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2007年12月の記事

2007年12月30日 (日)

三丁目に迷い込んだ午後

「来年もよろしくお願いします。」
短い挨拶の後、担当者と別れた私は、既に早い年末休暇を取っている仕事仲間の空席を横目に局を後にしました。

まーこれで今年も仕事納め。フリーながらも、毎年お仕事の最終日は何となくやって来るものです。そんな27日の午後でした。
予告通り、今日はあの「冒険少年ブック」購入の経緯についてのお話です。
まーもったいぶる事でもないんですが。

Photo_4市の中心部に位置する局は、名古屋の代表的デパートやプレイスポットへのアクセスが比較的便利です。
実は私、この日のお楽しみは、今月26日から三越で行われている「懐かしの昭和30年代 ALWAYS 続・三丁目の夕日展」へ行く事だったのです。

今年のお仕事も無事終わった嬉しさも手伝って、このイベントは一年の締めくくりとしてまたとない機会。
郷愁に浸るには絶好の時期ですし、映画に感動した私は楽しみにしていました。

Photo_3名古屋・栄に位置する三越は、局からミニバイクでわずか5分程の距離。貧乏な私はデパートなどめったに利用しないので、正面入口のライオン彫像を見た時はやや緊張。すれ違うセレブ風のお客さんの目線が気になっちゃって。
もー田舎者丸出しですね。ロクちゃん状態(笑)。
7階催物会場へたどり着くと、そこには大きく掲げられた看板が。こういう時っていつもワクワクしますね。年末ながら平日という事もあって入る人もまばらでしたが、とにかく私もいそいそと中へ。

Photo_5面白い事にこの展示会、映画のタイトル通り「夕方」を意識した照明設定になっているんですよ。入った途端にもう夕方(笑)。
作品の舞台となった昭和34年の世界をイメージさせてくれます。

観客として作品を楽しんだ私などは勝手な望みを抱いてしまうもので。この展示会はあの映画のセットなどを一部再現してくれるのかな、なんてあらぬ希望を抱いていたんですが、さすがにそこまで大掛かりなものではなく(そりゃそうですよね)、実際には映画に使われた衣裳や小道具、作品当時の一般家庭の部屋を再現したコーナーや当時の世相などをコンパクトに紹介する内容でした。


中でも圧巻だったのは、前作劇中で撮影用に使われた「東京駅」のミニチュア。作品内でも本物と見まごうばかりの印象を残した東京駅ですが、これは実際に目の前で見るとまたビックリ。以前「ジョージ・ルーカス展」でスター・ウォーズやインディ・ジョーンズの劇中プロップを見た時の感動が蘇りました。
やっぱり劇中で凄いと思ったミニチュアは、本物を見るともっとスゴイ!


さらに感動したのが、この展示会の為にオリジナル製作された「夕日町三丁目」1/43ジオラマ。
会場内は撮影禁止だったのでお見せする事はできませんが、これはかなり大きなもので、ちょうど三丁目入口の都電通りから大衆食堂の曲がり角、そこからずっと延びる三丁目一帯、さらに奥に位置する山の入口までが再現されています。このジオラマを見るだけで、作品に登場する家の位置関係が全てわかっちゃうという素晴らしい物です。5メートル四方はあったでしょうか。
しかも精度は前述の「東京駅」以上!

劇中プロップとしても充分に使える出来の超リアル仕上げでした。
感動した私はこのジオラマで、さらに意外な事実を二つ発見する事に。


一つ目は、作品の核となる「鈴木オート」と「茶川商店」の位置。
これ、劇中では都電通りからさほど離れていないような印象がありましたが、実際ジオラマで見るとかなり奥まった所にあるんですね。
かなり曲がりくねった道を進み商店街を抜けた奥にあります。ジオラマにはしっかりミゼットも置いてあって。そこからは元気なお父さんと優しいお母さん、元気なロクちゃんの声が聞こえてきそうでした。

考えてみれば、こんな細い道をミゼットでガンガン走るというのも無茶なお話ですね。当時は車などまだ少なかったでしょうから、交通事故への意識も低かったんでしょう。
そしてもう一つ。向かいの茶川さん家。
ここ、上から見ると意外に奥行きがあるんですね。確かに駄菓子屋さんの奥に住まいがあるので細長い家かなとは思っていたんですが、これが想像以上に「うなぎの寝床」状態。
そうかー。茶川さんはこんな所で淳之介と暮らしていたんだと、ちょっと暖かい気持ちになりました。


この三丁目ってかなり家が密集していたんですね。空き地なんてほとんど無く、典型的な当時の「下町」って雰囲気で。こうやってジオラマにするとそのたたずまいが立体的に理解できます。
私が子供時代を過ごしたのはずっと後々、それも団地住まいでしたが、それでも下町でしたからこの「密集感」はよく分かります。いつも子供の元気な声と、お母さんのおしゃべりが絶えなかった時代の空気が蘇ってくるようです。

会場内ではこのジオラマをCCDカメラで撮影した動画が上映されていたんですが、これがまた素晴らしい出来で。町内を滑るように進むカメラの映像はかの「ガメラ 大怪獣空中決戦」東京バトルシーンもかくやのクオリティ。
樋口監督がこれを見たら大絶賛間違いなし。「カーッコイイ!」の口癖も出そうです(笑)。


他にもヒロミさんのお店「やまふじ」がちょっと中心部から離れた所に位置していた事とか、いろいろな発見があって楽しかったですよ。このジオラマだけはどれだけ見ていても飽きが来ませんでした。
たまたま隣でジオラマを見ていた20代のカップルが「すごいねー。こんな風になってたんだねー」なんて感心していましたが、これを見たら誰もが唸る事でしょう。これを見るだけでも来た価値は充分にありました。


Photo_9例の「アクマ先生」が乗っていたスクーターや、「続・三丁目」で重要なエピソードを演じる洗濯機などもありましたよ。
当時の道具って、今見るとなんてモダンなのかと感じてしまいますね。1950年代のアメリカ車が「夢を形にした」なんて言われ方をされるように、この頃の日本の生活道具も、人々の大らかさや優しさをそのまま映し出したような良さがあります。要は「機能一点張り」じゃないんですね。使いやすくする為に虚飾をどんどん省いてきた現在のデザインとは対極に位置する「夢の道具」という雰囲気があるんですよ。

私はこういった時代のテイストが大好きで。ダイハツ・ミラジーノやスズキのヴェルデを愛用する理由もそのあたりにあります。乗っていて笑みが浮かぶデザインなんですよね。
「デザインが笑っている」と言うか。何言ってるんでしょうか私(笑)。


Photo_10会場内では、現在公開中の「続・三丁目」のプロモ映像も上映されていました。
キャストや山崎監督のコメント、メイキング映像などを短くまとめたものでしたが、その中に「続・三丁目」のハイライトシーンがちょっと出てくるんですよ。そこを見ていた私の後で「ここ、泣いちゃうんだよなー」なんて男性の声が。私と同じく、先に映画を観た方でしょう。
確かにこの展示会は、「続」を観てからの方が楽しめますね。あの感動を反芻する楽しみがあります。それは会場の出口付近に展示された文芸誌「純青・特別号」の表紙を見ても明らか。これを見て泣けるかどうかは、劇場鑑賞の有無にかかっていると思いますし。もちろん私は泣けました(笑)。


こういう展示会の常、そして最大のお楽しみ、会場出口の物販コーナーには、「ALWAYS」の関連商品や昭和時代の関連本、懐かしいおもちゃなどがこれでもかと並んでいました。
Photo_12でもこういうのって反則ですよね。展示会で思いっきり上がったテンションにさらに揺さぶりをかけるこのコーナー。まるで当時の「万年筆の泣き売」のような(笑)手口ぢゃありませんか。これを見せられて手を出さないほうがおかしいと(爆笑)。
もちろん買いましたよ。万年筆ならずともこのシャープペンとストラップ。作品世界にここまで浸ると、ミゼットにはパブロフの犬状態になっちゃいますね(笑)。


でも不思議ですね。展示会そのものもそうでしたが、このコーナーで目をほころばせているのはほとんどが私より年上のお客さんばかりで。
「懐かしいねえ」なんて本のページをめくる年配の女性や、「これで遊んだよなあ」とブリキの電車を手に取る男性がほとんどでした。中には小学生のお孫さん連れのご家族もいらっしゃいましたが、もっぱら喜ぶのはお爺さんだったりして(笑)。
まー確かに、この物販コーナーは結構な充実度でした。これだけ懐かしグッズが一挙に揃う機会は珍しい。昭和ブームと呼ばれる最近ですが、その関連商品はいずれも書店やおもちゃ屋さんといったカテゴリー別のショップで売られていますから、それが一つにまとまる事は少ないですし。


しかも今回良かったのは、随分前に発売されている関連グッズが多数陳列されていた事なんですね。私は書籍などもできるだけ「美本」を求める主義なので、たとえ店頭にあっても立ち読みされた物は手を出さないんですよ。その為、目の前にあっても購入に踏み切れなかったアイテムが限りなくあります。その度に「ま、ご縁が無かったって事で」なんて自らに言い聞かせていたんですが、このコーナーではそんな「涙をのんだ良縁」が山ほどあったんですよね。刊行当時書店には数冊しかなく、しかも一度も出会えなかった「美本」が沢山。

Photo_7予算が許せば本当はもっともっと欲しかったんですが、迷いに迷って選んだ数冊がこれです。
町田忍さんの文庫本以外は何年も前に刊行されていますが、ここまで新刊状態のものは珍しい。やっぱりページに折り癖の無い新品は、どんなに昔の本でも良い物ですね。でもまだ欲しかったなー。たぶんまた買いに行っちゃうと思います。

前回予告の一冊も、もちろんこの物販コーナーで目に止まったものでした。


Photoこの「冒険少年ブック」、二年前に刊行されたものだそうですが、不幸にして私はまったく知りませんでした。相変わらずボーッとしているせいでしょう。当時は書店でも全く気がつかなかったのです。でもこの表紙を見て手を出さない訳がなく。私、女子なのに(笑)。
中身は「三丁目の夕日」原作漫画の傑作選という趣ですね。いやーこの漫画、今まで何度か目にしていたんですが、こうしてまとめて読むとまた違う感動がありますねー。読まれた方はどんなご感想をお持ちになられたでしょうか。
個人的には「サンマの味」と「正月のタイムマシン」がお気に入りです(笑)。


Photo_2 そしてっ!なんと言っても嬉しいのが「付録」の数々。この本では「おまけ」と呼ばれていますが、私の世代では「付録」と呼びたいですねー(笑)。
「トントン紙相撲」や「絵葉書」などは定番の「サブ的」付録なのでなんていう事はないんですが、私がやられたのはメインの「組み立て東京タワー」。
「組み立て付録」なんて手にしたのは何十年ぶりでしょう。最近のCGによる彩色、パーツ割りではない、生粋の「組み立て付録」。
あまりのレトロ風味に解説を見てみたら、これは昭和43年に発売された学習雑誌「小学二年生」9月号の付録だったそうじゃありませんか。なんとその復刻版。いやー付録まで復刻される時代になったとは。
箱のピブリダーもこれで納得が行くというものです。


完成サイズは子供の身長より高いそうですから、130センチくらいあるんでしょうか。いやーこれは作り甲斐がありそうですねー。こりゃーお正月三が日はこの東京タワー作りで思いっきりレトロに過ごしちゃおうかなー?いや、でも作るには保存用にもう一個必要。どうしよーかなーなんて、またおバカな年末となってしまったのでした(笑)。

期せずして今回の展示会、そしてこの一冊で、懐かしい気分に浸れる年末となりました。昔の日々に、そして新しい年に思いを馳せる今の時期にピッタリの一時。
これも何かの巡り会わせだったのかもしれませんね。



さて。今年も「恋するネヴュラ」を可愛がって頂き、ありがとうございました。
途中の休止はあったものの、ここまで続けられたのは読者の皆さんのおかげと、深く感謝しております。
私は今、毎年恒例の年末大掃除の真っ最中。
大したお宝も無いおタク部屋ですが、怪獣一つ一つを大切に拭いて、彼らの一年の垢を落とすべく頑張っております。
その為、今年の「ネヴュラ」は今日が最終日。次回は来年のお正月にお会いできればと思っています。


Photo_11年末には寒波もやってくるとの事。風邪等ひかれませんよう健やかに新たな年をお迎え下さい。
皆さんの下に穏やかな新年が訪れる事を祈っております。
では、よいお年を(礼)。


               
                 
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2007年12月27日 (木)

読むタイムマシン

Photo わーい。待ちに待った「冒険少年ブック」。
二学期の成績が上がったから、買ってもらえたよ。

Photo_2 組み立て東京タワーや紙相撲、絵葉書の付録もたのしいな。
でも、なんで東京タワーにピブリダー?

二年前に発売された、レトロ風味のこの一冊。
私はなんと今日入手しました。そのズレ加減に涙。全然知らなかった。
その内容、購入状況のお話はまた次回!
(今日は仕事納めでちょっと疲れてまして。お許し下さい。)

2007年12月26日 (水)

趣味・映画館鑑賞

一昨年前開催された「愛・地球博」通称愛知万博で、期間中、事務局の取材スタッフを務めていた事は、以前もお話したことがありましたね。
取材内容の中には、万博会場でのイベントなどで訪れる芸能人や著名人のインタビューなどもあったのですが、そんなある日、俳優の別所哲也さんにお話をうかがう機会がありました。


俳優としての顔の他、無類の映画好きが高じて自ら「ショートショートフィルムフェスティバル」を旗揚げした彼は、その年のグランプリ発表に愛知万博会場を指定、実行委員会会長として参加。
私はそこで、件のフェスティバルの事前アピールを兼ねたインタビューを請け負い、会場入りした彼にマイクを向けたのでした。
短い時間の中で、フェスティバルの内容を中心に色々なお話をしましたが、一通りインタビューが終わった後で、彼の表情や手元などインサートカットを撮る流れとなりまして。
「無言じゃあんまりだね。音は使わないから雑談でもしましょうか」とばかりに彼とフリートークを始めた私。
いくらオタクの私も、さすがに92年「ゴジラVSモスラ」の撮影現場について聞くのは場違いなので(笑)、「映画が映画館で上映される意味」について聞いてみました。

「やっぱり映画は映画館で観てもらいたい。」
雑談にも関わらず、彼の言葉には強い信念が溢れていました。

私が急に質問を振ったので、彼もそれ以上の持論を展開するまでには至りませんでしたが、その言外には、言葉に出来ない色々な思いがあったのだろうと推察しました。


「映画は映画館で。」私も昔から、観たい映画は出来る限り映画館へ赴く事にしています。公開後半年も経たない内にDVDが発売され、買う必要さえなく安価でレンタル出来てしまう現在、高額な入場料金で劇場鑑賞するモチベーションを維持するにはなかなか大変な気苦労もありますが(笑)、とにかく別所氏と同じく私も「映画は映画館」派なのです。

でももう最近は「もう劇場へ来るな!」とでも言われているような巷の誘惑、当の劇場での鑑賞マナーの悪化など、快適に映画を観る為には辛い状況がありますね。

ビデオデッキの家庭普及前には、映画は映画館で観るかテレビ放送で見るかのどちらかでしたから、そういう環境を疑う事さえなく、封切時に観たい時には劇場へ向かうしかなかった訳です。
人気作ともなれば長蛇の列に加わり入場待ちは当たり前、入場できても座る事など叶わず、立ち見を余儀なくされる事の方が多かったですね。
目の前に長身のお客さんが立つかどうかの「運」も重要でした。

「ジョーズ」や「日本沈没」(もちろん、共に初作)、1970年代の007シリーズなどは、作品の内容と共にそんな劇場の記憶が同梱パック(笑)されてしまっています。


しかし現在、そこまで苦労して作品を観る必要は無くなってしまいましたね。
前述の通り、今は劇場より高画質、高音質のDVDが当たり前のようにレンタル店に出回り、鑑賞する側も自宅に50インチもの大画面テレビがあって不思議じゃない。レンタルさえしてしまえばいつでも好きな時に、周りに配慮する事なく作品を楽しむ事ができちゃう。30年前には夢だったようなこの好環境の中、どうして上映時刻に合わせ高い入場料を払ってまで劇場へ行かなければならないのか。確かに私もそう思います。

もう映画館というシステムそのものが時代の遺物、古い物なのでしょうか。
シネコンなど新しい興行形態が注目され、邦画の興行も活気づいていると言われて久しいですが、それは劇場そのものの魅力ではなく、単にDVD発売の半年前に作品を観られるという一点のみで支えられる、映画にとって実に危うい環境と思います。

そんな現況を見るにつけ、古いオタクの私は思います。
映画館にはもう魅力はなくなってしまったのかなー、なんて。


Photo以前、こんな本を入手しました。
銀幕舎主催、高瀬進さんが、全国を回って撮り続けた各地の有名映画館の写真集です。
この一冊に古書店で出会った私は即買い。
今でも時々開いて、訪れた事のないご当地の劇場に思いを馳せています。
個々の写真に添えられたちょっとしたキャプションも、高瀬氏の映画への愛が窺えて素敵。
劇場の外観やロビー、場内の写真ばっかりなのに、そこにはそこはかとないドラマが感じられるのです。

この一冊に込められた数々の写真を見る度に、映画館って一体何だろうという思いに捉われちゃったりして。

前述の通り現在はシネコン全盛。この写真集は2002年の刊行ですが、今は廃館に追い込まれた劇場の写真が少なくありません。ただ撮影時はまだ営業中だった訳です。刊行後5年足らずの間に、既にこの写真集そのものが古くなってしまった。それほど世の移り変わりは早く、無常という事なのでしょう。

私はへそ曲がりなせいか、シネコンがあまり肌に合いません。無理してでも単独館か、シネコン形態を採っていない劇場を選んで鑑賞します。何故なんでしょうか。シネコンの方が劇場内は綺麗で快適、鑑賞作品は選定可能といい事づくめなのに。
確かにシネコンで観た事もあるんですが、どうにも居心地の悪さを感じてしまう。
「映画館ってこんな所だったっけ?」なんて思いに捉われてしまうんですね。

以前、番組で使ったリポーターの女性タレントがこんな事を言っていました。
タレントだけで食べていけない彼女はバイトで生計を立てているんですが、そのバイト先がなんと映画館だと言うのです。
私は当然、彼女の担当はフロント(いや、モギリ嬢と言うべきでしょうか)と思ったんですが、彼女の答えは意外なものでした。
「いえ、バイト先はシネコン。私は映写担当なんですよ。」


映写技師!職人技を駆使して映画一本に賭ける映写室の主というイメージを持っていた私の前で、20代前半の彼女はそう言い放ったのです。
「映写なんて簡単ですよ。上映時間に合わせて映写機のボタンを押すだけでOKなんです。私が行ってるシネコンは9スクリーンで、そこを三人で回してます。映写室越しに最新作がいつでも観られますが、一人が3スクリーンを担当するから3本の映画がごっちゃになっちゃって。」
屈託無く話す彼女の言葉を聞いて「ニュー・シネマ・パラダイス」の世界は遠くなったなーと感じた私。シネコンのシステムって、今やビデオデッキ並みに単純化されているんですね。まーそうやってコストを抑えなければ運営も難しいでしょうし。
これが映画ビジネスの現状なんでしょうね。


「映画館」という響きから受ける印象は、きっと地域や世代によってまちまちと思います。その精神的距離も、私の世代と今の若年層ではまったく違うんでしょうね。

古いオタクの戯言をお聞き頂ければ、私の世代にとっての映画館は決して作品上映の場に留まらない『夢の場所』でした。シネコンとは比べ物にならない大きなスクリーンの迫力は言葉では表現できない程で、劇中の音やBGMが漏れ聞こえるロビーはまさに『夢の入口』。
ロビー狭しと貼られた上映作、次回作のポスター、非売品のロビーカードなんか眺めていると、その非日常性に夢心地でしたね。

モギリ台で微笑むおじさんの横に平積みされたパンフレットは映画好きのマストアイテム。売れ切れやしないかと先を争って買ったものでした。
売れに売れて最後の一冊となったそれを勝ち取った時の喜びは筆舌に尽くしがたいもので。でもその直後、おじさんは顔色一つ変えずにテーブルの下からパンフの束を取り出すのですが(笑)。

Photo_2ロビー内の「スタンプ押し」も楽しいイベントでしたね。平成ゴジラなど子供用プログラムでポピュラーとなったこの「劇場鑑賞の証」は、私などオタクにとってまさに「勲章」。鑑賞日まで刻印されるこのスタンプを、毎年押したものでした。
ただこれ、鑑賞前は劇場到着後すくに良い席を取る事が先決ですから、スタンプ押しは鑑賞後になっちゃうんですね。で、平成ゴジラの諸作は鑑賞後割り切れない気持ちになる内容ばっかりでしたから、スタンプ押しもさほど思い入れが持てないんですよ。でも「証」は残したいと。
「そこにスタンプがあるから」的なノリなんですよね。

