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カテゴリー「特撮現場探訪の記憶」の記事

2007年3月 3日 (土)

東宝映像監督室秘聞

今日は雛祭りですねー。
Pagos3_1 ウチもなんとか可愛い2ショットを、と探してはみたものの、ご想像通りオタク部屋には怪獣ばかり。いつものご神体「バゴスちゃん」をお雛さまに見立てておきます。
この「バゴスちゃん」についてのいわれは、昔お話した事があるのでそちらをご覧下さい。

『ウチのご神体「バゴスちゃん』
http://spectre-nebura.cocolog-nifty.com/cultnight/2006/05/post_ff22.html



さて。今日のお話は、そんな女子な世界とはまったく無縁で(笑)、
夢見るオタクの桃源郷、世田谷は砧の東宝撮影所についての記憶です。


ここ数日盛り上がっている「G×G」の話題で、私の中でも過去の「G体験」が蘇えってきました。その中でも特筆すべき事は、やっぱりGに関わった方との対面でしょうか。
1991年。「ゴジラVSキングギドラ」公開前に、私は局の特番制作で一度だけ、東宝撮影所にお邪魔した事があります。
「ネヴュラ」でもお話したのでご記憶の方もいらっしゃるでしょう。
ご参考までに以前の記事のアドレスを。


『東宝撮影所第11スタジオ跡』
http://spectre-nebura.cocolog-nifty.com/cultnight/2006/07/11_414c.html



Photo_557 「大の怪獣ファン」という言葉がまず先に立つ(笑)タレント、漫画家でもあるみうらじゅんさんとの撮影所訪問は大変有意義なものでした。なにしろそれまで穴の空くほど観ていたゴジラ映画の撮影現場に足を踏み入れる事ができた訳ですから、それが尋常の感動で無かった事は皆さんにもお察しいただけるでしょう。
以前の記事でもその興奮はお話しましたが、今回「G×G」についてお仲間とやりとりをしている内に、以前お話していなかった事が次々と思い出されてきたのです。

この取材は当時の新作「ゴジラVSキングギドラ」に先駆け、過去にギドラが登場した作品を週代わりで5週に渡って放送するというもの。「三大怪獣」「大戦争」「総進撃」「対ガイガン」そして「流星人間ソーン」。作品の解説者としてみうらじゅんさんが撮影所の各所を探訪するといった内容でした。実際には作品よりもその解説の方に力が入ってしまったのですが(笑)。

Photo_552 地方の局ゆえ、当時ADだった私は親分のディレクターと共に取材前日に東京入り。
夕方到着した私達は、「VSギドラ」のクライマックスシーンを彩った東京都庁を番組のオープニングに使う為、翌日撮影するポイントを探してロケハンに。

これは楽しかったですね。初作「ゴジラ」の撮影に先駆けて、円谷英二監督が東京の「破壊予定地」をロケハンした気分を味わいました。
実際自分達が探すと都庁撮影のベストポイントって意外に少ない。「壊し甲斐はあるけど撮りにくい」という訳で(笑)。


いよいよ撮影当日。朝靄の中、意気揚々と訪れる私達を東宝撮影所は快く迎えてくれました。
別便でタクシーで駆けつけたみうらさんもこの取材には興奮を抑えられなかったようで。なにしろ、当時みうらさんはゴジラのディスプレイモデルを東宝から「ちょっと拝借した」経歴を持ち、まだ返却していなかったからなのです。
気の使い方も尋常ではなく(笑)。
「よく俺の出演を許可してくれたなー」なんて苦笑していました。


Photo_553 撮影所の内部は意外と広く、移動には車が必要でした。撮影所で待ち合わせたカメラマン他取材クルーと共に撮影は順調な滑り出し。撮影所の通路を360度パンしたり、スタジオ前で解説したり。
今はもう撤去されてしまった大ブールや幻の「第11スタジオ跡」に赴くなど、もう好き放題。

そりゃそうですよ。きっともう二度と足を踏み入れる事など出来ない、特撮ファンの梁山泊だったんですから。
一生分の注意力とずうずうしさを駆使して取材に当たりました。
中でも私達の興味を引いたのは、撮影所の裏山にある「森」についての一件でした。

