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2007年11月13日 (火)

晩秋の春一番

「お花、増やしてもらえませんか?これじゃちょっと寂しいから。」
会場への道すがら、寄った花屋さんで供花の花束を手に取った私。
先日、11月11日は昨年亡くなった母の命日。
日曜日と重なった事もあって近しい親戚と一周忌法要を行いました。

母が亡くなって一年。早いものです。「ネヴュラ」でも他界直後の心境をアップしました。当時、失意の底にあった私を励まして下さったのも読者の皆さんでしたね。ネットでのそんなやりとりが今も記録に残る事の不思議さを感じます。
毎日の生活に追われ、故人を偲ぶ機会も無いまま過ぎていく日々にあってこうした節目を大事に思えるのも、私が年をとった証拠なのかもしれません。

とはいえあれから一年。遺影写真を見つめる心持ちも当時とは若干違ってきました。幸いにも遺影は箱にしまいこんであったので(笑)、母は埃もかぶらず相変わらずの笑顔を私に向けてくれています。ただ髪だけは真っ白ですが(笑)。

ちょっと早めに着いた法要会場。法要室の豪華な構えを見るにつけ、自宅に質素な仏壇しか構えていない私は改めて親不孝に苦笑い。遺影の母の表情もちょっとほころんだように見えます。
「やっぱりそっくりだなー」なんて自分と遺影を見比べていた所へ、妹一家や例の「バロム1カード」の従弟一家、親戚一同が姿を見せました。
近しい者だけの集まりなので緊張感もなく。さながら少し早いお正月のようです。

父の代からのお付き合いがあるお寺のご住職は御年82歳のご高齢ながら、パソコンとカーナビを使いこなすハイテク僧(笑)。今日も車で4時間の道のりを駆けつけて下さいました。
やがて定刻、11時30分から法要開始。お盆のお墓参りも出来なかった私には、静かに響く経典が厳かな調に感じました。昔は意味も分からず、退屈な時間であったはずなのに。不思議なものですね。
見よう見まねで焼香を行う小学生の甥の姿も微笑ましく(笑)。

法要後の食事でもエネルギッシュなご住職のパワーに圧倒されっぱなしで。
「わしが車の免許を取ったのは昭和18年。当時は自動車免許は特殊技能でなあ。」なんて闊達に話すその姿はとても82歳には見えず(笑)。
その語気と年季の違いに圧倒された私は思わず従弟と顔を見合わせ、今上映中の「ALWAYS 続三丁目の夕日」の話題で応戦するのが精一杯でした。
「この映画は昭和34年が舞台でしてね。当時はトヨペットクラウンやダイハツミゼットが活躍してましたよねー。」そんな昔話に、ご住職のお顔もほころびます(笑)。

でもさすがに80代、60代、40代前後、10代が一堂に会すると話題が合いませんねー(笑)。でも核家族が当たり前となった現在、こういう機会はむしろ貴重なんでしょうね。
例によってバロム1カードの話で盛り上がる私と従弟の後でDSに興じる甥っ子達を見るにつけ、世代の移り変わりを感じます。
仮面ライダーはともかく、翌年に放送された「超人バロム1」が大人の話題とは。私は月光仮面やスーパージャイアンツの話にもついて行けるんだけどなーと(笑)。

にぎやかな時間も過ぎ、全員で母のお墓へ向かう事となりました。法要会場からお墓へは車で一時間の距離。各々の家族の車で分かれて移動するのですが、この時いつも私の車に乗りたがるのが二人の叔母でした。
叔母達は一人住まいの私をいつも気遣ってくれ、この日も車中で母の思い出を話したがっているようでした。
移動中の車の中から街並みを眺め、「ここはねえちゃんとよく来たねー」「ここの洋服がねえちゃんはお気に入りで」なんて話題に興じる叔母達。
そんな会話が私をも母の思い出に誘います。

「ねえちゃんは色も派手好きで、正面にポイントがある服が好みだったねえ。」
「でも、一緒にそれを買いに行く私は恥ずかしかったよー。「それを買うか!」って目を覆いたくなるようなのばっかり買うんだから。」
笑っていいんだか悪いんだか(笑)。

猛暑だったこの夏、叔母達がひそかに母のお墓を見舞ってくれていた事も、この車中で初めて知りました。失念してしまった私はしきりに恐縮していましたが、その時叔母の言った言葉が忘れられません。
「あんたのお母さんは私たちの姉妹でもあるんだから。そりゃ行くのは当たり前だよ。この年になると寂しいもんさ。やっぱり親や姉妹に会いたくなって来るもんだね。」
60代。かつて、勤める会社のミスコン優勝経験者でもあった叔母の美貌にかげりが見えていたのは、決して年齢だけが理由ではなかったのでしょう。