確かに毎年、そんな気持ちで押していたんですが、これが全作揃うとそれなりに良い記録になったりするから不思議です。塵も積もれば状態ですね。


Photo_4今考えれば私にとって、映画館は決して作品そのものだけではなく、作品が上映されている空気を感じる場だったのかもしれませんね。「この作品の時はこうだった。こんな経験をした」みたいな記憶を刻みつける場と言うか。作品と劇場の記憶がセットになるのも頷けるような気がします。
ですから劇場の雰囲気は大事なんですよ。ロビーだけでは上映作品も分からない、小さなポスターが控えめに掲げられたお洒落な雰囲気のシネコンに物足りなさを感じるのは、きっと私に沁み付いたオタクな鑑賞姿勢の為でしょう。

もー完全に時代に乗り遅れてますねー。お恥ずかしい限りです(笑)。

Photo_5私が単独館に感じる魅力は他にもありまして。
これは特に通いつめた劇場だったからでしょうが、館主さんと仲良くなれるのが嬉しかったんですよ。決して特典や見返りなど期待しての事ではないんですが、同じ映画好き同士、映画談義に花を咲かせる一時がもう楽しくて。これはフロントはじめ全てのスタッフが職員やバイトさんのシネコンでは味わえない喜びなんですよね。


Photo_6館主さんにも色々な好みがあるんですよね。時代劇好きな人、アジア映画が好きな等々。それが上映作品に反映されている所がまた面白くて。「あの作品をウチでかけたいんだけど、あれはフィルム代が高くてね。やっぱり採算の見込めない作品はなかなか思い切れないわけだよ」なんて、まるで身内のように話してくれる様子が、病こうこうの映画オタクにはたまらなく嬉しかったのでした。
今思えば、映画というのはその内容だけでなく、上映システムや鑑賞のあり方まで含めた一つのビジネスなんだという事を肌で感じた、貴重な一時だったと思います。

そういう世界、映画館経営の一端を垣間見てしまうと、今のシネコンはどうにもシステマチックに見えてしまって物足りない。スタッフの誰もが「お勤め」という空気を持つ館内は、私には魅力的に映らないんです。

「またそんな事言って。でもオタクイーン、それが今の映画館の生き残り術なんだし、時代の流れなんだから。」と思われる方がほとんどでしょう。
そうなんですよね。確か映画を取り巻く環境が激変している昔と今で、古い劇場のお話などしても仕方ない事かもしれません。
ましてや私の好みなど(笑)。

でも私は、おぼろげながらこんな事を考えてしまいます。
たぶん同じ映画を上映したとしたら、今のシネコンより昔の映画館の方がワクワクするんじゃないかと思うんですよね。
「映画の魅力を増幅する力」「作品パッケージングの手腕」に長けていたと言うんでしょうか。うまく言えませんが。


「ALWAYS 続・三丁目の夕日」鑑賞時、私はその事を強く思いました。
私は件の作品を普通の劇場で観たのですが、やはりそのロビーはふかふかの絨毯、作品のポップも控えめなもので、客席の扉を開けると現実に戻されちゃうんですよ。
あのロビーに手作りのダイハツミゼットが置いてあったら。ダンボール製でもいいんです。さらに手書きの「大好評上映中!」の看板があったら。
私は作品の幸せな余韻に浸ったまま劇場を出られたと思うんですよね。

昔の劇場には、そんな「お客さんをもてなしてあげよう。作品世界に浸らせてあげよう」という劇場側の「愛」があったような気がするんですよ。
その気持ちは昔だから、今だからという事ではないと思います。
映画への愛。映画に魅入られた人々が持つ心の問題じゃないかと。
若き日、無償で立看板を描かせてもらった経験を持つ私などは、ついそんな事を考えてしまうのです。


現状ではそんな手間、とてもかけられない事もよく分かっています。
いつもながらのおバカなたわごととお笑い下さい。
観客のもてなしに心を砕く劇場を求める、私の「映画館鑑賞」はまだまだ終わらないようです。
余談ですが。自宅の「ネヴュラ座」は、そんな劇場を意識しているんですよ。
コタと映画を観る時は、必ず駄菓子を与えています(笑)。

2007年12月25日 (火)

聖夜の怪獣名所

お仕事と私事に追われ、市の中心部で夕暮れを迎えた私。
イルミネーションで彩られた名古屋の聖夜をちょっと撮影しました。

でもそこは「ネヴュラ」。向かったのは過去の怪獣映画の舞台となった現場。
さして時間もなかったのでほんの少しですが。写真の腕の無さはご勘弁を。
Photo_26 「モスラ対ゴジラ」(1964年)でゴジラの尻尾が絡みついた
名古屋・栄のテレビ塔。
Photo_27
その後ゴジラは足をもつらせ、この中日ビルに倒れこんでしまいます。




Photo_28 「ゴジラVSモスラ」(1992年)での、バトラ攻撃ルートを迎え撃つ方角から。
バトラは名古屋城から現れ、栄に向かって進撃します。
クリスマス恒例、イルミネーションが綺麗ですね。
Photo_29
突き当たりに並ぶ二つの丸ビルは、
「小さき勇者たち~ガメラ~」(2006年角川ヘラルド)のクライマックス、トトとジーダスの決戦場、名古屋駅前ツインタワービル。

Photo_30仰角で撮ると怪獣映画っぽく見えますね。
Photo_31
お約束なのでこれも。これを写真に収める人たちで、今夜の駅前はにぎわっていました。




Photo_32街角にサンタさんのイルミネーション発見。
そこには・・・



Photo_33 カメーバ状態のサンタさんが。そりゃー外は寒いよね。ご苦労様です。
もうクリスマスも終わりですね。
Photo_34
そんな寒い夜は、行きつけのお店「甘太郎」でアツアツのお好み焼を買って帰ろっと。




Photo_35 で、そんなごちそうをたいらげようと、大口を開けた瞬間のコタ。
ちょっと。全国発信の写真なんだから。
それじゃお嫁に行けなくなっちゃうよ(呆)。

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超オタクリスマス

Photo_11コタちゃん、さっきお昼寝の時、サンタさんが来てね。
プレゼントをくれたよ。

えっ?らーめんやさんからおりて?
うん。コタちゃんによろしくって。


Photo_15ほら。新しい巣箱。
冬は陶器の巣箱じゃ冷たいだろうって。

すごいねー。くりすますのかざりまでついてるよ。




Photo_18他にもほら。遊び道具も。
ブランコと回し車。遊園地状態だよ。

でぱーとのおくじょうみたいだねー。



                             Photo_19
で、これは私から。
超高級クリスマスケーキだよ。

みにーちゃんのやつね。ねずみつながり?




Photo_5
うわー豪華。ウルトラマンとスペクトルマンまでゲストに。
というより、なんとなくとくさつせっとのふんいきが。

確かに。バランの岩屋部落のセットみたい(喜)。
Photo_7
でもなんとなく落ち着かないね。

だってじめんがあかいもん。どきどきしちゃって。



Photo_8
あっ、どこいくの?
やっぱりいつものけーじがいいよ。





Photo_25ここならケーキも食べるのにねえ。

うーんやっぱりおちつくわ。






Photo_23ケージに
巣箱を入れてあげるよ。
うーんでもこの画面は・・・



Photo_13あっ!これはっ!バラゴンの白根ヒュッテ破壊シーン!
さすが私の妹分。わかってるねー。
Photo_14 今度はフランケンシュタインの倉庫シーンね。サービス満点じゃない。
今年もこうやっておバカに暮れていくのねー。
というわけで皆さん、メリー・クリスマス(笑)。

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2007年12月24日 (月)

濃い人がサンタクロース

Photoおねえちゃん。
きょうはくりすますいぶだね。

そーよ。
私は隣のおしゃれなお姉さん(笑)。

こんや、さんたさんくるかなー?



Photo_11サンタさん?あーさっき近所のラーメン屋さんにぶら下がってたから、期待していいんじゃない?

ふーん。ちかくまできてるのね。


Photo_4
でも大変だよねー。サンタさんもこの時期は。
ほんとだねー。くびがりんだ・ぶれあみたいだもんねー。
Photo_5
ちょっと遠い目をしてるし。

おねえちゃん、わたし、さんたさんがかわいそうにみえてきちゃった。
でもぷれぜんともほしいし。



Photo_6 うちにもきてくれるかな?
来るよ!サンタはきっと来るよ!(藤谷文子風返事(笑)

コタのささやかな願いは叶えられますでしょうか?次回へ続く!

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笑いの神が降りる瞬間

今日はこの番組について他の観点からお話しようと思っていたのですが、予想に反した展開にビックリしたので、ちょっと角度を変えてお話します。
ここ数年の年末のお楽しみ、「オートバックスM-1グランプリ2007」。

以前お話した通り、私はお笑い番組をまともに見る事が出来ない事情を持つのですが、この番組だけは別格扱いで。あくまで芸のみを採点基準とする製作体制に共感しているのです。昔の深夜番組「11PM」で行われた、番組一本落語のみ・中CM無しという演出と通じるものを感じます。
本来、漫才師の本業である「芸」の部分をじっくり見せる番組が貴重な存在となってしまったことに悲しさも感じますが、彼らが芸を発表する場がライブのみという環境が過去の寄席の世界に近いのかもと思うと、一概にテレビのあり方に不満をつのらせるのも筋違いかなと考えたりします。まーそれはともかく。

この「M-1」、今年の放送をご覧になった方、どんな感想をお持ちになったでしょうか?
毎年ハイレベルの戦いが繰り広げられ、優勝者には翌年の活躍が約束されるM-1は、今回で第7回。優勝者も中川家、アンタッチャブル、ブラックマヨネーズなど、現在も大活躍するメンバーばかりです。
昨年のチュートリアルも記憶に新しいところですね。

彼ら優勝者達に共通するのは、M-1優勝前にもそれなりの知名度、実力を兼ね備えたメンバーである事で。お笑い好きの私も彼らの優勝には納得しました。言ってみれば彼らの優勝は万人が認める結果、言わば本命のメンバーばかりだったのです。

しかし今年はビックリしましたねー。まさかああいう結果になるとは。


毎年この番組を見ていてつくづく思うのは、どんな勝負にも「奇跡のタイミング」というものが存在するんだなーという事です。私も少しだけ内情を垣間見ただけですが、お笑いの世界は人々が思う以上にシビアなものがあります。
例えば俳優の世界なら「今の演劇界でこの役に当てはまる役者は?」という発想で配役がなされるわけですが、お笑いや音楽の世界はそういう発想が無い。逆に「今の世の中には無い物、新鮮な物」を求められるわけです。ですからその世界に携わる人たちは果てしない暗中模索、自分が信じるものが時代の潮流に合っているかどうかは売れてみないと分からないんですね。
気がついたらいつの間にか、自分の手の内には良い手のカードが揃っていたという感覚です。それは例えば「芸風・時代の要求・露出のチャンス」というようなスリーカードとか。
逆に、いくら実力があっても芸風が時代に合わなければ、しかも世間にその存在が知られなければ売れるチャンスは極端に制限される訳です。


私は傍観者の立場で、不遇ながら実力派の芸人を何組か身近で見てきましたが、彼らは別に落ち度はまるでない。ただ時流に合わないというだけで下ずみの存在を余儀なくされている訳です。昔の雨上がり決死隊なんてそうでしたね。
でも一端「時代」というカードを引き当てると実力以外の部分で勝手に露出が増え、あれよあれよと人気が出てしまう。いわゆる「一発屋」と言う存在がそれです。彼らが自分の人気を実力と勘違いした結果が「次の手を考えない」という驕りに繋がり、いずれは「過去の人」というレッテルとともに世間から忘れられてしまうのです。

こういう存在に対し、世間は想像以上に冷たいですね。二年前のギャグをつぶやく事が放送禁止用語並みに禁句となる現在、「ヒットギャグの次が無い」という事は即、芸人としての死に繋がる訳です。
以前にも少しお話しましたが、個人的に芸人は「ギャグだけが一人歩きするほど売れないほうが長続きする」というのが持論です。または持ちギャグなど無い方がその寿命は長い。確かに持ちギャグは芸人にとって強い武器にはなりますが、そのあまりの人気が高いハードルとなって自らがそれを越えられなくなってしまうのです。
ヒーロードラマの主人公を演じた役者が役のイメージに縛られて、その後のお仕事の幅が極端に狭くなったというお話はよく聞きます。ショーン・コネリーがジェームズ・ボンドのイメージの固定を恐れ、007役を降りた事は有名なお話ですね。それと同じ事がお笑いの世界にもあるのです。


懇意にしていた青木さやかの場合も、彼女の持ちギャグ「どこ見てんのよ」がさほど売れなかったことが、彼女の現在の生き残りに繋がっている事を強く感じます。あのフレーズが「そんなの関係ねえ」並みの売れ方をしていたら、今の彼女は無かったと思いますから。

ただ役者の場合、それは「名演技」という勲章に彩られる過去の栄光、音楽の場合もまだ「名曲」として人々の心に残る訳ですが、ことお笑いに限ってはその栄光は薄いですね。よく懐かし番組などで昔のお笑い番組を紹介しますが、当時の出演者が持ちギャグを演ずるたびに「懐かしい」とは思っても「笑える」レベルにはとても到達しない場面があります。
そんな場面を見るたびとても正視できない痛々しさに襲われるのは決して私だけではないと思います。

「8時だよ!全員集合」のDVDを今見ても、凄いとは思いますが笑えるとは思えない。「ダウンタウンのごっつええ感じ」しかり。松本人志本人も言っています。「きっと「ごっつ」は今見ても面白くないでしょう」と。
時代の波を越えるだけの「笑えるツボ」というのは、単なる言い回しやアクションなどのギャグとは別の「普遍の物」なのでしょうね。


いつも通り(笑)お話がそれまくってますね。実はここからが本題なんですが。
今回「M-1グランプリ」で勝ち残った芸人の内、持ちギャグを駆使するメンバーが一組もいない所に注目したいのです。

彼らはきっとそんな「一発屋の法則」を知り抜いている筈です。「エンタの神様」的同フレーズの反復を最初から禁じている。それは漫才というある種伝統に則った芸ゆえかもしれませんが、「M-1」は持ちギャグ一つで勝ち抜けるほど甘いものではない事が骨身に染みているのでしょう。その風化の早さも。
自分達の「芸」を大切にし、それ一本とある種の「奇跡のタイミング」を期待している訳です。
これは私から見ると大変真摯な姿勢、頭が下がるほど芸に誠実なあり方と思います。あれだけ自らに禁じ手を課し、芸を磨く精神力には頭が下がります。
しかしそれだけでは栄光はつかめない。今回のM-1は、まさにその事実を万人に認識させた一時だったのかもしれませんね。

ご覧になった方はよくお分かりと思います。今回グランプリを取った芸人、日本の新人漫才界の頂点に立ったコンビが敗者復活組の「サンドウィッチマン」と予想した方が、あの時点で何人いらっしゃったでしょうか。

サンドウィッチマン。失礼ながら、私は彼らが敗者復活するまでまったくその存在を知りませんでした。1998年にコンビを結成、2005年、2006年のM-1で準決勝まで進みながら決勝戦には姿を見せられなかったまさにダークホース。彼らの出場は衝撃でしたね。
そのファーストラウンド、街頭アンケートのネタが終わった時の会場の異様な空気、審査員の興奮ぶりにも驚きました。
「期待の裏切りで笑いを取っていくわけですよね。もうホントになんで彼らが決勝の舞台に、敗者復活でなしに残ってへんのかと思うぐらい。もう一本こんなネタあったら大変な事になりますよこれは。」
審査員、オール巨人のこのコメントがその衝撃度を物語っています。


実際、その内容は素晴らしいものでした。実力に裏打ちされた巧みな話術とリズム。そのインパクト抜群のルックス。練りこまれた内容と無駄の無い展開。その濃密な空気に、私はアンタッチャブルに近いものを感じました。
その驚愕。「日本にもまだこんなに面白いコンビが居たんだ。」


これは丁度、昨年のM-1・ファーストラウンドで優勝者・チュートリアルが「冷蔵庫のネタ」を放った時の空気と似ていました。他者の追随を許さない圧倒的な面白さ。笑いの量ではなく「質」の違い。それを見る審査員の顔つき。
私はよく思うんですが、「M-1」ではこういう場面は一年に一瞬だけじゃないかと。場の空気が煮詰まっている時、丁度ガスが充満した部屋で火花が散った瞬間のような感覚なんですね。
審査員もお客さんも爆発的に笑いたい瞬間を待っている。
その瞬間は誰にも分からないですがその「発火点」は確かにあって、出場する芸人達は自分達の番がその瞬間となる事を心待ちにしている。

おそらくそれが「奇跡のタイミング」、言わば「笑いの神が降りる瞬間」なのでしょう。昨年であれば確かにチュートリアルは実力派ではあるものの、それまでの出場者への笑いはどこか消化不良の所があったし、審査員のコメントにもそれが現れていました。彼らの高成績はその実力に目に見えない「場の空気」が後押ししたものでもあるのです。


ただ、今回のサンドウィッチマンの場合は少々事情が異なります。
彼らは他の出場者に対し、知名度では一歩及ばない所がありました。敗者復活組ですから当然前評判もありません。おそらく他の出場者にとっても彼らは想定外、ネタ作りの上でも対策などまったく立てていなかったと推察します。ですから彼らにとってその復活ステージはもともと有利な状態だったのです。

加えて今回の出場者は総じて新鮮味に乏しく、さらに新登場のザブングルは顔芸、それまでダークホースと目されていたダイアンも若干力不足で、場は不完全燃焼のまま「飛び道具」の登場を待っていたのです。
この番組は生放送の為、場の空気さえカメラは正確に捉えます。そのライブ感を私もしっかりと感じ取りました。
間違いなくスタジオにガスは充満、爆発の時を待っていたのです。
彼らの登場前に他のメンバーによる爆発が起きていたら、彼らがあれ程の好成績を取っていたかは疑問ではないかとさえ思われます。


おそらく爆発の瞬間はあの伊達みきおの「焼きたてのメロンパン売り切れるだろうが」の部分でしょう。今も昔も観客は予想を超えた笑いを体感した時、拍手で敬意を表するんですね。昨年の最終決戦でチュートリアル徳井が放った「でもどこにもないんや」の瞬間と同じ空気を感じました。
これが「笑いの神が下りた瞬間」。出場者の順番やネタの内容、彼らのコンディションなど複雑な要素が何一つ違っても存在し得ない瞬間なのです。
私もこれまで様々な現場でその瞬間を見ています。芸人というのは何とかして、その瞬間を人工的に作りだそうとやっきになるものなのです。それは経験によってある程度コントロールできるものの偶然の空気にはかなわない。
それを生業とする芸人にとって「笑いの神を呼ぶ」というのはまさに死活問題なのです。


ただ、さすがに最終決戦での彼らのネタ「宅配ピザ」は、ファーストラウンドのそれを上回る事が出来ませんでしたね。これは仕方のない事と思います。
おそらく決勝前に「もうネタがない」と唸った彼らのセリフは本心から出たものでしょう。でもそんな事情さえもプラスに変えてしまう何か「勢い」のようなものが、「場」にはあるのです。

実際あの決戦でグランプリを取ってしまった彼らに対し、他のメンバー、キングコングとトータルテンボスは決してネタではひけを取っていないと感じました。でも審査員は彼らに一票を与えてしまう。不思議です。
あの場ではああする事が正しいような気になってしまう。

個人的には、芸の熟練度ではキングコングが一歩抜きん出ていると思いました。でも前述の通り、実力だけでは何かが足りないのです。優勝者サンドウィッチマンは気づかぬうちにラッキーカードを引いていたのでしょう。しかしそれがラッキーカードかどうかは、手が揃わなければ当人にも分からない。
そのカードはエースだったのでしょうか。ジョーカーだったのでしょうか。


私は思います。おそらく過去に売れていった芸人達にも、期せずしてそんなカードが舞い降りてきたのだろうと。しかしそれをエースにするのもジョーカーにするのも本人次第のような気がするのです。
そのカードをきっかけにして本人達が「次の手」を模索すればそのカードはきっとエースに。地位に胡坐をかき、その後の努力を怠ってしまってはそのカードはジョーカーに。


「夢見心地です。」賞金1,000万円のプレートを受け取って涙ながらにつぶやく伊達みきおの姿を見て私は思いました。
私のような者がおこがましいですが。
敗者復活組から見事優勝を掴みとった今日の喜び、それまでの苦労を忘れないで欲しいと。そんな苦労を忘れちゃう芸人さんが多いんですよ。
そんな芸人にはきっと、二度と「笑いの神」は降りてこない。
少ない経験ながら、それも私が学んだ真理です。

