カテゴリー「必殺シリーズ」の記事

2009年12月21日 (月)

どたんば勝負

さあ2009年も、あと10日あまりを残すのみとなりました。
お仕事納めやクリスマス、年末年始の準備など
一年の締めくくりが一気に押し寄せるラストスパート。
山積みの雑事を前に、もっと早くからやっておけばよかったと
嘆かない年などありませんねcoldsweats01

私もそろそろ、大掃除と年賀状作成に本腰を入れざるをえない崖っぷち。
そんな時にはこの一曲で、どたんば勝負を乗り切りますpunch
必殺オタクの血を沸騰させる、永遠の名曲。

イントロが流れるだけで目は血走り、体の動きは三倍の速さに!
故・緒形拳氏入魂の名場面に乗せて、お聴き下さい魂のナンバー。
ご存知、「必殺必中仕事屋稼業」劇中歌にして殺しのテーマ
note夜空の慕情』

この曲が脳内に鳴り響けば、年末の雑事もはかどる事うけあいですhappy02

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2009年4月25日 (土)

脳内必殺クライマックス

昨夜の『必殺仕事人2009』。
一応リアルタイム鑑賞しましたが、いかに新メンバーが登場しても
あの第十話のクォリティーにはほど遠く・・・

あれはやっぱり、一夜限りの打ち上げ花火だったのでしょうかweep
まあ旧作ファンの狭量な感想と、笑い飛ばしてくださいcoldsweats01

そんな事はすっかり忘れてhappy01
先日もチラリとお話しましたが、実は今、ある曲が頭から離れません。

コレがまた、モロに旧必殺主題歌のテイスト。
まー作曲が平尾大先生ですから、当たり前と言えば当たり前なんですが。

2003年、タランティーノ監督の『キル・ビル』クライマックスで
ユマ・サーマンとルーシー・リューの対決を盛り上げた名曲

『修羅の花』。


梶芽衣子が切なく歌うこの曲は、当然ながら『修羅雪姫』(1973年東宝 
藤田敏八監督)
の主題歌として、皆さんもよくご存知と思います。
この曲のあまりの素晴らしさに、私はここ数日『修羅雪姫』『キル・ビル』
両作のDVDをレンタル、真夜中に観てしまいましたmovie

いやーそれにしても私、『修羅雪姫』は初鑑賞だったんですが
あのオープニング、カット変わりと共に流れるこの曲のイントロタイミングの
なんとカッコいいこと!

で、曲そのものが必殺テイストですから
念仏の鉄よろしく、思わず右手をボキボキと鳴らしたい衝動にまで
駆られてしまいましたhappy01

「こここれは、アレンジせずにそのままメロオケにするだけで
充分、殺しのテーマに使えるぢゃないのhappy02


まースローテンポな曲ですから
最近の「♪パラパ~」で始まる、パターンのウエスタン調じゃなく
「旅愁」や「哀愁」ムードの、哀切漂うクライマックスにピッタリ。
「依頼者の恨みを背負った、哀しい大人の殺し」によく合う曲です。

私なんて最近は、ウォーキングのBGMにこの曲を聴いているくらいで。
独特のイントロが流れた途端、踏みしめる足にも力が入り
自然と眼光まで、鋭くなっちゃって。

すれ違う人たちも、きっと不思議に思うことでしょう。
「この人、なんでこんな怖い顔してるの?」なんてbleah

さて。ここで必殺フリークのお仲間に、ちょっとお尋ねします。
動画サイトで、この『修羅の花』がアップされていました。
残念ながら映像はありませんが、下記にてお聴き頂けます。

この曲がBGMだったら、どんな殺しのシーンを想像しますか?
既存の仕事師を登場させても良いですし、オリジナルキャラでもOKです。

貴方の脳内で活躍させている「マイ仕事人」の晴れ舞台に
この曲はいかがですか?
画面が無い分、想像もしやすいんじゃないかと思います。

ちょっと考えてみて下さい。
最近のジャニーズ系仕事人には、こんな大人の曲は似合わないでしょうね。
もちろん、私も毎日妄想してます。
これぞ本家必殺テイスト。ああ名場面が目に浮かぶlovely

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2009年4月19日 (日)

主題歌を探せ!

先日の雨宮部長メールの一件以来、課題創作のモチベーションも
すっかり上がった『宇宙船映像倶楽部』。
今回の募集期間も後半戦に突入し、快い追い詰められ感を楽しんでいます。

でも面白いことに、「ネヴュラ」にお越しになる部員の皆さんは
雨宮部長のことをあまり『監督』と呼ばれないんですね。
もはや私たち部員にとって雨宮慶太氏は、監督的側面よりも部長的側面が
強くなっているという事なのでしょうか
このあたり、一般ファンとの感覚の違いが感じられて面白いところです。
もちろん、監督としての実力にリスペクトするからこそ
敬意を込めて『部長』とお呼びするわけですがhappy01

さて。そんな雨宮部長の指揮の下、今回も私たちチャレンジャーは
課題となるキャラデザインやプロットの創案に勤しんでいるわけですが。
前回からくも掲載された『シオリ★』デザインでお分かりの通り
本来私は、絵心なんてまったく無いんです。
ですからやっぱり、どうしてもプロット部門に力が入ってしまいます。
もともと最初からチャレンジしていたのはプロットでしたし。

で今回も、やっぱり頭をよぎるのは
「こんな設定はどうかな」「このギミックは新しいな」
「こういうストーリーは見たことないねえ」みたいなアイデアばかりで。
どうも私は、ビジュアルよりも世界観の構築が先行するようです。
このあたり、創造者たるプランナーと表現者たるデザイナー・カメラマンの
資質の違いを感じますね。
私は根っからのプランナーのようです。
まず世界観が先に出来て、そこからキャラデザインが引き出されてくる順番。
この発想の順番ばかりは、どうにも変えられないようですね。

でもそんな中でも、お仕事で鍛えられた最低限のファクターは脳内で
同時進行するようで。

それはどういう事かと言いますと。
『この企画を相手に説明するには、どんな準備が必要か』
という事なんです。
要は、プレゼンする時の構成要素ですね。


自分が夢に描いた渾身の企画を、企画会議で上司や同僚へ説明する。
こんな機会は、過去にも山のようにありました。
企画を生業にされている方はご存知でしょうが、この『企画会議』という場は、
とんでもなく不安定な空気に左右されるものなんです。
セールストークの最初の一言を間違っただけで、企画発表そのものが
失敗に終わってしまう。


過去、こういう事がありました。
地道な下調べや関係者への根回しも完璧に行い、後は部内の承認という
ところまでこぎつけた極上の番組企画を持った、同僚のお話です。
彼は部内会議で企画を発表する順番が回ってきた時、こう切り出しました。
「皆さんにお時間を頂くほどの企画ではありませんが・・・」

これが彼の、最初の言葉でした。
彼にとって、場の空気を和ませる為にとった謙遜のポーズだったのでしょう。
しかしその直後、上司の口から出た言葉は意外なものでした。
「だったら時間のムダだから、発表しなくていいよ。」


なんという事でしょう。この最初の一言で、彼はそれまでの努力を
全てふいにしてしまったのです。
結局、その企画は最後まで発表の機会を与えられず
彼は手塩にかけた企画を手放さざるをえなくなりました。

限られた時間に密度の濃いやりとりを迫られる会議にとって
そんな「時間のムダ」のような企画を検討している暇はない。
企画者自身がそんな思いなら、検討する価値さえない。
テレビとはそういう、厳しい世界なのです。


そんな世界で、自分の夢見る企画を通そうとするなら
それなりのスキルが必要になります。

そんな思惑と利害が交錯する、身を切るような企画の現場を体験しながら
私は次第に、私なりのやり方を作り上げていきました。
それは一言で言えば、『企画のビジョンを明確にする事』でした。


「この作品はこんな感じ」なんて漠然とした雰囲気ではなく
「たとえば主人公はこんな喋り方をして、アクションはこんなカット割りで
ここのシーンはこんなBGMに乗って、駆け寄ってくる敵を
ロングから眼球への急速ズーム、みたいな」と
自分の思い描いている作品のイメージを具体的に説明する事だったのです。

要は「頭の中に、既に第一話が出来上がっている」感じでしょうか。
なんだったらその「脳内第一話」を、会議で演じられるくらいの
気構えがあってもいいくらいです。

「そこまで考えているのか」とまず相手にインパクトを与え
それから自分の考えを徐々に浸透させていく。
こういう作品を狙っているんですよ、というビジョンを
自分と相手が共有できるかどうかが、企画説明の是非を決める。
これが私が、現場で学び取った一つのやり方だったのです。



もちろんこれは人それぞれ。色々な手法があります。
私の手法だってその一つに過ぎませんし、こういう事に正解はありません。
ただ、会議なんですから、そのビジョンに異見が出たっていいんです。
極論を言えば会議が終わった時、立案者のビジョンが
ひとかけらも採用されていなくたってOKなんです。
立案者はそこで、我を通してはいけない場合もあります。
一つの立案を多角的に分析、よりよくする事が会議の目的なんですから。

