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2007年12月14日 (金)

最後の希望リトラ

先日の記事(12月9日「妖蝶舞う秘境」)で「大怪獣バラン」についてお話したところ、皆さんからも「その露出の低さゆえパランが不憫(笑)」というご意見を頂き、抱く印象は同じだなーと思いを新たにした次第で。
まーもともとテレビプログラムとしてスタートした作品ですからねー。あの作品、例えば「ウルトラQ」など30分枠とか、「AGONアゴン」などの30分二話完結(二話一部と考えてね)ぐらいのドラマスケールが丁度良かったのかもしれませんね。

Photoちょっとそんな事を考えていたら、久しぶりに「Q」を再見してみたくなりまして。
で、最初に見たのが「ゴメスを倒せ!」(1966年1月2日放送 円谷一監督)でした。

この作品は、もう「ネヴュラ」読者の皆さんの方が詳しいくらいですよね。
現在まで連綿と続くウルトラシリーズの元祖にして最高傑作の呼び声も高い「ウルトラQ」の第一話です。
「Q」が当時の海外SFテレビ「世にも不思議な物語」「トワイライトゾーン」「アウターリミッツ」などをイメージして企画された事は有名なお話。製作が進むにつれ、放送局であり発注主のTBSの意向によって、SF路線から怪獣路線に変わって行った事も今さら語るまでも無いでしょう。
今考えると、その路線変更が無ければ続く「ウルトラマン」が企画されなかったかもしれない訳ですから、つくづく物の転び方は恐ろしいなーと考えちゃったりします(笑)。

毎度毎度のお話でまたかと思われるかもしれませんが、この「Q」、今見ても凄いですねー。
ご存知の通り、「Q」は劇場映画と同じフォーマットの35ミリフィルムで作られていますから、その画面のキメの細かさは「マン」以降よりはるかに上なんです。しかもデジタルリマスターDVDのキレの良さ、ドルビーデジタル2CHステレオの迫力は、「もし劇場でQを鑑賞したらこんな感じなんだなー」なんてバーチャルな感覚まで体験させてくれる優れもの。
思わず真夜中、明かりを全て消して見たりして。


Photo_2で、件の第一話「ゴメスを倒せ!」なんですが。これは本当に本格的テレビ特撮番組の初回にふさわしい、豪華な作品ですね。
放送日は1月2日ですから、そりゃまー子供から大人までブラウン管の前で大騒ぎ、子供は冬休みの上、お年玉とおせち料理まで重なってまさに「怪獣と正月が一緒に来た」驚天動地の一大事。
お父さんはほろ酔い気分で「なんだこりゃー。今度のゴジラは角があるのかぁ~」なんて笑っていたのかもしれません。

テレビがお茶の間の主役だった時代、この「怪獣プロレス」はきっと週に一度の大イベント、楽しい一時だったに違いありませんね(笑)。


Photo_3そのお父さんの解析はまんざらデタラメでもなく(笑)、この「ゴメス」は「Q」放映の二年前、1964年に公開された東宝映画「モスラ対ゴジラ」(本多猪四郎監督)のゴジラの着ぐるみを改造したもの、という定説があります。
私がこの「ゴメスを倒せ!」を見たのは「モスゴジ」リバイバル公開(1970年)後の再放送だったと記憶しているのですが、初見ではゴメスがゴジラの改造とは思ってもいませんでした。
「怪獣の着ぐるみは一体一体完全オリジナル」と信じていた私は、そもそも着ぐるみを「改造する」なんて発想は微塵も無かったのです。
当時の私の目は「ALWAYS」のロクちゃんのように澄んでいたのでしょう(爆笑)。

Photo_4このエピソードに「Q」初回を飾るだけの豪華さを感じる大きな理由は、何より怪獣対決物という事でしょう。ゴメスと対戦する鳥獣リトラは「三大怪獣地球最大の決戦」(1964年 本多猪四郎監督)のラドンの着ぐるみを改造したとの事。
「三大怪獣」のゴジラは「モスゴジ」のゴジラの着ぐるみを流用しているそうなので、「ゴメスを倒せ!」では「三大怪獣」のゴジラ対ラドンが、ゴメス対リトラという形で再現された形になります。なーんて事はどこでも書かれていますね。ごめんなさい今さら周知の事実を(笑)。

この「ゴメスを倒せ!」を見ていてつくづく思うのは、「Q」は怪獣が既に存在する世界を描いているんだなーという事です。
洞窟でゴメスと遭遇する万城目・由利子コンビは相手の「巨大生物」という部分に驚いている様子が見受けられず「奴の為に退路を絶たれた」という事を気にかけている様子ですし、洞窟の外のジロー君たちに至ってはゴメスを倒す為、天敵として存在するらしいリトラの孵化を画策する始末。
(リトラが人類に牙を向く事など微塵も考えていない所がもう(笑)。
いかに製作第12話とはいえ、この空気感が最終話まで貫かれている辺り、つくづく「Q」独特の世界が形作られている事を感じます。


