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2011年5月30日 (月)

手は口ほどにモノを言い

台風2号が接近し、傘も役に立たない暴風雨typhoonの中、昨日参加したイベント
『昭和を彩るお二人の先駆者~ヒーローの共演』。

本来なら、皆さんにご意見をお願いした時のお約束通り
当日の模様をいち早くお伝えする必要があるのですがcoldsweats01
さすが昭和を代表する二大ヒーロー・鉄腕アトムとウルトラマン。
作品にまつわるお話の興味深さは群を抜いており
お二人や参加者とのやりとりも非常に充実していて
失礼ながら、予想が良い方に裏切られてしまいましてhappy02

その為、内容があまりにも盛りだくさんで、短くまとめる自信がありませんcoldsweats01
ですからその内容は、じっくり腰を据えて
これからおいおい、お話していくことにしたいと思います。
ボキャブラリーの乏しいおバカゆえ、どうぞお許し下さいhappy01

長文記事にするか、数回の記事に分けるかなど
今、脳内で構成を練っておりますがcatface
考えがまとまるまで記事がお留守になるのもアレですのでcoldsweats01
まず先に、もう一つのお約束
昨日古谷さんにお渡しした意見書のラストに付け加えた
「ウルトラマンからの宿題」への拙意見を、ご覧頂きたいと思いますhappy01

これは前回、4月17日の古谷氏の講演会後
会場で出された古谷氏からのご質問に対し
私なりに結論づけた「ウルトラマン独自の魅力」です。
ですからこの考えは、お仲間にご意見を呼びかける前に
私の中ではまとまっていました。
あい変らずの浅知恵に加え、いつもの無駄な長文ですがweep
田舎のユルいおバカファンは、ウルトラマンをこう感じたと
受け取って頂ければ幸いですhappy01

なお、皆さんから頂いたご意見との公正を規す為
この文は昨日、古谷さんにお渡しした
ほぼそのままの形で再録してあります。

そのため文中、やや意味不明な表記もあるかもしれませんが
意見集のまとめ的スタンスの表記として、ご了承下さいませ。
睡魔との戦いの末、最後まで読破下さった奇特な方には
またご感想など頂ければ幸いですhappy01

<以下本文>



もう「モノサシ」なのです。
ウルトラマンという作品を本放送で体験してしまった私にとって
その後のヒーロー番組は
「ウルトラマンと較べてここが違う、あそこが違う」と見えてしまう。
他の作品を論じる上で、動かしようのない基準と化してしまっています。
それほどまでに全ての要素がバランスよく、過不足無く機能していて
どこかが少なければ物足りなく、足せば余計という印象をぬぐいきれない。
言ってみれば、ヒーロー番組の一つの黄金率となっているわけです。

ですから私にとって「なぜウルトラマンが好きなのか?」と聞かれることは
いわば、単位の定義を聞かれるようなもの。
「1ミリはなぜ、あの長さなのか?」
というたぐいの質問に、近いような気がします。
何かを語れるのは、それを較べる基準があるからで
基準そのものの定義は、答えられない。
「ウルトラマン」という作品はそれほど、私の中に大きく根付いています。
「好き嫌い」というより、「だってウルトラマンなんですから」
としか、言いようがないわけです(笑)。

本放送世代で「ウルトラマンのどこが好きですか?」と尋ねられた多くの方が
とっさに答えられない、難しい質問と感じるのは
おそらくこの「自分の理想とするヒーロー像、作品像に最も近いから」
という、極めて根源的な感覚を、ウルトラマンに抱くからではないでしょうか。
ですから、どんなに魅力を語っても語り尽くせない。
両手ですくった水が指の間から零れ落ちるように、どこか言い足りない部分を
残してしまうのです。

とはいえ、これではご質問への答えにはほど遠いですから(笑)
4月のイベント以降、この作品が自分の基準となった理由は何だろうと
改めて「ウルトラマン」全39話を再見しました。
それは非常に楽しい時間であり、また全話を通して見たことで
本放送時、再放送時とはまた異なる、少し離れた見方が出来ました。
それはそのまま自分が「ヒーロー作品に求めるもの」を再確認する作業でも
あったような気がします。

