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2007年7月20日 (金)

「才能あるアマチュア」対「プロ」

先日、私が今アルフレッド・ヒッチコック作品を再見している旨をお話しましたね。その後も手持ち作品はもちろん、新たにDVDを買い込んでその世界に没頭しています。
何しろヒッチの旧作は結構500円DVD化され、色々なメーカーから発売されていますからものすごく入手しやすい。何より貧乏な私にとって、この値段は非常に嬉しいのでした。何度も見たいヒッチ作品は、レンタルでは物足りないですから(笑)。

さて。そんな諸作の中から今日お話したいのは、ヒッチ話術の魅力が詰まった傑作にして、彼唯一の非常に稀な研究材料となった二作品についてです。
ヒッチはその生涯、全部で53本の作品を世に残しました。彼の作品には同じモチーフやテーマが繰り返し登場し、後の作品になる程そのストーリーテリングは確立されていったと思います。ただ当時の多くの監督と同じく、たとえテーマやモチーフが同じでも「全く同じ作品」を創る事は非常に稀な例。1920年代から70年代、ヒッチの活躍していた時代は、原作物など「誰もが知る有名なお話」を除き、オリジナル作品にはまだ「物語のパターンなど無限に生み出せる」という神話が生きていたのです。
リメイク作品が当たり前になり「またあれか」と観客が眉をひそめるような時代など、誰も想像していなかったのではないでしょうか。

ヒッチもその例に漏れず、その生涯で自作をリメイクしたのは一度だけ。それが今回お話する「THE MAN WHO KNEW TOO MUCH」です。
この作品、初映画化は1934年。ヒッチ・イギリス時代の作品です。日本では「暗殺者の家」という邦題で公開されました。
続いて1955年、ヒッチ自らの企画でセルフ・リメイクとしてアメリカで製作。こちらの邦題は「知りすぎていた男」。
この邦題を聞いて「ああ、あれか」と思われた読者の方もいらっしゃるでしょう。

この二作品も既にクラシック作品の仲間入り。時の流れは早いものです。(って、「知りすぎていた男」って「ゴジラの逆襲」と同年なんですね。クラシック扱いも当然です(笑)。

いい機会ですからここで白状しましょう。
実は私、この二作品の内、先に見たのはリメイク作「知りすぎていた男」の方でした。1984年、ヒッチの死後全国で大々的にリバイバル公開された際、劇場で鑑賞したのが初見でした。
そしてっ。オリジナルとも言える「暗殺者の家」を発鑑賞したのがなんと今月15日。この前の日曜日だったのでした(笑)。

いやーヒッチ好きを自称する私としてはまるで「装甲騎兵ボトムズを知らなかった岡田斗司夫」並みの失態。穴があったら入りたいくらいの情けなさです。ここでお詫びしますからお許し下さい(涙)。

ですからこの二作品に関して、私はオリジナル・リメイクの順番で鑑賞していないのです。しかも見比べたのはつい最近(笑)。こんな体たらくで正確な解析なんてできるのでしょうか(汗)。でも私、ここでハタと気づきました。
「こういう順番で見た人も多いだろうし、リメイク発オリジナル行きの立場から語るのもいいかなー。私程度じゃ大したお話も出来ないし。」
という訳で、今回はこのメンタルバランスを楽しむ事に。「それじゃオタクイーン、リメイクに肩入れしちゃうんじゃないの?いつものオリジナル偏重主義に反するんじゃ?」なんて思われる皆さん、今回ばかりは私もお話の行く末が分かりません。

思いつくままつらつらと語ってみようと思います。いつもの事ですが。

Photo_1045さて。まずオリジナルに敬意を表し、このストーリーのプロットは初作「暗殺者の家」から語る事にしましょう。と言ってもネタバレは極力避けますが。
ヒッチお得意の巻き込まれ型ストーリー。どこにでも居る市井の家族が主人公です。開巻から息をつく暇も無く一気に見せるサスペンスのフルコース。ラスト近く、アルバート・ホールの一幕のカットワークは「サイコ」と並び映画史に残る見事なもの。
全篇75分。いつもながらのヒッチ芸術が堪能できる傑作、と言った所でしょうか。
これだけです。これ以上でもこれ以下でもありません。


