2021年12月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

ネヴュラ・プライベートライン

無料ブログはココログ

« 軍団再び | トップページ | Question・Q② 独自性 »

2009年10月26日 (月)

Question・Q① 立ち位置

さて。今回からちょっと、お遊びをしてみようと思います
とはいえ別に、大した事じゃありませんが

以前お話した通り、私は先日からmixiに加入
新しいお仲間の皆さんと、楽しい交流をさせて頂いています。
mixiでも例によって、おバカな私見ばかりを綴っていますが
呆れもせずお付き合い下さることに、新参者ながら感謝するばかりです。
それに先駆けて始めた「ネヴュラ」でも、怪獣やヒーロー愛に溢れた方々の
ご意見に、無知な私は目からウロコの連続でした


そんな皆さんとの意見交換を続けながら、私は一つの感触に捉われていました。

怪獣、ヒーローファンにも、世代交代の波は確実に押し寄せているなあと。

たとえばウルトラシリーズなら
かつては第一期作品のリアルタイム視聴者だったファンの年齢も
’70年代からの第二期を心の故郷とする方や
’80年代の第三期に心酔、さらには平成ウルトラに魂を奪われたという
新しい世代の方々へ、徐々に中核が移りつつあるという事ですね。


ヒーロー番組は、感性がむき出しな幼児期にリアルタイム鑑賞した作品が
その人にとっての一番でしょうから

ウルトラの場合も、’70年代以降に幼児期を迎えた方々が
今や、ファン活動の中心になりつつあるという事なのでしょう。
第二期作品以降の再評価が高まり、関連アイテムのリリースも増えつつある
現状が、それを物語っています。

私のような『第一期しか知らないんですよートホホ』なファンは
すでに、少数派なのかもしれません。

帰りマンの前期と後期の作風の差とか、レオの円盤生物が云々の話題なんて
まるっきりチンプンカンプンなわけです

ですから、初代ウルトラマンというテーマで意見のやりとりをしていても
ファンの年齢層の差で、微妙にウルトラマンに対する感覚が違う。
それを非常に感じるわけです。

でもこれは決して、不快という事じゃありません。
むしろ同じウルトラでも、心を奪われた作品がどの年代だったかによって
これだけ視点に違いがあるんだなあという、新たな発見でもあるわけです。

同世代のファンからは決して得られないご意見を頂いているという意味では
むしろありがたいくらいで


余談ですが、たとえば私のゴジラ映画初体験は
1970年公開の東宝チャンピオンまつり版『キングコング対ゴジラ』なんですが
そこからゴジラキャリアが始まった私のゴジラ観は
間違いなく、1954年の第一作『ゴジラ』リアルタイム鑑賞派の先輩ファンとは
大きく異なるはずなんですよ。

それと同じ感覚差を、きっと私も感じているのでしょう。
そういう、世代による感覚の違いは、大変興味深いものである上
これからの特撮、ヒーロー作品を考えるに当たって
非常に参考になるような気もします。

前置きが長くなりましたが、今回のお遊びの動機は
そんな『同じ作品に対する、世代間の感覚の違い』を見てみたいという
ちょっとした探究心からです。

こういうのは本来、コミュニティのスレッドに立てるような物でしょうが
そこをあえて自前でやっちゃうのが、私のへそ曲がりなところで



さて。ここからが本題なんですが
要はアレですよ。前述のスレッド的なお題・フリに
コメント欄でお答え頂ければ嬉しいなというだけの事なんです。


お題は今のところ、私の頭には三つあります。
ですから記事も三回に分け、毎回一つずつ出して行きます。
しかも。サブタイでお察しの通り、全て『ウルトラQ』に関する事です。
クイズじゃありませんよ。あくまで「ご意見」です。


ではさっそく、今回のお題です。


Q1『あなたにとって、ウルトラQという作品の
      立ち位置は?』



要はこういう事です。
今、ウルトラシリーズってなんとなく『ウルトラマン』からという空気ですよね。
円谷プロの公式設定云々じゃなくて、世間の共通意識として。

でも、ウルトラQをまずリアルタイム体験して
次に『ウルトラマン』という作品に遭遇、という人生を歩んだ
私のような立場からすると
『ウルトラQ』がまず最初にして最大のインパクトで
『ウルトラマン』は『Qの次に来た怪獣番組』だったんですよ。

ですからQがなければマン、もちろん後続のウルトラシリーズもあり得ない。
作品中にウルトラマンが出る出ないは、私にはあまり関係ないんですね。
確かにウルトラマンの登場でシリーズの意匠、ある種の黄金律が
確立したとも言えますが
作品内の空気、方向性という意味で、Qとマンは共通していたと思います。
そういう意味で私の中での『ウルトラQ』は、ウルトラマンと地続きの作品。
ウルトラシリーズに於ける初代『ゴジラ』なんですよ。

それくらい重要な作品であり、またそれに見合う内容だったと思います。


さて。私の中でそういう立ち位置のウルトラQですが
初代マン以降と比べ、知名度の低さやモノクロ作品という事情などにより
後年のファン諸氏は、やはり違う感触を持たれると思うのです。
そこをお聞きしたいわけですね。


