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2009年3月12日 (木)

『ゾフィゾフィゾフィ』の呪縛

全てが明るい希望に満ちていた、あの幼い日。
1967年4月9日。
幸運にも「ウルトラマン」本放送の最終回・「さらばウルトラマン」を
「目撃」できた私はそれからの毎日、同じ感動を体験した仲間と
その話題で盛り上がっていました。

お互い、物心もつかない幼児たち。
ホームビデオなど存在しない頃でしたから、頼れるのは鑑賞の記憶だけ。
それでも興奮はさめやらず、大声ではしゃいでいた思い出があります。
「えーウルトラマンしんじゃったよー!」
「ゼットン、つよかったねー。」
幼心にあの最終回は衝撃的で、ただただその感動を伝えるのに
やっきになっていたのですが、その中で一つ、今も忘れられない記憶がありました。
まー子どもでしたから、他愛の無いことなんですが。

「さいしゅうかいにでてきた『ゾフィゾフィゾフィ』って
ウルトラマンとおんなじかおしてたよね。」


当時まだ幼児だった上に兄の居ない私は、少年雑誌などでウルトラマンの最終回が
事前告知されていたなどの知識はありませんでした。
今に至っても、そういう事実があったかどうかは知りませんが

ただ一つだけ、強烈に覚えていたのは。
最終回、瀕死のウルトラマンに「命を二つ持ってきた」宇宙警備隊員・ゾフィー。
事前にその登場を知らされていなかった私たち幼児は
彼の名前をウルトラマンが発したエコー交じりの呼び名

『ゾフィゾフィゾフィ』としか認識できなかったのです。
そりゃそうですよね。事前情報なしですから。
まー当たり前と言えば当たり前。同い年の友達も誰一人
彼の名前が『ゾフィー』という事を知りませんでした。

今、ビデオ等で確認すれば、ゾフィーは登場時に名を名乗っていますね。
でもそれは一度だけ。子どもにはウルトラマンが彼を呼んだ
「ゾフィゾフィゾフィ」の方が、圧倒的に印象的だったのです。


今は信じられないかもしれませんが、1967年の「ウルトラマン」最終回放映当時
事前情報を持たなかった子ども達は、すべからく彼の事を
『ゾフィゾフィゾフィ』と思い込んでいたのではないでしょうか。
少なくとも、私の周りではそうでした

「オープニングの出演者クレジットには表記されていた筈」
というご意見もあるでしょうが、確認してみるとクレジットにはゾフィーの名前は
出ていませんし、登場怪獣欄にもゼットン以外は表記されていません。
ゾフィーの登場はシークレット、今で言うサプライズゲストだったわけです。
まー万が一クレジットされていても、幼児に確認する知恵はありませんしね


まーそういう事はともかく。今回、ここが一番重要なのですが。
ウルトラマンは彼、『ゾフィゾフィゾフィ』の事を
一度も『兄さん』とは呼んでいません。

ウルトラマンとゾフィーは、この時点ではまだ『兄弟』ではないのです。
そんな設定は、かけらほどもありませんでした。



まー当たり前のお話ですね。「ウルトラ兄弟」という設定が確立するのは
1972年の「ウルトラマンA」まで待たねばなりません。
ウルトラ兄弟。当時の子ども達を狂喜させ、後に第一期ウルトラを愛するファン達から
やり玉に挙げられたこの設定は、私にとっても非常に悩ましいものでした。
ウルトラシリーズ全篇を通じ、今やファミリー化にまで発展し、それを基にしなければ
新作が作れないほど大きなバックボーンとなった設定ですね。

私がなぜ、久々にその設定を思い返す事となったのか。
そのきっかけは、ウルトラ映画最新作『大決戦!超ウルトラ8兄弟』を
観た事でした。


昨年公開され、ウルトラ映画史上最高動員数を記録したこの作品。
ご覧になった方も多いでしょう。
M78星雲出身組と平成組のウルトラマンが世界観をリンクさせるという
ギミックに、期待された方も多かったのではないでしょうか。

中でもタイトル通り、M78星雲組には完全に『ウルトラ兄弟』の設定が
組み込まれ、その通りのストーリーが展開しましたね。

それに先駆けること二年。2006年に公開された『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』は『メビウス』世界をベースにしたストーリーでしたが
今作共に、兄弟の存在が前面に押し出されたものでした。


