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2008年1月 4日 (金)

海鼠の法則

「そうですか。じゃあ月曜日にでもお電話します。」
ほぼ予想していたとはいえ、やっぱりこの時期はしょうがないですね。

局は今日が仕事始めなのに、スタッフ毎に初出勤日がまちまちなんですよ。
私の局担当スタッフも7日出勤というありさま。局に合わせ、今日から始動する予定だった私は出鼻を挫かれ、今週一杯は動きが取れない状態に。
まーそれを見越して、年内にほぼ準備をコンプリートしといてよかった。
贅沢にも今日を合わせてあと3日、のんびりさせて頂きましょう。

そんなこんなで予定外の時間を持て余してしまった私。何をするでもなくつらつらとテレビなんぞを眺めていましたが、そこでちょっと思い出したことがありました。
正月番組の開口一番に出る言葉として耳にタコが出来るほどお聞きになったと思いますが、今年の干支はねずみですよね。
その干支にちなんで、年明けからねずみに関する色々な話題もあちこちで語られています。

その一つに、「海鼠」と書いて何と読む?なんてプチ情報がありまして。


『海鼠』。聡明な読者諸兄なら即答頂ける事でしょう。
そうです。『ナマコ』と読みます。あのぬるぬるの、佐野量子が昔持ちネタにしていた海の生き物ですね。

まーこんな事は一般常識だそうですが、私はつい最近までその当て字を全然知りませんでした。いやーいい年して。でもこんな事今さら人には聞けませんからねー。
人間一生勉強だなと。(うーむ今年の出足がナマコのお話とは。何となくこの一年を暗示しているような(涙)。

ところでこの「ナマコ」、食べると美味しいそうですね。これも私、味わった事ないんですよ。どんな味がするんでしょうか。あのグロテスクな形からしてとても美味しそうには見えないですけど。高級料理の一種とも珍味とも聞いていますが。
やっぱり高いお店へ行くと、お品書きに「海鼠」なんて書いてあるんでしょうか。ちょっとビックリしちゃいますね。

昭和風のなごやかボケはともかく、やっぱり「ナマコ」のグロテスクな風貌はどう考えても食用には見えませんね。よく「人類史上、あの醜悪な姿のナマコを初めて食べた人は勇気がある」なんて言われますが、それもむべなるかなと思います。
以前何かの番組で、お皿に盛られたナマコの料理を見たことがありますが、やっぱりちょっと引きますもんね。昔、中国でヘビのスープを食べた時のおぞましさが脳裏をかすめます。大体「海」の「鼠」ですよ。「ねずみを食べる」って。実際には鼠じゃないとしてもさすがにちょっと。
そんな事したらコタに怒られちゃいますよ。「おねえちゃん、わたしのしんせきをたべちゃうの!」みたいな(笑)。


ところが、これも以前何かの番組で語られていたんですが、前述の「ナマコを初めて食べた人類」というお話、あれは別に対して勇気があったわけじゃないって言うんですね。
要はこういう事です。
「人類は昔から、およそ身の回りで食べられそうなものは手当たり次第口にして来た。その歴史の中で不味かったり毒になったりしたものは食べなくなっただけで、ナマコもその一つに過ぎない。
つまり人類は、ナマコを食べ始めた頃には同時にもっとグロテスクなものを色々食べていた筈で、その流れの中で他の食材が淘汰されナマコが残った。だから勇気とはやや違う問題。」

そういう説だったんですよ。


単純な私はその説にいたく感銘を受けました。「なーるほどねー。まーギャートルズもマンモスの肉を初めて食べた時があっただろうし、そういう事もあるかもねー。」なんて。随分次元の低い納得の仕方ですがそれはともかく(涙)。

ナマコ初捕食の経緯については諸説ありますが、私はこの説が一番しっくり来るような気がします。でも今日のお話は、これからナマコの美味しい頂き方に流れて行く訳ではもちろんなく(笑)。

