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2008年6月 9日 (月)

裏切られる願い

曇り空の下、ウォーキングに出たお昼過ぎ。
公園へ向かう道すがら、若い母子連れとすれ違いました。
20代半ばのお母さんは3歳くらいの女の子の手を引き、もう一方の手でベビーカーを押していました。
ベビーカーの赤ちゃんはとても元気なようで。
足をバタつかせて片方の靴下が脱げ、それが道に放り出されてしまったのです。
あらあらと笑い、拾いに向かうお母さん。
そのお母さんよりいち早く、靴下を拾いに走った小さな姿が。
その赤ちゃんのお姉さんであろう、3歳ほどの女の子でした。

「あ、ありがとありがと。」
その子の行動はお母さんにも意外だったようで、その驚きが「あ、」の一言に表れていました。すれ違った私はお母さんの表情を見る事ができませんでしたが、お母さんはその子が差し出す靴下を受け取りながら、きっと笑顔を咲かせていたでしょう。
「この子にも、人を思いやる気持ちが芽生えてきたのね。」と。
そんな一瞬の点描に、心が少し温かくなりました。

確かにその子は、お母さんに褒められたいという意識もあったでしょう。
でもそんな意識の中にもほんのひとかけら、お母さんを手伝いたい、人を助けたいという気持ちがあったと思いたいです。
わずか3歳ほどの女の子にも芽生えるその心は、人間が本来持つ「思いやり」の精神に違いないからです。そしてその精神は、誰の中にも備わっているものであろうと。


昨日、東京の秋葉原で起った通り魔事件は日本中を悲しみのどん底に突き落とし、今も続報が報じられています。
この事件を報じないメディアは皆無と言ってよく、皆さんも職場や家庭で、この話題を口にされた事でしょう。

この事件、私は最初の一報を、昨日の臨時ニュースで知りました。
ニュース速報のテロップ以外でこのニュースをライブ放送したのは、おそらくNHKが一番早かったと思います。私は速報の最後の方を見たのですが、通常番組も生放送だったので、ニュース直後に切り替わった通常番組の出演者・藤原紀香さんの表情が、驚きと悲しみに震えていた事を妙に覚えています。

信じられない出来事から一日。犯人の行動や被害者の数が明らかになるにつれて、凶悪な事件の全貌が徐々に解明されてきました。
今日の時点で死者7名、重軽傷者10名。
犯人が2~3日前から犯行を計画していた事。
犯行当日の昨日、出発から犯行直前まで携帯サイトに書き込みをしていた事。
レンタカーのトラックで歩行者天国に突っ込んだのも、サバイバルナイフを振り回したのも、全て予定通りの行動だった事。
さらにナイフでの使用理由は行く手を蹴散らす為ではなく、被害者一人一人を完全に殺害する為だった事。
目撃者の証言によれば、逮捕され連行される時の彼の表情は「薄笑い」だった事。

被害者や事件関係者の方々への配慮を欠いた文章で、大変申し訳ありません。
こんな理不尽な犯行の犠牲者の皆さんへ、心から哀悼の意を表したいと思います。
と同時に。事件への思いがやり場の無い怒りと悲しみとなって、心に重くのしかかります。

以前の記事で、人の命が奪われる事について敏感になっている心情についてお話しました。その矢先の悲劇でした。
この事件により、昨日からあまり食欲も無く、いつもは笑える番組を見てもなぜか気力を失っている自分が居ます。
人間、あまりに悲しいと、心のゴムが伸びきった状態になるんですね。
すやすやと眠るコタのあどけない姿を見て、涙が出てきたりして。

最近、こういう事件が多くなりました。
先日起きた茨城県土浦市の連続殺傷事件をはじめ、「世の中が嫌になった」「人を殺して捕まりたかった」「被害者は誰でも良かった」などと、まるで口を揃えたようにうそぶく犯人達を見る度に、暗澹たる気持ちは晴れる事がありません。
犯罪心理学者のどなたかがおっしゃっていましたが、この種の「被害者を不特定多数に設定する犯罪」が、最近、特に顕著たそうです。

「被害者は誰でもよかった」
こんな動機で、人の命を奪えるものなんでしょうか?

