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2008年10月 5日 (日)

10の為の90

以前から、よくお話している事ですが。
最近、新作の特撮作品をまったく見ていません。
こんな事言っちゃうと、また怒られちゃいそうですが


特撮ファンとしてあるまじき行為。最低限、押さえておく作品はあるはず。
今朝もそう思い立ち、戦隊もの(もはやタイトルも思い出せない)と「キバ」くらいはと思い、テレビをつけたまではよかったのですが、やはり興味は「サンデーモーニング」に。その後はお仕事の台本作成に忙殺され、はたと気づけば夕方。
ミニ番組ばかりとはいえ、根をつめて台本三本はさすがにキツいです

で、なぜ見なくなっちゃったかと言うと。
これもまた怒られそうですが、もう何となく分かっちゃうんですよね。展開が。
要は「戦隊」「ライダー」であれば、絶対外せないセオリーみたいなものがあるわけです。その予定調和が楽しめなくなってしまった。
「いや、見てもいないのにそんな事言っちゃダメだよ。新しい展開だってあるんだから」と言われるかもしれません。
確かにその通り。ホントは私もそう思うんですよ。
見ないであれこれ言うのは良くないです。

自分でも不思議なんですよね。なぜ自分が一番嫌いな「見もしないであれこれ言う」という愚行を犯してしまうのか。
一方ではものすごく反省もするんですが。

でもその一方で、妙に納得できる感覚もあったりして。
「ライダーと名乗る以上、変身して戦うわけだよね。
戦隊だって人数が増えるだけで、そこだけは変えられないでしょ。
そこを変えたら、番組の骨格が崩れてしまう。」

たぶん私は、その「変身して戦う」という部分に、すでに飽き始めているのでしょう。そうじゃないヒーローが見たいのかもしれません。


ウルトラシリーズにしたってそうです。
今、劇場公開中の映画には、どうも行く気になれない。

ネットで感想記事などを散見しますが、やっぱり危惧していた「ウルトラ同窓会」のそしりは逃れていないらしいなと。
レギュラーメンバーに加え、懐かしい出演者も顔を出す。
そりゃそうですよ。ウルトラマンが出て怪獣と戦う。だからウルトラシリーズなんですから。そこだけは変えようがない。


念の為申し上げておきますが、作品の出来についてのお話ではありません。
いずれもスタッフ・キャストの皆さんが連綿と続けてきた努力の賜物ですし、これらの作品が現在も続いている事には敬意を払いたいと思います。
良い悪いを言っている訳ではありませんので、どうぞ誤解されませんよう。

しかしながら。
ヒーローファンを自認されている皆さんにお聞きしたいんですが。
正直、そろそろ「ウルトラ・ライダー・戦隊に匹敵するオリジナリティーを持つヒーローが見たい」と思いませんか?
レストランであれば、「今のメニューも充分美味しいけど、新メニューも食べてみたい」という事です。


ちょっとお話は変わりますが。
最近、読書の時間が増えました。
自分のあまりの知識のなさに、少々幻滅を感じたからです。
物事の上っ面だけを見て、分かった気になっていた事を思い知っちゃって
で、もう一つ感じました。
「こんな事じゃ、新しい発想なんて出来っこないな。」


先日の記事で、雑誌『宇宙船』の企画募集に何とか通った事をお話しました。
ところが、自分ではあまり満足していません。
企画を考えている時に頭をもたげたもどかしさが、まだ心にあるからです。
「なんでこんなに、自分は物事を知らないんだろう。雑学でもいいから、もっといろんな事を知っていたら、発想の引き出しも増えるのに。」
これは「今までにない物を考える」という時に、誰もの前にそびえ立つ壁なのかもしれません。どういう事かと言いますと。


前回の応募の時も思いましたが、例えば「ネヴュラ」でよく話題にするウルトラマンの場合、「ウルトラマンが製作される前に『ウルトラマン』という作品は無い」わけですよね。
ウルトラマンを知る世界に暮らす私たちには当たり前のようですが、これはものすごく重要な事です。
考えられないですよね。ウルトラマンが存在しなかった頃の世界なんて。
携帯電話が普及した今、「ケイタイの無かった頃なんて考えられなーい」と言ってる女子高生みたいなもので


「今までにない物を考える」というのは、「ウルトラマンが世に出る前に、ウルトラマンという作品を思いつく」という事なんです。
こんな事、普通の人に出来ますか?これはもう、発明と同じです。


