2021年12月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

ネヴュラ・プライベートライン

無料ブログはココログ

« 気骨の店 | トップページ | 手段と目的の足並み »

2007年12月19日 (水)

新しい皮袋に古い酒

前回、古の特撮作品を何本かレンタルした旨をお話しましたね。そのお店にラインナップされていた作品は「痒くなりそうな所に手が届く」ものばかりだったので大変嬉しかったのですが、中でも特に心を躍らせた内の一本が、今日お話する作品です。
これはもう、怪獣ファンの皆さんならよーくご存知ですよね。
私もレーザーディスクでは持っているのですが、DVD鑑賞は初めてでした。

「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣」(1970年東宝 本多猪四郎監督)。この作品、私は封切時に劇場鑑賞しました。
今でも大変思い出深い一作です。

Photo先ほど「皆さんよーくご存知」なんて言いましたが、正確にはこれ、ゴジラやガメラほどメジャーな作品ではないんですよね。まータイトルでお分かりの通り、東宝製作なのにゴジラが出ていませんから。
今一マイナーなのはそのせいでもあるのでしょう。
この作品の一年前から始まった東宝の子供向け興行「東宝チャンピオンまつり」。冬休みや夏休みなど子供たちの大型休暇に合わせ、怪獣映画にアニメやテレビ作品などをカップリングした夢のプログラムです。
この「決戦!南海の大怪獣」はその第三回のメイン作品として製作され、1970年8月1日より全国ロードショー公開されました。
同時上映は「巨人の星・宿命の対決」「アタックNo.1・涙の回転レシーブ」オリジナルアニメ「みにくいアヒルの子」。この併映作品で分かる通り、とにかくチャンピオンまつりは子供に一日楽しんでもらおうという東宝の目玉企画だったのです。

私の「東宝チャンピオンまつり」体験は第二回「キングコング対ゴジラ」(1970年3月21封切)からでした。春休みに劇場体験した初のゴジラ映画に感動覚めやらぬ私は、この三回目・夏休み興行にも興味深々、母親の手を引っ張るようにして観に行った記憶があります。
Photo_2「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ」と聞いて、未見の皆さんはどんなイメージをお持ちでしょうか。初見が封切時、劇場鑑賞だった私にとって、この怪獣名は大変そそられました。
考えてみればこの一回前のチャンピオンまつりは「キンゴジ」で、私はそこからしか観ていませんから、その時点では「チャンピオンまつりは毎回違う怪獣映画がメインなんだ」と思わざるを得なかったんですね。
「キンゴジ」の前、第一回目のメイン作品が「ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃」なんて全く知らない頃だったので。
識者の方々に「ユルいオタクだな」と舌打ちされても仕方ありません(笑)。


この年は怪獣ファンにとっても特別な年でしたね。
特撮の神様、円谷英二監督が一月に逝去。日本の特撮界の未来が不安視される中怪獣ブームも一段落し、翌年やって来る第二次怪獣ブームの予兆もまったくありませんでした。
一種の「ブームの狭間のエアポケット時期」だったのです。

事実、この年に製作された劇場用怪獣映画は、本作以外に大映の「ガメラ対大魔獣ジャイガー」「ガメラ対深海怪獣ジグラ」のわずか二本のみ。
邦画四社がこぞって怪獣映画を製作した1960年代後半を考えれば、この製作本数の減少は怪獣ブームの終焉を思わせるに充分でした。


「チャンピオンまつり」の看板を掲げ、新作と旧作の怪獣映画をメインに打って出た東宝の戦略は、ほぼ同時期に始まった東映の「まんがまつり」とともに子供文化の歴史を彩る事となるのですが、その開始時期が共に第一次怪獣ブーム後のエアポケット時というのも不思議ですね。
ともあれ、「南海の大怪獣」はそういう時期に製作された作品なのです。


