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2011年4月11日 (月)

お詫びと、しばしのお別れ

前回の記事に於いて、私の不用意な発言に
コメント欄にて無用な論争や対立を生んでしまい、大変申し訳ありませんでした。
私個人としては決して、こういう展開を望んでいたわけではなく
あくまで一ブロガーのつぶやき、心中の吐露という程度の意味合いだったのですが
いささか行き過ぎた言葉の表現、理屈の飛躍が
一部の方々に予想以上に強く伝わってしまい、波紋を呼んでしまったようです。
その点については心よりお詫びし、今後は言葉の表現に配慮したいと思います。

一部の方の反論コメントやいつもお越しになるお仲間の擁護コメント
双方の立ち位置を解析、交通整理された方のご意見は
今後も折りに触れ、参考にさせて頂きます。
また、もう一年以上も交流がないにも関わらず
積極的にご参加頂いたミクシィのお仲間に対しては
失礼ながら予想外だっただけに大変嬉しく、本当に感謝の念を禁じ得ません。
しかしながら、これだけの論争になったにも関わらず
さながら某巨大掲示板のごとき、一線を越えた無益なやりとりに陥らず
決して場を荒らさないご配慮に満ちたコメンテーター各位の良識には
改めて感服しました。
今さらながら私は、素晴らしい方々のお仲間にさせて頂いていると確認できた次第です。

私の考えに反論された方も、ご本人なりに被災者の事を考えてのご配慮だった事は
充分理解できました。お腹立ちもごもっともです。
また、お辛い過去をお話頂いたお仲間にも、本当に申し訳なく思います。
全ては私の責任と、深く反省しております。

そんなわけで今回は、皆様に大変なご迷惑をおかけしてしまったので
その反省の意味も兼ね、しばらく記事更新をお休みさせて頂きます。
再開時期ははっきりと決めてはいませんが、季節の変わり目にでもお会いできればと
おぼろげながら考えています。
その時にまた、満足に言葉も操れない不器用なおバカが居た事を思い出して下されば
これほど嬉しいことはありません。




さて。舌足らずながら、お詫びとご挨拶は以上ですので
ここから先は、お時間がおありの方にのみご覧頂ければ幸いです。

前回の記事にて、なぜ私があんな過激な表現に走ってしまったのか
思い当たる過去の体験を、少しお話させて下さい。
後味の良いお話ではないですし、忘れたい過去を思い出す方もいらっしゃるでしょうから
そうした配慮の意味でも、記事にはすまいと考えていたのですが
自らの辛いご体験を吐露頂いたお仲間もいらっしゃいましたので
私も口をつぐまず、お話させて頂こうと思います。



1995年1月下旬。私は神戸市長田区の瓦礫の上に立っていました。
お察しの通り、お仲間・かたつむりさんのご体験と同じく
同年1月17日に起きた阪神・淡路大震災の被災地に居たのです。
震災から9日後。名古屋から12時間をかけて向かった震災取材でした。

かたつむりさんのコメントにもあったように、被災地の景観は
テレビの報道とは比べ物にならない程、悲惨なものでした。
駐車場が一階ふきぬけだった為、自重に耐え切れず無残に崩れ落ち
外壁も剥がれ落ちて全てのレーンが外から見える、高層ビルのボウリング場。
ドミノ倒しのごとく均一にひしゃげ倒れた、下町の商店街。
報道写真で記憶に残る、倒壊した高速道路以上の惨状が
目の前に広がっていたのです。

まず酷かったのは、市内中心部の道路不通でした。
地震の為に盛り上がったアスファルト地盤や倒壊した建物の瓦礫が道路を塞ぎ
通行止めの連続で、目的地は目の前なのにまったく近づけない。
不案内な神戸で遠回りに次ぐ遠回りを強いられる為に
持参した地図など何の役にも立たず
唯一頼れるのは、たまたま私のキーホルダーについていたコンパスだけでした。
しかも地震の影響で地磁気さえ狂っているのか、方角が正確に表示されない。
わずかな針の角度だけを頼りに、なんとか移動できたのです。

