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2008年1月の記事

2008年1月31日 (木)

セブン必殺の荒技!

Photo_10 コタ先生、出番です。
あっそ。ADさん、あなた新人?
食事が済んでから行くから。
もうちょっと待ってて。





Photo_3
土西さん、コタ先生もすぐいらっしゃいますので・・・すみません。
いいよいいよ。僕には気を使わなくても。
態谷監督もね。






Photo_4
ウルコタファイト第77話、ウルトラセブン対パコタトータス!
シーン1、スタート!

さー、サクサクっとやっちゃうよ。
Photo_5

おっといきなりセブン転倒!
いやーコタ先生、気合い入ってるねー。

だって態谷監督、先生さっきから食べまくってましたから。
そりゃスタミナも出ますよ。

Photo_6
いいねー大迫力。これが怪獣映画だよね。
いいんですか監督?大丈夫かな土西さん・・・
Photo_7

まずいなーコタ先生。
止まらないよ。あの人いつもやりすぎるから。

ちょっとピーナッツで気をそらしましょうよ。



Photo_8 さ、その隙に。コタ先生の大好物、クリケットを用意して。
あっ土西さん、いつの間にあんなもの。
Photo_9
作戦成功!
「宇宙でも、この地球でも、食欲は一つなんだ。チューラソ星人!」

監督、台本にあんなセリフ、ありましたっけ?
うーんきっと、土西さんも金城ファンだったんだねー。
怪獣はパコタトータスなんだけど(笑)。

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2008年1月29日 (火)

「虹の卵」セブン風味

「当然だろうウルトラセブン。地球人は互いを信用していない。
同族意識など無くても、君の方がよほど生命に対して敏感だろうからね。」
対峙し、ほくそ笑む宇宙人をじっと見つめるモロボシダン。
刻一刻と迫る、産業都市最後の時。

前回、ウルトラQ18話「虹の卵」のウルトラマン風味付けを少しお話しました。
単なる思いつきの企画だったんですが皆さん予想以上に反応いただいたようで、結構なアクセス数、初お目見えのお仲間からの嬉しいコメント・TBなどがあり、このジャンルの話題性に改めて感心した次第です。
「虹の卵」及び前回の記事を未見の方は、こちらのアドレスから飛べますので、まずそちらをご覧頂ければ記事の流れがよくお分かりと思います。

「虹の卵」マン風味
http://spectre-nebura.cocolog-nifty.com/cultnight/2008/01/post_486e.html

前回の予告通り、今回は「虹の卵」をウルトラセブン風味で味付けしてみました。ただいつもながらこれは単なるお遊び、あくまでも私個人の「セブン」に対する印象を元にしています。お怒りの方もいらっしゃるかと思いますが、そこは何とぞご勘弁下さい(笑)。

Photo「ウルトラマン」に続き、ハードSFシリーズとして硬質のエピソードが連発された「ウルトラセブン」ですが、「ネヴュラ」でもこれまで何度かお話している通り、私はこのセブンのクールなドラマ運びやシビアな作品世界がどうも苦手です。最初に言っちゃいますが(笑)。
確かに作品が主張するメッセージには頷けるものも多いのですが、正直、私がウルトラに求めている世界はこれじゃないなーという感覚が、本放送当時から離れないのです。ウルトラマンとのあまりの世界観の違いが、最後まで納得できなかったのでしょうね。相変わらず頭が固くて(涙)。

ですから自然と、私の好む「セブン」の世界観は初期話数に偏ってしまい。
問題作と言われる「ノンマルトの使者」「超兵器R1号」などは、確かに名作とは思うのですが、あれがセブン全体の印象かと聞かれると「いやー・・・どーでしょう?」となってしまうのです。
どちらかと言えば正統派、直球勝負の侵略ストーリーが好みなんですね。
そんな私の好みで料理した「卵料理」ですから、自然と甘口になっちゃうかもしれません。前回のように、ストーリー仕立ててお話しましょう。




日本。地方の山中に建設された新産業都市。
上空を飛ぶ一機の旅客機から、この物語は始まります。

旅客機には、アメリカでニュートロン研究の論文を発表した学会の権威、糸魚川博士が乗っていました。彼は新産業都市の原子力研究所で、ニュートロンを利用した兵器の最終研究を手掛ける予定でした。

機内でくつろぐ博士。不意に窓の外が金色に発光、機はまばゆい光に包まれます。その直後、機は金色の光の中、大音響と共に爆発。

翌日、事故現場の近くで、博士は傷一つない状態で発見されました。
喜ぶ関係者たち。しかし博士の様子は、事故前とは比べ物にならない程変わっていました。その邪悪な目。


博士の身辺を警護する為、ウルトラ警備隊がボディガードに付きます。
博士を24時間警護する担当者はダン。
しかしダンは、初日から博士の異状に気がつきます。
まるで自分の研究を探るような行動、人間とは思えない力、動きの速さ。
「おかしい。これが本当に糸魚川博士なのか?」



皆さんのご想像通り。これは初期話数に見られる「宇宙人に憑依される科学者」の展開ですね。
「セブン」と言えばこれでしょう。私にはそう思えます(笑)。



Photo_2博士もダンの正体に気づいていました。
博士に憑依した宇宙人の目的は、ニュートロンミサイルの研究内容を盗み、それを自分の星の武器として配備する事。
その為には、同じ宇宙人であり自分の敵となるウルトラセブン、すなわちダンが邪魔。
博士はダンの失脚を図ります。
研究所内で宇宙人の襲撃を偽装、ダンに容疑をかける博士。
追い詰められるダン。



まさに王道、「消された時間」の展開。
ここでは「ユシマ・ダイオード」がニュートロンに変わっただけという(笑)。
これが「虹の卵」とどう繋がるのか。ここからがようやく本筋です。



やがて深刻な問題となるであろう高齢化が懸念された「セブン」の時代。
新産業都市は自然との共生を目的に山中に建設され、テストケースとして老人と若い家族を近隣に住まわせて、お互いが情緒豊かに暮らせる居住区域を設けてありました。
ピー子ちゃんと足の不自由なお婆ちゃんも、近くに住む大の仲良し。
毎日山中で遊ぶピー子は、ある日そこでサザメ竹の花を見つけます。


大喜びで持ち帰り、お婆ちゃんにサザメ竹の花を見せるピー子。
そこでお婆ちゃんは「サザメ竹の花と「虹の卵」が揃えば、願い事が叶う」という言い伝えを話します。

お婆ちゃんの足を治してあげられると喜ぶピー子。
しかしお婆ちゃんは、この花が災いの印である事を隠していました。



Photo_3さて。糸魚川博士の指示により、ニュートロン兵器の研究に必要な濃縮ウランのカプセルが研究所に輸送される事となりました。輸送の護衛にはウルトラ警備隊全員が付きましたが、博士に疑念を持つダンには一抹の不安が。
ダンの不安は的中しました。山中を進むウラン輸送トラックの上空に、巨大な金色の虹がかかったのです。
地底怪獣パゴスの登場。
パゴスはトラックを襲撃、ウルトラ警備隊の決死の応戦も空しく、カプセルは山中で行方不明となってしまいます。


時を同じく、空を覆う金色の虹に不安を覚えるお婆ちゃんでしたが、ピー子の目は輝いていました。
「あの虹の近くに、虹の卵がある!」


糸魚川博士は今回のカプセル紛失の責任をダンの怠慢と断定。ダンを除隊に追い詰めます。キリヤマ隊長の弁護も空しく、軍上層部の判断により、ダンは謹慎処分に留まる事に。
カプセル捜索に駆り出される隊員たちを尻目に、ダンは基地内に残ることとなります。博士のボディガードも解任され、失意に沈むダン。

関係者を遠ざけ、一人通信機でパゴスの様子を見る博士。
そうです。ご想像通り、パゴスは宇宙人の尖兵で、ウランはひそかに回収され、産業都市地下の宇宙人基地に運び込まれていたのです。



ここまで読まれてお分かりと思いますが、「セブン」の世界では怪獣を単体で扱う事が大変難しい。本編でも、怪獣は必ず宇宙人の手先、もしくは何らかの関係を持って登場するからです。
パゴス単体での登場は「セブン」の世界に合わないんですね。
さて。ここからは一気にエンドまで行きましょう。
ちょっと長くなりますがお付き合い下さいね。



Photo_4謹慎処分となったダンはひそかに基地を抜け出します。深夜、研究所から産業都市に向かう博士を追跡するダン。しかしダンの追跡に気づいた博士は巧みにダンを巻いてしまいます。
車を降りた博士は、産業都市の居住区近く、地下秘密基地へ。
その時、「金色の虹」を待つピー子がたまたま博士を目撃、宇宙人基地の存在を知ってしまいます。ピー子が追跡した基地の中にチラリと覗くウランカプセル。
「虹の卵だ!」すかさずカプセルに駆け寄るピー子。
しかし彼女の後には、今や本性をむき出しにした宇宙人の姿が。


基地を見られた宇宙人はピー子を半重力ルームへ拉致。
博士の姿に戻った宇宙人は、ネオニュートロンミサイルの設計図とウランカプセルを並べ、ミサイルの完成を確信します。邪悪に歪む糸魚川博士の顔。



翌日。前夜、博士が消えた地点を捜索するダンの前に、糸魚川博士が姿を現します。ダンに対し、糸魚川博士は自分の正体と地球侵略の目的を暴露。
ネオニュートロンミサイルの大量生産、全面配備計画を語るのです。


「ウルトラセブン。ミサイルの完成していない今でも、私はパゴスでこの産業都市を壊滅させる事ができるのだ。
この都市の住民が人質という訳だ。全面降伏せよ。地球を明け渡すのだ。」

「地球の降伏を、なぜ僕に要求する?地球人でもない僕に。」
当然だろうウルトラセブン。地球人は互いを信用していない。
現に君だって、私の単純な揺さぶりで除隊寸前となっているではないか。
こんな不信感の塊の地球人には、人質を取っても効果がないのだ。
同族意識などなくても、君の方がよほど生命に対して敏感だろうからね。」

ほくそ笑む博士をじっと見つめるダン。


Photo_8 宇宙人基地内、半重力ルームでもがくピー子。彼女の願いは「虹の卵」を手に入れ、お婆ちゃんの足を治す事だけです。
ガラス一枚隔てた先にカプセルがあるのに届かない。彼女の目から涙がこぼれます。
その時、彼女の帽子を飾るサザメ竹の花が、帽子から抜け落ちました。
半重力の中をゆっくりと舞う花。
その長い葉に、ピー子の涙が一滴、二滴と伝わります。
涙は葉の上を流れてゆっくりと部屋の床へ。その時奇跡が起きました。
床に少しだけ露出した電極に涙が落ち、部屋の電源がショートしたのです!


カプセルを抱え、基地を脱出するピー子。
異常を感知し、基地内に鳴り響くエマージェンシーコール。



睨み合う博士とダン。緊張を破るようにエマージェンシーコールが。
「ふん。子供が逃げ出したか。だがミサイルは完成寸前だ。
君の負けだな。ウルトラセブン!」

博士から遊離し、走り去る宇宙人。
瞬時にダンもウルトラアイを装着、セブン登場。

山中から現れるパゴス。直ちに出撃するホーク1号・3号。
キリヤマ隊長以下ソガ、フルハシのコンビネーションアタック。
しかしパゴスの勢いは収まりません。


Photo_6基地内、宇宙人と対峙するセブン。
しかし勝利に笑う宇宙人はセブンのエメリウム光線にもビクともしません。圧倒的な力でセブンに挑みかかる宇宙人。セブン危うし!

もはや絶体絶命と思われたその時、宇宙人の背後から光弾速射銃エレクトロ・H・ガンが撃ちこまれました。苦悶の表情を浮かべる宇宙人。
「私を倒しても次が来るぞ。
この美しい星を地球人などに任せておく訳には・・・」

崩れ去る宇宙人。後に立つ本物の糸魚川博士、アマギ、アンヌ。
パゴスを操る電波を逆探知したアマギらは基地前で糸魚川博士を発見、アンヌの介抱で意識を取り戻し、ミサイル発射阻止に現れたのでした。


基地をアマギらに任せ、外へ飛び出し巨大化するセブン。
パゴスの攻撃を右に左にかわしながら徐々に間合いを詰めていきます。
しかしその時、セブンは視線の隅に、近くを走るピー子の姿を捉えました。
バゴスの暴れるすぐ近くに、お婆ちゃんの部屋があるのです。
暴れるパゴスを避け、転ぶピー子。

そのピー子を部屋で見ていたお婆ちゃんは、ピー子を守りたい一心で立ち上がります。自らの足で地面を踏みしめ、ピー子の元へ駆け寄るお婆ちゃん。


Photo_7それを見逃すパゴスではありませんでした。
二人に振り向き、分子構造破壊光線を吐こうとするパゴス。
悪鬼のような目が大きく見開かれます。

間一髪、光の刃がパゴスの首を捉えました。
セブンの必殺技、アイスラッガー!
パゴスの首が胴体から離れ、口に光線を蓄えたまま宙に舞います。
すかさずワイドショットで首を吹き飛ばすセブン!

パゴス口内の分子構造破壊光線とワイドショットが空中で反応し、あたり一面は金色のオーロラに包まれました。
あまりの美しさに息を呑むピー子、お婆ちゃん。
オーロラの中を飛び去るセブン。
戦いはセブンの、そしてウルトラ警備隊の勝利に終わったのです。



数日後。産業都市の公園にはピー子とお婆ちゃん、ダンら警備隊メンバーと糸魚川博士の姿が。
宇宙人が奪ったウランカプセルは実は偽者で、本物は別ルートで研究所に運ばれていたのです。糸魚川博士のダンへの態度を不審に思ったキリヤマ隊長はメンバー全員と申し合わせ、カプセル輸送を機会に暗躍する影の存在を掴もうとしていたのでした。
「怪獣のコントロール電波発信源がもう少し早く分かっていれば、産業都市の被害ももう少し防げたんだが。」悔やむキリヤマ隊長。
お婆ちゃんの足が治って喜ぶピー子は、片時もカプセルを離そうとしません。
「でも、ピー子ちゃんにとってそのカプセルは、本物の虹の卵だったのね。」

アンヌの声に頷くダン。その顔は晴れ晴れとしています。
「地球人の信頼を見くびったのが侵略者の敗因だった。この人間同士の信頼がある限り、我々はいかなる刺客も恐れないぞ。」

                                             
                                           終わり



・・・とまあ、こんな感じでしょうか(笑)。
毎度おバカな妄想ばかりですみません。
科学的裏づけも皆無。その点はツッ込まないで下さいね。
最後までお付き合い頂けた皆さん、どんな感触を持たれましたか?

お気づきと思いますが、ピー子はじめ、子供の占める割合が極端に少ないのがセブン世界の特徴の一つだと思います。「絡めにくい」と言いますか。
その逆に、ウルトラマンに比べ主人公がストーリーに絡む割合が非常に高い。ウルトラマンはストーリーの幕引き役でしたが、セブンは文字通り人間体であっても「主人公」なんですね。ストーリーの主軸となっています。

で、私が感じる「マン」「セブン」最大の差は、やはり作品が目指すテイストじゃないかと。同じ「虹の卵」という作品でも、Q、マンでは「怪獣」、セブンでは「科学」の部分がクローズアップされるんですね。Qとマンではそのストーリー運びもほとんど同じでしたが、セブンでは全く違う展開が必要となります。
今回、無い頭をヒネってみて、それがよく分かりました。

他にも挙げていけば沢山ありますが、個別にお話しするとキリがないので、拙作をお読み頂いてご推測下さい。


今回、ウルトラ警備隊メンバー個々の活躍がほとんど無いのは、ひとえに私の筆力の無さゆえです。
シナリオ形式ならもうちょっと書き込めたかもしれませんね。←言い訳(涙)。

「これはセブンじゃない!」「自分ならこう書く」などなど、ご意見ありましたらお寄せ下さい。本当の所、セブンについてはビギナーみたいな立ち位置なので、もークレームが怖くて怖くて(涙)。
でも書いちゃったものはしょうがないと。
首を洗ってお待ちしています(怖)。

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2008年1月27日 (日)

「虹の卵」マン風味

「パゴスに似てるねー。立ちポーズが。」
ごはんをねだってこちらを見るコタに声をかけながら、「ウルトラQ」のDVDを再見していました。

いつ見ても高度なストーリー運び、一部の隙もないシナリオの妙には舌を巻くばかり。何度もお話している35ミリフィルムの高画質は、46インチの画面でもまったく遜色ありません。

当然の事ながら、数十話のエピソードで構成されるテレビシリーズは、その日の気分に合ったエピソードを選ぶのも楽しみの一つですね。寒波続きのここ数日は「ペギラが来た!」「東京氷河期」とか、キャラメルを買った時は「鳥を見た」とか。
タイムリーな話題でいけば「宇宙からの贈りもの」なんて見たくなりますよね(笑)。
まーそんなきっかけに関係なく、なんとなく作品世界に浸りたくなるエピソードもあります。
「可もなく不可もない、怪獣登場の直球ストーリー」を堪能したくなった今日の私。で、冒頭のセリフに繋がるわけです。
そうです。今日見ていたのは第18話「虹の卵」(1966年5月1日放送 飯島敏宏監督 山田正弘脚本)。

まーウルトラシリーズ、特にQ・マン・セブンは、毎週日曜日に放送されていましたから、なんとなく日曜日になるとそんな気分が刷り込まれているんでしょうね。「いやーやっぱりパゴスはかっこいいなー」なんて、コタに呆れられながらも興奮しっぱなしの私でしたが(笑)。

このエピソード、もう何十回見たでしょうか。いや、鑑賞回数だけなら三桁行ってるかもしれませんね。ウルトラファンならそういう方も多いのではないかと思います。
ストーリーやセリフなどはもう暗記しているくらいで、最近などピー子初登場のカットはレフが強すぎるなとか、ラストカットの晴天は飯島監督が粘った末のモノなのかな、なんて細かい所ばっかり気になっちゃって。
特撮ファンの性とも言えますが(笑)。

Photo登場怪獣パゴスについても、これ以上の王道はないほどの正統派ぶりがお気に入りで。
まーウルトラシリーズで最も好きな怪獣がネロンガの私ですから、その先輩に当たるパゴスが嫌いなわけもなく。
冒頭の登場シーンを見ながらやっぱり怪獣は地底怪獣、バラゴン体型だよねーなんて頷いていたのでした。

歌舞伎のかけ声よろしく「アリカワ!」なんて叫んじゃったりして(爆笑)。
本来、ガラモンやカネゴン、ナメゴンなど、それまでの常識を覆した怪獣デザインが魅力のウルトラ怪獣の中では、パゴスは地味な存在なんですが。
「電気の要らない扇風機」なんて由利ちゃんに言われるのも無理はなく(笑)


つきあいきれないコタが巣箱にもぐりこんだところで、私はふとある思いに捉われました。毎度の事で再見のたびに、エピソードそのものよりその周辺に思いを馳せてしまう悪い癖がついてまして。

「この「虹の卵」というエピソード、確かに「Q」ならではのストーリーだけど、例えば「マン」「セブン」「新マン」などのシリーズだったら、このお話を構成するキーワードをどう料理するんだろう」という妄想が(笑)。

落語に「三題噺」ってありますよね。例えば「火星」「偽装」「節分」なんて全く関係ないお題を三つ並べて、そのお題を上手く繋げたお噺を作るお遊びです。
今回の「虹の卵」場合なら、『ウラン』『パゴス』『子供』『新産業都市』『ニュートロン』などのキーワードがそのお題となる訳ですね。
それぞれのシリーズは別々の設定を持ち、それぞれドラマテイストや目指したメッセージは異なりますから、きっと同じキーワードを使っても、出来上がるドラマは多少なりとも違ってくると思うんですよ。
「これ、面白いじゃん。」妄想ですからどんな特撮をしようと予算はタダ、楽しい時間となりました。
同時に私の中にある各作品のテイストの捉え方がよく分かったんです。
まーおバカな私の考える事ですから大したものじゃありませんが。
前置きが長くなりましたが、今日はそんなお遊び「妄想特撮シリーズ」をちょっとお話してみようと思います。


まず未見の方の為に、オリジナルとなった「虹の卵」のストーリーを押さえておく必要があるでしょう。ものすごく簡単になりますが。

Photo_2災いの印と言い伝えられるサザメ竹の花が咲いたある日、山間に建設中の新産業都市に近い原子力発電所に向かう濃縮ウラン輸送車が、地底怪獣パゴスに襲われます。
ウランは山間の森に転げ落ち、行方不明に。
時を同じくサザメ竹の花を見つける子供・ピー子ちゃん。
大好きなお婆ちゃんに花を見せるピー子ですが、花を災いの印と言い出せないお婆ちゃんは、この花と「虹の卵」を見つければ、何でも願い事が叶うと教えてしまいます。
優しいピー子は、虹の卵を見つければ
足の悪いお婆ちゃんが再び歩けるようになると信じ、仲間の子供たち「タンポポ団」と共に、虹の卵を探すことに。

