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2011年4月 5日 (火)

ずるい陽春

Photo

昨日からの暖かさに誘われ、久々に訪れたいつもの公園。
平日のお昼どきというのに、すでに大勢の親子連れで賑わっていました。
楽しげに走り回る幼児。サッカーやバトミントンに興じる小学生。
風に揺られて、どこからともなくしゃぼん玉が飛んできました。
まさに春爛漫。凍える冬から解き放たれた人々は
満開の桜の下、心ゆくまで春を謳歌しているようです。

偶然ながら昨夜遅く、NHKBSプレミアムで
久々に小津安二郎監督の『東京物語』を観ました。
再見するたびに新たな発見のあることが、名画の素晴らしさですが
今回の鑑賞で私の琴線に触れたのは

”悲劇が記憶から風化してゆくことの罪深さ”

でした。

どんなに愛する者との死別でも、時の流れはその哀しみを忘れさせてゆく。
戦死した夫の事を、最近は思い出さない日もある事に罪深さを覚え
「私、ずるいんです」と夫の父親に告白する未亡人・原節子。
そんな彼女に対し、亡き息子の事は忘れ再婚を勧める義理の父・笠智衆。
記憶の風化は残酷な反面、優しくもあると。

発生直後は日本全土が注目した東日本大震災も
徐々に明らかになる被害の詳細とは裏腹に、被災地域以外の人たちは
日を追うごとに、普段の生活に戻りつつあります。
世間全体が、4月の声と共に新年度モードにシフトし
連日、被災地域の惨状を伝えていたブラウン管も
お馴染みのタレントがアドリブをタレ流す、あい変らずの世界に戻ってしまいました。
これは記憶の風化なのか。
常に刺激を求める視聴者に、もはや震災の話題は飽きられてしまったのか。

それはネット社会でも同じでした。
日々、死者や行方不明者が信じられないほど増加してゆく中
何事もなかったように、震災前と全く同じペース・テンションで
オタク記事をアップし続ける、一部のブログ。
それらを目にするたび、失礼ながら筆者の人間性さえ疑ってしまい
同類と思われたくないあまり正直、ネット活動を辞めることも考えました。
私はオタクである前に、人の痛みを分かりたい人間だからです。

自分や家族の歴史が全て詰まった家が、濁流に流されてしまった方々や
今も避難所で不自由な暮らしを強いられている方々がいる事を知っていながら
新作特撮の話題や、オタクグッズの自慢で盛り上がれるわけがない。
もし、そういう事が真のオタクの姿勢なら
私は喜んで、オタクイーンの名を返上いたします。

でもやはり時は、記憶を風化させていくようです。
あれほど心を痛め、被災者に何も出来ない自分に罪深さを覚えた日々も
桜の便りを聞けば、やはり気分が華やいできます。
そんな自分は「ずるい」のか。しょせんは前述のブロガー諸氏と同類なのか。
昨夜再見した『東京物語』の原節子さんと同じく
記憶の風化、忘れる事による罪の意識は
昼夜を問わず、私を攻め立てます。
悪夢にうなされ夜中に目覚める事も、幾度かありました。

「そんな風に、自分を責めるのは良くない」
「積極的な消費、生活の活性化こそ、日本に元気をもたらす手段」
私のように迷う者に対して、こんな事がよく言われます。
でもそんな言葉をかけられても、はいそうですかと素直に遊べない。割り切れない。

形だけのお悔やみ記事もそこそこに、悲しんでばかりいられないと
いつものオタク記事に戻る事は
「立ち直りが早い」んじゃなくて
ただ「震災の話題から目をそむけたい・耳を塞ぎたい」だけじゃないのか?
「積極的な消費」を口実に、被災者の心情も考えずフィギュアを買い集める事が
はたして良い事なのか?

でもそんな疑問や迷いも、時と共に薄れてゆく事に
罪の意識やジレンマを感じる方が、よほど人間的じゃないかと思うのですが
いかがでしょうか?


