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ネヴュラ・プライベートライン

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カテゴリー「怪獣秘宝映像」の記事

2009年4月23日 (木)

知られざる侵略’71

前回に続いて、またまた昭和の香り漂うアイテムの登場です
とはいえ「ネヴュラ」では、それしかやってないんですが


Photo
出たっ!昭和40年代の怪獣少年少女のバイブル「世界の怪獣」シリーズ!
今年1月、シカルナ・工房から復刊された新品ですっ

復刊当時、目ざとい怪獣ファンの間で話題になった本書ですが、初版発行部数はかなり少なかったようで。
そんな事とはつゆ知らず。私がこの復刊を知った頃には、あわれ初版は見事品切れになっていたのでした

で、待つ事三ヶ月。
最刷の告知に小躍りした私はすかさず発注、無事入手を果たしたのでした
とはいえ奥付を見ると初版になってるけど、まーいーか
というわけでずいぶん遅い紹介ですが、なにとぞお許し下さい


このシリーズ、オリジナルの発売当時は私、持ってなかったんですよ。
後年、色々な文献で名著、名作の誉れを聞く度に、もう読みたくて読みたくて仕方がなかったんです。
「写真で見る」世界の怪獣って?秘蔵写真のオンパレード?
見たこともない大怪獣の勇姿が目白押し?
でもこの頃の大図解シリーズだから、そんな予想は良い意味で裏切ってもらえるし


発行年代ははっきりしませんが、続刊「新・世界の怪獣」の著者前書きに
1971年7月とあります。という事は、初刊の発売はもう少し前という事で。
「宇宙猿人ゴリ」の放送が’71年1月からですから、これは怪獣ブーム第一期から第二期への橋渡し的役割を果たした、貴重なシリーズだったのでしょう。

なるほどー。私を含む当時の子ども達はブラウン管以外にも
こういう図解書籍で、日々の怪獣飢餓を満たしていたんですねー。
まさに寝ても醒めても怪獣漬け。リッパなオタクになるわけです

で、この二冊ですが、実は今日の夕方届いたばっかりなので
まだちょっとしか読んでいないんですよ。

でももう、ページをほんの少しめくるだけで、もうそれはスゴイスゴイ
これはいけません。ちょっとやそっとのレビュー記事では
とても満足できない内容。記事一回ではもったいない。
こういうのをネタの宝庫って言うんですね

で、レビューはまた改めてなんて終わっちゃったら
いつも以上に、読者の皆さんも怒り出しちゃうでしょうから
今日はちょっとだけ、中身をお見せしましょう。

まずはコレ!「新・世界の怪獣」冒頭のカラー口絵から。

Photo_2
都市を蹂躙する宇宙からの大怪獣、バグンの勇姿!
なんとこの一枚、南村喬之画伯によるものなんですよ

それにしても、このパチテイスト
羽根の生えた、一つ目の青いゴモラかギララか?

「逃げまどう人たちをかたっぱしからふみつぶし焼き殺した。
いったい地球はどうなるのだろうか!?」
と投げ出されたストーリーに心は凍りつきます。ああ東京SOS

いいわあこのデザイン
著者・中岡俊哉さんのセンスは尋常じゃありませんね。
私たち昭和の子供の脳内では、こういうヤツらが毎日のように
都市破壊を繰り返していました。

そりゃーリッパなオタクに以下同文

で、こういうのを見ちゃうと、当然ながら「宇宙怪獣バグン」の内部図解も
見たくなるというもの。
当時のこの手の本が、そんなおいしいネタを見逃すはずがありません。
さあご覧下さい。コレが「バグン」の内部図解ですっ

Img 
いやーやっぱり宇宙怪獣。強そうですねー
後頭部に伸びる突起は蛮刀だったのかー。
目は「バグン・アイー」ってカッコいいネーミングなのに、歯は「バグン・バイト」とか言わないのね
「光線貯蔵器」「エネルギーぶくろ」あたりのセンスは、大伴昌司先生の影響でしょうか
で、なんと言ってもラブリーな六本指!
一つ目に羽根がつくと、なんとなくバクラーのテイストも感じたりして。
あ、だからピープロ大好きな私の琴線に触れるのかな



