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カテゴリー「オタクな日々」の記事

2008年3月15日 (土)

風の中のスバル

「鼻が利く日」というのがあります。
今日もそんな予感があって。

なんとなく人々で賑わう市内中心部へ出かけたくなり、吸い寄せられるように足が向いちゃったんですね。「あのお店」へ。

Photo そのお店とはこちら、トミカショップ。
たまーにしか覗かないのに、今日はどうしても行きたくなりまして。

不思議な事です。で、案の定。カンが当たりまして。




Photo_15このコーナー。いやーいい物めっ

大好きなスバル360。
それも限定版、カスタムモデルのパトカーです。

東京店リニューアル記念だそうで。
トミカショップ限定とありますから余計に貴重。



Photo_16案内によると、トミカショップって国内で三店舗しかないそうなので、これはラッキー以外の何物でもありません。

普段、ネットで新製品情報などを全然調べていない私にとって、こんな出会いはまさに偶然の出来事なのでした。発売は一週間前ですが



「カンで新作をゲット」なんて効率悪いことこの上ないですが、これも私の性癖、あい変らずのグータラ癖はどうにもならず

他にもいくつかのお店を回って、あー大漁大漁
あい変らず、安いものばかり拾い集める貧乏ショッピングですが、それはそれで満足感も大きいものです。こんなもんですよ。貧乏女の休日なんて
お天気に恵まれたのも気分上々の理由の一つでした

Photo_4帰るのももどかしく封を開けてみれば、ご覧のとおりの可愛い一台が。
いつも思うんですよ。
スバル360って、最近の軽四よりはるかに可愛いフォルムだなあと


私にとってこのてんとう虫は、生涯に一度は乗りたい車のナンバーワンなのです。ちなみに二位はルノーサンク・ターボですが。
「ネバーセイ・ネバーアゲイン」仕様の


Photo_5前述の通りこのパトカーは、車体後部をリ・モデルしたカスタムバージョン。
代表的な猫背のクーペ・モデルとは違い、後部の車内面積が大幅にアップしています。

このタイプ、乗っている人が近所に居まして。
もちろん最近のお話です。
地元の交差点などでよく見るんですよ。もう可愛い可愛い。「タランタンタンタン」って独特の排気音で元気に走っています。
色も当時のベージュっぽいキャメルで。その一台の周りだけは昭和の空気ですね。
あまりの懐かしさに、周りの車も微笑んでいるような雰囲気さえあったりして

Photo_6でもカスタムタイプは後年になって知ったモデルでした。
で、やっぱり馴染み深いのはこの「トリプルファイター・デビラーカーモデル」ですね。

遡ればウルトラセブンのスチールでよくお目にかかる、あのタイプです。てんとう虫とダン隊員とのミスマッチがなんとも和やかな雰囲気でした

別にカラーリングも「つや消し黒」や「スカイブルー」ではなく、写真のようなベージュ系が記憶にあります。

小学生の頃、同級生と真剣に相談したんですよ。
「あのスバル、何万円するんだろう?」(「万円」って所が子供ですね
「何年働けば買えるんだろう?」なんておバカすぎる会話

それくらい欲しかったんです。
あのスーパーカー・ブームの頃だって、フェラーリBBとランボルギーニ・カウンタックの最高速が2km差、なんて騒いでいるクラスメートを尻目に、スバルの事ばっかり考えてましたから
「スバルだって水平対向十二気筒を乗せれば、ポルシェ930ターボなんて軽く抜いちゃうよ」なんて神をも恐れぬ暴言も
発進直後に空中分解するなんて考えもせず


そんな憧れを持ったのも、父が乗っていた車がスバルじゃなかったせいでしょう。
我が家はそれほど裕福でもなかったので父は社用車のトヨタパブリカを自家用に使っていました。その後、自家用にスズキ・フロンテを購入しましたが、これまたエンジンがかからないひどい中古で


冬の寒い朝、父の通勤時には、家族全員で後から押し、やっと発進できた苦い思い出もあります。今考えればパッテリーの不調程度の原因だった筈なんですが、何故か毎日毎日押しがけで
まだ暗い早朝5時半。父の乗るフロンテを母と私と妹三人でよいしょ、よいしょと数十メートル。車の重みが手からフワリとなくなる感触がエンジン起動のサインなんですが、走り去る運転席の窓から、父が手を振って挨拶するんですよ。
それを見送る私達三人。ああ昭和

今は懐かしい思い出ですが、きっと近所の人は、仲のいい家族だと思っていた事でしょう。あー恥ずかしい。これがスバルならちゃんと走ったのかもと
まーそんなおバカ話はともかく


Photo_7お話をスバルに戻しましょう。
1958年誕生のスバル360。
これは国産初の大衆車として歴史に残る一台だそうで。車の歴史などはまるで無知な私ですが、ことこの車に関しては色々な逸話を聞きます。


中でも特に心に残ったのはNHK「プロジェクトX-挑戦者たち- 日本初のマイカー・てんとう虫町をゆく」でしょうか。

まさにNHKでなければ出来なかったあの超名作番組(業界内では有名なお話ですね。スポンサーの絡みを考える必要が無いという意味であれほど羨ましい番組もありませんでした)で採り上げられたこの車の開発秘話は、もう私の涙腺を刺激しっぱなし。
テレビ番組、しかもドキュメント風演出のスタイルで、あれほど涙なしには見られないエピソードも珍しいです
まー涙もろい私のことですからあまり信用されるのも恐縮ですが、他の回はともかく、このエピソードだけは今でも時々見ます。まるで名作映画を見るように。
しかも自分の番組に、このテイストを随分採り入れたりして
カット頭からナレーションCUEまでの「間」とか

まーその内容を私のつたない話術でご説明するのも番組に対して失礼。
もう全篇が感動の連続ですが、私が心を打たれたのは「偉業とは逆境の中から生まれる」という教訓ですね。
確かに「X」は、どんなエピソードも「逆境からの偉業」がテーマですが、スバルの場合は車という身近な存在だけに、特にその思いがダイレクトに伝わりました。


Photo_12この一台、現在なら「可愛らしさを目指して開発」なんて邪知されそうですが、実はまったく違う目的で作られたものだったんですね。
この事実に、私は本当に衝撃を受けました。

開発した富士自動車工業のメンバーは、そもそも戦後、国産初の乗用車を目指して1500CCの車を試作していたそうじゃありませんか

航空機開発のノウハウ、高い技術力を持ちながら、メインバンクから融資を断られ量産は頓挫、国産車第一号の栄冠はトヨタ・クラウンに奪われてしまいます。
「スクーター会社と合併、スクーターのラインでなら車を作れる」という現実を突きつけられるスタッフ。ここで屈しないところが凄いんですよね。
「作れる」と言われているだけで「作れ」とは言われない。
そこで車への夢を諦めないところが。いやー尊敬のまなざし


確かに航空機開発の自負、1500CC開発の技術を捨てられないという意地はあったでしょう。でもスクーターラインで360CCの車を作ってやろうという発想転換はなかなか出来ないと思いまして。
考えてみれば古今東西、万物は小型化の方が難しい訳です。
1500CCは可能でも、その1/4の排気量の車が作れるとは考えない筈で。


初の国産車・クラウンの価格は101万円。発売された1955年当時、この価格は庶民の5年分の年収だったそうです。新築の住宅より高かったとか。
一般人にとってまだまだ自動車は夢のまた夢。
チーフ・百瀬晋六氏以下プロジェクトチームは、このクラウンとは逆の発想、大衆車第一号を目指した訳です。この発想の転換も凄い。
百瀬氏はなぜ、この発想に至ったんでしょうか。
これが極めて人間らしい、共感できる理由なんですよね。


当時、百瀬チーフの家にも車が無く、自転車が主な移動手段だったそうです。
しかもその購入は「月賦」で。(口が裂けてもローンとは言いません
高額なクラウンは購入など不可能。でも車があればどんなに便利か。


庶民でも手が届き、家族が乗れる車が作りたい。

それだけなんだそうです。シンプルにして最も説得力のある理由。
自分が欲しいから。これ以上に強く、素直な理由も無いですねー。
私も一緒ですから。番組は「自分が見たい」という理由で作ってます


新車開発に賭ける百瀬氏の情熱は大変なものだったそうで。
ほとんど会社に泊まりっきりで、めったに帰宅しなかったそうです。
ほぼ一日中開発、研究に勤しむ彼についたあだ名が「エンドレス百瀬」。


Photo_11そんな百瀬氏の元に集ったスタッフにも、車に賭けるそれぞれの思いがあったそうで。
開発途中の苦労話は多く語られましたが、中でも私が最も驚いたのはあのボディーラインの誕生理由でした。前述の「可愛らしさ」とはまったく別で。


フォルクスワーゲンを模したようなあの丸っこいラインって、なんと「ボディー剛性を高める為」にデザインされたんですね

なにしろ排気量360CC。車体重量は350kgに抑えなければ走らない。
ボディーチーフ・室田公三氏は、ボディー素材に最も軽い0.6mmの鉄板を考えたんですが、これが曲げるとグニャグニャだったそうなんですよ。薄すぎて


そこで考え出されたのが、鉄板の曲面加工。要は卵の殻の理屈ですね。
その処理でボディー剛性は飛躍的に高まったそうです。

いやーあの可愛い形にそんな苦労があったとは。つくづく「虚飾を取り払ったフォルムこそ最も美しい」なんて高尚な言葉を思い出したりして。
あのフォルムの魅力は「機能美」によるものだったんですね


