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2009年1月25日 (日)

全ては、振り出しに戻る

えー、サブタイは思わせぶりですが、今回はボトムズネタではありません
いよいよ、締め切りまで10日あまりに迫った、『宇宙船映像倶楽部』。

そのヒーロー企画についてです。またまた、読者限定でごめんなさい。
でもここで書きとめておく事も、自分の中では意義ある事。
文章化する事で、脳内が整理できる効果も大きいので、どうぞお許し下さいね


以前、企画の斬新さと王道についての悩みをお話しましたが。

1月21日(水)『悪夢はふたたび』

http://spectre-nebura.cocolog-nifty.com/cultnight/2009/01/post-1f3a.html

この中で、「自分の企画で、面白いのはテーマか、ギミックか?」なんてお話をしています。でも考えてみると、あまり意味がない悩みのように感じちゃいまして。
いつもながらのおバカな私。あちこちぶつからないと気がつかないもので
作品の面白さって、作品の中のどれか一つが突出しているわけじゃなくて、全てが連動していると言うか、構成要素がバラバラじゃ成り立たないような気がしてきたんですよ。


昨日までのハードワークから解放されて、今朝から真剣に応募企画を練っていたんですが。
その中で、『こういうギミックが面白い』なんて思いつくと、
どうしても次に『なぜ、この企画ではこのギミックが必要なのかな?』なんて方向へ発想が行っちゃう。

つまり、ギミックだけいくら思いついても、
そこに『ギミックを生かす世界観』や『そのギミックでなければならない作品テーマ』がなければ、作品として成り立たないわけです。


で、その度に、発想が振り出しに戻っちゃうんですね。
例えば「巨大ヒーローが光線技を駆使して戦う」というギミックを考えたとしても
「そのヒーローは何故、光線が必要なのか?」
「光線を使わなければならないような敵の設定は?」
「その敵は、何故ヒーローと戦わなければならないのか?」
「その作品では何が言いたいから、その敵を設定したのか?」

なーんて、思考が原点に戻って行っちゃうんですよ。


どうしてこうなっちゃうかと言いますと。これは実に簡単な事で。
ヒーローの存在理由が、すべて受け身であるからです。

以前、お仲間へのコメントに書いた事がありましたが、ヒーローというものはすべからく、『先制攻撃』は行いません。
すべて、事件が起こったり敵からの攻撃に見舞われたりした時、その被害から人を守る、負の状態から人々を救う『防衛戦』なんですね。
だから、事件が起こらなければヒーローには存在する理由がない。
「世の中から犯罪が消えてしまったら、警察が不要になる」と言われるのと同じ理屈です。
でも実際には、そんな事はありえません。
人間が存在する限り、やはり事件は起こります。


ですからヒーロー作品を企画するという事は、
まず、社会の何に切り込むか、何に問題意識を持つかという『テーマ』がなければ何も始められないような気がするんですよ。

これは私の発想法にすぎませんので、異論もおありと思いますが


お話におつきあい頂ける方々に感謝して、さらに私見を進めますと
私の発想順としては、

テーマ
敵の設定、またはヒーローが解決せねばならない事件のジャンル
②に対峙する存在としてのヒーローの設定・位置づけ
ヒーローが使う武器、技などの設定(これが私にとっての「ギミック」です)

と、こうなります。


まず「作品で何を言いたいのか」という問題意識が無ければ、それを具現化、テーマを投影する「敵」が思いつかない。
「敵」が思いつかなければ、それに対抗する手段としての「ヒーロー」「ギミック」が思いつかない。こういう順番です。

ですから実は、ヒーロー作品で表面に出るファクターの中で一番大事なのは、「敵の設定」にあるのかもしれません。
作品のテーマが集約されているのは「問題意識」そのものの「敵」であり、それに対するカウンター・キャラクターとしての「ヒーロー」は、あくまで問題意識から導き出される存在であるからです。あくまで私の考えですが。


前述の流れで、『ウルトラマン』という作品の構造を考えてみれば。

①テーマ  
これは作品によって振り幅がありますが、
共通するのは自然や宇宙からの人類への挑戦』でしょう。

②敵  いわずもがなの怪獣、宇宙人。
『光線技などの超能力を持ち、巨大』というのがほぼ統一した意匠です。

③ヒーローの設定  
②の『巨大』怪獣や宇宙人と対抗する必要性から、『巨大な宇宙人』という設定が割り出されます。

④ヒーローが使う武器・技
これも②の『超能力を持つ敵』に対抗し、『光線技』などが設定されます。


こういう事です。敵が決まらなければ主人公も決定できない。
等身大のショッカー怪人が暗躍する『仮面ライダー』の世界に、巨大な宇宙人・ウルトラマンが登場しては、ドラマが成立しなくなってしまいます。
それはあくまで『仮面ライダー』が、等身大の怪人のみの世界だからです。

