2021年12月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

ネヴュラ・プライベートライン

無料ブログはココログ

カテゴリー「必殺シリーズ」の記事

2014年3月22日 (土)

主水が飲む、江戸の出がらしは苦い

001
今日も買●で発見、久しく眠っていた必殺魂に火が点き速攻ゲット
ぱちんこ必殺仕事人Ⅲの湯呑み。
ホール通いの趣味が無い私も、必殺絡みのアイテムなら話は別。

その昔、山崎”鉄”努さんに送ったファンレターに、実に丁寧に戴いた
ご本人直筆のお返事の記憶が蘇えります。

もう故人となられた藤田”八丁堀”まことさんにも
せめてご存命の内に、応援していますの一筆くらいしたためておけばよかったと
悔やんだ事は数知れず。
まさにミスター必殺、鉄とのタッグはシリーズ屈指のコンビネーションでしたもんね。


002
裏にはパッケージと同じ、不敵な笑みを浮かべる主水御大のイラストが。
個人的に必殺は新旧仕置人や仕事屋、仕置屋あたりへの思い入れが強く
仕事人で記憶にあるのは激闘編、それも1クール目あたりまでなので
並べたCDジャケットもⅢじゃなく、好み優先で
まーぱちんこ版は、TV版ほどのシリーズ関連が無いでしょうから
こだわる必要もありませんが

でも新仕置人で’77年、激闘編でさえ’85年の作品ですから
秀さんや勇次といったキャラクターも、もはやクラシック扱いなんでしょうね。
それどころか、野上・中村脚本や工藤・蔵原演出が時代に鋭く斬り込んだ
前期必殺のハードな世界観そのものが、過去のものとなったのでしょう。
昭和の話題が万人のもので無くなってきた事を、つくづく感じます。

かつて昭和必殺に熱狂したと世代しては、何とも寂しい限りですね。
石原軍団の代表的刑事アクションという問いかけへの世間の答えが
『大都会PARTⅢ』でなく『西部警察』だったりする感じで
中村主水は熟練の仕事師より、心に虎を飼うしたたかな羅刹であって欲しいし
渡哲也は大門団長より黒岩デカ長。最強のセドリックは330でなきゃと

2010年4月27日 (火)

鉄が愛した女郎蜘蛛

先日、たまたま見た『探偵!ナイトスクープ』で、こんなお話がありました。

かつて「時代劇で日本一の斬られ役」になりたいと
役者のオーディションを受け続けていたものの
実家の稼業を継ぐためにその夢を断念した、今は71歳のお父さん。
その夢をかなえようと娘さんが探偵局へ依頼、ご本人に本格的扮装をしてもらい
プロの時代劇俳優を呼んで、撮影セットで「斬られ役」を演じてもらったという
ナイトスクープらしい、心温まるエピソードでした。


いやもうこのお父さん、実にいい味でした
やっぱり斬られ役者を志しただけあって、まーキャラクターもユニーク。
御年71歳という貫禄で、悪代官の扮装が本当にお似合いです
「おぬしもワルよの~」なんて定番のセリフも堂に入ったもの。
斬られても斬られても「まだ死ねんのや~」とカメラに見得をきる
素晴らしい悪あがきっぷりで
収録後ご本人は「長年の夢がかなった」と喜びを隠せないご様子

町娘役で特別出演の娘さんも、感動のあまり目頭をおさえていました


ご存知の通り「ナイトスクープ」にはこういう、夢かなえ系の依頼も多いのですが
このエピソードを見ていて、私もこんな風に
時代劇のキャラクターになって活躍したら楽しいだろうなあと

その夜はいつもの妄想三昧、楽しい夢が見られました


皆さんもありませんか?時代劇に出るならあんな役、こんな役が良いなんて
考えた事って。私だけかな?
かつて雑誌「ビックリハウス」の1ページ「ヘンタイよいこ新聞」に
「水戸黄門に出るなら、こんな役をやりたい」なんて読者コーナーがありましたが
そんな話題で盛り上がれるのも、やっぱり日本人の血ゆえでしょうか



というわけで今回は、私が演じてみたい時代劇のキャラクターを
ちょっとお話しましょう。まー大したことありませんが

私が時代劇と言えば、読者の皆さんならもうご承知と思います。
あの坊主頭のアウトロー・念仏の鉄が闇を駆ける、極上のピカレスクロマン。
彼と共演できるなら背骨どころか、体中の骨を外されても文句は言いません
今月から、CSの時代劇専門チャンネルで放送が開始され
DVDのレンタルも解禁されて、今や静かなブームを呼んでいる
前期必殺シリーズの大傑作『新 必殺仕置人』でございます

Photo_2


いやー私、この「脳内必殺出演」に関しては
冒頭のナイトスクープを見るまでもなく、昔から妄想しておりました。
ただ、チョイ役や定番キャラってのはイヤなんですよね。
どうせ演じるなら、これまでに無かったキャラをやってみたいと。

まーどこまでいっても妄想ですから、自分のルックスや演技力なんか無視して
ひたすら無責任に、やりたい役を作り上げていたわけです


で、私が演じたいのはゲストキャラ「女仕置人・お宅」という・・・
まーベタベタですが



かつて旧・仕置人に於ける鉄一党の解散後から
新・仕置人で鉄が江戸に舞い戻るまでの僅かな間
お宅は鉄と組んで、仕置を行っていました。

寅の会の手の及ばない、旅空での仕置ですから
全ては二人の腹次第、勝手気ままな仕置稼業。
たださしもの鉄と言えど、命を狙い狙われる毎日に神経をすり減らし
二人は仕置のパートナーから、互いを求め合う男女の仲に。


しかし鉄は、仕置人の末路を悟っていました。
いつまでも自分に関わらせれば、お宅を不幸にすることになる。
「だから女とは組みたくねえんだよ。情を引きずるからな。」
そんな折も折、仕置した相手の身内による反撃が。
寝込みを襲われ宿を焼き払われ、鉄とお宅は散り散りに逃亡
そのまま二人は離れ離れになりました。
風の噂に、お宅が仕置人の足を洗ったと聞いた鉄は
ひそかに彼女の無事を安心しながらも
悔いを残さず、地獄道を進む決心を固めたのでした。

「もうお宅とは会わねえ。無頼に女は必要ねえ。」
巳代松と命をやりとりするのは、その直後のことでした・・・


数ヵ月後。江戸。
主水を加えた鉄一党は八面六臂の活躍で、江戸暗黒街で一目置かれる存在に。
そんな鉄の前にある日、死神が姿を現します。
「寅ガ会イタイト云ッテイル。寅ノ会ヲ通セナイ話ダ。」

「私の命を狙っている者が居る。護衛を頼みたい。」
その言葉を寅から聞き、鉄は怪訝な顔を浮かべました。
死神一人じゃ守りきれないほど、相手は寅にとって脅威の存在。
寅は鉄の腕を見込んで、護衛を頼みたいと言うのです。


もうお分かりですね。お宅は寅への刺客として、鉄の前に姿を現します。
かつて愛した女と対峙する鉄の心は、しかし穏やかでした。
「これも俺とお宅の運命よ。
せめて俺の手で葬ることが、お宅へのはなむけじゃねえか。」

しかしお宅も手練の仕置人。激闘に次ぐ激闘の末
ついに鉄は、お宅の一瞬の隙を捉えました。
必殺の右手がうなり、お宅の背骨へ三本の指を撃ち込んだ刹那。
お宅の中で動く小さな鼓動に、鉄の顔は蒼白に。