それでも被災された現地の方々に較べれば、私たち取材班などはるかに楽でした。
震災9日後にしてまだ、ドアの外れた自家用車を住居とした不自由な生活を強いられ
座席に座って食事ができるご家族はまだ良い方で
街のあちこちには、落ち着く先が定まらない人々や行方不明のご家族を探す人々が
あてもなくさまよい歩く姿がありました。
夕方、裏路地の片隅には、ブルーシートで急ごしらえしたテントのそばで焚き火が起こされ
わずかばかりの毛布に身を包んだ被災者が、身を寄せ合って暖をとるような有様でした。
その中にはまだ、年端の行かぬ子どもの姿もあったのです。

都心とはいえ、冬真っ只中の神戸は予想以上の極寒で
コンビニの店頭在庫も、依然としてゼロ。
食品の入荷体制も救援物資も、まだまだ流通ルート未整備の状況でした。

今回の東日本大震災でも、被災地に向かった報道記者が
中継時、悲惨な現場を前に「言葉になりません」と感想を漏らす場面が散見されましたが
この感覚ばかりは現地に立った者にしか分かりません。もちろん私も同じでした。
あまりにも自分の常識とかけ離れた場に居合わせてしまうと
人間は感情を表現できなくなってしまうのです。
今回の震災よりも小規模だった阪神大震災、しかも被災9日後にしてこの惨状。
人々は皆うなだれ、誰も言葉を発しません。
ご自宅が被災し着替えもままならず、服が埃で真っ白の方さえいらっしゃいました。

自分の立つ瓦礫の下に、未だに生き埋めの方がいらっしゃるかもしれない不安。
全てが傾く周りの建築物の中で、平衡感覚が徐々に壊れてゆく気持ちの悪さ。
いつ余震が起こり、後ろのビルが崩れて下敷きになるか分からない恐怖。
ほとんど割れ落ち、片付けもままならないビルの窓ガラスも、危険な地上の凶器でした。
これらも私をはじめ、被災現場に立った者にしか分からない感覚でしょう。
そこではサイレンが鳴るだけで、胸の締め付けられるような恐ろしさがあるのです。

こんな状況下で全てを失った被災者に対して、冷静な取材などできるわけがありません。
ジャーナリストとしては失格でしょう。でも私はカメラを回す前に
目の前の被災者を、やはり放っておけなかった。
ロケスタッフ全員を説得し、万が一の為に社から持参した私たちスタッフの非常食や
カセットコンロなどの生活物資をできる限り節約し
余った分を、現地の支援施設に寄付させて頂きました。
大した量にもなりませんでしたが、そうでもしなければ
まるで物見うさんに訪れた人非人のようで、とてもいたたまれなかったのです。

その結果私たちも、寒さと飢えには苦しめられました。
停電、断水などによるライフラインの停止はとりわけ深刻で
取材中もトイレや入浴には困り、仮設トイレの長い列にも並びました。
朝の洗顔や歯磨きさえ、贅沢なことだったのです。
度重なる深夜の余震で不眠症になり、殺気だったスタッフ間でいさかいも起きました。
スタッフ全員がじわじわと、精神的に追い詰められていたと思います。

取材中、現地で奇跡的に営業を再開していた餃子の王将で、食事を摂った時のことです。
震災から唯一残った食材が使われ、できるメニューは餃子とラーメンのみでしたが
近隣の方や私たちにとっては、砂漠のオアシスのような場所でした。
でもそこでも、私たちの隣に座った現地の方々の間では
「隣のだれそれが、家の下敷きになって亡くなった」
「近所のだれさんがまだ行方不明」など、耳を疑うようなやりとりが
日常会話のごとく交わされ、震災直後の傷跡を色濃く感じさせるのでした。
傍観者に過ぎない私たちはただ沈鬱になるのみで
お気の毒なあまり、非常に肩身の狭かったことを今も覚えています。

