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2007年3月 8日 (木)

宇宙飛行士の特権

「あれ?どうしたんですか?」
局のVTR室。現れたのはいつもと違うプロデューサーでした。
待っていた私は、予期せぬ人物の登場にとまどいを隠せず。
「これから私が担当になりまして。よろしくお願いします。」
「じゃーこれまでのプロデューサー、●●さんは?」
「それが。」


フリーで番組制作を手掛ける私は、そのほとんどの作業を自宅で行います。
完成した番組は局に持ち込み、番組担当である局のプロデューサーと一緒に作品の最終チェックを行う事は、業界関係者ならよくご存知の事と思います。
通常、番組プロデューサーというものはディレクターと比較的密な連絡を取り、不測の事態への対処を怠らないものなんですが、私の担当番組の場合事情が少々異なっています。
この番組の制作経験が一番長いのは私なのです。
私が番組を作り続けている何年もの間ボスである局プロデューサーは次々と交代し、今や番組について一番詳しいのは私という状態になってしまった為、プロデューサーも「放ったらかし」という訳ですね。
それはそれで非常にやりやすいのですが(笑)。

何年も基本フォームが変わらない番組の場合、こういう事はよくあります。まあ「事情も分かってるし安く使える」というのが局側の本音と思いますが(涙)。

過去、プロデューサーの急な交代劇には随分立会いました。
ですから今回、お話を聞いた時も「いつもの人事異動」ぐらいの感触しかなかったのですが、冒頭の新プロデューサーの言葉は意外なものだったのです。


「彼本人のたっての希望で、ディレクターとして制作担当に再配属されたんだ。」

このセリフに私が少なからず衝撃を受けた理由は、ご同業の方ならお分かりと思います。
この私の感覚を分かっていただくには、まずプロデューサーとディレクターの関係をご説明する必要がありますね。

あまたあるテレビ番組のそれぞれを担当する番組スタッフ。
その中でプロデューサーという存在は、いわば「番組ごとの最高責任者」です。「プロデュース」という言葉が持つ「生み出す」という意味合いがその役割を表していますね。
プロデューサーは番組を「生み出す」役割なのです。

それに対し「ディレクター」という存在は、プロデューサーというボスから発注を受けて、スタッフとの打ち合わせや現場の指揮、編集から納品まで、実務レベルを引き受ける「直接担当者」という位置づけです。「ディレクション」という言葉が持つ「指示する」という意味がその役職を端的に表しています。
お分かりでしょうか。つまりプロデューサーとディレクターは「上司と部下」という関係なのです。

前述の新プロデューサーのセリフを思い出して下さい。
要は、前の担当者は「自ら望んで降格した」という事なのです。


「前々から希望が出されていてねー。」
新プロデューサーの言葉に相槌を打ちながら、私はある憧憬を感じていました。
私がフリーの道を選んだ理由も、その彼と近いものだったからです。


「映像を紡ぐ」というディレクターの仕事は、素人がいきなり出来るものではありません。
ある意味徒弟制度を思わせる、先輩後輩の関係の中で伝えられる専門技術なのです。ですからカメラマンや照明マンなどと同じ一種の職人技で、そこにはセンスや天性の素質なども要求されます。
映像演出の道を志す者はまずこのディレクターの下につき、先輩から技術を学んでようやくディレクターデビュー。
(この段階でほとんどが脱落しますが)
プロデューサーというのはそのディレクターのさらに上。ディレクター経験の無い者にプロデューサー業務は不可能です。なにしろ「仕切り屋」のディレクターを「仕切る」訳ですから経験者でなければ務まるわけがない。

ただし、このプロデューサーとディレクターの業務内容は、似ているようである意味真逆のものなのです。
一言で表現するのは難しいですが、「売り屋と作り屋」の関係が近いでしょうか。


