感動は割り引かれない
前回のお話でポスターをひっくり返していたら、こんなモノが出てきまして。
ご存知、1984年の復活『ゴジラ』と1995年の『ガメラ 大怪獣空中決戦』の「割引券」です。しかも大量発掘
まー期せずして、ここで復活G×Gが実現したわけですが
前売券じゃなく、こうした割引券を10枚単位で持っているところが
オタクの魂百まで的感覚を思い起こさせ、複雑な気持ちだったりして
当時の私は、何を目指していたんでしょうか
でも、こんな紙モノひとつにも、それなりに時の流れは刻まれているもので。
当然ながら、こういう割引券には地元の上映館が印刷されているんですが
ここに印刷されている劇場は今、全て閉館しているんです。
『ガメラ 大怪獣空中決戦』の公開からすでに14年。ここに記された劇場は
すべて単独館ですから、シネコンの台頭によるしわ寄せも大きかったのでしょう。
すべて名古屋の劇場ですが、子ども時代から生粋の名古屋育ちの私には
記された館名一つ一つに、それぞれ思い出があります。
映画を観るという行為が劇場の記憶と重なり合う私にとって
それぞれの劇場の思い出は、そのまま映画の空気にさえ直結するのです。
まー「ネヴュラ」では、これまでもそういう『映画館の思い出』を綴ってきましたから
今日はそういうお話は控えましょう
その代わり、ちょっと思い出してみたいのが、今回の写真『割引券』の事で。
最近は映画鑑賞もすっかり前売券派、また木曜日のレディースデー派に
なっちゃった私ですが、当然の事ながら子供の頃は、
映画に前売券があるなんて思ってもいませんでした。
私が映画という物を初めて意識したのは、多くの方と同じように
通っていた小学校の校門で配られていた『割引券』だったのです。
その記憶は、通学路の途中に貼られていた劇場のポスターなどと
セットになっていましたね。
「うわー今度は、こんなすごい怪獣映画がやるんだ」
「こんな怪獣見たことないけど、強そうだよねえ。」
(また知ったかぶりの友達がひとしきり講釈などするんですが、
ほとんどは勘違いか捏造だったりして)
大迫力のポスターと校門で貰った割引券が揃えば
仲間の話題はその新作に一点集中。
しかもポスターの場所は通学路ですから、毎日目に触れるわけで、
そこを通れば必ず話題は「新怪獣」の武器や生態に
特化するばかりという日々でした
当時の子どもが怪獣に触れる場所は、決して部屋やお店ばかりでなく
街頭にも溢れていたんですね。「刷り込み」が著しいのも無理はありません
私の人生初の劇場映画鑑賞が1970年公開の『ガメラ対大魔獣ジャイガー』
であった事は、「ネヴュラ」でもずいぶん昔にお話しました。
扉のむこうの「身長60メートル」
http://spectre-nebura.cocolog-nifty.com/cultnight/2006/05/60_667c.html
とにかく映画初体験でしたから、劇場の扉の向こうに怪獣が
ホントに居るんじゃないかなんて恐怖に怯えちゃったという
なんとも可愛い原体験だったんですが。
おそらくその時、連れて行ってもらったきっかけも
校門近くで貰った「割引券」だったと思います。
そうだ。今書いていて思い出しました。間違いなく割引券です。
ちなみに「対ジャイガー」の前年、1969年に公開された
『ガメラ対大悪獣ギロン』の時も割引券を手にしたのですが、
なぜかその時は連れて行ってもらえなかった苦い思い出が。
うーん成績が悪かったのか
そのリベンジという事で、「ジャイガー」の割引券を親に見せつけ
「今度こそ!」と直訴したような記憶もあります。
あのモチベーションはどこから湧いてきたのかと。
きっと当時の私の脳内は、90%以上が怪獣で占められていたのでしょう。
残りの10%は、プラモデルと食べる事が半々くらいで。
まー当時の私たちにとって、話題の怪獣映画を観られないという事は
それほどの一大事だった訳ですね。
まさに毎日が怪獣まみれ、プラモの海を泳いでいたような感覚さえあります
まーそれだけ思い入れの強い「割引券」でしたが
それは何となく「新作映画の情報を知る手段」だったような気もしますね。
映画の「名刺」と言うか。今で言うチラシ的役割を担っていた感覚があります。
考えてみれば、子どもが怪獣映画のチラシを手にするなんて事
1960年代から70年代にはほとんどありませんでしたから。
実際、チラシそのものも作られていなかったんじゃないかと思います。
後年の資料本や復刻された宣材にも、チラシというのは見かけませんし。
それだけ情報の少なかった当時、怪獣映画のメインターゲットだった
子どもたちには、雑誌の特集記事に加え、割引券とポスターくらいしか
作品の情報を得る手段が無かったのです。
またその名称の通り、入場料がほんの少し割り引かれる所も
子どもにとっては嬉しい余録でした。
親が同伴ならともかく、子供同士で行く事になれば
入場料をお小遣いでやりくりするのが当然となります。
もうそうなると割引券の有無だけで
鑑賞できるかどうかの明暗は分かれてしまうのです。
なにしろお小遣いに、余裕なんてありませんから。
割引券利用の入場料。そもそもそれだけしか手元には無いわけで。
たとえ10円20円の割引でも、予算編成に大きく響くわけです。
もし割引券が無かったら、その分を欲しかったプラモデルの予算から
切り崩す事となります。ああ悩む
「ガメラ対深海怪獣ジグラ」を観に行けば
狙っていた日東のゼンマイ歩行怪獣「ステゴン」を買うことが出来なくなるし。
(新マンのアレじゃなくて、日東オリジナル怪獣プラモの方ですが)
うーんジグラかステゴンか。
割引券が一枚あるかないかで心はさながら人生の命題のように乱れに乱れ
勉強なんか手に付かなくなるのです。
(選択肢が怪獣だけというのも、当時の空気ですが)
割引券への思い入れが強くなるのは、そんな理由からかもしれませんね。
大人になった今でも、割引券を見かけると「束ゲット」してしまうのも
当時誰もが思いついた「割引券複数利用でタダ?」という稚拙な作戦が
心の隅に残っているからかもしれません。まー子どもの知恵、尋ねても必ず
モギリのお姉さんに怒られましたから、笑ってお許し下さい
物心つき、前売券を求めるようになってからは、割引券の必要もなくなりましたが
それでもあの「校門前で配られる割引券」によって新作映画の公開
また夏休みや冬休み、春休みの訪れを知る感覚は、忘れられないのでした。
と同時に、「鑑賞の是非に大きく影響する」通知表も。
何しろ当時、怪獣映画の公開時期は、子どもの長期休暇と連動していましたから
どこの家でも、怪獣映画鑑賞の実現は通知表の結果と直結していましたよね。
お小遣いのやりくりと共に、ちょっとした焦りを割引券に感じるのは
そんな記憶も加わっているからかもしれません。
あっ、今気がついちゃった。という事は。
劇場鑑賞した怪獣映画の本数が、当時の成績のパロメーターという事?
しまった!じゃー私の60~70年代・怪獣映画鑑賞本数はヒミツという事に
割引券の写真から、また恥ずかしい過去のお話となってしまいました。
でもそんな事を思い出せるのも、怪獣映画最盛期を経験出来た証でしょうね。
新作冬の時代の今、あの時代が懐かしいです
怪獣映画のポスターの代わりに
桜がチラホラ咲く公園をひと歩き。
今日までの累積歩数、310944歩。
人類メタボーまで、あと61日
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