2007年12月21日 (金)

年末オタク散策

打ち合わせに出かけた街の中心部。ちょっと空き時間が出来まして。
目に付いた街角オタク物件を、あれこれ撮影してみました。

Photo
まずはここ。お世話になるCBCテレビ。





Photo_3元気な坊やが足につかまっているのは・・・






Photo_4 ご存知、ウルトラマンメビウス!さすがキー局。
放送終了後も大人気。高さも5メートル近くあるんです。

Photo_5
名古屋の皆さんを見守ってくれています。
彼がまだ現役という事は、「X」の立場が微妙ですが(笑)。





Photo_6
近くのビルの一階には、なにやら怪しい入口が。





Photo_7
さすがは名古屋(笑)。パチンコホールのようです。
必殺シリーズの台が大人気ですね。障子風の自動ドアの向こうには・・・

Photo_8
この通り。八丁堀がお出迎え。
「来るなら来てみやがれ。たたっ切ってやる!」






Photo_9
おまけ。たまに見かける住宅地の案内板。
何かに似てるなーと気になってたんです。
やっと気がつきました。




Photo_10
ナルキッソス号(笑)。
シガニー・ウィーバーも呆れ顔でしょう(爆笑)。

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2007年12月20日 (木)

手段と目的の足並み

「因縁の作品」があります。
私が抱える多くの汚点の中で(笑)、今だに心を悔やむ痛恨の一作。

その作品はきっと私の人生にまとわり付き、折りに触れその狡猾な顔を覗かせるのです。先日もこんな事がありました。

特撮ファンの間では超有名、今やどのレンタルショップにも在庫されているそれは、借りるにもまったく苦労しません。久しぶりに鑑賞したくなった私はそのDVDを気軽にレンタル、自宅でプレーヤーに入れましたが・・・

フリーズ。

いくらボタンを押してもまったく再生されないそのディスクを取り出し盤面を見たところ、そこには大きなキズやまるで糊を塗りつけたような汚れが。
「こりゃ再生できないよね。」

あわててショップヘ向かいその旨を説明して、レンタル代金を返却してもらう運びとなったもののなんとなく釈然としない。
店員さんの応対ではなく、その作品が見られなかった事が。
で結局、向かいのレンタル店で借りちゃいました(笑)。

ここまで引っばるとさぞやマニアックな作品と思われそうですが、そんなご期待を裏切るイジワルな私(笑)。
何の事はありません。そのタイトルは「ゴジラ×メガギラス G消滅作戦」(2000年東宝 手塚昌明監督)なのです。


何故これが「因縁の作品」かと言いますと。
実は、私が物心ついてから欠かさず劇場鑑賞を続けたゴジラ映画の中で唯一、これだけが劇場へ赴かなかった作品なのです。
決して公開当時、観られなかった理由があったわけではありません。
チャンスはいくらでもありました。でも行かなかった。
前年に公開された「ゴジラ2000ミレニアム」の出来があまりにも私の期待と異なっていたので、「もうゴジラ映画には期待できない」という思いが強くあったからなのです。おまけに製作発表時、「今度の敵は「ラドン」の餌となったメガヌロン」と聞いてまたショック。
「メガヌロンまで出すようになったら、もうさすがにネタ切れなのねー。」
その時、私の気持ちは決まりました。「もうゴジラは観ない。」
ただ金子修介監督の名前につられ、この次作「GMK」からはまた劇場へ向かうこととなるのですが。

ですからこの作品、後のテレビ放送が私の初鑑賞だったのです。
いやーまるでビデオ誕生前の世界を思わせるアナクロな経緯(笑)。


ところが意外、この「G消滅作戦」、思った以上に面白かったんですね。
それはよくある「テレビに乗る映画」だったからかもしれませんが、とにかく私はそのオンエアを楽しみました。その後しばらくはそのエアチェックVHSで我慢していたんですが、さすがに46インチでトリミング画面・ノーマルステレオ・CM入りは辛い。
安価なレンタルもある事だし、久々に借りる気になったのでした。
で、冒頭の「フリーズ」(笑)。
よっぽど私とメガギラスは相性が悪いのでしょう(涙)。

ともあれ、再レンタルの一枚は何事もなく再生も快調、ここにめでたくメガギラスはその勇姿を私の前に現してくれたのでした。
そんな理由もあり、劇場に行かなかった私はこの作品についての資料を何一つ持っていません。ですから今回のお話は写真無しでご勘弁下さい。
つまらない独り言がさらに退屈になりそうですが。ごめんなさいね(涙)。

で、件の「G消滅作戦」。前述の通り私には大変楽しめました。以前にもお話したかもしれませんが、私には手塚ゴジラのベストワークに思えます。
かの機龍シリーズよりも好きな作品なんですよ。
その印象は今回の再見時も全く変わらず。むしろ強固なものとなりました。


「機龍」シリーズをお好きな方も多いでしょうから、ここからのお話はあくまで私の印象、感覚、好みによる感想である事をお断りしておきます。
個々の作品についての好みは人それぞれ、決して作品の優劣について語るわけではありませんので。念の為(笑)。
やむをえずネタバレもありますので、未見の方はご注意下さいね。

まー今回もストーリーのレビューや細かいツッこみは識者の方々にお任せする事にして。かいつまんでお話すれば、これは前述の通り、前作「ゴジラ2000ミレニアム」(1999年東宝 大河原孝夫監督)で復活した通称「ミレニアムゴジラシリーズ」第二作という位置づけの作品です。
1998年にアメリカで製作された初の海外版「GODZILLA」(ローランド・エメリッヒ監督)の興行が不振だったため、翌年東宝が復活させた「ゴジラ2000」でしたが、その製作経緯にある通り、あまりにも短い準備期間が裏目に出たのか作品の内容はファンの望むものとはかけ離れてしまったようで、ここでも興行成績は大幅にダウン。
続篇のレベルが危険視される中、作られたのが「G消滅作戦」でした。


正直言って「2000」鑑賞後、これからのゴジラシリーズに期待しろという方が無理。特撮ファンである事が恥ずかしかったのは「惑星大戦争」鑑賞時以来という感覚でした。作品の背景には様々な事情もありますから一概に言い切る事はできませんが、いくらゴジラが好きでも堪忍できる事と出来無い事がある訳で。
ともあれ「G消滅作戦」には全く期待できず、タイトル通り企画が消滅して欲しかったくらいの心持ちだったのです。
ゴジラが好きなら好きなほど辛いこの環境。典型的な「坊主憎けりゃなんとやら」状態だったわけですね(笑)。まったく単純おバカな私でした。
あくまで個人的感覚ですが。

私がこの「G消滅作戦」を楽しめた理由は、ひとえにその「思い切りの良さ」に尽きるでしょう。
今作がゴジラ映画初監督となる手塚昌明氏は大のゴジラマニアだそうで、いよいよマニアが製作側に回る時代の変遷を感じたりするわけですが、この作品の場合、様々な偶然のさじ加減によりそのマニアックさが程よくマイルドになっている所がいいんですよ。


考えるに、まず東宝側の「初監督の手塚氏には、ゴジラと対峙させる怪獣をやや小物にして負担を与えないようにしたい」という姿勢が見えます。
もっと言えばリスクを回避したいと言うか。
大物同士の作品でコケられたらそれこそ後が無いですからね。
それが新怪獣メガギラスの起用に繋がったのかも、なんて。

前述の通り、「空の大怪獣ラドン」(1956年 本多猪四郎監督)でラドンの餌として登場した「メガヌロン」に設定は酷似していますが、それは話題性の為という程度に留められていますね。過去の設定に縛られないからこそ、劇中であれほど自由な演出が可能となったのだと思います。


そしてさらに「メガギラスをゴジラの敵にしなかった所」も戦略的に実に巧妙。もともとゴジラは国内規模で封印された(筈の)エネルギー物質を狙って現れるわけで、別にメガギラスなど眼中に無いですもんね。
メガギラスはゴジラの持つ強大な体内エネルギーを「食料」として狙う設定。実に理にかなっていると思うんですよね。いいじゃないですかこれ。
21世紀の怪獣対決には嘘でもこういう「理」が必要と思います。


で、前述の通りゴジラが日本を狙う理由もちゃんと描かれているし。それが登場人物全ての行動原理に繋がっている所も良い感じ。そもそもその人間の「表沙汰に出来ない思惑」の為に人の運命が狂わされていく辺り、久しぶりに「整合性のある怪獣映画」に出会った印象があります。
しかも結果的にその「思惑」が作らせた超兵器「ディメンションタイド」がストーリーの中心をなす展開も見事。メガギラスはこの兵器によって現代に導かれた訳ですから、ある意味今回の人類の被害はゴジラによるものと同じ「自業自得」。そんな、それまでのゴジラ映画が到達し得なかった部分まで言及されているところが素晴らしいのです。


そんな新機軸、前述の「思い切りの良さ」に対し、手塚監督が本来持つマニアックな嗜好が抑えられている理由は、おそらく手塚氏が「初監督」だったせいでしょう。
いかにゴジラ好きでも、まだスタッフ同士の腹を探りながら進まざるを得ない第一回作品は、得てしてその個性がスポイルされる事が多いのです。手塚氏の次作「ゴジラ×メカゴジラ」以降の作品で分かる通り、「G消滅作戦」に比べ彼のマニア度は明らかに露出過多の傾向にあります。強い女性好み・往年のゴジラ俳優の起用・ストーリー中の様々なくすぐり等々。

これらを好んで観るファンも多いでしょうが、個人的にはそういう素人の遊びみたいな製作手法は好みではありません。やるんなら一捻りして欲しい。
そのまま出されると見てる方が恥ずかしいんですよ(笑)。

ともあれそういう様々な偶然が重なり監督の子供っぽさが抑えられたゆえ、「G消滅作戦」は微妙なバランスを保ったまま、手塚氏の最も良い部分がクローズアップされた作品ではないかと思います。今も見ながら記事を書いていますが、「整合性は無いけど、やっぱりゴジラはこうじゃなきゃ」という部分が少ないんですね。キャラクターを活かす為にストーリーが犠牲になっていないと言うか。
まー確かに平成ゴジラ以降のファミリームービー的テイストは否めませんが。
それは仕方のない事で。

いつも思うんですが、ゴジラ映画のバランスって本当に難しいですよね。その歴史ゆえオールドファンの目は厳しい。しかし現代のゴジラはあくまで子供をメインターゲットとしている。しかも東宝怪獣はゴジラだけではない。これまで登場した怪獣スターは作品の垣根を越えて一つの世界を形成している。
新作が作られるたびに「今度のモスラは新設定」「ギドラのデザインは前作と比べて云々」なんて話題が起きない日は無いですし。
よくゴジラの脚本家が語る「全てのファンが満足できる作品は作れない」というぼやきは、まことに真に迫る言葉と思います。ですからファンの間で好みの作品が分かれてしまうのは当然の事なのかもしれませんね。


今回「G消滅作戦」を再見して思ったんですが、どうも私が好むゴジラ映画の傾向は「ストーリーの破綻の少ないもの」が多いような気がします。頭が固いせいか「絵として面白ければそれでいい」「迫力ある画面が見られればストーリーに多少穴があっても」という風には見られないんですね。
以前「大怪獣バラン」のお話で、「絵で押し切る怪獣映画もある」と言いましたが、ゴジラ映画の場合はちょっと違うような気がします。「絵で押し切れる」というのは新怪獣登場の場合だけ。毎回上陸して各地の名所を観光破壊(笑)するだけの見慣れた怪獣の姿に新味を感じろと言う方が無理な相談では?ゴジラはお正月の獅子舞じゃないんですから。
そんな私のようなファンは、やっぱりストーリーの面白さに興味が行ってしまうんですね。「今度はどう騙してくれるんだろう?」という期待だけで劇場へ向かう訳です。

ゴジラ映画がストーリーからキャラ勝負へシフトしたターニングポイントはおそらくこの「G消滅作戦」でしょう。
いわゆる平成ゴジラシリーズの行き詰まりを回避するため、当初「2000」以降のゴジラ映画は作品毎に作品世界の設定をリセットする製作方針と聞いていました。ところが結果的に「G消滅作戦」の次作「GMK」以降の作品はすべからく過去のスター怪獣が登場、そのデザインや設定は違ってもやっぱりキャラ勝負の展開になってしまったのです。
作品世界の設定がいくらリセットされても登場怪獣がいつも同じ顔ぶれ。ストーリーはそのレギュラーメンバーの「旧作ファンの許容範囲内の新設定」を成立させる事ばかりに振り回され、「何とか着地した感」を与えるだけで精一杯だったような気もするんですよ。
これではストーリーの妙味を味わう事など二の次。これは製作側にとって難しい問題だったと思います。


要はこういう事です。
本来一話完結の映画は「ストーリーを帰結させるという「目的」が先にあって、その為にこのキャラクターを出そうという「手段」が二番目に来るのが理想」なんですよね。まずストーリーありき。
キャスティングはその次に来るべきなんです。

ところがこの時期のゴジラ映画はその逆。「まずこの怪獣という「手段」が先にあって、怪獣を活躍させる為にストーリーを帰結させるという「目的」が二番目」なんですよね。元々ストーリーに重きが置かれていないんですよ。
顔見世興行みたいな作り方なんですね。

よく言われる『富山プロデューサーは10分毎に怪獣を出すよう指示を出した』とか『GMK」で金子監督が当初発案していた「バラン・バラゴン・アンギラス」が「モスラ・キングギドラ・バラゴン」に変更された』などの理由は、全てこの「手段と目的の逆転」が原因なんですね。
まー往年の日活アクション風、スターシステム採用と言われればそれまでですが、だったらそれなりの内容がなければ。
スターにはスターの活かし方があるように思えるのですが。
ただそう考えれば、東宝側のこれだけの要求に対してあの高次元のドラマを作り上げた「GMK」のスタッフの優れた仕事ぶりには感嘆するしかありませんね。


ちょっとお話がそれましたね。いつもの事ですが(笑)。
映画は商業作品である以上、興行収入が見込まれるのは当然の事です。売り上げ見込みを考えない企業はありません。長年の解析により、ゴジラ映画のターゲットや作劇手法、集客戦略について分析を進めた東宝ならではの製作体制である事もよく分かります。ゴジラが一般映画として認知されないのは、何より東宝首脳陣が一番骨身に染みていたはずですから。
営利企業としてこの姿勢は実に正しいのかもしれません。

ですから余計思うのです。
この「G消滅作戦」は、前作「2000」へのファンの反応が作った微妙な空気、東宝のギリギリのストーリーへの譲歩、やや力を抜いた新怪獣の設定、それを受けた新鋭手塚監督の瑞々しい感性らが絡み合い、奇跡的に「手段と目的の足並み」が揃った幸福な作品ではないかと。


メガギラスがこの作品のみの登場というのもいいですね。この怪獣、結構好きなんですよ。下手に他作に出られて新設定が作られすぎ、辻褄合わせの迷宮に迷い込んで欲しくないですから。
時代の狭間には時々こういう偶然の傑作が生まれます。興行成績は後続作に劣るかもしれませんが、こと作劇のベクトルやカタルシスの作り方はそれらを越えているのです。
作品レベルが興行成績だけでは語れない理由の一つがここにあります。


ここ最近は行っていませんが、実は私のウォーキングは、いつもこの作品の「桐子の決意」という曲をBGMに始めるんですよ。
物語のクライマックス、田中美里演じるGグラスパー隊長・辻森桐子が、ディメンションタイドを愛機グリフォンにロックオンさせる為、単身飛び立つシーンのBGMです。大島ミチルによるこの勇壮なマーチを聴くといやがおうにもアドレナリンが(笑)。
私がこの曲に感じる元気は、当時「G消滅作戦」に賭けたスタッフすべての意気込みだったのかもしれませんね。


最近はウォーキングも怠け、太っちゃって深刻な状況の私。田中美里レベルのスリムな体型が羨ましいやら妬ましいやら。さすがGグラスパー隊長。
「機龍隊」釈由美子さんと彼女のどっちかになれるとしたら、私は田中隊長を選びます。全然実現性の無い望みですが(涙)。

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2007年12月19日 (水)

新しい皮袋に古い酒

前回、古の特撮作品を何本かレンタルした旨をお話しましたね。そのお店にラインナップされていた作品は「痒くなりそうな所に手が届く」ものばかりだったので大変嬉しかったのですが、中でも特に心を躍らせた内の一本が、今日お話する作品です。
これはもう、怪獣ファンの皆さんならよーくご存知ですよね。
私もレーザーディスクでは持っているのですが、DVD鑑賞は初めてでした。

「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣」(1970年東宝 本多猪四郎監督)。この作品、私は封切時に劇場鑑賞しました。
今でも大変思い出深い一作です。

Photo先ほど「皆さんよーくご存知」なんて言いましたが、正確にはこれ、ゴジラやガメラほどメジャーな作品ではないんですよね。まータイトルでお分かりの通り、東宝製作なのにゴジラが出ていませんから。
今一マイナーなのはそのせいでもあるのでしょう。
この作品の一年前から始まった東宝の子供向け興行「東宝チャンピオンまつり」。冬休みや夏休みなど子供たちの大型休暇に合わせ、怪獣映画にアニメやテレビ作品などをカップリングした夢のプログラムです。
この「決戦!南海の大怪獣」はその第三回のメイン作品として製作され、1970年8月1日より全国ロードショー公開されました。
同時上映は「巨人の星・宿命の対決」「アタックNo.1・涙の回転レシーブ」オリジナルアニメ「みにくいアヒルの子」。この併映作品で分かる通り、とにかくチャンピオンまつりは子供に一日楽しんでもらおうという東宝の目玉企画だったのです。

私の「東宝チャンピオンまつり」体験は第二回「キングコング対ゴジラ」(1970年3月21封切)からでした。春休みに劇場体験した初のゴジラ映画に感動覚めやらぬ私は、この三回目・夏休み興行にも興味深々、母親の手を引っ張るようにして観に行った記憶があります。
Photo_2「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ」と聞いて、未見の皆さんはどんなイメージをお持ちでしょうか。初見が封切時、劇場鑑賞だった私にとって、この怪獣名は大変そそられました。
考えてみればこの一回前のチャンピオンまつりは「キンゴジ」で、私はそこからしか観ていませんから、その時点では「チャンピオンまつりは毎回違う怪獣映画がメインなんだ」と思わざるを得なかったんですね。
「キンゴジ」の前、第一回目のメイン作品が「ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃」なんて全く知らない頃だったので。
識者の方々に「ユルいオタクだな」と舌打ちされても仕方ありません(笑)。


この年は怪獣ファンにとっても特別な年でしたね。
特撮の神様、円谷英二監督が一月に逝去。日本の特撮界の未来が不安視される中怪獣ブームも一段落し、翌年やって来る第二次怪獣ブームの予兆もまったくありませんでした。
一種の「ブームの狭間のエアポケット時期」だったのです。

事実、この年に製作された劇場用怪獣映画は、本作以外に大映の「ガメラ対大魔獣ジャイガー」「ガメラ対深海怪獣ジグラ」のわずか二本のみ。
邦画四社がこぞって怪獣映画を製作した1960年代後半を考えれば、この製作本数の減少は怪獣ブームの終焉を思わせるに充分でした。


「チャンピオンまつり」の看板を掲げ、新作と旧作の怪獣映画をメインに打って出た東宝の戦略は、ほぼ同時期に始まった東映の「まんがまつり」とともに子供文化の歴史を彩る事となるのですが、その開始時期が共に第一次怪獣ブーム後のエアポケット時というのも不思議ですね。
ともあれ、「南海の大怪獣」はそういう時期に製作された作品なのです。


円谷監督逝去、第一次怪獣ブームの終焉に加え、この年は邦画界にも大きな変革がもたらされました。1970年代を迎え、製作会社はこぞってそれまでのプログラムピクチュア量産主義から年に数本のビッグバジェット・大作主義に体制をシフト。テレビの台頭が大きな理由だったのでしょう。
生き残りを賭け「テレビでは出来ない事を。」を合言葉に、製作本数を絞り込んで一作に予算を投入する超大作が、70年代邦画の特徴となったのです。


そんな変革を背景に東宝も社内体制を大幅に刷新、各部署を細かく子会社化し、独立採算制を採らせる事で時代の波を乗り切ろうとしました。長年円谷監督を支えてきたスタッフも移籍などを余儀なくされ、また俳優の専属契約制も消滅。
この時期を境に各社の「顔」的俳優の布陣が一切消えてしまったのでした。
つまり70年代初頭は「東宝の怪獣映画と言えばこのスタッフ、このキャスト」というイメージが崩れ去っていく時期。この「南海の大怪獣」は、往年の東宝怪獣映画の香りを残す最後の作品と言えましょう。