「スバルクッション」と賞賛された「ねじり棒ばね」にも感動しましたね。
従来のサスペンション機構では場所を取りすぎ、軽四輪のサイズ規格からはみ出してしまう。その為に編み出されたのが「一本の棒」というサス。
このばねも実用化までには大変なご苦労があったそうです。
現在では「トーションバー」と呼ばれるこのサスにも、血の滲むような努力があったんですね。技術的な事など理解できず恥ずかしい私ですが、新たな試みにつきまとう生みの苦しみはよくわかります。


その足回り担当、小口芳門氏の思いも心を打ちました。
当時、小口氏は奥様がご病気で、入退院を繰り返していたそうです。
めったに外出できない体調で。そんな奥様を見て、小口氏は思ったそうです。


自分が作った車に女房を乗せて、外の景色を見せてやりたい。
なんて優しい人。ウルウルしました。私


そんなスタッフの努力により、スバル360は、大衆車第一号として歴史に名を残す名車となりました。
その名声の理由は、決して45万円という低価格だけではなかったのです。


なーんて。私が調べたような語り口になっちゃいましたね。ごめんなさい
それだけこの番組は、語りたくなる魅力に満ちていた訳です。

番組の最後、共に苦労した開発スタッフがスバルに乗せた思いは、数々のエピソードによって雄弁に語られました。

開発チーフ、「エンドレス百瀬」氏は、スバルにご家族を乗せてドライブへ。
彼はそのご家族の為に、スバルを開発したのです。
寡黙な百瀬氏も、その日だけは喜びを隠さなかったとか。


Photo_14そして「ねじり棒ばね」の小口氏。
彼はなんとこのスバル360で、退院する奥様を迎えに行ったそうなんです。
まさに「スバルに乗った王子様」

この一幕を見た時、私はもう号泣しました。
嘘じゃありませんよ。
自分の作った車で女房を迎えに行く。
究極の男気、最大の優しさ。

こんなご主人を持った奥様は世界一の幸せ者です。
もー羨ましくってしょうがない


Photo_13単に可愛いと思うだけのスバル360にも、こんな感動秘話がたくさんあったんですね。番組をそのまま受け取るのもいけませんが、登場したスタッフご本人の言葉や涙に嘘は無いと信じたいです。
いやーまだまだ自分は不勉強で

「プロジェクトX」は何年も前に放送されましたから、ご覧になった方も多いでしょう。未見の方はお時間あるときにでもご覧頂ければ。
DVDでも発売・レンタルされていますので


日常に溢れるどんな物にも、きっとこんな開発秘話があるんですよね。
読者の皆さんの中にも自動車設計に携わる方がいらっしゃると思います。
きっと日々の業務の中で、同じような生みの苦しみをご経験されているんでしょうね。無知な私など、そのご努力にひたすら感服するばかりです。
その部分を知らずにあれこれツッこむのは簡単ですが、それが恥ずべき行為である事も肝に銘じておきたいと思います。
「分かってないという事が分かってない」のは、何にも増して非礼と思いますから。それは何より私に言える事で


Photo_10スバル360に関してはまだまだ語りたい事がありますが、今日はこんな所にしましょう。
この名車に思いを馳せながらトミカを見ていて、ちょっと昔の味に触れてみたくなりました。
で、いい所にこの「復刻版金ちゃん焼そば」が
年代は全然違いますが、ちょっとレトロなお食事という事で。


中島みゆきを知らないコタも、この味にはご満悦のようです

2008年1月17日 (木)

「オタク」と「ヲタク」

「ボルジャーノンはないよねー。」
昨夜、テレビ朝日系で深夜放送された番組「世界一奇妙なクイズ!!
」。
(東海地区では23時17分~24時12分オンエア)

新聞のテレビ欄に「ヲタク知識」なんて書いてあったら見ないわけにはいかないと。ご覧になられた方もいらっしゃるかもしれませんね。
予想はしていましたが、やっぱりこれが地上波の限界なんでしょうね。
同業の自分が言うのもおかしいですが(笑)。

ヲタクを自認する数名の芸能人がテーブルを囲み、各人がいわゆる「ヲタク知識」をクイズとして出題するこの番組。私は初めて見ましたが、この企画は「すくいず」というクイズバラエティから独立したものである事を後で知りました。

古いタイプのオタクである私は、以前からこの手の番組に目がなかったんですが、最近はなかなか唸らせるような内容が少なくて。今回の番組も「やっぱりか。」
付き合いきれず、途中でやめてしまいました(笑)。
これは好き嫌いのお話なので、別に内容そのものに問題は無いんですが、最近、この手の番組で琴線に触れるものが少なくなっちゃいましたねー。

未見の方の為にお話しますと。冒頭のセリフは、番組内で「ガンダムヲタク」を自称する芸人、土田晃之が出題(構成上そうなっている)したクイズの答えについて。
「1979年「機動戦士ガンダム」で初登場したモビルスーツ「ザク」が、1999年放送の「ターンAガンダム」で再登場した時の設定は?」という問題でした。
よくある四択問題でしたが、もちろん正解は「遺跡として発掘」「ボルジャーノンというネーミング」ですよね。

まーバラエティー番組の常として、中川翔子や勝俣州和ら他出演者の回答比率はそこそこに設定され、解答発表もそれなりにレア情報として盛り上がりを見せる(「えーっ?」のSEも大きめに挿入)王道の展開。
番組の作り方としては非常に真っ当で、「間」や編集の手際は最近のバラエティーとして及第点の出来なのです。
ですから私が発した「は、ないよねー」のセリフは、もちろん番組の出来についてではないのです。よくある「ネタとしてユルすぎる」なんて事を思った訳でもありません。
タク」と「タク」の違いって何なの?』
私が思ったのはその事でした。


録画したこの番組を見直すと、なるほど番組内での呼称はすべて「ヲタク」。新聞欄での表記も「ヲタク」になっています。
「あれ?タクっていつからタクって表記になったの?」
無知な私はここで、ちょっと考え込んでしまいまして。
まー地上波のバラエティー番組は芸人やアイドルがトークを盛り上げなければ成立しないですから、まともな知識やウンチクを期待する方が無理。
「お笑いマンガ道場」に永井豪の本格漫画論を期待するのと同じくらい見当違いなんですが(笑)、それにしても「ヲタク」の表記の意味がわからない。
「オ」「ヲ」にした理由が、番組から見えてこなかったんですよ。


「オタク」。現代新書『「おたく」の精神史』(大塚英志著)によれば、この呼称は1983年、「漫画ブリッコ」六月号で中森明夫によって初めて用いられたそうです。
当時の呼び名はカタカナの「オタク」ではなくてひらがなの「おたく」。
その命名からはや25年。ひらがなからカタカナに変わった経緯は「携帯電話」が「ケータイ」に変わっていったのと同じようなものでしょう。
「説明語」が「名詞化」していく例は、他にも色々ありますよね。
ですからこの「オタク」というカタカナ表記については、その発祥を発展、一般化させたという意味で納得できるんですよ。
で、件の番組で統一された「ヲタク」という呼称ですが。
「オ」「ヲ」に変わった理由はどこにあるんでしょうか?


この答えは、ついに番組からは見えてきませんでした。回答者がタレントというたけで内容は「TVチャンピオン」「カルトQ」のユルーい移植だし、この手の形式はよくありますしね。「ヲタク」と呼称するなら、「オタク」との違いをはっきり見せてもらいたかったなーと思っちゃったのです。
皆さんは「オタク」「ヲタク」の違いをどう定義されますでしょうか?


ここでちょっと業界の裏話をさせていただきますと。
番組を企画する時、企画者は必ず「この番組はこれまでになかった切り口ですよ」という事を大きなセールスポイントにします。もちろんキャッチーな新語や独特のキーワードを作るのも企画者の重要なセンス。
昔の例なら「ひょうきん」、最近の例で言えば「トリビア」なんて言葉はヒットしましたね。従来からある言葉でも、そのパッケージングを変えるだけで新たな輝きを見せる物なのです。その裏に企画者の卓越したセンスが働いていた事は言うまでもありません。


ところがこの「キーワード」、どんなこじつけでも、企画段階では必ず何らかの意味が込められているものなのです。でなければ海千山千、現在のメディアの頂点に立つ局上層部は説得できない。たとえ吹けば飛ぶような理屈でも、「おー、なるほどね」とプロデューサーを納得させなければ番組はスタート出来ないのです。番組制作はビジネスですから。
ですから今回のキーワード「ヲタク」にも、必ず何らかの意味があるはずなんですよね。私がプロデューサーなら必ず企画者に尋ねます。
「この『ヲタク』という言葉の定義は?」
ここで企画者が明確な答えを持っているかどうかで、番組の実現化が決定されると言っていいでしょう。


お話が専門的になりすぎましたね。もうちょっと下世話にいきましょう(笑)。
まー考えてみたんですが、おそらく現時点ではこの表記の差、「気分」「目先を変えた」くらいしか解析のしようがないんですよね(笑)。

私だけの感覚なんですが、「怪獣」に対する「超獣」みたいなものなのかなー、なんてね(笑)。
努力はしたんですがあまり変わりませんでした。みたいな。


先ほどとは逆のお話になっちゃいますが、番組という物は企画時のキーワードがそのまま反映される訳ではありません。
企画が視聴者に受け入れられているかどうかを分析するプロデューサーは、番組スタート時の視聴率などから、企画が受け入れられていないと見るやすぐに方向転換、「テコ入れ」「守り」の姿勢に走る事が多いのです。
斬新な発想で始まったヒーロー番組が途中のテコ入れで路線変更した例はたくさんありますよね。
シルバー仮面の巨大化やミラーマンのカラータイマーなど(笑)。
今回の「ヲタク」表記だって、「やってみたけど分かんないねえ」なんて判断で企画時の崇高な発想(笑)がスポイルされている場合もある訳です。