当時、この森は「VSキングギドラ」の撮影直後で、それなりに整備されていたようだったのですが、風の噂に「どうやらその森に、VSギドラの前作『VSビオランテ』で使われたビオランテの触手が廃棄されている」というお話を聞いていたのです。
みうらさん、ディレクターと3人で「探しに行きたいねー。あったら凄いお土産になるよ」なんてよからぬ企みを企ててはいたのですが、結局撮影スケジュールが押してしまいその計画はボツに。
まあ無理ですよね。「あの」みうらさんが同行していたんですから。
心なしか東宝担当者の目も光っていたような(笑)。ごめんなさい。もう時効ですからお許し下さいね。

Photo_554 さて、撮影所の各地をロケし終わって、みうらさんと私達は撮影所内の一室、東宝映像の監督室へと足を進めました。ここでは当初、みうらさん一人で「ここが!VSキングギドラの特撮を手掛けた川北紘一監督のお部屋で!」なんてやろうと思っていたのです。ところがここに驚くべきハプニングが。
これは以前にもお話したのですが、こちらの撮影スケジュールが変わった関係で、本来不在の筈だった川北監督が戻って来られたのでした!

考えてみれば当たり前のお話ですよね。ご自分のお部屋なんですからお仕事が終われば戻られるのは当然で。「あ、撮影中でしたか。失礼しました」なんて、特撮界の第一人者の驕りをおくびにも出さないその低姿勢。「いいよ。どうぞやって下さい」なんて、ご自分のお仕事を待ってまで撮影に協力して下さるその優しさ。
ここでディレクターと私は一世一代の大バクチを打ちました。
「川北監督に出演交渉してみようか?」


Photo_555 交渉はあっけないほどスムーズに進みました。確かにご自身が監督された映画のパブリシティーですから協力を断る理由もない訳で。みうらさんの興奮も最高潮に。
緊急企画「川北監督へのインタビュー」が決行されたのでした。
でもダメですねー。世界に名だたるゴジラ映画の、それも特技監督なんてビッグネームを前にすると、頭が真っ白になっちゃって質問なんて浮かんでこないんですよ。でもそこはさすが親分のディレクター、「こんな事もあろうかと」質問を用意していたという。
なにしろこの取材日の段階では「VSキングギドラ」は公開前ですから、私達も内容はまったく知りません。
そういう状態での質問という事をお考え下さい。
「見所」や「苦労した点」など、おざなりな質問に終始してしまいましたが、快くお答え下さった川北監督には今も感謝の念を禁じえません。
しかしこの監督室で私達は、またとんでもないものを見つけてしまったのです。


「モスラVSバガン」。
このタイトル、皆さんならもうご存知と思います。1990年、「VSビオランテ」の制作直後から検討に入っていた幻の企画として、ファンの話題に上った作品です。

残念ながらこの企画は実現には至りませんでしたが、作品のストーリーや敵怪獣「バガン」のデザインはあちこちの文献で見る事ができます。
この「モスラVSバガン」の企画ファイルがこの監督室の書棚にあったとしたら?
貴方がもしこのファイルを発見したとしたら?
実際あったんですよ。そんな出来事が(驚)

この企画がファンの話題に上ったのは1992年の「ゴジラVSモスラ」当時。91年現在には誰もこの企画の存在は知られていませんでした。もちろん私達の目に触れるのも初めて。
思わずディレクターと密談する私。
「あれって次回作?」「大スクープかもだよこれは!」


インタビューというのは主要な会話の収録の他、人物以外の風景などを映す「インサート」というカットを収録します。
この川北監督とのインタビューの場合、監督室に来ているという「アリバイカット」としてのインサート画面をインタビューのあちこちに編集で挿入して、より映像の面白さを出す訳です。当然この場合もインサートカットを撮影した訳で。ここで親分は実に気の効いた交渉をしたのでした。


「この部屋のどこを撮っても、問題ありませんよね?」

件のファイルを撮っていいかと聞けば、川北監督が気づいてしまう。そうしたら「これは社外秘」となるかもしれない。それを気づかせない為の見事な手腕でした。
当然OKは出て、私達は待望のファイルをカメラに収める事に成功したのでした。

でもまあ背表紙だけでしたし、まあ川北監督ともあろうお方が社外秘のファイルを外に出しておく訳もなく。
後々考えてみればあれは監督一流のファンサービス、私達へのちょっとした「目配せ」だったのかもしれませんね。
「こういう企画もあったんだよ。」という。