また、ある学者は言います。これは一種の「擬似自殺行為」であると。
世の中が面白くない。死にたいけど一人で死ぬ勇気がない。それで不特定多数の人々を「道連れ」にし、法に裁かれて死にたい。その心理が働くと。
今回の犯人は、職場や自分の境遇に対して悩んでいた節もあるそうです。
トラブルを起こしていた事実もあったとか。
従来のキレやすい正確が災いしたとも。
でもそんな事は理由になりません。職場で悩んでいたなら上司への相談など善処する必要があり、個人的な悩みなら自ら解決に努力すればいいだけの事です。
私も含め、皆さんそうやって、日々を懸命に生きている筈ですよね。

きっと彼はそれを行う勇気さえ無かったのでしょう。問題が自分の側にある事を分かっていたのかもしれません。だから自業自得、どこにもはけ口がなかった。
悪意に包まれた凶行と見られるこの種の犯罪も、その実は犯人の心の弱さ、孤独感が引き起こしたものではないかと言うんですね。


でも私は何があっても、犯人を許さない。
人間には、人の命を奪う行為を償う手段が無いからです。
たとえどんな動機があろうと、一度奪ってしまった命は取り返しがつかない。
刑に服そうが自らが死刑になろうが、奪われた命は戻ってきません。


ただ。実は今回私が思った事は、それだけではなかったんです。
事件を知った直後、渦巻いた胸の内は、説明のつかないほど複雑なものでした。

身勝手な犯人への怒り?それはもちろんです。
被害者に遭った方々への心痛?それも大きなものです。
この手の犯罪が多発する恐怖?それだって無視できないでしょう。
でもそれだけではない。
私が感じたやり場の無い怒りは、それらの言葉だけでは解決できなかったのです。

もやもやした思いと共に、私は昨日からの一夜を過ごしました。
そして出かけたウォーキング。
そこで出会った冒頭の母子に。わずか3歳の女の子に気づかされたのです。
きっとそれは、人間の心の問題だったのでしょう。

以前にも、お仲間とのやりとりの中などで主張させて頂きましたが。
私には、人間の心について「ある願い」があります。
人間には本来、美しさや喜び、他人を思いやる心とか、人の悲しみを分かってあげる心などの価値観が、教えられなくても備わっているんじゃないか。
人それぞれ、その心の呼び名は違っても、それが人間を人間たらしめている重要な精神じゃないかという願いがあるのです。
確かにそれと対比して、人間には闘争本能や悪意などのファクターもあります。
決してそれも否定しません。それらの矛盾を抱えながら生きているのが人間という存在だからです。

その「人の痛みを分かる心」という人間不変の価値観が、今回の事件によって裏切られたような気がするのです。

例えばどんな理由であれ、「この世から消し去ってしまいたい相手」が居て、それを犯行動機にするのであれば、まだ事件の因果関係はあるような気がします。
犯人と被害者には関係があり、そこには「相手の痛み」を凌駕する「怒り」が存在するからです。相手の心が痛もうがどうしようが、そんな事はどうでもいいという程の怒り。
それも犯人の勝手な理屈ですし、決してあってはならない事ですが。

しかし、今回の一件をはじめとする無差別殺人には、その「相手の痛み」を凌駕する怒りの理由が無い。相手との因果関係が無いからです。

ここでもう一度、前述の疑問です。
『被害者は誰でもよかった』
こんな動機で、人間は人の命を奪えるものなんでしょうか?

今の世の中、人間に本来備わっているはずの『人の一生を奪えばその人の存在が消えてしまう。周りの人たちだって心が痛む』という価値観のリミッターは、もう解除されてしまったのでしょうか?
怒りを向ける動機の無い相手を、何の躊躇も無く手にかける。
一生をかけても償えない、命を奪うという行為。
なぜ、こんな事が出来るんでしょうか?

確かに前述のように、人間は矛盾に満ちた存在です。だから悩む。
善悪の狭間で常に試されていると言っていいでしょう。
でも、人間不変の価値観って、そんなに簡単にリミッターが外れるものでしょうか?
これはブログ上の建前ではなく、本気で思う事です。
そんな価値観に対する願いすら、私の幻影に過ぎないのでしょうか?
私が甘すぎるだけなのでしょうか?
ただ、それがもし甘いと言うなら、私はその甘さを死守したいです。
そのリミッターが外れる事は、人間では無くなる事です。それが私の価値観です。
これだけは譲れません。


冒頭の母子連れのお母さんは、今回の犯人と同じ年頃でした。
今回の事件について3歳の娘さんに尋ねられたら、お母さんはどう答えればいいのでしょう?ようやく、人を思いやる心が芽生え始めた娘さんに。
そして、私がお母さんの立場だったら。
皆さんがお母さんの立場だったら。