実はこの「バグン」、この二冊に登場する怪獣の中では、まだ比較的普通の方なんです。
両書を読み進めばそこは、興奮と感動と脱力が万華鏡のように広がる
めくるめく中岡ワールド。

「路地裏の香山滋」とでも命名したいほどの魔境が広がっているのです


というわけで、ちょっと読みかじった程度の私には、まだこれくらいのご紹介しかできません。
日を置いて、この驚異の魔著の中身を徐々に紐解いていく事としましょう。
さて次は「ミイラ怪獣イガール」かな。「ヤドロ対サボラ」も惹かれるし。
「宇宙獣人「アプタ」対「ベグ」「怪獣星ダッパ」とかも・・・

タイトルだけで、あの時代に思いを馳せられる幸せ

これでしばらくは、退屈しませんね
あまりのインパクトに「宇宙船」応募プロットの内容に影響しないかと
それだけが心配ですが

2009年3月28日 (土)

ウルトラコラボ1967

先日、『ウルトラマン・リトラを護れ!』で
ウルトラQ、ウルトラマン世界のコラボを果たした「ネヴュラ」ですが

それに先駆けること42年!1967年の昔、すでにこのコラボは
行われていたのです って、まーそれほど驚く事も無いんですが。
実はこれが、その証拠。


Photo

コレ、某文献で見た資料なんですが。

1960年代後半には、朝日ソノラマやコダマプレスのソノシートブックの他にも
学習雑誌・少年雑誌の付録にこういうソノシートが付いていましたよね。

ウルトラマンとウルトラQの怪獣が豪華共演を果たす、夢のコラボストーリー。
タイトルもビッグに『サウンドレコード・ほえるウルトラQ』という
ウルトラマン無視のタイトルが素晴らしいと言うか何と言うか

でも意外にもこの少年ブック、発行日が’67年3月1日なんですよね。
この時点で『ウルトラマン』の放送は既に終盤。
この号の発売が2月の最終週とすれば、おそらく第33話『禁じられた言葉』
(’67年2月26日放送)あたりという事になります。

(ウルトラマンとのリアルタイム連動企画なんて、今考えるとクラクラしますが)
でも写真を見る限り、ソノシートバックの「大画報」ウルトラマンの顔はAタイプ。
タグの写真も、初期撮影会のネロンガ絡みカットです。
不思議ですね。この頃ならCタイプ、いや少なくともBタイプが
ポピュラーになっていてもおかしくないんですが。わざわざAタイプとは。
やっぱり当時、出版社等に最も多く出回っていたウルトラマンの図版は
Aタイプだったのでしょうか。

このあたりはまた、識者のご意見をお聞きしたいものですが


さて。今回のお話はそこが本題ではなく
この『ほえるウルトラQ』ってどんなお話だったか、聴きたくありませんか?

私もこの文献で作品の存在を知って以来、かねがね思っていました。
何しろ’67年当時、私は『少年ブック』の読者層よりはるか年下。
上に兄弟も居ませんでしたから、この3月号の発売も
私の及び知らぬところだったのです。
少年雑誌の企画ですから、きっとオリジナルに違いない。

そもそもメーカー品のソノシートじゃなく、月刊誌の付録ですから
販売期間も一ヶ月限定という超レアアイテム。
しかもいわゆる学習雑誌の付録と比べ、少年雑誌の付録は現存率が低く
なかなか耳にする事が出来ないのです。


うーむウルトラQが吠えるとは。しかもウルトラマン放送時の製作ですから
きっとQ怪獣とウルトラマンの豪華コラボに違いない。

ああもうちょっと年上だったなら、コレもリアルタイムで聴けたのに
で、どうしても諦めきれず、事あるごとに探していたのです。

しかし、ネット時代というのは素晴らしいですね。
現物は手に入りませんでしたが、ついに音源だけは発見しました
いやー苦節42年(知ったのは最近だけど)まさかこんな内容とは

なんとあの大怪獣、この有名怪獣がくんずほぐれつの大格闘!
富士山麓は阿鼻叫喚、一大バトルロイヤルのリングと化します!
誰だ!地球侵略を企てている者は!
そこに颯爽と現れたヒーローが放つ、新必殺技の威力とは!


