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2008年10月 7日 (火)

秋風仕掛針

稀代の名優、緒形拳さんが5日、亡くなられていたそうで。
肝ガンだったそうですね。
葬儀は近親者だけの密葬だったとか。


普段、あまりお悔やみ記事は書かない「ネヴュラ」ですが、時々、どうしても書きたくなる事があります。おそらく、緒形拳さんは「過去の人」ではなかったからでしょう。
亡くなる直前まで精力的にお仕事をされ、周りに心配一つさせなかった配慮には、凄まじいプロ意識を感じます。
謹んで、お悔やみを申し上げます。

読者の皆さんもご存知の通り、私は筋金入りの旧必殺ファンです。
ですから今回の訃報には、本当に驚きました。
でも同時に不謹慎ながら、ある安堵感もありました。
この方は本当に、役者人生を全うしたんじゃないかと。

今日は一日中、ワイドショーなどもこの話題でもちきりでした。
昼間、自宅でお仕事をしながらも、点けたテレビから緒形さんの名前が出る度に手を止め、画面に見入るばかり。
その生い立ちから代表作、最近の様子までがこと細かく解説され、改めて日本演劇界が失った存在の大きさを痛感しました。

それらニュースの中で、訃報に対しお仲間の俳優や作品の関係者が生前の緒形さんを語られたんですが、数々の名誉ある談話の中で、私には二つほど印象に残ったお話がありました。

一つは、番組のメイク担当者のお話でした。
緒形さんは役作りに非常にこだわる方で、メイク担当者とも入念に打ち合わせをする。メイクなんて普通、担当者にお任せするもの。
わざわざ打ち合わせなんて行う役者さんは、本当に珍しいという事です。

そしてもう一つ。氏の代表作の一本「復讐するは我にあり」(1979年松竹 今村昌平監督)原作者・佐木隆三さんは、敬虔なるクリスチャンでありながら詐欺師にして殺人犯という、難しい主人公役を演じきった緒形氏について
「悪人と善人の両極端を演じられた、凄い役者だった」と語りました。


一つ目のメイクさんのお話は、氏の役者魂、芝居に賭ける姿勢を表したものと言えます。まさに現場の視点、現場スタッフにしか言えない貴重な証言と思いました。
そして二つ目。実はこれが今日の本題なんですが。
「悪人と善人の両極端を演じられる役者」という緒形氏の印象は、まさに万人が認めるところではないかと思ったんです。
特に、初期必殺シリーズに心を躍らせた方々にとっては。


訃報に対して、番組コメンテーターの何人かは「緒形氏の演じたキャラクターで一番印象深いのは、必殺仕掛人・藤枝梅安」と語っていました。
面白いことに、この傾向は関西方面へ行くほど顕著なようで、「緒形拳=仕掛人」みたいなイメージは、関東より関西の方が強いような感触を持ちました。
あくまで印象ですが。


仕掛人・藤枝梅安。
ご存知『必殺仕掛人』(1972年~73年 朝日放送)の主人公です。

確かにこの役は、当時NHK大河ドラマなどの印象が強かった緒形氏にとって、一つのターニングポイントになったと思います。
映画産業が斜陽に向かっていたこの時期、ブラウン管でお茶の間の人気を獲得する事は、役者の顔を世間に認知させる効果が大きかったからです。
池波正太郎の原作を基本アイデアとしながらも、稀代の名プロデューサー山内久司氏の手により大幅に設定を変えられた緒形梅安は、深作欣二ら巨匠の手で命を吹き込まれ、たちまち大人気となりました。
個人的には、人気のファクターは山内氏の名指揮によるものと思っていますが、その製作意図を汲み取り、演技に結実させた緒形氏の功績も決して小さくはありません。


そんな私には、前述の佐木氏のコメントによって、緒形氏と梅安が二重映しに見えてしまうのでした。

「仕事人」時代の中村主水が必殺のモノサシになっている方にはなかなか理解されにくいですが、必殺シリーズ初期、特に「仕掛人」当時は、まだまだ彼ら仕事師は「正義の味方」「無敵のヒーロー」ではなかったんですね。
「殺しのトランペット」に乗って悪人の前に颯爽と現れ、華麗な殺し技と粋な捨てゼリフで女性ファンの心までを貫くカッコよさは、まだ無かったんですよ。
確かにカタルシスは感じましたが、その裏でどこか後ろめたい、「悪が悪を裁く」的なダーティーな魅力に溢れた作品だったのです。


