カテゴリー「仮面ライダー他」の記事

2008年11月19日 (水)

回転する命

前回からのバイク繋がりというわけでもないんですがhappy01
先日、こんなアイテムを入手しまして。


Photo_2バンプレストのプライズ商品
『仮面ライダーベルトディスプレイ』です。

箱のサイズはタテ17cm×ヨコ15cm。
ベルトのモデルはこれまで、食玩サイズでは出ていましたが、このサイズでのリリースは初めてじゃないでしょうか。

左の本郷さんはバンダイ食玩・仮面ライダーメモリアル。サイズ比較用です。
このベルト、こんなに大きくて980円ですからねー。
良い時代になったものですhappy01


Photo_3中身はこんな感じで。
旧1号、旧2号のライダーベルトが精密に再現されています。

ライダーのお二人は前述と同じくバンダイの食玩、ザ・仮面ライダー。
ベルトの大きさがお分かり頂けるでしょうか。
こうやって置いてみると、何かのモニュメントみたいでカッコいいですねーhappy01


きっとマスクコレクションのように、このベルトコレクションも後続リリースされていくのでしょうね。
個人的にはこの二つで充分ですが。新1号、2号のベルトは旧2号とおんなじだしhappy01

ライダーベルトと言うと、私にはなぜか独特のイメージがあります。
「改造人間本郷猛は、ベルトの風車に風圧を受けると、仮面ライダーに変身するのだ!」という中江真司さんのナレーションとともに、強烈に心に刻み付けられた、旧1号以来の設定から来るものなんですが。Photo_15

石森章太郎氏の原作漫画でも強調されていましたが、仮面ライダーって『風力』がエネルギー源ですよね。
風圧によってベルト中心のタイフーンが回転、それが変身エネルギー、ひいては活動エネルギーに繋がると。
確かに改造された肉体あっての超能力ですが、その強靭なパワーを生み出すものは、すべてこのタイフーンに受ける風で体内の『風車ダイナモ』が生み出すエネルギーであるわけです。
Photo_5 
オートバイ走行により体に直接風を受ける皮膚感覚。しかもその風が変身エネルギーになるという設定は、よりライダーとサイクロンの関係を密接にし、バイクヒーローである事の説得力を増していました。
仮面ライダーが他のバイクヒーローと一線を画す部分は、この「風」がエネルギーという設定が実に大きいのです。
その象徴が変身ベルト、その中心のタイフーンなんですね。Photo_16

旧1号時に強調されていたその設定は、2号編で『変身ポーズ』が採用されてから、やや影をひそめた感もありますが、それでもやはり、変身の瞬間はタイフーンが回り、風を取り込んでいるという表現がなされていました。
そういう意味でライダーは、やはり『風の戦士』なんでしょうね。

サイクロンを駆り風のように現れて、風のように宙を舞い戦う戦士。
ライダーアクションにつきまとう風のイメージは、すべからくこの変身ベルトの設定と直結しているような気がするんですね。Photo_12

劇中では「風車によってエネルギーを蓄える」と語られていますが、私には、ライダーが戦っている間は、常にタイフーンが回転しているような感覚があります。
タイフーンの回転はライダーのパワーを増幅させるものであり、風を取り込めなくなる事は、ライダーの活動限界を示す事になるからです。

その役割は、ウルトラマンで考えれば、ベーターカプセルとカラータイマーが一つになったようなものかもしれません。
タイフーンはそれ自体がチャージシステムであるだけに、役割は重要。
変身ベルトにダメージを受ける事は、そのままライダーの敗北に繋がります。

タイフーンの停止は、カラータイマーが輝きを失う事に相当すると考えれば分かりやすいですね。
技術的な問題からか、劇中では戦闘中に回転している描写はありませんでしたが、やはりタイフーンはライダーのライフライン。稼動は必須なのです。

確かにカラータイマーによって残り時間が示されていた分、ウルトラマンの方が活動限界は明確でしたが、ライダーだって「風力エネルギーの欠如」というリスクを負っているわけですよね。
旧1号編をリアルタイムで見ていた子どもの私にも、それはよく
分かりました。
でなければ、ショッカーがあれほどタイフーンの回転を阻止する作戦を熟考するわけがないと。第6話・7話での解説がそれを物語っています。

それほどライダーにとって、風車ダイナモによるエネルギーチャージは重要なものなのです。

(この『風車ダイナモ』という響き、個人的には大好きなんですよね。どこか「発電」というイメージがあるからでしょうかhappy01Photo_17  
例えば。ライダーベルトにもしタイフーンがついていなかったら。
タイフーンの回転がエネルギーを増幅させるという設定がなかったら。
仮面ライダーという作品が、あれほどの説得力を持ちえたかどうか、私には非常に疑問なのです。

風をエネルギーとしない後発のライダー達に今ひとつライダーらしさを感じられない事が、その事実を明確に示しているような気もするのですがhappy01


タイフーンのないライダーは、カラータイマーのないウルトラマンみたいなものなのかもしれません。
『光』であるカラータイマーと、『風』で回転するタイフーンが、それぞれのヒーローのイメージ・アイデンティティーを雄弁に語っている所も、非常に面白いですね。
ウルトラマンが光を命とするように、仮面ライダーもまた風を命とするのです。
タイフーンの回転が、命の灯という訳ですね。


つくづく、成功するヒーロードラマには秀逸な設定が用意されている事を痛感しますねー。しかもそれはすべからく、シンプルにして力強い。
いやー私なんてまだまだですcrying
Photo_11ベルトの入手があんまり嬉しかったので、手持ちのアイテムと記念撮影camera
左端のマスクは、今回初公開の桜島1号です。
アンテナの形が右のモデルと違う所が、こだわりを感じさせて素敵happy02

2号のマスクは持ってないので(ベルトが出るなら買っておけばよかったcrying)並びがちょっとおかしいですが、まーご勘弁下さいhappy01
でもやっぱりいいですねー。こうやって揃えてみると。
初期ライダーのデザインって、なぜどこから見てもカッコいいんでしょうlovely
改めて惚れ直してしまいますheart04


バンダイの1/1ベルトは買えませんが、私にはこれで充分です。
愛車、ストロング・ヴェルデの修理費で、お財布のお金は風のように飛んでいってしまいましたからweep
あー北風
が懐に寒い。ライダーには恵みの風かもしれませんがhappy01

にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年5月21日 (水)

カリスマ性に代わるもの

先日レンタルした『仮面ライダー THE NEXT』。もー見まくりで。
本編も充分楽しみましたが、同業ゆえ監督の思いなどに最大の興味を持つ私は、田崎(当て字でゴメンナサイ)竜太監督、主演の黄川田将也さんらのオーディオコメンタリーばっかり聴いてます。

色々な裏話やシーン毎に込められた演出、演技への思いが聞けて、非常に面白いコメンタリーなんですが、中でも印象に残ったのが田崎監督による「本郷猛像」でした。
ちょっと要約、補足しますと。



『本郷猛は、その時代の若者達のある種の代表である。
でもその若者達とまったく同じであっては、主人公足り得ない。
若者達からどれだけ「浮いている」か。どれだけ「変わっている」か。
それが主人公たるゆえんであり、オリジナルの本郷猛にもあったと思う。
70年代の若者が持つちょっと排他的な部分などからかけ離れた、真っ直ぐなところがあったり。
それは「NEXT」の本郷も同じと思う。
まったく屈折していない「真っ直ぐさ」という意味で。』



「なるほどねえ。」監督のこの言葉に私は感心しまして。さすが田崎監督とhappy01

先日から様々な事情で「ヒーロー像」というものを模索していた私は、「ヒーローが変身する前」いわゆる人間体の時のキャラクターを掴むのに苦心していました。
その時無意識に感じていた事が、ここで言語化されたような気がしたのです。
確かに本郷って、藤岡弘、氏演じるオリジナルライダーの頃からいい意味で「浮いて」いましたよね。


その後、田崎監督はこんな事も話されました。
劇場版本郷、黄川田さんのルックス、プロポーションに触れて・・・
『ヒーローやカリスマと呼ばれる存在は、人間が生まれ持った「この人について行けば命が安全」という本能を刺激する雰囲気を持っている。
本郷猛も、そういうものを持った存在であってほしいと思う。』



その後、お話は黄川田さんの「本郷プロポーション」に続いていくんですが、これも非常に興味深いお話でした。

以前から私も、ヒーローの人間体に感じるカリスマ性を、「他のキャラからの浮き加減」に感じていたような気がするのです。
浮いたという表現が適切でなければ「超然ぶり」と言い換える事もできます。
「頼れるお兄さん」的信頼感を覚えさせる雰囲気と言いましょうか。

出演者全員が並んだ場面で、何も言われなくても「この人がヒーロー」と確信させる何かを持った存在。カリスマ性とはそういう事を言う
のでしょう。

特撮の派手さゆえ、変身後の姿がピックアップされやすい変身ヒーロー。
それも大きな魅力ではありますが、考えてみれば変身前の姿って非常に重要ですよね。本郷猛をはじめ彼ら人間体こそが、ドラマを引っ張る訳ですから。


いつものようにここでお尋ねしたいんですが、皆さんは「変身前のヒーロー像」についてどんな印象をお持ちですか?
私も今回、例の企画書を考えながら、その事がいつも頭にありました。
「ヒーローは普通の人間じゃないんだから、その心理状態もどこか普通と違うんじゃないかなー」なんて。
でも私は普通の人間ですから(異論はおありでしょうが、あえてここは普通と言わせて下さいcoldsweats01)そういう心理状態は想像つかない。


ただこの発想にはもう一つの切り口があって。
「元々、本郷猛にはヒーローとなるべき「超然性」「カリスマ性」があって、改造後の能力とは関係ない。その精神性があったからこそ、彼はショッカーに反旗を翻す気になった筈」というもので。
「カリスマ性が先か、ヒーロー能力が先か」みたいなお話ですね。
ヒーロー能力が性格に影響するのかどうか。それはヒーローの出目によってまったく異なりますが、ことライダーに関して言えば、やはり本郷猛のカリスマ性は生来のものだったと思います。


で、ここからは非常に難しいお話なんですが、田崎監督がおっしゃるようなヒーローの「市井の人々からの浮き加減」って、今も昔も不変の物なんでしょうか。

星の数ほど生まれたヒーローの中で、人間体にカリスマ性を感じる作品は多いですね。前述の「仮面ライダー」をはじめ、「ネヴュラ」でも話題に上る「ウルトラマン」も同じ。
ただヒーローを考える上で、ここに実は大きな世代間の違いがあるような気がするのです。
最近のヒーロー番組を応援する子ども達や若者って、ヒーローの人間体に「カリスマ性」を求めているんだろうか、という事ですね。
田崎監督がおっしゃった「本郷猛の真っ直ぐな性格」や、ウルトラマン=ハヤタ隊員に感じる「ゆるぎない正義感」のようなものを。