そんなわけで今日、美しい桜とそれを楽しむ人々を前にしながらも
彼らと私は、決して越えられない薄い膜で隔てられているような気がして
毎年のように、春を素直に楽しむことはできませんでした。
せめて元気を出そうと持って行った、写真手前のブリキ宇宙船ですが
奇しくも、賑わう公園と私の境界線になってしまったようです。

今日の記事を目にされた方は、きっとさまざまなご感想をお持ちでしょう。
ですからこれはあくまで、私だけの考えです。
お気を悪くされたらお詫び致しますが、今の私の偽らざる思いでもあります。

昨夜の『東京物語』放送後、番組ホスト役の山本晋也監督が
こんなお話をされていました。

『原節子さん演じる彼女はきっと
「自分がずるい人間である事」を、誰かに言わずにはいられなかったんだろうね。』

たぶん私も同じなのでしょう。ずるいんです。私も。
それを認める事で、一歩前へ出られるような気もします。

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「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

 確かに最近震災の記憶が薄らいできたのは確かです。私のまわりでも人々が日常生活に戻っていくことが感じられます。やはり被災地が日常生活にいちはやく戻るためには前を向いてひたすら歩いていくしかないのだと思います。

 下を向いていてはいつまで経っても前進していくことがないのです。そこをわかっていただきたいですね。いつまでも立ち止まっていられないわけです。忘れようにも忘れられるはずがない災害です。それでも明日はやってきます。目の前のがれきに気をとられるくらいなら地域の未来に希望を持った方がいいと思います。

 ブログの更新もやはり皆さん前進しているということでしょう。私は立ち止まってほしくはないです。国民全体が下を向く必要はないわけです。懸命に日々自分の人生を生きていただきたいと思います。皆さん自由に明日を力強く生きていただきたいと思います。それが被災者のことを考えていないとは思えません。被災者に何もできないと思うのであればせめて明るく生きて欲しいです。私はそう思います。

 被災地では桜がみられないのではという考えはやめた方がいいです。被災地を絶望的で未来がない土地のように思われているようですがこれは被災地の方に大変失礼なことだと思います。被災地でも桜は咲きます。今年の桜こそ被災地の方にみていただきたいと思います。それが復興を告げる知らせとなるでしょう。やはり前進するしかないわけです。

 被災者のことが気がかりであればボランティアに行くべきです。本当に被災者のことを考えているのであれば現地に行くべきです。ここで出会ったこともない被災者の心情を代弁するくらいなら被災者以外の社会の人間が被災者のことを忘れようとしていることをどう思っているか聞いてくるべきです。どうであろうと国民は前へ歩いていくしかないわけです。被災地の方もいつまでも災害を引きずっていくわけにはいかないのです。

 そんな私もライフラインが寸断された生活を強いられました。あなたには被災者の心情はわからないと思います。被災地は絶望だけの不毛の地ではないのです。そろそろ桜も咲くころです。皆さん希望を持って立ちあがろうとしているのです。新生活が待っているのです。

 最後にオタクは自分から名乗るものではないと思いますけどね。他人から評価される称号であると思います。

ご無沙汰しております。
貴ブログは時々覗かせてもらっておりました。
で、この震災後の記事を読んでうーん…と思うところはあり、書込みをしようか
躊躇しておりましたところほぼ同意できる意見を書かれる方がおられ、その勢いをお借りして(それこそズルイとお思いになるでしょうが)私も書かせていただきました。

客観的に見て、MIYUKI様の今回の記事は「被災者への想い」よりも「処理しきれない感情を他者にぶつけている」という側面が強いように思います。
他者(他ブロガーさん達や市井の人々)をいたずらに貶めるよな物言いは少々残念というか不愉快でした。そういった物言いはたとえそのつもりがなくとも、自己を高みに置き、他者を見下しているような印象を与え、いろいろな意味でマズいかと思いますよ。「私だけの意見」と仰るならばそれこそこういった場で表明されるべきではない。いつわらざる私見を反発を招こうとも発信するのが個人の表現だと言われればそれまでですが、一定の品性はあってしかるべきと思います。あとマスコミのことは知りませんが、何も街中やネットの中で普段どおりにしている人たちが「被災者のことを忘れているずるいヒト」と一括りにするのは早計じゃないかなぁ。

ちにみに私は被災地から中途半端な距離にある関東在住ですので、正直に言いますと被災地への「同情、憐憫」よりも「恐怖」をより強く感じました。明日は我が身、というか一歩間違えば…と思うと冷や汗が出ました。不幸自慢をする気はないのですが、経験したこと無い強い地震や止まない余震、交通の乱れ、物資の流通の不安定や計画停電、拡散を続ける原発の放射能汚染への不安など、さすがに気が滅入った時期もありました。最近まで務めていた浦安市は液状化現象でめちゃくちゃです。どれも東北の惨状からすれば些細なことかもしれないのですが、少なくともテレビを見るだけよりは震災を肌身に感じていると思います。

人間、余裕があるほど思考や感情が暴走しやすいと思うのでそういったエネルギーはお仕事や創作の方に向けられる方が健全かと思います。マスコミに身を置かれるMIYUKI様ですし、表現者としても何かしらやれることはあるんじゃないでしょうか?