「やっぱり真相は藪の中かなー」なんて首をヒネる私。
もともと鈍い頭ですから浮かぶ発想も大した事なく。
「オタクイーン、そんな細かい事気にする方がおかしいよ。「エヴァ」の影響とかあるんじゃないの?単に旧かな使いがお洒落ってだけだと思うけど」
なんてお言葉がこだましたりして(笑)。

でもどんな事にもそれなりの結論を求める私としては(笑)、その「旧かな使いをお洒落に感じる背景」に興味が行っちゃうんですね。


昨年、「エヴァ」が部分リメイクされ新劇場版「ヱヴァンゲリヲン」として公開された事は記憶に新しいですね。確かにこのタイトルでも「オ」が「ヲ」に変わっています。で、それが内容に反映されていたかと言うと、新劇場版を未見の私には語る術がありません。
ただ、庵野監督が旧かな使いにこだわる理由、さらにそれをスタイリッシュに感じる現代の空気には、なんとなく納得出来るものもあるんですよ。
庵野氏と年代が近い私などにも、確かに旧かな使いは新鮮に映ります。

無理矢理納得しようとすれば、確かに「オ」が「ヲ」に変わった理由はそういう「時代の空気」に落ち着くのでしょう。
でもこの居心地の悪さはどう説明すれば(笑)。


「やっぱり内容が伴っていないからなのかなー。」
たぶん「エヴァ」と、旧かな使い「ヱヴァ」の違いが内容に表れていれば納得できるんですよ。「オタク」と「ヲタク」の違いも。

ただ、翻って見ればこういう事は言えますね。
そんな表記にこだわる人は古い「オタク」で、こだわりから自由になっている人が「ヲタク」。そういう意味では、私は確実に「オタク」ですね。真性の(笑)。

以前から何度もお話している「ゴジラの存在理由」など、内容にこだわりすぎるのは既に絶滅危惧種なのかもしれませんねー(爆笑)。
「ゴジラはゴジラなんだからいいじゃん。」「どっちでもいいじゃん。オタクでもヲタクでも。」まー確かにその通りなんですが(笑)。
昔、お仕事の仲間に言われた言葉を思い出しました。
「良い悪いじゃなくて、
そういう世界なんだ。」


ただ、こういう事も言えると思うんですよ。これは私を含めた世代全体が自戒すべき事なんですが。

写真家、浅井慎平氏の言葉です。
「俺たちの世代はビートルズを生んだ。
今の世代にオリジナルはあるか?今の世代がビートルズ以上のオリジナリティーを生み出せない限り、俺は今の世代を認めない。」


この言葉、私にとっては非常にインパクトがありました。
結局私たちの世代は、ゴジラやウルトラマンなど強烈なオリジナリティーを持つ存在をまだ生み出せずにいるんですね。全てはシリーズか、過去の遺産を使ったリメイクばかり。
「ヲタク」なんて、ちょっとかな使いをいじって喜んでいる程度で(笑)。
「そういう世界」という言葉に説得力がなく、浅井氏の言葉に響くものを感じるのは、「そういう世界」が私たちの世代のオリジナルではないせいでしょう。
先人たちから与えられた文化をいじっているだけという焦燥感。
どこか自分達のオリジナルではないという気持ちが、「ヲタク」という言葉遊びに反応してしまったのかもしれません。


件のクイズ番組中、ウンチクを熱く語るタレントの姿を思い出す度に、浅井氏の言葉が大きく胸に響きます。
「語れるという文化を作ったのは俺たちの世代だろ?そんなところで満足してていいのか?」そう言われている気がして。
いやー正直な話、これは焦りますねー。
そんな浅井氏が驚愕するほどの文化を生み出すべく、私たちの世代もオリジナリティーを発揮しなければと思います。


そういう意味で「ヲタク」にはなりたくない。小さな事ですが、言葉遊びで満足したくないんです。
やっぱり私は「オタク」である事に誇りを持ちたいと思います。その方がまだほんのちょっとオリジナリティーがありますから。
何を熱く語ってるんでしょうか私(笑)。


現在はパソコンの登場など、ハード面では目ざましい発展を見せていますが、ソフト面でのオリジナリティーはますます減ってますよねー。
映画もテレビもリメイク作が多いですし。オリジナルと言われるものさえどこかで見た内容ばかりだし。
これだけ識者が多いんですから、誰か物凄い事を考えてもいいと思うのですが。まーそう言っていてはいけませんね。私も頑張らないと。

「女子な男子」なんて、かなりオリジナルな生き方とは思うんですが(笑)。

2008年1月13日 (日)

NEXT LEVEL

Photo名古屋駅前のナナちゃん人形も
こんなタスキがけ。

成人の日を含むこの三連休は、各店競っての年明けクリアランスセール第二弾。


私には密かに狙っていたアイテムが。



                            
Photo_10戦場はまさにこの駅ビル。
例年なら買いあさるレディースウェアに目もくれず、いち早く向かった先は大型書店。




Photo_3 そうです。書店唯一のクリアランス商品、カレンダー。
第一週では早いんです。半額になるのはこの三連休を含む四日間のみ。
毎年の苦い経験から、この微妙なタイミングを割り出しました。
オタクレーダーに狂いなし(笑)。
事前のリサーチでは残り2本。間に合いました。無事1,000円でゲット。

Photo_4

A2タテ一、表紙込み7枚構成。
「NEXT」バージョンならではのバトルダメージ・1号が闇夜に映えてカッコイイ!






Photo_5落ち着いたグリーンのカラーリングが際立つ2号。劇中をイメージしたポーズが秀逸。







Photo_9今作、新登場のV3は、オリジナルと新解釈がほどよくブレンドされたフォルムが印象的。
これらのページと交互に、黄川田将也さんなど各々の役を演じた俳優さんのショットが配され、一年中「NEXT」の世界に浸れるすぐれものです。
(当たり前ですね。カレンダーなんだから(笑)。
Photo_7 細々と集めた「NEXT」関連本と一緒に。
うーん改めて、今作のレベルの高さを再認識したカレンダーでした。
DVDリリースが待ち遠しいです。
Photo_8
今回、こちらのお方は多忙につき、ノーコメント。空気的にからみづらかったので(笑)。



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2007年12月 5日 (水)

三丁目の働き者

Photoお話は先週金曜日まで遡ります。
この写真、どこだと思いますか?
これは私の町にあるミニカー「トミカ」のオリジナルショップ。
以前、お話した事もありましたね。
私は昔からミニカーも好きで、ちょくちょく覗いているのです。店内コーナーの真ん中辺りに、ちょっと気になるものがありまして。

Photo_11これです。実はトミカショップへ出かけた理由はこれ。最近ネットをうろうろしていて、おそまきながらこの商品のニュースを知った事がきっかけでした。
皆さんには説明の必要もありませんね。
今公開中の「ALWAYS 続・三丁目の夕日」に登場する「超兵器ダイハツミゼット・鈴木オート仕様」です。

なんと先月に発売されていたんですね。知らなかったー。
私が「続・三丁目」を鑑賞したのは先週土曜日でしたが、劇場にはこんなの売っていませんでした。やっぱり売れ行きも好調なんでしょうか?
いつもながら本当に情報入手が遅い私。誰か教えてくれればいいのに(笑)。

Photo_3ご覧下さい。このX-ウイング並みのバトルダメージ。この理由と「超兵器」の呼び名の訳は映画をご覧になってのお楽しみ。あえて「続」と謳うパッケージにはちゃんと理由があるのです。
当然ながら、これは映画公開中のみの限定商品っぽいですね。私は「良い物」と「欲しい物」と「限定商品」は別物と考えていますが、これは「良くて欲しくて限定」という珍しいパターン。
思わず手を伸ばしてしまいました。本当は保存用にもう一個欲しかったんですが、お財布の都合で泣く泣く一個買い(涙)。

Photo_4でもこの形、本当に和みますねー。
私の愛車はダイハツ・ミラジーノ(現行型)なんですが、やっぱりその丸っこいフォルムに惚れて入手したクチなので、同じくダイハツのこういう丸い車は大好きなんですよ。
しかも三輪というのがポイント高いですね。

スバル360なんかも大好きなんですが、そういう可愛い車って限定生産でリバイバル販売しないものなんでしょうか?やっぱり道交法とかの絡みでダメなんでしょうかね。絶対売れると思うんですが。
(こういう無責任な事言うとまた怒られちゃいますね。自動車業界の方々、ごめんなさい。)
このミゼット、今回の「続・三丁目」でも大活躍します。鑑賞前日の購入だったので一個買いで済みましたが、鑑賞直後にお店を覗いたら、私は両手にこれを抱えていたでしょう(笑)。

Photo_5このミゼット、初期型の発売は1957年(昭和32年)。写真のバーハンドル型でした。
「ALWAYS」に登場する円ハンドル型は1959年(昭和34年)10月のデビューですから、実は昭和33年が舞台の一作目・また翌年の一年間を追う「続・三丁目」でも、その大半の部分には存在していなかったんですね。
まー映画の嘘ということなんでしょう。

この頃はオートバイに変わり、荷物も沢山運べる軽三輪トラックが脚光を浴び始めた時代で、1960年には各社から発売された軽三輪による大ブーム。
ミゼットはその頂点に立つ人気モデルだったそうです。