最後の解説、スタジオを背に撮影したみうらじゅんさんの顔は興奮に上気していました。これは番組のエンディングの撮影だったんですが、当初の台本ではみうらさんが空に視線を移した途端、編集で反重力光線を合成して一瞬の内にみうらさんが消滅(笑)というものだったんです。(生意気にも私の案でした)
ところがここでみうらさんから提言が。
「俺、盗んだゴジラ返すよ。」


この一言でエンディングは大幅に変更。
当時アトラク用のゴジラの着ぐるみが盗まれた事件がありましたよね。みうらさんには
「自分も返すからお前も返せよ」と呼びかける事で事件解決の一助になれば、という思いがあったのでしょう。
みうら案での撮影も無事終わり、帰路についた私達の心はもう最高潮。当日はまだお話できない色々なドラマもありましたが、この日ほど自分の職業に感謝した事もなかったですね。
「G×G」への熱い思いは、この日の経験も大きな原動力となっているのです。


きっと川北監督のあのお部屋には、またうず高く新作の企画書が積まれているんでしょうね。用心棒さんをはじめ、皆さんや私が考える「G×G」の企画書も、いつかあの机に乗って欲しいと夢見る次第です。
ファイルになって書棚の片隅、というのはちょっと避けたいですが(涙)。

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2006年7月16日 (日)

東宝撮影所第11スタジオ跡

昨日観た「日本沈没」のおがけで、古い記憶が次々と甦ってきました。
新作の、CGで描かれた沈み行く日本列島の全景も、1973年の旧作では東宝内のスタジオに組まれた巨大なミニチュアによって表現されていたなあ、なんて。
公開当時の漫画週刊誌にグラビア特集された、そのメイキング写真を見て、ミニチュアの大きさに驚いたものです。

実は私、過去に一度だけ、砧の東宝撮影所を訪れた事があります。1991年制作の「ゴジラVSキングギドラ」公開直前の事でした。

当時私は、まだ駆け出しのAD(テレビ業界内で一番低い身分でしょう。「アシスタント・ディレクター」の略ですが私達は親分であるディレクターから「あなたの奴隷」の略だと教えられました。)で、番組作りの雑事に追われていましたが、局内にゴジラ好きのディレクターがおり、同じ趣味を持つ私を懇意にして下さっていたことから、彼が立てた番組企画にGOサインが出たとき、私に白羽の矢が立ったのでした。

その番組企画は、「VSキングギドラ」公開に先駆けて、集客目的の為深夜に放送する「過去のゴジラ映画特集」。解説部分にゴジラ好きの漫画家、みうらじゅんを解説者として迎え、東宝撮影所内をいろいろ回りながら、VSキングギドラの魅力を語る、というものでした。当時、ゴジラ最大の敵ギドラの出演は鳴り物入りで、企画を立てた先輩ディレクターも私も、興奮を抑え切れなかったものです。

撮影当日、砧の東宝撮影所でみうらさんと合流した私達撮影チームは、撮影所内をいろいろ回り、解説部分を収録していきました。他の番組などで露出の多い撮影所社屋からメインストリート、撮影所内を流れる川の前など。
中でも最大のハプニングはこの作品の特技監督、川北紘一監督にお会いできた事です。これはスケジュールのいたずらが生み出したまったく予定外の出来事で、急遽予定を変更、みうらさんとの対談を実現させたのでした。無理なお願いを快く引き受けて下さった川北監督の笑顔は、今も忘れられません。

昼食を撮影所内の食堂でとった私達は、みうらさんの並々ならぬ「サンダ対ガイラ」フリークぶりに驚かされました。あの羽田空港にガイラが現れるシーンを熱く語るみうらさんに、私達も仕事である事を忘れてのめりこみました。もうこうなるとタレントとスタッフというよりも、只の怪獣マニア同士(笑)。
と、後ろを通り過ぎる人影。なんと大林宣彦監督でした。すてきなサプライズ。こんな出会いもあるんですね。

話が興じて、みうらさんから「あの、ガイラが現れた羽田空港のシーンって、今はもうない「第11スタジオ」だったんでしょ?」なんて話が出ました。
「妖星ゴラス」の南極基地や「怪獣総進撃」の決戦場、富士山麓。冒頭の「日本沈没」の日本列島などなど、特撮映画のクライマックスを盛り上げた、パノラマ感あふれる広大なセットが組まれた(と推察する)、国内最大級の広さを誇った「第11スタジオ」。特撮映画冬の時代、維持費などの問題で取り壊され、今はホームセンターの駐車場になっていると聞きました。