実際、今回私が掲載頂いた『シオリ★』のデザインだって
雨宮部長の『シオリ★』像とは異なると書かれていますし。
でもそれでもいいんですよ。
色々な意見を持ち寄った方が、良い物は出来るんです。


でも一つだけ言えるのは。
立案者が最初に完璧なビジョンを持っているかどうか。
何をやりたいか説明できるかどうかって、作品の指針を決める上で
非常に大切なんですね。

素材が魚か肉か決まらなければ、献立を決められないのと同じです。
どんな味付けになろうと、素材そのものが変わる事はないですから。



さて。いつもの癖で前段が長くなりましたがhappy01
この「企画のビジョン」を作り上げる上で、私には重要視している要素が一つ。
「クライマックスに流れるBGM」の選定です。
そこにこだわる理由は、私の作品嗜好にあります。

昔から「ネヴュラ」にお越しの方々はご存知かもしれませんが
私が一生で一番作ってみたいドラマは『必殺シリーズ』なんです。
これまでも折りに触れ、お話してきました。
よく話題に出るウルトラ・ライダーなどのヒーローものではないんですよhappy01


現在放送されている「2009」はちょっと怪しいですがcoldsweats01
必殺シリーズはクライマックス、殺しのシーンに流れるBGM
通称『殺しのテーマ』が、非常に魅力的に演出されています。

古今東西、確かにどんなヒーロードラマも、クライマックスには
アップテンポのBGMが流れ、ヒーローはその勇壮な調べに乗って
悪を爽快に撃ち砕くのですが、ことカタルシスという点に於いて
必殺シリーズのBGMは群を抜いているように感じるのです。

あくまで個人的な感覚ですので、異論もおありでしょうがcoldsweats01


必殺と言えば例の『殺しのトランペット』が有名ですが
必殺BGMはそれだけで語りつくせない奥深さがあります。
ファンならよくご存知の「仕置人」の『やがて愛の日が』
「仕留人」の『旅愁』「仕置屋」の『哀愁』などなど
アップテンポではないのに異常なまでの緊張感と爽快感を与える
BGMも数多く、シャープな映像美とも相まって、他のヒーロー番組にはない
一種独特のクライマックステイストを形作っているのです。

そんな、他に類を見ない独特のテイストを、私は何とかして
新ヒーロー作劇の一つの「特徴」として採り入れようとしているのですが
それに当たって一つ、気づいたことがありました。
まー今さら、言うまでもない事ですが。


必殺シリーズの殺しのテーマは、すべからく番組ラストに流れる
「主題歌」のアレンジBGMという事ですね。

前期では「仕事屋稼業」の『夜空の慕情』(コレがまた名曲happy02)など
稀に例外もありましたが、いわゆる「仕事人」プランド中期くらいまでは
そのスタイルが踏襲されていました。
この「殺しのテーマが主題歌のアレンジBGM」という措置が持つ効果は
意外に軽視されているようですが、実は非常に大きいような気がするのです。
クライマックスに流れるBGMが印象的な必殺シリーズでは
主題歌の選定がそのまま番組イメージを決定し
てしまう、という事なんですね。

例えば「新・必殺仕置人」の殺しのテーマがあの『あかね雲』の
名アレンジでなかったら。
念仏の鉄の背骨折り、巳代松の「二間」、八丁堀の豪快な殺陣が
あれほど魅力的に映ったかどうか。

「仕事人」近作の、いつでも『荒野の果てに』が流れる殺しのシーンを見て
「これなら何を見ても同じじゃん」と肩をすくめた経験は
私だけじゃないと思います。
殺しのシーンとBGM、主題歌の印象をセットで覚えている前期必殺ファンの
私にとって、企画立案に当たって作品のクライマックスを重要視する上で
「そのBGM=主題歌」の想定は非常に大事なのです。

最近の深夜アニメなどと違って、私の立案企画はシーズンごとに
主題歌がコロコロ変わりませんし
バラエティー番組みたいに売り込みアーティストのプロモを
ワイプで映したりしませんからhappy01


ただそうは言っても、私には作曲の才能などありませんしcoldsweats01
自作の「主題歌」として想定するのは、やっぱり既存の曲という事になります。
「うわー気持ち悪い。オタクイーンってそんな発想法なんだー」
とガッカリされる方も多いかもしれませんがcoldsweats01 こんなもんですよ私なんてhappy01
まー一つの曲から一本の映画ができる事だってよくありますしね。
古くは「神田川」から、最近は「涙そうそう」とかhappy01
私の場合は、自作企画のシュミレーションに既存曲を当てはめてみる
という事です。


さて。この発想法、私の中ではけっこう確立されていまして。
これまで『宇宙船映像倶楽部』へ提出した応募企画には
すべてこの「想定主題歌」があります。

まーここではちょっと言えませんが、いずれも作品のクライマックスを彩る
名曲ばかりと、自分では思っていますhappy01
その「想定主題歌」を自分なりに脳内アレンジして
想定プロットのハイライトに流すわけですね。
もし企画が実現しても、別にその曲を使おうと言うんじゃないんです。
いわゆる「脳内イメージソング」とでも言うべき扱いなんですね。

しかもこの発想法、予想していなかった一つの効能もありました。
要は「作品のクライマックス」って、企画がある程度進行しないと
思いつかないという事なんです。
つまり逆に言えば、「主題歌=クライマックスのBGM」が思いつくって事は
それだけ企画が固まってきた証拠なんですよ。


「うーんここでカットが変わってキャラがこう動くでしょ。
そーしたらこのタイミングでバーンとBGMだよね。
で、あのSEと共に技が唸ると。うわートリハダが立つほどカッコイイheart01
みたいな。うーんおバカweep
こうやってBGMのタイミングさえ見計らいながら一つ一つのシーンを
脳内演出していくと、それが完成する頃にはもう
会議でプレゼンできる状態になっていると。
逆に言えば、そこまで作りこんでいないと不安なんですね。
「出来ていない所がある」みたいな「食べ残し感」がいやなんですよ。


でもまー考えてみれば、それは遠い昔、幼い頃に毎日繰り返していた
「怪獣ゴッコ」に通じるものですよね。

ソフビの怪獣をぶつけながら自分でセリフを喋り
光線まで「ビビーッ」て音をつけて。
脳内では伊福部昭や宮内國郎のBGMが鳴りっ放しでしたもんね。
そうやって今も、私は企画を考えるなんて大儀名分の下で
雨宮部長に遊ばせて貰っているのかもしれませんhappy01



さて。今回のプロット考案もいよいよ佳境に入ってきました。
課題のキャラデザインもありますから、プロットだけにも構っていられません。
漠然ですが何となく、ヒーロー像は浮かんできました。
『一筆啓上、企画が見えた』ってところでしょうか。
で、今は、クライマックスを盛り上げる「主題歌」探しにかかっています。

コレがまた楽しいんですよねー。
ちょっと今、気になっている曲が梶芽衣子の『修羅の花』。
うわーマズイ。これじゃ『キル・ビル』になっちゃいそうcoldsweats01coldsweats01coldsweats01

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2009年3月21日 (土)

小五郎はなぜ降りたのか

いやー久しぶりに、旧作・新作ファン共に黙っちゃいない作品が現れましたねhappy01
昨夜放送の必殺仕事人2009第十話『鬼の末路』。

多くのブロガー諸氏がここぞとばかりにアップされた感想の量を見ても、視聴者に与えたインパクトは大きかった事が窺えます。

旧必殺ファンにとってこのエピソードは「必殺って、もともとこういうお話だったよね。」
いわゆる仕事人ファンには、「えーっ!何なのこのハードな展開は?」みたいに映った事でしょう。

私などは劇中、小五郎(東山紀之)が源太(大倉忠義)に、また中村主水(藤田まこと)が涼次(松岡昌宏)に飛ばす激を聞く度に、これでやっと若手二人の「お遊び仕事」に
ケリがつくかなと喜んでもいたのですがhappy01
まるでお説教しているみたいでしたもんね。
「思い上がってるんじゃねえ!」「俺たちゃなあ、一つの命で繋がってるんだ。」
そうです。ヘマをすれば仲間の手で「ぶった斬られる」。
こんな事、当たり前なんですよね。それが殺しを生業とする者たちのルールです。

以前からお話しているように、本来人を殺めるという事は犯罪であるわけで
その事実は<いかに大江戸ファンタジードラマ「仕事人」であっても
避けては通れないわけです。

そこを再確認させ、仕事師の悲惨な末路を認識させてくれた
脚本・寺田敏雄氏の意地、それを受けた石原興監督のクールな作劇には
久々に溜飲が下がりました。


まー大方の予想通り、当初「2009」はワンクール放送の予定でしたから
当話を含む前後編でラストをハードに締めくくる予定だったのでしょう。
しかし番組延長の措置により軌道修正が難しく、結果的にシリーズ中盤にして
明らかに作風の違う、ハードストーリーの登場となったものと推察できます。
とはいえ、やはりスタッフは甘みタップリの「仕事人」シリーズを
何とかシリーズ初期のハード路線に戻す意欲に満ちていたんですね。
そんな気概が窺えただけでも、旧作ファンにとっては嬉しい出来事でした。


