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2008年5月11日 (日)

造花のカーネーション

母の日ですね。
特に外出もしなかった私ですが、テレビなどでタレントさんが自分の母親について語る一幕を見る度に、今日がその日である事を知らされます。
いつもの習慣で見てしまう「ちびまる子ちゃん」「サザエさん」も、こんなおいしいネタを放っておくはずはなく。いずれも温かな母の日が描かれていました。
いい齢して何ですが、正直、ちょっと居心地の悪い私。

古くからの「ネヴュラ」読者の皆さんはご存知かもしれませんが、私は一昨年前の11月に母を亡くしています。記事にもしたため、皆さんから温かい励ましを頂きました。
まー病気の末の大往生でしたから、これはこれで仕方が無いと諦めています。
あれから約一年半。月日の移り変わりは早く、日々の喧騒につい昔の事を忘れがちにもなりますが、母の記憶については、年を経るごとに鮮明になってくるのが不思議ですね。私も、母の年齢に近づいたという事でしょうか。

そんな母の思い出を最も反芻せざるを得ない日が、今日なのかもしれません。
ショップのウィンドーを彩るカーネーションの赤。プレゼント用に購買意欲を煽るレディースグッズの折込チラシ。前述のテレビなどもその一つです。
祝おうにも祝う人が居ない。この時期だけは、まるで自分が世間と別の世界で生きているような寂しさを感じます。

皆さんも同じかもしれませんが、母親へのプレゼントって、本人の誕生日より「母の日」の方に重点を置きませんか?
やはり母親と言っても女性。年齢を重ねる誕生日より、母として感謝する母の日の方が、祝ってもらうのも嬉しいんじゃないか。昔からそう感じていた私は、誕生日より母の日のお祝い、プレゼントにこだわっていました。
今日は母の日にかこつけて、ちょっと思い出した「プレゼント」がらみのお話をお聞き下さい。身内の恥をさらすようで恥ずかしくもありますが。


昔から花が好きだった母は、いつも家のどこかに花を置いていました。
別に高級な花じゃなく、家の近くで摘んでくる名もない花ばかり。
それも一輪、二輪程度でしたが、小さな花を愛おしそうに花瓶に生け、鼻歌などを歌いながら洗濯物を干す母親の姿が、何故か今も脳裏に残っています。
花が好きなんだなー。母のそんな姿から、母の日のプレゼントを花と決めていた幼い日の私と妹は、少ないお小遣いをはたいて精一杯の花束を差し出した事がありました。
もちろん母は喜んでくれましたが、ちょっと悩み顔も見せていて。
「こんなにあったら、枯れた時かわいそうだねえ。」
母にとって、花はいつも新しいもの、瑞々しいものが好みだったようなのです。
今はドライフラワーなど、色々別の楽しみ方もあるんですが、当時はまだ「花は枯れたら捨てるもの」という概念が強かったんですね。

そんな母の、嬉しくも悩む顔を見た私。翌年の母の日は少し学習しました。
その日のプレゼントは両手いっぱいのカーネーション。でもちょっと仕掛けが。
「このカーネーションは全部造花。でもこの中に、一本だけ本物が混じってまーす。」
そうです。花が枯れるのを悲しむ母へ、「枯れない花」と「本物の花」を渡したいと思った私の、精一杯の折衷案でした。
まだ学生でしたから、お財布も結構痛かったですが(笑)。
幸いにもこのプレゼントは好評で。母は親戚一同にこのエピソードを触れ回り、事あるごとに叔父や叔母から顛末を尋ねられました。

その後も母の日と言えば花、というわけで、私は毎年、鉢植えやフラワーバスケットなどなど、母の喜ぶ顔見たさにせっせと花を贈りつけていました。
ところが、それもままならない状態に。
私が一人暮らしを初めて数年後から母の持病が悪化、入退院を繰り返すようになったのです。もともと、あまり体の強くない母でしたが、入院により家を空けることが多くなると、母の日と言えど花を贈ることは難しくなってしまったのです。
当然ながら、入院中の患者に鉢植えは禁物。仕方なく母は、昔、私が贈った造花などで寂しさを紛らわしていたようです。
私もお仕事などで忙しく、家や病院にもなかなか顔を出せない日々が続きました。