両作品とも、私はDVD鑑賞したのですが、その印象はまったく同じで。
身も蓋もなく言ってしまえば。
「出演者全員が自分と知り合いの劇団公演を見せられている感じ。」

お分かりでしょうか。私の感覚を。
要はこの二作品、知り合いが出ているから見ないわけにはいかない。
しかも全員が自分との知り合いである手前、酷評もできない。
馴れ合いのメンバーでおざなりのストーリーが展開される、ヌルーい世界。

そういう感じなんですよね。


正直、これを見て批評しようという気持ちには、とてもなれません。
まーもともと、批評なんて上から目線は嫌いな私ですが、それを「感想」という
言葉に置き換えても、何にも思い浮かばないのです。
「これはこういうものでしょ」「私のウルトラとは違うけど」
という、諦めにも似た感覚があるだけで。


なぜ、こういう気持ちになってしまうのでしょうか。
プロデュース的にもディレクション的にも、素晴らしい作品ではあります。
現在の邦画事情でこれを作り上げたご努力には、本当に感服いたします。
しかもハヤタ隊員やフジ隊員、その他歴代ウルトラ作品のオリジナルキャストが
大挙して出演する、ある意味奇跡のようなキャスティング。
怪獣も旧作のイメージを最新技術でリファインしたスマートな造形。
クライマックスは大迫力のCGで、かつてない戦闘シーンが用意されているというのに。
46インチの大画面で観ても、興奮や感動がいっこうに沸いてこないいらだち。
年を重ねた上の感力の衰えというだけでは説明できない居心地の悪さが
続くばかりで、私は漫然と画面を追う事しかできなかったのでした。


「この作品からは何かが抜け落ちている。
昔、夜も眠れないほど興奮したあのウルトラ世界にあった、何かが。」

何なのでしょうねこの感覚。ご覧になった方、どう思われましたか?


「ウルトラ兄弟かな。一番の原因は。」
その考えに至るのに、時間はかかりませんでした。

平成ウルトラ組のドラマはそれなりに良いんですよ。
テーマも彼らのサイズに合った等身大のもので。
「夢を諦めない」「希望を捨てない」というテーマは、ティガから始まる
平成ウルトラに共通するものですから。

でもそんな彼らを励ましバックアップする役どころの『ウルトラ兄弟』が
どうにも受け入れられない。
さながら異なる血液型の血を輸血されるかのような、強烈な違和感が。

これはもう、第一期ウルトラに魅入られた者に一生つきまとう、重い足かせ
なのかもしれません。


『ウルトラマンは「ゾフィゾフィゾフィ」を、兄さんとは決して呼ばなかった。』
幼い心に強烈に刻み込まれたこの事実だけは、変えようがありません。
あの「マン」最終回の一場面が、後年になってこれほどの影響力を持つとは。

彼らは、人間臭く所帯じみた「兄弟」という世界に似つかわしくはない。
そんな枠に収まりきらないほど、ウルトラ世界は潤沢で神秘的なものなのに。
1980年代、ファンが一番の論議の基としたそのジレンマに、私はまたしても
はまり込んでしまったのでした。


以前、お仲間と電話でウルトラ談義をした時、私はこんな事を言いました。
「私にとってウルトラマンは、作品も存在も初代放送時だけ。
新マン以降に客演した初代マンは、私には別人としか解釈できない。」

この思いは今も変わっていません。
後年の公式設定があろうと黒部進さんが人間体を演じようと
本放送で見た「マン」最終回の印象がそれを上回ってしまうのです。
ある種のトラウマと言ってもいいでしょう。
だから、後続作には全然乗れない。ましてやウルトラ世界を身近にこそすれ
神秘性を奪ってしまった「兄弟」の設定を受け入れられる筈も無いわけです。


これは、作品や設定の良し悪しを言っているわけではありません。
兄弟の設定を導入した事で、ウルトラ世界は現在まで続く人気を
獲得したわけですから。
この事実は非常に大きく、ウルトラというビジネスを成功に導いた
最大功績と言えるでしょう。
ですから良し悪しで行けば『良い』に決まっているんです。


でも以前から申し上げているように、『良い悪い』と『好き嫌い』は違うんですね。
兄弟や家族、シルバー族やレッド族なんて小さな世界じゃなく、
『人間程度の知能ではおよそ理解できない思考回路、生命感覚を持つ存在』
であって欲しいんですよ。ウルトラマンは。