さて。この意見集で他の方も書かれていたように
「ウルトラマン」には、この作品にしかない明るさや未来への希望などが
溢れています。
それは人類や科学文明へのストレートな信頼に裏打ちされた
寓話的な理想世界と考えることもできますが
それはまぎれもなく、輝く瞳で未来を見つめた放送当時の子ども達の目であり
そんな明るい未来を子ども達に託した、制作陣の眼差しにも他なリません。
現在の目から見ればファンタジックに過ぎるような世界観も、意図的なものであり
「ヒーローの形をした光」という、初作のウルトラマンのみが持ちえた印象を
かろうじて保つことのできた、希有な例と思います。

この印象はなぜ、古谷氏が演じられたウルトラマンのみに
持つことが出来たのでしょうか。
後続のウルトラシリーズにはさほど明るくない私ですが
ウルトラマンとの比較の意味で、セブン以降の後続作品を何本か再見した所
一つ、古谷ウルトラマンのみにしか無い特徴を発見できました。

それは一言で言えば
「敵に拳を向けないヒーロー」とでも言うべきものです。
ウルトラマンの基本設定は「光の国の警官」ですから、怪獣や侵略者に対する
立場も「殺戮」「殲滅」ではなく「和解」であると。
怪獣なら軽く諭して、おとなしく居場所に戻ってもらい
知的宇宙人には同じ宇宙生物同士、暴力ではなく説得で和解を目指す。
ウルトラマンのアクションは一見
「肉弾戦」「怪獣プロレス」的印象を与えますが、よくよく見れば
相手との対立構造、そしてその演出意図を理解した古谷氏のスーツアクトは
実にきめ細やかに、初期設定たる「宇宙の秩序」たるウルトラマンの姿を
体現しているのです。

その印象を与えるのは、古谷氏ご本人もお話されていた
「ウルトラマンは握りこぶしでファイティングポーズをとらない」という姿勢。
確かに、画面中心で両手を握ったファイティングポーズが完全に確認できるのは
全39話中、第4話に於けるラゴン戦のただ一度だけで、他の話数はあの独特な
「腰溜めで両手を開き、敵の出方を待つ」ポーズでほぼ統一されています。
しかもウルトラマンの格闘スタイルは、相手の体躯を堂々と受けて立つ
がっぷり四つ組みと、言わばみね打ち的なチョップが非常に多く
敵に大きな打撃を与えるパンチを、ほとんど放たない。
第9話のガボラ、第27話のゴモラなど、逃亡により都市に甚大な被害を与える
可能性が考えられる相手にだけ、その鉄拳をふるうのみです。

第11話のギャンゴ、第34話のスカイドンなどにもパンチは打ちこんでいますが
これはいわゆる演出の遊びや遊戯的アクションであり
シリアスな格闘という意図とは外れているので、同一には語れない気がします。
(ザラブ星人やダダなど、ウルトラマンの手元が相手の背中に隠れて
正式にパンチと確認できない例は除きます)

かようにウルトラマンには、「光の国の警官」たる基本設定が
アクション面においても徹底しているわけです。
後続作品として確認した「ウルトラセブン」と「帰ってきたウルトラマン」の
ファイティングポーズについては、別のお話なので特に語りませんが
もしご存知であれば、私の感じた印象がお分かり頂けると思います。

「最初から、相手に威嚇の意図を与える拳を向けず
なるべく先制攻撃を控えて敵の出方を待ち、堂々と四つに組んで
しかもチョップ技で、相手へのダメージを最小限にとどめる」

子どもの頃には見えていなかった、古谷ウルトラマンだけが持つこのスタイル。
後年、ファンの間で話題になった
「ウルトラマンはなぜ、変身直後にスペシウム光線を放たないのか?」
という疑問も、この格闘スタイルを理解すれば、こんな風に解釈できます。

「宇宙の秩序たるウルトラマンは、決して殺生は望んでいない。
変身時間のリミットまで和解を努力して、それでも相手が改心しない場合のみ
仕方なく鎮魂の思いと共に、銀光の鉄槌を下すのだ」と。

こうして見ると、さながら古谷氏が演じたウルトラマン像は
東宝映画「椿三十郎」(1962年 黒澤明監督)における
入江たか子さんのセリフにあったような
「本当に良い刀は、鞘に入っているもの」を地で行くような存在ですね。
無闇に抜き身を見せず、必要な時にしか刀を抜かないのが誠の強さという。