さて。今回も例によって、ご覧の方以外は放ったらかしの乱暴な感想ですがcoldsweats01
まずこのエピソードのみに関して言えば、傑作である事は間違いないでしょう。
いやー私が悪うございました。良い物は良いと素直に言いたいです。

実際、開始当初から「2009」を色メガネで見ていた私は
リアルタイム鑑賞もする気にならず、昨夜の録画を今朝見たくらいですから。
で、ひっくり返ったとcoldsweats01
これだけは最初にお断りしておきます。
重箱の隅つつきのようなアンフェアはしたくありませんので。


ただ、冒頭で褒めちぎっておきながら、やや消化不良がある感も禁じ得ません。
それは、ほんの一部に分かりにくい点があるというだけで他はパーフェクト。
近年まれに見る名作であった証でもあるわけです。



で、私が消化不良と感じた点ですが。
それは今日のサブタイトルに全て表れています。
『小五郎はなぜ降りたのか』。
まーここでストーリーを事細かにお話しするのもヤボですから
それはこちらのHPからあらすじををご覧頂くとして。


必殺仕事人2009 公式ホームページ
http://hissatsu2009.asahi.co.jp/

今回のお話は、身勝手な不安や甘えが「黒頭巾」という形を取り
江戸を恐怖に陥れる無差別殺人鬼・小山内儀助(荒川良々)を中心に
その事実を知り彼をかばおうとする母親・セツ(池上季実子)
そして使用人の乙部松右衛門(平泉成)、留吉(大富士)らが巻き起こす
極めて小規模な「お家騒動」。

セツは儀助をかばう為、乙部・留吉と共謀し、儀助の知らぬ所で今一人の使用人
喜平(内山信二)を黒頭巾に仕立て、極秘裏に殺害します。
乙部らによる喜平殺害の様子をセツが見ていた事、その後に
乙部へ礼金を渡した事から、セツがこの一件を主導していた事は明白ですよね。
結局その企みも、頭巾の裏に記されていた「たそがれを・・・」という詠を
小五郎に嗅ぎつけられた事から、仕事の線に向かっていくのですが。

ストーリーはその後、小山内家の乗っ取りを画策する乙部の反逆
喜平殺害を知った儀助のやりきれない怒りへと展開します。
「黒頭巾は、まだ、生きてる。」
セツとの絶縁宣言とも言える、儀助の心中が表れた暗く重いセリフです。
儀助を止められない事を悟ったセツは失意の中、自らの息子を仕事人に殺害依頼。
同時に、乙部と留吉もターゲットになります。

Photo
さて場面はこの後、仕事人アジトでの作戦会議となります。
なぜかここで、小五郎は仕事を降りてしまうのです。
これが私には、非常に大きな意味を持つように感じられます。
正確にはこの思いは、直後の仕事シーンを見てから感じた事なのですが。


まー源太のミスなどは「あってしかるべき事」ですし、その後の「つづく!」も
別に何という事は無いんですよ。いわゆる後引きテクの一つですし。
中村御大の殺しに至っては「お互いにこれ以上立ち回りが出来ない」
ご老体お二人の演技ですから仕方無いでしょう。
問題は、涼次の殺しです。
確かにあの場面、儀助の前にセツが飛び出した事による
「顔に似合わず情にはもろい」涼次のためらいは理解できます。
で、その直後に「何故か居合わせた」小五郎の手により
セツが一刀両断された事実も理解できます。


ただ一つひっかかるのは、この小五郎の殺しが「仕事」ではない事で。
何故なら。彼は仕事料を受け取っていない。「降りて」いるからです。

この場合、いかに涼次が情にもろくても
小五郎はセツを涼次本人に殺らせるべきでした。
いかに頼み人でも、顔を見られれば殺すしかない。これも仕事のルールです。
そういう事情なら、小五郎はあそこで手を出すべきじゃない。
涼次にセツを殺らせて、その上で涼次を「ぶった斬る」のが
仕事師のあり方ではないかと。
何しろ小五郎は、頼み料を受け取っていないんですから。
彼は頼み人にも殺しの的にも手を出せない。
逆に手を出してしまったら、もう只の「人殺し」に成り下がってしまうのです。


ここでさらに引っかかるのは儀助の母親・セツの立ち位置です。
息子を護りたいとはいえ、彼女は使用人を身代わりに殺しているわけです。
儀助を護る手段を誤ったという意味で、一番の加害者は彼女じゃないかと。
いかに頼み人とはいえ、彼女が断罪されないのは作劇上、おかしいですよね。


例えば、あのクライマックスで彼女が儀助の前に飛び出さなかったら。
彼女はその後も、のうのうと生きながらえてしまうのではと。
自分の手で息子を手にかけた罪悪感を一生背負うとしても
彼女の罪は倫理的に認められないと思うんですよね。
何らかの形でしっかりとした決着がつかなければ、視聴者には
割り切れなさが残るんじゃないかと思います。

そのドラマの重要要素である「決着」が、「顔を見られた事による偶然」
なんかで良かったのかどうか。
そこがどうにも、消化不良なんですよ。


さて。ここで再び今回のサブタイ「小五郎はなぜ降りたのか」について
考えてみたいと思うんですが。
前述の涼次の殺しの後、セツを手にかけた小五郎は、涼次のセツに対する
「頼み人だぞ」のセリフに
「俺は頼まれてねえ」と答えています。
このセリフが、非常に重要と考えるんですよ。


確かに小五郎は、アジトで涼次に「情に負けたか」と揶揄されているし
源太にも「てめえも嫌なら、降りてもいいんだぜ」と口走っているところから
ややセツに肩入れしている部分もあったでしょう。
出来の悪い息子でも、殺しを依頼する母親の気持ちを思いやる心。
だから、仕事としては受けたくない。それは感情の流れとしてあったでしょう。


ただ、こうも考えられるんですね。
小五郎は頭巾の裏に貼られた例の「たそがれを・・・」の詠により
喜平の身代わり殺しを知った段階で、事件のからくり
セツの画策を悟ってしまったんじゃないかと。

母親の辛い気持ちはよく分かる。でもその母親は頼み人となった。
だからその母親から仕事としては請けられないが、母親を許す事はできない。
だから仕事人である事を捨てて、自分の意思でセツを手にかけたと。
そういう意味で小五郎は、あえて「頼まれない道」を選んだわけです。

つまり涼次の殺しの現場に小五郎が居合わせたのは偶然ではなく
セツを狙った上の必然だったと。そんな風に思うんですよ。

あのセツの罪は、トラマの中でそれほど大きな意味を持つものと思います。


「顔を見られた偶然」などではなく、重要なキャラクターが
仕事人である事を捨ててまで許せない怒りを持つだけの意味。
情に流されるゆえ、仕事を超え「人殺し」の道に片足を突っ込む修羅の道へ。
そうとでも考えなければ、とてもあのストーリーは着地できません。

それこそ「子ども騙し」になってしまう。


ただその解釈は、同時に主水、お菊らメンバーの無能さも証明してしまいます。
そんな事情も知らず、あまりにも単純に仕事を受けてしまうお菊。
悪行にセツが加担していたかどうかも察知できず
「母親が実の息子を・・・」という同情のみで動く中村主水。
正直「ヤキが回った」と言われても仕方無いでしょう。
涼次、現太に至っては、まだ本当の意味での仕事師にもなっていません。
で、実際、ラストに至っても絶体絶命。
こんなメンバーに加え、報酬を取らず情で動く小五郎は
もはや腕はあっても、プロではありません。


一つだけ穿った見方をすれば、今話ラストの主題歌バックで
通りの葬列越しに「目の会話」を交わした、主水と小五郎の描写に
ひょっとして主水は、セツ殺しの必然性を分かっていたんじゃないか
という邪知もできますが、あの描写だけでは何とも言えませんし。

ただ主水がそれを知っていたら、あの後小五郎を斬っていたでしょうしね。
小五郎はもう仕事人ではなく、情で人を斬る人殺しですから。
少なくとも私の知る「必殺」なら、そういう展開になっていたと思いますが。


実はですね。そういう「最低チーム」の仕事稼業も、全然アリと思うんですよ。
例えば次回以後、「助け人」後半のチーム崩壊劇のような
ハードな展開も期待できるし。
そういうのって、ルーティンストーリーにはない緊迫感があるんですよね。
例えば今話ラスト、源太絶体絶命の危機を、中村主水が命を捨てて護るとか。
それを眼前にした小五郎が、改めて仕事師の業を思い知るとか。