「お宅、おめえの腹には・・・」

「そうだよ鉄っつあん。お腹のこの子の為に、あたしゃまだ死ねないんだ。」
「・・・俺の子か?」

答えられないお宅。鉄は、お宅にとどめを刺せません。
その動揺を突いて、鉄の前から姿を消すお宅。
「お前の子だな。」
背中に響く寅の声に、静かに頷く鉄。
「情は絶てても、血は絶てんぞ。」
寅の一言が、鉄の心に突き刺さります。


お宅の背後には、尾張の元締・黒鯱率いる仕置人組織がありました。
黒鯱は寅の首を獲り、江戸暗黒街を牛耳る魂胆なのです。
鉄と別れた後、尾張へ流れたお宅は黒鯱に拾われ組織の一員に。
やがて寅攻略の尖兵として、江戸に送り込まれたのでした。
この仕事、本当はやりたくはない。でもこの子を、鉄の分身を産むまでは死ねない。
でもまさか鉄が、寅の護衛となって目の前に現れるとは。
因果は回る糸車。裏稼業の因縁は、どんな幸せも許してくれないのです。


さあ。この江戸・尾張の裏組織を巡る抗争に巻き込まれた
鉄とお宅の運命や如何に。
幾多の修羅場を潜り抜けた最強の仕置人、念仏の鉄は
この板ばさみに、どんな決断を下すのか。


いやーハードなお話
こういうエピソードのキーパーソンとなるキャラなら、演じ甲斐もあるでしょうねー


男は、裏稼業と自分の血を秤にかける。
女は、愛する男の血を残す為、その男との戦いに挑む。


鉄の子どもに絡むお話は旧・仕置人にもありましたが
子どもを宿す相手も仕置人で、二人が対峙するというお話は無かったような・・・
いや後期必殺には詳しくないので、この手のお話が皆無なんて
大きなことは言えません。そこへのツッこみはご勘弁を


まーそんなこんなで。
しょせん私ごときの妄想ですから穴だらけですが、実は前述のストーリーは
肝心のところを二箇所ほど、意識的に伏せてあります。


一つは、仕置人であるお宅の殺し技。
もう一つは、このストーリーの結末。


この二つとも、私の中では出来上がっているんですが
ここはあえて、皆さんに妄想して頂く事にしましょう
でもこれじゃあまりにイジワルですから
ちょっとだけ私バージョン、お宅の殺し技のヒントをお話します。

今日のサブタイは『鉄が愛した女郎蜘蛛』。
そうです。仕置人世界でお宅は「女郎蜘蛛」と呼ばれているのです。

相手の自由を奪い確実に仕留める、妖気に満ちた女郎蜘蛛。
さーなんでしょうか。この殺し技も、これまでの必殺に無かったものです。


今回も妄想が暴走し、鉄ファンの皆さんのお目汚しとなってしまいました。
ごめんなさいね。どうぞお許し下さい
いやーでも一生に一度でいいから、こんな役をやってみたい。
人間って、自分に無いものを求めるものですから

2010年1月12日 (火)

必読仕掛人

いやー先日、やっと手に入れました
書店で見かけた時から気になっていたんですが、入手のチャンスがなくて

朝日ビジュアルシリーズ・週刊 池波正太郎の世界③『仕掛人・藤枝梅安』。


Photo 













時代小説の雄、池波正太郎氏の没後20年を記念し
昨年末から全30巻予定で創刊された
この「週刊 池波正太郎の世界」シリーズは
池波氏の遺した作品を採り上げ、すでに四冊が発売されているんですが
この第三号は氏の代表作の一つ、藤枝梅安シリーズを特集。
今後も何号かに一度、梅安は取り上げられるそうです。


必殺シリーズ第一弾『必殺仕掛人』に魅了されてから
その原作たる池波小説に興味を持った私。
一時期むさぼるように仕掛人シリーズを
読みふけり、その芳醇な作品世界に酔いしれたものです。

そこまで思い入れを持つ池波作品を特集したパートワークですから
コレを見逃す手はないと。
そんな思いで手に取った一冊でしたが、その内容は久々に
「読む江戸暗黒街」の香りを、濃厚に感じさせてくれました


「必殺仕掛人」は池波氏の原作が存在するゆえ
テレビオリジナルとしての必殺シリーズは第二作「必殺仕置人」から
という解析が、マニア間では定説のようです。
個人的には、別にそこまでのこだわりを持たなくても
「必殺」の二文字がついてるんだからシリーズとして見てもいいんぢゃ

と思う私ですが。
それでもこの「仕掛人」というドラマに見られる確固たる世界観には
後のシリーズには見られない、池波氏特有の視点が感じられます。

(「必殺仕掛人」と、別枠で作られた「仕掛人梅安」シリーズは別物という
ツッこみに関しては、話すと長くなりますし、今回のお話とは主旨が違うので
ちょっと置いておきましょう

後年、「梅安」について池波氏が語った言葉の端々には
通俗的ヒーローを作り出したくなかった、氏のこだわりが溢れていました。
それはこの一冊からも充分に感じられるのですが
今回特に私の中に残ったのは、「矛盾」という言葉です。


表の顔は病を治す鍼医者。
その治療に使う鍼で、人の命を奪うという自己矛盾。



これは言葉にする以上に、梅安という人物の二面性
人間の心に潜む矛盾を表現しているなあと、改めて感じたわけです。


テレビ版必殺シリーズ等の製作体制は、そういう矛盾がやや抑えられ
梅安の仕掛針や鉄の背骨折りは、あくまで「武器」という位置づけでしたし
視聴者たる私たちも、その部分にはあえて目を向けず
単純にカタルシスの為のファクターとして見ていましたから
改めて感じる事も無かったんですが
よく考えてみれば、いかに昼間の顔が鍼医者と言えど
人を殺める際には、やはり匕首などの刃物が順当なわけで。


「暗殺針」「職業知識や技術の応用」みたいな見方も出来るとはいえ
「春雪仕掛針」等に見られる浪人たちとの立ち回りに関しては
大刀を構える浪人たちに針一本で立ち向かうなんて
いくら時代劇とはいえ、まるで勝負にならないパワーバランス

正直、見ていてむりやり感を覚えたりしたものです。

池波氏はなぜここまで、梅安の「針」にこだわったのか?
その理由の一端が、今回のこの一冊で見えてきたような気もするんですね。

やっぱりそれは前述の「矛盾」という人間の本性を
針というアイテムに象徴させたかったゆえじゃないかと。

人を救い、人を殺めるものが同じ「針」という演出は
決して偶然じゃなく、作品を貫く大テーマであり
それこそが自己矛盾であると、池波氏は言いかったんじゃないかなあと。



他にも池波氏はこのような事を、インタビューで語っています。
あくまで記憶ですから、言い回しは正確ではないですが
できる限り「池波調」で再現すれば・・・

「当時、一介の鍼医者が持つには法外な五十両、百両という仕掛料を
梅安はどう使っていたのか?」という質問に対して

「お上の目が光っていた当時の江戸で、一介の鍼医者がそんな大金を使えば
すぐに目をつけられ、裏稼業がバレてしまう。
それまでの仕掛料で、もう一生分の蓄えはあるし。
仕掛後の湯治などで旅に出るなどの贅沢に使うこともあるが
それでも使いきれない。梅安は独り者だから、女房など養う者も居ないし。
そんな余ったお金は、貧乏な患者に与えちゃうんだよ。」


なんたる自己矛盾。じゃあ梅安は何の為に、仕掛人をやっているんでしょうか。
正義の為?施しの為?