考えてみれば当たり前の事かもしれません。1966年当時、ゴジラシリーズは既に第6作「怪獣大戦争」(1965年 本多猪四郎監督)までが公開され、怪獣という存在は世間に完全に認知されていました。
前述の「怪獣大戦争」は65年12月19日の封切ですから、「Q」放送開始時期とも重なっていた訳です。

家にテレビがあり、二学期の成績が良かったお金持ちの子供は(笑)当然「大戦争」にも連れて行ってもらいゴジラの「宇宙演技」に酔いしれたまま翌年明けには「Q」の洗礼、お正月まで怪獣まみれの日々を過ごせた事でしょう。なんて羨ましい(涙)。
そんな子供たちにとって怪獣はもう「居て当たり前」。劇中ほんの少し語られるゴメス・リトラの出目も、その解説が両怪獣掃討のヒントとなる訳でもなく、とにかく「ゴメスはリトラで倒せる」という論理にすり変わるあたり、仮説がストーリーを導く怪獣映画らしい展開が実に小気味いいばかりで嬉しいものがありますね。
ただいくら怪獣が居る世界といっても、そこにはそれなりに納得のさせ方が必要なのも事実で。結局この手の作品は観客をその世界に誘う「嘘と現実のさじ加減」が重要という事なのでしょう。


このエピソードを再見するたび感心するのは、「あれっ?それはないでしょう」というストーリー上のアラがほとんど見当たらない所ですね。
舞台をトンネル工事現場に限定した事や怪獣の出目を古いお寺「洞仙寺」の言い伝えに頼った事、言い伝えはあくまで神仏的もので、そこにジロー君の「学術的知識」が加わる事でリアリティーを獲得するという二段構えが良いんでしょうね。
最近の作品によくある「悪が・救世主が」的な個人を特定する展開じゃないところが、絵空事感をギリギリで回避する秀逸な設定だと思います。


Photo_5で、そろそろいつもの「おバカな私見」に移らせて頂きますと(今回はないと思ったでしょ。これがないとお話している意味が無いので(笑)この「ゴメスを倒せ!」のフォーマットは、あの大ヒットした怪獣映画に通じる所があるよねー、なんて考えてしまって。
そうです。今日のサブタイでそのほとんどは言い尽くしているんですよ。

「最後の希望リトラ。」
皆さんが気づかれた通りです。この「ゴメスを倒せ!」というお話は、あの「ガメラ 大怪獣空中決戦」(1995年大映 金子修介監督)に通じるものがあるような気がするんですよ。


「いやーオタクイーン、今回ばっかりは納得できないなー。あの怪獣映画の大傑作を「Q」と比べるとは。こじつけもいい加減にしなさい。年末で忙しいんだから。」なんて声も鬼のように聞こえてきますが(笑)。
私だって「全く同じ」とは思っていないんですよ。何と言うか、「虚構と現実の綱渡り加減」が似ているというか、そんな印象なんですよね。


まー確かに「大怪獣空中決戦」の世界観・リアリティーが「フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ」を参考にしたという事は事実でしょう。
作品中に表れる様々な画面設計、怪獣掃討の描き方は間違いなく「サンダ対ガイラ」のそれです。ガメラ初上陸時のサーチライト描写なんてまるっきりそのものですしね(笑)。
ただ監督・金子修介氏、脚本・伊藤和典氏は作中のガメラ・ギャオスの設定をサンダ・ガイラのそれにはしなかった。
1990年代にふさわしい「バイオ兵器」という言葉で「のり切った」訳です。


Photo_10アトランティスの超古代文明が遺した超遺伝子獣・ギャオス。その遺伝子は人為的に操作され、雌雄同体の為自己増殖も可能。ところがそれが災いし、勝手に繁殖し自らの文明は危機に瀕する事に。そこで彼らが生み出したカウンター・ウェポンこそ、同じくバイオ兵器ガメラという設定です。
言わばガメラはギャオスの「人工天敵」として作られた訳ですね。

これは怪獣映画永遠の命題にしてどうしてもクリアしなければならない「怪獣同志は何故戦うのか」というストーリーの根幹を納得ギリギリで乗り切る、プロット上の「苦しい仕掛け」だったと思います。
おそらくこの仕掛けがなければ、平成ガメラも昭和ガメラ並みの世界観に留まっていたでしょう。となれば当然、金子監督も伊藤氏もあそこまでのリアリティーは構築できなかったはずですし、そもそもこのお仕事を降りていたと思います(笑)。


