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カテゴリー「映画雑館」の記事

2009年3月24日 (火)

感動は割り引かれない

前回のお話でポスターをひっくり返していたら、こんなモノが出てきまして。

Photo
ご存知、1984年の復活『ゴジラ』と1995年の『ガメラ 大怪獣空中決戦』の「割引券」です。しかも大量発掘
まー期せずして、ここで復活G×Gが実現したわけですが
前売券じゃなく、こうした割引券を10枚単位で持っているところが
オタクの魂百まで的感覚を思い起こさせ、複雑な気持ちだったりして
当時の私は、何を目指していたんでしょうか


でも、こんな紙モノひとつにも、それなりに時の流れは刻まれているもので。
当然ながら、こういう割引券には地元の上映館が印刷されているんですが
ここに印刷されている劇場は今、全て閉館しているんです。
『ガメラ 大怪獣空中決戦』の公開からすでに14年。ここに記された劇場は
すべて単独館ですから、シネコンの台頭によるしわ寄せも大きかったのでしょう。
すべて名古屋の劇場ですが、子ども時代から生粋の名古屋育ちの私には
記された館名一つ一つに、それぞれ思い出があります。
映画を観るという行為が劇場の記憶と重なり合う私にとって
それぞれの劇場の思い出は、そのまま映画の空気にさえ直結するのです。

まー「ネヴュラ」では、これまでもそういう『映画館の思い出』を綴ってきましたから
今日はそういうお話は控えましょう
その代わり、ちょっと思い出してみたいのが、今回の写真『割引券』の事で。

最近は映画鑑賞もすっかり前売券派、また木曜日のレディースデー派に
なっちゃった私ですが、当然の事ながら子供の頃は、
映画に前売券があるなんて思ってもいませんでした。
私が映画という物を初めて意識したのは、多くの方と同じように
通っていた小学校の校門で配られていた『割引券』だったのです。


その記憶は、通学路の途中に貼られていた劇場のポスターなどと
セットになっていましたね。
「うわー今度は、こんなすごい怪獣映画がやるんだ」
「こんな怪獣見たことないけど、強そうだよねえ。」
(また知ったかぶりの友達がひとしきり講釈などするんですが、
ほとんどは勘違いか捏造だったりして

大迫力のポスターと校門で貰った割引券が揃えば
仲間の話題はその新作に一点集中。
しかもポスターの場所は通学路ですから、毎日目に触れるわけで、
そこを通れば必ず話題は「新怪獣」の武器や生態に
特化するばかりという日々でした
当時の子どもが怪獣に触れる場所は、決して部屋やお店ばかりでなく
街頭にも溢れていたんですね。「刷り込み」が著しいのも無理はありません


私の人生初の劇場映画鑑賞が1970年公開の『ガメラ対大魔獣ジャイガー』
であった事は、「ネヴュラ」でもずいぶん昔にお話しました。


扉のむこうの「身長60メートル」

http://spectre-nebura.cocolog-nifty.com/cultnight/2006/05/60_667c.html

とにかく映画初体験でしたから、劇場の扉の向こうに怪獣が
ホントに居るんじゃないかなんて恐怖に怯えちゃったという
なんとも可愛い原体験だったんですが。
おそらくその時、連れて行ってもらったきっかけも
校門近くで貰った「割引券」だったと思います。


そうだ。今書いていて思い出しました。間違いなく割引券です。
ちなみに「対ジャイガー」の前年、1969年に公開された
『ガメラ対大悪獣ギロン』の時も割引券を手にしたのですが、
なぜかその時は連れて行ってもらえなかった苦い思い出が。
うーん成績が悪かったのか
そのリベンジという事で、「ジャイガー」の割引券を親に見せつけ
「今度こそ!」と直訴したような記憶もあります。
あのモチベーションはどこから湧いてきたのかと。


きっと当時の私の脳内は、90%以上が怪獣で占められていたのでしょう。
残りの10%は、プラモデルと食べる事が半々くらいで。
まー当時の私たちにとって、話題の怪獣映画を観られないという事は
それほどの一大事だった訳ですね。
まさに毎日が怪獣まみれ、プラモの海を泳いでいたような感覚さえあります


まーそれだけ思い入れの強い「割引券」でしたが
それは何となく「新作映画の情報を知る手段」だったような気もしますね。
映画の「名刺」と言うか。今で言うチラシ的役割を担っていた感覚があります。

考えてみれば、子どもが怪獣映画のチラシを手にするなんて事
1960年代から70年代にはほとんどありませんでしたから。
実際、チラシそのものも作られていなかったんじゃないかと思います。
後年の資料本や復刻された宣材にも、チラシというのは見かけませんし。
それだけ情報の少なかった当時、怪獣映画のメインターゲットだった
子どもたちには、雑誌の特集記事に加え、割引券とポスターくらいしか
作品の情報を得る手段が無かったのです。

またその名称の通り、入場料がほんの少し割り引かれる所も
子どもにとっては嬉しい余録でした。
親が同伴ならともかく、子供同士で行く事になれば
入場料をお小遣いでやりくりするのが当然となります。
もうそうなると割引券の有無だけで
鑑賞できるかどうかの明暗は分かれてしまうのです。

なにしろお小遣いに、余裕なんてありませんから。
割引券利用の入場料。そもそもそれだけしか手元には無いわけで。
たとえ10円20円の割引でも、予算編成に大きく響くわけです。
もし割引券が無かったら、その分を欲しかったプラモデルの予算から
切り崩す事となります。ああ悩む


「ガメラ対深海怪獣ジグラ」を観に行けば
狙っていた日東のゼンマイ歩行怪獣「ステゴン」を買うことが出来なくなるし。
(新マンのアレじゃなくて、日東オリジナル怪獣プラモの方ですが
うーんジグラかステゴンか。

割引券が一枚あるかないかで心はさながら人生の命題のように乱れに乱れ
勉強なんか手に付かなくなるのです。

(選択肢が怪獣だけというのも、当時の空気ですが
割引券への思い入れが強くなるのは、そんな理由からかもしれませんね。

大人になった今でも、割引券を見かけると「束ゲット」してしまうのも
当時誰もが思いついた「割引券複数利用でタダ?」という稚拙な作戦が
心の隅に残っているからかもしれません。まー子どもの知恵、尋ねても必ず
モギリのお姉さんに怒られましたから、笑ってお許し下さい


物心つき、前売券を求めるようになってからは、割引券の必要もなくなりましたが
それでもあの「校門前で配られる割引券」によって新作映画の公開
また夏休みや冬休み、春休みの訪れを知る感覚は、忘れられないのでした。

と同時に、「鑑賞の是非に大きく影響する」通知表も。
何しろ当時、怪獣映画の公開時期は、子どもの長期休暇と連動していましたから
どこの家でも、怪獣映画鑑賞の実現は通知表の結果と直結していましたよね。


お小遣いのやりくりと共に、ちょっとした焦りを割引券に感じるのは
そんな記憶も加わっているからかもしれません。
あっ、今気がついちゃった。という事は。
劇場鑑賞した怪獣映画の本数が、当時の成績のパロメーターという事?
しまった!じゃー私の60~70年代・怪獣映画鑑賞本数はヒミツという事に


割引券の写真から、また恥ずかしい過去のお話となってしまいました。
でもそんな事を思い出せるのも、怪獣映画最盛期を経験出来た証でしょうね。
新作冬の時代の今、あの時代が懐かしいです


Photo_2




怪獣映画のポスターの代わりに
桜がチラホラ咲く公園をひと歩き。
今日までの累積歩数、310944歩。
人類メタボーまで、あと61

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2007年12月26日 (水)

趣味・映画館鑑賞

一昨年前開催された「愛・地球博」通称愛知万博で、期間中、事務局の取材スタッフを務めていた事は、以前もお話したことがありましたね。
取材内容の中には、万博会場でのイベントなどで訪れる芸能人や著名人のインタビューなどもあったのですが、そんなある日、俳優の別所哲也さんにお話をうかがう機会がありました。


俳優としての顔の他、無類の映画好きが高じて自ら「ショートショートフィルムフェスティバル」を旗揚げした彼は、その年のグランプリ発表に愛知万博会場を指定、実行委員会会長として参加。
私はそこで、件のフェスティバルの事前アピールを兼ねたインタビューを請け負い、会場入りした彼にマイクを向けたのでした。
短い時間の中で、フェスティバルの内容を中心に色々なお話をしましたが、一通りインタビューが終わった後で、彼の表情や手元などインサートカットを撮る流れとなりまして。
「無言じゃあんまりだね。音は使わないから雑談でもしましょうか」とばかりに彼とフリートークを始めた私。
いくらオタクの私も、さすがに92年「ゴジラVSモスラ」の撮影現場について聞くのは場違いなので(笑)、「映画が映画館で上映される意味」について聞いてみました。