当然ながら、主人公だって善人じゃない。
捕まれば獄門晒し首、って時代劇ギャグじゃよく使われますが、「仕掛人」の頃はそんな冗談じゃ済まされない迫真性がありました。
ですからもう必死なんですね。昼間は病を治す鍼医者が、夜は同じ針で人を殺める殺し屋なんですから。捕まった瞬間、もう主人公達は死を覚悟しなきゃならない。
自分の行いが重罪だという事が、骨身に染みているんです。

その「温厚な鍼医者の顔」と「殺しを生業とする修羅の顔」の二面性が、このシリーズの一つの特徴でもある訳ですね。
今も使われる「顔半分に照明、残り半分は影」という必殺シリーズの代表ビジュアルは、「善人を演じる昼の顔と、殺しを行う夜の顔」という二面性を持つ仕事師のアイデンティティーを表しているわけですし。


その「二面性」というドラマの要求を最も早く体現したのが、緒形氏だったような気がするんですよ。
Photo偶然ですが、実は先日から「必殺仕掛人」の劇場版DVDを三本立て続けに見ていまして。これは後の中村主水版「必殺!」とは全く別物で、中身はテレビ版「仕掛人」のテイストを若干原作に近づけたような内容です。
必殺ファンならご存知ですよね。
その三作目にして劇場版仕掛人の最高傑作とされる「必殺仕掛人 春雪仕掛針」(1974年松竹 貞永方久監督)に、こんな場面があります。


あんこう鍋を囲みながら、浪人、小杉十五郎(林与一)に仕掛人のアイデンティティーを追求される梅安。
殺しのターゲットは盗賊の用心棒で腕の立つ武士。
針一本で立ち向かおうとする梅安に、それまでの因縁から、十五郎は加勢を申し出ます。


しかしそれを温かな笑顔で断る梅安。
「私ゃ仕掛人ですよ。あの男を仕留めるのがあたしの仕事なんだ。
それに小杉さんに助けてもらっちゃ、後で金勘定がややこしくなりますからね。」


金などいらんと言う十五郎。
その言葉に梅安はこう反応します。
顔からはにこやかな笑みも消え。
「金をとらないんだったら、なおさら人殺しなんかするもんじゃありませんよ。
人間、誰を殺したって、後で何か重たいものを背負い込むことに
なるんですからねえ。」


相手は罪もない者を十三人も殺した悪人。
斬ったって構わないと豪語する十五郎。
梅安の顔からは完全に笑みが消えます。
そこには地獄を覗いた者だけが持つ、非情な殺し屋の顔が。

「小杉さん。仕掛人は役人じゃない。もっと恨みの深い仕事なんですよ。」



会話はかなり端折りましたが、この間、正味1分10秒。
貞永方久監督によるカットバックのタイミング、スピード、フレーミングもさることながら、向かい合う両者の顔アップだけで押したこの場面で、セリフ一言毎に「鍼医者」から「殺し屋」へ変貌していく緒形梅安の名演技。
確かにテレビ版「仕掛人」とは若干テイストが違いますが、ややヒーロー性の強いテレビ版よりも、この劇場版の方が、梅安というキャラクターの深みが描けていると思います。
劇場版仕掛人の最高傑作と謳われるのもむべなるかなですね。


いつも演出第一主義、俳優は二の次という私が、なぜこの場面に感服するかと言いますと。ここは顔のアップの応酬なのでごまかしがきかない。
俳優に全て任せるしかないんです。
で、監督の気持ちとしては、このアップの応酬を任せられる俳優かどうかが最大の懸案事項な訳です。微妙な感情の変化を表情で表せ、なおかつ観客を魅了できる力量を持つかどうか。そこが重要なんですね。
たとえ狙ったカットでも、俳優が演出の要求に答えられなければ、カット割りを変えなきゃならない。
この緒形氏のアップ演技は、そうそう出来るものではありません。
緒形氏独特の技、緒形氏にしか出せないテイストと言えましょう。


斬新なストーリーやアクション、演出や音楽が話題にされがちな「仕掛人」ですが、実はその成功の影には、緒形拳という稀有な俳優の「二面性を表現できる力量」に負うところが大きいと思うのです。
私が必殺に惹かれるのは、こうした会話劇や言葉の端々から覗く、人間の深みや業、一線を越えてしまった者達が抱える苦悩の部分なんですね。
確かに興味の入口として機能するアクション、殺しのカタルシスも重要ですが、その先に見えてくる「善と悪の葛藤、殺しに手を染めてしまった後悔、あがき」みたいな人間ドラマも、必殺の大きなファクターなんですよ。
これが無かったらただの「青春殺しバラエティー」みたいで、年長者には見るに耐えないものになってしまうような気がして。
そこから先は言いませんが。