同傾向のヒーロー番組がことごとく淘汰されても、ウルトラマンだけが生き残っているという事実が、そのオリジナリティーを証明しています。
それはライダー、戦隊にしたって同じ。現在まで続くシリーズには、続くだけの理由がある訳ですね。


でもなぜ、それらの作品を生み出したクリエイター達は、その発想に至る事が出来たんでしょうか。
最近、痛感するのは『そのカギは作品以外のところにある』という事です。


お話が下手で申し訳ないんですが、仮に「ウルトラマン」という作品を構成する要素の量を「10」と数値化してみましょう。
いつもの私見ですが、ウルトラマンを作った円谷プロのクリエイター達は、その構成要素の10倍以上、膨大な量のアイデアを出し合ったんじゃないかと。
(「記録にない」なんて言わないでね。データじゃなく、業界経験に基づく推測です)
文献などでよく見られる「ベムラー」や「レッドマン」の企画書が作成される以前に、200も300ものアイデア、アイデア、アイデアの洪水。
骨子を基にアイデアを徐々にブラッシュアップ、要らない設定などの要素が淘汰されていったものが、現在私たちが目にするウルトラマンと思うのです。
(サイコガンの設定なんて、その例の最たるものですよね。)


この過程は、言わば人類の進化みたいなものですね。
不要な遺伝子情報を内包しながらも、形になっているのはほんの一部という。

つまり、10に至るには100や200の発想が必要という事なんですね。
その200、300の発想を生み出すもの。これが「知識」なんですよ。

雑学をはじめ歴史、スポーツ、社会、科学、自然、その他あらゆる知識を持ち寄って、数多くの発想を積み上げていった筈です。


例えば「ウルトラマンが好き」という特撮ファンが居たとしましょう。
彼はウルトラマンにはものすごく詳しい。ウルトラ検定・一級もかくやの知識。
でも彼に「新しいヒーローを考えてみて」と相談しても、彼は「ウルトラマン」の世界以上に発想の幅が広がらないんじゃないかと思います。

「うーん。新しいウルトラマンはねー」のレベルで止まっちゃうような気も。
「10」は完璧ですが、「100」「200」を考えようとする興味、発想の幅を広げようとする興味が無いからです。いわゆる「狭く深く」という姿勢ですね。
広げるのではなく、掘り下げようとする方向へ興味が働く。

決して、良い悪いというお話じゃありません。これも立派な姿勢です。
作品アプローチの方法は人それぞれ。どんな方法にも間違いは無いですから。皆さん誤解なさらぬよう。


ただ新発想には、作品だけに限らず、とにかく広く浅く、様々な知識を聞きかじっておく事。これが必要のような気がします。
たとえシンプルな案でも、それに全然違う要素をプラスする発想。
知識の足し算引き算、掛け算割り算、因数分解や二次関数まで、あらゆる視点が必要でしょう。
だって100考えたって、使えるのは10ですよ。
10しか発想できなかったら、使える案の量もおのずと減るというもの。

私が感じた幻滅、もどかしさの理由が、お分かりになるでしょうか?
中途半端な作品知識だけで、それ以上の事が考えられないジレンマ。


『宇宙船映像倶楽部』部長、雨宮慶太監督は、これを「<特撮ヒーロー>という単語からくる呪縛」と表現されました。
その呪縛から逃れる手は、各作品の世界観を凌駕する知識、さらには特撮界を俯瞰できる広い視野なのかもしれません。
私にはこれが欠けていますねー。リンダ・ブレア並みに頭をヒネっても、出てくるのはどこかで見たアイデアばっかり
要するに、アイデアの基盤となる知識が足りないんですよ。圧倒的に
ですから今になって、あわてて雑学や興味ある分野の知識を勉強している始末です。ここまで追いつめられないと分からないとは。
つくづく自分のおバカ加減に呆れるばかりで


でもこれでなんとなく、企画に対する姿勢が見えてきました。
「使える10の為には100を考えなければならない。でも10の輝きは、淘汰された90によって成り立っている」という事でしょう。
10の為の90は「必要ボツ」なんですよ。10にたどり着く為に淘汰した90は、決して無駄じゃない。
と、言うのは簡単ですが、これを実践するとなると・・・
とにかくまず、作品にこだわらない広い知識ですね。そしてひたすら考える事。それしかないようです。
うーん千里の道も一歩から
今の私は100考えても、全部ボツでしょうから


でも、飽きた、つまらないと言いながら代案が無いのは、自分を育んでくれた特撮世界にとって失礼。なにより無責任すぎます。
先輩方の偉業には、我々の世代のヒーローで応える事が恩返しと信じます

