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2007年7月25日 (水)

文句だけは美しいけれど

昨日も暑かったですねー。時間があったので昼間ウォーキングに出ましたが、もう歩くだけでフラフラになるほどで。
常に水分補給を心がけないと熱中症が怖くて。

私の地方はまだ梅雨明けしていませんが、これだけ暑ければ気分はもう夏本番。なにかと夏の風物詩が恋しくなっちゃいます。

私などおバカなオタクにとって、夏と言えば恐怖ドラマなども風物詩の一つ。久しぶりにレーザーディスクを引っ張り出して(うーん古い)「怪奇大作戦」なんかを見ちゃったりして。
皆さんも頷かれるもしれませんが、俗物の私などはシリーズドラマを見るにも特に偏りが大きい。どんな番組にもお気に入りのエピソードがありまして。まー難しいお話よりも、単純に楽しめたり怖がれたりするのが好きなんですよ。
「ウルトラセブン」と「帰ってきたウルトラマン」を繋ぐミッシング・リングなんてLDジャケットに記されてはいても、「そー言われればそうだけど、私はそんな事あまり気にしてないし」と、とにかく見たいお話だけを再生するという、マニアの風上にも置けない鑑賞姿勢だったりします(笑)。

Photo_1064そんな訳で、その時の気分で選んだエピソードは第8話「光る通り魔」(1968年11月3日放送 上原正三・市川森一脚本 円谷一監督)。
最近「ネヴュラ」読者層も大変レベルが上がり、素晴らしい識者諸兄がご覧になっているので、私などが偉そうに語れる事など何も無いのですが、それでもこのエピソードを未見の方の為、最低限の説明は必要でしょう。
いつもながら舌足らずなストーリー解説ですが、何も無いよりは増しと言う程度でお聞き下さい。

この「怪奇大作戦」と言う番組、通常では考えられないような怪奇現象を科学的に解析、その裏に隠された犯罪を暴きだす半官半民の犯罪捜査組織「SRI」の活躍を描く30分ドラマです。前述の通り「ウルトラセブン」の後番組として、1968年9月15日から翌69年3月9日まで、全26話が放送されました。
「セブン」の後を受けただけあって、スタッフも「セブン」の布陣がほぼそのままスライド、「セブン」で築かれたリアルかつシリアスなドラマ作りが活かされています。ただ後述しますが、その世界観はウルトラシリーズとは趣を意にしている感触を受けます。(しっかり「セブン」を意識して書いてますね。なんて一貫性の無い私(汗)。

この番組の売りは、何と言っても毎回登場する「怪奇現象」。
吸血鬼、人喰い蛾、生首、生きている人形、絵画から抜け出る人間などなど、まー夏にふさわしい賑やかな(笑)メンバーで。
ただこれらは昔ながらの怪談や恐怖譚ではなく、SRIの科学的捜査によって現代社会にふさわしい理由付けがされる訳です。
子供の頃この番組をリアルタイムで見た私は、そんな科学的解析などどっかへ飛んでしまって、「怖い番組」という印象しか残っていないのでした。おバカでしょー(笑)。


で、今日再見(もう何度目でしょうか)した「光る通り魔」。この作品、大まかなビジュアルイメージは東宝映画「美女と液体人間」(1958年 本多猪四郎監督)に繋がるものがあります。
「美女と~」をご覧になった方なら、この「光る通り魔」で起きる怪奇現象の雰囲気は即座にお分かりになるでしょう。

Photo_1065住宅公団に勤める女性社員・陽子の目の前で、彼女の上司がアメーバ状の発光体に襲われます。発光体は陽子を見張るように彼女の身辺に出没、彼女のフィアンセも狙われてしまいます。
意思を持ち、何かを伝えたいかのように陽子に近づく発光体。発光体を「燐光人間」と名付けその正体を追跡するSRI。
わずかに残った燐反応を手がかりに真相を追う彼らの前に意外な真実が・・・


こんなお話です。30分のドラマですから余分な遊びが一切無い。まー実にストレートかつツボを抑えた展開でつき進む、といった印象を受けます。
今と違い、30分の一話完結ドラマがまだ生きていたこの頃、シナリオライターにも30分でテーマを訴えるテクニックが備わっていたのでしょう。「マン」「セブン」で腕を鳴らした上原・市川両氏も、実に手馴れた様子でこのドラマを紡いでいます。

