2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

私信等はこちらまで

無料ブログはココログ

« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »

2007年5月の記事

2007年5月31日 (木)

今も心にスパークレンス

「ネヴュラ」をご覧の皆さんは、「自分の一番好きなウルトラマン」を一作挙げろと言われたら、どの作品を挙げますか?
なにしろ今年、生誕41年を数える大長寿シリーズですから作品数も多い。登場したウルトラヒーロー(「戦士」という言葉はあまり好きではないので)もかなりの人数に上ります。
マイ・フェィバリット・ウルトラマンを語り合うには丁度いい作品数かもしれませんね。

まあとにかく、各々の作品毎に独自の魅力を見せるウルトラシリーズですから、きっとお一人お一人の中に「これは譲れない」作品が存在すると思います。
それがシリーズというものの多面的な魅力であり、私たちファンに与えられた楽しみでもある訳です。

私が拝見させていただくいくつかのブログでも、時々そんな「ウルトラシリーズの人気投票」的な企画が行われ、なかなか面白い結果が出ていますね。
「えーっ、この作品がこんなに人気あるの?」とか、「自分の好きな作品なのに意外に人気が無いなー」とか。皆さんのご意見を見て頷く事も多いです。
「ネヴュラ」読者のご意見もお聞きしたいところですね(笑)。


そんな中「ネヴュラ」では、自分のブログという独占権(笑)を行使して、「ウルトラマン」(1966年~1967年)を強力プッシュしています。
事あるごとに記事のネタになるあのM78星人のお話に「またウルトラマン?」と呆れられている方もいらっしゃるでしょう。

本当ですよね。たまに自分でも読み返すんですが、まーよくこれだけ書き散らせるものだと。内容は無いし(涙)。
(「ウルトラQ」はウルトラヒーローの出演が無いので便宜上ここでは別作品という事で)

Photo_866 で、私がこの「ウルトラマン」以外にもう一作品、非常に心酔している作品がある事もご存知の方がいらっしゃるでしょう。今日のサブタイトルでお分かりと思いますが(笑)。
その作品こそ「ウルトラマンティガ」(1996年~1997年)なのです。


この「ウルトラマンティガ」に関しても、「ネヴュラ」では結構採り上げてきましたね。
なにしろまだ11年前の作品(それでも11年ですが・・・)ですから、テレビ業界の片隅で生きる私もそれなりにアクションを起こし、劇場版公開の際は特別番組を企画するなどライブな一時を過ごしました。

(企画は結局毎日放送でNGをもらいましたが、それでも「動いた」という事で(笑)。
今日久しぶりに「あの伝説の」最終三部作を見たんですが、思い入れもあってかやはり他の作品とは違う迫力があるなーと、改めて感動したりして。
皆さんは「ティガ」についてどんな印象をお持ちでしょうか。


Photo_867 「ティガ」放送時、作品の魅力について熱く語り合ったのは、意外にも子供達以上に古くからのウルトラファンであった大人たちだったそうです。
「特撮マニアが二人会えばティガの話」なんて言われましたよね。
今ほどネットが普及していなかった1996年当時。それでもマニアはティガに魅了され、次々と繰り出される名エピソードについて意見を述べ合っていたのです。
大人のファンをそこまで熱くさせたティガの魅力とは、一体何だったんでしょうか?


「ウルトラマンティガ」は、ウルトラマン生誕30周年記念作品と言う事で、数々の新機軸を打ち出した野心作でしたね。
ウルトラマンの設定も従来の「M78星雲人」というものから「3000万年の地球に降臨した「光」とされました。
それまでの大まかなウルトラヒーローの設定はティガによって一度リセットされた訳です。
私にはその設定が大変魅力的に映りました。


以前にもお話した事がありましたが、私にとってウルトラマンは「作品毎に同じ設定の必要はない」シリーズなんですよ。因果な性癖で、ゴジラもガメラもウルトラマンも「別に面白ければ作品毎に設定が違ってもいいじゃん」と思ってしまうんです。
逆に、設定に縛られるから作品世界が狭くなり、辻褄合わせだけで精一杯になっちゃうんじゃ、なんて思いに捉われてしまうのです。
そういう意味では、平成ライダーはかなり作品毎のカラーも違い楽しめるシリーズと思います。(当たり外れも大きいですが、名作はそういう中から生まれて来るものですしね)
「GMK」なんて、私のゴジラ作品順位ではかなり上位に食い込んでいるんですよ。

私が「ティガ」の設定に魅力を感じたのも、そんな性癖の成せる事かもしれません。
その設定の活かし方も素晴らしかったですよね。
なにしろティガは、「ウルトラマンが去ってしまった世界」からスタートしている訳です。なんて斬新なオープニング。
かつてこんな始まり方をしたシリーズは無かったですよねー。


Photo_868 この斬新な設定の為、ティガ放送中、雑誌「宇宙船」には賛否両論、色々なご意見が飛び交いました。
「ウルトラマンはM78星雲から来た宇宙人を指すものだから、ティガはウルトラマンじゃない」なんてご意見を読んだ記憶もあります。
今考えればそんなティガの斬新な設定に、受け手がついて行けなかったのかもしれませんね。
私は両手を上げてOKサインをしていましたが(笑)。


そんなティガ自身の設定は、番組そのもののテーマにも密接に影響してきました。
「ネヴュラ」でもよくお話するんですが、一年間にも渡るテレビシリーズは番組開始時の設定やテーマが最終話までの間に変わっていくものなんですよ。
「作り手の思いの熟成」や「視聴者の反応」などが影響し、自然と軌道修正されて行くんです。新発表の自動車が、同じ型でも発売後にマイナーチェンジしていくのと同じです。
要は、作り手は「作品をよりよくする為に軌道修正を行う」訳ですね。


で、爆弾発言をしてしまうと(笑)、「ティガ」の番組開始直後、1話・2話あたりまではそんな斬新な設定があまり活かされていませんでしたよね。
例の「3タイプにチェンジする能力」だって、スタッフ間の試行錯誤が画面に出ており微笑ましいくらいで。
問題は第3話「悪魔の預言」でしょう。
多分あのエピソードでティガは偶発的に軌道が決まってしまった。


ティガ世界に大きな影響を与えた名キャラクター「キリエル人」。
あの脚本を小中千昭は一日あまりで書き上げたというお話は有名です。
準備していた脚本が急遽先送りになった為、代わりの脚本を大至急書き上げなければならなかった。そんな偶発性が「ティガ」の世界観を決定付けた事実を知るにつけ、つくづく「何がどう転ぶかわからない」という物事の真理を感じます(笑)。
具体的なストーリーはここでは伏せましょう。未見の方はぜひご覧下さい。


ともあれあのエピソードによって、ティガはそれまでのウルトラマンとは異なる、独自の世界観を作り上げていく事になる訳です。
シリーズ中いくつかのターニングポイントを通過しながら、ティガの世界は徐々に強固に、しかも魅力的に構築されていきました。
ティガの本質とされる「光」の設定が、ストーリー中切り離せなくなっていったのもすごい事でしたね。

Photo_872  ティガを全話ご覧になった方はお分かりでしょうが、あの怪獣と戦う「ティガ」って存在は、実は「光の入れ物」じゃないですか?
ティガ世界に於けるウルトラマンという存在は、「光となって戦う存在が、その能力を増幅する為に合体する躯体」という設定なんですよ。そこが凄い。
要は、光となれる存在であれば、誰でもウルトラマンになれるという設定があるわけです。

第1話で、「3000万年前に地球を守った英雄は、ウルトラマンという躯体を残して地球を去った」という意味の描写をされています。「光」となってその躯体に合体できた者、それが主人公・ダイゴだったという訳で。

後々、ダイゴには光となれる遺伝子が組み込まれていた、なんて後付の設定もされましたが、当初は「ダイゴが不意の事故で、光変換効果のある光線に当たって」ウルトラマンに合体するというボツ設定もあったそうです。
もしその設定が採用されていたら、以後のティガ世界は根本的に変わっていたでしょう。
ここでも偶発性の恐ろしさを感じたりして(笑)。

で、そんなティガ世界を貫く「光」という曖昧な表現も、作り手、視聴者の双方で様々な解釈がなされました。その多面的な解釈もティガという作品の大きな魅力と思います。

私のように頭の無いおバカは、そんな「光」という存在を「希望の象徴」と解釈しました。シリーズを通じて語られる大きなメッセージを、光という存在に重ね合わせたのでした。

「ティガ」では、ウルトラマンとなったダイゴの意識が変身後も生きています。つまりダイゴは地球人の意識のままウルトラマンの能力を駆使できる訳です。
その時、彼はどう考えたか。

「自分は人間として、出来る事を精一杯やるだけ。」
そんなあまりにも人間的な、あまりにも謙虚すぎる思いがティガの大きなテーマであり、私が感じた最大の魅力なのです。


地球人と小さな存在に手を差し伸べる超能力の宇宙人、ウルトラマン。
「ティガ」とは、そのウルトラマンから力のみを与えられた人間が「試される」物語なのかもしれません。
その一つの解答が第44話「影を継ぐもの」である事は皆さんも頷かれる事でしょう。(なんか知ったかぶり風の語り口になっちゃいましたね。ごめんなさい。)


「人間として出来る事を精一杯やるだけ。」
劇中では、このセリフを実に多くの登場人物が語ります。
たとえウルトラマンの能力を与えられなかった人々でさえ、このセリフの下に敢然と敵に立ち向かうのです。
これがもう、私には感動もので。
実はティガという物語に多くの大人ファンが感動した理由は、この一点にあったような気もするんですよ。


「あらゆる局面でくじけそうになった時、自分は今出来る事を精一杯やるだけ。」
ダイゴをはじめ、登場人物が何度も叫び続けたその言葉は、そのまま私たちへのエールだったのかもしれません。
そして、スタッフが出した一つの解答が最終話「輝けるものたちへ」。
未見の方の為に内容は伏せましょう。(意地ワルな私(笑)。
私がティガの本質「光」を「希望の象徴」と解釈した理由は、この最終話にあります。


Photo_870 あのエピソード、ラストの子供達の奇跡が大きく取り上げられがちですが、私はそのラストに至る人々の努力にも深く感動しました。
ティガの登場人物が全員「出来る事を精一杯」行った末の、あの奇跡であったと思いたいのです。ですからあの勝利は希望を捨てなかった全ての人々のもの。
子供達はその代表に過ぎません。
「グリッターティガ」はまさに、人々の希望の象徴だったような気がするのです。


この一点がある限り、私はティガという物語を支持できます。
最終話、グリッターの奇跡が起こった時、子供達はウルトラマンへの変身アイテム「スパークレンス」を使っていません。
彼らは自分達の力だけで光になれた訳です。
彼らの心には、「希望」というスパークレンスが輝いていたのでしょう。


Photo_871 年を重ねるごとに、私の中でティガのメッセージはますます輝きを増すようです。
毎日の生活の中でくじけそうになる時その言葉を思い出す、なんてかっこいいセリフはとても言えませんが。


ベーターカプセルはハヤタにしか使えませんが、スパークレンスなら私にも使えそうな気がするんです。
「希望を持ち、出来る事を精一杯やるだけ」の気持ちを持てば。
それが難しいという事も充分わかっているんですが笑)。

にほんブログ村 その他趣味ブログ 特撮へ

2007年5月30日 (水)

現場の嘆き

「えーっ!そーだったんですか?」
局のアナブース。いつも一緒にお仕事する女子アナからお話を聞いた私はビックリしました。

実は彼女、先日愛知県長久手町で起こった拳銃立てこもり事件で、現場の中継を担当していたのです。
「私が他の人と中継を交代してから1時間後に、犯人が逮捕されたんですよ。
もーちょっと逮捕が早かったら私が実況できたのに。」


彼女の思いはしごく当然のものでした。別に彼女は決定的瞬間を実況し、顔を売りたかった訳ではありません。
「実況担当って、カメラが繋がってなくてもずっと現場に居なきゃいけないでしょ。しかも事件はいつ解決するかわからない。
終わらない実況って辛いものなんですよ。そうなるとスタッフ全員、ここまで頑張って現場に居るんだから最後まで見届けてやる!って気持ちになるんですよね。」


この気持ちは私もよくわかります。実はテレビって、カメラが回っている時間より回っていない時間の方が長いんですよ(笑)。
ですから待ち時間もかなり苦痛だったりして。
ましてや事件の実況のようにいつ終わるか分からないお仕事の場合、常に緊張を強いられる現場では、スタッフは「解決を見届ける」という事ぐらいしか目標が持てないんですよ。


「大変でしたねー。」彼女の実況をウチで見ていた私はつぶやきました。
「そういえば、別の方の事でちょっとお聞きしたいんですが。」

実はあの事件、緊張の現場は全国ネットで実況されていましたが、東京キー局のスタジオがCMに切り替わる時、現場局のある私の地方ではCMを流さず、地方局のスタジオに切り替わっていたんですよ。つまり全国的にはCMが流れていても、私の地方だけはローカルスタジオによる実況があったわけです。その地方局の女子アナに関する事でした。
彼女も私とよくお仕事をする仲間だったんですが。


スタジオで実況していた彼女は、左手に大きな包帯をしていたんです。

事件が事件だけに、なにか現場で怪我でもしたのかとちょっと心配になってしまいまして。前述の彼女は当人とは同僚ですから、事情を知っているだろうと。

「あー、あれは事件の関係じゃありませんよ。なんでも彼女、
フードプロセッサーに手を巻き込まれたらしくて。」
「えーっ、それはそれで大変じゃないですか。」

私はフードプロセッサーなんて高級機械は持っていないですが、あれって食材を粉々にするものですよね。手なんか巻き込まれたら大変じゃないかと思うんですが。
「まーそうですよね。包帯グルグルだったでしょ。ちょっとビックリしますよね。」
彼女は笑っていましたが、それもきっと当人の順調な回復を知っての事でしょう。
いやー怖いわー。
やっぱり食材は自分の手でほぐすのが安全ですねー。

その時私は思いました。冒頭の、中継現場に居た女子アナの彼女は事件解決のわずか一時間前に現場を離れた為、自己の目標であった「逮捕の瞬間」に立ち会えなかった。
一方スタジオの女子アナは、フードプロセッサーにより大怪我をした左腕を延々と見せながら事件の状況報道を続けなければならなかった。
この皮肉。そして現場の混乱。


本来カメラの前に立つ者は、普段の生活でも身体の故障などには気を配る必要があります。自分の不注意で視聴者に不快感を与えてはいけないからです。そういう意味で彼女は自己管理を怠ったと言えます。ベテランの彼女の事ですからそれは何よりも分かっていた筈。本来なら上司に申請して、顔出しは控える必要もある訳です。
ところが皆さんご存知の通り、あの事件は全国規模の大事件になってしまった。
緊急事態で人手が足りないアナウンス部としてはそんな事も言ってられなかったと。
つくづく「お仕事というのはままならないものだなー」と痛感しました。


あの事件では私の街のローカル局全局でもかなりの混乱があったようです。
なにしろあれだけの大事件でありながら、現場の実況はすべてローカル局のスタッフのみで行ったそうで。通常あの規模の事件なら東京キー局がスタッフを投入、ものものしい報道体制を引くのが普通なんですが、今回はそうならなかった。
やはり解決のめどがつかない事件に、キー局のスタッフを張り付かせる訳にはいかないという事情があったのでしょうね。そういう考えもよく分かります。

冒頭、女子アナに事情を聞いた同じ日、お仕事をしたロケスタッフからも興味深いお話が聞けました。

彼は現場の照明マンなんですが、今回の立てこもり事件は昼夜を問わず実況が続いたので、現場の照明スタッフは大変な思いをしたそうです。彼は言いました。
「だって考えてみて下さいよ。ちょっとした明かりで犯人を刺激するかもしれない。現場のSATが照明を発砲と誤認するかもしれない。警察からは「光を当てるな」ってきついお達しがあったんです。でももし犯人が逮捕されたら照明OKの許可が出る。我々はその時の為だけにずっと待ち続けたんです。
事件はいつ解決するか分からないのに。」


そうですよねー。確かに照明マンのみならず、あの事件は他の番組の放送中もずっと画面の片隅に実況映像が放送されていましたから、カメラスタッフの心中も察するところがあります。「いつ終わるか分からない」というのは大変ですよね。
それはきっと、現場を仕切る警察側も同じ事だったのかもしれません。


事件解決後も、あの撃たれた現場巡査の救助について、また残念ながら死者も出してしまったSATチームへの作戦指示など、警察には色々な批判がなされていますが、私はこれら報道スタッフの生々しい証言を耳にする度に、一つの思いを強くします。
確かに現場での警察の動きには問題もあったかもしれません。後に噴出した色々な事実も追求されてしかるべきでしょう。
でも、所詮取り巻きでしかないマスコミの現場でさえこれだけの混乱があったわけです。
事件を解決せねばならない警察当局に与えられたプレッシャー、そして混乱は想像を絶するものがあったと察するのです。


後々ワイドショーなどで、評論家と称するコメンテーター諸氏が様々な批判を繰り返していますね。でも彼らが現場に居たら、果たしてそんな事が言えたのだろうかと考えてしまいます。

まさに「事件はスタジオで起こってるんじゃない。現場で起こってるんだ」という事です。

まー私だって彼らコメンテーターと同じ。現場を知らずに好き勝手言ってるだけですから同じ事なんですが。
ただ、「事件報道から休みがなくて。ほとんど寝てないんですよ」と笑う照明マンの彼を見る度、私は現場に居た者とそれ以外の方々の温度差を感じてしまうのです。
ともあれ報道現場というものは、常にそういう混乱と共にある事を痛感しました。


後日、番組の編集で局を訪れた時、いわゆる「スーパー字幕」を制作するセクションのスタッフと談笑する機会がありまして。
彼は私の古くからの馴染みでしたが、ここ数年でものすごく太ったそうです。
「スーパー作りって一日中パソコンと格闘してるでしょ。ほとんど運動しないんですよ。だから太っちゃって。」
ベルトの穴が一個外へズレたと笑う彼。それはそれでエキスパートゆえの嘆きかもしれませんね。

どんなお仕事も大変。現場で頑張ってらっしゃる皆さん、皆さんの努力あっての社会です。
これからも張り切っていきましょうね。私も応援しています。
(自分自身にも言い聞かせてます(笑)。

爆睡チュー

Photo_864
朝から雨だねー。もうすぐ梅雨だし。
こんな日は、お姉ちゃんもあんたみたいに寝ていたいよ。

Photo_865
あっ起こしちゃった?ごめんね(笑)

にほんブログ村 ハムスターブログへ

2007年5月29日 (火)

グングン実力がつくドリル

Photo_859 「・・・これは反則でしょう。」
今日はちょっと遠出して、普通のおもちゃ屋さんを覗いてみたら。
1960年代から70年代にかけ、子供時代を過ごされた方にはあまりにもツボなパッケージ。
もう説明するのが恥ずかしいくらいの有名アイテム。

「ジェットモグラ」。あの世界一有名なスーパーマリオネーションドラマ「サンダーバード」に登場した人気レスキューメカです。

いやー。それにしてもこれをやられるとは。
問題はそのパッケージイラスト、いや、「箱絵」ですね。

このジェットモグラ、元々は2002年に自主廃業した模型メーカー・今井科学が廃業寸前に発売した最後のモーターライズ・キット。
完全新規金型で電動走行、ドリルも回転。
プロポーション、ギミックともに申し分ない名作キットだったのです。
今井廃業後このジェットモグラの金型は、他のサンダーバードメカの金型と一緒にアオシマ文化教材社に引き取られ、ギミック等もそのままに継続発売されているのでした。
サンダーバード・ファンの間では有名なお話ですね。

アオシマではこれまで、期間をおいてサンダーバード・メカのパッケージ変更などを行い、付加価値を付けコレクターの購買心理を煽ってきました。多くのファンと同じく、私も「サンダーバードと言えば小松崎イラスト」という刷り込みが完璧になされた世代なので(笑)このパッケージに反応しない訳は無く(涙)。
冒頭のセリフの意味はもう痛いほどお分かりと思います。
この箱絵を見て「買うな」と言う方が無理なんですよ。

この箱絵は、今井科学が1972年に発売した「新設計 リモコンジェットモグラタンク」のものだそうです。
イラストは当然、小松崎茂画伯の作。
イラスト以外のロゴなどは当時の雰囲気に近づけた新規デザインですが、これをパブロフの犬と熟知しているアオシマのスタッフたるや、心憎いほどファンの心理をかき乱してくれますよね(笑)。

40 よく見ればこの商品は、昨年サンダーバード生誕40年を記念して発売されたスペシャルパッケージ・モデル。
「えーっ!去年発売?こんなの見た事なかった。限定発売品が売れ残ってたのかなー。」
まー発売時期はともかく、今これが手に入った事だけでも感謝しないと(喜)。


このキットを抱え、スキップしながらウチにたどり着いた私。部屋で待つコタちゃんがもし口をきけたなら、まず真っ先にこう言ったでしょう。
「お姉ちゃん、またおんなじの買ってきたの?」

4s2 そうです。私は既に、このジェット・モグラキットをいくつか在庫しているのでした(笑)。
ご覧のとおり、箱は違えど中身は全く同じ。今井版とアオシマ版でモールド色は異なりますが、それは色を塗ってしまえば同じと言う事で。
(このくだり、識者の方々から激しいツッこみが入りそうですねー。
「オタクイーン、今井とアオシマの細かい見分けがつかないとは。
まだまだだな」なんて(汗)。

Photo_860 この在庫の中にも、アオシマによるファン心理をついたパッケージがあるんですよ。
これは最近発売されたパッケージのものですが、このモデル、驚きの「両面パッケージ仕様」というもので、箱のフタを裏返すとあら不思議、懐かしの小松崎イラストをあしらったレトロ風味のパッケージが現れるリバーシブル・モデルという(笑)。
下の写真が、その裏面です。


Photo_861 この箱絵の原画は1971年、今井科学が再版を予定していた「ミニ版 ジェットモグラタンク」の為に小松崎氏が書き下ろしたものだそうです。
ところがこの原画、71年当時に他社が発売したモグラの箱絵に構図が似ていた為、その時はお蔵入りになったという曰く付きのもの。
結局83年のキット再版時に採用され、ようやく日の目を見たわけですが、イラスト一枚にもそんなドラマがある事を初めて知りました。

そういう希少性も含め、もうこれら小松崎イラスト版キットは「箱の小松崎イラストを買う」という感覚に近いものがあります。
イラストにキットが付いてくる感じですねー。
コタちゃんもきっと呆れている事でしょう(笑)。


