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2008年1月 9日 (水)

「そう来たか」を求めて

オタクの性と言いますか。街に出ると、用が無くてもホビーショップや本屋さんを覗く癖がついておりまして。
最近はすっかり少なくなりましたが、それでもどうしても「おいしいネタを見逃してるんじゃないか」なんて強迫観念から逃れる事ができません。
三月頃の暖かさに体も軽く外出した昨日。向かう先はやはり件の本屋さん。
ボトムズの表紙に引かれ「HJ+」を立ち読みした後、いつもの常で映画関係コーナーに立ち寄った私は、ある雑誌の平積みに目が留まりました。
BRUTUS(マガジンハウス刊)629号(2007年11/15発売)。

女性雑誌の映画特集には時々目を通すも、どうも恋愛作品に特化し過ぎな内容に辟易していた私にとってこの「BRUTUS」の映画特集は好みの一冊。
いくら気持ちは女子だって、そこまで乙女チックにはなれないのよ的精神構造の私にはちょうど良いようです。昔からこの雑誌の作品選定やその切り口が好みで。
気に入った号は時々入手しています。
今回の号も購入を迷ったのですが、結局立ち読みで済ませてしまい(笑)。
ダメですねー私。確実に書籍離れが進んでいます。まーネット情報の速報性に遅れざるをえない出版メディアにとって、現代は生き残りの道を模索する上で難しい岐路とも感じますが。それはともかく。

「映画選びの教科書2008年版」と銘打たれた件の号は、各界の著名人に聞いたあるアンケートが特集されておりまして。こんなテーマでした。

「あなたはどんな理由で映画を選びますか?」

つまり映像作品を鑑賞する上で、貴方にとっての作品選定基準は何ですか?と聞いている訳です。

設問に答えを寄せた24名の著名人は俳優、監督、建築家やアーティストなど多業種にのぼり、その回答も各々の職種が反映された、大変面白いものでした。
「監督で」「出演俳優で」「脚本家で」「原作で」「音楽・アートで」といった定番の基準から、「笑いの質」「精神医学」「建築」など限られた職種でなければ目が行かないマニアックな切り口まで。この号は昨年の11月発売ですから、読まれた方も多いのではないでしょうか。

「建築と来るか~」なんて思いながらお店を離れた私ですが(買えばいいのにって?実は野菜コロッケが欲しかったんですよ私(涙)その視点のユニークさは帰宅後、コタと遊んでいる間もずっと心に残っておりまして。
「そういえば私は、見る作品をどんな基準で選んでるんだろう?」なんて自問自答するいい機会になったんですね。
まー年明け間もない時期だしそういう嗜好の切り口もアリか、という訳で、今回はそんな事をつらつらとお話してみたいと思います。
とはいえそういう事は年齢やその時の気分で変わるもの。あくまで「今日現在」という注釈付きで、しかも相変わらず舌足らずの解析。さらに決して「おすすめ作品」的なお話でもありませんので、その流れをご期待の方々には最初にお詫び致します(笑)。


「ネヴュラ」読者はよくご存知と思いますが、筋金入りのオタクである私は「ジャンル作品」という分野に深い興味を持っています。
平たく言えばSF・特撮作品、中でも怪獣やヒーローが登場するものやディザスター・ムービー系ですね。

国内、国外を問わず、それらの作品には昔から食指が動く傾向があります。まーブログの謳い文句「古いタイプのオタク」という看板は決して嘘ではないわけです。


アニメーション作品も嫌いではありませんが、前述の特撮作品ほど強い興味は湧かないようです。
子供時代を過ごした1960年代~70年代の作品には愛着もありますが、それは子供時代の思い出とごっちゃになった言わば「美しい記憶」の一部なので、やや作品のイメージを美化して見ている分、正確な評価の対象にならない所もありますね。
そういう意味で、むしろまともに評価できるアニメーションは子供時代以降、「見方を覚えた」時点から鑑賞した作品に偏っています。
よく話題に上る「装甲騎兵ボトムズ」などはその代表と言えましょう。(と言うより、語れるほど作品を見てないんですよ。中途半端なツッこみは嫌いなので、ある程度作品を自分の中で租借しないと言葉が出ないという。おバカでしょ(涙)。