「怪獣総進撃」の解説も収録予定に入っていた私達。誰からともなく「行ってみようか」という話が持ち上がりました。
こうなるともう、番組制作というより完全に「趣味」ですね。

そこは食堂からあっけないほど近い、2階建ての駐車場でした。
ただみうらさん達は興奮をもう抑えきれず、「ここに富士山が」「ここにガイラが」なんて、駐車場内を走り回って「夢の跡」に思いを馳せていたのでした。
私は円谷英二、中野昭慶両監督への思いと共に、あの「沈み行く日本列島」のセットが組まれたであろう第11スタジオがここにあったのか、という思いで胸が一杯。頭痛がするほど感動しました。こんな事は後にも先にもありません。

その「11番スタジオ跡」から程近い所に、これも今は取り壊されてしまった東宝撮影所名物の「大プール」がありました。この場所も数々の名場面を盛り上げた、ファンにはこたえられない名所。関係者がよく言う「このプールには「ゴジラにエサをあげないで」という立て看板が立っていて」というのはウソでしたが(笑)、
プールには誰かが投げ込んだであろう、缶ジュースの空き缶が沈んでいました。今にして思えば拾っておけばよかったかなー。自分の中ですごい思い出になったのに。

Photo_30 そんなこんなで無事収録も終了、「夢の一日」は終わりました。写真は撮影所で番組資料として頂いた「VSキングギドラ」のプレスリリース。今となってはお宝ですね。
「日本沈没」をはじめ、東宝の特撮映画を観るたびに心をよぎるあの日の記憶。きっと一生忘れることはないでしょう。仕事と言えど私にとっては、ディズニーランドやUSJなどとは比べ物にならないほどの思い出として、強く心に残っています。

新作「日本沈没」の樋口監督も、1984年の「ゴジラ」でこの地を初めて踏んだ時には感動に打ち震えた事でしょう。
彼ら新時代を担う監督が活躍を続ける限り、特撮映画の未来は明るいと信じたいものです。
こんな片田舎でそんな事を言っても、本人には届かないですが(笑)。

2006年7月 7日 (金)

祖師ヶ谷からの贈り物

Photo_25 今日は七夕。垂れ込めた雲の下では、織姫と彦星のデートも想像するだけに留まってしまいますが、私を含め特撮マニアの皆さんには、この日はもう一つの「特別な日」。今日は、この、何の変哲もないバンダイ製ナメゴンがいざなう、暑い日の思い出です。

1901年(明治34年)7月7日。この日、私達を夢の世界へ案内してくれた人物がこの世に生を受けました。「特撮の神様」円谷英二監督です。カメラマンとして映画界でデビューした監督は、スモーク・グラスワーク・スクリーンプロセスなど独自の撮影方法で後の特殊撮影の基礎を築き、1942年制作の東宝映画「ハワイ・マレー沖海戦」で本格的な特撮に挑戦。その後、1954年制作の「ゴジラ」以降、怪獣映画、SF映画を量産。テレビ界にも進出し、「ウルトラマン」など良質の作品を生み出しました。今日の特撮映像界に多大な影響を与えた人物です。

当時制作されていた世界中の特撮、SF映画にまったくひけをとらない、ある意味独自な世界を築いた円谷監督の作品群は、1970年の監督他界後、今に至ってもまったく色褪せることがなく、「世界のツブラヤ」の名は国内、国外を問わず、燦然と輝き続けています。このブログでも作品のすばらしさは何度か記事にしているので、目にされた方もいらっしゃるでょう。

1980年代。私達ファンの機運が高まり、自然に起こった「第三次怪獣ブーム」。その多くは同年代のマスコミ人たちが書籍や映像などで過去の作品を振り返る観点のムーブメントでしたが、それなりに作品毎の分析も行われ、1990年代の新作ラッシュへの土台が築かれた時期でもありました。なんのとりえもない私もその熱に浮かされ、各地で行われた旧作や自主映画の上映会に精力的に顔を出していました。(「大怪獣ゼラン」なんて懐かしいですね)
そんな余熱の中、怖いもの知らずの私はまた無茶な事を考えたのでした。

そうだ。円谷プロを見学に行こう!