それにしても、私は何故この「ドリルメカ」に弱いのでしょう。
確かにサンダーバードと言えばなんと言ってもあの空飛ぶ巨大輸送機「サンダーバード2号」が一番人気ですよね。
でもその次に好きなのは?と聞かれたら、私は迷わず「ジェットモグラ」と答えます。
「ネヴュラ」読者の皆さんの中でも票は分かれるとは思いますが、私の感覚ではこのジェットモグラはサンダーバード・メカの中でもかなり上位にくい込む人気メカではと思うのです。

ドリル。これが付いているだけで、何故かかっこいいと感じてしまう。これは不思議ですねー。
「男の子のドリルメカ好きに理由は無い」というご意見もよくお聞きします。
まー私のような女子だって好きなんですから仲間に入れて欲しいですが(笑)。


なんででしょうね。理屈じゃ説明できません。
考えてみると、ドリルメカっておそろしく地味なメカなんですよね。地中を進むときは一直線。前進か後退しかできない。
怪獣などと派手に戦う見せ場もあまり無いし。
でも惹かれるという(笑)。
やっぱりあの、「機体の一部が派手に回転するゆえの強さ」あたりが魅力の一因かもしれませんね。でもこういう「好み」って、うまく説明出来ないところに楽しさがあるので、無理に理屈をこねる事はやめましょう。
一糸乱れぬ見事な解析で、ドリルメカの魅力を語れる識者の登場を期待します(笑)。

このドリルメカはプラモデルの世界でも恰好のモチーフとなりました。
なにしろ、当時のウルトラシリーズなどには結構な確率でドリルメカが登場しましたから、マーチャンダイジングに余念の無いおもちゃメーカーが、そんなおいしいアイテムを放っておくわけもなく(笑)。
「ドリルが回る」「前進・後退」などのギミックを満載したおびただしい種類のキットがデパートやおもちゃ屋さんの店頭を賑わしたのです。

4s_2 前述のジェットモグラなど、今発売されているものは実に感動的な動きを実現しています。
なにしろ電動走行時、ドリルの回転を基本としてモグラ部横のクローラーが回転。
作業警告用の赤ランプまで点滅します。

そしてさらに、作動させた方にしか分からないスペシャル・アクションが。
なんとモグラ部の下、タンク部のキャタピラ振動によって、モグラ部が劇中のように微振動するんですよ!
この微振動を再現したモデルはおそらくこれが世界初でしょう(別に私の設計じゃないんですが)。


2s_1 このジェットモグラをはじめ、手持ちのキットも何故かドリルメカが多い。
私の少ないコレクションの中でも怪獣に次ぐ数かもしれません。

例えばウルトラメカであればこの「マグマライザー」。
よく「本体幅に比べてあのドリルの大きさは」的なツッこみをされるこのマグマライザーですが、何故かそういう言葉が野暮に聞こえるほど、このフォルムはかっこいいですよね。


Gs_5 映画に目を移してみましょう。
もうこれを外すと皆さんに口もきいてもらえないスーパーメカ、「海底軍艦」(1963年東宝 本多猪四郎監督)の主役”怪獣”「轟天号」が決定版でしょうね。
私もいくつか持ってます。

ところがどうもこの映画「海底軍艦」、人によって好き嫌いがあるようです。
私はヨン様より轟天様が好きですが(笑)、私の周りで両派のお話を聞いてみるとどうやら「好き」と言う人は「轟天そのものが好きだから、ストーリーが少々難ありでもOK」「嫌い」という人は「轟天が嫌いだからストーリーも納得できない」というご意見なんですよ。

つまり「海底軍艦」という作品の魅力は、轟天号という戦艦が好きかどうかで評価が決まるようなんです。
「主役の好み」なんですよね。


ですから轟天号は、ある種ブルース・リー的な存在感を持つものなのかもしれません。
「燃えよドラゴン」があれだけ支持された理由の大部分は、ブルース・リーの存在感によるところが大きいのと一緒ですね。
リーの好き嫌いで作品の評価も変わってくると。
あの作品のストーリー、演出についての言及がさぼどなされない事が、その事実を証明しているような気もするのですが。


3s_1 で、おそらく子供だった私たちに最もイマジネーションを与えてくれたのが、これらのメーカーオリジナル・ドリルメカ。
写真のものはすべて最近再版されたものですが、この緑商会のモグラスシリーズ、当時作った事のない子供はほとんど居なかったんじゃないかと思います。
「モグラス」は上級機種になるに従って、ドリルの回転以外にもミサイルや円盤発射などいろいろなギミックが追加されていきましたね。
冒頭のジェットモグラもかくや、と唸るギミックが満載でした。
でももうこの辺になると「ドリル」という武器の理由が少々弱くなってきちゃって(笑)。
ドリルメカというよりも「ドリルが付いた万能戦車」という趣で。
でも名前はモグラスという(笑)。

Gs_6 まあそんなところをツッこむのも野暮というもの。かっこいいものはかっこいい訳です。
素直に組み立て、楽しむのが粋というもので。

でも皆さん、思い出してください。
ドリルメカって電動ギミックが凄く多いので、組立には手こずりませんでした?
動力部の配線が接触不良を起こしたり。ギアのかみ合いが悪かったり。けっこう高度な工作技術を必要としたんですよ。

だからある種「実力アップの為のキット」だったような気もするんです。
完成品がスムーズに動いた時の感動は、筆舌に尽くしがたいものがありましたよね。
可動キットが少なくなった現在。こういうドリルメカを完成させる喜びを、今の子供達に味わってもらいたいと考えるのは、私が年をとった証拠でしょうね(笑)。


今日のサブタイトルはそういう意味です。私がまさか学習ドリルのお話をすると思った方もいらっしゃらないでしょうが。
「さぶっ!」と言われるのもごもっとも。
だから「サブタイトル」ですって(笑)。にほんブログ村 その他趣味ブログ 特撮へ

2007年5月28日 (月)

空想特撮シリーズ「科学特捜隊」

この写真をごらん下さい。
Photo_854 これは1967年9月15日、東芝レコードから発売された「ウルトラマン」関係のEPレコードなんですが、なんと商品タイトルが「科学特捜隊」という珍品。
「こんなレコード出てたんだ。」私も後年資料本を見て初めて知りました。
これ、ウルトラマンのレコード商品としてはかなり珍しい物だそうで。
私も現物を見たことはありません。
でもかっこいいですよね。「科学特捜隊」という言葉の響きが良いんでしょうか。
「すべて漢字ばっかり」という字面の良さも手伝って、なにか非常にプロフェッショナルな香りが漂います。
「特別機動捜査隊」風味とでも言えばいいのかと(笑)。

事件発生の報を受け、いち早く現場に駆けつけて超兵器を使いこなす「怪獣退治の専門家」科学特捜隊。正式名称を科学特別捜査隊と呼ぶこの組織は、パリに本部を置く国際科学警察機構の日本支部内に設置されたプロ集団です。
「マン」第一話冒頭で「怪事件や異変を専門に捜査し、宇宙から地球を防衛する重大な任務を持っていた」と語られる通り、彼らは言わば「科学刑事」とでも呼べそうなスーパーエリート集団。劇中での活躍は皆さんもよくご存知ですよね。

「ウルトラマン」企画時、前作「ウルトラQ」での反省点をふまえ、最も大きく反映させたのがこの科学特捜隊の設定であった事は有名なお話です。
「ウルトラQでは、民間人である主人公トリオが毎週何故か怪獣に出会ってしまう(笑)。
これがドラマのリアリティーを欠く。」「マン」では怪獣出現と同時にすぐ飛び出していくチームを設定する事でその不自然さを補おうとしたと。

まー「Q」での万城目君たちは全然不自然に見えなかったですが(笑)。とにかく金城哲夫以下企画室メンバーはそう思ったわけです。

そんな試行錯誤の中生まれた「科学特捜隊」は、毎回登場する怪獣に立ち向かう存在として実に秀逸な設定だった訳ですが、それだけでは今私たちが魅了されるウルトラマンの世界観とは大きな違いがありますよね。
「ヒーローを入れてみたら。」企画陣にそんな助言を与えたのがご存知「特撮の神様」円谷英二監督。
その一言が、今も語り継がれるウルトラマン誕生のきっかけになった事も有名なお話です。


ここまで聞かれてお気づきでしょう。実は「ウルトラマン」の企画時、先に決まっていたのは科学特捜隊の方だったのです。言ってみればウルトラマンは「後付け」の設定だったんですね。
これは今考えれば大変な事ですねー。「ウルトラQ」の後番組は「科学特捜隊」だったかもしれないと思うと(笑)。その後現在まで連綿と続くウルトラシリーズの歴史は無かったかもしれないんですよ。

ウルトラマン自体の設定も二転三転しましたね。
Photo_855 これも今更語るまでも無いですが、当初ウルトラマンに相当する存在は「ベムラー」なる怪獣で、渡辺明氏が手掛けたそのデザインはカラス天狗か大巨獣ガッパのごとき「いかにも怪獣」。写真はその「ベムラー」ですが、私も最初見た時はちょっと違和感がありました。
「いやーこれが初代ウルトラマンの位置づけだったら、絶対「セブン」には繋がらなかっただろーなー。だってこれ怪獣だもん。」


まさに怪獣。ウルトラマンは「怪獣」という設定からスタートしたのです。確かにこれは劇中では「どこからともなく現れて、相手を一瞬にして倒し去ってゆく」というウルトラマンそのものの役どころだったのですが、「でも怪獣」と思っちゃいますよねー(笑)。
Photo_856 その後デザインされたのが、先日「唇に微笑 心にスペシウム」でお話した「レッドマン」。さらにブラッシュアップされ、ようやくウルトラマン登場となる訳ですが、ここで注目したいのは「ベムラー」「レッドマン」ともに、企画案のタイトルに必ず「科学特捜隊」の文字が冠されていたという事です。

ヒーローのイメージは固まっていないけど、科学特捜隊だけは外せない。
スタッフは次回作にどうしてもあの「科学刑事」達を登場させたかったのです。


1_11 実際、科学特捜隊の設定はウルトラマン以上に緻密ですね。日本支部の建物に始まり、ジェットビートル以下の多目的専用機、スーパーガン・スパイダーショットなどバラエティー豊かな武器。
そしてなんと言っても素晴らしいのは、ムラマツキャップ以下絶妙のキャラクター配分を見せる5人の隊員たちでしたね。
個人的には現在までの地球防衛チーム中、その設定スケールや隊員の魅力に於いて科学特捜隊の完成度は群を抜いているような気がするのです。
(これも好みですねー。私はどうしてもあのアットホームな雰囲気が好きで。ウルトラ警備隊やMATのクールな魅力も捨てがたいのですが)

8  ところがこの科学特捜隊に比べ、番組タイトルであり主役であるはずの「ウルトラマン」というキャラクターは、番組開始時もスタッフやマスコミの間にかなりの認識のブレがあったようです。
写真は放送当時の雑誌「少年ブック」の番組宣伝ページですが、ページ右上の「ビッグXより大きく、8マンのように空をとぶ」というコピーに見られるように、出版社としてもウルトラマンの売り方に若干困惑していた事が分かります。

Photo_858 こちらは当時の学習雑誌「小学三年生」の特集ページ。右下の三行にご注目下さい。
ウルトラマンは当時なんと「せいぎのかい人」と呼ばれていたのです。

「かい人。」受け手の混乱ぶりが伺えますね。考えてみれば、ウルトラマン登場までこの手の人間型巨大ヒーローは皆無でしたから、送り手、受け手ともに手探り状態だった事は想像にかたくありません。
「仮面ライダー」の新番組発表時、会見会場に現れたライダー以下怪人達に対し、取材に詰め掛けた記者達は「これが怪獣ですね」と言ったそうです。この時もそれと同じ空気があったのではないでしょうか。
ですからその後のウルトラマンのあり方・設定は、ドラマを追う視聴者の思いと、その動向を敏感に捉えたスタッフの共作という事もできるのです。あの時代、あの空気でなければ「ウルトラマン」はあそこまでの成功を収めてはいなかったでしょう。

ちょっと脇道にそれましたね(笑)。それほどのエポックだったウルトラマンの存在に比べ、科学特捜隊の活躍は大変地に足のついたものでした。おそらくテレビドラマ創世記から作られ続けてきた「刑事物」のフォーマットをうまく転用した好例でしょう。
メインライター金城哲夫も、師匠・関沢新一が得意とした軽妙なアクションドラマのテイストをうまく取り込んで、科学特捜隊の活躍をテンポ良く盛り上げる事に成功していました。

今考えると、あの科学特捜隊のイメージは当時の刑事ドラマの移植だったような気さえするのです。その素地に円谷スタッフ一流のSFフレーバーをまぶした事が「古い皮袋に新しいお酒」効果を生んだような気も。

そんな香り漂う初代ウルトラマンの世界観が、「セブン」以下のシリーズと大きく趣きを異にするのもむべなるかな、と思います。
「セブン」以降のウルトラヒーローは「人間体の感情がヒーローへの変身後も持続する」という感覚があり、ヒーローは変身前でもドラマに参加している雰囲気がありますが、初代ウルトラマンだけは、ハヤタがベーターカプセルを掲げる瞬間まで、ドラマ中ウルトラマンの存在が感じられないですもんね。


私がそんな感覚を覚える理由は、どうやら「科学特捜隊」が前面に出たドラマ進行、そして当初「怪獣」という存在であったウルトラマンの設定が生み出したのではと思います。
変身前、人間体のヒーローに「ヒーロー性」があまり感じられない。確かにハヤタ隊員は全てが万能のエリート隊員ですが、それはあくまで人間としての能力であって、モロボシ・ダンのような透視能力や、郷秀樹のような怪獣出現の予知能力は無かったですから。
人間体とヒーローの間にちょっと距離があるんですよ。


2_16 それがきっと、スタッフ間にあった科学特捜隊とウルトラマンの認識度の差なんでしょうね。手馴れた設定を転用した科学特捜隊。そして全てが手探りだったウルトラマン。
ヒーロー登場シリーズ第一弾ゆえのこんな試行錯誤が以降の作品で結実し、ウルトラヒーローは徐々にキャラクター性を増していった事は皆さんもご存知ですよね。

でも私は思います。あの朴訥人のような、最後に突然現れて美味しい所を持っていく「せいぎのかい人」だからこそウルトラマンなんじゃないかと。
そういう意味で、ウルトラマンはドラマの縦軸じゃなくて「幕引き役」なんですよ。

そして、そんな曖昧な存在がラストに登場するまでドラマを引っ張る役割を担った「科学特捜隊」こそ、「ウルトラマン」の真の主役なのかもしれません。
冒頭のレコードジャケットは正しかったと(笑)。


これは、お仲間の大和少年さんに頂いたコメントにあったお考えです。私も漠然とそんな思いを持っていましたが、こうして言語化する事で考えが整理でき、改めてそんな思いを強くしました。大和少年さん、大変ありがとうございました。
こうして頂けるコメントからお話が出来るのも、ブログの素晴らしい所ですね。


例えばこれから新ヒーローを生み出したとしましょう。
取材に詰め掛けた雑誌記者たちが理解できないほど新しいヒーローが、今後生まれる素地はあるのでしょうか。

「刑事物」+「SF」+「ヒーロー」がウルトラマンだったとしたら、これを上回る方程式を持つとんでもない作品も創作の余地は残されているのかもしれませんね。

二次関数も苦手な私。
そんな高度な方程式、とても発想できませんが(笑)。にほんブログ村 その他趣味ブログ 特撮へ

シュワッチな月曜日

Photo_853
スペシウム充填100%!
パチンコをやらない私も、このタイトルには元気が出ます。

皆さん今日も、ウルトラにお仕事がんばりましょう!

にほんブログ村 その他趣味ブログ 特撮へ

2007年5月27日 (日)

ふぞろいのチキン味

「大きいなー。クッションにいいかも。」
見ていたテレビで流れた、「日清チキンラーメン」のCM。

国分太一、仲間由紀恵のコンビが抱えていたプレゼント品「巨大ひよこちゃんぬいぐるみ」を見た途端、私の目はハートマークに。

「チキンラーメンと言えば・・・」
数日前、近所のスーパーで買ったある限定商品を、私はすっかり忘れていました。
Photo_847 これ。「チキンラーメン&たち吉特製ひよこちゃんミニどんぶりセット」。
ミニサイズのチキンラーメンに、ふた付きのミニどんぶりがついた期間限定品だそうです。


今年4月16日発売だそうですからもう売出しから一ヵ月半近くなりますね。
この箱の大きさは高さ9.5センチ×横18センチ×奥行き11センチですから、いかにミニサイズかお分かりいただけるでしょう。

毎度の事ながら「限定品」という言葉の響きに弱い私。箱にまでその三文字が印刷されています。
「早く買わないとなくなっちゃうよー。」そんなひよこちゃんの甘い囁きには勝てず、箱はあっという間に買い物カゴの中へ。
ずるいですよねー。この商法。でも手を出さずにはいられない(笑)。

Photo_848 Photo_850





中身はこんな感じです。どんぶりの直径は10.7センチ。本当に一口サイズですね。
ラーメンも一食20グラムと超小型。小さなシールが付いていました。子供用?(笑)。
でもこのどんぶりのサイズと、ひよこちゃんイラストには勝てないんですよねー。
ユル好きの私としては(笑)。


Photo_849 この小さなラーメンをミニどんぶりにちょっと入れお湯を注いで2分待てば、こんなおいしそうなラーメンの出来上がり。毎度の事ながら、このフタを開ける瞬間がいいんですよねー。カップラーメンとはまた違った感動が体中を駆け抜け・・・
あれ?「オタクイーン、いつも料理せずにこんなのばっかり食べてるの?」と思ってません?決してそんな事はないんですが。まーこういうのも好きという事で(笑)。

Photo_852 このひよこちゃんイラストの付いた期間限定商品は、以前にもよく発売されていました。
私が以前手に入れたのはこれ。
「チキンラーメン土鍋」。
数年前の冬に店頭で見かけ、思わず買ってしまいました。並べたミニどんぶりと比べれば大きさがお分かり頂けるでしょう。
女性はこういうの放っておけないんですよ。取引先の奥さんに「あれ買ったの?私の近くじゃ売り切れちゃって。まだ売ってるかなー」なんてよく言われたものです。
私も「いいでしょー。」なんて優越感に浸ってましたが。ほんの数百円のものなのに(笑)。

この土鍋はその冬、チキンラーメン以外にもあらゆる煮物で大活躍しました。何故かこの土鍋で作るとおいしいような気分になっちゃって。これも「癒し効果」なんでしょうか。

こういう限定商品など、色々な商品展開で現在も高い人気を博す日清チキンラーメン。物心ついた時から今まで何百個食べた事でしょう。
私の中ではこのチキンラーメン、この手の味付けインスタントラーメンの中では5本の指に入るオールタイムベスト商品なのです。どんぶりや土鍋以上に、ラーメンの味が購買意欲をそそるんですね。

こういうラーメンは、子供の頃に覚えた味を忘れられなくて今も手が伸びると思っていましたが、事情を知ればさにあらず。チキンラーメンが今も人々に愛され続ける理由はきっと「時代に合わせて味を変えている」からなんでしょうね。

なにしろこのラーメン、誕生は1958年。私が生まれる前です。今年1月5日鬼籍に入られた日清食品会長、安藤百福氏が開発したこのラーメンは、日本のインスタントラーメンの草分けとして以後数え切れないくらいの後続商品と戦ってきました。時代と共に消えていったインスタントラーメンとチキンラーメンの差は、どこにあったんでしょうか。
これは幼い日の記憶に過ぎませんが、私が子供の頃食べたチキンラーメンって、今の物より「味が薄かった」ような感じがするんです。鳥ガラももうちょっとラーメンに不均一に染みこんでいたような記憶があります。
味にムラがあった。そんな感触でしょうか。
ですから、味としては今のものの方が均一になり、コクもある。
これはやっぱり常に品質の向上を心がける企業努力の結果でしょうね。


確かに、他のロングセラーラーメンだって同様の努力を惜しまない姿勢があると思います。そんな風に、しのぎを削る企業同士の戦いの末生き残った商品が不味いわけはないのでしょう。その世界に不案内な私などが言える立場でもありませんが、日々そんな努力を続ける全ての食品会社の方々に敬意を表します。

さて。以前にも「ネヴュラ」でお話しましたが、私、筋金入りの「ベビースターラーメン好き」なんですよ。チキンラーメン好きも、その嗜好のひとつの表れなのは言うまでもありません。
なにしろチキンラーメンも、そのまま砕いてポリポリ食べるのが大好きですから。

おやつカンパニーのベビースターラーメン。私にとっては「松屋のベビーラーメン」と言った方がピンと来ますが(笑)。
このお菓子も随分とロングセラーですよねー。
今はもう、期間、地域限定商品を加えたらそのバリエーションがどのくらいあるのか分からないくらいですが、私が子供の頃はまだ一種類。今で言う「チキン味」しかありませんでした。
この「ベビースター・チキン味」も随分味が変わりましたね。


子供の頃、この「ベビーラーメン」(発売当初は「スター」が付いていませんでした)は、友人たちの間で「チキンラーメンの余りで作ってるんだ」なんて噂が流れるほど、本家チキンラーメンと味が似ていました。その噂は私たちにとって決して悪いものではなく、むしろ「あのチキンラーメンがおやつとして食べられる」という喜びにも似たものでした。
なんていっても美味しかったですから(笑)。
あのオレンジ色の袋に描かれた女の子も可愛かったですし(笑)。


この子供のおやつも結構急激に味が変わっていったのを、子供心にも感じました。
商品名に「スター」が付いた時は、近所の友達が突如芸能界デビューした時のような喜びと、一抹の寂しさを感じたものです(笑)。

本音を言えば、私はベビースターは昔のあの「不揃いの味」の方が好きでした。まー前述のお話とは矛盾するようですが、これもおバカな好みとお笑い下さい。
当時の生産精度の限界だったのでしょう。香辛料と鳥ガラ風味がまだらっぽく混ざって、一袋の中にえも言われぬ味のバリエーションがあったあの「不揃いの味」。
本家チキンラーメンとの共通点は、そんな所にもあったのです。


実は、既に子供の頃その「ベビースター味の均一化状態」を体感していた私は、事ある毎に駄菓子屋さんで「ベビースター類似品」の味を試していました。
きっとあの「松屋」ほど生産精度が高くない小さなメーカーなら、あの「不揃いの味」が残っているんじゃ、なんて思ったんですね。子供ながら渋い好みでした(笑)。
その試みはかなり困難を極めました。やっぱり高度成長期。どのメーカーも「松屋に追いつけ追い越せ」で精度を上げていたのでしょう。無いんですよ。あの「不揃いの味」が。


