蓄積される発想
このところ、にわかにアクセス数が伸びていまして
アクセス解析を見てみますと、どうやら例の「宇宙船映像倶楽部」で検索され、おいでになった方々が多いようです。
加えて、ご自分で応募された方々から、コメントまで頂けて。
大変有意義なやりとりをさせて頂いています。本当にありがたいことです。
実は。当初、今回の応募結果を皆さんにご報告した段階では、アクセス数の急増や応募された方々によるコメントなどの状況は、まったく予想していませんでした。
それまで色々ご意見下さったお仲間に、とにかく早くお知らせしたいという気持ちばかりが先に立っていたんです。
ですからこれはまさにネットの利点。それまで私にとって「ネヴュラ」は、けっこう場末で細々とやっていた感覚があったものですから、「あーご覧になっている方がいらっしゃるんだなあ」と改めて感慨深い所もあったりします。
毎日、新しい方からのコメントを楽しみにしているんですよ。
パソコンを起動する指も弾んだりして
今回の企画、応募や入選するしないに関わらず、ヒーローへの熱い思いをお持ちの方々は全てお仲間と思っていますから、ここ数日のコメントでのやりとりは楽しくて仕方がありませんでした。お仲間がたくさん増えたわけで。
今回応募された方々からのご意見は、本当に貴重なものでした。
だって。私の知る限り、こういう雑誌の募集に対して「仲間で応募する」とか、「こういう募集の為にチームを作っておいた」なんて方は少ないんじゃないかと思うんですよ。
やはりお一人で、コツコツと新ヒーローのあり方を模索されている方が多いのでは。
ヒーローは好きだけど、その世界を真剣に論じ合う仲間は少ない、ましてや応募しようなんて熱い思いを共有できる仲間は居ない、なんて方々がほとんどと思います。
「昔はそういう仲間は居たけれど、今はみんな熱を失ってしまって」なんて方もいらっしゃるでしょう。
かくいう私もまったく同じ。確かにテレビ屋の端くれゆえ、映像作品に興味を持つメンバーは大勢居ますが、別に特撮作品に特化した仲間は居ませんし。
ですから普段、自分の応募作についての心情やヒーローへの思いなんて、話す機会も聞く機会もほとんどないですよね。
そういう意味でここ数日のやりとりは、大変素晴らしい機会に感じられたのでした。
「宇宙船映像倶楽部」の本当の意義は、実はその部分にあるんじゃないかと思えるくらいです。
ありがたい事に「ネヴュラ」は、稚拙な私の思いに識者の方々が見事なご意見を下さるという図式が徐々に確立しつつありまして。
まー私があまりに無知、おバカなので、「しょーがないなー。ひとつ教えてやるか」なんて仏心をお持ちのお仲間が多いという事なんでしょうが
ですから期せずして古の特撮ファンの熱気、仲間内の意見交換的空気が再現されている雰囲気が感じられるのです。
時々、識者諸氏による「コメント欄の名勝負」も実現したりしますよね。
そんな時には本当に、この意見交換をコメント欄だけに納めておくのは勿体無い、なんて思いに捉われます
記事内容にムラがありますので、必ずしも毎回そうとは限りませんが。
(コタのネタなんてあまりにおバカすぎて、さすがにコメントしづらいでしょうし)
そういう意味で、私の記事に於けるヒーローへ視点や勝手な思いについてのご意見は大歓迎。そういうやりとりをしたくて「ネヴュラ」をやっているようなものです。
逆に、普段皆さんが書くのを躊躇されるような「漠然とした感想」「とりとめないけれど主張したい事」などのコメントをあえて狙っているところさえあります。
本当の思いというのは、そんなにしっかり文章化できるものじゃないんですよね。普段、何の疑問もなく頭に納まっているものゆえ、表現しにくいものなんですよ。
「なぜ怪獣が好きなの?」なんて尋ねられ、答えに困るようなものですね。
あまりにも根源的な事、自分の芯に近すぎる事は語りにくい。
何から話していいか困ってしまう。その感覚に近いところがあります。
私だって全然、言葉を綴るのは上手くありません。でも不器用ゆえ、逆に思いが伝わることだってありますよね。百万語の美辞麗句より、さりげない一言が物事の本質を正確に表していることだってありますし。