少なくとも今回のセツ殺しで、小五郎は仕事師の道を外れてしまいましたから
今後の展開に、何らかの影響は出てくるでしょうね。

次回、それが何事もなくリセットされてしまったら
今度こそ私は「2009」を見限らなければなりませんが。



ただいずれにしてもこのエピソードは
旧作ファンにもそこまでの解析をさせるレベルに達していたという事です。
過激な表現が抑えられた現在のテレビシーンで
これほどまでに旧必殺の香りを醸し出せるとは。本当にすごい事だと思います。
改めて、スタッフの底力を思い知ったような次第です。


次回は4月10日だそうですが、個人的にはそれくらいが丁度いいですね。
あそこまで見事な引きを見せてしまうと、どんなに素晴らしい後編を作っても
ファンの期待を超える事は難しいです。ほぼ不可能に近いでしょう。

ですから、後編を妄想する時間は長い方がいい。
その妄想を凌駕する後編をもし見られたら。それは嬉しい誤算です。
今作をご覧になった方、脳内で「架空後編」を考えるのも楽しいかもしれません。
腕に覚えのある方、是非一度お考え下さい。この機会は貴重ですよ。
必殺で前後編なんて、めったに無い事ですからhappy01

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2009年3月 4日 (水)

必殺仕置人激闘編

昨日からの必殺繋がりで、今日は『仕置人』を再見しました。
DVDなんか買えない貧乏人なので、鑑賞はもっぱらLDでweep


Photoなぜか発売予告のハガキや宣材のペーパーバッグまで発掘されちゃって。
LD絶滅の今見れば、コレも時代の遺産なのかもしれませんが。

何かと忙しかったので、今日は「娯楽篇」でスカッとしたい気分でしたが、そういう時に何故か見たくなるのが第8話『力をかわす露の草』。
まー旧作ファンなら、異論はないところでしょうhappy01

旧仕置人前期エピソード中、その強さ、手強さでは群を抜く「怪物」、雲右衛門VS鉄・錠の息詰まるクライマックスは、今も語り継がれる迫力に満ちています。
二人がかりでやっと倒せる敵なんて、最近はとんと見かけませんから。
一敗地にまみれた二人の雪辱戦である所も良いですね。


加えて、中盤で見せる鉄の超人的「牢破り」も見もの。
殺し技に通じる特技がこういう形で出てくるあたり、前期必殺がいかにドラマと殺しをストーリーに関連付けていたかがよく分かります。

しかも常軌を逸した敵役・おぬいの方の行動にも、悲しいまでの裏事情が潜んでいるという。娯楽篇と思われるエピソードにさえ、こういうドラマがあるんですね。
ラスト、仕置の事実を自害としてもみ消す当主のしたたかさ、「晴れ晴れとした顔」も、大人の事情を感じさせほろ苦い笑いがこみ上げてきます。
そこが再見に耐えるゆえんでしょう。

まさにこれこそ「仕置人激闘編」。ホントに激闘してますからscissors
こういうのを見ちゃうと、旧作擁護派と揶揄されても胸を張って頷ける自信が出てきちゃって。やっぱり面白いです。仕置人はhappy01

未見の方も機会あれば、ご覧になって損はしないと思います。

一本見ちゃうと止まらないのが悪い癖。明日はハードワークなのに。
次はサスペンス篇の第15話『夜がキバむく一つ宿』見ようかなhappy01
(なんかもう、知らない方ほったらかしの日記ですね。ごめんなさいcoldsweats01


Photo_2






今日までの累積歩数・94574歩。
人類メタボーまで、あと81sandclock

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2009年3月 3日 (火)

地獄道迷い道

せっかくの桃の節句なのに、今日の名古屋は小雪交じりだったそうで。
ウチは名古屋のはずれなので、雪までは降りませんでしたが。

それでも冷たい雨の中、「イスカンダルの森」までウォーキングしてきましたrun


そのウォーキング前に、景気づけで先月27日放送の
必殺仕事人2009・第七話『金が仇』を見たんですが。

録画したまま、見ていなかったんですcoldsweats01


まーある意味、安心して見られる直球ストーリーの作品。
あい変らず、セットや照明技術など現場スタッフの力の入れ方は半端じゃありませんね。画面のクォリティーは、ひょっとしてシリーズ最高じゃないでしょうか。
この不況下、あそこまで豪華な画面は奇跡に近いです。

でも、その最高のお膳立ての中で繰り広げられるドラマは、まーあい変らずの雰囲気でhappy01
これは決して、否定しているのではありません。
ドラマがキャラクターの存在感を阻害しない作劇を製作側が意識的に行っている以上、
これも非常に真っ当な作品のあり方なのです。
以前もお話しましたが、そうでなければ、ここまで人気が出るわけがありません。

でもこの『2009』、旧必殺ファンの私から見ると、どうしてもある種の『まったり感』が
拭い去れません。「サビぬきのお寿司」みたいな感覚でしょうか。
口当たり良く、毒がなくなっちゃってるんですね。『仕掛人』~『新・仕置人』あたりまでに
感じた「見終わった後、ボディーブローのように心に響く何か」が無いんですよ。
その要因はもちろん、見る側の私にもあるのでしょう。
年齢を重ねた上の「感力の衰え」は認めざるをえません。
でもそれを抜きにしても、どうも残るものがない。


で、今日『2009・第七話』を見ていて、その「まったり感」の要因として
思い当たる点が三つほどありました。

あくまで「良い悪い」ではなく「感じた事」なので、決して誤解なさらぬよう。



一つ目はカット割りの問題ですが、これはかなり専門的な事なので、
ちょっと説明するのは難しいです。

非常に乱暴に言えば、各シーンが登場人物のフィックス画面で始まる場合が
多いという事ですね。その後のカット運びも、比較的フィックスの切り返しが多い。

この演出は画面に安定感を与えたり、状況を説明する為には最適ですが、
その反面、ストーリーに「コク」がなくなってしまう。
映像的に、ストーリーの起伏を感じづらくなってしまうんですね。
今回で言えば、例えば本編開始16分後、お座敷のシーンは三味線の音バックに
障子越しの人影から始まる、といったような「カット割りの芸」が欲しいわけです。
それをいきなり、お座敷のロングから始まっちゃうと・・・みたいな感覚ですね。
前のカットもフィックスだっただけに、ワンカット挟んで欲しかったなと。



二つ目は「殺しのシーンは仕事人目線が顕著」という事でしょうか。
要はカメラは、最初から各仕事人の側を捉えているんですね。殺しのターゲット側には構えられていない。で、案の定「いつもの殺し」が展開すると。
これは企画意図から来た演出ですから仕方がありませんが、
そういう演出は仕事人のヒーロー性を強調する一方、「今回はどこから仕事師が
姿を現すのか」というサスペンスを削いでしまう欠点があります。
旧シリーズではこの逆で、「悪役目線」が多かったので、予期せぬ所からいきなり現れる仕事師の姿がサプライズ性を非常に高めていたんですね。
「おおっ!今回はこう来るわけね!」みたいなある種のワクワク感が、
えもいわれぬカタルシスを生んでいたわけです。

旧作をご存知の方は「仕置屋」第2話「一筆啓上罠が見えた」の「飛行折鶴殺し」や、「新・仕置人」第2話「情愛無用」の「襖の奥に巳代松」みたいなシーンに
興奮されませんでしたか?
旧作でよく見られたシーンですが、後を振り返った瞬間、昼行灯から殺し屋の表情に変わる中村主水なんかも、サプライズ演出の見本のように感じるんですが。


逆に、殺しのターゲットが強いなんていうのもワクワクしましたよね。
「仕置屋」19話「一筆啓上業苦が見えた」のクライマックスなんて・・・happy02

あれは番外編中の番外編、主水をあれ以上追いつめた敵役も居ないでしょうが。
結局、敵が強くなければ、仕事師たちの強さも表現できないという事ですね。
2009第六話『夫殺し』の西村和彦なんて、そういう役どころだと思ったんですがcoldsweats01



で、三つ目。実は今回、これが一番思った事ですが。
「仕事師たちに『死の匂い』が感じられない」というところですね。


彼らの「仕事」って、人を殺めることですよね。で、『2009』の仕事人たちって、
本当にその重みを感じているのだろうか、なんて思っちゃうわけです。

まーこれも企画意図次第ですから、ここで言っても仕方がないんですがhappy01
必殺シリーズの場合、ターゲットは「悪役」「生かしておいてはならない存在」と
決まっていますから、殺しのシーンにはカタルシスがある訳です。
でもそんな中、折りに触れ仕事師たちを襲う「地獄に片足を突っ込んだ絶望感」
「二度と抜けられない業」みたいな描写って、非常に大事だと考えるんですよ。

私なんかには、必殺シリーズの仕事師たちは、
「罪を背負わなければならない稼業に手を染めざるをえなかった、悲しい者達」
という印象があります。

ヒーローじゃないんですよね。一言で言えば「アウトロー」なわけです。


さらに、彼らを襲うのは「意識」だけではありません。
以前もお話しましたが、彼らは社会的に見れば「殺しの下手人」であるわけで、
捕まれば獄門晒し首、死を免れる事はできません。