思えば名作と言われるヒーロードラマは、人間体ヒーローのカリスマ性も大きかったような気がします。


いつもの私見で申し訳ありませんが、最近のヒーロー番組はかなりこの「カリスマ性」が失われているような気がするのです。
ヒーロー番組とはいえ、作品は時代と切り離して考えられないですから、これが今の若者の望むヒーローのあり方なのでしょう。
「カリスマ性を持ったヒーロー」「一点の曇りも無く正義感に満ちた人間体」という存在が、リアリティーを持ちにくくなっているという事なのかもしれません。


田崎監督はこうもおっしゃいました。
『今回のTHE NEXTでも、本郷の真っ直ぐな性格は受け継がれている。』

確かに画面から受ける印象では、本郷の性格は「藤岡本郷」を受け継いでいると思います。
ところがその真っ直ぐな性格が、現代では「笑いのネタ」にされてしまう。
時代のリアリティーを求めると、そういう演出にならざるをえないんですよね。
ですから「THE NEXT」では、本郷のその真っ直ぐな部分を「カリスマ性」として描かずに、ライダー変身後の姿に説得力を持たせている。

劇中、高校教師の設定の本郷は、変身前は徹底的に生徒にバカにされています。重要な役割を持つ生徒・琴美(石田未来)も、本郷が変身するまで彼にカリスマ性を感じないのです。


これは田崎監督の意図とはちょっと違う部分ですね。
監督は人間体の本郷にもカリスマ性を与えたかったようですが、私はそうは感じなかった。これは監督の意図が外れたというよりも、どうしようもない「時代の空気」じゃないかと思います。
ただそのドラマ構造、2号・V3をはじめとするキャラクターの描き方があまりにも素晴らしいので、「NEXT」は絶妙なバランスを保ったまま、大傑作となりえたわけですが。
しかしながらこのドラマに、オリジナルTVシリーズの持つヒーローの魅力はないと思います。

おそらくヒーロードラマは、アクションやキャラクター心理造型のリアリティーと引き換えに、人間体のカリスマ性を失いつつあるのでしょう。
それを
一概に悪い事とは言えません。
人それぞれ受け取り方は違いますし、「NEXT」のように、そのバランス感覚が素晴らしい作品に結実する場合もある訳で。
ただそれはひょっとすると、この作品のみに許された「一回限りの離れ技」だったのかもしれないなー、なんて考えたりして。


「NEXT」の成功要因は、TVシリーズのライダーが本来持っていたヒーロー性の代わりに「リアルなライダーアクション」「ホラー要素」を持ってきた事と思います。
リアルなアクションは、おそらく昔のファンが記憶の中で極限まで美化したライダーアクションを現実化したものでしょう。あれくらい完璧なアクションを見せなければ、ファンの脳内で熟成されたライダーの勇姿には対抗できないのですhappy01
「NEXT」のホラー要素は、仮面ライダーという作品が本来持つそれとは異質のものですが、あれを取り去ってしまったら、ただのアクションドラマになってしまう。
「もっとあのライダーアクションを堪能したかったのに。あんなアイドルの悲劇なんて要らないんじゃないの?」というご意見もおありでしょうが、あれはライダーのカリスマ性だけで作品を引っ張っていけない事情が絡んでいるため、どうしても必要なものじゃないかと。


個人的には、ライダーアクションは「ここぞ」という時に少し出すのが効果的なのであって、のべつまくなしに見せるものではないと思います。
オリジナルTVシリーズだってまず戦闘員との「前座」があったからこそ「ライダー変身!」の瞬間にカタルシスを覚える訳ですし。
その場面まで視聴者をドラマを釘付けにするもの。
昔はそれが「変身前のヒーローの魅力」であり、カリスマ性だったのかもしれません。ただこれは、個人個人でヒーローに求めるものの違いにより変わってきますね。私の場合、それがカリスマ性だったという事です。


「キャラクター性」とはまた別ですよ。ハヤタ隊員なんか非常にキャラクター性は薄いですが、カリスマ性はあったと思います。そういう事なんですね。
残念ながら、現在のヒーローはそれが禁じ手となっている。
と言うより、時代に受け入れられないんですね。

「仮面ライダーカプト」の天道総司なんていい線いってたんですが、そのカリスマ性がお笑いネタ化していく過程に、製作陣の苦悩を非常に感じます。


現在、ヒーロードラマの作り手は、おそらくこの「人間体のカリスマ性」に代ってドラマを引っ張る要素を、必死に探しているのではないかと思います。
それがおそらく視聴者に不評の「謎解きの無い謎」であり「笑いの要素」であり「必要以上に複雑な設定」だったりするのではないかと。
「未完成のヒーローが成長していく過程」というドラマ構造も、その一つと言えるのかもしれません。ただ私には、そのどれもが正解ではないような気もします。
ドラマとしては成立していても、カタルシスを感じないからです。


そういう意味では、現在はまさに「ヒーロー不在の時代」なのかもしれません。
いくら変身ヒーローの形をしていても、そこにカリスマ性は無いですから。

個人的には、作品にカタルシスやパワー、勢いを生むものは、ヒーローそのものの魅力と思います。
まーこれも、古いオタクの戯言なのかもしれませんね。
もはや、ヒーローにカリスマ性を感じてはいけないのかもしれませんcoldsweats01


ただ、月光仮面に始まり、ウルトラマン、仮面ライダーと、人間体にカリスマ性を感じるヒーローを見て育った私などは、この現状に大変な閉塞感を感じます。
非常に思うんですが。今のヒーローファンって、たぶん自分とヒーローを同じ目線で見てますよね。「友達感覚」と言うか。
ですから戦う意味そのものも変質せざるをえない。「人類の平和」よりも「ごく仲間内の危機」の為に戦うヒーローの方が、リアリティーを持つ訳です。
ここが私などとは決定的に違う所ですね。
私の時代、ヒーローは文字通り「英雄」。見上げる存在でしたから。

見知らぬ人を被害者にしない為に戦う、オリジナルTVシリーズの本郷。
自分の生徒や知人を被害者にしない為に戦う、「NEXT」の本郷。
この差なのかもしれません。

たぶん「藤岡本郷」なら、「NEXT」で被害者となったChiharuファンクラブ会長、岡村を助けられたのかも。
自分の目の前で怪人に襲われる人間を、助けられない訳はない。
そう思わせる何かを、昔のヒーローは持っていたのです。


そういう意味では「NEXT」も前述の要素に近いですが、あれは観客の心理が「友達感覚」に行く前に、アクションとホラーの「絵」で押し切ってしまう。
失われたカリスマ性に代わり、それらの要素が奇跡的にうまく機能しているんですよ。穴を埋めていると言うか。
「キャラクターのパワー」より「作品のスタイリングの良さ」なのかもしれません。
それが逆に、ライダー世界のリアリティー構築に繋がるあたりは見事ですが。
テロ組織としてのショッカーのスケール感は、今作が一番リアルと思います。
あるいはそれが、ドラマ作りの一つの突破口だったのかもしれませんが、おそらくそれだけでは「人間体のカリスマ性」に取って代わる事は出来ないでしょう。
前述の「一回限りの離れ技」というのはそういう意味。
劇場作品だからこそ出来た事なのかもしれません。
それはそのまま、「NEXT」への賛美でもあるのですがhappy01


いつもながら、とりとめのないお話でごめんなさいcoldsweats01
ただ、私はいつも考えています。
もしよろしければ、お時間ある時にでもお考え下さい。


最近のヒーロードラマのどの部分に、魅力を感じますか?

人間体のカリスマ性に代わる、ヒーロードラマの魅力がもしあるなら。
それは「解けない謎」や「ギャグ」や「未完成ヒーローの成長
」なのでしょうか?

また、それらを魅力と感じる方のご意見も、ぜひお聞きしたいです。
頭の固い哀れな私に、なにとぞご教授をcoldsweats01

Photo

これは決して、最近のヒーロードラマの批判ではありません。
きっと作り手も、そこを必死に模索しているのです。
私もそこを追及したいと。無い頭を絞ってsweat01
ファン一人一人がそこを真剣に考える事に、きっと意義があるんですよ。
「つまらない」「見たいヒーローじゃない」って言ってるだけより、その方が建設的ですもんねhappy01

にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ

| | コメント (13) | トラックバック (0)

2008年1月19日 (土)

究極の人馬一体

昨日から、ちょっと悩んでいたんです。
あるオタクグッズを買うか、買うまいか。

今日のお天気が良くなかった。晴れすぎ(笑)。
お店に走れと言わんばかりのピーカン土曜日。メット越しに感じる冬の空気も気持ちよく、向かった先はいつものオタクショップ。ではなく。

実は今回、迷っていたのはどこのおもちゃ屋さんにもある最新アイテム。貧乏な私は数店回って、一番安いところで買おうとしたのでした。主婦みたいですが(笑)。
ところがミニバイクの手軽さゆえ、足を伸ばそうと思えばどこまででも行けちゃう。結局都心の真ん中まで出てしまい、知ってるお店を全部当たる羽目になってしまって。
まー自分が悪いんですが。こんな時間のムダをするより、多少高くても地元で買っておけばよかった、なんて後悔を覚え始めた四軒目。
ここで私は、今日の運に感謝しました。やっぱりたまには遠出してみるものです。
探していたアイテムとは別物ながら、もっと欲しかった逸品に出会ったのでした。

Photo_2「S.I.C.匠魂」。コレクターズフィギュアの人気シリーズとしてすっかり定着したアイテムですね。
竹谷隆之氏が原型を監修、過去から現在の東映特撮キャラクターを新解釈したハードディテールのモデル群は、大人も満足させる高品質のものです。本家本元は大型のモデルですが、この「匠魂」は手軽なサイズと低価格が良いですね。

とはいうものの、実は私、このシリーズは個性が強すぎてちょっと苦手だったんです。いくら何でもやりすぎでしょう、みたいな感覚で。
ところが今回だけはちょっと違いました。
ご存知の方も多いでしょうが、今回発売の「VOLUME 9」には、劇場版・新仮面ライダーシリーズのアイテムがラインナップされているのでした。
しかもあの、劇場版サイクロンとともに。


昨年11月、オタクショップでこの「VOL.9」の見本を目撃した私は狂喜乱舞しました。「メメ・メチャクチャにカッコイイ!」そりゃーもーベッドから落ちたイデ隊員以上の慌てぶり(笑)。速攻で予約してしまうほどだったのです。
ところがここで発揮されたのがいつものおバカぶりで。
そのショップのウィンドーには件の「匠魂」の見本の隣に、これも現在発売中のバンダイ製「HDX仮面ライダー」が並んでいたのでした。
よくある食玩サイズの「HDX」と並んだ「VOL.9」を見て勝手に同シリーズと勘違い。「大人買いすればこのサイクロンも手に入っちゃうか。でもサイクロンだけサイズが違うって事は、シークレットなのかな?」なんて勝手に思ってしまって。