当時テレビなどで「昭和の夢工場」的な扱いを受け、何度か取材されたこともある「円谷プロダクション」。昨年引越しを行い、今は八幡山に立派な本社を構える円谷プロですが、80年代当時はあの「皆さんがよく知っている」世田谷区の旧・砧本社屋でした。
つまり、あの第一次怪獣ブームを支えたウルトラQが、ウルトラマンが、セブンが作られた社屋だったのです。

オリジナルの空気を感じるにはもう、これしかない!地方都市に住む私には無茶な行為でしたが、中途半端にオタクの私が行動力を発揮する対象としてこれ以上の「秘境」も無かったわけですね。

「作戦決行」は今日のような蒸し暑い、7月のある日でした。現場は小田急線の「祖師ヶ谷大蔵」を降りてから歩いて約20分。しかし私にはその道もが「円谷プロへ続く道」に感じられて、なにか特別な道に思えました。ケムール人が飛び出してきそうな路地、カネゴンが住んでいそうな家。まさに自分が「アンバランスゾーン」に迷い込んでしまったような感覚。暑さも手伝って少々ハイになっていたのでしょう。社屋の駐車場に佇む「ウルトラマン」や「ミラーマン」を見つけた途端に、「これは現実なのか」と立ち尽くす私が居ました。

電話で予約をしてあったので、担当の方にもごくスムーズにご案内いただけました。現在は分かりませんが、当時は電話で予約するだけで、一般人でも見学が出来たんですよ。社屋の中は本当にあの「テレビでよく見た」制作部、応接室などが並び、そこかしこに当時発売されていたウルトラグッズ、ガレージキットの完成品などが置かれていました。
ガレージキットのほとんどは原型師さんからの寄贈品だそうで、それらを見るだけでも興奮するのに、なにしろ自分が今立っているのは「金城哲夫さんが、市川森一さんが、円谷一さんが、そしてなにより円谷英二監督が居た場所」なんだと思うだけで、もう膝から崩れ落ちそうな感動。あー生きてて良かった。

次に案内されたのが「お待ちかねの」怪獣倉庫!さすがに80年代後期では新作が作られていなかった為、アトラク怪獣ばかりでしたが、これでも「本物」。
これはもう「ウルトラファイト」第196話「怪獣死体置場」の「ライブバージョン」!押し寄せる感動に胸が一杯で、大変な思いでした。倉庫の隅に「チビラくん」の頭が置いてありましたが、ディテールの精密さからしておそらく撮影に使われた本物では・・・なんて発見もあったりして。
倉庫の真ん中、畳敷きの場所でマンの塗装を直すおじさんに挨拶をして、さあ帰ろうか・・と思って、事務所の扉を開けた途端、今回の訪問、最大の収穫が待っていました。

事務所のデスクで仕事をする、満田監督。その向こうで新聞を読む人影。新聞を下ろしたそのお姿は・・・なんと高野宏一特技監督だったのです。ウルトラのクリエイターお二人にいきなりお会いした私は、「がんばって下さい!」と挨拶するので精一杯。お二人は快く会釈してくれました。

もうその後はどうやって帰ったかも覚えていません。気が付けば祖師ヶ谷の駅前。なにか記念を。というわけであたりを見回せば、目に入るのは商店街のおもちゃ屋さん。そこで買ったのが、冒頭の「ナメゴン」なのです。ここのおばさんがまたいい感じの人で。やっぱり買った物って、買った時の記憶とセットになっているんですね。
今でも、どこでも手に入るナメゴンですが、私にとっては円谷プロ訪問の記憶とともに大切にしたい「祖師ヶ谷からの贈り物」なんです。

この駅前商店街は、昨年4月より「ウルトラマン商店街」として地域の活性化に貢献しているそうです。七夕の今夜、円谷監督も、遠いM78星雲からご自分の街を見下ろして、あの優しい笑顔を浮かべているんでしょうか。それとも、垂れ込めた雲に遮られているのでは?
ご心配なく。どんなに天気が崩れても、地球上には「ウルトラの星」が見える私達多くのファンがいます。
これからも円谷の名前は永遠に語り継がれて行くでしょう。
後は私達に任せて、そちらで余生をごゆっくりお過ごし下さい。
(私が言うのもおこがましいですが)