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2007年12月20日 (木)

手段と目的の足並み

「因縁の作品」があります。
私が抱える多くの汚点の中で(笑)、今だに心を悔やむ痛恨の一作。

その作品はきっと私の人生にまとわり付き、折りに触れその狡猾な顔を覗かせるのです。先日もこんな事がありました。

特撮ファンの間では超有名、今やどのレンタルショップにも在庫されているそれは、借りるにもまったく苦労しません。久しぶりに鑑賞したくなった私はそのDVDを気軽にレンタル、自宅でプレーヤーに入れましたが・・・

フリーズ。

いくらボタンを押してもまったく再生されないそのディスクを取り出し盤面を見たところ、そこには大きなキズやまるで糊を塗りつけたような汚れが。
「こりゃ再生できないよね。」

あわててショップヘ向かいその旨を説明して、レンタル代金を返却してもらう運びとなったもののなんとなく釈然としない。
店員さんの応対ではなく、その作品が見られなかった事が。
で結局、向かいのレンタル店で借りちゃいました(笑)。

ここまで引っばるとさぞやマニアックな作品と思われそうですが、そんなご期待を裏切るイジワルな私(笑)。
何の事はありません。そのタイトルは「ゴジラ×メガギラス G消滅作戦」(2000年東宝 手塚昌明監督)なのです。


何故これが「因縁の作品」かと言いますと。
実は、私が物心ついてから欠かさず劇場鑑賞を続けたゴジラ映画の中で唯一、これだけが劇場へ赴かなかった作品なのです。
決して公開当時、観られなかった理由があったわけではありません。
チャンスはいくらでもありました。でも行かなかった。
前年に公開された「ゴジラ2000ミレニアム」の出来があまりにも私の期待と異なっていたので、「もうゴジラ映画には期待できない」という思いが強くあったからなのです。おまけに製作発表時、「今度の敵は「ラドン」の餌となったメガヌロン」と聞いてまたショック。
「メガヌロンまで出すようになったら、もうさすがにネタ切れなのねー。」
その時、私の気持ちは決まりました。「もうゴジラは観ない。」
ただ金子修介監督の名前につられ、この次作「GMK」からはまた劇場へ向かうこととなるのですが。

ですからこの作品、後のテレビ放送が私の初鑑賞だったのです。
いやーまるでビデオ誕生前の世界を思わせるアナクロな経緯(笑)。


ところが意外、この「G消滅作戦」、思った以上に面白かったんですね。
それはよくある「テレビに乗る映画」だったからかもしれませんが、とにかく私はそのオンエアを楽しみました。その後しばらくはそのエアチェックVHSで我慢していたんですが、さすがに46インチでトリミング画面・ノーマルステレオ・CM入りは辛い。
安価なレンタルもある事だし、久々に借りる気になったのでした。
で、冒頭の「フリーズ」(笑)。
よっぽど私とメガギラスは相性が悪いのでしょう(涙)。

ともあれ、再レンタルの一枚は何事もなく再生も快調、ここにめでたくメガギラスはその勇姿を私の前に現してくれたのでした。
そんな理由もあり、劇場に行かなかった私はこの作品についての資料を何一つ持っていません。ですから今回のお話は写真無しでご勘弁下さい。
つまらない独り言がさらに退屈になりそうですが。ごめんなさいね(涙)。

で、件の「G消滅作戦」。前述の通り私には大変楽しめました。以前にもお話したかもしれませんが、私には手塚ゴジラのベストワークに思えます。
かの機龍シリーズよりも好きな作品なんですよ。
その印象は今回の再見時も全く変わらず。むしろ強固なものとなりました。


「機龍」シリーズをお好きな方も多いでしょうから、ここからのお話はあくまで私の印象、感覚、好みによる感想である事をお断りしておきます。
個々の作品についての好みは人それぞれ、決して作品の優劣について語るわけではありませんので。念の為(笑)。
やむをえずネタバレもありますので、未見の方はご注意下さいね。

