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2008年2月15日 (金)

ウルトラ心の兄弟

前々回の記事で、「ウルトラQ」のナレーションについてお話しましたね。
1966年の放映時、その非常に洗練されたドラマの香りは他の番組と一線を画すものでしたが、それは「ウルトラゾーン」など海外SFテレビドラマの影響下にあるというもので。
まーこんな事は、ほぼ30年近く前に識者によって語られ尽くされていますよね。
その影響はあの、印象的なオープニングナレーションにも現れている、なんて今さらな私見でした。

「今夜はどう口説いてくれるの?」
http://spectre-nebura.cocolog-nifty.com/cultnight/2008/02/post_a1fa.html

お話の中でも言いましたが、実は前々回の記事はまだ導入部、本当は今日のお話に繋げたかったのです。今日のお話の為には、「Q」のお話はどうしても避けられなかったんですね。
そんな訳で、今日はいよいよ本題。「Q」と来れば「マン」です(笑)。


Photo「ウルトラQ」の後番組として製作され、現在も脈々とシリーズが作り続けられている「ウルトラマン」。
「ネヴュラ」でも事あるごとに、この稀代のヒーローについてはお話して来ました。

ずっと拙ブログをご覧になられている方は、最近の記事で「マン」「セブン」「新マン」のオリジナルストーリーを妄想し、それぞれのテイストや目指したテーマなどを探っている事などをご存知でしょう。
頭の無い私ですから、毎度の私見も独りよがりで舌足らずのものばかりですが、今回、久しぶりに各シリーズをまとめて鑑賞する機会を持ったことで、私の中ではわずかながら作品の感触を掴む事が出来ました。

そんな感触の中で、とりわけ各シリーズの特徴を表現しているように思えたのが、件の「ナレーション」だったのです。
前々回は、かの「あなたの目はあなたの身体を離れて、この不思議な時間の中に入っていくのです」という名ナレーションについてお話しましたが、その「シリーズのカラーを決定付ける特徴」は初代「ウルトラマン」(1966年)のナレーションにも表れていました。


「ウルトラマン」の特徴、番組カラーを印象付けるナレーションとは?
ちょっと考えてみて下さい。


Photo_9「えーっ?オタクイーン、だってウルトラマンのナレーションって「Q」みたいに毎回決まってないじゃん。ある程度決まってるナレーションなら『太陽エネルギーが』『カラータイマーが』ってアレでしょ。別にアレが、ウルトラマンの番組カラーとは思えないし。
まさかカラータイマーだから番組カラーなんて言うんじゃ?」


いやいや。いくら私がおバカでもそこまでは(笑)。
おっしゃる通り。別にウルトラマンのタイムリミットが「時間に追われる現代人の焦燥感を表現」とか、別にそういうテーマを訴えている訳でもないですしねー。
それに確かに「マン」には「Q」のように、毎回繰り返されるテーマ的ナレーションもありません。
もうおわかりと思いますが、「マン」のカラーを決定付けたナレーションとは、第1話「ウルトラ作戦第1号」クライマックスの「アレ」なのです。

竜ヶ森湖畔。
宇宙怪獣ベムラーを倒す為、ハヤタ隊員は初めてウルトラマンに変身。
怪獣と対峙する銀色の巨人を応援するかのような、石坂浩二の名調子。


「M78星雲の宇宙人からその命を託されたハヤタ隊員は、
ベーターカプセルで宇宙人に変身した。
マッハ5のスピードで空を飛び、強力なエネルギーであらゆる敵を粉砕する
不死身の男となったのだ。
それゆけ!我らのヒーロー!」


Photo_3この一文が、「ウルトラマン」という番組を貫くカラーを簡潔に、しかも見事に表現しているような気がするのです。
これまでにも何度かお話してきましたが、「ウルトラマン」という番組の構造はあくまで科特隊がホスト役。怪獣はゲストでありウルトラマンは幕引き役に過ぎません。
しかしながら、やはりこの番組はウルトラマンが怪獣と戦うクライマックスがなければ成立しない。
何しろタイトルなんですから(笑)。
この「ウルトラマン」という作品の特徴を一言で言い表すなら。
その要求に応えるのが前述の一文なのかもしれませんね。


ちょっと私、考えてみました。毎回流れる「ウルトラマン」のオープニングテーマ曲、あのサブタイトルが出るイントロ部分に、もし前述のようなナレーションが流れたら。
そのままでは長いですから、ちょっと簡潔にまとめてみて。