そんな頃からでしょうか。自然と私は、花以外の物を母の日のプレゼントに選ぶようになっていました。まー母の好みは分かりませんが、何となく見立てたハンドバッグや傘、スカーフや小物などなど。
家で、病院で、その年ごとに渡す場所も違いましたが、母はやはり喜んでくれました。
「あーこれはいいわ。ちょうど古くなってたんだよ。これくらいのバッグ。」
見え見えの喜び方に「ちょっと外したかな」なんて反省も覚えましたが、まだまだこんなバッグを持って、元気に街へ出て欲しいなんて思いも込めてのプレゼントでした。
妹はと言えば、これはもう実用主義一本やりで。
毎年「低反発まくら」とか「座イス」などなど、見事に色気のないものばかりでしたが。
まーこの辺は、性格の違いですね(笑)。

ただそんな中、一度だけ母がつぶやいた言葉が、妙に心に残っていまして。
「この造花。枯れなくていいねー。」
母は、昔私が贈った例の「造花カーネーション」をまだ後生大事にしていたようなのです。確かに本数も多かったですから、一本ずつバラバラにして部屋のあちこちに飾っていたのはよく覚えていますが。
それほどまでに、母は「花」の美しさに魅入られていたのでしょうね。

その後も母の病状は、さほど良くなる事はありませんでした。
ただそれでもまだ、母はそれなりに外出もし、家事もなんとかこなせていたのです。
実家を離れて数年。
見る度に老いが目立つ父母の顔に、私も時の流れを感じてはいました。
「あのプレゼントのバッグ、使ってる?」
時々、意地悪に問いかける私に、母はいつも「使ってるよ」と笑うのみ。
「まだまだ元気なんだから。若い格好で頑張ってよ。」
何となく母の健康を繋ぎとめておけるような気がして、そんな会話ばかりしていたような記憶があります。
その裏にはやはり、いつ倒れるかもしれない母への心配があったのでしょう。

父が最期を迎え、失意と病状の悪化が重なって、再度母が病床に伏すまでさほど年数はかかりませんでした。
今にして思えは、親不孝な子供だったと思います。
父亡き後の母を一人にしておけず、かといってお仕事を抱える一人暮らしの身では24時間の介護もままならない。
あちこち駆け回り、老人保健施設に母を入所させた時も、やはりどこかに罪悪感がありました。
どんなに苦労しても、職替えしてても母と一緒に居るべきではなかったかと、自分を追い詰めた事もありました。

一昨年前、11月。眠るように母は逝きました。
葬儀や手続きに追われ、ゆっくり母の思い出を紡ぐ暇もありませんでしたが、そんな喧騒も収まった翌年一月。私は母が暮らしていた実家を引き払う事にしました。
子供の頃を過ごした実家が無くなるのは辛くもありましたが、それも時の流れと割り切ったのです。
ほとんどの家具は処分してしまう為、妹一家や親戚一同を呼び、形見分けとして母の思い出の品を持っていってもらった後、私も残った家財道具の始末にかかりました。
懐かしい品を前に記憶と遊ぶ一時が過ぎた頃、押入れの隅に見慣れないものが。
それは一つの大きなダンボール箱。
見慣れない箱に首をかしげながらおもむろにふたを開けた私は、そこに意外なものを見つけたのです。


そこにあったのは、昔から何年にも渡って私が贈り続けてきた、母の日のプレゼント。
渡した形のままのバッグや傘などが、丁寧に詰められていたのでした。
全部ではありませんでしたが、ほとんどが未使用のままだったのです。


実は私、それを見た瞬間、ちょっと母に申し訳ない気持ちになりました。
やっぱり気に入らなかったんだろうか。
それで、こんな風に仕舞いこんでいたんだろう。なんて。
使ってくれないプレゼントを毎年贈っていたなんて。私は母の事を何にも分かっていなかったんだなーと、またしても自分を責め立てていたんです。
で、他の家具と一緒に処分してしまいました。
その品々を見る事が、私には辛かったんです。


母が亡くなってから、母の日にはいつもその事を思い出します。
あれはどういう意味だったんだろうと。
確かにあれを見た瞬間は、せっかくのプレゼントを使ってくれない母に詫びたい気持ちもありました。
少し腹が立ったのも事実です。
要らない物なら、翌年には違う物を打診してくれればいいのにと。


でも最近になって、ちょっと考えが変わりました。
あれはひょっとすると、昔私が贈った「造花のカーネーション」だったんじゃないかと。
花はいつか枯れてしまう。バッグや小物も使えばいつか捨てる時が来る。
母は私のプレゼントを大事に思ってくれ、使わない事で、あの造花のように永遠のものにしたかったんじゃないか、なんて。
都合のいいひとりよがり。恥ずかしい甘えに過ぎない事は分かっているんですが。
今日みたいな母の日には、思い出も美化したいじゃないですか(笑)。

