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2008年2月20日 (水)

加えられる疑問符

いきなりですが。今回から、絵文字が使えるようになりまして。
さっそく使ってみました。(種類はそれほどありませんが)


絵文字はコメント欄でも使えるそうですので、
コメントされる皆さん、楽しんでみて下さい

さてさて。前回の「アイアンクイズ」の答えですが。
さすが皆さん、鋭いですね。
正解はご覧の通りです。
 
Photo_4私も最初見た時は悩みました。
結局正解できたんですが、こういうユルーいクイズがたくさんあった当時のガムは、今見ると楽しいですね。

正解者の皆さん、おめでとうございました
賞品がなくてごめんなさい







さて、お待たせしました(例によって待ってないって?)
今日は前々回の続き、ナレーションのお話です。
ただ今回はこれまでと違い「ナレーションが番組内容と対立して見える例」についてお話します。
まーこれもいつもの私見ですので、ひと笑いのタネにでもなればと(笑)。

これまでの「ナレーションおバカ私見シリーズ」では、「ネヴュラ」得意のウルトラシリーズ、それも「Q」「マン」など最初期のシリーズを採り上げてきました。
この二作が来れば、当然次はこれですよね。

Photo_7「ウルトラセブン」(1967年~1968年)。
今さら語る必要もないほど有名な、国産特撮ヒーロー番組です。
識者の間ではこの番組に関する評論や私見が数限りなく語られていますね。
「ネヴュラ」のお仲間さんも、皆さん活発な意見を発表されています。

セブンに関してはビギナーを自認する私などが、それら凄腕の識者のご意見に加えることなど何もありません。
最近も久しぶりに再見、そのクォリティーの高さに改めて感服した次第でした。

「私に語れる事なんて何にもないなー」とも思っちゃったりして。
ですから今回は、かなり食い足りない私見になっちゃうと思いますので、その点はご勘弁下さい(汗)。

以前「虹の卵 セブン風味」の時にもお話しましたが、私は「セブン」に関しては初期の話数をリスペクトしています。正統派の侵略ストーリーは「マン」には無かった硬派のテイスト、異星の知的生命体との攻防戦が生み出す緊張感は、それまでのファンタジックな世界観と一線を画すものでした。
異論も多々ありましょうが、個人的に「セブン」は14話・15話の「ウルトラ警備隊西へ」前・後篇あたりまでが許容範囲ギリギリ、それ以降のエピソードは一部を除いて「名作だけど、これは私の好きなウルトラじゃない」んですね。

これは好みの問題です。いつも申し上げますが「良い悪いと好き嫌いは別」という事ですね。ですから作品の出来については決して否定しません。
60年代後半にこれほどまでのクォリティーを持ったSFドラマは、世界的に見ても極めて稀な例ですから。

さて。ここで今回の切り口、「ナレーション」についてお話しましょう。
識者の方々のみならず今や一般の方々にも有名な事ですが、「ウルトラセブン」のシナリオには、いつも一篇の巻頭詩が書かれていました。



地球は狙われている!
今・・・・。
宇宙にただよう幾千の星から
恐るべき、侵略の魔の手が
伸びようとしているのだ。



Photo_8これは番組製作当時、スタッフ側がセブンに関して貫こうとしたテイスト、ドラマの背景となるイメージを形にしたものと言えます。
この巻頭詩はラストの一行が削除され、第1話「姿なき挑戦者」の冒頭でナレーションとして使われていますから、皆さんにも聞き覚えがおありでしょう。
第1話の脚本は「マン」のメインライター・金城哲夫ですが、不勉強ながらこの詩がどなたの手によるものかは存じ上げません。ただいずれにせよこの詩が、スタッフが目指したセブンの世界観だった訳です。


しかしながら、後年の作品研究で名作とされたエピソードを思い出すと、セブン全篇中、この詩の内容をストレートに表現したエピソードが思ったほど多くない事に気がつきます。これは私だけの感覚でしょうか?