一方、輸送車の生存者を発見した万城目・由利子らは、生存者の話から現場に金色の虹がかかっていた事を耳にします。

「ウランを常食とするパゴスが放つ分子破壊光線は金色の虹に見える。」万城目には一抹の不安が。彼の不安をあざ笑うかのように、またしても大空にかかる金色の虹。原子力発電所では、ニュートロン研究の権威・糸魚川博士が、パゴスの出現を予見していました。
地域住民をパゴスの脅威には晒せない。パゴス掃討の為、ネオニュートロンミサイルが手配されます。ミサイル到着まであと30分。


Photo_4その時、仲間と卵を探すピー子の前に、卵型をした濃縮ウランのカプセルが。ピー子はそれを「虹の卵」と思い込み、持ち帰ろうとします。
ウランを運ぶピー子に迫るパゴス!
間一髪、パゴスをやりすごしたピー子でしたが、パゴスは原子力発電所を狙っていました。発電所の安全、ピー子が運ぶウランカプセルへの誘爆を防ぐ為、到着したネオニュートロンミサイルによって撃破されるパゴス。

ピー子は無事でした。心配してピー子の元に向かったお婆ちゃんに奇跡が。
「あれ、やっぱり虹の卵だったのよ。」
歓喜に叫ぶ由利子の向こうで、歩けるようになったお婆ちゃんとピー子ら子供たちの笑い声がこだましていました。


・・・とまあ、こんなお話です。
かなり要約しましたが、お話の流れはお分かりと思います。
この骨組みに飯島監督のユーモアセンス、テンポいいカットワークが加わって、お婆ちゃんの優しさ、ピー子をはじめ子供たちが大変生き生きと描写されています。
「ウルトラQ」特有のテイストの一つに、この子供の描き方があると思っています。
スーパーヒーローが登場しないというハードな世界で、怪獣の脅威に晒されながらもどこか温かい空気が満ち溢れた作品世界は、この子供たちの主役性が醸し出すような気がするのです。
実際このエピソードでは、万城目ら主役トリオは本筋とほとんど絡んでいないですもんね。最近はDVDレンタルなどで簡単に見られますから、未見の方はご覧頂ければ幸いと思います。

劇中、お婆ちゃんが語る「虹の卵というのは、虹を見た子の心の中に生まれる美しい卵なんだ。」という言葉が、このエピソードのテーマなんですね。
お婆ちゃんの足を治したいと願うピー子の心の中に「虹の卵」は生まれたのでしょう。パゴスもウランもこのテーマを描くための小道具に過ぎないわけです。




さて。この「虹の卵」の劇中に登場するいくつかのキーワードを、「ウルトラマン」に当てはめたらどうなるでしょうか?つまり「虹の卵」を「ウルトラマン」の1エピソードとして製作したら?
ちょっと考えてみたんですが、これが意外に「虹の卵」とほとんど変わらないストーリーになるんですよね。


Photo_5例えば、物語の発端となるパゴスウラン輸送車襲撃にしたって、「マン」ならそのままやってもまったく遜色ないですよね。むしろ「マン」テイストなくらいで。
輸送車襲撃の一報を受けた科特隊が現場に向かう流れも、万城目らの行動と重なります。
金色の虹を目撃、パゴスの存在に気づく万城目は、ハヤタ隊員の役どころ。
「ギリシャのソフィスト」あたりのボケは、イデ隊員が似合いそうですね(笑)。
おそらく同行者は彼らの他、アラシ隊員とホシノ君あたりでしょう。
ウランカプセル紛失程度の事件ならキャップは基地で総合指揮、フジ隊員は連絡係でしょうから。


ピー子サザメ竹を見つけるくだり、ピー子とお婆ちゃんとのやりとりなども、そのまま「マン」に持ち込んでも遜色ないでしょう。
ただきっとピー子たちと出会い、「虹の卵」のいわれを笑うのはホシノ君じゃないかと。「今時そんなおとぎ話、信じるなんて。」
そんなホシノ君をピー子たちの護衛につけて、ハヤタらは原子力発電所に向かうでしょう。糸魚川博士とのやりとりも、万城目がハヤタに変わるだけで内容は同じじゃないかと。
ただここで、「虹の卵」と大きく違う点が考えられます。
「ウルトラマン」世界では、「ネオニュートロンミサイル」が存在しないんじゃないかと思うんですよ。
皆さんなんとなくお分かりのことと思います。


さて、ウランカプセルを探すピー子たちの前にパゴスが姿を現します。
ホシノ君の制止も聞かず、カプセルを持ち出そうとするピー子。
ここできっと、ハヤタらは絶体絶命のピー子達に気づく筈です。
「ウランカプセルの誘爆を防がなければ!」イデ隊員を発電所の護衛に置き、パゴス掃討と子供救出に向かうハヤタ・アラシ両隊員。
「マン」王道の展開ですね。


Photo_6間一髪のところで、パゴスの襲撃からピー子達を守るハヤタ。ここでホシノ君は、お婆ちゃんを思うピー子の必死の姿を目の当たりにします。
「ハヤタさん、僕がピー子ちゃんを守るから、ハヤタさんはパゴスを退治して!」
ピー子を笑ったホシノ君は、ここでちょっと成長する訳ですね。
「よし。科特隊の一員として、彼女を安全な所まで避難させる事。分かったねホシノ君。」
駆け出すハヤタ隊員。


「ウランを常食とするパゴスに対してスパイダーショットは危険すぎる。」
悔しがるアラシ隊員に手榴弾使用を指示、ハヤタはアラシと別れパゴスの反対側に回り込みます。産業都市を破壊し、迫るパゴス。
アラシの手榴弾が飛び、ウルトラガンがバゴスの目にヒットしました。
「やった!」飛び上がるアラシの目に、暴れるパゴスの巨大な尾に振り飛ばされるハヤタの姿が。「ハヤタ!危ない!」


閃光一閃!隻眼となり凶暴さを増したパゴスの前に現れる、銀色の巨人。
そう、我らのウルトラマン!


これでお分かりと思います。以前にもお話しましたが、「マン」世界においてストーリーを進めるのはあくまで科特隊なんですね。
ウルトラマンは「虹の卵」に於ける「ネオニュートロンミサイル」と同程度の存在、ストーリーの幕引き役なんですよ。

ですからもう、ストーリーとしてはここまでが「起承転」、後は「結」しか残っていない。ウルトラマンの見事な活躍で、哀れパゴスは亡骸と化すわけです。
確かにウルトラマンと怪獣の対決は心躍る場面ではありますが、あの部分は予定調和、結果が分かっているだけに操作しようがない。カタルシスだけを目的としたシーンなんですね。ただ絶対必要なシーンではあります。
「Q」でもミサイルでとどめを刺さなければ、ストーリーが帰結しませんから。


ラストシーン、実はここが本当の「結」なんですが、ピー子とホシノ君たちの前に現れたお婆ちゃんは、「虹の卵」と同じく歩けるようになるでしょう。
喜ぶピー子とホシノ君。そこへ集まる科特隊メンバー。
(「ハヤタ、生きてたのか」なんてセリフもあって)
最後にドラマを締めるのはホシノ君のセリフかも。
「ハヤタさん、あれ、本当に虹の卵だったんだね。」




いかがでしょうか。まー異論もおありでしょうが、ちょっとしたお遊びで考えてみた「マン」版「虹の卵」です。
「ウルトラマン」の初作が「ウルトラQ」と地続きという解析をよく目にしますが、こうしてストーリーの流れを比べてみると、いかに両作品の世界観が近いかという事がよく分かります。結局、万城目一行の役回りは科特隊と重なるんですね。
「マン」になるとピー子の存在とホシノ君が絡めやすくなる分、少しホシノ君が前面に出る感もありますが、それでもピー子の存在感は少しも損なわれていません。
もし「虹の卵」が「マン」の1エピソードとして作られていたら、「恐怖の宇宙線」のムシバ君や「怪獣殿下」のオサム君のように、ピー子もまた「マン」の印象的なキャラクターとなっていたかもしれませんね。
それほどまでに、「Q」と「マン」の世界には近いものがあるのです。

「マン」のパゴス再登場案がガボラ登場の「電光石火作戦」に変わった事は有名ですが、あのエピソードでもボーイスカウトの少年が存在感を見せていて、奇妙な符合を感じます。ネロンガ登場時のホシノ君といい、バラゴン改造怪獣は子供がよく似合うという事でしょうか(笑)。


Photo_8下らないお話で失礼しました。
「まーたつまんない妄想ばっかり」なんて言われそうですね(笑)。
前述の通り、私の中では「虹の卵」ウルトラセブン風、帰ってきたウルトラマン風なども出来上がっているんですが、このまま続けると長くなりそうなので、次回以降にお話ししましょう。
「自分ならこう料理する」「セブン・新マンならこうなるかも」なんてご意見があれば、どしどしお寄せ下さい。
ただ単純なストーリーへのツッこみはちょっと。
建設的じゃないような気がしちゃうもんですから(笑)。


いやーでも「虹の卵」の料理は面白いですね。
やっぱり王道ストーリーはどういじっても面白くなります。
昔、あるシェフに聞いた言葉を思い出しました。

「卵料理こそ料理の極意(笑)。」

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2008年1月25日 (金)

夢が目標に変わる時

「あれ?今日は学生さんがゲスト?」
いつものお仕事で入ったスタジオ、キャスター席の隅にチョコンと座る制服姿の二人。男の子と女の子。

「ちょっと職場見学でね。見せてやって下さい。スタジオワークを。」
メインキャスターに促され、ぎこちなく頭を下げた二人の顔は、初めて訪れるテレビ局への興奮に紅潮していました。


これは昨日のお話。ちょっと色々ありまして、お話が一日遅れてしまいました。ごめんなさいね。冒頭の通り、昨日は地元の中学生が二人、番組収録を見学に訪れていたのでした。
「普通、局の見学って団体で来るものじゃないの?」ちょっと不思議に思った私。
しかも監督の先生も居ない。どーいう事なのかな?
そんな私を見越したのか、窓口役のキャスター氏は説明してくれました。
よくある社会見学とは違い、この職場見学は生徒さんの希望制で、学校側で生徒一人一人が将来進みたい職種を募り、人数、日時を調整の上見学に訪れるというものだそうです。
「先生は今、他の業種見学の生徒さんと一緒に港の巡視艇に乗ってるらしい。先生は分刻みのスケジュールで生徒を各職場に先導してるそうだよ。」
屈託なく話すキャスターさんに、二人の生徒さんははにかみながら頷いていました。


いやー私の中学生時代、こんな親切な職場見学は無かったですねー。良い時代になったものです。確かに局見学もありましたが、それは前述の通り団体で地元のNHK名古屋スタジオを見ただけ。遠足の延長のようなものでした(笑)。
今は中学生の時点で、既に希望職種を決めるような流れになっているんですねー。それがたとえ希望以前の「夢」であっても、こうして現場を見る手配をされちゃうんですから大したものです。

「この人がスタジオを仕切るフロア・ディレクターさん。私たち出演者はこの人の指示で動くの。この人がキューを出すまでは、私たちは何も出来ないんだよ。言ってみれば出演者の命綱だね。」
キャスターさんにものすごく持ち上げられてテレ笑いする私でしたが、見学者の彼らは私が手に取るインカムの方に興味津々のようで。「あ、テレビでよく見るやつだ」ぐらいに思っていたのでしょう。
確かにパッと見はカッコいいですもんね。付ける人が私でも(涙)。

リハーサル、本番と進む番組制作。目の前で展開されるテレビの現場は、彼らの中にどんな印象となって残るのでしょうか。
感性が最もビビッドに働く中学生時代。見たものや感じた事は、その後の一生に影響するものです。たとえ一瞬でもテレビの現場に触れ、彼らの中にも何かが残った事でしょう。夢やあこがれが「目標」に変わるのか、それとも「楽しかった一日の思い出」に終わるのかは、その後の彼ら次第です。

考えてみれば、私がテレビ業界を目指したきっかけは、子供の頃のテレビ局見学ではありませんでした。
以前にもお話したことがありましたが、「必殺シリーズ」など良質のドラマを見る毎に、いつか自分もなんて考えたのが最初です。その後、希望は現実的な方向にシフトしていきましたが、広告代理店、企業の宣伝企画部など、それまで経たどの職種にもどこかクリエイティブな要素が含まれていました。
まー希望と才能は別ですが。それは毎度おなじみ、「ネヴュラ」の下らない話題をご覧頂ければ明らかですね(涙)。


ただ一つだけ思います。昨日の彼らではないにしろ、そんな風に私を駆り立てるものはきっと、「必殺」以前に子供の頃に出会った様々な番組、浴びるように見た子供番組の数々なんだろーなー、なんて。
ロケなどで、時々カメラマンなどに言われる事があります。
「ここで手前のイスをなめてボカし、向こうのテーブルを撮ろうか。」なんて指示をすると、「ドラマチックな絵が好きだねー」「やっぱり昔のドラマ好きはカットが頭に焼き付いてるんだね」なんて。
ちょっと実相寺系、工藤栄一系なんですね。私のカット割りは(笑)。
そりゃー穴の空くほど見た、そしてこれからも見るであろうドラマですから、カットが生み出す効果を覚えているのは当たり前ですよ。そういう意味で、私は間違いなく実写派ですね。アニメーションも好きですが、ことカット割りに於いて実写とは別の才能を要求されるアニメには食指が動きません。
実写的な「ボトムズ」が好きなのも納得がいきます(笑)。


でも考えてみると、私のようにオタク的嗜好から業界入りする人間は思ったより少ないんですね。
確かに業界には、私以上に濃い特撮オタク(ちょっとここでは言えないくらいイッちゃってる)人も沢山居ますが、どちらかと言えばそういう存在は業界内でも異端児扱いされています。私も含め(笑)。
決してテレビ業界はオタクの集団ではないという事で。
ただこの業種特有の「一芸に秀でた人間は優遇」という考え方ゆえ、局内でもオタクは自分を押し隠す必要がなく、市民権を得ていますが(ウルトラマンの顔を5センチ大に模った腕時計を嵌め、社内を堂々と歩ける業種なんてテレビ業界くらいのものですよ(笑)。


これまで多くのスタッフと出会い、ロケの合間などに業界入りのきっかけを聞く機会も多かったのですが、やっぱり多かったのは「この業種が好きだったから」「自分もあんな事がやりたかったから」という理由でした。
まー考えてみれば当たり前ですよね。カメラマンなら「カメラが好きだから」。
アナウンサーなら「喋るのが好きだから」。これはどんな業種も同じと思います。
きっと冒頭の中学生たちも、局を見学する以前に「テレビが好き」という漠然とした嗜好があったのでしょう。そうでなければ見学志望などしない筈ですし。
そんな彼らを見ていて思い出した事があります。
昔、仲間のカメラマンから聞いた「夢を目標として見据えたある出来事」のお話でした。


現在、地元の人気番組でバリバリのカメラワークを発揮する彼。子供の頃からカメラが好きだった彼は地元のローカル局に日参し、オープンスタジオの生ワイド番組を見学していたそうです。そんなある日の放送後、彼はスタジオのカメラマンに呼び止められたとの事。
「坊主、カメラ触ってみるか。」


件のスタジオカメラマンも、毎日のように顔を見る彼の事を覚えていたのでしょう。幼かった彼の喜ぶ顔が目に浮かびます。
不思議な事にそのカメラマンは、彼が出演者やディレクターではなく、カメラに興味を持っていた事を知っていたのです。
これは本当に不思議ですね。やっぱり同じ道同士、目で分かるのでしょうか。


「その時なぜか、カメラマンのおじさんは、物凄く丁寧にカメラの操作法を教えてくれてさー。それから俺、そのカメラマンさんと親しくなったんだよ。」
「あの時、あのカメラマンさんに会ってなかったら、俺は今カメラやってなかったかもしれないなー。」と語る彼。

こういう事って、キー局などでは考えられないですよね。局と視聴者の距離が近いローカル局ならではのお話です。
幼い頃の一つの出会いが、その後の人生を左右する事もあるんだーなーなんて、その時の私は妙な感慨に捉われてしまいました。
お酒の席で、しみじみ彼が語ったお話でしたから、余計そう感じてしまったのかもしれませんね。
ちなみに彼はその後、「とんねるずのみなさんのおかげです」の「仮面ノリダー」でスタッフデビュー、現在に至っています。


テレビや映画など、感性に訴えるこの手の業界には、こういうお話が結構多いですね。前述のカメラマンほどではないにしろ、ちょっとしたきっかけで見た現場の強烈な印象が、その後の進路に影響した例はたくさん聞きました。私と同業のディレクターさんにも、そんなきっかけで業界入りした人たちが多くいます。

「俺なんか、漠然とテレビの世界に憧れてたんだけど、ある日たまたま見たスタジオ収録で現場を仕切るフロアディレクターを見ちゃってさー」と語る彼も、やはりその一人。
「それがまたカッコイイんだよ。スタジオが全部その人の指示で動くんだぜ。またキュー出しのポーズがキマってて。もうなんか、スタジオを操縦してるって感じなんだよな。」
彼の場合、冒頭の中学生に非常に近い立ち位置ですよね。漠然とテレビの世界に憧れていて、いざ現場で興味を惹かれたのがディレクターだったというパターン。
そんな風に現場を見て、初めて自分の興味ある業種に気づく場合もある訳です。不思議ですね。正直、私はフロアディレクターに魅力を感じた事はありませんから(爆笑)。
人間の数だけ嗜好はあるんですね。


前述の通り、私の場合はドラマの構造やカットワーク、演出に興味がありますから、局入りした直後はむさぼるように台本を読み倒していました。
番組とはどんな流れで出来ているのか、その構造を知りたかったんです。

別の番組の収録後、スタッフが現場に捨てていった台本を拾い集めて読み込んだり。スタッフの手でカメラ割りなどが書き込まれていたらそれはもうお宝でしたね。うーんこうして書いていると、なんとなくオタクの匂いが漂ってきたりして(笑)。


「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」(1967年東宝 福田純監督)のDVDコメンタリーで、特技監督の有川貞昌さんも語っています。
「同じ作品を見ても、監督とカメラマンでは見る所が違う。それは誰に教えられるのものでもなく、そういうものなんだ。」そんな主旨でした。

世間のあらゆるお仕事の中で、どこに自分の生き甲斐を、興味を見出すか。これは誰にも強制できないことなのかもしれません。同時に、そのお仕事が「夢」ではなく「目標」に変わるきっかけがどんな偶然によるものか、それも誰にも分からない。


「個人個人の資質」が「きっかけの連続」によって形作る将来を、若い見学者たちに考えさせられた一日でした。
改めて思いました。よく番組関係者が新人に言われる「私は貴方の番組を見て業界を目指したんです」なんて言葉はクリエイター冥利に尽きるんだろうなー、なんて。一度は言われてみたいものです(笑)。


でも、昨日のスタジオ見学がきっかけで彼らがテレビ業界を目指すとはとても思えませんね。なにしろFDは私ですから。
精一杯カッコつけて出すキューも、どこかオタクっぽくなっちゃって。
いっその事「ウルトラキュー」なんて叫んでみれば、それはそれで強烈な思い出になったかも。
でもわかんないでしょうね。中学生の若さでは(爆笑)。

2008年1月23日 (水)

「悪魔の手先」の手先

大変お待たせ致しました(待ってないって(笑)。
こんな企画にお付き合い下さり、アクセス・コメント頂いた方々、大変ありがとうございました。前々回の記事「オタクイズ」の解説編です。

ただ、頂いたコメントやアクセス数からなんとなーく感じた空気では、今回のクイズはちょっと失敗感が。もっと凝った問題にすればよかったと(爆笑)。
皆さんの鋭い解析に改めて感服いたしました。
さてそれでは、件のクイズ写真を撮った経緯も合わせ、解答をご説明しましょう。

前々回のお話通り20日の日曜日は、その前日に入手した可動ロボットフィギュアの不良品交換に走っていました。
Photo_2 これです。
今月15日に発売された海洋堂リボルテック・ヤマグチシリーズ最新作「鉄人28号」。

関節部の広範囲可動を実現した「リボルバージョイント」によリ表情豊かなポーズが取れるこのシリーズ、手ごろな価格も手伝って以前から目をつけていましたが、なかなかお気に入りのアイテムが出ず二の足を踏んでいたのです。
ですから今回、ネットで鉄人リリースの情報を知った私は超期待。実際店頭で見本を見るが早いか即ゲットしてしまったのでした。
お察しの通り、同時にゲットしたのが以前紹介した「S.I.C.匠魂9」であった事は言うまでもありません(笑)。


12~13センチ程度のサイズも手ごろなこのシリーズ、実際手にしてみると、そのパーツ割りや可動部分の多さには驚きますねー。
ロボットをあくまでフィギュアとして捉え、ポーズによる表情を楽しめるシリーズとして、非常に高いコストパフォーマンスを感じます。

今は「超合金魂」などハイディテールのフィギュアも多く発売されていますが、スーパーロボットならではの力強く大胆なポーズをとらせるにはちょっと不都合を感じていた私。
立ちポーズの存在感も決して否定はしませんが、このリボルテックが実現した多彩なポージングの魅力には正直、新鮮な驚きを覚えました。シリーズをお持ちの皆さんもその点は頷かれると思います。


ただこの商品、店頭スタッフの弁によると、結構商品ごとに当たりはずれが大きいそうで。そこだけが唯一の欠点との事。MADE IN CHINAの技術力は上がっていると思うのですが、こういった仕上げムラも解決できない問題のようですね。

Photo_3 もうお分かりですね。
クイズ一枚目の写真は、この鉄人フィギュアの腕部分でした。
今回私が手にした腕のシミについても、スタッフには「これくらいならまだ良い方ですよ。物凄い色ムラもありますから」なんて言われてしまって(涙)。

まーそれでも快く交換に応じてくれ、小心者の私は一安心しましたが(笑)。


さて。各部点検も怠りなく綺麗な新品をゲットした私。帰宅後カチカチとあちこちの関節をいじって遊んでいましたが、やはりこれ、かなりの遊び甲斐がありますね。
過去のアイテムでは、パッケージ写真などで魅力的なポーズがとられていても、いざ自分でやってみると意外に可動範囲が狭くて写真のポーズは「範囲ギリギリ」だったなんてのが多かったですが、これは違う。
なんていったって写真以上のことが出来ちゃうんですから。
特に腰のジョイント部なんて感動モノで。これまで腰の曲がる鉄人ってほとんど無かったですし。
「うーんこれは、ポージングでオーナーのセンスが分かっちゃうなー」なんて思いながら遊んでいたんですが、そんな中私の頭には一つだけ、今回の鉄人ディスプレイでこだわった演出がありました。
それはポーズと言うより、鉄人の「あるパーツ」。


Photo_4 で、出来上がったポーズがこれです。
可動部分の多いリボルテックシリーズは、さすがに大胆なポージングをさせると自立できず、スタンドのお世話になる事が多いのですが、今回はなんとしてもそれを避ける方向でいきたかったのでした。ですからこのポーズにはご覧のとおり、スタンドは使われていません。
満身創痍の鉄人、片膝ついて敵を牽制、反撃のチャンスを窺う一瞬、なんて感じでしょうか(笑)。スタンド無しでここまでポーズが取れるんですからすごいですよね。
ガンダムなどのリアルフィギュアなら当たり前のこういうボーズも、鉄人がやるとすごく新鮮に映るのは私だけでしょうか(爆笑)。


「オタクイーン、そのこだわった演出って、スタンドを使わないって事なの?」
毎度、細かい所にこだわるなーなんて笑われた方も多いでしょう(笑)。
実は私のこだわりは、その部分ではないのです。


Photo_6「手を開かせる。」
これが今回、私がもっともやってみたかった演出なのでした。

しかも、敵や人間を威嚇するような感じでやってみたかったんですよね。
私が今回の鉄人に惚れたもう一つの理由は、商品にセットされていたこの「掴み手」にあったのです。この写真をご覧になって、皆さんどんな印象を持たれたでしょうか?

