていた構造的問題をクローズアップしているように見えてしまって。

「必殺4 恨みはらします」(1987年松竹 深作欣二監督)では、最後に拳銃まで登場します。仕事師はああいう武器を使えない立場の者だから面白かったのに。
「ミノフスキー粒子が無くなったガンタム世界」みたいで(笑)。

時代劇としては派手で面白いとは思いますが。
演出も力が入ってましたしね。
でもテレビ版の、文字通り「剃刀のような」演出の冴えは、まさにテレビ版だから成しえたものでは、と思っちゃうんですね。

テレビ番組の劇場版に潜む落とし穴は、この「必殺」が実に雄弁に語っています。
でも私はこの劇場版必殺、別に嫌いじゃないんですよ。
むしろ同情に値する作品に見えちゃって。

もともとお茶の間に「無料で」放送するテレビ作品と、劇場で「有料で」公開する「興行」としての映画は、同じ映像作品としてもまったく違う目的で創られています。
「映画は興行収入を上げなければならない」。
映画もテレビも、見る側にとっては大した違いは無いかもしれませんが、これは天と地ほど違う商業原理なのです。

テレビと同じ事をやっていては劇場版の意味が無い。劇場版を制作する意味は「テレビでできない事を映画で制作して、テレビ版ファンの興味を引き、観客を動員する」という事なのです。
企画の段階で既に違う作品。違和感を感じるのは当然の事で。
ただ難しいのは、「テレビだから成立するお話」である見極めが企画側に無いとひどい結果になってしまうという事。

「テレビ版の延長線上のお話」ならいいんですよ。出演者はテレビ版と同じなんだから、同じテイストを求めてしまうのは当然の事で。
でも期待していたテイストが味わえない。
あえて言ってしまえば劇場版必殺は「テレビでは出来ないお話」じゃなくて、「作っても必殺の魅力が出ないから、慎重に避けてきたお話」に見えてしまうんですね。
きっと脚本陣、監督陣も苦労されたと思います。「必殺のタブーに挑戦」と言えば聞こえはいいですが、それはファンにそっぽを向かれる両刃の刃ですから。
いくら「刃」好きの必殺ファンでも、いただけないものはいただけないと(笑)。

劇場版必殺について山内プロデューサーは「松竹から持ち込まれた企画で、チャンバラを見せる事が目的」と語っていますから、テレビ版とは一線を引いていたのでしょう。
そんな意味からも、私の中では「必殺作品の鬼っ子」として愛着のある作品群です。
でも作品の出来としては圧倒的にテレビ版の方が上。お金をかければいい作品ができる訳じゃないんですね。

放送と興行。テレビドラマがある限り、この二つの相反するメディアはこれからも作られ続けていくでしょう。
ただ、テレビ版に魅了されて劇場版を観た時、その魅力を再確認させてくれる作品はほとんどありません。
私的にはやはり「住み分け」が必要と思うのですが。


Photo_318 今日の最後はこのお話で。
「ゴジラ」が毎週一話完結のテレビシリーズだとしたら、どんなストーリーになると思います?劇場版と絶対違うテイストになると思いませんか?
「流星人間ゾーン」は別にして。
あれは準レギュラーでしたから。
ね。住み分けってやっぱり必要でしょ(笑)。

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2006年9月 2日 (土)

仕置人からの手紙

私の「必殺」好きをご存知の方は、かなり昔から「ネヴュラ」をご覧の方でしょう。
以前、その思いを書いた記事に久しぶりにコメントを頂き、「必殺」オタクの血がまた騒ぎ出しました。(カテゴリー「必殺シリーズ」から入っていただければ、記事をご覧頂けます)