「いや、頼まれると断れないんだよ。いろいろなしがらみがあって。
裏稼業なんて人間関係が全てだから、それを大事にしないと
いつ誰の逆恨みを買って、逆に仕掛けられるかわからないから。」


本当は梅安も、人など殺めたくはない。
でも一度踏み込んでしまった殺しの世界からは、二度と足は洗えない。



後期の仕事人シリーズなどとは、「殺し」の意味が本質的に違うことが
お分かり頂けると思います。
人助けと人殺し。したくもない仕掛と施し。
こんな人生、長くは生きられないと思いつつも
鍼医者としての腕を磨きたいとも思えば、新しい住まいを建てようともする。
全てが矛盾ですよね。でも生きなきゃならない。


梅安が体現する自己矛盾は、言わば私たち自身だと。
単純なカタルシス以上に、「仕掛人梅安」という作品には
池波氏のそんな人間解析、それでも生きていく人間の悲哀が
描かれていたんですねえ。

そういう自己矛盾への思いって、年を追うごとに強くなりますよね。
私なんておバカですから、よけいにそれは感じます
自分の人生に於いて絶対譲れないと信じていた昨日の主張が
今日の思いと矛盾していることなんてしょっちゅうで。
で、悩むわけですよ。
「どっちも正しい筈なのに、並べると相反するのは何故?」なんて。

そういう日々を送るのは、決して自分だけではないという事。
それが人間という存在なんだという深いテーマが
「仕掛人梅安」という作品には、込められているわけです。


これはおそらく、テレビ版「必殺シリーズ」が
カタルシスを優先するあまり、意識的に削ぎ落とした
人間の深い業、泣き笑いの部分ですね。
そういう機微が決め細やかに、丹念に描かれた池波氏の筆致を
久しぶりに、辿ってみたくなりました。
氏の著作の、殺しの場面のみに興奮していた昔の私は
まだまだ、読みが浅かったという事かもしれません。

こんな寒い夜は、グルメの梅安が好んだ湯豆腐でも作って

人生の矛盾を苦い薬味に、温まるのもいいですね

2010年1月10日 (日)

心のワサビ

今年になって、CSのチャンネル銀河/HVの番組表に
『必殺必中仕事屋稼業』の文字を見つけてから、はや一週間。
すでに第一話~四話をエアチェックし、そのハードな作風に酔わされています。

「いかに念仏の鉄と言えど、仕事屋の前には影が薄い」と
マニア誌に書かれるほど
この作品の評価は高く、私もその評価は充分頷けます。

ネット変換による路線変更により、後期は作風もやや明るくなりましたが
前期に漂う作中の空気は、殺るか殺られるかの予断を許さぬ
江戸暗黒街の人間模様が、辛口のロマンを提供していて見事。
全登場人物に与えられた尋常ならざるキャラクター性が
ストーリーを二転三転させ
あまつさえ主役「仕事屋」コンビの反スーパーマン性
言わば絶対的な強さを持たない殺し屋の設定が
クライマックスに与える緊張感は
鑑賞後に思わずため息をつかせるほど、見る者を惹きつけてやみません。


「殺す」と言うより「命を奪う」という表現がふさわしい
無様ながら確実な、接近戦の立ち回り。

一瞬も相手から目を逸らさず、確実に仕留めるという事が
これほどまでの迫力を生むものなのかと、改めて感心した次第です。
この頃の必殺はやはり、ピカレスクロマンであり
ヒーロードラマではないんですね。

その迫力ある演出は
近作に見られるケレン味とは対極に位置するテイストで
つくづく、「仕事人2009」あたりの作り方が
『必殺戦隊シゴトレンジャー』化していたんだなあという
諦めにも似た再認識も、新たにした次第で


ただ「仕事屋」の良さを「仕事人」ファンに説明するのって
本当に至難の技と言うか、もはや不可能じゃないかと思うのも事実で。
だって「仕事人」って、そういう初期必殺のハードな部分を全部削ぎ落とし
口当たりを良くした、
サビ抜きのお寿司みたいなものでしょ。
それを美味しいと食べている子どもに、ワサビがいかに美味か
説明するようなものですもんね。


だからもう、無理な布教はやめました。
「仕事屋」を楽しめるのは、子どもの頃から大人と一緒に
サビ入りの辛口寿司を美味しいと感じて育った
初期必殺ファンだけの愉悦と割り切って
この名作を再見しようと思います。

主題歌「さすらいの唄」、劇中歌「夜空の慕情」。
いつもお話していますが、この二曲のイントロを耳にするだけで
体が熱くなるのはなぜでしょう。
きっと幼き日にとり込んだ初期必殺の辛口テイスト
言わば「心のワサビ」が反応しているんでしょうね

2009年12月21日 (月)

どたんば勝負

さあ2009年も、あと10日あまりを残すのみとなりました。
お仕事納めやクリスマス、年末年始の準備など
一年の締めくくりが一気に押し寄せるラストスパート。
山積みの雑事を前に、もっと早くからやっておけばよかったと
嘆かない年などありませんね

私もそろそろ、大掃除と年賀状作成に本腰を入れざるをえない崖っぷち。
そんな時にはこの一曲で、どたんば勝負を乗り切ります
必殺オタクの血を沸騰させる、永遠の名曲。

イントロが流れるだけで目は血走り、体の動きは三倍の速さに!
故・緒形拳氏入魂の名場面に乗せて、お聴き下さい魂のナンバー。
ご存知、「必殺必中仕事屋稼業」劇中歌にして殺しのテーマ
夜空の慕情』

この曲が脳内に鳴り響けば、年末の雑事もはかどる事うけあいです

2009年4月25日 (土)

脳内必殺クライマックス

昨夜の『必殺仕事人2009』。
一応リアルタイム鑑賞しましたが、いかに新メンバーが登場しても
あの第十話のクォリティーにはほど遠く・・・

あれはやっぱり、一夜限りの打ち上げ花火だったのでしょうか
まあ旧作ファンの狭量な感想と、笑い飛ばしてください

そんな事はすっかり忘れて
先日もチラリとお話しましたが、実は今、ある曲が頭から離れません。

コレがまた、モロに旧必殺主題歌のテイスト。
まー作曲が平尾大先生ですから、当たり前と言えば当たり前なんですが。

2003年、タランティーノ監督の『キル・ビル』クライマックスで
ユマ・サーマンとルーシー・リューの対決を盛り上げた名曲

『修羅の花』。


梶芽衣子が切なく歌うこの曲は、当然ながら『修羅雪姫』(1973年東宝 
藤田敏八監督)
の主題歌として、皆さんもよくご存知と思います。
この曲のあまりの素晴らしさに、私はここ数日『修羅雪姫』『キル・ビル』
両作のDVDをレンタル、真夜中に観てしまいました

いやーそれにしても私、『修羅雪姫』は初鑑賞だったんですが
あのオープニング、カット変わりと共に流れるこの曲のイントロタイミングの
なんとカッコいいこと!