車中では、ここ数日の気温の低下も話題になりました。
「急に寒くなったねえ。風も寒いもん。」「そうだねえ。」
こんな他愛のない話の末に、叔母がこんな事を言ったのです。

「なんかもう、昨日は今年の春一番がふいたらしいよ。」

「おばちゃん、それを言うなら初木枯しでしょう?」
思わずツッこんだ私。照れ笑いする叔母でしたが、私はこの空気の流れに懐かしさを感じてもいました。
そういえば、母が亡くなってからこんな会話をしてないなー。なんて。
母もよくトンチンカンな事を言って周りを笑わせていました。私が今もおバカなのは母の遺伝とも言えるのです。そんな母亡き後、私はずっと一人でしたから、こんな会話についホロリとなってしまったのでしょうね。

午後2時半。折からの小雨も止み、霊園は薄日差す寒空となっていました。
予想以上に強い雨後の寒風がお線香や蝋燭の点火を阻みます。
母が好きだった真紅のバラが目に鮮やかな花束が、お墓に凛とした刺し色を与えています。このメンバーで、あと何度ここを訪れる事ができるのでしょうか。
年を経るごとに、親しい人達ともやがてお別れの時が来る事でしょう。
きっとその後も世の営みは絶える事なく続いて行くんでしょうね。
お墓を清める水の空桶とひしゃくで遊ぶ甥っ子達を見ながら、そんな思いに捉われる自分が不思議でした。きっと寒さのせいでしょうね。

日も翳りを見せて来ました。
「来年は父の七回忌、母の三回忌が重なります。皆さん、その時はよろしく。」
供物のお菓子や果物を取り合う甥っ子たち。(何故か叔母も交じっていました(笑)。そんな一幕も一段落。この駐車場で解散です。勝気に手を振って走り去るご住職に続き、みんなそれぞれの車に分乗、帰路につきます。

方向の違う私の車には誰も同乗しません。
一台ずつ走り去る縁者の車を見送ると、駐車場には取り残されたように私一人。
風が寒い。
逃げるように車に乗り込むと、そこにはまだ叔母達の残り香がありました。

初木枯しを春一番と間違えた叔母。
そんな何でもない一言に癒されてしまう私は、きっとどこかでまだ母の思い出を追い求めているのでしょう。

ガラにもなく、こんな歌を思い出しました。

寒いねと 話しかければ 寒いねと   答える人の いるあたたかさ

                                           俵 万智 

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コメント

オタクイーンさん、寒くなりましたね~

「寒いねと 話しかければ 寒いねと 答える人の いるあたたかさ」
しみじみくる言葉ですね~
回忌法要も、普段会うことのない縁者と会える日を故人がお膳立てしている様に感じますね。
その度に年老いていくし、新しい顔が増えていたりします~
親戚の方ともいつかお別れの日がくるのでしょうが、それを受け継ぐものもいます。
そうして脈々と流れていくのでしょうね。

大和少年さんが仰られる通り、法要って故人が縁者との再会する機会を作ってくれているような気がしますね。
温もりの時間。そんな時間を与えてくれているように思います。
伯母様の「春一番」はあながち間違いでなかったのかもしれません。

大和少年様 秋の一周忌はやっぱり心に堪えますね。それまでが楽しかっただけに、最後の駐車場、解散直後の風の寒さは沁みました。

でもおっしゃる通り、確かに法要という行事は故人が残された人々を集め、旧交を温める機会なのかもしれません。こんな機会が無ければ会わない人たちも多いですからね。

時の流れとともに否応なく訪れる近しい人との別れ。それを感じるからこそ、最後の一句が心に響いたのかもしれません。

まだまだ達観できない私。これからもあちこちにぶつかる事と思います。
大和少年さんも、ご家族との絆を大切になさって下さい。

メルシー伯様 父の一周忌は母と一緒だったのでさほど寂しさは感じなかったのですが、両親を亡くした事で余計、孤独感を覚えたのかもしれません。
集まった縁者一同が全て家族単位だった事も、寂しさに拍車をかけたのでしょう。

不思議ですね。母の面影を母以外から感じるというのは。
それも母の粋な計らいだったのかも。
おっしゃる通り、「春一番」は吹いたのでしょう(笑)。

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