テレビでは絶対に実現出来ない、この夢の対決
皆さんも聴きたいでしょ。ではお聴き下さい


http://heboimm.hp.infoseek.co.jp/mp3_sono03.mp3


いかがでしたか?
BGMも咆哮音もオリジナル遵守、大迫力のサウンドドラマでしたねー
まー出演怪獣のラインナップは、お聴きの通りですが・・・
科特隊の出演が無いあたりが、『Q』テイスト炸裂というところでしょうか

でも最大の関心事は、○○○○マンが放つ「○○○○○○光線」でしょうね。
うーん見たい。シルバーヨードも衝撃的ですがコレも見たい

しつこく言うのもヤボですから、これくらいにしておきましょうか


ビデオなど夢のまた夢だった1967年当時。
この号を買ったお子さん達は、この大激闘ドラマをすり切れるほど聴いて
必殺技の名前を、脳裏に刻み込んだことでしょう。
きっとテレビでも「アレだ!アレを出すんだ!」なんて
必死に彼を応援していたんじゃないでしょうか。
いいなあ。そんな毎日を送る事の出来た方々が羨ましいです。
そこにはテレビのウルトラには無い、もう一つのウルトラが
生き生きと根づいていたんですね。


奇しくもコレは3月号の付録。もう3月も終わりですが
これでしばし、42年前の雑誌世界に思いを馳せて下さい。
ウルトラワールドは決して、映像作品だけではないのです
そんな事を感じてしまった、ちょっと寒い春でした



Photo




花冷えの桜の下をひと歩き。
昨日までの累積歩数、343220歩。
人類メタボーまで、あと57

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2009年3月25日 (水)

春休み「ネヴュラ」チャンピオンまつり

えー昨日のお話の流れで、
「ネヴュラ」でも子ども映画の上映会をやりたくなりました

最近は便利ですね。ブログでも動画が自由に公開できるんですから。
春休みの映画館のような気分で、しばしお楽しみ下さい
というわけで、動画サイトから私が選んだ作品はこちら。


まずは定番、新作映画の予告篇から。
コレは凄いですよ。まさに夢の対決です




続いてはメインプログラムの併映アニメ。
心和む小品ですが、出演者がこれまた感涙のオープニングバージョン




そしてっ!メインはこちら。
あの有名作品をこう料理するか!という素晴らしい素人発想
元ネタが分かれば分かるほど、脱力すること間違いなし




・・・まー、本家に較べれば、いろいろご意見もおありでしょうが、
こういうのも好きなんですよ私は
ちょっと濃いラインナップですが、これで小学校時代の春休みを
思い起こしていただければ・・・
うーん企画倒れだったかな
まーいーか。いつもの事だし



Photo_2



寒の戻りの公園を、二回ウォーキング。
今日までの累積歩数、325546歩。
人類メタボーまで、あと60

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2006年9月25日 (月)

ノストラダムスを大予言

「・・・家にあるお宝も、たかが知れてるしなー」
たまにはレアな作品も、と、古いレーザーディスクの棚を覗いていると、「あー、これがあったよ」なんて取り出した一枚が。
まあこれも、検索したらそれほど珍しくはなかったんですが。

「LAST DAYS OF PLANET EARTH」。

1_10 この作品、「ネヴュラ」読者ならおわかりと思います。
そうです。劇場公開後、過去一度だけのテレビ放送を除いて一度もリバイバル上映の機会がなく、その存在自体が永久に封印されてしまった映画です。


邦題「ノストラダムスの大予言」
(1974年東宝 舛田利雄監督)。
こう書けばお分かりでしょうか。


1974年。時はまさにオイルショック後の終末ブーム。前年に公開された「日本沈没」(森谷司郎版)のヒットを受け、東宝が新たに放ったパニック超大作でした。
実は私、この作品を劇場で観ていないんです。
当時、友人と一緒に観にいく約束までしておきながら、その前日になって別の予定が出来てしまい、泣く泣く約束を断ったという、苦い経験がありまして。
その後、この作品が辿る運命が分かっていたら、何をおいても観にいったのに。
「日本沈没」にはあれだけ入れあげていたんですが。
こういう所にオタクとしてのツメの甘さが出ちゃうんですよねー。