「ハヤタ隊員は変身する。
マッハ5で空を飛び、あらゆる敵を粉砕する不死身の男に。
それゆけ!我らのヒーロー!」
♪むね~に つけ~てる マークはりゅうせ~・・・


カカ・カッコイイー!(おバカでしょ(笑)。
今で言う、DJの曲紹介みたいなものですが、これが浦野光さんあたりの声だったら、物凄くハマるような気がするんですよ。
皆さんも一度、ご自分でやってみて下さい。絶対シビれますから。
ただご家族に呆れられても、責任は持てませんが(爆笑)。


どうしてこの一言がハマるのか。これはやはり、この文が「ウルトラマン」という番組を端的に表現しているからではないでしょうか。
で、ここが重要なんですが、この一文、縮める時に絶対に要約できない部分があるんですよ。お気づきと思いますが。

最後の一言「それゆけ!我らのヒーロー!」
この部分だけはどうしても短く出来ない。何故かお分かりでしょうか?


Photo_3広告業界には「キモ」という言葉があります。
主に広告のキャッチフレーズなどに使われるコピーライター用語で「この一言が対象物を一番ストレートに表現しているから、一文字もいじれない」という意味で使われることが多いです。
この場合、「それゆけ!我らのヒーロー!」という一文は、ウルトラマンのイメージ表現に於いて最大の「キモ」なんですね。
「!」も文字の一つなんですよ。語気の強さ、勢いを表す意味で。
「それゆけ」に込められた一点の曇りもない勢い。
宇宙の秩序を守る「ヒーロー」という表現の潔さ。
これがウルトラマンの世界を最大限に表しているのでは。


ちょっと考えてみました。この「それゆけ!我らのヒーロー!」という一文が他のウルトラヒーローに当てはまるかどうか。
セブン、新マン、エース、タロウ、レオ、ジョーニアス、80・・・
どれもちょっと違うような。確かに全員、ウルトラ「ヒーロー」ではあるんですが、ここまで突き抜けた勢いはちょっと無い。微妙に違うんですね。
唯一「ティガ」が当てはまるかと思ったんですが、ティガは「我らのヒーロー」と言うより「我らと一緒に戦うヒーロー」ですもんね。
まーこれも主観なので、異論もおありと思います。
初代が物差しの私が外せない「色ウルトラアイ」ゆえかもしれません(笑)。



なぜ初代ウルトラマンだけが、ここまで突き抜けたヒーロー性を保てたのか。
「それゆけ!我らのヒーロー!」という言葉が似合うのか。
これにはもちろん、様々な要因が重なったゆえの「奇跡」とも言うべき結果なんですが、今回「ナレーション」という切り口で考えてみますと、やはりその原点はアメリカにあったような気がします。


「海外じゃスーパーマンが流行ってるそうだから、ヒーローを入れてみたら?」
特撮の父・円谷英二が、「ウルトラマン」企画時に放った一言としてあまりにも有名なこの言葉。この一言が無かったら、「ウルトラQ」の後番組は「科学特捜隊」になっていたかもしれないほど、歴史的なセリフです。
そして日本のスーパーヒーローの歴史を塗り替えたこの一言に、ウルトラマンのイメージの根源も言い表されているのでは。


Photoスーパーマン(1956年~アメリカ)。
もはや説明の必要さえはばかられる、アメリカンヒーローの代表選手ですね。数年前、劇場版もリメイクされました。リメイク作は未見ですが、時代性を反映してちょっとオフビートに仕上がったような感想が多いようです。
私はこのテレビ版オリジナル・スーパーマンが大好きでした。ジョージ・リーブス扮するクリプトン星のスーパーヒーローに、文字通り心を奪われたものです。
(ちなみに私は再放送で鑑賞。56年には影も形もありませんでした(笑)。


後年、1978年から始まったクリストファー・リーブ主演・劇場版も見ましたが、あれはビジュアル面をスケールアップした豪華版というイメージで、スーパーマン本人はやや人間味が強調されていました。
これも面白い現象ですね。テレビ版のジョージ・リーブスはまさに無敵、一点の曇りもない正義の遂行者なんですよ。つまりテレビのリーブス版は初代マン、劇場のリーブ版はセブンあたりの空気なんですよね。
最新のリメイクは未見の為、私は語る術を持ちませんが。

まったく負け知らず。悪と戦う表情に余裕さえ見せるリーブス版に流れる空気は、まさに「それゆけ!我らのヒーロー!」のそれでした。
事件中心に進むドラマ展開も初代マンに酷似していますし。

そういう意味で「ウルトラマン」は、「未知の世界」などに見られるアメリカSFドラマのテイストと、テレビ版スーパーマンのカタルシスが幸福に融合した作品だったのかもしれません。
この考えに行き着いたとき、ちょっと気になったことがありました。
「スーパーマンにも日本で作られた名ナレーションがあったよねー。」