ここでお断りしておきますと(笑)、私は「鉄人28号」リアルタイム世代ではありません。
原作漫画が雑誌「少年」に連載された1956年、私はまだ影も形もありませんでした。その後の雑誌連載、1959年のラジオドラマ、1960年の実写テレビ版も立ち会えず、鉄人の名を最も有名にした1963年からのテレビアニメ版第一シリーズもリアルタイム視聴の記憶はありません。
確かにこの第一シリーズには思い出もありますが、それは再放送の記憶によるものでしょう。
時は流れ、1980年「太陽の使者」、1992年「FX」とリメイクされてきたアニメ版にも思い入れは皆無。
オリジナルを知る者にとって、あれはアレンジ度がキツくて(笑)。
微妙な評判の実写劇場映画版も、現時点では未見です。
もうお分かりでしょう。今回私を鉄人購入に踏み切らせた理由。
それは2004年に地上波放送された最新リメイクアニメ、今川泰宏監督版によるものだったのです。


「ジャイアントロボ THE ANIMATION 地球が静止する日」「機動武闘伝Gガンダム」など、いろんな意味で有名な(笑)今川監督によるこの最新リメイク版は、横山光輝氏による原作漫画のエッセンスを採りこみながらも新解釈をふんだんに加えた野心作として、私の中で独自の輝きを放っています。
深夜放送ゆえ高年齢層をターゲットにできた事が、ドラマ部分の充実に繋がったのでしょう。

実際のところ、本放送時、番組の情報入手が遅かった私は、全話をリアルタイム視聴できたわけではありません。
現在、大急ぎでDVDを全話レンタル、再見中なんてありさまで(涙)。


この今川版を再見しますと、やはり本放送時の印象以上に琴線に触れるものがありますね。未見の方の為に内容は伏せますが、いつもの派手な「今川節」が影を潜めているところが良いです。
まードラマの要求、テレビシリーズゆえの製作体制もあったでしょうから、彼の資質が若干スポイルされた感はありますが、それがいい結果に繋がっているような気も。
(「ミスター味っ子」の「ウマいぞう~!」も大好きなんですが(爆笑)。
脚本に於ける彼の、セリフ文体の癖「そう。云々」が連発されるのもご愛嬌というものですし。私、好きなんですよ。こういう「作家印」って。


Photo_7 この最新鉄人でもう一つ新鮮に映ったのは、「鉄人の悪魔性」についてでした。
原作漫画で描かれ、初作アニメ版主題歌(今回のリメイクでも踏襲)歌詞にも謳われている「ある時は正義の味方 ある時は悪魔の手先」という設定です。

後に書かれた文献で、原作者の横山光輝氏はこの「鉄人の善悪は操縦器次第」という設定について「機械とはそんなものですから」と語っています。後年、横山氏の作品に繰り返し現れる「善悪を超えた存在の争奪戦」というモチーフは、この鉄人で既に完成しているといっていいでしょう。


Photo_14「良いも悪いもリモコン次第。」この歌詞に象徴される鉄人の立ち位置は、件の最新リメイクにも踏襲されています。
劇中にしばしば現れる「盗まれる操縦器」のエピソードはやはり見る者を興奮させ、悪の手に落ち町を破壊する鉄人には「機械という存在の危うさ」を感じずにはいられませんでした。
所詮、鉄人は機械。その豪腕も使い方次第で人類の敵となりうる訳です。
日本にはこれまで、鉄人の子孫とも言える空想上のロボットが多く生まれましたが、時代の移り変わりとともにこのロボット本来の「危うさ」「善悪の中立性」は薄れていったような気もします。


Photo_8さて。ビジュアル面で鉄人の「悪魔性」を感じる要因はどこでしょうか。
悪の組織に操られ、町を炎に変え人類に襲いかかる鉄人。私は、その鮮烈なイメージを前述の「掴み手」に感じてしまって。
この写真は初作アニメ版放送時に発売されたイマイ製プラモデルの箱絵です。悪人を懲らしめる鉄人の活躍、なんて場面ですが、この鉄人の「掴み手」、何となく怖くないですか?
「掴み手」の目的って、文字通り相手を掴む事ですよね。しかもその手のサイズから想定されるのは私達人間なわけで。確かに開き手には「味方を掌に乗せるため」という目的もありますが、写真の手の開き方はそうじゃない。やはり「人間を掴むため」の手ですよ。
私は今回のリボルテックに掴み手が付いていたことで、幸か不幸か鉄人に「悪魔性」を感じてしまったのでした。


鉄人って普段、両手を挙げる「バンガオー」のポーズや飛行ポーズで握りこぶしのイメージがありますから、もともと掴み手ってちょっと異質なんですよね。

Photo_9本当ならこのポーズも、もう少し腕を下ろすことで「人間を掴む鉄人」をイメージできたかもしれないんですが、ちょっとバランスが悪くなるのでこの位置に落ち着きました。それでも手を開くことで、鉄人の怖さはやはり強調されていると思います。
「鉄人って結構怖いフォルム」という印象も、その悪魔性に拍車をかけていると思いますし。
ただこれは「アオリ」のアングル、掌を見せるポーズで強調される効果。たとえ掴み手でも敵ロボットと組み合うポーズの鉄人には、また別のヒロイックな印象がありますし。

鉄人関係の研究本で、「悪魔系巨大ロボットの系譜」みたいな論がありまして。私は大変面白く読んだんですが、その中に「マジンガーZ」の原作者、永井豪氏が鉄人の印象を語った一文がありました。
「操縦器を持つ人間の命令のみに従う主人公-やりようによってはゾッとする代物になっていたかもしれない。」そんな主旨だったんですよ。


Photo_10小学生で鉄人を初見した永井氏。その「悪魔性」の影響が後年「マジンガーZ」に現れたというのも見逃せない事実です。
考えてみれば、マジンガーも兜甲児の操縦ミスで暴れる時や恐怖感を演出する作画の時は「掴み手」の場合が多いですね。
そんな印象から、ロボットが悪の手に落ちたり、操縦がうまくいかず意に反して人間を襲う時のイメージは「掴み手」のイメージを強く感じてしまいます。
件の論にはこうも書かれていました。「掴み手」の言及こそありませんでしたが、鉄人、マジンガーと続く悪魔系巨大ロボットの子孫があの「新世紀エヴァンゲリオン」とすれば納得も行くのではと。
そういえばエヴァにも「掴み手」のイメージがありますよね。

雄々しく雄叫びを上げる鉄人に潜むダークな深み。今回のリボルテックで私が見たかったのは、そんな鉄人の危険な一面だったのかもしれません。
あー、やっぱり危険な存在って魅力的。
なんて危ない女なんでしょうか私(笑)。


Photo_11「オタクイーン、何か忘れてない?」
いやー遅くなって失礼しました。
決して忘れていたわけではなく。

実は今回の「掴み手」については、リボルテック購入直後から帰宅時、ミニバイクで走りながら考えていた事なんですよ。クイズの文面にある「考え事」というのがそれです。
「横山光輝先生は、このことを意識されていたんだろうか?」なんて思いながら走っていた時、偶然目にしたのがこの一角でした。
普段私はフライドチキンをめったに口にしません。ですからこの一角に目が止まったのはまさに横山先生のお導き。本当に初めて目にしたんですよ。


Photo_12で、クイズ二枚目の写真、右端・花壇風コーナーのアップはこれです。
ご想像通り、実写版ジャイアントロボのフィギュアを使った模型屋さんの看板ですね。
いやー偶然とは怖ろしい。

思わず「マッシ(ここはあえてレコード歌詞で)」と叫ぼうかと(爆笑)。
もうお分かりでしょう。クイズタイトルであり、かの横山やすし師匠の名文句「オコるで!しかし!」とは、鉄人・Gロボ原作者、横山光輝先生と引っ掛けた「横山つながり」という訳です。ごめんなさい下手な引っ掛けで(涙)。


考えてみるとアニメ版はともかく、原作版やこの実写版ジャイアントロボには前述の鉄人に見られるような「掴み手」のイメージがありませんね。
あのフィンガーミサイルのせいでしょうか。
実写版Gロボと言えばあの「指伸ばしミサイル発射」のイメージですもんね。その端正な顔立ち、またあの「ミサイル手」イメージが強すぎて、私はGロボには非常に実直、誠実な印象を受けます。
やっぱり手にはキャラクターの表情が出ますよねー。

「手は口ほどに物を言い」ってところでしょうか(笑)。


貧乏な私なんて、働けど働けど暮らしは楽にならず。
じっと、ひび割れてかじかんだ手を見る。(エヴァ風雄叫び)

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2008年1月21日 (月)

てなもんやブレイク

クイズの途中ですが。可愛いネタができたのでちょっと予定変更。
中CMがわりにごらん下さい。

Photo_2
3時のコーヒーブレイク。
これが今日のお茶受け。
お店で見かけ、欲しくなっちゃって。
私の世代、ビスケットと言えばこれです。





                                 
Photo_6コタちゃんにも一個あげるよ。
いっこだけ?もっとほしいよ。



Photo_4 だいだろすあたっく!

ちょっとコタちゃん !どこまで入るのよ!
(これは本当に予想外。まさかここまでお気に入りとは(笑)。
Photo_5
う~んストロングスタイル。すでに三個は口の中ね。ほっぺパンパンだし。
とうぜんよ。わたしがこんなにつよいのも。あたりまえだの
それはクラッカーでしょ(呆)。

失礼しました。こんなおバカはすっかり忘れて
次回、クイズ解説編をお待ち下さい(笑)。

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2008年1月20日 (日)

オコるで!しかし!

えー・・・
今日はささやかな写真クイズを。

実は今日は、針穴のようなオタクグッズのトラブルで(ホントにご心配に足らないもので(笑)市内を走り回っていました。
原因はこちら。
Photo_2 これ、昨日買った可動フィギュアの腕なんですが。いざ開封してみたら。
ご覧下さい。白いシミがありますよね。

「これはまずいなー。」他の部分は綺麗な塗装がなされているので、余計ここだけが目立っちゃって。
さっそく今日、交換に走りました。よりによってお店は都心の中心部(涙)。

Photo_3 無事交換してもらい、考え事をしながら走っていたら。
偶然見かけたカーネルおじさんのお店。傍らには今時珍しいオタクネタが。

さて。問題です。
写真一枚目の可動フィギュアとは?
写真二枚目のオタクネタとは?
両写真をよーくご覧になり、お考え下さい。
ちなみに、二つのネタには共通点があります。
賢明な読者の皆さんなら、すぐお分かりですよね。

答えとネタにまつわるお話は、次回ゆっくりとお話しましょう。
カンのいい方なら、記事を読む前にピンと来たかも(笑)。

2008年1月19日 (土)

究極の人馬一体

昨日から、ちょっと悩んでいたんです。
あるオタクグッズを買うか、買うまいか。

今日のお天気が良くなかった。晴れすぎ(笑)。
お店に走れと言わんばかりのピーカン土曜日。メット越しに感じる冬の空気も気持ちよく、向かった先はいつものオタクショップ。ではなく。

実は今回、迷っていたのはどこのおもちゃ屋さんにもある最新アイテム。貧乏な私は数店回って、一番安いところで買おうとしたのでした。主婦みたいですが(笑)。
ところがミニバイクの手軽さゆえ、足を伸ばそうと思えばどこまででも行けちゃう。結局都心の真ん中まで出てしまい、知ってるお店を全部当たる羽目になってしまって。
まー自分が悪いんですが。こんな時間のムダをするより、多少高くても地元で買っておけばよかった、なんて後悔を覚え始めた四軒目。
ここで私は、今日の運に感謝しました。やっぱりたまには遠出してみるものです。
探していたアイテムとは別物ながら、もっと欲しかった逸品に出会ったのでした。

Photo_2「S.I.C.匠魂」。コレクターズフィギュアの人気シリーズとしてすっかり定着したアイテムですね。
竹谷隆之氏が原型を監修、過去から現在の東映特撮キャラクターを新解釈したハードディテールのモデル群は、大人も満足させる高品質のものです。本家本元は大型のモデルですが、この「匠魂」は手軽なサイズと低価格が良いですね。

とはいうものの、実は私、このシリーズは個性が強すぎてちょっと苦手だったんです。いくら何でもやりすぎでしょう、みたいな感覚で。
ところが今回だけはちょっと違いました。
ご存知の方も多いでしょうが、今回発売の「VOLUME 9」には、劇場版・新仮面ライダーシリーズのアイテムがラインナップされているのでした。
しかもあの、劇場版サイクロンとともに。


昨年11月、オタクショップでこの「VOL.9」の見本を目撃した私は狂喜乱舞しました。「メメ・メチャクチャにカッコイイ!」そりゃーもーベッドから落ちたイデ隊員以上の慌てぶり(笑)。速攻で予約してしまうほどだったのです。
ところがここで発揮されたのがいつものおバカぶりで。
そのショップのウィンドーには件の「匠魂」の見本の隣に、これも現在発売中のバンダイ製「HDX仮面ライダー」が並んでいたのでした。
よくある食玩サイズの「HDX」と並んだ「VOL.9」を見て勝手に同シリーズと勘違い。「大人買いすればこのサイクロンも手に入っちゃうか。でもサイクロンだけサイズが違うって事は、シークレットなのかな?」なんて勝手に思ってしまって。

「HDX」の方をフルコンプ予約してしまったのです。
「VOL.9」とは別のシリーズを(涙)。


「HDX」発売日、ショップからの電話を受けた私は、どうもかみ合わないラインナップの話に事情を察知、慌ててキャンセルする愚行を犯したのでした。
まーその「HDX」もあっという間に売り切れ、今は後悔していますが(笑)。
ともあれそんな顛末の末、欲しかった「VOL.9」は買い逃すことに。他のお店でもあんまり見かけないし、ネットショップでも結構売り切れてるし。あー縁がなかったのねと諦めかけていた矢先、今日の幸運に見舞われたのでした。
目の前に未開封12個入りのBOXが。しかも定価の20%0FFで(笑)。


こういう時、皆さんはどう考えますか?
このVOL.9、フルコンプのアイテム数は8個。シークレットを入れて9個です。ブラインドですから12個BOX一つでフルアイテム手に入る保証はどこにもありません。個人的にはアイテム中、ライダー1号・2号とサイクロン2台が手に入れば充分。後はダブろうが何しようが(笑)。
もしこの12個の中にライダー・サイクロンがなかったら・・・。
でも今買わなければいつ手に入るか分からない。S.I.C.のライダーやサイクロンなんて、市場に出た途端プレミアがついちゃうし。
いきなり定価の2倍や3倍は当たり前。


悩むヒマなんてありませんね(笑)。即買い(爆笑)。

Photoずいぶん前置きが長くなりました。そんな訳で手に入れたのがこれです。
何しろリリース情報に極端にうとい私、店頭で見かけるとこんな風にアタフタするばっかりで。ちょっと楽しんでる所もありますが(笑)。
「こんなの、ウチの近くじゃ普通に売ってるのに」というツッこみが聞こえてきそうで(涙)。
私のような古いオタクはムダな動きが多いという事ですね(笑)。


「ネヴュラ」読者の皆さんで、このS.I.C.シリーズをお持ちの方はどれくらいいらっしゃるでしょうか?前述の通り、私は初めて手にしました。大型フィギュアを含め、このハイディテールに触れたのは初体験だったのです。
噂には聞いていましたが、現物を見るとやっぱりすごいですねー。
これが一個525円とは(笑)。25年前のガレージキットなら未組立てで3,000円はするでしょーに(感動)。


Photoいつまでもコタと一緒に驚いていてもいけないので、今回のロックオンアイテムをちょっとご覧頂きましょう。写真は今回のラインナップ。
まー皆さんの予想通り、この1BOXでシークレット込み、フルコンプ出来ました。全然心配の必要などなかったと。しかもダブりはおいしいアイテムばっかりで。
采配が親切ですね。最近のバンダイは(笑)。

全部のアイテムをお見せするのも何なので出来はこの写真でご確認を。今日は欲しかったライダーシリーズのみを組み立ててみました。



Photo_5まずはやっぱりこれ。「仮面ライダー THE FIRST」版、1号・2号ライダーです。
THE FIRST版という事で、カラーリングも「NEXT」版より明るめ、ウェザリングもありませんね。S.I.C.独特のスリムなプロポーションですが、意外にも劇中のイメージと違和感がないところが嬉しいですね。
これまでS.I.C.アレンジのあまりの過激さにちょっとついていけない私でしたが、この劇場版ライダーシリーズは、元々本編に登場するライダーのディテールやプロポーションがS.I.C.アレンジに近いせいもあって、いいディテールアレンジに見えてくるようです。


Photo_6全体の質感、皺やスタッズの適度な処理、同系色に見えて微妙な艶の差を感じさせるマスクとスーツのカラーリングなどなど、いやーやっぱりすごいですねーS.I.C.は。
色指定は日本で行っていたとしても、中国四千年の彩色技術には舌を巻きました。彼らの高度な技術がなければ、こんなリーズナブルな価格にはならないですもんね。


Photo_7ライダーと来れば当然、次はサイクロン。
この劇場版ライダーに登場するサイクロンは、旧テレビシリーズのそれを現代風にアレンジしたデザインがなされていますが、S.I.C.版も、ミニサイズながらそのアレンジをさらにカッコよく見せてくれています。

フルカウルタイプのフォルムを踏襲した1号用サイクロン・新サイクロンのイメージを発展させた2号用サイクロン。
個人的には、ライダーにはやっぱりフルカウルが似合うと思います。
私にとって「仮面ライダー」とは旧1号を指すので(ごめんなさいガンコで(汗)、あの第一クール主題歌、タイトル前に荒野を疾駆するサイクロンこそが「ライダー」と思ってしまうのです。
いかにアクションシーンなどで改造サイクロンが多用されようと、そのシーンをむりやり脳内でフルカウルタイプに自動変換してしまうという(笑)。
「フルカウルこそサイクロン・身を沈めてこそライダー」主義なんですね(笑)。