不思議な事に私、クールな肌合いの「セブン」はどうも苦手なんですが、この「怪奇」は大好きなんですよ。「ウルトラセブン」という番組はセブン本人が出なければ良質のSFストーリーなのに、なーんて評論を時々目にしますが、ひょっとして私も無意識の内にそれを感じているのかもしれません。あくまで私見ですが。

Photo_1066今回は都合上、ストーリーの続きをお話しましょう。
実は陽子の身辺で捜査線上に浮かんだ人物が一人。陽子の同僚・山本伸夫。生真面目ながら彼が陽子に恋心を抱いていた過去を知り、山本が燐光人間を操っているのではというSRIメンバー・牧の推理を、陽子は言下に否定します。

「山本さんは犯人じゃないわ。死んじゃったんですもの。」
陽子はそんな山本を疎ましく思っていたのです。
三ヶ月前、山本は陽子に遺書を渡し、故郷の阿蘇に身を投じていたのでした。
陽子の証言の直後、彼らの前に現れる燐光人間!


何故、陽子の前にこれほど燐光人間が現れるのか。阿蘇へ飛んだ牧は、その火口である推理を抱きます。
「もし、マグマの中央に落ち込めず、岩場へ転げ込んだとしたら。死の苦しみに耐えきれず、この毒ガスと地獄の熱気の中から再び這い上がって行ったとしたら。
それは恐ろしい生への執念だ。
その執念が、彼の体をも作り変えて行ったとしたら。
考えられん。人間が生物で無くなってもなお生きるなんて事。
しかも、有史以前の地層をむき出しにしたこの地獄の底から。」


Photo_1067この推理、そして彼の中での常識とのせめぎ合い。これが「怪奇大作戦」という作品全体を貫くスタンスではないかと思います。
異形の存在に常識で挑む人間の姿。これはウルトラシリーズとは一線を画す世界観ではないでしょうか。「怪奇」の舞台は私達の世界。怪獣や宇宙人が存在するアンバランス・ゾーンではありません。

しかし火口の熱気の中で、牧は生物の根源に根ざした確信を掴みます。
「そうか。有史以前。すべての生物が、この地獄の熱の中から這い上がって行ったのではなかったのか。」


ここで視聴者は、山本が頑強な執念により「生物の姿を捨てて」燐光人間に変化して行った事を知らされるのです。
山本の胸の内に燃える「頑強な執念」とは。一つには陽子への思いがあったのでしょう。そしてもう一つは。

これは未見の方の為に伏せておきましょう。
彼が人間の姿を失ってまで訴えたかった事。しかしそれを越えて尚、迎えなければならなかった悲痛なラスト。
その後味の悪さが特徴でもある(笑)「怪奇」ですが、このエピソードに於けるラストシーンの残酷なビジュアル、そしてそれを見守る事しかできないSRIメンバーの姿は、かの「特捜最前線」を思わせるものがあります。(私見ですからね。私見(笑)。


久しぶりにこの「光る通り魔」を見た私は、ある思いに捉われていました。
「このストーリー、後味の悪さ。どっかで感じた事あるなー。」
実は私、この後二度目のウォーキングに出かけたのですが(おバカでしょ)その間もずっと考えていました。
思い当たりました。脳内アドレナリンが記憶に影響したようです。
カンのいい読者の方は、今日のサブタイでお分かりでしょうね(笑)。

「このお話って「故郷は地球」じゃん。」
「故郷は地球」。「ネヴュラ」最多登場かもしれない「ウルトラマン」第23話(1966年12月18日放送 佐々木守脚本 実相寺昭雄監督)。

Photo_1068ウルトラクリエイターの異端児として、常にシリーズのアンチテーマを訴え続けてきた実相寺監督の問題作です。
宇宙開発競争の中、ある国が打ち上げた人間衛星が失敗、その国は非人道的な計画を隠蔽しました。宇宙を漂流するパイロットは自力で地球を目指しましたが、彼の体組織は宇宙空間に適応、怪獣のような姿になってしまいました。
彼はそんな姿になりながらも、自分を見捨てた人類への復讐という「執念」の為に地球に戻ってきたのです。
宇宙飛行士の名はジャミラ。人間衛星の失敗から目を背けようとする人類は彼を敵とみなし、攻撃を開始します・・・