仕事師たちには「お上の名の下に合法殺人を行える特権」は無いのです。
ですから殺しに手を染めてしまった以上、彼らは一生、町方の目を窺いながら
隠匿生活を続ける以外、生きる道はないわけです。決して目立たず、ひっそりと。


さらに裏の仕事師同士の抗争だって、決して勃発しないとは限りません。
いつ寝込みを襲われ命を奪われるか。そんな過酷な毎日が待っています。
そういう意味で彼ら仕事師の周りには、常に意識の上で、また社会的にも、
自らを死に導く暗い穴が口を開けているんですね。
周りはすべて『死』と言ってもいいでしょう。


その緊張感、またそれを受け入れる覚悟が、『仕事人2009』のメンバーに
あるかどうか。これが非常に疑問なんですね。

例えば「仕業人」第2話「あんたこの仕業どう思う」で、飄々と殺しを行う
大江戸プレイボーイ、やいとや又右衛門が、殺しの前に表稼業のお灸療治を
無料で施した事がありました。
やいとやはその時、殺しに失敗した際、また捕えられた際の死を覚悟していたと思います。

これが表稼業の最後になるかもしれないから、飛ぶ鳥あとを濁さずの思いで
施しをするわけですね。
それを顔に出さないところが、やいとや自身の決意をさらに強調します。
私はそういう所に、必殺シリーズの奥深さを感じるんですね。
スーパーヒーローではない、アウトローの生きざまを。


こういう奥深さが『2009』から感じられない理由は、ひとえにキャラクター造形の
方向性の違いでしょう。

彼らが生きている「江戸」は、かつて旧作で仕事師たちが壮絶な生きざまを見せた「江戸」とは別の世界なのです。
本当に、同じタイトルでここまで世界観が違うのも珍しい。
それが悪いという訳ではないんですよ。要は「住み分け」という事ですね。


ただ思うのは、「死を覚悟した上での生きざま」があってこそ、
仕事師は仕事師たりえるんじゃないかという事ですね。
必殺の代表的口上『人のお命頂くからは、いずれ私も地獄道』は、
けっして語呂合わせのキャッチフレーズじゃないんですから。

『2009』が目指す『地獄道』とは何なのか。
そもそもそんな道など、『2009』は目指していないのか。
地獄への行き先を迷い、途方にくれるスタッフの姿が目に浮かびます。
まー私の考えが、時流に合わないんでしょうがhappy01



お仲間をはじめ、数多くの皆さんが必殺シリーズの二次創作を楽しんでおられますので、私もお遊びで、一つキャラクターを考えてみました。
もうベタベタの旧作テイストですがhappy01


このキャラクターは、すでに「死を覚悟した生きざま」を選択せざるをえません。
なぜなら。彼の体内には、今も刀の破片が残っているからです。
それは以前、敵に刺された時の刀の切っ先。

江戸時代の医療技術では取り出せないほど体に深く食い込んだ切っ先は、
傷が治ったあとも彼の体に残り、命を蝕んでいました。
刻々と心臓へ向かうたった一片の、しかし鋭利な刃。
見かけは健康に見えても、確実に死の刻は迫っています。
死期を悟った彼は、地獄への道連れを一人でも増やすため、殺しに臨むのです。


ですから彼は、この世への執着がありません。
仕事料はすべて、遊興費に使ってしまいます。
しかし自らが、地獄に片足を踏み入れていることを分かっています。
「外道を地獄に落とすにゃ、俺みたいなのが丁度良い。」
その命が燃え尽きるまで、彼は一人でも多く「道連れ」をあの世へ送ります。
悪人を仕置すればするほど、彼の生は輝くのです。


エピソードを重ねるごとに、彼の容態は悪化の一途を辿ります。
最終回。最後の大物を前に、満身創痍の彼はどんな生きざまを
見せるのでしょうか。


こんなキャラクター、今の仕事人には絶対にありえないでしょうね。
「死」をここまで突きつけられればこそ、人間は生を輝かせる事が出来るような
気がします。たとえフィクションでも、バックボーンは必要なのです。

この設定には、中村主水以下仲間の存在はおろか、殺し技さえ決めていません。
ここまでシビアな設定だと、生半可な技ではバランスが取れないかもしれませんね。
無知な私ですから、こんなキャラクターはとっくに生まれているかもしれませんが。
でも、こういう仕事師を生き生きと描ける世界観が、私の求める必殺です。
近作のファンには、お分かり頂けないかもしれませんがhappy01

新・仕置人の鉄とは違いますよ。あっちは鉛弾ですからbomb



舌足らずな上勝手な私見を、長々と失礼しました。
旧必殺ファンのたわ言と、お笑い下さい。
人間の深層に迫った面白い「必殺」を、いつか見たいものですね。
あ、このキャラクターが活躍するなら、私もパートナーとしてぜひ登場したいな。
「情報屋お託」とか言ってhappy01happy01happy01


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今日までの累積歩数・87145歩。
人類メタボーまで、あと82sandclock

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2009年2月19日 (木)

三本指の男

ずいぶん昔のお話ですが、ある殺し屋を主人公とした漫画を描いた事があります。
舞台は現代でしたが、主人公の殺し技は、なんと素手によるもの。

具体的には伏せますが、彼には「殺しに武器は使わない」というこだわり、プライドを持たせました。そのため、ドラマ運びにはものすごく苦労したのですがcoldsweats01
すでにお察しと思いますが、その主人公のモデルは誰あろう、『念仏の鉄』だったのです。
たった三本の指で人を殺める「仕置人」。
彼の豪放な殺し技は、私には非常に斬新かつ「フェア」に見えました。

これまで、必殺シリーズや「鉄」についていろいろお話してきた「ネヴュラ」ですが、
考えてみれば、殺し技について語った事はまだありませんでしたね。
そんなわけで今回は、必殺シリーズの「殺し技」に於ける、非常に偏った私見ですhappy01

昔から「ネヴュラ」をご覧の方は、私が「新・仕置人」までの前期必殺シリーズに心酔している事、中でも「念仏の鉄」ファンである事をご存知かもしれません。
なんといっても、私が今の職を目指した動機の一つは、「鉄」について語られた山崎努氏の手紙によるものなのですから。
今でも、生涯で最も作ってみたいドラマが「必殺」である事は、まったく変わっていません。
さんざんお話している「ウルトラ」や「ライダー」ではないのです。
ここたけのお話、例の「宇宙船」企画にも、その私の嗜好は大きく影響しています。
それほどまでにあの異色時代劇は、私のDNAに深く刻み込まれているのです。

1972年の「必殺仕掛人」から37年。今年も新作が放送されているシリーズの中で、数多くの仕事師が鮮烈な生きざまを見せてくれました。
しかしながら前述の通り、私の中で必殺は、1977年11月4日「新・必殺仕置人」最終回で終わっています。
それは「ウルトラシリーズは『ウルトラマン』で一区切り」という感覚に近い物です。

まー個人個人の考え方ですから、色々なご意見もおありでしょう。
でも私の中ではそうです。それは作品の出来とは関係ありません。
あくまで好みの問題ですから、誤解なさらぬようhappy01


「新・仕置人」に続く「新・からくり人」以降の作品、とりわけシリーズが「仕事人」の名を冠するようになってからは、要するに作品のターゲットが変わってしまった、言い直せば「内容が一般化」したため、私の中では「これで私は必殺から卒業したかな」的感覚が強くなりました。
ですがそれは内容が悪くなったのではなく、それまで必殺を愛していた私の嗜好と合わなくなっただけなんですね。ですからその後も、レベルは全く落ちていないと思います。
でもとにかく私は、そこでいったん「必殺離れ」しました。
その後のシリーズも見てはいましたが、どこか醒めたスタンスにならざるをえない。
私の中から、「金曜22時の興奮」は姿を消したのです。

その理由は何か。やっぱり私の中でミスター必殺は、「鉄」だったのでしょうね。
確かに「必殺の顔」と言えば今は中村主水というイメージが固定化していますが、今考えれば、私は主水ファンではなかったという事なのでしょう。

でなければ、「新・仕置人」最終回で鉄が命を散らした時、頭の中で組みあがっていた「必殺」という名のパズルが音を立ててバラバラになるはずがありません。
必殺世界を構成する重要なピースが無くなってしまった。その穴を埋めるピースは、現在に至っても姿を現しません。おそらく今後も現れる事はないでしょう。
なぜそれほどまでに、「鉄」の存在は唯一無二なのでしょうか。


必殺ファンの皆さん、できればちょっと考えて頂きたいんですが。
例えば鉄の殺し技、「背骨折り」(「新」では肋骨折りですが、ここでは総称という事で)に類する殺し技を継承できるキャラクターって、今後も現れると思われますか?