「やっぱり映画は映画館で観てもらいたい。」
雑談にも関わらず、彼の言葉には強い信念が溢れていました。

私が急に質問を振ったので、彼もそれ以上の持論を展開するまでには至りませんでしたが、その言外には、言葉に出来ない色々な思いがあったのだろうと推察しました。


「映画は映画館で。」私も昔から、観たい映画は出来る限り映画館へ赴く事にしています。公開後半年も経たない内にDVDが発売され、買う必要さえなく安価でレンタル出来てしまう現在、高額な入場料金で劇場鑑賞するモチベーションを維持するにはなかなか大変な気苦労もありますが(笑)、とにかく別所氏と同じく私も「映画は映画館」派なのです。

でももう最近は「もう劇場へ来るな!」とでも言われているような巷の誘惑、当の劇場での鑑賞マナーの悪化など、快適に映画を観る為には辛い状況がありますね。

ビデオデッキの家庭普及前には、映画は映画館で観るかテレビ放送で見るかのどちらかでしたから、そういう環境を疑う事さえなく、封切時に観たい時には劇場へ向かうしかなかった訳です。
人気作ともなれば長蛇の列に加わり入場待ちは当たり前、入場できても座る事など叶わず、立ち見を余儀なくされる事の方が多かったですね。
目の前に長身のお客さんが立つかどうかの「運」も重要でした。

「ジョーズ」や「日本沈没」(もちろん、共に初作)、1970年代の007シリーズなどは、作品の内容と共にそんな劇場の記憶が同梱パック(笑)されてしまっています。


しかし現在、そこまで苦労して作品を観る必要は無くなってしまいましたね。
前述の通り、今は劇場より高画質、高音質のDVDが当たり前のようにレンタル店に出回り、鑑賞する側も自宅に50インチもの大画面テレビがあって不思議じゃない。レンタルさえしてしまえばいつでも好きな時に、周りに配慮する事なく作品を楽しむ事ができちゃう。30年前には夢だったようなこの好環境の中、どうして上映時刻に合わせ高い入場料を払ってまで劇場へ行かなければならないのか。確かに私もそう思います。

もう映画館というシステムそのものが時代の遺物、古い物なのでしょうか。
シネコンなど新しい興行形態が注目され、邦画の興行も活気づいていると言われて久しいですが、それは劇場そのものの魅力ではなく、単にDVD発売の半年前に作品を観られるという一点のみで支えられる、映画にとって実に危うい環境と思います。

そんな現況を見るにつけ、古いオタクの私は思います。
映画館にはもう魅力はなくなってしまったのかなー、なんて。


Photo以前、こんな本を入手しました。
銀幕舎主催、高瀬進さんが、全国を回って撮り続けた各地の有名映画館の写真集です。
この一冊に古書店で出会った私は即買い。
今でも時々開いて、訪れた事のないご当地の劇場に思いを馳せています。
個々の写真に添えられたちょっとしたキャプションも、高瀬氏の映画への愛が窺えて素敵。
劇場の外観やロビー、場内の写真ばっかりなのに、そこにはそこはかとないドラマが感じられるのです。

この一冊に込められた数々の写真を見る度に、映画館って一体何だろうという思いに捉われちゃったりして。

前述の通り現在はシネコン全盛。この写真集は2002年の刊行ですが、今は廃館に追い込まれた劇場の写真が少なくありません。ただ撮影時はまだ営業中だった訳です。刊行後5年足らずの間に、既にこの写真集そのものが古くなってしまった。それほど世の移り変わりは早く、無常という事なのでしょう。

私はへそ曲がりなせいか、シネコンがあまり肌に合いません。無理してでも単独館か、シネコン形態を採っていない劇場を選んで鑑賞します。何故なんでしょうか。シネコンの方が劇場内は綺麗で快適、鑑賞作品は選定可能といい事づくめなのに。
確かにシネコンで観た事もあるんですが、どうにも居心地の悪さを感じてしまう。
「映画館ってこんな所だったっけ?」なんて思いに捉われてしまうんですね。

以前、番組で使ったリポーターの女性タレントがこんな事を言っていました。
タレントだけで食べていけない彼女はバイトで生計を立てているんですが、そのバイト先がなんと映画館だと言うのです。
私は当然、彼女の担当はフロント(いや、モギリ嬢と言うべきでしょうか)と思ったんですが、彼女の答えは意外なものでした。
「いえ、バイト先はシネコン。私は映写担当なんですよ。」


映写技師!職人技を駆使して映画一本に賭ける映写室の主というイメージを持っていた私の前で、20代前半の彼女はそう言い放ったのです。
「映写なんて簡単ですよ。上映時間に合わせて映写機のボタンを押すだけでOKなんです。私が行ってるシネコンは9スクリーンで、そこを三人で回してます。映写室越しに最新作がいつでも観られますが、一人が3スクリーンを担当するから3本の映画がごっちゃになっちゃって。」
屈託無く話す彼女の言葉を聞いて「ニュー・シネマ・パラダイス」の世界は遠くなったなーと感じた私。シネコンのシステムって、今やビデオデッキ並みに単純化されているんですね。まーそうやってコストを抑えなければ運営も難しいでしょうし。
これが映画ビジネスの現状なんでしょうね。


「映画館」という響きから受ける印象は、きっと地域や世代によってまちまちと思います。その精神的距離も、私の世代と今の若年層ではまったく違うんでしょうね。

古いオタクの戯言をお聞き頂ければ、私の世代にとっての映画館は決して作品上映の場に留まらない『夢の場所』でした。シネコンとは比べ物にならない大きなスクリーンの迫力は言葉では表現できない程で、劇中の音やBGMが漏れ聞こえるロビーはまさに『夢の入口』。
ロビー狭しと貼られた上映作、次回作のポスター、非売品のロビーカードなんか眺めていると、その非日常性に夢心地でしたね。

モギリ台で微笑むおじさんの横に平積みされたパンフレットは映画好きのマストアイテム。売れ切れやしないかと先を争って買ったものでした。
売れに売れて最後の一冊となったそれを勝ち取った時の喜びは筆舌に尽くしがたいもので。でもその直後、おじさんは顔色一つ変えずにテーブルの下からパンフの束を取り出すのですが(笑)。

Photo_2ロビー内の「スタンプ押し」も楽しいイベントでしたね。平成ゴジラなど子供用プログラムでポピュラーとなったこの「劇場鑑賞の証」は、私などオタクにとってまさに「勲章」。鑑賞日まで刻印されるこのスタンプを、毎年押したものでした。
ただこれ、鑑賞前は劇場到着後すくに良い席を取る事が先決ですから、スタンプ押しは鑑賞後になっちゃうんですね。で、平成ゴジラの諸作は鑑賞後割り切れない気持ちになる内容ばっかりでしたから、スタンプ押しもさほど思い入れが持てないんですよ。でも「証」は残したいと。
「そこにスタンプがあるから」的なノリなんですよね。

確かに毎年、そんな気持ちで押していたんですが、これが全作揃うとそれなりに良い記録になったりするから不思議です。塵も積もれば状態ですね。


Photo_4今考えれば私にとって、映画館は決して作品そのものだけではなく、作品が上映されている空気を感じる場だったのかもしれませんね。「この作品の時はこうだった。こんな経験をした」みたいな記憶を刻みつける場と言うか。作品と劇場の記憶がセットになるのも頷けるような気がします。
ですから劇場の雰囲気は大事なんですよ。ロビーだけでは上映作品も分からない、小さなポスターが控えめに掲げられたお洒落な雰囲気のシネコンに物足りなさを感じるのは、きっと私に沁み付いたオタクな鑑賞姿勢の為でしょう。

もー完全に時代に乗り遅れてますねー。お恥ずかしい限りです(笑)。

Photo_5私が単独館に感じる魅力は他にもありまして。
これは特に通いつめた劇場だったからでしょうが、館主さんと仲良くなれるのが嬉しかったんですよ。決して特典や見返りなど期待しての事ではないんですが、同じ映画好き同士、映画談義に花を咲かせる一時がもう楽しくて。これはフロントはじめ全てのスタッフが職員やバイトさんのシネコンでは味わえない喜びなんですよね。


Photo_6館主さんにも色々な好みがあるんですよね。時代劇好きな人、アジア映画が好きな等々。それが上映作品に反映されている所がまた面白くて。「あの作品をウチでかけたいんだけど、あれはフィルム代が高くてね。やっぱり採算の見込めない作品はなかなか思い切れないわけだよ」なんて、まるで身内のように話してくれる様子が、病こうこうの映画オタクにはたまらなく嬉しかったのでした。
今思えば、映画というのはその内容だけでなく、上映システムや鑑賞のあり方まで含めた一つのビジネスなんだという事を肌で感じた、貴重な一時だったと思います。

