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2007年4月 4日 (水)

羨望と共感

何気なく見ていた、お昼の「笑っていいとも!」。
4月になって新コーナーも増えましたね。にも関わらず、メンバーの自己主張とタモリの見事な采配が番組レベルを一定に保っている姿は毎度の事ながら感銘を受けます。
今日の新コーナーは過去の特定年代に活躍した歌手が四人候補に上がり、その中でスタジオに現れる歌手を当てるというものでした。ご覧になった方も多いでしょうね。

今日の年代は1971年。つのだひろ、森田健作、錦野旦など同時代を彩った歌手を押しのけ、実際にスタジオに現れたゲストは尾崎紀世彦。代表曲「また逢う日まで」を熱唱する姿は貫禄ものでしたが、私はそれよりも回答者であるいいともメンバーのリアクションに思うところがありました。

懐かしく、また大御所である歌手の名前が出るたび、メンバーからは「おーすごい」「あの人が」などの声が上がりました。これはテレビ的な演出なのでもっともな事なのですが、ちょっと気になったのは「聴きたい」「生で聴いたこと無い」などのリアクションで。
これも前述の「テレビ的演出」なので別に問題は無いんですが、私は気になりました。

「タレントの一般人化もバランスが難しいなー」という事でした。

これは「いいとも」だけに限った事ではないので、別に今さら言う事でもないのです。
でも私が最近の地上波をほとんど見ないのは、どうやらこういう部分にも要因があるような気がして。

「バラエティー番組」という呼び名が広く使われる最近のスタジオトーク番組は、この手の「タレントの一般人化」が特に顕著な感じがするのです。これは制作者側、出演者側のみならず、テレビを取り巻く環境そのものに大きな原因があると思います。
作っている本人が言うのだから間違いありません(笑)。


ご存知とは思いますが、これらバラエティー番組に於けるスタジオトークには大きな意味での台本が存在します。
これは「構成台本」と呼ばれるもので、例えばあるお題に対して数人のスタジオメンバーがトークを展開するような内容の場合、スタッフは事前に出演者側にお題を知らせ、トークの内容を考えさせておくのです。

収録前の打ち合わせではそれぞれのスタジオメンバーから集めたトーク内容のつけ合わせが行われます。
そこで出た内容によりトークの順番、リアクションの内容、次のトークへの転がし方などを再度構成し、各々の出演者が理解したうえで本番に臨む訳です。
つまり「トーク番組と言えど台本は存在する」のです。


番組によって台本の存在しない番組もありますが、それは司会者のタレント(さんま、紳助クラスでしょうか)が台本なしでも番組を転がせる実力派である場合に限られます。
そんな例外を除き、台本が無ければ番組の勢いも出ず、また進行も止まってしまうものなのです。皆さんお勤めの会社に於ける、会議上での進行役の重要性をお考え下さい。

ところがそんな風に台本の存在するトーク番組であっても、台本はドラマのように一言一句まで書き込まれている訳ではありません。そこがタレントの腕の見せ所。
「番組の流れからは逸脱しないように。でも自分の存在感をアピールし、次の仕事に繋げる」ことが、タレントに与えられた大命題であるゆえ、彼らは台本に書かれたトークを膨らます事に努力します。

以前知り合いのディレクターが「いいとも」のキャスト・スタッフ会議に出席した折、その場でタモリがこんな発言をしたそうです。
「台本があるから膨らませられる。台本より面白くするのが我々の仕事で、台本と違うトークが展開する場合、それはタレントの努力によるもの」
「その場でもしタレントがなにも閃かなかったら、台本通りのトークに戻ればいいんだから」。
台本の重要性は、現場のタレントが最も認識しているのです。


さて、この手のトーク番組はもとより、最近のタレント出演番組はほぼ全てタレントのフリートークに頼っています。クイズ番組にしてからが、クイズに正解する事よりも「クイズ問題でいかにボケられるか」「どこまでトークを膨らませられるか」に演出の重点が置かれているのです。実はこの現状にはいろいろな事情もあるのですが(番組予算が無いゆえタレントの拘束時間を短くせざるをえず、突っ込んだ打ち合わせが出来ないetc・・・)実際の所、演出側にしても「大まかな流れは台本で把握、そこ以外はフリートークで腕を見せてね」的なアプローチをせざるを得ない状況があるのです。

さて、そうなった時タレント側はどうするか。何しろ与えられた材料は簡単な構成台本とトークのテイストが予想される共演者程度。この状況下でアドリブせざるを得ないとすれば・・・
結局タレントの「地」が出てしまうんですよ。
タレントと言えど現場を離れれば普通の生活が待っています。
一般人的な発言が出てしまうのも致し方ない事なのです。

