「・・・家にあるお宝も、たかが知れてるしなー」
たまにはレアな作品も、と、古いレーザーディスクの棚を覗いていると、「あー、これがあったよ」なんて取り出した一枚が。
まあこれも、検索したらそれほど珍しくはなかったんですが。
「LAST DAYS OF PLANET EARTH」。
この作品、「ネヴュラ」読者ならおわかりと思います。
そうです。劇場公開後、過去一度だけのテレビ放送を除いて一度もリバイバル上映の機会がなく、その存在自体が永久に封印されてしまった映画です。
邦題「ノストラダムスの大予言」
(1974年東宝 舛田利雄監督)。
こう書けばお分かりでしょうか。
1974年。時はまさにオイルショック後の終末ブーム。前年に公開された「日本沈没」(森谷司郎版)のヒットを受け、東宝が新たに放ったパニック超大作でした。
実は私、この作品を劇場で観ていないんです。
当時、友人と一緒に観にいく約束までしておきながら、その前日になって別の予定が出来てしまい、泣く泣く約束を断ったという、苦い経験がありまして。
その後、この作品が辿る運命が分かっていたら、何をおいても観にいったのに。
「日本沈没」にはあれだけ入れあげていたんですが。
こういう所にオタクとしてのツメの甘さが出ちゃうんですよねー。
時は過ぎ、過去の作品がビデオやLDで手軽に楽しめるようになった1995年頃。もうその頃には私も立派なオタクになり、レアな作品を嗅ぎ分けながら細々と暮らしていました。
この「ノストラ」に関しては当時、いろいろなメディアで「封印」の事実を告知していましたから、私も子供の頃の失態を恨みながらも、鑑賞を半ば諦めていたのです。
「まあ、ご縁が無かったって事で」。
ところが当時の私がバイブルとしていた雑誌「宇宙船」に、突然アメリカで「ノストラ」LD化の広告が!その瞬間、私のオタク魂が炎のごとく燃え上がったのは言うまでもありません。
「未見の恨みはおっかない!」(笑)。
速攻で発注し、程なく届いた現物を見て感動に打ち震えながら、プレーヤーの電源を入れたものです。
あれから11年。この夏公開された「日本沈没」(樋口版)に複雑な後味を残していた私は、いにしえの特撮作品、パニック超大作に再び目を向ける気持ちが向いていたのかもしれません。(もともとオタクですしね)
さて、この「LAST DAYS OF PLANET EARTH」。いろいろな文献にも書かれている通り、オリジナル作品「ノストラダムスの大予言」をかなりカット、改変したもの。
オリジナル(114分)よりもかなり短く(88分)、シネスコサイズをトリミングした「テレビサイズ」でした。もちろんアメリカ版ですからすべて英語吹き替えの字幕なし。
それでも、見れないよりはいいか。と、当時の私は喜んでいました。
(今ならまあ、ネットで流通するいろいろな・・・ね。でも「ネヴュラ」はそういう部分にはあんまり触れたくないので、合法的に(笑)。
英語がまるっきり分からないおバカな私は、大丈夫かなとちょっと心配していました。
なにしろこの映画、主演、丹波哲郎大先生の演説を軸に引っ張っていくタイプの理屈っぽいお話と聞いていたからです。
「特撮映画なのに?」と思って見ましたが、その心配は杞憂に終わりました。
カット場面のほとんどはその演説部分だったのです(爆笑)。
おかげでお話のスピードが速い速い。分かる分かる。よかったー。
この作品が封印された経緯は、関係書物を読み漁ったおかげで大体掴めました。そのあたりのお話はまた後程ってことで。
私がこのシリアスなお話に対して何故こんなにお気楽かって言うと、この海外版、はっきり言ってオリジナルとは「別物」だからです。
つまり、この英語版を語ったことがオリジナルへの感想にはならないんじゃないかと。
ワンカットでも切られた段階でオリジナルとは違いますから。なので今回は、この「海外版」を見ながらオリジナルの想像をしてみようという趣向です。あくまで「テイスト」のお話ですが。
全体的なストーリーとしては、かの大ベストセラー・ノンフィクション「ノストラダムスの大予言」(五島勉)を基にした東宝のオリジナル。
なにしろ「日本沈没」ヒットの夢再びとデッチ上げた企画なものだから、ストーリーもなにもあったものじゃないですね。
16世紀のフランスの預言者、ミシェル・ノストラダムスの残した予言書「諸世紀」の一節にある「1999年7の月、空から恐怖の大王が降ってくる」という一行のみが、この作品の根幹にあります。
