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2007年6月 3日 (日)

ギャンブラーの胸の内には

「ロシアンルーレットね。これは。」
昨夜、「ネヴュラ」を更新しなかった理由は、この番組をリアルタイムで見たかったからでした。
夜9時からの「人志松本のすべらない話 ザ・ゴールデン」。
ご覧なった方もいらっしゃるでしょう。

ご存知の通り、毎回おバカなオタクトークをお聞きいただいている「ネヴュラ」ですが、かつてお笑い番組について語る事はほとんどありませんでした。
いわゆる「作り手側」である私にとって、最近のお笑い番組はその台所事情があまりにわかりすぎてしまう為、もう辛くて見る事ができなかったのです。
ほとんど台本なし、シチューエーションに芸人を放り込んで「なんとかしてもらう」という制作側の及び腰の姿勢が透けて見えてしまう。
芸人側にしてみれば現場は予備知識なし。ほとんどの視聴者は気づきませんが、ほんの一瞬すがるようにカメラをチラ見して「精一杯やったんだけど」と懇願する芸人を見るたび、悲しいほどに現状の辛さを感じてしまうのでした。

そういう安易な作りの通称「お笑い番組」が氾濫する中、本来お笑い好きな私はしっかりした作りの「お笑い追求番組」が放送されると、放送日当日は朝から上機嫌。HDD録画の予約もしながらもリアルタイムの鑑賞を基本とする鑑賞体制を引き、テーブルには飲み物、万全の準備で事に臨むのでした。

お笑いに関して、私は一つの法則を信じています。
「芸人は、ギャグを持たない方が長続きする。」

こんな法則は私以外にも多くの方がご存知と思います。確かに一世を風靡し、流行語大賞にも選ばれるような大ヒットギャグを生み出した芸人は一躍時代の寵児となりますが、ギャグというのは本来非常に賞味期限が短い上(おそらくどんなギャグでも、現状では1ヶ月が限界でしょう)波が去った後はオヤジギャグ化の一途を辿り、口にするのがかえって恥ずかしいくらい蔑まれるものなのです。
ヒットギャグを引っさげた芸人が一瞬の光芒を放ったものの、その後転落の末路を辿った例は数え切れないほどあります。
(ここで例を挙げるとこの記事そのものが一ヵ月後蔑まれるので、私にはお話しする勇気がありません(笑)。


こんな事をお話しすると、「じゃーオタクイーン、ヒットギャグも持たず消えてゆく芸人も星の数ほど居るけど、その方がいいの?」と思われる方も多いでしょう。
そうなんですよね。確かにその通り。確かにギャグをヒットさせる事さえ出来ない芸人さんは多いです。
ではこう言い換えましょうか。

「ギャグに頼るほど小さな芸じゃない芸人は、大成する。」

実は冒頭にお話した「すべらない話」のタイトルにも冠されている芸人、松本人志は、そんな数少ない「ギャグを持たない」芸人の一人。なにを今更、という感じでしょうが。
今の日本で「ダウンタウン」と言えば、お笑い界では既にカリスマとなった殿堂入りのコンビですね。おそらく知らない方はいらっしゃらないと思います。
前述の松本人志、そして相方の浜田雅功が繰り出す絶妙のクロストークは恐るべき斬新さで、その登場はどちらかと言えば一般視聴者よりも業界筋に与えた影響の方が大きかったと思います。

あの紳助・竜介の島田紳助が、ダウンタウン登場を理由にコンビを解消、漫才界から撤退したのは有名なお話ですね。

現在、司会業として引っ張りだこの紳助が当時そこまで震撼したダウンタウン。きっと紳助は、松本人志の才能を見抜いていたのだと思います。
「この男と、同じ土俵で勝負したら負ける。」
それを感じた紳助もまた、恐るべき才能の持ち主だったのです。


松本人志。この男の才能とは、いったいどういうものなのでしょうか。
昨夜放送された「すべらない話」という番組に、その才能の片鱗が現れていたと思います。それを説明するには二つの番組を引き合いに出すと分かりやすいかもしれません。

前述の紳助が企画した「オートバックスM-1グランプリ」。
ダウンタウンの同期、ウッチャンナンチャンが企画した「ザ・イロモネア」。

この二つの番組は、いわゆる「ダラダラ流し」のバラエティー番組の中にあって、唯一「芸人の芸の引き出しを競う番組」と思います。
私がお笑い番組として唯一楽しめる番組でもあったりします(笑)。