「HDX」の方をフルコンプ予約してしまったのです。
「VOL.9」とは別のシリーズを(涙)。


「HDX」発売日、ショップからの電話を受けた私は、どうもかみ合わないラインナップの話に事情を察知、慌ててキャンセルする愚行を犯したのでした。
まーその「HDX」もあっという間に売り切れ、今は後悔していますが(笑)。
ともあれそんな顛末の末、欲しかった「VOL.9」は買い逃すことに。他のお店でもあんまり見かけないし、ネットショップでも結構売り切れてるし。あー縁がなかったのねと諦めかけていた矢先、今日の幸運に見舞われたのでした。
目の前に未開封12個入りのBOXが。しかも定価の20%0FFで(笑)。


こういう時、皆さんはどう考えますか?
このVOL.9、フルコンプのアイテム数は8個。シークレットを入れて9個です。ブラインドですから12個BOX一つでフルアイテム手に入る保証はどこにもありません。個人的にはアイテム中、ライダー1号・2号とサイクロン2台が手に入れば充分。後はダブろうが何しようが(笑)。
もしこの12個の中にライダー・サイクロンがなかったら・・・。
でも今買わなければいつ手に入るか分からない。S.I.C.のライダーやサイクロンなんて、市場に出た途端プレミアがついちゃうし。
いきなり定価の2倍や3倍は当たり前。


悩むヒマなんてありませんね(笑)。即買い(爆笑)。

Photoずいぶん前置きが長くなりました。そんな訳で手に入れたのがこれです。
何しろリリース情報に極端にうとい私、店頭で見かけるとこんな風にアタフタするばっかりで。ちょっと楽しんでる所もありますが(笑)。
「こんなの、ウチの近くじゃ普通に売ってるのに」というツッこみが聞こえてきそうで(涙)。
私のような古いオタクはムダな動きが多いという事ですね(笑)。


「ネヴュラ」読者の皆さんで、このS.I.C.シリーズをお持ちの方はどれくらいいらっしゃるでしょうか?前述の通り、私は初めて手にしました。大型フィギュアを含め、このハイディテールに触れたのは初体験だったのです。
噂には聞いていましたが、現物を見るとやっぱりすごいですねー。
これが一個525円とは(笑)。25年前のガレージキットなら未組立てで3,000円はするでしょーに(感動)。


Photoいつまでもコタと一緒に驚いていてもいけないので、今回のロックオンアイテムをちょっとご覧頂きましょう。写真は今回のラインナップ。
まー皆さんの予想通り、この1BOXでシークレット込み、フルコンプ出来ました。全然心配の必要などなかったと。しかもダブりはおいしいアイテムばっかりで。
采配が親切ですね。最近のバンダイは(笑)。

全部のアイテムをお見せするのも何なので出来はこの写真でご確認を。今日は欲しかったライダーシリーズのみを組み立ててみました。



Photo_5まずはやっぱりこれ。「仮面ライダー THE FIRST」版、1号・2号ライダーです。
THE FIRST版という事で、カラーリングも「NEXT」版より明るめ、ウェザリングもありませんね。S.I.C.独特のスリムなプロポーションですが、意外にも劇中のイメージと違和感がないところが嬉しいですね。
これまでS.I.C.アレンジのあまりの過激さにちょっとついていけない私でしたが、この劇場版ライダーシリーズは、元々本編に登場するライダーのディテールやプロポーションがS.I.C.アレンジに近いせいもあって、いいディテールアレンジに見えてくるようです。


Photo_6全体の質感、皺やスタッズの適度な処理、同系色に見えて微妙な艶の差を感じさせるマスクとスーツのカラーリングなどなど、いやーやっぱりすごいですねーS.I.C.は。
色指定は日本で行っていたとしても、中国四千年の彩色技術には舌を巻きました。彼らの高度な技術がなければ、こんなリーズナブルな価格にはならないですもんね。


Photo_7ライダーと来れば当然、次はサイクロン。
この劇場版ライダーに登場するサイクロンは、旧テレビシリーズのそれを現代風にアレンジしたデザインがなされていますが、S.I.C.版も、ミニサイズながらそのアレンジをさらにカッコよく見せてくれています。

フルカウルタイプのフォルムを踏襲した1号用サイクロン・新サイクロンのイメージを発展させた2号用サイクロン。
個人的には、ライダーにはやっぱりフルカウルが似合うと思います。
私にとって「仮面ライダー」とは旧1号を指すので(ごめんなさいガンコで(汗)、あの第一クール主題歌、タイトル前に荒野を疾駆するサイクロンこそが「ライダー」と思ってしまうのです。
いかにアクションシーンなどで改造サイクロンが多用されようと、そのシーンをむりやり脳内でフルカウルタイプに自動変換してしまうという(笑)。
「フルカウルこそサイクロン・身を沈めてこそライダー」主義なんですね(笑)。


Photo_8今でもあの「フルカウルタイプに身を沈め、目を光らせ疾駆する旧1号」を超えるライダービジュアルは出現していないような気がします。
ドラマという点では名作、意欲作が次々と生み出されているライダーシリーズですが、ことビジュアルの点に於いて、あのテイストに迫ったのは劇場版「仮面ライダー THE NEXT」ぐらいじゃないかなーなんて、惚れっぽい私は思ってしまうのですが(笑)。


Photo_9さて。そんな私の願望を最も端的に表してくれたモデルがこれ。今回の「匠魂VOL.9」では、前述の立ちポーズライダー1号・2号の腕、下半身のパーツを差し替えて、このようにサイクロンに搭乗させることが出来るのです。
昨年、私がショップで一目惚れしたのがこれ。カッコイイでしょー(目がハート)。
これを見て即、予約した私の気持ちがお分かり頂けたでしょうか。
いかにユルユルソフビ好きの私でも、このハードテイストとシャープなフォルムには完全にやられました。この出来で全長8cm程度なんですから。
大きいサイズなんて要らないねーって感覚にもなりますよね。
実際のところ、これを超える満足度が今年中に味わえるかどうか、ちょっと不安なくらいなのです(笑)。


先ほどもお話しましたが、仮面ライダーのいくつかの魅力の一つに「人馬一体感」がありますよね。
ライダーと言えばサイクロン、V3と言えばハリケーン、みたいな。

ライダー同士でバイクのトレードなんて考えられない。これはウルトラ世界には無いイメージです。ウルトラマンとビートル、セブンとホークの関係とは明らかに違う感覚。何故なんでしょうか。やっぱりライダーにとって搭乗バイクは体の一部、よく言われる「相棒」なんでしょうね。


Photo_10確かにヒーロー名に「ライダー」の文字を冠する仮面ライダーにとってバイクはイメージリーダー。たった一人で凶悪組織ショッカーと戦うライダーの頼もしい武器でもあります。
考えてみれば、仮面ライダーって第一話、ショッカーに改造された時点ではバイクとセットになっていませんよね。「怪人バッタ男」の武器としてショッカーから与えられた訳じゃない。それともショッカーが密かに開発していたなんて描写があったのでしょうか?
本郷猛本人がバイクレーサーという設定がありますから、そこから逆算されたものとは思うんですが、それにしたってあまりにもフィット感がありすぎる。
また「ベルトの風車に風圧を受けると変身」というストーリー上の要求から逆算された設定でもありますが。
でもそれだけでは言い尽くせない何かがあるような。
読者の方でその辺の裏事情にお詳しい方がいらっしゃったら、無知な私にご教授下さい。
「オタクイーン、なんにも知らないなー」なんてクレームも大歓迎です。
私、東映作品の知識は穴だらけなので(涙)。


Photo_11ここからはいつもの私見ですが、やっぱりライダーって「バイクに乗ってナンボ」と思うんですよ。この写真でお分かりの通り、バイクにまたがったライダーは実に絵になる。
ライダーがこのフォルムで自動車に乗っていたら、あれほどの人気が出たかどうか(笑)。
ヘルメットやスーツにバイク関係の素材を使っているから一体感が出た、という理由も大きいですが、いつもミニバイクを使う私などにはどこか「体を晒して戦っている」という「肉体駆使感覚」とでも言うべきイメージに通じる気がします。


よく、バイクに乗った事のない人に「ミニバイクって怖くない?車と違って転んだら大怪我しそうだし」なんて言われる事があって。言われてみればそうなんですよね。確かに車と違い、体を直接晒して走るバイクは危険です。
ある種の体力と度胸がなければ運転できないのかもしれません。

仮面ライダーに感じる肉体駆使感覚は、きっとそんな所から来ているのでしょう。「自分の力だけしか頼れない、体を駆使する強い男。」そして彼の乗るバイクには「改造された身体だけが操れる、危険なマシン」
というイメージが。
バイクというアイテムから連想されるワイルドな、アクティブなイメージが根底に流れていたからこそ、「仮面ライダー」はウルトラとの差別化に成功し、今も続く人気を獲得できたのかもしれませんね。

Photo_12いやーいつもの事ながら、こんなフィギュアからお話も脱線しまくりで。どうしても話題がフィギュア界の背景とか動向に向きませんねー。
悪い癖です。
この癖がある限り、私は今一つ新作アイテムの情報に乗り遅れがちになるのでしょう。
でもこれでいいかなーって。アイテムを揃える事より、そこからどれほど思いを馳せられるかを考えるタイプなので(笑)。


うーんでもこれ、今も目の前にあるんですが、見れば見るほどカッコイイ。
ゴジラやウルトラマンのデザインに飽きが来ないのと同じく、きっと人間に備わっている「カッコ良さの基準」みたいなものは不変なのでしょう。

でなければたとえリファインとはいえ、37年前のデザインをこれほどカッコよく感じるわけがなく。


たぶん20年後も言ってますね。
「サイクロンとライダーってカッコイイよね。」って(笑)。

にほんブログ村 その他趣味ブログ 特撮へ

| | コメント (6) | トラックバック (2)

2008年1月13日 (日)

NEXT LEVEL

Photo名古屋駅前のナナちゃん人形も
こんなタスキがけ。

成人の日を含むこの三連休は、各店競っての年明けクリアランスセール第二弾。


私には密かに狙っていたアイテムが。



                            
Photo_10戦場はまさにこの駅ビル。
例年なら買いあさるレディースウェアに目もくれず、いち早く向かった先は大型書店。




Photo_3 そうです。書店唯一のクリアランス商品、カレンダー。
第一週では早いんです。半額になるのはこの三連休を含む四日間のみ。
毎年の苦い経験から、この微妙なタイミングを割り出しました。
オタクレーダーに狂いなし(笑)。
事前のリサーチでは残り2本。間に合いました。無事1,000円でゲット。

Photo_4

A2タテ一、表紙込み7枚構成。
「NEXT」バージョンならではのバトルダメージ・1号が闇夜に映えてカッコイイ!