「やっぱり私は時代に逆行してるのね」なんて諦めかけていた頃です。幸運は突然やって来ました。たまたまお正月に訪れた静岡の親戚宅の近く、田舎の小さな駄菓子屋さんに、その幻の逸品はあったのでした(なんて大げさな表現(笑)。
その商品名は「ラメック」。いかにもなネーミングがいいでしょ。一個10円という価格も素晴らしい。当時ベビースターは20円でしたから、「ラメック」は価格の上でも私好みだった訳です。

アーティスティックな豚ちゃんのイラストが描かれた袋を破り、口に含んだ時の私の喜びはもう、筆舌に尽くし難いもので(笑)。
「ようやく求めていた味に巡り会えた!」なんてドラマチックなお正月だったんでしょうか(爆笑)。


でも悲しいかな、その頃まだ私は子供。大人買いなんて到底できず3個買うのが精一杯(涙)。結局、地元へ戻ってもその「ラメック」はどこにも売っておらず、現在に至るもその味を楽しめたのはその一回きりという(笑)。
そんなものですよね。巡り会わせなんて。


チキンラーメンのお話から随分脱線してしまいました。いつもながらごめんなさい。
そんな訳で、私は今もスーパーでチキンラーメンやベビースターを見ると、つい手が出てしまうのでした。
工場の生産ラインの不調で、ひょっとしてあの「ラメック」の味が出ていないかなー、なんてね。

子供時代のちょっとほろ苦い、いや「チキン味」の思い出を手繰りながら。
「いとしのエリー」は流れませんが(笑)。

すでにオタク

Photo_846
さっき、コタといっしょに「俺たちの祭」のDVDを見ていたら。
第3話「街の灯」で伊佐山ひろ子が急に寝言を言うシーンで
私もコタも同時に「ビクッ」となっちゃって。

ハムスターも人間と同じところで驚くんだなーと。
(単に音に反応しただけでしょーけど)

写真では分かりにくいですが、画面奥は「ネヴュラ座46インチ」。コタにとっては映画館並みの大画面です。
彼女のオタク化も着々と進行中(笑)。

にほんブログ村 ハムスターブログへ

2007年5月26日 (土)

雷龍 嵐に飛翔す

「汗が凄い!」
今日も出かけたウォーキングで、夏の訪れを感じました。

サウナスーツの中を流れる汗が袖の先から滴り落ちます。その勢いはまるでスパイダーマンの糸のよう。「落ちてるなー。今日もきっと。」
・・・体重、1.4キロダウン。
まー水分補給で元に戻っちゃいますけど(笑)。

今日はこんな調子でウォーキング日和でしたが、昨日は久しぶりの雨にしっかり祟られましたねー。
皆さんの地方はいかがでしたでしょうか?
私は昨日、番組の編集で局に行く予定があった為、その道中は大変でした。
例によってミニバイクだったもので(笑)。
レインコートをしっかり着こんでも濡れるものは濡れる(笑)。でも冷たい雨じゃないだけ助かります。

そぼ降る雨の中ミニバイクを走らせていると、いつもながらおバカな事を考えてしまって。
「そういえば、怪獣映画で雨のシーンって、意外に少ないなー」とかね。

制作側の事情で言えば、海・湖など、スタジオに水を張る撮影と並び、スタジオを水浸しにする雨のシーンは予算も手間もかかる分、大変な事なんですよね。
ですからなるべく避けたい気持ちもよくわかります。
なにしろ怪獣の着ぐるみひとつとっても、水分を含む事によって素材のラテックスが劣化を起こし、ひどい匂いとともに「腐っていく」そうですから。「雨」はどんな対戦怪獣よりも強敵という訳で(笑)。

そんな悪条件の中創り上げる「雨」シーンを持つ作品には、雨にストーリーのテーマを託す必要があって行う訳ですから、やはり私たちに訴えかけてくる力も強いのではと思います。
Photo_839 私などがまず最初に浮かぶ「雨シーン」と言えば、「ゴジラVSビオランテ」(1989年 大森一樹監督)のクライマックス、「ゴジラ対TCシステム」でしょうか。
以前にも「ネヴュラ」でお話しましたね。これはゴジラの活動を止めるべく自衛隊によって射ち込まれた抗核エネルギーバクテリアが、ゴジラのあまりにも低い体温により活性化できない為、ゴジラの体温を上昇させる為に実施された作戦です。
硫化銀により人工雨を降らせ、その稲妻を利用し高周波を発生させて分子を振動、過熱する作戦。決戦場となる若狭湾山岳地帯におびき寄せられたゴジラをあと一歩まで追い詰めた「超大型電子レンジ」の活躍は、人類がゴジラを駆逐する可能性を充分に感じさせてくれました。
嵐の中を歩くゴジラってまたカッコイイんですよね。


ゴジラ映画ではもう一つ、「ゴシラ×メカゴジラ」(2002年 手塚昌明監督)の冒頭、台風の中出現したゴジラに立ち向かう特生自衛隊90式メーサー殺獣光線車、という名場面がありましたね。
個人的な感想では、この「ゴジラ×メカゴジラ」ではあの冒頭場面が一番好みです(笑)。
状況の緊張感、画面の密度、嵐の中はっきりと目視できないゴジラの姿など、怪獣が本来持つ「恐怖の存在」というファクターがよく表現されていました。あの場面でも矢のように振る雨が、ゴジラの存在を実に引き立てていましたね。


ガメラ映画に目を移しましょうか。ガメラでは意外に雨のシーンって少ないですね。
「ガメラ3 イリス覚醒」(1999年 金子修介監督)など、クライマックスシーンは嵐の状況なのに、両怪獣は「屋内対決」なので今ひとつ「雨シーン」の雰囲気が感じられません。
この作品では、冒頭、赤道付近の熱帯雨林で長峰真弓(中山忍)がギャオスの死体を発見する場面が、本来は雨の予定だったそうです。しかし現地のお天気、スケジュールの都合から仕方なく晴れのシーンにしたとか。あのシーンがもし雨だったら、作品はまた違った幕開けになっていたでしょうね。
「天気の予定表ぐらいくれればいいのに。」(byアムロ・レイ)

Photo_840 昭和ガメラで印象的なのは「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」(1966年 田中重雄監督)でしょうか。
ガメラ初の対戦相手バルゴンは、水に浸かると体中の血液が流れ出してしまうという弱点がある為、対策本部は人工雨でバルゴンの動きを封じる作戦に出ます。

「水に弱い」という意外な欠点を持つバルゴンならではの足止め作戦でしたね。
あの、雨の中うずくまるバルゴンの姿は、冷凍光線や虹色光線で都市を氷原・廃墟に変える凶悪怪獣らしからぬ可愛さで。
私好きなんですよ(笑)。

テレビに目を移すと、予算のかかる「雨シーン」はずっと少なくなります。雨も最近はCGが多い為、実際に降らせなくてもシーンは再現できますが。
でもあの雨に濡れ、どことなく悲しさの漂う怪獣の質感は、実物の雨じゃないと再現できないような気もします。
Photo_841 「帰ってきたウルトラマン」第33話「怪獣使いと少年」(東條昭平監督)のムルチや、正確には雨ではありませんが「ウルトラマン」第23話「故郷は地球」(実相寺昭雄監督)のジャミラなど、あの濡れそぼった表皮に制作者のメッセージを感じませんか?

さて。つらつらと「雨シーン」についてお話してきましたが、実は私、今日のお話で雨や嵐の脅威を凝縮したような怪獣を揚げてみようかと考えていたのです。
ところが、意外と思い浮かばない。

皆さん、「オタクイーン、これを忘れてるぞ!」という一頭はありますでしょうか?
シーゴラス夫妻?バリケーン?それらはちょっと小粒かなー。
「決定版」はなかなか思いつかないんですよ。単に私の無知ゆえの事なんでしょうが。
例えば、嵐に付きものの「雷」なんて、怪獣の存在理由として実においしい題材じゃないですか?その方面の代表怪獣って、意外に思い当たらないような気が。
なるほどー。怪獣界の「嵐を呼ぶ男」って、なかなか居ないんだー(笑)。


そんな思いに捉われた私は、無い頭をヒネってある有名怪獣を「雷龍」と名付け、勝手に設定を付け加えてしまいました。
こういう暴挙が可能なのもブログの面白い所ですね(笑)。

でも皆さん、私ごときの思いつきですから、皆さんも「雷が最もよく似合う怪獣」なんてすぐ思いつくでしょ。一頭しか居ませんよね。

私が考えたストーリーはこうです。
ここ数年、地球上空では異常気象から落雷、豪雨の量が増加の一途を辿っていました。
落雷量、そのエネルギーは以前にも増していましたが、幸運にも落雷エネルギーはアース効果により地中に分散、人々はこの自然の営みに安心していたのです。

しかし人類に警鐘を鳴らすのはいつも自然。この落雷エネルギーは地中のある一点に集中し、何千年にも渡り蓄えられていました。
その「一点」に潜む者こそ、まさに何千年も前地球に降り立った宇宙怪獣。


古来、日本には雷や風を神様に見立て、自然に対し畏敬の念を忘れませんでした。
しかし「雷神」「風神」など、鬼のような風貌を持ち人々の暮らしに厄災をもたらすこの存在の伝説には、一つの異聞が存在していました。
雷神が乗るとされる大きな雲。この雲は、ある説によると「龍」ではないかと。
雷神が司る嵐、豪雨の中を飛び回り、人々に強大な力を誇示する「雷龍」。
かつて伝説に語られたその巨躯は実在していたのです。

Photo_842 数千年に及ぶ、落雷の強大な電力を生体エネルギーに変換する事を覚えた怪獣は、ついに活動を開始。
ある夜。台風による豪雨に襲われた地方都市。落雷により町中が停電する中、人々が目の当たりにした恐るべき光景。

地面から巨大な長い首が生え、咆哮しているのです。
その長さ、ざっと50メートル。
金色に発光するその優美な姿。
しかしその姿は豪雨に阻まれはっきりとは確認できません。
地元警察は台風の恐怖が見せた集団幻覚と結論付けました。


しかし恐怖は続きます。次の台風で現れた「首」はなんと2本。さらに3本と言い出す者まで。豪雨の為、目撃者も誤認かどうかの確信がありません。
「嵐の中増える謎の首!怪物は何体居る?」
マスコミが面白おかしく騒ぎ立てる中、事件はついに起こりました。

Photo_843 過去最高の威力と噂された巨大台風が町を襲った夜。人々が豪雨を恐れ避難する目の前で、轟音とともに大地を突き破る金色の巨体。
目撃者たちの証言はまさに真実でした。

全身の鱗はまばゆいばかりの輝きを放ち、その胴体からは伸びる首は実に3本。
首の先には、伝説の動物・龍を思わせる不気味な顔が。爛々と輝く眼が恐怖におののく人々を威嚇します。
100メートルはあろうかという翼を広げ飛翔したその姿は、まさにあの「雷龍」そのものでした。


嵐の空をまるで泳ぐように飛び回る「雷龍」。直ちに自衛隊に出動命令が。
しかし、本当の脅威はまだ始まっていなかったのです。
雷龍を哨戒すべく飛び立った自衛隊機は、本部との連絡を取るチャンスもなくその餌食に。出動した全車両もその脅威を目の前にしながら、本部への連絡手段が絶たれてしまう事態に。


「ブラックアウト!」隊員の悲痛な叫びが対策本部に響き渡った瞬間、全ての電子装備はその動きを止めてしまいました。
暗闇に包まれる対策本部。それどころか雷龍が飛来する先、全ての電子機器は無効化され、豪雨の町は突如、深淵のしじまに包まれる事態に。
まるで町中が恐怖に慄いているような沈黙の闇。


Photo_844 「電磁パルス発生によるコンプトン効果と思われます!」空を切る隊員の報告に言葉を失う司令官。
電磁パルス。高高度核爆発、雷などによって発生するパルス状の電波。ケーブル・アンテナ類に過剰な電流を流し、接続された電子回路を焼き切ってしまいます。

「怪獣が放つあまりにも強大な雷撃エネルギーが、全ての電子部品を無効にしたというのか!」
「・・・現在、人類が保有するEMP爆弾でも有効半径は100メートル程度。あの怪獣の持つエネルギーは・・・」
「通信網全て無効、被害は甚大と思われます・・・」
想像に過ぎない隊員の声は、もう司令官の耳には入りませんでした。
「人類が作り上げた全てのテクノロジーが、ただの一瞬で崩壊するなどと・・・」


そう。それはまさに「空飛ぶ厄災」。
雷龍の行くところ都市機能は麻痺。町は暗闇の波が押し寄せ、人々は身を震わせる事しかできません。
ただ飛ぶだけで恐怖の存在なのです。
豪雨に閉ざされる闇の中、大空を覆う金色の翼。しじまを破る雷の光に浮かび上がる3つの顔。
6つの眼が不気味に光りました!


3つの口が耳まで裂けた瞬間、まるで落雷のごとく大地に突き刺さる稲妻状の光線。
それは一撃で都市一つを粉砕する威力を持っているかのよう。
しかし嵐の中、紅蓮の炎に包まれた町はただ空しく崩壊の時を待つのみです。
大地を焼き尽くす炎の照り返しを受け、嵐に濡れた金色の体躯はさらに美しく、さらに怪しい輝きを放つのでした・・・


Photo_845 なーんて。この「雷龍」、皆さんはどんな怪獣をイメージしたかお分かりですよね。
あの反重力光線って、やっぱり「落雷」のイメージ充分ですもんね。

まーさっき思いついた場面ですから穴だらけなのはよーく分かってます。「こんなシーンが見たいなー」なんて思っちゃっただけで。まるでツッこみ待ちのような駄文ですね(笑)。
「いや、オタクイーンは甘い。自分だったらこうする」
「このシーンの続き、私はこんなのが見たい」なんてのもいいですねー。


「雷龍」(もう勝手にこう呼んでしまいますが)は、これまであの怪獣王のライバルとしてしか採り上げられず、ついに今まで単独出演が叶わなかった名獣。
あれだけのキャラクター性を持っていて代表作品が無いのは可愛そうです。
なにより、日本特撮映画界最後の大型企画だと思うんですが。


また長々とごめんなさい。今日はこれくらいにします。
あまりつまんないお話を続けると、皆さんの雷が落ちそうな気もしてきました。
パソコンに「コンプトン効果」が起こらないうちに、電源を落とすとしましょう(笑)。

にほんブログ村 その他趣味ブログ 特撮へ

2007年5月24日 (木)

極上のディナータイム

Photo_837

やっぱりディナーはレタスねー。ヘルシーだし。
このシャキシャキ感が私好み。

いいねえ。お姉ちゃんにもちょっとちょうだいよ。


Photo_838

お姉ちゃんにはあげないよ。さっき一人でアイス食べたでしょ。

・・・見られた。
今夜もこのユル顔に勝てない私(笑)。

2007年5月23日 (水)

唇に微笑 心にスペシウム

「約1.5センチか。」
先日、私の街で行われた「ウルトラマンシリーズ誕生40周年 オブジェクツ・サブジェクツ」。ウルトラQ、マンの撮影プロップにアートの視点からスポットを当てる展示会でした。
会場入り口からすぐの所に掲げられたある展示物に目を止めた私は、長年の疑問の一助となればと、その長さを目で測ったのでした。


Photo_834 「ある物」とはこれ。
ウルトラマンの撮影用マスクでした。

「ウルトラマン」は回を追うごとに撮影用マスクが改修されていった事は、皆さんもよくご存知と思います。会場ではその内番組後期、FRP成型された二つのマスクのレプリカが展示されていました。
ファンの間で「Bタイプ」「Cタイプ」と呼ばれる物です。

私が測った部分。それは、二つのマスクの「口の横幅の差」でした(笑)。
今日は、この謎に包まれたスーパーヒーローの「顔の変遷」について、例によっておバカに語りたいと思います。
皆さんがお好きなタイプを思い浮かべてお聞き下さい。

約1.5センチ。BタイプとCタイプの口の幅は、左右それぞれそれだけの差がありました。
合計、約3センチ。

これは結構な差ですよね。こういう展示会では、二つのマスクが並ぶ事はよくありますが、二つの顔の印象は全く違うだけに、こうして数字化すると改めてその差に驚かされます。
3センチっていったらかなりの物ですよ。これはやっぱり、制作側に変更意図があったとしか思えません。
なんでこんなに口を広げたんでしょうか。

「ウルトラマン」のデザインが彫刻家の成田亨によるものである事はよく知られています。依頼者のウルトラマン・メインライター金城哲夫は、その発注時「いまだかつて無い格好の、美しい宇宙人が欲しい」と語ったそうです。
成田氏は怪獣×ウルトラマンの関係をギリシャ哲学のカオス×コスモスという図式に置き換えたそうです。「混沌と秩序」。ウルトラマンのデザインワークには、すべてこの図式が貫かれている事は、今番組を見る私たちにもストレートに伝わってきますね。
でも、あの洗練された銀色の超人が生まれる迄には、デザイン上の色々な試行錯誤があった事も有名なお話です。

Photo_835 ウルトラマンの企画の前身「科学特捜隊ベムラー」に登場するメインキャラは、皆さんもご存知の「ガッパ」やカラス天狗を思わせる怪獣でしたし、その後「レッドマン」として企画がブラッシュアップされた後も、ヒーローのデザインはまだまだ人間とは異質の「宇宙生物」というこだわりを捨て切れませんでした。
写真は「レッドマン」のデザイン画。その頭部だけ見ても、これがバルタン星人やザラブ星人と同類項の発想であった事は想像できます。


そんな紆余曲折を経て「コスモスの象徴」として登場したウルトラマンですが、番組開始当初はまだまだ宇宙生物へのこだわりを残していました。
A ウルトラマンAタイプのマスクがラテックス成型されたのも、あくまで「生物」としてのこだわりを持った成田亨以下デザインスタッフの主張の表れだったのでは。
ウルトラマンのマスクは全て造型家・佐々木明氏の手によるものですが、ウルトラマン初期の「口を開閉させて喋る」という設定の為に、このAタイプマスクだけは表面がラテックス成型されていましたね。私はその他にも「ウルトラマン」という存在が、どこかあの「レッドマン」と地続きであったようなこだわりを感じるのです。

何故でしょうか。きっと後々の文献でこんな事実を知ったからでしょう。
あのAタイプマスク、実は内側はBタイプ以降のマスクの素材、FRPで裏打ちされていたのですから。つまり「FRP成型は可能だったはずなのに、あえてラテックスで作った」という事なんですね。
口を動かして喋る宇宙生物。ウルトラマンには当初、そんな生々しい設定が与えられていたのです。
ところが当時の造型技術の限界か、ラテックス成型によるAタイプマスクには、口の周りに不用意な皺が寄ってしまう事がスタッフ間の懸念でした。成田亨氏の助言もあったのかもしれません。さらにラテックスの劣化も手伝い、このAタイプは第13話をもって造型変更となったのでした。

B 第14話から登場したのがこのBタイプマスク。後々の文献で、前述のAタイプマスクはこのBタイプをラテックスで抜いたものでは、という分析がされていますね。
おバカな私は、そんな分析を読むたびに「へー。そーなんだー」と感心するばかりですが、このBタイプで、デザイナー成田亨氏が目指した「ウルトラマン」のイメージは完成に近づいたのでは、という思いも強く持ちます。
要は「最初はラテックスでやってみたけど、ちょっと思ったのと違うなー。やっぱりウルトラマンの顔はFRPの硬質感が似合うのかも」って事ですね(笑)。

そんな思いを強くするのも、成田氏がウルトラマンに託した「コスモス」という意匠が、この硬質なマスクにはより強く息づいている気がするからで。
ウルトラマンの口元の処理が、広隆寺の弥勒菩薩やギリシャ彫刻のアルカイック・スマイルを意識している事はよく知られていますよね。あのちょっと上がった口元は、「強者の持つ余裕と慈悲の心を窺わせ」(ウルトラマン伝説展パンフより抜粋)ている訳ですね。

これは私も同感です。ウルトラマンは笑っている。
第1話からしてそうですよね。
誤ってハヤタ隊員と衝突し、「地球の為に働きたい」と彼にベーターカプセルを与えた後、「困った時にこれを使うのだ」と諭すマン。「そうするとどうなる?」そんなハヤタの問いかけに「ハッハッハッハッハッ」と笑いで答えるウルトラマン。
彼の心には、いつも微笑があるのです。


ハヤタの命を奪っておいて笑うとは、というツッこみは無しで。第1話の段階では、ウルトラマンは地球人の命がそれほど儚いとは知らなかったはずだし、なにしろ命を持ち歩き(!)さえできるM78星人なら、なにも地球に留まらなくても命をハヤタに与えて地球を去ることだって出来た筈ですから。
そもそも生命の概念が違うんですね。バルタン星人みたいに。
彼の笑いもむべなるかなと(笑)。

ウルトラマンにそんな「宇宙神」としての側面を与えたかった成田氏ですから、あの口元にはそれ相当のこだわりもあったのでしょう。
今見れば、やっぱりAタイプよりはBタイプの方が口元が締まって見えますもんね。なにより顔の印象がはっきりしました。
またこの時同時に行われた身体のフォルムのリニューアルも、ウルトラマンの超然としたイメージをさらに高める効果があったと思います。

C さて。ここで頭をもたげてくるのが、冒頭の「1.5センチの謎」。
ウルトラマンのマスクは、このBタイプで成田氏が望んだ完成形になったはずでは。と思ったんですが。何故かこのBタイプも第29話をもって姿を消す事となるのです。

第30話から登場したのが、今ウルトラマンの顔として最もメジャーなこのCタイプ。口元のみならず目の取り付け位置なども若干の変更がなされたそうで、Bタイプと比べてもかなり印象が異なりますね。
なんでこんな変更がなされたのでしょうか?


まーこれもいつもの私見ですが(出た!)成田氏以下デザインワークス陣は、ウルトラマンの微笑を取り戻したかったんじゃないかと。
今改めて、ラテックス製のAタイプとこのCタイプを見ると分かるんですが、ウルトラマンの顔ってBタイプで一回「微笑が無くなって」ません?