気にしだすと調べなければ収まらない私。最近はネットで簡単に検索できます。
ほどなく見つかりました。やっぱり調べてる人っていらっしゃるんですねー。
懐かしい、スーパーマンのナレーション。
ここにちょっとご紹介しましょう。


スーパーマン。
弾よりも速く。力は機関車よりも強く。高いビルディングもひとっ飛び。
「なんだあれは」「鳥だ」「飛行機だ」「ロケットよ」「あっ!スーパーマン!」
そうです。スーパーマンです。遠い星から地球へやってきた奇跡の男。
人間の能力をはるかに超えたスーパーマン。
川の流れを変え鋼鉄をひねるくらいは朝飯前。
彼はクラーク・ケントと名乗って正体を隠し、メトロポリスの新聞社デイリー・プラネットの記者となって、正義と真実を守る為、日夜戦い続けているのです。



若い読者の方はご存知ないでしょうが、「力は機関車よりも・・・」「鳥だ」「飛行機だ」あたりのくだりは、後年さまざまなパロディーに使われました。
この突き抜けた勢い、強さ、潔癖さ。
これがウルトラマンに移植されたスーパーヒーローの空気なんでしょうね。
このナレーションなら、最後に
「それゆけ!我らのヒーロー!」の一言が加わってもまったく違和感がありません。それほどまでに「ウルトラマン」と「スーパーマン」の空気は近いものがあるのです。
等身大と巨大ヒーロー、地球人型と宇宙人型など、さまざまな違いがあるこの二大ヒーローですが、円谷英二の助言に繋がれたこの二人は、国を跨いだ偉大な兄弟だったのかもしれませんね。



Photo_8後付けで出来たウルトラ兄弟の設定では、初代マンの兄はゾフィーという設定でしたよね。
まーあれは義兄弟的な設定だそうですが。
皆さんのご推測どおり、あの設定にどうしても納得できない私。

そんな私は思います。
初代マンの兄は、きっとゾフィーじゃなくてスーパーマンなんですよ。
こっちは義兄弟じゃなくて。円谷「おやじ」が結んだ心の兄弟。
ウルトラマンはその設定だけじゃなく、作中の空気もスーパーマンから学んだと。そう考えたほうが、夢があるじゃありませんか(笑)。



さてさて。今日もまた思った事の一部しかお話できませんでした。
次回はまた、この続きをお話しようと思います。例によって妄想も広がりまくりですが。でもここまで来れば、次のお話も予想できますよね。
先読みしてコメント頂いてもOK。TBも大歓迎です(笑)。

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コメント

「われらのヒーロー」、頷けました。そうすると、コミカライズに最適な漫画家は、一峰大二さんでしょうか?
 
ところで、
>「スーパーマンにも日本で作られた名ナレーションがあったよねー。」
と言うのは事実でしょうか?
21世紀に作られた「ヤング・スーパーマン(原題「スモールビル」)」では、例のナレーションを意識したシーンがあるのですが(シーズン4の第1話とか)。
 
それから、トラッククバックありがとうございました。遅ればせながら、お礼申し上げます。

 私は石坂浩二さんの、あのテンションの「それゆけ、我らのヒーロー!」の取ってつけたような感じに違和感を持っているんですヨ。初めて意見が対立したようで(^^ゞ
何とかヒーローらしさを演出し、視聴者を鼓舞しようとしているのが感じられて、逆に醒めてしまうのです‥‥。

 ハヤタに熱血さも無ければ、どこか一歩引いた感じもあって、また、ウルトラマン自身もセリフを喋るわけでもなく、『ウルトラマン』というのは事件を「客観的」に見せるつくりになっているなぁ、と漠然と考えていました。ハヤタにもウルトラマンにも感情移入しにくい‥‥。だから、視聴者を鼓舞するセリフが宙に浮いているように感じてしまうのでしょうか。
 逆に言えば、客観的にクールな視点で事件を追うつくりが「スタイリッシュ」でもあるので、私はその点が好きです。感情に流されてしまわず、しっかりと起承転結が描かれていると思います。

 まぁ、こういう見方をしている者もいるという意見です。

 次のナレーションは「~である」調がリズミカルな、中江真司氏の登場でしょうか?(^o^)/
 先読みのコメントとしては、OP主題歌でのナレーションは毎回世界観を再確認させてくれ、けっして「正義」とは言わないというこだわりがあることに納得です。(全然違ってたりして‥‥(^^ゞ)

 それとも、次は山口幸生さんによる「琵琶湖の南の怪しい宗教」?