別に肯定、否定というお話じゃないんですよ。
ウルトラマン以降と同じシリーズとして捉えられるか、捉えられないかという
二者択一をお尋ねするわけでもありません。。
あなた独自の『Qの立ち位置』をお聞きしたいのです。


●ウルトラ体験はシリーズの別作品が先で、Qは後で知ったから
  初代マンとは繋がらないかなあというご意見もあるでしょう。

●最近の若いファンの皆さんには、Qのモノクロ画面が
  一つのハードルで、今ひとつ苦手な印象かもしれないし

●ウルトラヒーローの登場がウルトラシリーズの意匠というお考えなら
   Qはシリーズ外という事ですしね。

●またQからリアルタイム鑑賞という、私と同世代の方でも
   別の立ち位置をお考えかもしれません。


●その逆もあるでしょうね。お若くても「Qにマンの原形を感じる」という方が

●むしろ日本発のSFアンソロジーとして、独自の評価をしている
   なんてお考えもあるでしょう。

●「で、誰がウルトラQに変身するんだ?」レベルで分かりませんでした
   的なご意見も大歓迎

また、映画やテレビの歴史的立脚点などを紐解いて
私など及びもつかない、新鮮な立ち位置を解析されている方も
いらっしゃるかもしれません。
要はどんな立ち位置でもいいんですよ。主観は尊重すべきですから。
新鮮なら新鮮なほど面白いです

そういう色々なご意見をお聞きできれば楽しいなあなんて
勝手な考えで、お知恵を拝借したいわけです

お返しなど何も出来ませんので、軽くお考え頂ければ充分です。
「ウルトラQって何?聞いたことない」なんて
ダイナミックなコメントもいいですねえ。

まさに爆弾コメント!もうそういう世代も居るんだろーなーと



さらに。一つの試みとして
この記事は、ブログ・mixi連動企画としてアップしています

つまり、まったく同じ記事が
ブログとmixiの私の日記、両方にアップされているという事です。

ウルトラQ関連なんて楽しいネタを、ブログ、mixiのどちらかに
限定するのはもったいないし
どちらのお仲間のご意見も非常に貴重、ぜひお聞きしたいですから。
ただブログのみのお仲間には、mixiへのコメントがご覧頂けないのが残念で
それだけは最初に、お詫びしておきます

それともう一つ、現在私は例の『宇宙船』応募作品制作の大詰めですので
作業が佳境の場合、頂いたコメントへのお返事が少々遅れるかもしれません。
もしその失礼がありましたら、申し訳ありませんが
いつもの病気とでも思って、どうぞ気長にお待ち下さい



まー企画倒れに終わるかもしれませんが
一つでもコメント頂ければ大成功と、はかない望みを抱いております

まー個人のブログ、日記ですから、別に締め切りなど設けない
ダラダラないいかげん企画です
おヒマでしたらなにとぞ、遊んでやって下さいませ

ちなみに。この企画はあと二回続く予定です。
次回もこんな感じで『ウルトラQ』絡みのユルい質問です。

まーヘタレ企画ですので、期待しないでお待ち下さい

にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ

« 軍団再び | トップページ | Question・Q② 独自性 »

ウルトラマンクラシック」カテゴリの記事

円谷プロ名作」カテゴリの記事

コメント

 こんばんは!オタクイーンさんらしく、着想がユニークですね。

 ぼくはリアルタイムで見たのは帰りマンからですが、当時から好きだったのはセブンとQでしたよ。帰りマンも全部というわけではなくて、タッコングやグドンが出ていた前半、ムルチとか出ていた中盤の暗い感じが好きでした。

 ウルトラマンではシーボーズとかジャミラ、テレスドンなどのエピソードが好きで、大人になってから実相寺作品だったことを知るという感じでした。スタッフロールなどもセブンでは漢字はよく分からないながらも字の感じで、このおっちゃんが出てる(かかわっている)時は面白いとかが幼稚園児の頃からなんとなく分かっていましたので、学生時代にビデオで出たときに実相寺の名前をみて嬉しかったのを覚えています。

 ウルトラからは外れますが、ゴジラも単体物(ゴジラしか出てこないとか、ラドンしか出てこないなど)が当時から大好きで、対決物はあまり好きではなかったですね。今でも悔やまれるのはキングギドラ単体物がモノクロで製作されなかったことです。

 なんだかんだ言いながらも、デアゴスティーニの東宝シリーズの第一作目の『ゴジラ』は発売日に買ってしまいました。ではまた!