私が物心ついた頃はこのブームより数年後でしたが、それでも町のあちこちにこのミゼットがビュンビュン走っていましたね。狭い路地でも余裕で走れるミゼットは、特に私が住んでいた下町で大活躍していました。
主に商店で珍重されていた為か、この車はいつも忙しそうに荷物の配達などに使われていた記憶があります。
当時はまだ国産スポーツカーなど影も形もない頃。ゆったり乗る高級セダンやファミリーカーとは全く違う存在感を、この車は放っていたのです。

当時の日本人の身長がギリギリで収まるコンパクトなキャビンは、現代の大人は窮屈に感じるかもしれませんね。子供だった私には、この車の運転席が物凄く広く見えました。
まー子供って、基本的にどんな車も広く感じるものですが(笑)。
運転する人も工員さんや前掛け(エプロンじゃなくて)をかけた酒屋さんなどがほとんどで。
そんな記憶のせいか、この車は「働き者」というイメージが大変強く残っています。

実は、以前にも「ネヴュラ」でお話しましたが、このミゼット、10年以上前に仕事で行った中国で見かけたことがあります。
その時はこの車、なんとタクシーとして使われていました。荷台を覆う幌の中に電車のつり革のようなものが備え付けられ、お客さんは荷台に座ってつり革を持つ訳です。言わば振動対策ですね。
でもこんな小さい車ですし中国のドライバーは運転がアクロバティック(笑)。

カーブをフルスピードで曲がる為、その度にお客さんが幌から振り飛ばされ、豪快に道路へ転げ落ちる惨劇に。
(これ、本当なんですよ。誰も信じてくれないけど(涙)
でも中国ではそんな事は日常茶飯事なのか、すかさず停まるミゼットタクシーに落とされたお客さんが無言で乗り込む場面を何度も見ました。
うーん中国恐るべし。全国民スタントマン状態。

でもきっと昭和30年代の日本でも、同じ事が起こっていたんでしょうね。
ただ転げ落ちるのが人間じゃなくて荷物だっただけで。
つくづくエネルギッシュな時代だったんだなーと(笑)。

Photo_10以前、ある地方の小さな村に取材に行った時、突然道の向こうから子供の嬌声が聞こえてきまして。ロケを中止して目をこらしていると、荷台に子供を乗せた軽トラックが近づいてきました。普段乗る事もない荷台で風を感じる子供は大はしゃぎ。そんな風に「荷台」には心を躍らせる何かがありますね。
このミゼットも、きっとお店がお休みの日などには荷台に子供を乗せ、家族の楽しいドライブに一役買っていたんでしょう。立派な休日出勤。なんて働き者なんでしょう(笑)。
以前入手したトミカショップ限定ミゼットと並べてみました。
うーんやっぱりラブリー。
「ALWAYS」劇中でも、ミゼットは鈴木オートの日常の足として活躍していましたね。きっと当時は車も贅沢品だったのでしょうが、このミゼットに関しては自転車感覚で乗られていたのかもしれません。
私も一度、ミゼットの荷台に乗ってみたかった(笑)。

Photo_6さて。実はこのミゼットを買った日、私はトミカショップでもう一つの掘り出し物に目が止まりました。
写真は店内のショーケース。この中にはトミカショップだけでしか売られていない限定品もディスプレイされています。前述のごとく、私は限定品という理由で買い物をしないのですが、この時目に止まったアイテムはどうしても欲しくなる逸品で。

Photo_7これです。
ミゼットから遅れること2年。1959年に発売されたマツダの軽三輪トラック、K360です。

「あらーこんなのも出てたのねー」とウィンドーを覗き込んだ私の目に飛び込んで来たのは「ショップオリジナル」の一文。慌てて店内全部を探し回りましたが、この可愛い車の在庫はどこにもない。欲しくなったら我慢できない私はレジに佇む店長さんに尋ねました。
「これ、ありませんか?」

答えは皆さんのご想像通り。「えー。これはもう全国のショップでも店頭在庫を残すだけで。うちではあれが最後の一個なんですよ。」
このK360はトミカショップ限定。名古屋にはトミカショップはここしかないから、あれが名古屋最後の一個になっちゃうわけね。まー3月発売では仕方ないです。私が遅かったんだから。
こういう時私は判断が早いです。「これ下さい(笑)。」
まるで美術品を扱うように、店長さんは白い手袋装着でK360を扱ってくれました。「小さな汚れがありますがよろしいですか?」なんて聞かれでも、これ一個だけなんだから仕方ない。「全然OKです。」
その店長さんの気遣いが嬉しいんですね。

Photo_81960年当時の軽三輪トラックブームの中で、特にこのK360は優れた設計や洗練されたボディデザインが魅力の一台だったそうです。
ただ私はこのK360の実車を見た記憶が無いんですよね。それだけミゼットの人気が高かった事を証明しているんですが、今見るとこのスタイルも本当に可愛いですねー。
ミゼットもいいけど、この車と二台並べてどっちが良いか尋ねられたら、私はこっちを選んじゃうかもしれません。

ミゼットに対してこの車、「鼻がない」ところが好きなんですよね。
好みでしょうけど(笑)。

Photo_9でもきっとこのK360も、ミゼットに負けずに町を駆け回っていたんでしょうね。
何か楽しそうですねー。こういう車が角を曲がってきたら。
以前、日産のPAOのオーナーだった私。今でもsmartや三菱iに可愛さを感じてしまいます。そんな私には、こういうラブリーな車が愛おしくて仕方がないのでした。


「癒されカー」というジャンルは新しい鉱脈かもしれませんね。
写真はちょっと遅れて昭和40年代デビューのベビースターラーメンと一緒に。
すみません。中途半端なレトロ度で(笑)。

きっとまた私は、ショップでこんなミニカーを見つける度に手が伸びてしまうんでしょうね。ただミニカーじゃなく、実車に乗りたいのが本音だったりして。
スピードや高級感に走らず、エコや楽しさを追求する現代の車には、こういうファニーなデザインが似合いそうな気もするのですが。
ミツオカさんあたりなら面白そうなのを出しそうですね。
(また無責任発言。自粛します(涙)。

2007年11月27日 (火)

同じ星の下に

きわめて私事で申し訳ありませんが。
私、今日が誕生日なんです。

年齢だけは考えたくもないですが、誕生日というのはそれなりに感慨深いもので。と言うのも。
今日11月27日は、あのガメラシリーズ初作「大怪獣ガメラ」の封切日(1965年)なんですよ。言わば今日はガメラの誕生日なんですね。
年は違えど、ガメラと私は誕生日が同じ。私のオタクは生まれた時から決定付けられていたのでしょう。
これ、去年もお話しましたね。すいませんしつこくて(涙)。
で、今日はこんな風景を。

Photo_13 特別な日の今日は、近くのオタクショップで彼と待ち合わせ。
私の背丈ほどもあるマッチョな彼は、いつもここで待っててくれる。

Photo_14 いつもは凛々しく、険しい表情の彼も、今日だけはちょっと優しい面持ち。
Photo_15 「同じ星の下に生まれた二人は、これからもずっと一緒だよ。」
キャー!私、一生オタクを全うします~(喜)。

Photo_16 甘美な時間はあっという間。でもここに来ればいつでも彼に会える。
七夕の彦星と織姫のように、毎年この日は彼とのデートに決めよっと。
(いろんな意味で涙)

撮影を許可してくれたお店のお兄さん、ありがとう(礼)。
Photo_17 でもこんな記念日も、基本的に無頓着なのがこの子。
ま、期待はしてないけど(涙)。

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目も眩む落ち穂の中を

大ショック。
年末年始の特別番組の都合で、私の担当番組が数回飛ぶ事に。

一本毎の番組契約でお仕事を貰っている私には、この編成の都合というのが大変恨めしい。お仕事が減れば減った分だけ収入にも響きます。
これがフリーの立場の弱い所。まーそれなりの埋め合わせを期待する事として、今回は泣く泣く承諾しました。
こんな場末のディレクターを苛めて何が楽しいのよと(笑)。


そんな事情を知らされた事もあって、昨日は局からの帰り道も荒れに荒れ(笑)、とにかく思いつくままに馴染みのお店に飛び込む始末。
「むしゃくしゃした時は欲しかったワンピースなんかを衝動買いするのがいいのよ」なんて昔の仲間ものたまっていましたが、毎度貧乏な私にはそんな散財などできません。せいぜい近くのオタクショップでリーズナブルなグッズを買い漁るのが関の山。おまけにギャラも減るとあってはお財布の紐も締まるというものです。
小春日和ながら、私の懐には寒い木枯しが(涙)。

Photo_2というわけで買ってきました。この二つの包み。
読者の皆さんには御馴染みのマークの通り、一つはオタクの殿堂「まんだらけ」、そしてもう一つも近くの古書店で求めたものです。つまり二つとも新品ではありません。今日は、この二つにまつわる胸の内をつらつらとお話しましょう。
例によって大した事など喋れませんが(笑)。



東海地区にお住まいの読者の方々は、かの「まんだらけ」が今月23日に店舗を移転、新規オープンした事をご存知と思います。
私が知る数々のオタクショップの中で最も品数が多く、また物によっては驚きの低価格で手に入るこのお店は、お金のない私には非常にありがたい存在でした。そのまんだらけが新規オープンとあっては駆けつけないわけにもいきません。
とは言うものの人ごみを避けたい私は、オープン初日からおととい日曜日までの三連休を避け、昨日、局でのお仕事の帰りに寄る事を計画していました。