Photo_8今でもあの「フルカウルタイプに身を沈め、目を光らせ疾駆する旧1号」を超えるライダービジュアルは出現していないような気がします。
ドラマという点では名作、意欲作が次々と生み出されているライダーシリーズですが、ことビジュアルの点に於いて、あのテイストに迫ったのは劇場版「仮面ライダー THE NEXT」ぐらいじゃないかなーなんて、惚れっぽい私は思ってしまうのですが(笑)。


Photo_9さて。そんな私の願望を最も端的に表してくれたモデルがこれ。今回の「匠魂VOL.9」では、前述の立ちポーズライダー1号・2号の腕、下半身のパーツを差し替えて、このようにサイクロンに搭乗させることが出来るのです。
昨年、私がショップで一目惚れしたのがこれ。カッコイイでしょー(目がハート)。
これを見て即、予約した私の気持ちがお分かり頂けたでしょうか。
いかにユルユルソフビ好きの私でも、このハードテイストとシャープなフォルムには完全にやられました。この出来で全長8cm程度なんですから。
大きいサイズなんて要らないねーって感覚にもなりますよね。
実際のところ、これを超える満足度が今年中に味わえるかどうか、ちょっと不安なくらいなのです(笑)。


先ほどもお話しましたが、仮面ライダーのいくつかの魅力の一つに「人馬一体感」がありますよね。
ライダーと言えばサイクロン、V3と言えばハリケーン、みたいな。

ライダー同士でバイクのトレードなんて考えられない。これはウルトラ世界には無いイメージです。ウルトラマンとビートル、セブンとホークの関係とは明らかに違う感覚。何故なんでしょうか。やっぱりライダーにとって搭乗バイクは体の一部、よく言われる「相棒」なんでしょうね。


Photo_10確かにヒーロー名に「ライダー」の文字を冠する仮面ライダーにとってバイクはイメージリーダー。たった一人で凶悪組織ショッカーと戦うライダーの頼もしい武器でもあります。
考えてみれば、仮面ライダーって第一話、ショッカーに改造された時点ではバイクとセットになっていませんよね。「怪人バッタ男」の武器としてショッカーから与えられた訳じゃない。それともショッカーが密かに開発していたなんて描写があったのでしょうか?
本郷猛本人がバイクレーサーという設定がありますから、そこから逆算されたものとは思うんですが、それにしたってあまりにもフィット感がありすぎる。
また「ベルトの風車に風圧を受けると変身」というストーリー上の要求から逆算された設定でもありますが。
でもそれだけでは言い尽くせない何かがあるような。
読者の方でその辺の裏事情にお詳しい方がいらっしゃったら、無知な私にご教授下さい。
「オタクイーン、なんにも知らないなー」なんてクレームも大歓迎です。
私、東映作品の知識は穴だらけなので(涙)。


Photo_11ここからはいつもの私見ですが、やっぱりライダーって「バイクに乗ってナンボ」と思うんですよ。この写真でお分かりの通り、バイクにまたがったライダーは実に絵になる。
ライダーがこのフォルムで自動車に乗っていたら、あれほどの人気が出たかどうか(笑)。
ヘルメットやスーツにバイク関係の素材を使っているから一体感が出た、という理由も大きいですが、いつもミニバイクを使う私などにはどこか「体を晒して戦っている」という「肉体駆使感覚」とでも言うべきイメージに通じる気がします。


よく、バイクに乗った事のない人に「ミニバイクって怖くない?車と違って転んだら大怪我しそうだし」なんて言われる事があって。言われてみればそうなんですよね。確かに車と違い、体を直接晒して走るバイクは危険です。
ある種の体力と度胸がなければ運転できないのかもしれません。

仮面ライダーに感じる肉体駆使感覚は、きっとそんな所から来ているのでしょう。「自分の力だけしか頼れない、体を駆使する強い男。」そして彼の乗るバイクには「改造された身体だけが操れる、危険なマシン」
というイメージが。
バイクというアイテムから連想されるワイルドな、アクティブなイメージが根底に流れていたからこそ、「仮面ライダー」はウルトラとの差別化に成功し、今も続く人気を獲得できたのかもしれませんね。

Photo_12いやーいつもの事ながら、こんなフィギュアからお話も脱線しまくりで。どうしても話題がフィギュア界の背景とか動向に向きませんねー。
悪い癖です。
この癖がある限り、私は今一つ新作アイテムの情報に乗り遅れがちになるのでしょう。
でもこれでいいかなーって。アイテムを揃える事より、そこからどれほど思いを馳せられるかを考えるタイプなので(笑)。


うーんでもこれ、今も目の前にあるんですが、見れば見るほどカッコイイ。
ゴジラやウルトラマンのデザインに飽きが来ないのと同じく、きっと人間に備わっている「カッコ良さの基準」みたいなものは不変なのでしょう。

でなければたとえリファインとはいえ、37年前のデザインをこれほどカッコよく感じるわけがなく。


たぶん20年後も言ってますね。
「サイクロンとライダーってカッコイイよね。」って(笑)。

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2008年1月17日 (木)

「オタク」と「ヲタク」

「ボルジャーノンはないよねー。」
昨夜、テレビ朝日系で深夜放送された番組「世界一奇妙なクイズ!!
」。
(東海地区では23時17分~24時12分オンエア)

新聞のテレビ欄に「ヲタク知識」なんて書いてあったら見ないわけにはいかないと。ご覧になられた方もいらっしゃるかもしれませんね。
予想はしていましたが、やっぱりこれが地上波の限界なんでしょうね。
同業の自分が言うのもおかしいですが(笑)。

ヲタクを自認する数名の芸能人がテーブルを囲み、各人がいわゆる「ヲタク知識」をクイズとして出題するこの番組。私は初めて見ましたが、この企画は「すくいず」というクイズバラエティから独立したものである事を後で知りました。

古いタイプのオタクである私は、以前からこの手の番組に目がなかったんですが、最近はなかなか唸らせるような内容が少なくて。今回の番組も「やっぱりか。」
付き合いきれず、途中でやめてしまいました(笑)。
これは好き嫌いのお話なので、別に内容そのものに問題は無いんですが、最近、この手の番組で琴線に触れるものが少なくなっちゃいましたねー。

未見の方の為にお話しますと。冒頭のセリフは、番組内で「ガンダムヲタク」を自称する芸人、土田晃之が出題(構成上そうなっている)したクイズの答えについて。
「1979年「機動戦士ガンダム」で初登場したモビルスーツ「ザク」が、1999年放送の「ターンAガンダム」で再登場した時の設定は?」という問題でした。
よくある四択問題でしたが、もちろん正解は「遺跡として発掘」「ボルジャーノンというネーミング」ですよね。

まーバラエティー番組の常として、中川翔子や勝俣州和ら他出演者の回答比率はそこそこに設定され、解答発表もそれなりにレア情報として盛り上がりを見せる(「えーっ?」のSEも大きめに挿入)王道の展開。
番組の作り方としては非常に真っ当で、「間」や編集の手際は最近のバラエティーとして及第点の出来なのです。
ですから私が発した「は、ないよねー」のセリフは、もちろん番組の出来についてではないのです。よくある「ネタとしてユルすぎる」なんて事を思った訳でもありません。
タク」と「タク」の違いって何なの?』
私が思ったのはその事でした。


録画したこの番組を見直すと、なるほど番組内での呼称はすべて「ヲタク」。新聞欄での表記も「ヲタク」になっています。
「あれ?タクっていつからタクって表記になったの?」
無知な私はここで、ちょっと考え込んでしまいまして。
まー地上波のバラエティー番組は芸人やアイドルがトークを盛り上げなければ成立しないですから、まともな知識やウンチクを期待する方が無理。
「お笑いマンガ道場」に永井豪の本格漫画論を期待するのと同じくらい見当違いなんですが(笑)、それにしても「ヲタク」の表記の意味がわからない。
「オ」「ヲ」にした理由が、番組から見えてこなかったんですよ。


「オタク」。現代新書『「おたく」の精神史』(大塚英志著)によれば、この呼称は1983年、「漫画ブリッコ」六月号で中森明夫によって初めて用いられたそうです。
当時の呼び名はカタカナの「オタク」ではなくてひらがなの「おたく」。
その命名からはや25年。ひらがなからカタカナに変わった経緯は「携帯電話」が「ケータイ」に変わっていったのと同じようなものでしょう。
「説明語」が「名詞化」していく例は、他にも色々ありますよね。
ですからこの「オタク」というカタカナ表記については、その発祥を発展、一般化させたという意味で納得できるんですよ。
で、件の番組で統一された「ヲタク」という呼称ですが。
「オ」「ヲ」に変わった理由はどこにあるんでしょうか?


この答えは、ついに番組からは見えてきませんでした。回答者がタレントというたけで内容は「TVチャンピオン」「カルトQ」のユルーい移植だし、この手の形式はよくありますしね。「ヲタク」と呼称するなら、「オタク」との違いをはっきり見せてもらいたかったなーと思っちゃったのです。
皆さんは「オタク」「ヲタク」の違いをどう定義されますでしょうか?


ここでちょっと業界の裏話をさせていただきますと。
番組を企画する時、企画者は必ず「この番組はこれまでになかった切り口ですよ」という事を大きなセールスポイントにします。もちろんキャッチーな新語や独特のキーワードを作るのも企画者の重要なセンス。
昔の例なら「ひょうきん」、最近の例で言えば「トリビア」なんて言葉はヒットしましたね。従来からある言葉でも、そのパッケージングを変えるだけで新たな輝きを見せる物なのです。その裏に企画者の卓越したセンスが働いていた事は言うまでもありません。


ところがこの「キーワード」、どんなこじつけでも、企画段階では必ず何らかの意味が込められているものなのです。でなければ海千山千、現在のメディアの頂点に立つ局上層部は説得できない。たとえ吹けば飛ぶような理屈でも、「おー、なるほどね」とプロデューサーを納得させなければ番組はスタート出来ないのです。番組制作はビジネスですから。
ですから今回のキーワード「ヲタク」にも、必ず何らかの意味があるはずなんですよね。私がプロデューサーなら必ず企画者に尋ねます。
「この『ヲタク』という言葉の定義は?」
ここで企画者が明確な答えを持っているかどうかで、番組の実現化が決定されると言っていいでしょう。


お話が専門的になりすぎましたね。もうちょっと下世話にいきましょう(笑)。
まー考えてみたんですが、おそらく現時点ではこの表記の差、「気分」「目先を変えた」くらいしか解析のしようがないんですよね(笑)。

私だけの感覚なんですが、「怪獣」に対する「超獣」みたいなものなのかなー、なんてね(笑)。
努力はしたんですがあまり変わりませんでした。みたいな。


先ほどとは逆のお話になっちゃいますが、番組という物は企画時のキーワードがそのまま反映される訳ではありません。
企画が視聴者に受け入れられているかどうかを分析するプロデューサーは、番組スタート時の視聴率などから、企画が受け入れられていないと見るやすぐに方向転換、「テコ入れ」「守り」の姿勢に走る事が多いのです。
斬新な発想で始まったヒーロー番組が途中のテコ入れで路線変更した例はたくさんありますよね。
シルバー仮面の巨大化やミラーマンのカラータイマーなど(笑)。
今回の「ヲタク」表記だって、「やってみたけど分かんないねえ」なんて判断で企画時の崇高な発想(笑)がスポイルされている場合もある訳です。


「やっぱり真相は藪の中かなー」なんて首をヒネる私。
もともと鈍い頭ですから浮かぶ発想も大した事なく。
「オタクイーン、そんな細かい事気にする方がおかしいよ。「エヴァ」の影響とかあるんじゃないの?単に旧かな使いがお洒落ってだけだと思うけど」
なんてお言葉がこだましたりして(笑)。

でもどんな事にもそれなりの結論を求める私としては(笑)、その「旧かな使いをお洒落に感じる背景」に興味が行っちゃうんですね。


昨年、「エヴァ」が部分リメイクされ新劇場版「ヱヴァンゲリヲン」として公開された事は記憶に新しいですね。確かにこのタイトルでも「オ」が「ヲ」に変わっています。で、それが内容に反映されていたかと言うと、新劇場版を未見の私には語る術がありません。
ただ、庵野監督が旧かな使いにこだわる理由、さらにそれをスタイリッシュに感じる現代の空気には、なんとなく納得出来るものもあるんですよ。
庵野氏と年代が近い私などにも、確かに旧かな使いは新鮮に映ります。

無理矢理納得しようとすれば、確かに「オ」が「ヲ」に変わった理由はそういう「時代の空気」に落ち着くのでしょう。
でもこの居心地の悪さはどう説明すれば(笑)。


「やっぱり内容が伴っていないからなのかなー。」
たぶん「エヴァ」と、旧かな使い「ヱヴァ」の違いが内容に表れていれば納得できるんですよ。「オタク」と「ヲタク」の違いも。

ただ、翻って見ればこういう事は言えますね。
そんな表記にこだわる人は古い「オタク」で、こだわりから自由になっている人が「ヲタク」。そういう意味では、私は確実に「オタク」ですね。真性の(笑)。

以前から何度もお話している「ゴジラの存在理由」など、内容にこだわりすぎるのは既に絶滅危惧種なのかもしれませんねー(爆笑)。
「ゴジラはゴジラなんだからいいじゃん。」「どっちでもいいじゃん。オタクでもヲタクでも。」まー確かにその通りなんですが(笑)。
昔、お仕事の仲間に言われた言葉を思い出しました。
「良い悪いじゃなくて、
そういう世界なんだ。」


ただ、こういう事も言えると思うんですよ。これは私を含めた世代全体が自戒すべき事なんですが。

写真家、浅井慎平氏の言葉です。
「俺たちの世代はビートルズを生んだ。
今の世代にオリジナルはあるか?今の世代がビートルズ以上のオリジナリティーを生み出せない限り、俺は今の世代を認めない。」


この言葉、私にとっては非常にインパクトがありました。
結局私たちの世代は、ゴジラやウルトラマンなど強烈なオリジナリティーを持つ存在をまだ生み出せずにいるんですね。全てはシリーズか、過去の遺産を使ったリメイクばかり。
「ヲタク」なんて、ちょっとかな使いをいじって喜んでいる程度で(笑)。
「そういう世界」という言葉に説得力がなく、浅井氏の言葉に響くものを感じるのは、「そういう世界」が私たちの世代のオリジナルではないせいでしょう。
先人たちから与えられた文化をいじっているだけという焦燥感。
どこか自分達のオリジナルではないという気持ちが、「ヲタク」という言葉遊びに反応してしまったのかもしれません。


件のクイズ番組中、ウンチクを熱く語るタレントの姿を思い出す度に、浅井氏の言葉が大きく胸に響きます。
「語れるという文化を作ったのは俺たちの世代だろ?そんなところで満足してていいのか?」そう言われている気がして。
いやー正直な話、これは焦りますねー。
そんな浅井氏が驚愕するほどの文化を生み出すべく、私たちの世代もオリジナリティーを発揮しなければと思います。


そういう意味で「ヲタク」にはなりたくない。小さな事ですが、言葉遊びで満足したくないんです。
やっぱり私は「オタク」である事に誇りを持ちたいと思います。その方がまだほんのちょっとオリジナリティーがありますから。
何を熱く語ってるんでしょうか私(笑)。


現在はパソコンの登場など、ハード面では目ざましい発展を見せていますが、ソフト面でのオリジナリティーはますます減ってますよねー。
映画もテレビもリメイク作が多いですし。オリジナルと言われるものさえどこかで見た内容ばかりだし。
これだけ識者が多いんですから、誰か物凄い事を考えてもいいと思うのですが。まーそう言っていてはいけませんね。私も頑張らないと。

「女子な男子」なんて、かなりオリジナルな生き方とは思うんですが(笑)。

2008年1月15日 (火)

「咀嚼力」の参考書

「アポロ11号月面着陸は捏造だったのか!?」

Photoこんな見出しを声高に叫ばれちゃ、興味を持たずにいられない私。
もちろん速攻で買っちゃいました。
今日発売の「週刊 歴史のミステリー」。
まーここ数日、いやと言うほどスポットCMも流れている事ですし、皆さんもよくご存知と思います。

詳しくはこちらを。
http://www.de-club.net/rms/

創刊号ならでは、お試し価格の190円は続刊購入への呼び水と分かっていても、手を出さずにいられない不思議マニアの悲しい性。薄いからすぐ読めちゃいますし。

これまでにも、DeAGOSTINIのパートワーク・シリーズは「週刊THE MOVIE」などいろいろ手を出していますが、その号数の量にいずれも途中で挫折する事が多く、今回も先行きは不安。でも考えてみれば全号揃える義務はない訳で、低価格の創刊号だけ読んでもバチは当たらないと。続刊は読んでから決めればいいですし。

帰宅後、早速かじりついてみましたが、これ、なかなか良いですね。
あっという間に読めちゃう上に、その資料性に大きな価値があります。


テレビ屋なんぞをやっていますと新しい話題、人々の興味を引く話題に敏感になるのが一種の業、いわば職業病でもあるんですが、そういう時、常に用意しておかなければならないのが「資料」なんですよ。
「そんな。新しいネタはそれだけで価値があるんだから、わざわざ資料と照らし合わせる必要は無いんじゃないの?」
そう思われる方もいらっしゃるでしょう。しかし、万物は「古い事」と照らし合わせるから「新しい」と分かるわけで、頭の中や手の届く所に過去の資料を蓄積しておく事は、物事を解析する上で何よりも重要な事なのです。

まー私だって、偉そうな事を言っていながら「今さら他人には聞けない常識」なんて山ほどありますし。いつも恥ずかしい目にばっかり会っています。
ですから余計、資料の大切さを痛感する次第で。

ある本に「資料はいつも分かるように整理しておく事。埋もれてしまった資料は無くしたのと同じ。」なんて書かれていましたが、まさにその通りと思います。「ネヴュラ」で私見を語るようになって、その思いはますます強くなりました。
「あー、あれ、どこ行ったっけ?」なんてガサゴソやってる内に語りたい事を忘れてしまったり。こういうおバカの積み重ねがそんな思いとなるのかもしれませんね。


で、この「歴史のミステリー」。これが何故資料的価値を持つかと言いますと。
この本の構成は常に、まず、これまで語られてきた史実が記述され、その後に「その史実に関する疑問点」が箇条書きになっているんです。で、その疑問項目を一つずつ解析、現時点での結論が語られています。
この構成が分かりやすいんですね。


もともと人類の歴史についてまったく無頓着だった私には、この構成は非常に便利。例えばこの号ではまず「本能寺の変」について語られていますが、私などこの史実についてほとんど知識がありませんでしたから。
この本を読んで「あー、そーいう事だったのねー。」なんて、その史実自体に納得しちゃうんですよ。お恥ずかしいお話ですが(笑)。
で、そこからがこの本の真骨頂、「この史実に於いて、明智光秀は本当に織田信長に憎悪を抱いていたのか?」という推理が展開する訳です。
この流れは大変面白い。ミステリードラマによくある「動機なき殺人の謎」みたいなものですよ。歴史ミステリーの本にしばしば登場するこの史実も、定説とされている史実がまずしっかり解説されているからのめりこみやすい。いわゆる「もう知ってる人」相手じゃないんですね。ビギナー向けなんでしょう。
無知な私にはこの「しっかり解説」が非常にありがたいのです。


つまりこの本、史実の部分だけ読めば「歴史図鑑」として資料的価値を持ち、その先に進めば「推理の解析」になるという二段構えなんですね。で、推理の部分は「別に信じようと信じまいと読者の勝手」的なところがある。あくまで史実に基づいた、現時点での推理に留まっている所もいいんですよ。

さらにこの構成、物事の「咀嚼力」をトレーニングする上で非常に大切な事と思っています。「ネヴュラ」で語るおバカな私見は、この「咀嚼力」から来ている事が多いんです。
「この作品は別の作品のエッセンスを取り込んでいる。」「こちらの作者は、常にこういうテーマを内包した作品を書いている。」たとえ的外れでもこういうお話は、作品単体を見ていては思いつかない事なんですよね。
史実や作品をどう咀嚼し、別作品と関連付けるか。どうやら私の作品解析はこういうスタイルなので、この「週刊 歴史のミステリー」は考え方の上で非常に良い参考書となるようです。

まー私の場合、稚拙なこじつけばっかりで申し訳ありませんが(涙)。


さて。入手された方には蛇足かもしれませんが、私がこの号で興味を持った話題をちょっとお話させていただければ。まーほとんど全部なんですが(笑)。
前述の通り日本史が苦手な私にとって、第一特集「本能寺の変」にはあまり食指が動かなかったんです。
一応は読み込めたんですが、それより私を急かしたのは次の話題「イエス・キリストに子供は存在したのか?」でした。

Photo_2まーいつもの通り、内容は実際お読みになればご理解いただけますから解説は割愛。
私が注目したのはその解析部分で。
これ、往年の地上波番組「特命リサーチ200X」の手法ですよね。

私はあの番組が大好きで第一回からほとんど録画、現在も所有しています。
この本に「特命」の匂いを感じたのはこのページ、有名なダ・ヴィンチ作「最後の晩餐」でイエスの隣に座る人物、そしてそのポーズの検証を行っている部分。この「絵画に隠された意図」なんて、完全に「特命」のそれですし。
語られるのは確かに独善的な推理かもしれませんが、非常に興味を引きますよね。近年話題になった映画「ダ・ヴィンチ・コード」(2006年アメリカ ロン・ハワード監督)でも、この絵画の持つ意味が重要なキーとなっていました。
かようにキリストの周辺には多くの謎が存在し、それぞれが一級のエンターテイメントとなりえる「おいしい」話題なのです。


Photo_3「歴史」と銘打つ通り、このシリーズは古代文明についてもおいしい切り口を持っていまして。
今号のジャガー信仰神殿「チャビン・デ・ワンタル」(ペルー)も、古代アンデス文明の中で謎とされる紀元前1000年頃作られた空中遺跡。標高約3150メートルの急斜面に位置しています。この遺跡、あのインカ帝国よりさらに2500年も遡るんですね。
巨大地下回廊を進むと、そこにはチャビン文明のシンボルとも言うべき半人半獣像が見られるそうで。この像、ジャガーの頭に人間の体といういでたち。何か不思議じゃありませんか?
そうです。1967年にピープロがパイロット版を制作した「豹(ジャガー)マン」に酷似した姿かたちなのです。ちなみに豹マンは「バビロニアの星の超能力を持つスーパーマン」という設定。古代文明の名を冠する二つの「豹」が、ここで奇妙な符合を見せました。
ここで私は「豹マン」企画者、鷺巣富雄氏の博識ぶりに感心しました。
たとえ子供番組であっても、こういう部分に企画者の勉強の跡が見えるものなのです。
「当時、何かの文献で見たんでしょ」と思うのは簡単。その「見る」という行為がどれほど大切な事か。これはその立場に立たなければ分からない事かもしれません。


Photo_4で、今回の目玉、「アポロ11号月面着陸は捏造だったのか?」。
映画「カプリコン・1」(1978年アメリカ ピーター・ハイアムズ監督)の元ネタと言われる程酷似しているお話しゆえ、これはもうある意味「ファンには周知の話題」ですよね。
様々なメディアにも採り上げられ、2006年には件の月面着陸記録ビデオが紛失、なんて発表も記憶に新しいこの事件、この記事では捏造疑惑にかなり傾いています。
皆さんはこの事件についてどんなご意見をお持ちでしょうか?