そういう世界、映画館経営の一端を垣間見てしまうと、今のシネコンはどうにもシステマチックに見えてしまって物足りない。スタッフの誰もが「お勤め」という空気を持つ館内は、私には魅力的に映らないんです。

「またそんな事言って。でもオタクイーン、それが今の映画館の生き残り術なんだし、時代の流れなんだから。」と思われる方がほとんどでしょう。
そうなんですよね。確か映画を取り巻く環境が激変している昔と今で、古い劇場のお話などしても仕方ない事かもしれません。
ましてや私の好みなど(笑)。

でも私は、おぼろげながらこんな事を考えてしまいます。
たぶん同じ映画を上映したとしたら、今のシネコンより昔の映画館の方がワクワクするんじゃないかと思うんですよね。
「映画の魅力を増幅する力」「作品パッケージングの手腕」に長けていたと言うんでしょうか。うまく言えませんが。


「ALWAYS 続・三丁目の夕日」鑑賞時、私はその事を強く思いました。
私は件の作品を普通の劇場で観たのですが、やはりそのロビーはふかふかの絨毯、作品のポップも控えめなもので、客席の扉を開けると現実に戻されちゃうんですよ。
あのロビーに手作りのダイハツミゼットが置いてあったら。ダンボール製でもいいんです。さらに手書きの「大好評上映中!」の看板があったら。
私は作品の幸せな余韻に浸ったまま劇場を出られたと思うんですよね。

昔の劇場には、そんな「お客さんをもてなしてあげよう。作品世界に浸らせてあげよう」という劇場側の「愛」があったような気がするんですよ。
その気持ちは昔だから、今だからという事ではないと思います。
映画への愛。映画に魅入られた人々が持つ心の問題じゃないかと。
若き日、無償で立看板を描かせてもらった経験を持つ私などは、ついそんな事を考えてしまうのです。


現状ではそんな手間、とてもかけられない事もよく分かっています。
いつもながらのおバカなたわごととお笑い下さい。
観客のもてなしに心を砕く劇場を求める、私の「映画館鑑賞」はまだまだ終わらないようです。
余談ですが。自宅の「ネヴュラ座」は、そんな劇場を意識しているんですよ。
コタと映画を観る時は、必ず駄菓子を与えています(笑)。

2007年11月15日 (木)

路地裏ティファニー

前回のお話で、久しぶりにキャラクターのマグカップなどを並べてみたので、何となく手持ちのキャラグッズを見直してみたくなりました。

世の映画ファンと同じく、劇場で作品を鑑賞する事がベストと考えるタイプの私は、公開前から劇場で前売り券を求め、特典のグッズを眺めながら封切日を心待ちにするのが何よりの楽しみ。貧乏ゆえ、最近は毎週木曜日のレディースデーを利用せざるをえない状況とはいえ(笑)、話題作や絶対外せない作品は今でも前売り券を求め、「これはイベントなのよ」と自分に言いきかせているのです(笑)。

そういう並々ならぬ気合いの戦利品とも言えるのが、手元に残る前売り券の半券と、前述の前売り券購入特典のグッズ。
こういう物ってべつに大したものじゃないんですが、「前売り券を買わないともらえない」「数に限りがあります」的なレア物感がグッズそのものの価値を大きく上げているんですよね。もちろんそれは金額的なものじゃなく、自分の心に占める思い出の大きさという意味ですが。

この前売り特典、昔はポスターが多かったんですが、最近はバッジやストラップ、キーホルダーなど身に付けるものが多くなったような気がします。古い映画ファンの私などは、特典のポスターを部屋に貼る事がテンションアップの一種の儀式だったんですが(笑)、やっぱり時代の流れなんでしょうね。
前売り特典のボリュームと映画への期待感が比例するように感じられるのは私だけでしょうか(貧乏根性ですねー(涙)。

劇場でしか手に入れられないプレミアムグッズも垂涎の的でした。
作品が気に入ってしまうと資金の額も考えず、トランペットが欲しいアメリカの子供のごとく売店のウインドーに張り付いて離れない私。何故かその瞬間は一万二万の出費も何のその、自分が叶恭子やパリス・ヒルトン並みのセレブにでもなったような錯覚に陥るのでした。
例え手にするのがゴジラのソフビだったとしても(笑)。


そんな訳で(意味分かりませんね(笑)久々にこの前売り特典、劇場販売グッズを引っ張り出した私でしたが、これ、価値はともかく意外に小物が多くありまして。
ちょっと一度の記事ではご紹介できないんですよ。ですから今日はとりあえず、最近の流行とも言える「身に付ける小型プレミアムグッズ」のいくつかをご覧頂きたいと思います。
中には劇場以外で求めた物もありますが、まーそれもいいのではと。
駄菓子屋さんの店先にありそうな物ばっかりですが、それを大事にするのが「ネヴュラ」流。学校帰りの気分でご覧下さい。

Photoまずはこれ。ご覧の通りのバッジ各種(笑)。
「ランボー怒りの脱出」(1985年・)「ロスト・ワールド ジュラシック・パーク」(1997年)、そして、「ゴジラ1983復活フェスティバル」(1983年)のものです(ランボーのみ販売品、他は前売り特典)。

ランボーやジュラシック・パークも今はそれなりに懐かしいですが、何と言っても怪獣オタクの私には「ゴジラ1983」が思い出深いですね。この時期、怪獣ファンは前年に行われた大規模なリバイバル企画「東宝・半世紀傑作フェア」で上映されたゴジラ他三本の怪獣映画に興奮、黄金期の作品の素晴らしさを再認識していたのです。
あの興奮再びとの願いを聞き入れた東宝が翌年打った興行がこの「1983」でしたね。ゴジラ作品含め10本の特撮映画が上映された夢のようなラインナップに、私たちはお仕事の疲れも忘れて(笑)、劇場へ通ったものでした。

Photo_2ちょっとした珍品バッジがありまして。
これは私の地方、東海地区だけのローカル放送「ラジオDEごめん」という深夜番組の特製バッジ。
実はこの番組、かのブースカがイメージキャラクターだったんです。
わざわざ円谷プロからブースカの着ぐるみを取り寄せて番組中に出演させたほど。

地元局の中京テレビには、この手のキャラクターが好きなスタッフが多かったんですね。私もその中の数人とお付き合いがありますが(笑)。
この番組の製作スタッフと間接的に関わりのあった私は、視聴者プレゼントでもあったこのバッジを何故か手にする役得に恵まれたのでした。
いいでしょこのデザイン。なんとなく罪がなくて。
お気に入りの一つなんです。


Photo_3劇場販売グッズの定番、キーホルダー。
まーこれも並べてみると、作品のロゴが前面に出すぎて使うには抵抗がありますねー(笑)。でも使わなきゃ作品を楽しんだ事にはならないと。オタクのジレンマですね。
「バック・トゥ・ザ・フューチャーⅢ」(1990年)「007カジノ・ロワイヤル」(2006年)は前売り特典、「ダイ・ハード3」(1995年)「必殺!主水死す」(1996年)は劇場販売でした。

こういうものって思い切っちゃえばすごく手軽に使えるんですが、なにしろロゴは普通の印刷ですから使っている間にハゲていっちゃう。上映期間も終わり、世間から作品の話題が消えるのと、キーホルダーの印刷がハゲ落ちるタイミングが同じというのも実に見事です。
ひょっとしてインクの調合を計算してるんじゃないかと思える程で(笑)。


何故そんな事を思うのか。私、このキーホルダーに関しては、前売り特典はともかく劇場販売分は二つずつ買う事にしてるんですよ。使う分と保存分。この中の「ダイ・ハード3」なんかはもう一つを使い倒しました。もちろん見事にロゴ印刷は無くなりましたが(爆笑)。
保存と使用を両立させようとしたら、この手しかないですよね。
ただ、プレミアを付けての売却用やトレード用に買う事はありませんね。資金が回らないのももちろんですが、何より主義じゃない事が大きいんでしょうね。

Photo_4この携帯ストラップも最近の流行ですね。
「ガメラ3 邪神覚醒」(1999年)は劇場販売、「ダイ・ハード4.0」(2007年)は前売り特典でした。

「ガメラ3」のストラップは大変お気に入りで当時二つ購入、一つはバッグに付けて喜んでいました。作品の内容もそうでしたが、各種のグッズも大人用のシックなデザインでしたね。このストラップもまじまじと見なければ「ガメラ」って判らないほどのデザインですもんね。
今、こうやって見ると、改めて二個買いしておいてよかったと思います。