Photo_5落ち着いたグリーンのカラーリングが際立つ2号。劇中をイメージしたポーズが秀逸。







Photo_9今作、新登場のV3は、オリジナルと新解釈がほどよくブレンドされたフォルムが印象的。
これらのページと交互に、黄川田将也さんなど各々の役を演じた俳優さんのショットが配され、一年中「NEXT」の世界に浸れるすぐれものです。
(当たり前ですね。カレンダーなんだから(笑)。
Photo_7 細々と集めた「NEXT」関連本と一緒に。
うーん改めて、今作のレベルの高さを再認識したカレンダーでした。
DVDリリースが待ち遠しいです。
Photo_8
今回、こちらのお方は多忙につき、ノーコメント。空気的にからみづらかったので(笑)。



にほんブログ村 その他趣味ブログ 特撮へ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年11月 2日 (金)

孤独なマスカレード

「今日のアクセルは気合が入るわー」とばかりに、いつものミニバイクをフルスロットルで吹かして出かけた繁華街。
毎月1日の映画ファン感謝デーに、これほど感謝した日もありません。

実にタイミングよく時間が取れた昨日、満を持して鑑賞して来ました。
「仮面ライダー THE NEXT」。

「ネヴュラ」をご覧の方々には今更説明の必要もないこの作品。一昨年前公開された「THE FIRST」の続篇として製作された、劇場版ライダーシリーズの第二弾です。

Photoえー正直に白状しますと。
私、この作品にはまったく期待していませんでした。以前にも記事にちらりと書きましたが、前作「THE FIRST」の出来があまりにも辛かったので、もう日本のヒーロードラマはこれが限界なんだろーなー、なんて暗澹たる気持ちを引きずっていたのです。
事実、今回の公開日さえすっかり忘れていました。記憶から抹消したかったのです。
ところが先日、公開初日にご覧になったお仲間・自由人大佐さんの感想を拝見し俄然モチベーションアップ、お仕事のスケジュールを調整して鑑賞に臨んだ訳なのでした。

「大当たり!」
つまらない前置きを抜きにして上映直後に感じた思いは、この一言に尽きました。この出来なら映画の日じゃなくても正規の入場料が惜しくない。
かなりビックリ。
今だ興奮冷めやらない気分のまま言いますが、こんな感動は「ガメラ 大怪獣空中決戦」以来といっても過言ではありません。


Photo_2まさかあの「THE FIRST」の続篇が、こんなに充実した作品になるなんて。
ライダー史に残る傑作である以上に、和製ヒーロードラマの歴史を塗り替える程の大傑作として後世に語り継がれる作品じゃないでしょうか。

ここ数日浴びるように映画を見たので、「テーマの語り方」「世界観の作り方」にはシビアになっているんですが、そんな目で見てもこの作品、ある種「理想的なライダーワールド」を現出して見せた超傑作なのです。
いやー、こんな傑作を劇場鑑賞するきっかけを与えて下さった自由人大佐様、本当に感謝します。もしこれを後々DVDで見ることしか出来なかったら、私は地団駄を踏んで悔しがったと思いますから。

この「THE NEXT」、私がなぜこれ程までに感動したかと言いますと。
それにはまず前作「THE FIRST」の問題点からお話しする必要があるのかもしれません。

私が「THE FIRST」に対してまず感じたのは、「この作品はいったい誰がターゲットなの?」という事でした。オープニングの旧ライダー主題歌、天本英世氏の生前のライブフィルムの使用、宮内洋氏の出演。
これはもう間違いなく旧作への目配せ、製作側の「シリーズ第一弾なんだから旧作ファンにも見てもらいたい」という戦略ですよね。

ところが、その戦略が旧作ファンにはどう映ったか?

私などはこういういやらしいまでの「媚」を見せられると、もう耐えられないほどの苦痛に見舞われるのです。皆さんもお感じになられませんか?
「旧作の主題歌や死神博士の顔なんて、部屋でいつでも見られるよ」と。

そうです。旧作にこだわらない、新しいライダーを見たいと願っている私のような者にはそういう「媚」はむしろマイナス、「こういう演出を懐かしいと感じる程度のぬるい観客が相手なら、そもそも私の求める作品じゃない」と思ってしまいます。そんな訳で、私は「THE FIRST」はオープニングから萎えっぱなしでした。
そして案の定、「何をどう見せたいのか」が曖昧なまま進むストーリー。

ここについては少し弁護が必要でしょう。理由は二つ。

一つは前述の、旧作からの目配せを観客がどこまで望んでいるのかという目算を見誤った事。そもそも「旧作をリアルにリメイクする」という製作意図を掲げたからには、正確にマーケットリサーチを行いターゲットを絞り込む必要がある訳です。
ここが少し甘かった。

ただそれは、シリーズ第一弾である以上仕方ない事なのかもしれません。何しろ映像作品に「試作品」はありません。駅前でサンプルを配って消費者にアンケートを取る訳にはいかないのです。言うなれば「THE NEXT」の成功は、この「THE FIRST」の試行錯誤によってもたらされたものとも言えます。

二つ目の理由として「石ノ森作品の作中に流れる空気感の再現の難しさ」が挙げられます。
元来、ライダー原作者、石ノ森章太郎氏が描き出す世界は漫画という二次元作品のみに与えられた独自のもので、あの世界をそのまま実写化した場合、その詩的とも言えるコマ割り、セリフ運びなどが非常に冗長なものになってしまう危険性を孕んでいます。

(ここで白状しますが、私はあの石ノ森作品に流れるやや緩慢な時間の流れが苦手です。永井豪の躍動感が漫画の真髄と感じるクチなので)
実際、石ノ森作品の原作に最も近いとされる「仮面ライダー」テレビシリーズ、第一クール本郷篇に於いてさえ、氏の空気感は再現されていません。
言わばあれは「平山・井上ライダー」であって、これまで「石ノ森ライダー」という物は正確には映像化されていなかったのです。
「THE FIRST」はそこに果敢に挑んだ。


井上敏樹脚本・長石多可男監督による「FIRST」世界は、前述の目配せを抜きにすれば愚直なまでに石ノ森作品の再現にこだわっています。
ところがここに悲しいパラドックスが。
「石ノ森テイストの映像化は、原作のストーリーをなぞると失敗する。」

井上氏・長石氏はそこに気づかなかった。
でもそれは当たり前の事なんですね。私達観客だって、作品が出来上がってみて初めて気がついたはずです。
「FIRST」作中に展開するラブストーリーがまさにその典型。ああいう(石ノ森作品にありそうな)くだりは石ノ森氏の絵、コマ割り、セリフ回し(「・・・」「-」の多用)、もっと言えば(あの繋がった)ふき出しの形があって初めて成立するものなのです。
あの空気感をそのままシナリオ化、実写化すればああなってしまう。
「FIRST」はそういう意味で偉大な実験作という事も出来るのです。


ここで製作スタッフ、特に脚本の井上氏は学んだ事でしょう。
前述のパラドックスにも気がついたはずです。でも私は「お二人、やってもーた」とは思っても、決して非難する気にはなれません。
映像作品に於ける空気感、リズムの創出は、それほどまでに難しいものである事を知っているからです。


Photo_4前おきが長くなりすぎましたね。この「FIRST」の問題点を考えると、「THE NEXT」成功の理由が見えてくるような気がします。
実は私、「FIRST」「NEXT」の関係はその肌合いにおいて、「エイリアン」(1979年米 リドリー・スコット監督)「エイリアン2」(1986年米 ジェームズ・キャメロン監督)の関係に似ているように感じているのです。
(ストーリーや世界観じゃないですよ。あくまで「肌合い」です。)

もうお分かりでしょうがこの「エイリアン」、作品のテイストが一作目と二作目で全く異なっているんですね。お互い独立した香りを放ちながらシリーズとして謳われている。登場するキャラクターは同じなのにそれぞれに違う味わいがある事は皆さんも認めると思います。
「ライダー」も同じ。シリーズなのに、しかもストーリーは続いているのに、その味わいはまったく異なるものなのです。それは何故か?

ここに「FIRST」の反省点を活かしたスタッフの素晴らしい努力が見られるのです。

ネタバレを避けるため、ここでは「NEXT」のストーリーを一切お話しません。
ただスタッフが考えたであろう「ライダー世界の確立化」について推測できればと思います。

Photo_5まず「FIRST」で行った「目配せ」の排除と旧作との設定の関連性の拒否。
いつも思うんですけど、よくこの手のリメイク作品の感想に「オリジナルはこうだったからこういう設定は残しておいて欲しかった」というのがありますよね。
でも、本当にそういう事って必要でしょうか?
例えばそれをもし本当にやってしまったら、今度は「リメイクなのに新しい事をやっていない」って怒るんじゃないですか?ファンの皆さんって。
結局どちらに転んでもファンって納得しないものなんですよ。それなら新しい事をやった方がいいと思いませんか?

Photo_6それはカットワークにも言えます。よく「ライダーって大爆発バックの中をサイクロンでジャンプする正面打ちのカットがカッコいいよね。」と言われますよね。ところが実際「FIRST」で実現されたそのカットを見ると、ストーリーのシリアスさに反して「浮いて見える」んですよ。このストーリーにしてはまともすぎる、綺麗すぎる。業界用語で言う「恥ずかしいカット」になっちゃうんですね。
「NEXT」ではその部分を実に巧妙にアレンジしている。これはアクション監督、横山誠氏の功績でもあるのでしょうが、なによりその見せ方を考案した田崎竜太監督の手腕が評価されるべきでしょう。さらにお二人に加え、その演出を具現化した田中一成撮影監督とのコラボレーションは、まさに演出部門での「三人ライダー」と呼べる素晴らしさです。

Photo_7シナリオ部分で特筆すべきは、「FIRST」の反省を活かした脚本・井上敏樹氏の手腕でした。
ホラー要素の強い「NEXT」ですが、実はこの要素、石ノ森氏の原作が持つ「怪奇アクション」としての味わいとは若干趣を異にするもので、どちらかと言うと最近の劇場用和製ホラー作品のそれに近い肌合いを持っているのです。
この水と油のような要素をどう料理するか。ここに井上氏独特のマジックが発揮されています。
実は「NEXT」のパンフ中、田崎監督のインタビューではこんな発言がありました。「ホラー要素は『FIRST』のラブストーリーに当たる部分。」スタッフは前作でやり残した「石ノ森テイスト」の再現を、今度はホラーに置き換えて実現しようとしたのでしょう。
しかしそこで頭をもたげるパラドックスに、井上氏はどう挑戦したか。
これは私、本当に感心しました。前作のラブストーリーに近いウェイトを占めるこのホラードラマ部分、たとえ冗長さが割り引かれるホラーとはいえ、それをストレスなく見せる為にはそれ相応のシナリオテクニックが必要なのです。井上氏はここで、実に効果的な仕掛けを用意しました。一般の方には一度見ただけでは分からないかもしれません。このストーリーのテンション持続に関するテクニックは同業者として瞠目すべきものがあります。