このエピソード、ご存知の方も多いでしょうからこれ以上の説明は不要ですね。個人的には「光る通り魔」のテーマは、この「故郷は地球」に極めて近いと感じました。
ジャミラの末路については今更説明する必要も無いでしょう。
彼は何も悪い事はしていない。宇宙開発の犠牲者ですよね。
しかし人類は異形の者を許さない。異形であるだけで既に「敵」なのです。そして彼の訴えは実を結ばなかった。
彼は国際平和会議を阻止する事は出来ませんでした。他ならぬ「地球の守り」ウルトラマンの手によって。

(このウルトラマンのスタンスについてはこれまで色々語られてきたので、また別の機会にお話しましょう。)

実は「光る通り魔」では、燐光人間・山本はジャミラより幸福でした。彼は自分を陥れた者に一矢を報いたのです。しかしそれでも彼は悲しい存在でした。異形でありながら人間の心を持つ者。その末路は常に悲劇を免れないのでしょうか。
「故郷は地球」と「光る通り魔」。同じテーマを描く二作品ですが、前述の通りそのテイストは大きく異なります。
調停役たる宇宙人・ウルトラマンを幕引き役に回し、地球人が直接手を下さない事で寓話のオブラートに包もうとした「故郷は地球」(包みきれたとは言いがたいですが)に対して、「光る通り魔」で山本に鉄槌を下すのは彼と同じ人間、SRIのメンバーなのです。


一矢を報いた山本に対し、警視庁の町田警部はこう語ります。
「しかしまあ、浮かばれようというもんじゃないか。」
でも、この場面には続きがあるのです。
その残酷なエンディングをご覧になった貴方の胸には、きっと「故郷は地球」のラスト、ジャミラ・プレートの前で悲痛に叫ぶイデ隊員の言葉が去来する事でしょう。


なんか「怪奇」について語ると、こういうシメになっちゃうんですよね。本当はもっと明るくお別れしたいのに(笑)。

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コメント

こんばんわ。
「怪奇大作戦」と「特捜最前線」の共通点、
何だか判ります。
「怪奇」の「かまいたち」の回なども
あれが「爆弾」だったら、
ほとんど「特捜」になってしまう気がします。

市川流の読み時をしてみますと
市川森一氏と佐々木守氏のこの二つの相似形の作品を
一番分け隔てている部分は
「怨念の対象」ではないかと思うのです。

詳しくはいずれ自分のブログで
佐々木作品にたどり着いたときにUPする
駄文を読んでいただければ簡単なのですが
(しかし佐々木作品のUPはまず一年以上先という長丁場w)
佐々木作品の場合、『七人の刑事』の『二人だけの銀座』もそうなのですが
抑圧されて怨念の塊になった復讐者の「復讐」は
なぜか自分を追い込んだ直接の対象ではなく
「自分の不遇な状態を全く認知しない
幸せそうな善意の第三者」
に向かう傾向が強いのです。
ジャミラが直接襲ったのも
宇宙開発とは無縁の平和な山村でした。

これに対して市川作品では、しっかりとその怨念は
ダイレクトに対象者に向けられます。
上原作品ではその「怨念の復讐」は
必ず自身に回帰する結末を迎え
いわば『光る通り魔』は
そんな二人の方向性が絶妙にマッチした
「怨念の復讐の末路」であると
言えたりするのではないでしょうか。

しかしオタクイーンさんの分析はとても正確で
例えば市川氏が佐々木氏の作品を
常に意識して仮想敵として
自身の作劇に取り込んでいたことは
『シルバー仮面』の『一撃! ハンマーパンチ』の回が
ある意味「もう一つの『故郷は地球』」であることからも解るとおり
市川森一氏は佐々木作品を換骨奪胎させて
自身のテーマをそこに織り込んでいく作法を
この時期何度か行っています。

金城・佐々木・上原・市川の各作家氏達は
皆プライベートではとても仲が良く
それが息づいていた当時の円谷は
自分にとっては夢の梁山泊のような世界ですが
その中において各作家のそれぞれの仕事を俯瞰してみると
常に互いが互いを意識して、独自性や劣等感
そしてライバルには負けたくないという努力の跡などが
常に垣間見えるさまは、とても「正しいプロの世界」なのだなと
自分などは改めて全ての作家氏達に
尊敬の念を抱いてしまいます。

そしてそのリスペクトは、オタクイーンさんにも抱いております。

かつての「夢工房」の志士達のように
私たちもまた、互いの発信の中で精進していければと
今回オタクイーンさんの文章を読んで
嬉しく思いながら痛感させていただきました。

この間、夜NHKでやってた「怪奇大作戦セカンドファイル」って、いったい何だったのですか?

