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2007年11月21日 (水)

能面一対

「なるほどねー。これはプロデュースサイドの手腕だね。」
最近、注目している新作ウルトラ「ULTRASEVEN X」。
全国ネットじゃないのが惜しいですが、なにしろキー局がお世話になっているCBCテレビなので見ないわけにもいかず(笑)。


毎週金曜、深夜26時15分からの放送なのでさすがにタイマー録画は免れず、翌日ゆっくり見るという不良視聴者ですが、現在第7話まで放送済みのこのシリーズ、それなりに健闘しているようには思えます。
ただオリジナル・セブンの昔から抱える「ヒーロー出現と共にストーリーが終わる、または落としどころが決まってしまう」という永遠の課題だけは、今もって解決には程遠いですが。
セブンのデザインを復活させた理由も、大人の事情が透けて見える年代以外には理解できない事と思います。
とはいえ冒頭の感想にあった通り、「製作予算に合った世界観」の構築に関してはかなりの高レベルを保っているという印象です。何も大掛かりなセットを組んだり超兵器が登場するだけがヒーローストーリーと思ってはいないので、これはこれでいいんじゃないかと。
むしろこういう虚飾を取り払った世界観の方が、ストーリーのコクを味わう事ができます。いろいろ好みもおありでしょうが。

「SEVEN X」はもう全話を収録、製作を終えての放送と聞きましたから、テコ入れ等で設定が変更される心配もありません。ストーリー後半のポイント、主人公が探す「失われた過去」の真相に期待したいところです。

ところで読者の皆さん。私は「SEVEN X」のある部分に、ちょっとした違和感を抱いています。残念ながら放送されていない地域の方々もHPなどで確認できると思いますから、ちょっと覗いてみて下さい。
私が抱いた違和感はこういう事です。
「主人公『ジン』って、SEVEN顔じゃないよね。」


今回リファインされたウルトラセブン、「SEVEN X」の顔をご覧頂けばお分かりと思います。これは私には、最近のリファインデザインの流行を踏襲した「怒り顔」に見えます。オリジナル・セブンが怒ったらこんな顔になるだろうなー、そんな事を思わせる険しい顔。釣りあがった眉がそんな印象を与えるのでしょうか。マッシブな体躯もその印象に拍車をかけているのかもしれません。
それはそれである意味、完成されたデザインと思います。
ところが、この「X」の険しい顔と変身前の姿、人間体を演じる「ジン」こと与座重理久氏のお顔を比べてみると、ちょっとその印象がオーバーラップしないんですよ。


平成ライダーあたりから派生した最近の流行、いわゆるイケメン顔の与座氏の顔は、「X」に感じる怒りやワイルドさとはやや趣を異にした甘いマスクなんですよね。
ストーリーのクライマックス、与座氏がウルトラアイを装着し「X」に変身した瞬間、そこには不思議な違和感が生まれるんですよ。
「別人感」とでも言うようなものが。

ひょっとしてこれが大きな伏線で、これからの後半ストーリーに大きく関わってくるような製作側の仕掛けだったりしたら、私はそのシリーズ構成の妙に大きく頷く所ですが。

いつもながらそんなささいな事を考え、過去のウルトラヒーローの人間体を思い浮かべていた所、ひとつの面白い印象に気がつきました。
「ハヤタ隊員って、つくづく「初代マン顔」だったなー(笑)。」


Photo「ネヴュラ」読者の方々には説明するのも失礼ですが、初代ウルトラマンの人間体・科特捜隊のハヤタ隊員を演じたのは、当時の東宝映画所属の若手俳優、黒部進さんです。
彼の端正な顔立ちや颯爽としたイメージは、劇中の「怪獣退治の専門家」科学特捜隊のエリート隊員にピッタリ。
その彼が稀代の宇宙人ヒーロー、ウルトラマンと一心同体になり、毎週登場する怪獣や宇宙人と戦う、という斬新な設定が、「ウルトラマン」というドラマの新しさであり、また大きな魅力でもありました。


ウルトラシリーズも生誕41年目を迎える今年、私を含め皆さんは当たり前のように感じられるかもしれませんが、「ヒーローの変身前と変身後のイメージに違和感が無い」という事って、実は結構重要な事じゃないでしょうか。
そりゃまー合体したとはいえウルトラヒーローと地球人は「別人」ですから、顔形が違っていても不思議じゃないんですが、あまりにイメージがかけ離れているのもちょっと受け入れがたいと思いますし。
で、私だけかもしれませんが、ウルトラシリーズ中、変身前・人間体のイメージが変身後のイメージに一番しっくり来るのは、やはり初代マンだったような気がするんですよ。