僕は84年、俗に三代目もしくは新二代目のゴジラが東京で暴れて、三原山に落ちた年に生まれました。
ショッキラス年、スーパーX年と言えばいいでしょうか。
物心ついた頃はウルトラマンたちは地球に姿を現していない時期です。だからもっぱらビデオで見ていました。ウルトラマン80が4年前まで地球にいたのがそんなに時間が経っていないのに実感がないのが不思議です(生まれてないので当然ですが)。
幼少期リアルタイムのヒーローは『仮面ライダーBLACK』&『RX』世代です。昭和の作品をリアルタイムで見ていた世代の方たちが羨ましく思うこともありましたが振り返ると過去の作品群をビデオで出会いながら、ゴジラ、ガメラ、ウルトラ、ライダーの復活を目撃して歳をとっていったのでいまでは幸福な小学〜高校時代だったなと思います。
その影響もあってかいまでは昭和と平成の特撮両方「どストライク」という感覚です。作品一つ一つをあげればあれが特に好きだとかこれは普通とかありますが。
一時期、ウルトラは一期しか面白くないとかスペクトルマンなどは絶対見ないだろうとつまらない拘りを持ってましたがいまはもう消えました。(『宇宙猿人ゴリ』もDVD買ってハマりました。)
ウルトラQがウルトラシリーズのなかで異質だという感覚はありません。基本と思っています。最初に見た記憶のある怪獣映画が『空の大怪獣ラドン』だったりしますので怪獣モノのは対人間が基本というのが頭にあるのかもしれません。ウルトラを初めて見たのも4歳で『長編怪獣映画ウルトラマン』を見てすぐ後にウルトラQのレンタルビデオを見たときにウルトラマンの前の時間なんだなとなんとなく思ってました。『ウルトラQ』と『ウルトラマン』はセットだと思っています。第一部と第二部という感覚で見ています。
『ダークファンタジー』がもう一つの第二部って感じですね。

ワタクシは1972年の「ウルトラマンA」年生まれで、物ごころついた頃には
あの狂熱の変身ブームは遠い昔のおとぎ話(笑)でして……
辛うじて記憶に残っているのが「レオ」の本放映、それ以降はずっと
当時まだしっかり健在だった「夕方の再放送」で、ウルトラに親しんだ世代です。

そんな当時3~4歳のワタクシのお気に入りの一冊が、小学館から出ていた
「怪獣図解入門」と「ウルトラ怪獣入門」の二冊で、それらの本には
「ウルトラマン」「セブン」「帰マン」の怪獣たちに交じって、「Q」の怪獣たちも
全くの同一線上で差別されることなく平等に紹介されていましたので、
ワタクシ的には「Q」怪獣たちのことも、自分自身のトモダチとして
ごくごく自然に受け入れていたのだと思います。

で、後に海外からのSFブームの追い風も加わることで、1978年~81年にかけての
「第三次怪獣ブーム」が到来し……そのドサクサに紛れて「ウルトラQ」も
夕方枠での再放送が行われたことにより、この世に生を受けてから8年目にして
ようやく「ウルトラQ」の本編を見ることが叶いました。
単純に「ウルトラヒーローが登場せず、人間が怪獣をやっつけるお話」だけでは済まない
奇妙な余韻が残る事も多いドラマ作りには、「ウルトラマン」とは違ったひどくアダルトな印象を受けたのと同時に
その演出や脚本(とりわけ登場人物のダイアログ)などに見られる、おおらかなユーモアのセンスは
まぎれもなく初代「ウルトラマン」の科学特捜隊にも通じるもので、それゆえに
「あ、これがあったからこそ「ウルトラマン」もあったのか!」と、子ども心にも
これまた素直に納得させられてしまったワタクシなのでありました(笑)。

Qからリアルタイムな私は、やはりここが原点、基本という感じですね。
ゴジラやガメラは映画館か正月にしか出会えませんでしたから(昔は正月の朝とかに、怪獣映画をやってました)、どっちかといえばお祭なんですね。
しかしQは毎週会える。日常における怪獣付き合いのスタートです。

巨大ヒーローは居ないのですが、ユリちゃんが子供目線に近く、共感を覚えました。ウルトラマンのホシノ少年とかには何故かライバル心しかなくて、共感とは違う感情を持ってしまいます。怪獣殿下とかも嫌いだったなあ。ガバドン描いた子供たちも。
Qにも子供たちが出てきますが、カネゴンになっちゃう金男とか、育てよ亀!の太郎とかが憎めない反面、虹の卵のピー子やゴメスを倒せのジローにはやきもちを焼いてしまうような気持ちを持ってました。

セブンまでのウルトラシリーズに通じているのは、お互いが無関係という事です。
ユリちゃんもフジ隊員も桜井浩子さんですが、私の中では別の人。アラシとフルハシも被りません。それが、帰りマンで初代とセブンを登場させてから話がややこしくなってしまいました。だから、ウルトラ兄弟という考え方にはどうしても馴染めないのです。
同じ世界を共有するんだったらタケナカ参謀=万城目淳だろとか。
もっと言ってしまえば、どうしてムラマツキャップが立花藤兵衛なんだとか。
V3から来た男がマイティジャックに乗って、イデ隊員とライダーマンを部下にしてるとか。キカイダーはサナギマンからイナズマンになっちゃったのかとか。
夢堂一ツ目は生きていて夕里弾正になってから魔風雷丸に変身したのかとか。

そのように、役者さんがカブっている事は脳内で幾らでも補完出来るんです。
悪魔くんと大作少年は完全に別人格だから、同じ人が演じていることなど全く気づかない。
大村仙吉さんなんか、何回狂い死にしてるんだとか思わない。いや、大村さんだけは個性豊かな脇役だったから、あ、このひとまた狂って死んじゃうのかな?とか思ってましたっけ。事実そうなっちゃうんだけど(笑)