で、曲そのものが必殺テイストですから
念仏の鉄よろしく、思わず右手をボキボキと鳴らしたい衝動にまで
駆られてしまいました

「こここれは、アレンジせずにそのままメロオケにするだけで
充分、殺しのテーマに使えるぢゃないの


まースローテンポな曲ですから
最近の「♪パラパ~」で始まる、パターンのウエスタン調じゃなく
「旅愁」や「哀愁」ムードの、哀切漂うクライマックスにピッタリ。
「依頼者の恨みを背負った、哀しい大人の殺し」によく合う曲です。

私なんて最近は、ウォーキングのBGMにこの曲を聴いているくらいで。
独特のイントロが流れた途端、踏みしめる足にも力が入り
自然と眼光まで、鋭くなっちゃって。

すれ違う人たちも、きっと不思議に思うことでしょう。
「この人、なんでこんな怖い顔してるの?」なんて

さて。ここで必殺フリークのお仲間に、ちょっとお尋ねします。
動画サイトで、この『修羅の花』がアップされていました。
残念ながら映像はありませんが、下記にてお聴き頂けます。

この曲がBGMだったら、どんな殺しのシーンを想像しますか?
既存の仕事師を登場させても良いですし、オリジナルキャラでもOKです。

貴方の脳内で活躍させている「マイ仕事人」の晴れ舞台に
この曲はいかがですか?
画面が無い分、想像もしやすいんじゃないかと思います。

ちょっと考えてみて下さい。
最近のジャニーズ系仕事人には、こんな大人の曲は似合わないでしょうね。
もちろん、私も毎日妄想してます。
これぞ本家必殺テイスト。ああ名場面が目に浮かぶ

2009年4月19日 (日)

主題歌を探せ!

先日の雨宮部長メールの一件以来、課題創作のモチベーションも
すっかり上がった『宇宙船映像倶楽部』。
今回の募集期間も後半戦に突入し、快い追い詰められ感を楽しんでいます。

でも面白いことに、「ネヴュラ」にお越しになる部員の皆さんは
雨宮部長のことをあまり『監督』と呼ばれないんですね。
もはや私たち部員にとって雨宮慶太氏は、監督的側面よりも部長的側面が
強くなっているという事なのでしょうか
このあたり、一般ファンとの感覚の違いが感じられて面白いところです。
もちろん、監督としての実力にリスペクトするからこそ
敬意を込めて『部長』とお呼びするわけですが

さて。そんな雨宮部長の指揮の下、今回も私たちチャレンジャーは
課題となるキャラデザインやプロットの創案に勤しんでいるわけですが。
前回からくも掲載された『シオリ★』デザインでお分かりの通り
本来私は、絵心なんてまったく無いんです。
ですからやっぱり、どうしてもプロット部門に力が入ってしまいます。
もともと最初からチャレンジしていたのはプロットでしたし。

で今回も、やっぱり頭をよぎるのは
「こんな設定はどうかな」「このギミックは新しいな」
「こういうストーリーは見たことないねえ」みたいなアイデアばかりで。
どうも私は、ビジュアルよりも世界観の構築が先行するようです。
このあたり、創造者たるプランナーと表現者たるデザイナー・カメラマンの
資質の違いを感じますね。
私は根っからのプランナーのようです。
まず世界観が先に出来て、そこからキャラデザインが引き出されてくる順番。
この発想の順番ばかりは、どうにも変えられないようですね。

でもそんな中でも、お仕事で鍛えられた最低限のファクターは脳内で
同時進行するようで。

それはどういう事かと言いますと。
『この企画を相手に説明するには、どんな準備が必要か』
という事なんです。
要は、プレゼンする時の構成要素ですね。


自分が夢に描いた渾身の企画を、企画会議で上司や同僚へ説明する。
こんな機会は、過去にも山のようにありました。
企画を生業にされている方はご存知でしょうが、この『企画会議』という場は、
とんでもなく不安定な空気に左右されるものなんです。
セールストークの最初の一言を間違っただけで、企画発表そのものが
失敗に終わってしまう。


過去、こういう事がありました。
地道な下調べや関係者への根回しも完璧に行い、後は部内の承認という
ところまでこぎつけた極上の番組企画を持った、同僚のお話です。
彼は部内会議で企画を発表する順番が回ってきた時、こう切り出しました。
「皆さんにお時間を頂くほどの企画ではありませんが・・・」

これが彼の、最初の言葉でした。
彼にとって、場の空気を和ませる為にとった謙遜のポーズだったのでしょう。
しかしその直後、上司の口から出た言葉は意外なものでした。
「だったら時間のムダだから、発表しなくていいよ。」


なんという事でしょう。この最初の一言で、彼はそれまでの努力を
全てふいにしてしまったのです。
結局、その企画は最後まで発表の機会を与えられず
彼は手塩にかけた企画を手放さざるをえなくなりました。

限られた時間に密度の濃いやりとりを迫られる会議にとって
そんな「時間のムダ」のような企画を検討している暇はない。
企画者自身がそんな思いなら、検討する価値さえない。
テレビとはそういう、厳しい世界なのです。


そんな世界で、自分の夢見る企画を通そうとするなら
それなりのスキルが必要になります。

そんな思惑と利害が交錯する、身を切るような企画の現場を体験しながら
私は次第に、私なりのやり方を作り上げていきました。
それは一言で言えば、『企画のビジョンを明確にする事』でした。


「この作品はこんな感じ」なんて漠然とした雰囲気ではなく
「たとえば主人公はこんな喋り方をして、アクションはこんなカット割りで
ここのシーンはこんなBGMに乗って、駆け寄ってくる敵を
ロングから眼球への急速ズーム、みたいな」と
自分の思い描いている作品のイメージを具体的に説明する事だったのです。

要は「頭の中に、既に第一話が出来上がっている」感じでしょうか。
なんだったらその「脳内第一話」を、会議で演じられるくらいの
気構えがあってもいいくらいです。

「そこまで考えているのか」とまず相手にインパクトを与え
それから自分の考えを徐々に浸透させていく。
こういう作品を狙っているんですよ、というビジョンを
自分と相手が共有できるかどうかが、企画説明の是非を決める。
これが私が、現場で学び取った一つのやり方だったのです。



もちろんこれは人それぞれ。色々な手法があります。
私の手法だってその一つに過ぎませんし、こういう事に正解はありません。
ただ、会議なんですから、そのビジョンに異見が出たっていいんです。
極論を言えば会議が終わった時、立案者のビジョンが
ひとかけらも採用されていなくたってOKなんです。
立案者はそこで、我を通してはいけない場合もあります。
一つの立案を多角的に分析、よりよくする事が会議の目的なんですから。

実際、今回私が掲載頂いた『シオリ★』のデザインだって
雨宮部長の『シオリ★』像とは異なると書かれていますし。
でもそれでもいいんですよ。
色々な意見を持ち寄った方が、良い物は出来るんです。


でも一つだけ言えるのは。
立案者が最初に完璧なビジョンを持っているかどうか。
何をやりたいか説明できるかどうかって、作品の指針を決める上で
非常に大切なんですね。

素材が魚か肉か決まらなければ、献立を決められないのと同じです。
どんな味付けになろうと、素材そのものが変わる事はないですから。



さて。いつもの癖で前段が長くなりましたが
この「企画のビジョン」を作り上げる上で、私には重要視している要素が一つ。
「クライマックスに流れるBGM」の選定です。
そこにこだわる理由は、私の作品嗜好にあります。

昔から「ネヴュラ」にお越しの方々はご存知かもしれませんが
私が一生で一番作ってみたいドラマは『必殺シリーズ』なんです。
これまでも折りに触れ、お話してきました。
よく話題に出るウルトラ・ライダーなどのヒーローものではないんですよ


現在放送されている「2009」はちょっと怪しいですが
必殺シリーズはクライマックス、殺しのシーンに流れるBGM
通称『殺しのテーマ』が、非常に魅力的に演出されています。

