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2012年1月26日 (木)

ALWAYS三丁目の夕日’64感想・前篇

さて。今週月曜日に鑑賞した『ALWAYS 三丁目の夕日’64』。
号泣の末に帰宅後、今日までつらつら感想を考えていましたが
どうにもまとまりきらなかったのは
今作も含む、映画『ALWAYS』シリーズ三作の持ついくつもの顔に
私自身が翻弄されていたからでした。


このシリーズに対する私のスタンスを
ちょっと挙げただけでも

単純にストーリーや出演者の演技に一喜一憂する、一般鑑賞者としての私

時代背景を再現した劇中のセットや小道具のディテールクオリティーを
”動くタイムスリップグリコ”として注目する、プロップファン目線の私

それらディテールや出演者が醸し出す時代の空気に、無上の懐かしさを覚え
古い写真を眺めるように鑑賞する、その時代を生きた者としての私

子役ら出演者の成長を楽しみに、数年ごとに覗きに来る親戚筋にも似た目線で
作中人物と知り合いのような錯綜感を楽しむ私

脚本や演出、カメラワークや3D技法など
制作スタッフの仕事の部分に注目する、同業者目線の私

少なくともこの五つの視点が複雑に絡み合い
観る角度によって、視点各々の配分がプラスマイナスされて
感動が倍増される事もあれば、相殺される事もあると。


通常の映像作品であれば

例えばの部分は、それが架空のプロップであれば
そのデザインテイストを味わうなど、作り物としての楽しみ方が出来るのですが
この作品は
「今や博物館でしかお目にかかれない過去の生活用品が、現役だった時代」
という、極めて特殊な舞台設定ゆえ
その時代を体験している者にとっては
セットやプロップへの思い入れが過剰になってしまう。


車が町を走るなんて、普通の映画なら当たり前のシーンでも
背景が昭和の街並、車がミゼットとなれば話は別で
おおースゴイよく出来てるなんて、過剰感動してしまうわけですね。
あの懐かしい風景を再現する為に、最新のVFXが使われているという事に
何とも言えない驚きを覚えてしまうわけです。


の部分についても
現代や架空の世界が舞台の作品なら考える必要がない為
感想も比較的書きやすいのですが
このシリーズは”過去の庶民生活の再現”へのこだわりが一つの売りなので
時代描写のディテール一つ一つ、特に劇中で意識的に強調されている
「扇風機あ゛~」「お風呂後腰に手当て牛乳」「塩おむすび」「シェーのまね」などなど
”庶民誰もが行った、あの頃あるある”が、私の中で通常以上に反応してしまい
あまりの懐かしさや劇中キャラクターとの親近感に、ある意味幻惑されて
作品を冷静に見ようとする目が曇ってしまう。

正常な解析ができないわけです。

手垢の付いた言い方ながら
郷愁感情が、理性に勝ってしまうわけですね。
幼い頃の思い出が作品を美化しすぎちゃって、正確なジャッジが下せない。
決して否定的な意味ではなく、それも作品の大きな魅力ですから
歓迎すべき点なんですがhappy01

ですからある意味、この作品を冷静に解析できる人々は
1950~60年代という高度成長期をリアルタイムに過ごしていない
若い世代なのかもしれません。
逆に、その時代を生きたリアルタイム派にすれば
冷静に観られない代わりに、作品を通じて自らの過去を追体験できるという
無上の喜びを得られるわけです。

頭で観るか心で観るか。それによってこのシリーズの感想は
大きく変わってくるのでしょう。




いささか前置きが長くなりました。
これから順不同ながら、前述の各視点で
作品への下らない感想などお話しようと思いますが
当然ながら私はリアルタイム派なので、’64年という時代への思い入れに
かなり傾くきらいがあることを、事前にお伝えしておきます。
またそうした特殊な作品形態ゆえ、ディテール絡みの感想に触れざるを得ず
結果的にネタバレを避けられない部分がありますので
未見の方は、鑑賞後にお読み頂くことをおすすめします。



まず①ストーリー・出演者の演技についてですが。

コレはもう、すでにご覧になった方々の感想とほとんど変わりません。
ストーリーはどこから切ってもベタベタの『三丁目の夕日』であり
鈴木オートも茶川さんも淳之介もロクちゃんも
全て私たちの知る彼らのまま、スクリーンでにこやかに迎えてくれます。