もー私なんてそこに頼るばかりで。ご迷惑ばっかりかけてますが
ですから、思いがまとまらないのは当たり前なんです。
そこを押してコメント下さる皆さんの思いに、ただただ感謝するばかりで。
「ネヴュラ」を始めて二年ちょっと。お仲間の皆さんと交わした意見を通じて、物事に対する自分の視点や角度も確実に増えたような気がします。
それまで一つの視点でしか見られなかった事柄に、目からウロコの新解釈がもたらされた経験も、一度や二度じゃありません。
それはヒーローに関しても同じで。
「ウルトラマンの顔」「スペシウム光線」なんて基本設定に於いてさえ、これだけ多面的な見方があるのかと驚いたりもしました。
で、そのご意見一つ一つが、良い刺激になるんですね。
「そーか!この発想はなかったなー」という新鮮な感覚。
お一人お一人の思いが集まれば、これだけバラエティー豊かになるのかと。
そんな貴重なご意見が、自宅に居ながら拝見できてしまう。
これがネットの素晴らしさですね。
で、これまで何度もお話した事ですが、前回の「宇宙船映像倶楽部」第一回応募に際してはその「ネットでの意見交換」が本当に役に立ったんですよ。
一つ一つのご意見がそのまま活かされたという訳では決してないんですが、設定で迷った時「そーか。あの時○○さんはコメントであんな事言ってたなー」とか、ストーリーが行き詰った時「××さんのコメントにあった、あの視点を持ってきてみようか」なんて、発想の選択肢が増えるんですね。
だから気持ちが行き止まりにならない。投げ出したくならない。
やりとりを通じて培われた「発想の枝葉」が見えてくるんです。
これがものすごく大きいんですよ。
そのご意見によって自分の何かが刺激されたわけですから、それを読んだ瞬間は企画発想に関係なくても、脳がその刺激を覚えているとでも言うんでしょうか。それが何かの拍子に首をもたげる。私の中にご意見が蓄積されていくわけです。
変な言い方ですが、「ウルトラマンティガ」最終話のグリッター・ティガの中身みたいなものですね。
私の体の中で、お仲間全員がウームと頭をヒネっているという
これは本当に新しい経験でした。「応募作『バイオ・ブースト』は私一人の力じゃなかった」というのはそういう意味があるんです。
決して社交辞令じゃないんですよ。
「味方」であるお仲間の皆さん、それぞれの「見方」が、私の中に息づいている。
これが私の、最大の強みかもしれません。
「宇宙船映像倶楽部」は今、第二回の企画・デザイン募集を行っています。
皆さんきっと、また新ヒーローの模索に熱い時間を過ごされている事でしょう。
でも何となく思います。私もそれまで一人で企画を練る事が多かったんですが、やっぱり面白い発想や飛びぬけた案って、他人との何でもない意見のやりとりからも生まれるものなんですよね。
たとえその時には直接繋がらなくても、どこかで「これ使える!」なんて発想のアクロバットが出来ちゃう場合もある訳です。
ですから企画考案に悩む皆さん、出来るだけ周りの方々と意見交換をされると良いと思います。
ただ、企画そのものと直接関係ない話題を選んだ方が良いようです。
企画そのものを話題にしてしまうと、お話のサイズがそこに収まってしまう。
聞き手も気を使って、「質問者が何となく望んでいるような答え」を探そうとしてしまうからです。
もっと大枠の、ヒーロー世界全体を鳥瞰するようなお話がいいのかも。
私は本当に好き勝手に話題をふり、お仲間にお相手頂きましたが、企画内容から離れているご意見の方がかえって参考になりました。
これは全くの偶然によるもの。
決して意図的なものではないので誤解なさらぬよう。
第一、私にそこまでの知恵が回るわけもありません
それは読者の皆さんが何よりもご存知ですよね
「いや、オタクイーン。自分はあくまで一人で悩む」という方も多いでしょう。
もちろんそういう姿勢も応援します。
その方が良い企画になる場合だってありますし。
ですから方法は人それぞれ。決して押し付けるつもりはありません。
