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2007年11月 4日 (日)

想像力と創造力

「公演、来れる?」
昨夜、部屋でコタと遊んでいた時かかってきた、ro_okuさんからの電話。
もうすぐ、彼の出演する社会人劇団の公演日なのです。
もちろん行くつもりの私は、彼に鑑賞予定の日時を伝えました。

こうして、今も果敢に同い年の仲間が創造の現場で頑張っている姿を思うと、私も俄然勇気付けられますね。人生、守りに入りがちな私たちの年代にも、まだ熱い思いが残っている事に喜びと頼もしさを感じます。

実は今日、私はロケに備えて台本を執筆していました。ロケ日程の関係でどうしても台本は日曜日の作成になってしまいます。平日、休日などと言っていられないフリーの私には、もうこんな生活が慣れてしまったようです(笑)。

これは私に限らず、台本作成者すべてに言える事と思うんですが、台本って「あくまで映像作品の為の設計図」なんですよね。
「この場面は役者にこういうセリフを言わせて、ここではこんなシーンを入れて・・・。そうすればきっとこんな効果が出るだろう」なんて考えるのはあくまで想像上の事なんですよ。

ですから実際、撮影現場でキャストがカメラの前に立ち、スタッフがフル稼働して出来上がった映像を編集、BGMが付いた時点で、「あー、これは自分の想像通りだ」なんて思う事はめったにありません。
「ここはこうしておけば良かった」「テンポが出なかったなー」「狙いと違った所でいい味が出たなー」なんて事の方が多い。
いや、ほとんどそればっかりかもしれません。
ですから、例えば台本で「A」というテイストを狙っていても、実際出来上がった作品は「Aダッシュ」「B」なんて事だって当然あります。
私などロケ現場や編集室で「やった!思った以上のカットだ!」とか、「ここ、編集でいい雰囲気が出たねえ」なんてその「偶発性」に一喜一憂する事もよくあります。

映画やドラマ好きの皆さんはよく耳にされると思います。「この作品は脚本はよかったけど、それを演出が活かしきれていない」「こっちの作品は脚本は大した事ないけど、それをキャストや演出が補った」などなど。
私のように映像制作に携わる人間は、こういう解析が非常に気になります。予算もなくスタッフも少ない私の番組などはともかく、大勢の人間が携わるドラマや映画などは、脚本という設計図を元に多くの人々の思惑や努力・テクニックが交錯し、その結晶が一つの作品に結実するからです。

今や総合芸術としての立場が確固たるものとなった映像作品に於いて、それを生み出す側には何が必要なのか。
これはもう間違いなく「創造する力」でしょう。
私が『想像』ではなく『創造』という言葉を使ったのには理由があります。


前述のように、映像作品にとって台本、脚本はあくまで設計図なんです。言ってみれば「絵に描いた餅」『想像の産物』なんですよね。それを映像化する為には、脚本を映像というジャンルに置き換える上での『創造力』が必要とされるのです。

具体的な例で言えば、脚本に「ゴジラ、天をも貫く咆哮」とあったとしましょう。小説などではよく見かける描写ですが、あなたならこの一文をどう映像化しますか?
ゴジラの顔からズームアウト?逆に都市の真ん中で吼えるロングショット?
ゴジラをビル越しに舐めて、咆哮と共に手前のビルのガラスが割れる?
こんな風に、文章一つでも映像のバリエーションは無限大にあるのです。
これを撮影条件やストーリーの緩急、場面そのものが要求するテーマなどに添って選択、適切なカットを作り上げるのが監督をはじめとする現場スタッフなんですね。


