2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

私信等はこちらまで

無料ブログはココログ

« 甘い誘惑 | トップページ | トレーシー島危うし! »

2009年2月 7日 (土)

『批判力』VS『創造力』

例の企画作成に雑念を入れない為、ここ数日、録画した番組もまったく見ていなかったのですが、送っちゃえばもう解禁と、堰を切ったように鑑賞してまして。
普段まったく興味のないテレビですが、そういう時に限って、面白そうな番組が目白押しというのも困ったものですhappy01


中でも今、『没後10年 黒澤明特集』として、巨匠の名作をリピートしているNHKBS2で、特集に先駆け2月1日に放送された黒澤監督関連のトークドキュメンタリーは、まさに完全保存版と言えそうなほど、近年まれに見る名番組でした。

午後1時からの「シネマ堂本舗スペシャル」では、黒澤作品の人気ランキングを。
2時30分からは、黒澤組の記録担当として監督を支えた野上照代さんの証言を基にした監督の人となりを。
4時からは、映画界を目指す学生たちを集め、黒澤作品に深く携わった脚本家、
橋本忍氏のトークライブを。


いずれも大変中身の濃い番組で、後半の二番組などは圧巻の極みだったんですが、私が最も感銘を受けたのは、三番組のトリを飾る

『没後10年 黒澤明特集 脚本家・橋本忍が語る黒澤明

~”七人の侍”誕生の軌跡~』でした。

おそらく未来永劫、日本映画の最高峰として君臨し続ける名作『七人の侍』の脚本を黒澤監督と共同執筆した橋本氏が、黒澤監督のシナリオ制作に対する姿勢、かの名作が生まれた経緯を語る内容だったのですが、まあとにかく橋本氏の一つ一つの言葉があまりにも素晴らしく、5秒に一回のペースで目からウロコが落ちっぱなし。
しまいには姿勢を正し、おみそれしましたとブラウン管に頭を下げるような次第で。
いやー録画しといてよかったー。
たぶんこれ、10年に一度あるかないかの名番組ですよ。

確かに橋本氏、黒澤監督としのぎを削った脚本執筆の記録を著作として発表もされていますが、やはりご本人の口から聞くと説得力が違いますね。
不勉強で、件の著作『複眼の映像-私と黒澤明- (文藝春秋 2006 )』は未読なんですが、このトークライブを見たらもう、スルーしたのが恥ずかしいくらいでcoldsweats01
これほど脚本執筆の姿勢を分かりやすく語られた事はかつてなく。そんな橋本氏の教えが詰まった名著を読まずして、私は今までなにを偉そうに語っていたのかとweep
発売当初、手には取ってみたんだけどなー。もっと早く読んでいれば。
公開先に立たず。すぐにでも発注しますpunch

さて。『七人の侍』を通じ、橋本氏の目を通して黒澤監督の人となり、創作法について語られたこの番組。
クリエイターの端くれにとって、この番組はどこから切ってもひれ伏すばかりの75分だったんですが、例の企画案を送ったばかりの私の耳に最も強く響いたのは、
番組ラスト、橋本氏が語った『ご自身の努力目標』でした。
それまで番組のほとんどは、黒澤監督に焦点が当てられていたのですが、この部分のみ、橋本氏ご自身のポリシー・考え方が、はっきり出た場面だったのです。

「橋本さんの努力目標は?」司会・小野文恵さんの質問に、氏はこう答えました。
『自分のシナリオの下手な事に気を使うことはない、というのが努力目標。』


この言葉を聞いたとき、私は耳を疑いました。
「ええーっ!黒澤監督と共同脚本で刃を交わし、自作に誰よりも厳しい目を持つ橋本氏から、そんな言葉が出るなんて!」
でもその言葉の意味を聞いたとき、私はまたまたウロコが止まらなくなっちゃって。
もう、目まで落ちちゃいそうeye
簡単に言えば、こんな内容でした。