印象的にはその次が森次「セブン」浩司氏、長野「ティガ」博氏、篠田「タロウ」三郎氏と続きます。意外にも団「新マン」次郎氏はあまりイメージが合わない。やっぱり初代マンと同じ顔のせいでしょうか、どうしても「マン」と言えば黒部氏のイメージが重なってしまうのです。要は黒部氏のフェイスラインがマンのそれをイメージさせるんですね。団氏の鋭角的なフェイスは、丸みのあるマンの顔とはちょっと違う感じがしちゃうんですよ。
余談ですが、初代と新マンのイメージを分けるのはあの体の模様の違いではなく、むしろスーツアクターの体型差によるプロポーションや、胸などボディー造形の違いによる所が大きいのではと考えるのですが。


この印象の違いは、初めてウルトラに接した年代によるものが大きいですね。「新マン」がリアルタイムなウルトラヒーローだった方には、「マンと言えば郷秀樹」という絶対的なイメージがおありでしょうし。ですから前述の印象はあくまで私だけの物、いつもの私見とお考え下さい。

さて僭越ながら、今回もあくまで私の印象でお話を進めさせて頂きますが(笑)、「初代マン=ハヤタ」という実にピッタリなイメージは、当時のスタッフによって予期されていたのでしょうか。それが気になった私は(気にし出したら止まらないもので(笑)、手持ちの色々な文献、インタビューなどをひっくり返して、自分なりに考えてみました。

Photo_2以前にも、「ウルトラマン」劇中に於けるハヤタ隊員とマンの関係、露出のバランスについてはお話しましたね。「マン登場まで、ハヤタはマンとしての意識をほとんど露出していない」という印象です。それがストーリー進行上「ギリギリまで健闘する科特隊・その健闘に応えて現れるマン」という図式に繋がり、独特のカタルシスを生んでいたものと思います。
はたしてそれはスタッフの計算によるものなのか、それともあの黒部氏のキャラクターによって偶然生まれたものなのか。そこが気になるんですよ。
これはおそらく、当時のスタッフにも明確な答えは出せないでしょう。
色々な証言や黒部氏ご本人のインタビューから推測するしかありません。
でもこんな推測も楽しいお遊び、例によって真実と違っていたら、関係者の方々に深くお詫び致します。


Photo_6いつもの私見ですが、私の印象ではその要因はどうやら、ハヤタを演じた黒部氏によるものが大きいように思います。
黒部氏を含む「マン」スタッフ・キャストのインタビューなどを調べてみて、面白い事に気がついたからでした。

「ウルトラマン」メインキャストの中での、黒部氏起用の経緯やその演技についてです。それについて、黒部氏ご本人はこんなようなお話を語っています。
「当時、自分のような若手俳優はとても役を選べるような立場ではなかった。与えられた役をそのままこなす。これが自分の仕事だった。」
と同時に、ハヤタという役柄についてこうも語っています。
「当時の東宝の若手であの手の役をこなせる役者は、ちょうど自分しか居なかったんじゃないか。一期下には黒沢年男がいたけど、彼はちょっとハヤタには「濃い」じゃない。ハヤタという都会的な役に当てはまるのは、当時自分くらいしか残って居なかったと思う。」
実際には非常に謙虚な語り口でしたが、大まかにはこんな内容でした。
あくまでご本人の印象ですが(笑)。


皆さんもご存知と思いますが当時、ヒーロードラマの主役というのは、通常のドラマとはやや違う配役経緯が取られていたようです。
要はあくまで「主役は変身後」という事ですね。ですから変身前の姿はあくまで「変身までの仮の姿」。乱暴な言い方をすれば「繋ぎ」に過ぎなかった訳です。最近の作品ではそれもかなり変わってきましたが。
(ちょっとキャラ勝負に流れすぎる最近の傾向もどうかと思いますが(笑)。
当時おそらく黒部氏も、「主役はウルトラマンなんだから人間体はそれらしいルックスなら演技力は二の次」的な感覚で選ばれたのではないでしょうか。