ゲッターピジョン様 そうですねー。一峰大二のスーパーマンなんて、すごく見てみたいですね。クラーク・ケントは間違いなく、蒲生譲二と同じ顔でしょう(笑)。

スーパーマンの「日本で作られた名ナレーション」とは、正確には「英語版を和訳したナレーション」という意味です。誤解されたら申し訳ありません。

でも記事中に記載したナレーションは当時のもので、私も毎回オンエアで聴いていました。
あのナレーションがなければ番組が始まらないくらい、重要なナレでしたね。
私は「ヤング・スーパーマン」は未見ですが、件のナレーションを意識したものが流れたとすれば、それは間違いなく、昔のナレを踏まえたものでしょう。
それほどまでに、「鳥だ」「飛行機だ」は衝撃的なキャッチフレーズだったんですね(笑)。

TBの件、ぶしつけで申し訳ありませんでした。
また折りに触れ、下らない記事をお送りするかと思いますが、どうぞご立腹なさらぬよう(笑)。

自由人大佐様 なるほど。そういうご意見も頷けますね。
こういう反論的なコメントを、構えてお送り頂ける大佐さんの姿勢に、心から感服いたします。ありがとうございます。さまざまな意見、思いを交わせるからこそ、こういう私見は生きるわけですから(笑)。

さて。今回の記事を書くまでに私が辿った考えは、次のようなものでした。
実は、私も最初は、大佐さんのような意見だったんです(笑)。

ところが何度も「マン」第1話を見ているうちに、ある考えが頭をよぎりまして。
「あれ?考えてみたら、ウルトラマンってこの「ウルトラ作戦第一号」で、初めて世に出たんだよねー。」というもので。

確かに一週間前に、件の「前夜祭」が放送されていたとしても、ストーリーとしてのお披露目は第1話が初。という事は、マンはベムラーと戦うまで「ヒーロー」という紹介がされていない訳なんですよ。これは見落としがちな事なんですが。
後年のシリーズを先に鑑賞し、「ウルトラマンという存在」を既に知っていて第1話を見た人は、件の「それゆけ!」にちょっと違和感を感じるんですね。かく言う私も同じでした。

ところが予備知識なしに、生まれて初めて「マン」を見たリアルタイム視聴者にとって、ハヤタがベーターカプセルを掲げる瞬間までは、冒頭に登場した宇宙人がヒーローで、怪獣と同じサイズに巨大化、四つに組み合うなんて、考えてもいないわけです。初登場時、マンはハヤタに対し、『君と一心同体になる』『地球の平和の為に働きたい』などとしか言っていませんよね。
ベーターカプセルについても『困った時にこれを使うのだ』という一言のみ。
あまつさえ使用法を尋ねるハヤタに対し、なんとマンは「フフフと笑う」んですから。
「怪獣や宇宙人と戦う」なんて一言も言っていないんですね。
今なら笑い話ですが、この時点ではマンはまだ「怪しい宇宙人」なんですよ(笑)。

そう考えていくと、あの「それゆけ!我らのヒーロー!」というナレーションが、製作側の精一杯の「説明」だった事が分かります。予備知識ゼロの視聴者にとってあのナレーションは、「ウルトラマンがヒーローという事が初めて分かった瞬間」だったような気がするのです。
と当時にあのナレーションが、第1話段階で製作側がウルトラマンに込めたイメージ、製作側の主張だった訳です。
第1話の劇中、ウルトラマンがヒーローである事を説明するタイミング、そしてナレーション原稿を自分が考えるとしたら?
製作側の立場に立ってみると、あの処理はベストに近いような気がするのです。
他に入れるタイミングはなく、内容もあれしかない。
あくまで第1話・製作9本目時点での処理ですが。

テレビシリーズというものは回を追うに従って当初の方向性が変わっていくものですから、大佐さんがおっしゃる通り、出来上がった「マン」全話を見渡してみると、「ヒーロー」という言葉は浮いて見えますよね。その点は私も同じ意見です。

しかしながら、あの第1話に「それゆけ!我らのヒーロー!」という一言が語られていたからこそ、初代ウルトラマンは今でも「無敵のヒーロー」たりえるイメージを獲得できたような気もするんですよね。
例えばあそこに「この宇宙人は敵か味方か?」なんてナレーションが入っていたとしたら、ウルトラマンはアイデンティティー不在のままスタートせざるをえなかったと。

記事に書いた「イメージ表現のキモ」とはそういう意味です。
まーこれも、おバカな私の一人よがりな意見ですので、どうぞご立腹なさらぬよう。先にお詫びしておきます。
本当に無知な上、思い入れだけが先走りしてしまいまして。悪い癖ですね(涙)。

「~である」も「怪しい宗教」も魅力的なナレーションですねー。ぜひやってみたいです。さあ、はたして次のおバカ私見はどうなるでしょうか?
例によって、期待しないでお待ち下さい(笑)。


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