円谷監督逝去、第一次怪獣ブームの終焉に加え、この年は邦画界にも大きな変革がもたらされました。1970年代を迎え、製作会社はこぞってそれまでのプログラムピクチュア量産主義から年に数本のビッグバジェット・大作主義に体制をシフト。テレビの台頭が大きな理由だったのでしょう。
生き残りを賭け「テレビでは出来ない事を。」を合言葉に、製作本数を絞り込んで一作に予算を投入する超大作が、70年代邦画の特徴となったのです。


そんな変革を背景に東宝も社内体制を大幅に刷新、各部署を細かく子会社化し、独立採算制を採らせる事で時代の波を乗り切ろうとしました。長年円谷監督を支えてきたスタッフも移籍などを余儀なくされ、また俳優の専属契約制も消滅。
この時期を境に各社の「顔」的俳優の布陣が一切消えてしまったのでした。
つまり70年代初頭は「東宝の怪獣映画と言えばこのスタッフ、このキャスト」というイメージが崩れ去っていく時期。この「南海の大怪獣」は、往年の東宝怪獣映画の香りを残す最後の作品と言えましょう。


Photo_3この作品には逝去された円谷監督に代わり、監督の愛弟子・有川貞昌氏が特殊技術を担当し、出演者も久保明・佐原健二・土屋嘉男の「マタンゴ」トリオをはじめとする東宝オールスターキャストが参加していますが、次回作「ゴジラ対ヘドラ」(1971年)になると監督も坂野義光、キャストは柴俊夫・山内明などそれまでの東宝作品では見られないメンバーが揃う事になります。
「オール怪獣総進撃」あたりからややそういう空気は見受けられますが、「ゴジラ対ヘドラ」で決定的となった作品カラーの変化は、この邦画界の背景と切り離せないものがあるのです。


ちょっと周辺のお話が長くなりましたね。そんな事情を踏まえてお話しますと。ややネタバレを含みますので、未見の方はご注意下さいね。
この「南海の大怪獣」、ご覧になった方はよくお分かりと思いますが、当時の怪獣映画とすればしごく真っ当な、直球勝負の作品ですよね。特にヒネリがある訳でもなく。それまで円谷特撮映画で培われた作品のアイデアをコンパクトに詰め込んだ感があります。
冒頭画面は「大怪獣バラン」、無人ロケット・ヘリオス7号に寄生する宇宙生物の描写は「宇宙大怪獣ドゴラ」、カプセル帰還のプロットは「ウルトラQ・宇宙からの贈りもの」、宇宙生物の人類侵略ぶりは「宇宙大戦争」、離島で展開する活劇は「キンクコング対ゴジラ」(原住民が奏でる曲が(笑)「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」という具合で。それぞれのシーンに過去の名シーンを重ねるのも、この作品を見る上での楽しみの一つです。

監督が怪獣映画の重鎮・本多氏ですから、そのツボを押さえた演出には安心できます。この作品の「直球感」はそんな所にも理由があるのでしょう。ところが作品に漂う雰囲気は、それまでの東宝怪獣映画とやや趣を異にするものなのです。
今回DVD鑑賞の幸運に恵まれた私は、田中文雄プロデューサーのコメンタリーでその理由の一端を知る事ができました。

Photo_4この当時、田中文雄氏と共に製作を担当したゴジラ映画の生みの親、田中友幸氏は、同年に開催された大阪万博で三菱館をプロデュース、東京と大阪を忙しく行き来していたという事です。ゴジラに関しては大変細かく神経を使う田中氏も、今回は新怪獣の上万博で時間を取られ、ほぼ文雄氏に任せっきりだったようなんですね。
大まかなプロットだけを決めておいて後は若いスタッフに期待したと。

確かに当時の文雄氏は29歳にしてプロデュース二作目。怪獣映画は初プロデュースです。そしてベテランの本多氏、有川氏、音楽の伊福部昭氏に対し、脚本に新加入の小川英氏(「血を吸う」シリーズで有名)を配するあたり、微妙に新しい血を入れようとする田中友幸氏の采配がこの作品には見受けられます。


