2021年12月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

ネヴュラ・プライベートライン

無料ブログはココログ

« 現場の嘆き | トップページ | ものまねチュー »

2007年5月31日 (木)

今も心にスパークレンス

「ネヴュラ」をご覧の皆さんは、「自分の一番好きなウルトラマン」を一作挙げろと言われたら、どの作品を挙げますか?
なにしろ今年、生誕41年を数える大長寿シリーズですから作品数も多い。登場したウルトラヒーロー(「戦士」という言葉はあまり好きではないので)もかなりの人数に上ります。
マイ・フェィバリット・ウルトラマンを語り合うには丁度いい作品数かもしれませんね。

まあとにかく、各々の作品毎に独自の魅力を見せるウルトラシリーズですから、きっとお一人お一人の中に「これは譲れない」作品が存在すると思います。
それがシリーズというものの多面的な魅力であり、私たちファンに与えられた楽しみでもある訳です。

私が拝見させていただくいくつかのブログでも、時々そんな「ウルトラシリーズの人気投票」的な企画が行われ、なかなか面白い結果が出ていますね。
「えーっ、この作品がこんなに人気あるの?」とか、「自分の好きな作品なのに意外に人気が無いなー」とか。皆さんのご意見を見て頷く事も多いです。
「ネヴュラ」読者のご意見もお聞きしたいところですね(笑)。


そんな中「ネヴュラ」では、自分のブログという独占権(笑)を行使して、「ウルトラマン」(1966年~1967年)を強力プッシュしています。
事あるごとに記事のネタになるあのM78星人のお話に「またウルトラマン?」と呆れられている方もいらっしゃるでしょう。

本当ですよね。たまに自分でも読み返すんですが、まーよくこれだけ書き散らせるものだと。内容は無いし(涙)。
(「ウルトラQ」はウルトラヒーローの出演が無いので便宜上ここでは別作品という事で)

Photo_866 で、私がこの「ウルトラマン」以外にもう一作品、非常に心酔している作品がある事もご存知の方がいらっしゃるでしょう。今日のサブタイトルでお分かりと思いますが(笑)。
その作品こそ「ウルトラマンティガ」(1996年~1997年)なのです。


この「ウルトラマンティガ」に関しても、「ネヴュラ」では結構採り上げてきましたね。
なにしろまだ11年前の作品(それでも11年ですが・・・)ですから、テレビ業界の片隅で生きる私もそれなりにアクションを起こし、劇場版公開の際は特別番組を企画するなどライブな一時を過ごしました。

(企画は結局毎日放送でNGをもらいましたが、それでも「動いた」という事で(笑)。
今日久しぶりに「あの伝説の」最終三部作を見たんですが、思い入れもあってかやはり他の作品とは違う迫力があるなーと、改めて感動したりして。
皆さんは「ティガ」についてどんな印象をお持ちでしょうか。


Photo_867 「ティガ」放送時、作品の魅力について熱く語り合ったのは、意外にも子供達以上に古くからのウルトラファンであった大人たちだったそうです。
「特撮マニアが二人会えばティガの話」なんて言われましたよね。
今ほどネットが普及していなかった1996年当時。それでもマニアはティガに魅了され、次々と繰り出される名エピソードについて意見を述べ合っていたのです。
大人のファンをそこまで熱くさせたティガの魅力とは、一体何だったんでしょうか?


「ウルトラマンティガ」は、ウルトラマン生誕30周年記念作品と言う事で、数々の新機軸を打ち出した野心作でしたね。
ウルトラマンの設定も従来の「M78星雲人」というものから「3000万年の地球に降臨した「光」とされました。
それまでの大まかなウルトラヒーローの設定はティガによって一度リセットされた訳です。
私にはその設定が大変魅力的に映りました。


以前にもお話した事がありましたが、私にとってウルトラマンは「作品毎に同じ設定の必要はない」シリーズなんですよ。因果な性癖で、ゴジラもガメラもウルトラマンも「別に面白ければ作品毎に設定が違ってもいいじゃん」と思ってしまうんです。
逆に、設定に縛られるから作品世界が狭くなり、辻褄合わせだけで精一杯になっちゃうんじゃ、なんて思いに捉われてしまうのです。
そういう意味では、平成ライダーはかなり作品毎のカラーも違い楽しめるシリーズと思います。(当たり外れも大きいですが、名作はそういう中から生まれて来るものですしね)
「GMK」なんて、私のゴジラ作品順位ではかなり上位に食い込んでいるんですよ。