そこへ冒頭の大ショックですからもー心は千路に乱れ、あろう事ならお店ごと買い取らんばかりの勢いで押しかけて行ったのでした(かなり大げさ(笑)。


なんでも名古屋店は今回の移転で、まんだらけ全店舗中最大級のフロア面積となったそうで。以前のお店の2.5倍の品揃えも伊達じゃありません。さすが「名古屋のアキバ」こと大須に進出して来ただけの事はあります。
諸事情で写真などお見せできないのが残念ですが。

Photo_3 いつもの事ながら「地図の読めない女」である私は、お店に掲げてある売場案内を見ていても位置関係がさっぱりわからない。
カンを頼りに目当ての売場を探しウロウロしていました。
で、見つけたのがこれ。もったいぶらずに開封しますと。


Photo_4これです。大したものじゃありません。前述の通り懐に木枯しが吹く私にはこの程度の散財が精一杯です。まー野口先生お一人とさよならする程度ならこれはこれで嬉しい買い物じゃないかと。ドリルも付いてるし(笑)。
これ、TAITO製のプライズ商品だそうで。
これまで何度かお話していますが、私はこの手のプライズ品をリアルタイムで入手した事がありません。
もともとゲームセンター等へ通う習慣がない上、目当てのアイテムを手に入れる為にお金をつぎ込む度胸もないんですよ。何千円使っても手に入らなかったらどーするの、というマイナス思考なんですね。
ですから自然とこういう場でしか手に入れられないと。
まー今日のサブタイにもある「落ち穂拾い」がお似合いという訳です。

Photo_5 これも何度もお話していますが、最近のこの手の商品ってものすごく出来が良いですよねー。
乾電池はサイズ比較用ですが、スケール換算しますとおそらく1/72くらいですよ。これだと今は無きイマイが2000年に発売した電動走行キットとほとんど同じ大きさ。
かのキットは今、アオシマから再発売されていますから入手も簡単ですが、写真の一台が手に入っちゃうと製作意欲も格段に下がるというもので(笑)。
いつかは作ろうと在庫確保に走っていた私の苦労もここまでかと(涙)。


Photo_6 以前ご紹介したアオシマ製・新世紀合金メーサー車と並べてみました。
キャーかっこいい!
そのハードディテールと並んでもまったく見劣りしないこの威容。
この手のモデルってそのほとんどはディスプレイ状態で一生を終えるでしょ?たとえ可動モデルでも一日中動かしている訳じゃないですもんね。だったらこれで事足りちゃう。それほどのディテール、カラーリング、ウェザリングという事ですよ。
恐るべしプライズアイテム。


でも私、これに出会うまでお店をウロウロ、いろんな物に目移りしましたが、その中で一つの永遠の課題を突きつけられまして。
ある商品を手に取った時の事です。皆さんもご存知の通り「まんだらけ」っていうお店は、お客さんが売りに来た商品を買い取り、利益分を上乗せして売り場に並べるという典型的な「古物商」ですよね。ですから売り場の商品に、いわゆる問屋卸という意味での「新品」は無い訳です。
それはお店のスタッフからも聞きました。
ですが、
手に取った商品には、スタッフが加えた一文が載っていたのです。
「うれしい未開封」。


まー確かに、こういうお店にお客さんが売りに来る商品は、開封の物も未開封の物もありますよね。自分が新品で買った時、それを開封するかしないかはお客さんの自由ですから。最近はプレミア買取を期待して複数購入、商品価値が上がるまで自宅で寝かせているコレクターも当たり前ですし。
そこで一つ思うのは、こういう商品って買取の段階で「開封・未開封」ってどこで判断するんだろうという事で。

例えば超合金魂みたいな商品って、
箱を開けただけぐらいなら未開封、中のパーツ袋を破ってパーツを確認したら開封、みたいなチェックラインがあるんでしょうか?
となると、商品を買ったお客さんがズルをして箱だけ開け、メインのパーツだけ組み立ててさんざん遊び、丁寧にまた箱に戻して「未開封」なんて売りに出す、なんて事もあるんでしょうか?結局そこは自己申告の世界、お店の買取スタッフも、そこまでのデリケートな判断は出来ないような気もするんですよ。
もうそうなったら、後は売り手と買い手のかけ引きになっちゃいますね。
こういうお店では、日夜そんなかけ引きがくり広げられているんだろーなー、なんて思っちゃったりして。


私がそんな気持ちになったのは、その商品の状態を見たからでした。
「うれしい未開封」と書かれているのにその商品は結構箱も凹み、それなりに痛みもひどいものだったのです。

ここで私は思いました。
「未開封というだけの付加価値でこの商品を選ぶなら、開封品でももっといい状態の商品の方が良くない?」

これは究極の選択ですよね。本当に個人の価値観の問題です。未組み立ての状態が基本のプラモデルは別として、通常のおもちゃは箱から出してディスプレイする事を常としている私のような者の考えでしょうね。
「未開封」という事にこだわる方はきっとまた別の考えをお持ちでしょう。
でも、もしこの商品が本当は「開封品」だったとしたら?買取時にそれを「未開封」と偽っていたとしたら?
う~ん、疑い出せばきりがありません。私のような無知なオタクは、そんな古物商のディープな世界にまで思いを馳せてしまうのでした(笑)。


さて。「まんだらけ」を後にした私は、その足で近くの古書店に。名古屋にお住まいの方なら大須からさほど遠くない古書店街もご存知と思います。
今は随分寂れてしまいましたが、私は今も珍本や買い逃した名著などを漁りに、これらのお店を覗く事も多いのです。
(何か「サライ」みたいな文体になってきましたね。ちょっと枯れすぎですね。大体こういう話題のどこが女子なんだか(笑)。

Photo_7 そんなお店の二階(まーこう言えば粋人にはすぐ分かると思います)で求めたのがこちらの一冊。実はこの本、私は以前にも二回、このお店で手に取っています。昨日、三回目の訪問でようやく購入です。慎重派と言えばそれまでですが、単に思い切りが悪いだけと言うのが本当の所で。冒頭の「事件」が背中を押してくれました(とでも言わなきゃ気持ちの収まりがつかなかったりして(涙)。
何の本だと思いますか?

Photo_8 ほら。どーですかこの帯に書かれた強気の文句。最初私がこれを手に取った時、この挑戦的な一文に俄然闘志が湧き上がりましたね。
「どれくらい難しいのか試してみようじゃないの」なんて。まー私のようなおバカに限ってこういう一文に騙されやすいんですね(笑)。
ごらんの通り、購入時のままハトロン紙のカバーは外していません。こういう気配りは古書店ならではのものですね。考えてみれば一般書店に新刊で平積みされ、多くのお客さんに立ち読みされている物よりも、この状態の方が数段綺麗のような気もします。
この本に限らず、私がムック本などを求める時も古書店をよく利用するのは、一般書店の立ち読み済みよりもこちらの方が状態が良いと感じるからなのです。おまけに安ければそれに越した事はないと(笑)。


Photo_9 件の一冊の正体はこれ。ジェームズ・チャップマン著「ジェームズ・ボンドへの招待」という007シリーズの研究本でした。これ、以前の二回の訪問でパラパラと流し読みしてみましたが、確かに難しい。よくあるストーリーレビューや裏話本じゃないからです。
僭越ながら言わせて頂ければ、ある程度映画の歴史や作品が作られた背景、その周辺までの予備知識が無ければ分からない内容なんですね。
著者のスタンスは私の立ち位置に近く、「作品の内容や表現から何が見えてくるか」「作品を通じて何を読み解くか」という姿勢が貫かれた、映画評論本の王道です。

ただ、頭が足りない私のような者の感想など足元も及ばない所がプロの評論家たる所以で。やっぱりこれで生計立ててる人は違うなと(笑)。


実は私、かねがね007シリーズの本格的研究書が無い事を不満に思っていました。確かに大型プログラム・ピクチャーの域を出ない内容とも思いますが、それでもあれたけの作品数を誇るシリーズ、識者が放っておくのはもったいないでしょうと。
この本は7年前、2000年の刊行ですから私は見逃していた事になりますね。
相変わらずこういったアンテナは鈍りっぱなしで。お恥ずかしい限りです。

Photo_10 私がこの本に惹かれたのは、あるページの写真を見たからでした。
これは皆さんもよくご存知のヒッチコック映画「北北西に進路を取れ」(1959年アメリカ)の名場面、トウモロコシ畑で複葉機に襲われるケイリー・グラントの写真です。
これを見た時私は「やっと007側からのヒッチコック解析が現実となった」という感慨があったのです。


Photo_12古くからの映画ファンはご存知と思いますが、これまで007シリーズは「ヒッチコック・サスペンスの粗雑な亜流」的な見方が大方の見解で、それは私を含む熱心なボンド・ファンにもやや重荷となっていたのです。
これは実際、私の印象なのでさほど間違ってはいないと思います。

で、その見解を振りかざし、007シリーズを揶揄していたのはヒッチコック研究者がほとんどだったんですね。ただその解析はある意味で当たっているとも思います。ですから007崇拝者は、その事実を「見て見ぬふりをしていた」という訳です。
これまでの007研究本でもその論旨は「007こそが一番。亜流でなどありえない」というもので、読み手の私などは正直これはちょっと公平性を欠いているんじゃないの、なんて思ってもいたんですよ。やっぱり007ってヒッチの影響下にあるよね。それは認めた方が潔いんじゃないかなー、なんて。


そんな私の溜飲を下げたのがこの「一枚の写真」でした。
この一枚が載っているという事だけで、この本は公平性を重んじているんじゃ、と私に感じさせてくれたのです。
007側がヒッチ作品に目を向けるなんて、本当にシリーズ開始以来初めてじゃないでしょうか?これでいいんですよ。そんな嬉しささえ感じてしまえる一冊という訳です。