時は過ぎ、過去の作品がビデオやLDで手軽に楽しめるようになった1995年頃。もうその頃には私も立派なオタクになり、レアな作品を嗅ぎ分けながら細々と暮らしていました。
この「ノストラ」に関しては当時、いろいろなメディアで「封印」の事実を告知していましたから、私も子供の頃の失態を恨みながらも、鑑賞を半ば諦めていたのです。
「まあ、ご縁が無かったって事で」。

ところが当時の私がバイブルとしていた雑誌「宇宙船」に、突然アメリカで「ノストラ」LD化の広告が!その瞬間、私のオタク魂が炎のごとく燃え上がったのは言うまでもありません。
「未見の恨みはおっかない!」(笑)。

速攻で発注し、程なく届いた現物を見て感動に打ち震えながら、プレーヤーの電源を入れたものです。

あれから11年。この夏公開された「日本沈没」(樋口版)に複雑な後味を残していた私は、いにしえの特撮作品、パニック超大作に再び目を向ける気持ちが向いていたのかもしれません。(もともとオタクですしね)

さて、この「LAST DAYS OF PLANET EARTH」。いろいろな文献にも書かれている通り、オリジナル作品「ノストラダムスの大予言」をかなりカット、改変したもの。
オリジナル(114分)よりもかなり短く(88分)、シネスコサイズをトリミングした「テレビサイズ」でした。もちろんアメリカ版ですからすべて英語吹き替えの字幕なし。

それでも、見れないよりはいいか。と、当時の私は喜んでいました。
(今ならまあ、ネットで流通するいろいろな・・・ね。でも「ネヴュラ」はそういう部分にはあんまり触れたくないので、合法的に(笑)。

英語がまるっきり分からないおバカな私は、大丈夫かなとちょっと心配していました。
なにしろこの映画、主演、丹波哲郎大先生の演説を軸に引っ張っていくタイプの理屈っぽいお話と聞いていたからです。

「特撮映画なのに?」と思って見ましたが、その心配は杞憂に終わりました。
カット場面のほとんどはその演説部分だったのです(爆笑)。

おかげでお話のスピードが速い速い。分かる分かる。よかったー。

この作品が封印された経緯は、関係書物を読み漁ったおかげで大体掴めました。そのあたりのお話はまた後程ってことで。
私がこのシリアスなお話に対して何故こんなにお気楽かって言うと、この海外版、はっきり言ってオリジナルとは「別物」だからです。
つまり、この英語版を語ったことがオリジナルへの感想にはならないんじゃないかと。

ワンカットでも切られた段階でオリジナルとは違いますから。なので今回は、この「海外版」を見ながらオリジナルの想像をしてみようという趣向です。あくまで「テイスト」のお話ですが。

全体的なストーリーとしては、かの大ベストセラー・ノンフィクション「ノストラダムスの大予言」(五島勉)を基にした東宝のオリジナル。
なにしろ「日本沈没」ヒットの夢再びとデッチ上げた企画なものだから、ストーリーもなにもあったものじゃないですね。


16世紀のフランスの預言者、ミシェル・ノストラダムスの残した予言書「諸世紀」の一節にある「1999年7の月、空から恐怖の大王が降ってくる」という一行のみが、この作品の根幹にあります。
「恐怖の大王」とは何か?人類は終末を迎えるのか?そこへ至る破滅の様子が、環境研究所の所長、丹波哲郎先生の実体験や言葉で語られるのです。丹波さんには病弱の奥さん(司葉子)と年頃の娘さん(由美かおる)が居て、年頃ですから彼氏(黒沢年男)が居ます。当時から問題となっていた環境破壊などにより少しずつ狂い始めた地球各地の様子を、カメラマンを職業とする黒沢さんは取材する、という図式があるんですね。

ストーリーを構成する人間関係はほぼこれで語り終わってしまい(笑)、後は世界のあちこちで起きる異変の様子が延々と描かれるというお話です。
このLDを、私は特撮好きの友人数人と見ましたが、その内の一人が、まことに的を得た感想を言ってくれました。