古今東西、確かにどんなヒーロードラマも、クライマックスには
アップテンポのBGMが流れ、ヒーローはその勇壮な調べに乗って
悪を爽快に撃ち砕くのですが、ことカタルシスという点に於いて
必殺シリーズのBGMは群を抜いているように感じるのです。

あくまで個人的な感覚ですので、異論もおありでしょうが


必殺と言えば例の『殺しのトランペット』が有名ですが
必殺BGMはそれだけで語りつくせない奥深さがあります。
ファンならよくご存知の「仕置人」の『やがて愛の日が』
「仕留人」の『旅愁』「仕置屋」の『哀愁』などなど
アップテンポではないのに異常なまでの緊張感と爽快感を与える
BGMも数多く、シャープな映像美とも相まって、他のヒーロー番組にはない
一種独特のクライマックステイストを形作っているのです。

そんな、他に類を見ない独特のテイストを、私は何とかして
新ヒーロー作劇の一つの「特徴」として採り入れようとしているのですが
それに当たって一つ、気づいたことがありました。
まー今さら、言うまでもない事ですが。


必殺シリーズの殺しのテーマは、すべからく番組ラストに流れる
「主題歌」のアレンジBGMという事ですね。

前期では「仕事屋稼業」の『夜空の慕情』(コレがまた名曲)など
稀に例外もありましたが、いわゆる「仕事人」プランド中期くらいまでは
そのスタイルが踏襲されていました。
この「殺しのテーマが主題歌のアレンジBGM」という措置が持つ効果は
意外に軽視されているようですが、実は非常に大きいような気がするのです。
クライマックスに流れるBGMが印象的な必殺シリーズでは
主題歌の選定がそのまま番組イメージを決定し
てしまう、という事なんですね。

例えば「新・必殺仕置人」の殺しのテーマがあの『あかね雲』の
名アレンジでなかったら。
念仏の鉄の背骨折り、巳代松の「二間」、八丁堀の豪快な殺陣が
あれほど魅力的に映ったかどうか。

「仕事人」近作の、いつでも『荒野の果てに』が流れる殺しのシーンを見て
「これなら何を見ても同じじゃん」と肩をすくめた経験は
私だけじゃないと思います。
殺しのシーンとBGM、主題歌の印象をセットで覚えている前期必殺ファンの
私にとって、企画立案に当たって作品のクライマックスを重要視する上で
「そのBGM=主題歌」の想定は非常に大事なのです。

最近の深夜アニメなどと違って、私の立案企画はシーズンごとに
主題歌がコロコロ変わりませんし
バラエティー番組みたいに売り込みアーティストのプロモを
ワイプで映したりしませんから


ただそうは言っても、私には作曲の才能などありませんし
自作の「主題歌」として想定するのは、やっぱり既存の曲という事になります。
「うわー気持ち悪い。オタクイーンってそんな発想法なんだー」
とガッカリされる方も多いかもしれませんが こんなもんですよ私なんて
まー一つの曲から一本の映画ができる事だってよくありますしね。
古くは「神田川」から、最近は「涙そうそう」とか
私の場合は、自作企画のシュミレーションに既存曲を当てはめてみる
という事です。


さて。この発想法、私の中ではけっこう確立されていまして。
これまで『宇宙船映像倶楽部』へ提出した応募企画には
すべてこの「想定主題歌」があります。

まーここではちょっと言えませんが、いずれも作品のクライマックスを彩る
名曲ばかりと、自分では思っています
その「想定主題歌」を自分なりに脳内アレンジして
想定プロットのハイライトに流すわけですね。
もし企画が実現しても、別にその曲を使おうと言うんじゃないんです。
いわゆる「脳内イメージソング」とでも言うべき扱いなんですね。

しかもこの発想法、予想していなかった一つの効能もありました。
要は「作品のクライマックス」って、企画がある程度進行しないと
思いつかないという事なんです。
つまり逆に言えば、「主題歌=クライマックスのBGM」が思いつくって事は
それだけ企画が固まってきた証拠なんですよ。


「うーんここでカットが変わってキャラがこう動くでしょ。
そーしたらこのタイミングでバーンとBGMだよね。
で、あのSEと共に技が唸ると。うわートリハダが立つほどカッコイイ
みたいな。うーんおバカ
こうやってBGMのタイミングさえ見計らいながら一つ一つのシーンを
脳内演出していくと、それが完成する頃にはもう
会議でプレゼンできる状態になっていると。
逆に言えば、そこまで作りこんでいないと不安なんですね。
「出来ていない所がある」みたいな「食べ残し感」がいやなんですよ。


でもまー考えてみれば、それは遠い昔、幼い頃に毎日繰り返していた
「怪獣ゴッコ」に通じるものですよね。

ソフビの怪獣をぶつけながら自分でセリフを喋り
光線まで「ビビーッ」て音をつけて。
脳内では伊福部昭や宮内國郎のBGMが鳴りっ放しでしたもんね。
そうやって今も、私は企画を考えるなんて大儀名分の下で
雨宮部長に遊ばせて貰っているのかもしれません



さて。今回のプロット考案もいよいよ佳境に入ってきました。
課題のキャラデザインもありますから、プロットだけにも構っていられません。
漠然ですが何となく、ヒーロー像は浮かんできました。
『一筆啓上、企画が見えた』ってところでしょうか。
で、今は、クライマックスを盛り上げる「主題歌」探しにかかっています。

コレがまた楽しいんですよねー。
ちょっと今、気になっている曲が梶芽衣子の『修羅の花』。
うわーマズイ。これじゃ『キル・ビル』になっちゃいそう

にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ

2009年3月21日 (土)

小五郎はなぜ降りたのか

いやー久しぶりに、旧作・新作ファン共に黙っちゃいない作品が現れましたね
昨夜放送の必殺仕事人2009第十話『鬼の末路』。

多くのブロガー諸氏がここぞとばかりにアップされた感想の量を見ても、視聴者に与えたインパクトは大きかった事が窺えます。

旧必殺ファンにとってこのエピソードは「必殺って、もともとこういうお話だったよね。」
いわゆる仕事人ファンには、「えーっ!何なのこのハードな展開は?」みたいに映った事でしょう。

私などは劇中、小五郎(東山紀之)が源太(大倉忠義)に、また中村主水(藤田まこと)が涼次(松岡昌宏)に飛ばす激を聞く度に、これでやっと若手二人の「お遊び仕事」に
ケリがつくかなと喜んでもいたのですが
まるでお説教しているみたいでしたもんね。
「思い上がってるんじゃねえ!」「俺たちゃなあ、一つの命で繋がってるんだ。」
そうです。ヘマをすれば仲間の手で「ぶった斬られる」。
こんな事、当たり前なんですよね。それが殺しを生業とする者たちのルールです。

以前からお話しているように、本来人を殺めるという事は犯罪であるわけで
その事実は<いかに大江戸ファンタジードラマ「仕事人」であっても
避けては通れないわけです。

そこを再確認させ、仕事師の悲惨な末路を認識させてくれた
脚本・寺田敏雄氏の意地、それを受けた石原興監督のクールな作劇には
久々に溜飲が下がりました。


まー大方の予想通り、当初「2009」はワンクール放送の予定でしたから
当話を含む前後編でラストをハードに締めくくる予定だったのでしょう。
しかし番組延長の措置により軌道修正が難しく、結果的にシリーズ中盤にして
明らかに作風の違う、ハードストーリーの登場となったものと推察できます。
とはいえ、やはりスタッフは甘みタップリの「仕事人」シリーズを
何とかシリーズ初期のハード路線に戻す意欲に満ちていたんですね。
そんな気概が窺えただけでも、旧作ファンにとっては嬉しい出来事でした。