実は、前述の説に私が感銘を受けたのは「淘汰」という言葉だったんです。
多くの試みから残る一握りの成功例。これは決して食の世界だけの事ではないなーと。何でも映像業界に置き換えてしまうのが悪い癖の私ですが、その真理は映画やテレビの作品にも通じる物と思うのです。
映画ファンの間で呪文のように語られる「名作は駄作の中から生まれる」という言葉はまさに言いえて妙ですね。さほど映像作品について深い知識など持たない私の経験からも、その言葉には頷けるものがあります。


その創世記から現在、そして未来へと作られ続ける映画やテレビ作品。
それらが歴史の中で常に過去の作品をお手本とし、新しい技術や演出手法を取り入れて進化している事は、皆さんもお感じになっていると思います。
それら星の数ほどある作品が作られる過程には、時代や国の変革期、革命的な技術の導入時といった節目節目に大きなムーブメントが起き、その時期に作品の傾向が偏る事もままあります。

平たく言えば「ブーム」という言葉で括られるその時代は、言ってみれば「身近な物を手当たり次第に食べていた人類」の時代に相当するような気もするのです。


Photo脳の無い私など語れるジャンルは限られてしまいます。
毎度の事で申し訳ありませんが。例えば日本の特撮怪獣映画の祖となった「ゴジラ」(1954年東宝 本多猪四郎監督)。
この作品は確かに「国内初の本格怪獣映画」の名を欲しいままにする名作ですが、世界的に見れば、1954年当時「モンスター映画」はさほど珍しくなかったですよね。

特撮を担当し、この一作で世界的に名を上げた円谷英二特技監督がかつての名作モンスター映画「キング・コング」(1933年アメリカ メリアン・C・クーパー監督)を参考にした事はよく知られています。「キング・コング」は「ゴジラ」から遡ること21年。「ゴジラ」までにも世界中でモンスター映画は作られ続けていた訳で、事実「ゴジラ」製作の前年1953年には「原子怪獣あらわる」(アメリカ ユージン・ローリー監督)も公開されています。
「ゴジラ」と公開時期が近い事もあって何かと話題に上るこの作品ですが、ともあれ「モンスター」という点において、ゴジラの誕生は決してエポックではなかった訳です。

Photo_2ゴジラと並んで、ネヴュラでも何かと話題になる「ガメラ」も同じです。
ガメラが誕生した1965年、先輩のゴジラは既に「三大怪獣地球最大の決戦」(1964年東宝 本多猪四郎監督)までの五作を数え、ガメラ映画第一作となる「大怪獣ガメラ」(湯浅憲明監督)公開日・11月27日を追うようにして第六作「怪獣大戦争」(12月19日公開)が製作されていたのです。
この時までにも東宝ではゴジラ以外の怪獣映画が量産され、翌66年一月にはテレビ番組「ウルトラQ」の放送開始を待つ「ブームガス充満期」。後に第一次怪獣ブームと呼ばれるこの時代、起爆剤となる作品がひしめき合っていた訳ですね。
ですからこの時期だって、別にガメラという企画がとんでもなく新しかった訳ではないんですよ。子供+怪獣=集客という方程式は既に出来上がっていた筈ですし。

Photo_3さらにテレビに目を向けてみれば、前述の「ウルトラQ」の後番組として始まった、誰もが知ってる釣り目の宇宙人「ウルトラマン」もこの時期、1966年です。
確かにウルトラマンの登場は斬新だったかもしれません。しかしそれ以前にも銀幕では「スーパージャイアンツ」(1957年~59年 新東宝)、ブラウン管でも「遊星王子」(1958年)「ナショナルキッド(1960年)などなど、規模は違えど宇宙から来たヒーローのドラマはあった訳です。
その放映開始が「マン」の2週間前だった「マグマ大使」に国産初の巨大ヒーローの称号を持っていかれた事実からも分かる通り、ウルトラマンにしたって別に「突然出現した、天地がひっくり返るほどのエポック作品」ではなかったように思うんですよ。