Photo_3ちょっと科特隊のメンバーを思い出してみて下さい。
映画界のベテランにして風格抜群の小林「ムラマツ」昭二氏、豪放闊達な猛者、石井「アラシ」伊吉氏、ギャグメーカーにして表情豊かな二瓶「イデ」正也氏、前作「Q」からのスピンオフキャスト、桜井「フジ」浩子氏。
いずれも特撮番組経験者、もしくはどこへ出しても恥ずかしくない芸達者ばかりです。こうしたバイプレーヤーに囲まれ、黒部氏はさほど主人公らしいスタンスを持てなかったのかもしれません。東宝怪獣映画に出演経験のある黒部氏ご本人も、このメンバーの中ではやや影がうすいような気がします。

「ヒーロー作品はバイプレイヤーが大事」という不文律は、この作品に限らず映画界の鉄則です。時代劇なんかでも、迫力ある立ち回りを作るのは主役より切られ役の演技による所が大きいからです。「マン」という特撮側の主人公が居ればそれはなおの事。そういう意味で、この「ウルトラマン・キャスト」は実に当時らしい配役だったと言えます。


私のそんな印象は、スタッフやキャストによって語られた撮影裏話によってさらに裏付けられました。
「富山県出身の黒部氏はセリフの上でなかなか訛りが抜けず、撮影現場でもよく小林キャップに「訛ってるね」と言われていた」
「当時の番組はセリフは全てアフレコ。(撮影後、セリフのみをスタジオで口合わせで録音する方法)黒部氏はこのアフレコが科特隊メンバー中一番下手で、口とセリフを合わせるのに大変苦労した」
「走る演技の多い科特隊メンバー。若干O脚気味の黒部氏は走る姿がスマートに決まらず、よく飯島敏宏監督から「走る練習」を指示されていた」

などなど・・・
黒部氏・桜井氏のインタビューのみなので若干公平を欠くかもしれませんが、実際ご本人の口から語られた証言なので、まあリップサービス率も低いものと思います。

確かに他のメンバーの裏話もまんべんなくあるのでしょうが、この黒部氏関連の裏話を聞いていて思ったのは、当時の黒部氏の「新人ぶり」でした。
平たく言えば「他のメンバーに遅れを取っていた」という印象なんですね。
石井氏などに多かったやんちゃゆえの裏話じゃなく、「勉強中の俳優の苦労」が窺えるのです。このお話を聞くにつれ、私には「ハヤタはマン顔」というイメージの一端がちょっと推測できるような気がするんですよ。


Photo_4「マン」劇中、ハヤタ隊員ってさほど表情豊かじゃありませんよね。非常にステレオタイプの二枚目で、人間的な奥深さを感じさせる表情がほとんど無い。
これはひょっとすると、当時の黒部氏の演技力不足によるものだったんじゃないかと。
ご本人の懸命な感情表現も残念ながら演技に反映されなかったのでは。
ところがこれが意外な効果を生んだと。ラテックスやFRPで造形されたウルトラマンの顔って表情がありませんよね。後の研究でこの顔は角度によって、また見る人の感情を反映して様々な表情を映し出す「能面的効果」を生むものと言われてきました。
実はハヤタ隊員の顔にも、この「能面的効果」があるような気がするんですよ。表情作りが不得意だった黒部氏の顔に、私たちが感情を反映させたと。


Photo_5ちょっと考えてみて下さい。例えば「マン」前作「ウルトラQ」の主人公、万城目淳を演じた佐原健二氏がハヤタ隊員を演じていたとしたら。
演技力に裏打ちされた佐原氏が作り出す豊かな表情は、あの朴訥仁のようなウルトラマンの人間体としては少し感情を饒舌に語りすぎると思いませんか?
そう考えると、半ば偶然にキャスティングされた黒部氏のあの「演技力不足」が、ウルトラマンの神秘性に大きく影響しているように思えるのです。
「マン」の成功に秘められた数々の運命のいたずらはこれまでにも色々語られてきましたが、ことキャスティングに関してもこういう奇跡が感じられるあたり、「マン」の奥深さを強く感じますね。


単なる顔立ちだけでなくその表情までお互いに影響し合い、絶妙なバランス感覚を見せたウルトラマンとハヤタ。偶然とはいえこれだけの相乗効果を生み出した運命の巡り合せに感慨を禁じえません。
改めて「ウルトラの星に導かれる人々」という言葉の重みを感じてしまいますね。