赤い玉に乗って宇宙を移動し、何万歳もの寿命を持ち
生命さえも持ち運べる存在。
これほどの超存在が、兄弟や家族なんて枠に収まって良いはずがないと。
バルタン星人やダダと肩を並べられるほどの、神秘性に満ちた宇宙人なのに。


「ウルトラマンは神じゃない。」
劇場作品『メビウス&ウルトラ兄弟』で、ハヤタ氏の口から
こんなセリフが出ました。
確かに、ウルトラマンは神じゃありません。
でも、人間とはまったく別の存在、『宇宙の謎』であって欲しいんですよ。
人知の及ばない、まさしく『ウルトラな存在』に。


そんな私は、決して『ウルトラ兄弟』という設定を受け入れる事はできません。
ましてや勢ぞろいで戦うなんて。ウルトラマンは戦隊じゃないんですから。

おそらくこの感覚は、新マン、A以降の作品に思い入れをお持ちの方には
ご理解頂けないでしょう。今のお子さん達にも。
すでにウルトラマンは単体ではなく、ウルトラ兄弟ありきの存在になっているし。
幼児期に兄弟設定に触れ、ウルトラファンになられた方も多いでしょうし。

それはそれで良いんですよ。兄弟が入口になる事だっておかしくありません。
ですからきっと、私とウルトラ兄弟ファンには住み分けが必要なんでしょうね。
本放送で「ゾフィゾフィゾフィ」を聴いた者と、それ以降の方と。
視点は違いますが、お互い仲良くやっていきましょう


念のため何度も申し上げますが、それが悪いという事じゃないんですよ。
決して兄弟設定や、作品の出来を否定しているわけではありません。
あくまで個人的な、好みの問題です。

幼児期に受けた印象とは、それほどまでに強いものなのです。
決してご立腹なさらぬよう。


久しぶりに観たウルトラマン新作に、そんな事を考えてしまいました。
まさか、本放送最終回の記憶を思い出すとは。
怖ろしい物ですね記憶って。今まですっかり忘れていました。
あの記憶が、私のウルトラ観を決定づけたという事です。



既に何度も告知させて頂いた『ウルトラマン13.5話 リトラを護れ!』も
このスタンスで作られています。

『ウルトラマン』第13.5話『リトラを護れ!』監督・オタクィーン
http://ameblo.jp/ultra-taiga2/entry-10221822626.html


もし作中で、初代マン初期の空気が再現されていたとすれば
それは、私の中にあるウルトラマン世界が初代のみだからでしょう。
後発の作品は切り離して、と言うより、考えられないんですね。
まーおバカゆえ、頭が回らないのが本音ですが



最後に、一つお詫び致します。
『リトラを護れ!』について、アップされたプログ『光の国の物語』には
たくさんのコメントが寄せられました。本当に感謝したいと思います。


ただ残念に思ったのは。関係者と一部のお仲間以外
「ネヴュラ」読者の反応がほとんど無かった事でした。
二次創作とはいえオリジナル作品ですから
こういう時こそ、読者の皆さんのご意見が聞きたかったんですが。
それは何よりも、私の力不足が原因でしょう。


「ネヴュラ」読者の手をキーボードに向かわせるだけの力が
拙作に無かった事を反省し、今後はさらに精進したいと思います。
ハイクォリティーの写真特撮を実現して下さった、市川大河さんにも
力不足をお詫びします。本当に申し訳ありませんでした

やはり拙作は、新ブログ一作目には荷が重かったようです

『光の国の物語』では、今後もそうそうたるメンバーによる
オリジナルウルトラストーリーが発表されます。

拙作など足元にも及ばない素晴らしい作品ばかりですので、
どうかこれに懲りず、後続作品にも目を向けて下さり
よろしければ感想などコメント頂ければ幸いです。
わがままなお願いで申し訳ありません。なにとぞよろしくお願い致します。



Photo





春を感じさせる陽気に足取りも軽く。
今日までの累積歩数、166135歩。
人類メタボーまで、あと73

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コメント

というかですね(笑)
「愛をこめて」「物語」どっちのブログに関してもなんですが
はたしてこれって、自分がコメントへの返信を書いても
良いのだろうか?と正直悩んでるんですよ(笑)
例えるなら……そう
今回のオタクィーンさんのゾフィ話題や『さらばウルトラマン』への
質問や疑問、問いかけに対して
いきなりそこで満○監督が現れて「それはですね」と答えるような(笑)