「そりゃそーだよ。オタクイーンの言ってる事は矛盾してない?
「マン」の時だって第1話のナレーション『それゆけ!われらのヒーロー!』が、シリーズ進行につれて内容にそぐわなくなっていった事に気づいているくせに。
ましてやセブンは、従来の金城風エンターテイメントと、市川森一らによる問題提起作のせめぎ合いが露となって結実した名作なんだから。
今やそんな事はファンの間では常識でしょ?」


Photo_13・・・という皆さんのありがたーいお声が石つぶてのように。
その通りですね。第1話で作られた設定やストーリーラインが最終話まで貫かれたテレビシリーズは非常に少ない。
原作物や確固たる連続ストーリーが作られている番組を除き、セブンのような一話完結のシリーズは、視聴者の反応などを見ながら舵取りをしていくものだからです。
ましてや当時の円谷プロは名クリエイター揃いの梁山泊でしたから、一筋縄ではいかない作品群が目白押しなのも当たり前で。
すす、すいませんでした。私のようなヒヨっ子がセブンを語るなど100年早かったんです。


でも私などはこの巻頭詩、いやあえて第1話ナレーションと言いますが、セブン全篇はこのナレーションへの挑戦だったような気がするんですよ。
「自作のナレーションに、クリエイター達が『?』をつきつける作品群」と言うか。


Photo_9「セブン」全篇を鳥瞰してみて思うのは、このナレーションには早くも第8話「狙われた街」で『?』が突きつけられたような気がすることで。
8話ですよ。まだ1クール行っていない段階でこの問題作。
「人間同士が信頼感を持つ事は、遠い未来のお話」という結末の苦さは、さすがに子供の頃の私は分かりませんでしたが、今になってみるとそこには、第1話ナレーションに投げかける疑問符・鋭い『?』があったような気がします。
つまりナレーションの最後に、疑問符を含む一行が追加されたような感触があるんですね。


恐るべき、侵略の魔の手が・・・
しかし今の人類は、団結して侵略に立ち向かえるほど、お互いを信用しているのだろうか?


みたいな(笑)。
不思議なもので、なぜかセブンのエピソードは「マン」で語られた『人間同士の信頼感』や『未来への明るい希望』を全部ひっくり返しちゃうようなエピソードが非常に多いですね。
私が好きな正統派の侵略ストーリー、「緑の恐怖」「湖のひみつ」「消された時間」などのエピソードの方がむしろ浮いて見えてしまうという(笑)。
確かに「Q」「マン」にウルトラシリーズの真骨頂を見る私ですから、前述の正統派ストーリーが好きな理由も分かります。私がセブンに敷居の高さを感じるのは、きっと前述の第8話のような先鋭作が続出するせいでしょう。


他にも『?』が付く作品は、数多くありますね。

第42話「ノンマルトの使者」では
『先住民族を排除する人類の方が、侵略者ではないのか?』と。
第43話「第四惑星の悪夢」では
『人間疎外が進む地球は、いずれ自滅の道を辿るのではないか?』と。
第44話「円盤が来た」では『盗まれた街』のラストを少し具体化して、
『地球人同士は、他人をどこまで信用できるのか?』と。


分かりやすい例として後期の有名作を多く挙げましたが、他にも第1話ナレーションに「挑戦」するかのような主張は全作を通じて少なからずあります。
これはシリーズの流れでそうなっていったとは思いにくい。
確信犯的に挑戦しているような印象を受けるのです。
なにしろ最初の「挑戦」が第8話ですから(笑)。


「あれ?「アレ」が無いじゃない。まだまだだなオタクイーンも」とおっしゃる貴方。私だって、ダテにオタクを名乗ってるわけじゃありません。
セブン後期のエピソードで私が唯一気に入っているのが「アレ」なのです。
『超兵器R1号』。


Photo_10これはさすがに、私も瞠目した一作でした。
(好みの問題ですので異論もおありでしょうが、そこはなにとぞご勘弁を)
このエピソード、よく言われる「核兵器開発競争の寓話化」である事は間違いありませんね。「血を吐きながら続ける悲しいマラソン」という名ゼリフも、作品の文学性を高めている理由の一つです。

