スクリーンに帰宅した夜
昨夜7時前に飛び込んだ、行きつけの劇場。
毎月1日の映画ファン感謝デー。
最終回に間に合いました。
いつもと違うその空気に、私もちょっと戸惑い気味。
お客さんの年齢層が違うのでしょう。若いカップルや私のような一人者に加え、私の両親ほどの年齢のご夫妻から母親と中学生くらいの親子まで。みなさんニコニコしながら上映開始を待っています。
「ああ、映画って観る前から始まってるんだ。」
ほどなく、いつもの東宝「スコープ」マークが場内いっぱいに映し出され・・・
タイトル「ALWAYS 続・三丁目の夕日」。
これはもう、皆さんもよくご存知の作品ですね。
二年前に大ヒットした一作目の続篇です。
「ネヴュラ」でも一作目の感想をお話した事がありましたね。調べてみたら、ちょうど去年の明日、12月3日の記事でした。
この「ALWAYS」、私は一作目を劇場鑑賞していませんでした。初見はテレビ放送の時だったのです。ですから感想もおそらくテレビサイズ、読み返してみるとやはり、作品の内容というよりその舞台であった昭和の時代を自分の記憶とオーバーラップさせる記事でした。うーんやっぱり、作品は観る環境によって感想の内容も左右されますね。
いかなる映画も、二作目は一作目を超えなければならないという強大なプレッシャーから、道を踏み外す作品も多いような印象を持ちます。
それらは一作目の出がらしとなるか、全くテイストの異なる作品となって一作目との勝負を避けてしまうケースがほとんど。
この「ALWAYS」にしても、一作目の段階で二作目の予定など影も形も無かったそうですから、製作陣のご苦労は思うに余りありますね。
そんな前例も多いですから、私も今回の続編についてはあまり期待していませんでした。前売り券を買わず、ファン感謝デーを狙ったのもその為でした。
でも私、ひょっとして前作を劇場鑑賞していたら一も二もなく前売り作戦、公開初日に駆けつけていたかもしれません。
というのはこの作品、「劇場でしか味わえない効果」があったからなのです。
未見の方もいらっしゃるでしょうから、例によって作品の内容をあれこれレビューするのはやめましょう。ただお話の都合上、やむをえずネタバレしちゃう場合もありますからご了承下さいね。
この「ALWAYS」という二作品に共通する大きな売りは、「昭和30年代の再現」というものでした。精緻な時代考証によって作られた精密なセット、もう実写との区別などつかないVFX、当時の風俗の導入から人々の仕草まで、この作品は徹底して「昭和」にこだわっています。
ただ鑑賞前に危惧した事ですが、この手で観客を驚かせるのは一回限りの離れ業なんですよね。もう二作目になってしまうと観客の要求度も上がり「リアルなのが当たり前」と思われてしまう。そのあまりのリアルさに「三丁目のセットなんてどこかに保存してあるんじゃないの」なんて思われてしまうあたりが難しい所で。
続篇決定時、スタジオに残っていたのは鈴木オートの看板だけだったなんて誰も思わない訳です。そういう意味で今回は、前作との整合性を意識せざるを得ない分、スタッフにかかる重圧も大きかったと思います。
でもその重圧をものともしないスタッフの素晴らしい仕事ぶりは、すでにオープニングから全開していますね。
多くの方々が書かれていますから私は割愛しますが(笑)、あの「誰もが考えるけど誰も実現できない」場面(もちろん私も夢想しました)をやっちゃった、山崎貴監督以下スタッフの心意気は見事と思います。
蛇足ですがあのデザインが「山崎G」としたら、私と彼は話が合うでしょう(笑)。
「ALWAYS」続篇決定の報を知った時、まず私が考えたのは、多くの識者諸兄と同じく前述の通り「VFXを武器には出来ないだろう」という事でした。
きっと山崎監督以下全てのスタッフは「かつての自分達のすばらしい仕事」というとてつもないハードルに怯えたはずです。
彼らは前作というライパルに打ち勝つ為の戦略をどう練ったのでしょうか?