「なんか、「特命リサーチ200X」を何本も見せられてるような映画だねー」。

なる程。言いえて妙とはこの事ですねえ。要するにドラマじゃなく、科学ドキュメンタリーの手法を使った演出なんですよね。
ビジュアル的な見せ場は数多くあります。
30センチの巨大ナメクジ。海を覆う血のような赤潮。ジャンプ力や計算能力がものすごく発達した子供。すべて環境の異常変化によるものだという解説が。
これらがすべて中野昭慶特技監督の特撮によって描かれるのです。


そんな異常の中で描かれるドラマの白眉は、ニューギニアの異常を調査に向かった丹波さんたち一行に降りかかる悲劇です。
成層圏に溜まった原子力の灰がジェット気流により局地的に降り注いだのが原因らしく(どの解説を読んでもそう書いてあるので)現地のジャングルは巨大食肉樹、巨大コウモリ、巨大ヒル(サツマイモ程の大きさ)がうようよしている「悪性の多々良島」といった感じ。
先発隊を探しに向かった一行は凶暴化した原住民に襲われます。銃で撃退し、たどりついた一行が見たものは生きる屍と化した先発隊でした。
ここで一行の取った行動。これは辛い。
お話がリアルなだけに辛い。

その後、ニューギニアの悲劇は世界中に蔓延します。空中爆発したSSTがオゾン層を破壊し、紫外線が降り注ぐ地上では人までが焼け爛れます。
北極の氷も溶け、街は大洪水に。そしてこの後、都市部を襲う「静かなる破滅」が描かれます。

度重なる異常気象にたまりかねた人々は暴動を起こし、食べ物を求めてスーパーへ。若者はコインで「順番」を決め、バイクで崖からジャンプして自らこの世に別れを告げるのです。
街の高速道路では、渋滞に耐えられなかった一台の車が暴走、すし詰めで逃げ場の無い車は玉突き衝突を起こし、道路は連鎖的に火の海に・・・

この作品で、私が最も恐ろしいと思ったのはここです。
前年の「日本沈没」では、人々は日本が沈むという災害に対してもまだ「生き延びよう」としていました。動物が持つ生存本能は健在だったんです。
ところがこの作品では、異常気象を前にして人間は生きる意欲を無くしてしまっている。生存本能を失っているのです。むしろ精神が病んでいく。
「日本沈没」では、国土は無くなりましたが人は生きていた。
「ノストラ」で沈むのは国土ではなく「人間」なのです。

そんな人々を世界に閉じ込めるがごとく、光化学スモッグによる蜃気楼が都市の様子を空中に浮かび出します。「ノストラ」と言えばこの場面、というくらい、作品のイメージを見事に表現しています。ほんの一瞬のカットなんですが。

そして物語は終焉へ。丹波さんは国会で、「こんな事を続けていればいずれ世界は発狂し・・・」といった論法で、考えうる限りの終末場面を説きます(英語なので解説によりますが)
地震、原発事故、核戦争・・・

そう、ノストラダムス「諸世紀」の詩「恐怖の大王」とは、これら天災、人災の集合体というのがこの作品の主張なのです。
環境を考え、人々が協調することでこの破滅は救える、と訴えているわけですね。

この作品が封印された原因の一つ、核戦争後の地球を描いたシーンは、このLDにも「残されて」いました。このシーンを始め、人物描写にいくつかの問題シーンがあった事で、上映開始後ある団体から抗議を受け、この作品は「封印」されてしまった訳です。
このラスト近くのシーンも賛否両論でしょうね。私の意見は・・・やっぱりNGです。抗議を起こした人々のお気持ちもなんとなく分かるような。

2_10 オリジナルではなく、「別物」の海外版を見た私が言えるのは、この程度でしょうか。
「デイ・アフター・トゥモロー」を「ゴジラ対ヘドラ」風味で料理してみました。って感じかな。
噂にたがわず、思想やビジュアルなど恐ろしく過激なこの作品。ただ、過激とは言え、語り口さえもっと練り上げれば、このテーマは現代でも充分通用すると思います。

テーマが語れる脚本、それを映像化できる監督のセンス。
そしてなにより、
「お涙頂戴のストーリーを卒業できる観客のレベル」ですかね。

奇しくも、主演の丹波哲郎さんが84歳で亡くなられたそうで。
「霊界」で丹波さんは、この作品をどう考えていらっしゃるんでしょうか。

2006年7月28日 (金)