でも「今、行き詰ってるんだよねー」なんて思いながら今日のお話を聞かれた貴方、もしご自分の企画に閉塞感をお持ちでしたら、どうぞ息抜きのつもりでコメント下さい。もちろん、ご相談やご意見も大歓迎です。
おバカな私ですから、大したお力にもなれませんが
私も今、第二回応募作の考案に悩んでいます。
もう本当に「頭が陣痛状態」。
そんな中、同じく生みの苦しみに悩む方々が大勢居るというだけで、何となくモチベーションも上がるじゃありませんか。
たとえ結論は出なくても、やり取りの中で交わされる他愛のない発想が、行き詰まりを撃ち砕く新機軸に化ける事だってあるかもしれませんし
また勝手な事ばかりお話しちゃって、すみません
でも、こういう思いを綴れる期間も限られているんですよね。
そういう意味で、この濃密な時間は貴重なものかもしれません。
だって宇宙船創刊以来、こんな企画は無かったですから。
言わば『28年目の祭』ですよ。これ。
中途半端な姿勢じゃ、せっかく御神輿を上げて下さった雨宮部長に申し訳が立ちません。部の運営がいかに困難な事かは、私も分かっているつもりです。
ヒーローを愛する皆さん一人一人の思いが、部の行く末を左右するのかも。
私も部員の意地を賭け、無い頭を絞って事に臨みます。
新企画の発想はもちろん、課題作への意見に於いても。
「そんな事書いてるヒマがあったら、さっさと企画を考えろ!」
なんて、雨宮部長の声が聞こえてきそうですね
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コメント
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またやってきてしまいました。
最近、お仲間に入れていただいた一法師です。
オタクイーンさん、プロット創作で忙しいからしばらくコメント控えようと思ってたんですが、いただいたコメントが、またもう琴線にふれるものばかりで。
長くなるので少しだけ。最近の作品に対する考えは自分も同じです。変わったギミックに躍起になって、芯になるものがないという印象です。
それと関連してくるのですが、オタクイーンさんがめざしている、人間にとって普遍のものを特撮作品に、というのは自分も追求しなければいけないと思っています。
「人間って何?」「人間らしいってどういうこと?」これが前回自分が提出した企画のテーマです。
そしてこういうテーマにふさわしいと思い、特撮ヒーローもの最大・最強といってもいい、でも古いギミック、「変身」をとりあげました。
自分は一度、「変身」という、特撮ファンにとってあたりまえのギミックをあたりまえで終わらせず、徹底的に解釈し直すという作業をする必要があるんじゃないかと考えていました。
ですが、科学的知識にとぼしく、考察も甘いので結局非常に中途半端なものになってしまいました。
科学者の意見が聞きたかったです。
自分はできませんでしたが、「変身」に限らず、既存の特撮作品を構成している要素を全部洗い出して、新たな考察を加える作業をしていけば、これまでの特撮作品に無かったものが見つかるかも。
やっぱり長くなってしまいましたね。
プロット創作の邪魔してすみません。
投稿: | 2008年7月12日 (土) 02時43分
一法師です。すみません、さっきのコメント、名前がはいってませんでしたね。いま気付きました。
夜中に書いてたのでボーっとしてました。
投稿: 一法師 | 2008年7月12日 (土) 18時30分
一法師様 どうぞお気になさらぬよう。

最初頂いたコメントにお名前がありましたので、全く気にしていませんでした
前回の私のコメントでお分かりの通り、一法師さんと私の発想は非常に似ていますね。
推測で恐縮ですが、私の前回の応募作のテーマ、作り上げた世界観は、一法師さんのお考えに近いと思います。
そこで考えた事も、おっしゃる通りの「既存の特撮作品を構成している要素を全部洗い出して、新たな考察を加える作業」でした。
私は作品のテーマ部分にその発想を用いましたが、この作業は大変重要、かつ有意義なものでした。