Qに於いては、一話完結のストーリーがたくみに作りこまれていて、同じQの作品の中でも、もしかしたらパラレルワールドの話なんじゃないかと思わせるような作りになっている部分が幻想的なイメージを膨らませているような気がします。
今のウルトラシリーズに一番欠けている、独立性を持った番組がQだったように感じます。

ちょっと話が散漫になりすぎましたね。

用心棒様 返事が遅れ申し訳ありませんでした
用心棒さんは実相寺作品がお好きなんですね。
ご幼少期にあのシュールな世界観を理解できるとは、すばらしい感性をお持ちです

私はウルトラQから初代ウルトラマンに通じる、明るい突き抜けた作風が好きでした。
ウルトラマンから連想される「青空」というビジュアルが、私には魅力的に映るのです。
ウルトラマンが怪獣と対峙する時そのバックにいつもあった、一点の曇りもない青空。
それはまるで、ウルトラマン自身の心を表していたような気もします。

ですから「帰ってきた」の「夕日バックのグドン、ツインテール戦」や「雨の中のムルチ戦」はちょっと苦手です
作品は素晴らしいですが、そういう事とは別に
ウルトラマンに暗い空は似合わないかなーなんて、勝手に思っちゃうんですね。
やっぱり私の中のウルトラマンは、青空をバックに無敵の強さを誇るヒーローなんでしょう。
自分でもお子ちゃまだなあと呆れるのですが

>今でも悔やまれるのはキングギドラ単体物がモノクロで製作されなかったことです。

それ!それですよ
私もそれはもう30年来の不満、願望で
学生時代はその「幻のキングギドラ単体作品」について
同好の友人らと昼夜問わず、時間を忘れて語り合ったものです。
もうこの話題だけは、何時間かけても語りつくせなかったですね
その中でいったい何篇、何十篇のプロットが生まれたことか

ただ今思えばそれも、ギドラ単独作が幻だったゆえに楽しめた
至福の一時だったのかもしれません。
今の邦画界を考えても、円谷監督ご健在当時の豪華な作風は期待できませんから
どんな新作が作られようと、決して満足はできないかもしれませんね。
そういう意味でギドラ単独作は、このまま幻のままにしておくのが良いのかもしれません。
東宝怪獣映画最後の「聖域」として

ディアゴスティーニのゴジラDVD、買われましたか
私も未だに迷っているんですが、すでに単独DVDを所有しているので微妙なところです。
後続巻では円谷氏が特撮を手掛けた「透明人間」が欲しいのですが、ずいぶん先の話になりそうですね

龍鈍(ロンドン)様 返事が遅れ申し訳ありませんでした
’84生まれの方からのご意見が伺えるのも、こういう企画ならではですね。
本当にありがとうございます

なるほど。確かにあの頃はウルトラの新作が作られず、ライダーもBLACKのみで
ちょっと寂しい時代でしたね。
でも生まれた時から家庭にビデオがあった龍鈍さんの世代は、
私たちとはヒーローとの出会い方も違った形だったわけですね。
いやーそこは私も実感できませんでした
その感覚が、私にはどうにも実感できないわけですよ。
自分が世に出る前にシリーズが始まっていた作品、という感覚が
でも龍鈍さんのご意見を伺うと、それほど大きな違和感も感じられなかったようですね。
考えてみれば子ども時代は、リアルタイム・ビデオの差など感じず吸収できる感性があるでしょうから、それも当然なのかもしれませんね

>最初に見た記憶のある怪獣映画が『空の大怪獣ラドン』だったりしますので怪獣モノのは対人間が基本というのが頭にあるのかもしれません。

怪獣映画との出会いが「ラドン」だったというのも、「Q」に違和感を感じられなかった一つの理由かもしれませんね。
私などは、後年のウルトラヒーローありきのシリーズを初体験した後で「Q」見た方は
若干、物足りなさを感じるんじゃないかと思ったりしたんですよ。
「いつヒーローが出るんだ?」みたいな
ですから、龍鈍さんの世代で「対人間が基本」という方がいらっしゃる事に、非常に安心しました。
まずヒーローありきの現在の特撮ドラマは、逆にその縛りゆえ世界観の限界が見えますので、今後は「ヒーロー不在」の世界に可能性を感じたりもするのです。

>『ウルトラQ』と『ウルトラマン』はセットだと思っています。第一部と第二部という感覚で見ています。

年齢層を問わず、そのご意見は多いようですね。
私も同じです。若い方にはモノクロのハードルが高いかなと感じていましたが
考えてみれば、ゴジラもガメラも最初はモノクロでしたしね。
心配するほどの事は無かったなと
貴重なご意見、ありがとうございました

さいとうひとし様 返事が遅れ申し訳ありませんでした

>当時まだしっかり健在だった「夕方の再放送」で、ウルトラに親しんだ世代です。

ありましたねー夕方の再放送
あれって全国的なものだったんですね。
下校後の絶妙なタイミングで始まる、あの夕食前のお楽しみは
子どもにとって、もう一つのゴールデンタイムでした。
ここでおやつを食べ過ぎると、ご飯が入らないんですよね。
母親によく叱られたことを覚えています

