東宝映像監督室秘聞
今日は雛祭りですねー。 ウチもなんとか可愛い2ショットを、と探してはみたものの、ご想像通りオタク部屋には怪獣ばかり。いつものご神体「バゴスちゃん」をお雛さまに見立てておきます。
この「バゴスちゃん」についてのいわれは、昔お話した事があるのでそちらをご覧下さい。
『ウチのご神体「バゴスちゃん』
http://spectre-nebura.cocolog-nifty.com/cultnight/2006/05/post_ff22.html
さて。今日のお話は、そんな女子な世界とはまったく無縁で(笑)、
夢見るオタクの桃源郷、世田谷は砧の東宝撮影所についての記憶です。
ここ数日盛り上がっている「G×G」の話題で、私の中でも過去の「G体験」が蘇えってきました。その中でも特筆すべき事は、やっぱりGに関わった方との対面でしょうか。
1991年。「ゴジラVSキングギドラ」公開前に、私は局の特番制作で一度だけ、東宝撮影所にお邪魔した事があります。
「ネヴュラ」でもお話したのでご記憶の方もいらっしゃるでしょう。
ご参考までに以前の記事のアドレスを。
『東宝撮影所第11スタジオ跡』
http://spectre-nebura.cocolog-nifty.com/cultnight/2006/07/11_414c.html 「大の怪獣ファン」という言葉がまず先に立つ(笑)タレント、漫画家でもあるみうらじゅんさんとの撮影所訪問は大変有意義なものでした。なにしろそれまで穴の空くほど観ていたゴジラ映画の撮影現場に足を踏み入れる事ができた訳ですから、それが尋常の感動で無かった事は皆さんにもお察しいただけるでしょう。
以前の記事でもその興奮はお話しましたが、今回「G×G」についてお仲間とやりとりをしている内に、以前お話していなかった事が次々と思い出されてきたのです。
この取材は当時の新作「ゴジラVSキングギドラ」に先駆け、過去にギドラが登場した作品を週代わりで5週に渡って放送するというもの。「三大怪獣」「大戦争」「総進撃」「対ガイガン」そして「流星人間ソーン」。作品の解説者としてみうらじゅんさんが撮影所の各所を探訪するといった内容でした。実際には作品よりもその解説の方に力が入ってしまったのですが(笑)。 地方の局ゆえ、当時ADだった私は親分のディレクターと共に取材前日に東京入り。
夕方到着した私達は、「VSギドラ」のクライマックスシーンを彩った東京都庁を番組のオープニングに使う為、翌日撮影するポイントを探してロケハンに。
これは楽しかったですね。初作「ゴジラ」の撮影に先駆けて、円谷英二監督が東京の「破壊予定地」をロケハンした気分を味わいました。
実際自分達が探すと都庁撮影のベストポイントって意外に少ない。「壊し甲斐はあるけど撮りにくい」という訳で(笑)。
いよいよ撮影当日。朝靄の中、意気揚々と訪れる私達を東宝撮影所は快く迎えてくれました。
別便でタクシーで駆けつけたみうらさんもこの取材には興奮を抑えられなかったようで。なにしろ、当時みうらさんはゴジラのディスプレイモデルを東宝から「ちょっと拝借した」経歴を持ち、まだ返却していなかったからなのです。
気の使い方も尋常ではなく(笑)。
「よく俺の出演を許可してくれたなー」なんて苦笑していました。 撮影所の内部は意外と広く、移動には車が必要でした。撮影所で待ち合わせたカメラマン他取材クルーと共に撮影は順調な滑り出し。撮影所の通路を360度パンしたり、スタジオ前で解説したり。
今はもう撤去されてしまった大ブールや幻の「第11スタジオ跡」に赴くなど、もう好き放題。
そりゃそうですよ。きっともう二度と足を踏み入れる事など出来ない、特撮ファンの梁山泊だったんですから。
一生分の注意力とずうずうしさを駆使して取材に当たりました。
中でも私達の興味を引いたのは、撮影所の裏山にある「森」についての一件でした。
当時、この森は「VSキングギドラ」の撮影直後で、それなりに整備されていたようだったのですが、風の噂に「どうやらその森に、VSギドラの前作『VSビオランテ』で使われたビオランテの触手が廃棄されている」というお話を聞いていたのです。
みうらさん、ディレクターと3人で「探しに行きたいねー。あったら凄いお土産になるよ」なんてよからぬ企みを企ててはいたのですが、結局撮影スケジュールが押してしまいその計画はボツに。
まあ無理ですよね。「あの」みうらさんが同行していたんですから。
心なしか東宝担当者の目も光っていたような(笑)。ごめんなさい。もう時効ですからお許し下さいね。 さて、撮影所の各地をロケし終わって、みうらさんと私達は撮影所内の一室、東宝映像の監督室へと足を進めました。ここでは当初、みうらさん一人で「ここが!VSキングギドラの特撮を手掛けた川北紘一監督のお部屋で!」なんてやろうと思っていたのです。ところがここに驚くべきハプニングが。
これは以前にもお話したのですが、こちらの撮影スケジュールが変わった関係で、本来不在の筈だった川北監督が戻って来られたのでした!