逆に言えば、そういう「思い出による美化」と切り離せる分、旧作を今の目で見る事は意義深い事とも思います。前述の通り私は特撮関連作品に強い興味を持つ上、古いオタクの常として未見の作品を探求する意欲も少なからずあるんですよ。「新作だけ見ていれば満足」という気分には一秒たりともなれません。不思議ですねー。「新作はこれからさんざんソフト化されるんだから、埋もれた作品を発掘する事の方が意義深いんじゃないの?」なんて焦燥が常に心のどこかで自分を駆り立てます。旧作DVDを多く在庫するレンタルショップに入り浸る理由も、その辺にあるのかもしれませんね。

さらに特撮作品以外のジャンルでは、ヒッチコック作品を祖とするサスペンス作品などが好みです。
実はこのジャンルを好むのには理由がありまして。
私には「映像作品の根源はサスペンスにある」という確信めいた思いがあるのです。確かに今や映像作品のジャンルは多岐に渡り、映像で描けないドラマは無いと思えるほどに(決して文字表現の重要さも否定しませんよ)その世界は無限に広がりつつありますが、それでも「どんなジャンルに於いても、映像のベクトルを支配するのはサスペンスの度合いの強弱」と思っちゃうんですよ。


ここでこのお話をすれば長くなるので割愛しますが、元来映像作品に観客や視聴者が求めるものは「このストーリーがどう着地するか」という部分ですよね。
「着地点がはっきりしない」「着地しない」という作品が論議を呼んだり、「作家が逃げた」など揶揄の対象となるのはこの部分のフラストレーションを見る者に喚起させるドラマ運びにあると思うのです。
その「着地」をより鮮やかに感じさせる為の「ドラマを引っ張る力」がサスペンス、と言えばいいんでしょうか。ある作家は「物語とはお宝を手に入れるまでの行程に過ぎない」と言ったそうですが、その「行程」にあたる部分がサスペンス。「ハラハラドキドキ」の展開部分なのです。
一見ロマンチックな恋愛映画にも、人生の黄昏を描いた静かな作品にも、質は違えどサスペンス要素は必ず存在します。それがなければ作品は「勢い」を失い、ただのBGVとなってしまうからです。


映像業界に携わる私のような者は、この「サスペンス」という感情操作手法に人生を捧げているようなところがあります。
例えば最近の例で言えば(ここからはネタバレですのでご注意を)現在公開中の「ALWAYS 続・三丁目の夕日」にしたって、あのクライマックス、車上の人となったヒロミが「純青」を手にして茶川さんの思いを知り、彼の元に戻ってくるかどうかが非常に大きなサスペンス要素ですよね。
サスペンスとは決して犯罪や事件絡みの手法ではなく、ドラマにとって必要不可欠のものなのです。こんな事は今さらお話しする事もないですよね。


こういう感情操作を最も知り尽くした作家が前述のヒッチコックなんじゃないかと思っちゃうんですよ。
具体的な作品紹介は避けますが、彼の作品は「どこを切ってもサスペンス」「サスペンス演出の教科書」的な感覚に満ち溢れています。

テクニックの見本市的な匂いが強い最近の作品に比べヒッチの作品が今も古くならないのは、その演出に込められた感情操作の手法が人間の本質を突いているからでしょう。名人の古典落語がいつ聞いても面白いように、ヒッチのサスペンス手法もまた不変なのです。
他にも一見、事件など起こらないように見える小津安二郎監督の作品にさえ、「描かない」という部分にサスペンス演出は息づいています。画面に描かれない部分に壮絶なサスペンスを封じ込め、それを観客に想像させる手法を小津監督は得意としていましたね。