いつも思うんですが、ヒッチ作品ってストーリーをお話しても意味が無いんですよね。実はこの「意味が無い」というのはヒッチに対しての最大の賛美なんです。要はそれだけ「映像的」という事で。ある意味通俗的なストーリーを映像の力でここまで面白くできるという点でヒッチの右に出る者は居ないでしょう。そこまで彼はストーリーのみを重視していない。
と言って決して技巧のみに走ってもいません。要は「自分を活かせるストーリー」を熟知しているんですね。

ヒッチならあるいは私の妹、ハムスターのコタクイーンの所作を切り取るだけでもとんでもない傑作を生み出す事でしょう。
(コタはグレイス・ケリーほど魅力は無いですが(笑)。

Photo_1046 さて。プロットについては「暗殺者の家」からお話、という触れ込みでしたが、実はこのプロットはそのままリメイク作「知りすぎていた男」にも当てはまります。違うのは上映時間ぐらい。「暗殺者の家」と比べ「知りすぎていた男」は若干長く119分の尺を持っています。
内容が同じなのはリメイクですからしごく当然なんですが、これは実は大変な事なんですよ。

映画・テレビを問わず乱作されている最近のリメイク作を思い出して下さい。そのほとんどは「筋立ては同じでも、ラストシークエンスを変更しましたからそれを楽しみにして下さい」的なプロデュース・スタイルですよね。
作品によっては主人公の運命が全く変わる作品さえある。

その是非を言っているわけではありませんが、ヒッチはあえてそれをやらなかった。「過去の自作との真っ向勝負」なんですね。非常に潔い、真摯な態度だと思います。

実際にはこの二作、尺の長さ以外にも多くの相違点があります。
例えば主人公夫婦の子供の性別、物語の舞台となる国、登場人物の役割分担などなど。しかしながらこれはストーリーとは特に結びつかない。
唯一、主人公婦人の職業・得意分野の変更がストーリーの色合いに大きく関係してきますが、これについては後ほどお話しましょう。
ただ、この変更もストーリーの骨子に変化をもたらしていない。どちらのお話も着地点は同じなのです。

Photo_1052 二作品を再見してみて私が強く感じたのは「やっぱりヒッチは「何を語るか」じゃなく「どう語るか」の人なんだな。」という事でした。
テレビ屋の端くれたる私もよく思うんですが、同じ傾向の作品を作り続けているとどうしても自分に飽きが来るものなんです。
「ひょっとしてこの路線を続けていく事で、自分は自分を甘やかしているんじゃないか」「楽な道を選んでいるんじゃないか」なんて疑念にも捉われてしまう。リメイクなんてお話が来れば「思い切って変えてやろう。観客が思いもよらないエンディングの変更を」なんて思っちゃうものなんです。それはオリジナル作への愛情にも繋がる。「真似はオリジナルへの冒涜になる」なんて。
それはセルフリメイクの場合特に強いと思います。オリジナルは自分の分身ですから。リメイクで同じプロットをなぞる方が、精神的な負担が大きいんですね。

ですがヒッチはプロットを変えなかった。ストーリーではなく「語り口」の違いに全力を傾けた訳です。

ヒッチファンの皆さんはご存知と思いますが、リメイク作「知りすぎていた男」製作の裏には、前年に製作されたヒッチ監督作「ハリーの災難」が不入りで、その穴を埋める為急遽企画されたという経緯があります。確かにそういう事情がなければヒッチもこのリメイク作には取り組まなかったでしょう。
実際、自分の作風を活かす原作を探すヒッチの努力は特筆すべき所で、毎回、最適な原作が見つけるまでにヒッチはかなりの時間を費やしたと思われます。「ハリーの災難」からわずか一年。ヒッチには次回作に最適なオリジナルストーリーを探す時間さえ与えられていなかったのではないでしょうか。ヒッチ自身もトリュフォーとの対談で「他に映画化したい原作が見つからなかった」と語っています。
映画はビジネスという側面がある以上、「やりたい事ばっかりやっていては食べていけない」訳です。
ヒッチほどの巨匠でも例外ではなかったと。

