掬水月在手 弄花香満衣
今日のサブタイを読めた読者の方を、私は尊敬します
これを最初目にした時、私なんかぜーんぜん読めませんでした
この言葉、中国がまだ唐と呼ばれていた頃の詩人、干良史(うりょうし)という方の詩だそうで。
水を掬(きく)すれば 月 手に在り 花を弄すれば 香 衣に満つ
と読むそうです。うーんわけがわからない
ホントに不勉強で、ひょっとしてこの詩が超有名作だったらものすごく恥をかいちゃってると思いますが
なんでこんなお話になっちゃうかと言うと。
この詩は先日、お付き合いのあるご住職から頂いたものなんです。
これが今、妙に今の気持ちと符合しているところがありまして。
もしよろしければ、ちょっとお聞き下さい。
別に難しいお説教というわけではありません。
私なんぞに出来るもんじゃありませんし
先月19日、父の七回忌、母の三回忌法要を行った時のことです。
父の出身地、静岡からわざわざ車でお越し下さったご住職(御年83)は、法要に合わせて父母それぞれの塔婆をご用意下さったのですが、ご住職はその裏書に、件の詩を選ばれたという訳です。
父の塔婆には 掬水月在手の詩。
母の塔婆には 弄花香満衣の詩を。
法要の場でお経、焼香を終えた後、ご住職は私たち親族に、この詩の意味を説明されました。
「水を掬すれば 月 手に在り」
とは、いつも遠くにあると思っている月も、ふと水鉢を見ればそこに映っている。両手で水を掬(すく)えば、掌の上に月は輝いている。
たやすく手に入るではないか、という意味。
「花を弄すれば 香 衣に満つ」
とは、道に咲く花の美しさに惹かれ、触れてみれば、その花の香りが衣に移っていつまでも楽しめる、という意味。
要は二つとも、望むものは遠くにあると思い込んでいるだけで、本当は意外に近くにあるという事を言っているんだそうです。
でも私たちはそれに気づかない。
心がそこにないから、水を掬っても月を手に入れた事が分からず、花を弄してもその香りを感じられないという事なんだとか。
これは仏法の真理なんだそうですが、うーむこの年になると、この手のありがたーいお話が妙に心に染み入ってくるから不思議で。
思わずメモしちゃったりして。
隣を見れば、二つ年下の従弟も同じくメモってました。血は争えない
その後、ご住職を囲んで昼食となったんですが、何しろ時は10月19日。
頭の中に『宇宙船映像倶楽部』応募プロットの事しかなかった私は、失礼にもご住職の前で、従弟にこのお話をしてしまったのです。
「今、色々考えてるんだけど、なかなかまとまらなくて。」
私と同じく、オタク話がキライじゃない従弟は食いつきも良かったんですが、ご住職はそんな私たちの会話をニコニコしながら聞いているだけ。
考えてみれば失礼ですよね。和尚さんを放っといてヒーローのお話ですから
でも思い込むと脳内がその事だけに支配される私は、とにかく口に出さないと収まらない性格。しかもオタクの従弟も話を被せてきちゃって、止める人が居ない
そんな私たちのオタク話で盛り上がりが頂点に達した時でした。
黙々と食事を口に運んでいたご住職が、不意に口を開いたのです。
「私は、そういうなんとかマンとかはよく分からんが、例えば西遊記。
あれなんか、中国の故事を、うまい事面白いお話に仕立ててあるよのう。」
うわっ。ご住職乗ってきちゃった。さすが人間が出来てらっしゃる
御年83の和尚さんに「なんとかマン」なんて言わせちゃった事に恐縮しながらも、そこに妙な真理を見た私。
「そう。そうですよねー。西遊記なんて、ヒーロードラマの基本パターンを見事に作り上げた名作ですよね。考えてみると、陰陽師なんかも近年、ヒーロードラマとして再評価されたし、意外と「なんとかマン」の新しいヒントは、古典の中にあるのかもしれませんね。」
そんなやりとりで、その場はヒーロートークで盛り上がったのですが。
その場にそぐわない私のネタ振りに、いつも変わらぬ笑みでお付き合い下さったご住職には本当に感謝しなければなりません。
めちゃくちゃなお話ですよね。考えてみれば
きっと、門前の小僧に教えを与えるような広い心でご覧頂けたのでしょう。
その時のご住職のお顔が、私には笠智衆さんに見えました
冒頭の漢詩、そしてこの時の会話は、「何かのヒントだったのかな」程度の思いで私の中にしまいこまれました。
確かにあの時はそうだったんですが。
その後、皆さんにもお話した、締め切り真近の怒涛のプロット追い込みを経た今、落ち着いて考えてみますと、どうもあの日の事が、意外な真実を含んでいたような気がしてならないのです。と言うのは。