個人的には、この事件の話題性を高く買いたいと思います。関係者がいらっしゃったらお詫びいたしますが、乱暴な言い方をすれば真偽はどちらでも、という意見です。
それよりこの事件のミステリアスな部分、さらにビジュアル的に抜きん出たストーリー性が私を強く魅了するのです。
「これは映画になりえる話題。」そっちへ嗅覚が動いちゃうんですね。

まー前述の「カプリコン・1」で先鞭を付けられちゃいましたから、今はどうしようもありませんが。ただ映画製作当時、この疑惑はまだ一般的ではありませんでした。とすれば、映画を企画したプロデューサーは怖ろしく先見の明があった、時代の先を行く人物だったと思います。その符合具合はとても偶然とは思えないほど。
たまたま、件の映画を先日DVD鑑賞しましたが、ちょっとピーター・ハイアムズの演出が私には合わなかったみたいで(笑)。しかしながら
、そのストーリーの先見性にはほとほと感心しました。
腕利きの企画者とはこういう人物を指すんですね。


Photo_5史実を元にしたと見られる逸話も、この本には独自の解析がなされています。
巻末近くに記されている「ハーメルンの笛吹き男」がそれです。

不勉強ながらこのお話、私はほとんど知らなくて。でも逸話部分を読み進む内に、あるエピソードが脳裏をかすめました。
何の事はありません。このお話、「ウルトラマンA」第23話「逆転!ゾフィ只今参上」1972年9月8日放送 真船禎監督)じゃありませんか。
私はこの有名な逸話のウルトラ流翻訳を、既に36年前に見ていたのです。


今回のお話のテーマ「咀嚼力」が最もはっきり表れているのはこの部分でしょう。過去を紐解くと言うのはこういう事なんですよ。
一見、まるで関係ないと思われた歴史解析本が、ネヴュラ常連の話題「ウルトラ」の線で繋がる不思議さ。

件の「A」エピソードは、宿敵ヤプールの実体化という重要な意味を持つものだけに、製作側も気合を入れて取り組んだ事でしょう。その下敷きになった逸話がこの「ハーメルン」という事実に、私は感激を禁じえませんでした。
お恥ずかしいお話、私は「A」放送時には既にウルトラから離れていましたから、この23話はたまたま何かの折に見たもの。しかしそのインパクトの強烈さゆえ、現在も記憶の隅に残っていた訳です。でなければ今回、元ネタを見て思い出す筈がない。


今作の脚本は監督も兼ねた真船禎氏の作ですが、真船監督もこの有名な逸話を「咀嚼」し、A最大の敵キャラクターを肉付けして行った筈なのです。
印象的なエピソードには必ず下敷きあり。昔から言われている事ですが、改めてそう感じました。


そういう意味でこの「週刊 歴史ミステリー」はストーリー作りの宝庫なのかもしれません。前述の通りどの史実も、後々形を変えて映画やテレビの一エピソードに昇華されている。これはおそらく、たまたま読んだ一冊の偶然ではないでしょう。およそ古今東西に伝わる史実は、形を変えて現在も行き続けているのです。
作品作りの上では「咀嚼力」=「創造力」と言い換えても良いでしょう。過去の事実をうまくパッケージングし現在に蘇らせる行為も、発想という点では大きなオリジナリティーなのです。ただそこには「時流を読み解くセンス」が必要である事は言うまでもありませんが。
企画者にとって大事なのは「作品の元ネタを知っている」という受身の姿勢ではなく、「作品になりうるネタを常に探す」という攻めの姿勢という事を再確認した次第です。


Photo_6さて。ここでちょっとお話は別の本に移ります。私は昔からこの手の話題が好きで、少ないながらもこういう本は持っているんですが、中でも最近気になっているネタがこの本にあります。まーこれは最近よくある「500円本」。一時間もあれば読めちゃいます。
でも前述の通り、企画者の端くれたる私にはこの上なく楽しいものなのです。



Photo_8問題のネタはこれ。これまでにも色々な番組で採り上げられたのでご存知の方も多いでしょう。古代マヤ王国で製作されたらしい水晶髑髏「ヘッジス・スカル」なる代物です。
人間の頭蓋骨を、極めて正確に再現したとされるこの水晶は、下から光を当てると全体が炎のように輝き目が発光、虹のような効果まで計算されているそうです。
さらに文字を書いた紙を髑髏の下に敷けば眼球から文字が判読可能、真上から覗けば拡大文字が見えるという効果が。
優れた加工技術、水晶のプリズム効果などの高度な計算がなければ出来ないこんな物体は、現在の技術をもってしても製作不可能と言われています。


いわゆる「オーパーツ」に分類されるこういう物体は世界中で発見されていますが、私は特にこの美しいオブジェにイマジネーションを刺激されますねー。
例えばウルトラマン第19話「悪魔はふたたび」に登場する金属板みたいに、これが古代人からの警告メッセージで、光の当て方で警告文が浮かび上がるなんて、ちょっといいじゃないですか。
いつもながらおバカな事ばっかり考えている私などは、こんな眉ツバ情報にもロマンを感じちゃうのでした。でもこういう発想って、頭を柔軟にするトレーニングには絶好ですね。
そんな意味でも、私はしばらく「週刊 歴史のミステリー」を愛読したいと思います。
ちょっとバラしちゃいますが、実は長期継続考案中の「G×G」もこの世界観で展開するんですよ(笑)。


Photo_9今日の最後はこの写真から。
これ、「歴史のミステリー」の一ページなんですが、この絵は「トロンプ・ルイユ」と呼ばれるだまし絵の一種だそうで、この絵の中に、通常の見方では判別できないある物が描きこまれているそうです。

ちょっと考えてみて下さい。キーワードは今日の本文中のどこかにあります。

正解は、直接書店でお確かめ頂ければ(笑)。

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2008年1月13日 (日)

NEXT LEVEL

Photo名古屋駅前のナナちゃん人形も
こんなタスキがけ。

成人の日を含むこの三連休は、各店競っての年明けクリアランスセール第二弾。


私には密かに狙っていたアイテムが。



                            
Photo_10戦場はまさにこの駅ビル。
例年なら買いあさるレディースウェアに目もくれず、いち早く向かった先は大型書店。




Photo_3 そうです。書店唯一のクリアランス商品、カレンダー。
第一週では早いんです。半額になるのはこの三連休を含む四日間のみ。
毎年の苦い経験から、この微妙なタイミングを割り出しました。
オタクレーダーに狂いなし(笑)。
事前のリサーチでは残り2本。間に合いました。無事1,000円でゲット。

Photo_4

A2タテ一、表紙込み7枚構成。
「NEXT」バージョンならではのバトルダメージ・1号が闇夜に映えてカッコイイ!






Photo_5落ち着いたグリーンのカラーリングが際立つ2号。劇中をイメージしたポーズが秀逸。







Photo_9今作、新登場のV3は、オリジナルと新解釈がほどよくブレンドされたフォルムが印象的。
これらのページと交互に、黄川田将也さんなど各々の役を演じた俳優さんのショットが配され、一年中「NEXT」の世界に浸れるすぐれものです。
(当たり前ですね。カレンダーなんだから(笑)。
Photo_7 細々と集めた「NEXT」関連本と一緒に。
うーん改めて、今作のレベルの高さを再認識したカレンダーでした。
DVDリリースが待ち遠しいです。
Photo_8
今回、こちらのお方は多忙につき、ノーコメント。空気的にからみづらかったので(笑)。



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2008年1月12日 (土)

アセトン臭とモーター音

「こういうお話が聴ける所が、DVDの利点だよねー。」
新作ソフトの情報にうとい私にとって、随分前に発売されたDVDを初見するなんて日常茶飯事。おまけに貧乏な私はレンタル店で探すもんですから、そもそも作品がお店に並んでなければどうにもなりません。

ましてや既に何度も鑑賞し、レーザーディスクを所有しているソフトとなれば、たとえ目の前にDVDが並んでいても、ついスルーしがちになるのが人の常というもので。
でもやっぱり借りてみるものですねー。毎度おバカ続きの私です。
「美女と液体人間」(1958年東宝 本多猪四郎監督)。

この作品については、以前「ネヴュラ」でもお話しましたね。東宝が「ゴジラ」など怪獣映画に続き製作したいわゆる「変身人間シリーズ」の初期作品です。以前の記事はこちら。

「ホムラ」は恐怖に濡れて
http://spectre-nebura.cocolog-nifty.com/cultnight/2006/09/post_e604.html

一昨年前、9月にしたためた駄文ですが、今読み返してみると何となく微笑ましいですね。作品との向かい合い方がちょっと甘かったような気もしたりして。
そう思えるという事は、それなりに自分も年を重ねているんだなと(笑)。

駄文ながら、まー作品の概要はそちらの記事をご参考頂く事にして。
今回お話したいのは、DVDソフトゆえの貴重な作品背景「コメンタリー」と「特典インタビュー」についてです。


東宝ビデオから発売されている特撮作品には、音声選択で作品関連のキャスト・スタッフによるオーディオ・コメンタリーが新録音され、商品としての付加価値が与えられています。コメンタリーには今まで知られなかった数々の苦労話や当時の状況などが窺えて、DVD鑑賞の密かな楽しみとなっています。今まで聴いた中でも特に「怪獣総進撃」の谷清次さんなどは特に感銘を受けました。コメンタリーを聴く為にDVDを見る事もあるんですよ。
実は私、このコメンタリーに関してはちょっとした持論がありまして。
「作品についてはキャストよりスタッフの方がより深く語れる」という物です。

まー作品の企画段階から参加し、一から組み立てるスタッフに利があるのは当然のお話。撮影に参加するのみのキャスト、出演者が、作品の「現場」についてしか語れないのはもっともな事なんです。
いかに画面で活躍する出演者と言えど、司会者から「あれはどうやって撮ったんでしょうねー?」と聞かれては「はあー・・・こうだったんじゃないですか」としか言いようがない訳です。
これはキャストとスタッフという立場上の違い。そういう質問を振る司会者が勉強不足なんですね。


ところがごく稀に、出演者ながら作品内容に大変詳しい、また作品への愛情を非常に感じさせる俳優さんが居ます。「モスラ対ゴジラ」の佐原健二さん、「フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ」の水野久美さんなどのコメンタリーからはそれがひしひしと伝わってきました。
決して作品におもねる事なく、自分の立ち位置からしっかりと作品を見据えるその視点に、おそまきながら感服したものです。


今回鑑賞した「美女と液体人間」のコメンタリーが主役を演じた佐原健二さんと知ったのは、不勉強ながらDVDのジャケットを見た時でした。
レンタルを決めたのは、このコメンタリーキャストによる所も大きいのです。

Photo_8 実際、作品の映像に乗せて展開する佐原氏のトークは、相変わらず特撮作品への愛情に溢れていました。
なにしろ50年近く前の作品。当時は映画界がもっとも活況を見せていた頃ですから、作品を何本もかけもちする売れっ子俳優などは作品一本一本についての記憶が散漫になる事が多く、コメンタリーでも忘れたり記憶違いなど、要領を得ない対応が多いのです。
ところが佐原氏はこの58年、10本以上の作品に出演していながら、質問担当の古怒田氏を凌駕する作品知識。
聴く者を圧倒する健在ぶりでした。
さすがわれらの「万城目君」(笑)。記憶力も抜群という訳ですね。


コメンタリーではシナリオに込められた深い解釈(液体人間がなぜ劇中で「人間」呼ばわりされるのか?「モンスター」扱いされてもおかしくないのに。)や、佐原氏の名を最も有名にした「万城目淳」のモデルの話(なんと、あのスーパーヒーローの設定にはモデルが居たらしいんですよ。しかも超有名人!)などが楽しく語られ、見る者を一時も離さない新事実が続出、「へえー」「そーだったの」の連続でした。
前述の秘密をお知りになりたい方はぜひDVDをごらん下さい。
聴かれて損はありませんよ(笑)。


さて。そんな楽しいコメントで作品の魅力を倍加させてくれた佐原氏のコメンタリーですが、中でも印象に残ったのは、佐原氏はじめ出演者に演技指導を行う監督・本多猪四郎氏のお話でした。
規模は全く違えど、演出を生業とする私にとって身近な話題だった事も、興味をひいた大きな理由です。


Photo 当時の俳優さんが監督の事を「先生」と呼ぶのは通例だったようで、コメンタリーでも多くの俳優さんに敬愛されている「本多先生」。佐原氏もその例に漏れず、本多監督とはまさに先生と生徒のような関係だったようです。
佐原氏がその俳優人生で、役柄や演技の心構えの多くを本多監督から学んだ事は有名なお話。
出演された東宝特撮映画での役柄もほとんどが本多監督の指導によるものだったようです。主役デビュー作が本多監督の「空の大怪獣ラドン」(1956年)だった佐原氏にとって、まさに本多監督は生涯の師だったのかもしれません。
佐原氏が課した、本多監督の教えとは何だったのでしょうか。

「リアルな演技を心がけて。」
「目の前に怪獣が現れたら、君ならどうするか。それを念頭に置くように。」
佐原氏は本多監督からの教えとして、この二点をいつも強く語ります。

今作「美女と液体人間」のみならず、「モスラ対ゴジラ」のコメンタリーに於いてもそれは語られていました。


Photo_2 これはよく語られる事ですが、特撮映画は本編と特撮部分が編集によって統合される為、俳優が出演する「本編部分」の撮影時、俳優は怪獣の形態や超常現象の様子を「想像し」演技する事を要求されます。
液体人間の場合でも、人間化する液体を目前にするという「現実には経験できない事態」を演じなければならない。
そんな現象に立ち会ったとき、人間はどんなリアクションをとるのか。

類型的な「驚き」では表現できない「心の動き」があるんじゃないかと思うんですよね。


Photo_3 「液体が動く」事に不審を抱き、それが「起き上がる」事に脅威を感じ、さらに「人間化」した時、恐怖に変わる人間の心理。それを「時系列を追って」表現する必要があると。
その多くは本編・特撮のカットパックで表現される訳ですから、「リアクションの変遷」をコマギレで演じなければならない状況もある訳ですし。

現物が目の前にない状態で、これを表現する事がいかに難しいか。
そこに特撮映画のリアリティーを構築する根幹があると言うのです。
平成ガメラを成功させた要因の一つ、金子修介監督が出演者にいつも要求していた「怪獣を信じる目をするように」という言葉に通じるものがありますね。


「ですから、今見ても「ずれてない」ですよね。リアクションが。」
コメンタリー中、佐原氏は自信たっぷりに語ります。

特撮映画にとってリアルな演技は、作品を絵空事に見せないという意味で、普通の映画以上に重要な意味を持つのです。その指導が、後年あの万城目淳役に繋がっていった事は言うまでもないでしょう。
「万城目目線」とも言える楽しいお話も語られています。「なるほど」と思わせるいいお話。イジワルながら、これもここでは伏せておきましょう(笑)。


「ラドン」「地球防衛軍」そして「液体人間」と続く佐原氏ヒーロー路線の中、演技の幅を広げる意味であえて悪役への出演を指導したのも本多監督だったそうです。「モスラ対ゴジラ」「マタンゴ」の悪役を愛する佐原氏ですが、「モスゴジ」での鼻血、「マタンゴ」での隙っ歯共々、佐原氏の意欲以上に、それを認める本多氏の裁量が大きく作品に貢献しているんですね。

さて。コメンタリーを楽しんだ後、私は特典映像インタビュー「スタッフが語る「美女と液体人間」を鑑賞しました。
ファンにはおなじみの製作スタッフ、梶田興治氏や村瀬継蔵(蔵は当て字です)氏、開米栄三氏などが語る作品の「芸談」は、同じ映像関係に従事する者として大変参考になりました。
ただ、やっぱり監督助手や造形、撮影や照明担当ら現場スタッフのお話ですから、どうしても専門的な話題に終始してますね。本職じゃなければ分からない専門用語が乱発され、一般の方々にはかなり敷居の高い内容でした。
「ギャクカイ」「ローキー」「イーストマンのアーサーが16から32」なんて言葉、意味分かりますか?これらの意味がお分かりになる方は業界関係者に違いありません。私もついていくのがやっとでした(笑)。


私はこういう芸談が大好きなので、液体人間の「製法」やコンディション維持の苦労、劇中の真っ暗な下水道シーンの撮影秘話なんて大変楽しかったんですが(どこの撮影所にも居るんですよねーこういう職人さんが。みたいなお話です。)
とりわけ興味深かったのは、最後に語られた円谷英二特技監督・本多猪四郎本編監督のお話でした。

Photo_4 円谷監督に関しては、これまでよく語られていたお話が大半でしたが、やはり現場で直接指示を受けたスタッフ、迫真性が違います。
「円谷監督は「ここをこう撮る」とスタッフに指示した後は、セットの後に居て準備が終わるまで口を出さない。じっと待っている。」撮影担当・富岡素敬氏の言葉です。

「カメラマンとしては怖くて、円谷監督と目が合わせられない。カメラのハーフミラーをチラッと覗いて、後の監督の表情を窺う。」現場の空気まで感じられる、いいお話じゃありませんか。火や水などを使い、危険な撮影を行う緊張した特撮現場ならではのエピソードです。
ただ怖いだけじゃなく、時にはポケットマネーを出して現場スタッフに「鍋」を振舞う優しさも持ち合わせる「オヤジさん」だった訳ですね(笑)。


Photo_5さらに感銘を受けたのが本多監督のお話。
当時、監督助手を務めた前述の梶田氏や渡辺邦彦氏によると、本多監督の演出は「作品内容を説明したら、後は俳優に任せる」手法だったそうです。
作品を再見するたびに感じる「本多作品の清潔感・普遍性」は、その癖の無い演出法から来ているのでしょう。
俳優の演技の引き出しを活用し、自分のペースに乗せていく。照明部の原勲氏によれば「役の説明を終えリハを繰り返す上で、自分のイメージに合わない演技には若干のアドバイスを与える程度」の演出スタイルだったそうです。
それが佐原氏語るところの「リアルなリアクション」に徹底されている事は
言うまでもありません。一見、無責任な演出にも見えますが、元々が超常現象を扱う特撮作品には非常に重要な事なのです。
良い例が浮かびませんが、「地面があるから浮かんでいる物が認識できる」なんて感覚でしょうか。日常が普通に、リアルに描かれているからこそ、非日常性が引き立つ訳です。本多監督は特撮作品以外でも演出スタイルを変えなかったそうですから、これは本多監督の資質なのでしょう。その資質が、特撮映画に絶妙のマッチングを見せたんでしょうね。