取材の間に、こんな光景を何度見たことでしょう。
被災地というのは、そういう所なのです。
いやおうなしに「死」を身近に感じさせられる所。近しい人との別れと隣り合わせの所。


そんな取材を続けること一週間。
私たちは阪神大震災の震源地とされた淡路島の北淡町、
今で言う淡路市の西北部にいました。
それまでの取材で、もう地震の惨状には免疫が出来たつもりでしたが
この震源地の状況は、そんな私も絶句せざるをえない程でした。
それは例えて言えば、今回の東日本大震災で大きな被害を出した
岩手県大船渡市のような景観。
全てが崩れ落ち、建物と言える物は何もありませんでした。
大船渡と唯一違ったのは、被害の大半が津波ではなく
地震による「火災」らしかったこと。
震災後半月近く経っていたのに、瓦礫の山からはまだこげた匂いが立ち上り
どことなく街の色が、黒くくすんだ印象でした。
そこで私は、その後の人生観を変えた一瞬に出会ったのです。

たぶん住宅街であったであろう、瓦礫の山を眺めていた私は
視線の隅にほんの少し覗く、赤い点に気がつきました。
黒い煤だらけの中に赤の差し色というのは、やはり目立つのです。
近づいて覗いてみれば。
それは昭和20年代ごろの少年雑誌、「少年」か何かの表紙でした。
書名は焼け落ちていたので、正確には判別できません。
でも頬を輝かせて元気に笑う少年の扉絵が、あの頃の雑誌特有のものである事は
私にもなんとか分かりました。
目に留まったのはその表紙のバック色、鮮やかな赤だったのです。
その雑誌の焼け残りが数冊分。
さらにその近くには、怪獣のソフビらしき人形の焼け残りがありました。
「らしき」としか言えないのは、たぶん火事の熱でソフビが熔けてしまったせいで
形が判別できなかったからです。

そうです。たぶんこの雑誌やソフビの持ち主は
私と同じ、懐かしグッズのコレクターだったのでしょう。
はたして持ち主は助かったのか。それとも。
それを見た瞬間、今回の取材で体験した数々の場面や
自ら経験した被災地の不自由さが
まざまざと思い出されました。

震災数日後ならまだしも、生死を分ける惨事の直後であれば
必要な物は、怪獣ソフビやレアアイテムでは決してなく
一杯の水、一個のパン、一枚の毛布、そして安心して眠れる場所であろうと。
そして安否を心配されるご親族には、「同じ視線で心配する心」。
安っぽいヒューマニズムとお笑い下さい。
でもそれは私が被災地で感じた、現実が持つ肌合いなのです。

ほどなくして地元の消防団らしき方々が現れ、そのお宅の探索を始めました。
邪魔になってはとその場を離れましたが、しばらくして彼らは神妙に両手を合わせると
雑誌やソフビの持ち主であっただろう「彼」のご遺体をブルーシートに包み
静かに運んで行きました。
彼を見送ったのは、澄みきった寒空と瓦礫の山だけでした。

この光景は、今も私の目に焼きついています。
もし「彼」が助かったとしても、私はまず手当てを施したでしょう。
フィギュアや怪獣ソフビではなく水を、食料を差し出したでしょう。




前回から何度も申し上げていますが、これは私だけの経験であり、感覚です。
この経験が、前回の私の「行き過ぎた表現」に繋がっているのです。
被災地以外の人々には、そんな配慮は必要ないというご意見もおありでしょうが
あの数々の悲惨な現場を、北淡町であの「赤い表紙」を見てしまった私には
そういう発想はどうしても出来なかった。考えられなかった。

もちろん本記事冒頭のごとく、人には色々なお考えがありますから
他の方のご意見・姿勢を否定するものでは決してありませんし
このお話も、前回記事のいいわけのつもりではありません。
この感覚がおかしいと感じられる方もいらっしゃるでしょうが、なにとぞその際も
性別の不自由なおバカのたわ言とお笑い頂くにとどめ、ご勘弁下されば幸いです。