推測の域は出ませんが、成田氏はAタイプに見られたあの微笑が、端正なBタイプになった事で失われたと思ったのでは。
「Aタイプのアルカイック・スマイルを本当に再現する為には、あの口の幅ではダメなんだ」なんてね(笑)。


Photo_836   あの1.5センチは、ウルトラマンが宇宙神足りうるこだわりの産物だったのかもしれません。Bタイプは佐々木明氏による原型があってそこから抜かれている訳ですから、劣化すればいくらでも量産できたはずなんです。それをあえて変えている。
例えば後に登場した「ウルトラセブン」にもマスクは複数存在しましたが、口元の造型は変更無いですもんね。そんな事実を思うたびに、ウルトラマンの微笑へのこだわりがいかに強かったかを感じずにはいられないのです。

Gs_4 「強者の余裕」「慈悲の心」。
初代ウルトラマンが他のウルトラヒーローと一線を画す秘密の一つは、成田氏以下デザインワークス陣の、そんな微笑へのこだわりが生み出したものかもしれませんね。

実はCタイプマスクは「ウルトラマン」全話中登場回数が一番少ないんですが、それでもウルトラマンマスクの完成形として抜群の認知度を誇ります。
スタッフのこだわりは、人々の中に浸透していくものなんですね。


いやー今回もおバカなお話を長々と。ごめんなさい。
それはやっぱり最近の我が家の明るさゆえでしょうね。
読者の皆さんに見守られ、コタクイーンに癒されて、
私の顔は毎日「Cタイプ」です(アルカイックな微笑)。にほんブログ村 その他趣味ブログ 特撮へ

2007年5月22日 (火)

大怪獣コタクイーン

Photo_824 最高気温27度。初夏の日差しが肌に痛いこの5月22日。
怪しいおバカ、オタクイーンがあるショップから持ち帰った、この箱。
この謎の箱にはいったいどんな秘密が潜んでいるのでしょうか。


これは貴方のパソコンの故障ではありません。
こちらで記事をコントロールしているのです。
今日は、このミステリアスな事件の顛末をお話しましょう。
あまりのスペクタクルの為、所々記憶違いがある事をご了承下さい。


Photo_825 「ありゃ」箱を開けたオタクイーンは驚きました。
箱のフタの裏は何者かにかじられた跡が。かなり尖った、殺傷力の強い刃物のようです。

Photo_832 事件を感じたオタクイーンは、逃亡したらしい謎の物体の形跡を追います。
やがて部屋の片隅に置いたケージの一角に、巨大な球体が居るのを発見。まるで呼吸しているかのように、その物体は不気味な振動を繰り返しています。

一の谷博士「我々人類よりはるかに進んだ頭脳と文明を持つ遊星人の産物だ」
奈良丸博士「バルンガは自然現象だよ」
ジロー「デスモスチルスの上顎骨、じゃなくてリトラの卵だ!」
ピー子「虹の卵よ!」


Photo_833 いぶかるオタクイーンの前で、その物体はゆっくり振り向きました。
黒い瞳。巨大な前歯。長く伸びたヒゲ。この大怪獣が事件の犯人に違いありません。



Photo_828 オタクイーンの通報を受け、直ちに出動するネヴュラ防衛軍。
「これで袋のネズミだ!」万全の迎撃体制で望む防衛軍ですが、怪獣は気持ち良さそうに眠り続けるだけで全く攻撃の意思を見せません。


「こんななまけものの怪獣は初めてだわ!」
科特隊・フジアキコ隊員も呆れ顔です。


やがて怪獣はゆっくり動き出しました。
その身長、実に100(ミリ)メートル!
一の谷博士「これは可愛らしい。」
いかに可愛くてもこのままにしておく訳にはいきません。ケージの外で家具をかじられるなど、予想される被害も甚大です。


「この子、見つけるのにあちこちのお店をぐるぐる回りまして」
そんなオタクイーンのおバカ話に、防衛軍の指揮官がいち早く反応しました。
「ぐるぐる回る?皆さん。今いいヒントがあった。
この怪獣を倒すには、ぐるぐる回して目まいを起こさせるという手がある。」
かくてケージの回し車を利用した「回転作戦」が開始されました。


Photo_829 しかし防衛軍のミス。
回し車のたて付けがしっかりしすぎ、また怪獣が予想外に軽量だった為、怪獣が乗っても回し車はビクとも動かず(笑)、人知を尽くした回転作戦は失敗。

対策陣は次の手を模索せざるを得ないのでした。
緊迫する現場。張り詰めた対策本部に隊員の声が。
「最終防衛ライン、突破します!」


「怪獣に光を当ててはいけません。ますます怒るばかりです!」
悲痛な山根博士の言葉を受け、間抜け顔のオタクイーンがつぶやきました。
「そうだよねー。連れて帰った時は箱に入れてもらったしねー。」
このおバカな言葉が防衛軍最後の作戦のヒントになるとは。


Photo_830 「そうだ。暗い場所を作り、怪獣をおびき寄せれば。」
直ちに対策陣は、怪獣の形に似せた陶器製の巣箱を用意しました。
相変わらず「ネヴュラ」科学陣の仕事の早さには舌を巻きます。

それはまさに「見た事もないメカニズム!」

「シーボーズ作戦」と名付けられたこの作戦。
もはや「ネヴュラ」にとってこれが背水の陣です。
(BGM「怪獣大戦争マーチ」がエンドレスで・・・)
ケージに置かれたこの巣箱に、はじめは警戒する怪獣でしたが・・・


Photo_831 やがて巣箱を寝床にリラックスし始めたではありませんか。
「We did it!」
対策陣から上がる歓喜の声。
我々の勝利です。



「人間は改めて、動植物の自然に適応する生命力に学ぶべきだ。」
いつもながらいま一つピントを外した重沢博士の言葉を聞きながら、私たちは勝利の美酒(ペプシNEX)に酔ったのでした。

騒動の首謀者、オタクイーンの名前に習い、
怪獣は「コタクイーン」と呼称。

その後オタクイーン宅に引き取られた「コタクイーン」は、その保護下で「ネヴュラ」の一員として可愛がられる事となったのでした・・・

という訳で、今日初お目見えの、私の新家族「コタクイーン」。
先日の、皆さんの温かいお言葉を忘れないよう、その記念として「ネヴュラ」に新しく加わりました。
しごくプレーンなゴールデンハムスター。♀です。
ちょっとブースカ似の所がお気に入り。
女同士、仲良くやって行こうと思っています。


「ネヴュラ」での顔見せは彼女に先を越されちゃいましたねー。
今日は初日だったので彼女の表情もちょっと固いですが(笑)。
これからもお話の合間に時々顔を出すと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。

にほんブログ村 ハムスターブログへ

2007年5月21日 (月)

夢のおもちゃ箱

今日は「ネヴュラ」二年目最初の記事。
皆さんのお言葉に甘え、二年目もオタク全開で行きます(笑)。
でも前回からの流れもありますので、軽い話題からスタートさせて下さい(笑)。


先日、私の元に一つの荷物が届きました。
当然の事ながら待ちに待った荷物でした。
ここ最近のマイブーム、ヤフオクで格安ゲットした逸品です。

Photo_812 この大きな箱をご存知でしょうか。
縦30×横48×奥行き14センチ。
その大きさに比例して結構な重さ。箱の表面には有名な「ゴジラ」第一作の名場面が。



そのタイトル「GODZILLA CLASSIC BOX」。
筋金入りのゴジラファンならお持ちかもしれません。
これは2002年に講談社から発売された、究極のゴジラ関連グッズなのでした。


時は「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」公開時。
その素晴らしい完成度に、私は数十年ぶりに興奮していました。
雑誌「宇宙船」でも、平成ガメラの金子修介監督が手掛けたこの作品を高く評価、ゴジラ関連グッズが再び脚光を浴びる基盤は整っていたのです。

それまでも過去のゴジラ作品に関連するポスター、パンフレット、プレスシートなどのコレクターズアイテムは度々復刻され、マニアの乾きを癒してきました。その手の資料としては以前、国書刊行会から発売された「ゴジラコレクション」などがこれまでの決定版とされて来ましたね。お持ちの方も多いと思います。
第一作から始まる昭和ゴジラの宣伝材料(東宝が上映館に配布した心得帖まであるんですよ)を正確に復刻したこのコレクションは当時ファンの間でも大変な話題となりました。
私も入手し、その資料の充実ぶりには舌を巻きましたが、そのラインナップはあくまで「映画の宣伝材料」。言ってみれば公開当時、運のいい観客が入手できた「特殊なアイテム」だったのです。(そういう意味ではレアアイテムと言えますが)

「なーるほど。当時こういうものがあったのね。でも当時持ってなかったから実感は湧かないなー。」
これが私の正直な感想でした。
それは言わば「送り手側」の資料だったのです。


それに対して、今回私が手に入れた「GODZILLA CLASSIC BOX」は言わば「受け手」であった私達子どもが、ゴジラ映画公開当時手にした代表的アイテムを一つにまとめた「夢のおもちゃ箱」というスタンスでした。
怪獣大好き、おもちゃ大好きの私が、このキラーアイテムに飛びつかないわけがなく(笑)
残念ながら手に入れるまで5年もかかっちゃいましたが(涙)。
今回はこのおもちゃ箱に詰め込まれた、素晴らしいガラクタの数々をご覧いただきましょう。きっと学校帰りに寄った駄菓子屋さんの香りを思い出されると思いますよ。

Photo_813 まずはこれ。赤松紙工社・ベルのノート製「ゴジラノート」と「怪獣総進撃」シール。
「ゴジラ映画が公開される!」というニュースを胸に、授業中怪獣達の姿を夢中になって描いた、あのノートの復刻版です。当時10円。
劇場でもらえたシールもタンスのあちこちに貼りまくって母親に呆れられた方もいらっしゃるのでは。

私はこの手の劇場配布シールは貼らず、保存しておくタイプでしたが、ガムやチョコレートのシールは人が変わったような浪費ぶりで(笑)。
「猫目小僧」の立体シールなんて、仲間内では宝物のように集められてました。結局それも「筆箱のフタの一部」になりましたが(笑)。

Photo_814 公開が迫ると、当時の月刊雑誌などには映画のストーリーをコミカライズした別冊付録が付き、子供達の購買意欲を煽りました。さらに、胸躍らせて向かった劇場で売られていたバンフレットも嬉しかったですね。
写真のものは、1955年「ゴジラの逆襲」公開当時、雑誌「少年クラブ」5月号に付いていた別冊付録の復刻版。当時「少年クラブ」を発行していた講談社(当時の社名は大日本雄弁会講談社)だからこそ出来た復刻です。
写真では分かりにくいですが、これ、なんとハードカバーなんですよ。厚みも1センチほどある豪華版。私はこの当時生まれていなかったので分かりませんが、この当時の雑誌付録はこんなに豪華だったんでしょうか。

色々な文献に採り上げられ有名な、第一作「ゴジラ」のパンフは、ところによっては無料で配布していた劇場もあったそうです。これも当時の映画界の活況を思わせますねー。

Photo_815 で、これが中身の一部。付録は当時主流だった絵物語ですが、さすがに文字入りだと読み応えがあります。筋を知っている私が急いで読んでも一時間かかっちゃいました。
また絵がいいんですよ。湯川久雄さんという方です。
存じ上げないんですが(無知ですいません)当時の第一人者だったのでしょうか。映画とは一味違ったタッチの、ゴジラ・アンギラスの大娯楽巨編でした。

パンフも、今私達が知る「ゴジラ」が当時どんなテイストで売られていたかを知る、いい資料ですね。
「全世界を恐怖のどん底に」というキャッチコピーは、USAゴジラのコピー「人類に、打つ手は無い」といい勝負と思うんですが(笑)。


Photo_816 映画を観た後は、銀幕で暴れた怪獣の勇姿を机の上に再現したいもの。
このセットにはそんな子供達の夢を形にした「プラモデル」も付いているんですよ。
これは当時、マルザン倒産後勇志が創り上げた「ブルマァク」で発売が検討されていた「幻のゴジラ・メカゴジラキット」。
要は、当時発売に至らなかったものなのです。金型までは出来ていたんですね。

もしこれが発売されていたら私も大喜びで組み立て、日東の50円ガメラと戦わせていたでしょう(笑)。

Photo_817 さらにこのBOXには、ソフビメーカーM1号がこのセットの為に特別に作った「キングコング対ゴジラ」バージョン・ゴジラのソフビがセットされています。
2002年当時、このソフビの為だけにBOXを手に入れたコレクターさんもいらっしゃったそうです。もったいなくて開封したくなかったんですが・・・

Photo_818 「ネヴュラ」の為に開けちゃいました(笑)。
やっぱりコレクターさんが欲しがるだけあっていい出来ですねー。ユルさ加減も実に私好み。で、このソフビ、持つと重いんですよ。かなりの肉厚があるみたいです。

開けちゃったからもう遊び倒すのみ。私のコレクションになったのが運の尽き。
可愛がってあげるからね(笑)。


Photo_819そしてっ!このBOX最大の売りは、何と言ってもこれでしょう。
おそらく皆さんが一番身近に感じるてあろう、この懐かしいタグ!
そうです。郷愁たっぷりの「5円引きブロマイド」全213枚セットがコンプリートされているのでした。

実は私、このブロマイド欲しさにBOXを手に入れたのです。
子供の頃の私たちにとって、これは「毎日手が届くコレクターズアイテム」でした。
駄菓子屋に走ってもポケットには10円。プラモデルやソフビなんて夢のまた夢。
そんな時の怪獣への思いをいつも受け止めてくれたのが、
「一枚5円の怪獣映画」。
少なくとも私の周りでは、友人たちは先を争ってこのブロマイド集めに熱中したものです。

私たちの間で「ゴジラが出た」という言葉は、「あの駄菓子屋で友人の誰かがゴジラを引いた」という意味。噂はあっという間に仲間内に広がります。
翌日(いや、当日でしょうか)お宝カードを引き当てた彼はもうヒーロー。
周りの取り巻きはその一枚を羨望の眼で見つめ、ため息を漏らすのでした(笑)。


今見ても、毒々しい人工着色に彩られた怪獣達の勇姿は少しも色あせていません。
それどころか、実際の作品とはまた違った、独自の魅力を放っているようにも見えるのです。珍しい図版も多く、これだけで私は元を取ったような満足感に。
つくづく、当時コンプリートできなかった恨みの大きさを感じます(笑)。


Photo_820 他にも珍しいアイテムはいっぱいあります。
今まであまり復刻されなかった「東宝チャンピオンまつり」バージョンのスピードポスター4枚。BOXの購買層を絞り込んだアイテムチョイスですねー。


Photo_821 さらに、劇場のロビーに掲げられた「ロビーカード」まで復刻されています。(東宝株式会社の封筒付き!)
こういうのって、よくマニアの皆さんが「劇場に通いつめてよくもらった」というお話をされますよね。でも私はロビーで一人指を咥え「いいなー」と見つめていたクチ。
でもセットの解説書を見ると、これらロビーカードは基本的に東宝から「借りている」というスタンスだったみたいですね。つまり返却義務があったらしいです。
えーっ。でも「もらった」っていう人も居るし。どうなってるんでしょう。やっぱり東宝と劇場の力関係でしょうか。なんて大人の思惑をめぐらしたりして(笑)。

そんな門外不出のロビーカードが今になって手に入るとは。
しかも画鋲の穴も無く(笑)。


Photo_822 どうですか?この充実のラインナップ。これだけのアイテムが揃うと、いやがおうにも子供の頃の記憶が甦ります。


きっとオリジナルの物をこれだけ集めたら、今ではとんでもない金額になるのでしょう。
それが、たとえ復刻版とはいえ気軽に楽しめる所に、このセットの良さがあるんですね。

全部集めるとこの物凄さ(笑)。
いやーこれはやっぱり「大人のおもちゃ箱」ですねー。
(何言ってるんでしょうか。我ながらボキャブラリー不足に涙)
やっぱり無理して入札してよかった。


どことなく私たち一般客との距離を感じる「ゴジラコレクション」。
幼い日々を追体験させてくれる
「GODZILLA CLASSIC BOX」。
私にとってはどちらも大切なアイテムですが、やっぱりどうしても手が伸びるのはブロマイドやユルユルキンゴジです。

私はマニアなのか。子供なのか。
いや。いつまでたっても「おバカなオタク」なんでしょう(笑)。

にほんブログ村 その他趣味ブログ 特撮へ

2007年5月19日 (土)

ご意見ありがとうございました

オタクイーンの「恋するネヴュラ」を気にかけて下さる全ての方々へ

先日5月17日、拙記事にてアップしましたわがままなお願いに、多数のコメントありがとうございました。
まさかこれ程沢山の方々から頂けるとは思いもよりませんでした。
どうも物事を悪い方へ考える癖のある私は、きっと以前お付き合い頂いた方々も、最近はご覧になられていないのかも、なんて勝手な思い込みに捉われていたのかもしれません。
ほとんどネヴュラコメンテーター・オールキャストに近いコメント一覧はまさに壮観の一言。
私はこんなに沢山の方々に見守られていたんだなあと、素直に感激しました。

さらに驚いたのが、皆さんのコメントのボリューム、そして内容でした。
予想では、頂けるコメントもきっと一行、二行程度と思っていたのですが、私のような者の為に皆さんお時間を割いて下さり、中身の濃いお話を展開して下さった事にもビックリで。
このコメントの内容充実度は、おそらく「ネヴュラ」開設以来、最高レベルではないでしょうか。皆さんそれぞれのお考えも大変参考になりました。
わがままを言った私などが今更申し上げるのもいけませんが、期せずしてこれは「ベテランブロガー様たちのサイトアクセス、コメント感・そしてお一人お一人のブログに対する姿勢」の発表の場と化してしまったかのような感さえあるのです。
さらに皆さんの文章の的確さ。やはり「ひとつ教えてやろう」と気負われる方々は表現力も長けていらっしゃいますね。普段なかなかお教え頂けない言わば「心の内」を、分かりやすい表現でご教授下さる皆さんの実力にも感服いたしました。

そして皆さん各々が、ご自分のブログに対して独自の「こだわり」をお持ちと言う事もよく分かりました。今更なんですが、一人として同じ個性の人間が居ないように、皆さんご自身の中でブログが占める位置って本当に様々なんですね。
これにも本当に感銘を受けました。
こんな事はベテランブロガーの皆さんには常識かもしれませんね。
毎度自分の無知を恥じるばかりで。
でもこの充実したコメントを一覧するだけでも、ブログというツールの現状が浮き彫りになると思います。
拙文をお読み頂いた後もしお時間がおありでしたら、この皆さんのコメントをどうぞご一読下さい。こんなに見事なコメントの共演はなかなか目にする事はできませんから。
(なんだったらここから後は飛ばして、コメント一覧に進んでいただいても(笑)。

さて。そんな皆さんに頂いたコメントで、私の今の状況、立ち位置というものがなんとなく分かってきました。壁に超音波を発射し自分の位置関係を知るコウモリの如く、皆さんの中にある「オタクイーン」という存在の外形がボンヤリと浮かび上がって来た事に、私は大変な喜びを感じました。

結局「自分が一番、自分を見失っていた」という事なんですよね。
皆さんのコメントに綴られた「オタクイーン感」は、実は私が「ネヴュラ」を始めた頃に持っていたピュアな思いそのままだった事に気がついたのでした。
アクセスなんて気にしない。自然体でいい。ブログは自分を映す鏡。それ以上でも以下でもない。
いやーまったく(いつもの事ですが)おバカですねー(笑)。
多分「一年」という期間が私を捻じ曲げてしまったのでしょう。皆さんの中にある「オタクイーン」と自分が思う「オタクイーン」に生じるズレが理由の無い焦りとなって、今回の無理なお願いに繋がったのかもしれません。
普通にやってればいいんですよねー。相変わらずのお気楽日記で。
これが私なんですから。
その事を気づかせて下さった皆さん、本当にありがとうございました。

ここ数日、もう一つ起こった大きな出来事も、私にさらなる揺さぶりをかけてしまいまして。
いい機会ですからお話しましょう。
実は、17日の記事を書いた直後に勃発した、例の「愛知県拳銃立てこもり事件」。
今私が住む家は、あの長久手町の立てこもり現場から車で20分程の所にあります。
それ自体はなんという事もないんですが、問題は私が以前勤めていた会社の社長が、あの立てこもり現場のすぐ近くに居を構えていたという事で。
本当にすぐ近くだったんです。空撮のヘリから見える程で。
お世話になった社長だけに、ちょっと心配してしまいまして。

ご存知の通り、警官の死亡など悲しい結果となりながらも事件は昨夜収束を迎えました。
私はその時、社長など身内に犠牲者が出なかった事に胸を撫で下ろしながらも、ひとつの思いに捉われていました。
「私のような存在が、もしこの事件現場で被害に遭ったら。」
両親を無くしたマイノリティーという存在の寂しさが、一気に襲って来たのでした。
自分の不安定なアイデンティティーと対峙してしまった、と言えば分かりやすいでしょうか。

相反する身体と心。頼る者の無い孤独感。
もし凶弾に襲われ、瀕死の重傷を負った時、私は自分を貫き通せるのだろうかと。
マスコミの怖さは身に染みて知っています。内部の人間ですから。
いやおうなしに暴かれるブライバシー。
珍しいもの見たさの取材攻勢。
そんな場面でも私は「自分」を保っていられるのか。

またそういう時に限って「ブレードランナー」なんて見ちゃうんですよ。おバカでしょー。
劇中、ショーン・ヤング扮するレプリカントの女性、レイチェルが、ハリソン・フォード扮するデッカードに涙ながらに尋ねるセリフがあります。

「私は誰?」

レイチェルは自分が人造人間レブリカントという事をうすうす気づいています。人工物である彼女が持つ記憶は、全て後から埋め込まれた他人の記憶。
自分の過去が他人のものだと分かった時、彼女は自分を見失ってしまうのです。

「私は誰?」
マスコミの好奇の目に晒された時、私もきっとこうつぶやいてしまうんじゃ。
「だって貴方男でしょ?」「なんで女性の姿してるんです?」
追い詰められた私は、きっとレイチェルのように自分を見失ってしまうのでしょう。
お恥ずかしい話、昨夜そのシーンを見た私はちょっと涙ぐんでしまいまして(笑)。

そんな恐怖感と寂寥感に押しつぶされそうになりながら今日を迎えたのでした。

ですから私にとって、今朝の喜びは例えようもなく。
「幸せの黄色いハンカチ」状態だった訳ですね(笑)。

皆さんのコメントは私にとって青空にはためく何百枚ものハンカチ。
「休むなんて許さない」という励ましのお言葉も沢山頂きました。
これで休んだらバチが当たりますね。
「ネヴュラ」二年目も続けたいと思います。

ただ「初心に帰る」事も忘れたくありません。
あまり気負いすぎると良くないですし。
皆さんのブログにも参加させていただく事にして。
ゆるゆるとやっていきますので、これからもよろしくお願い致します。