人間は子供の時から、学校などでいろいろ勉強する。
でもそれは、物事の理解や記憶、判断や批判の技術を学んでいるわけで、
『創造力』については、なにも勉強していない。
そのため後年、自分の中の創造力と批判力には、ものすごい差が出来てしまう。

だから、自分が創造した物を自分で批判しようとすれば、芽生えたばかりの創造力に比べ、勉強した分だけ批判力の方が勝っているんだから、創造物がかなうはずがない。
ビギナーがシナリオを書こうと頑張っても最後まで続かないのは、執筆途中、
自分で自作を「批判」してしまうせいだ。

だから、一度自分の中の「批判力」をゼロにし、下手でも書き続けた時、はじめて作品は出来る。

『下手な事に気を使わない』とは、そういう意味なんだそうです。

もちろん、作品が完成すれば、今度は自身の批判力をオンにして、冷静に批判する必要もある。その反省点を糧にして努力すれば、創造力はついてくる。
とにかくまず下手でもいいから、批判力をゼロにして作ること。それが大事。



「なるほどなあ。そりゃそうだよねえ。」赤べこのごとく、深くうなづく私。
皆さんも、思い当たる節はありませんか?
「よし。自分にも何か書けるかも」なんて張り切っても、書き進むにつれて「ダメだコリャ」なんてあきらめちゃう、なんてこと。
いやー私もこればっかりで。意思の弱さじゃ誰にも負けませんcoldsweats01

でもそれが、「批判力が創造力を上回っているから」とは!
言われてみればその通り。とにかく完成できなければ、作品の形をなさなければ、批判もなにも無いですもんね。
とにかく大事なのは、下手でも何でも作品を完成させること。
それがステップアップのスタートラインで、批判はあくまでその後という。

企画を送った後だけに、いちいち胸に染み入るお言葉で。


まー自作に対してはいわずもがな。今後の企画やシナリオ作成への自戒として、
胸に刻みつけたい所存です。それが出来る、出来ないは別としてもcoldsweats01


で、もう一つ思うところがありまして。あくまでいつもの私見ですが。
確かに人間って、『批判』は得意だけど『創造』は苦手ですよね。
古今東西のあらゆる作品、封切直後の映画から日曜朝のヒーロータイムまで、
とにかく見たら何か言わなきゃ気が済まない。それは私も同じです。

でも、いざその「批判」に値する作品を「創造」できるかと言われれば、
「それは作り手の仕事」と、ある種の逃げを打ってしまう。

この現象の原因こそ、橋本氏おっしゃるところの『創造力の訓練不足』
じゃないかと思うんですよ。


確かに私の学生時代、学校の授業に『創造』という科目はありませんでした。
国語の作文や図画工作などはやや近い面はありましたが、残念ながら「小説を書く」
とか「オリジナル怪獣を作る」なんて授業は無かったような気がしますhappy01
さらに悲しい事に、たとえそういう授業があったとしても、作品にまともな評価はされなかったでしょう。

今の教育現場の状況は分からないので、不確かな発言は控えますが、少なくとも私の子供時代、教育の現場は確実に「判断力・批判力の育成」に力が入っていたと思います。
怪獣の絵に五重丸をもらえたオサム少年のような状況は、無かったわけですねhappy01

でも思い出してみると、子供の頃の方が空想の翼は大きかったですよね。
なぜ今になって、発想を飛躍させることに抵抗感があるのでしょうか。
やっぱり橋本氏がおっしゃるように、「創造力」を育む訓練がおざなりになっていたのでしょうか。それは私にも判断できません。まーおバカweep

もちろん「判断力・批判力」は、人間にとって非常に大事と思います。
事の善悪、合否、好き嫌いを判断し、批評、批判する。
その際の考え方、判断基準、言葉の選び方などなどを確実に学ばなければ、
社会生活が成立しません。