個人的に私はリメイク作には反対です。「絶対にオリジナルを超えられない」という思いは依然として強くあります。
しかし映画界の台所事情もよく分かる。
この場合に関してはオリジナルのネームバリューに頼った安直な企画とは経緯が違うのです。
「負債を埋める為の苦肉の策」という事情は、どんな業界でも切実なものなのでは?


ところがその苦境とも言える状態にも関わらずヒッチはオリジナルと真っ向勝負した。ここにこの二作の大きな存在意義があります。
年を経て製作されたこの二作品の間にヒッチが身につけた「キャリアに裏打ちされた実力の差」を見て取る事ができるからです。ファンとすればここは垂涎の楽しみという訳で。

両作品を見比べ私が感じた印象をお話しましょう。
この先は作品をご覧になった方しかお分かりにならないかもしれません。お許し下さい。
まずオリジナル「暗殺者の家」に関しては、さすがにヒッチの才気ほとばしる傑作と思いました。とても70年以上前の作品とは思えない。
このサスペンスの持続はどうやって生み出されるのだろうと、いつもの「ヒッチ・マジック」に酔いっぱなしでした(笑)。
予算の都合や当時の撮影所事情、カメラの性能など、時代的に致し方ない部分も多いですが、この75分間の緊張感は尋常ではない。「穴がほとんど見つからない」とでも言いましょうか。

Photo_1047キャスティングでは何と言っても独特の魅力を放つピーター・ローレの存在感が圧倒的。主人公はじめ他のキャストの通俗的キャラクター造型に対し、彼だけは今見ても古くないんですよ。これは凄い。さすが稀代の逸材と言われただけの事はあります。
唯一二点ほど気になる点があったとすれば中盤、教会のイスの投げあいとラスト近くの銃撃戦がほんの少し長い。あそこは若干テンポが落ちたような気がしました。

それにしたってあのクライマックス、アルバート・ホールのシーンは、たとえリメイク作を先に観ていても素晴らしい出来ですねー。これなら確かに「カット割りの教科書」と言われても納得がいきます。

Photo_1048さて、それに対してリメイク作「知りすぎていた男」については。
これ、確信犯じゃないですか?わざと同じような流れにしている事が。
あえてオリジナルに固執する事でヒッチ話術の進歩を見せつけようとしたと。ヒッチの「面白い所は変える必要など無い」という、自作に対する自信の表れとも言えます。

所々に見える「これはオリジナルを作ったときには思いつかなかったんだよ。この方が面白いだろ?」というヒッチの目配せは、オリジナルを基にさらに完成度を高めた彼の進歩を浮き彫りにしているのです。

二作品をご覧の方、思い出してみて下さい。
主人公ジェームズ・スチュアートが剥製屋「アンブローズ・チャペル」を訪ねる道すがら、あの息づまるカットワーク。

アンブローズ・チャペルで主人公夫妻に近づいてくるドレイトン夫人の主観カットの怖さ。(同じ事はアルバート・ホールで主人公夫人に近づく暗殺者の主観カットにも言えます。)
クライマックス、アルバート・ホールでの主人公夫人の「悲鳴カット」。「暗殺者の家」では悲鳴は客席のロングショット。叫ぶ夫人は小さく捉えられているのでややインパクトが弱い。さらにその直後1カットのみ、陰謀団のアジトにシーンが切り替わってしまう為ちょっと何が起こったのかわかりづらい。
(私は先にリメイクを観ていたので流れが理解できましたが)