何しろバッグにつけたもう一つはシルバーのメダル部分をいつの間にか無くしちゃいましたから。あの時は泣きましたが、この保存分を見て自分を慰めました(笑)。

Photo_5これはご覧の通りのネクタイピン。女性はブローチとしても使える逸品です。これはいずれも大阪のゼネラルプロダクツ製。劇場販売とは関係ありませんが、まあいーかと(笑)。
これ、意外と使いやすいんですよ。いずれも七宝焼の高級感がウェアと合わせやすい。
大きさは2センチ前後と小さいのでどこに付けても控えめにマニアを主張できます。科特隊ならもちろん付ける位置は一つ。「胸に付けてるマークは流星」(笑)。
立花レーシングチームのエンブレムも、知らない人にはおしゃれなポイントに映るんですよね。そのデザイン性の高さが大変お気に入りなんです。

さらにマニアックなのが「S.H.A.D.O.」のマーク。私がさりげなく付けたこれを発見してニヤリとする、ストレイカー指令似の男性が居たら良いんですが。現実はオタク仲間に爆笑されるばかりです(笑)。

Photo_6バッジ、キーホルダー、ストラップ、タイピンと、ややお洒落グッズ系に傾いてきましたので次はこれ、腕時計を。
左は文字盤のスターフリート・マークが控えめに主張するスター・トレックモデル。これは市販品ですがかなり使い込みましたねー。飽きのこないシックなデザインが大のお気に入りだったんですよ。これだったらお仕事用のスーツにも合うし、ちょっとカジュアルなウェアにもOK。
小さな自己主張の中にさりげなく光るマニアックさが良いんでしょうね。

それに比べると右のGフォース・スウォッチは・・・(笑)。でもスウォッチってもともとこういう物ですもんね。これは「ゴジラVSメカゴジラ」(1993年)公開時の劇場販売品。当時はスウォッチブームでしたから、別にこれをつけて歩いていても世間から浮かなかったわけです。でもスウォッチってその希少性からコレクターが居ましたよね。収集目的で買う人も多かったような気がします。私もご他聞に漏れず、この腕時計は一度もつけたことがありません。もう動かないから今は使えませんが(笑)。

Photo_7アクセサリー、腕のおしゃれときたら、次はやっぱり目元のドレスアップでしょう。
というわけでこれ。

言わずと知れた「新必殺仕置人」(1977年)唯一の公式グッズ、劇中強烈な存在感を放ったキャラクター「死神」(河原崎建三)の「ギリヤークマスク」です。
これをかければ貴方も枯葉の中から颯爽と登場できるかも・・・

中途半端なボケで墓穴を掘ったところで(笑)、これはもちろん「ウルトラQザ・ムービー星の伝説」(1990年)の宣伝グッズでした(虎のバットが飛んで来そう(汗)。
劇中登場する「遮光器土偶型宇宙人」の目をイメージしたサングラス型おもちゃ。ポリ製です。


Photo_8これは何かのイベントで配られたものと記憶していますが、こんなグッズを作るあたり、製作した松竹映画の力の入れようがわかりますね。実相寺昭雄監督作品という事もあり、私もこの時は気合いの入り方が違いました。今でも前売り半券を見るたび、当時の熱気を思い出します。
今回のお話の主旨と外れるので、作品の印象についてはまた別の機会にお話しましょう。

でもこういうのこそ「時代の空気を吸い込んだグッズ」って言うんでしょうね。このロゴが入ってなかったら、今の人には「キール・ローレンツ?」なんて言われそうで(笑)。

「ガラクタばっかり見せていーかげんにしろ」なんて怒られそうなので、今日はこれくらいでご勘弁下さい。お察しの通り、今日お見せしたのは一部です。怪獣映画に足しげく通う私には、こんなガラクタがもーちょっとあります。それはまた今後、ジャンル分けしながら少しずつご覧頂く事にしましょう。
でもこの程度の物ばっかりですから、あまり期待しないで下さいね(笑)。


Photo_11普段しまいこんであるこういう物も、改めて見直すと当時の熱気を思い出し、微笑ましく感じるものですね。私にとってはこういう品物が、ティファニーのオープンハートよりも数段嬉しいものなんです。考えてみれば高いアクセサリーをねだる女子よりも、私の方が安上がりな女なのかもしれませんね。
ただ、これらの品に込められた思い出はどんな宝石にも負けないと思っています。まー今日のサブタイ通り、「路地裏ティファニー」とでも呼べるものなんでしょうね。


作品に興奮した数々の思い出が封じ込められた、愛すべきグッズたち。
年を経るごとに、その思い出は
輝きを増していくようです、なんて言ったら、ちょっとカッコ付けすぎでしょうか(笑)。

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2007年1月17日 (水)

お茶の間東宝東和

「・・・足りない!」
私は低くうそぶくと、そそくさと身支度を始めました。
向かうは電気屋さん。ある物を手に入れなければ「ネヴュラ座」は大変な事に。

「このケーブル、10メートル下さい。」店員さんに頼んで手にしたスピーカーケーブルは、今の私にとって天の助けほどにありがたい物なのでした。

お察しのいい読者の皆さんには説明の必要も無いと思います。実は今回、46インチテレビ購入とほぼ同時に、私は夢の音響システム「5.1サラウンド・ホームシアター」(こういう言い方でいいんでしょうか?)を導入したのでした。なんて贅沢!
まあ私のことですから、手に入れられる機種も別に大した事はなく(涙)、ONKYOの現行機種で一番安いシステムをこっそりと(笑)。
YAMADA電機のポイントがたまっていなければとても踏み切れなかった暴挙でした。

お恥ずかしいお話ですが、私、この「5.1サラウンド」という音響システムの意味を今までよく知らなかったんです。
「ステレオの『松』ってところ?貧乏な私には関係ないか」ぐらいにしか思っていなくて。まったく不勉強で。

ところがここ最近、親しい先輩やこういう事に詳しい親戚筋から「あれはスゴイ!」「迫力が違う!」なんて言葉をよく聞くようになったものですから、「今回画面が大きくなったんだから、音も迫力あるものを!」なんて、分不相応な野望を抱いてしまったりして。勢いで買ってしまった所もあります。

51 サブウーハー・スピーカーの重さが満足感を演出するダンボール箱をいそいそと部屋に持ち込み、封を開いて「オタク部屋」の四隅にスピーカーを配置してみた私。問題はここで起こりました。
「スピーカーケーブルの長さが全然足りない。」

それはまるで「大脱走」で、脱走の為に掘られたトンネルの出口が、計算違いで数メートル短かったようなショック(笑)。

Photo_444 皆さんご存知のとおり、5.1サラウンドは複数のスピーカーを各所に配置するシステムなので、メインスピーカーとなるサブウーハーからケーブルを延ばし、部屋中に這わせる必要があるのです。
なにしろ年末年始、睡眠時間を削って部屋の掃除を敢行した都合上、この整頓された状況を少しでも維持したい私。スピーカーケーブルが部屋のあちこちに露出し、「クモ男爵」の館よろしく、蜘蛛の巣が行く手を阻むような景観だけは絶対避けたかったのでした。
こういう時の私は異常に行動力がありまして(笑)。思い立ったらすぐ動かないと気がすまない。
冒頭のセリフの5分後、私はミニバイクのアクセルを吹かしていたのでした。
その勢い、サイクロンのごとし(笑)。


ただいつも読みの浅い私はここで間違いを起こす事に。「ネヴュラ座」の46インチテレビは台座にキャスターを配置し、部屋の好きな場所に移動できる方式を採っている為、ケーブルの長さもある程度の余裕を持っていないと動かせないのでした。
この「余裕」の読みが甘かった。サブウーハー、センタースピーカーを除く4つのスピーカーケーブルの長さを計算すると、結果的に30メートルの追加ケーブルが必要だったのです。ところがいつものドンブリ勘定で20メートル程度しかケーブルを買わなかったため、スピーカー一個分のケーブルがまるまる足りなくなってしまいました。
大誤算(爆笑)。冒頭の「うめき」はその時のもの。もう情けなくて。

早速出かける「2回戦」。追加のケーブルと一緒にケーブルカバーなども買い込んで問題はほどなく解決。
今「ネヴュラ座」は46インチの大画面と、夢の「5.1ネヴュラ・サウンド」が設置された、恐ろしい環境にあります。

51_1 いつも座っていた座椅子も、こんな風に肘掛けつき、回転式の高級タイプに買い替えちゃって。(近所のホームセンターで売っていた個数限定、激安目玉商品ですが。)