さて。そんなドラマの根源的な部分、サスペンス演出の面白さを凝縮させた作品群として私がお気に入りな国内作品が、故・大蔵貢時代の新東宝映画。
これを聞かれた途端、吹き出された読者諸兄も多いのでは?
「えーっ?オタクイーン、今時、石井輝男や中川信夫、並木鏡太郎の作品を支持するの?それはいくら何でも古いでしょ。」なんて(笑)。
ところが私、今だに1950年代~60年代の新東宝作品を上回るシャープなストーリー感覚に出会ったことが無いのです。
「ネヴュラ」でもおなじみ、さしもの実相寺昭雄監督作品もこれら新東宝の諸作には凌駕されるような気が。まー作家としての資質の差もあるでしょうから比べるのはあまり意味が無いですが。
むしろ実相寺作品は鈴木清順や大島渚など、ストーリーより映像そのものの面白さに魅力を持つ作品群にカテゴリーされるのかもしれませんね。


そうです。前述のお話でもお分かりの通り、私はどちらかと言えば「トリッキーな映像」より、「シャープなストーリー」に心惹かれる傾向があるのです。
「現在の二時間サスペンスは全て新東宝映画の粗悪な模倣に過ぎない」なんて、昔友人が論破していましたが(笑)、私もその説には一部共感します。
ただ私の場合、現在のサスペンスドラマは新東宝作品を大きく水割りした作品、緊張感を割引きテレビ用に再構築した作品に見えます。うーんなんて言うか「新東宝なら30分で描けるドラマを二時間かけてやっている感」って言うんでしょうか。ただそれは「粗悪」じゃなくて「お茶の間感覚」。じっくり腰を据えて見る必要のないドラマという視聴者の鑑賞スタイルに沿った措置と言えましょう。その是非はともかく(笑)。


ここまでお話を聞かれた皆さんはある疑問をお持ちの事と思います。
「そうは言ってもオタクイーン、いつもブレードランナーやSFムービー、ゴジラやガメラやウルトラマンなど、現実には存在しないキャラが活躍するビジュアル作品の話ばっかりしてるじゃん。それって「トリッキーな映像」以外の何物でもないんじゃないの?」
そうですね。おっしゃる通りです。ただこれは説明するのが難しいんですが、「トリッキーなキャラ」と「トリッキーな映像」は別なんですね。例えばウルトラマンが身長40メートル、というのはそういう劇中の設定があるから認められるんであって、中村主水が巨大化して江戸の町を破壊するのは認められないと(笑)。あくまでリアルな設定あってのキャラ。キャラをリアルに感じさせてくれる設定に感服する訳です。

さてさて。お話が脱線しまくってますね(笑)。こうお話して気がつきました。どうも私は「出演者」に関してはまったく無頓着のようですね。極端なお話、誰が出てたってストーリーがうまく料理されていればOKという感覚のようです。
俳優を生かすも殺すも演出次第ですから。唯一、出演者を見て作品を選ぶ基準は、「この俳優が選んだ作品、脚本、監督なんだから、それなりの出来にはなったんだろう」なんて程度です。自然と出演俳優はベテランを好む事になりますが。

だって見てられませんよ。話題づくりの為に選ばれた新人タレントの顔出しシーンなんて。これは監督にしてみれば切りたくて仕方がないシーン、プロデュース側の戦略上涙を飲んで残すシーンですから。でも「映像作品というビジネスには必要なファクター」なのです。
ここは作品を内容で見るファンにとっては辛い場面かもしれませんね。

・・・とまあ、こうやってつらつら語ってきましたが、私は映像作品の「ジャンル」「ストーリー」「監督」への拘りが強いようですね。しかも「新作」より「旧作」に目が向いているような気も。
もうお亡くなりになった名監督の埋もれた旧作発見、なんて言ったら目の色が変わるタイプですね。昔、小津安二郎の「突貫小僧」が発見されたニュースを聞いて小躍りし、最近CSで伝説の特撮映画「空気の無くなる日」を初見、目からウロコが落ちまくった恥ずかしい日々を過ごしています(笑)。