Photo_4「マン」と来れば当然語らねばならない「仮面ライダー」(1971年)に至ってはさらに顕著な背景があります。
ライダー誕生四年前の第一次ブーム、ウルトラマンの成功によって先鞭が付けられたヒーロードラマのジャンルに於いて、ライダー製作会社・東映にしたって「ジャイアントロボ」「仮面の忍者赤影」など既に様々な試行錯誤を繰り返していた筈です。
まさに東映は第一次ブームで「量産という名の実験」を繰り返してきた訳ですよね。
ですからライダーにしても別に突然出てきた訳じゃないと。東映のお家芸・時代劇のノウハウと、第一次ブームで東映が培ったドラマツルギー、設定の妙などをうまくアレンジしたのが「ライダー」なんですよね。

余談ですが。これはあまり言われない事なんですが、「宇宙猿人ゴリ」「帰ってきたウルトラマン」が火付け役になり「仮面ライダー」の人気が決定打になった第二次怪獣ブームって、ライダー人気の派手さの為に「等身大ヒーローブーム」的な印象がありますが、思ったほど番組数では巨大ヒーローも負けていないんですよね。等身大は東映が多かっただけで(笑)。でもまあ確かにこの時期、チャンネルを回せば日替わりで地球が危機に瀕していた事だけは間違いありません。大破壊された街が翌週にはリセットされちゃうにしても(笑)。

さて。これら国産四大特撮キャラクターの出目をかなり勝手にお話してきましたが(笑)、どのキャラクターを取ってみても、決して人類の大発明ほどの超オリジナルキャラじゃない事がお分かりと思います。
映像に限らず作品という物は、大きな括りで見ればお互いに影響し合って作られるものなので、同時期に多くの作品が輩出されればお互いの影響はさらに顕著なものとなり、その中から新しいもの、バランスの整ったものが誕生してくるのは自明の理なのでしょう。
ただ忘れたくないのは「影響とは決して真似という事じゃない」んですね。


ここでちょっと、無い頭を絞って考えてみました。
前述の通り、それぞれのキャラクターは過去作品の影響下にある事は間違いありません。でもなぜこれらが、現在も語り継がれる程、私たちの心を捉えたのでしょうか。
何故ゴジラやガメラ、ウルトラマンや仮面ライダーは他のキャラクターのように「淘汰」されなかったんでしょうか。


ここでちょっと、冒頭の「ナマコ」のお話に戻りたいと思います。なにしろナマコを食べた事の無い私、これを食材としてどう使うのか興味があります。
軽くウィキで調べてみました。その記述によりますと。


干さないナマコは酢の物として食べるそうで。
腸などの内蔵を塩辛にした物は「このわた」と呼ばれ、日本三大珍味の一つ。
内蔵を除いて似た後に乾燥させた乾燥ナマコが前海鼠(イリコ)。
卵巣を干したものは「このこ」または口子(くちこ)だそうです。
ナマコって結構いろんな食べ方があるんですね。まさかあれがそのままお皿に乗って出てくるとは思ってませんでしたが。
やっぱり調理法がミソなんですよ。


そうなんです。ひょっとして他の食材が淘汰され、あのグロテスクなルックスに反してナマコが生き残った理由とは、この「調理法」にカギがあるんじゃないかと思うんですよね。
人類はあのグロテスクなナマコを、なんとか美味しく食べる為色々料理してみたと。で、酢の物にしたり内蔵、卵巣を独立させたり干したりと試行錯誤を繰り返した訳です。決して素材をそのまま食べていない。
ここなんでしょうね。『生き残りの極意』は。


賢明な皆さんなら、ここまでお話すればおわかりになるでしょう。ゴジラやガメラ、ウルトラマンや仮面ライダーが「淘汰」されなかったおぼろげな理由が。
結局、生き残る作品はすべて「素材」の料理の仕方が上手かったという事なのでしょう。


ゴジラがそれまでの「モンスター」と決定的に違う理由、それが「反核」というメッセージ性にある事は皆さんもご存知と思います。
それまで「未知の脅威」「自然の反逆」としてしか扱われなかった巨大モンスターに、ゴジラは「人類の負の遺産が生んだ被害者」という概念を持ち込んだ。ゴジラが今だに私たちの心に影を落とす強力な理由はその一点に尽きるような気がします。最近の作品ではその設定は見る影もありませんが、それでも私たちはあの皮膚や、放射能により融けた様な背びれの形を見る度に、自らを断罪されているような思いに捉われるのです。
この「人類の罪悪感に訴える」所が、恐竜に過ぎなかったゴジラというキャラクターを唯一無二の存在とした見事な「調理法」なのではないでしょうか。