いや、あんたじゃない。
確かにあんたしか
もう聞ける相手がいないのかもしれないけどあなたじゃない(笑)

これは自画自賛的な物言いになっちゃうかもしれないのですが
たまにオフラインで聞く話で
「大河さんのブログは文章が硬くて難しすぎて
おいそれとコメントが入れられない」というのがあります。
ぶっちゃけ馬鹿な話題も好きなので、どうぞ入れてねと言うんですけど
オタクィーンさんの作品も、それはもう完成度が高すぎるので
アレを観た皆さんも、どうコメントすれば
オタクィーンさんのスピリッツや技術に対して
上手くリスペクトできるか、悩んでるのではないでしょうか?
一ついえることは、「物語」ブログの方は
『リトラを護れ!』をUPしてから
カウンターが1500を超えました。
自分とオタクィーンさんが組んだ「作品」は
しっかりブログというメディアを通じて
それだけの人たちに手渡されたってことなんですよね。
いや、テレビなんかと比較したら微々たる数字なんですが(笑)
これからも頑張っていきたいと思います。


最後に素朴な記事話題で、オタクィーンさんに意見を伺いたいんですが
ウルトラマン最終回のゾフィなんですけど
今の時代、考古学みたいな調査や研究で
「ゾフィのトサカは黒く塗られていた」説が浮上していて
DVDで観ても、そうとも取れるしただの照明の結果とも受け取れるしなんですが
自分、正直最終回の演出で、そこを黒く塗るかどうかで迷っています。
この手の研究科の大御所の「Qちゃん」さんは
照明の具合だと仰ってますが
オタクィーンさんはどうでしょう?
意見をお聞かせくださいませ。

こんにちは、ご無沙汰しております。
ここの所忙しくて全くコメント付けられない状態でしたが、記事についてはいつも楽しく拝見しております。

>「ネヴュラ」読者の反応がほとんど無かった事でした。

書けないですよ。もしこれが公式な円谷プロ企画に基づくものであれば色々言及できると思いますが、ファンの方が作られたマイ・ストーリーですからね。
単純に「すばらしい」とか書くしかないじゃないですか(笑)そういうコメントは期待されてないだろうし、さりとて仮に厳しい指摘をしても、するほうが野暮に思えて来ちゃいます。
それと、市川さんとのインターミッションはディープすぎて突っ込む隙がありません(笑)
良く出来た漫才の掛け合いの間に素人がツッコミ入れるようなものです。

中身については、仮に異論があったとしてもそれはオタクイーンさんと私の世界観の違いだろうし、そういうところに言及しても無意味だなあ、と思います。
敢えて書くとすれば、内容ではなく、ブラウザの問題かもしれませんが、ウチの環境では大きな画像の部分が四角く切り取られてしまっていて「ウルトラマン」のタイトルの「ン」の字が欠けて見えます。そういう所には注意したほうが良いかと思います。

↑こんなこと書いて、改めて下書きを見ると、「うわあ、野暮だなあ。」と思ってしまいますよ(苦笑)
投稿を控えようと思いましたが、敢えて意見を述べさせて頂くこととします。

閑話休題。
で、ゾフィですが、私もウルトラ兄弟には大変違和感があるので、考えさせられてしまいました。ウルトラマン、ウルトラセブンは全く違う世界観の中でのお話ですし、それを兄弟化してしまうというのは背後にある玩具屋の陰謀しか感じられません。私が戦隊モノに馴染めない理由のひとつとして、全く意味の無い巨大ロボの存在がありますが、あれと似たような感じでしょうか。

ウルトラ世界の中に兄弟という設定が生まれるきっかけとなったのは、新マンにおけるマンとセブンの登場の回と思いますが、子供心に憧れを抱いていた坂田アキを殺され、しかも自分の頭の中では完全な別物であるマンとセブンが登場した時点で、私は新マンとは決別しています。
あれはやっちゃイカンと思いましたね。過去作品とのリンクを行った瞬間に、脳内補正していた矛盾が表面化してきます。新マンに旧マンが出ちゃうって事は、、、アラシ=フルハシなの?!ユリちゃんはフジ隊員になったの?!ナックル星人って第4惑星の人じゃないかよ!!そういうのはどうするんだよ!!と、テレビに突っ込んでた自分が思い出されます。
今思うと、それが私のウルトラマン卒業の第一歩だったかもしれません。