まー今回もストーリーのレビューや細かいツッこみは識者の方々にお任せする事にして。かいつまんでお話すれば、これは前述の通り、前作「ゴジラ2000ミレニアム」(1999年東宝 大河原孝夫監督)で復活した通称「ミレニアムゴジラシリーズ」第二作という位置づけの作品です。
1998年にアメリカで製作された初の海外版「GODZILLA」(ローランド・エメリッヒ監督)の興行が不振だったため、翌年東宝が復活させた「ゴジラ2000」でしたが、その製作経緯にある通り、あまりにも短い準備期間が裏目に出たのか作品の内容はファンの望むものとはかけ離れてしまったようで、ここでも興行成績は大幅にダウン。
続篇のレベルが危険視される中、作られたのが「G消滅作戦」でした。


正直言って「2000」鑑賞後、これからのゴジラシリーズに期待しろという方が無理。特撮ファンである事が恥ずかしかったのは「惑星大戦争」鑑賞時以来という感覚でした。作品の背景には様々な事情もありますから一概に言い切る事はできませんが、いくらゴジラが好きでも堪忍できる事と出来無い事がある訳で。
ともあれ「G消滅作戦」には全く期待できず、タイトル通り企画が消滅して欲しかったくらいの心持ちだったのです。
ゴジラが好きなら好きなほど辛いこの環境。典型的な「坊主憎けりゃなんとやら」状態だったわけですね(笑)。まったく単純おバカな私でした。
あくまで個人的感覚ですが。

私がこの「G消滅作戦」を楽しめた理由は、ひとえにその「思い切りの良さ」に尽きるでしょう。
今作がゴジラ映画初監督となる手塚昌明氏は大のゴジラマニアだそうで、いよいよマニアが製作側に回る時代の変遷を感じたりするわけですが、この作品の場合、様々な偶然のさじ加減によりそのマニアックさが程よくマイルドになっている所がいいんですよ。


考えるに、まず東宝側の「初監督の手塚氏には、ゴジラと対峙させる怪獣をやや小物にして負担を与えないようにしたい」という姿勢が見えます。
もっと言えばリスクを回避したいと言うか。
大物同士の作品でコケられたらそれこそ後が無いですからね。
それが新怪獣メガギラスの起用に繋がったのかも、なんて。

前述の通り、「空の大怪獣ラドン」(1956年 本多猪四郎監督)でラドンの餌として登場した「メガヌロン」に設定は酷似していますが、それは話題性の為という程度に留められていますね。過去の設定に縛られないからこそ、劇中であれほど自由な演出が可能となったのだと思います。


そしてさらに「メガギラスをゴジラの敵にしなかった所」も戦略的に実に巧妙。もともとゴジラは国内規模で封印された(筈の)エネルギー物質を狙って現れるわけで、別にメガギラスなど眼中に無いですもんね。
メガギラスはゴジラの持つ強大な体内エネルギーを「食料」として狙う設定。実に理にかなっていると思うんですよね。いいじゃないですかこれ。
21世紀の怪獣対決には嘘でもこういう「理」が必要と思います。


で、前述の通りゴジラが日本を狙う理由もちゃんと描かれているし。それが登場人物全ての行動原理に繋がっている所も良い感じ。そもそもその人間の「表沙汰に出来ない思惑」の為に人の運命が狂わされていく辺り、久しぶりに「整合性のある怪獣映画」に出会った印象があります。
しかも結果的にその「思惑」が作らせた超兵器「ディメンションタイド」がストーリーの中心をなす展開も見事。メガギラスはこの兵器によって現代に導かれた訳ですから、ある意味今回の人類の被害はゴジラによるものと同じ「自業自得」。そんな、それまでのゴジラ映画が到達し得なかった部分まで言及されているところが素晴らしいのです。


そんな新機軸、前述の「思い切りの良さ」に対し、手塚監督が本来持つマニアックな嗜好が抑えられている理由は、おそらく手塚氏が「初監督」だったせいでしょう。
いかにゴジラ好きでも、まだスタッフ同士の腹を探りながら進まざるを得ない第一回作品は、得てしてその個性がスポイルされる事が多いのです。手塚氏の次作「ゴジラ×メカゴジラ」以降の作品で分かる通り、「G消滅作戦」に比べ彼のマニア度は明らかに露出過多の傾向にあります。強い女性好み・往年のゴジラ俳優の起用・ストーリー中の様々なくすぐり等々。