ガメラの場合、個人的には「ギャップの面白さ」ではないかと思います。
当時の大映社長、永田雅一氏が企画会議の席上「飛行機上から亀に似た雲を見た。空飛ぶ亀の話を作れ」と激を飛ばしたというお話の真偽の程はともかく、「亀が火を吐く」「回転して空を飛ぶ」という発想は、当時の特撮界では並外れてエキセントリックだった筈です。第一、本物のカメさんが不得意とする事をあえてやっている。それまでの東宝怪獣が「この出目、デザインならなんとなく出来そう」という能力を与えられていたのとは対照的です。
文献には当時の洋画SF作品、特に空飛ぶ円盤テーマの影響があったのではなどと推察されていますが、それを生体である怪獣と結びつける、しかも最も高速移動がそぐわない亀にやらせるというのはちょっと考えつきません。
そして何より、それが「絵になる」というのが最も大きな理由なのでは。
後々の「子供好き」という不可抗力的魅力も含め、当時の大映スタッフは亀という素材を見事に「料理」してみせた訳です。


「科学特捜隊」という骨子の設定に「アメリカじゃスーパーマンってのが流行ってるから入れてみなよ。」とアドバイスを入れた円谷英二。そしてその一言を「怪獣」という巨大な存在と合わせ、互角に戦える「巨大スーパーマン」という設定までに昇華させた円谷プロ文芸部の英知。
ウルトラマンがそれまでの宇宙ヒーローと大きく違う理由は、そんな作劇上の要求に合わせたスタッフの発想の賜物だったのでしょう。
そしてなんと言っても新しかったのはやはり光学合成による美麗な光線技の数々。敵味方入り乱れてブラウン管狭しと放たれる光の奔流は、それまでの「気合一閃、倒れる敵役」という「視聴者が想像するしかない技の威力」を可視化してくれた記念碑的役割を担ったのでした。
さすがの「素材」スーパーマンも、この光線の切ればかりはウルトラマンに一歩も二歩も譲ると思います。ここにも見事な「料理の腕」がありました。
バラエティー豊かな怪獣達が番組の魅力の一端を担った事は言うまでもありませんが、怪獣だけなら前作「ウルトラQ」にも出演していた訳ですから、これはやはりウルトラマンの突出したキャラクターに追うところが大きいでしょう。


さて。仮面ライダーですが。これは実は、原作者である故・石ノ森章太郎氏がよく語っていたお話が全てだと思います。
言ってしまうと「ウルトラマンの逆」ですね。まー実も蓋もありませんが(笑)。

「巨大」と「等身大」・「宇宙人」と「地球人」・「美」と「醜」・「光線技」と「肉体技」。他にも対照的な要素は数限りなくあります。言わば仮面ライダーは影のウルトラマン、ウルトラマンのもう一つの可能性だった訳です。その発想の骨子を元に、石ノ森氏一流のセンスが生み出したあのデザイン、バイクスーツから転用したライダーのディテール、フォルム。
これは料理法と言うよりも「スーパーマンという食材を使って円谷と東映が別々に作った創作料理」とも言える展開ですよね。


ウルトラマンと仮面ライダーが唯一無二、淘汰されない理由はもう一つあります。「これ以上でも以下でもなく、しかもお互い補完し合う関係」という所です。
マンもライダーも初代でもう完成している。何を足しても余計になってしまうんです。マンの対極を発想すればライダーに。逆もまたしかりなんですね。新しいヒーローを創出しようとするとどちらかになってしまう理由がお分かりと思います。いくらクリエイターがオリジナリティーを出そうとしても、そこにはただ両者が排除してきた設定の荒野が広がるだけという(笑)。

新ヒーロー創出に挑もうとされた方々はよくお分かりではないでしょうか?
かの名作「ウルトラマンティガ」も「仮面ライダークウガ」も、初代の呪縛から逃れる事は出来なかったという事を。