そこに重点を置かなければ、応募作は成立しなかったようなものです。
過去の記事にも書いたのですが、普段ヒーロー作品を見慣れている私たちは、ヒーローが存在する理由を当たり前のように捉えていますよね。ところが、「このテーマを語る為には、なぜヒーローが必要なのか?」と発想してみると、これまで連綿と作られてきたヒーロー作品の構造が見えてくるわけです。
言わば逆算の発想ですね。
私はそこで引っかかってしまい、お仲間に様々な問いかけをしました。
その一つが過去記事『「正義」の「定義」』(2008年4月5日)です。
そこでは皆さんから様々なコメントが寄せられ、非常に有意義なやりとりが出来ました。結局、結論は出ませんでしたが、頂いたご意見は、確実に企画に活かされています。
まーそんな風に、私もあちこちぶつかって企画を作っていますが、その筋道の立て方は一法師さんとほぼ同じ。
後は、そのテーマにどこまで食い下がるかですね
今考案中のプロットも、基本はやはりテーマ部分です。
人間不変のテーマから出発し、設定を着せてゆく作業。
これがまた楽しいんですよ
締め切りまで後二週間程度。前回もこの時期が一番盛り上がっていました。
あせらず、空想の世界に遊んでみようと思います
一法師さんもご遠慮なさらず、いつでもコメント下さい。


こうして交わされるやり取りの中に、ものすごく重要な発想が潜む事だってあるんですから。またのコメント、お待ちしています
投稿: オタクイーン | 2008年7月12日 (土) 23時21分
おじゃまします。貴ブログの『正義の定義』の論議に既出の部分もあり恐縮ではありますし、甚だ未熟な意見かもしれませんがご容赦ください。
私は子どもの頃(今でも多少そうですが)はいわゆるヒーローに感情移入ができず、怪獣や敵側に共感や場合によっては憧れを覚えていました。天邪鬼なせいもあるのでしょうが、ヒーローモノの構造上、異端であり少数派である怪獣や『悪』が多数派に属するヒーロー(ヒーロー自身は異端、異形であっても彼らが属しなければならない、属したいのは人間社会なので)により抑圧されるという解決がなされることが圧倒的多数だからだと思っています。そしてヒーローや主人公の行動原理や信念にぶれがあったり、ときに矛盾をはらむことを感じたからだと思います。秩序や既存の価値観を破壊する異端者を除外することを解決とする、そうならざるを得ないのはよく理解できます。またその解決法への疑問はヒーローや登場人物自身、制作者、視聴者の各レベルで呈されてきたとも思います。そういったものがあったから近年のヒーロー番組の中で明確な正義、ヒーローが描かれることは少なくなり、ときに思考停止されるのではないかと思います。私自身もそういう傾向をむしろ当然として受け入れている部分がありました。人間や社会の暗い部分に焦点を当てた作品によりリアリティを感じたりもしました。たぶん私くらいの年代の人間には多かれ少なかれそういう傾向があり、そういう年代が制作側に回ったことで近年の作品群の中から、真正面からの『正義』へのアプローチがなくなっていったのかなとも感じます。また果敢にそういう矛盾や困難に立ち向かった作品も苦しんだあげく消化不良に終わったのではないかと思います。多様性や個人への過剰な配慮もあるのかもしれません。
そういう私なのでやはり真正面からのヒーローには照れくささもあり中々描くことはできないでいます。マイノリティや異形の者たちに愛おしさを感じることは間違いありません。
ただ、今は自身の行動の矛盾を自覚でき、排除しなければならない敵対者や異端者(悪?)へ想いをいたらせることができるヒーローならば見てみたい・・・と思うようになりました。傷つけることや傷つくことに悩むだけではなく、その現実をしっかり受け止めてなお信念や活力を失わない強靭さはヒーローたりえると思います。ヒーローという概念や、信念を持っての行動、ひいては生きることはそもそも矛盾や他者との軋轢、犠牲が不可避だと思うからです。自身と他者の関係の難しさをわかりつつ生きることにたじろがない・・・けっこう今の時代に必要なことかもしれませんしね。