ただ、まだ私はこの写真以外、本の内容をほとんど把握していません。
まーどんな内容であろうとも、「本音で語ってくれる」という期待は持続できると思います。
楽しいものですよ。たとえ「はっきりいって難しい」本でも。私はこの本の前にひれ伏し、足りない頭ながら一生懸命ついて行きます。評論のあり方を勉強する意味でも、この一冊は良い教科書になるのかもしれませんね。


という訳で昨日は、落ち穂拾いと言いながらもそれなりに収穫もありました。
冒頭のショックとこの収穫で、まー痛み分けといった所でしょうか。
たまにはこういう小さな喜びも欲しいですよね(笑)。

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2007年11月23日 (金)

超兵器配備無計画

Photo 今日はいつものオタク部屋を離れ、こちらからお送りしましょう。
久しぶりにプラモ製作を始め、再起動した工作室。
狭いながらも楽しいプラモ部屋です。今日も先ほどまで作業でした。

Photo_2 製作中なのは先日お話した「ガンダムTR-1[ヘイズル改]」。
数十年ぶりのガンプラで少々勝手もちがいます。
目ぼしいパーツだけでもこんなにあるんだもん。

これだってほんの一部です。ランナーから切り出してゲート処理、下地色を塗るだけなのにもー大変。

Photo_3 でも最近のガンプラのパーツ精度は凄いですね。
ほとんどパテの出番がありません。

Photo_4 貧乏ながら必死の思いで入手したエアブラシシステム。
ピカピカの外観が、いかに宝の持ちぐされかを物語っています。
もっと使ってあげないとねー。
Photo_5 半年前に作ったゼンマイ怪獣ガレロンと記念写真。
ガレちゃんの応援に応え、今回もがんばります。
(とはいえ手の遅い私。完成時期はあくまで未定です(涙)。

2007年6月 1日 (金)

響く子宮はないけれど

「中華料理屋のメニューを読むだけで、相手を泣かせる俳優さんが居るんだよね。」
お昼過ぎに見ていた「ライオンのごきげんよう」。ゲストとのやりとりの中、司会の小堺一機さんがのたまわっていました。

「ラーメン。チャーハン。ギョーザ・・・」こんな言葉だけで人を感動させるとは。
まさに喋りのプロですねー。お話半分として聞いても、業界にはそんなカリスマ性を持った「魅惑の声」をお持ちの方がいらっしゃぃます。

精神的に女子の私は、やはり男性に耳元で囁かれるとメロメロになってしまうクチ。
いわゆる「子宮に響く」というヤツです。
そりゃー私には絶対ありえないですが、そこはそれバーチャルなお楽しみという事で(笑)。
今日は私が心惹かれる声の職人、声優さんについてのお話です。
正直なところ、私はアニメについてはさほど詳しくありません。知っている方もほんの数える程度。知識も浅く人選もかなり偏ってますが、その辺はどうぞお許しを(笑)。


中華料理と聞いて、あの人のあのセリフを思い出しました。
「そーだろーなー。耳元で『肉のないチンジャオロースなんてのは、チンジャオロースとは言わねえんじゃないのかなー』なんて言われたら、うひょーとなっちゃうよね。」
このセリフと言えばそう、TVアニメーション「カウボーイビバップ」(1998年~1999年)の主人公、スパイク・スピーゲル。


この主人公を演じた山寺宏一さん、通称ヤマちゃんは、ビバップ以外にも様々なアニメ作品で声を担当されていますよね。固い役から柔らかい役まで見事にこなすその芸の幅の広さはまさに「職人」ですね。
なにしろあのお顔からは想像もできない(褒め言葉ですよ)クールなセリフが飛び出す訳ですから、その素晴らしさは私の好みにピッタリで。


スパイクというキャラクターは98年当時、かなり斬新な存在だったようです。「ビバップ」という作品そのものがいわく付きの問題児(笑)だった事もあるでしょうが、渡辺信一郎監督以下スタッフ間に流れる空気もある意味「孤高のアーティスト」的なものがあったようで。
「いわゆるアニメ的な、はっきりした発音のセリフ回しは要求されなかった。実写作品のようなリアルな演技が要求された」と、後年山寺氏が語っている通り、スパイクの存在感は実写俳優のそれなのです。
軽さの裏に「大人の苦味」を感じさせる、あの飄々とした演技。
絶対に居ないけど、居たらかっこいいだろーなーと思わせるリアルな存在感が、「子宮をキューンとさせる」魅力に繋がっていたのでした。


そのスパイク生涯の『腐れ縁』、ビシャスも魅力的なキャラクターでしたね。
彼とスパイクとは、以前同じマフィア組織に所属しながら一人の女性を取り合った仲。
(そのジュリアという女性も凄く魅力的なんですが、今日は男性のお話なので)
やがて組織を抜けたスパイクとビシャスは因縁の仲となります。
スパイクが「陽」ならビシャスは「陰」。ストーリーはジュリアを巡って、この二人の対決でクライマックスを迎えるわけです。

ビシャスの声を演じたのは、私が好きな声優さんのトップ5に入る「飛び道具」、若本規夫さん。
この方もありとあらゆる作品の「締め役」として重宝されていますよね。
この方が出ないアニメ作品を探す方が難しいくらいで。なにしろ「サザエさん」まで出てますから。アナゴさんなんて渋い役どころで(笑)。


シリアス作品に於ける若本さんの演技は、「心にいつキレるかわからない狂気を飼う、静かなる野獣」といった雰囲気が魅力。業界内では「若本さんはキレてナンボ」なんて言われているそうなので(笑)、ご本人もそのキレぶりを楽しんでおられるようです。
前述のビシャスにしたって前半抑えて抑えて、「キレ待ち」をしている視聴者の方がキレそうになったところで豹変、というタイミングが実に絶妙で。
あの演技設計は、一本調子の演技が目立つ最近の声優さんにはちょっと真似できないかもしれません。


「カウボーイビバップ」の作風、スパイクのキャラクター設計(設定じゃなく)が、「ルパン三世」第一シリーズ(1971年~1972年)のそれに近いと言われているのは有名なお話です。確かにそのノワールな空気、軽妙洒脱なセリフ回し、スタイリッシュな映像などには一種通じる部分もあると思います。
でも個人的にはあの二作は完全に別物と。目指したものが違うのでは。
「ビバップ」があのレベルに達する事が出来たのは、「ルパン」をお手本にしたからではないと考えるからです。「越える」ではなく「別の物を作る」という発想が無ければオリジナルを越える事は絶対にできない。その事実は当の「ルパン三世」が証明していると思いますが。

さて。その「ルバン三世」。第一シリーズと以降のシリーズでルパンのキャラクターが著しく変わっているのは皆さんもご存知と思います。
あれだけの長寿シリーズですから皆さんの中にもそれぞれのルパン像がおありと思いますが、やはり私のお気に入りは第一シリーズ、それも第9話「殺し屋はブルースを歌う」までの通称「大隅ルパン」ですね。

故・山田康雄氏が演じたこの「殺し屋・ルパン」は、以降のルパンには無い「暗黒街の住人」とでも表現すべきキャラクター性がありました。
おそらく山田氏ご本人もその事は意識されていたと思います。


ストーリーの端々に見え隠れする「ルパン・シンジケート」の存在、「殺し屋としてのルパンの知名度」など、後のシリーズが意図的に廃したであろう設定が、あのキャラクターに深みを与えていたんじゃないかと。
謎の女盗賊・峰不二子はおろか、おそらく相棒・次元大介にも本音を覗かせなかったであろう、非情にして残酷な真の顔。
ルパンはその顔をあの軽さで覆い隠しながら、退屈な日常をあざ笑うかのように盗みを繰り返していたのです。
「この手の中に抱かれたものは、全て消えゆく」事も知っていながら。
きっと私が大隅ルパンに強く惹かれる理由は、その演出もさることながら演技の上で「真の顔」を表現した山田氏に負う所も大きいのでしょう。


山田康雄氏は生前、ルパンの演技設計について「何も考えてない」という意味の発言をされていましたが、あのフェイクに満ちたルパンの世界を表現するにピッタリのいいセリフだと思います。その発言の中に、ルパンが秘めた重く暗いものを全て内包しているような気がするからです。実際10話以降では、演技の中にもルパンのそんな内面は見えなくなりました。
「何も考えてない」と言いながら、山田氏はあの飄々とした演技の中で、演出側の要求に確実に応えていたのです。

私としてはいつもの軽いルパンじゃなく、剃刀のような鋭い解析を突きつけるルパンに問い詰められてみたいですね。
「ヤツを殺したのはみゆき君、君じゃないのかな?」なんて。
「負けたわ。ルパン」なんて言ってみたいんですよ。私(笑)。


「ビバップ」「ルパン」とお話してきて、キャラクターの一つの法則に気づいた私。
「あー私って、やっぱり謎の多い、影のある男性が好きなんだ。その声も。」
確かに「トマフォゥク・ブゥゥメランッ!」の神谷明さんも、「光子力ビイイィーーーム!」の石丸博也さんも大好きなんですが、どうも私はあの一点の曇りもない「超正義感」が眩しいタイプで(笑)。と言ってよく居る「シャア派」でもないんですが。