もう一つ「戦隊シリーズ」という道があるにはあるのですが、個人的には、う~ん(笑)。あくまで好き、嫌いの問題です。作品の出来とは関係ありません。あれをギャグと思えばそれはそれでコク深いですし。原作者の石ノ森氏も「ゴレンジャー」を途中から「ごっこ」にしちゃいましたしねー。難しい立ち位置のシリーズと思います。あれは作品世界が閉じている感じがして。私は入れてもらえなかったクチです(涙)。

そんなこんなで、年明けからまたおバカな私見をお聞き頂きました。
かつて行われた食材探しの末、淘汰の嵐を生き残ったナマコ。
ゴジラやウルトラをナマコになぞらえてはお怒りの方もいらっしゃるかもしれませんね。平にお詫び致します(笑)。
でもそれら時代を越えて愛されるキャラクターには、必ずどこかクリエイターたちの見事な包丁さばきがある事を忘れたくないのです。

2008年もスタートして数日。今年はこれらのキャラクターを凌駕する驚天動地のスーパーキャラが現れるのでしょうか。
今日のサブタイ「海鼠の法則」がマニュアル化されていればそれも簡単なんでしょうが。でもそんなに甘くないんですよねー。クリエイターの世界は。
「掴んだ!」と思ってもニュルニュルと手から逃げてしまう。
そういう所だけ「ナマコ」なんだから(笑)。

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コメント

 ナマコ、美味いですヨ! 私は大好きです。実家に帰ると必ず食べるほど。ただし、調理される前の姿は見ないようにしていますが‥‥(^^ゞ どんなに食べたくても、自分では調理できないということです‥‥。見たら食べられなくなるでしょう。

 「あの」'70年代、特撮番組が百花繚乱だった頃、それぞれの番組がいかに他の番組と差別化を図っていたのかを考えると、スタッフの方々の苦労が偲ばれます。
 TVの世界では、特撮のクウォリティの高さを前面に押し出した円谷プロ、時代劇の頃からの「見栄」の切り方の伝統を持つ徹底的なエンターテインメント追及の東映の2大勢力に、特撮をリアルな画のアニメーションで補っていたピープロ、TV特撮ヒーローの元祖でもある宣弘社、そして東宝も参戦していました。

 『仮面ライダー』をはじめ、『キカイダー』『好き!すき!!魔女先生』『変身忍者嵐』『ロボット刑事』『イナズマン』『ロボコン』といった石森ヒーロー・ヒロインを量産し、加えて『バロム1』なども制作していた東映のチャンネル独占率は並外れていました。
 一方の円谷もウルトラシリーズ以外にも『ミラーマン』『10-4 10-10』『ファイヤーマン』『ジャンボーグA』『猿の軍団』などのたくさんのシリーズを制作していました。
 ピープロや宣弘社、東宝も複数の番組を制作しましたが、それらは同時にいくつもの作品を制作するほどではありませんでしたネ。

 それぞれのヒーローたちはデザインも個性的ですが、(作品内での)その誕生の経緯、敵の設定、世界観などで差別化が図られていました。
 中にはあまりにも突出してしまったために、それ以降の作品では類型が見られないような設定もありました。差別化を図るあまりに、暴走してしまった作品です。このような設定は「淘汰」されていき、より洗練された番組が制作されるようになりました。

 アニメも含めて子どもは番組を選ぶわけですから、強力な作品の裏番組は「淘汰」されてしまいましたネ。今、特撮番組が少ないこの時期ならば、受け入れられたかもしれない魅力的な番組もあったわけです。『ミラーマン』の裏の『シルバー仮面』などは、独特な暗さも今は人気を呼ぶ可能性があるのかもしれません。他番組や時代との巡り合わせの運が無かった作品というだけで、「淘汰」されてしまった作品も少なくないでしょう。