先日のお話
10月29日(水)『三回戦終了』
http://spectre-nebura.cocolog-nifty.com/cultnight/2008/10/post-531a.html
で、私は今回提出のヒーロープロットについて
「ありそうでなかった線を狙った」
「たとえベタでも面白さ、不変的なテーマを盛り込んだ」
と表現しました。
この発想には、無意識の内にあの日の漢詩、そしてご住職のお言葉が影響していたんじゃないかなー、なんて思いがあって。
自分では全然意識していなかったんですよ。考えている時は。
でも追い込めば追い込むほど、発想がシンプルになってくる。
テーマは本当に使い古されたものなんですが、目先の新しさで目を惹くよりも、しっかりした芯さえあれば、つまらない物にはならないだろうなんて気持ちになっていったんですね。
ヒーローの本質は不変で、気がつかないほど近くにあると。
まー発想の限界と言われれば、それまでなんですが
(うーんそっちの方が正しいような気もしてきました)
うまく言えませんが、人間はヒーローに何らかの憧れを持つわけですよね。
例えば超人的な肉体だったり、人間が持ち得ない超能力だったり。
でもヒーローは、そんな能力を操る「心」あってこそ成立するんじゃないかと思うんですよ。
自らの弱点を知っていながら、そこから逃げない強靭な精神力とか。
自分のルールを貫く強さや無上の優しさ、仲間を裏切らないなどの「心」。
その恵まれた能力は、あくまで心あってこそ行使されなければならないと。
そう考えれば、相手を破壊するほど強力な決め技を、納得できる理由もなくいきなり放つようなヒーローは生まれようがない。
殺戮はヒーローの心の対極にあるはずですから。
いくら肉体が強くても超能力を駆使できても、心がなければ人間の憧れには値しない。少なくとも、これが私の価値観なんですよ。
いくら目先を変えようともその価値観が崩れたら、それは私の中ではヒーローじゃない。
まだ見ぬ物を、違う物をと、新しさばかりに気を取られていると、この「芯」みたいなものを忘れがちになるんですよ。
木を見て森を見ない、みたいなもので。
その「芯」の部分が大事。まさにこの詩の通りです。
望むものはさほど遠くにあるわけではなく、手で掬える月や衣に満つる香りのように、近くにあるものだ。
そういう事なのかもしれません。
「西遊記」のお話だってそうですね。
面白いお話の基本は故事にある。それも一つの真理のような気がします。
だから基本に戻って。「ヒーローがヒーローたる要素」を邪魔しないプロットを考えれば、それほどおかしなものにはならないだろうと。
そんな考えが頭のどこかにあって、そこから自然に、今回のプロットが出来たような気がするんですよ。
ですから結果的に、それは「ありそうでなかった」ほどシンプル、かつ「ベタでも面白さ、不変的なテーマを盛り込んだ物」となったわけです。
今回、新たに加えた「別案」も同じ発想でした。
テーマから考えていくと「なんでコレがなかったんだろう?あってもよさそうなのに。」なんて、シンプルながらパワフルな案が出てくるものなんですよね。
ただこれは、「テーマや設定は要らない。プロットやギミックを求める」という雨宮部長のご要望にはちょっと合わないかもしれませんね。
私の場合、テーマや世界観からギミックが逆算されてくる発想法なので、それは仕方がありません。
でもそれもアリだと思うんですよ。企画とは多くの人の関わりの中で、刻々と変わってゆくものですから、完成作が原型通りじゃなくても良いんです。
でもその原点には必ず、思いを盛り込んでおきたいんですね。
そこは譲れない、私のこだわりかもしれません。
それにしても。いやー今回は、全部ご住職の受け売りから出た発想。
さすが、仏の道を究められた方は、どんな分野でも真理を突かれますね。
それにしても。ヒーローの真理を教えられるとは。おみそれしました。
決して、私なんぞが偉そうに語れる事じゃないんですが
まったく無宗教で、般若心経ぐらいしか唱えられない私ですが、
今回の教えで、ちょっと仏門にも感謝の意を覚えました
でももし、今回の応募作がボツになったとしたら(なるでしょうけど)、
それはこの時の漢詩やご住職の教えが悪かったのではなく、ひとえに教えを咀嚼しきれなかった私の無力さが原因です。
うーんまだまだ門前の小僧。全然修行が足りませんね
(念の為。女子の場合は小僧って言うんでしょうか?