ただ、これもおそらく他ブロガー諸氏の感想記事で散見されるでしょうが
一作目の「出会い」二作目の「日常」に続く今作のテーマは「旅立ち」であり
劇中、おなじみの登場人物二組が紡ぐストーリーの主要エピソードには

「人間は成長と共に、いつまでも三丁目という夢の町で
美しい夕日を見てはいられない。
未来を信じ旅立つ者とそれを見送る者、それぞれに別れと希望の涙がある」

というメッセージが、強く打ち出されています。
テイスト・テーマ性で言えば
一、二作目は「毒を抜いた駅前シリーズ+分かりやすい川島雄三」
今作は「静止絵画的演出を排除した小津安二郎」といった所でしょうか。

前作『続・三丁目』ラストシーンと今作ラストシーンの意図的な対比を観ても
そのテーマ性が浮き彫りになるのは明らかです。

そのテーマに沿って、今作の出演者の演技は
一、二作目には見られなかった微妙な陰影を醸し出しますが
とはいえそこはやはり『ALWAYS』。
リアルとファンタジーの微妙な中間テイストを維持する
演技設計はさすがのもので
観る者に不安感や不快感を与えません。


そのあたりに④の”親戚筋目線”を満足させるものがあるのでしょうが
作品の時系列と出演者の実年齢がほぼシンクロしている上
特に子役に顕著な、その成長度を見るだけでも楽しいので
「まあー鈴木さん宅の一平ちゃん、ちょっと見ない間に色気づいちゃって」
「もうロクちゃんもお嫁に行く歳かあ。キレイになるはずだわ」

なんて、その成長を微笑ましく感じられる効果も絶大な訳です。
そうした効果が、観客を客席に置き去りにせず作品世界に誘ってくれる
強力な牽引力に繋がっているような気もします。



②プロップファン目線や
③古い写真目線に関しては、もう言わずもがな。

東京タワーを象徴として、徐々に近代化してゆく街並のディテールが
私の幼少期の記憶を、鮮やかに蘇らせてくれます。

鑑賞当日も、観客の年齢層は私と同世代かもしくはやや高く
森山未來氏演じる菊池医師のマイカー、トヨタパブリカに
客席のあちこちからは「あれパブリカだよ。懐かしいなあ」なんてつぶやきが
漏れ聞こえていました。
年長者がこんな感想を口に出来るのも、この作品ならではでしょう。

そうした時代のディテール、過去の追体験感を楽しみに劇場へ訪れる
観客層を確保した事が
このシリーズが国民的映画の名を冠される、最大の理由に違いありません。


もちろん私もその一人。
なにしろパブリカは、当時の父の会社の社用車であったと共に
わが家のマイカーでもありました。

休日には一家四人でパブリカに乗り、色々な所へドライブに出かけたものです。
前述のシェーにしても、当時の子どもはカメラを向けられれば
必ずと言っていいほど、このポーズをとりました。
どこのお宅にも、ご自分の”シェー写真”が一、二枚はおありではないでしょうか。
もちろん私も持っています。
あのポーズの要諦は、手足の角度以上に「目のロンパリ具合」なんですよねhappy01

今作の劇中、件の車名をパブリカと呼ぶ場面も
シェーを「おそ松くん」のネタと説明する場面もありませんが
観客全員の共通認識ゆえ、そうした部分はわざわざ説明する必要が無く
そんな記憶を鷲掴みにされるアイコンが、全篇にちりばめられている訳です。


他にも、大は東京オリンピック
小はカラーテレビに映るひょっこりひょうたん島まで
様々な時代背景が描かれますが
続々と画面に登場する、それら時代のアイコンを見るだけでも
リアルタイム派には、たまらない郷愁があります。
どこにもないのに、誰もの思い出を刺激する町。
そんな夕日町三丁目に、観客は心の故郷を見るのでしょう。




さて。いつもの癖でお話が長くなりました。
本当ならこの後は⑤の映像制作者・同業者目線の感想なんですが
この部分が一番長い上
鑑賞当日記事でちょっと触れた「二つほど気づいた部分」。
もっとも感じた事なのです。
今回の感想は、そこへたどり着くまでに必要な前段だったというわけで。

ですからたぶん皆さんも、今回の感想にツッこみが足りないと思ったでしょcoldsweats01

とはいえこれ以上、下らない感想をだらだら続けるのも
読まれる方には辛いでしょうから
この⑤のお話はまた、次回に持ち越す事にしましょう。

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