 時代劇のヒーローは、それだけでロケ地や予算に苦しみ、以後は制作されなくなってしまいました。これも「淘汰」の型の一つでしょうか。

 あの特異な時代に様々なパターンが提示され尽くしてしまったのが、ちょっと勿体ないような‥‥。「大人の事情」による「ウルトラ」と「ライダー」の名ばかりでなく、『ロボット刑事』や『キカイダー』のようなロボットヒーロー、『ライオン丸』(Gではなく)や『嵐』のような時代劇ヒーローは二度と現れないのでしょうか‥‥。


 あ、私はけっこう『デカレンジャー』にはハマりました。戦隊も悪くないかな、と思いましたが、続く『マジレンジャー』『ボウケンジャー』とだんだん見なくなってしまいました‥‥。
 戦隊ヒーローは、『赤影』のような「笑い」も重要な要素となっていて、子どもは大喜びで見ます。戦隊ヒーローとは、特撮変身ヒーロー番組は子どものものなんだと、とてもよく納得できるシリーズです。

自由人大佐様 ナマコがお好きなんですね。私などは食べた事さえないので、その味や食感について語る術もなく(涙)。
一度挑戦してみたいとは考えるのですが、これがなかなかチャンスに恵まれません。まーそんな事言っていてはいつまでたっても口に出来ないので、今年の目標の一つに掲げたいと思っています(笑)。

おっしゃる通り、国産初とされる「月光仮面」から現代まで脈々と続くテレビヒーローの歴史の中で、1970年代ほど百花繚乱の様相を呈していた時期はありませんね。宣弘社、円谷プロ、東映、東宝、ピープロなどメジャー所に加え、「バトルホーク」のナックや「電撃ストラダ5」の日活までがブラウン管を賑わした時代の活気は、今考えると異常だったような気もします(笑)。

ただ、企画に携わる私のような立場の者から見てみますと、結局それらヒーロー番組に製作傾向が偏った理由は「あれが当たったから」「ヒーローが人気らしい」というものが一番大きかったと思うんですよ。その大儀名文が最も局やスポンサーを説得しやすい。「まずヒーローなんです。仮面ライダーみたいに強くカッコイイ」という殺し文句が局担当者には効くんですね。
ですからおそらく70年代当時のヒーロー番組は、ことごとく「ウルトラ」「ライダー」の影を引きずっていると思います。
局側にしたって「ライダーみたいな番組がウチでも欲しい」なんて発注をかけてくるんですから仕方がありません。
プロダクション側としては、おっしゃる通りの「差別化」に加え、「ウルトラ・ライダーとの類似化」まで考慮する必要に迫られていた訳です。相反する要求を両立させなければならなかった、最も難しい時代だったと思います。

個人的に、「ライダー」を除き70年代の諸作がことごとく淘汰されてしまった理由は、この「類似化」ゆえだったような気がするんですね。当時のヒーロー番組はどんなに形が変わっていても、やっぱり「巨大」か「等身大」か「グループ」で、「光線技」か「肉体技」を駆使するというパターンを崩せなかったですから。この根本の部分を変えない限り、淘汰は免れなかったのではないかと思うのです。
で、ヒーローのパターンって今だに前述のファクターから脱却できないんですよ。
これがおっしゃる通り「出尽くした」という事なのかもしれません。おそらく、時代のエポックとなるヒーロードラマは、これらのパターンにもう一ヒネリ加えなければならないのでしょう。これは非常に大変で、既に頭打ちになってしまった人間の思考限界を超える事、三次元から四次元を発想するくらい難易度が高いと思います。

例えば「ジャイアントロボ」「怪奇大作戦」「仮面の忍者赤影」「悪魔くん」「シルバー仮面」「レインボーマン」「ミラーマン」「レッドバロン」「人造人間キカイダー」などは実写、アニメの差こそあれリメイクされていますが、どうしても人気爆発までには至らない。結局、前作を変えれば「別物」と言われ、同じ物を作れば「進歩が無い」と言われてしまう。リメイクの宿命と言えばそれまでですが、ウルトラやライダーに比べ、それらの風当たりが強すぎるような気がするのは私だけでしょうか。
なぜ、ファンはそこまで寄ってたかってリメイクを批判するのか。
本当は嬉しい筈なのに。
「古くて新しい」という、ある意味ゼロからの発想以上に難しいハードルをクリアする程のパワーが作品自体に無いのだろうか、なんて考えてもしまいますが。

