2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

私信等はこちらまで

無料ブログはココログ

« オタマトーンの恋するネヴュラ | トップページ | 大ボタンの誘惑 »

2009年11月20日 (金)

批判力VS創造力

先日から、HDDに録り溜めたエアチェック番組を
けっこう精力的に、DVDへダビングしてましてcd

おかげでこの春、地元局で再放送された
『新必殺仕置人』もほぼ全話、DVDコンプリートできました。
(第一話、二話だけは録り逃しましたが、はるか昔に録ったVHSテープと
消すに消せない脳内記憶があるからぜんぜん安心happy01

そんな中、こりゃ永久保存版だなと、思いを新たにした番組がありました。
今年2月1日、NHK-BS2で放送された
『没後10年 黒澤明特集
脚本家 橋本忍が語る黒澤明~「七人の侍」誕生の軌跡~』。


橋本忍さん。「ネヴュラ」読者の皆さんには
今さら説明の必要もない、邦画脚本界の巨人です。

今も日本映画の金字塔として燦然と輝く、黒澤明監督の「七人の侍」を
はじめとして、黒澤作品だけでも八作に参加。
さらにマイ・フェイバリットムービー『日本沈没』(’73年東宝・森谷司郎監督)や
『砂の器』(’74年松竹・野村芳太郎監督 山田洋次氏と共同脚本)
『八甲田山』(’77年東宝・森谷司郎監督)など
そうそうたる邦画大作を担当されました。

もしその名をご存知なくても、これらの作品名を目にされれば
共通する骨太の作風に圧倒されたご経験をお持ちの方も、多いと思います。


まーそんな偉そうな事を言いながらも、私自身
不勉強ながら、氏の名著『複眼の映像-私と黒澤明-』も拝読してませんし
今回のように時々放送される、氏の特集番組を拝見して
目からウロコを落としまくる程度の、中途半端なヘタレファンなんですがcoldsweats01

今回の番組は、タイトル通り
黒澤映画の代表作『七人の侍』の誕生秘話や、黒澤監督ご本人の人柄を交え
常に監督の傍で切磋琢磨してきた橋本氏が、思いや作劇のポリシーを語る
極めて現場目線の「芸談インタビュー」でした。

ヒッチコック・トリュフォーの『映画術』などをはじめ
この手の芸談に目がない私は
放送前から番組の匂いを嗅ぎ付け、満を持してリアルタイム録画。
番組は案の定、予想にたがわぬ素晴らしい内容でした。
かなり以前の放送でしたから、ご覧になった方も多いと思います。


橋本氏の口から放たれる一言一言は、映像制作の現場に生きる者にとっては
まさに金言にさえ値するものばかりで

ほんのエピソードひとつ採り上げるだけでも、私ごときのブログ記事一本では
とても語れないほどの深さがあります。まさに映像屋のバイブル的番組coldsweats01
ですからきっと、この番組に関しては
今後も事あるごとに、つまみ食いしてお話しようと企んでおりますが
今回ダビングの機会に再見し、久々に感銘を受けた一節がありましたので
今日はその部分を、ちょっとだけお話しましょうhappy01


それは番組終盤、橋本氏の『シナリオ制作に於ける努力目標』について
語られた一節でした。

「橋本さんご自身の努力目標は?」
インタビュアーの質問に答え氏の口から出たのは、意外な一言。



『シナリオは、下手に楽に書け。
自分のシナリオの下手な事に気を使うことはない。』



「えーっ?あの「七人の侍」の橋本さんが、こんな事言うの?
何かもう「妥協という言葉は禁句」みたいな、厳しい目標と思ったのに。」
その言葉を聞いた時、正直、私はそう思いました。
でもその後のお話を聞くにつれ、この言葉が
非常に真っ当な根拠の上に成り立っていることが、よく分かったのです。


『自分のシナリオの下手な事に、気を使うことはない。』
確かにこの番組は、スタジオに映像職を目指す学生を多く迎え
その前で展開される形式でしたから
この言葉はそれを意識した、新人への励ましにも聞こえますが
実はそうじゃないんですね。
氏一流の朗々たる格言ですから、本当は全部採録したいんですが
ちょっと長いので要約すると、こういう事だそうです。



『人間は子どもの頃から、学校生活などを通じていろいろ勉強するけど
その内容は、物事の理解や記憶、判断や批判する事についての技術が
ほとんどであって


『創造力』については、何も勉強していない。

その学習量の差により、自分自身の批判力と創造力には
いやおうなしに、大きな格差が出来る。

だから自分の書くものを、自分自身の批判力で批判したら
批判力の方が勝っちゃうのは自明の理、という事。』


『シナリオが最後まで書けない理由は
最初から「上手に書こう、うまく書こう」とするから。
書きながら自分で批判しているから、最後までたどり着けない。
だから書いている時は、自分の下手さには目をつぶっちゃう。』