Photo_1049「知りすぎていた男」では、主人公夫人はあの「世界一有名な悲鳴」の顔アップでエモーションを最大限に高めた後、動揺する暗殺者・シンバルの音・撃たれる首相とカットが続いています。
つまりああいう場合、エモーションを高める為にはシーンを切り替えず、観客の注意を一箇所に集中させる必要がある事をヒッチは証明してみせた訳です。

主人公夫妻は二人とも不穏な動きを察知していながらも誘拐された子供の居場所が分からない。この「暗殺者の家」とのシチュエーションの変更も成功していると思います。

そしてこのクライマックス後の「ケ・セラ・セラ」のくだり。ここはおそらく意見が分かれる所でしょうね。実はこの部分が「暗殺者の家」との一番の違い。「暗殺者の家」では射撃の腕を持つ主人公夫人でしたが、「知りすぎていた男」では歌手という設定である為に、その見せ場として用意された節もあります。私はこの両作品の違いは甲乙つけがたいと思います。その理由とは。
Photo_1050ここからは完全な私見ですが、「暗殺者の家」に於けるピーター・ローレに匹敵するキャストは「知りすぎていた男」では主人公夫人を演じたドリス・デイしか見当たらないからです。(バーナード・マイルズはもちろん、ジェームズ・スチュアートにしたってちょっと弱くありませんか?)しかも両作品ともそこまでの流れはほぼ同じ。
ドリス最大の魅力、歌を存分に聞かせるシチュエーションとしてあれ以上の場面があるでしょうか。
あのシーンがあった事で「知りすぎていた男」は作品のイメージ・リーダー的な意味合いのキャスティングに於いてどうにか「暗殺者の家」に対抗できたのでは。

まー穿った見方をすれば「暗殺者の家」ラストで狙撃の腕を見せた主人公夫人と同じく、ドリスはあの晩餐会シーンで「声で狙撃した」とも言えますが(笑)。

演出に於いては完璧にオリジナルを凌駕したと思えるヒッチもキャスティングではもう一つ決め手に欠けたのかもしれませんね。別の見せ場を作る事でキャストの弱さを補ったと考えるのも不思議ではありません。
百歩譲って、ドリスの起用がたとえプロデュースサイドの意向だったとしても、それをプラスに転化したヒッチの実力は特筆すべきものがあります。個人的にこの場面、特に浮いた感じは受けませんでしたから。
(「めまい」に於けるキム・ノヴァクの使い方など、やはりヒッチは「適材適所」の嗅覚も優れていますね。)

まあいつもながらおバカな私見をお聞き頂きました。両作品をご覧の皆さん、どんなご意見をお持ちになられましたでしょうか。何も知らないシンバル奏者並みに無知ゆえの私見です。どうぞお笑い下さい。オリジナルとリメイク、どちらを先に見るかで評価が割れるかもしれませんね。
この二作品、個人的には「ヒッチ研究に於ける格好の題材」ではあっても、どちらが優れているとは一言では語れない印象を持っています。
結局「台本通りでも充分面白いやすしきよしの漫才」と「筋立ては同じでも演じる度に内容を膨らませ観客の笑いを自在に操る、油の乗り切った頃のやすきよ漫才」のどちらが好みか、と聞かれているようなものですから。

この両作品についてヒッチはこう語っています。
「暗殺者の家」は才能あるアマチュアの作品。「知りすぎていた男」はプロの作品。

「プロ」とはどういう物なのか。この命題に答えを出せない私は、まだまだプロには程遠いようです(笑)。

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コメント

 オタクイーンさん、こんばんは。TBとコメントをありがとうございました。
 この二作はデビューしたての若手有望格闘家と円熟期を迎えた格闘家の比較のような気がします。たとえば新入幕当時の貴花田と熟練期の千代の富士を比べるような感じとでもいいましょうか。
 たしかに試合運びは千代の富士が優れているのですが、エネルギーに満ち溢れ、輝かしい未来を掴もうとしている貴花田を僕は買いたい。
 相撲が分からないと、ちょっと訳が分からないでしょうけども、この二作のヒッチ・フィルムにはそういう思いがありますね。
 ではまた。