「ウルトラマン○○」も「仮面ライダー△△」も「××レンジャー」も名乗らない、見た事もないヒーロー。それにどこまで近づけるのでしょうか。


あい変らず、とりとめのないお話で失礼しました。
でも、これこそ先人の辿った道。ひょっとして私は、この境地に喜びを感じているのかもしれませんね。

産みの苦しみまでオマージュするとは。どこまでオタクなんだか。
金城さんも鷺巣さんも、天国で呆れているでしょうね

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宇宙船映像倶楽部」カテゴリの記事

コメント

少し遅れましたが「宇宙船映像倶楽部」を拝見しました。改めて、おめでとうございます。何よりも前回部員になった人たちが皆出して載っていたことに驚き、僕自身のモチベーチョンもより上がってしまいました。
<特撮ヒーロー>からくる呪縛―逃れようとも逃れられないこの大前提。避けることより、むしろ素直に向き合うことが大事なのかもしれませんね。いくら今までに見たことのないヒーローであったとしてもそれが「かっこいい」ものでなければ何の意味もないのですから。だからこそ「宇宙船映像倶楽部」では僕たちが真に「かっこいい」と思えるヒーローを作っていきましょう!!
部会で会えることを楽しみにしています。

 「狭く深く」の代表選手です(^^ゞ

 先人たちは1人で全てのアイディアを考えていったのではないと思いますヨ。

 あるアイディアを思いつく。たとえば、「『音』で闘うヒーロー」。
そこへ、「『音』とは、空気の波である」といった科学的な知識を得意としている者
「『シンセサイザー』というのは、音を『正弦波』『のこぎり波』などでつくり‥‥」なんていうアプローチをする者
「そういえば、この前TVで、声でグラスを割る人を見たヨ」なんて情報を教えてくれる者
「『音で攻撃』することはできるけど、『防御』はどうする?」という疑問を提示してくれる者
などが集まって、ワイワイとさらなるアイディアに膨らませていったのではないですかネ。
 そんな中で
「真空中では『音』は伝わらないんだから、真空をつくれば防御はできるじゃん!」
なんて解決策も生まれてきたり。(でも、どうやって?^^;)

 即席でこんな例しか思いつけずにスミマセン‥‥(^^ゞ こんな例しか思いつけないのが私の限界で、個人の限界です。そもそも、この「『音』で闘うヒーロー」は変身するのかしないのか? 闘う相手はどんなヤツ? という発想は省略してしまっているし‥‥。あとは私が思いもつかない発想を持った方が肉付けしてくださるかもしれません。(「特撮ヒーロー」というのが「何かと闘わなければならないのか?」という、もっと根源的な疑問にも行き当たってしまいますが‥‥。)

 自分には無い発想を全て1人でどうにかしようとしているのって、かなり無理がありますヨ。そのための「映像倶楽部」なのだと思います。

 知識を広げるのは、私自身にも必要なことだと痛感しています。世の中も目まぐるしくドンドン変化していますし。でも、お1人でそんなに根を詰めないでくださいネ。

めちゃめちゃぶっちゃけた話をすると
「既存のウルトラやライダー、戦隊に感じる思いやスタンス」は
自分も全く同じだったりします。
オタクィーンさんのおっしゃった理由全部プラス、自分の場合はそこにむしろ
「徐々に(時代に合わせる、という口実で)変節を繰り返した挙句
自分の愛したライダーでも戦隊でもなくなった作品を
『常に時代にフィットして変化し続ける、それが大事なんだよ』という
無理目な理屈をこじつけてまで、見る気がしないなぁ」と思うんです。
自分のアイディンティティは「ウルトラを見る」「ライダーを見る」で成立しているわけじゃないので
なんでもかんでもウルトラだから愛する、好きになるというのも
ちょっと出来ない感覚だったりするのですねー。
ネットなどでは「どんな作品も楽しんで観られる人が最強」説が根強いですが
実はそれって(以下略

だから自分も8兄弟は観に行ってないんですね。
そもそもウルトラって全部独立したアンソロジーだと思うし
それを全部繋げるお祭り要素に異論はないんだけど
そこでいちいち、繋げるにあたってアクロバティックな屁理屈つけても
なんかしらけちゃうんですよね(汗