久しぶりの書き込みがなんだか口幅ったい内容で恐縮ではありますが少しばかり黙ってはいられなかったので…。

>何事もなかったように、震災前と全く同じペース・テンションで
>オタク記事をアップし続ける、一部のブログ

まさにその「一部」のうちの一人として、私もコメントさせて頂きます。

もちろん史上類例のない大惨事のさなかですから、通常通りのブログ更新に
全く迷いがなかった、と言えば嘘になりますが……
それでも今は、「それでよかったのだ」とむしろ確信し、通常通りの
ブログ更新を続けた自分の判断に胸を張りたいと思っていますよ。
……少なくとも刻一刻と変化する状況下での、浮き足立ったデマ流布への加担や
取るに足らない排他・差別意識の発露などを助長させるようなこともなく、
あるいは本記事における貴方のごとき、ご自身の浅ましく非建設的な正義感を
他人に押し付け、あまつさえそれを「人間らしさ」などと居直ってみせるような
「醜態」を晒すこともなく、あくまで一呼吸おいての平常心を保ったうえで
拙ブログにおいで下さるお客様方をおもてなしすることが出来たわけですから。

それともなんですか、オタクイーンさん?
貴方は今、ネット上で通常通りの記事更新や暢気な与太を飛ばしている方たちが
何も考えず、ただヘラヘラと刹那的に生きているとでもお思いなのでしょうか?
だからちょっと感情的な文章で噛み付いてやれば、「私が悪うございました~、
オタクイーンしゃまお許しを~」などと全面降伏するだろう、とか?
だとしたら私も、「私たち」も相当なめられたものですね。

誰もが等しく、この未曾有の国難に際し恐怖を感じ、心を痛め、そしてまた
自分に今、何ができるのだろうかということを真剣に考えておられるはずです。
そんな事は、わざわざこうして文字として書き出すまでもない
当ッたり前のことであるからこそ、殊更に繰り返さないだけの事です――
ゆえに、そんな中だからこそ、息も詰まるような重苦しい空気の中において
ホッと一息つける時間と場所もまた絶対に必要なのではないでしょうか。
肩の力を抜き、リラックスして笑顔になり、しばし辛いことを忘れ……
そしてまた、再びそこから現実へと立ち向かっていく「力」を得るために。
被災地のため、などとおこがましい事は申しません。
まずは何より、今を生きる「自分自身」のためにそれが必要であるからです。

だからこそ、私は拙ブログの記事更新を通常通りのテンションとペースで
続けてきたことに対して恥じるところは一切ないですし、後悔も致しません。
“筆者の人間性さえ云々”などという、貴方のヒステリックな「人格攻撃」に
みすみす屈したとあっては、あの大変な中に私ごときのブログを訪れて下さった
読者の皆様方に対して申し訳が立ちませんから。

その上で、私もまた貴方に申し上げましょう。
……辛い時だからこそ元気を出し、笑顔になろうとする人たちの足を無為に引っ張り
かつそんな「被災者のことを考えてあげられる自分」にただ酔いしれているだけの
貴方「ごとき」と、同じジャンル作品のファンとして、オタクとして
一緒くたの同類に見られることなど真っ平御免ですね。反吐が出ます。
ましてそんな貴方から「お気を悪くされたらお詫び致しますが」などと言われても
こちらの心には何ら響いてこず、ただただ文句が白々しいだけです。

自分「だけ」が辛く、自分「だけ」が真剣に考えているなどと自惚れなさんな。
味噌汁でツラ洗って出直していらっしゃい。

この国難の捉え方、それぞれではありますが・・・
オタクイーンさんの精神論的なお言葉、感じるところありますね
だけど・・・この震災の当日、翌日から今日まで、我々は普通に生きて行く幸せを感じつつ、色々な物に怯えながら過ごして来ました
勿論、震災の悲しみは忘れてはいけませんが、生きる事、普通の生活に感謝して自分の出来ることを頑張りましょう
オイラは真っ先に子供の事を考えました
子供がこれから生きて行く為の戦いが始まるのかもしれない
親としてどうすれば良いか考えました
子供のために戦う親、強い親になろう!
それだけです