その「殺す側のドラマ」を丹念に描写したのが初期必殺であり
その為に必要な「善と悪の二面性」を描き分けられたのが
緒形拳という稀代の名優だった気がするのです。


「悪人と善人の両極端を演じられた、凄い役者だった」
こと二面性という点において、緒形拳はまさに「梅安になるべくしてなった俳優」だったのかもしれません。彼が梅安を演じていなかったら、その後の必殺キャラクターはまったく違う流れになっていたかもしれないのですから。
彼の魅力は他にも多くあり、それは後年「必殺必中仕事屋稼業」で存分に発揮されるのですが、お話がまた長くなるので、今日は梅安の話題だけに留めておきましょう。
「仕事屋」は私も思い入れの強いシリーズ。
いずれじっくりお話する機会もあると思います。


ともあれ、今日は故人のご冥福を、心から祈りたいと思います。
得がたい必殺のオリジンへ、愛と追悼の意を込めて。

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コメント

おはようございます、オタクイーンさん。

緒形拳氏が亡くなられたと言うニュースを、
ネットで始めて目にした時は、まさか!?-と言った気持ちでした。

緒形氏がレギュラーキャラクターを演じられた四作品
「仕掛人」最終話ラスト、馬上の藤枝梅安の晴れ晴れとした笑顔。
「仕事屋」最終話ラスト、手配状を破り捨てて振り返った知らぬ顔の半兵衛の不敵な面構え。
「からくり人」#12、塔の天辺からの鳥居狙撃に失敗し、「負けて悔しい、花いちもんめ~~」と呟く、夢屋時次郎の哀切に満ちた唄声。
「新からくり人」最終話、自分を殺そうと撥を構えているお艶を前に、鬼気迫る表情で筆を走らせる安藤広重。

最後の必殺出演となった「仕事人大集合」でも、「付き合いは短い方が楽しいぜ……あばよ!」と言う台詞は、ある意味「必殺」に対する「惜別の言葉」のようにも思えてきます。

今でこそ、「必殺シリーズ」は多くのファンを得てますが、
誕生当時は、「金を貰って人を殺す」と言う、今までにない「ダーティーな役柄」の為に、製作サイド・マスコミにも、かなり嫌悪感・拒否感が強かったと聞きます。
それが、緒形氏の素晴らしい演技によって、見事な傑作となり、もう少しで誕生40周年に近い現在に至っても、新作が作られるほどの「大人気作」にまで成長していったんだと思います(勿論、「必殺の顔」とも言える藤田まこと氏の功績を認めた上での事ですが……)

オタクイーンさんに習い、「必殺仕掛人」に関して言うと、故・田村高廣氏が「悲劇の仕掛人・神谷兵十郎」を演じた#21「地獄花」のラストで、梅安と音羽屋半右衛門(何てこったい!3人とも故人になってしまった……)の会話で、非常に興味深い一節があります。

 ラストで、愛する妻・しずを「斬ってしまい」、生ける死人同様となった神谷兵十郎が失踪した事を知った半右衛門と梅安の二人が……。
「やっぱり、あの人だけは仲間に引き入れちゃいけなかったのかねえ……」と悔やんでいる半右衛門に対し、「じゃ、また新しい仲間を探しますか?」と(事もあろうに)梅安は笑顔で返してます。
 これは、仕掛人と言う職業に対して、心底「晴らせぬ恨みを晴らし、許せぬひとでなしを消す」と言うポリシーを信じている(ある意味では理想主義者とも言える)半右衛門と、綺麗事ばかりじゃなく、現実に命ギリギリの世界に生きて、他人を殺し続けている(ある意味での現実主義者)梅安との考え方の違いが出たのではないでしょうか?
 もっとも、落ち込んでいる半右衛門の気持ちを和らげようとして、梅安はわざと陽気(または何気なく)に振舞ったのかも知れませんが……。それにしても、梅安の恐ろしさの一端を感じさせた瞬間でもありました!