確かに、怪力系の素手技を駆使する仕事師は、鉄の後も何人かは登場しました。
「仕留人」「渡し人」の大吉、「血風編」の直次郎、「仕事人」の左門、「仕事人Ⅴ激闘編」の壱などが代表格ですね。
しかしながら、「背骨折り」ほどのインパクトと、鉄ほどの説得力を持ったキャラクターは、その後、ついぞ現れませんでした。


ところが、藤枝梅安をはじめとする「刺殺系」、同様に中村主水などの「剣術系」、勇次の「絞首系」は、けっこう継承者も多いんですよね。
しかも現在では、オリジナルを知る人の方が少なくなっている。

今の必殺ファンのみならず、’80年代に必殺の洗礼を受けたファンの方々だって、「首筋を刺す」と言えばまず「秀」「政」が浮かぶはずで、「梅安」と答える方は少ない筈です。
刀とくればさらに顕著で、中村主水は浮かんでも、「西村左内」は浮かばない。
さすがに絞首系は勇次がオリジナルですが、それでもやっぱり「竜」の存在も大きい筈です。
確かに政、竜は勇次、秀の代わりにキャスティングされたという経緯はありますが、それでも人気がここまで不動になった今、もはや経緯は関係ありません。
しかもそれぞれの殺し技は、現在放送中の「仕事人2009」にも継承され、「殺し技の一子相伝」は現在も続いているわけです。
その際立つキャラクターでシリーズの顔となった中村主水でさえ、ついに後継者の登場を迎えているわけで。


他の殺し技を駆使するキャラクターが、世代交代の末ここまでコピーを繰り返されているのに、なぜあの「悪党をあの世に送るには、指三本で充分だ」と言わんばかりの凄腕が、新世代に現れないのか。
ここに、鉄が唯一無二である理由の一端があるような気もするのです。

要はですね。あの背骨折りという殺し技は、鉄というキャラクターと一体になっているんですよ。ですから他人にはコピーできないんじゃないかと。


他の殺し技は、武器は変わっても基本的には同じですよね。
「梅安と秀と政の殺し技の違い」について、納得できる解説が出来る方がいらっしゃったら、ぜひお聞きしたいものですhappy01
個人的には、鍼医者であるという大きな理由で、梅安のみに非常に説得力を感じますが。


同じ理由で、鉄の骨接ぎ術・殺し技には「島流しにされた佐渡金山で、傷ついた罪人を救うため、見よう見まねで覚えた」というバックボーンがある分、後の怪力系と一線を画す説得力があります。
あの壮絶な背骨折りには、そこまで追い詰められた末の「生き残りの手段」としての迫力、言わば鉄の生きざまが投影されているわけです。
その後の怪力仕事師に、ここまでのバックボーンがあるかどうか。
それは皆さんの解析にお任せしたいと思いますが、少なくとも鉄を演じた山崎努氏は、その立脚点を持った上で演技設計を行ったものと信じたいです。
後々どう見られようと、ストーリーに反映されていようといまいと、他人の人生を表現する役者にはそういう「キャラクターの素性を理解する能力」が、非常に重要なのです。


「必殺なんだから、殺しの場面だけカッコよければ、その技をどう覚えたかなんて理屈はどうでもいいんだよ。」
そういうご意見もありますね。おそらくそれが、旧必殺ファンと現仕事人ファンの間に流れる「暗くて深い川」なんでしょう。

仕事人シリーズの魅力は、そういう理屈抜きの所にあるのは間違いないんです。
でなければここまで多くのファンを作り、長寿番組となるわけがない。
でもその魅力が、私には魅力として映らない。悲しい事ですweep

ただ思うのは、シナリオライターも俳優も、ストーリーを作る上で立脚点となるのは、そういう「キャラクターの設定」のみなんですね。
「このキャラはこういう素性だから、事件を前にすればこう考えるだろう、こう行動するだろう」という発想なわけです。
そこが薄っぺらでは、表現されるキャラクターだって存在感が無くなるのは当たり前なんですね。
いいかげんな設計図からは、すぐれた完成品は出来ないわけです。


先日放送された名脚本家・橋本忍氏のトークライブ番組で、氏が「七人の侍」の脚本を黒澤明監督と共同執筆した時のエピソードが語られました。
そのやり方は一風変わったもので、旅館に篭って黒澤監督と橋本氏が一つのストーリーを同時に書き出し、書き上がった端から「両氏のどちらか良い方を採用してゆく」という、言わば「シナリオバトル方式」だったそうです。
そこで橋本氏が驚いた事が一つ。
意気込んでストーリーを書き出す橋本氏の前で、黒澤監督は異常なまでに「キャラクターの素性・設定」を考え、ノートに書き込んでいったそうです。
シナリオにはまったく着手せずに。
その量は大学ノート一冊の半分に及び、それを見た橋本氏は驚愕したとか。

要は「それくらい人物像を掘り下げなければ、生きた人間は描けない」という事なんでしょうね。
逆に、それがしっかり出来ていれば、黙っていてもストーリーは動き出すと。


ちょっと別なお話ですが、例えば二次創作の小説などを書く時にストーリーが作りやすい感覚の理由は、既に作品というものが出来ていて、キャラクター設計が完成しているからなんです。出来上がった二次創作の完成度の高さは、そのまま「元設定の秀逸さ」を証明しているわけですね。
まだ形になっていない作品を生み出す時、最も苦労するのはそこです。
「秀だからこう考えるだろう」なんて前例がないわけですから。

ともあれ、そうした「キャラクターと直結した殺し技」という意味で、後年の怪力系仕事師に較べて鉄の存在感は突出しているように感じます。
それは設計図たる設定を作り上げた当時のスタッフと、それを高度に咀嚼し演技に結実させた山崎努氏、どちらが欠けても成立しえなかったでしょう。

「いや、どんなキャラクターにも設定はきちんと考えられていたはずだから、
鉄だけが特別扱いされたわけではないと思うんだけど。」
というご意見もおありでしょう。それもごもっともですね。
とすれば。鉄の突出した存在感は、鉄という架空の人物に命を与えた山崎努氏の功績が大きいのかもしれません。


当時、「仕置人」の設定を読み込んだ山崎氏の頭には、鉄の演技設計についてある人物がモデルとされていたようです。
それは以前頂いた、山崎氏からの手紙に書かれていましたが、ここでは伏せておきましょう。そうした演技者、演出者それぞれの地道な努力が、稀代の名キャラクター・念仏の鉄を生み出した事は間違いないと思います。
あの背骨折りが孤高の技なのも、頷けるところですね。


おそらく、「他のキャラには出来ない殺し技」を持つ必殺キャラの裏には、すぐれた設定と演技設計の結実があると思います。
鉄の他には、例えば「仕事屋」の半兵衛とか。
「仕置屋」の市松なんかも、他の首筋刺しとは一風違った技の切れ味があると思うのですが。「折鶴飛ばし」の華麗さは、彼以外には真似できないような。

新・仕事人「勇次」の登場時にもチラリとそれを感じたんですが、後の派手派手な演出(「南無阿弥陀仏」の羽織とか)が、一気にその思いを砕いてしまいました。
仕事人ファンはそういう所が好きなんでしょうが、旧ファンの私は苦手なんですよcoldsweats01


「殺し技アラカルト」「鉄のカッコよさ」的なお話を期待された方、ごめんなさいね。
私が語ると、つい理屈っぽくなっちゃってcoldsweats01
取っつきにくいお話なんですよねこういうのって。でもここを外しちゃうと、「ネヴュラ」じゃなくなっちゃうでしょhappy01 他ではあまり語られない事だし。
テーマや映像美など、必殺には他にも語りたいファクターは多くあります。
それはまたおいおい、こんな調子でお話したいと思います。


うーんそれにしても。先週の「仕事人2009」見逃しちゃったなー。
忘れちゃうんですよね。どーも頭の隅にひっかからない。
スタッフ、キャスト共に、大変な努力をされている事は、画面からも伝わってくるんですが。それとは別に、私の嗜好がノーと言っている。
老いた藤田まこと氏が、最近のウルトラ作品の黒部進氏とダブるせいでしょうか。
全盛期を知る者にとっては、老兵がわが身にムチ打つのは見たくないですね。

いつまでも過去のヒーローでもないでしょうと。
ちょっと辛口な締めでした。お許し下さいcoldsweats01

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2009年1月 5日 (月)

第三の必殺

いつも通う、美味しいラーメン屋さんnoodle
今日も暖簾をくぐって、期待しながら馴染みの椅子に腰掛ける。

このお店のメニューは一つだけ。「ラーメン」。
コップの水を飲むのももどかしく、自慢の味をオーダー。
出されたアツアツの一杯。レンゲですくう最初のスープが極上で・・・

あれ?舌に感じる違和感に、思わず口をつく疑問。
「ご主人さん、味、変えた?」
職人気質のご主人、眉ひとつ動かさず
「新メニュー。激甘・クレープラーメンだよ。人気あるんだぜー。」
「えーっ?昔の味は?」
「あれは通好みだが頼む客が少ねえんで商売にならねえ。もう作らねえよ。」
「なんだー。それならメニューに書いておいてよ。激甘ラーメンって。」
「何言ってやんでえ。麺も入ってりゃ具も同じ。味が違うだけじゃねえか。
ウチじゃこれを「ラーメン」って呼ぶんだよ。」