過去の震災でこんな経験がありながらも、今回の東日本大震災では何も出来ず
奇しくも震災後一ヶ月となった今、発生直後の衝撃を
早くも忘れかけている自分が居ます。私もまた”ずるい”のです。
前回の記事で、最も申し上げたかったことがこれでした。
一部の記述が問題になった為に、本筋とは別の部分が
クローズアップされてしまいましたが。

でも記事をアップすることで、自分の「ずるさ」を自覚
再認識することが出来ました。
そんなずるい自分に今、何が出来るのか。

前回の記事での「オタクイーンの名を返上」にも関係しますが
実は記事アップと前後して手持ちのオタクグッズの大半を処分
買い取ってもらったお金を、すべて義援金に回しました。
大した物は持っていなかったので、さほどの額にはなりませんでしたが
それでも何もしないよりはましですし、それが今私にできる精一杯です。
それが被災地で何かの役に立てば、その方がよほど有意義と思います。
手放した怪獣ソフビたちは可愛そうでしたが、きっとわかってくれるでしょう。

おかげで今は、DVDレンタルの一枚80円という料金にも熟考を強いられる
貧乏生活ですが、かえって気分はスッキリ、サッパリしましたし
被災者の皆さんのご心痛を考えれば、こんな貧乏など楽なものです。

そんな事情により、もはや今の私は
コレクション云々を語れる「オタク」ではありません。
ですからもちろん今後は「オタクイーン」の名も返上いたします。
他人様とコレクションの数など競わず、季節の移り変わりを見守りながら
妹分のファーやわずかな手持ちのおもちゃと共に
のんびり自然と戯れるのが、私には似合っているようです。



だらだらと長い駄文におつき合い頂いた方、ありがとうございました。
不謹慎な表現、ブログにふさわしくない描写に眉をひそめられた方にも
心からお詫び致します。

もし再開の折に覚えていらっしゃったら、またからかってやって下さい。
私もほぼゼロからの出発なので、以前にも増して大したお話など出来ませんが。
なお冒頭の通りこの機に、しばらくブログから離れますので
コメント頂くのは非常に有り難いながら、お返事がかなり遅れる無礼を
なにとぞお許し下さいませ。

被災地からの桜便りが、今は唯一の楽しみです。

                                                                                                           MIYUKI

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コメント

(^0^)ノ まってるよ!! 


・・・・涙なくしては読めませんでした。
体験に裏打ちされた思いの深さです。

毎日日本のことを心配してくれている遠い国の友人
その中の一人から「共感していると伝えてほしい。」と言われてます。
またお会いできる日を心待ちにしております。

上の方もいっているとおり、涙なしには読めませんでした。。。
自分のコレクションを捨ててまで被災した方たちを思う気持ち。
まさにコレクターの鏡です。
またいつかあえる日が来るのを待っています

敢えて静観しておりましたが、敢えて一言だけ書いておきます。

モノを持ってるからコレクターなんじゃないですよ。コレクターの本当の目的と意味は、一旦自分を全否定し、全てを捨ててから始まると思ってください。

モノを持ってる人にしか語れないコレクションなど、存在価値は無い!!

コレクターはモノの力に押しつぶされていきます。そこを超えていかないと、本当の面白さは分からない。オタクも一緒でしょう。
そこが分からないオタクイーンさんとは思わなかったなあ。もし、そうなら、確かに「オタクイーン」は返上されたほうが宜しいでしょう。

MIYUKIさんがどう判断されるか分かりませんが、「しばしのお別れ」と書いてありますから、それを期待しておきますね。

たまに覗いてみます。

 今回は仕事ではないから行かないわけですか。ブログを読み進める限りグッズの在庫処理が本来通り行われただけの感じがしますが。あなたは長々と時事問題を語らない方がいいと思いますけどね。
 