『極端に言えば
シナリオっていうのは、批判力をゼロにした時に生まれる。』


『で、出来上がった時にはじめて、批判力を発揮し、直していく。
その結果、少しでも作品が良くなれば
その分だけ、創造力が成長したという事になる。』

最初から完璧を目指さない事。
これが、橋本氏の努力目標なんだそうです。



実はですね。このお話の後半に語られている事は
これまで私も、現場でさんざん叩き込まれたんですよ。
「第一稿なんてのは叩き台、作品の骨格が理解できればいい。
それを完成形とは思うな。
関係者の意見が作品をより良く導くことだってあるし
予算や撮影の都合、現場の事情でも、作品はどんどん変わっていくんだから
意固地に第一稿を守ろうとするな。
結果的にそれが、作品を小さくしてしまう。」


もうこれは、事あるごとにしつこく教わりました。
その結果、第一稿の香りが微塵も残らない拙作も数知れずweep
でも結果的に、それがマイナスに働くことは少なかったですね。
やはりシナリオというのは、多くの意見を含めブラッシュアップされる事が
良い場合もあります。

(「場合もある」という表現に、つたない抵抗を含める私smile


ですから別に、氏の『努力目標』そのものについては
私はさほど、感銘を受けなかったんです。
まー当たり前のことですしね。

でも目からウロコが落ちたのは、前半の部分。
『批判力と創造力の格差』のくだりです。


いやーそーかー。なーんで今まで、そんな事に気づかなかったんだろうhappy02
言われてみればごもっともですよねー。
思い起こせば小学校から義務教育いっぱい、なんだったら高校まで
『物事の基礎知識と、その是非を判断する技術』の習得が
ほとんどを占めてたもんなー。

そりゃ批判力・解析力の方が、先に育っちゃうわけだ。
だってそもそも『創造力』を育てる機会は、極端に少なかったし。
思い当たるのは、国語の作文や図工、美術ぐらいですかね。
うーむ奇しくも、私が好きだった分野ばっかりですがhappy01
(それが得意だったかどうかは別問題、というのが残酷ですがweep

『もともと日本の教育システムは、批判力を優先している』という
橋本氏の視点は、非常に鋭いと思います。

まー私みたいなおバカは、それが日本人の優れたコピー能力の一因かなんて
短絡的に感じてもしまうのですが。
創造力の欠如、オリジナルが生み出せないという点でcoldsweats01


その傾向は最近、特に顕著なようにも感じます。
まー私の勉強不足かもしれませんが、私のテリトリーである特撮作品でも
『コレは見たことが無い!お見それしました!』という作品は
’80年代あたりから、出会った事がありませんしcoldsweats01
昔の作品の、セルフコピーを繰り返している感がありますね。
様々な裏事情がありながらも、とにもかくにも新作を作り続ける
制作者のご努力には、本当に頭が下がりますがhappy01


「いや、アメリカのヒーロー作品リメイクをはじめ、それは世界的な傾向だ」
というご意見もおありでしょうが
その「世界的傾向」を、日本人がコピーしているという見方だってあるわけです。


で、さらに強く思うのは、私が一番嫌う
『批判逃げ』ですね。

前述のように、我々はもともと批判力優先で育ってきているわけですから
他人の作品を批判できるのは、当たり前なんですよ。
それを『批判できるという事は、自分はその作品以上のものを創造できる』と
勘違いしちゃう風潮を、非常に感じるわけです。


「今日放送された●●第×話は、○○の脚本の悪い点が云々」
なんて、「すくすくと育ててもらった」批判力だけを発揮する。
そりゃ言ってる方は、気持ちいいですよね。

でも「そこまで言うなら、あなたはそれ以上の作品を作れるの?」と問いかけた時
「いや、それは作り手の仕事」と逃げてしまう。

もう少し、作り手が「もともと学んでいない」創造力を駆使して
どれほど苦労しているかを、理解する努力も必要と思うんですよ。
自分の批判力をカサに着て、創造力の欠如には目をつぶってしまうんですね。
これがもう私は、身震いするほど嫌いなわけですcoldsweats01


力足りずながら、私がしつこく「宇宙船」の企画募集に応募し続ける理由だって
素晴らしい作品を見せてくれた先人の苦労を追体験することで
「創造する事」の大変さ、素晴らしさを味わいたいという
欲求からとも言えるわけで。
あくまでフェアでありたいんですよ。上から目線で批判するだけじゃなくて。
結果が出てないと言われたら、一言もありませんがcrying