関西のゴジラ

「幻の作品」というものがあります。
企画だけされて、様々な理由で制作に至っていない作品。例えば「S・Fモンスター作戦」や「STOPシリーズ」といったタイトルが有名ですね。
また、資料や文献には載っていても、なかなか見る機会に恵まれない作品。
今日お話する「アゴン」も、私の中で長年、「幻の作品」でした。

Photo_62 この作品、「怪獣マリンコング」と同じジャンルの、テレビにおける特撮怪獣ドラマ。
制作は「ウルトラQ」より前の1964年です。随分古い作品ですね。制作が決定するやいなや各新聞で大々的に報道されたと雑誌「宇宙船」には載っていました。
ところが全4話で制作終了。放送は4年後の1968年にフジテレビ系の正月番組として放送されたそうです。この「4年後の放送」という処置にはどんな理由があったのでしょうか。
ちょっと想像がつきませんねー。(写真は昨年発売されたDVDのチラシ。「ゴルゴ」と戦ったわけではありません(笑)。

私がこの作品に初めて出会ったのはもう20年以上前でしょうか。
私が住む町のローカル局でたまたま深夜、放送されたのです。丁度第三次怪獣ブームの真っ只中。この頃私も怪獣映画に対して貧欲に作品発掘を行っていたので、この放送は大変嬉しかった事を憶えています。

鑑賞前、この「アゴン」に関して私が持っていた情報は知れていて、「アゴンの着ぐるみは「マグマ大使」のアロンに流用されたらしい」程度の事。
ストーリーなど全く知らず、いい意味で「ファーストコンタクト」だった訳です。鑑賞条件としてはほぼベストでした。
初見の印象は「ちょっと間延びしてるかな」なんて感じでしたが、3年程前CSで放送され、10数年ぶりに再会を果たしたのでした。この時の印象を元に、ちょっとお話してみましょう。

「ウルトラQ」制作前なので、当然の事ながらモノクロ作品。放射能による突然変異で、海底に棲む原子恐竜の生き残りが突然変異し、ウランを求めて上陸、破壊の限りをつくす、という、大変オリジナリティーに溢れるストーリーです(笑)。
これはもう・・・

後年知った事ですが、原作・脚本・監修は関沢新一さんでした。確かに、劇中登場する「スッポンの五郎」なる新聞記者、「科学万能の時代」というセリフ、「原子力で第三の火を得た人類こそが自業自得」と語る博士など、関沢ワールド、ひいては東宝テイスト溢れるドラマが展開されるのでした。

もう、「テレビ版ゴジラ」(笑)。

実は、正確にはこの「アゴン」、2話ずつの2部構成なんですね。今お話したのは1・2話。
で、3・4話は麻薬密輸事件に絡む、子供が乗った船をくわえたアゴンとの行き詰る攻防戦、という別のお話が展開されます。第4話ラスト、アゴンの生死は不明です。

ところがこの作品、こうして文章にすると本当に東宝テイストですが、
(私の語りが下手な事もありますが)実際の作品の肌ざわりは、かなり違ったものとなっています。

これは、制作会社である「日本電波映画」という会社の作風なのでしょうか、それとも監督の意向なのでしょうか
「アゴンの造形」と「音楽・効果音」が独特のテイストを持って、見る者に訴えかけてくるのです。

音楽は斉藤超という方。おそらく、制作当時の最新感覚を採り入れたものではないかと思われます。当時怪獣映画と言えば「ゴジラ」「ガメラ」程度しかなかった時代。それもテレビ作品という枠の中では、なかなか劇場作品並みの作曲状況も与えられなかったでしょう。頑張っているとは思います。
アゴンの鳴き声など、東宝や大映の怪獣にはない不思議な印象を受けますねー。(唸り声といった方がピッタリするんでしょうか)

そして今日、私が一番お話したかったのがこの「アゴンの造形」。
これがおそらく、ゴジラとの差別化が最も顕著な部分でしょう。「マグマ大使」のオープニングに登場する大恐竜、本編上の「アロン」を思わせるリアルな造形。部分ごとに処理が変わる表皮の細かいディテール。呼吸とともに動く喉のアクションなど、東宝怪獣風でありながらまた違った、強烈な個性を持っているのです。
この時代にこれ程の造形精度を持ったテレビ怪獣が生まれた事はちょっと信じがたい事実ですよね。

この「アゴン」の造形を担当したのが、作品の特技監督も担当した大橋史典という方。
まあ、後の「マグマ大使」で精密感あふれる怪獣造形を担当された方なので、マニアの方には有名ですよね。この「アゴン」の造形、前述したようにこの「マグマ大使」の「アロン」と同じ着ぐるみと長年思っていたのですが、去年発売された「特撮ヒーローBESTマガジン」のVOL.1を読んでビックリ!