 あなたとあなたの文章を長年みてきましたが私が受ける印象は中途半端ということです。これからは何かひとつでもひとつのことを極めてみることをお勧めします。

 それではご健闘をお祈りいたします。さようなら。

(=^・^=) さま ずいぶん返事が遅れ、申し訳ありませんでしたcoldsweats01

どうやら被災地にも桜前線が届いた様子で、被災者の皆さんにも
癒しと復興の励みになったようですね。
そんな便りを耳にする度、私も皆さんに負けないようにと
復活の気運が高まってきました。

あい変らずのヘタレブログながら、近々再開しますので
またおつき合い頂ければ幸いですhappy01

かたつむりさま ずいぶん返事が遅れ、申し訳ありませんでしたcoldsweats01
また前回の拙記事に頂いたコメントでは、お辛い思い出をお話頂き
記事で波紋を起こしてしまった事を、今さらながら反省しております。

私と同じく、阪神大震災の被災状況をご覧になられたかたつむりさんには
現場で私が感じた悲惨さを、お分かり頂けると思います。
あれ以上の被災に見舞われた東北の皆さんには
未だに悲しみの念を禁じ得ませんが
震災から二ヶ月、前向きに頑張られている被災者の元気に
逆に励まされている自分が居ます。

海外の皆さんの共感、復興の援助は本当にありがたいですね。
人種や国籍を超えた人間同士の繋がりを感じるのは、こういう時です。
渡航経験は決して多くはありませんが
感情って言葉が無くても伝わりますもんね。

今年初の夏日を迎え、いつまでもふさぎ込んでもいられないと
ようやく復活の心持になってきました。
おいおい再開しますので、またおつき合い下さいませhappy01

へどらさま ずいぶん返事が遅れ、申し訳ありませんでしたcoldsweats01

まー私の手持ちグッズなんて大した物はなかったですから、手放しても二束三文でしたが
やっぱり生活を共にしたアイテムとの別れには、やや寂しいものがありますね。
ただ別れがあれば出会いもありますから、新たなアイテムとのめぐりあいに期待して
日々を送ろうと思っております。
私ごときの義援金など、焼け石に水にもならない額ですが
被災地でのパン一個、水一本のお役にでも立てれば
これに勝る喜びはありません。

拙ブログも、ようやく再開の心持になりました。
安物グッズ入手の舞い上がり記事なんかもアップしますので
また若輩者と笑ってやって下さい。
あい変らずの気ままなブログですが、よろしくお願い致しますhappy01

JUMBO。さま ずいぶん返事が遅れ、申し訳ありませんでしたcoldsweats01

さすがコレクター道を追及するJUMBO。さん。
まことに含蓄に満ちたコメントで、決して皮肉などではなく素直に敬服いたしました。

拝見後、頂いたご意見の一言一言を咀嚼し、ひたすら自問自答しておりました。
「そもそも私はこれまでオタクだったのか、コレクターだったのか?」なんてthink

で、行き着いた結論ですが。
確かにおっしゃるご意見はオタクやコレクターの精神、哲学なんでしょうけど
たぶんJUMBO。さんと私の関係は
『プロ野球の監督と草野球の選手』みたいなものだと思うんですよhappy01

ですから
「コレクターの本当の目的と意味は、一旦自分を全否定し、全てを捨ててから始まる」
「モノを持ってる人にしか語れないコレクションなど、存在価値は無い」
「コレクターはモノの力に押しつぶされていきます。そこを超えていかないと
本当の面白さは分からない。」

等々、頂いたご意見もきっと全て正しいんでしょうし
本当のコレクターとはそういう物なんだろうなあとは思うんですけど
(決して否定しているわけじゃないですから、誤解なさらぬよう)
そうしたお話を私にされるということは、ヘタなたとえながら
「その道に長けた、プロ野球監督レベル」のJUMBO。さんが
「たまの休日、メタボ防止程度の草野球を楽しむだけで充分と考えている素人レベル」の私に
こんこんとプロの心がけ、目指すべき道を語っているようなものなんですhappy01