インタビューのラスト、黒部氏はこう締めくくりました。
「ウルトラマンイコール黒部進なんですよ。ですから表裏一体。
要するにある部分、僕の血の中にウルトラマンていうのは組み込まれてる。
僕の血の一滴みたいなもんですよ。」


ウルトラマンとハヤタ。能面と表される二つの顔を繋ぐ熱い血は、今後も私たちを魅了し続ける事でしょう。ただインタビューに答える黒部氏の表情は、当時よりもはるかに豊かになっていましたが(笑)。

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コメント

 私も黒部進さんの無表情さを感じていました。ただし、「ウルトラマンとの表裏一体」というより、「科特隊のエリート隊員らしさ」を感じていたのですが。

 ハヤタは副隊長格という設定で、現場での作戦指揮を担うこともあります。これだけの責任ある立場のわけですから、事態に直面した時に感情を露にすることもできないでしょう。危機に際しても諦めず、淡々と緻密に行動する冷静さ・頼もしさを、私はハヤタの無表情の中に感じていたのでした。これは熱血の一文字隼人と見事な対比をなす、ヒーローとしての対極の姿でしょう。そして、大きな組織ゆえの不自由な活動で、また宇宙人にピンポイントで狙われ何度と無くピンチに直面し、苦悩していたモロボシ・ダンとも異なる輝きを放っています。

 イデとアラシの凸凹コンビ、紅一点のフジ、毅然としたキャップなどの個性的な設定のキャラたちの中にあって、無表情であるがゆえにそれが個性となったハヤタのキャラは、まさに奇跡のキャスティングだったと感じます。


 私も余談ですが、体のラインや菊池英一さんと古谷敏さんの体型の違いもありますが、帰りマンと初代の違いって、私は菊池さんの肩から首にかけての硬さに感じています。そして後頭部のヒレ(?)の大きさ‥‥。映像を見ていると、帰りマンはいつも首が硬直しているように感じています。


P.S.
 私も『セブンX』を楽しんで見ています。セブンXは放映枠獲得と40周年のために登場させられているのでしょうネ。
 スーパーメカや基地を持たない設定は、逆にリアルさを感じさせてくれていると思います。そして、日常に潜む宇宙人の侵略計画を阻止するために、こちらも日常に潜伏しているというDEUSのエージェントの設定にも感心しています。隊員服やセットをつくる分の予算が無くても、充分にSF的な世界観ってつくれるものなんですネ。

自由人大佐様 たしかに「マン」世界に於けるハヤタ隊員の位置づけは独特のものがありますね。

考えてみれば後の昭和ウルトラシリーズはそのほとんどが、主人公がヒーロー化した後「新人」として防衛チームに入隊しています。これは主人公の特殊性を際立たせる事には貢献していると言えますが、同時にチーム内では新人ゆえの失敗や、任務に対する感情移入の様子を描写しなければならないという側面を持っています。
当然主人公は「沈着冷静」ではいられない訳ですね。

その点、「マン」のストーリー開始以前から既に科特隊の隊員、しかも副隊長格であったハヤタは、後のウルトラヒーロー人間時よりも感情を表に出す必要が無かった。あえて無表情で任務を遂行する事があの頼もしさに繋がったのかもしれません。
黒部氏の無表情の演技は、私が感じた「ウルトラマンとしての神秘性」と同時に、「科特隊のエリート隊員」としての性格描写にも一役買っていたわけですね。
なるほどー。さすが自由人大佐さん。新鮮な視点をありがとうございました。

それにしても、おそらくハヤタ隊員のこの設定は、黒部氏キャスティング後に彼の演技を見て決められたものではなかったでしょう。つくづく偶然の恐ろしさを感じます。
「沈着冷静な隊員」と「人知を超えた宇宙人」という二つのファクターを「無表情」というくくりで成立させる事が出来たのは、おそらく当時、黒部氏以外には居なかったでしょうから。

「SEVEN X」の世界観が予算の問題から逆算された事はおそらく間違いないでしょう。でもおっしゃる通り、あえて虚飾を廃したからこそ生まれるリアリティーもあるんですね。
こういうのが「コストパフォーマンスが高い作品」なのでしょう。
後半、「ジン」の謎があの世界観とどう結びついて行くのか。
製作陣の「技のキレ」に期待したいところです(笑)。

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