ジャリゴン様 コメントありがとうございました。
やっぱり皆さん「怪奇」と「特捜」の空気に共通するものを感じてらっしゃるんですね。私だけじゃなくてよかった(笑)。
「かまいたち」もそうなんですが、「怪奇」に登場する犯罪者達には「虐げられた者」という印象が付きまといます。絶対的な悪が登場する事は少ない。それが作品の後味の悪さ、やりきれなさに繋がっていると感じるのですが、その図式が「特捜」のそれに近いという事なのかもしれませんね。
まあ「特捜」のメインライター、長坂秀佳氏描くところのトリッキーなストーリー運びも影響しているとは思いますが。
長坂さんなら、「かまいたち」をそのまま「特捜」の一話として書きそうですしね。お倉入りは間違いないでしょうけど(笑)。

市川大河様 力のこもったコメントありがとうございました。
おっしゃるような重要な解析は、拙ブログのコメントとしてご披露頂くには何かもったいない程で。
まさに貴ブログの本文レベルの内容ですね。
確かに同じテーマを扱っていても佐々木氏、市川氏、上原氏の作劇にはそれぞれ異なった視点が見受けられますね。後年の各氏の作品を考えると、この違いは非常に興味深いものがあります。

当時の市川、上原両氏の気概、佐々木氏とのライバル的な関係は後年、私も文献等で窺い知る事が出来ましたが、実相寺氏と組み「ウルトラマン」で先鋭的な作品を連発した佐々木氏は、精神的バランス、キャリアの面でも市川、上原両氏より一歩先を行く存在として認知されていた気がします。

佐々木氏が後年「マン」に関する特別対談番組などで、「マン」執筆時の思いについて語っている事はご存知でしょう。
「自分が執筆陣に加わった頃「ウルトラマン」はかなりの高視聴率を獲得していて、「自分があの番組を書けるのか」という格別の思いがあった。当時実相寺氏も「ちょっと頭を冷やして来い」と(笑)TBSから円谷へ出向を言い渡された時期でもあったし、二人で何かやってやろうという気概に溢れていた。」

当時、佐々木、実相寺両氏はオリジナルの企画をことごとくTBSに蹴られ、かなり鬱積が溜まっていたそうです。その鬱積が爆発したのが「マン」の諸作だったわけですね。
ただ、当時佐々木氏は決して「マン」の世界観を否定していた訳ではなく、チーフライター金城哲夫氏の懐の深さに大きな感謝を覚えていたそうです。
「自分達があれだけ「マン」の世界を揺さぶったのに、金城氏は「この方がマンの世界が広がるんだ」と受け入れてくれた。それには本当に感謝している。」

確かに後年の解析で、この頃の金城氏の内に渦巻く葛藤が語られた事もありましたが、佐々木氏のこの言葉にも嘘は無かったと思いたいです。金城氏はスプーンをかざすハヤタ隊員やジャミラを倒すマンにも確実に愛を感じていたのだと。

件の対談番組は丁度20年前に放送されたものですが、その時佐々木氏は(当時考えうる)「ウルトラマン」新作についてこんな構想を語っています。
「今度ウルトラマンと戦う敵は、全て地球の人間(が怪獣化したもの)にしたい。」
「故郷は地球」の頃から新作の構想まで佐々木氏の思いは一貫していたのでしょう。
佐々木氏はやはり、人間が持つペシミズム・デーモニッシュな部分を形にしたようなキャラクターに心を奪われていたのでしょうね。
「カネゴンの繭」を執筆した山田正弘さんに対し「この時はしてやられた」と語る姿も印象的でした。

後に続く市川、上原両氏もそんな佐々木氏をライバルとし、互いに影響を与えながら切磋琢磨していった「マン」当時の円谷プロは、おっしゃる通り理想的な環境だったのでしょうね。
ただ、今も現場を経験している私にはそれは「プロ意識」とはやや別の肌合いに映ります。やはり彼らは、特撮・ヒーロー番組に無限の可能性を信じ、「醒めない夢」を見ていたのだと。
苦しい予算、時間に追われる環境ながらも、彼らの目は「マン」の眼光のように光り輝いていたのでしょう。