エースで、ウルトラ4兄弟にゾフィというお兄さん的な設定がなされ、ウルトラの父なんて存在が登場したときには既に心は離れていました。その後、タロウですからね、よりによって。

ウルトラ兄弟に関しては言いたいことが山のようにあるんですが、長くなるので一言だけ。
全てのウルトラ兄弟史から抹殺されている「セブン上司」が不憫でなりません(笑)

ども、オタクイーンさん。

私も「ウルトラマン・リアル世代」ですが、
ウルトラQも含めて、あの二作品に感じた印象を思い起こしてみると、キーワードは「驚異」「神秘」「怪奇」でしょうか?

私はSFファンなので、そちらの言葉を使わせて頂くと「センス・オブ・ワンダー」と言うのが、一番ピッタリするような気がします。

キャプテン・フューチャーのような「おなじみの世界」「おなじみのキャラクター」「おなじみの悪役」で物語が進むのも楽しんですが、それとは真逆に「見知らぬ世界」で「見知らぬ登場人物」が綴る物語も魅力的に感じます。

その意味で、ウルトラ兄弟が登場するようになってからは、前者の「お約束的な世界のストーリー」中心になってしまっているような気がして、「家のお風呂でぬるい湯に入っているような感覚」です。でも、やっぱり「秘境の露天風呂」の方が、日常感覚からは離れられるような気が……(何のこっちゃ!?(笑))。

ちなみに、私の創作では、「スーパーマン・リターンズ」を元ネタに、「帰ってきたウルトラマン」ではない、”唯一無二”のウルトラマンが帰ってくる「ウルトラマン・リターンズ」と言うのもあります(でも、なぜか「ウルトラ兄弟」も出るんですが!(笑))。

P.S.「リトラを護れ!」のコラボ企画に関しては、ちょっとビビッてしまって(笑)、未だに手だ出せない状態です……。

エコーでゾフィゾフィゾフィですか、まんまですね、初めて聞いた(笑)。
大決戦!超ウルトラ8兄弟観られたんですね。
筆が進んだでしょ!(笑)

 みなさんのご意見、納得できます。私の作品にツッコミを入れられても私はかまいませんが、それは傍から見たら「野暮な行為」に見えるでしょう。あたりさわりの無い美辞麗句を並べられても、それはそれで困ってしまいますし‥‥^^;
私の場合は、自分の同じまな板に乗っているので、オタクイーンさんからのツッコミを期待しています。そういうスタンスなので、私は気楽にストーリーについて感想を書くことができました。それに「魂奉山」の伝説部分には何か一言触れたかったもので。

 『超ウルトラ8兄弟』はDVDで見ました。それぞれの番組のヒーローとヒロインが夫婦や恋人役だったりして、それはそれでイベント性が高いと感じましたヨ。
そうそう、あれは「お祭り」なんですヨ。映像に定着させた「お祭り」。「ウルトラマン○○」というTV番組に登場されていたヒーローたちが集合するのだから、そこに一応のストーリーがあって、映画みたいな形式をとった「お祭り」。そんな解釈で良いのではないでしょうか。

 私は再放送世代です。『帰りマン』の時に幼稚園の年長でした。しかし、「兄弟」の設定にはハマらなかったんです‥‥。本郷と一文字の揃い踏みには熱くなったのに‥‥。やはり「ウルトラ」の世界観の違いを、私自身が超えられないのでしょう。
 もっと言うと、私は「ウルトラマン」を「マン」と略すのにも違和感があるんです。(「ウルトラセブン」を「セブン」と略すのは、劇中でもそのように呼ばれているのでアリなんですが(^^ゞ)
『スペクトルマン』に登場する「スペクトルマン」、『ミラーマン』に登場する「ミラーマン」、『レインボーマン』に登場する「レインボーマン」を、「マン」とは呼びません。ところが『ウルトラマン』の「ウルトラマン」は「マン」と略されてしまう‥‥。
これは『帰ってきたウルトラマン』の「ウルトラマン」が「新マン」や「帰りマン」と略されるのに対しての「マン」という呼び名ですよネ。つまり「新マン」ありきの呼び名。私の違和感はここから出発しています。(当時は『TVマガジン』と、学研の『科学』と『学習』は買っていましたが、小学館の学年誌は買っていなかったので、この呼び名はずっと後年になって知りました。)