投稿: 用心棒(良い映画を褒める会) | 2007年7月21日 (土) 01時53分

用心棒様 コメント&TBありがとうございました。
この二作品はヒッチの作品経歴の中でも特異な位置を占めるだけに、ファンの間でも活発な論議が交わされていますね。
「貴花田・千代の富士」の例えも大変よく分かります。
なるほど、そういう見方も出来ますね。
セルフリメイク実現が「ハリー」不入りによる「ヒッチの災難」(笑)という現場の事情だったとしても、時を経て作られたが故ヒッチ話芸の熟練度を測るモノサシとなっている事も確かです。
「力のオリジナル・技のリメイク」という構図は、どんな巨匠にも当てはまるものなんですね。どちらが好みかは別として。
同じ観点では二作品は語れないのかもしれません。
鋭い解析に感服致しました。またよろしくお願い致します。

投稿: オタクイーン | 2007年7月21日 (土) 18時53分

 オタクイーンさん、こんばんは。
 これら二作品については判断が難しく思います。『暗殺者の家』にたいしての思い入れが強い分、どうしても『知りすぎていた男』への点数が辛くなってしまいます。
 前記の作品を忘れて、『知りすぎていた男』を観れば、もっと素直に観れたのでしょうが、僕は『暗殺者の家』を知っていた男だったので、激辛な論評になってしまいました。
 オカピーさんにもその点では叱られましたよ。ではまた。

投稿: 用心棒 | 2007年7月21日 (土) 23時42分

用心棒様 丁寧なご返事ありがとうございました。
セルフリメイクに限らず同じストーリーの作品化に関しては、どうしてもおっしゃるような評価になってしまいますよね。
私はそれを「モノサシの法則」と呼んでいますが(笑)、結局、オリジナルに心酔していればいるほどリメイクはオリジナルと同じ部分には「真似している」「進歩が無い」、違う部分には「改悪」という見方になってしまう。オリジナルが「モノサシ」になっちゃうんですよね。
その点は私も大いに共感します。
その法則に従えば、結局「オリジナルを超えるリメイクは存在しない」という事になりますね。私がリメイク作品に反対なのはそういう理由もあります。まあそれほど単純に割り切れるものでもありませんが、自分の中にある「オリジナルの呪縛」と戦いながら作品を鑑賞する事の難しさを痛感する今日この頃でもあります。

また貴ブログにもお邪魔します。
記事の更新、楽しみにしております。

投稿: オタクイーン | 2007年7月22日 (日) 20時58分

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» 『暗殺者の家』(1934) ヒッチコック監督によって、後にセルフ・リメイクされた傑作スリラー [良い映画を褒める会。]
 まだ監督としての名声を確立する前の作品であるために、予算があまり取れずにいた頃の作品。素晴らしい工夫は随所に見えますが、自分の思い通りには仕事が出来ていない印象はぬぐえません。... [続きを読む]

受信: 2007年7月21日 (土) 01時34分

» 『知りすぎていた男』(1958) セルフ・リメイクをする必要があったのか疑問の残る一本。ネタバレあり [良い映画を褒める会。]
 ヒッチコック監督により1934年に製作された『暗殺者の家』の、彼自身によるリメイク作品。この作品は映画愛好者の間では人気の高い作品です。しかし個人的にはあまり好みではありません。その理由はストーリー構成、俳優(特に悪役)、演出、音楽などが、ほぼ『暗殺者の家』と同じで、創意工夫のあとが見られないためです。... [続きを読む]

受信: 2007年7月21日 (土) 01時43分

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