主題歌を探せ!
先日の雨宮部長メールの一件以来、課題創作のモチベーションも
すっかり上がった『宇宙船映像倶楽部』。
今回の募集期間も後半戦に突入し、快い追い詰められ感を楽しんでいます。
でも面白いことに、「ネヴュラ」にお越しになる部員の皆さんは
雨宮部長のことをあまり『監督』と呼ばれないんですね。
もはや私たち部員にとって雨宮慶太氏は、監督的側面よりも部長的側面が
強くなっているという事なのでしょうか
このあたり、一般ファンとの感覚の違いが感じられて面白いところです。
もちろん、監督としての実力にリスペクトするからこそ
敬意を込めて『部長』とお呼びするわけですが
さて。そんな雨宮部長の指揮の下、今回も私たちチャレンジャーは
課題となるキャラデザインやプロットの創案に勤しんでいるわけですが。
前回からくも掲載された『シオリ★』デザインでお分かりの通り
本来私は、絵心なんてまったく無いんです。
ですからやっぱり、どうしてもプロット部門に力が入ってしまいます。
もともと最初からチャレンジしていたのはプロットでしたし。
で今回も、やっぱり頭をよぎるのは
「こんな設定はどうかな」「このギミックは新しいな」
「こういうストーリーは見たことないねえ」みたいなアイデアばかりで。
どうも私は、ビジュアルよりも世界観の構築が先行するようです。
このあたり、創造者たるプランナーと表現者たるデザイナー・カメラマンの
資質の違いを感じますね。
私は根っからのプランナーのようです。
まず世界観が先に出来て、そこからキャラデザインが引き出されてくる順番。
この発想の順番ばかりは、どうにも変えられないようですね。
でもそんな中でも、お仕事で鍛えられた最低限のファクターは脳内で
同時進行するようで。
それはどういう事かと言いますと。
『この企画を相手に説明するには、どんな準備が必要か』
という事なんです。
要は、プレゼンする時の構成要素ですね。
自分が夢に描いた渾身の企画を、企画会議で上司や同僚へ説明する。
こんな機会は、過去にも山のようにありました。
企画を生業にされている方はご存知でしょうが、この『企画会議』という場は、
とんでもなく不安定な空気に左右されるものなんです。
セールストークの最初の一言を間違っただけで、企画発表そのものが
失敗に終わってしまう。
過去、こういう事がありました。
地道な下調べや関係者への根回しも完璧に行い、後は部内の承認という
ところまでこぎつけた極上の番組企画を持った、同僚のお話です。
彼は部内会議で企画を発表する順番が回ってきた時、こう切り出しました。
「皆さんにお時間を頂くほどの企画ではありませんが・・・」
これが彼の、最初の言葉でした。
彼にとって、場の空気を和ませる為にとった謙遜のポーズだったのでしょう。
しかしその直後、上司の口から出た言葉は意外なものでした。
「だったら時間のムダだから、発表しなくていいよ。」
なんという事でしょう。この最初の一言で、彼はそれまでの努力を
全てふいにしてしまったのです。
結局、その企画は最後まで発表の機会を与えられず
彼は手塩にかけた企画を手放さざるをえなくなりました。
限られた時間に密度の濃いやりとりを迫られる会議にとって
そんな「時間のムダ」のような企画を検討している暇はない。
企画者自身がそんな思いなら、検討する価値さえない。
テレビとはそういう、厳しい世界なのです。
そんな世界で、自分の夢見る企画を通そうとするなら
それなりのスキルが必要になります。
そんな思惑と利害が交錯する、身を切るような企画の現場を体験しながら
私は次第に、私なりのやり方を作り上げていきました。
それは一言で言えば、『企画のビジョンを明確にする事』でした。
「この作品はこんな感じ」なんて漠然とした雰囲気ではなく
「たとえば主人公はこんな喋り方をして、アクションはこんなカット割りで
ここのシーンはこんなBGMに乗って、駆け寄ってくる敵を
ロングから眼球への急速ズーム、みたいな」と
自分の思い描いている作品のイメージを具体的に説明する事だったのです。
要は「頭の中に、既に第一話が出来上がっている」感じでしょうか。