そんな私ですから、最近の新作映画、ドラマの「リメイク」にはどうしても馴染めません。これは決してリメイク作のレベルに関する事ではなく、「旧作より新作を先に見てしまうと、作品自体の評価を見誤る」という非常に強い感覚があるからです。
昔からお話しているように、作品という物は「初見のバージョンが作品自体の物差しになってしまう」という弊害があります。
これは考えてみれば当たり前のお話で、感動という物は「そのバージョンに対して覚えるもの」であって、「ストーリーは同じでも別の監督、俳優によって作られるバージョン」は「別物」なんですよね。それはオリジナル、リメイクに関係なく。
ですからリメイクを先に見てそこで作られる「物差し」が、オリジナルを見る際には物凄く邪魔になるんですよ。「見比べて採点」なんて出来る方は物事を非常に冷静に見られる方だと尊敬します。多くの方はオリジナル・リメイクに関係なく「初見のバージョン」に肩入れせざるをえない筈です。それが「刷り込み」という人間固有の生理なんですから。


「リメイクがオリジナルの良さを壊した」「いや、今の時代に合ったリメイクこそ最高傑作」などなど、リメイク作が公開されるたびにファンの間では楽しい論争が展開され、ネットを通じて私も話題に参加させて頂いていますが、もうそろそろその手の論争に窒息感を覚えているのも事実です。今回のお話でもお分かりの通り、「ストーリー」に拘りを持つ私にとってリメイクで同じストーリーを見せられるのは耐えられない苦痛なのです。
「はいはい。わかりましたよ。で、次はこうなるんでしょ。」実も蓋もない言い方をしてしまえば、私のリメイク作鑑賞スタンスはいつもこうなってしまう。これがビッグ・バジェットをつぎ込んでオリジナルを超豪華にデコレーションした製作側に対し、非常に失礼な事というのもよーく分かっているんですよ。
その大変さは私も承知しているつもりです。
でもそこまでしてもリメイク作である以上、オリジナルを知る者にとって「二度目感」は避けて通れない事実。


「そんな事言ってるのもいけないよね」と、避けていたリメイク作を見るようにもしているんですが、どうしても「見る」というより「押さえておく」という感覚になってしまいます。オリジナルを語る時「リメイクも作られたけど云々」という一文を入れたいが為の「知識」としてですね。で、案の定オリジナルを超えられない。私の中で「超えた!」と思える作品は非常に少ないのです。
これも考えてみれば最もなお話で。そもそもオリジナルというのは作られる時点で最良のストーリー、最良の演出を心がけるものですよね。つまり「作品にとって最も良い道」を通ってるんですよ。リメイクはその「最良の道」を避けて通らざるを得ない。強引に同じ道を進むと「犬神家の一族」現象になっちゃうし。(両作品を同じ条件で見ましたが、これは・・・私には市川監督の道楽に見えました。)


「最良の道」を避けながら「最良の作」を超えなければならないリメイク作はもともと茨の道を選んでるんですよね。それがリメイク作を物差しとするファンを増産する為の戦略ならば、私はその仲間に入れてもらえない「はぐれファン」です(笑)。
そんなはぐれ者に許されたリメイク作の楽しみ方は、「同じストーリーをこう解釈したか!」という「味付け」を発見する事ぐらい。ただこれも難しい所ですね。「演出の基本」と「オマージュ」「リスペクト」の違いが判別できるほど頭の良くない私は、「監督がある作品を愛していて、その偏愛ぶりが画面にちょっと表れた」というだけでもう醒めてしまいます。「それじゃ素人でしょう。」なんて。プロなら自分の技で勝負して欲しいと思っちゃうんです。
ただ、昔の手を一捻りでもしてあれば話は別。それはそれで「進化」しているわけですから。


