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2010年11月22日 (月)

時間の芸術

久しぶりに今日はちょっと長文の上、小難しいお話です。
もっとも文章化に向いていない話題、とも言えるでしょう。
ですからお時間のある方だけ、おつき合い下さいcoldsweats01


テレビ屋というのは因果な商売で、どんなに身内が関わった作品でも
こと観客の立場となると、職業上の知識や鑑賞意識が総動員され
どうしても、シビアな鑑賞眼を働かせてしまいます。
先週土曜日に出かけた舞台公演も、その例に漏れませんでした。

都心の中心地、ビルの11階に500席ものキャパを構える大ホールで
名古屋で活動する7つの劇団が参加した合同公演。

三日間全4回のステージで、30人を超える登場人物の内
主要出演者はダブルキャストですから、スケールの大きさもお察し頂けるでしょう。
その中で、ストーリーの主軸に関わる重要人物を演じたのは
我が幼なじみであり、「ネヴュラ」でもたびたび話題に上る
社会人劇団員のro_okuさんでした。

初めて挑む大役、お話を回す上で重要な両輪の一方を担う
堂々たる役どころです。


そんな彼の晴れ舞台を観ようと、中学で共に机を並べた
幼なじみ5人が集まりました。

今は接点も少なく、それぞれ違う土地で頑張るメンバーばかりですが
こんなきっかけでもなければ、お互いの顔などなかなか見られないものです。

鑑賞後、大役を果たしたro_okuさんの労をねぎらい
近所の居酒屋で少し早めの忘年会。
彼を含めた幼なじみ6人で、ささやかに杯を交わしました。

ここで公演の素晴らしさに花を咲かせたという顛末なら
非常に美しい一幕だったのですが
冒頭のお話どおり、やはり私のシビアな目は、そんな展開を許してはくれずcoldsweats01 
まー生まれ持った、嘘のつけない性癖とお笑い下さい。

とはいえ読者の皆さんは、この舞台をご覧になっていない訳ですから
何もここで、作品の内容をどうこう話しても意味がありません。

この舞台についての、私の印象はこうです。
「幼なじみの欲目を差し引いても、ro_oku氏の演技は完璧に思えたし
正直、これまでに比べ一皮剥けた印象はある。
ただ残念ながら演出全般のツメが甘く、特に『時間操作のバランス』に難。」


お話の時代背景と舞台は、昭和30~40年代の名古屋だったんですが
ベースの戯曲がアメリカの作品で、今回はその翻訳戯曲だったゆえ
アメリカの風習を日本のそれに移植したゆえのちぐはぐさがあったことや
合同公演、ダブルキャストゆえ膨らみきった多数の演技者のキャラを把握し
演出意図を全員に行き渡らせきれなかったと思わしき演出家の苦悩、迷いが
舞台に流れる消化不良な感覚の原因だった事も、なんとなく理解できました。


ただこれは、決して苦言ではありません。
ここまでの公演を実現させた彼らの力は本当に素晴らしく
たとえ迷いや苦悩があっても、それは次回作に必ず活かされるだろうという事です。
そういう意味では今回の公演は
現在の名古屋演劇界のポテンシャルを試すには、又とない機会だったでしょうし
そこでは予想外の収穫もあれば
私の感じた印象も含め、課題や反省もあったと思います。

それらはまさしく「試した上でしか分からない結果」であり
一つとしてマイナスには働かない。全て今後の糧となるはずなのです。

ro_okuさんを含め、劇団の皆さんの活動を、今後も応援したいと思います。
私のような物知らずが、偉そうに申し上げる事でもないのですが。


舞台を未見の方にご覧頂くブログという性格上、これ以上は控えますが
ro_okuさんはじめ
、公演関係者の方がこれを読まれて
私の印象に関して詳細な感想をご希望であれは、お申し付け下さい。
稚拙な駄文ながら、よろしければ記憶の範囲で応じさせて頂きますhappy01


さて。この公演中から公演後にかけて、同席の幼なじみ連中は
さまざまな印象、一言感想をもらしていました。

なにしろ舞台に立つのも同じ幼なじみですから、遠慮などまったくありません。
でもその分、一般観客の率直な意見としては非常に貴重なのも確かです。
いわく「眠くなった」「途中しばらく意識がなかった」「(退屈すぎて)拷問に近いな」
などなど・・・
(当日の関係者の皆さん、これがアンケートに表れない意見なんですよhappy01


舞台や映像作品が好きな私も、確かに彼らの意見には一部共感します。
でも大切なのは、そこではありません。
問題は「今回の舞台を、なぜ彼らが退屈に感じたのか?」という事です。