Photo_8加えて、世界観の構築も素晴らしい。
これは一つの例に過ぎませんが、「仮面ライダーの世界に宇宙人は出て欲しくない」と思いませんか?「新ライダー」でネオショッカー首領の正体が宇宙生物と分かった時、ちょっとガッカリしませんでしたか?
ウルトラシリーズなら何の違和感も無いのに。

作品にはその主人公のキャラクターに見合った世界観の幅というものが不可欠なのです。
「NEXT」はこの「ライダーが居る世界」の構築がほぼベストの状態で保たれている。

平成ガメラシリーズで導入された「ガメラが登場する世界は亀という動物が存在しない」という周到な配慮に匹敵する世界観の幅が、「NEXT」のリアリティーに貢献しているのです。

Photo_9そして「NEXT」最大の魅力、それは「ライダー達の魅力が石ノ森作品とは別の所にある」点にあるでしょう。
この世界観なら、本郷や一文字、風見志郎はああ生きるしかない。志郎の行動動機など、端々に井上脚本ならではの甘さはあるものの、それをストーリーと世界観の勢いで押し切ってしまうポテンシャルを「NEXT」は持っているのです。
たとえ敵を粉砕した所で、戦闘用に肉体を改造された人間達は世間から見れば異端者。彼らには孤独な道しか残されていません。
本篇のラスト近く、志郎が語るあの一言に爽快感など微塵も感じられず、現実社会の冷たさを覚えるのは、「改造人間の孤独」を描ききったスタッフの勝利と言えるのでは。

この味わいは「NEXT」独特のものです。
この寂寥感のみに関しては、私は原作を超えていると感じました。


私たちの世界の裏側で暗躍する「恐怖の軍団」ショッカー。
彼らの暗躍に人知れず戦いを挑む「漆黒の反逆者」に未来はあるのか?
エンドクレジット前にわずかな救いを残しつつも、社会の暗部で今日も続く孤独なマスカレードに思いを馳せさせる「仮面ライダー THE NEXT」。
個人的にはDVD化が最も待たれる一本です。


ただ(いつも通り)一つだけ悔やんだ点を。
ご覧になった方、ご意見いろいろおありと思いますが、私はエンドクレジット終了前に席を立っておけばよかった。
でも、あれを差し引いても満点を上げたい出来でした。
鑑賞後、ミニバイクを飛ばす私の運転ぶりはきっとお察し頂ける事でしょう(笑)。

にほんブログ村 その他趣味ブログ 特撮へ

| | コメント (8) | トラックバック (1)

2007年10月28日 (日)

二つのマスク

昨日の雨から一転、おだやかに晴れ上がった秋空の元、久しぶりに覗いたオタクショップ。
最近はDVDレンタルにかまけて、すっかりご無沙汰していました。

この業界は2ヶ月も顔を出さないとまったく品揃えが変わってしまうため、お店をうろついていても新しいアイテムばっかりで。目移りの嵐だったりして。
つくづく自分はオタクだなーと思い知る次第です。


あまりに久しぶりの来店だったので店内を覗く事に気が行ってしまい、店頭に大量に積まれたサービス商品に気がついたのはお店を出た後で(笑)。

ご当地名古屋ならでは。中日の日本シリーズ応援セールと銘打った実においしいプライスでした。「リーグ優勝効果はこんな所まであるのねー」とすかさず買い込んだのがこれ。
Photo_8ご覧の通り、バンプレストのプライズ商品「仮面ライダー THE FIRST」の1号ライダーマスクです。なんと一個780円。
皆さんもご存知の通り、劇場版ライダーシリーズと言えば昨日から第2弾「THE NEXT」が公開されていますね。いち早くご覧になったお仲間・自由人大佐さんによれば、それは期待にたがわぬ出来だったようで。このマスクの販売成績も映画効果で伸びる事でしょう。
地元のオタクショップもなかなか侮れませんね(笑)。


Photo_19さて。まだ「THE NEXT」を見ていない私には分かりませんが、HPで発表されている写真などを見てもライダーマスクは「FIRST」「NEXT」とも同じ物が使われているようですね。これがリメイク版ライダーのスタンダード・デザインとして定着していくのでしょう。
写真でお分かりの通り、今日私が入手したものは実物の二分の一程度、まあ飾るには丁度いい大きさですね。
隣の文庫本でサイズを比較してみて下さい。

「期せずして、念願のライダーマスクがそろい踏みかー」とほくそ笑んだ私。
実はしばらく前にもこのシリーズの「旧1号ライダー」マスクを入手しているんです。その時も店頭に高く積まれたお買い得商品として。
お財布に嬉しい980円。

こんな人気商品がなぜこれ程の安値で売られるのか。20年前には考えられなかった出来事ですねー。いい時代と言うか何と言うか(笑)。
Photo_10そりゃもちろん並べてみましたよ。貧乏な私にはこんな事さえ至福の一時。ご覧頂けばお分かりと思いますが、そのサイズの違いは生産コストの問題で仕方なかったとしても、ライダーマスクって新旧でこんなにデザインが違うんですね。並べてみた事なんてなかったから(当たり前ですが)私には大変新鮮に映りました。



Photo_20 そもそも「仮面ライダー」という作品の文字通り「顔」として強烈なオリジナリティーを放つこのライダーマスク。第一作から連綿と続くシリーズを通じ、このマスクに込められた意匠は最新作「電王」にも継承されていますね。
ただ歴代ライダーマスク中、特に私はこの旧1号マスクがお気に入りで(もちろん旧1号特製「皮スーツ」も含め)。


ウルトラマンと違い、ライダーは初作「仮面ライダー」全98話中、マスク・スーツ共に何度かのモデルチェンジを行っていますから、それぞれのファンが付くのも当然ですよね。
特にライダーの場合、V3登場前に1号・2号とも新旧様々なマスク・スーツ、はたまたアクターの違いによる「顎形状違いバージョン」(笑)までが存在するので、そのバリエーションはウルトラの比ではありません。デザイン上では「初代」と「新マン」が同一番組中に存在するようなものですから。(おまけに「桜島1号」なんてややこしいものもあったりしますしね(笑)。
皆さんもそれぞれ、お好きなライダーマスクがおありでしょう。


Photo_21Photo_22 私の中では「ライダー」と言えばこの旧1号を指します。
このマスクより目のサイズなどをリファインした新1号のマスク・またスーツも捨てがたいのですが(特に「中屋敷顎」の絶妙なラインにはメロメロ)いかんせん私の中では旧1号に一歩譲りますね。
放送当時、実際にスーツを着込んで演技をこなした藤岡弘氏(旧芸名表記にしたいので、構えて「、」は付けません)のフェイスライン、プロポーションがベストと感じてしまうのでした。

(例によって頭の固いオールドファンのたわごとです。軽く受け流して下さい(笑)。


Photo_23 いい機会ですので、ここで「THE NEXT」バージョンのマスクが、オリジナル旧1号マスクとどう違うのか考えてみました。資料も何にも無いので憶測にすぎませんが。
全体のフォルムの違いは一目瞭然。旧1号マスクに比べ、随分縦長になっていますよね。でもマスク自体は小型化していると。

これはやっぱり1971年のオリジナルから2005年の「NEXT」製作までの34年間の、日本人の顔型の変化を表しているんでしょうね(笑)。実際、日本人も小顔になったと思いますし。ですから現在はマスクとスーツのバランスがすごく良い。反面「線が細くなった」事実も否めませんが。


Photo_24 横顔を見てみましょう。目から後頭部へ続く凹モールドは旧1号マスクには無かったものです。特に下側のモールドは黒線で強調されていますね。
私見ですが、私には非常に興味深い。このモールドには「新世紀エヴァンゲリオン」(1995年)の影響を感じてしまうんですよね。
あのエヴァ初号機の頭部、目のあたりをイメージしているんじゃないかと。

仮面ライダーが人体をサイボーグ化された改造人間であるなら、体の端々にメカニック的な意匠を持たせるべきじゃ、なんて発想を感じるんですよ。
ロボット的意匠を持った人造人間という設定のエヴァンゲリオンがその発想の元となっても不思議ではないのかも。
1990年代後半、あらゆるカルチャーに影響を与えた「エヴァ」がライダーデザインにも波及しているとすれば、これも面白いですねー。


Photo_25 さらに注目していただきたいのはこちら。
顎のクラッシャー。
この鋭角的な形、さらに下顎を強調したようなこのデザインも旧1号マスクにはありませんでした。そもそも旧1号マスクはいわゆる「牙」の下側全てが顎だったわけで、この「NEXT」マスクのクラッシャー下端は完全に新解釈のデザインとしか思えないのです。
さてさて。爬虫類の動物を思わせるこのクラッシャーの形。あ、言いたい事分かっちゃいました?(笑)。

このクラッシャーももう、完全にエヴァ初号機のそれですね。いやーそう考えると、あの「仮面ライダーTHE FIRST」という作品のオープニング、キャスト名のクレジット・パターンもエヴァそのままじゃありませんか?
(以前デザイン業界を経験した私から見ると、「FIRST」のクレジット書体はエヴァのそれより若干細くまた文字の間のスペースも空きすぎ、何より編集のテンポがかなり辛かったですが)


前述の通り、資料も何も無い状態での無責任なたわごとです。皆さんのご立腹もごもっとも(笑)。ごめんなさいね。今日の私はなんとなく暴走モードで(笑)。
でもそういうこじつけを差し引いても、「仮面ライダー」という作品に流れる「負」のイメージは、どこかエヴァと底通するものがあるような気がします。
制御できない程の力を与えられ、二度と人間に戻れない現実と向き合いながら「力」だけをよりどころに闘い続ける仮面ライダー。本郷猛も一文字隼人も、街を破壊できるほどの力を心で「拘束」しながら、その能力を戦いの場だけに発揮する訳です。
人造人間エヴァンゲリオンも、その強大な力を人間によって「拘束」されながら戦いに駆り出されます。そして本篇上で「拘束具」と呼ばれたものこそ、あの「マスク」をはじめとする装甲なのでした。エヴァが暴走する時、大きく開かれるあの「顎」。あの顎がこのライダーマスクにデザインされているのは偶然なのでしょうか?