実は今、「インデペンデンス・デイ」を見ながら記事を書いているんですが、いやー5.1サラウンドって凄い。
私知らなかったんです。この音響システムって、音が「分かれる」んですね。部屋のあちこちから音が飛んできて恐ろしく臨場感があります。宇宙人の巨大円盤が起こす低音で文字通り床が地響きするし。円盤と戦闘機の空中戦では頭上を飛行音が交差する迫力。
「5.1ってこういう事なんだなー」と、今更感心しっぱなしで。


もちろん「GMK」も見ましたよ。大湧谷のゴジラ対バラゴン戦なんて、自分が現場に居るような錯覚さえ起こしてしまいます。
映画の音作りって、これほど細心の注意を払って作られていたんですね。今まで何度も見ていた作品も、この音響システムで聞くとまた違う表情を見せるんですよ。
「ここで左から音が来る事で、画面の左側に注意を向けさせる演出なのか」とか、
「このシーンはカット変わりでインパクトを持たせていたけど、実は前のカットの最後で、微妙に次のカットの音をこぼしていたんだな」とか。

私、音に関しては素人でしたね。詳しい方にはご承知の事ばかりで。本当にお恥ずかしい限りです。

さて、この5.1サラウンド、我がネヴュラ座では「ネヴュラ・サウンド」なんて勝手に呼んでいますが(笑)。昔の映画館にもこういう怪しげなサウンド・システムで集客を見込んだ作品が沢山存在しましたよね。

昔で言えばウイリアム・キャッスルの「ティングラー」などが有名ですが(あれを音響システムと呼ぶかどうかは異論もおありでしょうが)、何と言っても私の心を熱くさせるのは、1970年代から80年代頃にかけて公開された東宝東和配給の諸作品。
もうこれだけ言えばおわかりですよね(笑)。

『巨大生物の島』の「マトリックス360」(怪獣の声が劇場でこだまする、って当たり前ですが)『サスペリア』の「サーカム・サウンド」(悪魔の声が聞こえるという)、『バーニング』の「バンボロ・サウンド」(意味がわかりませんが)『猛獣大脱走』の「ロアリング360」(猛獣の声が劇場のあちこちから聞こえるそうで)など、そのネーミングだけで「劇場でとんでもない体験ができる」という先入観を観客に与え、足を運ばせるという見事な広告戦略でした。


今なら私、こういうの大好きなんですよ。なにか観る前からワクワクしちゃいまして。テーマパーク感覚とでも言うんでしょうか。やっぱり普段できない体験ができるっていう(実際には大した事なくても)「観る前から楽しめる感覚」も、「鑑賞料金の内」と思うんですよね。
前売り券を買った時から「あー!マトリックス360!」なんてかっこいいネーミングに期待しちゃいませんか?
「劇場で何が起こっちゃうんだろう」という非日常感。

ところが私、当時この手の「サウンド・システム」を劇場で体験した事が無いんです。前述の数々のシステム名も、「映画秘宝」からの受け売りで。ごめんなさい。
というのは私、この頃のあるサウンドシステムが元で、こういう作品への敷居が高くなってしまったからなんです。これは以前、お友達のブロガーさんにお話した事もあるんですが。


1975年。「大地震」(アメリカ マーク・ロブスン監督)という作品が劇場公開されました。
この作品、タイトル通りロサンゼルスを襲う地震の様子を描いたパニック映画なんですが、この作品で観客の興味を引いたスペシャル・ギミックこそ『超立体音響センサラウンド』というもの。公開する劇場には巨大な超低音スピーカーが増設され、地震のシーンで客席が本当に振動するという物凄いシステムでした。

公開前からこの売り文句を耳にしていた私達子供は、「凄い映画が上陸する!」と、その公開を心待ちにしていたのです。
友人数人とXデーを決め、その日を指折り数える毎日。
そんな幸福なある日、一人の友人が「大地震」観れなくなっちゃった」と言ってきたのでした。


当時を知る方はご存知かもしれませんね。実はこの頃、「センサラウンド方式」が体に悪影響を及ぼすかもしれない、なんて噂がまことしやかに流れた事があったのです。例の誇大広告の一バリエーションでもあったのかもしれませんが。ところがこれを信用してしまった友人のご両親が「そんな危ない映画、行っちゃだめ」とストップをかけてきたという。
当然その噂はご近所の親同士に広がり、結局「大地震禁止令」は、非公式ながら私の近所で確立されてしまったのでした。


この一件以来、東宝東和が打ち出す魅力一杯のサウンド・システム作品はなんとなく「体に悪い」というイメージがつきまとい、足を遠のかせてしまったのでした(爆笑)。

結局「センサラウンド方式」によって体を悪くした、なんて事実は無かったようで。つくづくあの時体感しておけばよかったと悔やんでいます。友人のご両親の親心も分かりますが(笑)。
でも結局、そんな体験をしなくても充分おバカに育っちゃってますから、観ても一緒だったかもしれませんね(爆笑)。

「ネヴュラ座」に「5.1ネヴュラ・サウンド」を導入した私の深層心理には、「大地震」を体験できなかった恨みがあるのかもしれませんね。
だから私はこのネーミングにこだわります。
「ネヴュラ・サウンド」。このネーミングには、『5.1サラウンド以上の「いかがわしさ』が込められているからです。
「ネヴュラ座」は東宝東和テイスト一杯のお茶の間を目指しているのかも(笑)。


どんな効果にしようかな。
「観た人をオタクにしてしまう音響効果」ってどうですか?
私が第一号って事で(爆笑)。

2006年9月 3日 (日)

下町純情シネマ

「あの映画館、先週で閉まっちゃったの知ってた?」
不意に告げられた、同好の友人からの言葉。
やっぱりちょっとショックですよね。なにか、遠い知り合いに不幸があったような。
今日たまたまお仕事で、その映画館の前を通りました。ビルの中に入っていたその劇場は、表からでも分かるよう階段に仕切りがされ、閉館の告知がされていました。

その劇場は、私にとって特別な思いがありました。
36年前、生まれて初めてゴジラ映画「キングコング対ゴジラ」を観た劇場だったのです。最近でも特撮ファン好みの、通な作品を上映し続けてくれた、貴重な一館でした。


数年ぶりの邦画の活況により、映画人口も久々に伸びを見せているそうです。でもこんな風に、閉館していく劇場のニュースを聞くのは、今に始まった事ではありません。
子供の頃から映画館が遊び場だったような私は、町にある劇場が一つ一つ無くなっていくたびに、言いようの無い寂しさに襲われるのです。

ほとんどの方がそうであるように、幼い頃は親に連れられて通った映画館。物心つき、町を一人で歩けるようになる頃、自分の町にも映画館がある事を知りました。冒頭の劇場とはまた違いますが、こういう地元密着型の映画館って、どこの町にもありませんでした?
そんな「自転車で行ける映画館」に、私は当時仲の良かった友人とよく通いました。今考えてみれば、そこはさほど席数も多くない、「小屋」と呼ぶような小さな劇場でしたが、小学生だった私達には、劇場の暗がりの中で町を破壊するゴジラやガメラに、確実に異世界を感じていたのです。

地元密着型の劇場がみんなそうだったかは分かりませんが、その劇場はもう、作品の選定がメチャクチャでした。
封切館ではない、いわゆる「二番館」だったからでしょう。あきらかに子供をターゲットにした番組編成で、入場料も子供が払えるほど安かった事を憶えています。「ガメラ対深海怪獣ジグラ」の同時上映が「呪いの館 血を吸う眼」って!
たしか「怪獣大戦争(キングギドラ対ゴジラ名義の、チャンピオンまつり版)と、「大魔神逆襲」という夢の2本立てもあったような記憶があります。

昭和40年代(西暦で書くよりこう書いたほうがしっくりきますね)、全国的に起こった怪獣ブームのメインターゲットだった私たちには、怪獣などもう「空気のような存在」。毎日学校で怪獣ゴッコを楽しみ、3日に一度は怪獣のプラモデルを作り、月に何度かはその小さな劇場で怪獣映画を観るという、怪獣まみれの生活を送っていたのです(まあ、影響されやすい子供たちならではの、「一点集中趣味」でしたが(笑)。
「明日の土曜日から、あの映画館でゴジラの映画が始まるぞ!」なんて噂が流れると、教室の怪獣好き達はもうそわそわ。勉強も手に付かず、ノートの端には怪獣の絵ばっかり。ベタベタな子供でした。

「Xデー」となると、授業が終わった途端、頭に流れるのは「宇宙大戦争」の「突撃のマーチ」。(あの曲大好きで。)先を争うように家へ帰り、愛車「スーパーサイクロン」を飛ばして劇場の前で友人と待ち合わせ。同じ団地に住んでいるのに、なぜか友人の方がいつも早く着いていたのですが(笑)。

