2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

ネヴュラ・プライベートライン

無料ブログはココログ

« 戦えスダトラマン | トップページ | チキンなお昼 »

2008年8月26日 (火)

まぼろしの笑顔

ちょっと皆さんの記憶力テストを。
お手持ちの映像ソフトを見ずに、記憶だけでお考え下さい。


「ウルトラマン」第一話「ウルトラ作戦第一号」の一幕。
赤い球体の中で、ハヤタがウルトラマンに話しかけられる歴史的なシーンです。
ハヤタに謝罪し、「君と一心同体になるのだ。そして、地球の平和の為に働きたい」と申し出るウルトラマン。
その後、横になリ目を閉じたハヤタにベーターカプセルを与えます。
「困った時にこれを使うのだ。そうすると」
マンの語りに問い返すハヤタ。「そうするとどうなる?」
この時、カメラは目を閉じ横になるハヤタのバストショットを捉えています。


問題は次のセリフです。
「ハッハッハッハッハッ。心配することはない。」
こう笑うウルトラマンですが、この時カメラはカットバックし、ウルトラマンの顔を捉えていたでしょうか?
貴方の記憶に、笑うウルトラマンの表情は刻み付けられていたでしょうか?


懸命な読者の皆さんですからきっと正解も多いと思いますが、実は私、実際の画面と記憶が全く違っていまして。あい変らずのボンヤリですねcoldsweats01
皆さんもソフトをご覧下さい。実際にはウルトラマンの笑いは声だけで、画面は前述のハヤタ隊員のバストショットで引っ張っているんです。
つまり「笑い声を聞くハヤタ」という演出なんですね。
一瞬たりとも、ウルトラマンの笑い顔は映っていません。

でも、このカットを確認するまで、私はマンの笑顔が確かに脳裏にありました。
実際には無い映像なのに記憶に残る。これは私だけでしょうか?
何故私は、不気味に笑う宇宙人の顔が印象に残ったのでしょうか?



さて。性懲りも無く、今回もちょっと分かりにくいお話です。ごめんなさいねcoldsweats01
「ネヴュラ」は日記という側面もあるので、どうしても日々の思いが出てしまいまして。

実は今、先日来お仲間からお話を頂いているオリジナルストーリーのシナリオ腹案を練っておりまして。
職業柄、私の場合は脳内で映像を想像し、それを文字に落とし込んでいくという手法が身についているゆえ、先日の「怪獣ゴッコ」のような事までやっちゃう訳なんですが。
シナリオは小説ではなく、登場人物の感情の暗示である為、どんなシナリオもセリフと共に「どういう表情や動きをさせれば、この人物の感情を明確に表せるか」に技巧をこらしているわけです。
とかく名ゼリフなどが記憶に残りやすいドラマですが、例えば「無言」や「リアクションのタイミング」だって、非常に重要な要素なんですよ。


今回、シノプシスと呼ばれる大まかなあらすじを作ってみて、まだまだ作劇力の無さを思い知った私ですが、新たな発見もありました。
「怪獣の仕草にも理由がなければ、作品のテーマを語りきれない」という事。
怪獣の動きにしたって、語りたいテーマから逆算されなければならないと思うわけです。「作品世界観の構築」という意味で。


例えばあらすじ上「格闘する二怪獣」という一節があったとしましょう。ところがこの二怪獣、戦う理由は何か?動物本能?天敵だから?因縁があったから?
その理由によって、戦い方はまるで変わってしまうんですね。

ただ組み合って殴り合ってるだけじゃ「ウルトラファイト」になっちゃうんですよ。

暴れる怪獣にしたって、何故その場所を襲うのか理由がなければおかしい訳です。ネロンガは電気を狙って発電所を狙う訳だし、ガマクジラは真珠を食べたいから真珠の輸送車を狙うわけで。

「怪獣が暴れるのに理由なんてない。ただ迫力があればいいんだ」という理屈が、怪獣ストーリーの粗製乱造を生み、堕落させた一因かもしれません。
以前の「宇宙船」企画もそうでしたが、ヒーローや敵役が戦うにはそれなりの理由が必要なわけです。その理由いかんでは、必殺技による敵の殲滅で勝敗を決めない方がテーマをよりはっきり主張できる。
「ウルトラマン」の場合なら、ウーやメフィラス星人の回がそうでしたね。


物語というのはあくまでまず「テーマ」が先にあって、そこから「ストーリー」が導き出されていくものです。
登場人物のセリフ、動き、表情は、すべてこのテーマの為に存在するもので、展開されるドラマ中、一秒たりともテーマに背くことは許されません。
名作と呼ばれるドラマには必ず明確なテーマがあり、そのテーマを骨太に、分かりやすく提示する内容ゆえ、時代を超え人々の記憶に残るのです。

捨石的なギャグやキャラクターの個性ばかりを前面に出したドラマがあっという間に色あせ、時の流れに押し流されていくのはその為です。
「テーマ」より「時代の空気」を大事にしているからです。
流行語や人気スポットが跋扈する1980年代のトレンディ・ドラマなんて、今見たら恐怖さえ覚えるほどでshock