「M-1グランプリ」はもはや説明の必要もないほど有名な番組ですね。毎年クリスマスの夜にライブ放送される「お笑い頂上決戦」。勝ち抜きルールも実にフェアで、漫才師にとっては最も真っ当な勝負ができる企画だと思います。創始者・紳助の、漫才という芸事に対する愛情を大変感じます。

「ザ・イロモネア」は、芸人としては若干出目が異なるコンビ、ウッチャンナンチャンの企画によるものだけに、企画コンセプトが根本から異なります。これは基本的に「タイムリミット戦」なんですね。
ご存知の方も多いでしょう。コント・物ボケ・一発ギャグ・サイレント・モノマネという5つのジャンルで任意の観客を笑わせれば100万円が手に入るという「芸のバトル」とも言うべき企画です。芸人に与えられる時間はジャンル毎に一分。挑戦する芸人はこの一分間を駆使して観客に挑む訳です。


無い頭を絞って思うに、この二つの企画、どんなに見た目が違っても基本的には「観客相手のネタ見せ」という企画趣旨は変わっていないように思うんですよ。
出場する芸人はどんなに追い詰められても、もともと考えたネタを駆使する事で笑いを獲得する。それが結果に繋がるという構造です。

これが、お笑いの一時代を築いた島田紳助・ウッチャンナンチャンというビッグネームの「お笑い感」なんでしょうね。
そういう意味で、彼らのお笑いに対するスタンスは私たち一般視聴者とさほど変わらないと思います。


ところが、「すべらない話」の企画者にして今回のお話の主人公・松本人志の感覚は、前述の方々とかなり違うんじゃないかと思うんですよ。

昨夜の「すべらない話」、ご覧になった方はどんなご感想をお持ちになったでしょうか。
あれ、一般視聴者置いてけぼりですよね(笑)。
むしろ同業者・お笑い芸人同士のネタバトル的な感覚がある。はっきり言って別室の「サポーター」と称する芸能人達は関係ないですもんね。

(あれもゴールデン枠ゆえの仕方ない措置なんでしょうが、もう少し何とかならなかったんでしょうか。アイキャッチで「すべらんなー」と言わされるゲストの身にもなって欲しいと。)

観客から隔離され、実力派芸人達が卓を囲む一つの部屋。ルールはしごく単純です。芸人各々の名前が書かれたサイコロを振って、出た名前の芸人が「必笑」のフリートークを繰り広げるというだけ。

確かに視聴者にとって、彼らが披露するトークは爆笑ものでしょう。実際私もかなり笑いました。でも懸命な読者の方々もお気づきの通り、この番組の本当の面白さは別の所にありますよね。
「すべらない話」と言いながら、誰が最初にすべるか。
観客が居ない密室で、芸人同士は自分の話が「通るかどうか」
サイコロの目によって自分にばかり振りが集中し、「ネタ切れ」になるかもしれない。

視聴者はそんな芸人同士のあせり、かけ引き、トークによる大勝負の様子を見ているのです。すべった瞬間に全てが終わる、タイトロープのような時間を。
しかもこの番組が凄いのは、内容をフリートークに限定している所。要は「ギャグなんかでお茶を濁せない」訳です。


サイコロはリボルバー。トークは激鉄。笑いという反応によって自分は生き延びる。
私が冒頭つぶやいた「ロシアンルーレット」とは、この番組に芸人同士の壮烈なギャンブルを見た私の感想だったのです。

物凄い緊張感。観客が居ない為、出場芸人は観客の笑いにすがる事ができません。
周りに座るのは自分と同じ立場の芸人のみ。
この緊張感はM-1やイロモネアなど、前述の企画の比ではありません。
「すべらない話」は「芸人VS観客」ではなく、「芸人VS芸人」という構図を持つのです。
私たち視聴者は、そのおこぼれにすがっているだけに過ぎません。


以前放送されていた「一人ごっつ」もそうでしたが、松本氏にはこういう「視聴者に緊張感を強要する企画」が非常に多い。
「すべらない話」は出場芸人が普通のセンスを持っているためかなり一般的なお笑い番組の体裁に見えますが、松本氏の本質は別の所にあると思います。