「そりゃラーメンはラーメンだけど・・・」


私にとって、昨夜放送された『必殺仕事人2009』はそんな番組でした。

放送後、私はHDD録画したそれをDVDにダビング、「ネヴュラ座」で二回ほど見ました。でもやっぱり、最初に受けた印象は変わりません。
その印象の多くは、一昨年に放送された『必殺仕事人2007』の感想と重なるものだったので、あえてお話しするのは避けましょう。


拙記事をご覧になりたいという奇特な方は、こちらまで。
2007年7月8日(日)『右手の刃が鈍る訳』

http://spectre-nebura.cocolog-nifty.com/cultnight/2007/07/post_eeb5.html

実際の所、そんなつるし上げのようなお話は、する方も聞く方も気持ちのいいものではありませんので、もう口を拭っておこうと思います。
ですから、今作の内容について重箱の隅をつつく事は、あえてしません。
言いたい事はカット数の数、放送時間の100倍はあります。
旧作ファンの憤懣やる方ないお気持ちも、痛いほどよく分かるつもりです。
ただ、それを話したところでまるで筋違い、むしろ制作側の思うツボ。
まー冒頭の一幕が゜、私の印象を全て言い表しているという事ですねhappy01

今回お話したいのは、何故今、そういう旧必殺テイストのかけらも無い作品が、必殺ブランドの王道として制作され続けているか、という点についてです。
まあこれは、長きに渡る必殺シリーズのどの作品をお好みかで受け取り方も変わってくるでしょうから、まあ古いファンはそんな風に考えた、とでも思って下さい。

今作の冒頭に『朝日放送 必殺仕事人シリーズ 30周年記念』と出るクレジット。
これを見た時、私は気づくべきでした。
この作品、「必殺シリーズ」の新シリーズではないんですね。
あくまで「仕事人」という作品の延長線上企画。要は1979年から始まった「必殺仕事人」を基とするあの「キャラクターショー」の新作なんですよ。

そもそも出発点からして、旧必殺のテイストを求める方が間違っているんです。
「鉄が」「半兵衛が」「剣之助が」っていくら言ったって、それは今作のオリジンではない。
この新作の基は「飾り職人の秀」「浪人の左門」であり、そこにあるコンセプトは「人様の命を頂戴して金儲けする悪党」じゃなくて、「世直しの義賊」なんですから。


「そりゃー制作側の言いわけじゃないの?『30周年』の表記だって単なる冠だろうし」なーんてお考えの方もいらっしゃるでしょう。
ところがですね。映像作品にとって冠というものは、それほど軽いものではありません。冠があるかないかで、スポンサーから捻出する制作費や局の制作体制はまるで変わってくるのです。
その代わりスポンサーからも「仕事人30周年なんだから、その冠にふさわしい内容にしなけりゃお金は出せないよ」なんて縛りが出てくるわけですが。

「そんな縛りがあるくらいなら、スポンサーを蹴ってでも内容を充実させるべき」というご意見もあるでしょう。
ところがこれも大きな間違い。現場の立場で言えば、スポンサーが付かないという事は、即、番組の制作中止を意味します。
内容の充実などのレベルの前に、番組企画そのものが立ち消えになってしまうんです。番組はビジネス、先立つものはヤマブキ色のなんとやら、という訳ですね。


視聴者にとっては「つまらなかったら見なきゃいい」という自由はあっても、「番組の内容に口を出す」自由は無いという事です。
もし、そこまで旧必殺にこだわるなら、スポンサーとして巨額の制作費をポンと出すか、もしくは署名活動でもして世論に訴えるしかないでしょう。
現状への不満や夢を語ることは勝手ですが、語るだけでは何も変わりません。

そこまで腹をくくる度胸があるかどうか。私財を投げ打つ覚悟はあるか。
自分の好みの作品を作るという事は、それほどまでに過酷なものなのです。


さて。そういう生臭いお話は置いといてhappy01
なぜそこまで、局側が『仕事人』という看板にこだわるのか。
今作の録画を見ながら、私も色々考えてみたんですが。
無い頭をヒネって至った結論は、やっぱり「時代の流れ」という事ですね。
まーおざなりの言い方で申し訳ありませんがcoldsweats01


「お前はあい変らずとろろ飯が好きかぁ」なんてヒガシ氏のフニャフニャのセリフをボンヤリと聞きながら、おぼろげに見えてきた考えが一つ。
それは『必殺シリーズメイン視聴者の多世代化』とでもいうものでした。
ウルトラやライダー、ガンダムなどと同じく、必殺にも視聴者世代の差が顕著になっているという事ですね。


単純に考えれば、その視聴者世代は三つに分けられるような気がします。
作風の違いじゃないですよ。あくまで視聴者側に立った見解です。
分かりやすいように、各世代がリアルタイム視聴していた作品を見てみると・・・


第一世代 1972年『必殺仕掛人』から1982年『新必殺仕舞人』まで
第二世代 1982年『必殺仕事人Ⅲ』から1992年『必殺仕事人激突!』まで
第三世代 1992年以降のTVSPから2007年『必殺仕事人2007』まで


あくまで私の印象ですので、個人個人で若干のズレはあるかもしれませんが、ほぼこんな感じに分けられるような気がします。
ここだけの私見ですので、異論がおありでしたらごめんなさいcoldsweats01
視聴者が最初に触れた必殺作品がどの世代であるかによって、必殺シリーズという作品から受ける印象はまるで変わってしまうという事ですね。

私の場合はもう、言わずもがなの第一世代なんですが、実際は完全に線引き出来ない為、「自分は仕事人Ⅰで見限った」「私は2007が必殺初体験」なんて方も多いと思います。

あくまで推測ですが、現在の必殺視聴層は、ここで言う第二世代と第三世代がメインなんじゃないかと思うんですよ。つまり人数が一番多い。

おそらく現在、データ上の必殺メイン視聴者とは、1982年の仕事人ブームで必殺視聴者デビューを果たし、以後スペシャルや劇場版などを見て過ごした世代。
そこが中核になっていて、そんな第二世代が親となり、シリーズを幼少期から一緒に見ていた彼らの子供がファンとして目覚めたのが第三世代、という訳です。

第一世代のハードな作風に対し、第二・第三世代のソフト、アイドル路線が市民権を得た結果と言えますが、そちらの作風を好む世代の方が多いのですから、制作側もそちらの方が数字を取れると思うのは自明の理。実に簡単な仕組みです。


確かに必殺シリーズは初作「仕掛人」から1977年「新・仕置人」までが一つの括りであり、圧倒的な高クォリティーを誇る事実は私も認めますが、実はそれらの名作が放送された期間は、シリーズ初期のわずか五年間に過ぎないのです。
実際の所、途中のスペシャル化を挟みつつ現在も続く必殺シリーズの大半であり初期作品の六倍、30年もの期間は、『仕事人』という冠の元に正義の殺しを行う「ヒーロー」の活躍を描くドラマがメインであった訳ですね。
で、実際に視聴率も伸びている。この事実は大きいです。


確かに後年、映像ソフトやCS放送などで旧作に触れる機会があったにせよ、人間、最初に見た物をモノサシとする強烈な習性がある為、仕事人シリーズのライトな作風、華麗(と言うのもなんですが)な殺しのシーンに魅了された者が初期作品に覚えた違和感は、かなり大きかったのではと思います。
事実その強烈な個性ゆえ、視聴者を選ぶ作風でしたからね。旧作はhappy01


逆に言えば、初期作品をリアルタイム視聴し、そのクォリティーを肌で味わう事が出来た私たち第一世代は、とても幸せな時代を過ごせたという事になりますね。
毎週、命を削る仕事師達の生き様、魂の叫びを、共に感じられた訳ですからhappy01


おそらくそのデータが明らかになったのは、一昨年の『仕事人2007』に寄せられた視聴者からの反響や視聴者リサーチによるものでしょう。
秀や勇次の活躍に懐かしさを覚え、ホスト系殺し屋が闇を走る映像に魅了された世代が、最も新作必殺を待ち望んでいる事を、制作側も把握したと推測されます。
さらにその流れを汲み、ジャニーズ系イケメンの主人公を中心に据える事で、80年代に女子高生を虜にした必殺伝説再び、と考えた戦略も、想像に難くありません。


つまり今回の新作『仕事人2009』は、前述の第二世代、第三世代の為に作られた、『80年代仕事人のハイブリッドコピー』なんです。
第一世代の私たちがいくら作風や内容について語っても、意味がないんですよ。
「志村けんのだいじょうぶだぁ」で作られた必殺のパロディに向かって、「あれは必殺じゃない」って言ってるようなものでhappy01
最初から制作側は、第一世代を相手にしていないんですから。


実はですね。私は別にその現状を、悪いと思っているわけじゃないんですよ。
元々、テレビというものはそういうメディアなんです。
番組にとって視聴率は命。第一、シリーズ初作の『仕掛人』だって、裏番組の『木枯し紋次郎』との視聴率競争の中で生まれた訳ですし。
そんな出目の必殺を、「視聴率の為にクォリティーを落とす事は」なんて言ってる方が本末転倒。もっと世の中は公平に考えないとhappy01


