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2007年5月11日 (金)

THE BIRD

サブタイが「THE BIRD」じゃないのには理由があります。
ここ数日のマイブーム、ヒッチコックの「鳥」のお話ではないからです(笑)。
今日は、極めて私的な話題である事をご理解下さい。

昨日の朝のワイドショーに、女優の加賀まりこさんが出演していました。
「朝の生ワイドでは見かけない顔だなー」と思い見ていると、案の定舞台公演の告知出演でした(笑)。
今劇場公開中の「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」の舞台版で、樹木希林さんが演じた「オカン」役を加賀さんが演じるという物だそうです。
「映画では泣ける場面が、舞台では笑える場面になっているんですよ。」
映画との対抗意識を覗かせながらいつもの調子で強気に語る加賀さん。私はそんな彼女のあるコメントに興味を持ちました。
司会者からの「舞台のどんな所に楽しさを感じますか?」という質問に対しての、彼女の答え。

「舞台は本番中より稽古中の方が面白い。いろんな球を投げられるから。」

「そうだよねー。」思わず相槌を打った私。
「確かに稽古中の方がいろんな球を投げられる。」

彼女はこう続けました。
「役者は与えられた役を模索しているもので、稽古中は演出家に向けて色々な演じ方を試すもの。「演じ分け」という球をどれだけ持っているかが、その役者の幅となる。」
「稽古で役者が投げた色々な球を選ぶのは演出家。舞台はそんな風に、全てのスタッフが一つの作品を追求していけるから楽しい。本番はそんな作業の末、出来上がっちゃったものだから変えようがないでしょ。」

こんな趣旨でした。(記憶なので言い回しは若干違うかもしれません。ゴメンナサイ。)

本番での緊張やセリフのミスなどの次元を超えてしまった大女優ならではの含蓄あるコメントで。そういう発言が出来るまでには数十年の努力が必要なのでしょうが。

ここ二日間、このコメントがずっと頭にありまして。
数十年前の経験が記憶の中で反応していたのでしょう。

以前にも何度か「ネヴュラ」でお話しましたが、私には社会人劇団に所属している幼馴染がいます。彼は20年ほど前に一度その劇団を離れましたが、思う所あってか2年ほど前に活動を再開、現在に至っています。
彼が初めて劇団に入団したのは1982年。入団したての劇団員はまず「研究生」として練習を積み、研究生だけで「卒業公演」を行って初めて正団員として認められます。とりあえずは卒業公演までこぎつけ、演者、裏方を全て経験する事が正団員への道なのです。
この年4月に入団した彼もその道を進み、卒業公演までこぎつけました。

前述の通り、卒業公演に絡む裏方の仕事には、「チラシ・チケット・看板作成」などこまごまとした作業が発生します。学校祭を思わせる楽しそうな作業ですが、82年当時は今のようにパソコンなど一般家庭にはとても普及しておらず、チラシ作成ひとつにもそれなりのデザイン知識が必要だったのです。
そんな事情から、彼は当時デザインの専門学校に通っていた私に声をかけたと。
卒業公演は8月の頭。ひと夏のイベントと引き受けた私でしたが、あれから25年、今もって新作公演に通う事となろうとは。つくづく縁の不思議さを感じる次第で(笑)。

Photo_795 ちょっと脱線しました。その82年当時の研究生というのがまた癖のある連中で。とにかく演技というものに興味を持つ段階で人とはちょっと違うと(私も人の事は言えませんが)。
デザイン担当でちょっとお手伝いのつもりがメンバーの個性に引っ張られ、何故か稽古を見学する日々、ついにはラストシーンで一瞬出演するはめになってしまうという今考えればありえないような夏でした。
その卒業公演の演目こそ、今日のサブタイ「バード」なのでした。

Photo_797  今も手元にこの「バード」の台本がありますが、今読み直してみるとこれはやはり、「研究員の卒業公演用」の小品との印象を持ちます。元々高校演劇コンクールで戯曲賞に輝いた作品ゆえ、そんな肌合いを感じたのでしょう。
高校生の主人公が持つ閉塞感を「籠の鳥」になぞらえた、比較的分かりやすいストーリー。
研究生の人数からはじき出された出演者の数。
その稽古は試行錯誤の連続でした。