私が「ティガ」の設定に魅力を感じたのも、そんな性癖の成せる事かもしれません。
その設定の活かし方も素晴らしかったですよね。
なにしろティガは、「ウルトラマンが去ってしまった世界」からスタートしている訳です。なんて斬新なオープニング。
かつてこんな始まり方をしたシリーズは無かったですよねー。


Photo_868 この斬新な設定の為、ティガ放送中、雑誌「宇宙船」には賛否両論、色々なご意見が飛び交いました。
「ウルトラマンはM78星雲から来た宇宙人を指すものだから、ティガはウルトラマンじゃない」なんてご意見を読んだ記憶もあります。
今考えればそんなティガの斬新な設定に、受け手がついて行けなかったのかもしれませんね。
私は両手を上げてOKサインをしていましたが(笑)。


そんなティガ自身の設定は、番組そのもののテーマにも密接に影響してきました。
「ネヴュラ」でもよくお話するんですが、一年間にも渡るテレビシリーズは番組開始時の設定やテーマが最終話までの間に変わっていくものなんですよ。
「作り手の思いの熟成」や「視聴者の反応」などが影響し、自然と軌道修正されて行くんです。新発表の自動車が、同じ型でも発売後にマイナーチェンジしていくのと同じです。
要は、作り手は「作品をよりよくする為に軌道修正を行う」訳ですね。


で、爆弾発言をしてしまうと(笑)、「ティガ」の番組開始直後、1話・2話あたりまではそんな斬新な設定があまり活かされていませんでしたよね。
例の「3タイプにチェンジする能力」だって、スタッフ間の試行錯誤が画面に出ており微笑ましいくらいで。
問題は第3話「悪魔の預言」でしょう。
多分あのエピソードでティガは偶発的に軌道が決まってしまった。


ティガ世界に大きな影響を与えた名キャラクター「キリエル人」。
あの脚本を小中千昭は一日あまりで書き上げたというお話は有名です。
準備していた脚本が急遽先送りになった為、代わりの脚本を大至急書き上げなければならなかった。そんな偶発性が「ティガ」の世界観を決定付けた事実を知るにつけ、つくづく「何がどう転ぶかわからない」という物事の真理を感じます(笑)。
具体的なストーリーはここでは伏せましょう。未見の方はぜひご覧下さい。


ともあれあのエピソードによって、ティガはそれまでのウルトラマンとは異なる、独自の世界観を作り上げていく事になる訳です。
シリーズ中いくつかのターニングポイントを通過しながら、ティガの世界は徐々に強固に、しかも魅力的に構築されていきました。
ティガの本質とされる「光」の設定が、ストーリー中切り離せなくなっていったのもすごい事でしたね。

Photo_872  ティガを全話ご覧になった方はお分かりでしょうが、あの怪獣と戦う「ティガ」って存在は、実は「光の入れ物」じゃないですか?
ティガ世界に於けるウルトラマンという存在は、「光となって戦う存在が、その能力を増幅する為に合体する躯体」という設定なんですよ。そこが凄い。
要は、光となれる存在であれば、誰でもウルトラマンになれるという設定があるわけです。

第1話で、「3000万年前に地球を守った英雄は、ウルトラマンという躯体を残して地球を去った」という意味の描写をされています。「光」となってその躯体に合体できた者、それが主人公・ダイゴだったという訳で。

後々、ダイゴには光となれる遺伝子が組み込まれていた、なんて後付の設定もされましたが、当初は「ダイゴが不意の事故で、光変換効果のある光線に当たって」ウルトラマンに合体するというボツ設定もあったそうです。
もしその設定が採用されていたら、以後のティガ世界は根本的に変わっていたでしょう。
ここでも偶発性の恐ろしさを感じたりして(笑)。

で、そんなティガ世界を貫く「光」という曖昧な表現も、作り手、視聴者の双方で様々な解釈がなされました。その多面的な解釈もティガという作品の大きな魅力と思います。

私のように頭の無いおバカは、そんな「光」という存在を「希望の象徴」と解釈しました。シリーズを通じて語られる大きなメッセージを、光という存在に重ね合わせたのでした。

「ティガ」では、ウルトラマンとなったダイゴの意識が変身後も生きています。つまりダイゴは地球人の意識のままウルトラマンの能力を駆使できる訳です。
その時、彼はどう考えたか。

「自分は人間として、出来る事を精一杯やるだけ。」
そんなあまりにも人間的な、あまりにも謙虚すぎる思いがティガの大きなテーマであり、私が感じた最大の魅力なのです。


地球人と小さな存在に手を差し伸べる超能力の宇宙人、ウルトラマン。
「ティガ」とは、そのウルトラマンから力のみを与えられた人間が「試される」物語なのかもしれません。
その一つの解答が第44話「影を継ぐもの」である事は皆さんも頷かれる事でしょう。(なんか知ったかぶり風の語り口になっちゃいましたね。ごめんなさい。)


「人間として出来る事を精一杯やるだけ。」
劇中では、このセリフを実に多くの登場人物が語ります。
たとえウルトラマンの能力を与えられなかった人々でさえ、このセリフの下に敢然と敵に立ち向かうのです。
これがもう、私には感動もので。
実はティガという物語に多くの大人ファンが感動した理由は、この一点にあったような気もするんですよ。


「あらゆる局面でくじけそうになった時、自分は今出来る事を精一杯やるだけ。」
ダイゴをはじめ、登場人物が何度も叫び続けたその言葉は、そのまま私たちへのエールだったのかもしれません。
そして、スタッフが出した一つの解答が最終話「輝けるものたちへ」。
未見の方の為に内容は伏せましょう。(意地ワルな私(笑)。
私がティガの本質「光」を「希望の象徴」と解釈した理由は、この最終話にあります。


Photo_870 あのエピソード、ラストの子供達の奇跡が大きく取り上げられがちですが、私はそのラストに至る人々の努力にも深く感動しました。
ティガの登場人物が全員「出来る事を精一杯」行った末の、あの奇跡であったと思いたいのです。ですからあの勝利は希望を捨てなかった全ての人々のもの。
子供達はその代表に過ぎません。
「グリッターティガ」はまさに、人々の希望の象徴だったような気がするのです。


この一点がある限り、私はティガという物語を支持できます。
最終話、グリッターの奇跡が起こった時、子供達はウルトラマンへの変身アイテム「スパークレンス」を使っていません。
彼らは自分達の力だけで光になれた訳です。
彼らの心には、「希望」というスパークレンスが輝いていたのでしょう。


Photo_871 年を重ねるごとに、私の中でティガのメッセージはますます輝きを増すようです。
毎日の生活の中でくじけそうになる時その言葉を思い出す、なんてかっこいいセリフはとても言えませんが。


ベーターカプセルはハヤタにしか使えませんが、スパークレンスなら私にも使えそうな気がするんです。
「希望を持ち、出来る事を精一杯やるだけ」の気持ちを持てば。
それが難しいという事も充分わかっているんですが笑)。

にほんブログ村 その他趣味ブログ 特撮へ

« 現場の嘆き | トップページ | ものまねチュー »

ウルトラマンティガ」カテゴリの記事

コメント

 私は、何となく長男に新作のウルトラマンを見せてやるつもりで『ティガ』にチャンネルを合わせました。そして自分がハマってしまったのは「怪獣を待つ少女」の怪獣「マキーナ」のデザインと、神秘的なストーリーでした。
 その後は「闇へのレクイエム」のホリイ隊員の描写や、「よみがえる鬼神」の演出を楽しみました。

 私は小中千昭氏の脚本、川崎郷太監督の演出がお気に入りです。このお2人が『ティガ』の世界を膨らませ、深くしていったと思います。

 そして感心するのは、『ティガ』の世界では「登場人物が生きている」と感じられることです。江崎博士の娘・ミチルや、キリエルの預言者の数度の登場、サヤカの再登場などで、作品世界の中で「彼らが生きている」と感じられました。1話完結でありながら、全体を見渡すと一大長編にも感じられる構成も、「偶然の産物」ですネ。
 その集大成が最終3部作でしょう。かつての登場キャラたちが次々に登場し、それぞれがそのキャラらしいことを精一杯やり遂げようとするストーリーに震えました。私が年をとった所為もあるのでしょうが、子どもたちの光がティガの中へ流れ込んでくる描写に、初めて特撮作品で涙が溢れるほど感動しました。

 私、『ティガ』を語るのも好きなんです(^^ゞ

自由人大佐様 コメントありがとうございました。
小中脚本、川崎演出とも、「ティガ」ならではのテーマ性を持った作品が多かったですよね。

「悪魔の預言」が急遽制作された理由は、「怪獣を待つ少女」の制作が諸事情で先送りになった事からだそうです。
「怪獣を待つ少女」が予定通り制作されていたら、キリエル人は出現していなかったかもしれません。なんという偶然(笑)。
意外にも「よみがえる鬼神」の宿那鬼が、ウルトラシリーズ初の鬼キャラクターだったというのもちょっとした因縁を感じたりします。

キャラが立っていたという自由人大佐さんの指摘は私も大いに共感しますね。
後年の分析では、当時主演のダイゴを演じる長野博が多忙で、必然的に登場シーンを減らさなければならなかった為、サブキャラクターのみでストーリーを引っ張る方針にせざるをえなかった事情があったそうです。
しかしながらそんな台所事情がダイゴの透明性を強調し、またサブキャラの魅力を引き立たせたという所に、初代ウルトラマンの頃に通じる偶然の不思議さを感じます。

数十年に一回、ウルトラ世界にも奇跡のような作品が生まれるんでしょうね。
今は新作も休止していますが、ゆっくり企画を温めてまた奇跡を起こしてもらいたいものです(笑)。

ティガとクウガは、「中興の祖」という言葉がぴったりですね。
あと、ティガの魅力というと、やはりヒロインの存在ではないでしょうか。

mana様 コメントありがとうございました。
そうですね。レナの存在もティガの大きな魅力の一つですね。
私にはダンとアンヌの関係よりも、むしろダイゴとレナの方がしっくり来ます。ストーリー全篇を通じて二人のつながりが描かれていたからかもしれません。

おそらくレナに感情移入できる理由は、ダイゴとの感情以上に彼女の「人としてもっと高く」という崇高な考えゆえなのかも。
ただ受身なだけの女性とは違う強さが、レナにはあったのでしょうね(笑)。

MIYUKI様こんばんは。
原点の初代ウルトラマンとセブンは繰り返しよく観るのですが、それ以降のシリーズ作品は自分の好きな怪獣の出るエピソードだけ観て満足してしまったり、ちゃんと観てなかったりで、自分はまだまだだなーと反省です。(こんな私のコメントでごめんなさい!)
そういう事なので、私のフェイバリットは「初代ウルトラマン(1966)」です。
お話も好きですが、特に美術に引かれます。ウルトラマンや怪獣、そして科学特捜隊基地の建物や、司令室(?)の壁面の機械とかの造形、デザインが美しいです・・・。あと、オレンジ色のユニフォーム。特に女性が着るととっても可愛いです。フジアキコ隊員大好きです。(お題の趣旨からずれちゃたかな)支離滅裂でごめんなさい。
これからも話題についてゆけるように、いろいろ観て勉強しながら頑張りますのでよろしくお願いします。

hikari様 コメントありがとうございました。
やっぱり初代は人気がありますね。私も一番よく見る作品です。
なぜか気がつくとソフトが再生されている状態で(笑)。

おっしゃる通り、初代ウルトラマン、セブンの美術には独特のセンスがありますよね。これはやはり、前例も何もない所から持てるイマジネーションを駆使してイメージを打ち出した、当時のスタッフの努力の結晶と言えましょう。
以前ちょっと聞いたことがあるんですが、科特隊基地のデザインは建築学的には完全に強度不足だそうで(笑)、ちょっと笑ってしまったんですが、心の中で「いや、建材の鉄筋コンクリートの中に特殊な合金が含まれているんだ」と自分を納得させていました(笑)。
それほどデザインが重視されていたからこそ、私たちは大きなインパクトを受けたんでしょうね。

私も決してすべてのウルトラ作品を把握しているわけではありません。むしろ皆さん以上に偏っています(笑)。決してご無理なさらず、お互い好きな作品の魅力を語っていきましょう(笑)。

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 今も心にスパークレンス:

« 現場の嘆き | トップページ | ものまねチュー »