救いようの無い人類の好戦本能、支配欲に対する問題意識。

『力による地位の均衡化で、真の平和を維持できるのか?』
視聴者に強烈な疑問符を投げかけるこの主張は、ラストシーン、地球人と宇宙人の間に立ち尽くすダンの暗澹たる表情に凝縮されていますね。


その被害者、人類の負の発明の象徴として登場するギエロン星獣は、言わば「宇宙版ゴジラ」の役どころじゃないかと思います。
核実験がR1号に変わっただけで、ストーリーの構造は同じですもんね。

頭の無い私なんぞは、クライマックス、ギエロンに挑むセブンの姿が悪役に見えてしまって仕方がない。
星獣の翼をもぎ取って振り回すセブン。
アイスラッガーで星獣の首を欠き切るセブン。
バックに流れる勇壮な主題歌のBGMが、逆にセブンの残虐性を強調するように見せる秀逸な音楽演出。

画面いっぱいに舞う美しい羽が「望まない復讐」の末に流れるギエロンの「白い涙」に見えてしまって仕方がありません。


頭の無い私は、ここに「宇宙から来たスーパーヒーローの限界」を見てしまったのかもしれません。知略・戦略で戦える宇宙人相手ならある意味「フェア」な印象を持つセブンの存在も、住む故郷を兵器で破壊され、身体も変化し宇宙の放浪者となった生物には「殺戮者」となる以外なす術がなかったと。
兵器開発を自ら「血を吐きながら続けるマラソン」と揶揄し、その動きを阻止できなかったセブン=ダンは、血走ったギエロン星獣の目に何を見たのでしょうか。


Photo_11冒頭のお話に戻りましょう。
第1話冒頭で語られたナレーション、「地球は狙われている」に始まる一文は、そのままスタッフへの疑問符に映ったのかもしれませんね。
「宇宙に漂う幾千の星から 恐るべき侵略の魔の手が・・・」
この一文も、皮肉と言うかなんと言うか。

「超兵器R1号」では、侵略しているのは地球人なんですよね。
それがたとえ故意じゃなかったとしても、そこには「被害者」が居る訳です。
脱稿時、脚本の若槻文三は、この第1話ナレーションを意識していたのでしょうか。セブンビギナーの私には窺い知れませんが、本編を見る限り、それは冒頭のダンとフルハシの会話に現れているような気がします。


「忘れるなダン。地球は狙われているんだ。今の我々の力では守りきれないような、強大な侵略者がきっと現れる。その時の為に。」
「超兵器が必要なんですね。」
「決まってるじゃないか。」
「侵略者は超兵器に対抗して、もっと強烈な破壊兵器を作りますよ。」
「我々はそれよりも、強力な兵器をまた作ればいいじゃないか。」

「それは、血を吐きながら続ける、悲しいマラソンですよ。」

Photo_12赤色のセリフがフルハシ、青色のセリフがダンです。
このセリフを見る限り、ナレーション側のフルハシに疑問符を投げかけるダンという図式が読み取れます。

「地球は狙われている」というシリーズ当初のコンセプトに対し、既に2クール目のラストでこれ程までに強い疑問符を投げかけるシリーズは、私の知る限り非常に少ないです。
前作「マン」の世界観を発展させながら、新たな切り口を次々と見せていったセブンですが、その先鋭性は自らが作り出したシリーズコンセプトに反逆すること、逆の立場を取ることで確立していったんですね。
それはある種、従来のヒーロードラマの枠を打ち破ろうとした、若きクリエイターたちの熱い思いだったのかもしれません。



そんなこんなで、いつもながらのおバカな私見をお聞き頂きました。
まー今まで、色々な所で語られてきた事の焼き直しかもしれませんが、これは決して受け売りではなく私見です。舌足らずでごめんなさいね。
何しろセブンについては無知の私、思い違いなどありましたらお詫びします。
でもやっぱり私には、ヒーローのあり方や人類の未来に疑問符を投げかけるセブンの作劇は見ていて辛いです。
名作ゆえ、訴える力の強さゆえ、その事を余計感じるのでしょう。


やっぱり「マン」のような突き抜けた明るさ、未来への希望が好きですね。
カネゴンやブースカと遊ぶのが大好きな私の、ささやかな好みです

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