ちょっと考えてみました。例えばケン・ラッセルやテリー・ギリアム、ウディ・アレンなどが怪獣映画を作ったら。日常そのものの描き方が普通じゃないですから、それはカルト作にはなったとしても「リアル感」は覚えないと思うんですよ。

「自宅に出演者を招き、食事を楽しみ映画や音楽の話をする時点で、私の演出は終わっている。」かつて、黒澤明監督はこう語ったそうです。
「剛の黒澤・柔の本多」と言われた盟友のお二人ですが、こと俳優の演出理念に関しては通じるものがあったのかもしれません。


Photo_6 このお話を聞いた私は実に勇気づけられました。私の演出法も「本多式」だからです(笑)。リポーターに番組内容を説明したら、まず自由にやらせてみる。カメラもリハ本番で回しちゃう。まずい所があったらまたやり直す。
かつてあるスタッフに「それは無駄じゃないか」と言われた事もありました。でも私はリポーターの実力や、思いもよらないミラクルプレーを期待しているのです。
私が全部説明するなら私がリポートすれば良いわけで。それをわざわざリポーターを使う理由は、リポーター本人の「個性」や「感性」に期待しているからなんですよ。それが本多監督の「引き出しを活用する」感覚に通じるのかもしれません。私などとは比べ物にならないビッグな存在ですが(笑)。


インタビューのラスト、監督助手・渡辺氏は語っています。
渡辺氏が助監督デビューした1956年。東宝撮影所では新人助監督に向け各パートからのレクチャーがあったそうです。撮影、照明など現場スタッフからのお話が続く中、演出のレクチャーを担当されたのが本多監督。

監督は第二次大戦時、自身が徴兵され中国の最前線へ向かった時の事を話されたそうです。
徴兵前は東宝で助監督をされていた本多監督は、最前線でもある事が脳裏を離れなかったと。


映画を編集する時、フィルム同士を繋ぐ糊となる「アセトン」の匂い。
そして、カメラが回る時のモーター音。


Photo_7 当時、撮影所内の編集室にはアセトンの独特な匂いが充満していたという事で。
それについては渡辺氏は納得できたのですが、カメラのモーター音については今ひとつピンとこなかったそうです。
ところが助監督として現場経験を積む内、渡辺氏はその意味がよく分かったと。
カチンコを担当する助監督は、「スタート」の声に続いて動くカメラのモーター音を聞いて、絶妙なタイミングでカチンコを打つ必要があるそうです。ですから誰よりもモーター音に敏感になるんだと。
モーター音が耳から離れないのも無理はないんですね。

この言葉が忘れられないと渡辺氏は語ります。本多監督の、製作現場への思いやりが伝わるお話です。
当時の映画屋さんの生き様が窺える関係者の証言は、今、何より貴重な物なんでしょうね。やっぱりDVDを見ておいてよかった。


いやーいいですねー。テレビ業界の末席を汚す私など、アセトンにはまったく縁がありませんが、モーター音は分かりますよ。
ロケ現場でカメラの横に立つと、ビデオカメラでもモーター音はよく分かるんです。私がキューを振るタイミングもモーター音開始の5秒後。
これはもう癖になってますね。


うーんでも、このお話を業界関係者が聞いたら、ちょっと笑われるかな?
「オタクイーン、それはカメラが古いんだよ。」って。
その通り。技術デスクにも上申してるんですが。
デスクの答えはいつも同じ。無い袖は振れないそうで(涙)。

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2008年1月10日 (木)

経験とも違う何か

ちょっと専門的なお話ですが。
誰が言ったか、映像業界にはこんな暗黙の決まりがあります。

「ロケ中の昼食時、ADやカメラアシスタントは、師匠であるディレクターやカメラマンより遅く食べ始め、早く食べ終われ。」
この言葉、私も新人の頃はよく言われました。
新人は師匠よりも覚えなければならない事が多い為、師匠と一緒にゆっくり食事している暇など無い。新人は師匠が食事を始めてもそれまでのロケの後片付けをし、誰よりも早く食べ終わって次の撮影準備に入れ。
そういう意味です。


テレビや映画業界の経験者は、多かれ少なかれこんな言葉でしごかれ、たたき上げてきたベテランばかりですから、とにかく食事の時間が極端に短い。それまで学生気分でのんびり食べていた新卒者などは、まずそこで度肝を抜かれます。
「いつまで食べてんだ!親分はもう食べ終わってんのに!」
激を飛ばされお尻を叩かれ、しぶしぶ食べかけを残して準備に走る新人君の姿を目にする度に、駆け出しの頃の自分を思い出して微笑ましくなる事も。

ところが稀に、おそろしく食事のスピードが速い新人君が居たりするのです。別に冒頭の決まりを知っていたわけでもなく、本当に早食いのスタッフが。

今日はいつものオタク話ではありません。悪い癖で、また教訓話めいて聞こえてしまったら申し訳ありませんが、これは今日、私が見たあるスタッフについてのお話です。テレビ業界にはこういう事もあるんですよ。

いつもの準備を終え、意気揚々と出かけた局のスタッフルーム。今年初めてのロケという事でモチベーションも最大値。早朝の朝シャンで気持ちを引き締め、カメラマンとの打ち合わせに挑んだと思って下さい。
と、そこに可愛らしい20歳そこそこの女の子の姿が。私の説明を一心不乱に聞く彼女は、どうやら今日のカメラアシスタントのようでした。
実力はともかく場数だけは踏んでいる私。こういう新人は一目見れば大体察しがつきます。「あー『何日目』ね。」


いつもお話している通り、テレビ業界に足を踏み入れた者はまず、理想と現実のギャップという大きな歓迎を受けます。どんなにタレントが楽しそうにはしゃぐバラエティー番組も、その影には血の滲むような苦労と、スタッフ全員のミラクルプレーがあるものなのです。
そのギャップを受け入れた者とそうでない者の差は、まず目つきに表れます。
番組を成立させる為に、具体的に行わねばならない「地味な苦労」をどこまで認識できるか。その決意の強さが「目」に出るのです。

件の彼女の「目」は、まだそこまでの決意を持っているようには見えませんでした。ただ先輩のカメラマンには従おう、分からない事は聞こうという「素直さ」は持っているようでした

いざロケが始まってみると、案の定彼女の動きはまだまだ新人のそれで。
カメラが狙う先にはボーッと立っているわ、常に携帯するべきレンズ拭きを忘れていたりと、それはもう目を覆いたくなるような有様なのでした。

ただこういう時にも、私はそんな彼女に声をかけられないんですね。
これはどういう事かと言うと、そこにはテレビ業界ならではの厳重な住み分けがあるからで。
つまり私はディレクターという「演出セクション」。彼女はカメラアシスタントという「技術セクション」という立場の違いがあるからなのです。


彼女に対しては親分のカメラマンが責任を持つ。叱ったり教えたりするのは彼の裁量。彼女がミスをしても彼が怒らなければ、それは彼が「本人に気づかせようとしている」という指導の一環なのです。
私たちが口出しできない領域なんですね。


「そんなセクショナリズムを持ってるから若者が育たないんだよ」なんて言われそうですね(笑)。でもこれはどんな業種にも当てはまる事と思います。
例えば同じ会社に居ても、セクション毎に仕事に求める物は違う筈。極端に言えば「同じお仕事をしていても、ディレクターとカメラマンは見ているものが違う」という事です。ディレクターは「繋がりの良い作品」を作ろうとする。カメラマンは「一枚絵としてのクオリティー」を優先する。この立場の違いはどうしようもありません。ですからディレクターがカメラアシスタントに指導する時、それはカメラマンの意に反する「ねじれた指導」となる場合もあるのです
適切な例ではないかもしれませんが、例えば火事が起きた時、火を消す事が第一の消防士に対し、火事現場の治安を死守しようとする警察官くらいの立場の差があります。言わば守備範囲が違うんですね。


ただそうは言っても同じ現場スタッフですから、彼女のどのスキルが欠けているのかは分かります。これを指導できないというのも辛いお話ですね。
しかし今日はちょっと違いました。
彼女の「スキルを超えた何か」を見たからです。


何て言うんでしょうか。
分かりやすい例で言えば「ALWAYS 続・三丁目の夕日」でも大活躍した鈴木オート期待の星、ロクちゃんみたいな感じなんですよ。
履歴書の特技欄に書いた「自転車修理」を「自動車修理」と間違えられて、鈴木オートに招かれたロクちゃん。純朴なのに一本気で、どんなに偉い人にも間違いは間違いとはっきり言うタイプ。でも弱い部分もあってどこか憎めない。
みんなに愛されるキャラクターなんですね。


ですからたとえ現場で彼女がミスっても、何となくいやーな空気にならない。彼女はどうやら関西出身のようで、私に一生懸命共通語で話そうとしているのに、時々関西弁が出てしまう。そんな所にも可愛らしさをおぼえる大きな要素があるのかもしれませんね。
こういう性格は、「空気に絵を描く」という感性のお仕事である映像業界にとって強い武器となります。たとえカメラは機械であっても、それをセッティングし、動かすのは人間ですから、場の空気が悪いとその淀みがカメラワークに出てしまうのです。
ロケスタッフが軽口を言い合い、場の空気を明るく保とうと努力するのはそんな所にも理由があります。ムードメーカーが一人居るか居ないかで、番組の出来は大きく変わるのです。


冒頭のお話は、そんなロケの昼食時の出来事。もちろん件の「早食いちゃん」は彼女の事です。これも大した才能ですよね。誰からも教えられず、百戦錬磨の親分カメラマンより早く食べ終わるというのも。
「早いなー」とみんなに笑われ、「ええ。昔から食べるのだけは早いんですよ。」とテレ笑いする彼女。こういう子って、何故か「大物になるんじゃないかな」なんて気にさせますよね。実はこの時、ロケはスケジュールよりかなり押していて、昼食の時間なんて15分くらいしかなかったんですよ。
とにかくお弁当をかきこむだけという。
そんな切羽詰った状況の中では、こんなちょっとした笑いがモチベーションアップの起爆剤となるものなのです。

ただ、このお弁当メニューの選定を彼女に任せたカメラマンは失敗しましたね。彼女が全員共通で頼んだメニューは「のりメンタイコ弁当。」これでもかとフライが乗った「若向きメニュー」でした。
「これは胃にもたれるなー」と眉をひそめた年配の照明スタッフの事まで配慮が及ばないところがまだスキル不足なんですね。


「こういう時はね。幕の内弁当を全員分頼んでおけば、ブーイングも出ないんだよ。」笑って諭す親分のカメラマンでしたが、スタッフ全員が彼女の事を怒れない。「まだ若いんだから」という気分に加え、早食いの一笑いでチャラになっちゃうんですよ。「チャッカリしている」というのとも違う。やっぱりスキルを超えた何かがあるんですね。

で、午後のロケでもそれなりにドジはするし、経験不足なところは目に付くんですが、なんとなく「ひたむきさ」は伝わってくる訳です。午後はウェディングドレスの撮影だったんですが、ドレスの向きを変える度にサッとスカートの裾を直したり。「分かる所はがんばります」的な気持ちが伝わってくるんですよ。
ひょっとしたら、これが映像業界を生き抜いていく上での「センス」なのかもしれません。スタッフに可愛がられるという意味での「センス」。


昔、先輩のディレクターに言われた事がありました。私に対してではなく、あるADさんに対しての評価です。
「アイツな。ADとしては全然アカンけど、ディレクターは出来るような気がすんねん。」(その先輩も関西人だったので、あえて原文のまま記載しました(笑)。


ディレクターという言葉を直訳すると「指示者」となります。スタッフや演者に指示して一つの番組を作り出す役割から来ているものですが、つまるところディレクターは一人では何も出来ない。たとえ台本が書けても、取材先を決めても、ロケスタッフやタレントが動かなければ番組として成り立たない訳です。
ですから、スタッフに信頼され、愛されるというのは番組を作る上でこの上ない武器になる。確かに最低限のスキルは必要ですが、それ以前に「スタッフに愛される。あいつのいう事なら聞いてやるかと思わせる。」という「人間的魅力」のようなものが必要とされるのです。
きっと先輩ディレクターも、その事を言いたかったのでしょう。
ディレクターとカメラスタッフという立場の違いこそあれ、きっと彼女のそんな天性の魅力は業界向きと思います。


ロケも終わり、取材テープを片付けていた私の元へやってきた彼女は、一言こう尋ねました。
「あのー、ディレクターさんって、今日この取材が終わってすぐ編集にかかられるんですか?」
彼女は、忙しかったロケの後なお編集をこなさなければならない私の体を気づかってくれていたのです。長いディレクター経験で、こんな言葉をかけられたのは初めて。


「ううん。今日はもうなんにもやらない。帰ってシャワー浴びるだけ。」
なんて答えた私でしたが、彼女のそんな言葉が嬉しくて。
帰宅後、思わずちょっと編集しちゃいました。
彼女、きっといいカメラマンになるだろーなー。なんて思いながら(笑)。

2008年1月 9日 (水)

ULTRASEVEN

Photo さっきたまたま覗いたら。
Photo_2 アクセス数が7並び。喜ぶ私は悲しいほどに小市民。
個人ネタでごめんなさい。怒らないでね(汗)

「そう来たか」を求めて

オタクの性と言いますか。街に出ると、用が無くてもホビーショップや本屋さんを覗く癖がついておりまして。
最近はすっかり少なくなりましたが、それでもどうしても「おいしいネタを見逃してるんじゃないか」なんて強迫観念から逃れる事ができません。
三月頃の暖かさに体も軽く外出した昨日。向かう先はやはり件の本屋さん。
ボトムズの表紙に引かれ「HJ+」を立ち読みした後、いつもの常で映画関係コーナーに立ち寄った私は、ある雑誌の平積みに目が留まりました。
BRUTUS(マガジンハウス刊)629号(2007年11/15発売)。

女性雑誌の映画特集には時々目を通すも、どうも恋愛作品に特化し過ぎな内容に辟易していた私にとってこの「BRUTUS」の映画特集は好みの一冊。
いくら気持ちは女子だって、そこまで乙女チックにはなれないのよ的精神構造の私にはちょうど良いようです。昔からこの雑誌の作品選定やその切り口が好みで。
気に入った号は時々入手しています。
今回の号も購入を迷ったのですが、結局立ち読みで済ませてしまい(笑)。
ダメですねー私。確実に書籍離れが進んでいます。まーネット情報の速報性に遅れざるをえない出版メディアにとって、現代は生き残りの道を模索する上で難しい岐路とも感じますが。それはともかく。

「映画選びの教科書2008年版」と銘打たれた件の号は、各界の著名人に聞いたあるアンケートが特集されておりまして。こんなテーマでした。

「あなたはどんな理由で映画を選びますか?」

つまり映像作品を鑑賞する上で、貴方にとっての作品選定基準は何ですか?と聞いている訳です。

設問に答えを寄せた24名の著名人は俳優、監督、建築家やアーティストなど多業種にのぼり、その回答も各々の職種が反映された、大変面白いものでした。
「監督で」「出演俳優で」「脚本家で」「原作で」「音楽・アートで」といった定番の基準から、「笑いの質」「精神医学」「建築」など限られた職種でなければ目が行かないマニアックな切り口まで。この号は昨年の11月発売ですから、読まれた方も多いのではないでしょうか。

「建築と来るか~」なんて思いながらお店を離れた私ですが(買えばいいのにって?実は野菜コロッケが欲しかったんですよ私(涙)その視点のユニークさは帰宅後、コタと遊んでいる間もずっと心に残っておりまして。
「そういえば私は、見る作品をどんな基準で選んでるんだろう?」なんて自問自答するいい機会になったんですね。
まー年明け間もない時期だしそういう嗜好の切り口もアリか、という訳で、今回はそんな事をつらつらとお話してみたいと思います。
とはいえそういう事は年齢やその時の気分で変わるもの。あくまで「今日現在」という注釈付きで、しかも相変わらず舌足らずの解析。さらに決して「おすすめ作品」的なお話でもありませんので、その流れをご期待の方々には最初にお詫び致します(笑)。


「ネヴュラ」読者はよくご存知と思いますが、筋金入りのオタクである私は「ジャンル作品」という分野に深い興味を持っています。
平たく言えばSF・特撮作品、中でも怪獣やヒーローが登場するものやディザスター・ムービー系ですね。

国内、国外を問わず、それらの作品には昔から食指が動く傾向があります。まーブログの謳い文句「古いタイプのオタク」という看板は決して嘘ではないわけです。


アニメーション作品も嫌いではありませんが、前述の特撮作品ほど強い興味は湧かないようです。
子供時代を過ごした1960年代~70年代の作品には愛着もありますが、それは子供時代の思い出とごっちゃになった言わば「美しい記憶」の一部なので、やや作品のイメージを美化して見ている分、正確な評価の対象にならない所もありますね。
そういう意味で、むしろまともに評価できるアニメーションは子供時代以降、「見方を覚えた」時点から鑑賞した作品に偏っています。
よく話題に上る「装甲騎兵ボトムズ」などはその代表と言えましょう。(と言うより、語れるほど作品を見てないんですよ。中途半端なツッこみは嫌いなので、ある程度作品を自分の中で租借しないと言葉が出ないという。おバカでしょ(涙)。


逆に言えば、そういう「思い出による美化」と切り離せる分、旧作を今の目で見る事は意義深い事とも思います。前述の通り私は特撮関連作品に強い興味を持つ上、古いオタクの常として未見の作品を探求する意欲も少なからずあるんですよ。「新作だけ見ていれば満足」という気分には一秒たりともなれません。不思議ですねー。「新作はこれからさんざんソフト化されるんだから、埋もれた作品を発掘する事の方が意義深いんじゃないの?」なんて焦燥が常に心のどこかで自分を駆り立てます。旧作DVDを多く在庫するレンタルショップに入り浸る理由も、その辺にあるのかもしれませんね。

さらに特撮作品以外のジャンルでは、ヒッチコック作品を祖とするサスペンス作品などが好みです。
実はこのジャンルを好むのには理由がありまして。
私には「映像作品の根源はサスペンスにある」という確信めいた思いがあるのです。確かに今や映像作品のジャンルは多岐に渡り、映像で描けないドラマは無いと思えるほどに(決して文字表現の重要さも否定しませんよ)その世界は無限に広がりつつありますが、それでも「どんなジャンルに於いても、映像のベクトルを支配するのはサスペンスの度合いの強弱」と思っちゃうんですよ。


ここでこのお話をすれば長くなるので割愛しますが、元来映像作品に観客や視聴者が求めるものは「このストーリーがどう着地するか」という部分ですよね。
「着地点がはっきりしない」「着地しない」という作品が論議を呼んだり、「作家が逃げた」など揶揄の対象となるのはこの部分のフラストレーションを見る者に喚起させるドラマ運びにあると思うのです。
その「着地」をより鮮やかに感じさせる為の「ドラマを引っ張る力」がサスペンス、と言えばいいんでしょうか。ある作家は「物語とはお宝を手に入れるまでの行程に過ぎない」と言ったそうですが、その「行程」にあたる部分がサスペンス。「ハラハラドキドキ」の展開部分なのです。
一見ロマンチックな恋愛映画にも、人生の黄昏を描いた静かな作品にも、質は違えどサスペンス要素は必ず存在します。それがなければ作品は「勢い」を失い、ただのBGVとなってしまうからです。


映像業界に携わる私のような者は、この「サスペンス」という感情操作手法に人生を捧げているようなところがあります。
例えば最近の例で言えば(ここからはネタバレですのでご注意を)現在公開中の「ALWAYS 続・三丁目の夕日」にしたって、あのクライマックス、車上の人となったヒロミが「純青」を手にして茶川さんの思いを知り、彼の元に戻ってくるかどうかが非常に大きなサスペンス要素ですよね。
サスペンスとは決して犯罪や事件絡みの手法ではなく、ドラマにとって必要不可欠のものなのです。こんな事は今さらお話しする事もないですよね。


こういう感情操作を最も知り尽くした作家が前述のヒッチコックなんじゃないかと思っちゃうんですよ。
具体的な作品紹介は避けますが、彼の作品は「どこを切ってもサスペンス」「サスペンス演出の教科書」的な感覚に満ち溢れています。

テクニックの見本市的な匂いが強い最近の作品に比べヒッチの作品が今も古くならないのは、その演出に込められた感情操作の手法が人間の本質を突いているからでしょう。名人の古典落語がいつ聞いても面白いように、ヒッチのサスペンス手法もまた不変なのです。
他にも一見、事件など起こらないように見える小津安二郎監督の作品にさえ、「描かない」という部分にサスペンス演出は息づいています。画面に描かれない部分に壮絶なサスペンスを封じ込め、それを観客に想像させる手法を小津監督は得意としていましたね。