長々とした文章、失礼しました。

投稿: 都の商売人 | 2008年10月 8日 (水) 13時30分

都の商売人様 本当に今回の訃報は衝撃的でしたね。
今も現役でお仕事されていただけに、私も耳を疑いました。

商売人さんが挙げられた必殺レギュラーの諸作品は、どれも緒形氏の力量が発揮されたものばかりでしたね。
「仕事屋」最終回、ラストカットなど、氏のあの表情があったからこそ、工藤栄一監督はストップモーションでドラマを締めくくる事を決められたと思います。
「新からくり人」の広重役でも、自分を殺そうとしている相手に魅了され筆を走らせるという、絵の世界に憑りつかれた男の狂気を見事に表現していました。

「自分は、役になりきるんじゃなくて『憑依』なんだ」と、かつて緒形氏は語ったそうです。
役が自分に降りて来る。そんな感覚が、緒形氏をしてあの鬼気迫る演技に駆り立てていたのでしょう。
商売人さんが「惜別の言葉」とおっしゃる、「仕事人大集合」の半兵衛のセリフ、実は今日の拙記事のタイトル候補でした。
記事では仕事屋のお話をカットした為、このタイトルはボツにしましたが、緒形氏はあのセリフも、半兵衛として語っていたのでしょうね。

「地獄花」は仕掛人ならずも、初期必殺シリーズの傑作に数えられる一本ですね。
私も非常に印象に残ったエピソードです。
おっしゃる通り、確かにあのラストのやりとりは、理想主義者の半右衛門と現実主義者の梅安という対比と読む事ができますが、その直後、笑って立ち去る梅安を追う千蔵に、半右衛門は二人で遊ぶお金を渡しているんですね。
兵十郎の失踪に責任を感じ、笑顔の中にやりきれなさを押し込めた梅安の心情を、半右衛門も察しているんですよ。
その後、享楽の場で千蔵に語る梅安の「忘れちまうんだ」というセリフが、そのやりきれなさを物語っています。梅安も人間という事ですね。
ここでは半右衛門の方が一枚うわ手。理想主義ではあっても、手駒の心はコントロールできるという事でしょうか。
解釈違いだったらごめんなさい。私にはそう取れました。

安倍徹郎の脚本、三隅研次の演出もさることながら、笑顔とやりきれなさを絶妙なさじ加減で表現した緒形氏、そして彼との心の交錯を表現した半右衛門・山村聰の演技が火花を散らす名場面でしたね。
初期必殺には、俳優にここまでの表現を要求する高度なドラマ作りが多かったような気がします。そしてそれに応える俳優陣。
ここで磨かれた演技のスキルは、後の緒形氏の大きな財産になった事でしょう。
つくづく、惜しい人を亡くしました。

でも忘れられて消えていくより、最後まで現役を通した緒形氏は、俳優としては幸せだったかもしれませんね。
「仕事屋・負けて勝負」で緒形氏と名勝負を演じた盟友・津川雅彦氏をして「俺もこんな風にカッコよく死にたい」と言わしめた程ですから。

現実の世界でも、半兵衛は伊三郎に勝ったのです。

投稿: オタクイーン | 2008年10月 8日 (水) 22時08分

拙稿へのコメントありがとうございます。
コメントを頂いた訃報の記事をとも思ったのですが、「梅安と半兵衛」について書いた記事の方が、こちらの内容に沿っているかなと思ってTBさせて頂きました。

緒形拳氏の逝去は、本当にショックです。
「必殺」のみならず、多大な影響を受けた俳優さんでしたので…。

そんな偉大な役者が残した仕事を僅かでも紹介していけたらなと。
今はそんな気持ちでいます。
まぁ、私の稚拙で底の浅い雑感など何のPRにもなりませんが。

オタクイーンさんの「仕事屋稼業」論や、「からくり人」論を、楽しみにさせて頂きます。

投稿: メルシー伯 | 2008年10月 9日 (木) 00時36分

メルシー伯様 TBありがとうございました。
ニュースショーなどで在りし日の緒形氏が特集されるたび、今回の訃報が現実であった事をしみじみと感じますね。

「仕掛人」で共演した林与一氏は、今回の訃報関連でワイドショーの電話取材を受けた際、緒形氏の素顔についてこう語りました。
「緒形氏は、仕事現場では誰にも素顔を見せなかった。
私も、緒形氏の真の顔、真の姿を知らない。
本当の素顔を見せたのは、家庭の中だけだったんじゃないか。」

まさに緒形氏は、仕事に対して真のプロ意識を貫いていたのです。
素顔を見せない男。まさに梅安そのものの生き様だったのですね。
メルシー伯さんと同じく、私もこの先、必殺を語る時、緒形氏のことを思い出さずにはいられないでしょう。
まあ私のおバカな私見では、何の供養にもならないでしょうが。
メルシー伯さんの記事も楽しみにしています。
ここ数日、「夜空の慕情」の旋律が頭から離れません・・・

投稿: オタクイーン | 2008年10月 9日 (木) 22時14分

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今日も、緒形拳氏に関連した話題を続けさせて貰います。 昨日の記事でもちょっと触れ [続きを読む]

受信: 2008年10月 9日 (木) 00時25分

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