私はここに、この続篇製作へのモチベーションを上げる上で重要なキーがあると思いました。
さて。お話はちょっと前後しますが、ここで鑑賞途中の私の気持ちの移り変わりをお話しましょう。それには最大の「エフェクト」も関係してきますが。
まず、タイトル前の一騒ぎの興奮も収まった頃に感じたのは、「あーやっぱりこの作品は、前作のリメイク的色合いが強いんだなー」という事でした。なにしろ、あの三丁目の人たちは前作と何も変わっていない。確かに前作から4ヶ月後のお話ですから別に大した事も起こらないでしょう。いつもの鈴木オートであり、ブンガクであり、アクマ先生であり、あの悪ガキたちな訳です。
ただキャスト・スタッフにとって「前作と同じ」と言われる事がどれほどの賛美であろうとも、観客はそこに「変化」を見つけたいのです。
でもまあよく言われる通りの「子役の成長」とか「演技の上達」などは、前作から2年というどうにもならない時の流れを感じさせますね。それは仕方がないと言えばそれまでです。実際、六子役の堀北真希なども「前作の自分に負けないように」と心に決め、撮影に臨んだそうですし。やっぱり作品は人間が作るものですから、それなりに「もっといいものを」という意欲は湧くはずですしね。
ですからそこをあれこれ言うのは邪知というもの。
「成長した子供をVFXで幼くしろ」なんていうご意見さえ出そうですね。
でも、もうそうなっちゃうと全篇VFXで済んじゃいますから、ここはその「2年」を素直に受け入れるのも観客の「粋」というものでしょう(笑)。
ただここが難しいんですが、観客は「前作と同じじゃいやだけど、前作とかけ離れた作品もちょっと」と望むものなんですね。作り手としてはその「前作との距離感」が非常に難しい。VFXのサーカスという部分を禁じ手とする以上、前作との差別化に残された方法論は少なかったと思います。
ストーリーが進むにつれて、私の気持ちは変化していきました。「美加ちゃん」のエピソードあたりからです。
「なるほど。今回は新キャラクター登場で、別のお話を進める戦略ね。」
こういう戦略は、パート2物では最も多いですよね。新キャラ登場、新たな事件。これは前作公開時、一部で言われた「ALWAYS=男はつらいよ論」に繋がるような気もします。要は寅さん物のように、主人公が新たな登場人物と出会う事でストーリーに変化を付けるという手法ですね。
ただこれは、寅さんのように各地を点々とするキャラには有利ですが「ALWAYS」のように町そのものが主人公の群像劇には導入しにくい。
事実、美加ちゃんのお話でそれほど引っ張れるとも思えなかったですし。
「まさかこのまま、高速道路あたりを見せ場にして逃げ切っちゃうんじゃ・・・」
私の不安は最高潮。「どーするんだろこれから?」
このあたりで私は、劇場内に流れる不思議な空気を感じました。
前作を劇場鑑賞していなかった私には、この空気が非常に新鮮でした。
お客さんのほとんどが、登場人物たちをまるで「自分の親族」のような目で見ているのです。確かに、私はスクリーンに向かって座っている訳ですから、振り向いてお客さんの顔をつぶさに観察している訳ではありません。
でも「空気」は感じるのです。
「この作品、お客さんはストーリーを追っているんじゃなくて、登場人物を優しく見守っているんだ。」
みんな、美加ちゃんの叔父さん、叔母さん、兄弟や従弟になったような気分で観ている。作品と観客の精神的距離が異常に近い。
実はこれが、スタッフの採った戦略だと気がついたのは、作品を観終わりパンフに目を通した時でした。
監督の山崎貴氏は、この続篇の製作経緯についてこう語っています。
「また三丁目の人たちに会って、いい映画が作れればそれでいいんじゃないかと思い始めました。」
実にシンプル。作品から漂う「親近感」は、この初志が貫かれていたからこそ生まれたんですね。監督へのインタビューでは、やはり続篇製作に関してかなりの葛藤があった旨も語られていますが、やはり最後は「あの三丁目の人たちに会いたかった」というシンプルな思いでした。
VFXでもない。ストーリーでもない。キャラクターなんだ。その思いはスタッフのみならず、観客の皆さんも同じだったんですね。でなければ、劇場に詰め掛けたお客さんがあんなに楽しそうにスクリーンに向かう訳がない。
恥ずかしいですが、私は少し勘違いしていました。
このシリーズ、実はVFXが売りじゃなかったんですね。
確かに昭和30年代の街並みや風俗は、観客を作品に誘う上での大きなファクターではありますが、この作品の本質は「そういう時代に生きていた人たちのピュアな生きざま、飾らない思い」だったと気がつきました。
逆に言えば、昭和30年代という舞台設定は、その生きざまを描くために逆算したのではないかと思えるほどです。
もちろん、それが優れた演出や円熟した演技に裏打ちされたものである事は言うまでもありませんが。
考えてみれば三丁目に生きる人たちは、今の私たちから見れば悲しいほどに正直。一人として相手に嘘をつかない。たとえついたとしてもそれは他愛のないものか、相手を思いやる上での「優しい嘘」ばかり。もっと言えば「自分の思いをストレートに伝える為につく嘘」なんですね。