で、それを聞いた私にしてみれば

「ひゃーオタクやコレクターの道ってそんなに険しいんですか?あい変らずの不勉強でsweat01
でも私はさすがに、そこまでは目指していないかなー。
公園に怪獣ソフビやブリキロボットを持ち出してガオーと遊んでるだけじゃ
だめですかねやっぱりcoldsweats01
で、その感触や遊び勝手を「語る」のを楽しみとしてるんですがsweat02
『モノを持ってるからコレクターじゃない』とおっしゃられても
やっぱり持ってなきゃ遊べないし、なくなっちゃったら寂しいしなあトホホのホweep

なーんて正直、思ったりするわけです。その程度の認識なんですよhappy01
私にとってオタクグッズは、鑑賞や収集を目的とした大人の趣味と言うより
むしろおもちゃ本来の目的、子どもの遊び道具に近いんです。
たくさんあれば遊びの幅が広がるし、なければ遊べないと。
すでにご存知の通り、精神年齢も子どもですしcoldsweats01

まーJUMBO。さんが私をお仲間とお考え頂いていた事は非常に光栄ですし
いつも頂くコメントも目からウロコの連続で、感謝も尊敬もしていますが
しょせん私など、とるに足らぬ存在。
たぶんJUMBO。さんとは進む道、登る山が違うんでしょうねfuji
草野球のたとえに習えば私は
本道に対する「草コレクター」「草オタク」みたいなものと言えば
ニュアンスがご理解いただけるでしょうか。
こう書くとなんか草のコレクター、草のマニアみたいですがcoldsweats01coldsweats01coldsweats01

ですから私は昔から、オタクグッズを集めたり作品を語る上で
おっしゃるような精神論を考えたこともありませんし
おそらく今後も、追求などしないでしょう。
ですから「そこが分からないオタクイーンさんとは思わなかった」という
ご意見もごもっともで、むしろそうご認識頂いた方が気楽ですhappy01
(これも皮肉じゃないですから、誤解しないで下さいねcoldsweats01

まー基本的な考えは「好きな事に難しい理屈は不要」
「おもちゃの存在価値なんて、子どもの頃は考えたこともなかったはず」
「おもちゃは触って遊ばなきゃ、本当の面白さはわからない」程度の
非常にシンプルな発想なんです。
ましてや「モノの力に押しつぶされ」そうな気持ちになったことなど、一度もありません。
まー大したグッズも持ってなかったですから、当たり前と言えば当たり前ですがcoldsweats01
外でおもちゃを遊び倒しておーいいねえと感動する、そのピュアな気持ちを大切にしたいと。

「それはコレクターでもオタクでもなく、ただの子どもの遊び」と言われれば
まさにその通りでしょうね。自分でもそう思いますhappy01
でも、おもちゃってもともと子どもの物ですから、それはそれでいいんじゃないかと。
加えて、肩書きへのこだわりも皆無なので
オタクイーンの名を捨てたことで、かえって肩の荷が下りたような気分もあるんですよhappy01

震災から二ヶ月が経過し、被災地の元気な気運に
拙ブログもようやく、復活の頃合となってきました。
以前と同じくたぶん今後も、あい変らずのおもちゃ遊びや作品感想ばっかりですが
これからもJUMBO。さんには、コレクター道の追及者のお立場から
遠慮なくツッこんで頂ければ幸いです。
どうぞこれからも、よろしくおつき合い下さいませ。
まー頭の弱い私の事ですから、お手柔らかにお願いしますねhappy01

重ね重ね、貴重なご意見ありがとうございました。感謝しておりますhappy01

藤堂さま たいへん返事が遅れ申し訳ありませんでした。
私の記憶違いでなければ、初めてコメント頂く方と思いますが?