必殺シリーズに関しては、どれくらい語っても語りつくせない思いがあります。「特撮好きは必殺好き」なんてよく言われますが、どうもあの作品には、オタクの血を騒がせる何かがあるようです。なにしろ私が今の仕事を決めた動機の一つはこの作品にあるのですから。Photo_148
特に最高傑作の呼び声も高いシリーズ第10弾「新・必殺仕置人」(1977年)についての思い入れは尋常ではなく、昔の記事にもある通り「念仏の鉄」を演じた名優、山崎努氏に手紙を送った程。

シリーズ一作ずつを語っていてはハードディスクもオーバーフローするくらいなので(笑)今回は山崎氏から送られたご返事の手紙を元にしながら、「新・必殺仕置人」のみについて私見をお話しましょう。

1980年代に吹き荒れた「仕事人ブーム」のおかげで一気に上がった「必殺シリーズ」の知名度。実際、その時期までは、この異色時代劇の評判は一部のマニアを除いてさほど高いものではなく、私などはそのマイナー加減に喜びを感じていたのです(笑)。

その番組内容もとても一般受けするものではなく、いろんな意味でハードそのもの。深いテーマ、斬新な演出などに魅了された私は、他の番組に無い「鋭さ」を見ていました。
そんな私も、シリーズ第17弾「新・必殺仕事人」(1981年)あたりから加熱するアイドル的人気に応じ、徐々にソフト化する内容、殺しの「ショー化」に、古くからのファンの方々同様、幻滅を禁じえなかったのは事実です。

Photo_149 そんな私の唯一の心のよりどころは、前述の「新・必殺仕置人」最終回で、壮絶な最期を遂げた「仕置人・念仏の鉄」の存在でした。
旧作「必殺仕置人」(1973年)での初登場以来、その強烈な存在感で、必殺シリーズ出演の全キャラクター中かなり人気の高いこの男に、私は理想の「仕事師の姿」を見たのです。

「鉄」を演じた山崎氏に私が書いた手紙には、ある大きな質問が書かれていました。
「鉄」の役づくりについてでした。「鉄」をどんなキャラクターとして受け取ったのか。演じるに当たってどんな演技プランで臨んだのか。

まだ今の仕事に就く前でしたから、思えばぶしつけに失礼な質問をしたと反省しています。いわゆる普通のファンレターではなく、質問状のような内容だったんですね。
しかしながら山崎氏は、そんな素人の失礼な質問にも、実に丁寧に答えて下さいました。

私のお話より、本当は文面をそっくり見たいでしょ?でもそれを勝手にやっちゃうとご本人には失礼ですし、何より私宛の「ラブレター」ですから、ちょっとご勘弁下さい。差し支えない部分の内容をかいつまんでお話しましょう。
必殺ファンには当時の山崎氏の役作りの考え方が分かる、貴重な資料だと思います。
もし、(あり得ないお話ですが)山崎努さんご本人がこれをご覧になっていたら、なにとぞお許しいただきたいと思います。

意外にも山崎氏は、「鉄」の役を「力を抜いて楽しく演りました」と語っています。なるほど。鉄の「殺し屋にあるまじき余裕」は、そういう山崎氏の姿勢の表れだったんですね。
水戸黄門ほどではないにしても、最後は悪玉が退治される時代劇の通俗的パターンの中で、どれだけ遊べるか、というのが、山崎氏の願目だったそうです。

Photo_152 「仕置人」を憶えていらっしゃる方、ちょっと思い出してみて下さい。それまでの時代劇、とりわけ「殺し屋」と呼ばれたキャラクターの中で、「鉄」のようなキャラって居たでしょうか?
当時の「必殺シリーズ」プロデューサー、朝日放送の山内久司さんは語っています。「それまでテレビ時代劇に登場した多くの主役キャラは、剣一筋、女も要らぬ、信じるのは正義のみと言うものが多かった。それを全部ひっくり返したのが「必殺」のキャラ。」