考えてみれば当たり前のお話ですよね。ご自分のお部屋なんですからお仕事が終われば戻られるのは当然で。「あ、撮影中でしたか。失礼しました」なんて、特撮界の第一人者の驕りをおくびにも出さないその低姿勢。「いいよ。どうぞやって下さい」なんて、ご自分のお仕事を待ってまで撮影に協力して下さるその優しさ。
ここでディレクターと私は一世一代の大バクチを打ちました。
「川北監督に出演交渉してみようか?」 交渉はあっけないほどスムーズに進みました。確かにご自身が監督された映画のパブリシティーですから協力を断る理由もない訳で。みうらさんの興奮も最高潮に。
緊急企画「川北監督へのインタビュー」が決行されたのでした。
でもダメですねー。世界に名だたるゴジラ映画の、それも特技監督なんてビッグネームを前にすると、頭が真っ白になっちゃって質問なんて浮かんでこないんですよ。でもそこはさすが親分のディレクター、「こんな事もあろうかと」質問を用意していたという。
なにしろこの取材日の段階では「VSキングギドラ」は公開前ですから、私達も内容はまったく知りません。
そういう状態での質問という事をお考え下さい。
「見所」や「苦労した点」など、おざなりな質問に終始してしまいましたが、快くお答え下さった川北監督には今も感謝の念を禁じえません。
しかしこの監督室で私達は、またとんでもないものを見つけてしまったのです。
「モスラVSバガン」。
このタイトル、皆さんならもうご存知と思います。1990年、「VSビオランテ」の制作直後から検討に入っていた幻の企画として、ファンの話題に上った作品です。
残念ながらこの企画は実現には至りませんでしたが、作品のストーリーや敵怪獣「バガン」のデザインはあちこちの文献で見る事ができます。
この「モスラVSバガン」の企画ファイルがこの監督室の書棚にあったとしたら?
貴方がもしこのファイルを発見したとしたら?
実際あったんですよ。そんな出来事が(驚)
この企画がファンの話題に上ったのは1992年の「ゴジラVSモスラ」当時。91年現在には誰もこの企画の存在は知られていませんでした。もちろん私達の目に触れるのも初めて。
思わずディレクターと密談する私。
「あれって次回作?」「大スクープかもだよこれは!」
インタビューというのは主要な会話の収録の他、人物以外の風景などを映す「インサート」というカットを収録します。
この川北監督とのインタビューの場合、監督室に来ているという「アリバイカット」としてのインサート画面をインタビューのあちこちに編集で挿入して、より映像の面白さを出す訳です。当然この場合もインサートカットを撮影した訳で。ここで親分は実に気の効いた交渉をしたのでした。
「この部屋のどこを撮っても、問題ありませんよね?」
件のファイルを撮っていいかと聞けば、川北監督が気づいてしまう。そうしたら「これは社外秘」となるかもしれない。それを気づかせない為の見事な手腕でした。
当然OKは出て、私達は待望のファイルをカメラに収める事に成功したのでした。
でもまあ背表紙だけでしたし、まあ川北監督ともあろうお方が社外秘のファイルを外に出しておく訳もなく。
後々考えてみればあれは監督一流のファンサービス、私達へのちょっとした「目配せ」だったのかもしれませんね。
「こういう企画もあったんだよ。」という。
最後の解説、スタジオを背に撮影したみうらじゅんさんの顔は興奮に上気していました。これは番組のエンディングの撮影だったんですが、当初の台本ではみうらさんが空に視線を移した途端、編集で反重力光線を合成して一瞬の内にみうらさんが消滅(笑)というものだったんです。(生意気にも私の案でした)
ところがここでみうらさんから提言が。
「俺、盗んだゴジラ返すよ。」
この一言でエンディングは大幅に変更。
当時アトラク用のゴジラの着ぐるみが盗まれた事件がありましたよね。みうらさんには「自分も返すからお前も返せよ」と呼びかける事で事件解決の一助になれば、という思いがあったのでしょう。
みうら案での撮影も無事終わり、帰路についた私達の心はもう最高潮。当日はまだお話できない色々なドラマもありましたが、この日ほど自分の職業に感謝した事もなかったですね。
「G×G」への熱い思いは、この日の経験も大きな原動力となっているのです。
きっと川北監督のあのお部屋には、またうず高く新作の企画書が積まれているんでしょうね。用心棒さんをはじめ、皆さんや私が考える「G×G」の企画書も、いつかあの机に乗って欲しいと夢見る次第です。
ファイルになって書棚の片隅、というのはちょっと避けたいですが(涙)。
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