Photo_3この作品には逝去された円谷監督に代わり、監督の愛弟子・有川貞昌氏が特殊技術を担当し、出演者も久保明・佐原健二・土屋嘉男の「マタンゴ」トリオをはじめとする東宝オールスターキャストが参加していますが、次回作「ゴジラ対ヘドラ」(1971年)になると監督も坂野義光、キャストは柴俊夫・山内明などそれまでの東宝作品では見られないメンバーが揃う事になります。
「オール怪獣総進撃」あたりからややそういう空気は見受けられますが、「ゴジラ対ヘドラ」で決定的となった作品カラーの変化は、この邦画界の背景と切り離せないものがあるのです。


ちょっと周辺のお話が長くなりましたね。そんな事情を踏まえてお話しますと。ややネタバレを含みますので、未見の方はご注意下さいね。
この「南海の大怪獣」、ご覧になった方はよくお分かりと思いますが、当時の怪獣映画とすればしごく真っ当な、直球勝負の作品ですよね。特にヒネリがある訳でもなく。それまで円谷特撮映画で培われた作品のアイデアをコンパクトに詰め込んだ感があります。
冒頭画面は「大怪獣バラン」、無人ロケット・ヘリオス7号に寄生する宇宙生物の描写は「宇宙大怪獣ドゴラ」、カプセル帰還のプロットは「ウルトラQ・宇宙からの贈りもの」、宇宙生物の人類侵略ぶりは「宇宙大戦争」、離島で展開する活劇は「キンクコング対ゴジラ」(原住民が奏でる曲が(笑)「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」という具合で。それぞれのシーンに過去の名シーンを重ねるのも、この作品を見る上での楽しみの一つです。

監督が怪獣映画の重鎮・本多氏ですから、そのツボを押さえた演出には安心できます。この作品の「直球感」はそんな所にも理由があるのでしょう。ところが作品に漂う雰囲気は、それまでの東宝怪獣映画とやや趣を異にするものなのです。
今回DVD鑑賞の幸運に恵まれた私は、田中文雄プロデューサーのコメンタリーでその理由の一端を知る事ができました。

Photo_4この当時、田中文雄氏と共に製作を担当したゴジラ映画の生みの親、田中友幸氏は、同年に開催された大阪万博で三菱館をプロデュース、東京と大阪を忙しく行き来していたという事です。ゴジラに関しては大変細かく神経を使う田中氏も、今回は新怪獣の上万博で時間を取られ、ほぼ文雄氏に任せっきりだったようなんですね。
大まかなプロットだけを決めておいて後は若いスタッフに期待したと。

確かに当時の文雄氏は29歳にしてプロデュース二作目。怪獣映画は初プロデュースです。そしてベテランの本多氏、有川氏、音楽の伊福部昭氏に対し、脚本に新加入の小川英氏(「血を吸う」シリーズで有名)を配するあたり、微妙に新しい血を入れようとする田中友幸氏の采配がこの作品には見受けられます。


その采配は、作品の最大の売りである「怪獣」に最も表れていると思います。
なぜ、ゴジラ映画にしなかったのか。


Photo_5再見してみると、この直球の作品からは「ゴジラからの脱却」という意思を強く感じます。
それまでにもその試みが何度も繰り返されていた事は歴史が証明していますね。「空の大怪獣ラドン」「大怪獣バラン」「モスラ」「フランケンシュタイン対地底怪獣」「フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ」など、怪獣の描き方に新たな可能性を求めた作品は数多くありました。しかしそれらは全て円谷・本多の「ゴジラ」コンビ(脚本面では関沢・木村(馬渕)によるもので、可能性の追求という面では頭打ちになっていたのかもしれません。
きっと田中友幸氏も、怪獣が持つ無限の可能性を信じていたのでしょう。
「怪獣はゴジラだけじゃない」と。


1970年。時代の転換期は新たな可能性の追求への舞台を用意しました。
何よりも大きかった円谷英二氏の逝去。邦画界の劇的な変化。「ゴジラ」第一作から16年を経て、田中友幸氏の胸中にも世代交代の欲求が大きく渦巻いていたのかもしれませんね。ご自身が万博という新たな分野への進出に意欲を燃やしていた事も、そんな気持ちに拍車をかけていたのでしょうか。

「若い世代が描く怪獣を見てみたい。ただ脇は固める。」
この作品のキャスト・スタッフ構成は、そんな友幸氏の意思が見事に反映されています。これ、よく分かるんですよ。私が番組プロデュースを初めて任された時も、こういうベテラン陣との混成部隊でしたから。

「プロデューサーがミスっても何とかなるシフト」なんですよね(笑)。

Photo_6田中友幸氏の目論見はどこまで実現したのでしょうか。
コメンタリーではこんな逸話が語られています。脚本の小川氏はこの作品の第一稿完成時、友幸氏に呼び出され、その内容について「なんだこれは。俺が今まで作ってきた怪獣映画の場面ばっかりじゃないか」とクレームをつけられたそうです。小川氏としては友幸氏メインのプロデュース作品ですから気を使って、サービスのつもりで書いたシーンばっかりだったようなのですが、友幸氏はそれを期待していなかった。新鮮な感覚に期待していたのに、焼き直しじゃ困ると言いたかったんでしょう。新怪獣まで用意して可能性を求めてるのに、これじゃ今までと変わらないぞと。
完成作品から感じた私の印象は、そんなやりとりの名残なのかもしれません。


友幸氏には、きっと気持ちの上で円谷氏が活躍した時代との区切りがあったのでしょう。ひょっとしたら円谷氏と一緒に、ゴジラの存在も封印する覚悟だったのかもしれません。しかしプロデューサーには興行成績も重要。ひょっとしてこの作品がヒットしていれば、その後のチャンピオンまつりは新怪獣が跋扈する展開になっていたかもしれませんね。
そんなifの世界を夢想するのも楽しいものです。


Photo_71995年に「ガメラ 大怪獣空中決戦」の公開時、旧怪獣を新解釈・新手法で描いた作品スタイルにファンはこぞって「古い皮袋に新しい酒を注いだ作品」と評しました。
しかし熟練のスタッフが脇を固め、製作体制や怪獣に新機軸を求めた「南海の大怪獣」にはその逆、
「新しい皮袋に古い酒」という感触を受けます。
ただそのお酒の古さは決してマイナスのイメージではなく、熟成されたワインのような深みやコクを感じるところがたまらない魅力で。ゴジラ映画ではない分地味な印象を受けますが、その内容はもっと評価されてしかるべきでしょう。


専門的な業界話ばっかりで退屈されたかもしれませんね。ついそっちの方面が気になっちゃうおバカな業界オタクをお笑い下さい。例によって無責任な私見ばっかりだし。でもこの作品の位置づけは、おそらくこんな長話を踏まえなければ判断を誤るような気がしまして。
本当は怪獣一匹ずつの私見やストーリーのレビューなどの方が一般的なんでしょうが、これが「ネヴュラ」なんですよね。ごめんなさいね(笑)。

Photo_8最後に。封切時に劇場鑑賞した私は、この作品に登場する怪獣の造形、ギミック、アクターの演技を非常にリアルに感じまして。
特にカメーバ。きわめて個人的意見ですが、この怪獣にはガメラ以上の存在感を感じます。
怖いんですよねそのいでたちが。
ガメラにはやっぱり「可愛い」「カッコイイ」というイメージがあります。でもカメーバは「怖い」。
たとえ原種の種類は違っても亀モチーフでこんなに雰囲気が変わるものかと当時、感激した記憶があります。

まさに悪夢のガメラですね。私の中では「もう一頭のトラウマガメラ」です。
その演出の裏には造形担当の利光貞三・安丸信行氏、カマキラスやクモンガなどで操演怪獣を極限まで追求した、有川特技監督の手腕があったのでしょう。


でも「東京SOS」での登場はビックリでしたね。手塚監督もカメーバ好きと聞きました。カメーバには、怪獣オタクの血を騒がせる何かがあるのでしょう。
なーんて精神分析してしまう私。
決してお仲間の向こうを張って
「カメーバ女医」を名乗るわけではありませんが(笑)。

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2007年12月17日 (月)

気骨の店

きっかけは渋滞でした。
昨日の日曜日。久しぶりに実家近くの家電店へ足を伸ばした帰りの出来事。

先日車検も通り、エンジンも絶好調の愛車ミラジーノで、ハイ・ファイ・セットなど聴きながら寒空の中を走っていると。あら渋滞。
「さすがに師走の日曜日は道も込んでるなー。」
ずーっと先まで繋がる車の列にウンザリした私は、その先にある銀行へ寄るのを諦め、裏道からUターンしようとしたのでした。
その時、ふっとその近くに住む友人の言葉を思い出しまして。
「最近うちの近くのレンタル屋に、珍しいDVDがいっぱい入荷したんだよ。」


見れば件のお店は目の前。丁度お店の横には脇道が。
そこから駐車場へ入れば転回できちゃうか。
「珍しいDVD」という一言に惹かれた私がお店に向かったのは言うまでもありません。


読者の皆さんのみならず、最近はコンビニ並みに乱立するレンタルショップ。
1980年代に生まれたこのニュービジネスも、現在はTSUTAYAやGEOなどの大型複合チェーンにシェアも独占されつつあるようで。おまけにネット登録による宅配レンタルなんて便利なシステムなんてものが出来てくると、ショップ創世記に一攫千金を狙った個人経営のお店などは淘汰の波に押されっぱなし、大変苦しい状況に追いやられているような気もします。

ネットレンタルなんて高級システムにはとんと縁の無い私は、今だに近所の大型ショップで細々と旧作を借りるのが精一杯。ただそういうお店は客層が一般ファミリーや若年層にシフトされている為、私が見たいような作品がほとんど置かれていない。まーアイテムの回転率が生命線のようなレンタル店としてはしごく真っ当な経営方針ですよね。
私もその点は自分に言い聞かせ、見たい作品は購入を余儀なくされています。
しかし先立つものは無尽蔵ではなく。いきおい「見たいけど買えない作品」が山積み、心のハードディスクはエンコードの機会をいつも窺っている訳です。

でも大手ショップばっかり通いつめていると、その閉塞感に息が詰まっちゃう事もありまして。「この作品、DVDリリースはされているんだから、どこかのお店ではレンタルされているんだろーなー」なんて考えちゃうと、一度見たいだけでお財布をはたいて購入する意義について余計シビアになっちゃって。
そんな毎日が「幻のマニアックレンタル店」を夢想させる事だって事実なんです。
と言ってレンタルショップって、飛び込みで入る事ってまず無いですよね。どうしても自宅の近所を贔屓にしてしまって。
そりゃ返却の手間を考えればもっともな選択ですし。
前述の、私が向かったショップは自宅から車で25分程度。微妙な位置なんです。
でもせっかくのチャンスなんだし。
同じオタクの友人の言う事だからハズレは無いだろうと。

そのお店、実は昔ホームセンターがあった所で。建物だけそのままに、店内をレンタルショップに改装してあるんです。私はホームセンター時代によく通ったのですが、レンタル店化してからは今日が初めて。
「ビデオ1」という店名に、なんとなく大手には無いマニアックな匂いを感じた私のオタクアンテナは、さほど錆付いていなかったようです。


Photo写真はそのショップのレンタル袋とチラシです。見るからにローカルな香りが漂ういでたちですね(笑)。まーご覧のとおり、レンタル代もそれほどリーズナブルじゃないんですが、このお店の売りはその部分じゃなかったりして。
まー大手に比べ、そのラインナップのマニアックなこと。

最初に謝っておきます。首都圏や都市部にお住まいの読者の方には「そんなの全然大した事ないよ」と言われちゃいそうですね。ごめんなさい。
実はこのお店を教えてくれた友人は邦画マニア、さらにかの有名な新東宝映画の大ファンなんです。ですから彼の言う「珍しい作品」とは、邦画のクラシックタイトルの事なんですよ。

このお店には、1950~60年代を彩った新東宝映画の旧作がかなり充実していまして。全部は覚えきれませんでしたが恋愛物から時代劇、新東宝お得意の戦争物やアクション、サスペンス・ホラー作品(笑)まで30本以上あったと記憶しています。しかもそれらはいわゆる石井輝男や中川信夫監督作品などメジャーどころではなく(それらはほとんど無かったんです)怪作「江戸川乱歩の一寸法師」やあの池内淳子の「花嫁吸血魔」、小畑絹子の「女獣」など「狙った作品」ばかり(笑)。
しかも「新東宝コーナー」として会社で分けてあるあたり、「分かっている」感がひしひしと伝わってくるのでした。


確かにこれらの作品は、一時期CSチャンネル「チャンネルNECO」などで集中放送されましたが、DVDの高画質で見られる喜びは何物にも変えがたいものがあったりして。
しかも私はそれらをCSで見逃していましたから余計に嬉しかったのでした。
すかさずそれらの諸作をパッケージから引き抜いた私でしたが、改めて周りを見回してみるとこのお店、客層が大手と明らかに違っていまして。
要は、お客さんの年齢層が高いんですね(笑)。もちろんアニメーション作品も大量に在庫されているんですが、日曜日の昼間というのに子供の姿が全く無い。地元密着のショップである事を差し引いても、このお客さんの成熟具合はちょっと(笑)。


一通り新東宝作品に興奮した私はちょっと面白くなってきまして。大手との品揃えの違いを探るべく店内をぐるぐる散策してみました。
するとやっぱり面白い現象が。
このお店、メジャーなハリウッド大作や新作のブロックバスター作品などの在庫が思った以上に少ないんですね。ほんの申し訳程度にしか置いていない。お店の規模から考えればあり得ない在庫数なんですよ。また洋画より邦画の比率が高いみたいで。しかも旧作に力が入っている。
「俺たちの勲章」や「俺たちの祭」が全話揃いであったりするんですよね。
もちろんDVDで。

「祭」をBOX買いした私は泣きました(涙)。

で、もちろんチェックせざるを得ない特撮作品のラインナップはと言うと。
やっぱりありました。くすぐる作品が色々と。
ゴジラやガメラ、大魔神全巻は当たり前として、「妖星ゴラス」「大怪獣バラン」「宇宙大怪獣ドゴラ」あたりもまあ普通。ただ私がビックリしたのは「怪獣大奮戦ダイゴロウ対ゴリアス」(1972年円谷プロ・東宝 飯島敏宏監督)があった事で。封切時、劇場鑑賞した作品です。
「えーっ、これがレンタルされてるお店、初めて見たよ!しかも隣は「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣」だし(笑)。」
この二本に秒殺された私。思わず二本とも手にしちゃいました。

他にも東映製作の特撮作品「ガンマー第3号宇宙大作戦」「海底大戦争」「怪竜大決戦」など、セルショップでは見かけても購入には二の足を踏む作品が目白押しで。これらもしっかりお借り上げと(笑)。


これがテレビ特撮となると。ウルトラやライダー、戦隊シリーズは基本ですが、それに加えて「ミラーマン」「愛の戦士レインボーマン」「仮面の忍者赤影」「キャプテンウルトラ」「ジャイアントロボ」「悪魔くん」「イナズマン(もちろん「F」も)」「変身忍者嵐」「ロボット刑事」「快傑ズバット」「バトルホーク」あたりが全話揃っているんですね。
確かにこれらは、昔のお店ならVHSであったと思うんですよ。でもDVDで揃っているのは、近所では珍しいんですよね。しかもこれがアニメコーナーとなるともう(長くなりそうなので自粛します。)

笑わないで下さいね。こんなもんですよ私の行動範囲なんて。きっとネットレンタルならもっと凄いラインナップなんでしょうね。でもお店で遭遇するという驚きは、あらかじめ借りる作品を決めてレンタルを申し込むネットとは違う楽しみがあるんですよね。

まーそんな状態にすっかり正気を失った私は(笑)、とりあえず一週間で見られるだけの作品を10本ほど借り、後ろ髪を引かれる思いでカウンターへ向かいました。
「こんなお店、いったいどんなスタッフが回してるんだろう?」
疑問に思った私。こんなラインナップで商売になるんでしょうか。大手と比べ個人経営に近いこのお店は、店主やスタッフの意向が商品にダイレクトに反映されますから、スタッフはきっとオタクに違いない。

レンタルショップのカウンターは主婦や学生のバイトスタッフ、という私のイメージを、応対してくれたカウンターのスタッフは見事に裏切ってくれました。
彼は、ダイエット前
の岡田斗司夫にそっくりだったのです(笑)。

ルックスのみならず、口調までオタキングそっくりの彼の説明を聞きながら、私の目はカウンターの奥で商品の仕分けに忙しい年配の男性に注がれていました。おそらく店主に違いない彼からは、体中から「ここは俺の店だから俺の好きな作品を並べる」というオーラが。
やっぱりねー。でなきゃこんなお店にはならないよねー。いかにも「昔のレンタル店」っていうこのお店の雰囲気は、あの店主さんから漂って来たものだったんだなーと納得しました。


考えてみれば、レンタルショップももう「新しい」「古い」で色分けされる時代になったんですね。品揃えや商品の年代で住み分けが出来ると言うか。
ガンコ親父がお店の奥で睨みをきかす古書店のような「気骨」を感じるレンタルショップが、これからは貴重になってくるのかもしれませんね。
だってどう考えても、今の子供が「バトルホーク」の最終回に納得するとは思えないですから(笑)。これは「大きなお友だち」に向けたラインナップですよ。


Photo_2実は昨日借りた10本は今朝までにほぼ徹夜で全部見ちゃいまして。止まらなくなっちゃったんですよ。で、今日また借りてきちゃいました。
でも私、お客さんの高い年齢層を考えるたびに悲しくなっちゃって。
古いレンタル店に居心地の良さを感じる私は、つくづく古いオタクだなと(涙)。

2007年12月16日 (日)

”X”Episode 11.5

遅い目覚めの後、温めのシャワーで洗った髪を乾かしながら、金曜深夜のエアチェックをぼんやり見ていた昨日の朝10時。
「なるほど。今回は「カンパニー・マン」ね。」なんて独り言に苦笑いした私は、危うく次回予告に付けられた告知スーパーを見逃す所でした。
「15日午前11時から、オアシス21で・・・」
「えーっ!初耳。なんて事なの!?」慌てて覗いた時計の針は10時30分。
これから出てギリギリ間に合うかどうか!
上着を掴んだ私は、一分後には部屋を飛び出していました。


Photo_2 私の住む街の中心にある総合イベントスペース「オアシス21」。いつもの数倍のスピードでミニバイクを飛ばした私は、会場にミニバイクを停めるのとほぼ同時に鳴り響くイベント開始のファンファーレにほっと胸を撫で下ろしたのでした。
CBCテレビの機材車をすり抜け、駆けつけた会場に展開されていたのは・・・

Photo_3親子連れや大きなお友だちがつめかけた舞台上で戦う二つの影。
エイリアンに敢然と立ち向かうあの赤い影は!