その采配は、作品の最大の売りである「怪獣」に最も表れていると思います。
なぜ、ゴジラ映画にしなかったのか。


Photo_5再見してみると、この直球の作品からは「ゴジラからの脱却」という意思を強く感じます。
それまでにもその試みが何度も繰り返されていた事は歴史が証明していますね。「空の大怪獣ラドン」「大怪獣バラン」「モスラ」「フランケンシュタイン対地底怪獣」「フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ」など、怪獣の描き方に新たな可能性を求めた作品は数多くありました。しかしそれらは全て円谷・本多の「ゴジラ」コンビ(脚本面では関沢・木村(馬渕)によるもので、可能性の追求という面では頭打ちになっていたのかもしれません。
きっと田中友幸氏も、怪獣が持つ無限の可能性を信じていたのでしょう。
「怪獣はゴジラだけじゃない」と。


1970年。時代の転換期は新たな可能性の追求への舞台を用意しました。
何よりも大きかった円谷英二氏の逝去。邦画界の劇的な変化。「ゴジラ」第一作から16年を経て、田中友幸氏の胸中にも世代交代の欲求が大きく渦巻いていたのかもしれませんね。ご自身が万博という新たな分野への進出に意欲を燃やしていた事も、そんな気持ちに拍車をかけていたのでしょうか。

「若い世代が描く怪獣を見てみたい。ただ脇は固める。」
この作品のキャスト・スタッフ構成は、そんな友幸氏の意思が見事に反映されています。これ、よく分かるんですよ。私が番組プロデュースを初めて任された時も、こういうベテラン陣との混成部隊でしたから。

「プロデューサーがミスっても何とかなるシフト」なんですよね(笑)。

Photo_6田中友幸氏の目論見はどこまで実現したのでしょうか。
コメンタリーではこんな逸話が語られています。脚本の小川氏はこの作品の第一稿完成時、友幸氏に呼び出され、その内容について「なんだこれは。俺が今まで作ってきた怪獣映画の場面ばっかりじゃないか」とクレームをつけられたそうです。小川氏としては友幸氏メインのプロデュース作品ですから気を使って、サービスのつもりで書いたシーンばっかりだったようなのですが、友幸氏はそれを期待していなかった。新鮮な感覚に期待していたのに、焼き直しじゃ困ると言いたかったんでしょう。新怪獣まで用意して可能性を求めてるのに、これじゃ今までと変わらないぞと。
完成作品から感じた私の印象は、そんなやりとりの名残なのかもしれません。


友幸氏には、きっと気持ちの上で円谷氏が活躍した時代との区切りがあったのでしょう。ひょっとしたら円谷氏と一緒に、ゴジラの存在も封印する覚悟だったのかもしれません。しかしプロデューサーには興行成績も重要。ひょっとしてこの作品がヒットしていれば、その後のチャンピオンまつりは新怪獣が跋扈する展開になっていたかもしれませんね。
そんなifの世界を夢想するのも楽しいものです。


Photo_71995年に「ガメラ 大怪獣空中決戦」の公開時、旧怪獣を新解釈・新手法で描いた作品スタイルにファンはこぞって「古い皮袋に新しい酒を注いだ作品」と評しました。
しかし熟練のスタッフが脇を固め、製作体制や怪獣に新機軸を求めた「南海の大怪獣」にはその逆、
「新しい皮袋に古い酒」という感触を受けます。
ただそのお酒の古さは決してマイナスのイメージではなく、熟成されたワインのような深みやコクを感じるところがたまらない魅力で。ゴジラ映画ではない分地味な印象を受けますが、その内容はもっと評価されてしかるべきでしょう。


専門的な業界話ばっかりで退屈されたかもしれませんね。ついそっちの方面が気になっちゃうおバカな業界オタクをお笑い下さい。例によって無責任な私見ばっかりだし。でもこの作品の位置づけは、おそらくこんな長話を踏まえなければ判断を誤るような気がしまして。
本当は怪獣一匹ずつの私見やストーリーのレビューなどの方が一般的なんでしょうが、これが「ネヴュラ」なんですよね。ごめんなさいね(笑)。