それと、オタ廃業と言われますが
それを被災された方々が喜びますでしょうか?
再来週、古谷敏さんが名古屋に来られます
「こんな時だからこそ行くんだ」
と、仰られてます
こんな時だからこそ、ですよ
元気出せって事ですよ

姐さん、ご無沙汰しております。
上の方々の『重苦しいく息が詰まる』コメントの後なんで名乗りにくいのですが、私は姐さんの考えにとても共感しております。

実はある方から「オタクィーンさんが、ブログで凄い記事を書いてる。俺はとても感銘をうけた。」と聞き跳んできました。

来てみて良かった!ホント胸につっかえてたモノが取れた思いです。

姐さんは正直な方だ。本当にズルい人は、そんな気持ちブログに赤裸々に綴りません。

私はオタクィーン姐さんを『キチガイじみた俺様ルール』が常識のヲタクと決して同類なんかではないと思います。
むしろ姐さんの様な考えならばヲタクなんてドロップアウトした方が精神的にもいいんじゃないでしょうか。

ここにはリアル被災者な方々もいらっしゃるようですが、まぁ人様のブログに乗り込んできて、正気の沙汰とは思えない罵倒・中傷をする輩の被災状況なんて知れてますし、姐さんが心を痛めた『本当の被災者』の方々とは別モノの『なんちゃって被災者』だと思うので、そんな意見に落ち込まないで下さいね。

これからもずっと姐さんの事を応援してます。

私もオタクイーンさんを応援しています。
古い記事からずっとブログを拝読し、心優しい方だと感じています。
「オタク」記事のみならずさまざまな記事に心動かされてきました。

他人のコメントに意見を書くことはしないつもりでしたが、
「被災者のことを考えてあげられる自分」に酔っているというコメントにほんまむかつきました。
そんな誹謗をするために、よう人のブログに乗り込んできたなとあきれます。
人にはいろいろな意見や考えの違いもありますので、
大震災時のとらえ方、心の傷め方、乗り越え方もいろいろあろうかと思います。
そしてそれに対して自分のあり方もいろいろあろうかと思います。

オタクイーンさんの感じ方もまた然りで同じ感じ方をされる方もいます。
オタクイーンさんの記事を読んで「ヒステリックな人格攻撃」だとは思いませんでした。
一つの意見ですよ。
むしろ個人攻撃されたとヒステリックに反応して感情的にコメントなさるほうが
よほど「ヒステリックな人格攻撃」だと感じます。
オタクイーンさん、気にすることないです!

オタクイーンさんからのご返答が頂けるまで、あれ以降のコメントは控えるつもりでおりましたが
明らかに私に向けられたコメントをなさっておられる方がお二人ほどおられる様子ですので
そちらに対してのお返事のため、再びこのコメント欄を使用させて頂きます。

まず最初に申し上げておくべきは、「人様のブログに上がりこんで」コメントをつけること自体は
ブログ主に対し肯定的なものであれ、否定的なものであれ、それ自体は何ら非難されるべきものではない、ということです。
それは我が国の憲法において保証された全国民固有の「言論の自由」であり、その権利があったればこそ
全ての議論も、異議申し立ても成り立ってくるわけです。
それをさも、何か「悪いこと」のように根本的な勘違いをなさっているその時点で、お二人の「言論」というものに対する
スタンスも認識も、あまりに稚拙、かつお粗末であると断じざるを得ません。

もう一度申しましょう。
「人様のブログに乗りこんで」の異議申し立てに関しては、一ネットユーザーであり、一読者でもある
私の持つ権利と自由の正当なる行使であって、そのことに対してケチをつけられる筋合いは一切ありません。
私はまさに、ひとつの意見に対する反論のためにこそ「乗りこんで」きたわけです。何を恥じることがありましょう?