Photo_4 みんなのヒーロー、ULTRASEVENX!
Photo_5
そうです。もうすぐ最終回を迎える「SEVEN X」の番宣イベントとして、前代未聞の「X」怪獣ショーが開催されたのでした。
私が見た次回予告のスーパーはその告知だったのです。


遠目で見ると「ウルトラファイト」みたいですね(笑)。あっ!X、危ない!
Photo_6やった!Xのキックが見事に炸裂!
Photo_7 さらにXのパンチがヒット!
うーん本編では絶対見られない武闘派X。思わず山田次郎アナの気分(笑)。

Photo_8

お約束通り、司会のおねえさんも元気に登場。
ヒーローショーの定石ですが、「みんなー、ここでセブンエックスを呼ぼう!」なんてセリフが最も似合わないヒーローですねー。Xって(笑)。
でもちゃんと言いつけに従って「えっくすー」なんて叫ぶチビッ子たちがいじらしくて(涙)。


Photo子供を交えてのクイズ大会も盛り上がって。
でもみんな「X」をよく知ってるんですねー。
夜中の放送なのに。
やっぱり録画して昼間見るんでしょうね。

決して客数が多いとは言えなかったものの、Xを応援する子供の目は輝いていました。
いつの世も、ウルトラヒーローには子供を引きつける何かがあるんですね。


でもこの頃になると親子連れのみならず、デート中のカップルまで寄ってきて会場は一杯。彼氏が彼女に「今度のセブンは昔と違うな」なんてウンチクを語り出したり。楽しいものですね。ヒーローショーって(笑)。

Photo_10
Xありがとー。地球を頼んだよー(笑)。
この後、子供たちとの握手会など彼は大サービス。とっくに全話撮り終わってるから謎も解明され悩みもスッキリ解消、ご満悦の様子。
でも大変ですね。あの作品テイストとは一転してこの陽気なショーというのも。


よかった。ギリギリで間に合って。で、さらに告知が。

Photo_11 なるほど。DVD発売にプレミアステージ。
ウルトラマンもここまで大所帯になるとまるで宝塚みたいですね。
「M78組」「古代組」なんて組分けが出来たりして。
となると「L77組」は不遇だなー(笑)。

Photo_12 わずか30分のステージでしたが楽しかったー。
ヒーローショーなんて見たの、何年ぶりでしょうか。

たまにはいいですねこういうのも。
私も怪獣にさらわれて、「助けてえっくすー」なんて叫んでみたいです。
絶対助けてくれないでしょうが(涙)。

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2007年12月14日 (金)

最後の希望リトラ

先日の記事(12月9日「妖蝶舞う秘境」)で「大怪獣バラン」についてお話したところ、皆さんからも「その露出の低さゆえパランが不憫(笑)」というご意見を頂き、抱く印象は同じだなーと思いを新たにした次第で。
まーもともとテレビプログラムとしてスタートした作品ですからねー。あの作品、例えば「ウルトラQ」など30分枠とか、「AGONアゴン」などの30分二話完結(二話一部と考えてね)ぐらいのドラマスケールが丁度良かったのかもしれませんね。

Photoちょっとそんな事を考えていたら、久しぶりに「Q」を再見してみたくなりまして。
で、最初に見たのが「ゴメスを倒せ!」(1966年1月2日放送 円谷一監督)でした。

この作品は、もう「ネヴュラ」読者の皆さんの方が詳しいくらいですよね。
現在まで連綿と続くウルトラシリーズの元祖にして最高傑作の呼び声も高い「ウルトラQ」の第一話です。
「Q」が当時の海外SFテレビ「世にも不思議な物語」「トワイライトゾーン」「アウターリミッツ」などをイメージして企画された事は有名なお話。製作が進むにつれ、放送局であり発注主のTBSの意向によって、SF路線から怪獣路線に変わって行った事も今さら語るまでも無いでしょう。
今考えると、その路線変更が無ければ続く「ウルトラマン」が企画されなかったかもしれない訳ですから、つくづく物の転び方は恐ろしいなーと考えちゃったりします(笑)。

毎度毎度のお話でまたかと思われるかもしれませんが、この「Q」、今見ても凄いですねー。
ご存知の通り、「Q」は劇場映画と同じフォーマットの35ミリフィルムで作られていますから、その画面のキメの細かさは「マン」以降よりはるかに上なんです。しかもデジタルリマスターDVDのキレの良さ、ドルビーデジタル2CHステレオの迫力は、「もし劇場でQを鑑賞したらこんな感じなんだなー」なんてバーチャルな感覚まで体験させてくれる優れもの。
思わず真夜中、明かりを全て消して見たりして。


Photo_2で、件の第一話「ゴメスを倒せ!」なんですが。これは本当に本格的テレビ特撮番組の初回にふさわしい、豪華な作品ですね。
放送日は1月2日ですから、そりゃまー子供から大人までブラウン管の前で大騒ぎ、子供は冬休みの上、お年玉とおせち料理まで重なってまさに「怪獣と正月が一緒に来た」驚天動地の一大事。
お父さんはほろ酔い気分で「なんだこりゃー。今度のゴジラは角があるのかぁ~」なんて笑っていたのかもしれません。

テレビがお茶の間の主役だった時代、この「怪獣プロレス」はきっと週に一度の大イベント、楽しい一時だったに違いありませんね(笑)。


Photo_3そのお父さんの解析はまんざらデタラメでもなく(笑)、この「ゴメス」は「Q」放映の二年前、1964年に公開された東宝映画「モスラ対ゴジラ」(本多猪四郎監督)のゴジラの着ぐるみを改造したもの、という定説があります。
私がこの「ゴメスを倒せ!」を見たのは「モスゴジ」リバイバル公開(1970年)後の再放送だったと記憶しているのですが、初見ではゴメスがゴジラの改造とは思ってもいませんでした。
「怪獣の着ぐるみは一体一体完全オリジナル」と信じていた私は、そもそも着ぐるみを「改造する」なんて発想は微塵も無かったのです。
当時の私の目は「ALWAYS」のロクちゃんのように澄んでいたのでしょう(爆笑)。

Photo_4このエピソードに「Q」初回を飾るだけの豪華さを感じる大きな理由は、何より怪獣対決物という事でしょう。ゴメスと対戦する鳥獣リトラは「三大怪獣地球最大の決戦」(1964年 本多猪四郎監督)のラドンの着ぐるみを改造したとの事。
「三大怪獣」のゴジラは「モスゴジ」のゴジラの着ぐるみを流用しているそうなので、「ゴメスを倒せ!」では「三大怪獣」のゴジラ対ラドンが、ゴメス対リトラという形で再現された形になります。なーんて事はどこでも書かれていますね。ごめんなさい今さら周知の事実を(笑)。

この「ゴメスを倒せ!」を見ていてつくづく思うのは、「Q」は怪獣が既に存在する世界を描いているんだなーという事です。
洞窟でゴメスと遭遇する万城目・由利子コンビは相手の「巨大生物」という部分に驚いている様子が見受けられず「奴の為に退路を絶たれた」という事を気にかけている様子ですし、洞窟の外のジロー君たちに至ってはゴメスを倒す為、天敵として存在するらしいリトラの孵化を画策する始末。
(リトラが人類に牙を向く事など微塵も考えていない所がもう(笑)。
いかに製作第12話とはいえ、この空気感が最終話まで貫かれている辺り、つくづく「Q」独特の世界が形作られている事を感じます。


考えてみれば当たり前の事かもしれません。1966年当時、ゴジラシリーズは既に第6作「怪獣大戦争」(1965年 本多猪四郎監督)までが公開され、怪獣という存在は世間に完全に認知されていました。
前述の「怪獣大戦争」は65年12月19日の封切ですから、「Q」放送開始時期とも重なっていた訳です。

家にテレビがあり、二学期の成績が良かったお金持ちの子供は(笑)当然「大戦争」にも連れて行ってもらいゴジラの「宇宙演技」に酔いしれたまま翌年明けには「Q」の洗礼、お正月まで怪獣まみれの日々を過ごせた事でしょう。なんて羨ましい(涙)。
そんな子供たちにとって怪獣はもう「居て当たり前」。劇中ほんの少し語られるゴメス・リトラの出目も、その解説が両怪獣掃討のヒントとなる訳でもなく、とにかく「ゴメスはリトラで倒せる」という論理にすり変わるあたり、仮説がストーリーを導く怪獣映画らしい展開が実に小気味いいばかりで嬉しいものがありますね。
ただいくら怪獣が居る世界といっても、そこにはそれなりに納得のさせ方が必要なのも事実で。結局この手の作品は観客をその世界に誘う「嘘と現実のさじ加減」が重要という事なのでしょう。


このエピソードを再見するたび感心するのは、「あれっ?それはないでしょう」というストーリー上のアラがほとんど見当たらない所ですね。
舞台をトンネル工事現場に限定した事や怪獣の出目を古いお寺「洞仙寺」の言い伝えに頼った事、言い伝えはあくまで神仏的もので、そこにジロー君の「学術的知識」が加わる事でリアリティーを獲得するという二段構えが良いんでしょうね。
最近の作品によくある「悪が・救世主が」的な個人を特定する展開じゃないところが、絵空事感をギリギリで回避する秀逸な設定だと思います。


Photo_5で、そろそろいつもの「おバカな私見」に移らせて頂きますと(今回はないと思ったでしょ。これがないとお話している意味が無いので(笑)この「ゴメスを倒せ!」のフォーマットは、あの大ヒットした怪獣映画に通じる所があるよねー、なんて考えてしまって。
そうです。今日のサブタイでそのほとんどは言い尽くしているんですよ。

「最後の希望リトラ。」
皆さんが気づかれた通りです。この「ゴメスを倒せ!」というお話は、あの「ガメラ 大怪獣空中決戦」(1995年大映 金子修介監督)に通じるものがあるような気がするんですよ。


「いやーオタクイーン、今回ばっかりは納得できないなー。あの怪獣映画の大傑作を「Q」と比べるとは。こじつけもいい加減にしなさい。年末で忙しいんだから。」なんて声も鬼のように聞こえてきますが(笑)。
私だって「全く同じ」とは思っていないんですよ。何と言うか、「虚構と現実の綱渡り加減」が似ているというか、そんな印象なんですよね。


まー確かに「大怪獣空中決戦」の世界観・リアリティーが「フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ」を参考にしたという事は事実でしょう。
作品中に表れる様々な画面設計、怪獣掃討の描き方は間違いなく「サンダ対ガイラ」のそれです。ガメラ初上陸時のサーチライト描写なんてまるっきりそのものですしね(笑)。
ただ監督・金子修介氏、脚本・伊藤和典氏は作中のガメラ・ギャオスの設定をサンダ・ガイラのそれにはしなかった。
1990年代にふさわしい「バイオ兵器」という言葉で「のり切った」訳です。


Photo_10アトランティスの超古代文明が遺した超遺伝子獣・ギャオス。その遺伝子は人為的に操作され、雌雄同体の為自己増殖も可能。ところがそれが災いし、勝手に繁殖し自らの文明は危機に瀕する事に。そこで彼らが生み出したカウンター・ウェポンこそ、同じくバイオ兵器ガメラという設定です。
言わばガメラはギャオスの「人工天敵」として作られた訳ですね。

これは怪獣映画永遠の命題にしてどうしてもクリアしなければならない「怪獣同志は何故戦うのか」というストーリーの根幹を納得ギリギリで乗り切る、プロット上の「苦しい仕掛け」だったと思います。
おそらくこの仕掛けがなければ、平成ガメラも昭和ガメラ並みの世界観に留まっていたでしょう。となれば当然、金子監督も伊藤氏もあそこまでのリアリティーは構築できなかったはずですし、そもそもこのお仕事を降りていたと思います(笑)。


この仕掛けの上手い所は、劇中でもただ一人として「ガメラもギャオスも超遺伝子獣に間違いない」とは明言していない部分で。碑文やら勾玉やらDNA解析やらでなんとなく「そうらしい」と言っているだけなんです。これは巧妙なシナリオ上の戦略なんですが、私達観客はそれらの描写の積み重ねによってなんとなく「そういう事なのかなー」と思わせられる。
平成ガメラ三部作の根幹を成す作劇上のリアリティーは、この虚構と現実の微妙な綱渡り加減によって成立しているのです。

以前お話した「平成ガメラは亀の居ない世界」という気づかない配慮も含め、元来絵空事の怪獣映画には実に難しい「嘘のつき方」が必要なんですね。(「邪神覚醒」あたりはちょっと伝記的趣味が出すぎて、ややイリスのリアリティーを描ききれなかったきらいもありますが、それでも充分及第点の出来と思います。)


Photo_6「ゴメスを倒せ!」にも秀逸な「綱渡り」があります。あまりスポットが当たりませんが、実はこのストーリーの肝は「ジロー君」の存在に集約されているんですね。
シナリオ上でどこまで計算されていたかは分かりませんが、私たちがこの作品のアンバランス・ゾーンに落ちるきっかけは、おそらくあの「ツヅレシジミ貝の化石集団」「デスモスチルスの上顎骨」というセリフでしょう。
「デスモスチルス?あー聞いた事あるな」と思わせるあのさじ加減。

後の文献で件の生物の化石を見ましたが、とても「母ちゃんの耳かき」とは思えない形と大きさ(笑)。ただ私たちはそのもっともらしいセリフで、なんとなくこの子はその手の世界に詳しいと思わされちゃうんですね。
本放送当時、このセリフを聞いて「いや、あの上顎骨は耳かきとはかけ離れた形だ」なんて思った子供が居たでしょうか。
それほどまでに彼のあのセリフはリアリティーがあったのです。


ですからその時点で、作品世界中で彼の推測は真実なんだなと思わせる「仕掛け」が出来るんです。「ガメラ」の中山忍の役回りですね。あの「洞仙寺の古文書」はガメラで言う「碑文」にあたり、古文書の記述は「時の揺りかご云々」という碑文の一節に符合する訳です。
しかもジロー君の場合、ダメ押しに「学名」まで出してくるという。
「ゴメテウス」「リトラリア」と架空の学名が、どれ程までに私たちの心をかき乱した事か。「ゴメスを倒せ!」というタイトルなのに、「ゴメス」は学名の略称という渋さ!

第18話「虹の卵」の「パゴタトータス」にも見られる、この架空の存在の実在を信じさせる手法は、当然の事ながら東宝怪獣映画で培われたものなのでしょうが、これ、今でも通用しそうな気がしますね。新種の古代生物が続々と発見され、これまでの研究結果が大きく塗り替えられている考古学の現状を見ると、この手法はかえってリアリティーを持つような気もします。
この「嘘温度」はおそらく「大怪獣空中決戦」に於ける「ルウム文字」という設定に近いものなのかもしれません。


Photo_7また「ゴメスを倒せ!」のリトラとゴメスの関係は、ガメラとギャオスのそれに非常に近い印象があります。
この両者はバニラとアボラスとも、グドンとツインテールとも違う関係ですよね。リトラは言わば「ゴメスにとって天然のカウンター・ウェポン」なのかもしれません。

リトラは最初からゴメスとセットで生息し、何らかの意味を持ってゴメスを仕留める使命を帯びている。
必殺の「シトロネラ酸」はゴメス以外には使わない。何故ならそれはまさに必殺武器、使えばリトラは命を失うのですから。言わばそれは、ガメラの「ウルティメイト・プラズマ」に通じるものなのかもしれませんね。


Photo_8怪獣対決という共通のフォーマット、さらに仮説を含めたディテールの積み重ねによって見る者に怪獣の存在を認識させるこの二作が、ある意味「新時代の怪獣映画」のきっかけに位置付けられるのは不思議な気がします。
「ゴジラの存在に理屈は不要。大きくて強い奴でいいじゃないか」という論調にはどうしても承服できない私などには、その「綱渡り」が秀逸なほど、作品にのめりこむ事ができるのです。
私が「GMK」に心酔する理由は、そんな所にあるのかもしれませんね(笑)。


ご幼少の頃、きっと「ゴメスを倒せ!」を見ていたであろう伊藤和典氏。
リトラを怪獣演出の「始祖鳥」と感じ、怪獣映画復興の「最後の希望」にあのテイストを持ち込んだとしても不思議ではないのかもしれません。
まー怪獣好きのおバカな推測、ご立腹なさらぬよう。
あまりの暴論に、原子銃で撃たないで下さいね。
私はガンマー光線銃を持ってないんですから(笑)。

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2007年12月11日 (火)

チャンスを呼ぶ才能

冬の寒い夜。お仕事のスタッフと一緒に鍋を囲んだその場所は、私の自宅、オタク部屋。その日の主役は「彼女」でした。
その数日前、彼女から新しいお仕事について聞かされた私は、気の置けない仕事仲間と彼女のお祝いパーティーを開いたのでした。
「すごいですねーこれは。」オタク部屋を初めて見た彼女はしきりに感心していましたが、その彼女が今、これ程までにビッグになろうとは(笑)。

今日のお話は、前回の記事「眩い原石」(12月9日(月)の続篇です。
未見の方は、前回からご覧頂けば内容がよりお分かり頂けます。


お話は、冒頭から少し遡ります。
そのたぐい稀な才能に恵まれながらも、地方在住ゆえお仕事に恵まれなかった彼女は、それまで決して活躍していたとは言えませんでした。
しかし不思議なもので、何故か彼女の所属する事務所側は彼女を見捨てず、僅かながらもお仕事を回し続けていたのです。
事務所所属の別のタレントから聞きました。
「マネージャーに気に入られるタレントっていうのが居るんですよ。
別に何もしてないのに。彼女なんかそういうタイプかな。」

彼女の先輩に当たるその女性タレントは、やや羨ましそうにつぶやきました。


その解析は当たっていたのでしょう。確かに彼女には不思議な魅力がありました。素顔の彼女は非常に人なつっこく、たまに「あの子、何してるかな」などと思い出させる何かがあったのです。私もお仕事の用に限らず、彼女とプライベートでコミュニケーションをとっていました。
「あんたお仕事あるの?バイトは順調?私の番組で使ってあげよか?」「だーいじょうぶですよー。」なんて軽口を叩きあう日々。そんな中、彼女から新しいお仕事の知らせが。その内容は私にとっても意外なものでした。


それは地元局のローカル番組。泉谷しげるとキャイーンを司会とするお笑いスターオーディション番組で、番組に応募してくる地元の素人さんを毎週オーディションでふるい落とし、最終的に残ったメンバーをタレントとして売り出そうという趣旨のものでした。
あろう事か、彼女はタレントとしてではなく、一般人に交じってその番組のオーディションに参加する事となったのでした。


「それ、事務所の指示?」「ええ。タレント事務所からは私一人がピックアップされて。」不思議な事もあるもんだなーとは思いましたが、それでも半ば身内のような彼女の事、「チャンスなんだからお祝いしなくちゃね」と、私は鍋パーティーを思い立ったのでした。

たった四人のパーティーでしたが、その夜は楽しいものとなりました。家庭の事情で、あまりご両親とのコミュニケーションが密でなかった彼女は、最初はそういったアットホームな場での身の置き方に困っていたようでしたが、やがて持ち前の「狂気」から(笑)私たちを異世界に案内してくれたものです。

その夜を境に、彼女と私とはまるで昔から親しかった友人のような仲となりました。「ロボコンのストラップを買ったんですよ。欲しいでしょー」なんて屈託なく話す彼女を、私はまるで妹のように感じたものです。ローカルの深夜番組ではあるものの、彼女の露出は少しずつ増えていきました。
しかし人生、山あり谷あり。オンエアを見ていた私はやや不安な気持ちに捉われていました。
彼女のギャグが全然面白くないのです。


彼女の真骨頂はその不思議な世界観にありました。自由にやらせてやる事が彼女を伸ばす最良の手段だったのです。ところが番組はその真価を封印、あるシチュエーションを彼女に与え、他の素人さんと一緒にコントを演じさせる演出に出ました。これが絶望的に笑えない。
ただ、これは仕方がない事かもしれません。私も演出側の苦悩はよくわかります。自由にやらせるには彼女はキャリアがなさ過ぎました。番組を成立させる上で、その構成はリスクが高すぎるのです。
製作側は安全策を狙う事で、彼女の才能を探っているようでした。

それは非常に真っ当な姿勢。私も彼女を知らなければそうしていたでしょう。
彼女自身も悩んでいました。「昨日のオンエア、私どうでしたか?」事ある毎に相談を受ける私は返事に困った事も数知れず。しかしそこで私は、彼女が自身の目標をお笑いタレントに定めた事を知りました。

「関根勤さんが憧れなんですよね。いつか共演したいです。」
「またまたー。あんたがそこまでビッグになれるとは思わないけど。」
「やりますよー私は。見てて下さい。」
そんな彼女の横顔には、いつもの自信と狂気が満ち溢れていました。
本当は不安なくせに。そんな空元気も、私には可愛く感じましたが。


深夜としてはそこそこの視聴率を上げながらも、番組はやがて終了しました。半年から一年程度のオンエア期間だったと思います。彼女自身の人気も地元ではさほど盛り上がらず。中途半端な印象は逃れられませんでした。
ところがここで、また彼女の不思議な運と才能が開花するのです。

件の深夜番組が進むにつれ、彼女は何人かの素人さんたちと小さなグループを形成していきました。彼女ら芸人の卵数人に加え、構成作家志望の女性もメンバー内に居たおかげで、そのグループは番組終了後、一つの劇団として独立する流れとなったのです。
まるでストリートミュージシャンのように、彼女たちは小さな劇場でお笑いライブを開きながら、少しずつファンを増やしていきました。

一定区間のごく狭い地域をフォローするラジオ、コミュニティーFMのお仕事なども貰い、彼女たちの劇団の知名度は僅かながら上がっていったようです。
「吉本なんてつまんない。」それが彼女たちの合言葉でした。自分達はどこの事務所にも所属しない。新しいお笑いを目指すんだ。彼女たちのそんな心意気に惹かれた私は、自分なりに彼女を支援する事を誓いました。
ちょうどダウンタウンの人気が安定し、お笑いスターのエアポケットがあった時期。思えば現在のお笑いブーム前夜だったのでしょう。
思えば私も、当時のお笑い界に不満を感じていたのかもしれません。