「恐怖の大王」とは何か?人類は終末を迎えるのか?そこへ至る破滅の様子が、環境研究所の所長、丹波哲郎先生の実体験や言葉で語られるのです。丹波さんには病弱の奥さん(司葉子)と年頃の娘さん(由美かおる)が居て、年頃ですから彼氏(黒沢年男)が居ます。当時から問題となっていた環境破壊などにより少しずつ狂い始めた地球各地の様子を、カメラマンを職業とする黒沢さんは取材する、という図式があるんですね。
ストーリーを構成する人間関係はほぼこれで語り終わってしまい(笑)、後は世界のあちこちで起きる異変の様子が延々と描かれるというお話です。
このLDを、私は特撮好きの友人数人と見ましたが、その内の一人が、まことに的を得た感想を言ってくれました。
「なんか、「特命リサーチ200X」を何本も見せられてるような映画だねー」。
なる程。言いえて妙とはこの事ですねえ。要するにドラマじゃなく、科学ドキュメンタリーの手法を使った演出なんですよね。
ビジュアル的な見せ場は数多くあります。
30センチの巨大ナメクジ。海を覆う血のような赤潮。ジャンプ力や計算能力がものすごく発達した子供。すべて環境の異常変化によるものだという解説が。
これらがすべて中野昭慶特技監督の特撮によって描かれるのです。
そんな異常の中で描かれるドラマの白眉は、ニューギニアの異常を調査に向かった丹波さんたち一行に降りかかる悲劇です。
成層圏に溜まった原子力の灰がジェット気流により局地的に降り注いだのが原因らしく(どの解説を読んでもそう書いてあるので)現地のジャングルは巨大食肉樹、巨大コウモリ、巨大ヒル(サツマイモ程の大きさ)がうようよしている「悪性の多々良島」といった感じ。
先発隊を探しに向かった一行は凶暴化した原住民に襲われます。銃で撃退し、たどりついた一行が見たものは生きる屍と化した先発隊でした。
ここで一行の取った行動。これは辛い。
お話がリアルなだけに辛い。
その後、ニューギニアの悲劇は世界中に蔓延します。空中爆発したSSTがオゾン層を破壊し、紫外線が降り注ぐ地上では人までが焼け爛れます。
北極の氷も溶け、街は大洪水に。そしてこの後、都市部を襲う「静かなる破滅」が描かれます。
度重なる異常気象にたまりかねた人々は暴動を起こし、食べ物を求めてスーパーへ。若者はコインで「順番」を決め、バイクで崖からジャンプして自らこの世に別れを告げるのです。
街の高速道路では、渋滞に耐えられなかった一台の車が暴走、すし詰めで逃げ場の無い車は玉突き衝突を起こし、道路は連鎖的に火の海に・・・
この作品で、私が最も恐ろしいと思ったのはここです。
前年の「日本沈没」では、人々は日本が沈むという災害に対してもまだ「生き延びよう」としていました。動物が持つ生存本能は健在だったんです。
ところがこの作品では、異常気象を前にして人間は生きる意欲を無くしてしまっている。生存本能を失っているのです。むしろ精神が病んでいく。
「日本沈没」では、国土は無くなりましたが人は生きていた。
「ノストラ」で沈むのは国土ではなく「人間」なのです。
そんな人々を世界に閉じ込めるがごとく、光化学スモッグによる蜃気楼が都市の様子を空中に浮かび出します。「ノストラ」と言えばこの場面、というくらい、作品のイメージを見事に表現しています。ほんの一瞬のカットなんですが。
そして物語は終焉へ。丹波さんは国会で、「こんな事を続けていればいずれ世界は発狂し・・・」といった論法で、考えうる限りの終末場面を説きます(英語なので解説によりますが)
地震、原発事故、核戦争・・・
そう、ノストラダムス「諸世紀」の詩「恐怖の大王」とは、これら天災、人災の集合体というのがこの作品の主張なのです。
環境を考え、人々が協調することでこの破滅は救える、と訴えているわけですね。
この作品が封印された原因の一つ、核戦争後の地球を描いたシーンは、このLDにも「残されて」いました。このシーンを始め、人物描写にいくつかの問題シーンがあった事で、上映開始後ある団体から抗議を受け、この作品は「封印」されてしまった訳です。
このラスト近くのシーンも賛否両論でしょうね。私の意見は・・・やっぱりNGです。抗議を起こした人々のお気持ちもなんとなく分かるような。
オリジナルではなく、「別物」の海外版を見た私が言えるのは、この程度でしょうか。
「デイ・アフター・トゥモロー」を「ゴジラ対ヘドラ」風味で料理してみました。って感じかな。
噂にたがわず、思想やビジュアルなど恐ろしく過激なこの作品。ただ、過激とは言え、語り口さえもっと練り上げれば、このテーマは現代でも充分通用すると思います。
テーマが語れる脚本、それを映像化できる監督のセンス。
そしてなにより、
「お涙頂戴のストーリーを卒業できる観客のレベル」ですかね。
奇しくも、主演の丹波哲郎さんが84歳で亡くなられたそうで。
「霊界」で丹波さんは、この作品をどう考えていらっしゃるんでしょうか。
最近のコメント