出演者である研究生は6人。高校演劇経験者、人形劇経験者などそれぞれ経歴はあったものの普通のお芝居は初めてです。幼馴染の彼も、割り振られた役と必死に格闘していました。
冒頭の加賀まりこさんのコメントにあるように、役者というものは本来「自分の中にはない性格を想像して、色々な演技バリエーションを提示する」ものなのですが、研究生である彼らにそんな芸当ができるわけがありません。
比較的彼らが想像しやすいキャラクターが登場する「バード」のストーリーでしたが、彼らにはそもそも「演技の引き出し」という概念そのものが難しい。傍観者である私にも、稽古に臨む彼らの焦りがよく分かりました。

クタクタになった稽古の帰路、電車の中で「自分が演じるキャラ」について盛り上がった事も懐かしい思い出です。

実際の所、彼らは演出家というキャッチャーに対し、ピッチャーとして自分が投げる球がストライクなのかどうかを模索していました。でも当時の私達には人生経験があまりにも少なすぎました。「演じ分け」なんてとてもできなくて。セリフを一本調子に反復するだけの足踏み状態。手伝いで見ている私が全セリフを覚えてしまった程、果てしなく続く稽古。
演出家の激が飛びます。「そうじゃないんだよなー。」
ストライクが見つからない演者と、演出家の間に流れる苛立ち。思いを伝えられない歯がゆさにも似た感情。
幼馴染の彼に変化が現れたのは、そんな時でした。

ある日の稽古で、彼のセリフ回しがそれまでと全く違っていたのです。

Photo_798 これは「バード」の台本の一部です。彼のセリフは写真の中ほど「そんなの無理だよ・・・」のあたりで。主人公の友人役の彼が東京への憧れを語るセリフです。
彼はそれまでこのセリフを「しみじみと」「思い描くように」語っていました。ところがその日、彼はこのセリフを「大声で」「オーバーアクション気味に」楽しそうに語りだしたのです。
「新宿のディスコで女の子引っ掛けて」のあたりなど、まるで人が違ったように(笑)。

あまりの豹変ぶりに主人公を演じる相手役もちょっと引いていましたが。

私はその時、彼が「引き出し」を意識し出した事にひどく感動しました。その動き、セリフ回しが、普段穏やかな彼の地とかけ離れていた事にもです。
それは今にして思えば、リアリティーとは少し違った「想像のキャラ」に過ぎないものでしたが、とにかく彼は「演技バリエーションを試してみる」事に目覚めた訳です。

まー、この演技プランは演出担当によって却下されましたが(笑)。
それは私にとって若き日の、幼い認識に過ぎないものでしたが、「これが役者の原点なんだなー」と感じた瞬間でもありました。

その後稽古は佳境を迎え、「バード」は盛況の内に公演を終えました。私には、その時の彼の豹変振りが他の研究生達に刺激を与え、研究生一人一人の引き出しが開かれたとの思いを今も持っています。
その公演から数年後テレビのお仕事に就いた私。中には劇団の稽古風景の取材もありました。しかしながらこういう「役者が変わる」瞬間に立ち会える事はめったにありません。
たかだか数時間の取材でそんな劇的な場面にはお目にかかれないのが普通です。でも舞台作品が完成されるまでにはそういう試行錯誤が常に繰り返されているんですよね。
私はその事を彼から教えてもらった気もします。
彼の劇団も今年で創立50周年。今月には記念公演も行われるそうです。
劇団メンバーの皆さんも、公演の度に数え切れない程の「演技の引き出し」を模索し続けて来たんでしょうね。
そんな皆さんの影の努力に頭が下がる思いです。

これは本当に偶然なんですが、このお話をする為、数年ぶりに「バード」の台本を紐解いた昨夜、彼本人から不意の電話がありました。
恐ろしいほどの偶然に驚いた私は、彼に「豹変」の真意を確かめようとしましたが、残念ながら彼の記憶にはそれほどの思いは無かったみたいで(笑)。そんなもんですよね。
来月、幼馴染のみんなで集まろうと約束しました。
今も劇団で頑張る彼は、加賀まりこさんの境地に達しているのでしょうか。
十数年ぶりの仲間との再会も楽しみですが。