キャリアだけは長く、曲がりなりにも名古屋中の放送局に出入りが出来た私は、付き合いのあるプロデューサーに片っ端から彼女を売り込みました。企画を練り、ライブのVTRをバッグに忍ばせて局を歩き回る日々。
ですが現実は決して甘いものではなく。当時の彼女たちを面白いと感じるほど、名古屋という土地は先鋭的ではなかったのです。
「こんなのつまんないよ」「視聴者にはウケないねー」「こういう芸風は流行らないよ」
ことごとく浴びせられる冷たい反応に、彼女と深夜のファミレスで苦渋を舐める毎日が続きました。ただそんな不遇の中でも、彼女は決して諦めませんでした。
「こんなの面白いと思うんですけど」「これはウケますよ」嬉しそうに企画を語る彼女。
「うーんでも、名古屋って土地は保守的だからねー。今のあんたを受け入れる素地が無いんだよ。」そんな現実を言わざるを得ない私に、彼女の目はますます鋭さを増すのでした。

彼女が東京行きを知ったのは、それから間もなくの事でした。

お恥ずかしいお話ですが、私は彼女から東京行きの相談を受けませんでした。
きっと、相談すれば私は止めると彼女は思ったのでしょう。
彼女からの一通の手紙により、私はその事実を知ったのでした。

東京でも彼女は、地元と同じようにアルバイトで生計を立てながら、目標に向かって頑張っているようでした。彼女からの手紙や年賀状の文面にはいつもながらの自信や狂気が満ち溢れていましたが、私にはそんな元気な言葉を見れば見るほど、その裏に潜む彼女の不安や絶望感を感じるのでした。
「私、どうしたらいいんでしょう。」こんな言葉が口癖だった彼女。
でも、慣れない土地で、今頑張る彼女を応援していたい。
「疲れたらたまには帰っておいで。」私には、返事の末尾にそんな一言を添えるのが精一杯でした。


そんなやりとりが続く事数年。いつの間にか、彼女からの連絡も途絶えがちになっていました。便りが無いのは元気の印なんて思いながら、私も日々の忙しさに追われていたと思います。
深夜番組で突然彼女の姿を見かけたのは、そんなある日の事でした。

ネプチューン・釈由美子ら、当時の第一線タレントと堂々と渡り合う彼女の姿に私は狂喜しました。「全国ネットで彼女の姿を見られるとは!」
その時期を皮切りに彼女の露出は日増しに拡大、「エンタの神様」でブレイクを果たした後は、一週間の間で彼女の顔を見ない日は無いほどの売れっ子ぶりとなりました。
現在も続くお笑いブーム。今思えば、彼女はそのブームの一翼を担った存在だったのでしょう。深夜のファミレスで彼女が語った熱い思いは、今、全国を舞台に現実のものとなったのです。


ただこの事は、私にとっては痛し痒しの部分もありまして。
地元タレントが全国区となったとき、私達地方局のディレクターは彼らの不遇な頃や素顔を知りすぎているゆえ、タレントとして見られないんですよ。
身内としての感覚がどうしても先に立ってしまう。

テレビ屋である私にとって、お笑い番組やトーク番組はその演出手法、いわゆる舞台裏が透けて見えてしまうという大きな弊害があります。
その弊害ゆえ、まず楽しめた事はありません。
タレントの発言が台本によるものなのか、アドリブなのかが判断できてしまう。そうなると今度はそのタレントが「台本どおりで手を抜いている」のか、「アドリブを連発していい仕事をしている」のかが分かってしまう。さらに「その発言により場の空気がどうなったか。そこでカットを割ってあればそのタレントは発言を間違えた、あるいは周りのタレントがフォローしそこなった」まで見えてしまう。そんな因果な見方しか出来なくなってしまうのです。
数十回に一回あるかないかの、爆笑できるファインプレーを楽しみにするしか無いんですよね。


そんな見方が染み付いてしまった身には、番組内の彼女の発言がものすごく気になってしまう。
気弱でピュアな彼女の素顔を知っているだけに、「キレ芸」と言われる強気の発言の中、ちょっとした隙に見せる「しまった」という表情や、進行を気にして言い淀む気持ちの揺れまでが分かってしまうのです。
歌の一節ではありませんが「あの子は嘘をつくとき右の眉が上がる」という感覚に近いものがあります。「本音風にトークを展開する事」がお仕事であるタレントゆえ、決して見抜かれてはならないそんな表情や仕草が、彼女に関しては痛いほど見えてしまうのです。

それは他のタレント以上に心配なもので。彼女を通じてスタジオ内の空気まで感じられるというのも、決して大げさな表現ではありません。


ですから私は、彼女が出演するバラエティー番組を心から楽しめた事はこれまでありません。「今日は何かあったな」「今夜はノってるな」という親心のような気持ちが湧いてしまうのが本音です。発言がウケれば「ナイスショット!」なんて喜ぶ事も。
最近はミラクルショットも増えてきた彼女。腕を上げたなーなんて妙な安心もしたりして。


でも私は彼女の姿を見る度に、彼女をそこまで大きくしたものはいったい何だったのかと考えます。
確かに彼女本人の「狂気に裏打ちされた自信」「自分を信じる力」である事は当然でしょう。でもそれ以上に、成功する人間には何か別の力が働いているような気がするのです。私のような凡人にはない、特別な力。
今日のサブタイにある「チャンスを呼ぶ才能」とでも表現する力を、身近で彼女を見ていた私は強く感じざるをえません。
偶然が偶然を呼び、絶妙のタイミングで成功への道を開く才能。
そればかりは彼女本人にも自覚できないものなのでしょう。

冒頭の先輩タレントの「マネージャーに気に入られるタレント」という一言が、その全てを物語っているのかもしれません。


冒頭の自宅鍋パーティーの席上で、ある面白い事がありました。
場の余興として、以前お話した「特撮テレビ・映画オープニングイントロクイズ」を行った時の事です。VTRで流れるオープニング映像を見て作品を当てる他愛の無いクイズでしたが。
当然の事ながら、かなりのマニアしか分からない高難易度の問題ばかり。
ハンズで買ったクイズ用早押しマシンまで用意して臨んだ本番。ある特撮番組のイントロが映し出された瞬間、彼女の手が早押しボタンにかかりました。


彼女は叫びました。「バビューンマン!」

そうです。お察しの通り、その番組は「光速エスパー」だったのです(笑)。
今思えば贅沢ですよね。わずか30センチ手前で彼女のボケが見られるなんて。しかも私のためだけに(笑)。


光速エスパーのように「バビューン」と時代の先端を駆け抜ける彼女。
私と過ごした不遇の日々はとうに忘れてしまったかもしれませんが、今でも私は地元で貴女を応援しています。いつもちょっと心配しながら。


がんばってね。青木さやかさん。

2007年12月 9日 (日)

眩い原石

「ネヴュラ」も開設後、今日で記事数が400本目となりまして。
400本って。始めた当初はこんなに続くとは思ってなかったですねー。
まー途中でちょっとお休みもありましたが(笑)。

ちょっと昔の記事を読み返してみましたが、相変わらず記事の内容は変わってませんねー。おバカなお話ばっかりで。
でもそれなりにいい記録にはなっていると思います。
こんなに続けられたのも、皆さんの温かいコメントや応援のおかげです。
これからもこんな調子で細々と続けていきますので、どうぞよろしくお願い致します。


さて。400本目の今日は、どんなお話にしようかとあれこれ考えていました。
で、まあ400本も続いたという事で、今日は「継続」というキーワードで、私が関わった一人の芸能人についてお話しようと思います。
おそらく皆さんの中で、その名前をご存知無い方はいらっしゃらないでしょう。
とはいえ、地方局の一ディレクターに過ぎない私。大したお話などできません。
いつものおバカな昔話ですので、そのおつもりでお聞き下さい。

今も昔も、芸能界で活躍しているタレントはそのほとんどが東京へ進出し、東京で認められてその存在が全国発信されます。その格付けは厳然としたものがあり、吉本で気を吐く大阪地区でもそれは同じ。いかに大阪で人気があっても、やはり東京からの全国区人気には一歩譲るのが現状なのです。
芸能界においてはタレントの地域格差は大きいと言わざるを得ないでしょう。
ですから私が暮らす名古屋などは、その事情がさらに顕著に表れます。地元局で活躍するタレントや局アナはことごとく東京進出を狙い、うまくそのチケットを手にした者は周りの見る目も変わる。言わば「箔が付く」訳です。
ただそういう場合でも、ほとんどはキー局の早朝・深夜のニュース、ワイドショーなどの現場リポーターとして使い捨てにされるのが現状です。悲しい事ですが、要はキー局は自局の局アナを大事にしたい訳ですね。ですから前述のような過酷な現場は地方出のタレントに任せてしまう。
東京に夢を持って旅立った仲間の何人かも同じ体験をしています。

彼女の場合も、最初はそういう線を狙っていました。

初めて彼女に会ったのは十年以上前の春先。地方局のスタッフ控室でした。
その日は、春から始まる新番組の第一回収録日。その年からタレント事務所に所属した彼女は、その番組が初仕事でした。
ピカピカのリクルートスーツにまるで「着られている」ような動きの彼女は、初々しい挨拶をそれもまたぎこちない笑顔に包んで差し出してくれました。


当時、それなりに現場経験も積んでいた私は、その番組にもさほどの難易度を感じなかったのですが、何もかも初めての経験の彼女にとってそれは大変なプレッシャーとなったようでした。
まー何しろ県の広報番組のアシスタント。スタジオに司会者と並んで座り、ゲストを交えて固~いお話をする45分間番組ですから、たとえ台本があっても緊張するのが当たり前だったかもしれません。


局名は伏せますが、その局は何故かタレントに対してあまりコミュニケーションを密に取らない方針だったようです。
その番組も午前と午後の収録間に昼食タイムがあったんですが、キャスト・スタッフ全員で食べに行くのが通例のその昼食、「食事は個々で採って開始時刻に再集合」という扱いで。彼女は局にポツンと一人取り残されたまま、お店を決めかねているようでした。
「テレビ局って、みんなこんな風にバラバラでお昼を採るんですか?」
彼女のそんな問いかけに私は苦笑し、一緒に近くのパスタ屋さんに出かけました。今思えば、それが彼女と親しくなったきっかけだったのかもしれません。


見かけよりもはるかに繊細で小心者の彼女は、常にカメラ目線や発言の内容、割舌や発音に注意を注いでいるようでした。
「私、どうしたらいいんでしょう。」それが彼女の口癖でした。
あれこれ心配しすぎる彼女に、私はテクニック面よりも気の持ち方、番組内容の把握など根本面を教えて行きました。


これは全国どこでも同じですが、放送局のアナウンサーというのは二つの出目があります。一つは純粋に局で採用される「局員」。もう一つは局がタレント事務所などから出向させる「契約」というものです。
「局員」は皆さんもご存知の通り、高学歴の上高い競争率を勝ち抜いて掴み取る言わば「サラブレッド」。お坊ちゃま、お嬢様の世界なのです。
ですからそれ以外の「平民」がアナウンサーの座を勝ち取るには、タレント事務所に所属し「契約」を狙うのが最も確実、かつ近道。
彼女もそんな現状を知り、「契約」を狙って様々な局の試験を受けました。(「契約」でも試験はあるのです。)
ところが彼女はそのどこにも引っかからなかった。今回の番組アシスタントもその番組のみの契約で、月一回だけスタジオ入りが許される「にわかアナウンサー」だったのです。


局アナを目標とする彼女にとって、その一日は大変貴重なものでした。
しかし月に一日だけのお仕事ではとても生活は出来ません。
事務所に頼んで仕事を回してもらうよう頑張る彼女でしたが、仕事が来ない日は自宅近くの雑貨屋さんのアルバイトで生計を立てていました。
「私、結構センス良いって言われて。お店の棚のディスプレイを一つ任されてるんですよ。」そんな風に嬉しそうに話す彼女。
お仕事に対して貪欲になる他のタレントに比べ、彼女はあまりにもピュアで優しすぎました。そんな彼女に対し「この業界には合わないんじゃ」という言葉を飲み込んだ事も一度や二度ではありません。


ある日、こんな事がありました。
その日は彼女をリポーターとして使った取材ロケ。地方のある村へ出向き、そこである偉い方(現在、ある大臣さん)に密着するというものでした。
スタジオトークだけでは彼女の真価が発揮できない。
そう判断した私の提案が通ったのでした。
取材は二泊三日の泊りがけだったのですが、何日目かの朝、その村で行われる村祭りを取材に、名古屋の有名女子アナが村へやってきたのです。
取り巻きも多く豪華な彼ら取材陣に比べ、
私たちの取材チームは少人数の上、肝心のリポーターは彼女一人のみ。
そんな中、間の悪い事に、彼女とその女子アナが二人きりではち合わせしてしまう事態に。

件の女子アナには決して悪気は無かったと思います。二人はほんの一言挨拶を交わしただけでしたが、彼女の目には羨望の色が浮かんでいました。
と同時に「ここでは終わらない」という闘志の色も。


取材中、定宿としていた村のひなびた旅館での夕食時、彼女はよく笑い、また語ってくれました。行き帰りの移動車の中でも彼女の舌は冴え渡り、家族の事、今の生活の事、未来の夢の事などよく語り合ったものです。
知り合った当時は心を閉ざしていた彼女の新たな一面を垣間見たような気がして、妙に嬉しかった事を覚えています。

そんな他愛も無い会話の中で、私は彼女のある才能に気づきました。
彼女には天性の「狂気」があるのです。
本人は普通に話しているだけなんですがどこか可笑しい。ちょっと常人と外れた部分が顔を覗かせる。

例えばこうです。「私、詩を書いてるんですけど。浮かぶとこのノートに書き付けてるんですよ。ちょっと読んでもらえませんか?」とノートを差し出す彼女。
どれどれと覗き込んでみると、そこにはもう文章として成立していない意味不明の言葉の羅列が(爆笑)。
「これ、どういう事を言ってるの?」
尋ねる私に怪訝な顔で彼女は一言。
「分かりませんか?いやー私、天才だと思うんですよねー。」


こんな事もありました。それはあるビルの中、彼女が窓から外を眺めているカットを撮ろうとした時の事です。彼女に「そこに立って、なんとなく外を見ていて」と指示した私。彼女も指示通りに窓から外を見ています。
カメラはそんな彼女のバックショットから横へ回り込み、バストショットまでドリーして行くんですが、その動きの撮影途中、カメラマンがこらえ切れなくなって突然ゲラゲラ笑い出したのです。実は横でモニターを見ていた私も、こみ上げる笑いを必死にこらえていました。
何故でしょう。窓から外を見ているだけなのに妙に可笑しい。彼女は可笑しい事を何もしていません。でも「空気が可笑しい」んですよ。
事情が分からない彼女は、自分のミスじゃないかとオドオドするばかり。


「これはすごい才能じゃないかなー。」
なにしろ私がそれまでお仕事を共にしたタレントの中で、こんな空気を持つ存在は居ませんでした。私は彼女から「新しい何か」を感じたのです。


そんな日々の中、彼女の心境も少しずつ変化していったようです。きっと私の他にも、彼女の奇異な才能に気づいたテレビ関係者は多かった筈ですから。彼女は周りからそれを指摘され、自分の知らなかった一面を自覚したのだと思います。
彼女が、多くの地方タレントが抱える一つの壁に直面したのは、それから間もなくの事でした。

テレビ業界の現状に詳しい方はご存知と思いますが、地方在住のタレントにはある「越えられない壁」があります。
「東京ほど市場が広くない地方では、個性的なタレントは使いづらい。」

これは流通業界でも同じ事が言えますね。市場の広い東京のような場所なら、ある程度マニアックなお店でも来客・購買層が見込めるから商売として成立するけど、地方ではそれだけのお客さんが居ないから、個性的なお店が成立しないという理屈です。
今はネットショップの普及などでその壁も少しずつ崩れ、あえて地方での開業を売りとするマニアショップも成立しているようですが、10年以上前の当時は事情が違いました。
タレントの場合、個性が強ければ強いほどその個性に合ったお仕事が少ないという事になる訳です。言い方は悪いですが、どんなお仕事もそつなくこなす「なんでも屋」が珍重される市場なんですね。


彼女の個性はその壁の前に、もろくも崩れ去ろうとしていました。
彼女はそのたぐい稀な才能を押し隠しながら、ひたすら「普通のタレント」としてお仕事をこなしていたようです。もちろん東京進出を狙いながら。
しかし根本的に、地元でお仕事が無ければ東京など夢のまた夢。

「私、どうしたらいいんでしょう?」そこには自らにそんな問いかけを繰り返す彼女の姿がありました。相談を受ける私にも答えは出せず。
でも何故、彼女はそこまでしてお仕事を「継続」していたのでしょうか?
当時の私にはそれはよく分かりませんでした。
局アナへの憧れ?お仕事への興味?それとも・・・


彼女に転機が訪れたのは、それから間もなくの事でした。



お話はまだまだ続きますが、ちょっと長くなりそうです。
やっぱり一人の人間の歴史ですから、簡単には語れませんね。
続きは次回にしましょうか。
400回記念のお話が前後篇になっちゃうとは。まったく予定外でした(笑)。

妖蝶舞う秘境

まさに英断!
一泊二日200円という超高価(笑)なレンタル代を投げ打って、数年ぶりに対面したこの作品。久々の東宝怪獣映画に、おバカな胸も高鳴ります。
(どこまで貧乏なんでしょう私。年末は何かと散財も多くて(涙)。

Photo「大怪獣バラン」(1958年東宝)。「ゴジラ」で手腕を揮った東宝名トリオ、本多猪四郎・円谷英二・伊福部昭氏が「空の大怪獣ラドン」(1956年)に続いて製作した怪獣映画です。
この作品、「怪獣造形の素晴らしさとストーリーとの落差が大きい」とか、「背中のトゲトゲの形により、お弁当などに付ける緑の間仕切り「ばらん」の語源となった」など、あまりパッとしない話題でしか取り上げられませんね(笑)。

私がこの作品を初鑑賞したのは25年ほど前。作品自体は50年近く前のものなんですが、なにしろ前述の理由でとにかく露出が少ない。テレビ放送なども行われたと記憶していますが、残念ながら私はそのオンエアには立ち会えませんでした。ですから初見はビデオソフト。その当時、やっと東宝ビデオからリリースされたそれを、今よりはるかに高価なレンタル費を同好の友人と割りカンで支払い、目を皿のようにして見入った記憶があります。

この作品、識者の方々にはかなり酷評を受けているようで。ネットで検索しても、さすがに的を得たごもっともなご意見ばかり。
確かにゴジラやラドンほど語り継がれる魅力に乏しい印象のようです。
ところが私、この「バラン」については、それほど悪い印象は無かったんですよ。

Photo_2自分のブログなので正直に言いますが、25年前に初見を果たした私には、「なんてストレートな怪獣映画。「ゴジラ」の核、「ラドン」の絶滅種に対する悲哀、なんてしかつめらしい裏テーマが無い分、ストーリーは怪獣掃討だけに集中している。テーマに引きずられない分、非常にスマートにまとまったハンサムな作品」という印象だったのです。
その印象は私の若さによるものだったのかもしれません。確かに当時、怪獣映画は絵、迫力第一主義だった私には、芹沢博士の苦悩や阿蘇の火口で燃え尽きる紅蓮の巨鳥の悲しさに共感できる程、作品を深く読み取る事が出来ませんでした。
「バラン」はそんな私に強烈なカウンター・パンチを与えてくれた作品だったのです。「怪獣映画ってこう作ればいいじゃん。」なんて。
当時の私は今にも増しておバカだったんですね(笑)。


昔からよく言われている事ですが、映像作品に限らず文学や音楽、絵画なども、それを鑑賞する年齢によって感じ方が違うものですよね。
よく映画の感想などにある「初見ではこう思ったけど、今見ると・・・」的な印象の違いは万人の感じる所だと思います。
今回、私が「バラン」再見に臨んだのも、そんな「感じ方の違い」を体験したくなったからでした。

Photo_3結論から申し上げましょう。今回の再見は「非常に面白かった」の一言に尽きます。
これには色々な要素が絡んでいるので、とても簡単にはお話できません。
例によっておバカな私見がらみで、ほぼ四半世紀ぶりに鑑賞したこの作品の印象をお話してみたいと思います。

ただ今回もセオリー通り、ストーリーを一切お話しません。
もしお近くのレンタル店にこの作品があったなら、お時間とご予算あればご覧頂けると嬉しいですね(笑)。

まず一つ目は、私の鑑賞体制の違いについてでした。
なにしろ前回の鑑賞は四半世紀前。当時私はこの作品を自宅の14インチテレビで見ました。もう言わんとする事はお分かりと思いますが、今回の再見では「ネヴュラ座46インチ」。そもそも画面の大きさがまるで違うのでした。
しかもDVDの高画質は当時のVHSとは比べ物にならない程細密。
おまけに音声選択で5.1サラウンドまで楽しむ事が出来るのです。