要はみんな、互いに心を開いているんですよ。
ひょっとして私たちは、そんな等身大の三丁目の人たちに憧れを抱いているのかもしれません。ですから彼らの言動に素直に反応する。
スクリーンの上の人物達に、私たちも心を開いていく訳です。
もちろん、私はこんな解析を鑑賞途中に出来た訳ではありません。もうブンガクをメインとしたストーリーがラストに向かって疾走するさまを、まるで自分の恋人の事のように(笑)見守るのが精一杯。
(別に小雪を気取ってる訳じゃないですが(笑)。
実は、もう一つ考えた事がありました。それはあまりにも冷静すぎる感想なのでちょっと控えようとも思ったのですが、まー自分のブログですし、ここで思ったことをお話しするのもいいかと。
正直な感想ですが、この「続・三丁目」って、ストーリーそのものは別に大した事ないですよね。とんでもない事が起こって、人が死んじゃう訳でもなければ地球が滅んじゃう訳でもない。
(オープニングについてのツッこみはヤボというものですよ(笑)
でも、これほど心を揺さぶられるのは何故でしょう。
これは前述の「キャラクターへの感情移入」とは別に、もう一つの効果が働いているような気がしました。
「きっと昭和30年代を舞台にした事によって「事件スケールのインフレ」を回避できているんだなー。」
つまりこういう事です。悲しい事ですが、街中の殺人事件やコンビニ強盗などが当たり前になってしまった現代に比べ、昭和30年代ははるかに平和だったという事ですね。
だから現代から見れば大した事ない出来事でも、あの頃の人たちにとっては大事件なんじゃないかと。キャラクターに感情移入し、三丁目の住人になったような気分でいる観客にとっては、それら劇中で起こるご近所レベルの事件は目の前の一大事な訳です。
団地の隣室で何が起ころうと自分の生活に支障なければOK。「事件」じゃないと考える現代人ですが、当時はそうはいかなかった。隣の家でケンカが起こればご近所みんなで止めに入るような密接な関係が、あの頃の「毎日がエネルギッシュ」というイメージを生んでいたような気もします。
きっと私たちは、最近のドラマに見られる異常な事件や残酷な描写に慣らされているのかもしれません。
しかも与えられる刺激は日増しにエスカレートしている。刺激に対しての反応が鈍くなってきているようです。
脳内で「事件スケールのインフレ」が起きているんですね。
だからおそらく現代を舞台に「ALWAYS」の世界で起こる事件をそのままドラマ化しても、大した刺激を感じないと思うんですよ。
あれはあの時代だからこそ成立するストーリーなんじゃないかと思います。
江戸時代に拳銃犯罪が大事件扱いされたのと同じ「時代による事件性の差」が、ここでも最大限に発揮されているのでしょう。
「ALWAYS」が昭和30年代を舞台とした最大の効果は、実はこの部分だったのかもしれません。
ストーリー終盤、これ以上無いほどキャラクターに感情移入した私たち観客は、さらに美しい場面に立ち会う事となります。ただこれも、今考えれば別にどうって事ない「横丁の角」の場面ですよね。でもこの作品世界の「インフレ回避効果」によって、あの一幕は観客の心を非常に揺さぶる名場面足りえているのです。
「お金では買えないもの」なんて、人情話では使い古されたセリフがこれほどまでに胸に響くのは何故でしょうか。
もうお気づきでしょうが、実はここで、今回の「続・三丁目」最大の「劇場エフェクト」が体験できました。
暗い観客席のあちこちから、すすり泣きの声が漏れてきたのです。
私の席の右隣の女性、左隣の男性も、嗚咽をこらえきれずに泣いています。かく言う私も必死で涙をこらえていましたが、一連の「ブンガク一家」のシーンの後、美加ちゃんのセリフ「○○○ん」に涙腺が爆発、流れる涙をどうする事も出来ませんでした。
久しぶりに、映画を劇場鑑賞する事の意義を感じた次第です。
(この時は正直、全然恥ずかしくなかったですね。だってほぼ全員泣いてるんだから。)
鑑賞後、私はなぜこの作品タイトルが「三丁目」の後に「夕日」と続けているのかを考えてみました。原作漫画は未見の為、作者の意図は正確には図りかねますが、今回の劇場鑑賞後の印象としてはこうです。
「夕日」が出る頃というのはきっと、人恋しくなる時間帯なんだろうなと。
そんな時、人はきっと家族や近しい人に会いたくなるんだろうなと。
近しい人に会える場所。それがきっと「家」なんでしょうね。
私もきっと、スクリーンの中の三丁目に「帰宅」したのでしょう。
今回の続篇で、三丁目の人たちはそれぞれ「近しい人」と居を共にする幸せを得ました。そんな人たちが眺める夕日は、きっと一人で見るそれより美しいのでしょう。それは何故か。
ラストの淳之介のセリフが、すべてを物語っています。
まーそれにしても鑑賞後、帰宅時のミニバイクは寒かったですね。
乾いた涙が目の横に張り付いてカピカピ(涙)