実はこれは、私が時々「ネヴュラ」でお話している
「作品の感想、印象」に非常に密接に関係する事なのです。



ちょっとお話はそれますが。
巷に溢れる多くの「作品感想、批評ブログ」には
出演者の印象やストーリーについて触れられていても
そこから受けた感想について
「なぜ」が書かれていないものがほとんど、という印象を受けます。
「なぜ」感動したのか。「なぜ」つまらなかったのかなどなど。
それはどうしてなのか。理由は簡単です。
前述の幼なじみたちと同じく、映像や舞台に関わらない一般の方々は
ストーリーや俳優の演技など分かりやすい部分、またテーマについては
言及できても、自身が受けた感覚の「なぜ」の部分を言語化できないからです。

だから、全体の印象でしか感想を語れない。
当たり前ですし、無理ない事とも思います。

ところが。私のように映像業界の末席を汚す者でも
一度でも作品構造のイロハを学べば、その
「なぜ」がなんとなく分かる。
これはけっして私だけではなく、映像、舞台業界に身を置くすべての方々が
身につけた、職業上のノウハウとでも言えるものでしょう。


それは一言で説明すれば、こういう事です。
「『なぜ』は一部、数値化しなければ説明できない。
でもその数値は、読み手に数値の意味を理解する能力がなければ伝わらない」


たぶんこの言葉って、聞いても意味が分からないでしょうねcoldsweats01
例えば、こんな例はどうでしょうか。

①風邪をひいたようだ。体温計で計ったら、熱が39度もあった。
②今年は猛暑の影響でレタスの値段が高い。スーパーでは一個300円もする。


この二つの文で言わんとする事は
①39度という体温は、平熱より高い
②例年ならレタスは一個、100円程度

という予備知識があって、初めて理解できますよね。
私が言いたい「数値の意味を理解する能力」とは、そういう事なのです。
それがなければ、どんな数値を提示しても理解されない。


映像や舞台といった作品には、確かに多くのファクターが関わります。
シナリオ・配役・役者の演技・カメラワーク・照明・セット・造形・音楽などなど
その一つ一つが密接に絡み合っているので、一つに絞りきれないところはあります。
ただ多くの場合、出来上がった作品で最も目立ち、はっきりと印象を決めるのは
映像作品で言えば「編集」、舞台で言えば「一場あたりの尺・長さ」です。


以前もお話しましたが、映像業界にはこういう言葉があります。

『現場は照明で決まり、作品は編集で決まる。』

つまり映像作品も舞台も、「時間の芸術」であるという事なんです。
「いや自分はシナリオや造形が第一」とおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。
でもそれは作品を一度録画して、その後に
「作品をスローや一時停止、または反復再生しながら、研究目線で見る」
からであって
冒頭の幼なじみらに代表される一般観客は、作品を一度しか観ないので
作品オリジナルのリズムに身を任せることしか出来ません。
ですからそのリズムで感じた印象が、作品の評価を決めてしまうのです。


「なぜが分かる能力」とは、これに関係してきます。
多くの映像・舞台関係者と同じく、私も
「セリフの間や映像のワンカット、舞台の一場当たりの長さを
時間に直して理解する」

という姿勢を取っているのです。
それはなぜなのか?それこそが映像・舞台作品のリズムを決め
作品の印象に直結しているからです。


以前、映像作品の印象的なワンカットの長さを解説した拙記事へ
「ものすごく細かく説明されるんですね」という意味のコメントを
頂いた事がありましたが、それは当たり前のお話で
「面白さ、つまらなさの「なぜ」は、ワンカットの長さが握っている」からなのです。
ワンカットの長さ。それこそが編集で生み出されるものであることは
皆さんもお分かりでしょう。


これが、前述の
「『なぜ』は一部、数値化しなければ説明できない。
でもその数値は、読み手に数値の意味を理解する能力がなければ伝わらない」

という言葉に繋がってきます。

例えば皆さんに、37秒という時間を差し上げましょう。
この時間に何カット詰め込めば、緊張感あるリズムが生まれるでしょうか?


「そんなこと言われたってわかんないよ。動画の編集なんてやったことないもん。」
そうお考えになる方がほとんどではないでしょうか。
そもそも、巷に溢れる映像作品のカットの長さが何秒か
また演出意図に応じて、カットの適正な長さはある程度決まっている
なんて、考えたことさえなかったんじゃないかと思います。

そりゃそうでしょうね。ごもっともです。
これを理解するには、体で「一秒に詰め込める視覚情報量・時間感覚」が
分かっていなければ不可能です。

これが「数値の意味を理解する能力」なのです。

ですから、「1秒、2秒ときて、次は15秒というカットのリズムが生み出す緊張感」
なんて書いても、作品を見た方しか理解できないでしょ?
またそういう角度で作品を解析したブログ記事も
不勉強ながら拝見したことがありません。
でも、編集が作品のリズムを決定する以上、文字ではこう書くことしか
出来ないわけです。
「そのカットが一秒の顔アップだったから、15秒のロングパンだったから
シーンにリズムが生まれた」など、こういう言い方でしか表現できない。
そういう解説を理解するには、
時間に対する一定の理解力が必要なわけです。
カット繋ぎの力学と言い換えることも出来るでしょう。
私が言いたいことが、なんとなくお分かり頂けたでしょうか?