(キングダークが云々、というヤボは言わないでね
武器や技だって同じですよね。そりゃーショッカー怪人が束になってかかったって、スペシウム光線の一撃で全滅ですよ。基地だって炎のもくずと消えるでしょう。
それではやっぱり、『仮面ライダー』という作品は成立しません。
光線技がほぼ使われないライダー世界には、肉体のアクションがふさわしいのです。


だから私の場合、まず「テーマ」から導き出される「敵」が発想できなければ、対抗手段たる「ヒーロー」が浮かばない。
作品の世界観は「テーマ」「敵」が決定するからです。
やはり全ては、振り出しに戻るんですよね。


「そんな事、言われなくたって分かってるよ」というご意見も多いでしょうね。
そうですよねー。ホントに私はボンヤリで(『秋日和』の原節子風セリフですが)
でもこの構造、いざ自分が新ヒーローを発想しようと思うと、本当に身に染みて分かります。
いかにヒーローの側が、敵に合わせて作られているかが理解できるんですね。


『ウルトラマン』が、巨大怪獣に対抗すべく巨大ヒーローとして創られたのは有名なお話ですが、それは『ウルトラQ』というこれ以上ない実験場があったからこそ。
『ウルトラQ』という作品がなければ、間違いなく『ウルトラマン』はこの世に誕生していなかったでしょう。

『Q』と『マン』の世界観が地続きなのは、言わば当たり前なんですね。
もし、『ウルトラQ』の登場怪獣が巨大でなく、『アウター・リミッツ』の等身大宇宙人みたいなキャラばかりだったら、ウルトラマンは巨大ヒーローとして設定されなかったかもしれないのです。いや、ウルトラマンという存在自体が不要だったかも。
等身大宇宙人が相手なら、科特隊だけで充分ですもんね


今、私たちの前に立ちはだかっている壁は、おそらく新たな「テーマ」「世界観」の構築という点でしょう。ここをクリアしなければ、新しいヒーローは生まれません。
現在『宇宙船映像倶楽部』で課題作となった作品が、それぞれいかに個性的なテーマ、世界観、敵を設定しているか。
そう考えただけでも、そのハードルの高さがお分かりと思います。

いやー難しい。テーマ→敵→ヒーロー→ギミックなんて。
ギミックは作品にとって枝葉の部分。確かに目を引きますが、それはテーマから逆算されたものでなければ、作品から浮いてしまうのですから

その逆の発想、ギミックやヒーローから敵、テーマを逆算される方も多いでしょう。
ぜんぜん別の発想法をされる方だっていらっしゃいますよね。
もちろん、それもアリです。良い物を作るのに正道はありません。
これは方法論の違いであって、良い悪いじゃないんですね。


自分のブログながら、いつもの勝手な言い分でごめんなさいね。
その考えに至った時点で、今の私はちょっとスランプ脱出、光が見えてきました。
魅力的な切り口、斬新なテーマさえ見つければ、後は黙っていても作品は個性的になります。それが分かっただけでも前進かなと。
まだ霧は晴れてはいませんが、毎回、応募のたびに、こうしてヒーロー作品の構造に新たな発見をする度、『映像倶楽部』に参加して本当に良かったと思っています。


後は、その発想が、ちゃんと文章で部長に伝えられるかどうかですね。
いやーこれがまた難関で。
皆さんもご存知の通り、私は文章がヘタですからねー。
後は部長の理解力に頼るだけという。
毎度の落ちこぼれで、肩身は狭まるばかり。
あと10日あまりですから、そんな事も言ってられませんが

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コメント

『宇宙船映像倶楽部』取り掛かりは早かったんですが、なかなか思うようにいきません。しかも、ここに来てまたまたテストで(笑)
でも、ウルトラマンにしろ仮面ライダーにしろ、今では『ヒーローといえばこの作品』というくらいになっていますが、もともとは0から作り上げられた作品。素晴らしい発想というのは時代を超えて愛され続けるんですね。
僕は雨宮監督の『ゼイラム』も好きなのですが、よく考えると、僕が生まれたくらいに公開された作品なんですよ。それを僕が好きになって、多分僕よりも後の世代の人も好きになっていく。凄いことですよね!

アラ様 企画、テストとも頑張っているようですね
きっとヒーロー企画なんて初めてでしょうから、思うようにいかないのが当たり前。
その焦りをどう耐えるか。その先に勝利があります。

ちょうど私も、企画の骨格がまとまりつつあります。
ここだけの話、今回は今までで一番の飛び道具。きっと雨宮部長も呆然とするでしょう

>素晴らしい発想というのは時代を超えて愛され続けるんですね。
そうですよね。一過性に過ぎない企画や便乗企画はやがて忘れられますが、何事もオリジン、つまり最初に世に出た企画は時代を超えた魅力があります。
私たちもそういうオリジンを目指して、日々頑張りたいものです。

『ゼイラム』も公開当時、けっこう話題になりました。
たまたま私も最近、DVDで久しぶりに鑑賞したんですが、雨宮監督の瑞々しい感性がほとばしる力作でした。
きっとあの作品も、後世に語り継がれていく事でしょうね


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