なんていうか、自分の場合はひょっとすると
ヒーロー物でも特撮じゃなくてもいいのかもしれないです。
想像力を刺激されて、その時間枠の中にしかない世界観に浸れて
そんな映像作品が、過去の記憶を掘り返してみたら
一番すごかったのがウルトラだった。
そんなニュアンスなのですよね。
だからちょっと興味はあるけどケータイ捜査官もレスキューフォースも
まだ見たことはなかったりします。
キバやゴーオンジャーは、意図的に「見ない」を選択しましたし
大怪獣バトルも、物語をちゃんと観た回はなかったり……。
なんていうか、特撮オタクとしては失格だなぁと思うんですが
むしろ、そこは別に合格しなくてもいいかなと(笑)

なんかプラモデラー時代から「作る気のないプラモを積む」って
駄目だったんですよね。
「とりあえず○○モデラーである以上これは買っておかなきゃ」って
なんか自分では納得できなかったんです。
とりとめもなくなって、オタクィーンさんの主題ともずれたコメントで申し訳ありませんが
きっと自分は「ぶっ飛んだ、ありえない画や世界や展開」と
「生々しくてリアルな人間描写」の交錯が見たいんでしょうね。
前者はアイディア次第でまだまだ期待が持てますが
同時に後者を実現できる、両立させられるクリエイターが
いつか現れるのを待ちたいと思います。

Okazaki様 ありがとうございます
前回の応募作掲載時、浮かれた拙記事に頂いたOkazakiさんからのコメントにガツンとやられ 今回の応募に繋がりました。その節はありがとうございました
考えてみますと。実は今もって、私にはOkazakiさんが部員のどなたなのかを存じ上げていないので、貴応募作について感想などを言えないのが残念なところで
部活でお会いできる日を楽しみにしています

おっしゃる通り、確かに新ヒーローには「新しい」「これまでになかった」要素の前に「かっこいい」要素が求められますね。
実は今回の記事ではその部分も書きたかったのですが、長くなりすぎるので別の機会にまわしました。
その辺りの考えも、おいおい書ければと思っています。

映像倶楽部も部員が17名に増え、いよいよ始動の勢いですね。
特撮界に一つのクサビを打ち込むべく、お互い頑張りましょう。
どうぞよろしくお願い致します

自由人大佐様 そうですね。確かに先人たちは、一人で新発想を作り上げていったのではないと思います。
今回の記事中、「クリエイター『達』はアイデアを『持ち寄った』『出し合った』という記述に、その辺りのニュアンスを込めたつもりだったのですが・・・
稚拙な表現ゆえ、趣旨が伝わらずすみません
誤解をされたらお詫び致します。
こんなのばっかりですよね。私って

ですから別に、私は一人で思いつめているわけではないんですね。
大佐さんがおっしゃるように、一つのアイデアを基にメンバーが意見を出し合う、多人数ゆえの多面的な見方が良い結果を生むというご意見はまったくその通り。
一点の異論もありません
『宇宙船映像倶楽部』の存在意義は、まさにそこにあるとも言えます。

でも私の中には、
「お題を与えられた時、何も意見を出せない自分」
「アイデアに反応できる知識さえ持ち合わせない自分」への危惧があるんですよ。
「『音』で闘うヒーロー」というアイデアを前に「音ねえ・・・」と言って黙り込んでしまう自分になりたくない。その為の勉強だったりするんですね。

まー私のおバカぶりはよくご存知でしょうから 広く浅く知識を仕入れようとする願望は、そんな危惧の裏返しな訳です。
「使える10の為に必要な90」の知識ですね。
ですからまあのんびりと、秋の夜長を読書に使っている程度のスタンスです。
慌てても仕方がないですが、始めなければスキルアップもありません
決して根をつめているわけではありませんので、ご心配なきよう

でも知識って、何かの拍子に急に入ってきますよね。
他愛ない言葉遊びも大事な知識ですし。
ちょうど昨夜、ある本で笑った一節をご披露しましょう。
「ヨルダンの首都はアンマン。ではヒルダンの首都は?」
答えは「ニクマン」
子供のなぞなぞレベルですが、「ヒルダンなんて無いじゃない」なんて言うよりは、まだこの方が 
あ、つまんない?失礼しました

市川大河様
>「徐々に(時代に合わせる、という口実で)変節を繰り返した挙句
自分の愛したライダーでも戦隊でもなくなった作品を
『常に時代にフィットして変化し続ける、それが大事なんだよ』という
無理目な理屈をこじつけてまで、見る気がしないなぁ」
これは私も感じますねー