これらを好んで観るファンも多いでしょうが、個人的にはそういう素人の遊びみたいな製作手法は好みではありません。やるんなら一捻りして欲しい。
そのまま出されると見てる方が恥ずかしいんですよ(笑)。

ともあれそういう様々な偶然が重なり監督の子供っぽさが抑えられたゆえ、「G消滅作戦」は微妙なバランスを保ったまま、手塚氏の最も良い部分がクローズアップされた作品ではないかと思います。今も見ながら記事を書いていますが、「整合性は無いけど、やっぱりゴジラはこうじゃなきゃ」という部分が少ないんですね。キャラクターを活かす為にストーリーが犠牲になっていないと言うか。
まー確かに平成ゴジラ以降のファミリームービー的テイストは否めませんが。
それは仕方のない事で。

いつも思うんですが、ゴジラ映画のバランスって本当に難しいですよね。その歴史ゆえオールドファンの目は厳しい。しかし現代のゴジラはあくまで子供をメインターゲットとしている。しかも東宝怪獣はゴジラだけではない。これまで登場した怪獣スターは作品の垣根を越えて一つの世界を形成している。
新作が作られるたびに「今度のモスラは新設定」「ギドラのデザインは前作と比べて云々」なんて話題が起きない日は無いですし。
よくゴジラの脚本家が語る「全てのファンが満足できる作品は作れない」というぼやきは、まことに真に迫る言葉と思います。ですからファンの間で好みの作品が分かれてしまうのは当然の事なのかもしれませんね。


今回「G消滅作戦」を再見して思ったんですが、どうも私が好むゴジラ映画の傾向は「ストーリーの破綻の少ないもの」が多いような気がします。頭が固いせいか「絵として面白ければそれでいい」「迫力ある画面が見られればストーリーに多少穴があっても」という風には見られないんですね。
以前「大怪獣バラン」のお話で、「絵で押し切る怪獣映画もある」と言いましたが、ゴジラ映画の場合はちょっと違うような気がします。「絵で押し切れる」というのは新怪獣登場の場合だけ。毎回上陸して各地の名所を観光破壊(笑)するだけの見慣れた怪獣の姿に新味を感じろと言う方が無理な相談では?ゴジラはお正月の獅子舞じゃないんですから。
そんな私のようなファンは、やっぱりストーリーの面白さに興味が行ってしまうんですね。「今度はどう騙してくれるんだろう?」という期待だけで劇場へ向かう訳です。

ゴジラ映画がストーリーからキャラ勝負へシフトしたターニングポイントはおそらくこの「G消滅作戦」でしょう。
いわゆる平成ゴジラシリーズの行き詰まりを回避するため、当初「2000」以降のゴジラ映画は作品毎に作品世界の設定をリセットする製作方針と聞いていました。ところが結果的に「G消滅作戦」の次作「GMK」以降の作品はすべからく過去のスター怪獣が登場、そのデザインや設定は違ってもやっぱりキャラ勝負の展開になってしまったのです。
作品世界の設定がいくらリセットされても登場怪獣がいつも同じ顔ぶれ。ストーリーはそのレギュラーメンバーの「旧作ファンの許容範囲内の新設定」を成立させる事ばかりに振り回され、「何とか着地した感」を与えるだけで精一杯だったような気もするんですよ。
これではストーリーの妙味を味わう事など二の次。これは製作側にとって難しい問題だったと思います。


要はこういう事です。
本来一話完結の映画は「ストーリーを帰結させるという「目的」が先にあって、その為にこのキャラクターを出そうという「手段」が二番目に来るのが理想」なんですよね。まずストーリーありき。
キャスティングはその次に来るべきなんです。

ところがこの時期のゴジラ映画はその逆。「まずこの怪獣という「手段」が先にあって、怪獣を活躍させる為にストーリーを帰結させるという「目的」が二番目」なんですよね。元々ストーリーに重きが置かれていないんですよ。
顔見世興行みたいな作り方なんですね。