で、これが重要なんですが、撮影現場に居ると「このカットはどのカットの繋がりなんだっけ?」なんて混乱がよくあるんです。お時間ある方は一本の映画が何カットで出来ているか数えてみて下さい。おそらく天文学的数字になると思います。それほど多いカット中、「自分が作品のどの位置を作っているのか」という事を正確に把握する事。良く撮れたカットに惚れるだけじゃなくて、それが作品の中で効果的かどうかを冷静に判断する事。監督にはそういう全ての要素を鳥瞰する技量が必要とされる訳です。
「創造力」とは、そんな幾多の混乱を経て脚本という設計図を「時間」という流れの中に定着させる力なのかもしれません。当然、予算やキャスティングなど、プロデュース的な要素も絡んできます。脚本段階では予想も出来なかった事だって勃発するでしょう。
どんなにつまらないと思う作品も、それが脚本を元にしたクリエイティブな作業である限り、幾多の困難を経ているのです。


ですから実際、ネットなどでよく見かける「評論」というふれ込みの「感想」などで、まるで作品をコケ下ろすように書かれるその内容を見るにつけ「この文の作者は、制作者の思いをまるで分かってないな」と思ってしまいます。

私もそういう輩の轍を踏まないよう気を付けているのですが、実際それは映像作品を鑑賞する者にとって非常に陥りやすい部分なんですよね。
「この部分が良くなかった」「考えられないほどの駄作」などと書かれた感想があるとしましょう。でもそれは、とにもかくにも「作品」というものがまずあって、それを見なければ書けない事ですよね。
つまりその時点で「制作者」と「評論者」は同じ地点に立っていないんですよ。

評論者はもう絶対的に「作品が無ければ何も語れない」訳です。そういう意味で、全ての作品は既に制作者が絶対的に有利なんです。
無ければ感想が書けないんですから。
以前にもお話した事ですが、作品という物を支配するパワーバランスは「制作者80%、鑑賞者20%」と思います。もう作った側が絶対的に偉い。


「こんな作品なら自分が脚本を書いたほうがまだマシ」などという、神をも恐れぬご意見もたまに目にします。これだって鑑賞側が「20%の範疇」で書いているに過ぎません。
じゃーこの鑑賞者はその非難の的となった作品を観る前に、それを超える脚本を書けたのでしょうか?
「書ける訳ないじゃん。観たからこそ脚本の不備だって分かるし、修正点だって分かるわけでしょ?」
その通り。じゃあ実際、その作品の制作者達は、その作品を完成させる前に「全く同じ作品」を観ていたのでしょうか?


お分かりでしょうか?その時点で制作者は鑑賞者の二歩も三歩も前を歩いている訳です。出来上がったものについてあれこれいうのは簡単ですが、それにはまず「この作品がこの世に存在しなかったら、自分はこれと同じレベルの作品を創造できただろうか」という事をまず考えるべきじゃないかと思うんですよ。

「いや、オタクイーンは業界人だからそう感じるんでしょ?」
確かに。そのご意見もごもっともなんです。確かに普通の人々にとって映画くらい無責任に観たいですよね。入場料やレンタル代を払ってるんだから好きな事くらい言わせてよと。ですから私は、そういう素直な感想はまったく否定しません。
むしろ制作者達はそんなピュアな感覚の方に共感するはずです。「あそこの主人公のセリフに泣けたー」とか、「あの敵役、憎たらしかったね」とか。そんな根源的な感覚の方が分かりやすい。
要は個人的な「好き嫌い」なら問題ないんですよ。でも「良い悪い」という観点で意見を言うなら、「何故良かったのか」「悪かった原因は何か」まで考える必要はあるだろうと。


さらに「脚本が・・・」とか「カットの繋ぎが・・・」「テーマが・・・」など、作品の本質的な部分にまで言及、しかも苦言を呈するのであれば、それ相当の覚悟が欲しいという事なんですよね。それなりに理論武装する事も必要でしょうし。それが制作側に対する礼儀というものです。
おそらく、一介の現場経験も無いファンに面と向かってひとりよがりな理屈を振りかざされたら、スタッフも黙ってはいないでしょう。
「じゃああなたは、私たちの作品を超える作品を作った事があるの?」なんて言われるのはまだましな方、ほとんどの人は理屈で言い負かされてしまう筈です。
「ドラマの力学も分からないくせに」なんて(笑)。