頂いたコメントについて色々考えてみましたが、どうにも結論付けられないので
正確なお返事かどうかわかりませんが、一つお話させて頂きます。
「礼儀」と「意見対象部分の明確化」「説得力を持った発言根拠」
さらにそれら全てを含む「コメント責任」についてです。


いかに長年閲覧しているブログと言えど、そのブログに初コメントを書き込む場合は
「あなたは記事を通じてブログ主を知っていても、ブログ主はあなたとは初対面」
である事を、心得なければなりません。
ですからブログ主に対しては、最低限の挨拶や一言程度の自己紹介は必要に思います。
それは初対面者に対する礼儀であり、これまで拙ブログにお越しになった方々も
私が何も言わずとも皆さん例外なく、それを守られてきました。
もちろん私も、他人様のブログへの初コメントには、簡単なご挨拶を心がけております。
それはネット上のやりとりに留まらず、人間関係の基本と言ってもいいからです。


たとえば藤堂さんが、ご自分でブログを運営されていたとしましょう。
自分の心情を素直に綴った記事に対して、初対面の相手から

>「今回は仕事ではないから行かないわけですか」

などという、極めて無作法かつ横柄な書き出しで始まるコメントが書き込まれたとしたら
それを目にしたあなたは、いったいどんな気持ちになるでしょうか?
礼儀はルールではない分、逆に書き手の品位や社会経験、人間としての成熟度が
あらわになってしまうものです。
こういう書き出しは、ブログ主の気分を著しく害すると思われないでしょうか。

さらにコメントの内容に関してですが。これも理解に苦しむことばかりです。
まず前述の「仕事ではないから行かないわけですか」という一文に関して。

このご意見は「お前は仕事を投げうってでも被災地へ行け」という
意味でしょうか?
そこまでおっしゃれるという事なら、藤堂さんは当然
「自分は仕事よりも被災地での救援活動を優先した」という事ですよね。
それくらい説得力のあるご経験がなければ、初対面の相手に対して
ここまで踏み込んだご意見は出来ないと思いますが。


続いて

>「グッズの在庫処理が本来通り行われただけの感じがしますが。」

という一文。

では藤堂さんは、私が売却したグッズの総量と、義援金に回した額を
ご存知という事でしょうか?
なにをもって「本来通り」とおっしゃるのか。
売却金を義援金に回すことまで「本来通り」なのか?
確かにグッズ売却を始めたのは震災前ですが、震災後、手放すつもりの無かった物まで
売り払って、震災前からの売却額も合わせて義援金に回した行為を「本来通り」とは。
そこまでご理解された上での、ご発言なのでしょうか。


さらに

>「あなたは長々と時事問題を語らない方がいいと思いますけどね。」

この理由は?なぜ自分のブログで、時事問題を語ってはいけないのでしょうか?
いったい拙記事のどの部分に対して、この発言をなさったのでしょうか?
そもそもこの記事は時事問題と言うよりも「体験談」ですが。


>「あなたとあなたの文章を長年みてきましたが私が受ける印象は中途半端ということです。」

この文に至っては、二つ疑問があります。

まず、何がどう「中途半端」なのでしょうか?
拙ブログが「オタクテーマのみを扱っていない」ということなら
拙ブログはワンテーマに絞ったものではなく基本的に「日記」なので
ジャンルが雑多になるのはむしろ当たり前。
それを「中途半端」と言われるのは的外れで
バラエティ番組に「ストーリーが無い」と怒っているようなものです。
「オタクジャンルへの追求が足りない」ということなら
それは個人の自由に関わることなので、他人に言われる筋合いではないわけです。
別にオタクジャンルは全国民が追求せねばならない「義務」ではないわけですし。
そもそも他人に対して「中途半端」と言えるのは
「中途半端ではない人間」だけと思うのですが、藤堂さんはそういう方なのでしょうか?

そして文中の

>「あなたとあなたの文章」

という記述。これが最大の疑問でした。
「あなたの文章」はたぶん拙ブログの事を意味しているのでしょうが
文頭にわざわざ「あなたとあなたの文章」と分けて書かれているという事は
藤堂さんは私の文章、つまりネット以外にも
私本人を長年見てきた立場の方、という事でしょうか?
そう考えて行くと藤堂さんは、私が普段接している個人的な知り合いと推測されますが
私のリアルな知り合いや身内には、藤堂という名前の人物はおりません。
知り合いの誰かが変名を使っている可能性もゼロとは言えませんが
今度はそんな形で、本名を隠す理由が分からない。
うしろめたい事でもおありという事でしょうか?


