思えば「ネヴュラ」は、毎日覗いて下さったり、コメントを下さる方々に支えられているなーなんて、改めて感じます。
毎日感想を頂いている「hiyoko」さんなんて、私がどんなおバカな事を書いてもしっかり受け止めて下さる。感謝しています。他の方のブログにこちらからお邪魔して教わる事も多いのですが。
いつも拝見させていただいている「邦画ブラボー」さんのブログで、名匠溝口健二の諸作に興味を持った私。今NHK-BS2で放送されている溝口作品を、毎日楽しみに見ています。
オタクと言いながら溝口作品に縁のなかった私は、その精緻を極めた作品世界に初めて触れ、人生まだまだ勉強だなー、なんて改めて感じています。
昨夜放送された「赤線地帯」(1956年大映)は、溝口の晩年を飾った最終作として有名な作品。
溝口監督はこの年の8月24日、骨髄性白血病の為他界しました。初見の私は、そんな背景も知らずに「溝口現代劇のお手並みは?」なんて感じで見たのですが・・・
1956年。この年、売春禁止法の交付に揺れる日本を背景に、吉原の売春業者「夢の里」に働く女性達を描いたこの作品。京マチ子、若尾文子、木暮実千代、三益愛子など、個性豊かな女優が繰り広げる悲喜劇でした。本篇中、一部原作があるそうですが(芝木好子「洲崎の女」)勉強不足でどの部分か分からなかったりして(笑)。
この手の群像劇は何作か見ているので、無知な私などはそれらの記憶を比較の題材にするしかないのですが、正直言ってちょっと「肩すかし」を食った感じでした。(無知故の乱暴な感想です。お許し下さい)。
溝口監督の最終作でもあり、さすがに名匠老いたか、なんて思っちゃったりして。初見の感想なのできっと再見する毎に変わっていくのでしょうが、とりあえず最初の印象を書き残すのも意味ある事ではないかと。
溝口芸術の頂点の一つと言われた「近松物語」(1954年大映)を見た後だからかもしれませんが、「赤線地帯」で描かれる女性達の生き様は、私の目にはちょっと「控えめ」に見えました。心に訴えかけてきたのは三益愛子が演じた「ゆめ子」ぐらいで。
これはきっと、この作品後に創られたあまたある群像劇が、この作品を教科書としたために、キャラクターが類型化してしまい、オリジナルであるこの作品の輝きがやや色あせて見えるのでは、なんて偉そうな事を考えてしまうのでした。
そういう意味では、この種の描き分けの先陣を切った溝口監督はすばらしいのですが。
印象としては
「巧いと思うが凄くはない。魅力はあるが魔力はない」
といった所でしょうか。
ケースはやや違うかもしれませんが、私はこの種の作品では「肉体の門」(1964年日活 鈴木清順監督)が好きで、あのエネルギッシュな女性達の描き方を期待していたのです。
まあ、溝口健二と鈴木清順を比べるのがおかしいんですよね。資質もまるで違うし。
よく調べもせず、感想を書いてしまう私もダメなんですよねー。
どうも溝口作品については無知な分、歯切れが悪くて。また勉強して出直します。後日この日の記事を見て、あまりに浅い見方に顔を赤らめたいと思います(笑)。
記事でいろいろ教えて下さった邦画ブラボーさんに感謝致します。
ここからは、かなり読者層を限定する内容です。不快感をお持ちになったらごめんなさいね。
「赤線地帯」を見ていて思い出した、昔のお話です。もう時効でしょうからお話してもいいでしょう。
いわゆる「プロの女性」の世界を、ほんのちょっとだけ垣間見た事があるのです。
「女性として生きる」事を決めた私のような存在が、仕事を選ぶ時にまず考えるのが、手っ取り早い所で「水商売」。
ご他聞にもれず、駆け出しの頃の私も同じ事を考えました。まだ「性同一性障害」なんて言葉が世間に認知されていなかった頃のお話です。その頃私はディレクターという職業を持ってはいましたが、ディレクターって男女の区別はないし、フリーの身では収入も安定しない事から、副業を探していたのです。(なんか物凄く暗いお話ですね。本人は意外とケロリとしてましたが)
そこで考えたのは「収入」という点と、「自分が女性としてどこまで通用するか」という点。正直言って新しい可能性に、希望に燃えていたりして(笑)。