市川大河様 いえいえ。もう「物語」拙作へのコメントには、胸を張って市川さんがお答え頂いて結構ですよ
あの作品は、ビジュアルの秀逸さこそが最大の功績なんですから。
私のつたない文章だけでは、間違いなくあれほどのインパクトは与えられなかったと思います。そこに市川さんの遠慮は要りません。
現にあの仮想会議を通じて、一緒に作った作品ですもんね

>アレを観た皆さんも、どうコメントすれば
オタクィーンさんのスピリッツや技術に対して
上手くリスペクトできるか、悩んでるのではないでしょうか?
実は今回、拙作に期待した反応は、「リスペクト」という部分ではなかったんですね。
以前から記事でもお話している通り、私は作品ごとの好みがはっきりしているので
考え方が極端に偏る傾向があるんですよ。
自分で作品を組み立てる上で、それは大きなマイナス面と思うんです。
でも不器用なので、なかなか変えられない。
今回の「リトラ」についても、その悪癖が出ていないかと心配だったんです。
ウルトラ世界のバランスを失っていないかと。
でも自分では自分のことが分からないんですよね。
どこがおかしいのか指摘を受けないと。
自分の常識は他人の非常識という事だってあるわけで、もしそういう部分があれば
遠慮なくツッこんで貰いたかったんです。
記事中で「ご意見、ご感想」と書いたのはその為です。
それが悪意じゃない限り、ツッこみコメントってものすごく参考になるんですよ。
足りない部分を補ってくれる効果があると思います。
そうしなければ、私はいつまでも偏狭な考え方しか持てない「古いオタク」のままですから
まー今後、建設的なツッこみがなされる事に期待したいものですが

おっしゃる通り、「物語」のアクセス増加は私にとっても嬉しい事でした。
後続作への期待も大きいですね。
それらの作品について、また様々な意見が交換されることを祈っています。

お尋ねの「ゾフィーの鼻筋」の件ですが
確かに文献「別冊宝島1524 僕たちの好きなウルトラマン[ウルトラマン・シリーズ誕生編]」P16には、ゾフィーの鼻筋には黒ラインが入っていたという記述がありますね。
最近、この記述に気がついた私はビックリし、いつものネヴュラ座46インチモニターでDVDを何回も確認しました。(何十回かな
でもこの画面、判断が非常に難しいですね。
正直、照明の加減と言われればそうも見えるし。
塗られていたと言われればそうも取れるし。

ただテレビ撮影の現場経験者としての参考意見ですが、あの鼻筋のラインらしき黒線は、照明による黒とはちょっと違うような気がするんですよね。
あいまいな言い方ですが、照明にしてはちょっと濃すぎる。
あのシーンでゾフィーは何度も頭を左右に振っていますが、その際に頭部右側に出るトサカ部分の影と鼻筋部分の黒影の色が違うんですよ。
しかも頭を振っているのにその黒さの差が変わらない。つまり鼻筋だけ、別の黒が発色していると推測できます。
また、あの鼻筋突起部分にあれだけの黒を照明表現しようとすれば、頭部を固定しかなり精密なライティングが必要になる筈です。
少しでも頭を動かせば、その効果は出なくなってしまう。
宝石の撮影などで照明を作りこむ場合と似ています。
ちょっと動かすだけで、印象は全然変わりますもんね。
そのあたりの事情は、市川さんならよくご存知と思いますが
でもゾフィーはかなり頭部を自由に動かしていますから、やはり黒ラインはあったのかもしれないと。
ただこれはあくまで現場経験から来る印象、推測に過ぎませんので、ご判断はお任せします

Qちゃんさんのご意見と違っちゃって恐縮するばかりです。
気弱ゆえ、その方面の権威がおっしゃるならそちらが正しいのかもしれないなんて心が揺れる私ですが
まーこうやってワイワイやれるのも、ファンに与えられた素晴らしい特権なんでしょうね。