「ネヴュラ」をご覧頂く皆さんに愛をこめて(笑)。

2007年5月17日 (木)

ご意見お待ちしています

オタクイーンの「恋するネヴュラ」をご覧の皆様へ

いつもお越し頂いてありがとうございます。
私のような中途半端なキャラクターの、いつ果てるとも知らないおバカトークにお付き合い頂き、感謝にたえません。
ここ最近はオタクトークにも拍車がかかり、読者層を恐ろしく限定するような話題ばかりが続きますが、これも私の一面とお許し下さい(笑)。

さて、おかげさまで「ネヴュラ」もいよいよ、あさって5月19日で開設一周年を迎えます。
(正確には明日で一周年ですね。まああさっては開設記念日とでも言うべきでしょうか)
飽きっぽい私としては快挙とも言うべき記録です。
ここまで続けられたのも、本当に読者の方々、コメントを下さる方々のおかげです。
ありがとうございました。

この開設一周年という区切りの時、私はちょっと皆さんにお願いがあるのです。

開設時から徐々に皆さんに認知され、アクセス数も徐々に伸びてきた「ネヴュラ」。ここ一ヶ月ほどは一日200アクセス以上を記録しています。時々300アクセスを超える日もあり、朝パソコンに向かってビックリという事も経験しました。本当に有難い事です。
ブログを開設されている方はよくお分かりと思いますが、アクセス数というのは次の記事を書くための大きなモチベーションとなりますよね。300アクセス程度は皆さんのブログに比べれば微々たる数字かもしれませんが、私にとってはこのアクセス数の増加は本当に嬉しいものなのです。
テレビのお仕事を生業とする私の職業病かもしれませんね。
アクセス数はある意味「視聴率」な訳です(笑)。

ところがモチベーションを上げる為の、もう一つの大きな要因がある事は皆さん、もうご存知でしょう。そう。「コメント」です。
実は「ネヴュラ」は、この「コメント数」が極端に少ない。
これはきっと私の記事内容に問題があるのでしょう。あまり他の方が手掛けない私見、お仕事のお話、さらには特異なキャラゆえの悩みなど。
コメントは「共感」「共通体験」を投稿動機とする以上、私の記事は「コメントしづらい」話題ばかりという事もよく分かっているのです。
ところが私も人間。正直な所、コメントによって一喜一憂する事も多く、それが次の記事内容に大きく影響する事もある訳です。

お読み頂いてお分かりと思いますが、一更新ワンテーマを心がける私の記事は一応、それなりの準備を経て作成しているもので(えーっ!とてもそうは思えないけど!の声も聞こえたりして(笑)やはり書くにはそれ相当のモチベーションを必要とするのです。
その元となるのが一行のコメント、一言のご意見なんですよね。
ですからこれまでコメント頂いた方には本当に感謝しています。
私も人間ですから機嫌や体調の悪い日もあります。そんな日、ふと覗いたパソコンに届いたコメントに、どれだけ救われたか分かりません。コメントはどんな良薬も叶わない元気の元なのです。
コメントしづらい記事にまで一言でも頂けるご意見に、どれだけ励まされた事でしょう。

同時にコメントは、「私がどう見られているか」を感じる指針でもあります。
私の意見が受け入れられているのか。間違っているのか。笑われているのか。頷かれているのか。別のご意見を伺える絶好の機会でもある訳です。

ですからこのコメントが少ないと、小心者の私としては「指針」を失ってしまうんですね。
「灯台の無い暗い海を進む船」か、はたまた「観客の居ない舞台で一人芝居を演じる役者」のような感覚なんですよ。
「そんなの気にしないで書き続ければいいじゃん」と思われるかもしれません。
でも私、そこまで強くないんですよ(笑)。
テレビ番組でも、制作者にとって視聴者のご意見はなにより嬉しいもの。「誰も見ていない」と思われたら続ける気力もなくなってしまいますから。

アクセス数とコメント数が比例していれば、まだ納得もできるんです。
「あー、私のお話のスケールはこれくらいなんだな」と。
でも、毎日200アクセスを記録していてコメント0というのは、やっぱり納得しづらい。
お話の内容は分からなくても、いつも覗いて下さる皆さんがこの「オタクイーン」に対してどんな印象をお持ちなのか。それが知りたくなってしまうのです。

で、皆さんお忙しいとお察しする中、心苦しいですが、「ネヴュラ」一周年を前にしてのお願いです。

「ネヴュラ」を読み続けてどんな印象をお持ちになられましたか?

こんな私のお願いにもしお答え頂けるなら、ぜひコメントを頂きたいのです。


開設一周年といういい機会なので、コメントの内容如何では二年目に活かせる事もあるかと思います。
「そもそもこんな意見を求めるのが間違い」「もうちょっと分かりやすい記事を書け!」という苦言もいいですね。
ついでに「オタクイーンってこんな奴で、こんな顔でこんな格好してて、こんな物食べてるんじゃ」なんて想像も大歓迎。
要は「私ってどう見られてるの?」って事なんですね。

また、残念ながらご意見が頂けなかった場合、モチベーション充電期間としてしばらくお休みを頂く事も考えています。私の性癖で、数日間休んでまた継続、というのは出来ないんですよ。休むならドーンと!と考えるタイプなので(笑)。

ネットは双方向のコミュニケーションが可能な媒体。たまには私のようなヤツをからかってみるのも面白いですよ。
一周年を目前に、ちょっとわがままなお願いをしてしまいます。
たった一行でも結構です。哀れな私にご意見を下さい(礼)。

2007年5月15日 (火)

秘密結社シネマK

1982年7月。私の手には一枚の封筒が握られていました。
それを手にした私の口元には恍惚の笑み。
「また、あの至高の一時が。」


「ネヴュラ」をご覧の皆さん。中でも私と同じく特撮作品に見入られた方たちは、今のように映像ソフトを気軽に入手できなかった頃のご記憶をお持ちの事と思います。
地上波の再放送や、勇志が開く上映会を追いかけたあの頃。
今日は、そんな頃私を魅了した、ある志高い人々のお話です。
まだお手持ちであろう、昔エアチェックした番組をBGVにお付き合い下さい(笑)。

お話は少し前に遡ります。
1982年当時。まだDVDはおろかレーザーディスクなども一般化されていなかった時代。
この頃、私達オタクにとって究極のマシンと言えば、その2年ほど前に一般家庭に普及し出したVHSビデオでした。「部屋でいつでも、好きな番組を見られる!」そんな夢のような状況に心惹かれた私は必死で貯金に勤しみました。当時発売直後のビクター・セパレートタイプのデッキを買い求め、初めて映画「大脱走」をエアチェックした時の驚きと喜びは今も忘れません。

しかしながら当時、私達が見たかった過去のウルトラシリーズやゴジラシリーズは地上波では放送されていませんでした。1979年あたりの第三次ウルトラブームもそれら旧作品のリピートという所までは加熱せず、放送局各社がその偉業に注目するまではあと3年を必要としたのです。巷に出回るビデオソフトも非常に高価で私達にはとても手が出ませんでした。初作「ゴジラ」のビデオソフトが一本5万円、という事実が、当時の状況を切実に物語っています。
(5万円って!今ならビデオデッキが5台買える値段ですよ(笑)。
それから2年あまり。82年に至っても、まだウルトラなど円谷作品はソフト化されていませんでした。私達はビデオデッキという超兵器を持ちながらも日々の乾きにあえいでいたのでした。
「見たい!ウルトラQが、マンが!セブンが!」
(本当にこんな調子だったんですよ。)


そんな私達にも心強い味方がありました。
地元情報誌「プレイガイドジャーナル」。
82年当時、私の地方はまだ「ぴあ」が創刊されておらず、街のイベント情報はすべてこの「プレイガイドジャーナル」で入手していたのです。
新聞の文字より小さな字がビッシリと埋まったイベントページを、私達は目を皿のようにして追っていました。
目指すは「怪獣映画上映会」。

当時本当に過去の作品を追いたければ、この手段を取るしかなかったのです。なんかこんな事をブログで書くと、あまりの時代の移り変わりに目まいを覚えちゃいますが(笑)。

Photo_807 そんなオタクなある日、同好の友人が血相を変えて連絡してきました。
「これ、行ってみない?」
彼が指し示したページにはこう書かれていました。
「今また甦るテレビヒーローの世界」それは古の名作ドラマの上映会でした。

スーパージェッター。ウルトラQ。月光仮面。快傑ハリマオ・・・
主催者の欄には誇らしげにこう書かれていました。
「映画サークル シネマK」。


シネマK。当時、おそらく全国各地で同時多発的に起こった特撮ファン活動の、それは一つの形であったのでしょう。
私達にとってまさに、伊藤和典氏語るところの「喉がカラカラになった時に出された、キンと冷えた飲み物」に近い感触でした。


おそらく読者の皆さんの中にも、こういう上映会に参加された方は多いのではないでしょうか。
「シネマK」はあくまで一般ファンの活動でしたから、上映場所も街の会館の視聴覚室など質素なところでしたが、それでも私達は嬉々として上映会に通いました。
「あのウルトラQが、マンが、快傑ハリマオが見られる!」

それは今の目で見れば粗末な会でした。
集まったのは30人程度でしたが、しかし決して広くはない部屋に同好の士が集まり、固唾を呑んで過去の名作を凝視する濃密な時間は、私達を一種のアンバランスゾーンへ誘うに充分な魅力を放っていたのです。
「同好の士が集まる。」これは今、氾濫するDVDソフトを部屋で個人鑑賞するのとは全く異質の、「秘密の時間の共有」的な感覚を与えてくれたのでした。


Photo_808 シネマKの上映会は続きました。最初の上映会で会員登録を済ませた私の元に次回の通知が届く度、私は冒頭のように口元を緩め、あの至高の時間に思いを馳せるのでした。
実際「シネマK」の作品チョイスは実に的を得たものでした。あまたある昔の特撮作品やアニメなどから、今も語り継がれるベストエピソードが選りすぐられていたのです。

私が生まれる前の作品、月光仮面や快傑ハリマオ、隠密剣士や豹の眼の面白さなども、このシネマKで知った事でした。
前述の二作品はともかく「隠密」や「豹」などはDVDソフトも限定発売されたきり、今も万人の目に触れにくい作品であるだけに、もしシネマKがこれらをチョイスしていなかったら、私は霧の遁兵衛やスマトラ・ベンの勇姿に一生出会えなかったかもしれないのです(皆さんついてきてますよね(笑)。


Photo_809 「ファンコレ」などのデータだけで、当時その全貌が掴みにくかった「ウルトラQ」「怪奇大作戦」一挙上映も、私達にとって魅力的なイベントでした。両シリーズのベストエピソードを五日間通しで上映したもので、曰くつきの問題作「狂鬼人間」もこの上映会が初鑑賞。
本放送時怖くて飛ばし飛ばしに見た「怪奇」でしたが、まさかこんな所で「狂鬼」に出くわすとは!


シネマKの上映会は82年にほぼ集中しています。
この後それら過去の名作が商材の鉱脈という事に気づいたメーカー側が、本格的に作品をビデオソフト化し始める直前、私達ファンの乾きを実に癒してくれました。

おそらく私が、同年齢の仲間たちに比べ「鑑賞経験の時期」のみほんの少しリード出来たとすれば、それはこの時期の浴びるような旧作体験が大きいと思います。
今考えてもあの時期、あれだけの作品ラインナップを誇った上映会は皆無だったのではないでしょうか。
何しろ、本放送以来ほとんど再放送の機会に恵まれなかった「マイティジャック」(「戦え!」じゃない方ですよ)を、事もあろうに16ミリ鑑賞する事さえ出来たんですから。
その日の記憶を紐解いてみましょう。


その日はMJの他、ウルトラQ第5話「ペギラが来た!」第20話「海底原人ラゴン」がラインナップされていました。100インチを超える大画面で展開するそれらエピソードは、モノクロ画面の雰囲気、35ミリフィルムマスターゆえのキメ細かさが堪能でき、いずれ劣らぬ名作との思いを強くしたものです。
「Q」の興奮冷めやらぬまま、いよいよメインイベント、MJの上映となりました。ところがそこでちょっとした番狂わせがあったのです。

Photo_810 ご覧の通り、案内パンフ右上欄には第3話「燃えるバラ」が予定されていたのですが、何故か当日は上映作品が第10話「爆破指令」に変更されていたのです。
主催者の説明はこのようなものでした。(記憶なので詳細はご勘弁を)

「当初は「燃えるバラ」を予定していたが、ご覧の通り今日は大スクリーン上映なので、より大画面に映えるエピソード「爆破指令」に変更した。」
なんというこだわり。実際、テレビ番組として製作されたにも関わらず、MJ号の勇姿は大画面にも決して負けない、素晴らしいものでした。
後年発売されたビデオソフトで「バラ」と「爆破」を見比べた時も、当日の主催者の判断が間違っていなかった事に驚嘆したものです。
シネマK恐るべし。
そんな英断も、作品への愛あればこそでしょう。


私達を楽しませてくれたシネマKでしたが、何故かその後の活動は霧に包まれています。
82年の上映会ラッシュの後、サークル名を「Fantastic Televisions」と改名、何通かの案内が手元には残っていますが、代表者の住所も東京へ移転、今はこの住所にいらっしゃるかさえ判然としません。

おそらくその頃からのメーカー側の作品ソフトリリースにより、作品鑑賞スタイルが「上映会」から「家庭鑑賞」に移行しつつあったのでしょう。
ただ、たとえソフトがDVDに変わり、高画質、高音質が楽しめる現在でも、私の中では82年、乾きを癒してくれた一瞬の光芒、「シネマK」を忘れる事は出来ないのです。


膨大な作品ラインナップ。それを実現する全国ネットワーク。業界とのパイプ。そして作品選定の確かなセンス。今にして思えば、彼らはきっと業界関係者だったのでしょう。
今だ謎の多い「シネマK」。
その代表者の名が記された封筒には不思議な感触が漂います。82年、特撮界の裏で密かに暗躍した秘密結社の香りを感じずにはいられないのです。

どなたかこの謎のサークルについてご存知の方、是非ご一報下さい。
(なんて余韻が好きだったりします(笑)。

にほんブログ村 その他趣味ブログ 特撮へ

2007年5月13日 (日)

或る場末の夜に

「そーかー。母の日だもんなー。」
いつものウォーキングルート、夕方4時の公園。

お休みの日は人も多い所ですが、今日は特に家族連れが目立ちます。なるほどね。
この時期テレビや雑誌でよくある「母の日に欲しい一番のプレゼントは?」なんてアンケートの一位は「家族と一緒の時間」だそうですから、今日はみんな揃って公園へ、という訳ですね。何故かミニチュアダックスフントを抱えて走る子供を、笑いながら見ているお母さんの楽しそうな顔が夕景に映えていました。
今夜の食事はご馳走なんでなんでしょーねー。

重いお話で恐縮ですが、私は母を昨年11月に亡くしています。
「ネヴュラ」でもご報告したので憶えていらっしゃる方も多いでしょう。今日のような日は母についてお話しするいい機会でもあるのですが、没後半年足らずではまだ母についての思いはまとめきれず、お話できる心境ではありません。
言葉が見つかった頃、いずれ口を開きますので。
今日は母の日。「母性」という捉えどころのない感情についてお話したいと思います。

例によって、皆さんとちょっと違った性癖を持つ私の、過去の戯言です。不快感をお持ちになられたらお詫び致します。

私が「生物学上男性でありながら、女性として生活している」事は、「ネヴュラ」読者の方々はもうご存知ですよね。女性としての生活ももう数年。気持ちは女性ですから当然の事ながら恋愛対象は男性です。
今までにも何人かの男性とおつき合いさせていただきました。
(皆さん思いっきり引いているかもしれませんね。でも事実ですからしょうがない(笑)
その内、一人の男性にはひどい仕打ちをしてしまいました。


私のような存在の方々が通る常道に漏れず、女性として生活し出した初めの頃は、私も相手の男性に対して正体を明かさず、ひたすら女性で通していました。私のような者でも本気で女性として接して下さる方々がいらっしゃる事に、当時の私はひどい勘違いを覚えたものです。「このまま正体を明かさず、奥さんとして迎えられたらどんなに幸せだろう」なんて。
でも現実は残酷(笑)。相手への思いが強くなる程、理想と現実のギャップは深まるばかりで。
要するに「正体をバラすタイミング」を失ってしまいまして。
信じられないお話ですが、その彼は私の事を本物の女性と思い込んでいる。私はそこで逃げてしまいました。
何の前触れもなく、彼の前から姿を消したのです。

辛い決断でしたが、後で思い返せば、自分が傷つく事を恐れた身勝手な行動だったと思います。
若さゆえ、人を傷つけてしまった苦い記憶でした。

そんな経験をした私は、それ以後おつき合いする男性にはすべて正体を明かす事にしました。前述の彼への申し訳無さも手伝っていたと思います。

数年後お付き合いを始めた新しい彼にも、私は最初に正体を明かしました。「いいの?」と。
でもこういう時、男の人って「いいよ」っていう確率の方が高いですよね。「付き合ってみないと分からない」的な考えもあって。彼もそんな感じだったのではないでしょうか。


彼には奥さんが居ました。そうです。世間で言う「不倫」です。
アンモラルな行為である事はよく分かっています。でもお互いの感情は抑えようが無く。これも若さゆえの暴走とお許し下さい。
男同士がつき合って不倫と言えるかどうかはともかく、彼は私を頻繁にデートに誘ってくれました。それは普通の恋人同士のような、他愛のない日々でしたが。
彼はそれまで私のような存在と知り合った経験が無かったそうで、どう接すればいいのかちょっと悩んだそうです。でも「女性と思ったんだから女性として扱えばいいか」と割り切ったとの事。私は、彼のそういう正直な所が新鮮で、また好きでした。


男性とお付き合いする時、私の中にはいつも一つの疑念がありました。
もし、私のような方々が「ネヴュラ」の読者にいらっしゃったら、きっと同じ思いを持たれる事と思います。
「私は本当に、女性の心を持っているんだろうか?」


私のような者は、女装者や女性を前にした時よりも、男性を前にした時の方が「自分の男性性」が浮き彫りになりやすいような気がします。会話、仕草、物の感じ方。
女性としての扱いが徹底されればされるほど、「ああ自分は男だな」と自覚してしまう場面が頻出するのです。

重い物を持ってもらう時に顔を覗かせる「これくらい自分で持てるのに」という思い。私の歩幅を案じて歩く早さを加減してもらえば「もっと早く歩けるよ」と意地を張る心。
彼の男性性に自分の中の「男」が対抗意識を持ってしまう事に、ひどくとまどいを感じていたのです。それは決して表面には出さないものでしたが、私の中ではしこりのような存在となっていたのでした。

私達はお互い、不倫という事実に目を背けるように毎日を楽しんでいました。後で考えれば彼の心の中にはどこか「女と付き合ってるんじゃないんだから不倫じゃないだろう」というエクスキューズがあったのではと思います。奥さんとの倦怠期を乗り越える為の息抜きだったのかもしれません。
私はそれでも満足でした。彼の奥さんへの後ろめたさ、そして自分の中で肥大する「女性性への疑問」を除けば。


彼とのデートはいつも、私の行きつけのお店での乾杯がエンディングでした。
どんな街にもある、場末の小さなスナック。
ただ彼のデートコースはいつもドライブだったので当然、お酒はNGです。彼に気を使って私も彼と同じウーロン茶を頼む始末で。可愛い乾杯でした。
酸いも甘いも嗅ぎ分けたお店のママも私達の関係を禁句とし、楽しい時間を演出してくれたものです。どこにでも転がっている不倫カップル。たとえ目の前のグラスがウーロン茶でも、私はそんなシチュエーションに充分酔う事ができました。
そんなある日。私の「女性性」を揺さぶる出来事が起こりました。

その日、いつものように午後からドライブに出かけた私達は、いつものようにそのお店で楽しい時間を過ごしていました。その日の彼は少し無口でしたが、私はさほど気にとめていなかったのです。ですから彼がお手洗いに立った時も、ママからの「みゆきちゃんが渡しなさい」という言葉とともに受け取ったおしぼりを覚ます余裕がありました。

5分。10分。彼は出てきません。15分を過ぎた頃、さすがに心配したママが「ちょっと、大丈夫?」と言葉を漏らした時です。
静かに開いたお手洗いのドアの向こうには、顔面蒼白の彼が立っていたのでした。


冷たい汗を顔中に流しながら、彼はソファーに倒れこみました。
目の焦点も定まっていません。
尋常でない彼の様子にママをはじめ他のお客さんも色めき立ちます。


その時私は、反射的に彼の手を握り締めていました。汗で湿っていても、彼の手はまるで氷のような冷たさ。荒い息を立てながら彼は私の手を握り返します。
ソファーに横になった彼に寄り添う事30分。いつの間にか私は、いつも彼が好きだった膝枕をしていました。息も絶え絶えだった彼でしたが、30分もすると呼吸も正常となり、やがて話ができるまでに回復したのでした。


彼に問いただしたところ、その日彼は私との約束の為に朝4時から出勤、午前中でお仕事をすべて片付けてきたと言うのです。その後のドライブ。お店での乾杯。
お店で気を許した彼に、一日の疲れが一気に襲って来たのでした。
「そんな無理するから。」とすねる私の心は、しかし女性としての嬉しさに満ち溢れていました。彼がそんなオーバーワークをおくびにも出さず、私との時間を作ってくれた事が嬉しかったんですね。(お恥ずかしいお話ですが)


「今日はみゆきちゃんに膝枕してもらって、得しちゃったな」悪戯っぽく笑う彼を、私は心底可愛いと思いました。私より15歳も年上の彼を「可愛い」と。
そんな、男の人の少年性に反応する私に、私自身が戸惑っていたのです。
と同時に、こんな思いも頭もよぎりました。
「これが母性本能なの?」


それから一時間。彼の容態を気遣ってくれたママにお礼を言い、お店を後にした私達。
「もうダメですよ。今日みたいな無理しちゃ。」こんな言葉と裏腹に、その夜の私は嬉しさで満ち溢れていました。
でも不倫の現実は甘い時間を許してはくれません。その後ほどなく彼とは破局。奥さんにバレちゃいました。よくあるお話ですね。きっと彼との時間を独り占めしたかった私に、バチが当たったのでしょう。
もうこんな辛い恋愛、コリゴリ(笑)。
でも私の中でその夜は、自分に潜む新しい一面を発見できた記念すべき夜として永遠に忘れる事はないと思います。