一般読者の方はまず間違いなく、ピンと来ないと思います。
映像業界の新人が最初につまづくハードルがコレですし、コレが体感できるかどうか
言い換えれば「編集で気持ちいいリズムが生み出せるかどうか」が
監督にとって重要な資質ですから。


ついでですから言っちゃいますが、いわゆる「評論家」と「クリエイター」を隔てる
最大の壁が、この「時間感覚のセンス」です。

このセンスが欠落していては、いかにストーリーが、テーマがと
大仰な批評が書ける評論家も、監督にはなれません。

意外に思われるかもしれませんが、映像作品は「頭や文章力で作るもの」ではなく
監督の「生理」が占める割合が非常に大きいからです。

ちょっと冒頭のお話に戻りましょう。
先週土曜日、ro_okuさんの公演を観た幼なじみたちが
なぜ「眠くなった」「途中しばらく意識がなかった」「拷問に近いな」という
感想を漏らしたのか。
確かに演出の迷い、煮詰めの甘さもあったとは思いますが
最大の要因は「一場ごとの尺バランスの悪さ」と、私は感じました。
これがもっと整理され、余計なエピソードはバッサリカットされていれば
たとえテーマはとっつきにくても、観客を乗せることは出来たと思います。

芸達者揃いの舞台だっただけに、これがつくづく残念でなりません。



最後に。ちょっと読者の皆さんは疑問に思いませんでしたか?
「さっきの「時間感覚」のお話で
なんでオタクイーンは、
37秒なんて中途半端な数字を出したの?」
タネを明かしましょう。この「37秒」という数字。
実はコレ、黒澤明監督の名作『椿三十郎』ラストの名シーンで
三船敏郎と仲代達矢の最後の対決、
「お前たちも、どんなことがあっても手を出すな!」という
三船のセリフが終わってから

●二人の無言の睨み合い→気合一閃、血しぶきブシューッ

に至る、長い長いワンカットの秒数なんです。(ストップウォッチ計測)
ちなみにこのカット、斬り合いの前のセリフまで含めれば
カット頭からカット尻までは1分34秒。
皆さん、カットの秒数なんて、これまで考えたこともなかったんじゃないでしょうか?
映像屋というのは、そういう風に「印象を数値化する」商売なんです。


血しぶきのインパクトばかりが話題になるあのシーンですが
黒澤監督が天才と言われるゆえんは、そこに至る観客の心理を
心憎いばかりにコントロールし
「いつ斬るんだ?どっちが先に抜くんだ?」という興味をじらしにじらして
緊張の糸が最も張りきった末
(ここが神がかり的)ちょっと観客が気を抜くタイミングまではじき出した
演出・編集の腕にあるのです。このベストタイミングが37秒。

これが1秒長くても短くても、あのインパクトは生まれなかったと思います。
撮影現場では三船、仲代に斬りこむ「間」を任せたかもしれませんが
OKの決定権は監督にあるわけですから、あの間が黒澤監督の意に沿わなければ
リテイクしていた筈ですし
いずれにしても最終的にあれは「黒澤タイミング」と言って良いと思います。


37秒という時間の感覚を、体感頂けたでしょうか。
あなたが考え抜いたカットは、あの伝説のシーンの緊張感を超えていましたか?
カット数が多ければ、緊張感やリズムが生まれるとは限らない。
「時間」も、画面と並ぶ映像作品の重要なキャンバスであり
それをどう活かすか、コレが監督の資質なんですよ。

「こんな長い記事に付き合って、時間を損した」なんて思われたら
心からお詫びしますがweep

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コメント

観に来てくれてありがとうございました。
個人的には、お褒めの言葉をいただき本当に嬉しく思います。
芝居自体については他の人からも聞きましたが、やはり厳しい意見が多かったですね。一つ一つ頷きながら消化しています。
できればまた個人的にでも、より具体的な感想を聞かせてもらえると嬉しいですね。
本当にありがとうございました。

ro_oku様 公演も無事終了したようで、お疲れ様でした。
こんな長い記事、よく飽きずに最後まで読んでくれたねえhappy01
いや今回に関しては、あなたの演技は堂々としたものでしたよ。
作品のクオリティーはともかく、演技は素晴らしかったと思います。
やっぱり大きな舞台は、役者を成長させますねhappy01

作品に厳しい評価が多かった原因は、おそらく演出よりも
戯曲の段階での、劇中の時間配分に問題があったのだと思います。
だから演者も、特に大きなミスを犯したわけじゃないのに
なんとなく全員が、精彩を欠いてしまった。
皆さん上手かったのに、勿体なかったですよね。
おそらく演出段階では直しようが無かったのでしょう。難しいものだと思います。

具体的な感想については、いずれ連絡します。
体力や記憶力が続けば文章化しますが、電話だけになっちゃうかもsweat01
期待しないでお待ち下さいcoldsweats01

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