スペシウム光線発射タイムの問題に関しては
後年、制作スタッフにより色々な裏話が語られていますが
物心ついた後、改めてウルトラマンを見た私には、そんな風に映りました。
39話も制作された中で、格闘コンセプトがここまで守られた例は非常に珍しく
こうした基本設定を、物語の隅々にまで浸透させた制作陣と
それを理解し演技に反映させた、古谷氏はじめスーツアクター諸氏の功績も
ウルトラマンという作品に、大きく貢献していると思います。

思えば。
ウルトラマンが仮の姿・ハヤタ隊員として籍を置く事になった科学特捜隊も
怪獣や宇宙からの脅威に関しては、無用な対立や殺生を避け
第2話のバルタン星人への対処のように、常に和解の姿勢を貫いてきました。
そういう意味で、ウルトラマンと科学特捜隊の基本理念は極めて近く
光の国と地球というベースの違いはあれど
共に他者との和解、ひいては宇宙の秩序を目指して活動する仲間で
あったわけです。

確かにそれは物語の中での絵空事、理想の世界かもしれません。
しかし。どんな相手とも相互理解を目指す姿勢は必要という事や
たとえ種族は違っても、宇宙平和という目的に際しては手を携えられる事。
ウルトラマンという作品にキャスト・スタッフが込めたそんな理想は
古谷氏演じるファイティングポーズ、決して拳を作らない手にも
滲み出ていると思うのです。

ウルトラマンは後年、シリーズ中の別作品で何度も客演しましたが
子どもながらに違和感を禁じえなかった理由の一端は
古谷氏以外のスーツアクターが演じていた以上に
両手に構えた握りこぶしにあったのかもしれないと、今は思います。
ギリリと拳を鳴らし、相手を威嚇し続けるウルトラマンは
私にとって永遠に、別人と映るのかもしれませんね。

物心もつかない幼児期に「ウルトラマン」を初見した私にも
この願いにも近い、作品に込めたキャスト・スタッフの思いの片鱗は
おぼろげながら、きっと伝わっていたのだと思います。
そうでなければ、初放送から45年もの長い間
ヒーロー作品の黄金率として、君臨し続けるわけがありません。

私にとってウルトラマンという作品は、「優しさに満ちた、本当に良い刀」
に会えた、週に一度の至福の時間といったところでしょうか。

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コメント

 ん~~! もう、唸るしかありません。目からウロコとは、正にこのこと。
たしかに、ウルトラマンにパンチは似合わないですネ。相手が向かってくれば、身をかわしながらのチョップか、進行を止めるべく組み合うイメージです。それには開き手の構えでなくてはなりません。あまりにも見慣れていて、それ故に見落としていた点です。
MIYUKIさんのおっしゃる通り、最後まで相手の怒りを受け流し、説得し、調和を取り戻そうとするのがウルトラマンの姿勢です。いやぁ~、『ウルトラマン』は奥が深い!

 一方、『ウルトラセブン』はどんなに込み入った事情の相手、ギエロン星獣でもガイロスでも、最後は迷い無く力ずくで倒してしまうイメージ。そこに至るまでの悩みがどんなものだったのか忘れてしまったかのような、セブンの大暴れに驚いてしまうこともあります。これも、一貫したファイティング・スタイルだといえば言えるように思います。

 詳細なレポ、特に古谷さんと聴衆との質疑応答の部分を楽しみにしております。(ケムール人の疑問は解けたのでしょうか?)

自由人大佐様 いやー私も今回、全話を見直して気づいたことで。
まったくお恥ずかしいcoldsweats01
ウルトラマンの「調停者」としてのスタンスが垣間見える
ファイティングスタイルでしたhappy01
この事実を知ってから、古谷さんに演じる上での心がけはあったのか
どうしても確かめたくて、イベントで古谷さんに直接聞いちゃいましたcoldsweats01
「敵に拳を向けない」というこだわりは、古谷さんもお持ちだったようで
45年の時を経て、初めて知ったウルトラマンの心に
驚きと新たな感動がありました。
いやー何事も、聞いて見ないとわからないものですねhappy01
やっぱりウルトラマンは、単純なファイターじゃなかったからこそ
人の心に何かを残すんだなあとthink