Photo_8最後に。封切時に劇場鑑賞した私は、この作品に登場する怪獣の造形、ギミック、アクターの演技を非常にリアルに感じまして。
特にカメーバ。きわめて個人的意見ですが、この怪獣にはガメラ以上の存在感を感じます。
怖いんですよねそのいでたちが。
ガメラにはやっぱり「可愛い」「カッコイイ」というイメージがあります。でもカメーバは「怖い」。
たとえ原種の種類は違っても亀モチーフでこんなに雰囲気が変わるものかと当時、感激した記憶があります。

まさに悪夢のガメラですね。私の中では「もう一頭のトラウマガメラ」です。
その演出の裏には造形担当の利光貞三・安丸信行氏、カマキラスやクモンガなどで操演怪獣を極限まで追求した、有川特技監督の手腕があったのでしょう。


でも「東京SOS」での登場はビックリでしたね。手塚監督もカメーバ好きと聞きました。カメーバには、怪獣オタクの血を騒がせる何かがあるのでしょう。
なーんて精神分析してしまう私。
決してお仲間の向こうを張って
「カメーバ女医」を名乗るわけではありませんが(笑)。

にほんブログ村 その他趣味ブログ 特撮へ

« 気骨の店 | トップページ | 手段と目的の足並み »

映画・テレビ」カテゴリの記事

怪獣私見」カテゴリの記事

東宝特撮クラシック」カテゴリの記事

コメント

私もカメーバ好きです。怖いですか?可愛いと思うけどなあ(笑)

南海の大怪獣は大好きな映画のひとつですが、ウルトラQマンセーな私には、大好きな万城目淳が悪役をやってるのがちょっと悲しいです。

あと、南海の大怪獣へのオマージュ作品ですが、「ケロロ軍曹」にイカラ、カニメ、ガメーバっていうのが出てきて仰け反った事があります。
最近のアニメも侮れませんね。(笑)

オタクイーンさん、こんにちは~
自分が青木さやかさんに感じる無理感の正体がすこし分かった気がしました。
なんかいつも無理してるような気がして。。。芸能界って大変ですね。
「最後の希望リトラ。」はうーんと唸りました、、さすがの洞察力、分析です。。
そうなんです、そのゆるーい世界観に引き込まれて、その中での出来事になんら不都合を抱かない感じが楽しいんです、、、不要部分に眼を瞑るというか。
ここからは愚痴ですが、そういう世界観を壊してお金儲けしている「空想科○読本」シリーズはうんざりしてます。最近はそうでもないですが、少し前まで書店で見かけるたびに嫌な気持ちになりました~まあネタとして受け入れられる程、自分が寛大じゃないだけかもしれませんが。。。

レンタルショップ発掘はうらやましい限りです、、、「レインボーマン」「GR」もあるし。。。「レインボーマン」は今では絶対放送できないようなのでDVDしか観賞方法はないですよね?
だいだい「死ね死ね団」とか「金で心を汚してしまえ!」なんてフレーズは強烈すぎて・・・

実はここ数日、インフルエンザに罹ってしまいまして、思考もままならない状態です。。(笑)
オタクイーンさんもお気をつけください・・・

雀坊。様、私のカメーバに対するトラウマは、きっと封切時の劇場鑑賞によるものでしょうね。幼い子供にとって、最近のシネコンなどとは比べ物にならない程の大画面で観たあのガニメ対カメーバの死闘は、私を怖がらせるに充分なものでした(笑)。
今回再見してもその印象は変わらず。結構ハードな戦いなんですよね。

確かにこの作品中の佐原氏は悪役全開でしたね。しかもエイリアン憑依後のメイクなどは怖くて(笑)。私もQマンセーのクチですが、何故か悪役を演じていても彼の演技には清潔感を覚えるので、さほど落胆はありませんでした。キャラクターというよりも役者として見ていたんでしょうね。マセた子供でした(笑)。