>「これからは何かひとつでもひとつのことを極めてみることをお勧めします。」

これも前述の「仕事ではないから行かないわけですか」「あなたは中途半端」と同じで
初対面の相手に対してそこまで意見できるという事は
藤堂さんは何か「ひとつのこと」を極められた、相当な達人でいらっしゃるという事でしょうか?
これもまた、ご自身にそこまでの実績がなければ
決して他人に、軽々しく言えない言葉と思うのですが。
もちろん前述通りこの「ご自身の実績」にも、誰もが納得できる説得力が必要な事は
言うまでもありません。

総じて。初対面の相手に対してここまで意見するからには、藤堂さんは
『仕事を投げうってでも被災地で救援活動に勤しみ、中途半端ではなく
ひとつのことを極められた達人』という
素晴らしいご経験、ご経歴の持ち主でなければ
ならないはずなのですが・・・


とまあ、ざっと並べただけでもコメントのほぼ全文が疑問の塊で
凡人の私にはとても難解な内容です。
その理由は明白で、このコメントには
「拙ブログの感想や私への意見はあっても、意見の矛先が極めて不明確な上
その意見の礎となる、理由や根拠が提示されていない」からです。

「こういう理由で、私はあなたの記事のこの記述をこう思った」
「私はこういう経験や経歴を通じて、あなたの行動にこんな意見を持った」など
感想や意見の「指摘部分の明確化」「説得力ある理由・根拠」が示されているからこそ
納得の有無はともかく「ああこの人はそう思ったんだな」と
文章はとりあえず「理解」できるわけで
このコメントには全文に渡って、それが欠けているのです。

その為この文面だけでは、解釈の仕方によっては
「自分は被災地へも行かないし中途半端、何も極めていないけどお前はやるべきだ」
なんて、自分の事を棚に上げて他人のみを攻め立てる
非常に高圧的なコメントと受け取られてしまい
書き手がそれを意識するせざるに関わらず、受け手は納得も承服もできかねてしまいます。
藤堂さんもきっと、そんな不幸な誤解を望んではいないでしょう。


そういうわけでこのコメントは、書き手本人には理解できても
読み手には書き手が何を伝えたかったのか、全く分からない。
こういう不明瞭なコメントの書き方は、決して得策とは言えません。
さらに初対面者同士のコメントの場合、より良い相互理解の為には
発言の根拠となる経験・実績共に、事実と立証できる証拠もあった方がさらに確実でしょう。
ネットでは悪意があれば簡単に嘘が書けますし、それでは意味がありませんから。


もし私のカン違いならお詫びしますが
たぶん藤堂さんは、この手の文章を綴る事に慣れていらっしゃらないのでしょう。
そのため結論だけ書かれて、それを他人に理解させる為の文章技術が
残念ながら足りなかったのだと思いたいです。
ですから決して、悪意もなかったと。
人の仕事の進退やブログのカテゴリーへの言及など
ブログ主の人生、アイデンティティーに関わるレベルにまで介入していながら
文末には「それではご健闘をお祈りいたします。さようなら。」と
とって付けたような挨拶で締めくくらざるをえなかった、それがご本人に綴れる
精一杯の文章だったのだと、信じるばかりです。

まあ文末に「さようなら」と書かれている通り、このコメントを書き込んだ当人は
書いただけですでにご満足らしく、この返答コメントを目にする確率も低いようですから
ここまで細かく返答しても、結局は無駄骨かもしれませんが
何かの折に、これをもし当人が目にされたら
いかにネット上のやりとりと言えど、発言には
「礼儀」と「意見対象部分の明確化」「説得力を持った発言根拠」が伴うという事を
それら「コメント責任」がなければ、どんなに立派な発言も
説得力はおろか理解さえ出来ない文章に終わってしまう事をお分かり頂きたくて
あえて長文の返答とさせて頂きました。
返答と言うよりは「添削」に近くなってしまいましたが。

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