シュールすれすれのネタで「この笑い、あんたに分かる?」とほくそ笑むような感覚。
これは万人受けを狙うお笑い界にあって、おそろしく挑戦的な姿勢です。はっきり言えば好き嫌いが分かれる。でも松本センスに波長があった観客はそれこそ至福の一時を過ごせる訳です。


久々にギャグなしのお笑いトークを緊張感とともに堪能しました。
その準備に時間を使えた、1960年代・70年代のようなお笑い番組が制作できない現在、こういう突出した芸人の企画による番組が主流になっていくんでしょうね。


松本氏の監督、主演による「大日本人」も公開されました。フリートークのアドリブ性に抜群の才能を発揮する松本氏が、修正の効かないフィルムに定着させた「映画」というメディアにどれ程の冴えを見せるのか。
観に行くことがギャンブルと言えますが、私は是非劇場で鑑賞してみたいと思います。
「観るか・観ないか」そんな葛藤を感じさせる事自体、既に松本氏の術中にはまっているとも言えますが(笑)。

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コメント

こんにちは、オタクイーンさん。
今、ちょっと手が空きましたので、久々にコメントさせていただきます。

「響く子宮はないけれど」ですが、よく女性から男性の声に対する印象を聞くことがありますが、やはり好みの声ってあるのでしょうね。
銀河万丈さんはギレンで有名ですが、いかにも屈強な男な声がギレンの人間性を際立たせていますね。
男からみてセクシーな女性の声もあります~仮に「グリコのおまけ」という発言でも妄想を掻き立てるような・・・(笑)
最近、ファーストガンダムDVDを見ているせいか、またまたオタク虫が騒いできておりまして、、散財のピンチです^^;
ファーストガンダムってリアルタイムで何度も見たのですが、後はたまに映画版を見るくらいでしたが、テレビ版を見ると映画版で描かれていない感情、複線が沢山あって面白ですよね。
特にマチルダさんとのエピソードは男なら少年時代に必ず経験するだろうデリケートな感情ですね~まさに甘酸っぱい!
あ、そうそう、オタクイーンさんに触発されまして「裏窓」見ました。
これは、、、衝撃的な展開で、完全なる箱庭状態ですね。。。。アパートとアパートの間から見える通りで展開される沢山の予想、妄想がじれったくもあり、不安でもあり。。。
オタクイーンセレクションにはずれなし!って座右の銘にします。
しかし自分は何故かミス・ロンリーが一番気になる存在でした(笑)
「ウルトラマンティガ」も見たこと無いので見て見たいです。

大和少年様 コメントありがとうございました。
そうですよねー。男性にだって女声の好みはありますよね。
「グリコのおまけ」、どういう声がお好みなんでしょうか。
喋る方としてはハードルが高そうなセリフですが(笑)。

ファーストガンダムは私も再放送を全話録画し、毎日のように見ていた過去があります。(まだVHSが主流の頃でした・・・)
ガンダムの場合、私の印象に残ったのは声質よりもむしろセリフでしたね。ギレンならやはり「あえて言おう。カスであると」あたりでしょうか。まあ銀河万丈氏だからこそ印象に残ったのかもしれませんが。
映画版第一作公開当時、アニメ誌で「テレビ版のどのエピソードに重点が置かれるか」という予想記事があったんです。記事では戦闘シーンが印象的なエピソードを挙げていたんですが、いざ公開されてみると第13話「再会、母よ・・・」メインの人間ドラマ中心で。
当時のガンダムに対する世間の見方、そしてそれを裏切る富野監督の才気を感じさせるお話ですね。

「裏窓」ご覧になりましたか。あの作品はもう、一点のシミもないまさにヒッチコック話術の最高傑作です。映画にしかできない技が続出するあの作品を観ると、今のCG中心の大作がゲーム画面に見えてしまって・・・
つくづく映画は技術じゃない事を思い知らされます。
でも大和少年さん、「ミス・ロンリー」がお気に入りとは・・・優しい方なんですね(笑)。
「ウルトラマンティガ」は「ウルトラマン」の次に好きな作品です。機会ありましたらぜひご覧下さい。最終三部作の盛り上がりは、個人的には「メビウス」を超えていると思います。
21世紀を担う子供達に、是非見てもらいたい作品です(笑)。

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