ちょっと長くなってしまいました。ごめんなさい。
ご覧頂いてお分かりの通り、拙ブログは毎日好き勝手書くだけのお気楽日記です。貴ブログの足元にも及びません。
資料に裏打ちされた綿密な解析は私にとって大変苦手な分野で
(笑)、これからも相変わらず、唖然とされるような的外れの説をぶつ事も多いと思いますが、そんな駄文が大河様の発想を触発する一助にでもなれば、これほど嬉しい事はありません。
貴ブログのお仲間の末席に加えて頂ける栄誉を胸に、これからも細々と続けて行きたいと思います。
またよろしくお願い致します。

ro_oku様 来ましたねー。
こういうディープなネタにコメントするという事は、いよいよ貴方もオタクの世界に片足をツッこむ覚悟が出来たと(笑)。

「怪奇大作戦セカンドファイル」ご覧になったんですね。この番組は今回の記事で採り上げた「怪奇大作戦」のリメイクで全三話。
今年制作された新作です。
4月にNHK-BSi、5月にBS2で既に放送され、この7月に地上波・NHK総合で放送中です。
先日、7月22日の0時10分から放送されたのは第二話「昭和幻燈小路」。最終話「人喰い樹」は7月29日の同時刻に放送予定。
夏の夜にふさわしい恐怖のドラマをお楽しみ下さい。

余談になりますが、最近「俺たちの祭」のDVDボックスを入手、毎晩のように見ています。主演の中村雅俊と貴方とはちょっとタイプが違いますが(笑)、演劇に賭ける若者の姿は貴方を含む劇団のお仲間と重なり、不思議なデジャブーと感慨を覚えさせてくれます。
その心の内はどうあれ、やっぱり何かに賭ける姿は人に感銘を与えるものです。頑張って下さいね。応援しています。

オタクイーンさん、こんばんは~
またまた参りました~タイトルをみて。。。なんせ昨日「故郷は地球」を見たばかりなんです。
いつもタイムリーな話題でびっくりすることが多いですね。。なんかオタク周波数が合うのかも知れませんね。
「光る通り魔」は見たことないのですが、またまた見たいリストが増えました。あ、「知りすぎていた男」を再見するのが先でした~
製作現場でのお話、非常に楽しいですよ。なんせオタクイーンさん以外知りえなインサイド情報であり、一般視聴者の自分らは普通なら絶対に知らされないやり取りだからです。
スポンサー、予算との葛藤、まさに現場を象徴する項目にこれからの展開が気になるお話ですね!!!オタクイーンさんの提案が通って超ヒット番組に・・・なーんてなると、、、ムフフですね(笑)
いろいろと難しい事情もおありでしょうが、続報も楽しみに待ってます~!!
「暗殺者の家」は才能あるアマチュアの作品。「知りすぎていた男」はプロの作品。についても、自分は何がプロ足りえる仕事なのかまだまだわかりません。
ただ金銭的にプラスになって顧客満足であればプロという風潮もありますが、儲かればどんなものでもいいのか?という自問も沸いてきます。。一生わからないのかも知れません(笑)

 『怪奇大作戦』は大好物の特撮番組です。小学生の頃に再放送で見てから、その後は長く出会えなかったために私の中で「幻」の作品となっていたことも、この作品への愛着が膨らんだ原因かもしれません。

 しかし、エピソードによっては趣が大きく異なり、好き嫌いの差が大きいものがありますネ。私の好きなエピソードは
「人喰い蛾」「光る通り魔」「霧の童話」「呪いの壺」「かまいたち」「殺人回路」「美女と花粉」「狂鬼人間」
です。
 逆に苦手なエピソードは
「吸血地獄」「ジャガーの眼は赤い」「オヤスミナサイ」「幻の死神」「死者がささやく」
です。

 両者の大きな差は、事件とその捜査過程のわかりやすさの違いでしょうか。映像の衝撃度も関係してそうです。
 好きなエピソードを挙げてみると、オタクイーンさんの分析された「虐げられた弱者」が犯人のものですネ。そして苦手なエピソードは金儲けが犯行動機であるものが多いことに、今気付きました。何だかモヤモヤしていたものが晴れたようです。