「卵の良し悪しは、卵を産まない者でも分かる」ってよく言いますよね。
でも、「卵を産んだ者は、産まない者よりもっと良し悪しが分かる」んですよ。


私の場合、それが鑑賞者としての立場上たとえ20%の範疇であっても、極力「残念な部分はなぜそうなってしまったのか」を推測するようにしています。
マーケットリサーチの不備なのか。プロデュースミスなのか。ディレクションミスなのか。ミスキャストなのか。
その原因はスタッフの体調や制作時期にまで及びます。
そこまで考えなければ、作品を観たという事にはならないと思っているのです。
で、「あそこはこうすれば」などと考えてもみるのですが、それにしたって「観た後」ですから、所詮感想に過ぎませんね。出来上がってしまった作品に対して何を言っても。どんな作品であれ、制作者の足元にも及ばない意見という事も分かっているのですが。そんな謙虚な姿勢を忘れたくないと思います。
映画「大日本人」を完成させた松本人志も、作り手側の感触としてこんな事を語っていました。
「映画はライブと違い、内容のクレームが修正不可能な所が恐ろしい」と。


ここで冒頭のお話に戻りましょうか。
幼馴染、ro_okuさんの公演は今月の9日と10日の二日間、名古屋市の大きな劇場で行われます。ライブで繰り広げられる演劇作品は映像作品と違って公演ごとに微調整が可能ですから、また違った見方も出来ますね。

映像作品と比べ、演出者や舞台監督と演者の関係が若干違うような気がします。
何しろ「映像と違って撮影という要素が存在しない」という部分が大きいでしょう。またライブである為、演者の入れ替わりや場面転換の物理的段取りも大きく影響します。
ただこちらもやはり「戯曲」という想像の産物に全てのキャスト・スタッフが肉付けし、舞台という場に定着させるという意味で『創造力』がものをいう場である事は変わりありません。


私としては戯曲という「想像」の部分、またそれを形にする上での「創造」の部分の両方に大きく惹かれます。面白いのはきっと、この二つのバランスが取れていては面白くないかもしれないという所なんですよ(笑)。
「想像」に「創造」が負けては話になりませんが、その逆はとんでもない傑作を生む可能性を秘めていると。


今日はちょっと固いお話になってしまいました。
でもこんな楽しみがあるから、作品鑑賞はやめられません。
ただro_okuさんにとっては、今日のお話は物凄いプレッシャーになると思うけど(笑)。


*蛇足ながら付記として
以前読んだある映画評論に「脚本家は創造者・監督は表現者」という意見がありましたが、今回は現場の立場から、あえて少し違った捉え方をしてみました。
最近の作品を見ていると、その垣根も低くなってきたような気もします。

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コメント

もの凄いプレッシャーになってます。
が、今回は役者としてよりも、小道具担当として死にそうになってますが・・・。

オタクイーンさん、こんにちは~
復帰後、さらに濃い記事をありがとうございます~
オタクイーンさんに影響されまくる自分は「NEXT」も観たくなってしまいました。
実は「FIRST」が自分にとって中途半端な印象があり、もうこのライダーシリーズはレンタルもしないだろうなぁーって思っていましたので、今回の記事はえーの一言です(笑)
もしネビュラがなかったら一生観てないかもしれませんね。それは3年前に初めて「ローマの休日」をみて、あまりの素晴らしさに感動し、昔の恋愛映画=つまらないと思い込んでいた自分が恥ずかしくなった事を繰り返すところでした。
まだ「NEXT」観てないのですが機会を与えてくださったオタクイーンさんに感謝です!
ティム・バットマン、当時一発ではまりました~ビデオ買ったりフィギュア集めたり・・・確かにバットマンファンはあまり回りにいませんでしたね(笑)
自分にとっては等身大のちょっと頭のいかれた人物が主人公、しかも武器自作、助け出したキムに「頭大丈夫?」と問い詰められて動揺、、なんて笑えるけど切実に感じ、次の映画の公開が待ち遠しい日々が続きましたね。
後にも先にも試写会に行ったのは「リターンズ」と「フォーエバー」のみですから。
国による感覚の違いはどうしても理解できない部分があると思います。それだからこそ外国映画は面白いともいえますね。
昔、「森の石松」の海外版を見た事がありましたが、「お控えなすって!」が「How do you do」と字幕がでてまして、こりゃー伝わらないな~って諦めました(笑)