さて。今回も例によって、ご覧の方以外は放ったらかしの乱暴な感想ですが
まずこのエピソードのみに関して言えば、傑作である事は間違いないでしょう。
いやー私が悪うございました。良い物は良いと素直に言いたいです。

実際、開始当初から「2009」を色メガネで見ていた私は
リアルタイム鑑賞もする気にならず、昨夜の録画を今朝見たくらいですから。
で、ひっくり返ったと
これだけは最初にお断りしておきます。
重箱の隅つつきのようなアンフェアはしたくありませんので。


ただ、冒頭で褒めちぎっておきながら、やや消化不良がある感も禁じ得ません。
それは、ほんの一部に分かりにくい点があるというだけで他はパーフェクト。
近年まれに見る名作であった証でもあるわけです。



で、私が消化不良と感じた点ですが。
それは今日のサブタイトルに全て表れています。
『小五郎はなぜ降りたのか』。
まーここでストーリーを事細かにお話しするのもヤボですから
それはこちらのHPからあらすじををご覧頂くとして。


必殺仕事人2009 公式ホームページ
http://hissatsu2009.asahi.co.jp/

今回のお話は、身勝手な不安や甘えが「黒頭巾」という形を取り
江戸を恐怖に陥れる無差別殺人鬼・小山内儀助(荒川良々)を中心に
その事実を知り彼をかばおうとする母親・セツ(池上季実子)
そして使用人の乙部松右衛門(平泉成)、留吉(大富士)らが巻き起こす
極めて小規模な「お家騒動」。

セツは儀助をかばう為、乙部・留吉と共謀し、儀助の知らぬ所で今一人の使用人
喜平(内山信二)を黒頭巾に仕立て、極秘裏に殺害します。
乙部らによる喜平殺害の様子をセツが見ていた事、その後に
乙部へ礼金を渡した事から、セツがこの一件を主導していた事は明白ですよね。
結局その企みも、頭巾の裏に記されていた「たそがれを・・・」という詠を
小五郎に嗅ぎつけられた事から、仕事の線に向かっていくのですが。

ストーリーはその後、小山内家の乗っ取りを画策する乙部の反逆
喜平殺害を知った儀助のやりきれない怒りへと展開します。
「黒頭巾は、まだ、生きてる。」
セツとの絶縁宣言とも言える、儀助の心中が表れた暗く重いセリフです。
儀助を止められない事を悟ったセツは失意の中、自らの息子を仕事人に殺害依頼。
同時に、乙部と留吉もターゲットになります。

Photo
さて場面はこの後、仕事人アジトでの作戦会議となります。
なぜかここで、小五郎は仕事を降りてしまうのです。
これが私には、非常に大きな意味を持つように感じられます。
正確にはこの思いは、直後の仕事シーンを見てから感じた事なのですが。


まー源太のミスなどは「あってしかるべき事」ですし、その後の「つづく!」も
別に何という事は無いんですよ。いわゆる後引きテクの一つですし。
中村御大の殺しに至っては「お互いにこれ以上立ち回りが出来ない」
ご老体お二人の演技ですから仕方無いでしょう。
問題は、涼次の殺しです。
確かにあの場面、儀助の前にセツが飛び出した事による
「顔に似合わず情にはもろい」涼次のためらいは理解できます。
で、その直後に「何故か居合わせた」小五郎の手により
セツが一刀両断された事実も理解できます。


ただ一つひっかかるのは、この小五郎の殺しが「仕事」ではない事で。
何故なら。彼は仕事料を受け取っていない。「降りて」いるからです。

この場合、いかに涼次が情にもろくても
小五郎はセツを涼次本人に殺らせるべきでした。
いかに頼み人でも、顔を見られれば殺すしかない。これも仕事のルールです。
そういう事情なら、小五郎はあそこで手を出すべきじゃない。
涼次にセツを殺らせて、その上で涼次を「ぶった斬る」のが
仕事師のあり方ではないかと。
何しろ小五郎は、頼み料を受け取っていないんですから。
彼は頼み人にも殺しの的にも手を出せない。
逆に手を出してしまったら、もう只の「人殺し」に成り下がってしまうのです。


ここでさらに引っかかるのは儀助の母親・セツの立ち位置です。
息子を護りたいとはいえ、彼女は使用人を身代わりに殺しているわけです。
儀助を護る手段を誤ったという意味で、一番の加害者は彼女じゃないかと。
いかに頼み人とはいえ、彼女が断罪されないのは作劇上、おかしいですよね。


例えば、あのクライマックスで彼女が儀助の前に飛び出さなかったら。
彼女はその後も、のうのうと生きながらえてしまうのではと。
自分の手で息子を手にかけた罪悪感を一生背負うとしても
彼女の罪は倫理的に認められないと思うんですよね。
何らかの形でしっかりとした決着がつかなければ、視聴者には
割り切れなさが残るんじゃないかと思います。

そのドラマの重要要素である「決着」が、「顔を見られた事による偶然」
なんかで良かったのかどうか。
そこがどうにも、消化不良なんですよ。


さて。ここで再び今回のサブタイ「小五郎はなぜ降りたのか」について
考えてみたいと思うんですが。
前述の涼次の殺しの後、セツを手にかけた小五郎は、涼次のセツに対する
「頼み人だぞ」のセリフに
「俺は頼まれてねえ」と答えています。
このセリフが、非常に重要と考えるんですよ。


確かに小五郎は、アジトで涼次に「情に負けたか」と揶揄されているし
源太にも「てめえも嫌なら、降りてもいいんだぜ」と口走っているところから
ややセツに肩入れしている部分もあったでしょう。
出来の悪い息子でも、殺しを依頼する母親の気持ちを思いやる心。
だから、仕事としては受けたくない。それは感情の流れとしてあったでしょう。


ただ、こうも考えられるんですね。
小五郎は頭巾の裏に貼られた例の「たそがれを・・・」の詠により
喜平の身代わり殺しを知った段階で、事件のからくり
セツの画策を悟ってしまったんじゃないかと。

母親の辛い気持ちはよく分かる。でもその母親は頼み人となった。
だからその母親から仕事としては請けられないが、母親を許す事はできない。
だから仕事人である事を捨てて、自分の意思でセツを手にかけたと。
そういう意味で小五郎は、あえて「頼まれない道」を選んだわけです。

つまり涼次の殺しの現場に小五郎が居合わせたのは偶然ではなく
セツを狙った上の必然だったと。そんな風に思うんですよ。

あのセツの罪は、トラマの中でそれほど大きな意味を持つものと思います。


「顔を見られた偶然」などではなく、重要なキャラクターが
仕事人である事を捨ててまで許せない怒りを持つだけの意味。
情に流されるゆえ、仕事を超え「人殺し」の道に片足を突っ込む修羅の道へ。
そうとでも考えなければ、とてもあのストーリーは着地できません。

それこそ「子ども騙し」になってしまう。


ただその解釈は、同時に主水、お菊らメンバーの無能さも証明してしまいます。
そんな事情も知らず、あまりにも単純に仕事を受けてしまうお菊。
悪行にセツが加担していたかどうかも察知できず
「母親が実の息子を・・・」という同情のみで動く中村主水。
正直「ヤキが回った」と言われても仕方無いでしょう。
涼次、現太に至っては、まだ本当の意味での仕事師にもなっていません。
で、実際、ラストに至っても絶体絶命。
こんなメンバーに加え、報酬を取らず情で動く小五郎は
もはや腕はあっても、プロではありません。