ですから別に、その教育姿勢が間違っているとは、まったく思いません。
優先されるのもむべなるかなという所で。


ただ、自分の経験から思うんですが、こと『創造』に喜びを見出す私のような者は、学校の授業以外の部分で、自らを磨かざるをえなかったと。
クラブ活動だって「企画部」「シナリオ部」なんて無かったしhappy01
せいぜい素人でドラマを作って、文化祭などで演じる程度。
これは授業ではないですから、本格的に教えてくれる先生は居ません。
シナリオや演出のノウハウは我流で学び、自分の『創造力』を育てていくわけです。
さらに賞でも取らない限り、そういう分野は評価されにくい。

テストで100点を取るごとく、数値化された分野ではないからです。


キャラクターデザインだって同じですよね。
「この設定のキャラクターをデザインせよ」なんて授業、考えられないですし。
だから『宇宙船』が貴重なんですよ。溢れる創造力を試す機会が、他に無いから。
ただもちろん、それは学生時代の出会いやチャンスによっても変わりますね。
「美術部や演劇部の先生が理解ある人で」という事だってありえますし。


でも肌で感じますが、「授業として学べるかどうか」は、非常に大きい事です。
自分が興味あることに気づき、目標を『創造』に定めた頃、自分の中にはすでに
『批判力』が大きな力を持っている。
芽生えたばかりの『創造力』ではかなわないほどに。そこですよね。

このパワーバランスの悪さが、人々の創造モチベーションを奪っているのかもなあ、なんて思ったりもします。


皆さんも思いませんか?「批判は簡単に出来るのに、創造は苦手」って。
その真理を端的に言い当てたのが、橋本氏だったわけです。
目からウロコが落ちるのも、当然じゃありませんかhappy01

とはいえ自分の創造力の無さを、教育のせいにしてはいけまぜんね。
批判力に比べ出足は遅くても、創造の魅力に目覚めた以上、やるしかありません。
要はその時、批判力と創造力のバランスが取れていればという事です。
肥大した批判力に潰されない創造力を、自分で育てていきたいと。


いやーでも、これを見たのが企画を送った後で良かったーhappy02
企画執筆中、もしくは送る直前にこの番組を見ていたら、間違いなく推敲の機会は増えていたでしょう。自信がなくなって一から書き直していたかもcoldsweats01
偉人の言葉って、つくづく両刃の剣ですよねー。
受け取る時期によって、舞い上がったり落ち込んだり。
まーその一喜一憂が、日々のスパイスとなるわけですがhappy01


さて。今回も長々とすみませんでした。
この黒澤特番、一度では語りつくせない魅力があります。
いずれまた、お話する機会もあるでしょう。
では最後に、珠玉の黒澤作品・インフォメーションをご覧下さい。
うーん今回は高尚な終わり方だなー。たまにはいいかhappy01

« 甘い誘惑 | トップページ | トレーシー島危うし! »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

今回の「宇宙船映像倶楽部」今回はペラ紙1枚で出しました。それが企画書と呼べるものかと言われればN0だと思います。かなり作り込めるもんかと思いましたが、物理的な時間もなかったこともあり、企画書の形式とか取り除いて、イメージと方向性だけを文章にしたものを出しました。とりあえず出した感が否めなく泣きそうです。

『下手な事に気を使わない』ーなるほど!!
あと創作ってどこかで区切りを付けない限り、延々に終わらないものかと思います。そういう意味で締め切りって大事ですね。
見たかったです、その番組!!