その劇場、おそらくご家族で経営されていたのでしょう。モギリに座っているのはいつも優しそうなお姉さんで、子供には実に優しく接してくれたのです。
で、これが嬉しかったのですが、そのお姉さん、子供が怪獣目当てに来ているのを知っていますから、上映作品とは関係ない怪獣映画の販促グッズをくれたりしたんですよ。ぬりえとか、チラシとか。
そのかわり封切館ではない悲しさ、「パンフレット」は売っていませんでしたが(笑)。

お姉さんとの「怪獣好き?」「うん、好き!」こんな他愛ない会話が、どれほど楽しかったことか。作品を観終わって、帰りに「行きつけの」おもちゃ屋でブラモデルを買う、なんていうのが、当時の私たちに許された月に数度の「豪遊」だった訳です。

まあ二番館ゆえのいい加減な上映もありまして。
「三大怪獣地球最大の決戦」を観にいった時の事でした。「キングギドラが出る!」という情報に、胸も張り裂けんばかりの期待を抱えて朝一番に向かった私達。場内が暗くなって、いよいよ上映、という時に画面に映し出されたのは、いきなり引力光線で大都市を襲うギドラの勇姿!「おー!今回のゴジラはスゴイ!いきなり怪獣が出るんだ!」と思ったら、その後のストーリーがあまりにチンプンカンプンで。
どうも、映写技師さんがかけるリールの順番を間違えたらしく、クライマックスから上映してしまったようなのです(笑)。私が「見ろ!何か形になっていくぞ」を観たのは、このずーっと後、リバイバル上映の時でした(爆笑)。

でも、おおらかな時代でしたね。そんな事があっても、当時からおバカだった私たち(あえて友人もおバカ仲間に加えますが)は、「すごいなー」と画面に釘づけになっていましたから。今だに「ギドラ事件」として友人との話題に上ります。いいネタを提供してくれたもので(笑)。

怒られた事もありましたね。
上映作品は忘れましたが、当時集めていた日東科学のプラモデル、一個50円のガメラシリーズをたくさん持って、その劇場へ行ったことがありました。その劇場、おそらく演劇も上演履歴があったのでしょう。スクリーンの前に「舞台」がありました。私たちはおバカにも、その舞台によじ登って「怪獣ゴッコ」を始めてしまったのでした。
怪獣映画の前で怪獣ゴッコ!究極の遊びですね!私はオタクになるべくして生まれてきたのです(笑)。案の定思いっきり怒られましたが(爆笑)。

でも、生活の中のほとんどを怪獣が占めていたあの時代。劇場で怪獣を観るという事が、どれほど楽しかった事か。今でもあの、劇場入り口のガラス戸や、場内への入り口、赤い扉の色目までがはっきりと思い出されます。やっぱり映画って、それを観た年や当時の環境、劇場の記憶と切り離せないものなんですよ。

ですから私は、期待する映画はなるべく好きな映画館で観る事を心がけています。そんなにうまく行かない事も多いんですが。ただ、私の好きな映画館の基準は「豪華さ」や「最新設備」ではありません。大スクリーン主義はありますが、他にも大きな基準が。

カッコつけているわけではないんですが、人の温かみがある映画館が好きなんですよね。

おバカな私ですから、芸術作品のようなむずかしい映画を見に行くことなんかあまりありませんし、エンターテイメント性が強い、見終わった後主人公のセリフを真似たくなるような往年の娯楽作品が好みなもので。
そういう作品が似合う映画館って、最近減ってきていると思います。支配人やスタッフと、映画の話で盛り上がれるような映画館がいいんですよ。

街角の掲示板に残っていた、はがし忘れの盆踊り大会のチラシを見ました。
夏の残り火のような。
こんなのを見ると、もう秋だなーなんて、ガラにもなく思います。
昔の映画館を思い出すのは、そんな季節のせいもあるんでしょうね(笑)。

2006年8月22日 (火)

小粋な「先生」

町の中心を走る鉄道の、駅を出て少し歩いた裏通りの角に、小さな映画館があります。
今で言うミニシアター系のその劇場は、一つ前の角を曲がったところに丁度看板が見える位置に立っているので、今上映中の作品がすぐわかる、という仕組みです。

映画館の看板って、いまでもはっきり思い出せる程鮮明に憶えているものですね。
その映画を観た記憶とともに、映画を観る前のワクワク感を一気に高める効果を持っていました。

20年前、一度だけ、その劇場で上映する映画の看板を描いた事があります。

当時私はデザインの専門学校に通う、生意気盛りの「映画オタク」。
日夜同好の仲間と映画論を戦わせていました。そんなある日、仲間の一人が「ちょっと話があるんだけど」と面白い企みを持ちかけてきたのです。

実はその仲間、古い「新東宝映画」の大ファン。中川信夫や石井輝男の世界を、いつか自分の手で世間に認めさせたいという意気込みで、版権を持っていた国際放映からフィルムを借り、劇場を借りて上映会を開いたりしていたのです。まさに「病こうこう」という感じでした。
私に持ちかけてきたお話は、その上映会の「ポスター」を書いてもらえないか、という物。

確かにデザインを勉強中の私にとって、そんなお話は渡りに船。「作品が古すぎてオリジナルポスターが手に入らない」という彼の泣き言も、私には嬉しい悲鳴に聞こえました。
「という事は、自分の好きなデザインでポスターが描ける!」
そんな嬉しさに加え、お互い若かったこともあり、授業そっちのけで取り組んだ作品が「憲兵とバラバラ死美人」(1957年 並木鏡太郎監督)のポスターでした。

上映会後、その仲間から再び話がありました。その上映会のつながりで、ある劇場の支配人と知り合いになったから、一緒に遊びに行こうというのです。
二人で行った先が、冒頭でお話した映画館、という訳です。

その劇場の支配人は、青臭い映画青年だった私達を快く迎えてくれ、ご自分が映画に賭ける情熱を大いに語ってくれました。その劇場は主に日本映画、アジア映画を中心に上映していたので、私達もその勢いに圧倒され、毎日のように通ったものです。

その支配人には口癖がありました。
私達が支配人に会いに、アポ無しで急に遊びに行くものだから、支配人は自分の仕事が片付くまで待っていて欲しい、というのです。その時の口癖。


「まあ、映画でも観て待っててよ」。

素敵な言葉だと思いませんか?「お茶でも飲んで」という所を、「映画でも観て」というカッコ良さ。映画館を持つ支配人にしか言えない、小粋なセリフです。

その支配人こそが、私の日本映画、アジア映画の先生です。いろんな映画の話をしました。黒澤、小津、成瀬、溝口。香港や中国などのアジア映画。もちろん怪獣映画の話も。
「先生」はきっと、私達のような血気盛んな映画好きに、ご自分の思いを語るのが嬉しかったんでしょうね。そこで学んだ「作品の観方」「作品の背景にある制作状況の現実」など、他ではなかなか聞けないお話は、今この「ネヴュラ」でも記事として活かされています。

さて、そんな楽しい日々の中、突然支配人からお話が。
「今度うちの小屋で、新作の邦画を封切るんだけど、丁度あの通りの角の所に看板を立てたいんだよ。でもあそこは縦長だろ?この映画には縦長のポスターが無いし、ちょっと変わった事をやりたいから、看板を描いてもらえないかな?」
他ならぬ「先生」の頼みです。二つ返事で引き受けました。その映画こそ、日本映画の新鋭として期待された、林海象監督のデビュー作「夢見るように眠りたい」(1986年映像探偵社)。

ご覧になった方はお分かりと思いますが、あの映画はモノクロで、東京浅草の仁丹塔が重要な役割を果たしています。
支配人の目論見はこの「仁丹塔」をモノクロで描いた大きな看板を描いて、通りの角を曲がったお客さんに「ワクワクしてもらおう」というものだったのです

おもしろがった私は、仲間を呼んで精密な「仁丹塔」を描き上げました。時間もかかりましたが、「文化祭前の高揚感」みたいなものが、支配人をはじめ仲間全員にあったような気がします。実際取り付けてこると、これはこれで映える。子供の頃映画を観る前に興奮した記憶が甦りました。
封切当日。私は全く知らなかったんですが、劇場に林監督が突然、いらっしゃったのです。仁丹塔を見て「おおー」と唸る林監督は、私とさほど年が違わないせいもあって、ひどく親近感がありました(笑)。

この「仁丹塔」のエピソードを境に、なぜか仲間も私事や仕事に追われ、散り散りになっていきました。今思えば、あの頃が一番、私が映画というものに燃えていた時期だったのかもしれません。