今回、ファイテングポーズ比較の意味で
ウルトラセブンと帰ってきたウルトラマンを数話ずつ再見したのですが
セブンは両手が拳、帰りマンは右手が拳、左手が手刀なんですね。
コレもスーツアクターさんそれぞれの演技ポリシーだったようで
怪獣との戦闘スタイルも、そのポリシーに沿った形になっている所が
非常に興味深いです。
考えてみれば確かに、両手を開いてポーズを決めるセブンって
考えられないですもんねhappy01

ギエロン戦なんて、私の中ではセブンのベストファイトに近い位置づけなんですが
あのある意味残虐な戦闘シーンと、それに不釣合いなほど軽快な
主題歌アレンジBGMとの対比が
かえって悲劇性を浮き彫りにし、エピソードのメッセージ性を上げていますよね。
私があのお話に惹かれる理由は、「血を吐きながら続けるマラソン」というセリフ以上に
明らかに演出意図に沿った、セブンのラフファイトにあるのです。
あのシリアス性も「ウルトラセブン」という作品のカラーであり
ひいてはウルトラシリーズ全体が持つ、一つの側面なんでしょうね。

>ケムール人の疑問

今日の記事にもチラリと書きましたが、古谷さんは非常にフランクな方で
ちゃんとお答え下さいました。
あまりの感動に、私は由利ちゃんのごとく気を失いそうになりましたhappy01

なぜあなたに初代と呼ぶな、セブン以降を語るなと統制されねばならないんですか。それを交えて語ってもいいはずです。
ここまで統制されて本当にファンの意見なんですか。それから記事の文章がファンの総意のように扱われていますけど。
皆さんそれでいいのですか。

はっきり言えばいいわけですよ。Qと初代でシリーズは終了している。それを理解できない奴は来るなと。
たちまち人がいなくなるでしょう。やはりそれ以降のシリーズにも魅力があるということなんですよ。

Qと初代だけが全てではない。あなたはセブン以降への
憎悪があまりにもひどい。本当に不愉快です。セブン以降は永遠に触れなければいいだけです。
シリーズを公正にみられない人間は一切語るべきではない。
セブン以降がつくりあげたものもあるはずです。あたなは認めたくはないでしょうけど。
セブン以降であっても優しさを扱ったエピソードが
あるはずです。それを都合よく見ないふりするのはいかがなものでしょう。

そろそろどなたか指摘されてももいいんですけどね。皆さん大人だからこの過剰な憎悪を無視されてきたのでしょうけど。
私はそろそろ我慢ならない。事実を捻じ曲げてヒーロー番組を語っている人間が許せない。

ヒーロー番組で威嚇なんてなんのためらいもなく表現する人間が許せない。
威嚇するウルトラマンなど存在しませんよ。あれは威嚇には見えませんよ。
受身かファイティングポーズにしかみえない。そもそも威嚇などできないはずです。
ウルトラマンを超える能力を持つ敵と毎回戦っているわけですから。

古谷氏も初代のスーツアクターの人だけではないはずです。後の時代にウルトラマンが続いていたからこそ怪獣ショーで
子供たちを喜ばせることができたはずです。私たちはシリーズが続いたことに感謝すべきなんですよ。続かなければ今日の
私たちはなかったはずです。怪獣ショーを楽しむ子供たちが初代ウルトラマンだけを想起するはずがない。子供たちに個性が
あるようにあらゆるウルトラマンがいてもいいはずです。尊重すべきです。

セブン以降が気に入らないのはなんとなくわかりますが憎悪を持つ必要はないわけです。

これだけは言えます。あなたが声高に何度Qと初代を啓蒙しようともそれだけがウルトラではないのです。
それが世間大多数の意見です。やや感情的になりましたが正論のはずです。

kaiki様 はじめまして。ようこそいらっしゃいました。
拙記事への厳しいご指摘、ありがとうございます。

文章力が足りない為、私の真意が少々伝わりきっていない部分が
あるようなので、ご指摘部分のいくつかについて誤解のないよう
出来る限り説明させて頂きます。

>なぜあなたに初代と呼ぶな、セブン以降を語るなと
統制されねばならないんですか。

まずこの部分ですが。
これは5/15の拙記事『ウルトラマンからの宿題』文中でご説明した通り
なにも私が『統制』したことではありません。
4/17のイベント時、会場内にて古谷氏から出た
『ウルトラマンという作品のどこが好きか?』というご質問の主旨と
その場で同時に語られた古谷氏のこだわり
『ウルトラマンに初代という肩書きを付けたくない』というご意向を
『尊重』したということです。