なんだったらその「脳内第一話」を、会議で演じられるくらいの
気構えがあってもいいくらいです。
「そこまで考えているのか」とまず相手にインパクトを与え
それから自分の考えを徐々に浸透させていく。
こういう作品を狙っているんですよ、というビジョンを
自分と相手が共有できるかどうかが、企画説明の是非を決める。
これが私が、現場で学び取った一つのやり方だったのです。
もちろんこれは人それぞれ。色々な手法があります。
私の手法だってその一つに過ぎませんし、こういう事に正解はありません。
ただ、会議なんですから、そのビジョンに異見が出たっていいんです。
極論を言えば会議が終わった時、立案者のビジョンが
ひとかけらも採用されていなくたってOKなんです。
立案者はそこで、我を通してはいけない場合もあります。
一つの立案を多角的に分析、よりよくする事が会議の目的なんですから。
実際、今回私が掲載頂いた『シオリ★』のデザインだって
雨宮部長の『シオリ★』像とは異なると書かれていますし。
でもそれでもいいんですよ。
色々な意見を持ち寄った方が、良い物は出来るんです。
でも一つだけ言えるのは。
立案者が最初に完璧なビジョンを持っているかどうか。
何をやりたいか説明できるかどうかって、作品の指針を決める上で
非常に大切なんですね。
素材が魚か肉か決まらなければ、献立を決められないのと同じです。
どんな味付けになろうと、素材そのものが変わる事はないですから。
さて。いつもの癖で前段が長くなりましたが
この「企画のビジョン」を作り上げる上で、私には重要視している要素が一つ。
「クライマックスに流れるBGM」の選定です。
そこにこだわる理由は、私の作品嗜好にあります。
昔から「ネヴュラ」にお越しの方々はご存知かもしれませんが
私が一生で一番作ってみたいドラマは『必殺シリーズ』なんです。
これまでも折りに触れ、お話してきました。
よく話題に出るウルトラ・ライダーなどのヒーローものではないんですよ
現在放送されている「2009」はちょっと怪しいですが
必殺シリーズはクライマックス、殺しのシーンに流れるBGM
通称『殺しのテーマ』が、非常に魅力的に演出されています。
古今東西、確かにどんなヒーロードラマも、クライマックスには
アップテンポのBGMが流れ、ヒーローはその勇壮な調べに乗って
悪を爽快に撃ち砕くのですが、ことカタルシスという点に於いて
必殺シリーズのBGMは群を抜いているように感じるのです。
あくまで個人的な感覚ですので、異論もおありでしょうが
必殺と言えば例の『殺しのトランペット』が有名ですが
必殺BGMはそれだけで語りつくせない奥深さがあります。
ファンならよくご存知の「仕置人」の『やがて愛の日が』
「仕留人」の『旅愁』「仕置屋」の『哀愁』などなど
アップテンポではないのに異常なまでの緊張感と爽快感を与える
BGMも数多く、シャープな映像美とも相まって、他のヒーロー番組にはない
一種独特のクライマックステイストを形作っているのです。
そんな、他に類を見ない独特のテイストを、私は何とかして
新ヒーロー作劇の一つの「特徴」として採り入れようとしているのですが
それに当たって一つ、気づいたことがありました。
まー今さら、言うまでもない事ですが。
必殺シリーズの殺しのテーマは、すべからく番組ラストに流れる
「主題歌」のアレンジBGMという事ですね。
前期では「仕事屋稼業」の『夜空の慕情』(コレがまた名曲)など
稀に例外もありましたが、いわゆる「仕事人」プランド中期くらいまでは
そのスタイルが踏襲されていました。
この「殺しのテーマが主題歌のアレンジBGM」という措置が持つ効果は
意外に軽視されているようですが、実は非常に大きいような気がするのです。
クライマックスに流れるBGMが印象的な必殺シリーズでは
主題歌の選定がそのまま番組イメージを決定してしまう、という事なんですね。
例えば「新・必殺仕置人」の殺しのテーマがあの『あかね雲』の
名アレンジでなかったら。
念仏の鉄の背骨折り、巳代松の「二間」、八丁堀の豪快な殺陣が
あれほど魅力的に映ったかどうか。
「仕事人」近作の、いつでも『荒野の果てに』が流れる殺しのシーンを見て