原点を体験している身としては、その変節の度合いがモロに感じられてしまい、自分の考えていた世界からどんどんヒーローが離れていく悲しさがあります。
同時に、大人の裏事情も見え見えで。
「いくら美味しい商売だからって、ウルトラマンをこれ以上汚さないで!」
みたいなピュアな自分が居たりする訳で

でもここで、業界の事情も分かる大人の自分が顔を出す事も事実なんですが。
「そうは言ってもアンタ、こんなに儲かる金の成る木を放っておく手はないでしょ?」
という大人の思惑も理解できますし。
心の中で、子供と大人の自分が常に葛藤を繰り返しているような気がします

個人的には、いわゆる「出がらし」に近くなってしまった、アイデアの底が見えてしまったウルトラ世界には、そろそろお疲れさんを言ってもいいような気がするんですよ。

しかしながら、ヒーローから沢山の遺産を受け継いだ私たちには、ウルトラに愛と敬意を込めてお疲れさんを言う為に、新ヒーローを生み出す義務があると。
『私たちの世代にはウルトラに匹敵する「コレ」がある!』
そう言いたいが為に、私は必死に新ヒーローを模索しているのかもしれません。
「ウルトラを超えるものは、ウルトラであってはならない」と思うのです。
それはライダー、戦隊も同じです。

ただ私も市川さんと同じように、別に特撮にこだわるつもりは無いんですね。
特撮はあくまで一つの表現手段であって、テーマではないですし。
あくまで大事なのはテーマですよね。
特撮を使うかどうかは、テーマから逆算されなければならないと思います。
特撮の定義や手法も、以前とは随分変わってきましたから、これからはそうしたテクニックを使いこなせ、なおかつ揺るぎないテーマを描けるクリエイターが求められるのでしょうね。

>「ぶっ飛んだ、ありえない画や世界や展開」と
「生々しくてリアルな人間描写」の交錯が見たい
とおっしゃる市川さんのお気持ちは、よく分かりますよ。

よく言われる事ですが、やはり最近はテクニックばかりが先行してしまい、「絵はスゴいけどお話は?」みたいな作品が多いように思います。
やはりバランス感覚は必要なのでしょう。自分にも言える事ですが

ともあれ、口を開けて待っているだけでは何も始まりません。
「無ければ自分で作る」くらいの意気込みが大事なんです。
物事を生み出そうとする人間にとって、一生はあまりにも短すぎます。
明日の自分より、少なくとも今の自分の方がフレッシュである事を信じて、勉強や創作に精を出すこと。
私にはそれしかできません

貴記事で拝見し感動した、安藤達己監督のお言葉『大事なのは発信していくこと』を胸に、今日も無い頭を絞ります。
これからもよろしくお願い致します

たとえば「帝都物語」や「怪奇大作戦」の新版。
どちらも、特撮ドラマで「主人公」はいますは「ヒーロー」はいません。

「ウルトラQ」も、そうでした。
怪獣は出てきますが、それと戦うヒーローはいません。
(時には、主人公たる万丈目たちですら、「脇役」でしかない話もありました)

どれも、最初に「ドラマ」があり、その中に主人公たちがいます。何かの本で見たような気がするんですが、「ヒーローの為のドラマ」ではなく、「ドラマの中に生きるヒーロー」こそが、(私にとっては)素晴らしい物語だと言うような気がします。

もし、ウルトラマンが「パラレルワールド」に行ってしまうなら、「全く未知の生命体」として人間に認識されるような世界(まあ、それ以外は、我々の生きる世界と全く同じでも構わないですが!)で、戸惑い、苦悩し、傷つきながらも戦って、最後は「あの異質な生命体も、本当は〈良い奴〉なのかも知れない……」と捉えられるくらいの「ドラマ性」がほしい所です。

オタクイーンさん、こんにちは~

音沙汰ないのは元気な証拠として勘弁してください~^^;

『10の為の90』の記事、現在の自分に本当にストライクでした。。。。

『ウルトラ以前』にウルトラマンを生み出すのは、本当発明です。
以前、『宇宙船』に応募する気でいましたが、考えても考えても、出てくるのは既定の特撮ヒーローの寄せ集めのようなものばかり・・・
これじゃーと応募断念した経緯があります。。ウルトラマンがいない時代に、どうしてウルトラマンを企画することが出来たんだろう?って事ばかり考えてしまって。
語弊を招くかもしれませんが「オタク」的発想では、新しいヒーローは生み出せないかも?って思うようになりました。エラソーにすんません。。。これで自分の発想の限界を感じました。