Photo_64 これがその記事に載っていた「アゴン」と「アロン」の写真ですが、なるほど全然違うじゃないですか。
いやー話題は若干古いですがこれはスクープですよねー。

記事を書いた品田冬樹さん、さすがだなー。
確かに全体のフォルムは似ていますが、プロポーションや細かいディテールは全くの別物。ビックリしましたー。でもまるでゴジラスーツの変遷を思わせる楽しい事実ですね。
「初代アゴン」と「マグアゴ(マグアロかな?)」みたいな(笑)。

この造形を手がけた大橋史典さんは京都の方だそうで、氏自身も造形物通り強烈な個性をお持ちだったようです。その長身を生かして数々の怪獣を「自作自演」されたそうで、こうなるともう、中島春雄さんも驚きの「ゴジラ役者」。
創って演る、となるともうこれは、怖いものなしと言うか(笑)。
記事には「アゴン」のスーツについて表記されている「関西のゴジラ」という称号は、そのまま大橋さんの存在自体に当てはまる気さえしてきます。

個性的なデザインの怪獣が絶えて久しい今。こうした文献を紐解いて、かつての「名獣」に思いを馳せるのも楽しいですね。
大橋怪獣を超える、新怪獣の登場を期待したいものです。

2006年7月17日 (月)

紅蓮を纏う巨影

和食ばっかり食べてるとたまには浮気をしてみたくなるもので。
今日は久々に観た外国映画のお話です。

Photo_31 「怪獣ゴルゴ」(1960年MGM映画)。このブログをご覧の方にはもはや説明の必要もない、イギリス製怪獣映画の名作ですよね。私は去年の7月に発売されたこのDVDを予約して買いました。
というのはこの映画、随分昔にテレビ放送で見たきり、1980年代に出たセルビデオも入手の機会を逃したまま(後で海賊版という事がわかりましたが)現在に至る、私にとっての「幻の逸品」だったのです。
昔、まわりの仲間に「こんなすごい怪獣映画がある!」といくら力説しても、現物を持っていなかった私への対応は冷淡そのもの。「あー、「ガッパ」の元ネタね」ぐらいに軽くあしらわれ、「じゃー観たの?実物を?」と食い下がっても、「あのストーリーなら観なくても別に」って感じで鼻も引っ掛けてもらえなかったのです。おわかりですか?私の悔しさ。

なにしろこの映画をはじめて観た時の私の衝撃はすざまじく、
「これ、円谷英二監督がイギリスへ呼ばれて撮った作品?」ぐらいのクオリティーの高さ。
それもそのはず、特撮は、後に「2001年宇宙の旅」を制作するトム・ハワードによるものだそうで、ボキャブラリーの乏しい私には表現しにくいですが、「ゴルゴ」の存在感はある意味ゴジラを超えているのです。(あーやっぱり月並みな言い回しになっちゃった。)

未見の方の為に簡単にストーリーを。
アイルランド沖で体長20メートルの怪獣が発見され、見世物としてロンドンにつれて来られるんですが、実はそれはまだ子供だったんですね。さらわれた子供を取り返すべく、体長60メートルの「親」がロンドンに上陸、破壊の限りを尽くしてから、子供を連れて海へ帰る、という74分です。
まあ、確かに「大巨獣ガッパ(1967年日活映画)」なんですが、これがオリジナルストーリーなんですね。

しかしながらこの映画、見直すともう、すごいすごい。
「イギリス、本気」。ストーリーは前述の通りなんで、あとはもう特撮の密度なんですが、
これは実は「円谷監督、ゴジラをこう撮りたかったんじゃないかなー」と思うくらい、人間との合成シーンに違和感がない。