ro_okuさん、大変そうですね。
「時の物置」の時もそうでしたが、舞台上では大道具より小道具の方が嘘をつけないですもんね。
たとえバックは書き割りでOKでも、手持ちの道具が偽物では一気に興ざめしてしまいます。
もし本番鑑賞時、今回のストーリーにリアリティーを感じられたとしたら、それは小道具集めに奔走したro_okuさんの功績と思う事にします。
勿論、貴方の演技も期待していますよ。何となく美味しい役回りみたいだし(笑)。

大和少年さん、「仮面ライダー THE NEXT」は私にとって、前作の不満を解消させてくれたばかりか、ここ数年の特撮映画への落胆を一気に吹き飛ばしてしまう興奮を与えてくれました。
イメージとしては、「本編監督トニー・スコット、アクション監督ジェームズ・キャメロン」という所でしょうか(笑)。

改造人間という存在が、そのアンバランスな体と心に折り合いをつけていくという事が、これほど無理なく語られている作品は今回が初めてでした。これでライダーストーリーは新たなページを迎えたなー、なんてガラにもなく感動してしまいまして。
「ライダー36年の歴史はこの作品の予告篇に過ぎなかった」と言いたいほどの充実度でした。「SECOND」ではなく「NEXT」のタイトルは伊達じゃないなと。
(たぶん、私のストライクゾーンど真ん中だったという理由だけでしょうが(笑)。

バットマンについては本当に色々な解析がされていて面白いですよね。「手放しでヒーローと言えない」という部分が彼の最大の魅力だとすれば、それも新しいヒーローキャラクターの鉱脈と思えるのですが。とすれば爽快なカタルシスの創出に困難が伴う事も事実だし・・・。難しいものですね。
来年公開の新作バットマンは、前作の「ビギンズ」と同じスタッフ・キャストなので期待大です。私たち日本人には作れない、新しいヒーロー像を確立していってもらいたいですね。

追伸:「How do you do」には爆笑しました(笑)。

ひえー、演技のみならず、小道具にまで追い討ちをかけるようなプレッシャー、ありがとうございます。

ro_okuさん、あーごめんなさいね。
別に追い打ちをかけた訳じゃないんですが(笑)。
私もお仕事上での小道具探しには苦労しているんで、つい身につまされてしまいまして(汗)。
医療関係の小道具は普段の生活では目にしないものだけに、集めるのも大変でしょうね。公演当日は、そんな努力の結果を見るのが楽しみです。
目を皿のようにして凝視します(笑)。

 この記事にコメントしようか迷っていたのですが、敢えて書くことにします。「反論」というわけではありませんが、お気に障るところがあったらごめんなさいm(_ _)m
(先に謝っちゃいます)

 私にはドラマ(「真珠夫人」とかテレビ版『がんばっていきまっしょい」)をつくっている友人がいるので、作り手の苦労は多少知っているつもりですが、たぶん身勝手なレビュー記事を書いているかもしれません^^;
 「良い・悪い」という視点は私も嫌いです。個人の好みを「この『良さ』がわからないなんて」「これのどこがイイんだ?」といって押し付け、攻撃する発言がネット上では溢れています。こういう風潮は私も残念に思います。
 私も「こうした方が良かった」ということは書いてしまうことがあります。反省します。