石森章太郎氏(これも旧名で)の原作からテレビシリーズ、映画版を通じ、ライダーとなった者に一生の十字架を与える「力の拘束」。あのライダーマスクには、涙に暮れるその悲しみを覆う意味があると何かで読みました。
同じく「拘束」されながら闘うエヴァの悲しみを「FIRST」のデザインスタッフは敏感に感じ取り、それを具現化させたのかもしれませんね。
全ては勝手な憶測、真相をご存知の方はぜひご教授下さい。



Photo_26 でも個人的には、やっぱり「FIRST」のマスクより旧1号マスクが好きですねー。どうしてでしょうか。二つを並べてみると、FIRSTの物より旧1号マスクの方がより「怒り」を感じるんですよねー。洗練されていない、荒削りゆえの「勢い」と言うか。

本郷氏の骨折事件、その後の復帰劇などもオーバーラップしているのかもしれません。
番組そのものの破天荒な迫力も、その印象に拍車をかけているのでしょう。

ライダーの初期設定には、クラッシャーで敵に噛み付くという能力があったとも聞きます。自分の運命の鎖を噛みちぎるような勢いをこの顎のないマスクに感じてしまうのは、古いファンゆえのつまらない感傷でしょうか(笑)。


さて。現在公開中の「NEXT」。今回は待望のV3登場という事で、私も俄然期待しています。いやーしかし、あの宮内洋氏演じた風見志郎の印象は強烈でしたからねー。あのキャラを払拭する演技は大変だったでしょう、なんていらぬ心配をしてしまう私。
それを確認するだけでも、観に行く価値はあるかもしれません(爆笑)。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年6月12日 (火)

巨人・超人世界の案内役

怪獣出現!
直ちに現場へ駆けつける科学特捜隊。
その健闘も空しく追い詰められるメンバー達。
閃光一閃、異形の生物の前に立ちはだかる銀色の巨影。
我らのヒーロー、ウルトラマン!


闇を纏い人々を恐怖に突き落とす、「恐怖の軍団」ショッカー!
獲物を求め暗躍する醜悪な怪人達の前に颯爽と現れる、頼もしい青年の姿。
彼の名は本郷猛。又の名を自由の戦士、仮面ライダー!


日本を代表するヒーロー番組、「ウルトラマン」「仮面ライダー」。
そのドラマ中に流れる空気を一言で表現するなら、冒頭のような感じになるのでは。
この二つのドラマは現在も脈々と作り続けられ、仮面ライダーなどは往年のオリジナルシリーズをリメイクした映画も公開されました。
現在、満を持してV3登場となる新作も製作されているようで。
そんな所からもオリジナルの高い人気を感じさせますね。

各々の設定がまるで異なるこの二つのヒーローですが、「ネヴュラ」読者の皆さんはその違いをどう楽しんでおられますか?
どちらかと言えばウルトラ派の私ですが、あのスピード感あふれるライダーアクションの素晴らしさには瞠目せざるをえません。
怪獣の重量感を表現する為、あえてハイスピードカメラという方法論を採用したウルトラの演出手法に対し、あくまで生身のアクションを展開するライダーの躍動感は、今見ても決して色あせない魅力を放っています。

ところで、二番組の空気を表現した前述の文に、ある大きな違いがある事にお気づきでしょうか?
二番組を比べ私が感じる違いの一つに、作劇上の「組織」の捉え方があるのです。
これは昔からよく言われている事ですね。


「円谷系のヒーロー番組には主人公側に組織があり、東映系のそれには敵側に組織がある」というものです。

「ウルトラマン」であれば、毎回別個に登場する怪獣や宇宙人を相手に、人類は「科学特捜隊」という組織で対抗する。
「仮面ライダー」は、人類制覇を企む悪の秘密組織「ショッカー」に対抗するのは「仮面ライダー」という個人。
この違いです。

確かに「ライダー」にも仲間は居ますよね。愛すべき立花藤兵衛をはじめとするクラブ・アミーゴのメンバーです。でも彼らは「組織」というにはあまりに頼りなく(笑)、人質になっちゃったりして結果的にライダーをピンチに追い込む役目を負っているような。
決してウルトラマンと科学特捜隊の関係ではないと思います。

これはそもそも、両番組の設定の違いから来るものでしょう。
Photo_883 今まで「ネヴュラ」で何度かお話している通り、企画立案時ヒーローの存在が設定されていなかった「ウルトラマン」は、「科学特捜隊」という組織そのものが番組の骨子となっていたのですから。
考えてみると「ウルトラマン」という番組は、「ウルトラQ」の後番組として「科学特捜隊」という番組が放送され、それが何シーズンかあった後にさらなる続篇として制作されていても成立する企画なんですね。(あー熱烈なウルトラファンを敵に回しちゃったかな?あくまでおバカな私の戯言とということで(汗)。
それくらい、あの国際科学警察機構の設定はしっかりしている。
現にウルトラマンの居ない世界で、科特隊を主役に据えたゲームソフトも発売されていましたし。

Photo_884 対する「仮面ライダー」は、あくまでライダー本人のキャラクターを生み出す事に企画の主眼が置かれていました。確かにデザインや設定などは二転三転しましたが、結局「ライダー」というドラマは「改造された肉体を駆使して悪に挑む人間」のドラマが番組の骨子になっている訳で。「悪の組織」というものがストーリーの根底にあるんですね。
立花氏他のメンバーはあくまで付随的な設定だったのでしょう。
新番組「クラブ・アミーゴ」ではあれだけの視聴率は稼げなかっただろうと(笑)。

まーこんな事は今までも色々な文献で分析されていますから別に今更、というお話なんですが、私はこの「組織」という設定にちょっと興味を持ちまして。
これは「ウルトラマン」という番組の一話完結性、そして「仮面ライダー」という番組の連続ドラマ性から来ているものではないかと。


Photo_885 「ウルトラマン」に登場する怪獣、宇宙人という存在は、基本的に「一話完結番組のゲスト」なんですね。
科学特捜隊という司会者が回す番組のスペシャルゲスト。だから毎回の連続性など無視できるわけです。「ウルトラマン」劇中では特に科学特捜隊メンバーの交代劇なども無かったですから、別に放送話数が前後してもOKな訳で。
こう考えてみると、科学特捜隊の設定がいかに重要かが改めて分かってきます。視聴者は毎回起こるバラエティー豊かな事件を科特隊メンバーの一員となって追う事で、ストーリーが理解できるのです。
彼らは私たち視聴者を番組世界に誘う案内役であり、物言わぬ怪獣の行動を翻訳してくれる役割も担っている訳です。


Photo_886 で、「仮面ライダー」。この番組では、番組の案内役を「ショッカー」が担う事となります。
主人公本郷猛・一文字隼人を改造した悪の組織、ショッカー。脳改造を前にショッカーを脱出した彼らは、自分達のような人々を増やすまいと、それら非人道的な行いをするショッカーから「人間の自由」を守る戦いを誓う訳ですが、言ってみればこの戦いは「ショッカーを壊滅させる」事が目標ですよね。つまり「ウルトラマン」とは別の意味で「ショッカー」という組織がストーリーの出発点になっている。まずショッカーありきなんです。
その為「仮面ライダー」というドラマは、「ライダー達がショッカーを倒すまでの物語」という大きな流れがある訳です。
一話完結に見えていても連続ドラマなんですね。
ですから放送話数が大きく前後しようものならストーリーはメチャクチャ。今日は藤岡弘、の「本郷ライダー」がショッカーと戦っているのに、翌日は何の予告もなく佐々木剛の「一文字ライダー」がゲルショッカーと戦っていては困る訳です(笑)。


こういう連続性を持つドラマの場合、視聴者は必ず「毎回ここを見れば番組の流れが鳥瞰できる」という場所を求めます。
「ライダー」の場合それがショッカー本部であり、登場する怪人は視聴者を番組内で案内する「悪の司会者」(いい響きですねー。納谷悟朗の笑い声が聞こえてきそうです)なんですよ。


Photo_887 ちょっと思い出してみて下さい。「ライダー」開巻直後、まず最初に近いシーンは必ずあの「明滅するショッカーアジト」ではなかったですか?
「今回の作戦は?」というショッカー首領の声に答え、名だたる歴代の大幹部達は、例外なく作戦内容をプレゼン、成功の約束を声高に語っていませんでしたか?
そして登場する怪人の醜悪な叫び声が場面転換のQカット、なんて流れを何度見たでしょう。

これが「仮面ライダー」という番組のパターンであり、視聴者に「ショッカーは今人類征服までどの位置まで行っているのだろう?」「えっ、新しい幹部がやって来るの?」「ライダー抹殺の手立てはあるのだろうか?」などの言わば「ライダーニュース」を報じ、また新怪人のお披露目で
「ライダーはこんな怪人とどう戦うのだろう?」という興味を抱かせる見事な手腕だったのです。

これは作劇上、ショッカーによる作戦行動が主体であり、それを嗅ぎ付け捜索するライダー側、という流れが根底にあるライダーならではの展開術と思います。
番組中でもストーリーの要所要所にアジトが現れ、「作戦の進行状況は」「もうあと一息です」的なやりとりが繰り返される事で、ライダーの「活躍どころ」を視聴者に分からせる演出がなされていましたね。


これ程分かりやすい例も珍しいですが、「ウルトラマン」と「仮面ライダー」は、番組内で「組織」というものを作劇上の案内役としたからこそ、本来入り組んだストーリーを子供にも分かりやすく提示できたのだと思います。
考えてみると、そもそもの企画の発端となった「組織」という設定が番組を牽引する案内役になるというのも面白いですね。
色々考えてみたのですが、実はヒットするドラマというのはこんな風に一箇所分かりやすい案内役を擁して、番組内をうまく交通整理させている事が非常に多いです。
それが図らずもこの二番組、「主人公側」「敵側」に分かれているのも興味深いですが。


ひょっとするとこれらのドラマ構造がヒーロー番組に最適なのかもしれません。
1970年代初頭にしてパターンは出尽くしてしまったのかも。
後々のあまたあるヒーロー番組がこの構造のバリエーションに過ぎない事が、その事実を証明しているような気さえして来ちゃったりして(ちょっと広川太一郎風(笑)。


最近の「ウルトラ」「ライダー」はこのパターンを意識的に崩そうとしているようですが、その試みは必ずしも成功しているとは言えません。ドラマが難解になるのは決してドラマの質が高いからではなく、名案内役不在の証明でもあるのですから。
作り手の端くれである私にはよく分かります。
「ストーリーが理解できない」と視聴者に思われるのは、演出者としては「負け」なんですよね(笑)。

にほんブログ村 その他趣味ブログ 特撮へ

| | コメント (6) | トラックバック (1)

2006年12月25日 (月)