思えば私も、あの再放送にはずいぶんお世話になりました。
本放送で見逃した回も、かなり補完できたと記憶しています

>「怪獣図解入門」と「ウルトラ怪獣入門」の二冊で、それらの本には
「ウルトラマン」「セブン」「帰マン」の怪獣たちに交じって、「Q」の怪獣たちも
全くの同一線上で差別されることなく平等に紹介されていました

なるほどー。そのご意見も目からウロコでした
考えてみれば当時の怪獣図鑑は、とりたててシリーズ毎に
怪獣を分けていなかったですもんね。
逆に今の文献の方が、シリーズというものを過剰に意識しているのかもしれません。
私は昔から、なぜか怪獣図鑑という物に縁がないんですよ
小学館から復刻された「怪獣図解入門」も、最近の入手が初見ですから
たぶん当時は、怪獣の情報を週刊誌や学習雑誌で入手していたんでしょうね。
ですからもう、雑誌で紹介された怪獣はまだブラウン管では未見で
その写真を見ながら、暴れる場面を想像したものです。
今も鮮烈に覚えていますが、まさかシーボーズがあんなヘタレとは
雑誌で先行紹介された時は、露ほども思いませんでした

私たちリアルタイム派にとって「第三次ブーム」は
言わば再検証ブームみたいなところがありました。
この時期、さいとうさんが旧作を多くご覧になったのも当然で
当時はなにしろ、「昔のアレは凄かったよねー」というのが
ファンの合言葉のようなものだったのです。
この頃から急速に普及した家庭用ビデオも追い風となり
ファンは旧作リピート放送のエアチェックに、やっきになりました。
私もビデオテープ予算の捻出に必死だった事を、よく覚えています
きっとこの頃のリピート放送とビデオの登場が、ファンの世代間格差を
一気に縮めたんでしょうね。
そう考えると改めて、AV機器普及とファン意識の歴史が浮き彫りになってきますね。
実に興味深いです

>「ウルトラマン」とは違ったひどくアダルトな印象を受けたのと同時に
その演出や脚本(とりわけ登場人物のダイアログ)などに見られる、
おおらかなユーモアのセンスは
まぎれもなく初代「ウルトラマン」の科学特捜隊にも通じるもの

なるほど。そういう見方もありましたか
「Q」を最初に体験すると、「マン」はカラー化がまず大きな印象で
アダルト性云々には、さほど目が向かなかったんですよ。
作中の空気も同じなので、「マン」は「Q」のパワーアップ版的印象が先に立つんですね。
ユーモアのセンスは確かに両作に共通するものですが
今見ても非常にお洒落、ハイセンスな印象を受けます。
「君は宇宙戦争の本でも読んでいたまえ」「趣味の問題です」なんて気の効いたセリフは、今のヒーロードラマからはなかなか聞けないですもんね。
最近はCSの普及もあり、当時の他のドラマを再見する機会もありますが
それらと較べても、「Q」「マン」のダイアログセンスは洗練されていますね。
後のシリーズとの違い、微妙なテイストの差は、そんなところにあるのかもしれません

貴重なご意見ありがとうございました。
こんな風に世代を超えた意見交換を、これからもよろしくお願いします

雀坊。様 返事が遅れ申し訳ありませんでした

>日常における怪獣付き合い

まさに私も同感です。
劇場へ行かなければ観られなかった怪獣映画は確かに「お祭り」であり
「参加する」という印象でしたね。
また友達同士でも「観た」「観られなかった」という「鑑賞者格差」がありましたが
テレビは誰もが平等ですし。まー家族とのチャンネル争いに勝てばのお話ですが

>巨大ヒーローは居ないのですが、ユリちゃんが子供目線に近く、共感を覚えました。

そうですね。不思議な感覚なんですが
「Q」は子どもをレギュラーキャストに加えなかったからこそ
あれだけの人気を得られたようにも思えます。
子どもって昔から、子どもが嫌いですもんね
ブラウン管で大人と対等に活躍する子どもに嫉妬する、という感覚は
子ども時代独特の、近親憎悪的なものなんでしょうか。
「Q」の場合、それに近い役割を、若い女性である由利ちゃんが担っていたため
結果的に、子どもの近親憎悪をうまく回避できたのかもしれません。
そのあたりも非常に興味深いご意見ですね。ありがとうございました

>お互いが無関係

そうなんですよね。確かに「Q」「マン」「セブン」は別の世界を舞台にしています。
不思議な感覚ながら、「Q」と「マン」は共通した空気感、作風を持ちながらも
別作品なんですね。
ましてや「セブン」は、時代感覚からして「マン」の数年先を行っているし。
その独立性も、それぞれの作品に個性を感じる一因と思います。
同じ俳優さんが別の役を演じていても違和感が無いのは、きっとその独立性ゆえでしょう。
帰りマンへの初代マン、セブンの客演に雀坊。さんが感じた違和感は
その独立性を破ってしまったところにあるのでしょう。
それぞれの作品が距離感を保ちながら存在していれば納得できるものを
強引に一つにまとめようとするところに出る弊害と言うか

「帰りマンと初代マン・セブンが同じ世界だったら、それぞれのシリーズに出ていた同じ俳優が別々の役を演じるのはおかしい」
という事ですよね。まさに私も同意見です。
その強引さは当時から感じていましたが、なにしろ過去の事ですからやり直しはききませんし
後はもう個々のファンが、それを認めるか認めないかという事で解決していくしか
方法は無いんでしょうね。