「オタクイーン、まーたそんな46インチ自慢を。大画面テレビの事を話したいからそんな事言ってるんでしょ。」
ご立腹の方にはごめんなさい。決してそんなつもりじゃないんです。

私がこの大画面テレビを買ったのはほぼ一年前ですが、今でも私はこのテレビにアンテナを繋いでいません。完全にDVDのモニターとして使っています。その理由は「このテレビはあくまでスクリーン。劇場として扱いたい」という強い思いがあるからなのです。
そもそも大画面鑑賞を前提として作られている映画と、さほど大画面を必要としないテレビ番組は画面サイズが違って当然。もっと言えば「映画の世界にテレビを侵入させたくない」という主義なんですね。実際テレビ業界に身を置く私としては、そうした厳然たる住み分けがあります。


以前にもお話しましたが、元来映画とテレビではそのカット割り、アップやロングのサイズチョイス、パンやズームのスピードなども違って当たり前なのです。試しに50インチ程度の大画面で1970年代のドラマなどを見てみて下さい。寄りすぎる顔のアップや早すぎるパン、ズームのスピードに驚かれると思います。
ですから本来映画というものは、大画面で観なければその本来の効果や監督の演出意図を正確に把握できないはずなんです。
これは私も、自宅の大画面テレビで作品鑑賞をしてみて初めて分かった事です。これは何万語を尽くしても、一度の体験には叶わないかもしれませんね。
なにしろ小さな画面では「ゆっくり」に見えていたゴジラの歩行が、大画面では皮膚の揺れまではっきり知覚でき、「雄大」に感じるんですから。

これは「迫力」とは別次元のお話です。「印象のレベルが変わる」とでも言うのでしょうか。画面から受ける情報量の差により、テレビ画面とは違う感覚を受けるのです。
よく巨大な芸術作品などで作者が「この作品は見るのじゃなく、作品に近づき包まれる事で感情を刺激して欲しい」と語る感覚に近いのかもしれません。


これは逆に、テレビ番組の場合にも当てはまります。
取材先の打ち合わせもそこそこに、出演者やカメラマンのアドリブに頼るような深夜のバラエティー番組は、そもそも大画面を想定して作っていないんですよ。実際、私の担当番組も同じです。

そんな番組を、かつての名匠の劇場作品と同じ大画面で観ることは、それこそ名監督に対しての冒涜にさえ感じてしまう。それが本音です。
ですから件の46インチも、昨年は結構な苦労の上購入しました。
でもそれは間違ってなかったと思います。
今でもちょっと埃が付くと、こまめに画面を拭いているんですよ。
貧乏な私には大事な大事な「マイシアター」です(笑)。


Photo_4お話がちょっと飛びましたね。「大怪獣バラン」についても、前述の大画面効果が最大限に発揮された作品と言えます。
今でも14インチのテレビで映画を見る時がありますが、そんな時「あーこの映画、大画面で見たらさぞかし迫力あるだろうなー」なんて感じる事があります。で、その作品を実際46インチで見ると、その想像のはるか上を行く場合がほとんどなんですね。
ストーリーの弱さを映像の迫力で押し切ってしまう。そういう作品が世の中には確かにあるのです。


よく監督が言いますよね。「この描写は本当は嘘だしそれによってストーリーも破綻するんだけど、あくまで迫力を選びました。劇場で作品を観ている間だけ騙されてくれればいい。」そういう事なのかもしれません。
テレビの世界に居る以上、私もテレビが大好きでした。でも映画は「テレビじゃない」んです。真っ暗な劇場での鑑賞を前提に、ある意味観客をマインドコントロールする目的で作られている訳です。テレビ画面での鑑賞は二次的なもの。それを肝に銘じないと判断を誤ります。もともと監督が確信犯的に「理詰めで作っていない」作品だってあるんですから。


「バラン」の場合まさに「映像の迫力が全て」です。それ以上でも以下でもありません。実際、バランが山奥の湖から姿を現す時の迫力やその顔の造形、ややローキートーン気味の意識的な逆光表現、バランが動くスピード(高速度カメラの速度設定)、村の破壊シーンなど、特撮の迫力は「ゴジラ」「ラドン」を凌ぐと言っていいでしょう。
「ゴジラ」のスタンダードに対するシネマスコープ(パンスコープとしても)という画面アスペクト比もその迫力を後押ししています。さらに合成画面などでやや難のあった「ラドン」のカラー特撮画面も、モノクロ作品の「バラン」ではほとんど気にならない。モノクロ画面の利点ゆえ、本編と特撮のカットパックも違和感がありません。


中でも特筆すべき画面設計は、バランの身長から来る「山中の移動場面」でした。身長50メートルのゴジラに対し、身長10メートルのバランは自らが潜む山中での移動時、生い茂る木々とほとんど大きさが変わりません。
これがバランのリアリティー作りに大きく貢献しています。

画面上のパースペクティブ、特に奥行きを演出する為、バランの山中移動カットにはほとんどカメラの前に木々が配置され、しかも意識的に木のピントをぼかしている。この画面設計によってバランの巨大感が充分に強調されています。この演出が後年「フランケンシュタイン対地底怪獣」(1965年)や「フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ」(1966年)、さらに「ガメラ 大怪獣空中決戦」(1995年)の「吊り橋シーンガメラ登場画面」に繋がったと考えます。


なぜこういうテクニック要素ばかりを語りたくなるのでしょう。それはひとえに作品を支配する「よく出来た画面」という印象ゆえかもしれません。
要は、全盛期の新東宝プログラム・ピクチュアのような感覚なんですね。

確かにストーリーは弱いけど、作品を貫くディテールの見事さがそれを補っていると言うか。皆さん、この作品をもし大画面でご覧になったらきっと特撮画面で「おおー」と声を上げますよ(笑)。「ゴジラ」や「ラドン」よりはるかに露出の少ない作品ですからその新鮮度も抜群の筈です。

ですから、この作品をストーリーやキャスト、テーマの面から語ると「魅力の無い作品」となってしまうのは仕方がない事なのでしょうね。
その印象は、海外でのテレビ放送を前提とした製作事情による予算の問題など、裏事情とも無関係ではないと思います。
今と違って当時は、映画とテレビでは出演者の格もギャラも厳然とした差があったのですから。テレビでは主役を張れても映画では脇役。大画面の「壁」は出演者側にも大きく立ちはだかっていたのです。

Photo_5さて。画面の迫力だけで押し切るタイプの「バラン」なんてひどい言い方をしてしまいました。
私の掘り下げが甘い為です。お許し下さい(笑)。
ただ私はこの「バラン」を再見して、ある楽しい妄想を抱く時間を持てました。これが二つ目の私見にして「大変面白かった」理由なんです。ご立腹はごもっともですがもうちょっとだけお付き合い下さい。特撮ファンなら誰もが考えそうな事ですが。
この「大怪獣バラン」って、ある特撮作品と似ているところがありますね。
キーワードは「山中」「蝶」「野村浩三(笑)」。そして「由利子」。
そう。「えーっ、その話?」と思われた貴方。その通りです。


「ウルトラQ」第22話「変身」。
この「大怪獣バラン」って、そのテーマはともかく人物配置やストーリーの材料は「変身」のプロトタイプに見えてくるんですよ。
これは両作品をご覧の方にしかお分かりいただけないお話です。
「バラン」と「変身」には共通点が非常に多い。


「バラン」では北上川上流、日本のチベットと呼ばれる山中で発見された「アカボシアスバシロチョウ」の一種がストーリーの発端です。
シベリアにしか生息していない蝶が何故この山奥に?これはとりも直さず「変身」に於ける「モルフォ蝶」に繋がる設定です。

「バラン」で主役を演じるのは野村浩三。彼は山中で姿を消した研究所メンバーの消息を掴むべく、この村へと赴きます。さらに消息を絶った所員の妹(園田あゆみ)の名前は「由利子」。しかも東日本新報の敏腕記者という設定です。もう説明の必要も無いでしょう。「Q」のおきゃんな毎日新報記者「江戸川由利子」のプロトタイプがここにありました。
さらに野村浩三は「変身」の主役として「モルフォ蝶」を追い、アンバランス・ゾーンに落ち「怪獣化」するのです。これは単なる偶然でしょうか?


確かに「大怪獣バラン」のテーマは「秘境に生きる現代の神秘」いわゆる川口探検隊的なものでしょう。(信仰や神的なテーマも皆無ではありませんが、それはあくまで物語の味付けの域は出ていないような気も)そして何よりも「変身」のテーマは「バラン」とは別の所にあります。
ですからこの二つのストーリーを同一とするには無理があります。ですが、ここまで共通のキーワードが浮かび上がると、なにやら楽しい遊びができそうで(笑)。

要は金城哲夫原作・北沢杏子脚本「変身」って、黒沼健原作・関沢新一脚本「バラン」の「Q」流翻訳・発展形だったんじゃないかと。
(飛躍しまくってますねー。これが妄想の楽しい所で(笑)。

円谷プロ文芸部で辣腕を揮う金城氏は、師匠である関沢氏の「バラン」を知らないはずはなかったでしょう。「自分もあのアイデアを活かせないか」と考えていたのかもしれません。しかしそのままではできない。もう一つテーマを深めたい。そこで「バラン」を導入部とし、「愛する人が変身してしまったら」というアイデアを盛り込んだのでは?なんてね。
あるいは師匠、関沢氏への「自分ならこのアイデアをこう使う」という「返歌」だったのかもしれませんね。師匠と弟子の間に交わされた(かもしれない)「理念の応酬」、そしてそれが許された(んじゃないかなー)当時の特撮界の息吹を妄想して、一人喜んでいる私なのでした。


まーいつも通り何の根拠もないお遊び、おバカな私見です。
関係者、識者の方々、どうぞご立腹なさらぬよう(笑)。


いずれにしてもこの二作品、「蝶」がストーリーの発端。いずれも私たちを人知の及ばぬ世界へ誘う案内人となっている印象が強いですね。
いずれの蝶も、その土地には生息しない謎の蝶。
いったい何処から飛んできたのでしょうか。
その蝶たちが生息する場所。
其処こそが「アンバランス・ゾーン」なのでしょう。

昔「夜の蝶」の真似事などした私。私にはその世界が魑魅魍魎の伏魔殿、アンバランス・ゾーンに見えましたが(笑)。

*追記
本文中、「バランは、お弁当などの緑の間仕切り「ばらん」の語源となった」とい記述について、お仲間の雀坊。様からご指摘がありました。
この「ばらん」の語源はお寿司などの仕切りに使う「葉蘭(はらん・ばらん)」との事です。ご指摘頂いた雀坊。様には感謝致します。
読者の皆様には大変申し訳ありませんでした。お詫びの上訂正いたします。
いやーいい加減な知識でものを語ってはいけませんね。
いい勉強になりました(笑)。

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2007年12月 7日 (金)

昭和なおやつ

Photoコタちゃん、おやつ食べようよ。
いいもの見つけちゃった。

なーに。ずのうぱんはやだよ。




Photo_2
どうこれ。ベビースターもいろいろ出てるよね。ちょっと食べてみようよ。
えーっ?わたし、もんじゃなんてたべたことないよ。
Photo_3

私だって名古屋育ちだから、子供の頃には食べた事ないよ。でも楽しそうじゃない。
こうやって袋から出して・・・



Photo_4 お湯をかけて混ぜれば完成。とろみたっぷり。

ふーん。ふりかけもついてるの?
Photo_5
どうぞ。召し上がれ。
でもわたし、へいせいうまれだからねー。
こういうしょうわのおやつは・・・




Photo_6 あっ。おもったよりも。

ソース味がいい風味だねえ。まさに下町の味。
Photo_7 うーんレトロな午後。
おねえちゃん、しょうわにはまってるねえ。
でもぶーすかはともかく、がらもんって?
まー気分よ。気分。分かる人には分かるかな(笑)。

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2007年12月 6日 (木)

ひとり夫婦の歳末

Photo
「あれ?どうしたんだよ家計簿なんて。」
もう12月でしょー。来年の家計管理も大事だからね。買ってきたの。」
「これまでもなんとかやってきたじゃん。こんなのなくても。」
「なーに言ってんの。貴方のオタクショップ通いを好き勝手やらせてたら今頃破産よ。私が適度に締めてたから何とかなったんじゃない。」
「そうだねー。今年もいろいろ買ったけど、まー家計には影響ないし。」
「そうよー。ゴジラBOXからメーサー車まで、こんなに散財してもちゃんとご飯は食べれるでしょ。私に感謝しなさいよ。」
「そういいながら、こないだのリラックマはいかがなものかと。」
「いいじゃない。別に高い宝石やドレスじゃないんだから。
ここまでおねだりしない奥さんも珍しいよ。」

「で、この家計簿で来年はさらに締まるわけ?」
「まーコタちゃんにも新しい家を買ってあげたいし。甥っ子のお年玉代だってバカにならないしねえ。でもお財布は一つなのよ。
貴方も自覚してもらわないと。」

「なるほどねえ。じゃー奥さん、来年もしっかりお願いしますね。」

ひとり夫婦を自認する私の脳内では、こんな会話が瞬時に行われます。
貧乏な上、メモ魔で締め者の性格が災いし、ドンブリ勘定は大の苦手の私。
本屋さんの店頭に並ぶ家計簿はどれもこれもそそるものばかり。
余分な情報が入らない、シンプルなこれを選びました。

来年もきっと、家計簿のページはオタクグッズで埋まるんだろーなー。
恰好のグッズ管理リストとなる危惧も大(笑)。

2007年12月 5日 (水)

三丁目の働き者

Photoお話は先週金曜日まで遡ります。
この写真、どこだと思いますか?
これは私の町にあるミニカー「トミカ」のオリジナルショップ。
以前、お話した事もありましたね。
私は昔からミニカーも好きで、ちょくちょく覗いているのです。店内コーナーの真ん中辺りに、ちょっと気になるものがありまして。

Photo_11これです。実はトミカショップへ出かけた理由はこれ。最近ネットをうろうろしていて、おそまきながらこの商品のニュースを知った事がきっかけでした。
皆さんには説明の必要もありませんね。
今公開中の「ALWAYS 続・三丁目の夕日」に登場する「超兵器ダイハツミゼット・鈴木オート仕様」です。

なんと先月に発売されていたんですね。知らなかったー。
私が「続・三丁目」を鑑賞したのは先週土曜日でしたが、劇場にはこんなの売っていませんでした。やっぱり売れ行きも好調なんでしょうか?
いつもながら本当に情報入手が遅い私。誰か教えてくれればいいのに(笑)。

Photo_3ご覧下さい。このX-ウイング並みのバトルダメージ。この理由と「超兵器」の呼び名の訳は映画をご覧になってのお楽しみ。あえて「続」と謳うパッケージにはちゃんと理由があるのです。
当然ながら、これは映画公開中のみの限定商品っぽいですね。私は「良い物」と「欲しい物」と「限定商品」は別物と考えていますが、これは「良くて欲しくて限定」という珍しいパターン。
思わず手を伸ばしてしまいました。本当は保存用にもう一個欲しかったんですが、お財布の都合で泣く泣く一個買い(涙)。

Photo_4でもこの形、本当に和みますねー。
私の愛車はダイハツ・ミラジーノ(現行型)なんですが、やっぱりその丸っこいフォルムに惚れて入手したクチなので、同じくダイハツのこういう丸い車は大好きなんですよ。
しかも三輪というのがポイント高いですね。

スバル360なんかも大好きなんですが、そういう可愛い車って限定生産でリバイバル販売しないものなんでしょうか?やっぱり道交法とかの絡みでダメなんでしょうかね。絶対売れると思うんですが。
(こういう無責任な事言うとまた怒られちゃいますね。自動車業界の方々、ごめんなさい。)
このミゼット、今回の「続・三丁目」でも大活躍します。鑑賞前日の購入だったので一個買いで済みましたが、鑑賞直後にお店を覗いたら、私は両手にこれを抱えていたでしょう(笑)。

Photo_5このミゼット、初期型の発売は1957年(昭和32年)。写真のバーハンドル型でした。
「ALWAYS」に登場する円ハンドル型は1959年(昭和34年)10月のデビューですから、実は昭和33年が舞台の一作目・また翌年の一年間を追う「続・三丁目」でも、その大半の部分には存在していなかったんですね。
まー映画の嘘ということなんでしょう。

この頃はオートバイに変わり、荷物も沢山運べる軽三輪トラックが脚光を浴び始めた時代で、1960年には各社から発売された軽三輪による大ブーム。
ミゼットはその頂点に立つ人気モデルだったそうです。

私が物心ついた頃はこのブームより数年後でしたが、それでも町のあちこちにこのミゼットがビュンビュン走っていましたね。狭い路地でも余裕で走れるミゼットは、特に私が住んでいた下町で大活躍していました。
主に商店で珍重されていた為か、この車はいつも忙しそうに荷物の配達などに使われていた記憶があります。
当時はまだ国産スポーツカーなど影も形もない頃。ゆったり乗る高級セダンやファミリーカーとは全く違う存在感を、この車は放っていたのです。

当時の日本人の身長がギリギリで収まるコンパクトなキャビンは、現代の大人は窮屈に感じるかもしれませんね。子供だった私には、この車の運転席が物凄く広く見えました。
まー子供って、基本的にどんな車も広く感じるものですが(笑)。
運転する人も工員さんや前掛け(エプロンじゃなくて)をかけた酒屋さんなどがほとんどで。
そんな記憶のせいか、この車は「働き者」というイメージが大変強く残っています。

実は、以前にも「ネヴュラ」でお話しましたが、このミゼット、10年以上前に仕事で行った中国で見かけたことがあります。
その時はこの車、なんとタクシーとして使われていました。荷台を覆う幌の中に電車のつり革のようなものが備え付けられ、お客さんは荷台に座ってつり革を持つ訳です。言わば振動対策ですね。
でもこんな小さい車ですし中国のドライバーは運転がアクロバティック(笑)。

カーブをフルスピードで曲がる為、その度にお客さんが幌から振り飛ばされ、豪快に道路へ転げ落ちる惨劇に。
(これ、本当なんですよ。誰も信じてくれないけど(涙)
でも中国ではそんな事は日常茶飯事なのか、すかさず停まるミゼットタクシーに落とされたお客さんが無言で乗り込む場面を何度も見ました。
うーん中国恐るべし。全国民スタントマン状態。

でもきっと昭和30年代の日本でも、同じ事が起こっていたんでしょうね。
ただ転げ落ちるのが人間じゃなくて荷物だっただけで。
つくづくエネルギッシュな時代だったんだなーと(笑)。

Photo_10以前、ある地方の小さな村に取材に行った時、突然道の向こうから子供の嬌声が聞こえてきまして。ロケを中止して目をこらしていると、荷台に子供を乗せた軽トラックが近づいてきました。普段乗る事もない荷台で風を感じる子供は大はしゃぎ。そんな風に「荷台」には心を躍らせる何かがありますね。
このミゼットも、きっとお店がお休みの日などには荷台に子供を乗せ、家族の楽しいドライブに一役買っていたんでしょう。立派な休日出勤。なんて働き者なんでしょう(笑)。
以前入手したトミカショップ限定ミゼットと並べてみました。
うーんやっぱりラブリー。
「ALWAYS」劇中でも、ミゼットは鈴木オートの日常の足として活躍していましたね。きっと当時は車も贅沢品だったのでしょうが、このミゼットに関しては自転車感覚で乗られていたのかもしれません。
私も一度、ミゼットの荷台に乗ってみたかった(笑)。

Photo_6さて。実はこのミゼットを買った日、私はトミカショップでもう一つの掘り出し物に目が止まりました。
写真は店内のショーケース。この中にはトミカショップだけでしか売られていない限定品もディスプレイされています。前述のごとく、私は限定品という理由で買い物をしないのですが、この時目に止まったアイテムはどうしても欲しくなる逸品で。

Photo_7これです。
ミゼットから遅れること2年。1959年に発売されたマツダの軽三輪トラック、K360です。

「あらーこんなのも出てたのねー」とウィンドーを覗き込んだ私の目に飛び込んで来たのは「ショップオリジナル」の一文。慌てて店内全部を探し回りましたが、この可愛い車の在庫はどこにもない。欲しくなったら我慢できない私はレジに佇む店長さんに尋ねました。
「これ、ありませんか?」

答えは皆さんのご想像通り。「えー。これはもう全国のショップでも店頭在庫を残すだけで。うちではあれが最後の一個なんですよ。」
このK360はトミカショップ限定。名古屋にはトミカショップはここしかないから、あれが名古屋最後の一個になっちゃうわけね。まー3月発売では仕方ないです。私が遅かったんだから。
こういう時私は判断が早いです。「これ下さい(笑)。」
まるで美術品を扱うように、店長さんは白い手袋装着でK360を扱ってくれました。「小さな汚れがありますがよろしいですか?」なんて聞かれでも、これ一個だけなんだから仕方ない。「全然OKです。」
その店長さんの気遣いが嬉しいんですね。