プロデュースサイドの制作方針に乗ったとはいえ、前作「必殺仕掛人」の藤枝梅安(緒方拳)の影響も残しつつも、また違った役へのアプローチを、山崎氏は行った訳です。
そのアプローチが成功したのは、その後のシリーズに「仕留人」の大吉(近藤洋介)や、「仕置屋稼業」の印玄(新克利)など、鉄のイメージを踏襲したキャラクターが登場した事でも明らかです。

キャラクターとして、正義の味方ぶりにどこか照れているところ、が出来てきた、と山崎氏。水戸黄門や大岡越前に笑ってしまうお客さんと同じレベルで役を作ったとの事です。
なるほど。そういうことだったんですね!当時、私のようなおバカなマニアは、前述の二作品の良さに気がつかず、「これのどこが面白いの?」なんて笑っていましたから、ここは山崎氏の策略に見事にハマった訳です。
そしてこの後の一文が、私の思いと見事にシンクロした、素晴らしい名文。

「日常原則で生きている人間への毒矢のようなものを鉄に持たせました。」

そうですよね!鉄が魅力的なのはまさにこの部分。「あんたそんな人生で楽しいの?」と、常にアイデンティティーに揺さぶりをかける存在感が、まさに鉄の真骨頂。私が鉄に憧れるのはここなのです。「楽しい」と胸を張って言い切れない後ろめたさが、皆さんにもありませんか?
必殺シリーズの看板キャラクターとしてご存知の「中村主水」(藤田まこと)。その対極に立つキャラクター、「念仏の鉄」。当時、「昼と夜の顔を使い分ける、<羊の皮を被った狼>。サラリーマンの憧れ」として人気を博した主水の、さらに上を行くイメージが、私の中にはありました。

「鉄は世の中のシクミ(原文ママ)など、はじめからどうでもいいと思っているのです。だから世の中に対するありきたりな怒りなどありません」

そうです。鉄には世の中のルールとは別の、自分だけのルールがあり、それに触れた物だけに激しい怒りを表しました。最終回、筋に合わない殺しを行う組織への所属を示唆された時に、彼がつぶやく「外道にだけはなりたくねえよ」というセリフが、彼の心情をはっきりと物語っています。

人間、社会通念に沿って生きなければ社会というものが成立しません。しかし心のどこかに、「法では認められているけど倫理上自分は許せない!」というルールがある筈。そんな、誰にでもある自分だけのルールに忠実に生きられる鉄の姿が、人々の共感を得ない訳が無いのです。
これは近年、大人気を博したドラマ「踊る大捜査線」の主人公、青島刑事のキャラクターに酷似していますね。(そりゃ私には、鉄の方が魅力的ですが)

実はこのキャラクターは、往年のアメリカのハードボイルド作品、とりわけレイモンド・チャンドラーあたりの世界に近いのです。必殺シリーズが時代劇のハードボイルドと言われるのは、作品に流れるそんな香りのせいかもしれませんね。(後期の作品にはちょっと?も付きますが(笑)。

「必殺仕置人」オープニングの口上(新・旧共通でしたね)にある、「この世の正義も当てにはならぬ」という一文は、自分のルールを貫き通す鉄の、心の怒りをも表しているのです。

Photo_151 さて、実は山崎氏からの手紙には、まだお話していない部分があります。実は一番キモかもしれません。

「念仏の鉄」の役づくりには、元ネタがあったんです。

ただ、これは彼と私だけの秘密。ここではお話しません。
一つくらい、二人だけの秘密があってもいいでしょ(笑)。

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2006年6月22日 (木)

「鉄」に背骨を折られたい!