まーいーか。「三日坊主」も男女関係なく使うから)
この教え、お仕事にも活用できそうな気がして。
台本やカット割りも、最近は基本に戻るようにしています。
こ洒落た言い回しやトリッキーなカットを封印する方が、テーマを浮き彫りにしやすい事もあるなあと。
だから今日の言い回しも素直そのもの。なんて言ってると・・・
「言葉を知らないだけでしょ!」という皆さんからのツッコミが嵐のように
ごもっとも。素直に反省します
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コメント
この記事へのコメントは終了しました。
こんばんは。
昔から伝わるもの、というか残ってきたものにはやはり残ってきただけの理由がありますよね。現在の怪獣やモンスターのデザインもじつはこういった作品中のデザインのバリエーションに過ぎないことが多々ありますし。
ちょっと話はは変わってしまうのですが、昨日、久々に最新作のガンダムのプラモを制作していたのですが、そのデザインや構造に違和感を感じたのです。現在放送中の最新作においてはガンダムは特殊な動力炉を搭載していてそれが物語上もデザイン上もアイデンティティーとなっています。番組前半に登場していたガンダム達はその動力炉が胸に位置していたのですが、現在登場している機体(パワーアップした機体)はそれが両肩、股間、腰の後ろなどに移ったデザインとなりました。
デザイナーの意図は現段階では不明ですが、これがどうにも自分としてはむずがゆい感じ。デザイン的な面白さや目新しさは認められるのですが。
ウルトラマンでいえばカラータイマーがオシリについているような感じでしょうか(笑い)。
そこで考えたのが、ヒーローやヒーローメカのデザインで重要なのはカッコ良さやデザインの面白さより、感情移入しやすく、また人間の身体感覚に同調しやすいものであるべきなのかなということ。
たとえば前述の動力炉やエンジン、重要な器官は人間では心臓や重要な臓器にあたるわけで胸や腹部などに位置するわけですよね。
また身体感覚的にも『エネルギーを作り出す、力があふれてくる』場所というのは体の芯の部分、胸や腹なのではないかなと思うのです。設定的には筋が通っていて構造的に合理的なものよりも感覚的に同調できるもののほうが実は人間にとってはより訴えるものが強い。
同様に『目からビーム、口から炎』という特撮、アニメでよくある描写も構造的には不合理なのですが、敵を『睨みつける、言葉をなげつけ威圧する』という行動の延長線上としてとてもわかりやすい(というかそういう行動の誇張)と思うのです。
そうやって身体の感覚や想いの表出のしかたと同調しやすいデザインは人間にとって気持ちがいいのかな、と。自身を重ね、また感情移入しやすくおもいきり物語にもひたりやすくなるし、ごっこ遊びもしやすい(笑)。
このあたりがキャラクターデザインの黄金律につながるかも、と再確認したように想いひとり納得していたのですが、じつはとうに周知のことなのかもしれませんね。デザインでもベタにはベタなりの理由がある、ということですね。
またまた長くなってしまいたね(汗)。失礼しました。
投稿: MUGI | 2008年11月 2日 (日) 02時42分
MUGI様 今回の記事で言いたかったことは、まさにMUGIさんのコメントにすべて集約されています。
ここまでご理解頂けると、私も無い頭を絞った甲斐があるというものです
コメントを拝見してなるほどと思ったのは、私も言いたかった「ベタにはベタなりの理由がある」という思いを、MUGIさんはデザインの面で感じていらっしゃるという事ですね。ガンダムの最新シリーズは未見ながら、MUGIさんのおっしゃる事はよく分かります。
確かに、人間の姿を模して作られたキャラクターには、重要な器官や生命活動を司るパーツも、人間に近い位置関係にあるのが自然なのかもしれませんね。