「だったら必殺なんてタイトルを付けないで欲しいな。見る方はどうしても、旧必殺を期待しちゃうしねえ」
それは確かにそうですね。冒頭のお話の「ラーメンという名前なのに違う味」とは、そこを言いたかったんです。
でも、その「期待させる」という作戦も、制作側の戦略の一つなんですよ。
テレビは視聴率を稼ぐ為には何でもやります。その程度はまだ可愛い方。
もっと凄い事だって(以下自粛)


だからですね。もっと見る側も賢くならなきゃいけないんですよ。
「ここは商売上の戦略。ここは本音」みたいな『選作眼』みたいなものを磨かなければいけないと思います。

ファンの中には、作品が99%の出来であっても、1%のミスを探し当てると、まるでそれが致命的なミスであるかのごとく拡大解釈、鬼の首でも取ったように騒ぎ立てる人が居ますが、だったらその人は残り99%を考える、作る能力があるのかと思ってしまいます。
99%のレベルなんてほぼ完璧。それ以上、何を望むというのでしょうか?
人間が作る物に完璧は少ないです。(あえて「無い」とは言いません)
しかも前述のように、色々な思惑が絡む番組のこと。
作る側に、思うに任せぬ事情がある事だって多いのですから。


つらつらとお話してきましたが、これが現在の偽らざる思いです。
ご意見等おありの方は、どんどんお寄せ下さいhappy01
でも、一つの光明もあるんですよ。
9日から始まるテレビシリーズ。これは確かに、前述の80年代仕事人のコピー的雰囲気が濃厚ですが、これは回が進むにつれ、どう方向転換するかはまだ未知数。視聴者の動向によってはライト路線に変わり、かつてのハードな作風が復活するかも。
いや、それらのどれとも違う、『第三の必殺』の登場だってありえます。
それは誰にも、制作側にさえ予想できません。
こういう振り幅があるから、リアルタイム視聴は楽しいんですよね。


でも。作風が最後までそのままだったら。
旧作ファンの私は、やっぱりつぶやいちゃうんでしょうね。
意味がないとは知りながら。

「冗談は、てめえだ。」なんてhappy01

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2009年1月 4日 (日)

EB.ZEN081027

えー・・・今見終わりました。
とりあえず、旧作ファンのおっしゃりたい事はよーく分かります。
すべて私も同意見です。
しかもあまりにも・・・なので、ちょっと考えがまとまりません。
いずれ感想などアップしますので、今夜はこのサブタイでお許し下さいcoldsweats01
番組をご覧になった方なら、サブタイの意味はお分かりですよね。
スタッフがあそこにこだわる訳は?何かの暗号?
(超限定話題で申し訳ありませんhappy01

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2009年1月 3日 (土)

哀愁のあかね雲

ついにと言うかやっとと言うか。ファンには微妙な再開ですが。
必殺シリーズ最新作『必殺仕事人2009』が、明日から始まりますね。
明日のスペシャルドラマに続き、9日からはレギュラー放送も。


詳しくはこちらまで。

必殺仕事人2009公式HP

http://hissatsu2009.asahi.co.jp/spdrama.html

一昨年の7月に放送されたスペシャルドラマ『必殺仕事人2007』の好評を受け、朝日放送が満を持して放つ21世紀の必殺に、期待と不安がない交ぜになっていますcoldsweats01

「仕事人2007」については放送直後、「ネヴュラ」でも感想などお話しておりますので、そちらをご覧頂ければ、私のスタンスがお分かり頂けるかもしれません。

2007年7月8日(日)『右手の刃が鈍る訳』
http://spectre-nebura.cocolog-nifty.com/cultnight/2007/07/post_eeb5.html

で、まあ、私はコテコテの旧必殺ファンなのですがhappy01 
前述の『2007』がそれなりに楽しめた理由は、ストーリーやキャラクターの配置よりも、旧作へのリスペクトや一枚絵のクォリティーが大きかったりする訳です。
現代劇・時代劇を含め、現在制作されているテレビドラマの中で、あれほど「闇の表現」にこだわった映像は、そうそう見られるものじゃありません。
さすがシリーズ初作『仕掛人』から、テレビではある種ご法度だった陰影の現出に重きを置いたカメラ・石原興氏の意地。今回の新作でもメガホンを取った石原氏の事ですから、またまた深みある映像で酔わせてくれるでしょう。

当然ながらまだ未見ですので、映像のクォリティーへの期待のみに終始してしまうところが歯がゆかったりするのですがcoldsweats01 他の部分への期待が億劫になってしまう理由はやっぱり、かつて必殺シリーズが持っていたピカレスクロマン、ハードボイルド的テイストが現代に於いて受け入れられない事情も分かっているからです。
言い切ってしまいますが、テレビ(特に地上波)はもはや、視聴層・視聴姿勢が昔と大きく変わっている。これは作り手として肌で感じる事です。


確かに今、初期必殺を再放送などすれば、それなりに視聴率も伸びるとは思うんですよ。ところがその「視聴率の理由」が違う。
以前ならそのドラマ性やキャラクターの深み、世界観に対し、視聴者は反応したんですが、今はもっと即物的な理由、「一時間のストーリーを追いながらドラマを味わう」と言うよりは、その瞬間に画面に映っているタレントのカッコ良さ、仕草やセリフに反応する訳です。
ドラマの流れではなく、一枚絵としての美しさ、クォリティーが人気に繋がる。連続ドラマ一本あたりの話数、芸人さんのギャグの所要秒数が年々短くなっている現象と似ていますね。
この視聴者の嗜好はやっぱり、現代人のライフスタイルと切り離せないと思います。要は今の人は、結末が分かっているドラマの為に、ブラウン管の前に一時間も座っているほど暇じゃない、という事なんでしょうね。


それならいっそ割り切って、必殺だって殺しのシーンだけを流す「必殺ファイト」的発想もあるんでしょうが、さすがにそこまで思い切った事は製作陣も二の足を踏むのでしょう。一応ラストの殺しに着地させる為の理由付けという意味で、それまでの40分が作られるという事ですね。
そこまで言ってしまっては身もフタもありませんがcoldsweats01 こと1980年代以降の「仕事人」シリーズは、現代人の嗜好を先取りしたかのようなこの作劇法が顕著になった事は否めません。

研究本などで見かける『「仕事人」からはバラエティー的作劇』『それは時代の要請』といった記述も個人的には非常に納得できます。
ファン大方の見解である『新・仕置人』までの旧必殺シリーズを「ドラマ」とするなら、80年代にブームを巻き起こした『仕事人』シリーズは「キャラクターショー」なのです。
制作側の思惑が変わっているのですから、ファンの好みが二分されるのも当然ですよね。


確かに旧必殺ファンにとって、80年代の仕事人ブームから受けた余波は計り知れないものがありました。受難の日々と言ってもいいでしょうcoldsweats01
「簪を回す、三味線の糸を口で引っ張る」というアクションが必殺のトレードマークになってしまったことで、あの念仏の鉄の「指鳴らし」や石屋の大吉の「クルミ割り」、知らぬ顔の半兵衛の「首手ぬぐい当て」などが、時代遅れの歌謡曲のように忘却の彼方へ追いやられてしまったのですから。
鉄サマに心酔して映像業界を目指した私など、この状況は非常に辛いものがありましたね。まるで隠れキリシタンのごとく、人目を忍んで背骨折りアクションの「素振り」に明け暮れたものです(ウソですがcoldsweats01


まあ今考えれば、あの頃のブームによって仕事人というブランドが確立され、今もこうして新作が作られるわけですから、耐え忍んだ旧必殺ファンの苦労も無駄ではなかったという事で。(うーん上から目線ですみませんcoldsweats01

でも個人的に、一昨年の『仕事人2007』に不満があったり今回の新作に不安を覚えるのは、その頃の心のしこりが残っているからなんでしょうね。
心の中でどんなに「必殺はそんなに軽くない!ルールとモラルの狭間でもがく人間のドラマなんだ!」と叫んでも、眼前に展開する映像は「カタルシスのみの時代劇ヒーローアクション」。
若くない私には、そのギャップを埋める心の弾力はもうありませんhappy01
新作を及び腰で見てしまうのは、あまりにも変容した必殺を受け止める気持ちの余裕が無いから。
これは必殺ではないと自分に予防線を張っておきたいからなのかも。


ともあれ、見てみなければ何も語れませんね。明日のスペシャルドラマ、9日からのレギュラー放送共に、現代の必殺を刮目して見ようと思います。

とはいえ、往年の仕事師の勇姿もご覧頂きたいのが、旧作ファンの願い。
ちょっと長めですが、二作ほど載せてみました。
お時間ある方はご覧下さい。


『新・仕置人』はもちろん鉄サマlovely



意外にも八丁掘の旦那は、『仕置屋稼業』が好きだったりしますhappy01

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