でもこの作品、つくづく劇場で観てよかったと思います。
この年になると心の宝物も少なくなりますが、昨夜は極上の逸品を手にした気分です(笑)。
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コメント
あぁ、私はまだ見ていないんですヨ。
「三丁目の人たちに会いたい」というのは大事な「売り」ですネ。もし見る前にネタばれがあったとしても、昔話を懐かしむように、「そうそう、あの時茶川さんが‥‥。」「そんで鈴木オートが‥‥。」と、彼らが右往左往する姿を楽しむ(?)ことができると思うのです。だから、古いアルバムをめくるように、彼らの日常が愛しく、何度でも見たいという思いを起こさせるのだと思います。赤の他人の、フィクションの話なのに、どこか懐かしく思わせる‥‥。それが『三丁目の夕日』2作の価値なのかもしれません。
私は40年生まれなので30年代の暮らしは知りませんが、40年代もみんな貧しく、見栄なんか張らずに正直に生きていました。そんな居心地の良かった時代への憧れ(というのとはちょっと違うのですが、適当な言葉が思いつきません(^^ゞ)が感じられます。他との優劣、能力主義、競争でギスギスしてきた現代にあって、「どうせみんな貧乏」というあの時代の空気が、観る人の安堵感を誘うように思います。
年が明けると『20世紀少年』の映画(監督:堤幸彦氏)が公開される予定です。こちらは昭和45年前後の町並みが物語の鍵を握るので、楽しみにしています。ただ、あの当時の空気感を再現できるかどうかは心配ですが‥‥。
投稿: 自由人大佐 | 2007年12月 3日 (月) 00時38分
自由人大佐様 私はこの「ALWAYS」シリーズ、初めて劇場鑑賞したんですが、いやー泣けました。
画面サイズのみならず、大勢の観客の一人として「映画を体験する」という事の大切さを再確認した次第です。
きっとあの時、劇場へ詰め掛けた観客全員が「三丁目の住人」だったのでしょう。
おっしやる通り、この二作品はネタバレするしないに関わらず、楽しめる場面が沢山ありますね。これはやはり個性溢れる登場人物たちによる所が大きいのでしょう。
彼らの姿を見ているだけで優しい気持ちになれる効果が、このシリーズには確かにあると思います。
ですから観客はこのシリーズの続篇に「次の事件を見に行く」というより「知り合いに会いに行く」というスタンスで臨めるのだと思います。
三丁目のみんなは、きっと時代は違えど「私たちの隣の人々」なんですよ(笑)。
「20世紀少年」には私も期待しています。昭和45年と言えばもう、自由人大佐さんや私の時代ですね。ただ、その時代が既に「歴史の1ページ」として認識されている事に、今さらながら時の流れを感じます。
何はともあれ、この作品を通じて「あの頃の自分」に会えるであろう事を期待しています(笑)。
投稿: オタクイーン | 2007年12月 3日 (月) 21時13分
オタクイーンさん、こんばんは!TBとコメントを頂きましてありがとうございました。
しかしあそこで我らが「G」を復活させてくれたのは嬉しかったですね。
内容も王道というか「べた」をきっちりとやってくれたのでよかったのではないでしょうか。劇場を出るときには僕はニコニコして出て行きたいので、あの演出は良いと思いました。
家でのDVD鑑賞ならば、暗かったり、予定調和に留まらないエンディングもありとは思いますが、劇場まで観に行って、その手のやり方をされると出て行くときに嫌な気分になりますので、僕は嫌です。
しかしこれ以上の続編はツライですね。まさに「続きものはつらいよ!」という感じです。でも多分、堀北メインの青春物として、二年後当たりに東宝が持ってきそうですね…。
ではまた!
投稿: 用心棒 | 2007年12月10日 (月) 01時37分
用心棒様 「続・三丁目」でのGの扱いは、まるで「男はつらいよ」のギララのようなものでしたね(笑)でもかつて友人たちと語り合った、Gはあの時代こそがふさわしいという願望が実現しただけでも劇場鑑賞した甲斐がありました。
「ALWAYS」はおっしゃる通り、ストーリーもベタならエンディングも予定調和の世界ですが、それが分かっていても見入ってしまう不思議な魅力がありますね。それはやはり「過去」というバックステージが極上のスパイスとなっているからでしょう。
私も用心棒さんと同じく、劇場からはニコニコして出て行きたいクチです。しかしこのシリーズだけは「始まる前からニコニコできる」楽しみがありますよね。
何故か観客も優しい気持ちでスクリーンと向き合える。
世知辛い世の中だからこそ、こういう世界に浸ってほっとしたいのかもしれません。
「掘北メインの青春物」をもし続篇として作ろうとしたら、内容的にはとんでもなく高いハードルをクリアしなければなりませんね(笑)。
いっそ六子ちゃんのキャラクターを生かし、現代物として力を抜いた作品あたりを狙った方が勝算はありそうですが(笑)。
投稿: オタクイーン | 2007年12月11日 (火) 14時09分