一つだけ穿った見方をすれば、今話ラストの主題歌バックで
通りの葬列越しに「目の会話」を交わした、主水と小五郎の描写に
ひょっとして主水は、セツ殺しの必然性を分かっていたんじゃないか
という邪知もできますが、あの描写だけでは何とも言えませんし。

ただ主水がそれを知っていたら、あの後小五郎を斬っていたでしょうしね。
小五郎はもう仕事人ではなく、情で人を斬る人殺しですから。
少なくとも私の知る「必殺」なら、そういう展開になっていたと思いますが。


実はですね。そういう「最低チーム」の仕事稼業も、全然アリと思うんですよ。
例えば次回以後、「助け人」後半のチーム崩壊劇のような
ハードな展開も期待できるし。
そういうのって、ルーティンストーリーにはない緊迫感があるんですよね。
例えば今話ラスト、源太絶体絶命の危機を、中村主水が命を捨てて護るとか。
それを眼前にした小五郎が、改めて仕事師の業を思い知るとか。

少なくとも今回のセツ殺しで、小五郎は仕事師の道を外れてしまいましたから
今後の展開に、何らかの影響は出てくるでしょうね。

次回、それが何事もなくリセットされてしまったら
今度こそ私は「2009」を見限らなければなりませんが。



ただいずれにしてもこのエピソードは
旧作ファンにもそこまでの解析をさせるレベルに達していたという事です。
過激な表現が抑えられた現在のテレビシーンで
これほどまでに旧必殺の香りを醸し出せるとは。本当にすごい事だと思います。
改めて、スタッフの底力を思い知ったような次第です。


次回は4月10日だそうですが、個人的にはそれくらいが丁度いいですね。
あそこまで見事な引きを見せてしまうと、どんなに素晴らしい後編を作っても
ファンの期待を超える事は難しいです。ほぼ不可能に近いでしょう。

ですから、後編を妄想する時間は長い方がいい。
その妄想を凌駕する後編をもし見られたら。それは嬉しい誤算です。
今作をご覧になった方、脳内で「架空後編」を考えるのも楽しいかもしれません。
腕に覚えのある方、是非一度お考え下さい。この機会は貴重ですよ。
必殺で前後編なんて、めったに無い事ですから

2009年3月 4日 (水)

必殺仕置人激闘編

昨日からの必殺繋がりで、今日は『仕置人』を再見しました。
DVDなんか買えない貧乏人なので、鑑賞はもっぱらLDで


Photoなぜか発売予告のハガキや宣材のペーパーバッグまで発掘されちゃって。
LD絶滅の今見れば、コレも時代の遺産なのかもしれませんが。

何かと忙しかったので、今日は「娯楽篇」でスカッとしたい気分でしたが、そういう時に何故か見たくなるのが第8話『力をかわす露の草』。
まー旧作ファンなら、異論はないところでしょう

旧仕置人前期エピソード中、その強さ、手強さでは群を抜く「怪物」、雲右衛門VS鉄・錠の息詰まるクライマックスは、今も語り継がれる迫力に満ちています。
二人がかりでやっと倒せる敵なんて、最近はとんと見かけませんから。
一敗地にまみれた二人の雪辱戦である所も良いですね。


加えて、中盤で見せる鉄の超人的「牢破り」も見もの。
殺し技に通じる特技がこういう形で出てくるあたり、前期必殺がいかにドラマと殺しをストーリーに関連付けていたかがよく分かります。

しかも常軌を逸した敵役・おぬいの方の行動にも、悲しいまでの裏事情が潜んでいるという。娯楽篇と思われるエピソードにさえ、こういうドラマがあるんですね。
ラスト、仕置の事実を自害としてもみ消す当主のしたたかさ、「晴れ晴れとした顔」も、大人の事情を感じさせほろ苦い笑いがこみ上げてきます。
そこが再見に耐えるゆえんでしょう。

まさにこれこそ「仕置人激闘編」。ホントに激闘してますから
こういうのを見ちゃうと、旧作擁護派と揶揄されても胸を張って頷ける自信が出てきちゃって。やっぱり面白いです。仕置人は

未見の方も機会あれば、ご覧になって損はしないと思います。

一本見ちゃうと止まらないのが悪い癖。明日はハードワークなのに。
次はサスペンス篇の第15話『夜がキバむく一つ宿』見ようかな
(なんかもう、知らない方ほったらかしの日記ですね。ごめんなさい


Photo_2






今日までの累積歩数・94574歩。
人類メタボーまで、あと81

2009年3月 3日 (火)

地獄道迷い道

せっかくの桃の節句なのに、今日の名古屋は小雪交じりだったそうで。
ウチは名古屋のはずれなので、雪までは降りませんでしたが。

それでも冷たい雨の中、「イスカンダルの森」までウォーキングしてきました


そのウォーキング前に、景気づけで先月27日放送の
必殺仕事人2009・第七話『金が仇』を見たんですが。

録画したまま、見ていなかったんです


まーある意味、安心して見られる直球ストーリーの作品。
あい変らず、セットや照明技術など現場スタッフの力の入れ方は半端じゃありませんね。画面のクォリティーは、ひょっとしてシリーズ最高じゃないでしょうか。
この不況下、あそこまで豪華な画面は奇跡に近いです。

でも、その最高のお膳立ての中で繰り広げられるドラマは、まーあい変らずの雰囲気で
これは決して、否定しているのではありません。
ドラマがキャラクターの存在感を阻害しない作劇を製作側が意識的に行っている以上、
これも非常に真っ当な作品のあり方なのです。
以前もお話しましたが、そうでなければ、ここまで人気が出るわけがありません。

でもこの『2009』、旧必殺ファンの私から見ると、どうしてもある種の『まったり感』が
拭い去れません。「サビぬきのお寿司」みたいな感覚でしょうか。
口当たり良く、毒がなくなっちゃってるんですね。『仕掛人』~『新・仕置人』あたりまでに
感じた「見終わった後、ボディーブローのように心に響く何か」が無いんですよ。
その要因はもちろん、見る側の私にもあるのでしょう。
年齢を重ねた上の「感力の衰え」は認めざるをえません。
でもそれを抜きにしても、どうも残るものがない。


で、今日『2009・第七話』を見ていて、その「まったり感」の要因として
思い当たる点が三つほどありました。

あくまで「良い悪い」ではなく「感じた事」なので、決して誤解なさらぬよう。



一つ目はカット割りの問題ですが、これはかなり専門的な事なので、
ちょっと説明するのは難しいです。

非常に乱暴に言えば、各シーンが登場人物のフィックス画面で始まる場合が
多いという事ですね。その後のカット運びも、比較的フィックスの切り返しが多い。

この演出は画面に安定感を与えたり、状況を説明する為には最適ですが、
その反面、ストーリーに「コク」がなくなってしまう。
映像的に、ストーリーの起伏を感じづらくなってしまうんですね。
今回で言えば、例えば本編開始16分後、お座敷のシーンは三味線の音バックに
障子越しの人影から始まる、といったような「カット割りの芸」が欲しいわけです。
それをいきなり、お座敷のロングから始まっちゃうと・・・みたいな感覚ですね。
前のカットもフィックスだっただけに、ワンカット挟んで欲しかったなと。