さて!そんな明るいキャラ爆発のロボットアニメにあって、私が唯一心惹かれるキャラこそ(お待たせしました!)「そう、先頭を走るのはいつもアイツ!」

キリコ・キュービィー。ご存知、「装甲騎兵ポトムズ」(1983年~1984年)の主人公にして「神を殺した男」です。
キリコ・キュービィーを演じた郷田ほづみさんがお笑いグループ「怪物ランド」の一員であったことはよく知られていますね。
キリコに抜擢された経緯について彼はこう語っています。
「ボトムズ以前の声優経験は「みつばちマーヤ」だけで、かっこいいロボットアニメの主人公にいつも憧れていた。その時ボトムズのお話が来たんです。で、キリコのデザイン画を見るとすごくかっこいい。」
いくらロボットアニメといえまさか自分の演じる役が「寡黙な兵士」とは、郷田氏も思わなかったでしょうね(笑)。


キリコの魅力についてはどんなにお話しても足りないくらいです。百年も続く星間戦争の一兵士として最前線に送り込まれ、終戦を迎えてしまった「戦う事しか知らない兵士。」
心に傷を抱え、なおも続く戦いの中運命に導かれるように銀河そのものの命運を分ける存在へと突き進んでいく「孤高の存在」。
その神にも等しい生存確率の前には、どんな超人も抗えない。
しかしキリコ本人の心を掴んだのは、生体兵器として開発された一人の女性のみだったという・・・
ある種「ブレードランナー」にも通じる悲しい男女のラブストーリーが、ボトムズという物語の根幹を成しているのです。

「寡黙」。キリコの印象を一言で表現すればそうなります。
ほとんど喋らない。そんなキャラの「声」に惚れるというのもおかしなお話ですが、これは作品をご存知の方ならどなたも頷かれるのではないでしょうか。
ですが、その寡黙ぶりが「語る」んですよ。キリコの内面を。

前述の通り、キリコを演じた郷田氏はそれまで声優経験がほとんどありませんでした。その上ボトムズのアフレコ現場では「疲れた喋り」という考えられない指示があったそうです。ちょっとでも元気に喋ると「疲れ方が足りない」とダメ出しが出たとか。
寡黙。疲れている。こんな要求の中で紡ぎあげられたキリコ像は、「一言が重い」という意外な効果を生みました。
疲れた兵士が搾り出すように放つ一言だから、それはそれは心に残るんです。


で、またそのセリフ一言一言がかっこいい。
正直、失礼ながら郷田さんは今日ご紹介したどの声優さんよりも声優経験が少ないんですが、それがかえって「演技力に裏打ちされないリアルな心の叫び」として迫ってくるのです。「生の迫力」と言うか。
それが、派手な見せ場もほとんど無い地味な「ボトムズ」という作品にピッタリだったんです。もしキリコ役がもっとベテランの声優さんによるものだったら、「ボトムズ」はあそこまでカルトな人気を獲得できたかどうか。


またいつもの妄想ですが、私だったらキリコには「お前は足手まといだ。基地で待て。本隊を待って合流しろ」なんて、冷たく突き放されてみたいですね。
「きっと帰ってきてくれるわよね。」なんて私がすがっても、眉一つ動かさずにドアの向こうに消えるその姿に、身震いするようなかっこ良さを感じます。
いつもなから何言ってるんでしょうか(笑)。


今日もまたおバカなお話ばかりしてしまいました。
今日はアニメの声優さんばっかりでしたが、映画や海外ドラマでも魅力的な声を吹き替えられる方は多くいらっしゃいますよね。いずれそんなお話もしてみたいと思います。
じゃーまあ、今日は声優さんのお話なので、締めくくりもそんな感じで。


「次回もオタクイーンにつきあってもらう。」
(銀河万丈さんの声でお読み下さい。)

2007年5月15日 (火)

秘密結社シネマK

1982年7月。私の手には一枚の封筒が握られていました。
それを手にした私の口元には恍惚の笑み。
「また、あの至高の一時が。」


「ネヴュラ」をご覧の皆さん。中でも私と同じく特撮作品に見入られた方たちは、今のように映像ソフトを気軽に入手できなかった頃のご記憶をお持ちの事と思います。
地上波の再放送や、勇志が開く上映会を追いかけたあの頃。
今日は、そんな頃私を魅了した、ある志高い人々のお話です。
まだお手持ちであろう、昔エアチェックした番組をBGVにお付き合い下さい(笑)。

お話は少し前に遡ります。
1982年当時。まだDVDはおろかレーザーディスクなども一般化されていなかった時代。
この頃、私達オタクにとって究極のマシンと言えば、その2年ほど前に一般家庭に普及し出したVHSビデオでした。「部屋でいつでも、好きな番組を見られる!」そんな夢のような状況に心惹かれた私は必死で貯金に勤しみました。当時発売直後のビクター・セパレートタイプのデッキを買い求め、初めて映画「大脱走」をエアチェックした時の驚きと喜びは今も忘れません。

しかしながら当時、私達が見たかった過去のウルトラシリーズやゴジラシリーズは地上波では放送されていませんでした。1979年あたりの第三次ウルトラブームもそれら旧作品のリピートという所までは加熱せず、放送局各社がその偉業に注目するまではあと3年を必要としたのです。巷に出回るビデオソフトも非常に高価で私達にはとても手が出ませんでした。初作「ゴジラ」のビデオソフトが一本5万円、という事実が、当時の状況を切実に物語っています。
(5万円って!今ならビデオデッキが5台買える値段ですよ(笑)。
それから2年あまり。82年に至っても、まだウルトラなど円谷作品はソフト化されていませんでした。私達はビデオデッキという超兵器を持ちながらも日々の乾きにあえいでいたのでした。
「見たい!ウルトラQが、マンが!セブンが!」
(本当にこんな調子だったんですよ。)


そんな私達にも心強い味方がありました。
地元情報誌「プレイガイドジャーナル」。
82年当時、私の地方はまだ「ぴあ」が創刊されておらず、街のイベント情報はすべてこの「プレイガイドジャーナル」で入手していたのです。
新聞の文字より小さな字がビッシリと埋まったイベントページを、私達は目を皿のようにして追っていました。
目指すは「怪獣映画上映会」。

当時本当に過去の作品を追いたければ、この手段を取るしかなかったのです。なんかこんな事をブログで書くと、あまりの時代の移り変わりに目まいを覚えちゃいますが(笑)。

Photo_807 そんなオタクなある日、同好の友人が血相を変えて連絡してきました。
「これ、行ってみない?」
彼が指し示したページにはこう書かれていました。
「今また甦るテレビヒーローの世界」それは古の名作ドラマの上映会でした。

スーパージェッター。ウルトラQ。月光仮面。快傑ハリマオ・・・
主催者の欄には誇らしげにこう書かれていました。
「映画サークル シネマK」。


シネマK。当時、おそらく全国各地で同時多発的に起こった特撮ファン活動の、それは一つの形であったのでしょう。
私達にとってまさに、伊藤和典氏語るところの「喉がカラカラになった時に出された、キンと冷えた飲み物」に近い感触でした。


おそらく読者の皆さんの中にも、こういう上映会に参加された方は多いのではないでしょうか。
「シネマK」はあくまで一般ファンの活動でしたから、上映場所も街の会館の視聴覚室など質素なところでしたが、それでも私達は嬉々として上映会に通いました。
「あのウルトラQが、マンが、快傑ハリマオが見られる!」

それは今の目で見れば粗末な会でした。
集まったのは30人程度でしたが、しかし決して広くはない部屋に同好の士が集まり、固唾を呑んで過去の名作を凝視する濃密な時間は、私達を一種のアンバランスゾーンへ誘うに充分な魅力を放っていたのです。
「同好の士が集まる。」これは今、氾濫するDVDソフトを部屋で個人鑑賞するのとは全く異質の、「秘密の時間の共有」的な感覚を与えてくれたのでした。


Photo_808 シネマKの上映会は続きました。最初の上映会で会員登録を済ませた私の元に次回の通知が届く度、私は冒頭のように口元を緩め、あの至高の時間に思いを馳せるのでした。
実際「シネマK」の作品チョイスは実に的を得たものでした。あまたある昔の特撮作品やアニメなどから、今も語り継がれるベストエピソードが選りすぐられていたのです。

私が生まれる前の作品、月光仮面や快傑ハリマオ、隠密剣士や豹の眼の面白さなども、このシネマKで知った事でした。
前述の二作品はともかく「隠密」や「豹」などはDVDソフトも限定発売されたきり、今も万人の目に触れにくい作品であるだけに、もしシネマKがこれらをチョイスしていなかったら、私は霧の遁兵衛やスマトラ・ベンの勇姿に一生出会えなかったかもしれないのです(皆さんついてきてますよね(笑)。


Photo_809 「ファンコレ」などのデータだけで、当時その全貌が掴みにくかった「ウルトラQ」「怪奇大作戦」一挙上映も、私達にとって魅力的なイベントでした。両シリーズのベストエピソードを五日間通しで上映したもので、曰くつきの問題作「狂鬼人間」もこの上映会が初鑑賞。
本放送時怖くて飛ばし飛ばしに見た「怪奇」でしたが、まさかこんな所で「狂鬼」に出くわすとは!