「映画は監督で観るべき」なんてよく評論家の方々がおっしゃいますが、この言葉は監督が「作品に対して妥協しない」部分を表現していると思います。つまり監督は「自分の作品が可愛くて仕方がない」訳ですよ。作品を守る為なら何でもする。テレビ世界の監督に当たるディレクターにもその思いは強くあります。
それに対しプロデューサーは「売り屋」。この作品がどうやったら興行収入を上げられるか。テレビ番組なら視聴率を上げられるか。それを目指すのが仕事なんですね。
その目標の為なら平気で作品を変える。場合によっては監督の意に沿わない改変も辞さないという側面があります。


ただ、資金繰りから予算の算定までを任されるプロデューサーが作品の権利を握っているのも事実なので、プロデューサーとディレクターは上司と部下という関係ながら、作品のありようを巡って対立する場合もあります。
両者の思いが一致すれば最も理想的な作品が創れるのですが、現実にはなかなかそうはいきません。


さて、そんな「仲間でありながら敵」のような関係を持つ両者ですが、これ、やっていてどちらが面白いと思いますか?
これは複数の関係者の統計を取るまでもなく、過半数で「ディレクター」でしょう(笑)。


私も以前局勤めをしていた頃、プロデューサーなるものを経験した事がありました。生意気ながらも部下を持ち、制作の進行状況を見ながらある時はディレクターを持ち上げる。またある時は酷評し、アメとムチを使い分けながら作品を創り上げていく訳ですが、そこに付きまとうのは一種の「はがゆさ」でした。
もともとプロデューサーなどはほぼ全員がディレクター上がりなので、演出がしたくてしたくて仕方がないものなのです(笑)。
だからロケ現場へ行っても、ついタレントに口を出したくなってしまう。

でもそれは「ディレクターの権限」なんですよね。
私にできるのはディレクターに耳打ちする事だけ。
「あの出演者、もうちょっとなんとかした方がいいんじゃない?」
それ以上口を出せば、「じゃー貴女が演出すれば?」なんてディレクターが逆ギレする事は目に見えています。
耳打ちだけでぐっとこらえる。これがたまらない苦痛な訳ですね。
後日、その番組の打ち上げパーティーに参加した時、ゲストに呼んだ先輩に言われました。
「プロデューサーって、つまんないんじゃない?」
やっぱりみんなそう思ってたんだ。
その時、私の道は決まりました。


フリーながらも演出の道を選んだ経緯はそんなところで。
我侭な生き方とも思いますが、人生は一回限り。
やりたい事を我慢して、その時間の自分を殺しているくらいなら、多少リスキーでもやりたい道に進む事。
これが私の信条です。

「生き甲斐とリスクは背中合わせ」ですが、その方がスリリングじゃないかと(笑)。
ただこれは私のような独身者だけに許される事でしょうね。
ご家族を持つ皆さんが安定を目指すのは決して「守り」ではなく、それも勇気ある決断と思います。むしろそちらの方が難しいですもんね。
妙な奴の戯言とお笑い下さい。


「ジュラシック・パークⅢ」(2001年アメリカ ジョー・ジョンストン監督)の劇中、主人公グラント(サム・ニール)がこんな意味のセリフを語っています。
「若者には二つのタイプがある。『天文学者』と『宇宙飛行士』タイプだ。安全な場所で現場を想像する天文学者。現場で直接体験しないと気がすまない宇宙飛行士。
でも真実を見つけるのはいつも後者だ。」


冒頭の彼も、私と同じ「宇宙飛行士」だったのでしょうか。
私と同年輩、ましてや家族を持つ彼が今回の英断に踏み切るまでにはいろいろな葛藤もあったと思います。
それでも降格してまで現場を仕切りたいと思う情熱。
「宇宙飛行士の特権」は若者だけのものではないと信じたいです。


これ、自分に対してのエールでもあるんですが、現実はなかなか映画のようには行かず・・・
今日もまたひとつ、局の事情でお仕事のキャンセルが。
もーどーしよう(爆笑)。

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