 私のブログでの記事は、「その作品を楽しむためのガイド」というようなスタンス、そして「自分の思い出とのリンク」という視点で書いているつもりです。「評論」なんてとても書けません(^^ゞ

 ただ、「映像作品をつくる友人」を持っているという環境ゆえに、私は「制作者の想い」というものに対する視点を持っていますが、一般の人はそうはいかないと思うんですヨ。身勝手に「私なら‥‥」という意見を発信する人には、好きにさせておけばイイと思います。そして、その意見を読んだ人が「何をエラそうに‥‥」と感じるか、「なるほど、そういうのもありか」と感じるか、それも勝手にさせておけばイイかと。それを「評論」だと思っている「にわか評論家」たちには、それが楽しみなんですから(^o^)/

 「制作者の想い」というのは、作品の評価とは別次元のものだと思うんですヨ。「制作者がどんなに苦労してつくった作品か」ということと、作品そのものの魅力は無関係ですから。
 素晴らしい絵を見た時、美しい音楽を聴いた時、その作品がどういう技法でつくられたか、どんな画材・楽器が使われているかということを知らなくても、作品の素晴らしさは感じられます。1つの映像作品が、照明の効果、撮影のレンズやアングルの選択、編集のテンポ、そしてテレビ作品なら尺との問題などなど、どんなに複雑で大変な苦労があるのか、一般の人は知りませんよネ。クリエイターとしてのオタクイーンさんには納得しがたい部分もあると思いますが、一般の人の受け取り方まで制作者が指摘することはできませんヨ(^_-)-☆

 ある歌をつくった人が「実はあの歌は○○というテーマでつくったのに、誤解されているんですよネ。」なんていうことを、苦笑しながらおっしゃっているトーク番組を見ることがあります。作り手と受け手の温度差というのでしょうか、正しく伝わらないことも多いようで。受け手側の感性が鈍っているのでしょう。そして、その鈍った感性で評論している一般の人も多いことでしょう。
 そんな一般の人を相手に、作品を発表し続ける苦労はお察しします^^;

 私もずいぶんエラそうに勝手なことを書いてしまいましたが、「無」から映像作品をつくるクリエイター諸氏の創造力には敬服しております。オタクイーンさんもこれからも頑張ってください。そして、一般の人を楽しませてあげてくださいませませ。

自由人大佐様 貴重なご意見ありがとうございました。今回の記事は非常にコメントしづらい面もあったと思いますが、構えてご投稿頂いた事に深く感謝致します。

実は今回の記事、私の思いが充分に伝わらなかった部分があります。
それはひとえに私の文才の無さに基づくものです。深くお詫び致します。

さて今回、自由人大佐さんはじめ読者の皆さんには、「作品の受け手は送り手の思いを正確に理解し、それを何よりも優先すべきだ」という風に伝わったような気がします。頂いたコメントにもその部分に対する色々なご意見があり、大変参考になりました。ところが、私がこの記事で伝えたかったのはそういう事ではないのです。

「好き・嫌い」という個人的な好みとは別に、「良い・悪い」という評価には、たとえ一般視聴者や観客からの発信だとしても一定の責任が必要な気がするのです。
作品の何を根拠に良いと思ったのか。悪いと思った根拠は何か。その部分をはっきりしなければ、制作者に対しての「評価」とは言えないと思うのです。その根拠が推測に基づくものであれば推測である事も明らかにすべきでは?推測なら推測で良いんですよ。「この評論者はそう推測した」という事が読み手に分かる訳ですから。

ところが、この「推測」にも一定の知識が必要ですよね。
例を挙げましょう。

いつも通う喫茶店のランチ。650円でボリュームタップリ、飲み物まで付いていますから近くのビジネスマンに大人気です。
ところがある日、このランチを食べているお客さんが言いました。
「このランチ、もう一品おかずが欲しいなー。俺がここの店主だったら付けるな。」
ランチとはある程度の集客を見込んで赤字ギリギリで出すメニューですよね。ですから現状で「もう一品」なんて不可能な訳です。