Photo_81960年当時の軽三輪トラックブームの中で、特にこのK360は優れた設計や洗練されたボディデザインが魅力の一台だったそうです。
ただ私はこのK360の実車を見た記憶が無いんですよね。それだけミゼットの人気が高かった事を証明しているんですが、今見るとこのスタイルも本当に可愛いですねー。
ミゼットもいいけど、この車と二台並べてどっちが良いか尋ねられたら、私はこっちを選んじゃうかもしれません。

ミゼットに対してこの車、「鼻がない」ところが好きなんですよね。
好みでしょうけど(笑)。

Photo_9でもきっとこのK360も、ミゼットに負けずに町を駆け回っていたんでしょうね。
何か楽しそうですねー。こういう車が角を曲がってきたら。
以前、日産のPAOのオーナーだった私。今でもsmartや三菱iに可愛さを感じてしまいます。そんな私には、こういうラブリーな車が愛おしくて仕方がないのでした。


「癒されカー」というジャンルは新しい鉱脈かもしれませんね。
写真はちょっと遅れて昭和40年代デビューのベビースターラーメンと一緒に。
すみません。中途半端なレトロ度で(笑)。

きっとまた私は、ショップでこんなミニカーを見つける度に手が伸びてしまうんでしょうね。ただミニカーじゃなく、実車に乗りたいのが本音だったりして。
スピードや高級感に走らず、エコや楽しさを追求する現代の車には、こういうファニーなデザインが似合いそうな気もするのですが。
ミツオカさんあたりなら面白そうなのを出しそうですね。
(また無責任発言。自粛します(涙)。

2007年12月 4日 (火)

怪獣場外乱闘のお知らせ

今日の「ネヴュラ」はちょっとしたお知らせです。

目ざとい読者諸兄は既にご存知と思いますが、今月1日(土)から、円谷プロ製作のウルトラシリーズ最新作「ウルトラギャラクシー大怪獣バトル」なる番組が放送開始されました。(もう知ってるよって?ごめんなさい(涙)

ウルトラギャラクシー 大怪獣バトル (C)2004,05,06円谷プロ・CBC  (C)2007円谷プロ
ウルトラギャラクシー大怪獣バトル
一話約30分 全13話

この番組はBS11、バンダイチャンネルからの同時オンエアだそうで、現在はそれぞれのホームページから情報が得られます。

参考までに。BS11のインフォメーションサイトURL
http://www.b-ch.com/contents/bs11_sp/index.html


ビックリしたのはその太っ腹ぶりで(笑)。
この番組、毎週土曜日の19時から放送されているんですが、放送直後から一週間、多くのサイトを通じてその放送回を無料配信しているんですね。
もちろん前述のURLからも視聴先サイトへ入り、今すぐにでも無料視聴することができます。


さっそく私も第一話「怪獣無法惑星」を拝見しました。
いつでも見られるこういう放送形態の作品は、一度きりの放送である地上波以上に視聴時期のバラツキが多い為、視聴後の感想も気を使っちゃって(笑)。
ですから今回、未見の方の為に、ストーリーや登場キャラクターは一切お話しません。
感想はしばらく間を置き、皆さんがご覧になった頃を見計らってアップしようと思っています。第一話の無料配信は今週の金曜日までと思いますから、未見の皆さんお急ぎ下さい。


ただ一つだけ。第一話を見た限りでは、私、この作品「アリ」です(笑)。
皆さんもぜひご覧頂き、ご感想をお寄せ下さい。
皆さんとこの作品について語り合える機会を、楽しみにしています。にほんブログ村 その他趣味ブログ 特撮へ

2007年12月 3日 (月)

コタジャーノンに花束を

今日の私はどうかしていたのです。
いつものスーパーで、こんな物が目に留まり。

Photo 「頭脳パン」。
ああ、この怪しくもそそられる響き。
すかさず手に取ってしまった私に、なんの罪がありましょう。
Photo_2 ああそして。生地に使われているのは「頭脳粉」。
まさか脳を粉にして練りこんであるのでは。
私の妄想は果てしなく広がっていくのでございます。
Photo_3 恐る恐る中身を覗けば、そこにはスクランブルエッグ風の具があるばかり。
まさかこれが脳の一部なのでございましょうか。
これを食する事で、飛躍的に脳が発達するとでも言うのでしょうか。
Photo_4 不安におののく私は、遂に禁断の実験に手を染めてしまったのでございます。(このあたりから、声は岸田今日子風に)
Photo_5
さあコタちゃん。
いい子だからおあがり。
(悪魔的微笑)






Photo_6ああ、なんという事でしょう。
突然、コタの様子が変わったではありませんか!
どうしたのコタちゃん?
私は恐しい事をコタにしてしまったのでしょうか!



Photo_7 お姉さま。以前から意見させていただくつもりでおりましたが。
ゴジラについて語るなら、まず’54年版の初作、東京上陸の場面ぐらいは詳細に解説できなければなりません。
ゴジラ上陸直後からの本編・特撮カットの合計は約40余。このカットワークは誠に見事、エイゼンシュテインのモンタージュ理論はクレショフ効果との相互作用により、ここでも観客のエモーションを充分に喚起するものとして作用する演出手法で・・・

おおっ見事な解析。天才怪獣・三吉くんみたい。
(素直にノーマンと言えばいいのに(涙)


Photo_8
・・・なんて事はなく(笑)。
やっぱり普通のたまごパン、ちょっと食べたら飽きちゃいました。
うーん20円引きがお気に召さなかったのか。
また結局「頭脳パン」なるネーミングの理由も分からずじまい。

Photo_9
これであんたが天才にでもなったら、ダニエル・キイスもビックリだけどね。
まーたそういうわかりにくいたとえを。きょうはこめんとこないよ。きっと。

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2007年12月 2日 (日)

スクリーンに帰宅した夜

Photo昨夜7時前に飛び込んだ、行きつけの劇場。
毎月1日の映画ファン感謝デー。
最終回に間に合いました。

いつもと違うその空気に、私もちょっと戸惑い気味。
お客さんの年齢層が違うのでしょう。若いカップルや私のような一人者に加え、私の両親ほどの年齢のご夫妻から母親と中学生くらいの親子まで。みなさんニコニコしながら上映開始を待っています。
「ああ、映画って観る前から始まってるんだ。」
ほどなく、いつもの東宝「スコープ」マークが場内いっぱいに映し出され・・・
タイトル「ALWAYS 続・三丁目の夕日」。


Photo_2これはもう、皆さんもよくご存知の作品ですね。
二年前に大ヒットした一作目の続篇です。
「ネヴュラ」でも一作目の感想をお話した事がありましたね。調べてみたら、ちょうど去年の明日、12月3日の記事でした。
この「ALWAYS」、私は一作目を劇場鑑賞していませんでした。初見はテレビ放送の時だったのです。ですから感想もおそらくテレビサイズ、読み返してみるとやはり、作品の内容というよりその舞台であった昭和の時代を自分の記憶とオーバーラップさせる記事でした。うーんやっぱり、作品は観る環境によって感想の内容も左右されますね。

いかなる映画も、二作目は一作目を超えなければならないという強大なプレッシャーから、道を踏み外す作品も多いような印象を持ちます。
それらは一作目の出がらしとなるか、全くテイストの異なる作品となって一作目との勝負を避けてしまうケースがほとんど。

この「ALWAYS」にしても、一作目の段階で二作目の予定など影も形も無かったそうですから、製作陣のご苦労は思うに余りありますね。


そんな前例も多いですから、私も今回の続編についてはあまり期待していませんでした。前売り券を買わず、ファン感謝デーを狙ったのもその為でした。
でも私、ひょっとして前作を劇場鑑賞していたら一も二もなく前売り作戦、公開初日に駆けつけていたかもしれません。
というのはこの作品、「劇場でしか味わえない効果」があったからなのです。

未見の方もいらっしゃるでしょうから、例によって作品の内容をあれこれレビューするのはやめましょう。ただお話の都合上、やむをえずネタバレしちゃう場合もありますからご了承下さいね。

Photo_3この「ALWAYS」という二作品に共通する大きな売りは、「昭和30年代の再現」というものでした。精緻な時代考証によって作られた精密なセット、もう実写との区別などつかないVFX、当時の風俗の導入から人々の仕草まで、この作品は徹底して「昭和」にこだわっています。
ただ鑑賞前に危惧した事ですが、この手で観客を驚かせるのは一回限りの離れ業なんですよね。もう二作目になってしまうと観客の要求度も上がり「リアルなのが当たり前」と思われてしまう。そのあまりのリアルさに「三丁目のセットなんてどこかに保存してあるんじゃないの」なんて思われてしまうあたりが難しい所で。
続篇決定時、スタジオに残っていたのは鈴木オートの看板だけだったなんて誰も思わない訳です。そういう意味で今回は、前作との整合性を意識せざるを得ない分、スタッフにかかる重圧も大きかったと思います。
でもその重圧をものともしないスタッフの素晴らしい仕事ぶりは、すでにオープニングから全開していますね。


多くの方々が書かれていますから私は割愛しますが(笑)、あの「誰もが考えるけど誰も実現できない」場面(もちろん私も夢想しました)をやっちゃった、山崎貴監督以下スタッフの心意気は見事と思います。
蛇足ですがあのデザインが「山崎G」としたら、私と彼は話が合うでしょう(笑)。


「ALWAYS」続篇決定の報を知った時、まず私が考えたのは、多くの識者諸兄と同じく前述の通り「VFXを武器には出来ないだろう」という事でした。
きっと山崎監督以下全てのスタッフは「かつての自分達のすばらしい仕事」というとてつもないハードルに怯えたはずです。
彼らは前作というライパルに打ち勝つ為の戦略をどう練ったのでしょうか?
私はここに、この続篇製作へのモチベーションを上げる上で重要なキーがあると思いました。

さて。お話はちょっと前後しますが、ここで鑑賞途中の私の気持ちの移り変わりをお話しましょう。それには最大の「エフェクト」も関係してきますが。
まず、タイトル前の一騒ぎの興奮も収まった頃に感じたのは、「あーやっぱりこの作品は、前作のリメイク的色合いが強いんだなー」という事でした。なにしろ、あの三丁目の人たちは前作と何も変わっていない。確かに前作から4ヶ月後のお話ですから別に大した事も起こらないでしょう。いつもの鈴木オートであり、ブンガクであり、アクマ先生であり、あの悪ガキたちな訳です。
ただキャスト・スタッフにとって「前作と同じ」と言われる事がどれほどの賛美であろうとも、観客はそこに「変化」を見つけたいのです。


Photo_4でもまあよく言われる通りの「子役の成長」とか「演技の上達」などは、前作から2年というどうにもならない時の流れを感じさせますね。それは仕方がないと言えばそれまでです。実際、六子役の堀北真希なども「前作の自分に負けないように」と心に決め、撮影に臨んだそうですし。やっぱり作品は人間が作るものですから、それなりに「もっといいものを」という意欲は湧くはずですしね。
ですからそこをあれこれ言うのは邪知というもの。
「成長した子供をVFXで幼くしろ」なんていうご意見さえ出そうですね。
でも、もうそうなっちゃうと全篇VFXで済んじゃいますから、ここはその「2年」を素直に受け入れるのも観客の「粋」というものでしょう(笑)。

ただここが難しいんですが、観客は「前作と同じじゃいやだけど、前作とかけ離れた作品もちょっと」と望むものなんですね。作り手としてはその「前作との距離感」が非常に難しい。VFXのサーカスという部分を禁じ手とする以上、前作との差別化に残された方法論は少なかったと思います。
ストーリーが進むにつれて、私の気持ちは変化していきました。「美加ちゃん」のエピソードあたりからです。
「なるほど。今回は新キャラクター登場で、別のお話を進める戦略ね。」


こういう戦略は、パート2物では最も多いですよね。新キャラ登場、新たな事件。これは前作公開時、一部で言われた「ALWAYS=男はつらいよ論」に繋がるような気もします。要は寅さん物のように、主人公が新たな登場人物と出会う事でストーリーに変化を付けるという手法ですね。
ただこれは、寅さんのように各地を点々とするキャラには有利ですが「ALWAYS」のように町そのものが主人公の群像劇には導入しにくい。
事実、美加ちゃんのお話でそれほど引っ張れるとも思えなかったですし。

「まさかこのまま、高速道路あたりを見せ場にして逃げ切っちゃうんじゃ・・・」
私の不安は最高潮。「どーするんだろこれから?」


このあたりで私は、劇場内に流れる不思議な空気を感じました。
前作を劇場鑑賞していなかった私には、この空気が非常に新鮮でした。

お客さんのほとんどが、登場人物たちをまるで「自分の親族」のような目で見ているのです。確かに、私はスクリーンに向かって座っている訳ですから、振り向いてお客さんの顔をつぶさに観察している訳ではありません。
でも「空気」は感じるのです。

「この作品、お客さんはストーリーを追っているんじゃなくて、登場人物を優しく見守っているんだ。」
みんな、美加ちゃんの叔父さん、叔母さん、兄弟や従弟になったような気分で観ている。作品と観客の精神的距離が異常に近い。
実はこれが、スタッフの採った戦略だと気がついたのは、作品を観終わりパンフに目を通した時でした。


Photo_5監督の山崎貴氏は、この続篇の製作経緯についてこう語っています。
「また三丁目の人たちに会って、いい映画が作れればそれでいいんじゃないかと思い始めました。」
実にシンプル。作品から漂う「親近感」は、この初志が貫かれていたからこそ生まれたんですね。監督へのインタビューでは、やはり続篇製作に関してかなりの葛藤があった旨も語られていますが、やはり最後は「あの三丁目の人たちに会いたかった」というシンプルな思いでした。
VFXでもない。ストーリーでもない。キャラクターなんだ。その思いはスタッフのみならず、観客の皆さんも同じだったんですね。でなければ、劇場に詰め掛けたお客さんがあんなに楽しそうにスクリーンに向かう訳がない。


恥ずかしいですが、私は少し勘違いしていました。
このシリーズ、実はVFXが売りじゃなかったんですね。
確かに昭和30年代の街並みや風俗は、観客を作品に誘う上での大きなファクターではありますが、この作品の本質は「そういう時代に生きていた人たちのピュアな生きざま、飾らない思い」だったと気がつきました。
逆に言えば、昭和30年代という舞台設定は、その生きざまを描くために逆算したのではないかと思えるほどです。

もちろん、それが優れた演出や円熟した演技に裏打ちされたものである事は言うまでもありませんが。


考えてみれば三丁目に生きる人たちは、今の私たちから見れば悲しいほどに正直。一人として相手に嘘をつかない。たとえついたとしてもそれは他愛のないものか、相手を思いやる上での「優しい嘘」ばかり。もっと言えば「自分の思いをストレートに伝える為につく嘘」なんですね。
要はみんな、互いに心を開いているんですよ。
ひょっとして私たちは、そんな等身大の三丁目の人たちに憧れを抱いているのかもしれません。ですから彼らの言動に素直に反応する。
スクリーンの上の人物達に、私たちも心を開いていく訳です。

もちろん、私はこんな解析を鑑賞途中に出来た訳ではありません。もうブンガクをメインとしたストーリーがラストに向かって疾走するさまを、まるで自分の恋人の事のように(笑)見守るのが精一杯。
(別に小雪を気取ってる訳じゃないですが(笑)。


実は、もう一つ考えた事がありました。それはあまりにも冷静すぎる感想なのでちょっと控えようとも思ったのですが、まー自分のブログですし、ここで思ったことをお話しするのもいいかと。
正直な感想ですが、この「続・三丁目」って、ストーリーそのものは別に大した事ないですよね。とんでもない事が起こって、人が死んじゃう訳でもなければ地球が滅んじゃう訳でもない。
(オープニングについてのツッこみはヤボというものですよ(笑)
でも、これほど心を揺さぶられるのは何故でしょう。

これは前述の「キャラクターへの感情移入」とは別に、もう一つの効果が働いているような気がしました。
「きっと昭和30年代を舞台にした事によって「事件スケールのインフレ」を回避できているんだなー。」


つまりこういう事です。悲しい事ですが、街中の殺人事件やコンビニ強盗などが当たり前になってしまった現代に比べ、昭和30年代ははるかに平和だったという事ですね。
だから現代から見れば大した事ない出来事でも、あの頃の人たちにとっては大事件なんじゃないかと。キャラクターに感情移入し、三丁目の住人になったような気分でいる観客にとっては、それら劇中で起こるご近所レベルの事件は目の前の一大事な訳です。
団地の隣室で何が起ころうと自分の生活に支障なければOK。「事件」じゃないと考える現代人ですが、当時はそうはいかなかった。隣の家でケンカが起こればご近所みんなで止めに入るような密接な関係が、あの頃の「毎日がエネルギッシュ」というイメージを生んでいたような気もします。


きっと私たちは、最近のドラマに見られる異常な事件や残酷な描写に慣らされているのかもしれません。
しかも与えられる刺激は日増しにエスカレートしている。刺激に対しての反応が鈍くなってきているようです。
脳内で
「事件スケールのインフレ」が起きているんですね。
だからおそらく現代を舞台に「ALWAYS」の世界で起こる事件をそのままドラマ化しても、大した刺激を感じないと思うんですよ。
あれはあの時代だからこそ成立するストーリーなんじゃないかと思います。
江戸時代に拳銃犯罪が大事件扱いされたのと同じ「時代による事件性の差」が、ここでも最大限に発揮されているのでしょう。
「ALWAYS」が昭和30年代を舞台とした最大の効果は、実はこの部分だったのかもしれません。


ストーリー終盤、これ以上無いほどキャラクターに感情移入した私たち観客は、さらに美しい場面に立ち会う事となります。ただこれも、今考えれば別にどうって事ない「横丁の角」の場面ですよね。でもこの作品世界の「インフレ回避効果」によって、あの一幕は観客の心を非常に揺さぶる名場面足りえているのです。
「お金では買えないもの」なんて、人情話では使い古されたセリフがこれほどまでに胸に響くのは何故でしょうか。


もうお気づきでしょうが、実はここで、今回の「続・三丁目」最大の「劇場エフェクト」が体験できました。
暗い観客席のあちこちから、すすり泣きの声が漏れてきたのです。
私の席の右隣の女性、左隣の男性も、嗚咽をこらえきれずに泣いています。かく言う私も必死で涙をこらえていましたが、一連の「ブンガク一家」のシーンの後、美加ちゃんのセリフ「○○○ん」に涙腺が爆発、流れる涙をどうする事も出来ませんでした。

久しぶりに、映画を劇場鑑賞する事の意義を感じた次第です。
(この時は正直、全然恥ずかしくなかったですね。だってほぼ全員泣いてるんだから。)


鑑賞後、私はなぜこの作品タイトルが「三丁目」の後に「夕日」と続けているのかを考えてみました。原作漫画は未見の為、作者の意図は正確には図りかねますが、今回の劇場鑑賞後の印象としてはこうです。
「夕日」が出る頃というのはきっと、人恋しくなる時間帯なんだろうなと。
そんな時、人はきっと家族や近しい人に会いたくなるんだろうなと。
近しい人に会える場所。それがきっと「家」なんでしょうね。
私もきっと、スクリーンの中の三丁目に「帰宅」したのでしょう。


今回の続篇で、三丁目の人たちはそれぞれ「近しい人」と居を共にする幸せを得ました。そんな人たちが眺める夕日は、きっと一人で見るそれより美しいのでしょう。それは何故か。
ラストの淳之介のセリフが、すべてを物語っています。


まーそれにしても鑑賞後、帰宅時のミニバイクは寒かったですね。
乾いた涙が目の横に張り付いてカピカピ(涙)
でもこの作品、つくづく劇場で観てよかったと思います。
この年になると心の宝物も少なくなりますが、昨夜は極上の逸品を手にした気分です(笑)。

2007年12月 1日 (土)

リラッコタ

前回の、中途半端な引きの答えはこちら(すでにサブタイでバレてますが)
Photo_2最近のマイブーム、リラックマの正座椅子。ぬいぐるみではありません。
オタクショップに一匹だけ座っているのを見かけ、一目ぼれ。
あまりのラブリーさに私の中の女子がヤラれてしまいました。

Photo_3 サイドビュー。ふつうのリラックマをつぶしたようなフォルムがなんとも。
Photo_4 かがみもち。ちょっと早いですが。
Photo_5 こんな風に使うそうです。
でも、上におしりを乗せるなんて忍びなくてできませんね。

Photo_6 やると思ったでしょ。
しばらくは彼女のおもちゃになりそうです。
わたしのほうがかわいいけどね。(本人談)

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