さて。そんなドラマの根源的な部分、サスペンス演出の面白さを凝縮させた作品群として私がお気に入りな国内作品が、故・大蔵貢時代の新東宝映画。
これを聞かれた途端、吹き出された読者諸兄も多いのでは?
「えーっ?オタクイーン、今時、石井輝男や中川信夫、並木鏡太郎の作品を支持するの?それはいくら何でも古いでしょ。」なんて(笑)。
ところが私、今だに1950年代~60年代の新東宝作品を上回るシャープなストーリー感覚に出会ったことが無いのです。
「ネヴュラ」でもおなじみ、さしもの実相寺昭雄監督作品もこれら新東宝の諸作には凌駕されるような気が。まー作家としての資質の差もあるでしょうから比べるのはあまり意味が無いですが。
むしろ実相寺作品は鈴木清順や大島渚など、ストーリーより映像そのものの面白さに魅力を持つ作品群にカテゴリーされるのかもしれませんね。


そうです。前述のお話でもお分かりの通り、私はどちらかと言えば「トリッキーな映像」より、「シャープなストーリー」に心惹かれる傾向があるのです。
「現在の二時間サスペンスは全て新東宝映画の粗悪な模倣に過ぎない」なんて、昔友人が論破していましたが(笑)、私もその説には一部共感します。
ただ私の場合、現在のサスペンスドラマは新東宝作品を大きく水割りした作品、緊張感を割引きテレビ用に再構築した作品に見えます。うーんなんて言うか「新東宝なら30分で描けるドラマを二時間かけてやっている感」って言うんでしょうか。ただそれは「粗悪」じゃなくて「お茶の間感覚」。じっくり腰を据えて見る必要のないドラマという視聴者の鑑賞スタイルに沿った措置と言えましょう。その是非はともかく(笑)。


ここまでお話を聞かれた皆さんはある疑問をお持ちの事と思います。
「そうは言ってもオタクイーン、いつもブレードランナーやSFムービー、ゴジラやガメラやウルトラマンなど、現実には存在しないキャラが活躍するビジュアル作品の話ばっかりしてるじゃん。それって「トリッキーな映像」以外の何物でもないんじゃないの?」
そうですね。おっしゃる通りです。ただこれは説明するのが難しいんですが、「トリッキーなキャラ」と「トリッキーな映像」は別なんですね。例えばウルトラマンが身長40メートル、というのはそういう劇中の設定があるから認められるんであって、中村主水が巨大化して江戸の町を破壊するのは認められないと(笑)。あくまでリアルな設定あってのキャラ。キャラをリアルに感じさせてくれる設定に感服する訳です。

さてさて。お話が脱線しまくってますね(笑)。こうお話して気がつきました。どうも私は「出演者」に関してはまったく無頓着のようですね。極端なお話、誰が出てたってストーリーがうまく料理されていればOKという感覚のようです。
俳優を生かすも殺すも演出次第ですから。唯一、出演者を見て作品を選ぶ基準は、「この俳優が選んだ作品、脚本、監督なんだから、それなりの出来にはなったんだろう」なんて程度です。自然と出演俳優はベテランを好む事になりますが。

だって見てられませんよ。話題づくりの為に選ばれた新人タレントの顔出しシーンなんて。これは監督にしてみれば切りたくて仕方がないシーン、プロデュース側の戦略上涙を飲んで残すシーンですから。でも「映像作品というビジネスには必要なファクター」なのです。
ここは作品を内容で見るファンにとっては辛い場面かもしれませんね。

・・・とまあ、こうやってつらつら語ってきましたが、私は映像作品の「ジャンル」「ストーリー」「監督」への拘りが強いようですね。しかも「新作」より「旧作」に目が向いているような気も。
もうお亡くなりになった名監督の埋もれた旧作発見、なんて言ったら目の色が変わるタイプですね。昔、小津安二郎の「突貫小僧」が発見されたニュースを聞いて小躍りし、最近CSで伝説の特撮映画「空気の無くなる日」を初見、目からウロコが落ちまくった恥ずかしい日々を過ごしています(笑)。


そんな私ですから、最近の新作映画、ドラマの「リメイク」にはどうしても馴染めません。これは決してリメイク作のレベルに関する事ではなく、「旧作より新作を先に見てしまうと、作品自体の評価を見誤る」という非常に強い感覚があるからです。
昔からお話しているように、作品という物は「初見のバージョンが作品自体の物差しになってしまう」という弊害があります。
これは考えてみれば当たり前のお話で、感動という物は「そのバージョンに対して覚えるもの」であって、「ストーリーは同じでも別の監督、俳優によって作られるバージョン」は「別物」なんですよね。それはオリジナル、リメイクに関係なく。
ですからリメイクを先に見てそこで作られる「物差し」が、オリジナルを見る際には物凄く邪魔になるんですよ。「見比べて採点」なんて出来る方は物事を非常に冷静に見られる方だと尊敬します。多くの方はオリジナル・リメイクに関係なく「初見のバージョン」に肩入れせざるをえない筈です。それが「刷り込み」という人間固有の生理なんですから。


「リメイクがオリジナルの良さを壊した」「いや、今の時代に合ったリメイクこそ最高傑作」などなど、リメイク作が公開されるたびにファンの間では楽しい論争が展開され、ネットを通じて私も話題に参加させて頂いていますが、もうそろそろその手の論争に窒息感を覚えているのも事実です。今回のお話でもお分かりの通り、「ストーリー」に拘りを持つ私にとってリメイクで同じストーリーを見せられるのは耐えられない苦痛なのです。
「はいはい。わかりましたよ。で、次はこうなるんでしょ。」実も蓋もない言い方をしてしまえば、私のリメイク作鑑賞スタンスはいつもこうなってしまう。これがビッグ・バジェットをつぎ込んでオリジナルを超豪華にデコレーションした製作側に対し、非常に失礼な事というのもよーく分かっているんですよ。
その大変さは私も承知しているつもりです。
でもそこまでしてもリメイク作である以上、オリジナルを知る者にとって「二度目感」は避けて通れない事実。


「そんな事言ってるのもいけないよね」と、避けていたリメイク作を見るようにもしているんですが、どうしても「見る」というより「押さえておく」という感覚になってしまいます。オリジナルを語る時「リメイクも作られたけど云々」という一文を入れたいが為の「知識」としてですね。で、案の定オリジナルを超えられない。私の中で「超えた!」と思える作品は非常に少ないのです。
これも考えてみれば最もなお話で。そもそもオリジナルというのは作られる時点で最良のストーリー、最良の演出を心がけるものですよね。つまり「作品にとって最も良い道」を通ってるんですよ。リメイクはその「最良の道」を避けて通らざるを得ない。強引に同じ道を進むと「犬神家の一族」現象になっちゃうし。(両作品を同じ条件で見ましたが、これは・・・私には市川監督の道楽に見えました。)


「最良の道」を避けながら「最良の作」を超えなければならないリメイク作はもともと茨の道を選んでるんですよね。それがリメイク作を物差しとするファンを増産する為の戦略ならば、私はその仲間に入れてもらえない「はぐれファン」です(笑)。
そんなはぐれ者に許されたリメイク作の楽しみ方は、「同じストーリーをこう解釈したか!」という「味付け」を発見する事ぐらい。ただこれも難しい所ですね。「演出の基本」と「オマージュ」「リスペクト」の違いが判別できるほど頭の良くない私は、「監督がある作品を愛していて、その偏愛ぶりが画面にちょっと表れた」というだけでもう醒めてしまいます。「それじゃ素人でしょう。」なんて。プロなら自分の技で勝負して欲しいと思っちゃうんです。
ただ、昔の手を一捻りでもしてあれば話は別。それはそれで「進化」しているわけですから。


過去の名作を発掘するのは楽しいですが、たとえリメイク作でもオリジナルのテイストに頼らず、完全な新解釈で勝負した作品を見たいものです。結局、私の作品選定基準もそこに落ち着くのでしょうね。
「ジャンル」「ストーリー」「監督」そして「オリジナリティー」。
同じストーリーを見るほど人生に余裕の無いおバカなオタクの独り言です。どうぞお笑い下さい。でも皆さんも見たくないですか?
「そう来たか!」と思わず叫びたくなるような作品を。


私なんて、知り合いに会う度その言葉の連続ですよ。
「女性になりました。」「そう来たか!」(笑)。

2008年1月 7日 (月)

変身(できるかも)ベルト

Photoコタちゃん大変!
さっきDVDで「アウトブレイク」見たんだけど。

だすてぃん・ほふまんのやつ?
うん。それそれ。



Photo_7コタちゃん、なんかウィルス持ってない?
私、感染したかも。
体型があんたに似てきたみたいだもん。

おねえちゃん、
それはただのしょうがつぶとりでしょ?
Photo_3
と思って。いよいよ年末に手に入れたこれの出番が来たのよー。
あっ、ぷるぷるべるとだ。きくの、これ?
Photo_4
ちょっとコタちゃんやってみる?
でもさいずがあわないよ。おねえちゃんはためしたの?

さっきね。でもこれ凄いよブルブルが。効いてる感じ。

Photo_5
「正月太りのオタクイーンは、
ベルトで脂肪に刺激を受けると
シャーリーズ・セロン並みに変身するのだ!」

おねえちゃん、
このべるとじゃ、かおはへんしんしないよ。



Photo_8とてもつきあってられないわ。
まーたそんなの食べて。太るよ。
でもまーいーか。食欲があるだけ。
ありすぎも困るけど(呆)。

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2008年1月 6日 (日)

遠く弾ける鉄のドラム

「酔うねー(喜)。」
お酒はまったくの私はこのお正月、一滴も飲みませんでしたが、昨日やっとレンタル出来たこの新作DVDは、どんな美酒よりも私の心を揉み解してくれました。

「装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ第2巻」。


「ボトムズ」については、「ネヴュラ」でも以前から度々お話してきましたね。ただこの作品、名作の呼び声が高い割に知名度が異常に低い。その理由もよく分かるんですよ。そのあまりに強い個性の為、著しくファンを選ぶ作品なんですよね。
リアルロボット・アニメに分類されるこのアニメーションはよく「機動戦士ガンダム」と比較されますが、「ボトムズ」は同じロボットアニメとは思えない程、ガンダムと逆の道を突き進んでいます。
極めて特異にして空前絶後の主人公。初作から全く変わらない世界観。
作品の売りとなる「新型機」を登場させる気配さえ皆無のストーリー展開。
作品が世の中に現れてから現在に至るまで、「ボトムズ」は非常に短いスパン、狭い世界の中でストーリーが展開しているのです。


「ガンダム」で言う一年戦争を、同じ主人公で物凄く丁寧に描いているようなものなんですね。しかもどちらかと言えば、主人公はアムロ側ではなく「シャア側」、さらに一兵士に過ぎない非常にミニマムな存在なんですよ。
以前少しお話しましたが、「主人公がザクに乗っているようなもの」という印象は、今回の新作を見ても全く変わっていません。
「何でこんな設定なのに面白いんだろう」と思う事も一度や二度ではないですが(笑)。それほど「ボトムズ」は数々の要素が渾然一体となった魅力に満ちています。非常に多面的な成功要素がある為、おそらく「ボトムズ」の魅力を一言で言い表すのは至難の業でしょう。


頭の無いおバカな私など「ボトムズ」の本質を語りつくせる訳もなく。おそらく語れば万を越える記事数に達するほどの作品ですから、これからも舌足らずながら折りに触れ駄文を綴って行こうと思います。まー今回はこの新作にとりわけ感じた劇中兵器「アーマード・トルーパー」の「表現」についてつたないお話などしてみようかと。
映え抜きの識者が手ぐすね引いて待つ「ボトムズ」世界。毎度の私見にお怒りにならないで下さいね(汗)。

Photoさて。今回鑑賞した「ペールゼン・ファイルズ」第2巻に収められたエピソードは第3話「分隊」・第4話「死の谷」の二本。
ストーリーはとても一言では語れないので、簡単に設定だけお話しますと。
今回、不死身の主人公キリコ・キュービィーら最前線兵士の小隊に与えられた任務は、キリコが所属するギルガメス軍に対抗する敵軍、バララント軍が制空権を持つ惑星の守備拠点を叩く遊軍。
言わば「切り込み部隊」です。

バララント軍の守備拠点への唯一のルートは非常に狭い峡谷で、途中には敵の防衛基地が。キリコ達は深夜、闇に紛れ極秘裏に峡谷の基地に潜入、基地を制圧して後方3,000名の友軍の進入を支援する事となったのです。
わずか5名の分隊で作戦を遂行するには理由がありました。
谷に釣られた件の防衛基地には非常に大きな砲が装備されており、大規模な攻撃に対してはその砲で峡谷を打ち抜いて谷ごと崩落させ、敵軍・進入ルートもろとも葬り去る事が出来るのです。
ルートを確保するには小隊による極秘裏な基地の占拠、砲の確保が必須だった訳ですね。


名作映画「ナバロンの要塞」の例に漏れず、小隊による基地攻撃ストーリーは戦争映画の定番として興奮を約束してくれますが、「ボトムズ」の場合、攻撃に臨むのはグレゴリー・ペックではなく汎用兵器「AT」を駆るならず者部隊。この「AT」の描き方次第で物語は面白くもつまらなくもなります。
いやー今回、この作戦に於けるATの描き方がもう、素晴らしくて(笑)。
「ボトムズ」初作・テレビシリーズ(1983年)の昔から、ATはそのキャラクター性を極力排除された描写がなされていましたが、今回「ペールゼン・ファイルズ」で導入された戦闘シーンのフルCG化は、AT本来の「物体感」をより詳細に理解させてくれて秀逸です。


「ボトムズ」をよくご存知の方には今さら説明するまでもありませんが、ATのカッコ良さって「機能美」ですよね。
いわゆるモビルスーツがビームライフルを構えたり、ビームサーベルで切り結ぶ描写から感じる「ケレン味
」とは対極をなすカッコ良さ。
わずか4メートルのサイズから来るリアリティーと「このサイズだからこの程度の装備しかされていない」的な「手薄さ」をパイロットの腕でどこまで使いこなすか、という部分が魅力的な訳です。

今回の作戦でも、ATはその魅力を存分に振りまいてくれました。


Photo_2その序盤、輸送機により要塞上空に侵入した5機のATはパラシュートで降下するのですが、一機が崖すれすれに着地、敵軍に察知されてしまいます。
敵ATの反撃の嵐の中、全身ハリネズミのように武装した彼らは進撃に臨むわけですが、例えばATは背部のパラシュート・ザックからワイヤーを射出、基地の壁に撃ち込んでワイヤーを巻き込みながら壁を登ったりするんですよ。
で、ATの大きな特徴である脚部裏のコアレス・モーター「ローラーダッシュ」で壁を垂直に「スラローム走行」、さらに敵ATとの格闘時には床面に軸足固定用の杭「ターンピック」を撃ち込んで自身が高速回転、捕獲した敵ATを遠心力で投げ飛ばすといった離れ業を見せます。

さらにバズーカなどの携帯武器が弾切れになると、腕部の爆発火薬を利用した「ブロウ・ボム」アームパンチ機構を使ってバスーカを敵に投げつけ敵へのダメージを倍増させるなど、基本兵装を「操縦テクニック」でカバーしている所がATの大きな魅力なのです。


Photo_3ただそのミニマム性により与えられるダメージも大きく、基地内部で壁面すれすれに滑走中、敵に攻撃された場合、ATは壁面にこすり付けられ操縦困難、スピン寸前となるわけです。
そんな危機に対し、姿勢を制御し手持ちのマシンガンをヒットさせる高度な「腕」。設計思想により兵装が簡易である分回避できないそんな危機さえ「腕」で乗り切るパイロットの熟練性、そして操縦センスに感動してしまうんですね。
決して兵器の性能に頼っていない、ある意味「生き残る為には頼れなかったゆえ編み出した技」の匂いがあるんですよ。


それは主人公・キリコ機も例外ではありません。彼の兵装は他のATと変わらない。「試作機」でも「カスタム機」でもない分、もしやられたらそれは「腕」のせいというハードさが良いんですね。で、実際彼も無敵ではないんですよ。
過去、メチャクチャにやられた事もありました。彼が不死身な理由は決して「強い」という事ではないのです。
例えば同じ道具を与えられても、何となく色々な使い道を見つけて器用に使いこなす人って居ますよね。ATの魅力はそういう「基本設定の新しい使い方が、新作で次々と明らかになる」所にあるような気もします。


「装甲騎兵」と言いながら、特殊な合金も使われずその装甲厚も僅か6mm~14mmという設定のATは、色々なサイドストーリーでも語られるように「鉄の棺」の呼び名がふさわしい汎用兵器。これはモビルスーツなどとはまた違う魅力がありますね。確かに以前、岡田斗司夫氏も言われた通り、おそらくATの装甲素材は「鉄」でしょう。
ちょっとここからは、過去の名作ロボットの「装甲素材」について簡単に振り返ってみましょうか。大したお話もできませんが(笑)。


Photo_4ロボットアニメはその黎明期から装甲を形成する素材が色々開発されてきましたが、巨大ロボットの元祖と言われる「鉄人28号」(初作アニメ・1963年)では、さすがにその装甲はタイトル通り「鉄」でしたね。
おぼろげ記憶では「鉄人」のネーミングには当初「鋼鉄人間」という案もあったそうですが、戦争の影を引きずった新兵器という設定の鉄人には、きっとそれまでの戦車などソフトスキンの素材として重宝された「鉄」を冠する必要があったのでしょう。
兵器素材として珍重された「鉄」の字に込められた複雑な思いは、きっと原作者・横山光輝氏の反戦への願いが反映されているとも思います。


Photo_5時代はずっと下り、まさに私の子供時代に大ブームを巻き起こした「マジンガーZ」(1972年)では、その装甲を形成する素材そのものが大きな売りになりましたね。
今だに「大きなお友だち」を熱狂させるリアルフォルム玩具の雄「超合金」の語源がこの作品にある事は今さら語るまでもありません。

主役ロボット・マジンガーZを覆う装甲「超合金Z」。ジャパニウム鉱石なる架空の物質から生成される合金で、「Z」の名を冠するほどその堅牢さは最強。この設定が秀逸でした。マジンガーZの強さはその兵装以上に、全身を覆う装甲の強さに負う所も大きいのです。
この超合金Z、敵のDr.ヘルにとっても垂涎の的だったようですね。なにしろ彼が送り出す戦闘ロボット「機械獣」の装甲素材はZよりはるかにもろく(確か「スーパースチール」なんて名称でしたっけ?)ヘルはジャパニウム鉱石奪取の為の作戦を遂行した事さえありました。
この「装甲素材の差で勝敗が決まる」というストーリーの妙が、私達子供にはとんでもなくハイブリッドに映ったのです。
ただ後番組「グレートマジンガー」で「超合金ニューZ」の名前が出た時は、「Z」が最強じゃなかったの?と少々拍子抜けもしましたが(笑)。


Photo_6マジンガーと来れば当然これもという訳で。
冒頭でも少しお話しましたがロボットアニメの革命作
「機動戦士ガンダム」(1979年)でも、その主役モビルスーツ「ガンダム」の装甲素材はまた優遇(笑)されていましたね。
第一話でザクマシンガンの攻撃を跳ね返し、敵パイロットに悲鳴を上げさせたあの装甲はマジンガーレベルの架空物質である「ガンダリウム合金」なるもの。シャアをして「連邦のモビルスーツは化け物か」と言わせるだけのスーパー合金でした。当時、主役機の設定としてこれほど便利な物も無かったですね。装甲そのものからして違うという。「なるほどー。やっぱり偉いロボットは装甲もすごいなー」とおバカな私は感心していましたが。でもストーリーが進むにつれ、この設定もさほど重要視されなくなってきましたよね。
個人的にガンダム世界の根幹を成す「ミノフスキー粒子」の設定ほどには、この合金の魅力は無かったように思いますが。


Photo_7さらに私が唸ったのは1984年。「重戦機エルガイム」を見た時でした。この作品に登場する巨大ロボット(って言うとまた怒られちゃうんでしょうが)「ヘビーメタル」の装甲はなんと特殊なプラスチックだそうじゃありませんか(笑)。
1983年、ホンダからデビューした新型車「バラードスポーツCR-X」のボディーが強化プラスチックと知った時と同じ衝撃。(ちなみに私、CR-Xを買いました(笑)。
「うっわー。遂に動く搭乗型巨大ロボットプラモデルの出現」と、当時の私は感動を禁じえませんでした。しかもこのヘビーメタル、装甲面が太陽エネルギーを変換し、さらに消費エネルギーをジェネレータで再利用できるという物凄い設定で。
いやー別世界のお話とはいえ、ロボットの設定もここまで来たかとある種の感慨まで覚え。
(余談ですが、後期主役機のL・GAIM MARKⅡの頭部が他のヘビーメタルのすげ替えという裏設定にもビックリ。うーん永野護のセンスは並みじゃないですね。)