まー私の場合、初代マンまでに破綻がなければ後作品は我関せずの姿勢なので
今はもう、何があっても静観の構えです

>パラレルワールドの話
>今のウルトラシリーズに一番欠けている、独立性を持った番組

そうですね。エピソード同士の関連性やレギュラーキャストの役割が
ちょっとゆるい所が良いんでしょうね。
時代も各話バラバラ、レギュラーの三人が登場しない回もありましたし。
連続ストーリーにすると、全話の整合性を重視するあまり
お話のパターン化や、展開に無理が生じてしまう傾向がありますが
「Q」は一話完結なので、そこもうまく回避できたような気がします。
元々が「ミステリー・ゾーン」「アウター・リミッツ」的な完全独立ストーリーを目指しながらも
狂言回し的、司会者的な三人を置くことで、シリーズとしてギリギリのラインを保てたというのが奇跡的です。
「Q」の独立性が際立っているのは、そんな数々の偶然ゆえかもしれませんね

 私が最初に『Q』に接したのは、秋田書店の「怪獣ウルトラ図鑑」でした。モノクロの写真でしか見られないQ怪獣たちは、異様な迫力で迫ってきましたねぇ~。あの図鑑では、番組ごとにブロックが分けられていましたっけ。

 TVで『Q』を初めて見たのは、昭和44~45年頃の夕方の再放送。当時は白黒テレビが当たり前でしたから、先に『ウルトラマン』を見ていた私にとっても、「モノクロ作品」というのは特別な意味はありません。『ウルトラマン』もモノクロ映像で見ていたのですから(^o^)/
 その時に見た中で記憶に残っているのが、「バルンガ」と「カネゴンの繭」。ソフビで馴染んでいたカネゴンが登場するというので期待して見ていましたが、繭からカネゴンが出てくるシーンが怖くて、途中でTVを消してしまったことを覚えています。幼稚園児にはとにかく怖い番組でした。

 それからは、しばらく『Q』は幻の番組という感覚でした。TVのカラー化が進み、モノクロ作品の再放送の機会がグンと少なくなりましたよネ。
 久々に新聞の番組欄で『ウルトラQ』の文字を見かけたのが、昭和54年?早朝の再放送でした。朝に弱い私が、特撮番組を卒業したハズなので両親に悟られないようにそれとなく見たのが、「変身」でした。その時は深い考えも無く、怪獣が登場しないエピソードに「つまらない」と感じて、それっきり早起きの努力もせずに見なくなりました(^^ゞ

 次に出会ったのが、昭和58年のスパゲティ屋。近所にできたオシャレな店で、私はそこの常連になっていました。当時流行り始めた、店内にTVモニターを置き、音楽ビデオなんかを流す店でした。ある日店長が、モノクロの雰囲気がスタイリッシュで、この空間に「怪獣」が映し出されたらシュールだろうと、レンタル店で借りてきた『ウルトラQ』を流したんです。その時に見たのが、またしても「カネゴンの繭」! 高校3年生の私は無事に最後まで見ることができ(^^ゞ、とてもおもしろく感じました。

 大学3年の時(昭和61年)に、日本の特撮を勉強しに来たというアメリカからの留学生を、ゼミの先生が連れて来ました。彼が『ウルトラQ』を絶賛する(もちろん英語で)のを、不思議な気持ちで聞いていました。海外でも放送され、きちんと評価されていることを、この時に始めて知りました。

 その冬ビデオデッキを初めて入手した私は、「懐かしの番組」をレンタルビデオで見始めました。その頃はアニメやフツーのドラマはほとんどソフト化されていなかったので、特撮番組を中心に見ていました。これで特撮番組、特に『ウルトラマン』に目覚めてしまったんです(^o^) でも、あまり『Q』には積極的に手を出しませんでした。子どもの頃にほとんど『Q』を見ていなかった私にとっては、「『ウルトラQ』=懐かしの番組」という感覚が無かったからです。

 そして翌昭和62年、『ウルトラ倶楽部』が放送されました。ここで生まれて初めて、本格的に『ウルトラQ』を見ることが出来ました。「2020年の挑戦」の、冒頭の飛び込み台の人が消えるシーンには驚きました! 円谷特撮ってスゴイ!というのを実感しました。

 しかし、あまり馴染みの無かった私にとっては、『ウルトラQ』への思い入れはありません。そういう目で見ると、「206便消滅す」「SOS富士山」「燃えろ栄光」のような、何でもかんでも「怪獣が登場するエピソード」には無理があるように感じられます。(「2020年の挑戦」「バルンガ」「鳥を見た」「ガラダマ」「五郎とゴロー」は好きでよく見ますが) 「1/8計画」「あけてくれ!」のようなエピソードがもっと多かったら、その方が孤高のシリーズとなったような気がします。
 一口に「ウルトラシリーズ」と言っても、『タロウ』と『セブン』ではずいぶんと作風が違うので、ウルトラ兄弟の設定を抜きにしても、私はあまりシリーズとして捉えるのは好きではありません。『Q』も独自の番組として、シリーズとしては考えられません。
『ウルトラマン』との連続性も、ラゴンの再登場もありますが、あまり意識したことはありません(ブログの記事では、「ミロガンダの秘密」などで一応「作風が似ている」という記述をしていますが)。『ウルトラマン』は「特撮ヒーロー番組」、『ウルトラQ』は「特撮SFミステリーアンソロジー」だと思います。