母はもう居ません。真偽のほどは確かめようもないですが、そんな風に思う事で自分を納得させています。
まー実際のところ、好みには合わない、かと言って捨てるわけにもいかず、なんて事情でしょう。
でも私はこの事に、優しく花が好きだった母への思いを投影したいのです。
そんな風に思えるほど、母とも程よい距離になったんでしょうね。
こんな心持ちになるまでに、一年半の時間が必要でした。
おバカですね。自分でもそう思います。


母の日の今日は、読者の皆さんのお宅でもお母さんを囲んで、楽しい一日を過ごされたと思います。
プレゼントもたくさん渡されたのでは?
渡す人、受け取る人、感謝の心が交錯するこの一時を大事にして下さい。
私のような親不孝者にならない為にも。
きっと私は今日のお話の疑問を、一生持ち続ける事でしょう。
でも、それが母を思い出すきっかけとなるなら、それもいいかなと思っています。
ひょっとするとそれが、母の一番の望みかもしれないからです。

とりとめのないお話で、申し訳ありませんでした。
でもさすが私の母。いたずら心も並外れてますね。
私も母に負けないようにと、思いを新たにした次第です(笑)。

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コメント

 あちゃーっ! 今日(正確には昨日)は「母の日」だったかぁー‥‥。生憎と今日は仕事をしていたので、TVは全く見ず、全然知りませんでした‥‥(^^ゞ

 オタクイーンさんは、大好きなプラモたち、どうしてます? お金に余裕があれば、フィギュアやメカなんかは保存用と遊び用が欲しかったりしませんか?

 それから、お母さんは「あのバッグ、使ってる?」と訊かれて、困った顔をせずにお笑いになっていたんですよネ?

 私は、お母さんは「保存用」として、贈り物を大事に仕舞われていたんだと思います。

 ステキなお話をありがとうございます。

自由人大佐様 お休みの日もお仕事のようでお疲れ様です。
まー私も同じようなものですがhappy01

私のような者にとって、街やマスコミで取り上げられる母の日の話題は、辛いものがありますね。
私も数年前まで、この時期は花屋さんの取材が多かったため、今となっては余計なカーネーションの知識も平穏な一日を過ごさせてくれませんcoldsweats01

そうですね。おっしゃる通り、私は好きなおもちゃは保存用と遊び用の二つ購入します。
ひょっとするとその性癖は、母親からの遺伝だったのかもしれません。
まさかそんな事はないでしょうがcoldsweats01

でも、そう思ったほうがいいですよね。やっぱり親子ですから。
きっとあれは母親の「オタク心」のなせる技でしょう。
温かいコメントを頂けて、ちょっと寂しさが紛れました。
ありがとうございました。
大佐さんもお母様を、そして奥様を大事になさって下さいねhappy01

MIYUKIさま、こんにちは。

母の日って、私にとっても特別な日かもしれません。
毎年、いろいろな事考えてしまいます。

ダンボールの箱に大切に保存されていたプレゼント、
お母様はきっと大切にされていたと思いました。
時々箱を開けて、手に取って
幸せな時間を過ごされていたのではないでしょうか。
お母様の宝箱です、きっと。

私も大切なひとからもらったアクセサリーとか、
思い入れが強いと、つい大切にしまっちゃうんです。
外出のとき、無くしたり傷つけたりしたらいけない
なんて考えてしまって・・・。
それじゃ意味ないねって、よく笑われました。

お母様の思い出、どうか大切にしてくださいね。
今日は勝手な事ばかりを書いて、ごめんなさい。
ひかり


hikari様 温かい思い出をお話下さってありがとうございました。

プレゼントって、贈る方も受け取る方も、その行為そのものが強く記憶に残りますね。
どんな品物かという事よりも、むしろそれを選ぶ過程の方が大事なような気もします。
だからこそ受け取る側は、その品物を大事に思えるんでしょうね。品物の価値以上に、相手の心こそが大きなプレゼントとなるものなんです。
きっとhikariさんも、相手の気持ちを思いやる事で、貰ったプレゼントを使えないお気持ちになるのでしょうね。

私の母も、そんな思いがあったのでしょうか。
今となってはそれはわかりませんが、私もhikariさんのおっしゃるように、私の事を思ってくれた母の気持ちを察しようと努めます。

まー私の母ですから。コレクター気質もあったのかもしれませんがhappy01
ただもしそうだとしたら、母はコレクター失格ですね。
貧乏な私は、決して高価なプレゼントなど出来ませんでしたから。
母への思いだけは、誰にも負けませんでしたがhappy01

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