過去の作品がことごとくその不文律を守り続けていたのは、そこにルールがあったからではなく、作り手、受け手共に人間という存在が自然に受け入れられる発想だからでしょう。そこには理屈ではなく、ある種観念的な不変の認識が働いているとも言えます。
おそらく、ドラマのテーマやストーリーにも、そんな不変の形があると思うんですよ。
海外映画でたとえ字幕がなくても、映像を見るだけでなんとなくストーリーが理解でき、感動できるのはその為です。
国境や民族の違いを越え、人類という大きな括りで見た時、そこには必ず共通した感情の躍動があると。
どんな国の赤ちゃんでも可愛さに変わりはないし、虐げられた者には悲しみや怒りを覚えるわけです。
そういう、全人類共通の感情を無視してしまえば、そのストーリーは理解しがたいものとなってしまうし、受け入れられないでしょう。
ちょうどMUGIさんが、最新のガンダムに違和感を持たれたように。
「気持ちよい感情操作の時間配分」にも、同じ事が言えますね。
よく言われる「ハリウッド映画の黄金率」などはその代表です。
判で押したように、ストーリーのラスト盛り上げは30分間と決まっている
おそらく、私たちが目指している新たな特撮作品は、そんな不変のテーマを「ちょっと違った味付けで」見せようとする試みなのかもしれませんね。
日本初のヒーロー、スーパージャイアンツが銀幕に登場してから51年。
その歴史は、不変のテーマを何風味で語るか、という試行錯誤の歴史でもあったのですから。
私も今回、ご住職のお話に足元をすくわれて、ようやく気がつきました。
「新しさ」は常に、基本の上に成り立つものなんですね。
こういう意見が交わせる、MUGIさんのような方とお知り合いになれて、私は幸せです。これからもそれぞれの立場から、お互いを刺激しあう良い関係が築けるといいですね。貴重なご意見、本当にありがとうございました
投稿: オタクイーン | 2008年11月 2日 (日) 20時35分
職員旅行から帰ってまいりました(^o^)/
タイトルの文字は読めませんでした‥‥。漢語=中国語は英語と同じ「主語+動詞」という語順なので、何となく意味は掴めますが。
『宇宙戦艦ヤマト』も『西遊記』が下敷きとなっているいう分析もあるように、古典には普遍的なストーリー・テリングの醍醐味が詰まっているのでしょうネ。
ご住職さんは83歳とのことですが、変身ブームの頃はちょうど現在の私たちと同じくらいの年齢だったでしょう。新聞でも大きく報じられたムーヴメントを、仏門の修行をされながらどのように感じられていたのか、とても関心があります。毎週・毎日のように怪獣・怪人との殺生を繰り返すヒーローたちが、ご住職の目にはどのように映られていたのか‥‥。
オタクイーンさんの以前の「カリスマ性に代わるもの」の時にもコメントさせていただきましたが、「ヒーローのカリスマ性」って、そんなにブレは無いものだと信じています。だから古典の中にも見出せるものなのかも。
ちょっと話が変わりますが、私は時々『踊る大捜査線』を見返します。その中で青島がふともらした「正義」という言葉に、和久さんが「『正義』なんて言葉、口にするんじゃネイ!」と一喝するシーンがあるんですヨ。すると青島は「自分の信じること」と置き換えるんですよネ。刑事ドラマでもそういう部分を描くのが難しくなっているのだと、こちらのブログでのやり取りを経た今では、敏感になっている自分に気付きました。ありがとうございます。
投稿: 自由人大佐 | 2008年11月 2日 (日) 21時36分