以上、大変な妄言、長文失礼しました。
投稿: MUGI | 2008年7月13日 (日) 02時05分
MUGI様 長文のご意見ありがとうございました。
MUGIさんの世代の方々にはそういう思い、ある種の葛藤があるんですね。
私はMUGIさんより少し上の世代なので、ヒーローが正義の名の下に悪役を圧倒する事にまったく違和感を持っていませんでした。
と言うより、当時のヒーローは、「遂行する正義に疑いを持っていなかった」と考えるべきでしょうか。
宇宙船映像倶楽部の企画を考案中にも、その「ヒーローが遂行すべき正義」については様々な思いが頭を巡りました。
そこをクリアしなければヒーローの立ち位置が揺らぎ、プロットそのものが成立しないからです。
しかし。そこで私が考えたのは、そもそも何故昔のヒーローは、自分の正義を疑う必要がなかったのかという事でした。
そこに行き着いた時、一つのヒントが見えてきました。
拙企画の著作権は自分にない為、その詳細をお話する事は出来ませんが、実は最近のヒーローは、ヒーロー本来が持つ「心」を失っているのではないかという視点でした。
ヒーローとは本来、他者を圧倒する「力」を持つ者ではなく、他者を包み込むような「心」を持つ者ではなかったのかと。
ところが時代の流れによりその概念は、より派手で子供の目を引く「力」ばかりにシフトし、ヒーローが本当にヒーローたりえる「心」が置き去りにされていったような気がするのです。
その結果、強大な力で異端者を破壊するヒーローという図式が成り立ち、現在はその図式の先鋭化により、「戦う理由」さえ置き去りにされた、ただの「アクションショー」になっている感さえあります。
今朝もたまたま「仮面ライダーキバ」を見ましたが、もはや登場人物にとって「変身」は、より相手より強大な力を手に入れる為だけに必要なもの。武器を入手する程度の扱いなのです。そこにヒーロー性はなく、相手の怪人と同じレベルの発想、要は「どちらが正しいのか」ではなく「どちらが強いか」なんですね。
これがヒーローと呼べるのかどうか。
で、これも企画制作中に思った事なんですが、実はヒーロー黎明期、1950年代後期に活躍したヒーローの敵役って、それほど「異端者」「マイノリティ」じゃないんですよ。
知的であり策士であり、しかも信念がある。
言わばやられ役じゃなく、ゲストスター級の役回りなんですよね。
エピソードによっては主役以上の活躍を見せるキャラクターさえ居ました。
私はそのあたりの作品も好きなので、敵役キャラの変遷にも大きな興味があります。
おそらく異端者的概念が一般化したのは、「ウルトラマン」からなのでしょう。
ところがそのウルトラマンでさえ、怪獣を退治する行為に常に疑問符を投げかけている。
全エピソードを鳥瞰すれば、製作者の思いははっきりと理解できます。
で、前述の通り、ここで怪獣バトルのアクションが子供達にウケてしまった。
ヒーロードラマの悲劇は、ここから始まったのかもしれません。
<ヒーローという概念や、信念を持っての行動、ひいては生きることはそもそも矛盾や他者との軋轢、犠牲が不可避
というお考えには、私も大変共感します。
ただ少なくとも「ウルトラマン」以前、そのヒーローという概念、敵役という概念は、今とは全く違うものだったのです。
前回の宇宙船への応募作には、そんな私の主張が色濃く反映されています。
そういう意味で私は、MUGIさんがおっしゃるようなヒーローの価値観を、もう一世代、二世代も前に戻したかったのかもしれません。
それこそが、おっしゃる通りの「排除しなければならない敵対者や異端者(悪?)へ想いをいたらせることができるヒーロー」のように思うのです。
また長文になってしまいました。ごめんなさい。
ご意見、ありがたく受け取りました。決して反論ではないので誤解などなさらぬよう。
ちなみに。ご覧になったかもしれませんが、ヒーローが遂行すべき「正義」について、下記の拙記事ではお仲間と熱く語り合っております。
2008年5月21日(水)