そう考える度に、心が本当に痛みます。
犯人に対する怒りももちろんですが、私はこの「裏切られる願い」が最も辛いです。
年をとるとともに命という存在の重さが増してゆく私の、青臭い思いかもしれません。
過激な言い回し等、ご気分を害されましたら、お詫び致します。

昨夜、『忘れえぬ想い』(2003年香港 イー・トンシン監督)を観ました。
人への想いについて考えさせられる、いい作品でした。
心がちょっと痛い今の私には、こんな小品がちょうど良いようです。

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「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

オタクィーンさまこんばんわ。
今回の事件私も衝撃を受けましたが、でもふと我に返ると思ったほど・・・なのです。とてもおかしいことと思います。
自分なりにどうしてか考えてみました。子供の頃、確か山口百恵主演の赤い衝撃?だったと思いますが、確か?やむにやまれぬ理由で1人殺人を犯して死刑になる設定でした。子供の私は殺人とは死刑になるほど重い罪と思いました。同じ頃なにかの特番でアメリカでは無差別に10人以上殺人を犯した事件を聞いたとき、とてもいやな気持ちになったのを覚えてます。理由があって1人でも死刑なのに、理由もなく10人以上も?それから何十年、地下鉄サリン、大阪の小学校無差別通り魔、その間にも数え切れない無差別あるいは肉親に対するほとんど毎日に近い殺人事件のニュース・・・。
最初は世の中おかしいと思った感じが、今はあまりありません。慣れてしまったのです。それ自体悲しいことだと思います。人の命の重さが私たち全部から知らず知らずに薄くなっていくそんな感じがします。
そういえば今日車の運転中に子供を乗せたお母さんに止まって道を譲ったとき、後ろの小さな女の子がありがとうと手を振ってくれました。オタクィーン様の記事を読んで思い出しました。
追伸:うちのネコののんちゃんが行方不明でご心配していただきありがとうございます。ちょっと救われました。

 私はウルトラマンAは嫌いですが(作品、及びヒーローとも)、最終回は好きです。
 オタクイーンさんの想いは、これから何百回も裏切られると思いますが、その優しさを失わないで欲しいです。
 もちろん、それは ほとんどの人に とっても同じだ、と信じたいです。

 明日は(正確には今日は)、大好きだった伯母の一周忌なんです。実は、昨年は落ち込んでいる気分を吹き飛ばそうと、ワザと「天才バカボン」の記事を書きました。そうでもしていないと、胸が張り裂けそうな感じでした。
 「身近な人を亡くす」ということがどんなに悲しいことなのか、そういうことを経験する機会が、最近はめっきりと減りました。映画やドラマでも、葬式や老後の面倒を見ることなどが赤裸々に綴られ、何か別の価値観で語られることが多くなったような気がします。

 一人暮らしだとか、派遣社員だったとか、犯人の境遇が明らかになってきましたが、けっして「生活や社会的に追い詰められた末の犯行」だなどと片付けて欲しくないんです。たしかに会社では「派遣社員」というビミョーな立場なので、上司に相談することが難しいかもしれません。性格的に「ひねくれもの」だったのかもしれません。しかし、それが人の命を奪う理由に値するものなのでしょうか!?

 日曜日の白昼の、歩行者天国で起きた事件なので、たくさんの目撃証言があります。その残忍な犯行がかなり正確に報道されています。その経過を知るにつれて、なお一層犯人が許せません。私も怒りと悲しみと恐怖に震えています。

 名古屋もたくさんの人が集まった街ですよネ。人が多くいることにストレスを感じ、人が近くにいることに恐怖を感じてしまうようになったら、人間は終わりだと思います。何とか人間性の大切なものを信じていきたいですネ。

 3歳の女の子の話、心が和みました。ありがとうございます。

一昨日の事件、未だに現実のことと思えません。
馴染みの街で、こんな悲しい出来事なんて。
いつか覚める悪い夢と信じたいです。

若いお母さんとお子さん達のお話ありがとうございます。
心が沈んでたのですが、温かい気持ちになれました。
みんなが優しくいられる平和な世の中でありますようにと願っています。

ちょうど昨夜書いたミクシィ日記を転載します。
---------------------------------------
自分が昨日の午後、秋葉原で起きた凄惨な事件を知ったのは
ちょうど、ブログでの評論をするために
佐々木守氏の『七人の刑事(61年~69年)』の伝説的名作
『二人だけの銀座』を調べなおしていたときだった。

これは今から40年前のテレビドラマ史に残る名作だけど
マイミクさんで観たことある人は少ないかもしれない。
内容その他に関しては、いつか佐々木守作品の評論で
ブログで説明するのでここでは詳しくは割愛する。