以前から初代表記に抵抗の無かった私自身も、そのご意向に従い
自分の意見を書く時にも、表記には配慮したくらいで。
わざわざ自らが苦労しなければならないようなルールをなぜ作り
「統制」などしなければならないのでしょうか。それは大きな誤解です。

そもそも今回の呼びかけは、なにもウルトラファン全員を呼びつけて
『これから皆さんに、「こういうルール」で「強制的」に意見を書いてもらいます。
異論は一切許しません』
なんて態度で、コメントを「強要」したわけではありません。

前述の『ウルトラマンからの宿題』をお読み頂けばお分かりの通り
これはあくまで私の思いつき。
ウルトラマンを演じられた古谷さんがお持ちの疑問なら
それに応えるのも、ファンとして意義ある事じゃないかという発想で
ふだん交流のある方々、また記事を読まれた皆さんに
「おすがり」「お願い」「ひれ伏してお知恵を拝借」したという事です。
第一、前述のような強要など
一ブロガーに過ぎない私のような者に、できるはずがありません。

そんな自由参加の呼びかけにも、8通もの貴重なご意見が集まったという事は
今回の私の主旨をご理解頂けたからこその結果だったと信じ
ご意見下さった方々には、本当に感謝しています。
またおつき合いのある方で、今回の呼びかけに未参加の方に対しても
決して特別な感情は抱いておりません。
皆さんお仕事などでお忙しいのに、こんな無理なお願いをする私の方に
非がある事を、重々感じているからです。

加えて、頂いた中にも、初代の呼称やセブン以降に触れられたご意見はありました。
つまり、kaikiさんには「統制」と映った二つの決め事は
あくまで私からの「提案」であり、その先は皆さんの自由という事なんです。
ですから「自分はどうしても初代と呼びたいんだ」
「セブン以降にも触れたいんだ」とお思いなら
その思いももちろん、尊重させて頂きました。
意見書作成の際も、皆さんからのご意見部分は一言一句
無訂正でプリントアウトしましたし
その皆さんの思いは、古谷さんにもきっと伝わったと信じたいです。

>記事の文章がファンの総意のように扱われていますけど

これは私の曖昧な書き方が原因ですね。お詫び致します。

たぶん、kaikiさんのこのお言葉の意味は
本記事『手は口ほどにモノを言い』記事中の
「そのため文中、やや意味不明な表記もあるかもしれませんが
意見集のまとめ的スタンスの表記として、ご了承下さいませ。」
という説明部分にあると思いますが
実はこの説明は、その後の拙意見文、第五段落一行目
「さて。この意見集で他の方も書かれていたように」
という部分についての補足説明でした。

古谷さんにお渡しした意見集には、この私の意見は最後に載せたので
他のご意見を把握された上で拙意見を目にされるだろうという配慮から
「この意見集には」という表現をしましたが
本ブログ記事には当然ながら、私の意見文しか載せていないので
表現の意味が分かりにくいと判断した上の、補足説明だったわけです。
「まとめ的スタンス」というのはそういう意味で
拙意見が意見集の総意というわけでは、決してありません。
そんな大それたことは考えていませんので、誤解なきようお願いします。

>Qと初代でシリーズは終了している。それを理解できない奴は来るなと
>やはりそれ以降のシリーズにも魅力がある
>シリーズを公正にみられない人間は一切語るべきではない
>セブン以降であっても優しさを扱ったエピソードが
あるはずです。それを都合よく見ないふりするのはいかがなものでしょう。


これらのお言葉については、やや感情的になられているようなので
あくまで冷静にお読み頂きたいのですが。

まず申し上げたいのは
『ウルトラQから始まり、近作の劇場版に至るウルトラシリーズ全作は
同一の時代、世界観に基づいた連続ストーリーなのか?』
という疑問について、ファンそれぞれで解釈が分かれるという事です。
これについての私の解釈は、「NO」です。