と言ったところで、ここからはごく簡単ながら個々の方々へのお返事です。

>マイミクAさん
>『本当の被災者』の方々とは別モノの『なんちゃって被災者』

まず、北海道在住の私は今回の災害における被災者ではありませんし
先のコメント中において「自分が被災者」であるとは一言も表記していません。
こちらが書いてもいないことを勝手に捏造するのは止めて頂きましょう。
……ま、批判相手の名前も書けないような、貴方ごとき怯懦な御仁には
言っても詮無きこととは思いますが(苦笑)。

>かたつむりさん
>人にはいろいろな意見や考えの違いもありますので、
>大震災時のとらえ方、心の傷め方、乗り越え方もいろいろあろうかと思います。
>そしてそれに対して自分のあり方もいろいろあろうかと思います。
(中略)
>一つの意見ですよ。

仰る通りです。
そして公の場において意見が述べられる際に招来される、異なる立場の意見……
私からの反論もまた、一つの意見です。
そして、それの提示は我が国の現行法にて認められた権利の正当な行使です。

オタクイーンさんのお人柄については、私も一読者としてよく承知しております。
ですが「それはそれ、これはこれ」です。
「何事もなかったように、震災前と全く同じペース・テンションでオタク記事をアップし続ける」ブログのことを
ろくな論証もせず十把一からげで否定的に扱ってみせ、かつそれを「自分自身の苦しい心情」を
正当化するためのダシに使っている記事本文の没論理と脇の甘さ。
まさに「ダシに使われた」一人として、私はそれを批判しているのです。
その事は、先の私のコメントをお読み頂ければ既に自明のことです。

にもかかわらず、先のコメントにおいて私の用いた一部レトリックのみに噛み付いて
本質を読み取ろうとなさらない貴方の物言いはヒステリックの最たるものであり、
もはや感情論ですらない、ただの「脊髄反射」そのものです。
……おっと、「私は軟体動物だからそれでいいんだ」なんて開き直りはなしにして下さいよ(笑)。

オタクィーンさんのお気持ちに、同調する一人です。
もう既に、貴女の友人を名乗る資格がない身ですが
今回の貴女の記事で書かれた「胸の内の吐露」を
一人の人間として、真摯に受け止め、分かち合いたいと思います。

人それぞれ、価値観は違うでしょう。
「被災者を元気付けるため、あえて」という口実で
「こんな震災や事故ごときで、自分が今までやってきた作品ごっこの
一番の盛り上がりに水を差されたくない」というエゴで
著作権も法律も、自分以外の人間すべてへの思いやりも捨て去り
取り巻きに囲まれて和気藹々と楽しむ、そんな人もいるかもしれません。

でも、大事なのは、そんな浅ましき俗物がどれだけいようとも
そうではない人間もいるのだという、小さな主張でいいんだと思います。
違法行為で何十万HITだと威張っている、自称αブロガーであっても
ひっそり運営されているブログであっても
どちらも運営者は一人の人間で、その主張は「社会への一票」だと思います。

ネットやブログでの挙動に正解はないけれど
見る人が見ればちゃんと「その人の品と成り」は見えると思います。
お体だけはお大事に。

ええと…
出発点は「感じ方」の話なわけですが、各人あまり感情的にならないほうが良いかと思います。またあまりに相手を論破しようとするのもこういう場合、不毛でしょう。なんか批判側と賛成側(あえてこう表現しましたが)で論点というか焦点がずれている感じがしますし。

物事にたいしての感じ方、考え、想いはそれぞれでそれを表現すること、またその表現に対して意見を述べることも自由だと思います。ですのでMIYUKIさんが震災に対して、またそれに対する周りの反応に対して違和感を持ったことを表明することはまったく問題ないと思います。問題というか、私自身が異論を挟みたかったのは、ただ一点、「自身と違う感じ方をする人々の人間性に言及した」点に対してだけです。それは先に述べた「物事に対する感じ方、表明の仕方の自由」を否定するものだからです。「その言い方(行動)はおかしい」というならまだしも「そんな事を言う(する)人間は人間性に問題がある」とまで言うと色々マズイと思うわけで…。人間性や性格なんて多面的でおいそれと貶したり褒めたりなんてできないでしょうし。これはブログにコメントを付ける方もまた然りです。
またオタク返上云々の表現やそれに対するリアクションがまたややこしい感情的軋轢を生んでいるように思います。この問題は何もオタク系ブログに限ったことではないのにそこを限定する表現をしてしまったのでより「攻撃」として捉えられやすくなったんじゃないのかと。

こんな状況ですので皆、気が立ち殺伐とした雰囲気になるのは無理からぬ所があります。そんな空気を読んで、不謹慎と攻撃されるのを恐れての「自粛」ムードが蔓延しているわけですし。