超人の条件

年も押し迫ると、あちこちの番組で「今年の顔」なんて特集が組まれたりして。
今年活躍したヒーローなんてランキングもお決まりのパターンです。

「ヒーロー」と聞くと、どうしても現実世界で活躍した人たちの話題が多くなりますが、昔から私は「ヒーロー」という言葉の響きに、人間を超えた超人のイメージを見てしまうのでした。
スポーツ選手や芸能人の活躍は確かに真似のできないすばらしい功績ですが、どんなに活躍しようと、それは人間の能力の範囲内に過ぎないように感じてしまって。

やっぱり私にとってヒーローと呼ばれる存在は、人間を完全に超越した異質のものなんです。

そんな思いを胸に残して、今朝久しぶりにリアルタイムで見た「仮面ライダーカブト」。ここ数回は録画して見ていたので、朝の雰囲気を感じながらの鑑賞は新鮮な感覚がありましたが。
ここ数回「カブト」は、ストーリー終盤の盛り上がりで登場人物の整理エピソードが多いようですね。サブキャラクターのライダーとしていろんな意味で番組を盛り上げた人物の死(?)が描かれていましたが。
ところで最近特に、こうした仮面ライダーなどのヒーロー番組(テレビ朝日ではこの時間枠を「スーパーヒーロータイム」と銘打っているので、「カブト」もヒーロー番組ですよね。)に、私が考えるヒーローと呼べる存在は居なくなっちゃったなーと感じる事が多いのです。

確かに主人公は仮面ライダーに変身する。敵と戦う。その末にライダーキックで敵を粉砕、勝利をおさめる。その通りなんですが、そこには昔ながらの「人知を超えた超人感覚」が極めて薄いのです。皆さんはいかがですか?
「カブト」を見終わり他の予定を片付けている間にも、その疑問は私の中で軽い疼きを放っていたのです。

今日一日、無い頭をひねってみてたどり着いた結論は二つ。まあ一日程度の考えなので底は浅いですが、お時間あればお聞き下さい。

一つ目は「知覚しにくいカタルシス」という現象じゃないかと。
要は番組に出演するキャラクターのほとんどが、特殊能力の持ち主か特別な武器を携帯している為に、どんな現象が起こっても視聴者には大事件に見えなくなっているのでは、なんて思ってしまうんですね。

例えば「カブト」で劇中に現れる敵キャラクター「ワーム」。この存在は、番組が始まった今年一月頃は一般の人間に危害を加える、人間にとってとてつもない脅威として描かれていました。言ってみればこれは初作「仮面ライダー」にとっての「ショッカー怪人」ですから恐ろしいのは当たり前で。その特殊能力を使って人類抹殺を企てる恐るべき存在なのです。
ところが今日の回を含めた最近の「カブト」では、もはやワームは単なる「対戦相手」でしかないんじゃないかと。
ワームが本来持つ「人間にとっての脅威」という側面が抜け落ちている。そこへ人間の数十倍の力を持つライダーが現れるから、この二者の戦いは人間不在になっているんですよ。


お互い強い者同士が戦うから、それは人間にとってどれくらい次元の違う戦いかが知覚できない。ビルなどの比較対象物が無い怪獣は、どれくらい巨大かわかりにくい、という現象と似ています。ライダーとワームの戦いは、人間が比較対象物になる必要がある訳です
「カブト」初期話数で、「クロックアップ」(人間の数十倍の速度で動ける特殊能力)を表現するのに、カブトやワームの通常の動きに対して周辺の物体の動きが超スローになる、あの映像の細心さは特筆すべきものだったのに。


そうなってくると「強い」「速い」なんていう表現がどんどんわかりにくくなってくる。
力の強さ、動きの速さを表現するなら、例えば一般の人間の周りで一瞬にして車がひしゃげるとか地面が割れるとか、映像的に凄い表現をする必要があると思うんですが。

このあたりは平成ライダー第一弾「仮面ライダークウガ」あたりの方が丁寧な描写を心がけていたような気もします。「人間と怪人の圧倒的な力の差」を感じさせる演出が随所に見られました。

で、もう一つ。これは「カブト」のみではなく、最近のヒーロー番組全般に感じる事なんですが。
「能力は超人的だけど、心は人間」というもので。

これは難しいところなんですが、初作「ウルトラマン」(1966年)あたりのヒーロー番組は、「超人的な能力に見合った、超人的な精神」があったような気がするんですよ。
例えばウルトラマンにしてもウルトラセブンにしても、その精神は常に人間を超えた、ある意味博愛主義的なものでしたよね。第一次、第二次怪獣ブームを通じて、超人的な能力を持つ存在は敵と戦う理由を個人的な事情に求めてはいなかったような気がするのです。(「快傑ズバット」は例外ですが)

私のような時代遅れのオタクなどは、超人性を能力、精神に求めてしまうので、今のヒーロー番組を見ているとなんとも座り心地が悪くて(笑)。

「カブト」の天道総司の例を挙げるまでもなく、最近のヒーローは「自分のルールがたまたま正義を守る考えに近かった」とか、「姉や弟の仇」、そういう理由が割と多いような感じがしてしまって。「ウルトラマンメビウス」にしたって、メビウス本人の心はきわめて地球人っぽいですよね。何か非常に矮小な印象を受けるんですよ。

逆にウルトラマン第33話「禁じられた言葉」におけるウルトラマンとメフィラス星人の会話など、その超人性が発揮されていますよね。
メフィラス星人の「ウルトラマン、貴様は宇宙人なのか、人間なのか?」という問いに答えるウルトラマンの「両方さ。貴様のような宇宙の掟を破る奴と戦うために生まれてきたのだ」というセリフ。地球人のうかがい知れない「宇宙の掟」が、既に宇宙人同士の間で作られているというこのグローバルな感覚が、ウルトラマンの「人間とは違う」感覚を強調しているような気がするのです。
「仮面ライダー」も同じですよね。ショッカーに改造されてしまった自分のような犠牲者を出さない為の戦いという、ある意味崇高な思いは、ライダー本郷猛にその特殊能力以上の「心の超人性」を与えていたのだと思うのです。


制作者達が作品に込めたメッセージは、時を経てさらに鮮明に心を捉えます。
放送当時子供だった私には、ウルトラマンや仮面ライダーの超人性の香りを、そんな所にも感じていたのかもしれません。

「カブト」を見ていると、どんなに超人的な能力を獲得していても所詮人間は人間。私事で動くご近所話に見えてしまうのです。ただ現代では、こういうドラマ作りは仕方のない事なのかもしれませんね。いわゆる「悪が特定しにくい世の中」では、正義や自由を守る戦いにリアリティーが無いのかもしれません。だから戦いの理由の落とし所をそういう個人的な理由に求めざるを得ない。それはそれで正論なのかもしれませんが。

ただ私は思います。こういうドラマを今見ているファン達は、私達が子供の頃「ウルトラ」「ライダー」から受け取ったような「恥ずかしいけど正しい心」を感じる事ができるんでしょうか。
私には「カブト」のメッセージは「正しい心」とは思えない。「言葉は無くても通じ合える心」とか「同じ目標を目指す同士の絆」とかはあっても、常に真実が揺らぐ作品世界の中で「正義」のあり方が極めて見通しにくいからです。エンディングを迎えても釈然としない、平成ライダーの恒例とさえ言える流れになっているのでは?

これが今のヒーローのあり方なんでしょうか。だとしたらもうそこには「超人性」はありません。昔のライダーと似た姿形をしていても、それはもう「パワードスーツを着込んだ人間」に過ぎないからです。
でも私は、この方向性を否定したくないんです。
彼らは超人とは呼べないけれど、「力を持った人間の生き様」は表現している。
そういう視点は無視できません。その方向性を極限まで高めたのがかの「龍騎」と思いますから。いびつな作品ではありましたが、私には傑作と映りました。


でも、そういう作品を「ヒーロー番組」として提供される今の子供達って、つくづくハードな世界に生きているんだなと思います。
子供達のヒーローがウルトラやライダーから、イチローや松井に代わって行くのは無理も無いかもしれませんね。

| | コメント (4) | トラックバック (3)

2006年10月23日 (月)

仮面ライダーカイジ

2003年1月。毎年お正月になると私の部屋に集まるオタク仲間は、前年末に公開された「ゴジラ×メカゴジラ」の話題で盛り上がっていました。
今回のゴジラ、メカゴジラの造形、ストーリー、過去のメカゴジラ作品との比較解析・・・
白熱する議論の末に意見を求められた私は、一言こう答えました。

「機龍」より「龍騎」。

そう、私は当時、公開初日に観た新作のゴジラ映画のことなどほとんど眼中に無く、毎週日曜日に繰り広げられる「バトルジャンキーの狂宴」に魅了されていたのでした。

Photo_287 「仮面ライダー龍騎」。「クウガ」に始まり、現在の「カブト」まで連綿と制作され続ける通称「平成ライダーシリーズ」の中で、今なお異彩を放つ作品です。
平成ライダーシリーズは一作毎にまったく違う世界観を持ち、それぞれ強烈な個性と過激な主張で、私達視聴者に挑戦し続けてきました。かく言う私も「クウガ」以来、いくつかの作品を見ています。
(ゴメンナサイ。あまりに出演者の演技力に問題のあった「ブレイド」、第一話のミュージカル風演出に拒否反応を示してしまった「響鬼」は見ていません。)
「ライダー」のセオリーどころか、一般ドラマの枠さえはみ出さんとする制作陣の暴走ぶりは、「日曜朝8時の衝撃」として、私の中に今も息づいているのです。

Photo_288 「龍騎」は、平成ライダー第三弾として、2002年2月から翌年1月まで放送されました。
「13人のライダー登場」「毎回がライダーバトル」「イケメン俳優多数出演」など、巷の話題にもなりましたね。
「ネヴュラ」読者の皆さんなら、「龍騎」をご覧になられた方も多いと思います。皆さんはあの作品をご覧になってどう思われました?