「カリスマ性に代わるもの」です。
この記事のコメント欄で交わされた意見も、大変有意義なものでした。
またお時間ある時にでもご覧下さい。
私の無知ぶり、おバカぶりがおわかりになます
投稿: オタクイーン | 2008年7月13日 (日) 16時57分
お忙しい中、丁寧なお返事ありがとうございます。
過去ログも一通り拝見しました。
自身の意見のつたなさにちょっと赤面。
このテーマ、ほんとうに深く、語り尽くせぬところがありますね。
特撮ヒーローものは正義や平和、人間の根源的な優しさに言及しつつ、闘争や暴力とも無縁でいられない・・・深い矛盾をかかえたものですよね。だからこそ難しく、時に不格好ですが、深く人の心に届く可能性も秘めていると思うのです。ある意味、人間の多面性の葛藤をシンプルで力強く描きうるからかな、と思うのです。ちなみに私自身に深く影響を与えた特撮ヒーロー作品は新マン『怪獣使いと少年』、クウガ終盤エピソードあたりでしょうか・・・
漫画であれば『ブラックジャック』『デビルマン』『銃夢』ですが、このあたりはちょっとヒーローからはずれるかも知れませんね〜。
ヒーローに魅力はその生き様の愚直さ、ひたむきさにあると私自身は思います。
オタクイーンさんならではの永遠の難題へのチャレンジを楽しみにしております。
私自身の宇宙船映像倶楽部応募作ですが課題プロットにそってキャラクター設計をしている最中で『本と人、本を介した人と人の関係』『想いのかたちの色々』を体現できるものを目指しています。その上で、ギミックの面白さ、キャラクターのフォーマットの確立をするべくある程度バラエティに富みつつ整合性のあるデザインを揃えられれば・・・とあがいております。画稿が多くなりすぎそうで、いかにコンパクトに見やすくするかが課題な気もしてきました(苦笑)。
またまた長々とお邪魔しました。失礼します。
投稿: MUGI | 2008年7月15日 (火) 02時49分
MUGI様 返事が遅れ申し訳ありませんでした
過去ログをご覧頂いてありがとうございます。
ヒーローとは人間の問題意識から生まれるものですから、普段私たちが抱えている疑問や人間ゆえの矛盾がそのまま投影される存在なんですよね。
逆に、人間が自身の疑問や矛盾について考えなければ、ヒーローは生まれていないかもしれません。
普段、私たちが当たり前のように見ている特撮ヒーローには、それくらい深いものがあると思うのです。
子供向きに寓話化されている分、その存在意義は軽んじられますが、例えば絵本が子供だけの物ではないように、ヒーローも突き詰める事によって人間の根本に触れる事ができます。そういう意味で、
<ある意味、人間の多面性の葛藤をシンプルで力強く描きうるからかな、と思うのです。
というご意見には、私も大変共感します。
『怪獣使いと少年』はヒーローの限界に疑問符を突きつけた意欲作でしたね。
私も印象深いです。
『クウガ』は最終回のラストシーンが、ドラマ終盤の重苦しさを払拭してくれましたね。
私たちはヒーローのああいう姿を見て、憧れを抱くような気がします。
『デビルマン』をマガジンでリアルタイム購読していた私は、毎週が興奮の連続でした。
先が全く分からないドラマだったので、ページを開く事が未知への恐怖だったのです。
その分あの終盤は、今も私のトラウマとなっています
今回の再チャレンジ作、構想もほぼ出来上がっていますが、もう一つ「これだ!」という部分が足りません。自分で納得出来ないんです。そこをクリア出来るかどうかが課題ですね。もうちょっと悩んでみます
課題作へのアプローチについては、絵心のない私なりに考えている事があります。
MUGIさんとはまた別の角度からサポートできれば、などと漠然と思ってはいますが。
MUGIさんの作品も楽しみですね。
誌面で拝見できれば、これに勝る喜びはありません。
暑い日が続きます。名古屋特有の湿度は体力を奪いますが、なにとぞご自愛頂き、お互い思いを形にするべく頑張りましょう
投稿: オタクイーン | 2008年7月16日 (水) 10時00分