簡単にいってしまえば、全ての孤独と絶望を背負い
ふらふらと銀座(当時一番の日本の繁華街)にやってきた青年が
そこで交差する人々の、幸せのオーラに憎しみを感じ
刃物を持って無差別凶行を行ってしまい
青年と知り合って友人になった刑事が彼を逮捕するという物語。


ある意味でこの構図は、佐々木守が記した名作
『故郷は地球』のジャミラと同じで
「自分の不幸に無知な社会に対する憎悪が
その復讐という行為に結びついたとき、被害者は無関係な者だった」
という意味では、相似形に値する物語。


それは、佐々木氏が創造社で大島渚監督と制作した
実際におきた永山則夫事件を元にした映画『略称・連続射殺魔(68年)』でも
同じ視点で描かれている。
それらを観る凡庸な人々の中では
ジャミラは可哀想な怪獣であり、『二人だけの銀座』は衝撃の名作であり
永山則夫は、それでも許すまじ凶悪犯という常識があるが
佐々木守氏は、それらを等価値で扱った。

フィクションの世界では、そこでの加害者の気持ちを汲み取るが
実際の事件ではそれをするな、というのは、これは社会的ファシズムだ。
人が環境によって育まれて、価値観や感性、人格を育てる生き物なら
無論、そこで全ての人がとる行動には
社会や家庭、地域やコミューンの影響が生じている。
個人の行い、それもとくに犯罪や復讐といった反社会的行為の中から
逆算してそれらのもたらした影響を抽出し、その問題点を撃つ。
佐々木氏の70年代の作品は、おしなべてそういった手法論が使われていた。


なぜ、今回自分が秋葉原の事件の直前に
偶然『二人だけの銀座』をチェックしたのか。
それは佐々木守作品の評論のためではなかった。
むしろ、上原正三作品の評論を目的にしていた。

なぜ、上原作品の評論で佐々木氏なのか。
その謎解きに関しては、自分のブログの
『恐竜爆破指令』と、それに続く『怪獣シュガロンの復讐』を
お読みいただければお解かりになると思うが
上原氏の新マン初期の作劇は
そういった「犯罪を起こしてしまった者」つまり怪獣が存在したとき
そこでの登場人物が、いろんな角度からその怪獣の出現理由や存在意義や
そこでの行動原理を解明し、解ったように定義づけ
時には思い入れたり同調したりするのだけど
実はそんなことは、人間側の勝手な分析からくる解釈でしかなく
実際の怪獣達が、本当にそういった人間の思い込みや分析どおりかどうかは
解らないし、そうじゃないかもしれないという
上原氏のスタンスを、そこに見て取ることができるのである。

それは、古代の人間が、雷や台風や竜巻を神の所業と思い込み
いちいちそこに、意味や神の意図を汲み取ろうとした図にも似ている。

それが例え人同士であっても
主観は主観でしかなく、何かの一線を乗り越えてしまった者の気持ちを
他者が決して推し量ることなど出来ないのだという真理は
『ワイルド7(72年)』の『マシンガーン・ロック』でも上原氏は描いている。

さて、実はおいらには
佐々木氏の作劇、手法、イデオロギーも非常に理解できるし
上原氏の主張もまた、強く共鳴を覚える。

だから自分は、例えばゲームやエロ漫画の影響を受けて
殺人や少女暴行を起こす奴はいると思うし
そこで「ゲームや漫画は無実だ」という主張は
起きた事実を強固に押しのけて、自分の趣味を無責任に守ろうと
している姿にしか見えない。

しかし、殺人という「一線を乗り越えてしまった者」の本当の心情を
識者や学者が全てにおいて、分析できるとも思わない。

秋葉原の事件で被害をこうむった方々には、深く哀悼の意をあらわします。

その上で。

自分の中の佐々木守と、自分の中の上原正三が
この『一人だけの秋葉原』という現実の物語の行く末を
見つめているのである。

オタクイーンさん、、今回の事件はちょっと凄惨でした。。。。とても許されないです!!
被害にあわれた方、ご家族の心中お察し致します。

自分>>他人の公式が至上の思考基本になっているように感じます。
最近の問題を起こす人物の特徴として、幼児的な万能感があるように思います。
自己評価が非常に高いが、現状、周囲の評価はまるで逆。
こんなはずじゃ、自分は優秀な人間なのに、、周りが間違っているという反社会的思考に陥っているように思いますね。
それでも普通の人は変人、偏屈という評価で済むのですが、今回のように社会に対して当り散らす割合が増えてきてる事に悲観します。
まるで幼児がカンシャクを出して窓ガラスを割るように、他人を傷つける。。。そこに思いやりはありません。
「人の痛みを分かる心」をもてるようになるには、それ相応の教育、経験が必要なんだと思います~
今は無き祖母が言ってました。「自分が死ぬまではいい、他人に迷惑をかける人間にはなるな」と・・・