でも私、彼以外に「女子」してる事をバラしていないんですよ。
「豹変」したのは私の方。
私の変身は仲間にとって「ストライク」なんでしょうか。

楽しみと不安がないまぜになった日々を過ごしています(笑)。

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コメント

いやいや、よく覚えてますねー。本人が全然覚えていないのに。
それどころか、本人、台本も残ってないかもしれない。

今、自分にそんな「演技の引き出し」がどれほどあるだろうか、と考えたとき、セリフを頭に入れるのでいっぱいいっぱいだったりして、引き出しを開けている余裕すら無い、ってのが現実かもしれません。

今、今回の公演に出られず、ずっと他の人の稽古を見ている時、いわゆる「別の引き出しを開けた瞬間」というのを時々目にします。
確かにこれって、「感動的な瞬間かも」って、オタクイーンさんの文章を読んで、改めて感じました。

そっかー、これが舞台の楽しみの一つでもあるんだ。

まだまだ、自分は加賀まりこさんの境地には到底達していないようです。

ro_oku様 コメントありがとうございました。
そうなんだよねー。他人の心に残る事って、当人は全然忘れてる事が多いんですよ。でもまあそれだけ感動を与えたって事で(笑)。

役者が「別の引き出しを開ける」っていうのは、稽古じゃなくてはできない事だから、立ち会う人はものすごく貴重な瞬間を目撃しているんじゃないかと思うんですよね。
だから余計心に残るのかも。
役者の試行錯誤が最も現れる瞬間。それは本番のみ鑑賞する観客には決して分からないですよね。
実はそんな所に演劇の真髄が潜んでいるのかも。

役者もその部分を楽しめるようになれば一人前なのかもしれません。きっと貴方も、そんな部分に魅力を感じてるんでしょ?
加賀まりこさんレベルは大変でしょうが、情熱ある限り頑張って下さい。貴方は我々の星なんだから(笑)。

はじめまして。
ro_okuさんと同じ劇団員のしすけと申します。
時々ブログ拝見させていただいております。
ただ今、本番直前で追い込み中です。

「演技の引き出し」ということですが、役者には「喜怒哀楽」の引き出しを持てと言われておりますが、私は持ってません。(「哀」だけは一応ありますが…。)

「演ずること」は長年役者をやっているから身につくものではなく、誰でも自然ともっていると思います。
例えば、「嘘をつく時」「お世辞を言う時」など人は自然と演技しているのですよ。
そう考えれば演技なんて誰でもできるな…と。
でもそれは自分を演じているわけだから違う人を演じるとなるとそれが一苦労なんですが…ね(笑)。

本番直前には怖くてできないんですが、突然長い稽古中で作りあげてきた役のキャラクターを180度変えてみたいです。
本番で変えたりとか…もちろん怖くてできません。


しすけ様 はじめまして。
本番直前のお忙しい時にようこそ(笑)。
時々いらっしゃっていたとは。ありがとうございます。

私も随分昔(稽古場改装前)、ro_okuさん達と熱いひと夏を過ごした経験が。(こう書くと誤解されそうですが)
あの空間には独特の魅力がありますよね。

おっしゃる通り、どんな人でも知らず知らずの内に演技している事があります。それを舞台にうまく生かす事ができれば素晴らしいんですが(笑)。ただ普段の無意識の演技と舞台のそれは、ちょっと異質なものかもしれませんね。

「引き出し」には人生経験が大きく物を言うような気がします。
以前、女優の水野久美さんが「昔自分は「くずれた女」の役を演じたが、今考えればそれは、頭で考えた「くずれた女」だった」と語っています。それが自覚できる程、水野さんも人生経験を積まれたという事なんでしょうね。
舞台に立ってもいない私などが生意気な事を申し上げてしまいました。ごめんなさい。

皆さんの試行錯誤の結晶となるであろう今回の舞台を、影ながら応援しています。追い込み、頑張って下さいね。
キャラクター急変の誘惑と戦いながら(笑)。

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