もう一度言っておきたいのは、今回の件は「表現の過剰の問題」であって各人の「人格」の問題でないと私は思っています。ですので過剰な自己嫌悪とか謝罪とかはたまた議論とかはいらない気がします。
しかしながら早めにリアクションを起こされ、事態を穏便に治められることをお勧めします。

すみません、オタクィーンさん。一匹の害虫を駆除にきました。
コメント汚し大変申し訳ありません。


おい、さいとう!
ココじゃあオタクィーンさんに迷惑がかかる。
こっちでお前に相応しい場所を用意してやったからhttp://jbbs.livedoor.jp/otaku/14609/#1に来な。

このまま人様のブログのコメント欄を屁理屈で荒らし続けるのか?
それともまた自分の巣で『口だけ番長』するのかな?

まぁ、ネット弁慶のお前にそんな度胸があるとは思えないがな。(笑)

オタクイーンさん、今回の記事のテーマは時とともに風化していく震災への思いでしたね。、
本当はそのことについて書くつもりだったのでコメントさせてください。
少し長くなります。すみません。

阪神大震災のとき、電車での交通手段が遮断され、
代替バスで神戸入りしました。入院していた友人を見舞うためでした。
大勢の人が物資を背負って乗り合わせてましたが、みな無言でした。
高速道路が横倒しになっている映像がテレビで幾度となく流されましたが、
あれを現実に目の当たりにしました。
家の2階がつぶれて倒れている光景、もう戦争でも起きたのかという惨状でした。
テレビで映像を通して感じるのとは違う現実。
ここに何人かの家族が住んでいたかと思うと自然に涙があふれてきました。
とてもつらい光景でした。
ゴジラやガメラは大好きですが、あの現実を目の当たりにしたときは、
もう二度と怪獣映画や戦争映画の類は見る気持ちになれないかもと思いました。
その友人も後日亡くなりました。あの頃のことを思い出すのはつらいです。
周りの人の支えや励まし、そして時間の力を借りて心を癒していったと思います。
忘れることはないけれども、心の奥にしまって、つとめて忘れようとしたかもしれません。
気持ちの風化はいなめませんが、
人間が生きていくのに必要な「ずるさ」なんでしょうね。

オタクイーンさんが災害があるたび心を痛めて受けとめておられる姿、
私は大好きですよ。命に対する思いの深さだと共感してきました。
これまで私も含め、このブログで癒された方々はたくさんいらっしゃいます。
オタクでもない私のような者でも気軽にお邪魔できる懐の深さや
居心地のよさを私は感じてきました。本当に感謝しています。

人様のブログで表現するには「言論の自由」を主張する前に
人としての礼節が必要だと思ってます。
オタクイーンさんは本当に気配り、心配りのできる方です。
でもそれに甘えずにオタクイーンさんのブログの場にお邪魔していることを
忘れないようにしなければいけません。
オタクイーンさん、私も行儀が悪く、礼節に欠けるので気をつけますね。
ゆっくり心を癒してください。
応援してます!

皆様のお怒り、お腹立ち、誠にごもっともだと思います。しかと承りました。

多勢に無勢と言うことで、徒手空拳の青二才には荷が重いこともあり……
また結局のところは双方の生き方、感じ方、価値観の違いであって、
このままやりとりの応酬を続けても、それぞれの立脚点の違いから
不毛なすれ違いを重ねるばかりであろうと言うことで、ここはただ静かに
袂を分かたせて頂いて、それぞれの価値観に対しては徒に干渉せぬまま
個々の道を往くのが、もっとも良い在り方であろうと悟りました。

勿論だからと言って、自分の過去コメントが帳消しになるわけではありませんので
それらへのご意見・ご批判などに対しましては今後とも受け止め続けたいと思います。

では最後に、決して皮肉ではなしに皆様のご多幸をお祈りしつつ……
こちら様からは、これにて完全に退散させて頂きたいと思います。
お騒がせをして申し訳ありませんでした。

コメント頂いたみなさま。
返事が遅れ、大変申し訳ありませんでした。
また私の不用意な発言により、無用な対立を生んでしまった事にも
非常に反省しております。
すべては私の責任、稚拙な表現によるものとお許し下さい。
今の心境ほか、お話できる事を
次回の記事にて綴らせて頂きました。
お時間ある時にでも、ご覧頂ければ幸いです。
再度お詫び致します。本当に申し訳ありませんでした。

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