手は口ほどにモノを言い
台風2号が接近し、傘も役に立たない暴風雨の中、昨日参加したイベント
『昭和を彩るお二人の先駆者~ヒーローの共演』。
本来なら、皆さんにご意見をお願いした時のお約束通り
当日の模様をいち早くお伝えする必要があるのですが
さすが昭和を代表する二大ヒーロー・鉄腕アトムとウルトラマン。
作品にまつわるお話の興味深さは群を抜いており
お二人や参加者とのやりとりも非常に充実していて
失礼ながら、予想が良い方に裏切られてしまいまして
その為、内容があまりにも盛りだくさんで、短くまとめる自信がありません
ですからその内容は、じっくり腰を据えて
これからおいおい、お話していくことにしたいと思います。
ボキャブラリーの乏しいおバカゆえ、どうぞお許し下さい
長文記事にするか、数回の記事に分けるかなど
今、脳内で構成を練っておりますが
考えがまとまるまで記事がお留守になるのもアレですので
まず先に、もう一つのお約束
昨日古谷さんにお渡しした意見書のラストに付け加えた
「ウルトラマンからの宿題」への拙意見を、ご覧頂きたいと思います
これは前回、4月17日の古谷氏の講演会後
会場で出された古谷氏からのご質問に対し
私なりに結論づけた「ウルトラマン独自の魅力」です。
ですからこの考えは、お仲間にご意見を呼びかける前に
私の中ではまとまっていました。
あい変らずの浅知恵に加え、いつもの無駄な長文ですが
田舎のユルいおバカファンは、ウルトラマンをこう感じたと
受け取って頂ければ幸いです
なお、皆さんから頂いたご意見との公正を規す為
この文は昨日、古谷さんにお渡しした
ほぼそのままの形で再録してあります。
そのため文中、やや意味不明な表記もあるかもしれませんが
意見集のまとめ的スタンスの表記として、ご了承下さいませ。
睡魔との戦いの末、最後まで読破下さった奇特な方には
またご感想など頂ければ幸いです
<以下本文>
もう「モノサシ」なのです。
ウルトラマンという作品を本放送で体験してしまった私にとって
その後のヒーロー番組は
「ウルトラマンと較べてここが違う、あそこが違う」と見えてしまう。
他の作品を論じる上で、動かしようのない基準と化してしまっています。
それほどまでに全ての要素がバランスよく、過不足無く機能していて
どこかが少なければ物足りなく、足せば余計という印象をぬぐいきれない。
言ってみれば、ヒーロー番組の一つの黄金率となっているわけです。
ですから私にとって「なぜウルトラマンが好きなのか?」と聞かれることは
いわば、単位の定義を聞かれるようなもの。
「1ミリはなぜ、あの長さなのか?」
というたぐいの質問に、近いような気がします。
何かを語れるのは、それを較べる基準があるからで
基準そのものの定義は、答えられない。
「ウルトラマン」という作品はそれほど、私の中に大きく根付いています。
「好き嫌い」というより、「だってウルトラマンなんですから」
としか、言いようがないわけです(笑)。
本放送世代で「ウルトラマンのどこが好きですか?」と尋ねられた多くの方が
とっさに答えられない、難しい質問と感じるのは
おそらくこの「自分の理想とするヒーロー像、作品像に最も近いから」
という、極めて根源的な感覚を、ウルトラマンに抱くからではないでしょうか。
ですから、どんなに魅力を語っても語り尽くせない。
両手ですくった水が指の間から零れ落ちるように、どこか言い足りない部分を
残してしまうのです。
とはいえ、これではご質問への答えにはほど遠いですから(笑)
4月のイベント以降、この作品が自分の基準となった理由は何だろうと
改めて「ウルトラマン」全39話を再見しました。
それは非常に楽しい時間であり、また全話を通して見たことで
本放送時、再放送時とはまた異なる、少し離れた見方が出来ました。
それはそのまま自分が「ヒーロー作品に求めるもの」を再確認する作業でも
あったような気がします。
さて。この意見集で他の方も書かれていたように
「ウルトラマン」には、この作品にしかない明るさや未来への希望などが
溢れています。
それは人類や科学文明へのストレートな信頼に裏打ちされた
寓話的な理想世界と考えることもできますが
それはまぎれもなく、輝く瞳で未来を見つめた放送当時の子ども達の目であり
そんな明るい未来を子ども達に託した、制作陣の眼差しにも他なリません。
現在の目から見ればファンタジックに過ぎるような世界観も、意図的なものであり
「ヒーローの形をした光」という、初作のウルトラマンのみが持ちえた印象を
かろうじて保つことのできた、希有な例と思います。
この印象はなぜ、古谷氏が演じられたウルトラマンのみに
持つことが出来たのでしょうか。
後続のウルトラシリーズにはさほど明るくない私ですが
ウルトラマンとの比較の意味で、セブン以降の後続作品を何本か再見した所
一つ、古谷ウルトラマンのみにしか無い特徴を発見できました。
それは一言で言えば
「敵に拳を向けないヒーロー」とでも言うべきものです。
ウルトラマンの基本設定は「光の国の警官」ですから、怪獣や侵略者に対する
立場も「殺戮」「殲滅」ではなく「和解」であると。
怪獣なら軽く諭して、おとなしく居場所に戻ってもらい