シネマKの上映会は82年にほぼ集中しています。
この後それら過去の名作が商材の鉱脈という事に気づいたメーカー側が、本格的に作品をビデオソフト化し始める直前、私達ファンの乾きを実に癒してくれました。

おそらく私が、同年齢の仲間たちに比べ「鑑賞経験の時期」のみほんの少しリード出来たとすれば、それはこの時期の浴びるような旧作体験が大きいと思います。
今考えてもあの時期、あれだけの作品ラインナップを誇った上映会は皆無だったのではないでしょうか。
何しろ、本放送以来ほとんど再放送の機会に恵まれなかった「マイティジャック」(「戦え!」じゃない方ですよ)を、事もあろうに16ミリ鑑賞する事さえ出来たんですから。
その日の記憶を紐解いてみましょう。


その日はMJの他、ウルトラQ第5話「ペギラが来た!」第20話「海底原人ラゴン」がラインナップされていました。100インチを超える大画面で展開するそれらエピソードは、モノクロ画面の雰囲気、35ミリフィルムマスターゆえのキメ細かさが堪能でき、いずれ劣らぬ名作との思いを強くしたものです。
「Q」の興奮冷めやらぬまま、いよいよメインイベント、MJの上映となりました。ところがそこでちょっとした番狂わせがあったのです。

Photo_810 ご覧の通り、案内パンフ右上欄には第3話「燃えるバラ」が予定されていたのですが、何故か当日は上映作品が第10話「爆破指令」に変更されていたのです。
主催者の説明はこのようなものでした。(記憶なので詳細はご勘弁を)

「当初は「燃えるバラ」を予定していたが、ご覧の通り今日は大スクリーン上映なので、より大画面に映えるエピソード「爆破指令」に変更した。」
なんというこだわり。実際、テレビ番組として製作されたにも関わらず、MJ号の勇姿は大画面にも決して負けない、素晴らしいものでした。
後年発売されたビデオソフトで「バラ」と「爆破」を見比べた時も、当日の主催者の判断が間違っていなかった事に驚嘆したものです。
シネマK恐るべし。
そんな英断も、作品への愛あればこそでしょう。


私達を楽しませてくれたシネマKでしたが、何故かその後の活動は霧に包まれています。
82年の上映会ラッシュの後、サークル名を「Fantastic Televisions」と改名、何通かの案内が手元には残っていますが、代表者の住所も東京へ移転、今はこの住所にいらっしゃるかさえ判然としません。

おそらくその頃からのメーカー側の作品ソフトリリースにより、作品鑑賞スタイルが「上映会」から「家庭鑑賞」に移行しつつあったのでしょう。
ただ、たとえソフトがDVDに変わり、高画質、高音質が楽しめる現在でも、私の中では82年、乾きを癒してくれた一瞬の光芒、「シネマK」を忘れる事は出来ないのです。


膨大な作品ラインナップ。それを実現する全国ネットワーク。業界とのパイプ。そして作品選定の確かなセンス。今にして思えば、彼らはきっと業界関係者だったのでしょう。
今だ謎の多い「シネマK」。
その代表者の名が記された封筒には不思議な感触が漂います。82年、特撮界の裏で密かに暗躍した秘密結社の香りを感じずにはいられないのです。

どなたかこの謎のサークルについてご存知の方、是非ご一報下さい。
(なんて余韻が好きだったりします(笑)。

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2006年10月 8日 (日)

それもやっぱりオタク道で

「どうも手足をすげ替えたみたいで」
レジの前から聞こえてきた、穏やかじゃない一言。


久しぶりに覗いたオタクショップで耳にしたその会話は、この世界を良く知る「おもちゃコレクター」の方々によって交わされていました。
一人はお客さん。もう一人は店主さん。


そのお店はおもちゃマニアの店主さんが一人で切り盛りする個人商店。扱っているのは基本的に中古のおもちゃで、お客さんから買い取ったおもちゃにプレミアを付けて店頭に、というパターンです。
まあ、私は地方都市に住んでいますから、プレミア価格といっても大した事はありません。私がこのお店を愛用するのも、「定価より安いおもちゃ」を手に入れられるチャンスを狙っての事なのです。

個人商店の事、お店の中は狭いですから、自然とその会話は耳に入ってきます。
怪獣のソフビを物色しながら聞くともなしに聞いていると、どうやらそのお客さんは東京の方のようで、かなり怪獣ソフビに入れ込んでいるご様子でした。

「欲しいウルトラマンのソフビが安く売ってたんですけど、どうも手足だけ別のソフビから持ってきてすげ替えたみたいなんですよね。色が違ってましたから。」
笑い話に花を咲かせる二人は、そうした「高額ソフビのカラクリ」の話に興じていました。

お宝ブームも一段落し、驚異的なプレミア価格も影を潜めたようですが、こと怪獣ソフビに関しては、まだまだビックリするような金額で取引されているアイテムも数知れずあります。
基本的に怪獣ソフビは昔発売され、子供が買った物を後年業者に売った中古品がほとんどですから、「遊んだあと」や「汚れ」、「名前が書いてある」のは当然あるわけで。
そこで高額で商品を売りたいマニア業者は、ソフビの使える場所だけをすげ替えて数体を一体にして売る「ニコイチ」「サンコイチ」なんていうインチキを行う事もあるのです。

そんなカラクリを見抜き、昔のソフビを集めているというお客さんは、自分のコレクションで足りないアイテムを話し出しました。
彼が集めているのは「ウルトラマン」本放送当時、1966年から67年頃に発売されたものがほとんどで、50体以上発売されたそれらのラインナップの内、足りないのは残り2体との事。凄い執念です。

多少はそんな世界を趣味にしている私。うすうす予想はしていましたが、次に聞いた彼の話はやっぱり私を驚かせました。
どうも彼は、先月だけで38体ものアイテムを手に入れたそうなのです。おかげでローン地獄に陥っているとの事。しかし彼にもいろいろな「技」があるとの事で。

どうやら彼は東京在住で、仕事でこちらに来たときにこのお店に寄り、大量に買い付けをするようなのです。こういう買い方は他のコレクターに聞いたことがあります。

「シモキタ価格」というものがあります。
数年前まで、中古の怪獣のソフビは東京の下北沢が日本で一番高値だったそうで、この価格に準じて東京の中古ソフビ市場が動いていたのだそうです。
自然と価格は東京が高く、同じ中古ソフビでも地方へ行くほど価格は安価に。
彼も地方で「掘り出し物」を見つけ、東京より安く手に入れるというのが賢い方法なんだそうで。

ですからこのお店は東京のコレクターにも名が売れた「優良店」。なるほどねー。いろんな技があるわけですねー。それにしたって彼、明日またおもちゃ関係のイベントに顔を出すようで、同じコレクターに自分の不要なコレクションを売ってなんとか資金を調達しているそうなんです。まさに自転車操業。いや「血を吐きながら続けるマラソン」か。

聞こえてしまうので仕方がないんですが、交わされる金額のケタが違うのがビックリで。「8」とか「9」とか言ってるから当然ケタは「万円」だと思ったら「10万円」だったと(驚)。
そりゃ、60万円のギララのソフビをローンで買った知り合いも居ますからカルチャーショックはなかったものの、それを月に何体か手に入れるというのはちょっと違う世界。いやー世の中広い。彼はそれほどの大金をどうやって作っているんでしょうか。羨ましい。

でそのお客さん、「50万円で買ったものが80万円で売れれは大儲けですからねー。奴はうまくやったなー」なんて知り合いの話で盛り上がってる訳ですよ。さらにビックリ。
お宝ブームと共にもはや絶滅したと思われた「おもちゃ転がし」の世界がまだあったとは。

「定価より高い物は買わない」主義の私としては、おもちゃを投機の道具に使うのはあまり好みではありませんが、一度うまみを味わっちゃうとそういう発想にもなっちゃうんだろーなー、なんて思ったりして。

バブルな空気を撒き散らしながら彼は最後に「東京より安い」ウルトラマンのソフビを一体お買い上げ。また明日イベントでたくさん買い込むんだろうなー。その資金繰りの話もしていました。
でも中古ソフビ一つでも、それくらいの価格になっちゃうと取引も真剣になっちゃうんでしょうね。その世界でもアイテムの程度(汚れなどのコンディション)を偽って値を吊り上げようとする「悪徳コレクター」がいるそうで、彼もボヤいてました。「XXさんは信用できないから」なんて。

趣味は個人の自由ですから本人がよければいいんですが、私にとってはなんとも驚きの世界で。同じおもちゃ好きでもこれだけの差があるんですねえ。
お店の片隅で見つけた、定価の半額の「ゴモラ」のソフビ、レジに出しにくくなっちゃったりして(笑)。

店を出る彼と入れ替わりに、二人のお客さんが飛び込んできました。
「モロボシダンに会ってきたぞー!」彼らは今日、何かのイベントでダン役の森次さんに会ったのでしょう。その興奮が伝わってきます。
で、笑っちゃったのは彼らのいでたち。二人の内一人はなんと、「快傑ズバット」の主人公、早川健そっくりの(わかる人には分かるでしょう)扮装だったのです。
なんかもう・・・すばらしい!この世界は。

皆さん、それぞれの「オタク道」を突き進んでいるんだなー。
都会の片隅の、狭いお店で繰り広げられる「濃い方々」の共演に、ちょっと得した夕方でした。

Photo_238 Photo_239 写真は以前このお店で買った「ゴモラ」のソフビ。
これは昔発売されていたものの復刻なので、価格もぐっとお安く3,000円。
隣のCDはサイズ比較用。ずいぶん大きいでしょ?これで3,000円ってなぜ?と店主さんに聞いたら、「付属の東京タワーがないんですよ」との返事。
いいです!そんなの全然構いません!

大喜びで手に入れたゴモラでしたが、性懲りもなく違うゴモラに手が伸びる私も、お店で会った彼らと同じ「オタク道」を歩いているんだなー、と感慨がひとしお。

嬉しいような悲しいような、ちょっと複雑な気分です(笑)。

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