そして数年。今の仕事に就いていた私は深夜のトーク番組を担当していました。
「誰か、番組で呼べるゲスト知らない?」プロデューサーから打診された私は、突然その支配人の事を思い出したのです。久しぶりに顔を出した劇場。「先生」は私の事を憶えていてくれました。相変わらずの口癖。「映画でも観て待っててよ」。

「先生」は、私の願いをまたしても快く引き受けてくれました。過去に数回のテレビ出演経験があるとの事。「昔、私に話してくれたような、熱いお話を!」「いいの?本当に。」私は番組の成功を確信しました。そして収録当日。
「先生」は全く変わっていませんでした。司会者を凌駕するトークのおもしろさ。バックに座るモデルの女の子達に「もっと映画を勉強しろ!」と一喝する姿。
恥ずかしいお話ですが、私は収録室で本番を見ながら、涙が止まりませんでした。
なにか、あの20代の頃の、恩返しができたような気がして。

収録後、スタジオに集まったキャスト・スタッフの拍手の中で手を降る先生。私はもう、自分の事のように嬉しかった。
この仕事は辛いですが、たまにこんな素晴らしい場面に出くわすと、やめられなくなっちゃいますね(笑)。

あれからまたしばらく、その劇場には顔を出していません。久しぶりに顔を出してみようかな。
きっとまた先生は、嬉しそうな顔でこう言うんだろうな。

「ちょっと忙しいから、映画でも観て待っててよ」。

2006年7月23日 (日)

「鑑賞」と「体験」の境界

「あっらーやっぱり。」
昨日、新聞の映画欄を見た私は思わずつぶやきました。「日本沈没」の上映劇場が変わっていたのです。と言っても、同じ会館の中の劇場なのですが。
この会館、話題作は封切り日以降一週間から二週間ほど、最大席数の600席の劇場で上映するのですが、それ以降はワンランク狭い220席の劇場へ移ってしまうのです。いつ劇場が変わるかは変更週の火曜日に決まるとの事。「大劇場封切り日鑑賞主義」の私は、やっぱり初日に観てよかった、と胸を撫で下ろすのでした。

私が「大劇場主義」になったのは、最近のいわゆる「シネコン」ブームの反動によるところも大きいのですが、何よりも「映画は鑑賞より体験に近い娯楽」みたいな感覚があるからなのです。

Photo_45 数年前、私の街の映画館で「東宝特撮特集」みたいなイベント上映が組まれた事がありました。
これは全国縦断の大イベントではなく、たまたまそういう作品が好きな館主(なのかな?)の発案によるもので、告知もなくひっそりと行われたものでしたが、その中に「妖星ゴラス」がラインナップされていたのです。「ゴラス」を劇場で観たことのなかった私は、「これはチャンス」と喜び勇んで出かけたのでした。

席数はそこそこあり、まあまあの広さの劇場。告知がなかった為、観客は私を除いて2人(しかも20歳そこそこの女の子二人組)の「貸切状態」で観たのですが、これがまた「良かった」。

Photo_46 今までビデオやLDでしか見たことのなかった「妖星ゴラス」でしたが、スクリーンで観るとまるで「別の作品」のような迫力を感じたのです。
迫り来るゴラスの迫力。南極基地の大パノラマ。怪獣マグマの恐怖。緊迫のゴラス回避の瞬間。劇場に鳴り響く「俺ら宇宙のパイロット」(笑)。

興奮さめやらぬまま劇場を出た私は、部屋に帰ってすかさずLDを再生しました。(DVD普及前のお話なので・・・)さっき観た筈の名作を見直しながらずっと頭の隅に残る、ある疑問。

「何故こんなに印象が違うんだろう?」

そりゃーあなた、画面のサイズが違うんだから迫力だって違うでしょう。
そーです。ごもっとも。その通りなんですが、それだけではスッキリしない何かがあるのです。

「鑑賞」と「体験」という言葉が、頭の中をよぎりました。きっとそういう事なのでしょう。
部屋で見るのは「鑑賞」。劇場で観るのは「体験」。(みる、という漢字の使い方も変えたくなったりして。)ことに、怪獣映画をはじめとする特撮映画は、「体験度指数」が高いような気がするのです。しかもその印象の強さは、観た劇場のスクリーンサイズに比例する、といったような感覚。いったい、何故なんでしょう?

「身長50メートルのゴジラが原寸大に見える。」この一言で語りつくされてしまうんでしょうね。そして、50メートルの怪獣の、耳をつんざく咆哮が、本当に聞こえると。
「映画に包み込まれる感覚」とでも言うのでしょうか。


映画を観る経験が増えれば増えるほど、その感覚は確信に変わっていきました。劇場のロビーで買うパンフレットやグッズ、上映前の予告編、上映中の観客のざわめきや笑い声。上映後に劇場から頬を上気させ、目を輝かせて出てくる子供達といった光景さえも、確実にその感覚とセットになっているのです。
「これがなければ映画じゃない」と。

「劇場のスクリーンで観た時以外、評価の対象にしないで欲しい」と、自らの作品について注釈をつけたのは、かのスタンリー・キューブリック。「2001年宇宙の旅」発表時のコメントです。映画監督というものは、それほどまでに自己の作品を「スクリーンに向けて」創っているんですね。確かにあの作品が持つドライブ感は、ちょっと部屋のテレビでは再現できないですよね。
きっと、映画との初対面がテレビ画面だった人は、その作品を劇場で観た人と、観た印象が絶対変わるはずなんですよ。私もそれを何度体験したことか。
「あの映画昨日、ビデオで見たけどさー、あのストーリーが・・・」と語りだす友人に、「いや、そうじゃなくて、あそこの場面では音が前後から聞こえて大迫力で・・・」と、かみ合わない話を続ける私。なんて空しい会話でしょう(泣)。

大画面テレビや、ホームシアターシステムの普及によって、この「鑑賞」と「体験」の境界は今やあいまいになりつつあります。
しかしながら、家であの劇場並みの迫力を再現できるか、と言えば、私は「まだまだだなー」と思ってしまいます。(小さいテレビでビデオを見る私のヒガミですかね(笑)。
私が映画を劇場で観る事にこだわる理由「歴史の証人となる」には、「観に行った」という事実の他に「体験した」という記憶を頭に刻み付ける、という事もあるのです。

でもここに、悲しい現実もあります。「劇場へ観に行きたい映画の激減」。
最近、本当に身に染みて感じていることです。決して怪獣映画に限って観に行く訳ではないんですが、(小津安二郎や成瀬巳喜男、アジア映画も好きなもので)ある本に書いてあった「その作品のみが持つゾクリとした魔力」のある映画が、極端に減ったような気がします。見終わった後、その映画の反芻だけで一日が楽しめちゃうような映画。
そんな映画が「体験」できたら最高ですよね。

この記事を書いている今も、テレビ画面には「妖星ゴラス」が流れています。
南極のジェットパイプ建設現場の特撮映像を見る度に、
「この場面は劇場ではああ見えて・・・」と、ひそかな楽しみに震えています(笑)。

2006年7月22日 (土)

銀翼舞うワイド・スクリーン

最近、仕事仲間のカメラマンから、ある話題が出ました。
「今多いのは、ハイビジョンカメラによる撮影依頼」だそうです。スポーツ中継などで、細かい部分をより鮮明に映し出す、高い解像度のハイビジョンが重宝されているとの事。
私はそこで、ある疑問が浮かびました。

「ハイビジョンって、今の普通のテレビと画面の縦横比が違うよねえ。撮影するとき、今までの画角の決め方と変わる部分ってあるの?」

カメラマンの命と言われる画角のセンス。それは画面の縦横比の変化によってかなり狂わされるそうです。やはり、ずっと使い続けてきた今までの「4:3」から、急にハイビジョンサイズの「16:9」に変わるのですから、戸惑うのも無理はないでしょう。
少しずつ慣れるしかない。彼はちょっと真面目な顔でそう言いました。

私が言った「今の普通のテレビサイズ」というのも、最近はワイドテレビの普及によってかなり認識が変わってきましたよね。テレビで放送されている番組も、ワイドテレビ対応の「16:9」という縦横比が主流になりつつあります。業界内で「レターボックス」と呼ばれるその横長の画面は、従来の画面に比べ、左右の空きスペースの処理に独特のセンスが要求されるのです。私が携わる番組もこのサイズの為、人物配置の微妙なバランス決めに時間がかかります。