待ってました
このお題なら必ず、大佐さんもいらっしゃるとお待ちしてました。
でももうこのコメント量は、軽く記事数本分じゃありませんか
いやー本当にお手間をおかけしました

「Q」との出会いが怪獣図鑑という方は、やっぱり多いようですね。
たとえ別の番組でも、同じ扱いで怪獣が載っているという事で
自然に親しんでいったという感覚なんでしょうね。
考えてみれば私も、初代ゴジラの初見は昭和の頃のゴジラ図鑑でしたから
それと同じ事なんでしょうね。
「あっ、このゴジラには耳がある」なんて驚いてましたが

>昭和44~45年頃の夕方の再放送

コレ、私も記憶があるんですが、東京の大佐さんがご覧になっていたという事は
全国放送だったんですね。この時に「あけてくれ!」が追加されたんでしょうか?
この再放送には、ものすごく強烈な思い出があります。
「東京氷河期」の放送日、私は風邪で高熱を出し
首までこたつに入りながら、この回を見ていたんです。
熱の為、こたつに入っても寒くて寒くて。その状態で眼前には「凍りつく東京」ですよ。
この時ほどペギラの恐怖を「体感」できた事は、後にも先にもありません
おっしゃる通り、確かにカネゴンも怖かったですよね。
悪い夢でも見ているような現実との距離感を、あの寓話からは感じます。
お金という現実がキーワードなので、主人公が子どもと言えど
ちょっとデーモニッシュなんですよね。行動原理が

「変身」も怖かったですねー
たぶん今あのストーリーをリメイクしても、ああはならないでしょう。
巨大化した人間の行動を、コミカルにしか描けない。
時代の空気以上に、制作側がお笑い路線への誘惑に勝てないからです。
でもそれを真正面に「怪獣」として描いちゃった所が「Q」の凄さなんですよねー。
都心部に比べ巨大感が演出し辛い、山中という不利な舞台を用意しながら
巨人となった男のリアリティが、怖ろしいほど描けているし。
でもあれも、子どもには分かりにくいエピソードでしたね。
確かに怪獣慣れした子どもには、ちょっと入りにくい一本だったかもしれません。

スパゲティ店や留学生の方など、そういうお話をお聞きすると
やっぱり東京は都会だなあと思います
私などは、昭和50年代に雑誌で知った小さな映画サークルのビデオ上映会に
足しげく通い、再見するしか方法がなかったですから
でもそういう流れから別の情報も入手でき
自主制作映画「ウルトラQNO.29 闇が来る!」や「続海底軍艦」「大怪獣ゼラン」などを
見る機会に恵まれました
ちなみに、今のお仕事でイギリス人のリポーターと知り合いまして
彼に「サンダーバード」について、本国での評判を根掘り葉掘り尋ねた
恥ずかしい思い出もあったりします

>「2020年の挑戦」の、冒頭の飛び込み台の人が消えるシーンには驚きました!

いやーアレには私もビックリで
業界経験を積めば積むほど、「ウルトラQ」という番組の先進性、現場の高い技術力
そして何より、当時のテレビ界の勢いを痛感します。
あの飛び込みカットだって、同じ画角、同じパンダウンのスピードで人間込みと無しのカットを二つ撮影、それをカット途中で編集し、さらにオプチカル処理を加えていますよね。
そんな手間、当時はとんでもなく大変だったはずなんですよ
それをやれちゃう当時のテレビ界、しかも35mmフィルムという贅沢さで
ストーリー以上に、そういうところに驚愕しちゃうんですよね

>「206便消滅す」「SOS富士山」「燃えろ栄光」のような、何でもかんでも「怪獣が登場するエピソード」には無理があるように感じられます。

さすが大佐さん、鋭いですね
私などは「Q」と聞くだけで、全エピソードを盲目的に肯定しちゃう悪い癖がありますから
そういうご意見は、本当に参考になります。
確かに無理がありますよねー。たとえ裏事情を知っていても、無理は無理です
本当は「ウルトラQ」って、企画当初は「1/8計画」「あけてくれ!」路線だったんですよ。
でもそれが怪獣路線になったから、「ウルトラマン」に繋がったわけだし。
本当に、歴史というのはどう転ぶか分かりませんよねー
いやー大佐さんならではの貴重なご意見、ありがとうございました。

>『ウルトラマン』は「特撮ヒーロー番組」
『ウルトラQ』は「特撮SFミステリーアンソロジー」だと思います。

さあそこですよ。大佐さんに先取りされちゃいましたが
実はこの企画の二回目のお題は、ちょっとそれに関連する事なんです。
お時間あれば、また遊んでやって下さいね

オタクイーンさんのおっしゃるとおりです。

「ウルトラマン」からスタートした、ボンクラ怪獣オタクのワタシは子供のころ「バルンガ」を観ていて、最後までウルトラマンが出てこないので大騒ぎしたことがあります。
出るわけないやろ!ウルトラマン出たらそっちのほうがビックリやわ!