この仕掛けの上手い所は、劇中でもただ一人として「ガメラもギャオスも超遺伝子獣に間違いない」とは明言していない部分で。碑文やら勾玉やらDNA解析やらでなんとなく「そうらしい」と言っているだけなんです。これは巧妙なシナリオ上の戦略なんですが、私達観客はそれらの描写の積み重ねによってなんとなく「そういう事なのかなー」と思わせられる。
平成ガメラ三部作の根幹を成す作劇上のリアリティーは、この虚構と現実の微妙な綱渡り加減によって成立しているのです。

以前お話した「平成ガメラは亀の居ない世界」という気づかない配慮も含め、元来絵空事の怪獣映画には実に難しい「嘘のつき方」が必要なんですね。(「邪神覚醒」あたりはちょっと伝記的趣味が出すぎて、ややイリスのリアリティーを描ききれなかったきらいもありますが、それでも充分及第点の出来と思います。)


Photo_6「ゴメスを倒せ!」にも秀逸な「綱渡り」があります。あまりスポットが当たりませんが、実はこのストーリーの肝は「ジロー君」の存在に集約されているんですね。
シナリオ上でどこまで計算されていたかは分かりませんが、私たちがこの作品のアンバランス・ゾーンに落ちるきっかけは、おそらくあの「ツヅレシジミ貝の化石集団」「デスモスチルスの上顎骨」というセリフでしょう。
「デスモスチルス?あー聞いた事あるな」と思わせるあのさじ加減。

後の文献で件の生物の化石を見ましたが、とても「母ちゃんの耳かき」とは思えない形と大きさ(笑)。ただ私たちはそのもっともらしいセリフで、なんとなくこの子はその手の世界に詳しいと思わされちゃうんですね。
本放送当時、このセリフを聞いて「いや、あの上顎骨は耳かきとはかけ離れた形だ」なんて思った子供が居たでしょうか。
それほどまでに彼のあのセリフはリアリティーがあったのです。


ですからその時点で、作品世界中で彼の推測は真実なんだなと思わせる「仕掛け」が出来るんです。「ガメラ」の中山忍の役回りですね。あの「洞仙寺の古文書」はガメラで言う「碑文」にあたり、古文書の記述は「時の揺りかご云々」という碑文の一節に符合する訳です。
しかもジロー君の場合、ダメ押しに「学名」まで出してくるという。
「ゴメテウス」「リトラリア」と架空の学名が、どれ程までに私たちの心をかき乱した事か。「ゴメスを倒せ!」というタイトルなのに、「ゴメス」は学名の略称という渋さ!

第18話「虹の卵」の「パゴタトータス」にも見られる、この架空の存在の実在を信じさせる手法は、当然の事ながら東宝怪獣映画で培われたものなのでしょうが、これ、今でも通用しそうな気がしますね。新種の古代生物が続々と発見され、これまでの研究結果が大きく塗り替えられている考古学の現状を見ると、この手法はかえってリアリティーを持つような気もします。
この「嘘温度」はおそらく「大怪獣空中決戦」に於ける「ルウム文字」という設定に近いものなのかもしれません。


Photo_7また「ゴメスを倒せ!」のリトラとゴメスの関係は、ガメラとギャオスのそれに非常に近い印象があります。
この両者はバニラとアボラスとも、グドンとツインテールとも違う関係ですよね。リトラは言わば「ゴメスにとって天然のカウンター・ウェポン」なのかもしれません。

リトラは最初からゴメスとセットで生息し、何らかの意味を持ってゴメスを仕留める使命を帯びている。
必殺の「シトロネラ酸」はゴメス以外には使わない。何故ならそれはまさに必殺武器、使えばリトラは命を失うのですから。言わばそれは、ガメラの「ウルティメイト・プラズマ」に通じるものなのかもしれませんね。


Photo_8怪獣対決という共通のフォーマット、さらに仮説を含めたディテールの積み重ねによって見る者に怪獣の存在を認識させるこの二作が、ある意味「新時代の怪獣映画」のきっかけに位置付けられるのは不思議な気がします。
「ゴジラの存在に理屈は不要。大きくて強い奴でいいじゃないか」という論調にはどうしても承服できない私などには、その「綱渡り」が秀逸なほど、作品にのめりこむ事ができるのです。
私が「GMK」に心酔する理由は、そんな所にあるのかもしれませんね(笑)。