※今回、市川さんの次に頂いた雀坊。さんからのコメントに、ブラウザの関係で『リトラを護れ!』写真画面の右側が切れるというご指摘がありました。
先日、記事アップ時に電話確認した点です。
アメブロの仕様により仕方の無い事ですが、やはり記事をスクロールのみで鑑賞する方は、写真一点一点をクリックしオリジナルの画角で閲覧する方法をご存知ない場合もあるので、ご面倒でもその点をトップページに表記されてはいかがでしょうか?
せっかくの力作写真にトリミングミスの誤解を与えてしまっては、市川さんも不本意ですもんね。出すぎた意見で失礼しました。どうぞご立腹なさらぬよう。

雀坊。様 わざわざ拙作をご覧頂けて、感謝にたえません。
あの長文のバーチャル企画会議にまでお付き合い頂けたとは。
私のあまりのおバカ加減に、呆れられたと思います

>単純に「すばらしい」とか書くしかないじゃないですか(笑)
そういうコメントは期待されてないだろうし、さりとて仮に厳しい指摘をしても、するほうが野暮に思えて来ちゃいます。

なるほど。そういう感触を持たれたとしたらお詫びします
正直、えてしてこういう二次創作って、作り手の自己満足に終わる事が多いですよね。
拙作の場合も、きっとそう見えたと思います。
ただ私の場合、テレビ屋という本業の関係もあって
「どこが自己満足か」「どこが痛いのか」「どこのツメが甘いのか」みたいな部分を非常に知りたくなっちゃうんですよ。
本業の番組完成後、周りのスタッフに「どうだった?感想を聞かせてよ」と尋ねまわる性格ですから
もっとも、そのほとんどは悲しいリアクションばかりなので 私も最初から賛美なんて期待していないんですよね。
自分の分はわきまえているつもりです。
その職業病が、ここでも出てしまうんでしょうね。

「仕事と趣味の創作は別」というご意見もおありでしょう。
でも私の場合、そのモチベーションは同じですし、悪意に満ちたツッこみでない限り
どんなご意見も非常にありがたい訳です。

で、もう一つあったのは。
リアクションがないという事で「見られているのかどうか分からない」という不安感が大きくなるんですよ。これは小心者ゆえの悪癖です
ですからここは、私も反省しなければなりませんね。
申し訳ありませんでした。何とぞお許し下さい

>ブラウザの問題かもしれませんが、ウチの環境では大きな画像の部分が四角く切り取られてしまっていて「ウルトラマン」のタイトルの「ン」の字が欠けて見えます。
コレ、実は私も、「リトラ」記事アップの直後にその状態を発見、市川氏に電話確認したんですよ。で、それはアメーバブログの仕様によるもので、写真をクリックして頂ければ写真全面が別ウィンドーで開きます。
ただそれは、記事を普通にスクロールするだけでは分かりませんよね。
雀坊。さんのご指摘はごもっともです。
再度、市川氏に進言しておきましたので、なにとぞお許し下さい。

>あれはやっちゃイカンと思いましたね。
ウルトラ兄弟の設定により、ウルトラファンは完全に二分されましたよね。
私の周りでも、新マンにおける初代マン、セブン客演により、ウルトラを卒業したという仲間は多いです。
でもその兄弟設定が、新たなファンを獲得したという事も事実なんですよね。
「兄弟だから好き」「兄弟だから嫌い」という相反するファンを生んでしまった点はウルトラシリーズにとってマイナスでしたが、それを補って余りある恩恵が与えられたのも確かで・・・
うーん、難しい所です

ウルトラヒーローは兄弟化・ファミリー化によって、神秘性と引き換えに親近感を手に入れたわけですが、そのどちらにリスペクトできるかで、シリーズの見方はまるで変わってしまうんでしょう。
そこをうまく処理したのが平成ウルトラだったんですが、その神秘性さえ失われつつあるようで。
きっとそれが、ウルトラ世界の生き残り術なのでしょう。
その世界観から一人忘れ去られた「セブン上司」だけが案外、その存在感を変革せずに居られるのかもしれませんね

都の商売人様 確かに初期ウルトラには「センス・オブ・ワンダー」がありましたね

>キーワードは「驚異」「神秘」「怪奇」でしょうか?
まさに私もそれらをひっくるめた「ワクワク感」を、初期ウルトラに感じていました。
ウルトラだけが持ちえたこの味がどれほど貴重だったかは、後年のヒーロー乱立期に身に染みて分かった事です