まあ、前述の通り、当時の私達が考える事と言えば、テレビなどで採り上げられる「ニューハーフ」の世界でしたから、そちらに傾倒するのも無理はありません。
求人情報をいろいろ当たり、面接にも通いました。でもやっぱり「ニューハーフ」というのは一種の特殊な方々で、普通の女性には無い魅力を持った人ができる事なんですよね。何のとりえも無い私は現実の厳しさにすっかり打ちのめされ、やや自暴自棄になっていました。
そんなある日、例によってあるお店の面接を受けようとしていた私は、ちょっとした作戦を思いつきました。
「女性として面接してみたらどうなるだろう?」
以前にもお話した通り、私の女性としての唯一の武器は「声」。ルックスは多少男っぽくても、声でなんとか急場を凌いだ事が数しれずありました。この武器がどこまで通用するのか試してみたくなったのです。
男性である事を隠し、女性として面接に臨んだ私。
この作戦は見事に成功しました。なんと「女性」として採用され、お店に出る事ができたのです。
ブログゆえの悲しさから、「嘘でしょ?」なんて思われても仕方がありませんね。後はもう、普段の記事から私を信用して頂くしか手がありません。余計信用できないって?(笑)。
売春業を舞台とした「赤線地帯」と違い、小さな飲み屋さんでしたから、そんなに大事が起る訳ではありませんでしたが、私がここで学んだのは、「プロの女性」の気配りの凄さでした。
男性の皆さんはきっとお分かりにならないと思います。「女性修行中」の私のような立場の者にしか経験できなかった、あの凄さ。
ホステス同士の「目くばせ」で、お客さんとの話題を見事に膨らます、卓越した会話術。
お客さんの目に触れない角度で、常にグラスの露をふき取る、手際の良さ。
お客さんの気持ちを半歩(一歩だと頭が切れすぎちゃって、女性としては可愛くないんですよ)先取りしながら、あくまで自然に動く的確な洞察力。
そして何よりも、「癒し」を求めてお店に来てくれる、お客さんの気持ちを和ませる「個性」。
実はこの個性は、必ずしも「可愛い」「優しい」だけではないんですよね。「声が大きい」「カラオケが下手」みたいなマイナスに見られる個性でも、それを求めて来てくれるお客さんは居るんですよ。
ちょっと挙げただけでもこんな感じ。お客さんと乾杯する時、ホステスはお客さんよりグラスを上げちゃいけない、なんて常識なのです。
そして何と言っても、男性をうまく乗せる、手練手管の数々。
こればかりは、駆け出しの私には到底学ぶ事などできませんでした。
道を究めた「プロの女性」なら、もっといろいろな奥義があるんでしょうね。おバカな私が知った事など、たかが知れています。
ただ、もうここまで行くと、「技術」ではないのかもしれませんね。
「ネヴュラ」をご覧の方で、そういったお仕事に従事されている方々を、私は尊敬します。
私はそのお店でしばらく働いたものの、そのあまりの技術レベルの高さにビックリし、また女性として働く事でお店に迷惑をかけては、という思いから、お暇を頂く事にしました。
なぜか?今だから話しますが、お店のママも、私の正体を知らなかったのです。
これは人の道に反しますからね。
「赤線地帯」が、私にとってちょっと物足りなかったのは、ジャンルは違えどそういった「プロ」の世界を垣間見た経験があるからかもしれません。
フィクションとして見られない、というか。この作品が、働く女性達を「職業婦人」として描けば描くほど、私には昔の経験が頭をもたげて来るのです。
その後、ディレクターとしての仕事が忙しくなった私は、夜の仕事から離れました。でもあの経験は、私の中で大きな財産となっています。
なにしろ、男性では絶対できない経験でしたから。
(ここには書けない事も含めて)
ちなみに当時、お店での私の得意ジャンルは「映画」でした。(ごもっともって?)
昔の日本映画のお話が出たとき、お店は私の独壇場と化したのでした。
(「ネヴュラ」と一緒だって?今気づきました。ここは私の「お店」なのかも(爆笑)。