ご幼少の頃、きっと「ゴメスを倒せ!」を見ていたであろう伊藤和典氏。
リトラを怪獣演出の「始祖鳥」と感じ、怪獣映画復興の「最後の希望」にあのテイストを持ち込んだとしても不思議ではないのかもしれません。
まー怪獣好きのおバカな推測、ご立腹なさらぬよう。
あまりの暴論に、原子銃で撃たないで下さいね。
私はガンマー光線銃を持ってないんですから(笑)。

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コメント

 ガメラ関連の話題には後先考えずに飛びつくガメラ医師がやって参りました。
「ゴメスを倒せ!」は本放送当時、自宅の「四本足のテレビ受像機」で弟たちと見ていた記憶が有ります。昭和の特撮を肌で知る世代を直撃する、ウルトラQ第一話についての御話。そして怪獣映画の本質に迫る論考には、拝読しつつ何時も「そうそう、そうなんだよ!」と膝を打ち続け、膝頭がすっかり腫れあがってしまいました。^^;)
 ガメラ情報紹介を旨とする拙Blogの中で、如何にこの記事をご紹介するか、頭を悩ませた結果が上記TBの更新でございます。ガメラ医師の浅考をどうかお笑い下さい。
 県下では、ウィルス性の嘔吐下痢症が流行している様子です。お身体には充分お気をつけになりますよう。
 それでは、失礼致します。


Qは放送前に全て撮影を完了していたという事を考えると、この「ゴメスを倒せ!」がトップバッターだったというのは、極めて重要なポイントだったと思いますね。
さしずめ「1番ライト、イチロー」という感じです(笑)

それと、オタクイーンさんが仰る通り、「ゴメテウス」や「リトラリア」という学名の登場(バランのバラノポーダもそうですが)は、子供には堪らなく魅力的なのですね。
こういう尤もらしさには、「おおっ!」となってしまうワケです(笑)
それは「ツヅレシジミ貝の化石集団」や「デスモスチルスの上顎骨」然り、ゴジラの足跡の三葉虫然りです。

こういうなんちゃってリアリティーは、「現実性」や「真実性」という意味合いよりも、「迫真性」と捉えた方が良いかもしれませんね。
特撮、特に怪獣モノの場合は、こういう硬質な部分が非常に重要なのではないかと思います。
まぁ、コレは、言ってしまえば、嘘のつき方が上手いか下手かという事にもなるのですが(笑)

ガメラ医師様 いつもながらのご紹介に加え、TB&コメントありがとうございます。
麗しき女性の皆さんに交じってのグループ記事、末席に加えて頂き光栄の極み。
かなり浮いているのが心苦しくもありますが(涙)ご配慮感謝致します。

私たちの世代にとって「Q」には特別な思い入れがありますよね。なにしろ「マン」より前にブラウン管に怪獣を登場させた番組ですから。
あの時代をリアルタイムで過ごした人々には避けて通れない作品と思います。
当時テレビの普及率がぐんと高まった事もあって、「Q」の記憶はテレビそのものの記憶と重なる方も多いのでは?私もその一人です。

当時の私にとってテレビとは「目が体から離れ、その不思議な世界に入っていくもの」だったんですが、最近はそこまで不思議な体験にはとんと縁がありません。
魔力を持つ番組が少なくなりました(笑)。

メルシー伯様 やはりQは「ゴメスを倒せ!」を第一話に持ってきたことで成功を約束されたのかもしれません。初回から怪獣対決という豪華篇が子供たちの心を釘付けにしたのは間違いないでしょう。

おっしゃる通り、確かにこの手のなんちゃってリアリティーは、見る者を作品に引きずり込む上で重要な戦略なんでしょうね。それは現実から空想世界への橋渡し的な役目を担っているのでしょう。現実半分、空想半分だから作品世界に入りやすい。
最近の作品に思うのは最初から架空の設定の量が多すぎるという事で。その世界観を理解するだけで疲れてしまうんですよ。ある程度の予備知識が必要と言うか。
きっと頭の固い、古いファンのぼやきなんでしょうが(笑)。

理解度のハードルを上げる「全部作り物」という設定は、ある意味「つきやすい嘘」なのかもしれませんね。デスモスチルスは本当だけどゴメテウスは嘘、こういうプロットの方が難しい。昔の人は粋な嘘が上手かったんでしょうね(笑)。

あたしもこのお話が、大好き!
てか、他の、イマイチ覚えていないんですケド、、、
DVDでそろえようとしているのですが、(TSUTAYA)
なかなか全巻、借りられません、、、

猫姫様 「ウルトラQ」は今見ても古さをまったく感じさせない名作ですね。
私はDVDBOXを買っちゃいましたが、今これだけレンタルに出回っているのを見るにつけ、つくづく自分は間の悪いヤツだなーと凹んでいます。
でも見たいものは見たい。猫姫さんも全話ご覧になられたら、またご感想をお聞かせ下さい。

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