あの時の感情が「女性性」なのか、はたまた「母性」なのかは今も判然としません。単なる同情心だったのかも。
子供を生めない私には、そういう感情の区別がつかないのです。読者諸兄で同じ立場の方々、私にご教授下さい。
ただ、それまで自分が意識しなかった感情だった事は確かです。感情とは、そんな風に周りの状況から導き出されるものなのかもしれませんね。


母の日の話題にはちょっとそぐわないお話でしたね。「母」というキーワードに、そんな余計な事を思い出してしまいました。
どんな女性も持ち合わせている「女性性」「母性」。
私のような存在の人生は、自分の中にそんな感情が息づいているかどうかを探す旅でもあるのです。
いまだ「ひとり旅」なのが寂しいところですが(笑)。

2007年5月12日 (土)

「マルスなら133かな」

Photo_799 ここ数日、あるDVDを見る機会が多くて。
この「ウルトラマン誕生40年の軌跡 ウルトラマン伝説展」というDVD。

これは昨年、川崎市岡本太郎美術館・広島県立美術館で開催された同展覧会の紹介ソフトです。
私はこれを、先日開かれた「ウルトラマン[オブジェクツ展]で入手、それ以来BGVのように再生しています。
[オブジェクツ展]ではこのDVDの他にも「伝説展」のパンフレットも販売していたので、DVDとともに入手された方も多いと思います。
入手された方、どんな感想をお持ちですか?
私の感想は「このパンフとDVD、当たり!」。
不勉強ながら、この二つの資料で語られている事柄のほとんどは私が知らなかった新事実ばかりなのでした。
(うわー無知がバレちゃった。)

私が特に瞠目したのはDVD。
私はこの展覧会には行けなかったので、展覧会そのものの印象は語れないのですが、このDVDって、きっと展覧会の内容をほとんど紹介してませんよね(笑)。
ある意味「このDVDを見てから伝説展を見ればもっと楽しめますよ」的な構成を採っているのではと思います。

と言うのはこのDVD、飯島敏宏さん、上原正三さん、満田かずほさん、池谷仙克さん、黒部進さん、桜井浩子さんら、ウルトラマン黎明期に関わった人々へのインタビューがほぼ全篇を占めているのです。展示物なんてほとんど紹介なし。
そういう意味では展覧会資料としては今一なのですが、このDVDの構成は実にお見事。
「NHKが大人向きにウルトラの特番を作ったら、こうなるんじゃないか」と思わせる程の完成度を誇っているのです。

ウルトラの裏話には目がない私にとって、このDVDで語られている関係者の証言はほとんど「1分に一回、目からウロコ」並みの面白さで。普段この手の番組や研究本などで語られている内容の「ちょっと奥」を語る感じが心地良いのです。
「そうか。あの逸話はこんな理由からだったのか」「あの場面、出演者はこう思っていたのか」なんて、今更ながらに感慨を覚える内容でした。その全貌をお話しすれば例によって物凄く長くなっちゃうので、今日は貴重なインタビューの中から、私が特に感銘を受けたスタッフのお話をご紹介しましょう。
(濃いファンの方にはぬるいお話かもしれません。お許しを。)

「ウルトラマン」の製作第1話が、放送第2話「侵略者を撃て」であった事は有名な事実です。ウルトラマン最大のライバル「バルタン星人」が登場するこのエピソードは、ウルトラマンの基本フォーマットを決定付けた一篇として後年様々な研究、解析がなされて来ました。
このエピソードの脚本を執筆した千束北男が同エピソードの監督、飯島敏宏氏のペンネームである事は皆さんもよくご存知でしょう。

飯島敏宏。「マン」の前番組「ウルトラQ」からウルトラシリーズに参加し、スピード感溢れる都会的な演出でウルトラシリーズの演出スタイルを決定付けた人物です。
私は、今回のDVDで飯島氏が語った現場の裏話に、実に心を惹かれました。

どんな番組も同じですが、新番組の立ち上げというのは何かと「決め事」が多いものです。全部一から創り上げなければならない。前作「Q」では時間もあり、一話一話の自由度も比較的高いものでしたが、「マン」は基本フォーマットを非常に要求される。
怪獣出現、科特隊の活躍、ウルトラマン登場。「Q」に比べ「マン」はより「パターンの美学」を求められる企画でした。

「マン」放送当時、製作スタッフにとって「巨大ヒーローが怪獣と戦う」というドラマのお手本は皆無でした。
後年「フランケンシュタイン対地底怪獣」(1965年東宝 本多猪四郎監督)がその図式の先駆的作品、との解析もされましたが、あれは「巨人対怪獣」としての絵面的解析であって、そこまでのドラマ(科特隊の位置づけ、ウルトラマンの人間大から怪獣サイズへの変身法など)についてはまるで手探りの状態だったのです。
これら番組の方向性を決定付ける要求事項を全て背負い、シリーズ屈指の名篇を創り上げた飯島監督の手腕は、今こそ高く評価されるべきでしょう。

しかしながらこのウルトラマン製作第1話、飯島氏の口から出た証言は実に意外なものでした。

「マン」製作がGOとなった頃、飯島監督はまだ「Q」の製作に追われていたそうです。製作順で推測すれば製作第24話「虹の卵」、25話「地低超特急西へ」あたりでしょうか。
新番組「ウルトラマン」開始について聞いていた飯島氏でしたが、シリーズのパイロットとなる製作第1話は、当然円谷プロの屋台骨を支える円谷一監督が手掛けるものと思っていたそうです。
ところが思わぬ番狂わせが。
一氏が他の仕事で手一杯となり、飯島氏に製作第1話が回ってきたそうなのです。当然飯島氏は大慌て。放送日から逆算すれば撮影日までほとんど余裕がない。
「侵略者を撃て」はなんと台本が完成する前に撮影を依頼されたと言うのです。

このお話を聞いた私はひっくり返りました。あの緻密な作りを誇るバルタンの逸話が、台本完成前にクランクインを打診されていたとは!
アクシデントはさらに続きます。当初イデ隊員にキャスティングされていた石川進氏が途中で二瓶正也氏に変更された事はよく知られていますが、なんと実際にドラマ部分の撮影まで行われていたんですね!それも3日も!
「3日ぐらい撮影してから撮り直ししたんですよ」と語る飯島氏でしたが、放送日も迫る中、この3日は大変なロスタイムだったのではないでしょうか。「戦争みたいな状態」との証言もよく分かります。私が監督だったら胃を切ってたかも(笑)。

Photo_800 特撮現場もご難続きだったそうです。「モビルスーツ同士の格闘戦を初めてやったんだぞ!」(byシャア・アズナブル)の言葉そのままに、飯島監督以下「マン」スタッフは巨大ヒーロー対巨大怪獣の演出方法に困惑していました。
番組後半、バルタンとウルトラマンの夜の空中戦。スタジオで上から釣られたウルトラマンはまるで動けない。格闘なんて夢のまた夢。「高野宏一特技監督は不安そうな目でこっちを見る。あの時はどうなる事かと思った。」

その不自由さを逆手にとって迫力ある追跡シーンを演出した、特撮担当高野監督の手腕には驚きを隠せません。今、あのシーンを見て「現場が困った」形跡を感じる事はできないですから。

Photo_801 同エピソードで鮮烈なデビューを飾ったバルタン星人にしても驚愕の裏話があります。
バルタン星人おなじみの「ブフォッフォッフォッフォッ」笑い、あの時彼がとる「ハサミ持ち上げポーズ」は、「着ぐるみのハサミが重すぎて、中に入る役者さんがあの位置でないとハサミを固定できなかった」ゆえ、仕方なくああなったそうなのです。
要はハサミを上げるか下ろすか、どちらかじゃないと腕がハサミの重さに耐えきれなかったんでしょうね。
「脚本と現実は相当違うものになってしまった」と飯島氏。
バルタンが一番映えるあのポーズが現場の事情だったとは。

Photo_803  もしハサミを下ろした状態がバルタンのスタンダードポーズとして固定されたとしたら、今のバルタン人気は無かったような気もするんですが。つくづく偶然の恐ろしさを感じます。そんなエピソードを懐かしそうに語る飯島氏ですが、その時の心情を察すると背筋が寒くなる思いです。

やはり天才的クリエイターの才能は、そういう逆境的局面に発揮されるものなのでしょう。
さらにビックリ。なんとあのスペシウム光線は、現場あわせで発案されたものなのです!ここで私は「イス落ち」(桂三枝風に)。

Photo_804 「当時「光線を出す」って言うのは大変な事だったんですよ。「殺人光線」なんて言って。」飯島氏は当時を振り返ります。
今、ヒーローの必殺技として当たり前の光線も、当時は強大な破壊力を演出するまさに「伝家の宝刀」だったのでしょう。ここでも飯島氏の才能は発揮されました。

「光線をなんとかして線ではなく「面」で出したい。その試行錯誤があのポーズとなった。」と語る飯島氏。
後年、あの十字組みのポーズが「+と-」なんて解析もされましたが、あのポーズはとにかく面として光線を出したいと考える、飯島氏の才能の結集だったんですね。

さらに、「マン」の未来感を支える武器のネーミングにも、飯島氏のセンスが如何なく発揮されていました。

「宇宙を表す「スペース」に「ウム」なんてつけちゃって。造語ですよ。ありそうな造語。」
私はこのネーミングセンスに大変心打たれました。

ウルトラマンの技なら「ウルトラビーム」なんてネーミングするのが普通のセンスでは?スペクトルフラッシュ・ミラーナイフ・ライダーキックなど例も沢山ありますし。それをあえて「ウルトラ」を使わず「スペシウム」という造語を配するセンス。(あくまで個人的感覚ですが)
おそらくこのセンスは飯島氏天性のものでしょう。慶応大学英文科を卒業し、ウルトラの世界に未来感を持ち込もうとした飯島氏が自然に到達した感覚では。

Photo_805 飯島氏が手掛けたネーミングは数多くあります。
バルタン星人が二度目に登場する第16話「科特隊宇宙へ」で登場した新兵器「マルス133」もその一つ。スペシウム光線と同様の威力を持つという設定のこの「光線銃」は、スペシウムという物質が火星にあるという劇中の設定から火星を表す「マルス」が冠されましたが、その後の「133」の根拠は「ないですよ」と飯島氏(笑)。

「マルスだとやっぱり133かな、なんてもんでね」と笑う飯島氏ですが、これ、簡単に思いつきます?私なんかひっくり返ったって出てこないセンスですよ(笑)。

Photo_806 英文科卒の飯島氏。私はここで一つの私見があります。
同16話でのウルトラマンの「テレポーテーション能力」も飯島氏のネーミングですが、飯島氏はこの件について「それまでは物体を「電送する」なんて言い回しをしていた。それが非常に古めかしく感じた」などと語っています。
これ、飯島氏のリベンジではないかと。

前番組「ウルトラQ」で飯島氏が手掛けたエピソード、第19話「2020年の挑戦」。飯島氏はこの作品の脚本を千束北男名義で執筆(金城哲夫氏と連名)しましたが、この作品では登場する宇宙人「ケムール人」による人間消失の謎を「ケムール星への【電送】と表現しています。自作でこの表現を使った飯島氏は、いつかこの【電送】というネーミングを自分でブラッシュアップしたかったのではないでしょうか。

R星から一気に地球まで体を移動させる、まさに超人の名にふさわしいウルトラマンの究極能力を見事に表現した「テレポーテーション」。
飯島氏はウルトラマンで古めかしい【電送】を【テレポーテーション】とネーミングし直す事で一歩前進したのでは、なんて(笑)。私のこだわりすぎでしょうね。きっと。
同エピソードの「パン・スペース・インタープリター」など卓越したセンスが光る飯島ネーム。これがウルトラ世界に独自の未来感を与えていたのは間違いないでしょう。

いつも数カ国語の辞書を枕元に置き、思いつく単語をメモりながら脚本執筆に勤しんだと語る飯島氏。そうした努力は製作後41年を経た今も作品に表れていますよね。
どんな作品も、その立ち上げ時には想像もできなかった苦労が付きまとうもの。
そんな逆境を乗り越え、作品に反映させる天才たちの仕事に、規模は違えど同じ演出者として大きなシンパシーを感じます。

まー、辞書を枕元ではなく枕にしちゃうところが、彼らと私の決定的な違いですが(涙)。

にほんブログ村 その他趣味ブログ 特撮へ

2007年5月11日 (金)

THE BIRD

サブタイが「THE BIRD」じゃないのには理由があります。
ここ数日のマイブーム、ヒッチコックの「鳥」のお話ではないからです(笑)。
今日は、極めて私的な話題である事をご理解下さい。

昨日の朝のワイドショーに、女優の加賀まりこさんが出演していました。
「朝の生ワイドでは見かけない顔だなー」と思い見ていると、案の定舞台公演の告知出演でした(笑)。
今劇場公開中の「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」の舞台版で、樹木希林さんが演じた「オカン」役を加賀さんが演じるという物だそうです。
「映画では泣ける場面が、舞台では笑える場面になっているんですよ。」
映画との対抗意識を覗かせながらいつもの調子で強気に語る加賀さん。私はそんな彼女のあるコメントに興味を持ちました。
司会者からの「舞台のどんな所に楽しさを感じますか?」という質問に対しての、彼女の答え。

「舞台は本番中より稽古中の方が面白い。いろんな球を投げられるから。」

「そうだよねー。」思わず相槌を打った私。
「確かに稽古中の方がいろんな球を投げられる。」

彼女はこう続けました。
「役者は与えられた役を模索しているもので、稽古中は演出家に向けて色々な演じ方を試すもの。「演じ分け」という球をどれだけ持っているかが、その役者の幅となる。」
「稽古で役者が投げた色々な球を選ぶのは演出家。舞台はそんな風に、全てのスタッフが一つの作品を追求していけるから楽しい。本番はそんな作業の末、出来上がっちゃったものだから変えようがないでしょ。」

こんな趣旨でした。(記憶なので言い回しは若干違うかもしれません。ゴメンナサイ。)

本番での緊張やセリフのミスなどの次元を超えてしまった大女優ならではの含蓄あるコメントで。そういう発言が出来るまでには数十年の努力が必要なのでしょうが。

ここ二日間、このコメントがずっと頭にありまして。
数十年前の経験が記憶の中で反応していたのでしょう。

以前にも何度か「ネヴュラ」でお話しましたが、私には社会人劇団に所属している幼馴染がいます。彼は20年ほど前に一度その劇団を離れましたが、思う所あってか2年ほど前に活動を再開、現在に至っています。
彼が初めて劇団に入団したのは1982年。入団したての劇団員はまず「研究生」として練習を積み、研究生だけで「卒業公演」を行って初めて正団員として認められます。とりあえずは卒業公演までこぎつけ、演者、裏方を全て経験する事が正団員への道なのです。
この年4月に入団した彼もその道を進み、卒業公演までこぎつけました。

前述の通り、卒業公演に絡む裏方の仕事には、「チラシ・チケット・看板作成」などこまごまとした作業が発生します。学校祭を思わせる楽しそうな作業ですが、82年当時は今のようにパソコンなど一般家庭にはとても普及しておらず、チラシ作成ひとつにもそれなりのデザイン知識が必要だったのです。
そんな事情から、彼は当時デザインの専門学校に通っていた私に声をかけたと。
卒業公演は8月の頭。ひと夏のイベントと引き受けた私でしたが、あれから25年、今もって新作公演に通う事となろうとは。つくづく縁の不思議さを感じる次第で(笑)。

Photo_795 ちょっと脱線しました。その82年当時の研究生というのがまた癖のある連中で。とにかく演技というものに興味を持つ段階で人とはちょっと違うと(私も人の事は言えませんが)。
デザイン担当でちょっとお手伝いのつもりがメンバーの個性に引っ張られ、何故か稽古を見学する日々、ついにはラストシーンで一瞬出演するはめになってしまうという今考えればありえないような夏でした。
その卒業公演の演目こそ、今日のサブタイ「バード」なのでした。

Photo_797  今も手元にこの「バード」の台本がありますが、今読み直してみるとこれはやはり、「研究員の卒業公演用」の小品との印象を持ちます。元々高校演劇コンクールで戯曲賞に輝いた作品ゆえ、そんな肌合いを感じたのでしょう。
高校生の主人公が持つ閉塞感を「籠の鳥」になぞらえた、比較的分かりやすいストーリー。
研究生の人数からはじき出された出演者の数。
その稽古は試行錯誤の連続でした。

出演者である研究生は6人。高校演劇経験者、人形劇経験者などそれぞれ経歴はあったものの普通のお芝居は初めてです。幼馴染の彼も、割り振られた役と必死に格闘していました。
冒頭の加賀まりこさんのコメントにあるように、役者というものは本来「自分の中にはない性格を想像して、色々な演技バリエーションを提示する」ものなのですが、研究生である彼らにそんな芸当ができるわけがありません。
比較的彼らが想像しやすいキャラクターが登場する「バード」のストーリーでしたが、彼らにはそもそも「演技の引き出し」という概念そのものが難しい。傍観者である私にも、稽古に臨む彼らの焦りがよく分かりました。

クタクタになった稽古の帰路、電車の中で「自分が演じるキャラ」について盛り上がった事も懐かしい思い出です。

実際の所、彼らは演出家というキャッチャーに対し、ピッチャーとして自分が投げる球がストライクなのかどうかを模索していました。でも当時の私達には人生経験があまりにも少なすぎました。「演じ分け」なんてとてもできなくて。セリフを一本調子に反復するだけの足踏み状態。手伝いで見ている私が全セリフを覚えてしまった程、果てしなく続く稽古。
演出家の激が飛びます。「そうじゃないんだよなー。」
ストライクが見つからない演者と、演出家の間に流れる苛立ち。思いを伝えられない歯がゆさにも似た感情。
幼馴染の彼に変化が現れたのは、そんな時でした。

ある日の稽古で、彼のセリフ回しがそれまでと全く違っていたのです。

Photo_798 これは「バード」の台本の一部です。彼のセリフは写真の中ほど「そんなの無理だよ・・・」のあたりで。主人公の友人役の彼が東京への憧れを語るセリフです。
彼はそれまでこのセリフを「しみじみと」「思い描くように」語っていました。ところがその日、彼はこのセリフを「大声で」「オーバーアクション気味に」楽しそうに語りだしたのです。
「新宿のディスコで女の子引っ掛けて」のあたりなど、まるで人が違ったように(笑)。

あまりの豹変ぶりに主人公を演じる相手役もちょっと引いていましたが。

私はその時、彼が「引き出し」を意識し出した事にひどく感動しました。その動き、セリフ回しが、普段穏やかな彼の地とかけ離れていた事にもです。
それは今にして思えば、リアリティーとは少し違った「想像のキャラ」に過ぎないものでしたが、とにかく彼は「演技バリエーションを試してみる」事に目覚めた訳です。

まー、この演技プランは演出担当によって却下されましたが(笑)。
それは私にとって若き日の、幼い認識に過ぎないものでしたが、「これが役者の原点なんだなー」と感じた瞬間でもありました。

その後稽古は佳境を迎え、「バード」は盛況の内に公演を終えました。私には、その時の彼の豹変振りが他の研究生達に刺激を与え、研究生一人一人の引き出しが開かれたとの思いを今も持っています。
その公演から数年後テレビのお仕事に就いた私。中には劇団の稽古風景の取材もありました。しかしながらこういう「役者が変わる」瞬間に立ち会える事はめったにありません。
たかだか数時間の取材でそんな劇的な場面にはお目にかかれないのが普通です。でも舞台作品が完成されるまでにはそういう試行錯誤が常に繰り返されているんですよね。
私はその事を彼から教えてもらった気もします。
彼の劇団も今年で創立50周年。今月には記念公演も行われるそうです。
劇団メンバーの皆さんも、公演の度に数え切れない程の「演技の引き出し」を模索し続けて来たんでしょうね。
そんな皆さんの影の努力に頭が下がる思いです。

これは本当に偶然なんですが、このお話をする為、数年ぶりに「バード」の台本を紐解いた昨夜、彼本人から不意の電話がありました。
恐ろしいほどの偶然に驚いた私は、彼に「豹変」の真意を確かめようとしましたが、残念ながら彼の記憶にはそれほどの思いは無かったみたいで(笑)。そんなもんですよね。
来月、幼馴染のみんなで集まろうと約束しました。
今も劇団で頑張る彼は、加賀まりこさんの境地に達しているのでしょうか。
十数年ぶりの仲間との再会も楽しみですが。

でも私、彼以外に「女子」してる事をバラしていないんですよ。
「豹変」したのは私の方。
私の変身は仲間にとって「ストライク」なんでしょうか。

楽しみと不安がないまぜになった日々を過ごしています(笑)。

2007年5月10日 (木)

朝のかけら

今は午後二時。私の街は雨に煙っています。
ここ数日の暑さもこの雨とともに一段落。もう一度厚手の部屋着を出し直しです(笑)。

昨日の天気予報で今日の行動を計画していた私。
「じゃー朝一、雨が降り出す前にひと歩き」という訳で、今朝7時半からウォーキングに出かけました。

4月後半から、時間があれば一日一回ウォーキングに出ています。丁度去年の今頃もはりきっていましたねー。「ネヴュラ」でもいきなり開設三日目の記事がウォーキングがらみでした(笑)。

FLOW「DAYS」をBGMに歩き出したいつものコース。
今のお天気が想像できないほど晴れ渡った初夏の公園は、いつにも増して気持ちのいい空気で。

実はお仕事の関係で、最近のウォーキングはほとんど気温の上がるお昼前後に行っていたので、かなりの死闘だったんですよ。Tシャツ5枚+トレーニングウェア+サウナスーツで暑さの中を歩くというのは。
昨日なんて30度越えましたから、一つ間違えば熱中症ですよね。

その点、今朝の気温は17度程度。快適です。
サウナスーツの中を流れる汗も実に気持ち良くて。
Photo_780  公園のグランドでは地元の高校生がサッカーの朝練に励んでいました。
いいですねーこういうの。
「朝」って感じで。
やっぱりウォーキングは朝かなー。歩くという行為以上に、こんな清々しい風景が見られるところに得がたい魅力を感じちゃったりして。

Photo_781 私はウォーキング中、何箇所か休憩場所を決めています。その一つ、いつもの広場のいつものベンチへたどり着いた私は、ベンチの前の地面に何かが描かれているのに気がつきました。

Photo_782

うまいじゃない。いつ描いたんだろ。
今は朝食の時間なので、個人的には食パンマンがいいんだけど(笑)。




Photo_790 Photo_794





久しぶりに、公園中心の池にも寄ってみました。
以前お話しましたが、この池にはカモやアヒルなどが居て、公園を訪れる人たちの人気者です。

ただ彼らは時間帯によって巣に隠れてしまう為、この時間は居るかどうか・・・
居ました。気持ち良さそうに泳いでいますねー。彼らも朝の散歩といった所でしょうか。
やっぱりカモたちも、朝の澄んだ空気は心地いいのかもしれませんね。

Photo_785 Photo_786





で、帰り道。道の真ん中にこんなものが。
松ぼっくりでした(笑)。
この公園は森の中にある為、猫やたぬき、果てはカメやヘビなど色んな動物が住んでいまして。その中の一匹が置いたのでしょうか?