二つ目は「殺しのシーンは仕事人目線が顕著」という事でしょうか。
要はカメラは、最初から各仕事人の側を捉えているんですね。殺しのターゲット側には構えられていない。で、案の定「いつもの殺し」が展開すると。
これは企画意図から来た演出ですから仕方がありませんが、
そういう演出は仕事人のヒーロー性を強調する一方、「今回はどこから仕事師が
姿を現すのか」というサスペンスを削いでしまう欠点があります。
旧シリーズではこの逆で、「悪役目線」が多かったので、予期せぬ所からいきなり現れる仕事師の姿がサプライズ性を非常に高めていたんですね。
「おおっ!今回はこう来るわけね!」みたいなある種のワクワク感が、
えもいわれぬカタルシスを生んでいたわけです。

旧作をご存知の方は「仕置屋」第2話「一筆啓上罠が見えた」の「飛行折鶴殺し」や、「新・仕置人」第2話「情愛無用」の「襖の奥に巳代松」みたいなシーンに
興奮されませんでしたか?
旧作でよく見られたシーンですが、後を振り返った瞬間、昼行灯から殺し屋の表情に変わる中村主水なんかも、サプライズ演出の見本のように感じるんですが。


逆に、殺しのターゲットが強いなんていうのもワクワクしましたよね。
「仕置屋」19話「一筆啓上業苦が見えた」のクライマックスなんて・・・

あれは番外編中の番外編、主水をあれ以上追いつめた敵役も居ないでしょうが。
結局、敵が強くなければ、仕事師たちの強さも表現できないという事ですね。
2009第六話『夫殺し』の西村和彦なんて、そういう役どころだと思ったんですが



で、三つ目。実は今回、これが一番思った事ですが。
「仕事師たちに『死の匂い』が感じられない」というところですね。


彼らの「仕事」って、人を殺めることですよね。で、『2009』の仕事人たちって、
本当にその重みを感じているのだろうか、なんて思っちゃうわけです。

まーこれも企画意図次第ですから、ここで言っても仕方がないんですが
必殺シリーズの場合、ターゲットは「悪役」「生かしておいてはならない存在」と
決まっていますから、殺しのシーンにはカタルシスがある訳です。
でもそんな中、折りに触れ仕事師たちを襲う「地獄に片足を突っ込んだ絶望感」
「二度と抜けられない業」みたいな描写って、非常に大事だと考えるんですよ。

私なんかには、必殺シリーズの仕事師たちは、
「罪を背負わなければならない稼業に手を染めざるをえなかった、悲しい者達」
という印象があります。

ヒーローじゃないんですよね。一言で言えば「アウトロー」なわけです。


さらに、彼らを襲うのは「意識」だけではありません。
以前もお話しましたが、彼らは社会的に見れば「殺しの下手人」であるわけで、
捕まれば獄門晒し首、死を免れる事はできません。

仕事師たちには「お上の名の下に合法殺人を行える特権」は無いのです。
ですから殺しに手を染めてしまった以上、彼らは一生、町方の目を窺いながら
隠匿生活を続ける以外、生きる道はないわけです。決して目立たず、ひっそりと。


さらに裏の仕事師同士の抗争だって、決して勃発しないとは限りません。
いつ寝込みを襲われ命を奪われるか。そんな過酷な毎日が待っています。
そういう意味で彼ら仕事師の周りには、常に意識の上で、また社会的にも、
自らを死に導く暗い穴が口を開けているんですね。
周りはすべて『死』と言ってもいいでしょう。


その緊張感、またそれを受け入れる覚悟が、『仕事人2009』のメンバーに
あるかどうか。これが非常に疑問なんですね。

例えば「仕業人」第2話「あんたこの仕業どう思う」で、飄々と殺しを行う
大江戸プレイボーイ、やいとや又右衛門が、殺しの前に表稼業のお灸療治を
無料で施した事がありました。
やいとやはその時、殺しに失敗した際、また捕えられた際の死を覚悟していたと思います。

これが表稼業の最後になるかもしれないから、飛ぶ鳥あとを濁さずの思いで
施しをするわけですね。
それを顔に出さないところが、やいとや自身の決意をさらに強調します。
私はそういう所に、必殺シリーズの奥深さを感じるんですね。
スーパーヒーローではない、アウトローの生きざまを。


こういう奥深さが『2009』から感じられない理由は、ひとえにキャラクター造形の
方向性の違いでしょう。

彼らが生きている「江戸」は、かつて旧作で仕事師たちが壮絶な生きざまを見せた「江戸」とは別の世界なのです。
本当に、同じタイトルでここまで世界観が違うのも珍しい。
それが悪いという訳ではないんですよ。要は「住み分け」という事ですね。


ただ思うのは、「死を覚悟した上での生きざま」があってこそ、
仕事師は仕事師たりえるんじゃないかという事ですね。
必殺の代表的口上『人のお命頂くからは、いずれ私も地獄道』は、
けっして語呂合わせのキャッチフレーズじゃないんですから。

『2009』が目指す『地獄道』とは何なのか。
そもそもそんな道など、『2009』は目指していないのか。
地獄への行き先を迷い、途方にくれるスタッフの姿が目に浮かびます。
まー私の考えが、時流に合わないんでしょうが



お仲間をはじめ、数多くの皆さんが必殺シリーズの二次創作を楽しんでおられますので、私もお遊びで、一つキャラクターを考えてみました。
もうベタベタの旧作テイストですが


このキャラクターは、すでに「死を覚悟した生きざま」を選択せざるをえません。
なぜなら。彼の体内には、今も刀の破片が残っているからです。
それは以前、敵に刺された時の刀の切っ先。

江戸時代の医療技術では取り出せないほど体に深く食い込んだ切っ先は、
傷が治ったあとも彼の体に残り、命を蝕んでいました。
刻々と心臓へ向かうたった一片の、しかし鋭利な刃。
見かけは健康に見えても、確実に死の刻は迫っています。
死期を悟った彼は、地獄への道連れを一人でも増やすため、殺しに臨むのです。


ですから彼は、この世への執着がありません。
仕事料はすべて、遊興費に使ってしまいます。
しかし自らが、地獄に片足を踏み入れていることを分かっています。
「外道を地獄に落とすにゃ、俺みたいなのが丁度良い。」
その命が燃え尽きるまで、彼は一人でも多く「道連れ」をあの世へ送ります。
悪人を仕置すればするほど、彼の生は輝くのです。


エピソードを重ねるごとに、彼の容態は悪化の一途を辿ります。
最終回。最後の大物を前に、満身創痍の彼はどんな生きざまを
見せるのでしょうか。


こんなキャラクター、今の仕事人には絶対にありえないでしょうね。
「死」をここまで突きつけられればこそ、人間は生を輝かせる事が出来るような
気がします。たとえフィクションでも、バックボーンは必要なのです。

この設定には、中村主水以下仲間の存在はおろか、殺し技さえ決めていません。
ここまでシビアな設定だと、生半可な技ではバランスが取れないかもしれませんね。
無知な私ですから、こんなキャラクターはとっくに生まれているかもしれませんが。
でも、こういう仕事師を生き生きと描ける世界観が、私の求める必殺です。
近作のファンには、お分かり頂けないかもしれませんが

新・仕置人の鉄とは違いますよ。あっちは鉛弾ですから



舌足らずな上勝手な私見を、長々と失礼しました。
旧必殺ファンのたわ言と、お笑い下さい。
人間の深層に迫った面白い「必殺」を、いつか見たいものですね。
あ、このキャラクターが活躍するなら、私もパートナーとしてぜひ登場したいな。
「情報屋お託」とか言って


Photo_3






今日までの累積歩数・87145歩。
人類メタボーまで、あと82