心配されて当然です。ビルは閉まってはいても誰かしらいるだろうと高を括り、行ってきました。そしたら偶然にも宇宙船の編集部の人に会うことができ、その人に渡しました。でもその出会い方は何というかとても恥ずかしいものでした・・・。とりあえず挨拶と雑談をしてたら部会の話に!その人曰く、「今、雨宮監督がモウレツに忙しく、日程がいつになるかわかりませんが、日程が決まり次第連絡します」とのこと。
何はともあれ無事に企画を出すことができ、編集部の人にも会うことができ、結果的によかったです。
てゆーか、今回のこの記事、とても納得させられます。ちょっと違いますが、「自分も話の本筋とその大元になるテーマは限りなくシンプルに!でもそこで語られていることは数多く」を心がけています。
投稿: Okazaki | 2008年11月 3日 (月) 11時48分
自由人大佐様 職員旅行、お疲れ様でした



楽しんで来られましたか?
お疲れのところ、わざわざコメント頂き、ありがとうございました
やっぱり読めないですよねー。この漢詩

私は最初にご住職から読みと意味を教わったので、なんとか分かりましたが、それでも改めて見てみたら、意味は分かれどまったく読めずといったありさまで
でもこの詩、意味は分かりやすいですよね。非常に身近な事を言っているのですぐ理解できます。
シンプルゆえに真理を突き、しかもどんな事柄にも当てはまるのかもしれません。
言われて見れば、「ヤマト」と「西遊記」の関連も頷けますね。太平洋戦争を宇宙規模で展開したという、ストーリーのテイストばかりに目が行きやすいヤマトですが、その実、長旅の困難を通して主人公が成長するという骨子は、西遊記に通じるものがあります。
やはり古典には、何かしら人間不変の真理が潜んでいるのかも。その方面にはまったくうとい私は、アレンジされた後続作にオリジナリティーを感じていました。まだまだ修行が足りませんね
この日私も、大佐さんが疑問に思われた「殺生するヒーロー」についてのご意見をご住職にお聞きしたかったんですが、いかんせん時間切れで

喪主は雑事に追われることが多く、残念ながらその質問は、次の機会に見送りました。次回の法事にご期待下さい
「ヒーローのカリスマ性」について今、考える事ですが。

確かにおっしゃる通り、「私たちの世代がヒーローと思っている存在」のカリスマ性には、ブレは無いと思います。
ところが今の特撮作品を見ていると、「ヒーローと呼ばれる存在」の裾野は、昔よりかなり広がっているような気がしてならないんです。ボーダーが下がっていると言ってもいいでしょう。
「万人を守る事よりも、愛する一人を守る事」までがヒーロー視されるようになっている。だったら、ヒーローじゃない人の方が少ないですよね。
果たしてそこにカリスマ性はあるのか?そこまでヒーローの裾野が広がってしまうと、もはやカリスマ性はヒーローに必要なくなってしまう。
でも私などが信じるヒーローは、「何かしら人より秀でた存在であって欲しい」訳です。ここにジレンマが生まれる。
「果たしてどこまでがヒーローなのか」という問いは、私の中に常にあります。
その一つの答えが古典の中にあるというご意見は、間違いないでしょう。
少なくとも彼らには、語り継がれるだけのカリスマ性があったと思います。私たちの世代のヒーローはそれを受け継ぎましたが、そこから先はひょっとすると・・・
ですから私は、そのカリスマ性を古典の中に、原点に求めているのかもしれませんね
「踊る~」については私も大佐さんと同意見です。
和久さんが青島刑事を表して「アイツは人には譲れない、自分だけのルールがあるんだよな」という意味のセリフを放った事がありました。「自分だけのルール」=「自分の信じる事」なんでしょうね。たとえ他人にどう思われても、自分が信じる事をやりぬくこと。「信じる事」は人によって違いますから、必ずしも正義と同義かどうかは分かりませんが、少なくとも刑事を目指す者が「信じる事」は、正義に近くあって欲しい。