あまりにも真ん中すぎる。(撮影用に置き直してませんよ。)
まーこれはこれでいいかと。こういうのも自然公園の面白い所ですねー。
去年なんか、道の真ん中にカメが寝ていましたし。
この公園は動物が主役で、人間は訪問者なんですね。

Photo_787 久しぶりに朝の公園を満喫しました。
私と同じウォーキングやジョギング、犬の散歩などをする人々でにぎわう公園。
こんな風に定期的に自然を感じたくなるのも、年のせいかもしれませんね(笑)。

道端に咲くタンポポの黄色が、周りの緑によく映えていました。

Photo_788 同じコースを歩いていても、酷暑の中と涼しい朝では見える物も、感じ方も違ってきます。
今、外を濡らす雨を見ると、朝ちょっと無理しておいてよかったな、なんて軽いオトク感を覚えちゃったりして(笑)。


朝練、アンパンマン、カモ、松ぼっくり。
そんなちょっとした事が心を潤してくれるのかもしれませんね。
シャワーの後はご覧のスイカバー。
なんてお子ちゃまな朝食でしょう(笑)。

知りすぎていた男

Photo_776 最初になぜこのバラゴンがあるかと言うと。
サブタイで期待された方には申し訳ありませんというエクスキューズで(笑)。
あの映画のお話ではありません(平謝り)。


お仕事の帰りに寄ったいつものオタクショップ。
そこにあったのは可愛いサイズのマルサンバラゴン。

右のオレンジがそうです。左の物は大きさ比較用で23センチぐらいですから、二周りくらい小さいサイズ、17.5センチくらいでしょうか。

毎度の事ながらこういうのを見ると目尻が緩んでしまう私。「可愛いなー」とばかりに手にすれば、価格はなんとワンコインじゃないですか。(正確にはプラス消費税ですが)
アドレナリンが活性化するのが分かります。いわゆる「暴走状態」。他に見つけたソフビもろともレジへ一直線。これで今夜の食事は冷蔵庫のあり合せに決定です(涙)。

「毎度毎度、そんな下らない買い物記事でお茶を濁すつもりか!」とのお怒りもごもっとも。
今日は買った品物のお話ではありません。
今日の舞台は売り場の奥、レジです。


「これ、お願いします。」
いつものようにレジに品物を出し、店員さんにお金を差し出した私。私はこの時、いつも店員さんに質問する事にしています。

こういうオタクショップの商品はそのほとんどが中古品なので、コンディションは自分で確かめ納得して購入する必要があります。まあそれはお客さんの責任という訳で。別にお店とトラブルになった事もなく、気持ちいい買い物をしています。
私の質問は、商品の知識に関する事なのです。

こののバラゴンは、1966年当時発売されたオリジナルをミニチュア化して最近発売された物。もちろん発売元はマルサンです。
でもこれ、なぜミニチュア化したのか私、分からなくて。

私は店員さんに聞きました。「これ、オリジナルより小さいですよね。」
「ええ。リサイズしてるみたいですね。オリジナルではないと思いますよ。」
店員さんはまだ入店後間もない様子。おぼつかない知識で一生懸命説明してくれます。
私はその後の質問を飲み込みました。
多分彼に聞いても分からないだろーなーと思ったのです。


正直言いますと、このマルサンのミニチュアソフビ、数年前には雑誌などで結構派手に採り上げられていたのでおおよその背景は分かっていたんですが、一応本職の方に尋ねるのもいいかな、と思っての質問でした。
でも彼の得意分野はその方面ではなかった様子。
無理もないですよね。きっと4月入店でしょうから。
私は彼から商品の袋を受け取ると、いそいそと家路についたのでした。今後の店員さんの精進に期待しましょう。

その彼はともかく、「オタクショップ」と私が勝手に呼んでいるアンティック・トイショップは、店員さんの商品知識が大きな売り物になります。
この手のお店の店員さんはまず間違いなく怪獣やヒーロー、おもちゃ好きが高じた方ばかり。訪れるお客さんもアイテムの知識では負けていません。
店員さんとの、おもちゃにまつわる会話を目的にお店通いをするお客さんも多いのです。
ここが普通のおもちゃ屋さんとの大きな違い。
考えてみれば、マニアやコレクターの皆さんにとって、共通の話題を持つ店員さんは得がたい仲間でしょうから。


そんな事情もあり、この手のお店でちょっとキャリアの長い店員さんは、お客さんからの質問を手ぐすね引いて待っているものなのです。
そんな「スタンバイ状態」の店員さんが、お客さんから一つでも質問されたとしたら・・・
もうそれは「水を得た魚」。もともとのオタク気質が炸裂する際限ないトークが展開されるのでした(笑)。


私も以前、そういう「オタクトーク」を味わった事があります。
もともと質問好きですから自分から望むきらいもありますが。

Photo_777 例えば「ネヴュラ」でよく登場するこの「ブルマァク復刻・ゼンマイキングギドラ。」
これ、本当はキット状態で売っているんですが、私はこれを完成品で手に入れたのです。

それはいつもの、お仕事の帰り道でした。
ショーウィンドーに並ぶこの完成品を見た私は、レジに佇む店員さんに声をかけたのでした。
「これ、なんで完成品なんでしょうか?」


「あー、これはですね。」獲物を捉えたクモのように、満面の笑みを浮かべ話し出す店員さん。
開けてはいけないパンドラの函だったのでしょうか(笑)。
「キット製作が好きなマニアの方が居ましてねー。その方は特に、ソフビの彩色の再現にこだわってらっしゃるんですよ。このギドラなんか下地色、コバゾールの地色からして再現してましてね。ほらここの所・・・」


長い。詳しい(笑)。彼の説明はとどまる所を知りません。おまけにこのギドラはウィンドーの下段にあったものですから、彼の説明はしゃがみこんだ体勢で。
困りました。何故か?
私はその時、膝上25センチのスカート姿だったのです(笑)。
彼の隣にしゃがんだ私はスカートの裾が気になっちゃって(汗)。でも彼の注意は私の足よりも、ギドラの彩色に全て注がれていたのでした(笑)。
それはそれでちょっと失礼じゃないのよと(涙)。


彼の熱いトークに負け、このギドラちゃんはウチの住民になりましたが、もう説明の後半なんか聞いちゃいない(笑)。
「そんなに力説するくらい良い物なんだ」という認識しかなく。


Photo_778 このバンダイ「エンタープライズNCC-1701」の時はちょっと変わったシチュエーションでした。このシリーズは今までのスタートレック・キットの中でもずば抜けて精密なディテールが売り物でしたよね。このキット、発売当初は結構な品薄で、どこの売り場でもすぐになくなってしまう状態でした。
私は幸いにも普通のおもちゃ屋さんでこのキットを手に入れられました。その時は別にドラマは無かったんです。
面白かったのは翌日でした。


キット入手翌日、私はいつも行きつけの「濃い」お店へ出かけました。そこは国内キャラクター中心のマニアショップで、スタートレック関連などあまり扱っていないのですが、その日に限ってなぜかレジの横に「これみよがしに」このキットの完成品が鎮座していたのでした。
よくよく見ればレジに立つのはいつもの店長さんじゃない。
あれ?どうしちゃったの?昨日入手したキットの完成品にも心を引かれ、私はレジの彼に尋ねました。
「店長さんは?」


「あー私、彼の知り合いで。彼は今仕入れに行ってるんで、留守番してるんですよ。」
「このエンタープライズ、すごくいい出来ですね。」
私のこの一言がフェーザー砲の引き金に(笑)。
「分かっていただけましたか!昨日一日で組み上げたんですよ。」突如変わる彼の口調。それから30分、私の耳は私の体を離れて、キット製作の苦労話に付き合わされる事に(笑)。


でもお互いオタクですから(笑)、こういうお話って楽しいんですよ。やっぱりみんな苦労するところは同じだなと。シャドウ入れやウェザリングの必殺技なんかも教えてもらえたりして。
それはそれで充実した時間なんですよね。


結局トークだけでおなか一杯で。何も買わずに帰って来ちゃったんですが、何故か充実感があるんですよ。やっぱり、今のおもちゃ屋さんや模型屋さんに欠けているのはこういう所なんでしょうね。コミュニケーションの重要性を再認識しました。
同じ商品を売っているお店なら「分かってくれる店員さん」の居るお店で買いたいですもん。「濃い」トークというのもたまには良いものです。同好の方々とのお話で、自分の知識レベルも分かりますし。私なんかまだまだだなーと。

最近はヤフオクにハマっている私ですが、今日の「バラゴン」の一件で、久しぶりに「知りすぎていた男」たちの姿を思い出しました。
最近、リアルで濃いトークをしてないなー。
「ネヴュラ」のお仲間の濃いコメントが、私の唯一の救いかもしれません。
スカートの裾も気にしなくていいし(笑)。

にほんブログ村 その他趣味ブログ 特撮へ

2007年5月 8日 (火)

勇気を下さい!

「パターン青!」
先日ふと覗いた、いつものオタクショップ。
それは、何事もなかったように商品棚に鎮座していました。


Photo_770 何の変哲も無い、ノスタルジックヒーローズ製マルサン復刻ゴジラ。
「ネヴュラ」最多出演のゴジラキットです。

目ざとい読者の方々は、このパッケージに込められた情報をいち早く見つけられた事でしょう。

パッケージ左下、小さく貼られた青色のシール。
控えめに主張するコレクターズアイテムの証。
これを見逃す手はありませんでした。このゴジラを手に取った私はダッシュでレジへ。

なんでこんなものが普通のショップに並んでいるんでしょうか。
これだからリアルのお店は油断できない。

このゴジラキット、オリジナルは1964年にマルサンから発売されたものです。当時の価格380円。「日本初の怪獣プラモデル」という事で爆発的な人気を博したキットでした。
リモコン・モーターライズで大きく腕を振りながら歩くその姿に、当時の子供達は目を輝かせた事でしょう。
1999年頃、折からのお宝ブームに乗って多くのメーカーから昔のソフビ怪獣などが復刻され、ちょっとしたブームが起こりました。このゴジラキットもその流れに乗った復刻キットでしたが、なにしろプラモデルはソフビに比べて生産コストがかかります。ましてやモーターライズの動力システムまでの再現は困難を極めた筈です。
なかなか手を出すメーカーが居ない中、静岡のアンティックトイショップ、ノスタルジックヒーローズが満を持して発売したのでした。価格は税込み6,090円。

この発売にマニアが狂喜乱舞した事は想像に難くありません。なにしろ1999年当時、この「ゴジラ」オリジナルキットは100万円というプレミアが付いていましたから。


今や貴重なお宝キットが自分の手で組み立てられる!それだけでもう気分は夢心地。鬼のように買い集めたマニアの方々も多いと聞きます。私も当時いくつかは買い求めましたが、なにしろ貧乏人でしたから2個程度手に入れるだけで精一杯で。
その後例によってオタクショップに通いつめ、値の下がった未開封品を落穂拾いのように買い集めていたのでした。
(なんかこういうお話をしていると侘しくなって来ますね(涙)。
今、私が所有するこの復刻マルサンゴジラは8個。勿論、先日手に入れた1個も含めての数です。
ところが前述の通り、この1個には特別な意味が。

Photo_771 もったいぶらずにお話しましょう。
ご覧下さい。箱の中身はこの通り。
まるで突然変異のように、ボディー部品が全て透明なのがお分かり頂けるでしょうか。

実はこれ、当時のホビーショーで限定発売された「幻のクリアーバージョン」なのです。

お宝ブームの影響で数多く作られた復刻ソフビ怪獣には、こういう例が非常に沢山あります。同じ怪獣の成型色違い、彩色違い、このようなクリアーバージョンなど。
一つの怪獣に対し、メーカーが発売するあらゆるバージョンを捜し求めるコレクターの方も多いと聞きます。今やバージョン違いはそれこそ際限なく発売され、その全貌を把握するのはよほどのマニアの方でしょう。

この電動ゴジラもその流れに則ったものです。
このゴジラの場合、ノーマルカラー(茶)、ホビーショップ「イリサワ」限定カラー(赤クリアー、金メッキ)、そして今回入手のイベント限定クリアーバージョン、そしてカートン毎に一個含まれるグレーバージョンという、5種類のカラーバリエーションが存在します。これはソフビに比べ物凄く少ないバリエーションなんですよ。収集意欲を絶妙に刺激するさじ加減と言うか(笑)。
プラモデル好きの私はソフビ以上にこれらゴジラキットに心を惹かれ、見れば手が伸びてしまうのでした。


実は今日のお話の前にノスタルジックヒーローズのHPを覗いて来たのですが、発売後8年を経た今でもクリアーバージョン以外は現行発売されているんですね。ちょっとビックリしました。このキットはパッケージがシュリンクパックされているので、箱のフタを開け中身の確認が出来ません。バージョン違いの確認が出来るのは、冒頭にお話した「パッケージ左下のシール」のみ。
私の驚きがお分かり頂けるでしょうか。
「幻のキットが今、この手の中に!」
「買うた、やめた音頭」など踊る暇もありませんでした。
シュリンクパックが無かった為開封品ではありましたが、その分金額も大幅にダウン。
定価の3分の一という超破格値で(喜)。


Photo_772 帰宅後、手持ちのバージョン違いと箱を積み上げ遊んでいましたが、どうです?ご覧の通りシールの色が違うことがお分かりですよね。(ノーマル色はシールなしです)
ソフビと違い、プラモデルはパーツが箱詰めですから色の確認はこのシールのみです。この色一つでマニアは一喜一憂するという(笑)。考えて見れば可愛いものです。


Photo_773 ノーマル色、金メッキ、赤クリアー、透明。ボディーパーツを並べてみればこの通り。当然の事ながら1964年のオリジナル版には赤や金、透明などはありません。つくづく時代の移り変わりを感じますねー。
ゴジラをリアルに作り怪獣として楽しんだ時代から、赤や金、果ては内部の動力部品が透けて見える透明仕様で「インテリア」「オブジェ」として楽しむ時代への変化。

確かにバージョン違いは一つの型から多くの別商品を生み出せる新商法ですし、入手したコレクターも組み立てずコレクションの対象とする事が多いでしょう。
透明ゴジラの完成品を見る機会も無いとは思いますが(笑)。
えっ?私に作れって?いやー1個しかないから作れませんよ。意気地なしとお笑い下さい。


Photo_774 お笑いついでにもう一つお願いを。
皆さんお気づきでしょうが、私が持つカラーバージョンは4種類。発売されたのは5種類です。前述の色違いの内、「グレーバージョン」だけが無いんです(涙)。
別に「探して欲しい」という訳じゃないんです。


Photo_775 実は私、まだシュリンクパックを開けていない「未開封品」を1個持っているんですが、これだけはどうしても開ける勇気がありません。幻のグレーバージョンは1カートンに1個だけ含まれているレアカラーですから、シールが貼ってあるのかどうかは分かりません。
つまり、この未開封の1個がグレーの可能性も。

どーしよう。開ければ中古品になっちゃうし、開けなければ永久に色が分からないし。
どうやら今夜は「開けよ、やめた音頭」を踊る事になりそうです。


皆さん、小心者の私に「開ける勇気」を下さい!

にほんブログ村 その他趣味ブログ 特撮へ

2007年5月 7日 (月)

雨の夜はヤバイゼ

・・・と言っても「ルバン三世」第一シリーズ・第6話のお話ではなく(笑)。

ゴールデンウィーク最終日の昨日。全国的に雨に祟られた日曜日は、皆さんもご自宅で連休の疲れを癒されていた事と思います。
かく言う私も、そぼ降る雨を恨めしそうに眺めながら、一人部屋で溜まった本を読みふけっておりました。

夜9時。日曜洋画劇場「スパイダーマン」を開巻30分でギブアップしてしまった私。
「これ、劇場鑑賞したのに・・・」

最近のこの手の作品は、スーパーヒーローの心の内を丁寧に描きすぎるきらいがあり、突き抜けた爽快感を味わえないところが今一好みに合わないのでした。(同じ理由で池上遼一のコミックスも今一・・・)
ごめんなさいね。これは好き嫌いなのでどうしようもありません。
一応食わず嫌いじゃ無い事だけは申し上げておきましょう。
(「バットマン・ビギンズ」は別。私の中ではバットマンはヒーローではなく「心が病んだ蝙蝠男」ですから。)

さて。46インチ「ネヴュラ座」の電源を入れた私は、少ないDVDライブラリーから一枚の映画を選びました。
「雨の夜ならこれ。」

その夜選んだ一枚は、アルフレッド・ヒッチコック監督の代表作にして雨の夜がドラマに大きく関係する一作。
そうです。「裏窓」(1954年アメリカ)でした。


Photo_765 「裏窓」。このタイトルをご存知無い方は少ないのではないでしょうか。
世界の巨匠、サスペンス映画の神様と、最高の賛美を欲しいままにしたアルフレッド・ヒッチコック監督が、その評価を決定付けた作品として、ヒッチファンならずとも多くの映画ファンに愛される一作です。


この作品も55年の日本初公開、62年のリバイバル公開以降再見の機会に恵まれなかった為、映画ファンの間では幻の名作となっていました。
ヒッチの死後、遺族の許可が下り、84年に「エッセンシャル・ヒッチコック」の一本として公開された時には、私も含めた多くのファンが劇場に足を運び、改めてヒッチの素晴らしさに喝采の拍手を贈ったものです。


この「裏窓」、置いていないレンタル屋さんを探す方が難しいほどのメジャー作品ですよね。今やどなたでも簡単に目にする事ができます。
でも皆さん!普通にレンタル屋さんで何か借りようかと迷った時に、普通1954年作のクラシック・サスペンスなんて発想になりますか?
「どうせ古臭い、今見ればテンポの遅い作品だろう。オタクイーンはヒッチ好きだからそんなの見るんじゃないの?」と思われた、そこの貴方!
申し訳ありませんが、この作品は貴方のそんな先入観を木っ端微塵に打ち砕きます(笑)。


私がそこまで力を入れるのには理由があります。
この「裏窓」は「サスペンス」というジャンルの前に、ひとつの「実験作」であるからです。


Photo_766 ヒッチコックは映像表現の可能性を商業映画のジャンルで追求した人物でした。
「リアクション・カット」や「テン・ミニッツ・テイク」「トラックバック・ズーム」など、彼は様々な新機軸に挑戦し、失敗を重ねながらも徐々に自己のスタイルを確立していったのです。
この「裏窓」にも、彼のそんな実験的精神があふれていました。
様々な評論にも書かれていますが、この「裏窓」は、「主人公と観客の同一化」の一つの完成形であると言えましょう。


「裏窓」に先駆け、ヒッチは「救命艇」(1943年)、「ロープ」(1948年)などで同様の実験を試みています。それは「限定空間に於ける時間、空間の連続性の追求」とでも呼ぶもので、「救命艇」ではカメラが一つの空間から出ない。「ロープ」ではそれをさらに発展させ、映画の進行時間と劇中の進行時間を一致させるなどの実験を行っています。
以前「ネヴュラ」で「ロープ」のお話をしましたが、現在アメリカTV作品「24」で行っていた手法を、ヒッチは既に1948年に実践していたのです。


こういう実験は、何もヒッチコックだけに限った事ではありません。
「湖中の女」(1946年アメリカ ロバート・モンゴメリー監督)では、カメラが主人公の目となるため、主人公は画面に一切登場しないという実験を行っていますし、「抵抗」(1956年フランス ロベール・ブレッソン監督)では、カメラは主人公の周りのみに固定され、観客も主人公と同じ情報しか与えられないといったある意味の「枷」を嵌められた状態で進行していきます。抑制されたカメラという意味合いでは同じくブレッソン監督の「スリ」(1960年フランス)も同傾向の作品ですね。

Photo_767 ただ言えるのは、これらの前述の作品群は実験作としての印象が強すぎ、ある意味実験性とエンターテイメント性のバランスの悪さを感じる作品になりがちなのです。
私も「抵抗」などは大好きな作品ですが、これを純粋なエンターテイメントと呼べるか、と言うと・・・
「抵抗」がお好きな方々、ご意見をお聞かせ下さい(笑)。
ヒッチコックの実験作は、この「実験性とエンターテイメント性」が極めて高次元で両立している点が優れていると思うのです。


さて、ここまで読まれた皆さん。実は今日の「ネヴュラ」も、ヒッチに習って一つの実験を行ってみようと思います。
「裏窓」のストーリーを語らず、劇中の場面だけを羅列する事で、皆さんにその面白さを伝えてみようという趣向です。

いつも思うのですが、作品を未見の方にはストーリーをどの程度語っていいものか迷ってしまうんですよね。おまけにヒッチ作品は「何を語るか」ではなく「どう語るか」に重点が置かれているので、ストーリーをお話しても意味がないんですよ。
舌足らずの私。「さっばり分からない」なんて事もあるかもしれませんからご了承下さい。
「北北西に進路を取れ」(1959年アメリカ)撮影中に、主役のケイリー・グラントも同じセリフをヒッチに口走ったそうで。ヒッチファンにとって褒め言葉なんですよ(笑)。


ギプスを嵌めた足から壊れた写真機、大事故の決定的瞬間を捉えた写真へパンするカメラ。
このワンカットで表現する主人公の境遇。


主人公の部屋から一望できる向かいのアパートの全景。
夏。エアコンも無い各部屋は開け放たれ、住民の生活がすべて白日の下に。


暑さに転寝した主人公の前に、突然現れる絶世の美女。
彼女は当時の日本人の年収3年分(!)のドレスを着ています。


「雨の夜」。主人公は向かいのアパートで不審な動きを目にします。でもその詳細は分からない。
彼の唯一の武器は「望遠レンズ」一つだけ。


中庭の花壇で、一本だけ低くなっている花。

「女性は結婚指輪を外さない。」

「目が合う。」

恐怖の電話。

フラッシュ。


と、こんなところでしょうか(笑)。
お察しの通り、この物語の主人公はギプスによって自由を奪われています。その為、物理的に物語の傍観者とならざるを得ない立場。
ヒッチは我々、観客の位置に主人公を配置したのです。
これがどういう意味かお分かりでしょうか?