「ケロロ軍曹」には時々マニアックなネタが散見されるようですね。他にも「クレヨンしんちゃん」など、オールドファンにニヤリとさせる小ネタをちりばめた作品も多いようで。作り手もそういう年代になったんでしょうね(笑)。

いつも楽しませてもらっています。
本日はちょっとお願いがあって書き込みに参りました。
自分のブログで元旦のご挨拶をUPするのですが
その時の企画で、私が普段楽しませてもらっていて
お世話になっているブログをいくつか、読者の方々にご紹介しようと思うのです。
その際、こちらのブログもぜひご紹介させて欲しいのですが
その時に(画面の見栄えが淋しくなるので)こちらのブログの
閲覧画面のキャプを、紹介するときに添えたいなと思っているのです。
差し支えありませんでしょうか?
私のブログで紹介することへの許認可的な意味も含めて
回答頂けるとありがたいです。

来年もぜひともよろしくお願いいたします。

大和少年様 ここ数日の寒波はこちら名古屋でもなかなか厳しいものがあります。年の瀬を感じますね。インフルエンザも流行っているようですので、充分にご静養下さい。お互い健康に新年を迎えたいものですね。

青木さやかに関してはやはり皆さん同じ印象を持たれるようで、私の周りでも「彼女、本当はいい人なんでしょ?」というご意見を多く聞きます。やっぱり人の本質はにじみ出てしまうものなんですね。
まーああいう不器用な子なので、なにとぞ応援よろしくお願いします(笑)。

「リトラ」に関しても、結局は「どこまで気持ちよく騙してもらえるか」という部分なんですよね。「なるほど。上手いなー」という所に感心するわけで。でも「空想科○読本」なんかを読んでいると、「これはマニアが一度は通る道ね」なんて思いもあります。
大人の目で見ればおかしいに決まっている事を一つ一つ論う姿勢って、かえって大人気ないんですよ(笑)。そっちの方が子供っぽいというか。
それを越えた所に『マニアの粋』が存在するわけで。
あの手の解析は、中途半端に物事を知っているとやってみたくなるんですよね。
でもそんな行為が「童話にツッこむような無意味な事」と分かるまでにはもう少し勉強が必要なのでしょう。
ああいう論調はマニアとしては未成熟に見えて仕方がありません(笑)。

おかげさまで、ここ数日は「レインボーマン」三昧です(笑)。いやーすごい。今見ると、ヤマトタケシは超人的な能力と引き換えに個人の自由を奪われてしまっているんですね。ヒーローに課せられた十字架をこれほど正面から描いた作品も珍しい。
いずれ記事に上げますので、また呆れてやって下さい(笑)。

市川大河様 ご無沙汰しております。
いつもこんなおバカな独り言をご覧頂き、ありがとうございます。私も貴ブログへはいつもお邪魔しているのですが、なかなか足跡を残せず申し訳ありません(涙)。

お尋ねの件ですがご紹介、閲覧画面のキャプともこちらとしては全く構いません。
むしろ貴ブログような高尚な場にこんなおバカなページをご紹介頂く事に恐縮してしまうほどで(汗)。
私のブログが貴ブログの品位を落とさない事を切に願うばかりです(笑)。

わざわざご確認のコメントを頂きありがとうございました。市川様の節度ある姿勢に感服いたしました。どうぞご自由にご紹介下さい。記事作成上、こちら側で何か操作する事など必要であれば、またご連絡いただいて結構です。
また今後も、ご協力出来る事などありましたら何なりとご相談下さいね。

貴ブログの新年記事、楽しみにしております。


この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 新しい皮袋に古い酒:

» インテリアに [鏡の中の星,新しい器に古い酒]
バオバブもいいかもね^^ [続きを読む]

« 気骨の店 | トップページ | 手段と目的の足並み »