とはいえ今回、私が取り組んでいるお話は、まだまだ舌足らずな所ばかりの駄作です。まー理屈じゃ分かっていても、才能の無さゆえうまく書けないのが実情で。
作劇って本当に、作者の経験が出ますよね。何か自分を切り売りしているような所があります。人生観や物の見方が、悲しいほど
露呈してしまうんですよ。
頭で考えた、想像上の人物像は決してリアルには描けない。
自分の経験や出会った人間の生の感触が、生きたドラマを生むわけです。

よく「この登場人物にはモデルが居て」なんて裏話をシナリオライターさんがされますが、それもむべなるかなと思います。一つのキャラクターを生み出すって総生半可な事じゃない。人間はそんなに薄っぺらいものじゃないからです。


さて。ちょっとお話がそれましたねhappy01
なぜ冒頭に、笑うウルトラマンの件を話題にしたのか。
実はこれ、前述のお話とも大きく関係するんです。
おそらく当時の円谷プロスタッフ間ではこの「ウルトラマンが笑う」という表現に、ちょっと論議があったんじゃないかと思うんですよ。
論議というのは大げさかもしれませんね。物理的、心情的な演出技法で葛藤があったというべきでしょうか。

『物理的』とは、ラテックス成形のウルトラマンの口がうまく動かなかった。ウルトラマンの表情がうまく出せなかったという事。当時の技術的な問題ですね。
『心情的』とは、笑うウルトラマンの顔を映像として見せていいものかという事。

(「謎の恐竜基地」の笑いとはまた別ですよ。第一話でマンはハヤタと「会話」している訳ですから。怪獣相手とは違います。)
で、監督、円谷一氏が下したであろう結論は。
「ここはハヤタの顔にして、視聴者にはマンの笑い顔を想像させよう」というものでした。


結果的に、この演出は成功したと思います。
「未知との遭遇」(1977年アメリカ スティーブン・スピルバーグ監督)で、後年、宇宙船内などの映像を追加した「特別編」が公開された時、私の周りのファンは「宇宙人の具体的な姿は見たくなかった。どんなにすぐれた特撮映像も、脳内で膨らんだ想像を上回ることは出来ないもん」と漏らしていました。
あくまで個人の感覚、万人に共通するものではありませんが。
円谷一監督は、この轍を踏まなかったわけです。
ここからは想像ですが、おそらく「マン」第一話、笑うウルトラマンの映像は撮影されていたんじゃないかと思います。
私が監督なら絶対、保険として撮影しておきますhappy01
で、編集段階で落としたと。
ここなんですよ。円谷プロスタッフの優れた所は。


冒頭のお話で、脳内でマンの笑い顔を「捏造」happy01されていた方もいらっしゃったんじゃないでしょうか。
でも実際の映像では、あのカットはハヤタの顔で処理されている。
想像させた方が効果が大きいからです。
あそこがハヤタでなく、ラテックス成形の口をぎこちなく動かすマンの笑顔のアップだったら、私たちが受けるウルトラマンのイメージは少なからず変わっていたのではないでしょうか。
CGの発達した現在でも、視聴者が脳内で再生させたマンの笑顔を上回る事は出来ないでしょう。
アルフレッド・ヒッチコック、小津安二郎等、古今東西、名監督と呼ばれる才人がこぞって使う演出「大事な所は見せずして想像させる」という秀逸な試みは、ウルトラマンでも行われていた訳です。



演出とは、それほどまでにデリケートな判断を必要とされるものなんですね。
確かにこういう判断は、ある程度映像が繋がってみないと出来ませんが、映像の流れを想定するという事は、シナリオ段階でも必要なんじゃないかと思います。
「このセリフは話す人のバストショット」「セリフの途中で聞く人の表情」みたいな、ある程度のカット割りを予想する事で、感情の動きが表現できる。そういうカットの繋がりがシーンとなり、それがまとまってシークエンスとなるわけで。
人間に迫る怪獣のサイズだって、襲われる人がどんな感情を抱いているかで変わってくるはずです。
足元のアップなのかバストショットなのか顔のアップなのか。
サイズのみならず、パン・ズームなどのカメラワークも重要でしょう。
心象映像として、実際より大きなサイズに見える事だってありえますし。


極めてプロ的な発想、しかもディレクションに携わる私独自の考え方なので、決して正論というわけではありません。
「カット割りは監督の範疇でしょ」なんて声も当然と思いますしcoldsweats01

でも私の場合、それが映像の設計図であるシナリオのような気がします。
「読んだだけで映像が浮かんでくる」という感覚を監督に与える事が、最も優れたシナリオのあり方と思うクチなので。