 この「光る通り魔」や、その他では「氷の死刑台」のように、SRIが事件解決にまで踏み込んでしまう展開は好きではありません。ある意味での犠牲者である「燐光人間」「冷凍人間」に止めを刺さなければならない役割は、彼らには似合わないと思います。

 あ、そうそう、この前の22日(21日深夜)に「人喰い樹」が放映されました。29日には『セカンドファイル』の放映はありません。

 ん~、田村奈美(奈巳)さん、キレイです(*^o^*)

大和少年様 返事が遅れ申し訳ありませんでした。
どちらかと言うと昔から実相寺作品は苦手な方で(笑)。
どうもあのウルトラ世界を裏返して行くような作風は今ひとつ・・・
でもこの年になって再見すると彼が語りたかったテーマもよく分かり、別の意味で味わい深いものがありますね。
ところが「光る通り魔」については、そういう抵抗がまったく無いんですよ。テーマは近いものがあるのに。
その差は結局「番組のパッケージング」によるものなんでしょうね。
まあこれを語りだすとまた長くなっちゃうのでこれくらいにしておきましょう。いずれ記事に上げる機会もあるかもしれません。

今日は番組のロケだったんですが、先日の記事の件を直接上司であるプロダクション担当者に報告した所、やはり彼はやや複雑な表情でした。「何故自分を通さないのか。」ですね。
結局良い番組を作る為には、こういうしがらみを一つ一つクリアしていく忍耐力が必要なのです。これはどんなお仕事でも共通する事と思います。お笑い番組で無責任にボケを演じる芸人達の姿も、こんな気の遠くなるような人間関係の積み重ねの結果なんですよ(笑)。
まー私の企画力など「ネヴュラ」でお察し頂ける程度のものです。
きっと妄想の域を出ないおバカな思いつきでしょうが、どんな企画であれ、それを依頼される立場に居られる事が何よりの幸福であると感じています。

「知りすぎていた男」はヒッチコックが脂の乗り切った頃の名作です。しかもヒッチ唯一のセルフリメイク。オリジナルの「暗殺者の家」から観るも良し、あえて「知りすぎた~」から見るも良し。
どちらも観客の期待を決して裏切らない、極上のメニューである事を保証いたします。
まー、私の保証ですからなんの権威もありませんが、「アマチュア」「プロ」等の解析にこだわらず、単純にお楽しみ下さい。
「ドキドキした~」なんて感想が最も似合う作品です(笑)。

自由人大佐様 やはり「怪奇大作戦」には見た者を虜にする何かがありますね。「隠れ怪奇ファン」って意外に多いのかもしれません。

私も「怪奇」についてはいつも見てしまうエピソードと、ちょっと苦手なものに分かれますね。
でも好きな作品は毎日のように見る「偏食」です。
私の食事時のBGVの双璧は、昔記事にも上げた「電送人間」(これは東宝映画ですが)と「殺人回路」ですから(爆笑)。
昔、本放送でこのエピソードを見てから、「美女の絵は抜け出て来るものだ」という強烈なトラウマが根付きました。
子供の頃に「怪奇」を見てしまうと、もう凡百のホラー・スリラー映画では怖がれなくなっちゃうんですよね。返す返すも当時のタケダアワー恐るべしと(笑)。

でもおっしゃる通り、「怪奇」ではSRIの立ち位置が非常に微妙ですね。それはおそらく「かまいたち」あたりで表出してしまうメンバー牧史郎の「犯罪者との心理的同一化」による所が大きいと思います。
半官半民という立場をとりながらも警察組織でもないSRIがあそこまで事件に深入りしてしまうドラマ的背景には、あまりにも犯罪者側に立ちすぎてしまう牧の心理的葛藤を描く為だったのでは。なんて。
彼らSRIが虐げられた者達に鉄槌を下す時、牧の胸には、どこか近親憎悪にも似た辛さがあったのではないかと思います。

さて、「セカンドファイル」についての情報ありがとうございました。
実は私の住む愛知県では先日の台風の影響で放送が一週遅れになっていまして(涙)。
22日、たまたま「昭和幻燈小路」を見ていなければこの一週間のズレには気づきませんでした。そんな訳で「人喰い樹」は29日までおあずけです。これが地方の辛さ(涙)。
お気使い感謝致します。

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