ゴジラと同じく、夜ロンドンの街に現れる親ゴルゴ。
画面の奥に、ゴジラ型のフォルムを持つゴルゴが居て、手前に逃げる人たちが居るという、「怪獣映画の黄金率」的な画面構成も、そのカット中で決して人間に襲いかかることがない東宝怪獣に比べ、ゴルゴは建物を壊しながら歩いてきて、その壊れた建物の下敷きになる人間までを絶妙なカットバックで体感させてしまう!この恐ろしいまでの臨場感。続いて、崩れた瓦礫に道が塞がれて、逃げ場のない群集に迫る、悪鬼のようなゴルゴの顔!(建物に残って逃げられず、窓から飛び降りる人まで居る)「平成ガメラ」以上の恐ろしさが画面に展開するのです。
やっぱり昔観た記憶は間違っていなかったー。

何故これ程の迫力が出るのか。
これはやはり「ぬいぐるみ特撮」である点が大きいですね。ミニチュアの精度もハンパじゃない。何故1960年に、突如としてイギリスに、こんな日本式怪獣映画が生まれたのか、今もって謎です。でも、円谷英二の特撮は「2001年宇宙の旅」のスタッフが認めた方法というわけですよね。それは考えてみればすごい事な訳で。

この作品、DVDは副音声のオーディオコメンタリーに雨宮慶太監督が参加しているんですが、公開当時劇場で観た雨宮監督は、ゴルゴの印象を「赤い目」と表現しています。
そう、ゴルゴは白目の部分が「赤」。そして、この映画にはもうひとつ、「赤」が重要な役割を果たしているのです。

ゴルゴによって破壊された街が燃える「紅蓮の炎」の赤。

街を破壊するゴルゴをロングで捉えたカットのバックは、燃える炎が照り返す、真っ赤な夜空がありました。
見た者の脳裏に焼きつく強烈な「赤い空」。
初作の「ゴジラ」(1954年版)がカラーで撮られていたら、きっとこんな感じであっただろう、炎に焼き尽くされる街。
不謹慎な言い方かもしれませんが、やっぱり怪獣は「炎」が似合います。

この「ゴルゴ」も、炎の街を歩きながら時々サーチライトに照らされる、黒い塊として描かれていました。このサーチライトの演出も、身長60メートルの巨体を演出する名脇役ぶり。
対象が大きすぎて、ライトの大きさでは全体像が捉えきれない。そこが、怪獣の恐怖感を増大させていました。「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」(1966年東宝映画)や「ガメラ 大怪獣空中決戦」(1995年大映映画)でも実証済みの、「ライト効果」の原形にして完成形が、既にここにあるのです。

例によって私見ですが、この「怪獣ゴルゴ」以降に作られた怪獣映画で、「ゴルゴ」のテイストに近いものと言えば、東宝なら前述の「サンダ対ガイラ」大映は「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」(1967年)あたりでしょうか。いずれも「夜の戦闘」が多く、しかも現れる怪獣は「食人」という人間にとっての脅威ですから。闇から現れ、逃げ場が無い。
街を破壊するだけとは言えど、ガイラやギャオスに匹敵する恐ろしさがゴルゴにはあるのです。それが円谷式の、精緻なミニチュアワークと卓越した色彩設計にある事は間違いないでしょう。(ここに「ガッパ」が入らないのが辛いところですねー)。

ちょっと余談になりますが、今でも時々、「ギャオス」(昭和版の)に襲われる悪夢を見ます。
昭和版ギャオスって、私の中では平成版より怖いんですよ。
というのはあのギャオス、「夜は不死身」という感覚がある。突如あの鳴き声と共に滑空してきて、どこへ逃げても超音波メスで建物ごと真っ二つ、というイメージがあるんですね。だからもう助からない。
不思議な事に、その夢の中のギャオスが飛ぶ空はあの、ゴルゴのバックの「赤い空」なんです。
きっと子供の頃見た人工着色のブロマイドとかのイメージが残っているんでしょう。

毎回、その夢を見ているときは怖くてしょうがないんですが、
朝起きた時、「タダですごい怪獣映画観ちゃった。得したー」と思っちゃうんです。
こういうのって、なにか精神的に病んでるんでしょうか。
きっとフロイトにも解析できない「オタク脳」の仕業なのでしょう(笑)。