「これなら何を見ても同じじゃん」と肩をすくめた経験は
私だけじゃないと思います。
殺しのシーンとBGM、主題歌の印象をセットで覚えている前期必殺ファンの
私にとって、企画立案に当たって作品のクライマックスを重要視する上で
「そのBGM=主題歌」の想定は非常に大事なのです。
最近の深夜アニメなどと違って、私の立案企画はシーズンごとに
主題歌がコロコロ変わりませんし
バラエティー番組みたいに売り込みアーティストのプロモを
ワイプで映したりしませんから
ただそうは言っても、私には作曲の才能などありませんし
自作の「主題歌」として想定するのは、やっぱり既存の曲という事になります。
「うわー気持ち悪い。オタクイーンってそんな発想法なんだー」
とガッカリされる方も多いかもしれませんが こんなもんですよ私なんて
まー一つの曲から一本の映画ができる事だってよくありますしね。
古くは「神田川」から、最近は「涙そうそう」とか
私の場合は、自作企画のシュミレーションに既存曲を当てはめてみる
という事です。
さて。この発想法、私の中ではけっこう確立されていまして。
これまで『宇宙船映像倶楽部』へ提出した応募企画には
すべてこの「想定主題歌」があります。
まーここではちょっと言えませんが、いずれも作品のクライマックスを彩る
名曲ばかりと、自分では思っています
その「想定主題歌」を自分なりに脳内アレンジして
想定プロットのハイライトに流すわけですね。
もし企画が実現しても、別にその曲を使おうと言うんじゃないんです。
いわゆる「脳内イメージソング」とでも言うべき扱いなんですね。
しかもこの発想法、予想していなかった一つの効能もありました。
要は「作品のクライマックス」って、企画がある程度進行しないと
思いつかないという事なんです。
つまり逆に言えば、「主題歌=クライマックスのBGM」が思いつくって事は
それだけ企画が固まってきた証拠なんですよ。
「うーんここでカットが変わってキャラがこう動くでしょ。
そーしたらこのタイミングでバーンとBGMだよね。
で、あのSEと共に技が唸ると。うわートリハダが立つほどカッコイイ」
みたいな。うーんおバカ
こうやってBGMのタイミングさえ見計らいながら一つ一つのシーンを
脳内演出していくと、それが完成する頃にはもう
会議でプレゼンできる状態になっていると。
逆に言えば、そこまで作りこんでいないと不安なんですね。
「出来ていない所がある」みたいな「食べ残し感」がいやなんですよ。
でもまー考えてみれば、それは遠い昔、幼い頃に毎日繰り返していた
「怪獣ゴッコ」に通じるものですよね。
ソフビの怪獣をぶつけながら自分でセリフを喋り
光線まで「ビビーッ」て音をつけて。
脳内では伊福部昭や宮内國郎のBGMが鳴りっ放しでしたもんね。
そうやって今も、私は企画を考えるなんて大儀名分の下で
雨宮部長に遊ばせて貰っているのかもしれません
さて。今回のプロット考案もいよいよ佳境に入ってきました。
課題のキャラデザインもありますから、プロットだけにも構っていられません。
漠然ですが何となく、ヒーロー像は浮かんできました。
『一筆啓上、企画が見えた』ってところでしょうか。
で、今は、クライマックスを盛り上げる「主題歌」探しにかかっています。
コレがまた楽しいんですよねー。
ちょっと今、気になっている曲が梶芽衣子の『修羅の花』。
うわーマズイ。これじゃ『キル・ビル』になっちゃいそう
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コメント
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きよプーです。
毎回勉強させて頂いてます。
私の場合のファクターは、「シーン(台詞)」です。
情景と言いましょうか、一場面ですね。
ある場面を観たいが為にその前後を創っていく感じでしょうか。
それと台詞や行動による「テーマの表現」です。
BGMは意外なほど後に来ます。昔から音楽を嗜好しないもので(レコード、CD等ほとんどありません)、そうなるのでしょうか?