よく言われる『富山プロデューサーは10分毎に怪獣を出すよう指示を出した』とか『GMK」で金子監督が当初発案していた「バラン・バラゴン・アンギラス」が「モスラ・キングギドラ・バラゴン」に変更された』などの理由は、全てこの「手段と目的の逆転」が原因なんですね。
まー往年の日活アクション風、スターシステム採用と言われればそれまでですが、だったらそれなりの内容がなければ。
スターにはスターの活かし方があるように思えるのですが。
ただそう考えれば、東宝側のこれだけの要求に対してあの高次元のドラマを作り上げた「GMK」のスタッフの優れた仕事ぶりには感嘆するしかありませんね。


ちょっとお話がそれましたね。いつもの事ですが(笑)。
映画は商業作品である以上、興行収入が見込まれるのは当然の事です。売り上げ見込みを考えない企業はありません。長年の解析により、ゴジラ映画のターゲットや作劇手法、集客戦略について分析を進めた東宝ならではの製作体制である事もよく分かります。ゴジラが一般映画として認知されないのは、何より東宝首脳陣が一番骨身に染みていたはずですから。
営利企業としてこの姿勢は実に正しいのかもしれません。

ですから余計思うのです。
この「G消滅作戦」は、前作「2000」へのファンの反応が作った微妙な空気、東宝のギリギリのストーリーへの譲歩、やや力を抜いた新怪獣の設定、それを受けた新鋭手塚監督の瑞々しい感性らが絡み合い、奇跡的に「手段と目的の足並み」が揃った幸福な作品ではないかと。


メガギラスがこの作品のみの登場というのもいいですね。この怪獣、結構好きなんですよ。下手に他作に出られて新設定が作られすぎ、辻褄合わせの迷宮に迷い込んで欲しくないですから。
時代の狭間には時々こういう偶然の傑作が生まれます。興行成績は後続作に劣るかもしれませんが、こと作劇のベクトルやカタルシスの作り方はそれらを越えているのです。
作品レベルが興行成績だけでは語れない理由の一つがここにあります。


ここ最近は行っていませんが、実は私のウォーキングは、いつもこの作品の「桐子の決意」という曲をBGMに始めるんですよ。
物語のクライマックス、田中美里演じるGグラスパー隊長・辻森桐子が、ディメンションタイドを愛機グリフォンにロックオンさせる為、単身飛び立つシーンのBGMです。大島ミチルによるこの勇壮なマーチを聴くといやがおうにもアドレナリンが(笑)。
私がこの曲に感じる元気は、当時「G消滅作戦」に賭けたスタッフすべての意気込みだったのかもしれませんね。


最近はウォーキングも怠け、太っちゃって深刻な状況の私。田中美里レベルのスリムな体型が羨ましいやら妬ましいやら。さすがGグラスパー隊長。
「機龍隊」釈由美子さんと彼女のどっちかになれるとしたら、私は田中隊長を選びます。全然実現性の無い望みですが(涙)。

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コメント

こんばんは。
 メガギラスはメガヌロンのでっかくなったヤツだと聞いたときにはたしかに萎えました。
 2000年を記念して作ったヤツもひどく、残念なのが続いていましたね。
 しかし観てみると意外と出来が良かったのが不思議でした。いっそ「ラドン対メガギラス」でも良かった?あんまり観たいとは思いませんが…。ではまた。

用心棒様 この作品が製作された時期は、東宝側にもゴジラ映画の指針について迷いがあったようですね。
ゴジラシリーズは時代の空気を大きく反映しているだけに、対戦怪獣やゴジラのキャラクターについて様々な意見が出されたのだと思います。
この作品は新怪獣の登場、新機軸の展開がある割に、前作「ゴジラ2000ミレニアム」ほど浮いた印象が無いですが、それはきっと子供の頃から東宝特撮に慣れ親しんだ手塚監督の資質によるものでしょう。きっと彼の理想の何割かは、この作品で実現された事でしょうから。
たださすがに彼も「メガヌロン」を敵にするとは考えてなかったでしょうが(笑)。

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