過去の名作を発掘するのは楽しいですが、たとえリメイク作でもオリジナルのテイストに頼らず、完全な新解釈で勝負した作品を見たいものです。結局、私の作品選定基準もそこに落ち着くのでしょうね。
「ジャンル」「ストーリー」「監督」そして「オリジナリティー」。
同じストーリーを見るほど人生に余裕の無いおバカなオタクの独り言です。どうぞお笑い下さい。でも皆さんも見たくないですか?
「そう来たか!」と思わず叫びたくなるような作品を。


私なんて、知り合いに会う度その言葉の連続ですよ。
「女性になりました。」「そう来たか!」(笑)。

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コメント

いやー。
石井輝男監督も並木鏡太郎監督も
自分が今回インタビューさせていただいた
山際永三監督の師匠にあたるお方なのですよね。

並木鏡太郎監督の著書『京都花園天授ヶ丘 マキノ撮影所ものがたり』は
山際監督から頂いて読ませていただきましたが
邦画黎明期の活力や活気が漲っていて
読んでいて深い感銘を受けましたです。

新東宝の大蔵貢氏は、今では日本映画史では
悪役とされて語られることも多い方ですが
自分はそういう「独裁者のように思われていた悪役」が好きでして(笑)
それはもう、第二期ウルトラの橋本氏も同じで
関係者の間を巡ったり、しっかり文献を調べていると
そうそう悪い人でもないことはわかるわけで(笑)
いやぁ、人間そうそう根っからの悪人も善人もいないですよね。

コメントが遅くなりましたが
この日記を読ませていただいた感想としては
ここに書かれたテーマを含めて
いつかオタクィーンさんとは、実際に卓を挟んで
酒を酌み交わしたり、馬鹿話に花を咲かせたいなと
本気で思ったという次第であります。

市川大河様 この記事にコメント頂けるのは大変嬉しいです。なにしろこんな独り言、読むのも苦痛じゃないかと思っちゃいまして(笑)。
でも見て下さる方もいらっしゃるんだなと(涙)。

私が新東宝映画の魅力にとり付かれたのは友人の影響で。1970年代後半、特撮作品の再評価が高まった第三次ブームの頃でした。当時はソフト化された作品も極端に少なく、地上波のローカル局で放送されたものや関西地区の名画座で特集された数本を追いかけ「発掘」していったものです。

石井輝男・並木鏡太郎両監督とも、当時の新東宝のラインに則ったプログラムピクチャーを量産しながらも、その作家性は抜きん出ていましたね。それらは新東宝末期、中川信夫監督の「地獄」などと共に各監督の個性の爆発となって今も語り継がれています。新東宝が神格化される理由はこの「末期」の輝きと思っていたのですが、最近多く露出される過去作品のクオリティーに驚愕する度に、あの輝きの礎は量産された多くの名画の中に秘められていたんだなと、思いを新たにする次第です。

おっしゃる通り現在の目から見れば、大蔵氏も橋本氏もそれなりの個性ゆえ、色々批判的な見方をされる事が多い存在ですね。ただ現場の立場から見ますと、彼ら程度の個性がある人間の方が、番組企画・制作の上で「超ホームラン」を打つ場合が多いのです。ただプロデューサーという立場・資質ゆえ、職人性は薄い。
時代の訴求者となるか、商売として割り切るか。相反する二つの要素がいつも揺れ動いている存在なんですね。制作者というものは。

石井輝男監督が名匠・成瀬巳喜男監督の下で映画のイロハを学んだように、山際監督もまた石井監督から多くを学んだ事でしょう。映画界の遺産とも言えるそれら名匠のノウハウを、現在の作品に反映させて欲しいものです。