『そのカギは作品以外のところにある』は最近特に思うところです。
先般オタクイーンさんの紹介されていた『ダークナイト』を観賞しまして衝撃を受けました、、、、構成・企画もさることながら卒の無い作りに素人ながら、これは現在の日本では予算の問題は別として絶対作れないと感じました。
思考の深さ、、下敷きのフォーマット、、たくさん散りばめられたテーマ、、オタクイーンさんのおっしゃるとおり、元はすさまじい数のアイディア数だったに違いありません。
既にあったバットマン映画の枠を超えて、新しいSFスタンダードにまで昇華させた才覚はどこから?と考えると広く浅い見識としか思えません。。。
最近は特撮関連を少し離れて、小説、エッセイ、戦争物など読書三昧です~
別に製作に携わっているわけではないのですが、自分の仕事関連でも役立つかもしれませんし、第一もう少し深い見識を身につけたくって・・・・
今、読んでいるのは「ローマ人の物語」です。これってすごく長い歴史物で邦画・洋画・特撮に限らず、登場人物の名前、キャラの元になったんじゃ??って思われる人物がたくさん登場します。。
果たして読み終える事ができるのか自信はありません(笑)

映像倶楽部の部員の皆様に期待してます!!

都の商売人様 おっしゃる事はよくわかります。
ヒーロー性とドラマ性のバランス調整は、昔から多くのクリエイターが取り組んできた課題の一つですね。

ヒーローは突出した存在であるがゆえに、ドラマを牽引する役割をどうしても担いがちですが、そうするとある意味「特別扱い」になってしまう。
「どんなにピンチになったって、主人公は最終回まで絶対に死なない」なんて設定は、まさにその見本のようなものです。
でも「ドラマ性」を追求しようと思うと、主人公のピンチにもそれなりの危機感が伴わなければ意味がない。
安全なヒーローにカタルシスは求められないからです。

これはあくまで極端な例ですが「ドラマの中に生きるヒーロー」を極限まで描こうとすれば、リアリティーと引き換えにヒーロー性を失う危惧があるのかもしれません。
ヒーローを引き立てながら、同時にドラマも描けるバランス感覚。
新企画考案時、私もこの点は悩みました。解答は今も出ていません
私見ながら、初期必殺シリーズはこの点を比較的上手く処理していたと思います。
常に主人公側にも「殺られる恐怖」がありましたし。
私はそこに魅了されるのですが

リアリティーとヒーロー性という、相反する要素のバランスを取る事こそが、これからのヒーロー作品には求められるのでしょうね。鉱脈と共に課題も山積み。
だから楽しいとも言えますが

大和少年様 お元気そうでなによりです
すっかり涼しくなってきましたね。お風邪など召されていませんか?

実は、今回の記事の予想以上の反響に、ちょっと戸惑っていまして
普段考えている事ながら、ちょっと主張が強すぎたかなと
でも皆さんの様々なご意見が窺え、楽しいやりとりができました

ウルトラに限らず、物事のオリジナリティーの素晴らしさは、いざ自分が考える立場になってみないと実感できませんよね。
でも、「壁に当たる」「今の自分の限界を知る」事もものすごく大事なんですよ。
限界を知ることで、自分に何が足りないのかがよく分かるわけですし。
私なんて企画を考える度に、その無力感に愕然となります。
同時に先人たちの偉大さを、改めて感じてしまうという

ですから、大和少年さんのご努力も、決して無駄ではないと思います。
とにかく、まず考えてみようと思い立つ事。それだけでも大変なモチベーションを必要としますよね。別に義務でもないわけですし。で、今の自分のレベルを知る。
もうそれだけで、充分じゃないかと思いますよ。
それが勉強を始めようとする意欲に繋がるなら、もう元はとったようなものです。
秋の夜は読書には最適ですから、いろんな知識を身につけ、お仕事に、プライベートに活かして下さい。

経験上の感覚ですが。
私の周りのベテランディレクター達も、常に勉強を怠っていませんでした。
雑学や妙な知識に詳しい人たちばかりで。
そうした地味な努力が、ウルトラマンなど強烈なオリジナリティーに結実するんでしょうね。
今読まれている本じゃないですが「ローマは一日にして成らず」といった所で

おかげさまで、映像倶楽部の方々とも何人かお仲間になれました。有難い事です。
これからもブログ上で、ご意見などをお伺いする機会があるかと思います。
その時は、大和少年さんもどんどんコメント下さい。
そうやってワイワイやりながら、私たちのヒーローが生まれていくといいですね

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