隣のテーブルに見えるのは、エアコンの水漏れを直すおじさんの足。そんな光景が広がるいつもの喫茶店。私は先輩の彼女とネットの話で盛り上がっていました。
「ネットで見よう韓流ドラマ」(だったかな)そんな本を大事そうに抱えた彼女はイ・ビョンホンの大ファン。彼が先日出演した「徹子の部屋」もしっかりチェックして、韓国ドラマファンのブログチェックに余念がないのでした。

「好きな俳優」なんて他愛のないお話ですが、私にとっては仕事を決める上で重要な関わりをした人物。話すには襟を正さずにはいられません。
その彼の名は「山崎努」。

黒澤明監督の「天国と地獄」で鮮烈な銀幕デビューを飾った個性派俳優、山崎努。
最近ではTBSドラマ「クロサギ」で渋い演技を披露、健在ぶりをアピールしています。
しかし私が彼にハマったのは、今を去ること29年前の1977年。大人気テレビドラマ「必殺シリーズ」第10弾「新・必殺仕置人」でした。

必殺ファンにはいまさら説明の必要も無いこの番組。低迷するシリーズテコ入れの決定打として復活した「仕置人・念仏の鉄」は、必殺の顔「中村主水」こと藤田まこととの最強タッグを見せ、視聴率上昇の起爆剤となったのでした。一流のキャスト・スタッフが生み出す珠玉の作品群全41話に駄作と呼べるものはゼロ。まさかこれが必殺ファイナル?とのファンの心配をよそに、みなさんご存知の仕事人ブームの架け橋となったことでも有名。ファンの間では中期必殺の最高傑作との呼び声も高いのです。

ハード路線の「仕置人」の中でも群を抜いて高い人気を誇る「念仏の鉄」。その魅力は数え上げればキリがありません。
昼間は骨接ぎを営み、闇の組織「虎の会」に籍を置く凄腕の仕置人。
自分の指を凶器と化し、一瞬で敵を仕留める必殺技「背骨折り」の冴え。

そして何よりも、自分のルールを曲げないハードボイルドな生き方が、私の心を捉えて離しませんでした。事実彼が、正義の為に仕置を行った事など、シリーズ全体を通じて一話もないのです。

自由人という顔を見せながらも、ストイックなまでに自分の生き方を貫く鉄の姿に、私は自分にないヒーロー像を見たのでしょう。後年、この作品を超えるテレビドラマに出会えなかった私に、「だったら自分で作っちゃえ!」と、ディレクターの道を目指すきっかけを与えてくれた作品でした。そんな私の背中を押してくれたのは誰あろう、「山崎努」その人。

4枚の便箋にビッシリと書き込まれた「鉄の役作り」についての質問。すぐ行動に移すタイプの私は、山崎氏本人にファンレターを送りました。忙しい俳優さんに手紙を出したところで返事なんかもらえないだろうと諦めてもいたのですか・・・
数日後の夕方、郵便受けを覗いた私は、驚愕の声を上げたのでした。
住所まで明記されている、山崎氏直筆のご返事。ご丁寧にも便箋2枚に綴られた手紙には、「鉄」についての思いがビッシリ。またこれがいかにも「ドラマ収録の休憩中に急いで書きました」って雰囲気で、加筆訂正しながらの書きっぷりもいかにもあの人らしい。この手紙を書いた右手で「背骨折り」(嗚呼)!後年、「鉄」の可動フィギュアを入手した折についていたご本人のサインと、手紙の筆跡が同じと判った時、さらなる感動が私を駆け抜けました。
単純な話、この手紙一通で私のディレクターへの道が決まったようなものです。
面白いドラマへの道のりはまだまだ遠いですが、私は諦めてはいません。
そして彼、「鉄=山崎努」は、私の永遠のあこがれ、理想の彼氏となったのでした。

手紙の中身を見たいって?ダメダメ。大事なラブレターを簡単に見せられません。
でも中身は「濃い」ですよ。けっこう読み応えあります。なにしろご本人の弁ですから。
ああ、必殺ファンのどよめきが聞こえる!

ところで「虎の会」って、仕置人の指名ってできないんですかね。私だったらまちがいなく
「観音長屋の鉄さん」指名。で、自分を仕置してもらうっていう。
まさに理想の死に方。
「ゴジラに踏み潰される」より「鉄に背骨を折られたい」!

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