最近PUT INするものが少なく、思考の回転数も弱くなりーまあ思考の回転数が弱くなったからPUT INするのが少なくなったとも言えますが、それが非常にストレスです。

批判力にも「質」があるでしょうね。そしてその「質」は、視点と言い換えても良いと思いますが、「創造力」と表裏一体である部分もあるように思います。

さて、蛇足ながら、橋本忍氏と言えば、以前に山田洋二監督の著書で読んだ事があるのですが、橋本&山田コンビが脚本を手掛けた「砂の器」。
原作者をして「原作を上回っている」と言わしめた映画ですが、コレは原作とは殆ど違う内容になっています。
で、この脚本は書き始めるまでに大変苦労したそうですが、橋本氏が原作の「巡礼の旅をする親子」という一行に目を付け、そこから話を広げていったそうです。

これなんかは創造力が批判を凌駕した好例かと思いますね。

OKAZAKI様 企画案提出、お疲れ様でしたhappy01
まー部長は企画「案」を求められてますから、企画「書」の体裁にこだわる必要は無いと思いますよ。

例の「A42ページの縛り」が始められた時から、私も企画をコンパクトにまとめる事に苦労していますが、言葉を選んで短文で勝負する事って、かえって長文より難しいですよね。
ですから今回、OKAZAKIさんが送られたボリュームくらいが丁度良いのかもしれません。

とりあえず私も出しましたが、今回は常識ギリギリアウト気味、かなりの掟破りを行いましたので、それがうまく文章化されているかどうか。
またうまく伝わったとしても、選考者の好みで評価は二つに分かれると思います。
ただその分、孤高の一作となる自信もありますがhappy01

『下手な事に気を使わない』って、簡単そうで難しい事ですよね。
自分の中の『批判力』が、常に『創造力』の邪魔をする。
この葛藤の末に名作、傑作を作り出すことがいかに難しいか。
改めて、先人の偉業に感服を禁じえません。
またおっしゃる通り、締め切りも大事ですよね。
私も今日は自宅で台本を作成していましたが、締め切りは明日なんですよcoldsweats01
もう、今日やらなきゃ間に合わない。
この焦りと追い詰められ感が、時々ミラクルを起こすんですよね。
思ってもいなかった名ゼリフが浮かんだりhappy01

私も思考の回転数の衰えを感じますが、一方で「蓄積された情報の熟成」も感じます。
新しい情報も必要ですが、そこから自分というフィルターを通して得たもの、それを古い情報と組み合わせ「個性」として活かす楽しみも存在するような。
そこには思考の「回転数」よりも、「回転方向」「回転レスポンス」が要求されるんですよね。
まーそれを極めているとは、口が裂けても言えませんがweep

メルシー伯様 確かにおっしゃる通り、批判力の「質」は本当に大事ですね。
よく思うんですが、批判というのはある種の専門知識を必要とされるものですよね。
例えば、公序良俗への批判なら「常識のレベル」とか。

それはどんなジャンルでも同じで、批判はそのジャンルに関するかなりの知識がなければ不可能です。
それがなければただの「愚痴」「言いがかり」になってしまう。批判に値しないわけです。

で、その「批判力」を「創造力」に転化する場合も、確かに多いです。
社会問題をドラマ化するなんてその典型ですよね。
そういう意味では確かに、批判力と創造力は表裏一体、芸術と呼ばれる物の多くは、その姿勢で成り立っているのかもしれませんねhappy01

「砂の器」は私も大好きな作品で、野村芳太郎監督作品は二度ほど鑑賞しました。
後年の評論によると、橋本忍氏はこの作品の脚本をわずか三週間で書き上げたそうです。あの超大作の脚本を三週間でeye
原作では簡素な記述の「巡礼」のシーンが膨らんでいるのは、物語の叙情性を強調するための橋本氏の戦略だったそうですが、本編中でも数々の改変がありますよね。犯人のキャラクター造形とか。
原作とはまったく別の捉え方がされたこの作品に今も高い評価がされるのは、おそらく橋本氏が「文学と映像の違い」を熟知していたからに他ならないでしょう。
おっしゃる通り、批判性を凌駕する『創造性』が、そこにはあったのでしょうねhappy01

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/104767/27856558

この記事へのトラックバック一覧です: 『批判力』VS『創造力』:

« 甘い誘惑 | トップページ | トレーシー島危うし! »