あれ、本当に子供番組だったんでしょうか?
平成ライダーは昭和のライダーと違い連続ドラマのスタイルを採っています。その為、予備知識なしで途中の話を見てしまうとよく分からず、「なんだかよくわからないけどライダーと怪人が戦ってるなー」っていう印象を持ってしまいますよね。それが物語の本質と番組のメッセージを受け取りにくくしてしまう原因でもあります。
その為登場人物が多く、内容もおそろしく入り組んだ「龍騎」の全貌を、いま一つ摑みにくくしているような気もするのです。

Photo_291 未見の方の為に、簡単に設定を説明しますと・・・
人間の世界と並行するように存在する世界「ミラーワールド」。この世界の存在を突きとめたある科学者がいました。彼はミラーワールドに出入りするシステムを開発し、「ある理由」の為に、ミラーワールドで人々を戦わせようと目論むのです。
「戦って生き残った人間には、思うとおりの望みを叶えてやる」という、甘い誘いをかけて。
そして、そのシステムを使ってミラーワールドに出入りし、果てしない戦いを繰り広げる者達。彼らの総称が「仮面ライダー」。

そうです。これは、「正義」や「人間の自由」を守る為に「悪」と戦った、あの「仮面ライダー」のタイトルだけを借りた、まったく別のお話なのです。

なにしろこのお話、劇中ではっきりと「この戦いに正義は無い」と明言してしまう程の恐ろしさ。じゃあヒーローが悪を倒す爽快感や、勧善懲悪のメッセージは?と聞かれても、そんなものどこにもありゃしません(笑)。
ライダー達は、純粋に自分の望みを叶える為だけに戦います。「永遠の命を得る為」「恋人の命を救う為」「巨万の富を得る為」・・・中には「ライダーの戦いそのものが望み」などというキレちゃった者も。こんな人間達がただ、己の欲望の為だけに相手を倒そうとするのです。

Photo_289 仮面ライダーであり続ける過酷さが描かれたのも、この番組の大きな特徴でしたね。
ライダー達は自分の能力を強化する為に、ミラーワールドに生息する「モンスター」と呼ばれる存在と契約します。数々の超能力を持つ「モンスター」は、契約したライダーと共闘して敵ライダーを倒すわけですが、ライダーは契約したモンスターに常に餌を与え続けなければならない。その餌とは、ミラーワールドに生息する他のモンスター達なのです。
ライダー達は敵ライダーとの戦いに加え、ミラーワールドのモンスターと戦って契約モンスターに餌を与えなければ、あろうことか「契約モンスターに食い殺される」のです(驚)。
ライダー達は自分が生きながらえる為敵ライダーと戦い、さらに契約モンスターを「飼いならす」必要がある。
このハードな設定。

こんな過酷な設定のライダーがかつてあったでしょうか?
常に戦い続けなければ、命を落とすなんて!

Photo_290 凶悪犯までライダーに数えられるメンバー達。視聴者は彼らの誰にも感情移入できません。しかしここに、「ライダー同士の戦いを止める事が望み」というライダーが現れます。
これが主人公、「龍騎」です。
視聴者はここでホッと胸をなで下ろします。
「あー、「龍騎」って、この主人公が戦いをやめさせる物語なんだ」と。ところが。
なんとこの「龍騎」、最終回を前にして命を絶たれるのです。しかも「あんな」最期なんて。
「仮面ライダー龍騎」は、平和を望む心が報われない物語だったのです!
こんな番組、子供に見せていいの?

このハードな世界観、どこかで見たことが。
そうです。「龍騎」を見た時の言いようの無い「追い詰められ感」は、どこか他でも体験した事があるのです。

Photo_292 「賭博黙示録カイジ」(福本伸行)。
有名な作品ですね。これはテレビ番組ではなく、講談社「ヤングマガジン」に1996年から連載された、ギャンブル漫画の傑作です。作品中に張り詰める緊張感とある種地獄の淵を覗き見るような恐怖感は、他のギャンブル漫画とは一線を画す作品として評価も高いですね。

この作品と「龍騎」。ご存知の方はすぐピンと来ると思います。そう、私が指すのは「カイジ」第一部「希望の船」篇の事なのです。

日々を漫然と生きる若者、伊藤カイジ。保証人詐欺に合い返済の当てに困った彼は、金融業者の誘いに乗り、ある船で開催されるギャンブルに参加する事になります。
深夜密かに日本を離れた豪華客船「エスポワール」。「希望」という意味を持つこの船の中で始まったのは、人知も及ばない恐怖のギャンブル「限定ジャンケン」。

もし「カイジ」を未見で、「ジャンケン」と聞いて吹き出した貴方。きっとビックリしますよ。
この「希望の船」篇は、ヤンマガKC「カイジ」第一巻から第五巻。私は一度読んで、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けました。(女の子が言うセリフじゃないですね(笑)。
ジャンケンにたった一つのルールが加わっただけで、あんなにスリリングなギャンブルになるとは。
知略、出し抜き、読み合い、裏切り、信頼などなど・・・。およそ考えられる、ありとあらゆる人間関係の要素がこのギャンブルに込められているのです。
「ジャンケン」が、人の生き死にを左右するなんて。未見の方、信じられます?

「仮面ライダー龍騎」の空気は、この「賭博黙示録カイジ・希望の船篇」に実によく似ています。限られた時間・空間の中で、相手を倒さなければ自分が生き残れないという状況。そこで繰り広げられる極限の人間模様。「そこに正義はない」という所までそっくりです。
「カードバトルを仮面ライダーの世界に持ち込んでみたら」と考えた「龍騎」制作スタッフは、期せずしてギャンブル漫画の最高峰「カイジ」に迫るテイストを作り上げてしまったのです。

ただし、この二つの作品、迎える結末はまったく違います。
その違いを生み出したもの。それは、一言で言えば「伊藤カイジは龍騎のように戦いを止めようとはせず、戦いの真相に迫ろうとした」という事では?
この二つは似ているようで別の物。
真相を知った時、カイジは勝利者を目指したのですから。

「仮面ライダー龍騎」と「賭博黙示録カイジ」。
キャラクターデザインや癖のある作画に好き嫌いが分かれる事は充分承知の上です。私も最初はかなり抵抗がありました。でも、一度ハマってしまうとそれは甘い毒の味。

今となっては「昔の作品」とも呼べるこの二作品が私の中に今も息づいている事が、毒の強さを物語っています。
あの興奮を味わいたくて、日曜日は早起きでブラウン管に向かう私。でもその中に立っているのは・・・

これ以上は書くのはやめましょう。結論はおそらく来年1月頃。
興奮の中「カブト」が凄い!と書きたいものですが(笑)。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年5月31日 (水)

「仮面ライダーカブト」の設定を活かす難しさ

「あー、品切れですね単2電池。」大型スーパーの100円ショップで言われて大ショック。この後一階の食品売り場でしこたまアイスクリーム買って帰ろうと思ったのに~。仕方なくアイスだけ買って溶けるのを心配しながら電池を買いに他のお店に。(また遠回りなのよこれが)こんな時私ならこう叫びたい。「クロックアップ!」

「仮面ライダーカブト」 。いい年して毎週録画して観てます。5月28日の放送で第18話を終え、今後の展開が楽しみなTVシリーズです。昨日の記事に書いた原体験の通り、怪獣、ヒーローオタクを決定づけられた私が、現在本放送中の特撮番組で唯一楽しみにしている番組。その魅力は「設定」にあると思っています。(私見ですからね)

「スーパーマンは空を飛ぶ。それだけでもうなんでも許せちゃうんだ」と書いた評論がありました。私もそんなクチで、「人間の目には見えないくらい高速の戦い」とか、自分の隣の鏡の中で戦いが繰り広げられている」とか、そういう「目もくらむようなイメージ」の設定に弱い。だってそれが絶対にあり得ない事だと言えますか?誰も否定できないでしょ。おそらく何人かのロボット学者は「マジンガーZを実現させる」という動機でその道を目指したと思うんです。「あり得るかも」という発想が人類の発展の道だったと。「剣と魔法のファンタジー」が大嫌いな私は、こうした「あり得ないかも知れないけど可能性は0ではない」設定が好きなんですよ。

「仮面ライダーカブト」では、最初に書いた「クロックアップ」という能力がライダー史上かなりエポックな設定でした。これは「ボタン一つで通常の数倍の速さで動ける能力」で、例えば「サイボーグ009」の「加速装置」や「蒼き流星SPTレイズナー」の「V-MAX」のような能力。(話について来てますよね。)これが最新のCGIで表現されるから画面のリアリティーは驚くべきものです。要は「クロックアップ」した瞬間、ライダーの周りの動きが超スローモーションになる。(少しずつ動いてるからスゴイ)ビルの上から落ちてきた車の下で戦って、車が地面に激突する前に敵を倒すとか、拳銃が発射された瞬間、文字通り「弾よりも早く」撃たれた相手を突き飛ばして弾を避けさせるとか、「アニメじゃ観たけど実写じゃ初めて」の演出がかなり光っているんです。女の子の瞳からこぼれた涙を一滴だけそっと掌にしのばせるなんて泣ける演出もあったりして。番組上の敵は「ワーム」というモンスターなんですが、ワームがこの「クロックアップ能力」を持つ為に開発されたのが「マスクドライダーシステム」つまり仮面ライダーというわけですね。

「クロックアップした俺を見ることができた人間が一人だけ居る。お前はワームだ!」このセリフを、主人公の「カブト」=天道総司が口にした瞬間、「仮面ライダーカブト」はそのスタイルを決定づけたと思っています。第14話、クライマックスのセリフです。要は「カッコイイ」んですよ。主人公の言動が。この主人公天道総司はかなり「オレ様」な奴で、「オレが世界の中心」的な言動がかなり鼻につくんですが、「絶対の正義」がリアリティーを失った現代、こうした「自分がルールだ」という生き方の強烈なキャラクターが「今」に合っているんでしょうね。「正義かどうかはともかく、自分のルールを貫く」という。そんな彼が口にするセリフだからリアリティーを失うギリギリの所で「カッコイイ」。

こうしたドラマは当然おもちゃを買ってくださるお子様と、その親御さんがメインターゲットの「子供番組」ですから、分かりやすい脚本や演出が基本なんですが、私のような「大きなおともだち」が番組ホームページの掲示板をにぎわすような世の中。制作スタッフのご苦労が本当にしのばれます。最近の話数に感じられるストーリーの「もたつき」感や「はしょりすぎ」の唐突感(詳しく書くと長くなるので・・・)は決して井上敏樹脚本のせいだけではないと思うのです。しかしながら、やっぱりどうしてもついて行けない所はあるもので。記憶喪失の女の子がわずかにもっていた「味噌汁の味の記憶」だけで母親を探し当てちゃうとか、秘密機関「ゼクト」の保養所に監禁されている女の子を助けに行く為に、その「ゼクト」のメンバーが「顔を晒して」コックとして忍び込んでるのに、保養所のスタッフに怪しまれないとかね。「それが子供番組だよ」と言われればそこまでなんですけど、「クロックアップ」の設定と、他の部分の出来がいいのでつい。ひょっとしたら自分で<理想の「カブト」>を勝手に妄想して、それと比べているのかも。「いい年して何言ってんだか」と思われるでしょうね。ほんと、自分でもそう思います。

いずれにしても、秀逸な設定とそれを表現する映像技術があっても、一年間52本(劇場版があるから50本かも)の長丁場を乗り切るのはやはり大変という事です。でもこんなこと書けるのは幸せなことなんですよ。「不満部分が目立つのはそこ以外が傑作の証拠」ですから。スタッフの皆さん、がんばって下さいと私は思うのです。

蛇足ですが、「クロックアップ」って超高速で動く訳だから、空気との摩擦熱がすごいんじゃないかな。それじゃアイスも溶けちゃうか

| | コメント (2) | トラックバック (0)