誤解の無いように申し上げますが
「批判」と「感想」「解析」「評論」は別ですよ。

見たままのピュアな思いを形にする「感想」は、それはそれで重要だし
史実を調べに調べ、確固たる裏づけの元に展開される「解析」「評論」も
「批判力」に頼らないという姿勢を考えれば、非常に意義深いと思います。
要はどんな作品にも、鑑賞者の根底には
まず「作られたという事に対する敬意」が必要じゃないかという事ですね。
で、その後のアプローチについては、やはり作り手の努力に匹敵する
裏づけ調査やそれなりの論旨がなければ、フェアじゃないと思うわけです。


また、これも私の確固たる主義ですが
「良い悪い」と「好き嫌い」「新しい古い」は、全部違う尺度なんです。
だから「良く出来ているけど嫌い」「古くて出来が悪いけど好き」
なんて感想だって、皆さん持ちますよね?それが自然なんですよ。
根拠の無い批判って、この尺度を混同している場合が多いんじゃないかと。
「嫌いな作品だから悪い」とか「昔の作品だから嫌い」とか。


「批判」は誰でもできるんです。
でも「創造」はそうはいかない。


そこには、ちゃんとした根拠があったんです。
あの橋本忍氏をして、そう言わせるだけの。

今回の番組は、それを再認識させてくれました。


不勉強ゆえ、最近の教育現場は存じ上げないので
曲解や一面的な見方としたら、素直にお詫び致しますが
こういう見方もあるという事でcoldsweats01
またも悪い癖で、長文になっちゃってごめんなさいcoldsweats01
おヒマなら、ちょっと皆さんに考えてもらいたいですから
このお話は、ネヴュラ、mixiの両方にアップします。
まー場末のオタクの独り言と、また呆れてやって下さいhappy01

« オタマトーンの恋するネヴュラ | トップページ | 大ボタンの誘惑 »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

「映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

 こんばんは!
橋本さんのプログラムがあったんですね。完全に見逃しました。残念です(泣)

黒澤映画が素晴らしかったのは小国英雄、橋本忍、植草圭之助、菊島隆三らが共同で脚本作りにかかわったのが大きいですし、カメラの宮川さんや美術の村木さん、音楽の早坂さんなどスタッフの才能の賜物でもありますね。

なかでも橋本さんは黒澤監督をも冷静に見ていた方ですし、独自の考え方を持っているようでした。後期の作品で黒澤映画が偏っていってしまったのも人の意見に耳を傾けていた全盛期の根気が失せてしまったからなのでしょうか。

拙文ですが、TBを入れさせてていただきます。ではまた!

用心棒様 記事の番組は二月の放送でしたので
見逃されたのも無理はありません。
私も放送当日にたまたま番組表で知り、あわてて予約録画したような始末でcoldsweats01

でも映像業界に生きる私にとって、当時の黒澤映画の組み立て方は
現代の映像屋が失ってしまった「映像作りの基本」を再認識させてくれる意味で
非常に興味深いものがありますね。
記事の番組でも、橋本さんが自分の目で見た「映像作品の設計から完成まで」が
氏一流の豊かな語彙で語られ、そのブレのない一言が迫真のリアリティを持って
私の胸にグイグイと迫るんですよね。
映像屋経験が長いほど、氏の言葉は金言として心に響くと思います。

おっしゃる通り、黒澤映画を支えたのは
指揮者たる黒澤監督を当然として、作品という見事な演奏を奏でた
そうそうたる全スタッフの、仕事の賜物と思います。
ただ、彼らがその能力を最大限に発揮できた要因は、とりもなおさず
黒澤監督のタクトさばきにあったことを、今も感じますね。
名演奏の影に名指揮者あり。その限りない賛美は、橋本氏の口からも
充分に語られていました。

TBありがとうございました。こちらからもTBさせて頂きます。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/104767/32278178

この記事へのトラックバック一覧です: 批判力VS創造力:

» 『七人の侍』(1952) 歴代日本映画最高の活劇作品にして、黒澤時代劇の最高峰。ネタバレあり。 [良い映画を褒める会。]
 黒澤明監督の1952年に公開された代表作です。制作費は通常の6倍(当時、時代劇一本の制作費の平均は二千万円強)、そして製作そのものに一年近くかかるという、当時としては異例尽くめの作品でした。全てを語りつくすことはとうてい不可能な映画であり、映画に必要な全ての要素が詰め込まれている奇跡の作品です。... [続きを読む]

« オタマトーンの恋するネヴュラ | トップページ | 大ボタンの誘惑 »