冒頭の「いいとも」に於ける「生で聴いた事ない」発言などはその最たるものだと思います。

バラエティー番組の質がこういった「タレントの本音トーク体質」に変わってからかなりの年数が経過しましたね。どんな番組を見ても出演タレントは「私生活」「現場の裏話」「他のタレントの暴露話」。往年のベテランタレントも「かつての映画、番組の裏話」的なトークばかりで。私などは、お笑い芸人を交えながらそういうトークを面白おかしく展開する番組が痛々しく見えてしまう有様で。

そんな番組の企画自体に対して思います。
名画の現場話はドキュメントとして真面目に作って欲しい。タレントの私見や芸能界の裏話など楽屋でやって欲しいと思っちゃうんですね。
過激な言い方ですが、そんなお茶の出がらしみたいなトークで電波を占有して欲しくないと。
タレントだって企画がそうなんだからそんなトークしか出来ませんしね。


きっと私の頭が固くなりすぎているのでしょう。
でもこれはどうしようもなく。
これはもう数年前から痛切に感じていることですが、「テレビ番組」という単語は同じでも、私が作りたい、見たい内容と、今の視聴者が望む内容はもはやまったく違うものなんですよ(笑)。

私が心奪われた番組は、例えばバラエティーであれば「巨泉・前武のゲバゲバ90分」(1969年日本テレビ)や、「シャボン玉ホリデー」(1967年日本テレビ)。舞台収録なら「てなもんや三度笠」(1962年朝日放送)などなど。これらはタレントのアドリブなどをまったく許さず、一秒の何十分の一という笑いのタイミングを追及した珠玉のシリーズでした。
ただ、これらの番組が今、制作不可能な理由もはっきりしています。
三番組とも、制作の準備期間が半端じゃないのです。


三木鶏郎、萩本欽一をはじめ、総勢42人の構成作家が生み出すコントを取捨選択、そのせめぎ合いが露となった「ゲバゲバ90分」。
ミュージカルシーンなど凝った場面は、本番収録の二日前から出演者全員でリハーサルを繰り返した「シャボン玉」。
関西の代表的構成作家・香川登志緒に加え、関西芸人全員から鬼と恐れられたディレクター・澤田隆治の才能が結実した「てなもんや」。
テレビ黎明期のバラエティーは、これ程までに精緻な準備を行っていたのです。


バラエティー、ドラマを問わず、今これ程までに番組作りに手間をかけるのは不可能でしょう。前述の「番組予算の低下によるタレント拘束時間の短縮」も大きな理由ですが、なにより当時を知る人が現場から去ってしまった事が大きいですね。
今のバラエティー番組は、そんな往年の遺産を活かす機会もないまま、依然として「スタジオのアドリブトーク」に明け暮れている訳ですが、これは今現場で一生懸命番組作りに奔走するスタッフ・キャストの責任だけではないとも思います。


スタッフ・キャストは、視聴者のニーズを映す鏡でもあるからです。今の視聴者は、バラエティーにそこまでのクオリティーを求めていないですよね。

一日のお仕事に疲れて帰宅し、条件反射的に点けたテレビで繰り広げられるトークは、会社の休み時間に仕事仲間と喋った罪のないお話の延長線上であればいい。
今の多くの視聴者にはそちらの方が身近なのかしれません。

「すごい発想をする人だ」という、タレントや芸人・作家に対する「羨望」はもはやなく、「共感」に重点が置かれているのでしょう。「あー自分と同じ、もしくはちょっと気の効いた事が言える人なんだ」的な解釈。
ギャグの質やタイミングを精緻に解析するのは私など一部の変わり者だけなのかも(笑)。

でも敵もさる者(笑)。現場の感触で言えばタレント側・特に芸人さんはニーズに合わせて策を練っています。
お話が相反するようですが、「本音のネタトーク」も、現場ではアリなんです。
芸人が共演者からツッこまれて見せる狼狽の表情に騙される人も居ないでしょうが、ああいうリアクション芸は「芸」と「本音」のバランス配分が実に難しい。
「一般人ぽく、しかもちょっと浮世離れしている感覚」の再現ですね。

「共感させる芸」とでも言うのでしょうか。
スケールは小さいですが。

でも一つだけ。ギャグで拍手を取るのだけはなじめませんね。
ギャグって笑いを取るもので、共感されるものじゃないでしょうと。

一般視聴者が共感し、笑いを呼ぶ本音風のトーク。
でもそれが本音に聞こえれば聞こえるほど、私には研ぎ澄まされた「芸」に見えます。

でもタレントごとにその芸の優劣はあるもので・・・。
冒頭の「聴きたい」発言などは生放送ゆえの本音でしょう。
思わず一般人化しちゃったのねと。

でも「この人、本音だな」と分かっちゃった時ちょっと安心するのは、夢を売る芸能界の裏を知る私の、ちょっとした癒しなのかもしれません(笑)。

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