と言うか、私の中で音楽は「自然に聞こえてくるもの」と認識しており、特別「別にあるもの」ではないのです。
音楽が嫌いと言うのではありません。逆に人より敏感な方だと勝手に思っていますが…
解り難くてすみません。此処ではどうしても言葉足らずになるので、語彙力がない私には容量的に無理です…
機会があればPLにでも。
投稿: きよプー | 2009年4月19日 (日) 20時52分
ども、オタクイーンさん。
私の場合、必殺の創作を考える場合は、
必ず、場面場面で「想定BGM」を思い浮かべてます。
……と言うか、脳内では「役者の声(笑)による台詞」「BGM」が流れている訳で……。ある意味、想像によるTV画面を、脳内に「描いて」いると言う事です。まあ、文章だけでは「押し」が弱いので、BGMの力を借りてると言う事でしょうか……?(笑)
>「仕事人」近作の、いつでも『荒野の果てに』が流れる殺しのシーンを見て
ちょっと話題は変わりますが、ある時期までは(予告編・SP・映画&仕業人での梅安?登場シーン…を除いて)、主水シリーズでは頑ななまでに「荒野の果てに」の殺しアレンジは使われませんでした。
「荒野の果てに」のインストと「必殺!」は、非・主水シリーズの殺しテーマの代名詞だった訳ですね。それが、初めて使われたのが「激闘編」#3・大奥女ボス殺し……の京本バージョン版「荒野の果てに」でした。
本放送で、「荒野の果てに」がかかった時は、思わず「おおっ!」と思ったものです!
ところが、それが……その後「主水シリーズ」で、バンバン「荒野の果てに」が掛かるようになり始め、いつの間にか「当たり前」のように……。もはや、その「価値」もダダ下がりです!(笑)
ずいぶん脱線してしまったようで……。
投稿: 都の商売人 | 2009年4月19日 (日) 23時30分
きよプーさん(「ちゃん」はさすがに気恥ずかしいので
)やっぱり作品考案のきっかけは人それぞれですね。私も勉強になります

「あるシーンを観たいが為にストーリーを作る」という感覚は、私も近い物があります。きっと私の場合、そのシーンを「放送状態」で思い浮かべるんでしょうね。
ですからBGMが先に来るのかもしれません。
昔から脳内で反芻する曲は、番組の主題歌よりも
クライマックスに流れるBGMの方が頻度が高かったですから
台詞や行動による「テーマの表現」は、私も最も気を使うところですね。
まさに作品の着地点ですから、それが上手くできなければ作品は失敗も同然です。
でも、作品テーマを上手く言い表せたセリフに出会えた時ほど、心躍る瞬間もありませんね。
その愉悦を味わいたくて、ストーリーを作っているようなものです。
観る人の心を鷲掴みにするようなキラーワードを、お互いモノにしたいものですね
投稿: オタクイーン | 2009年4月20日 (月) 22時38分
都の商売人様 やっぱり必殺ファンが二次創作を試みる時、脳内BGMの演奏は欠かせませんね


私なんてもう、ウォーキング中に企画を考える時など、必ずウォークマンからは必殺シリーズ各種のBGMが流れています
また心躍る曲が多いですから、歩きもはかどる事この上なく
>想像によるTV画面を、脳内に「描いて」いる
そうですね。まさに私の場合もその表現が当てはまります。

私の場合はオリジナル企画なので、さすがに必殺キャストの顔出しは無いですが。
でもクライマックスのカット割りなどは、蔵原・工藤・三隅監督ら巨匠の名場面を思い浮かべますねー。
仕置屋第一話・主水と市松の対決シーンのカット割りなんて、いったい何度参考にした事でしょう。
一瞬の間をついて、劣勢から互角に持ち込む主水の技の切れ
ああいう緊張感が「必殺」なんですけどねー
>ある時期までは(予告編・SP・映画&仕業人での梅安?登場シーン…を除いて)、主水シリーズでは頑ななまでに「荒野の果てに」の殺しアレンジは使われませんでした。
たぶん私は、その予告編や番宣の印象が強かったんでしょう。
考えてみれば番宣の方が、本編より目にする回数ははるかに多いですから
でも実際、仕事人シリーズで「荒野の果てに」が「解禁」されてしまうと、シリーズ毎のBGMカラーが失われ、番組の没個性化はさらに加速してしまいましたね。
BGMの使いまわしを「歴史の遺産」と見るか「過去の栄光」と観見るか。
そこが評価の分かれ目なのかもしれません。
でも思うのは、非常に個性的な過去の仕事師のBGMは、別キャラの殺しのシーンには使いにくいという事ですね。
最近のジャニーズ系イケメンがこのBGMを使ったら、旧作ファンの反発もかなりあるような気がして。
「夜空の慕情」をバックに戦う仕事師なんて、半兵衛&政吉以外には考えられませんし
そういう意味で「殿堂入り」のBGMもあるんでしょうね。
そういう曲ほど名曲が多いように感じるのは、私だけでしょうか
投稿: オタクイーン | 2009年4月20日 (月) 23時13分