現代はうわべだけの平和教育、命、平等など盛んにアナウンスされていますが、本来人間の持っている同心の心を育てるのに役立っているのでしょうか?
今は全員がヒーロー、ヒロイン、、脇役、縁の下の力持ちの役回りはだんだん存在しずらくなっています。
命至上主義が逆に自分至上主義になってしまってないでしょうか?

私感ですが、以前鹿児島にある知覧特攻記念館を訪れました。
そこにいる今は亡き若者たちは、とても人間味溢れる人ばかりでした。
作戦の是非はありますが、決して狂人、洗脳などではなく、等身大の母国、ふるさと、家族を愛する純粋な若者でした。
そこで特攻機で特攻することの恐怖、痛み、命の尊さを鮮烈に想像する自分がいました。どんなに怖かっただろう、痛かっただろう~
自然に涙が溢れてきました。それと共に戦没者の遺族の方の思いを察しました。
ある有名ニュースキャスターがテレビで特攻隊をテロリストと呼びました。私は遺族の皆様、関係者の方々への思いやりの欠如に立腹しました。
そのキャスターを一生許しません。

自己犠牲とまで言いませんが、自分の命<社会の道徳をもてた時、人は普遍的な価値観を獲得するのではないでしょうか?
ニュースの惨事に慣れっこになっている今、オタクイーンさんの心痛な記事に人間社会を考える機会を頂きました、ありがとうございます。

今回少し辛口、戯言になってしまい申し訳ありません、お許しください。

今私たちが出来ることは、犯人の糾弾ではありません。
人間関係の回復です。
微々たる行為かもしれませんが、ネットを通じて色々な人達と交友関係、信頼関係を広げていくこと。
立腹するのは簡単。糾弾するのも簡単。
しかし、それでギスギスしてはいけない。

犯人に対する思いはそれぞれの内に秘めましょう。敢えて言わなくとも、多くの人達が代弁してくれています。

私は、今こそ人間的な暖かい文章を数多く読みたい気持ちです。そういう意味で、今回のエピソードは心温まりました。

ありがとうございました。

 こんばんは。久しぶりにこちらに来て、書くのがこんな時期なのをお許しください。
 身近に殺人や暴力があった環境に七年ほどいましたが、かれらは暴力団だったり、浮浪者だったりでした。
 しかし最近の事件は「普通」だったはずの人々が突然、悪魔に変わるものが増えています。
 恐ろしく単純で、自分勝手なのに、正当化するのを忘れないフランケンシュタイン(人間ではないと思うので、こう書きます。)が大量発生している現状は恐怖です。
 精神異常者ではない、正気の人間が狂う世の中を治すのは人間性なのか、罰則を強化した法律なのか。難しいですね。
 ではまた。

コメント頂いた皆様 返事が遅れまして本当に申し訳ありませんでした。
6/11の記事『今しばらくの時間を』にて、お一人お一人にご返事差し上げようと考えておりましたが、事件発生後一週間を経て、今語れる事は、一つではないかと思い始めました。そして真摯なお考えをお寄せ下さった皆さんの思いも、きっとそこに集約されているのではと感じました。

その為、大変失礼ながら、今回のお返事はお仲間全ての方々に宛てさせて頂きます。どうぞお許し下さい。
頭の足りない私が考える、精一杯の思いです。

事件の詳細が明らかになるにつれ、白日の元に晒される犯人の身勝手な犯行動機。
知れば知るほど、犯人への怒りや被害者のご遺族、関係者への悲しみの念は募るばかりです。
それは今も変わってはいません。
しかしながらその思いを綴り、犯人を糾弾したところで、被害者が戻ってくる訳ではありません。

今、私たち一人一人が出来る事は何なのか。
事件を忘れない事。それはもちろんでしょう。
事件の奥に潜む社会状況を考えてみる事。それも重要です。
犯人の心理を自分に置き換えてみる事。犯人の心情を自分と照らし合わせる事で、自己を再認識できるのかもしれません。
決して許される事件ではありませんが、今回の出来事は、そんな私たちの身近な問題を浮き彫りにしているでしょう。