でも考えてみれば、私をはじめ特撮マニアの皆さんは、物心ついたときからこの縦横比に馴染んでいるんですよね。そう、「シネマスコープサイズ」の事です。

怪獣映画をはじめ、映画黄金時代の主流を占めた「シネマスコープサイズ」。
「シネスコ」の愛称で親しまれ、洋画は勿論の事、邦画各社も独自のネーミングで集客を競い合った映画ならではの迫力溢れる画面サイズです。
その名前を聞くだけで私達の胸を高鳴らせた「東宝スコープ」もその一つ。
縦横比「1:2.35」というワイドな画面は、スタンダードサイズの「1:1.37」というサイズに比べ、段違いの迫力と映画ならではのダイナミックな画面構成を実現させていました。

Photo_43 この「東宝スコープ」やはり鳴り物入りで登場した方式だけに、私達の記憶に刻み込まれた名場面も数知れず。
ちょっと挙げてみても、「地球防衛軍」(1957年)の、ミステリアンドームに挑むマーカライト・ファープ他超兵器のパノラマ感あふれる画面や、「海底軍艦」(1963年)の海底軍艦・轟天号の試運転の大迫力カットなど、横に広い画面を最大限に活かした画面作りがされていました。
やはり「特撮の神様・円谷英二」。シネスコ画面をも存分に使いこなす才をお持ちだったようです。

もう一つ、私が感心したのは「ゴジラ対メカゴジラ」(1974年)の「あの」シーン。ここまで言えばもはや知らないマニアは居ない、「メカゴジラによるゴジラ・キングシーサー同時殲滅」シーンです。
画面の中央に配置されたメカゴジラが首を180度回し、画面右側のゴジラをミサイルで、画面左側のキングシーサーを目からの破壊光線で同時に粉砕するあのカット!この作品で銀幕デビューを飾った新怪獣「メカゴジラ」の強さとカッコ良さを存分に見せ付けた、中野昭慶監督入魂の名場面でした。
こうした、迫力ある「シネスコ」シーンを作り出した中野監督は、他の作品のオーディオコメンタリーでこんな事を言っています。「意外にもゴジラの放射能火炎はシネスコ向きなんだよね。」なるほど。確かにそうかもしれませんね。

さて、この「シネスコ画面」。画面が横の広がりだけで、奥行きが見せにくいとか、移動撮影の際セットの大きさがスタンダードサイズに比べより広くなる為、予算も多くかかるなど、さまざまなウイークポイントもありますが、「うまく撮れれば」テレビにはない迫力を生み出すことができるようです。
で、この横広画面にふさわしいキャラクター、と考えてみれば、やはり前述の海底軍艦・轟天号あたりが妥当なところ。「地球防衛軍」でも、攻撃戦闘機α号やβ号は轟天型の、細長いフォルムでしたね。ああいう超兵器が画面の端(主に右側。「上手(かみて)と言って主役が出る方向です)からおもむろに姿を現すと、画面いっぱいにその全身が映し出されるまで「長い!大きい!カッコイイ!」という思いが持続する仕組みになっているのです。

私は随分前から思っているんですが、そんな「シネスコ画面」向きの魅力的なキャラクターが、なぜかブラウン管に登場し、窮屈そうにしている所を何度か目撃した事があります。
そう。もうおわかりですね。

Photo_44 「マイティジャック」。第一次怪獣ブームも一段落した1968年、「テレビ初の一時間特撮ドラマ」のふれこみで始まった大人向けのメカ・アクションドラマでした。
この番組の主役、「万能戦艦MJ号」のデザインのカッコ良さといったら!
私はこの「MJ号」こそ、ウルトラホークをはじめ、数々の円谷メカをデザインした成田亨さんの最高傑作だと思っています。船舶と飛行機のフォルムが微妙に溶け合った流麗なそのライン。全体の絶妙なシルエット。
その後にデザインされたどの空中戦艦も、私に「MJ号を超えた」と言わせる事はできませんでした。

ただ惜しむらくはこのMJ号、TV企画だったのが唯一、悔しい所。
あれだけのデザインラインを持ちながら、しかもワイドスクリーン向きのスレンダーシルエットでありながら。
あれが大活躍するストーリーを銀幕で観たいと思うのは、私だけでしょうか?
いや、それが違うんです。

今公開中の「日本沈没」の樋口監督、そして「新世紀エヴァンゲリオン」の庵野監督両氏が、奇しくも同じ時期、別々に「マイティジャック」新作への熱い思いを語っているのです。
「見たいと思いませんか?」「今の僕の「夢」の一つです」とそれぞれの文を結ぶ両監督に、私は強い期待感を覚えました。やっぱりみんな考える事は同じなんですね。
彼らの「思い」は銀幕とは明記されていませんでしたが、私は観たいです。

「青い海に映える影」は、銀幕でこそ活きると思うから。

2006年6月10日 (土)

壁のスクリーンに飛ぶロケット

「映画館で観たかった映画」というのがあります。映画の黄金時代と言われた昭和30年代の、洋画、邦画を含めた名画の数々には、残念ながら私は間に合わなかったので、後々になってテレビやビデオでしか作品に触れる事はできませんでした。でもその作品が素晴らしければ素晴らしいほど、「劇場で最初に出会っていればもっと良かったのに」と悔しがる映画って、やっぱりあるんです。

先日、100円レンタルで借りた「宇宙大戦争」も、そんな映画でした。この作品は「特撮の神様」円谷英二が、名匠本多猪四郎監督と組んで昭和34年に製作した「空想科学映画」。この時代に量産されたいわゆる「超兵器による科学戦争映画」の一本ですが、有名な「地球防衛軍」や「海底軍艦」などに比べると、モゲラやアルファ号、轟天号といった売りがない分、ちょっと損をしている映画かな、と思います。ただこの映画、私の中ではかなり上位に食い込む「特撮映画」なんです。

私見をメインとしている「恋するネヴュラ」。データの羅列は避けますが、この種の映画はやはり「本物の大きさに近くてナンボ」だと私は思うのです。生まれて初めて観た映画が怪獣映画だった私には「怪獣観るなら原寸大」という確固たる主義ができてしまい、その後テレビやビデオなど、ブラウン管(今なら液晶画面?)で観るこの手の映画はどうにも迫力不足に映ってしまうのです。

特撮監督の中野昭慶さんも怪獣映画の演出の中で、「特撮から本編(俳優さんの映るパート)へカットを渡す時、なるべく怪獣のアップから俳優のアップといった繋ぎ方はしないように」本編監督と綿密な打ち合わせの上、撮影に臨んだそうです。つまり「怪獣と俳優の大きさの差が出なくなってしまう」からの配慮です。またテレビ番組の「ウルトラQ」でも、「小さなブラウン管の中でなるべく怪獣を大きく見せる為に、怪獣のアップを多用する」演出方法が採られていました。もともとテレビと映画では演出方法が異なるわけです。(皆さんついて来てます?)ですから本来、この手の映画は劇場で観るのが本来の鑑賞方法。テレビで観るのは「押さえておく」って感じでしょうか。

お話は「宇宙大戦争」へ戻りますが、昨年話題になったスピルバーグの「宇宙戦争」に「大」がついただけでこんなに爽快な「空想特撮映画」が出来るものかと感心します。いろいろな評論でも書かれていますが、この映画の白眉はラスト、宇宙空間で繰り広げられる宇宙人の円盤と地球軍の戦闘ロケット隊との攻防戦でしょう今までいろんな「宇宙戦」の場面を見てきましたが、未だにあんなの観た事ありません。確かに「スター・トレック」や「スターウォーズ」的な画面の作りは精巧で、また贅沢に見えますが、おそらくルーカスやスピルバーグも研究したであろうこの宇宙戦の場面は、その悲壮感と画面構成、伊福部昭の軽快なマーチと見事にマッチしたスビード感でもって、未だに色褪せない魅力を持っているのです。

昔、格安で手に入れた投射型のプロジェクターで、部屋の壁に映画を映して楽しんでいた頃、真っ先に「上映」したのがこの作品の宇宙戦部分でした。画面の左右に飛び回る円盤、ロケットを「首を振りながら」目で追って、やっぱり特撮映画はスクリーンで見なきゃなあと、一人感心していた私。自分の部屋なのに気分を出して「バヤリース」と「都こんぶ」もしっかり手元にあったりして。DVDで手軽に映画が楽しめるようになった今、あのスクリーンの大迫力がさらに遠くなったような気分になるのは私だけでしょうか。(昨日からうって変わってオタク話爆発だなー。同一人物の文章か?)

Photo_10 家にあった「宇宙大戦争」グッズを集めてみました。これも「ジャイガー」の時みたいに大した物が無くてごめんなさい。東宝レコードのサントラLPは買って帰った後食べたラーメンの味まで覚えている感動の一枚。手前のブラジルレベル製X-15の意味は、「改造ベースのキット」とでもしておきましょうか。わかる人にはわかりますよね(笑)。