もちろん予算や現場の事情なども大きいですから、思いが100%実現できる訳ではありません。
でも「どーやるのよこんなト書き」なんて監督が首をヒネるような、小説風のあいまいな表現は避けたいと。書く方だって明確なビジョン、いや「こんなカットなのよ」なんて勝算を持たなければ、あまりに無責任すぎますしね。
そこまで映像を考えて、それを文字の形に変換する事。私にとってはそれがシナリオなんです。上手く変換できるとは決して言えませんが。
繰り返しますが、あくまで私だけの考えなので誤解なさらぬようcoldsweats01coldsweats01coldsweats01


昭和ガメラ映画の脚本を担当した高橋二三氏も、過去のインタビューでこのような趣旨のお話をされています。
『当時の大映のガメラスタッフは優れていた。自分もシナリオを書くとき、ある程度は特撮の手法も考える。でも私がどんな無茶を書こうと、現場スタッフは一度も「これは出来ませんから書き直して下さい」と泣きを入れに来た事は無い。それ程、創造力に長けたスタッフだった。』
それだけ、高橋氏は明確なイメージを持ってガメラのシナリオを執筆されていたという事なのでしょう。そしてその思いに、湯浅監督以下スタッフも応えたと。
監督とシナリオライターはお互いせめぎ合う関係でありながらその実、同じクリエイターである事に変わりは無いと思います。

そりゃー現場は大変だったでしょうがhappy01


でもまー立派な事を言いながら、私なんて所詮、ウンウン唸ってこんな程度?みたいなモノしか出来ません。まだまだ書き込みが足らないようです。
でも、そういうレベルを目指すと目指さないとじゃ出来も違ってくると。
たぶん無茶苦茶書いて、お仲間にもご迷惑をかけまくりと思います。
でも私の方でも、それなりに腹案を持ちながら無茶をお願いするという謙虚な姿勢で臨んでいるとcoldsweats01 そこは貫きたいんですよ。
そんな産みの楽しみに浸る日々はまさに至福。お仲間に心から感謝したいと思っていますhappy01happy01happy01


シノプシスとはいえ、もうそれは自分が考えたストーリー。
子供みたいなものですから。
どんな親御さんでも、子供を誤解して欲しくはないですもんねhappy01

にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ

« 戦えスダトラマン | トップページ | チキンなお昼 »

「ウルトラマンクラシック」カテゴリの記事

「怪獣私見」カテゴリの記事

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

何か行間からオタクィーンさんの苦悩が垣間見えまして
その原因の一端が自分にあるかと思うと、申し訳なくてすみませんです。
お送りした「仮想円谷文芸室」は、あくまで与太話の一環としてお読みくださいませ(汗
自分も精一杯がんばりたいと思います!

市川大河様 いえいえ、苦悩なんてまったく苦になりませんhappy01
むしろ、悩む事さえ無くなってしまうほど魂が老いる事のほうがはるかに怖ろしいとshock
眠れないほど悩む事は、自分がフル回転している証ですから。
これを楽しまない手はありません。
ですから、私がこういう記事を書く時は、嬉しくって仕方がない時と思って下さい。
市川さんのご苦労に比べたら、私の悩みなんてコタのおならみたいなものですよhappy01

「仮想円谷文芸室」は楽しませていただきました。
お返しにこちらは「仮想企画プロダクション「ネヴュラ」をお送りしましたので、またご笑覧下さいhappy01

 「肝心なところは見せない」というのは、想像力が非常にかき立てられ、映像で見せられるよりも効果的だと思います。オタクイーンさんが例に挙げられているヒッチコック作品では、既に手垢がつくほどあちらこちらで論じられていますが、『サイコ』で実際にナイフが刺される瞬間や、『鳥』のクライマックスで家の外がどうなっているのかは、映像になっていないだけに恐怖が募りますよネ。

 ウルトラの監督諸氏は、子どもにも理解できる丁寧な描写と、視聴者の心を動かすような演出を絶妙な匙加減で両立されていて、私はシロウトながら感心するばかりです。まだ物心がつかない頃からこんな作品に触れていた日本の子ども達は、世界で最も幸せ者でしょう(^o^)/

自由人大佐様 名匠、巨匠と呼ばれる監督ほど、肝心な所は見せないカンどころを心得ていますよね。
実に上手い。思い切った飛躍や絶妙な隠し技が、かえって作品をシャープにまとめる効果となるわけです。このカンどころを間違えると、観客は「監督が逃げた」なんて不平を抱える事になります。それほどまでに「隠しどころ」って難しいものなんです。
私の場合、予算の都合で隠さざるをえない事ばっかりですがweep

ウルトラ作品に於ける演出の冴えは、この年になって新たな発見が多く、驚かされる事ばかりです。
と同時に結構、実験的な試みもされているんですよね。
「侵略者を撃て」の視聴者語りかけとかhappy01
これからもまだまだ、新発見がありそうです。
そんな発見があるからこそ、ウルトラはファンの心を捉えて離さないのでしょうねhappy01

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/104767/23247446

この記事へのトラックバック一覧です: まぼろしの笑顔:

« 戦えスダトラマン | トップページ | チキンなお昼 »