「ゴジラ」「ガメラ」「ウルトラ」「ライダー」。この4キャラクターに限ってリメイクが人気を呼ぶ理由は、今後も追及して行きたいと思っています。
いつも虎視眈々と新企画のチャンスを狙っている私などには、これはまさにお仕事なのです。まーそう言っちゃうと夢も何もありませんが(笑)。

戦隊シリーズの魅力については、自由人大佐さんのお言葉が最も的確なものでしょう。「笑いの要素」は子供にとって非常に重要で、しかも現在の放送時間帯を考えればその必要性にも納得が行きます。もともとコメディー的要素を多分に含んだドラマ構造なので、あれはあれで我が道を突き進んで頂きたいと。
何にも増して、子供の笑顔こそ大人の望みである訳ですから(笑)。

オタクイーンさん。お久し振りです。

「ゴジラ」「ガメラ」「ウルトラマン」「ライダー」「戦隊」。
これらのシリーズは、もはや伝統芸能ですよね。
まぁ、そもそも特撮というのは、歌舞伎や能の発展形の一つであると思っていますが、そういう意味でも、(特にこれらのシリーズは)歴史的な意義をも有しているのかなと。
ちょっと大袈裟な表現ですけど(笑)

さて、現代はオリジナル無き時代と言われて久しいですが、だからこそ、益々切り口の見せ方や調理法がより重要になってくるのでしょうね。
逆にソコが観る側にとっては楽しみになるワケですが。

そんな伝統的な大衆芸能を、今年も新作・旧作を問わずに堪能出来れば良いな、と思っています。
あ、個人的には、今年公開予定の三池監督の「大魔神」が大いに楽しみです(不安も半分ですが・笑)。

今年も貴ブログを楽しみにさせて頂きますね。
ちょくちょくお邪魔させて頂きますので、どうぞ宜しくお願い致します。
それと、拙ブログにて、こちらへのリンクを貼らせて頂きたいのですが、宜しいでしょうか?

それと、ナマコは美味しいですよ。
酢の物の場合、ちょっと硬いのと箸で掴み難いのが難点ですけど(笑)

メルシー伯様 お帰りになられたんですね。今年もまたよろしくお願い致します。

日本を代表するこれら特撮キャラクターを考える時、やはり浮かんでしまうのはメルシー伯さんと同じく「伝統芸能」の言葉ですね。それぞれのキャラクターに「能」や「狂言」「歌舞伎」「時代劇」など古来から日本人が慣れ親しんだ大衆芸能の脈流が息づいている事を感じます。ただそれら大衆芸能も、逆に現代の空気を取り入れているんですね。
私もネットなどで知ったんですが、歌舞伎なんて最近、劇中に「そんなの関係ねえ」が入ったりしているそうで。「あ、それアリなんだ」と思った瞬間、敷居の高さも感じなくなりました(笑)。

ジャッキー・チェンのアクションが京劇の動きを取り入れているように、日本の特撮ヒーローも伝統芸能をうまくアレンジする事で人気を獲得してきたんでしょうね。1980年代頃、日本のヒーローも海外テイストを模倣する動きがありましたが、逆に今は日本的な物、和風テイストが復活しているような気もします。仮面ライダーなどに見られる漢字表記や「鬼」風キャラクターの登場などにそれは顕著なようですね。

これからの特撮番組は、おそらく大人向けと子供向けという住み分けがさらに加速していくような気がします。既に「ULTRASEVENX」をはじめ多くの作品がその試みを行い、良質の作品も生まれているようですし。嗜好の細分化が進む現在、やはりそうした世代ごとのヒーローが求められるんでしょうね。
そういう意味でも、新作「大魔神」がどういうスタンスで現れるのか私も大変楽しみです。

リンクの件承知しました。ありがとうございます。メルシー伯さんのリンクに加えていただけるなんて大変光栄です。どうぞよろしくお願い致します。
いつもおバカばっかり書いていますので、今年はもうちょっとまともに行かないといけませんね。ナマコにも挑戦してみます(笑)。


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