かく言う私も今回の記事通り、暴走する怒りと悲しみを無闇に書き綴り、ちょっと反省しています。
いかに自分のブログであっても、感情のはけ口として使いたくないという思いはどこかにあるのです。

ただ、今回の記事に対する皆さんからのコメントを拝読するにつれ、私のつまらない思いにもこれだけの反応があった事に、少なからず驚きを覚えたのも事実です。
これも本当に正直な感想なんですが、ここまでの反響があるとは思ってもいなかったんですよ。

今回の事件に関しては皆さんそれぞれ、ご自分やお仲間のブログで様々なご意見を交換されていたでしょうから、私の稚拙な思いなど軽くスルーされるだろうなんて。
何より、後から自分で読んでも、感情に走りすぎたと反省しているくらいでしたから。
でもこの事で、少なからず光も感じることができました。

今回の事件に対し、皆さんも怒りや悲しみをあらわにして下さった事。
お一人お一人、感情の度合いは違っても、少なからず「誰でも良かった」なんて動機は許されないと怒って下さった事。
皆さんがお持ちになったその怒り、悲しみの根源こそが、今回の記事で最も言いたかった事なんです。

「人間には、まだまだ強い倫理観のリミッターが存在する。」
いい年してこんな言い方は恥ずかしいですが、私は今回、その事を再認識し、闇の中に一筋の光明を見たような気がしました。
私を含め、皆さんの心に宿った感情の起伏。
何よりもそれこそが、人間を人間たらしめている精神と思います。

今回、記事の冒頭でお話した若い母子連れも、きっと今回の事件をご家庭で話題にされている事でしょう。
あの若いお母さんだって、靴下を拾った3歳のお姉ちゃんを見ながら「この気持ちを犯人が持っていてくれたなら」と願った筈なんです。いや、そう信じたいです。
事件に関して皆さんが感じた痛みこそが、その気持ちの何よりの証拠と信じたいです。

その感情が息づいている限り、私は人間を信じられます。
今回の犯人のように、道を踏み外す者が多いのも事実ですが、その時は涙を飲んで戦う事だって必要です。
それは辛い選択ですが、優しさゆえの制裁だってある筈。
何より私たちはその制裁者の生き様を、数々の名作ドラマで見てきた筈ですよね。

決して現実とドラマを混同しているつもりはありません。
しかしドラマ制作者たちが、許せない者と戦う存在に込めた思いは、決して嘘ではないと信じたいです。

また感情が先走ってしまいました。毎度の癖で申し訳ありません。
頂いたコメントの理解が間違っていたとしたら、それは全て私の責任です。今回のお返しコメントにご不満等おありでしたら、心よりお詫び致します。
なにとぞ、読解力不足の私をお許し下さい。

毎回、楽しいおバカ記事を心がけている「ネヴュラ」ですので、今回の事件に関する記述はここで一区切りとしたいと思います。
今回の事件が私たちに投げかけたものは、大変大きいです。
決して一つの記事、一つのコメントで語りきれない広さと深さを持っています。
ですからきっと今後も、私のつたない思いは、形を変えて記事のそこかしこに表れてくるでしょう。
その節はまた、真摯なご意見をお待ちしております。
重ね重ね、返事が遅れ、申し訳ありませんでした。

今回のやりとりを通じて、お仲間の皆さんとの絆がまた深まったような気がします。
こうして繋がりを深めていく事が、悲しい事件の抑止力に繋がれば良いのですが。

追伸:
今週の急な気温上昇により、名古屋は昨日、最高気温が30度を超えました。
その為二日ほど前より少々体調を崩し、昨日から床に伏せっております。軽い夏バテでしょうから心配は無いと思いますが。
気温も上がるこの時期、皆さんも体調にはくれぐれもお気をつけ下さい。

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 つい2週間前に、無線LANの器材を買いに息子たちを連れて行ったばかりでした。いつもと変わらなかったホコ天、人ごみ‥‥。  昨日の通り魔事件の詳細を知るほど、その恐怖が募っていきます。  電気街→電脳都市→ヲタクの聖地。コンピューターとアニメキャラが結びついて、異様な佇まいを見せる街。モニター・ディスプレイの中の二次元キャラが蔓延し、バーチャルの最先端、最も「生命」とは遠いと感じられる街での凄惨な事件。 人の命を何だと思っているんだ!  犯人は事件の準備を、刻々と携帯電話のネット掲示板に書... [続きを読む]

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