Photo_12最近のファンの皆さんには最も身近な「新世紀エヴァンゲリオン」(1995年)にしたって、あの装甲はいわゆる生体である「素体」に特殊なラバーを着せてあるという設定ですよね。「拘束具」は別として。
まー確かに「人類がウルトラマンを作る」という庵野監督の言葉に嘘は無かったと思います。本来滑らかな動きを要求されるロボットに於いて、ラバー装甲というのは最も理に叶った発想なのかもしれません。その堅牢性の問題さえクリアできれば、これからのロボットは「装甲で覆う」んじゃなくて「伸縮素材を着せる」物が主流になってくるのかもしれませんね。
いやー時代は進歩してます。いつまでもスペースチタニウムの素晴らしさを語っていては乗り遅れますね(涙)。


まーそんな訳で時代が変わるにつれ、架空設定とはいえロボット装甲も進化しているんですが、そんな中まるで時代劇のごとく設定を守り続ける「ボトムズ」は、今の時代にあってむしろ新しささえ感じてしまいます。
個人的に、玩具で言えば「超合金」のプランドに最も最適なアイテムと思うんですよ。ATって。いや、あの装甲厚から考えれば、むしろブリキあたりが最適なのかもしれません。
一度見てみたいですねー、ブリキのスコープドッグ。可愛いだろーなー。
ゼンマイでローラーダッシュってどうですか?うーん生粋のポトムズファンが聞いたら怒り狂うような失言。申し訳ありませんでした(涙)。
でも、今だにこんな楽しいお話が出来る所が、ボトムズのボトムズたる所以と思うんですよね。
モデラー諸氏がATに特別な思いを抱く理由もよく分かります。
「時代を越える」「古くならない」デザインなんですよね。
その劇中の運用法も含め、時代の波をローラーダッシュで軽々と走り抜ける「ボトムズ」。おバカな私などにはまだまだ語り尽くせぬ魅力があります。


Photo_11最後に。これまで頂いた皆さんのコメントには「ボトムズはビギナーでも楽しめますか?」という疑問が多く、その度に私は「ちょっとお薦め出来ません」なんて偉そうなご返事をさせて頂いていたんですが、実は今回に限りそのご返事を撤回いたします。
現時点でのボトムズ最新作「ペールゼン・ファイルズ第2巻 第3話「分隊」のAT戦シーン。
CGで詳細に描きこまれたこのシーンが、おそらくボトムズ初心者にとって最も分かりやすいATの運用描写ではないかと思うからです。
おバカながらボトムズ暦25年の私の結論です。
これまで敷居が高く、なかなかボトムズに手を出せなかった方々、そのドラマについてはともかく、もしATの魅力を知りたいと思われたらこの第2巻はお薦めですよ。


その一連をご覧になって「うわーカッコイイ」と思われたらもう貴方はボトムズ仲間。その底なしの魅力から一生逃れる事は出来ないでしょう(笑)。

2008年1月 4日 (金)

海鼠の法則

「そうですか。じゃあ月曜日にでもお電話します。」
ほぼ予想していたとはいえ、やっぱりこの時期はしょうがないですね。

局は今日が仕事始めなのに、スタッフ毎に初出勤日がまちまちなんですよ。
私の局担当スタッフも7日出勤というありさま。局に合わせ、今日から始動する予定だった私は出鼻を挫かれ、今週一杯は動きが取れない状態に。
まーそれを見越して、年内にほぼ準備をコンプリートしといてよかった。
贅沢にも今日を合わせてあと3日、のんびりさせて頂きましょう。

そんなこんなで予定外の時間を持て余してしまった私。何をするでもなくつらつらとテレビなんぞを眺めていましたが、そこでちょっと思い出したことがありました。
正月番組の開口一番に出る言葉として耳にタコが出来るほどお聞きになったと思いますが、今年の干支はねずみですよね。
その干支にちなんで、年明けからねずみに関する色々な話題もあちこちで語られています。

その一つに、「海鼠」と書いて何と読む?なんてプチ情報がありまして。


『海鼠』。聡明な読者諸兄なら即答頂ける事でしょう。
そうです。『ナマコ』と読みます。あのぬるぬるの、佐野量子が昔持ちネタにしていた海の生き物ですね。

まーこんな事は一般常識だそうですが、私はつい最近までその当て字を全然知りませんでした。いやーいい年して。でもこんな事今さら人には聞けませんからねー。
人間一生勉強だなと。(うーむ今年の出足がナマコのお話とは。何となくこの一年を暗示しているような(涙)。

ところでこの「ナマコ」、食べると美味しいそうですね。これも私、味わった事ないんですよ。どんな味がするんでしょうか。あのグロテスクな形からしてとても美味しそうには見えないですけど。高級料理の一種とも珍味とも聞いていますが。
やっぱり高いお店へ行くと、お品書きに「海鼠」なんて書いてあるんでしょうか。ちょっとビックリしちゃいますね。

昭和風のなごやかボケはともかく、やっぱり「ナマコ」のグロテスクな風貌はどう考えても食用には見えませんね。よく「人類史上、あの醜悪な姿のナマコを初めて食べた人は勇気がある」なんて言われますが、それもむべなるかなと思います。
以前何かの番組で、お皿に盛られたナマコの料理を見たことがありますが、やっぱりちょっと引きますもんね。昔、中国でヘビのスープを食べた時のおぞましさが脳裏をかすめます。大体「海」の「鼠」ですよ。「ねずみを食べる」って。実際には鼠じゃないとしてもさすがにちょっと。
そんな事したらコタに怒られちゃいますよ。「おねえちゃん、わたしのしんせきをたべちゃうの!」みたいな(笑)。


ところが、これも以前何かの番組で語られていたんですが、前述の「ナマコを初めて食べた人類」というお話、あれは別に対して勇気があったわけじゃないって言うんですね。
要はこういう事です。
「人類は昔から、およそ身の回りで食べられそうなものは手当たり次第口にして来た。その歴史の中で不味かったり毒になったりしたものは食べなくなっただけで、ナマコもその一つに過ぎない。
つまり人類は、ナマコを食べ始めた頃には同時にもっとグロテスクなものを色々食べていた筈で、その流れの中で他の食材が淘汰されナマコが残った。だから勇気とはやや違う問題。」

そういう説だったんですよ。


単純な私はその説にいたく感銘を受けました。「なーるほどねー。まーギャートルズもマンモスの肉を初めて食べた時があっただろうし、そういう事もあるかもねー。」なんて。随分次元の低い納得の仕方ですがそれはともかく(涙)。

ナマコ初捕食の経緯については諸説ありますが、私はこの説が一番しっくり来るような気がします。でも今日のお話は、これからナマコの美味しい頂き方に流れて行く訳ではもちろんなく(笑)。

実は、前述の説に私が感銘を受けたのは「淘汰」という言葉だったんです。
多くの試みから残る一握りの成功例。これは決して食の世界だけの事ではないなーと。何でも映像業界に置き換えてしまうのが悪い癖の私ですが、その真理は映画やテレビの作品にも通じる物と思うのです。
映画ファンの間で呪文のように語られる「名作は駄作の中から生まれる」という言葉はまさに言いえて妙ですね。さほど映像作品について深い知識など持たない私の経験からも、その言葉には頷けるものがあります。


その創世記から現在、そして未来へと作られ続ける映画やテレビ作品。
それらが歴史の中で常に過去の作品をお手本とし、新しい技術や演出手法を取り入れて進化している事は、皆さんもお感じになっていると思います。
それら星の数ほどある作品が作られる過程には、時代や国の変革期、革命的な技術の導入時といった節目節目に大きなムーブメントが起き、その時期に作品の傾向が偏る事もままあります。

平たく言えば「ブーム」という言葉で括られるその時代は、言ってみれば「身近な物を手当たり次第に食べていた人類」の時代に相当するような気もするのです。


Photo脳の無い私など語れるジャンルは限られてしまいます。
毎度の事で申し訳ありませんが。例えば日本の特撮怪獣映画の祖となった「ゴジラ」(1954年東宝 本多猪四郎監督)。
この作品は確かに「国内初の本格怪獣映画」の名を欲しいままにする名作ですが、世界的に見れば、1954年当時「モンスター映画」はさほど珍しくなかったですよね。

特撮を担当し、この一作で世界的に名を上げた円谷英二特技監督がかつての名作モンスター映画「キング・コング」(1933年アメリカ メリアン・C・クーパー監督)を参考にした事はよく知られています。「キング・コング」は「ゴジラ」から遡ること21年。「ゴジラ」までにも世界中でモンスター映画は作られ続けていた訳で、事実「ゴジラ」製作の前年1953年には「原子怪獣あらわる」(アメリカ ユージン・ローリー監督)も公開されています。
「ゴジラ」と公開時期が近い事もあって何かと話題に上るこの作品ですが、ともあれ「モンスター」という点において、ゴジラの誕生は決してエポックではなかった訳です。

Photo_2ゴジラと並んで、ネヴュラでも何かと話題になる「ガメラ」も同じです。
ガメラが誕生した1965年、先輩のゴジラは既に「三大怪獣地球最大の決戦」(1964年東宝 本多猪四郎監督)までの五作を数え、ガメラ映画第一作となる「大怪獣ガメラ」(湯浅憲明監督)公開日・11月27日を追うようにして第六作「怪獣大戦争」(12月19日公開)が製作されていたのです。
この時までにも東宝ではゴジラ以外の怪獣映画が量産され、翌66年一月にはテレビ番組「ウルトラQ」の放送開始を待つ「ブームガス充満期」。後に第一次怪獣ブームと呼ばれるこの時代、起爆剤となる作品がひしめき合っていた訳ですね。
ですからこの時期だって、別にガメラという企画がとんでもなく新しかった訳ではないんですよ。子供+怪獣=集客という方程式は既に出来上がっていた筈ですし。

Photo_3さらにテレビに目を向けてみれば、前述の「ウルトラQ」の後番組として始まった、誰もが知ってる釣り目の宇宙人「ウルトラマン」もこの時期、1966年です。
確かにウルトラマンの登場は斬新だったかもしれません。しかしそれ以前にも銀幕では「スーパージャイアンツ」(1957年~59年 新東宝)、ブラウン管でも「遊星王子」(1958年)「ナショナルキッド(1960年)などなど、規模は違えど宇宙から来たヒーローのドラマはあった訳です。
その放映開始が「マン」の2週間前だった「マグマ大使」に国産初の巨大ヒーローの称号を持っていかれた事実からも分かる通り、ウルトラマンにしたって別に「突然出現した、天地がひっくり返るほどのエポック作品」ではなかったように思うんですよ。

Photo_4「マン」と来れば当然語らねばならない「仮面ライダー」(1971年)に至ってはさらに顕著な背景があります。
ライダー誕生四年前の第一次ブーム、ウルトラマンの成功によって先鞭が付けられたヒーロードラマのジャンルに於いて、ライダー製作会社・東映にしたって「ジャイアントロボ」「仮面の忍者赤影」など既に様々な試行錯誤を繰り返していた筈です。
まさに東映は第一次ブームで「量産という名の実験」を繰り返してきた訳ですよね。
ですからライダーにしても別に突然出てきた訳じゃないと。東映のお家芸・時代劇のノウハウと、第一次ブームで東映が培ったドラマツルギー、設定の妙などをうまくアレンジしたのが「ライダー」なんですよね。

余談ですが。これはあまり言われない事なんですが、「宇宙猿人ゴリ」「帰ってきたウルトラマン」が火付け役になり「仮面ライダー」の人気が決定打になった第二次怪獣ブームって、ライダー人気の派手さの為に「等身大ヒーローブーム」的な印象がありますが、思ったほど番組数では巨大ヒーローも負けていないんですよね。等身大は東映が多かっただけで(笑)。でもまあ確かにこの時期、チャンネルを回せば日替わりで地球が危機に瀕していた事だけは間違いありません。大破壊された街が翌週にはリセットされちゃうにしても(笑)。

さて。これら国産四大特撮キャラクターの出目をかなり勝手にお話してきましたが(笑)、どのキャラクターを取ってみても、決して人類の大発明ほどの超オリジナルキャラじゃない事がお分かりと思います。
映像に限らず作品という物は、大きな括りで見ればお互いに影響し合って作られるものなので、同時期に多くの作品が輩出されればお互いの影響はさらに顕著なものとなり、その中から新しいもの、バランスの整ったものが誕生してくるのは自明の理なのでしょう。
ただ忘れたくないのは「影響とは決して真似という事じゃない」んですね。


ここでちょっと、無い頭を絞って考えてみました。
前述の通り、それぞれのキャラクターは過去作品の影響下にある事は間違いありません。でもなぜこれらが、現在も語り継がれる程、私たちの心を捉えたのでしょうか。
何故ゴジラやガメラ、ウルトラマンや仮面ライダーは他のキャラクターのように「淘汰」されなかったんでしょうか。


ここでちょっと、冒頭の「ナマコ」のお話に戻りたいと思います。なにしろナマコを食べた事の無い私、これを食材としてどう使うのか興味があります。
軽くウィキで調べてみました。その記述によりますと。


干さないナマコは酢の物として食べるそうで。
腸などの内蔵を塩辛にした物は「このわた」と呼ばれ、日本三大珍味の一つ。
内蔵を除いて似た後に乾燥させた乾燥ナマコが前海鼠(イリコ)。
卵巣を干したものは「このこ」または口子(くちこ)だそうです。
ナマコって結構いろんな食べ方があるんですね。まさかあれがそのままお皿に乗って出てくるとは思ってませんでしたが。
やっぱり調理法がミソなんですよ。


そうなんです。ひょっとして他の食材が淘汰され、あのグロテスクなルックスに反してナマコが生き残った理由とは、この「調理法」にカギがあるんじゃないかと思うんですよね。
人類はあのグロテスクなナマコを、なんとか美味しく食べる為色々料理してみたと。で、酢の物にしたり内蔵、卵巣を独立させたり干したりと試行錯誤を繰り返した訳です。決して素材をそのまま食べていない。
ここなんでしょうね。『生き残りの極意』は。


賢明な皆さんなら、ここまでお話すればおわかりになるでしょう。ゴジラやガメラ、ウルトラマンや仮面ライダーが「淘汰」されなかったおぼろげな理由が。
結局、生き残る作品はすべて「素材」の料理の仕方が上手かったという事なのでしょう。


ゴジラがそれまでの「モンスター」と決定的に違う理由、それが「反核」というメッセージ性にある事は皆さんもご存知と思います。
それまで「未知の脅威」「自然の反逆」としてしか扱われなかった巨大モンスターに、ゴジラは「人類の負の遺産が生んだ被害者」という概念を持ち込んだ。ゴジラが今だに私たちの心に影を落とす強力な理由はその一点に尽きるような気がします。最近の作品ではその設定は見る影もありませんが、それでも私たちはあの皮膚や、放射能により融けた様な背びれの形を見る度に、自らを断罪されているような思いに捉われるのです。
この「人類の罪悪感に訴える」所が、恐竜に過ぎなかったゴジラというキャラクターを唯一無二の存在とした見事な「調理法」なのではないでしょうか。


ガメラの場合、個人的には「ギャップの面白さ」ではないかと思います。
当時の大映社長、永田雅一氏が企画会議の席上「飛行機上から亀に似た雲を見た。空飛ぶ亀の話を作れ」と激を飛ばしたというお話の真偽の程はともかく、「亀が火を吐く」「回転して空を飛ぶ」という発想は、当時の特撮界では並外れてエキセントリックだった筈です。第一、本物のカメさんが不得意とする事をあえてやっている。それまでの東宝怪獣が「この出目、デザインならなんとなく出来そう」という能力を与えられていたのとは対照的です。
文献には当時の洋画SF作品、特に空飛ぶ円盤テーマの影響があったのではなどと推察されていますが、それを生体である怪獣と結びつける、しかも最も高速移動がそぐわない亀にやらせるというのはちょっと考えつきません。
そして何より、それが「絵になる」というのが最も大きな理由なのでは。
後々の「子供好き」という不可抗力的魅力も含め、当時の大映スタッフは亀という素材を見事に「料理」してみせた訳です。


「科学特捜隊」という骨子の設定に「アメリカじゃスーパーマンってのが流行ってるから入れてみなよ。」とアドバイスを入れた円谷英二。そしてその一言を「怪獣」という巨大な存在と合わせ、互角に戦える「巨大スーパーマン」という設定までに昇華させた円谷プロ文芸部の英知。
ウルトラマンがそれまでの宇宙ヒーローと大きく違う理由は、そんな作劇上の要求に合わせたスタッフの発想の賜物だったのでしょう。
そしてなんと言っても新しかったのはやはり光学合成による美麗な光線技の数々。敵味方入り乱れてブラウン管狭しと放たれる光の奔流は、それまでの「気合一閃、倒れる敵役」という「視聴者が想像するしかない技の威力」を可視化してくれた記念碑的役割を担ったのでした。
さすがの「素材」スーパーマンも、この光線の切ればかりはウルトラマンに一歩も二歩も譲ると思います。ここにも見事な「料理の腕」がありました。
バラエティー豊かな怪獣達が番組の魅力の一端を担った事は言うまでもありませんが、怪獣だけなら前作「ウルトラQ」にも出演していた訳ですから、これはやはりウルトラマンの突出したキャラクターに追うところが大きいでしょう。


さて。仮面ライダーですが。これは実は、原作者である故・石ノ森章太郎氏がよく語っていたお話が全てだと思います。
言ってしまうと「ウルトラマンの逆」ですね。まー実も蓋もありませんが(笑)。

「巨大」と「等身大」・「宇宙人」と「地球人」・「美」と「醜」・「光線技」と「肉体技」。他にも対照的な要素は数限りなくあります。言わば仮面ライダーは影のウルトラマン、ウルトラマンのもう一つの可能性だった訳です。その発想の骨子を元に、石ノ森氏一流のセンスが生み出したあのデザイン、バイクスーツから転用したライダーのディテール、フォルム。
これは料理法と言うよりも「スーパーマンという食材を使って円谷と東映が別々に作った創作料理」とも言える展開ですよね。


ウルトラマンと仮面ライダーが唯一無二、淘汰されない理由はもう一つあります。「これ以上でも以下でもなく、しかもお互い補完し合う関係」という所です。
マンもライダーも初代でもう完成している。何を足しても余計になってしまうんです。マンの対極を発想すればライダーに。逆もまたしかりなんですね。新しいヒーローを創出しようとするとどちらかになってしまう理由がお分かりと思います。いくらクリエイターがオリジナリティーを出そうとしても、そこにはただ両者が排除してきた設定の荒野が広がるだけという(笑)。

新ヒーロー創出に挑もうとされた方々はよくお分かりではないでしょうか?
かの名作「ウルトラマンティガ」も「仮面ライダークウガ」も、初代の呪縛から逃れる事は出来なかったという事を。


もう一つ「戦隊シリーズ」という道があるにはあるのですが、個人的には、う~ん(笑)。あくまで好き、嫌いの問題です。作品の出来とは関係ありません。あれをギャグと思えばそれはそれでコク深いですし。原作者の石ノ森氏も「ゴレンジャー」を途中から「ごっこ」にしちゃいましたしねー。難しい立ち位置のシリーズと思います。あれは作品世界が閉じている感じがして。私は入れてもらえなかったクチです(涙)。

そんなこんなで、年明けからまたおバカな私見をお聞き頂きました。
かつて行われた食材探しの末、淘汰の嵐を生き残ったナマコ。
ゴジラやウルトラをナマコになぞらえてはお怒りの方もいらっしゃるかもしれませんね。平にお詫び致します(笑)。
でもそれら時代を越えて愛されるキャラクターには、必ずどこかクリエイターたちの見事な包丁さばきがある事を忘れたくないのです。

2008年もスタートして数日。今年はこれらのキャラクターを凌駕する驚天動地のスーパーキャラが現れるのでしょうか。
今日のサブタイ「海鼠の法則」がマニュアル化されていればそれも簡単なんでしょうが。でもそんなに甘くないんですよねー。クリエイターの世界は。
「掴んだ!」と思ってもニュルニュルと手から逃げてしまう。
そういう所だけ「ナマコ」なんだから(笑)。

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2008年1月 1日 (火)

初夢大怪獣

Photo 大変です!新年そうそう、町にねずみの大怪獣が現れました!
さすが、干支に合わせたタイムリーな登場!

それにしてもこの大きさは?
まさか「五郎とゴロー」?はたまた「甘い蜜の恐怖」?逆に「1/8計画」?



Photo_2 なーにいってんのおねえちゃん。おしょうがつから。
「へりぷろんけっしょうじい」も「らぜりーびーわん」もたべてないよ。
おおそうじでかいじゅうのそふびをふきすぎたんじゃない?

そーだよねー。あれだけ拭けばこんな初夢も見るってもんだよ。

なーんて。年明けからおバカが過ぎましたね。
皆様、明けましておめでとうございます。


旧年中は何かとご心配、ご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。
今年も相変わらず、こんな調子でやっていこうと思います。
どうか呆れず、コタともどもよろしくお願い致します。

Photo_3で。おねえちゃん、これは?
それはかぼちゃの煮物。
ウチは貧乏だからお正月料理はないの。
冬のかぼちゃは体に良いそうだから、ちゃんと食べなきゃだめだよ。


そんなこといって。
ことしのえとはねずみなんだから。
もうちょっとせれぶあつかいしてよね(哀)。

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