彼は「俺が店主なら」という一言を言う前に、その裏事情を「推測」する必要があると思うんですよ。資本主義社会ですからそれくらいの商業原理は分かるでしょうと。
業界の裏側番組が毎日のように放送される現在、彼のこの一言はあまりに配慮を欠いていますよね。でも彼にはその「知識」がなかった。

実は私が言いたかったのはその部分なんですね。
別にランチの品数が少ない事を「これで充分と思え」と言っているわけじゃないんです。そのランチについて「多い・少ない」等どんな感想を持とうと自由。でも「自分が作るなら」と言うのならそういう裏事情を調べる、もしくは推測してからにすべきでしょうと。
店主だって胸の内では思っているはずです。
「言われなくても分かっている。でもそれじゃ赤字。やりたい事とやれる事は別なんだ。」

確かに、やりたい事を全て実現できればそれに越した事はありません。ただ映像作品だって商業原理に基づいた「商品」である以上、そういう事情から逃れる事はできないのです。
つまりこういう事です。作り手の想いと作品の評価は別なのは当然であっても、「自分でも作れる」なんて言葉を使ったなら、それは書いた本人が即作り手側に回った事を意味すると。

きっとそういう人はこの言葉をそこまで深く考えずに使っていると思います。
実際、リアルの私の周りにもそういう人は何人か居ました。
そんな時、私はこう言うことにしています。
「じゃああなた、今すぐ作ってみなさいよ。」

ここできっと自由人大佐さんは思われたと思います。
「映像作品はランチほど裏事情が透けて見える訳じゃない。」
そのとおりです。なにしろ映像作品には「値札」が付いていませんから。テレビでは制作費一億円の作品も百万円の作品もタダで放送されます。そこから裏を推測しろという方が無理なお話ですね。
だからよけい思うのです。「自分が振りかざす理屈は、常に真相とは異なるかもしれない」と肝に銘じておかなければならないと。

私が記事上で「推測に過ぎません」「間違ってたらごめんなさい」と常に書いているのはその為です。自分はいつも間違っているかもしれない。制作者の逆鱗に触れる発言をしているかもしれない。ネットという万人の目に晒されるツールなら余計、そういう配慮が必要に思えるのです。

「いや、単に勢いで書いているようなそんな言葉のアヤを、真剣に受け取るオタクイーンの方がどうかしてるんじゃ?」なんてご意見もおありでしょう。でもここが普通のファンと「映像で生計を立てている者」との違いと言えるのかもしれません。
実際、私も何故今回のような記事を書く心境に至ったのか考えてみたんですよ。
あれこれ思いをめぐらし、結局ここへたどり着きました。

自由人大佐さんが毎日頑張っていらっしゃるお仕事に対して部外者から「知ったような口」をきかれたら、顔では笑っていても心中穏やかではないのでは?私の場合、それが映像業界だったという事です。
こう申し上げればご理解頂けるでしょうか(笑)?

長々とくだらないお話をお聞き頂き申し訳ありませんでした。
でも一つ思うのは、「事情を知っている、もしくは推測である事を認識している人ほどその発言は謙虚」という事です。
私が自由人大佐さんの記事を拝見する度に敬服するのは、必ず「・・・だったのでしょうか?」という記述があるところです。自由人大佐さんはファンの立場としてのテリトリーを自然に心得られている。自由人大佐さんをはじめ「ネヴュラ」にいらっしゃる識者諸氏は皆さんその節度を守られています。これは素晴らしい事です。
私はこんな皆さんと意見をやりとり出来る事を誇りに思っています。

毎日、作り手側と受け手側の狭間でスタンスの確立に揺れ動く私は、きっとこれからも数々のジレンマに翻弄される事でしょう。今回のように舌足らずな記事もあるかと思いますが、そんな時はまたご意見をよろしくお願い致します。

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