どんな映画でも、主人公は中心人物として物語を物理的に進める役割を与えられています。しかしこの「裏窓」の主人公自身は、「起こっている事柄に関与できない」のです。
自分の向かいのアパートで何が起こっているのか。自分は何を見てしまったのか。
それは望遠レンズを通して見た部屋の一部だけ。
ストーリーは一部を除いて彼の部屋を一歩も出ません。全ては彼の推理で進みます。
つまり彼は「我々観客の代表」として機能する訳です。


Photo_768 これは実は、古今東西の映画の中で恐ろしく実験的な手法なんですよね。
ヒッチお得意の「巻き込まれ型サスペンス」でもなければ「間違えられた男」系でもない。
カメラは望遠レンズでズームできるいっぱいのサイズまでしか捉えていません。「嘘カット無し」です。
あまつさえヒッチは聴覚さえ限定します。音はズームできない。向かいのアパートの会話風景はまるでパントマイムを見ているようです。

これは「抵抗」と同じ。観客は主人公と同じ情報しか与えられない為、「観客による先読み」が許されないのです。
じれったいですよー(笑)。

頼れるのは「抑制された視野」のみ。これほど見るという行為を純粋に必要とする映画が53年も前に作られていたんですね。おそらく「裏窓」を画面を見ずに理解できる方はいらっしゃらないと思います。それほど「映像的」なのです。
この実験的手法を徹底させる事により、「裏窓」は過去に例を見ない傑作となりました。ただ「裏窓」の真の凄さは、それが実験作に見えないところなのですが。


同時にこの作品は、古典的なカットバックの手法を最大限に駆使した作品でもあります。
有名な「クレショフ効果」と呼ばれるものです。

主人公は望遠レンズを構え、向かいのアパートを覗いているだけの表情なのに、その前のカットが犬であれば「優しい男」、女性の部屋であれば「エッチなおじさん」に見えてしまうという。
これは一種の映画の文法なんですが、この「裏窓」は、その効果を最大限に利用しています。

昔、この効果を大変気に入った私は、「ウルトラQ」の一の谷博士の「断定口調」に万城目君のビックリ顔をよくカットバック編集して喜んでいましたが(笑)。

Photo_769 ヒッチは後年「裏窓」について、フランソワ・トリュフォーとの対談でこう語っています。
「純粋に映画的な映画を撮れる可能性があった。」
ヒッチが目指した「映画でなければ語れないストーリー」とは、こういう物だったのかもしれません。


「箱庭的世界」「人物の相似形」など、ヒッチ世界を紐解く数々の切り口もちりばめられた「裏窓」ですが、私がおすすめしたい切り口はこの「観客の聴覚を奪い、視覚をも制限する」実験、そしてそれを成功させたヒッチの手腕なのです。確かに「裏窓」のテクニックを使った作品は後年多く作られたと思います。しかしコピーはオリジナルを超えられない。いかに古い作品でも、そのオリジナリティーは今も燦然と輝いているのです。
主人公ジェームズ・スチュアートも霞むほどの、絶世の美しさを見せるグレイス・ケリー。
当時のパラマウント・スタジオ最大と言われたアパートのセットなど見所も多いですが。

最後に一つ。この映画は「電話」が怖い。ご覧になった方はお察し下さい。
この鑑賞時、実はあの「電話」のシーンの直後、偶然私の部屋の電話が鳴ったのです。
小心者の私は飛び上がりました。間違い電話だったのかワンコールで切れましたが、あれは心臓に悪いですねー。
映画本篇と同じく、周りの雑音がフェードアウトする異常事態に(笑)。


いやーやっぱり、「雨の夜はヤバイ」です(爆笑)。

2007年5月 5日 (土)

ルパンは心臓に向かう折れた針

今日のお話は上の一行だけで語れてしまうんですが(笑)。

昨日の金曜ロードショー「ルパン三世 ルバンVS複製人間」。
これ、再見したのは随分久しぶりで。1978年12月16日に全国東宝系で公開された、ルパン三世劇場オリジナル作品第一作です。(「念力珍作戦」はともかく(笑)
Photo_755  当時「ルパン欠乏症」に陥っていた私は、この作品を劇場へ観に行きました。
公開当時「ルパンVS~」のサブタイトルはなかったんですが、翌年公開の「カリオストロの城」以降、各作品にサブタイトルが冠されるようになった事から、他の作品との差別化を図るためにも追加されたものと思います。
私の中では今でもこの作品は「ルパン三世」であってサブタイは必要ないんですが(笑)。

Photo_756 さて、この作品を語る前に、私の「ルパン三世」に対するスタンスをお話しておく必要がありますね。この作品が公開された当時、かのルバン三世はテレビで言う第二シリーズ、通称「赤ジャケルパン」が大人気でした。大野雄二のアップテンポのテーマに乗せ、世界各地を軽快に飛び回る「世紀の大泥棒」ルパン一味の活躍は、若者を中心としたアニメファンに喝采を持って迎えられていたのです。
ところが私、この「第二シリーズ」が大の苦手でした。
一部の方々は大きく頷かれている事でしょう。
そうです。私はバリバリの「第一シリーズ」派なのです(笑)。


Photo_764 1971年10月24日、日曜午後7時30分。ブラウン管に颯爽と登場した通称「緑ジャケルパン」は、鮮烈な印象を私達に残しました。
その魅力を「ネヴュラ」で語るには、おそらく3日3晩不眠不休で記事に望まなければなりませんからおいおいお話しするとして。
まあ私もよく居る「旧作ファン」だった訳です。

今でもルパン三世の最高傑作エピソードは第一シリーズ第4話「脱獄のチャンスは一度」と固く信じて疑わない大隅正秋信奉者で(笑)。ダメですねー頭が固くて。

Photo_758 ですから、1977年から始まる第二シリーズにもかなりの期待を持っていたのです。でも蓋を開けてみればご存知の通り。
「これ、別の作品じゃないの。」
例によって第一シリーズが強烈な物差しとなってしまった私は、まるで近親憎悪のようにこの赤ジャケルバンを忌み嫌うようになってしまったのでした。


当時、「宇宙戦艦ヤマト」をはじめとするアニメブームにより、にわかにクローズアップされたアニメ作家達を追いかける楽しみを知った私は、ルパン三世の作家達が第一シリーズと第二シリーズでほぼ入れ替わっている事に気がつきました。
第一シーズンの独特の空気感、カミソリのような緊迫感やアダルトなけだるさを醸し出していたものは、前述の演出家・大隅正秋、作画・大塚康生、日活で鈴木清順と組んだ脚本・大和屋竺らの個性だった訳です。

第一シリーズに固執し、第二シリーズで絶望感を味わっていた私。「欠乏症」の理由がお分かり頂けるでしょう。ですから78年、「ルパン三世」映画化の際の「旧作スタッフが再び結集」という謳い文句に、私は小躍りしました。
「これでやっと!やっとあのハードなルパン世界を堪能できる。それも大画面で!」
で、実際劇場で作品を鑑賞し終わった私の心持ちは・・・
お察しいただけるでしょう(笑)。


Photo_759 そもそもこの「ルパン対複製人間」、旧作のスタッフが結集したとは言うものの、それはシリーズ後半、宮崎駿が手掛けた数作品に関与した人々が多いんじゃないかと。
監督にしてからが第一シリーズ第23話「黄金の大勝負!」で絵コンテを手掛けた吉川惣司、大塚康生は監修に退き、他のスタッフも微妙に違う面々が。

(このあたり、あくまで後年発売された研究本を元にしている為、多少の誤認もあるかもしれません。実写と同じく、アニメーションもスタッフ間の醸し出す空気が作品に微妙に影響するので、「目安」という意味で)

「ルパン三世」という素材は、作家によって作風が恐ろしく変化する万華鏡のような世界観を持ちます。それがルパンワールドの深さでもあるのですが、その一面、作品ごとに違うルパンが生まれてしまう危険性を孕んでいます。
テレビシリーズ、劇場版、テレビスペシャル、オリジナルビデオのどれを取っても一人として同じルパンが存在しない事が、その事実を裏付けていると言っていいでしょう。

ファンの間でよく交わされる談義に「ルパン三世・カリオストロの城」で登場したルパンは第一シリーズのルパンなのかというものがありますが、公開当時劇場鑑賞した私の感触ではあれはどのルパンでもない。しいて言えば「宮崎ルパン」であって旧作後半のルパンとも微妙に違う空気を持っているのです。
昨日再見した「VS複製人間」版ルパンも、どのルパンとも違う独特の存在感を放っていました。

ご覧になった方にはもう説明の必要も無いでしょうが、この「VS複製人間」は、過去から連綿とクローン再生を繰り返し現在まで生きながらえてきた怪人物「マモー」とルパン一味の戦いを描いています。
「マモー」は自分のDNAデータを複製する事で同じ知識、意識を受け継ぎながら時間を超越して来た存在。自らを「神」と名乗り、過去、歴史を塗り替えた偉人達を影で動かしながら一万年に及ぶ人類の歴史を操作して来たと語ります。

ところが(ここからはネタバレなので未見の方はご注意下さい)、クローン技術は「コピーによって像がぼやけるように」DNAを完全に伝える事が出来ず、マモーは幾多の「不良品」を生み出しながら本体を特殊リンゲル液に保存、新たに生きながらえる術を模索していたのです。

峰不二子を手先に、世界各地に伝わる「不老不死」の伝説にちなんだ品を集めるマモー。
不二子は例によって手練手管でルパンに近づき、それらの品を盗ませますが、マモーの存在に気づいたルパン一味はやがて彼らと対峙する立場に。
神は存在するのか?不老不死など在り得るのか?永遠の命を模索するマモーに敢然と挑むルパンの胸中は?

実は私、昨日の再見まで全く気がつかなかったんですが、このお話ってあるテレビアニメにそっくりですよね。
いやーおバカ。何年オタクをやってるんだか(笑)。


で、ようやくサブタイトルのお話です(笑)。
じらすなって?ごめんなさい。
「装甲騎兵ボトムズ」(1983年~1984年)。


Photo_760 まあこれも、「ネヴュラ」読者には今更説明するような作品ではありませんね。「機動戦士ガンダム」と並び、サンライズ・リアルロボットアニメの双璧をなす名作です。今年、13年間の沈黙を破って新作が製作されることからも、その人気の高さが窺えます。
そのリアルにして魅力的な世界観、「ガンダム」以上に兵器として扱われるロボット兵器「AT」、またAT本体に与えられた数々の新機軸など、「ボトムズ」にはそれまでのロボットアニメに無かった様々な設定が満ち溢れていました。
「ボトムズ」の魅力はそんな設定に負う所も多いのですが、やはり設定だけではここまでコアなファンが付かないのも事実で(笑)、やはりそのストーリーにも特筆すべき所があるのです。「ボトムズ」についても語り出せば百年戦争となるので(笑)、今日はそのごく一部を
紹介しながら私見をお話しましょう。
またネタバレになっちゃうので「自爆、誘爆、ご用心(笑)」。

Photo_761 舞台はアストラギウス銀河と呼ばれる、地球とは無縁の宇宙です。
ここでは「ワイズマン」と呼ばれる存在が神のごとく君臨、銀河の歴史を影で操っていました。「ワイズマン」の正体は過去「異能者」と呼ばれた人々の意識の集合体。

「異能者」のとは一種の新人類で、その抜きん出た戦闘能力、コンピューターとの適合能力により全世界を統治しようと企みます。しかし一般人類の反抗によりその計画は頓挫、以後意識のみを原形質保存装置に記憶させたのでした。
ワイズマンの望みは一つ。この世界を闘争で満たし、自分の後継者となる新たな異能者を生み出す事でした。

そこで生まれたのが、このドラマの主人公にして生まれながらの異能者「キリコ・キュービィー」。

Photo_762 ワイズマンは考えます。自分は本当の神ではない。この生まれながらの異能者を世界に泳がせておき、自分の存在を匂わせて、もし彼が自分を倒そうと迫ってきた時にヒョイと退ける事ができれば、自分は本当の神になれるだろうと。
まあ、そう考えた段階で神とは言えないんですが(笑)。
今日のサブタイはこのお話から来ているんですね。


これは「ボトムズ」総監督の高橋良輔氏がこれまでにもよく語っているお話なんです。
「昔、折れた針が自分の静脈なんかに入っちゃって、血管を通って心臓に向かうなんて怖い話を聞いて、心臓の手前で折れた針をつまみ出せるほどの能力を持っていれば、それすなわち神だろうと。そこから来ています。」
ボトムズ本編、第25話(26話用)の予告篇にも使われた言葉です。

ワイズマンはキリコを泳がせます。キリコは抜群の戦闘能力と異常な生存確率で、ほとんど不死身の男として世界を生き抜いていきます。
ワイズマンとの邂逅。その意思を知ったキリコが後継者として「神」となる瞬間、彼は・・・

「ルパンVS複製人間」と「装甲騎兵ボトムズ」。この二つのストーリーに共通するのは、
「神ではない存在が神を名乗る事」
「歴史が生んだ偶然に過ぎない主人公が、その「神ならざるもの」に導かれる事」
「主人公がその存在と対峙し、それが「神」では無い事を証明する」という事です。

昨日「ルパン」を見た時、「ボトムズ」によってこの図式を刷り込まれていた私は、その事実に新鮮な驚きを覚えました。観終わった私は瞬時に本棚へ(笑)。
「二作品の脚本って、確か・・・」


予想は的中。「ルパン」の脚本を手掛けた吉川惣司(大和屋竺と共同脚本)は、「ボトムズ」でもメインライターとして健筆を揮っていました。
彼は「ボトムズ」のテーマが集約された最終4話の脚本を担当、キリコの巡礼を終結させたばかりか、続篇のオリジナルビデオ「赫やくたる異端」(「やく」は変換不可で。ごめんなさい)でも脚本を手掛けています。
この作品は「神なき後」の世界を描いたストーリーですが、やはり彼のテーマであろう「権力を握り、神の座を狙う人間」の愚かさを採り上げていました。


「ルパン」と「ボトムズ」。テイストは全く違えど、神と称して貪欲なまでに世界の統治を渇望する人間、しかし人間はその段階で神とは程遠い存在である事を、吉川氏は描き続けていたのでした。「ルパンVS複製人間」でも、世界を泳がせていたであろうルパンという取るに足らない存在によって、マモーは滅び去った訳ですし。(劇中の「キリコの絵」は偶然でしょうが(笑)
「ボトムズ」では総監督である高橋良輔氏が繰り返し語る「親を超える子供」というテーマが、吉川氏の主張と幸福に結びついた例と言えるのでしょう。
作品は決して一面では語れませんが、こんな風に脚本家の作風からテーマを推し量る事も一つの楽しみですね。
「こじつけだ!」なんて怒らないで下さいね。あくまで一つの見方という事で(笑)。


Photo_763 ・・・なーんて事を考えながら、この「THEルパン三世FILES」を読んでいたら、なんと中島紳介氏が今日のお話の糸口となるような評論を書いておられました。
いやーやっぱり私なんかダメですねー。この本は1996年の刊行ですから、私は中島さんより11年も遅れていた事に。

今年はルパン三世生誕40周年だそうで。最近のテレビシリーズはちょっと・・・ですが、これからも新進クリエーターによる新しいルパンが作られ続けていくんでしょうね。
でもきっと、ルパンという存在に正解などないのでしょう。
「吉川ルパン」も一つの解答。
クリエーターの数だけルパンがあると。


銀河万丈氏もこうおっしゃっています。
「何故にと問う。故にと答える。
だが、人が言葉を得てより以来、
問いに見合う答えなど無いのだ。」

2007年5月 3日 (木)

「ネヴュラ」トラックバック障害について

【オタクイーンの「恋するネヴュラ」】をご覧の皆様へ

ここ数日、当サイトにトラックバックを頂く際、トラックバック記事がうまく反映されない傷害が発生しております。
(届かないという事ですね。)

大変申し訳ありません。どうやらサーバー「ココログ」の不具合によるもののようですが・・・
私の弱い頭では原因が全くつかめず、ココログに問い合わせるのが精一杯です。

私もトラックバック記事はいつもすごく楽しみで、皆さんの色々な記事が読めると心待ちにしているだけに、今回の障害は涙が出るほど辛いです。
ここ数日トラックバックを頂き、画面に反映されていない事を不信に思われた方々、そういう理由ですのでどうかお許し下さい。
ちなみにコメントは大丈夫ですのでどんどんからかってやって下さい。(笑)

現在、鋭意原因究明中です。
なにとぞ今しばらくのご猶予を。

2007年5月 1日 (火)

桜井Pへの手紙

「考えてみれば・・・」
思い立ったのは今日の午後。桜井Pに渡す名刺の件でした。
「名刺を一枚渡すだけじゃ、あまりに失礼じゃないの。」

今日のお話には前日談があります。
ここ数日「ネヴュラ」をご覧いただいている方には説明の必要もありませんね。今日、フラリと立ち寄られた方はこちらをご覧下さい。

「桜井Pとの約束(発動篇)」
http://spectre-nebura.cocolog-nifty.com/cultnight/2007/04/post_0f1c.html

4月21日、立ち寄った[オブジェクツ サブジェクツ]トークショー会場で不意に訪れた、円谷プロの桜井「由利ちゃん」浩子さんとの名刺交換のチャンス。
その時名刺の持ち合わせがなかった私は、桜井Pの指示で会期中に会場まで名刺を届ける約束を交わしたのでした・・・

最初は単純に考えていたんです。「お仕事のついでに会場まで寄って言付ければいいか」なんて。でもよく考えたら、相手は「由利ちゃん」ですよ。憧れの円谷ヒロイン第一号じゃありませんか。41年来想い続けた人に名刺一枚普通に渡すなんてあまりに味気ないんじゃないかと。
で、思い立ちました。「一筆挨拶文でも。」

以外にも私は昔から、あまりファンレターというものを出した記憶がありません。心を奪われた芸能人やクリエイターに思いをしたためるなんて事はほぼ皆無に等しいのです。
唯一の例外が山崎「鉄」努氏である事は、「ネヴュラ」を古くからご覧の方はご存知でしょう。でもあの手紙にしたって、中身は思いを綴るなんてものではなく、質問状のような硬いものでしたから受け取られた山崎氏もかなり困惑されたとは思います。
ご返事頂けるとは思いも寄らなかったですし。

ですから私にとって、純然たるファンレターは非常に苦手な分野なのです。
ところが今回、桜井Pにしたためる一筆は「トークショーでのお礼状を兼ねた挨拶状。」通常のファンレターよりも一歩踏み込んだ内容であるだけに、肩の荷も少しは軽く思えたのでした。ご本人と何度か会話もしている事がハードルを低くしているのかもしれません。

いつも私が反省する悪い癖に、文章が長すぎるところがあります。これは思い入れが暴走するゆえの癖で。「ネヴュラ」読者の皆さんには大変ご迷惑をおかけしていますが。
ましてや今回はあの「由利ちゃん」宛て。たまった思いはまさに41年分ある訳で(笑)。「短く短く」の言葉を呪文のように唱えながら、一持間余りかけてなんとか下書きまで作り上げました。

ブロガーの皆さんはご経験がおありと思いますが、文章って書き進めているうちに最初書こうとした趣旨がズレていってしまう事がありませんか?(私だけかな?)
と同時に、書いていく事で自分の別の考えが発見できたり。
書き終わった時、自分の内なる考えが初めて認識できる、なんて事もあったりして。
「思いの言語化」の最短手段は、まず書いてみることなのかも。なんて思う事もよくあります。

今回の桜井Pへの手紙もそうでした。
何度も推敲を重ねていく内に、自分が本当に伝えたい事がはっきりしてきたのでした。

その末席を汚しながらもテレビ業界に何年も浸っていると、俳優や出演者が纏う「オーラ」のようなものが散り去っていってしまう事がよくあります。
たとえトークショーのような舞台で晴れがましくおしゃべりを展開していても、予定された内容は話さなければならない。アピールするところはアピールする。脱線したら元に戻す。告知の日程、場所は間違いなく、など、色々な縛りがある訳です。好き勝手喋っていればいいわけではないと。それは参加したお客さんの数十倍のブレッシャーがかかるものなのです。
出演者だって人間ですから、どんな現場でもそれなりの苦労を強いられている。

今回のトークショーをはじめ映画や番組、舞台などを見る際になぜか私は、そういう「舞台裏の苦労」を推測する癖が付いてしまっています。
以前にも何度かお話しましたが、これはもう職業病でしょう。
単純なファン心理になりきれない大きな要因になっているとも思います。

今回、桜井Pにしたためた手紙には、そんな「41年来の憧れ」と「職業人としての思い」が絡み合った内容が表れていました。
思えば1966年。まだ年端もいかない私の目に映りこんだ毎日新報の新米記者は今、出版やイベントで円谷を守り立てる敏腕プロデューサーとして懸命に毎日を生きている。
「往年の番組の出演者」としてではなく、「自分が出演した番組を愛し、サポートする存在」となれる。なんて素敵な事でしょう。
41年という歳月は長いです。「ウルトラ」という、時の流れを超える作品を創り上げたスタッフの功績も大きいですが、出演された俳優の方々が現場を離れていく中で、自分が携わった番組を今尚現役でサポートできるまでに成長された方が一体何人居るでしょう。

私も年を重ねる毎に、彼女のそんな努力をより大きく共感でき、また羨ましくもあります。
確かに「由利ちゃん」としてキャスティングされた事は桜井さんにとってラッキーであったのは間違いないでしょうが、そこから先は彼女の努力だと思うからです。
颯爽とトークショーに現れた彼女の胸に輝いていた流星バッジは、彼女の41年の努力を祝福するようにも見えました。

「お役に立てるようでしたら、いつでもご連絡下さい。」この一文を書いた時、私は桜井さんを一人のプロデューサーとして見ていました。業界人の方でトークショーに参加され、私のように桜井さんから声をかけられた方は多いでしょう。私はその一人として彼女に挨拶できる事を本当に幸せに思います。
「彼女に本当に伝えたかった事。」それはきっと、職業人として輝いている桜井Pへの、同じ職業人としてのエールだったのかもしれません。

さて。今日も長くなってしまいました。ここらで筆を置くこととしましょう。ウルトラの伝道師として今も全国を飛び回る桜井Pを思いながら(笑)。

にほんブログ村 その他趣味ブログ 特撮へ

サキエルの立場は

今日の新聞折込Photo_752 チラシ。    










マヤちゃんのあまりのボケに、動揺を隠し切れない秀さん。
Photo_753  










奥山新影流VSプログレッシブナイフ。
シンジ君不利かも(心配)。
                                                                                               

« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »