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2007年5月 1日 (火)

桜井Pへの手紙

「考えてみれば・・・」
思い立ったのは今日の午後。桜井Pに渡す名刺の件でした。
「名刺を一枚渡すだけじゃ、あまりに失礼じゃないの。」

今日のお話には前日談があります。
ここ数日「ネヴュラ」をご覧いただいている方には説明の必要もありませんね。今日、フラリと立ち寄られた方はこちらをご覧下さい。

「桜井Pとの約束(発動篇)」
http://spectre-nebura.cocolog-nifty.com/cultnight/2007/04/post_0f1c.html

4月21日、立ち寄った[オブジェクツ サブジェクツ]トークショー会場で不意に訪れた、円谷プロの桜井「由利ちゃん」浩子さんとの名刺交換のチャンス。
その時名刺の持ち合わせがなかった私は、桜井Pの指示で会期中に会場まで名刺を届ける約束を交わしたのでした・・・

最初は単純に考えていたんです。「お仕事のついでに会場まで寄って言付ければいいか」なんて。でもよく考えたら、相手は「由利ちゃん」ですよ。憧れの円谷ヒロイン第一号じゃありませんか。41年来想い続けた人に名刺一枚普通に渡すなんてあまりに味気ないんじゃないかと。
で、思い立ちました。「一筆挨拶文でも。」

以外にも私は昔から、あまりファンレターというものを出した記憶がありません。心を奪われた芸能人やクリエイターに思いをしたためるなんて事はほぼ皆無に等しいのです。
唯一の例外が山崎「鉄」努氏である事は、「ネヴュラ」を古くからご覧の方はご存知でしょう。でもあの手紙にしたって、中身は思いを綴るなんてものではなく、質問状のような硬いものでしたから受け取られた山崎氏もかなり困惑されたとは思います。
ご返事頂けるとは思いも寄らなかったですし。

ですから私にとって、純然たるファンレターは非常に苦手な分野なのです。
ところが今回、桜井Pにしたためる一筆は「トークショーでのお礼状を兼ねた挨拶状。」通常のファンレターよりも一歩踏み込んだ内容であるだけに、肩の荷も少しは軽く思えたのでした。ご本人と何度か会話もしている事がハードルを低くしているのかもしれません。

いつも私が反省する悪い癖に、文章が長すぎるところがあります。これは思い入れが暴走するゆえの癖で。「ネヴュラ」読者の皆さんには大変ご迷惑をおかけしていますが。
ましてや今回はあの「由利ちゃん」宛て。たまった思いはまさに41年分ある訳で(笑)。「短く短く」の言葉を呪文のように唱えながら、一持間余りかけてなんとか下書きまで作り上げました。

ブロガーの皆さんはご経験がおありと思いますが、文章って書き進めているうちに最初書こうとした趣旨がズレていってしまう事がありませんか?(私だけかな?)
と同時に、書いていく事で自分の別の考えが発見できたり。
書き終わった時、自分の内なる考えが初めて認識できる、なんて事もあったりして。
「思いの言語化」の最短手段は、まず書いてみることなのかも。なんて思う事もよくあります。

今回の桜井Pへの手紙もそうでした。
何度も推敲を重ねていく内に、自分が本当に伝えたい事がはっきりしてきたのでした。

その末席を汚しながらもテレビ業界に何年も浸っていると、俳優や出演者が纏う「オーラ」のようなものが散り去っていってしまう事がよくあります。
たとえトークショーのような舞台で晴れがましくおしゃべりを展開していても、予定された内容は話さなければならない。アピールするところはアピールする。脱線したら元に戻す。告知の日程、場所は間違いなく、など、色々な縛りがある訳です。好き勝手喋っていればいいわけではないと。それは参加したお客さんの数十倍のブレッシャーがかかるものなのです。
出演者だって人間ですから、どんな現場でもそれなりの苦労を強いられている。

今回のトークショーをはじめ映画や番組、舞台などを見る際になぜか私は、そういう「舞台裏の苦労」を推測する癖が付いてしまっています。
以前にも何度かお話しましたが、これはもう職業病でしょう。
単純なファン心理になりきれない大きな要因になっているとも思います。

今回、桜井Pにしたためた手紙には、そんな「41年来の憧れ」と「職業人としての思い」が絡み合った内容が表れていました。
思えば1966年。まだ年端もいかない私の目に映りこんだ毎日新報の新米記者は今、出版やイベントで円谷を守り立てる敏腕プロデューサーとして懸命に毎日を生きている。
「往年の番組の出演者」としてではなく、「自分が出演した番組を愛し、サポートする存在」となれる。なんて素敵な事でしょう。
41年という歳月は長いです。「ウルトラ」という、時の流れを超える作品を創り上げたスタッフの功績も大きいですが、出演された俳優の方々が現場を離れていく中で、自分が携わった番組を今尚現役でサポートできるまでに成長された方が一体何人居るでしょう。

私も年を重ねる毎に、彼女のそんな努力をより大きく共感でき、また羨ましくもあります。
確かに「由利ちゃん」としてキャスティングされた事は桜井さんにとってラッキーであったのは間違いないでしょうが、そこから先は彼女の努力だと思うからです。
颯爽とトークショーに現れた彼女の胸に輝いていた流星バッジは、彼女の41年の努力を祝福するようにも見えました。

「お役に立てるようでしたら、いつでもご連絡下さい。」この一文を書いた時、私は桜井さんを一人のプロデューサーとして見ていました。業界人の方でトークショーに参加され、私のように桜井さんから声をかけられた方は多いでしょう。私はその一人として彼女に挨拶できる事を本当に幸せに思います。
「彼女に本当に伝えたかった事。」それはきっと、職業人として輝いている桜井Pへの、同じ職業人としてのエールだったのかもしれません。

さて。今日も長くなってしまいました。ここらで筆を置くこととしましょう。ウルトラの伝道師として今も全国を飛び回る桜井Pを思いながら(笑)。

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