怪獣モノやったらみんなウルトラマンだと思ってたんでしょう。まったくお恥ずかしい限りで・・。

ボンクラには「Q」の認識はその程度です。まったくオタクの風上にもおけませんね。

で、そんなボンクラには、「Q」はアウターリミッツ、「マン」はスタートレックにみえます。前者はモノクロ、後者はカラーですし。ってそれだけかいな。

一法師様 難しいお題にお答え頂き、ありがとうございました
いや立派なものですよ。バルンガをご存知なだけでも
レッドキングとは知名度も段違いに低いですから。
ブルトンには似てるんですが

でもおっしゃる通り、やっぱり「ウルトラマン」を先に見ちゃうと
どうしたって、怪獣モノはヒーローが出てくると思い込んじゃいますよね。
まさか最後まで怪獣を倒す存在が出てこないなんて、誰も思わないですもん

今回のお題は、そういうピュアな感覚もお聞きしたかったんです。
いや絶対そうですよ。そう思わなきゃおかしいですし
以前、業界仲間のカメラマンにも、同じことを言われました。
「世間一般の認識なんて、そんなものだよ」なんて

ですから立ち位置だって、何でもいいんですよ。
「Q」がアウターリミッツというのはよく分かります。私も最近、DVD鑑賞しました。
「マン」がスタートレックというのは・・・
アレでしょうかね。エンタープライズのクルーが科特隊メンバーとカブる感じでしょうか
カーク船長だったら、変身しなくても怪獣に勝っちゃいそうですが

コメントありがとうございます。

いきなり「マン」がスタートレックって言ってもビックリですよね。ご指摘のとおり科学特捜隊のメンバーとエンタープライズのクルーがなんとなくカブってみえます。

もっとくわしくいうと両作品とも、地球人のなかに異星人がひとりまじっているというところとか。スタートレックではスポック、「マン」ではハヤタ(ウルトラマン)。
おかたいバルカン人のスポックはカークたちとのやり取りを通じて地球人のことを学び、ウルトラマンは科特隊の仲間とのふれあいをとおして人間のことを好きになっていきます。

本質的にいうと、両作品の共通点は地球外知的生命体との遭遇を通じて、自分とは異なる文化を学び、受け入れるということでしょうか。(でも「マン」の場合はウルトラマン以外の異星人はみんな侵略目的なので、異文化を学ぶどころではなかったですね)まあそんなむずかしく考えなくてもいいですかね。「未来への希望」というのも共通していると思いますし。両作品とも明るいですからね。

「Q」がほったらかしになってますね、スミマセン。しかし「Q」をウルトラマンの出てこない怪獣モノと思っていたボンクラには「Q」を語る資格はありません。

「Q」はまだ自分たちの街に闇が残っていた時代の作品で、「マン」は全てを明るく照らし出す時代のさきがけとしてつくられた作品なのかなあ、なんて考えてみました。

他のみなさんのするどい分析とは程遠いもので、恥ずかしいかぎりです。
これからも記事楽しみにしてます。

なんべんもスミマセン。さきほど送った自分のコメント読んでて変だったのでちょっと訂正を。

両作品の共通点は地球外知的生命体との遭遇云々のところ、これだとスポックとウルトラマンの視点が入らなくなってしまいます。スタートレックはともかく、ワタシは「マン」は、M78星雲人ウルトラマンが辺境の星・地球(異世界)に迷い込んでさまざまな人々と出会い、困難を潜り抜け成長し、故郷に帰還する物語だと捉えているので、これだと大間違いになってしまいます。

ですので、地球外知的生命体の部分を、自分とは異なる星の文明と読み替えてください。めんどくさいハナシですみません。

一法師様 ご丁寧なコメント、ありがとうございました
確かにウルトラマン、スポックとも、自らと異なる文明に触れるという点では
共通していますね。
両者が地球人と接触する経緯はやや違うものの、徐々に地球人の心を理解するに
したがって、逆に自らの文明を見つめ直していったような感覚があります。
面白いのは、両者とも最初は「地球人より進化した存在」と設定されている事ですね。
その存在が地球人と接触する内に、学ぶ所もある事に気づく。
文明の発達と生物の心の成熟は、必ずしも足並みを揃えるわけではないんですね。
作品を作っているのは人間ですから、そういう文明の暴走への不安感が
我々の深層心理にも、あるのかもしれません。
まーそのあたりを話し出すとまた長くなっちゃいますから、別の機会にしましょう。

>困難を潜り抜け成長し、故郷に帰還する物語

1970年代末の第三期ウルトラブームの頃、よく語られたお話に
「ウルトラシリーズの主題歌には、必ず「故郷」「ふるさと」的歌詞が含まれている」
というものがありましたが
彼らウルトラヒーローにとっても、やはり地球は異郷の地であり
故郷へ・M78星雲への思慕も強かった事を考えると
無敵を誇る宇宙生命体にも、ちょっと親近感を覚えたりしますね

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: Question・Q① 立ち位置:

« 軍団再び | トップページ | Question・Q② 独自性 »