>「家のお風呂でぬるい湯に入っているような感覚」
そうですねー。確かにウルトラはそういう時期が長かったことも事実ですね。
ただこれは業界関係者独自の考え方かもしれませんが、テレビというのは本来
「ぬるい湯」の方が長寿番組となるメディアなんですよ。
確かに先鋭的なファンは個性的な番組を求めますが、その個性が一般化への歯止めとなる場合も多いわけです。
必殺シリーズも、このケースに当てはまりますよね。
多くのファンを魅了するには、込み入ったストーリーや個性的なキャストより、パターン化された筋運びとビジュアルの美しさが最適なわけです。
ですから、作品が一般化する前、暗中模索が個性に見える頃にファンとなる人々は
いつもある種の疎外感に悩まされるわけですね。
そこを特権意識と感じられれば、それほど幸せな事もないんですが

「ウルトラマン・リターンズ」は私も拝見したいと思います。商売人さんも「リトラを護れ!」をご覧になる機会があったら、私のウルトラ観がお分かり頂けるかもしれません。
お互いが数十年育てた脳内ウルトラの違いを較べてみるのも、楽しいものですね 

ポン太様 いやー今回も恥更科日記な記事で
「ゾフィゾフィゾフィ」って初耳ですか?
私の周りではみんな、呪文のように唱えてましたけど。
ゾフィー教の信者かと思われるくらい

記事の筆は進みましたけど、正直、今回はあまり書きたくない内容でしたね。
ウルトラ兄弟の設定は、見てみぬふりをしたいスタンスでしたから。
でも見ちゃったものは仕方がないと

まー今作で、今後のウルトラ世界が確立したことは間違いないでしょう。
良い意味でも悪い意味でも

自由人大佐様 この記事への皆さんのコメントで、送り手と受け手の距離感みたいなものが何となくつかめてきました。ありがとうございました

ただ思うのは、こういう企画はツッこむ方も野暮なら、作る方だってツッこみの野暮を承知という事なんです。
もともと二次創作なんですから、作る方も見る方も「ウルトラごっこ」の一員なわけで。
そのスタンスを取ってもらえればと思ったんですね。
あの1966年の空気を再現すべく頑張った作品ですから、見る方も「1966年ゴッコ」を楽しんでもらえれば、なんて大それた事を考えた私がおバカでした
とはいえ、まだ反応は諦めていません。
ビックリするような鋭い指摘の登場を、楽しみにしていますよ

オリジナルって、作り手のウルトラ観が出ますよね。
人の数だけ異なったウルトラ観がありますから、その違いを知ることが出来るのも
この企画の大きな魅力です。
大佐さんの作品を含め、拙作と大きく異なる作風を、心から期待しています。

>本郷と一文字の揃い踏みには熱くなったのに‥‥。
いやーコレ、私も記事内に入れる予定だった一文なんですよ
そうですね。この「揃い踏みが認められるかどうか」というところが、ライダーとウルトラの世界観の違いでしょう。
元々人間だったライダーに対し、ウルトラマンには人智の及ばない生命意識が息づいていて欲しいと。安易にチーム化して欲しくないと。
私なんかはそう思ってしまいます。
まーこれも儚い抵抗、「リトラ」など自作の中でしか主張できなくなりましたが

『超ウルトラ8兄弟』をお祭りとして観られない理由は、それがドラマの形態をとっているからです。
まがりなりにもストーリー仕立てにしてしまうと、後年、この作品が「ウルトラサーガ」の一部になってしまうんじゃないかと。
お祭り企画に過ぎなかった事が、ウルトラの史実の一つになってしまう危惧があるんですよ。

例えばあの出演キャストを全員集めた「座談会」みたいな企画なら、私はもろ手を挙げて喜んだ筈なんです。それがストーリーになっちゃった事で、またウルトラが自分の手から遠ざかる悲しさに耐えられなかったんでしょうね
まーそうは言っても、出来ちゃったものは仕方がありませんが

やっぱりウルトラへのこだわりは人それぞれですね。
確かに新マンの呼び名あっての「マン」表記ですし。
私はそこにはそれほど抵抗ありませんが、「帰ってきたウルトラマン」というタイトルには若干のひっかかりがあります。
「帰ってきたって言っても、アレは別人じゃないの?」
本放送当時はそれほど感じませんでしたが、後年、両者のあまりのプロポーションの違いに、改めてタイトルの偽りが身に染みた私でした

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