それが本作の脚本家、君塚良一氏の願いなのでしょうね。
それは私も同じです。私もそれをいつも願い、ヒーローを企画しています
投稿: オタクイーン | 2008年11月 3日 (月) 14時43分
Okazaki様 貴重な情報、ありがとうございました

編集部の方に会われたんですか。ラッキーでしたね。
部長がお忙しいことは分かっていたので、いつお呼びがかかってもいいように心づもりだけはしております
今回の記事は、自分にも言い聞かせながら書いておりました。
基本は大事ですが、基本ほど忘れやすいんですね。
基本って空気みたいなものですから、あるのが当たり前、出来るのが当たり前みたいな気持ちになりやすいんですよ。
それが大きな落とし穴なのかもしれません。
基本はシンプルなものですが、シンプルなものの方が強いと思います。
重要なのはおそらく、基本を見る時の視点でしょう。
基本そのものは不変のものですが、見る角度は変えられます。
そこに新しさが生まれるのでしょうね。
Okazakiさんのおっしゃる『語られていることは数多く』という心がけも、基本を見る一つの視点なのかもしれません。
数回の応募を通じて、創作の本質を探る楽しみに浸っています。
お互い頑張って、明日のヒーローを模索しましょう
投稿: オタクイーン | 2008年11月 3日 (月) 15時14分
オタクィーンさまこんばんは。今回もたいへん面白いお話拝見させていただきました。「水を掬(きく)すれば 月 手に在り 花を弄すれば 香 衣に満つ」この漢文たいへん勉強になりました。「望むものはさほど遠くにあるわけではなく、手で掬える月や衣に満つる香りのように、近くにあるものだ。」ということですね。今日は、身近な家族の大切さをありがたいなぁと思いつつ、いつもは雑巾がけで終わる床掃除を、ワックスがけまでがんばってしまいました。(赤ちゃんをおんぶしつつ・・・)
投稿: のん | 2008年11月 3日 (月) 22時14分
MIYUKIさま、こんにちは!
今回の記事を読ませていただいて、
私も大切な教えをいただいた様な気持ちです。
タイトルの2つの漢詩、素晴らしいですね。
私自身にもいろいろ思うところありました。
余裕を無くして、小さな幸せに気付かない毎日だったかな・・。
明日からちょっと世界が変わるかもしれません。
ありがとうございます。(*^-^)
投稿: hikari | 2008年11月 4日 (火) 00時04分
のん様 今回のお話、本当はアップしようかどうか迷ったんです。






私みたいな者が、偉そうにお話できるような内容じゃなかったし。
お説教はするのもされるのも苦手ですしね
でもこんなお話が少しでものんさんの中に残れば、これに勝る喜びはありません。
のんさんはお幸せですよ。優しい奥さん、可愛いお嬢ちゃん、猫ののんちゃん、そして好きなプラモに囲まれて
そうした幸せに気づかれたのんさんはご立派です。
いつも雑巾がけをされているんですか?ご家族思いですねー
しかもお嬢ちゃんまでおんぶして。さらに今回はワックスまで
楽しいご家族の様子が、目に浮かぶようです
投稿: オタクイーン | 2008年11月 4日 (火) 09時01分
hikari様 いやー後で読み直してみると

この記事って偉そうですよね。
ちょっと反省しています
まー私も、ご住職からありがたーい漢詩、お話を頂き
自分に言い聞かせるつもりで書きましたので、どうぞお許し下さい
小さな幸せってなかなか気づかないものですが
こうしたやりとりだって実は幸せな事なんですよね。
お互いの気持ちを通じて、様々な物事を多面的に見られる事は
私の心の幅を確実に広げていると思います。
まーおバカなお話ばっかりですが、これからもよろしくお願いします
投稿: オタクイーン | 2008年11月 4日 (火) 09時10分