市川さんからお酒の席に誘われるのは、私も大変光栄です。
私のような者が、識者である市川さんのお相手が務まりますかどうか(笑)。
でも、ネットのお付き合いがそんな風に発展するのも大変有意義な事ですね。
いつかそんな機会が訪れる事を、心待ちにしています(笑)。

おいらが小学生のころは『大特撮』なんかとくびっぴきで
まだ見ぬ過去の特撮映画に夢を馳せたものです。
中川監督の『地獄』も載っていたり
新東宝お得意の幽霊映画も掲載されていて
いつか観たいと思ったもんでした。

余談ですが『虹男』なんて、本当にあの書割のような
怪人・虹男が活躍するものと思い込んでいて
まさか本当にただの書割だったと知った時には
オールナイト上映に付き合ってくれた友人に
「まぁ古来から日本の見世物ってのはさぁ
かつてテキヤの見世物に『大イタチ』ってのがあってだな」
などと、わけのわからん理屈で誤魔化したのも今では良い思い出。

自分の映画撮影初体験は、中1の時で
当時の中学の先輩の薬師丸ひろ子さんに連れられて
『戦国自衛隊』ロケを覗きに行ったのが最初ですから
ある意味、大蔵・橋本氏のキャラの完成形ともいうべき
角川春樹氏に誘われて銀幕の裏側に迷い込んだわけでして
そんな豪傑も奥山和由氏を最後に
めっきり見なくなったまま
邦画界は空前の黒字成長と言われてますけど
映画という芸術は
決して平和的民主的な状況から生み出されるべきではなく
時としては強引なまでの敏腕さの中から生まれるものでもあるなと
自分なんかは思っていたりもするのですね。

もしよろしければ、そのうち暇が出来ましたら
自分のブログに在るメールフォームから一報くださいませ。
ご連絡先をお教えいただければ
こちらも返信させていただきますです。

市川大河様 返事が遅れ、申し訳ありませんでした。
「大特撮」は70年代末から80年代初頭にかけて、まさにファンのバイブル的一冊でしたね。同時期に刊行された「円谷英二の映像世界」と合わせ、それこそページが外れるほど読み込んだものです。
まだ見ぬ名作に思いを馳せ、全国のファンルートで流れるエアチェックビデオを入手、仲間と固唾を飲んで鑑賞した記憶がまざまざと(笑)。

当時「虹男事件」は全国で起きていたようで(笑)。
あの、見たら忘れられない写真が良くないんですよね(笑)。私はレーザーディスクが初見でしたが、リリース時挿入された「当時のスタッフの記憶によって再現されたカラーパート」のあまりのお手軽ぶりに「オリジナルは絶対こんなんじゃなかった筈なのに!」なんて怒り狂った若気の至りもありました(爆笑)。
最近の旧作発掘、ソフト化には目を見張りますが、それはあの80~90年代、オリジナル主義にやっきになったファンの声が届いたものなのかも、なんて喜んでいます。

ウルトラ関係ソフトのリマスター処理も歓迎すべき出来事ですが、時々、SE等の欠けや新挿入が目立つものもあり、ちょっとメーカー側の姿勢に首を傾げる部分もあったりしますね。

以前、佐々木守氏が語った言葉に「国家がある目的に向かって邁進する時、つまり勢いのある時代にヒーローは生まれやすい」というものがあります。ヒーローが爆発的な人気を呼ばない現代は、それだけ国家が勢いを失っているという事なのかもしれません。
市川さんが映画プロデュースについておっしゃる「強引なまでの敏腕さ」は、やはり時代の勢いの中から生まれるものなのかもしれませんね。

メールによる直接連絡の件、承知しました。
今はまだ身辺に余裕が持てませんので、しかるべき時期を待って連絡させて頂きます。春もしくは夏頃にはなると思いますが。それまでまた充実した記事で楽しませて下さい。
しかしながら、こんな風に作品についてやり取りできる事は私達ファンに与えられた素晴らしい特権ですね。
またご意見頂ければ幸いです。よろしくお願い致します。

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