ウルトラQ・ウルトラマン・ウルトラセブン。
少なくともこの三作は、それぞれ異なった世界観で展開する
「別作品」と見ています。
ですから各作品には独自のテイスト、個別の魅力があり
おっしゃる所の「優しさ」という言葉一つでも、それぞれの作品で描き方が違うと。

例えば私なら『恐怖の宇宙線』のラスト
カヴァドンを星座に変え、子供達にメッセージを贈ったウルトラマンに
ウルトラマン独自の「包み込むような優しさ」と
ファンタジックな世界観を感じますし
ウルトラセブンなら『超兵器R1号』クライマックス、ギエロン星獣との流血戦に
故郷を失った星獣への同情と人類の過ち
その狭間で手段を選べなかった、星獣に対するウルトラセブンの
鎮魂の思い「苦い優しさ」を見ることができます。
怪獣の出目も含め、あのハードなテイストはまぎれもなく
ウルトラセブンの世界観でしょう。
ギエロン星獣を星座に変え、人類にメッセージを贈るセブンなんて展開は
考えられないわけです。

つまり私は後続作について「見ないふりをしている」つもりも
「事実を捻じ曲げてヒーロー番組を語っている」わけでもなく
それぞれの作品を「別物」と見ているだけで
決して「優劣」をつけているわけではありません。

私のイメージで、各作品をお茶に例えれば
ウルトラQは芳醇な香り漂う「紅茶」
ウルトラマンは甘くファンタジックな「ミルクティー」
ウルトラセブンはコク深い「ブラックコーヒー」
帰ってきたウルトラマンなら、熱く渋い「ほうじ茶」
といったところでしょうか。
一口にウルトラと言っても、テイストは各作品でここまで違うと。

それぞれの作品には独自の味・魅力があり、それは私も否定しません。
そういう意味で、kaikiさんと私の考えは同じです。
作品への「好み」はあっても「優劣」なんて、決してつけられない訳です。

>あなたはセブン以降への憎悪があまりにもひどい

ひょっとしてkaikiさんは、各ウルトラヒーローの
ファイティングポーズの違いについての私の考えに
セブンや帰りマンへの揶揄を感じられたのではありませんか?
もしそうであれば、それも誤解です。
前述のように、作品によって世界観もまちまちなのですから
登場するキャラクターの性格やポーズ付けにも、違いが出てくるのは当然と思います。

つまり私は本記事で
「ウルトラマンは敵に拳を見せないから素晴らしい。
拳を握るセブン以降はいかがなものか」なんて考えは一言も言っていないわけです。

前述のように、各作品で世界観が異なると私は思っているので
「ファンタジックなウルトラマンの世界観には、拳は必要ない」
「ハードなウルトラセブンの世界観には、拳も必要だろう」という風に
世界観とキャラクターが連動していると、理解しているわけです。

ただ、たぶんkaikiさんをそこまで感情的にさせ
「憎悪」というお言葉まで使わせてしまったであろう
私の「威嚇」という表現が、いささか行き過ぎであった事は謝罪致します。
とはいえ私には、おっしゃる所の
「ファイティングポーズ」「受身」というイメージとも違う気がします。
あえて言えば「牽制」あたりのイメージが強いかもしれませんね。
ただそれでも、古谷さんには「ウルトラマンは拳を作らない」という
確固たるこだわりがおありですから
あの開き手が、ウルトラマンの世界観の一翼を担っていたであろうという
私の考えは変わっていません。

>私たちはシリーズが続いたことに感謝すべきなんですよ。
続かなければ今日の私たちはなかったはずです。

この「私たち」という表記ですが、たぶんkaikiさんと私では
「私たち」の概念が違うのかもしれませんね。
おっしゃる通り確かに、ウルトラはシリーズが続く事により
シリーズ制作時代ごとの子供達に夢や愛情、勇気を与えたことは確かです。
それにより多くのウルトラファンが生まれ、今も愛され続けていることを考えれば
シリーズが続いたことには感謝すべきと思います。

でも私個人に限って言えば、おそらくウルトラQと初作のウルトラマンだけで
充分、ウルトラ愛を持ち続けることが出来たと考えています。
余談ですが私は『スペクトルマン』が大好きで
本放送以来、現在に至るまで特にムーブメントもなく、ウルトラやライダーのように
シリーズ化も一切されていないにも関わらず
おそらく一生、スペクトルマンを愛し続けられると確信しています。
ですから「シリーズが続かなければ今日の私たちはなかったはず」という
ご意見は、私には当てはまらないと。
好きな作品に単独作・シリーズの差は無いと思うわけです。