知的宇宙人には同じ宇宙生物同士、暴力ではなく説得で和解を目指す。
ウルトラマンのアクションは一見
「肉弾戦」「怪獣プロレス」的印象を与えますが、よくよく見れば
相手との対立構造、そしてその演出意図を理解した古谷氏のスーツアクトは
実にきめ細やかに、初期設定たる「宇宙の秩序」たるウルトラマンの姿を
体現しているのです。
その印象を与えるのは、古谷氏ご本人もお話されていた
「ウルトラマンは握りこぶしでファイティングポーズをとらない」という姿勢。
確かに、画面中心で両手を握ったファイティングポーズが完全に確認できるのは
全39話中、第4話に於けるラゴン戦のただ一度だけで、他の話数はあの独特な
「腰溜めで両手を開き、敵の出方を待つ」ポーズでほぼ統一されています。
しかもウルトラマンの格闘スタイルは、相手の体躯を堂々と受けて立つ
がっぷり四つ組みと、言わばみね打ち的なチョップが非常に多く
敵に大きな打撃を与えるパンチを、ほとんど放たない。
第9話のガボラ、第27話のゴモラなど、逃亡により都市に甚大な被害を与える
可能性が考えられる相手にだけ、その鉄拳をふるうのみです。
第11話のギャンゴ、第34話のスカイドンなどにもパンチは打ちこんでいますが
これはいわゆる演出の遊びや遊戯的アクションであり
シリアスな格闘という意図とは外れているので、同一には語れない気がします。
(ザラブ星人やダダなど、ウルトラマンの手元が相手の背中に隠れて
正式にパンチと確認できない例は除きます)
かようにウルトラマンには、「光の国の警官」たる基本設定が
アクション面においても徹底しているわけです。
後続作品として確認した「ウルトラセブン」と「帰ってきたウルトラマン」の
ファイティングポーズについては、別のお話なので特に語りませんが
もしご存知であれば、私の感じた印象がお分かり頂けると思います。
「最初から、相手に威嚇の意図を与える拳を向けず
なるべく先制攻撃を控えて敵の出方を待ち、堂々と四つに組んで
しかもチョップ技で、相手へのダメージを最小限にとどめる」
子どもの頃には見えていなかった、古谷ウルトラマンだけが持つこのスタイル。
後年、ファンの間で話題になった
「ウルトラマンはなぜ、変身直後にスペシウム光線を放たないのか?」
という疑問も、この格闘スタイルを理解すれば、こんな風に解釈できます。
「宇宙の秩序たるウルトラマンは、決して殺生は望んでいない。
変身時間のリミットまで和解を努力して、それでも相手が改心しない場合のみ
仕方なく鎮魂の思いと共に、銀光の鉄槌を下すのだ」と。
こうして見ると、さながら古谷氏が演じたウルトラマン像は
東宝映画「椿三十郎」(1962年 黒澤明監督)における
入江たか子さんのセリフにあったような
「本当に良い刀は、鞘に入っているもの」を地で行くような存在ですね。
無闇に抜き身を見せず、必要な時にしか刀を抜かないのが誠の強さという。
スペシウム光線発射タイムの問題に関しては
後年、制作スタッフにより色々な裏話が語られていますが
物心ついた後、改めてウルトラマンを見た私には、そんな風に映りました。
39話も制作された中で、格闘コンセプトがここまで守られた例は非常に珍しく
こうした基本設定を、物語の隅々にまで浸透させた制作陣と
それを理解し演技に反映させた、古谷氏はじめスーツアクター諸氏の功績も
ウルトラマンという作品に、大きく貢献していると思います。
思えば。
ウルトラマンが仮の姿・ハヤタ隊員として籍を置く事になった科学特捜隊も
怪獣や宇宙からの脅威に関しては、無用な対立や殺生を避け
第2話のバルタン星人への対処のように、常に和解の姿勢を貫いてきました。
そういう意味で、ウルトラマンと科学特捜隊の基本理念は極めて近く
光の国と地球というベースの違いはあれど
共に他者との和解、ひいては宇宙の秩序を目指して活動する仲間で
あったわけです。
確かにそれは物語の中での絵空事、理想の世界かもしれません。
しかし。どんな相手とも相互理解を目指す姿勢は必要という事や
たとえ種族は違っても、宇宙平和という目的に際しては手を携えられる事。
ウルトラマンという作品にキャスト・スタッフが込めたそんな理想は
古谷氏演じるファイティングポーズ、決して拳を作らない手にも
滲み出ていると思うのです。
ウルトラマンは後年、シリーズ中の別作品で何度も客演しましたが
子どもながらに違和感を禁じえなかった理由の一端は
古谷氏以外のスーツアクターが演じていた以上に
両手に構えた握りこぶしにあったのかもしれないと、今は思います。
ギリリと拳を鳴らし、相手を威嚇し続けるウルトラマンは
私にとって永遠に、別人と映るのかもしれませんね。
物心もつかない幼児期に「ウルトラマン」を初見した私にも
この願いにも近い、作品に込めたキャスト・スタッフの思いの片鱗は
おぼろげながら、きっと伝わっていたのだと思います。
そうでなければ、初放送から45年もの長い間
ヒーロー作品の黄金率として、君臨し続けるわけがありません。
私にとってウルトラマンという作品は、「優しさに満ちた、本当に良い刀」
に会えた、週に一度の至福の時間といったところでしょうか。
最近のコメント