>あらゆるウルトラマンがいてもいいはずです。尊重すべきです

言うまでもなく、おっしゃる通りです。
ですから私はある作品を持ち上げ、ある作品に苦言を呈している
わけではありません。
ただ「ウルトラ作品それぞれには、個別の魅力がある」という『事実』と
「ウルトラマンただ一作だけが、私の人生に影響を与えた」という『思い』は
分けて考える必要もあると思います。

もちろんファンそれぞれ、前言の「人生に影響を与えた一作」の部分には
別の作品名が入るでしょう。
また、全ウルトラシリーズが均等にお好きな方もいらっしゃるでしょう。
それらの方々について、私は何も申し上げるつもりはありません。

あらゆるウルトラマンがいてもいいように、あらゆるウルトラファンがいても
ウルトラに関するあらゆる考えがあってもいいと思うわけです。
ウルトラファンが100人居れば、100のウルトラ観がある。
それも尊重されるべきではないでしょうか。

繰り返しますが私は、決してセブン以降を憎悪しているわけではありません。
もし拙ブログの意見をそう感じられてしまったら
私の文章力の不足が招いた事態と謝罪致します。
同じウルトラファン同士が、こんな事で対立していては良くないですし
古谷さんも決して、それを望んではいないでしょう。

今度は、kaikiさんのようなお立場から見たウルトラマンへのご意見を
ぜひお聞きしたいものです。
今回分は古谷さんにお渡ししてしまいましたから
また別の機会があれば、どうぞご参加下さい。
ファン同士、有意義なやりとりができるといいですねhappy01

MIYUKI様、はじめまして、思わずコメント欄に侵入いたします。

Kaiki様、あなたの御意見も10人十色ですからあって良いと思いますが、
それこそ、私から言わせて頂くと、貴兄の書き方は私の世代からいいますと礼儀知らずです。2ちゃんねると変わらず、私が直に「名前」を書いて、糾弾する対象です。
先ずは「○○様、」から始めるべきだと思います。

それと「コロンブスの卵」あっての「ウルトラ」シリーズですので、
新たなウルトラは、どんな展開あっても構いませんが、基本を作られた方々には敬意はもってしかるべきだと存じます。

それと会場は楽しい雰囲気でした。この続きは「てふてふはべる」か
「金城哲夫研究会」で書きますので・・・それは他の方のブログでの荒らしを避けるためです。

Kaiki様、催しをした私に直接言って下さい。
「金城哲夫研究会」で、数人で対応いたします。

MIYUKI様、この場をかりて、申し訳ございませんでした。
あの場の雰囲気はMIYUKI様のアプローチコーナーもあって楽しかったです。


MIYUKI様、
私もMIYUKI様と同じ気持ちですが、ここでは、私の意見を述べすぎて
MIYUKI様が不愉快になられるよりも、次のレポートを期待しておりますので、Kaikiさんの意見は「金城哲夫研究会」公式ブログへもっていきます。
大人の対応を御存知でない方だからこそ、社会人として失格せぬよう、
私「てふてふはべる」か私たちのブログ「金城哲夫研究会」で意見を申し上げます。

MIYUKI様、申し訳ありませんでした。
こういった意見にめげずに次のレポートを楽しみにしております。

渡邊豊信様 はじめまして。
わざわざお越し頂き、申し訳ありませんでした。

Kaiki様のご意見については、本人の物腰はともかく
私なりに誠意を持ってご説明差し上げたので
これ以上申し上げることは特にありません。

しかしながら、私も渡邊様と同年代ゆえ
礼儀に対する考えはまったく同じです。
この一件を、渡邊様の方で処理されたいというご意向でしたら
大変感謝の上、お任せしますので
お手を煩わせて申し訳ありませんが、よろしくお願い致します。

イベント当日は、私のような者に貴重なお時間を割いて頂いて
ありがとうございました。
講演者と参加者の垣根を越えた、ああいうアットホームな交流が
これからも続くと良いですね。

重ね重ね、お気遣いありがとうございました。

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